(新) 日本の黒い霧

日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の真相、その他の未解決事件、改竄された歴史について考える。

JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(17) 8.24追記

2011-08-22 11:40:05 | JAL123便墜落事故
※被曝治療、人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。なお、核汚染について危機感を同じくする優れたブログ「放射能防御プロジェクト」があります。こちらを読むと被爆治療を通して私たちが予見していたことが、今、本当に日本で起きつつあることがわかります。残念ながら、東北・関東はもちろん、日本国民の多くが福島原発起因の放射性物質を体内に取り込んでしまったのは容易に推察されます。

多くの日本人が真性の放射能キャリアになってしまった現在、もはや「人体の放射化」があるかないかを議論する意味はありません。今必要なのは体内の放射性物質を速やかに取り除くことです。そして、その手段はあります。しかし、福島が今も放射能を吐き出し続け、国土が広範囲に汚染されている状況では、その手段を行使することすら無意味です。状況を改善させるには、何よりも先に福島の放出を止めることです。100兆円かかろうが、200兆円かかろうが、もはやお金の問題ではありません。これをやらない限り地球上に逃げ場はありません。日本発のカタストロフィーはもう始まっています。


 * * *

-----------------------追記(ここから)-----------------------
この記事の提供資料の写真について次のようなご指摘を受けました。

CUMは、よく見るとCU.M.となっており、これはcubic meterつまり立法メートルを示していると思われ、また、数値の前にはVOL(体積or容積)を示す単語があり、・・・VOL 3.8 CU.M./135 CU.Ftとかかれている部分が切れている状況と考えられます。つまり、何らかの体積あるいは容積(一部荷室容積?)の数値です。ちなみに、3.8立方m(メートル)は、約135立方Ft(フィート)です。

また、その上の行にはWT(重量の略語)があるので、重量が記載されており、・・・WT 153 KGS/338LBSと続くと推測できます。KCSといわれているのは、KGSの”G”の一部が消えて”C”に見えるだけだと思われます。ちなみに153kgは約338LB(ポンド)です。


たいへん合理性のあるご意見だと思います。私たちも「米軍機墜落」ありきの先入観があるので、時々、このような当たり前の解析方法を見逃してしまうことがあります。よってこの写真からだけでは、135系の米軍機とは断定できないことも合わせて記載しておきます。

しかしながら、他の重要証拠から135系の機体が墜落している可能性はいささかも揺るぎません。墜落機体破片の収集はほぼその目的を終了しつつあります。私たちも、そろそろ墜落機体の分析から、社会背景の分析にその着眼点を移していくべきだと考えています。

ご指摘ありがとうございました。

※このブログのコメント欄をオープンできればよいのですが、諸事情により止めさせていただいています。悪しからずご了承ください。
-----------------------追記(ここまで)-----------------------

今回は前回の「そしてミサイルは発射された(16)」に続いて、提供された資料の分析を行います。やはり新事実が出てくる訳ではありませんが、私たちのこれまの検証結果を補強する材料としては充分なものです。


■TV放映された航空機破片

以下の写真は、前回同様、1990年に放映された「報道特集」の中で、123便の墜落現場に落ちていた機体の残骸としてTV画面に映し出されたものです。


写真1:TV放映された航空機破片

この破片映像を見て「何かおかしい」と感じた資料提供者様の感性には脱帽します。この写真を早速、国際軍事評論家のB氏に見てもらったところ、はっきりとB747(ジャンボジェット)の物でないことが同定されました。詳細を以下に記します。

「"TB216"と書かれた大きな文字はおそらく民間機のものでしょう。しかし、その下の小さな文字には米軍の軍事用語が使われています。それぞれ
 CUM 爆弾燃料チャージャー
 Cur タンカー:現金・郵便・物資などの運搬
 KCS タンカー:燃料などの運搬、空中給油機
の意味になります。複数の用途がここに記載されていますが、要するに、民間機を軍事転用したタイプの航空機で、燃料輸送や一般輸送・その他として幅広く使われる機種の共通部品であると考えられます。ここで考えられる機材はただ一つ、民間旅客機ボーイング707の軍事仕様タイプ、135シリーズです。この破片に記されている"135"もそれを指していると思われます。」

これまで回収された特殊な機体破片、報道写真などから、本ブログでは米軍の「RC-135」が同現場に墜落していると断じていました。このTV映像も、まさしくその米軍「135」シリーズ墜落の痕跡を示すものです。


