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源重貞
源 重貞(みなもと の しげさだ、生年不詳 -
治承
4年(
1180年
))は、
平安時代
末期の
武将
。
鳥羽院
四天王の一人とされる
源重実
の三男。兄に
重遠
、
重成
がある。山田先生(やまだせんじょう)と称した。子に重経、
重満
、重国、重継、仲重らがある。
保元
元年(
1156年
)の
保元の乱
においては、兄の重成と共に
後白河天皇
方に属して勝利した。この際、自らが放った矢が敵方の
左大臣
藤原頼長
の首筋に命中したという(その傷が元で頼長は落命)。その後、
源為朝
を
近江国
坂田付近で捕縛。その功績によって
右衛門少尉
または、
筑後
守に任ぜられた。
嘉応
元年(
1169年
)の
延暦寺
強訴
入京(
嘉応の強訴
)に際しては、郎党を率いて内裏の修明門を死守した。
治承
4年(
1180年
)の
以仁王の乱
に際して、
源頼政
に従い反
平家
の兵を挙げたが敗北。領地のある
美濃国
を目指す途上で死去した。
1 系譜
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