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Chikirinの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-09-27 なんで全員にリーダーシップを求めるの?

欧米(特にアメリカ)の教育機関に入学申請をしたり、外資系企業の面接を受けると常に聞かれるのが、「あなたのリーダーシップ体験について話してください。」という質問です。

大学の入試エッセイで書かされ、面接でも過去にどんな場面でどうリーダーシップを発揮したかと事細かに聞かれます。もちろん入社してからも、リーダーシップは主要な評価項目のひとつです。

一方、日本ではリーダーシップについて問われる機会はごく限定的です。中には「今まで、一度も問われたことがない」という人さえいるでしょう。


なので、その概念自体あまりよく理解されていません。たとえばちきりんがよく受ける質問のひとつは、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。

質問の意図は、「組織を率いるのはごく少数の人のはず。彼らだけがリーダーシップをもてばいいのに、なぜ大学入試や採用面接で全員にリーダーシップを求めるのか?」とか、「10人のチームで10人が強いリーダーシップを持っていたら、チームとしては巧く動かないのではないか?」といったところでしょう。


これらの質問はごく常識的なものだと思います。そして答えはシンプルです。

「全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすい」んです。だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求めるのです。


例で説明しましょう。

高校の文化祭で各クラスが出し物をすることになりました。まずは何をやるのか話し合います。最初は誰も意見を言いません。責任者のAさんは、意見を言ってくれそうな人を指名してようやくいくつかアイデアを出してもらいます。

それを黒板に書いていくと、今度は意見がたくさん出始めます。校則問題をとりあげた演劇をやろう、バンドはどうだろう、食べ物屋を出店して売上を寄付するのはどうか、討論会か講演会を主催して有名なゲストを招きたい・・・云々。

これをどうやってひとつの意見にまとめようか、Aさんは考え、それぞれの案のいいところと悪いところをまとめてもう一度討議し、最終的に多数決をとることに決めました。Aさんは翌週の放課後を全部使って資料をまとめ、必要な予算も先生と相談しました。

2回目のクラス討議でAさんは各案について、全員が参加できるか、必要な設備はあるか、他のクラスとかぶらないか、などを説明します。みんなは「ふーん」という感じて聞いています。

中にひとりだけ非常に熱心に「演劇で校則問題を取り上げたい」と主張する生徒がいました。彼は自説を延々と話します。それがあまりに長いので、他の生徒は次第にしらけ始めました。他の案の検討が始まっても、彼はすぐに「校則問題を扱った演劇」に話を戻してしまいます。

そのうち、あからさまにAさんをにらみ「お前、なんとかしろよ」という視線を送ってくる生徒も出始めました。さらに何人かは「用事がある」と言って席を立ちました。

Aさんは、延々と話している生徒をなんとか静かにさせ、他の意見をもっていそうな生徒に発言を求めますが誰も積極的に話そうとしません。するとまた「演劇で校則」の生徒が「ちょっといいですか?」と話し始めてしまいます。

話がいよいよ進まなくなったところで、汗だくのAさんを見ていた先生が介入しました。先生は他の生徒を次々と指名して、他案について意見を出させてくれました。Aさんは心からほっとします。その後はなんとか議論が進み始め、多数決で「誰かゲストを呼んで講演会をやろう」ということに決まりました。時間の大半が使われた「校則問題を扱った演劇の案」の賛成者は数名だけでした。


これ以降は省略します。後は想像できますよね。誰を呼ぶのかを決めるにも一悶着あるし、依頼の方法も提示する説明資料もAさんが中心になって考えねばなりません。

人気講師が来てくれることになったらなったで当日の段取りも大変です。列をどう整理するか、受付はどこに設置するのか。マイクを確認して演台を用意して飲み物も必要だ。誰がどの役を担当する?

当日になって「ごめん、オレ、部活の出し物と重なってた。受付、できなくなったわ」とか言い出す人もいます。遅れてきたり、いつの間にか持ち場を離れてしまう人も。講師謝礼用に用意していたお菓子が見あたらないというトラブルも発生し・・・

★★★

さて、ある企業で10人でチームを組んでプロジェクトを始めるとします。この10人全員が、高校生の時にAさんの立場を経験しているのと、ひとりしかAさんの立場を経験しておらず、残りの9人はその他の生徒の立場にあった、というチームでは、どちらがパフォーマンスのいいチームになると思いますか?

10人全員がAさんの経験をしているチームは、「10人全員がリーダーシップ体験のあるチーム」です。もうひとつは「リーダーシップ体験をもつ一名だけがリーダーとなり、残りの9名はそういう経験のない人達」というチームです。

後者のチームがどうなるか、想像できますよね。


正しいかもしれないけど、物事を前に進めない発言を繰り返し、

本旨に関係のないくだらないことにいつまでもこだわる。

ちょっとでもややこしくなると、あからさまに無関心な態度を示し、

ドタキャンをしたり勝手に役割を離脱したり・・・、するのは、「自分がリーダーとして苦労したことのない人」ばかりです。


また反対に、杓子定規な態度を崩さず、

「完璧でなければ一歩も進みたくない」

「一切の妥協は許したくない」

「明文化されなければ、一切やるべきでないと思う」などと言い出す人もいます。

「組織を動かして成果を出すことがどれほど大変か」、実体験で学んでいない人がチームにいると、恐ろしく非効率なことになるのです。


たかだか20人ほどの忘年会でさえ同じでしょ。一回でも忘年会の幹事をやれば、店の選び方について後からどうでもいい意見を言ってみたり、参加可否を問うメールを放置して返事をしなかったり、たいした用もないのに遅れてきたり、「オレは酒が飲めないから安くしろ」と言ってみたりすることが、どれくらい慎むべき行為かすぐに理解できます。

リーダーシップ体験のない人って、すぐにわかりますよね。彼らはまさに上記のような言動をし、それの何が悪いのかさえ理解していません。そういう人を見ると「ああ、一回もリーダーをやったことがないんだな」といつも思います。


人はリーダーシップ体験を積むことにより、「高い成果を出せるチームの構成員」になれるのです。そのために、全員にリーダーシップ体験が必要なんです。

上記の例でAさんは、リーダーとしてはスキル不足だったかもしれません。それでも彼がその経験から得たモノは、彼の「チームメンバーとしてのパフォーマンス」を大きく向上させます。(もちろん何度か体験するうちに、リーダーシップの方も身につくでしょう。)

欧米の教育機関や外資系企業が求めているのは、リーダーシップそのものだけではないのです。彼らは「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーはいかに振る舞うべきか」を、体験的に理解している人を求めています。そのために「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と考えているのです。


そんじゃーね



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