写真2:米軍ボーイング135シリーズ
    左上から時計回りに、C-135 一般輸送機、RC-135 偵察機
    EC-135 空中指揮管制機、KC-135 空中給油機、この他に、
    VC-135 VIP輸送専用機などがある

どのタイプに特定できるかと問われれば、現場で見つかった位相差レーダーの断片などから、RC-135またはEC-135の可能性が高いと判断できます。所属については戦闘の状況などから、B氏は米国海兵隊のものである可能性が高いと予想していますが、F106と思われる戦闘機破片が見つかったこと、「小さな目は見た」で紹介した大型機と小型機(戦闘機)が編隊飛行していたとの目撃例から、北米防空宇宙軍(NORAD)の空中管制機であったとも考えられます。

そして極めつけは「そしてミサイルは発射された(10)」で紹介した、明らかにジャンボジェットのものとは明らかに大きさの異なるジェットエンジンでしょう。これがしっかりと新聞の第1面に収められています。ジャンボのエンジン直径は2m以上あり、人物との比較で分かるように、この写真のように小さくありません。しかし、ボーイング135シリーズのTF33系エンジン(直径1m)なら納得です。これを再掲します。


写真3:エンジン回収作業中の写真("慰霊の園"に展示された上毛新聞1面)


■NORAD出撃の意味を考える

以前、北米防空宇宙軍(NORAD)の役割として、対ソ重要防空任務に当たる他、地球外存在からの脅威に対抗する任務があると触れたことがあるかと思います。B氏によると、軍事関係者との公式会見でUFOや宇宙人の話が出ることは絶対にないが、オフレコ、例えば会議の後のラウンジでの会話の中では、むしろ既定の事実として対宇宙戦略が語られることがあったとのことです。1985年当時、NORADに所属していたF106戦闘機の主な任務とは、未確認飛行物体(UFO)の追尾であったことも、そのようなオフレコ談義の中で聞いたともおっしゃっていました。そして、NORADこそ、地球上で唯一の対宇宙軍であるとも。

いきなり、UFOや宇宙人という切り口では、さすがに私も参ってしまうのですが、よく考えてみると、これまでの御巣鷹事変の調査で、限られた狭いエリアに各国の戦闘機が揃って墜落している事実や、核だけでなく、電磁パルスビームなどの超兵器類が当時使用されていた形跡があることから、123便絡みの出動においては、日本またはソ連(現ロシア)の最新兵器が使用される可能性を充分考慮した上でNORADの出撃要請に至ったとも推測されます。その「新兵器」と呼ばれるものの中には、航空機の遠隔操縦装置や、いわゆる「空飛ぶ円盤」と同形の特殊飛行兵器があったとしてもそんなにおかしな話ではありません。はっきり言うと、私はいわゆる一般に目撃されるUFOと呼ばれるものは、実は地球製の軍事兵器ではないかと疑っています。もうその辺の話をオカルトではなく現実として語ってもよい時期ではないでしょうか?


写真4:米軍B2爆撃機にも別タイプが数種存在する?
    左から、通常エンジン型(TypeI)、電磁流体エンジン型(TypeII)、
    3極プラズマエンジン型(TypeIII):いわゆるUFOタイプ
    複数タイプの存在はB氏も未確認ながら話に聞いているという

話を戻します。これに加え、「小さな目は見た」の証言も非常に重要です。3機の大小の機影をNORADの飛行編隊のものとすれば、123便の墜落時刻の15分前にはNORADの編隊は御巣鷹周辺に飛来していたことになります。123便がここに来ることを事前にわかっていたのでしょうか?それを説明可能にする仮説は幾つか立てられます。

仮説1:
 123便を無線誘導して御巣鷹の南方、長野県川上村の広大な
 レタス畑に不時着させようとした
仮説2:
 敵側(日本、ソ連)の地下基地がこの周辺にあることを知って
 おり、ここが作戦ポイントとなることを予測していた

仮説1を可能にする前提としては、まず123便の垂直尾翼が操舵可能でなければなりません。これについては「折れなかった垂直尾翼(1)」で、これまで信じられていたフライトレコーダーやボイスレコーダーの記録が、衝撃報道されたその音声共々、捏造されたものであることを証明しました。操舵を失った恐怖のダッチロールも作り話です。123便は操舵可能だったはずです。また、123便を川上村に誘導する根拠も存在します。123便の高濱機長は川上村の山向う、群馬県上野村の出身(*1)なのですから。しょっちゅう行き来はなくても、川上村がどういう地形かはよく分かっていたいたはずです。そして、この場合、NORADは123便を救助しようとしていたことになります。

