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源重成
源 重成(みなもと の しげなり、生年未詳 -
平治
元年(
1159年
)12月)は、
平安時代
末期の
武将
。八島冠者・佐渡源太
源重実
の長男。母は勾当大夫宗成女。佐渡式部大夫と号す。佐渡重成とも。兄弟に二郎先生源重忠、
筑後
守であった山田先生
源重貞
、
正四位下
鎮守府将軍
源義家
の婿で
信濃
守であった浦野四郎
源重遠
らがいる。
官位
は
式部丞
を経て
昇殿
、
従五位下
、
近江
守。
天承
元年(
1131年
)には大炊助。
永治
2年(
1142年
)に兵部少丞。
保元
元年(
1156年
)7月、
保元の乱
で
後白河天皇
方で
源義朝
と行動をともにする。従五位下式部丞に昇進し、式部大夫を称す。乱の後、捕らえられた敵方の
崇徳上皇
を
仁和寺
から鳥羽付近まで護送した。
平治元年(
1159年
)12月、
平治の乱
においても義朝の麾下に参加。この時は義朝軍が一時拘束した
後白河上皇
を護送し、さきの崇徳上皇の例と合わせて「二代の上皇を護送した」として世上大きな話題になった。
しかし
平清盛
軍の前に敗走し、義朝とともに僅かな人数で東国を目指して落ち延びる。途中、
美濃国
にて落武者狩りの一団に遭遇した際、義朝を逃した上で「我こそは源義朝なり」と名乗って自決した。その際に、身元が割れないようにするべく、自ら散々に顔面を傷つけた上で果てたという。
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