仮説2については、これを説明可能にする事実があります。123便の墜落現場の西側、南相木村の北部に茶臼岳という山がありますが、その山の周辺道路を建設したのは実は陸上自衛隊の工兵部隊です。その道路は昭和56年、つまり123便の墜落から4年前に完成しています。123便の墜落後も、自衛隊が南相木村の既存のトンネルを爆破し、新たに付け替えたりするなど、この土地での自衛隊の動きは非常に奇妙です。私もこの「自衛隊道路」を何度か通行しましたが、人気のない山間部にも拘わらず、昼夜を問わず必ず乗用車が何台か道端に停めてあります。同地に建設された東京電力神流川発電所が軍事基地である可能性は、このブログで再三お伝えしておりますが、どうやら、早い時期から自衛隊がここに目をつけていたのは確かなようです。そうであったとすれば、8.12の軍事衝突直後の短い時間に、目立つ軍機破片を車両を使って地下基地内に運び入れることも可能だったはずです。NORADは地下基地の存在を既に掴んでおり、遠隔操縦装置(*2)やその他の特殊兵器が配備されていることも知っていた。よって、最終決戦がここで行われることを想定していたのかもしれません。

いずれにせよ、ボーイング135シリーズを含むNORADの飛行編隊らしき機影が墜落現場周辺で目撃され、無残にもここで一部、または全機撃墜されたことは、もはやゆるぎない事実として認められるべきでしょう。


*1 高濱機長は上野村出身:裏は取れていないが、同じく上野村出身者の証言です。機長の奥方は隣町の神流町出身。同年夏、事故前に上野村に家族でハイキングに来ていた話は、よく因縁話として語られるが、同村出身なら特に不思議な話ではない。事故機乗員の身元を伏せるのは航空業界の通例であるため、隠蔽や情報操作と受け取らないでほしい。不思議なのは、同村の現住人までもが誰もこのことを語らないことだ。

*2 遠隔操縦装置:これが123便に向けて実戦投入されていたとするなら、やはり垂直尾翼の操舵が効いていなければ辻褄が合わない。


 * * *


本文中、「日本、ソ連の地下基地」と書いたのは意図があってのことです。私が推定している御巣鷹の地下基地の実態は、どうやらクロカモ(日本の闇組織)とソ連(現ロシア)勢力によって運営されている可能性が濃厚です。ロシアの関与を仮定すると納得のいく点が多いからですが、それについてはまた報告させていただきます。日本の陰謀論は悪徳米帝国一辺倒ですが、その議論の背後に巧妙なプロパガンダが隠されていることに気がつかなくてはなりません。ロシア関与のその向こうには、ユダヤ(イスラエル)、フランス、ドイツ、中国など、英米とはまた違う顔を持つ強国が控えています。福島原発事故はもちろん、最近の某国新幹線事故、北欧乱射事件などで名前が取り沙汰されている国ばかりです。もちろん、国の顔の背後にもまたぞろ国境無き軍産複合体が潜んでいるのでしょうが。


QUAEREBANT ERGO EUM PRENDERE ET EXIVIT DE MANIBUS EORUM
そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去って行かれた。
(ヨハネの福音書 第10章39節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

JAL123便墜落事故−真相を追う−御巣鷹事変、26年目の夏に

2011-08-12 01:31:24 | JAL123便墜落事故
あの忌まわしい悲劇から、早くも26年の年月が経過しました。123便の乗客乗員、全ての犠牲者のご冥福を祈ると共に、同事変により人知れずその命を散らすこととなった、米国軍兵士、旧ソ連軍兵士、自衛隊隊員、警視庁・警察関係者、その他の方々に追悼の意を表します。

 * * *

思えば、本件の調査を始めたおよそ3年前、大事故と報道された本件が、これほどまで複雑な背景を有しているとは想像もしませんでした。調査開始当初、世の中は陰謀論やスピリチュアルの話題が花盛りであり、当然ながら、123便事故についても「自衛隊の標的機の衝突説」、「米軍によるミサイル撃墜説」などが囁かれていました。このブログは、それら諸説の検証からスタートし、単なる資料分析の範囲においては、後者の「米軍撃墜説」がより有力であろうと論じておりました。

その見方がガラっと変わったのが、2年前、墜落現場を何年も探索し続けたS氏との出会いです。彼から提供された多数の「ミサイル破片」、「軍機の破片」、「軍機搭乗員の装備品」、その他などから、墜落現場周辺からとんでもない軍事衝突の痕跡が発見されたのです。これらの分析が可能になったのも、私の師であり、軍事分野において深い見識を兼ね備えた国際軍事評論家B氏の存在が非常に大きかったことは言うまでもありません。私のブログを通しS氏とB氏が繋がったことで、事故の真相がよりはっきりと見えてきました。それは、それまでの陰謀説をはるかに凌駕した、世界規模の軍事衝突だったのです。

これまでの記事の繰り返しになりますが、墜落現場からは、複数の米軍機破片が回収されただけではなく、ソ連空軍のミグ戦闘機の破片、ソ連製装甲車の装甲板、そして航空自衛隊の戦闘機破片までもが見つかっているのです。それに加え、軍用毒ガス瓶や糜爛性毒ガス原料までもが、現場で発見され、調査チームの手で回収されています。軍用毒ガス瓶はその口が開いているので、おそらく、M氏が目撃したという多くの生存者を、秘密保持のため絶命させる用途に使われたのでしょう。更に恐ろしいことに、核兵器使用の痕跡までもが残っており、私やS氏などは現場調査を繰り返した影響で軽い放射線症にもかかっています。事件から20年以上経過した現在でも、事故現場周辺の自治体では高目の空間放射線量が測定されています(ただし311前の測定)。

調査に対する妨害も熾烈でした。移動用車両に発信機を取り付けたり、ブレーキに細工するなどはまだ可愛い方で、排気に神経ガスを混入した特殊車両で前方を走ったり、電車内でニセ車掌が毒を撒いたり、そして、外食店で料理に毒物を混入してきたことも何度かありました。未だにその所持が公表されていない、電磁パルス銃や光線銃、超音波銃等で私たちを狙ってきたことも、このブログでお伝えしてきた通りです。それも、国家の治安を守るべき、公安警察や自衛隊の手から発射されたものもあれば、アジア系外国人、地元ヤクザと思われるならず者たちからのものもありました。彼らは皆、裏で繋がっているのです。


写真1:S氏に近づく白百合を掲げた女。制服に注目、ある有名企業のものだ。
    軍事暗号の一種で、その意味は「和解」または「家族へ死を」(B氏談)
    花を捧げ和解を求めるべき相手は私たちではない!

公安警察、自衛隊と書きましたが、これらが組織内でひどく分裂し、すでに統制がとれていないこともこれまでブログでお伝えしてきたつもりです。私たちを狙ってくる分派は、もはや正規の警察とも自衛隊とも言えず、別の組織に牛耳られた私設軍隊であると断言してよいでしょう。上記の写真で示したように、一部の有名企業もその仲間です。このような生死に関わるひどい妨害を体験し続ければ、彼らを操る闇の組織の存在に気がつくのは自然な帰結です。私はこの鵺(ぬえ)のような姿の見えない組織を「クロカモ」と呼ぶことにしました。


図1:ゴッホ作「ひまわりのある静物」
   このメッセージの終わりに南国の花を添えて


 * * *


日本航空123便事故、それは間違いなく隠された戦争の犠牲です。よくもまあ、26年間も隠し続けられたものだとある意味感服します。しかし、26年目の夏を迎える直前の3月、新たな攻撃が日本へ向けて加えられました。「核」あるいは「放射能」による「日本殲滅計画」です。私が、今一番危惧すること、それは123便事件、あるいは御巣鷹事変のような国家の存亡に関わるような重大事変をこれだけ長い期間無視し続けた日本人の心の有様です。26年間、真実を見ようとしなかったオイディプスたちが、今まさにその目を奪われようとしています。目を失いそして死んでいくか、苦痛に耐えそれでも前を見て歩んでいくのか、その決断に日本人の心の有様が問われています。

私は外地フィリピンから、123便の犠牲者に祈ります。「あなた方の命を掛けた警告が、ついに現実のものとなってしまいました。どうか愚かな私たちを許してください。」と。

 PATER NOSTER, QUI ES IN CAELIS,
 SANCTIFICETUR NOMEN TUUM,
 ADVENIAT REGNUM TUUM,
 FIAT VOLUNTAS TUA,
 SICUT IN CAELO, ET IN TERRA.
 PANEM NOSTRUM SUPERSUBSTANTIALEM DA NOBIS HODIE;
 ET DIMITTE NOBIS DEBITA NOSTRA,
 SICUT ET NOS DIMITTIMUS DEBITORIBUS NOSTRIS;
 ET NE INDUCAS NOS IN TENTATIONEM,
 SED LIBERA NOS A MALO.

 天にまします我らの父よ
 願わくは
 み名の尊まれんことを
 み国の来たらんことを
 み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを
 我らの日用の糧を今日我らに与え給え
 我らが人に許す如く我らの罪を許し給え
 我らを試みに引き給わざれ
 我らを悪より救い給え
 アーメン

※この「主の祈り」こそ、この世に真実を知らしめ、お互いの過去を許し許される関係に修復したいという、「(新)日本の黒い霧」スタート当初からの一貫した精神を象徴した言葉です。特別な日を迎え、再度この祈りを祖国に向けて捧げます。

南の島フィリピンより
管理者 日月土
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(16)

2011-07-29 21:37:41 | JAL123便墜落事故
※被曝治療、人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

このブログに古くからお付き合いしていただいてる読者にとっては、既に目新しい話ではなくなっていることですが、123便の墜落現場には123便以外の多くの機体破片が散乱しており、私たちの現地調査で収集され、その一部については国際軍事評論家のB氏の分析によって機種や所属まで判明していることは、これまでお伝えしてきた通りです。

これまで、私たちの調査活動に対し、一般の方から資料提供を受けることも度々ありました。今回お知らせする情報は、それらの資料の中から新たな墜落機種の断片が確認されたこと、そして、これまで墜落が疑われていた機種について、その信憑性を強化する更なる証拠が見つかったことです。


■報道ビデオに写り込んだ小さな水平尾翼

まず下記の写真1をご覧ください。


写真1:報道映像に映り込んだ小さな水平尾翼
    赤い線と寸法は資料提供者が描き込んだもの
    オレンジ色の線は計測用に筆者が描き加えたもの

資料提供者によると、1990年、TBSの「報道特集」で放映された123便墜落直後の現場ビデオ録画に、123便のものとは異なる機体が映り込んでいたと言います。親切に、赤い線補助線と寸法まで描き込まれていたのですが、実際の画像を見れば分かるように、「100cm(1m)」と「70cm」と記載されている赤線の長さの比率が、目分量でも明らかに間違っているのがわかります。背景に写る樹木の大きさから推し量れば、大体のところ 最長辺で1m前後であることは納得できるのですが・・

とりあえず、補足を入れずにこの画像をB氏に分析していただいたのですが、B氏の見立ては次のようなものでありました。、

「小型戦闘機の水平尾翼に見える。この画像から正確な判別は難しいが、1985年当時、日本周辺に就役中だった機種から選定すれば、アメリカ海軍のA4、または韓国空軍のF-5Eのものである可能性が高い。」


写真2:A4スカイホーク(左)とF-5Eノースロップタイガー(右)
    形状的にA4のものとは言いにくい

それまでの調査で、小型ジェットエンジンのものと思われる小さな径の空気吸入口グリルの断片などが見つかっており、F-5Eが飛来し、撃墜されている可能性は調査当初から考えられていました。しかし、この写真の小型水平尾翼と同様、他の機種(ヘリコプターのエンジンなど)と明確に区別することが困難なため、今に至るまでF-5Eが墜落しているとの明言は避けていました。

ところが、現在、私が避難先にしているフィリピンの公園に、退役したフィリピン空軍のF-5Eが展示されているのをたまたま発見し、水平尾翼の形状がどうなっているか、実際に手で触れながら観察してみることができました。その時、計測メジャーがなかったので不正確ですが手尺で寸法を測りました。測った部分は水平尾翼先端の縁の長さ、および機体側の縁の長さです。


写真3:公園に展示されていたフィリピン空軍のF-5E


写真4:展示機の水平尾翼


図1:水平尾翼の実測値

先端部と機体側の縁の長さを測定したのは、その比率を特定すれば、実寸値が曖昧な写真1からも、F-5Eとの関連が読み取れると判断したからです。そこで、写真1に両縁を示すオレンジ色の補助線を加えて、その比率を測ってみました。なお、尾翼機体側(下側)は枯葉などに多少埋まっていると見てやや下方側に補助線を、尾翼先端側(上側)は明らかに破損しているので、少し上方に補助線を引きました。写真1上の両縁の比率は次のようになります。

     先端側:機体側=1:2.8

一方、実測値から計算した比率は次のようになります。

     先端側:機体側=1:2.8

補助線の引き方に任意性が残ると批判はあるでしょうが、比率は実測値とほぼドンピシャです。これに、機体側縁長がおよそ1m前後であろうという写真からの判断、そして、何より、写真1と写真4とを見比べた時に、その形状がそっくりであるという見た目の判断から、写真1の水平尾翼がF-5Eのものであると、ほぼ断定してもよい条件が揃ったと言えます。御巣鷹事変を巡る新たな軍用機の墜落がこれで確認されました。


■説明困難なF-5Eの飛来と別機種

ところが、F-5Eが墜落していたとすると、新たに、軍事・政治的に説明困難な問題が生じることがわかりました。B氏によると、当時、とりあえず航続可能圏内にF-5Eを配備していたのは韓国空軍だけであり、仮に韓国から飛来していたとしても、長野・群馬県上空で戦闘行動をして本国に帰還するというミッションには無理が多いと言います(カタログ上の航続距離は3700kmあるが、戦闘時はその1/3程度。偵察任務なら飛来可能だ)。また、政治的には、韓国空軍が日本の上空を侵犯するというという国際信用上の重大問題が生じることになります。もっとも、その点に関しては、「韓国空軍は米空軍の指揮下にある(B氏)」という現実から見れば、事実上の米空軍とみなすことは可能です。

もう一つ別の可能性があるとB氏はいいます。米国海兵隊で訓練飛行に使われていた複座のT38がF-5Eとほぼ共通の機体設計であり、それが現地に飛来していたというものです。訓練機とは言っても、訓練飛行だけに使用されるとは限らず、現実には、連絡用途や偵察任務に借り出されるのは、むしろ軍事の常識です。御巣鷹で起きた急変に対し、米国海兵隊が持てる機材を急派し、情報を探ろうとしたのは、韓国空軍のF-5Eの飛来よりもより説得力のある話であると考えられるのです。


写真5:T38タロン複座機

いずれにせよ、F-5E、またはT38という非力な軍用機が現地に派遣されたという事実は、同機の担当任務が極めて限られていたことを物語っています。それと同時に、同機をどうしても派遣しなければならなかった背景として、私は、予測不能の展開に、米国軍内の慌てふためく様子が見て取れるのです(日本・ソ連側もそれは同じだったでしょうが)。

※提供された資料により判明したもう一つの事実については、次回のこのシリーズでお知らせします。


 * * *


これまで、123便の真実追求の大先輩、池田昌昭氏や、私たちの調査チームの他に、この事件を深く追う人々は極めて限られていると思っていました。しかし、これまで複数の資料提供を受けるに付け、この事件を以前から疑い、長い時間をかけて情報収集している方が少なからずこの世に存在していることを知りました。資料提供者には改めて感謝の意を伝えると共に、どうかいつまでも、気の毒な私たちの同胞のことを忘れないでいただきたいとお願い申し上げます。私は日本を助けたいと願っているのです。


PATER CLARIFICA TUUM NOMEN VENIT ERGO VOX DE CAELO ET CLARIFICAVI ET ITERUM CLARIFICABO
「父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
(ヨハネの福音書 第12章28節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(13)

2011-07-05 01:31:16 | JAL123便墜落事故
※人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

日航機事件の背後に蠢く日本の闇組織について考察するシリーズ、その第13回目です。今回は、昨年5月16日、東京両国で開催された123便真相究明講演会の前後に、関係者の周りで起きた不穏な出来事についてご報告します。


■車に体当たりされたS氏

123便墜落現場での5年に渡る破片収集、私のブログでこのように123便の真相究明ができるのも、S氏のこの地道な現場調査活動があってのことです。S氏がいなければ、ここまで深くこの事件の真相が見えてこなかったはずです。

S氏には同講演会の出席を依頼しました。もちろん、長い調査活動でクロカモ(*1)に何度も命を狙われている彼なので、出席とはいっても顔は見せず、舞台裏で妨害分子の会場への潜入を監視して欲しいという要請を出しました。緊張関係に長年その身を置いてきたからか、目つきや風体、その所作などから、目の前の人物がクロカモ一味であるかどうかを誰よりも早く見抜く"感"を彼は養っていたからです。

彼からの返答はNOでした。現場の調査に専念するのが自分の役割だという理由です。私もその返答を了解し、当日はS氏の出席なしで講演を進めることにしました。後日、S氏に講演の事後報告を入れたところ、講演当日、S氏に対していつもより激しい嫌がらせ、というより、殺人未遂とも言える非道な行為が行われていたのです。


写真1:車に体当たりされてペシャンコになった自転車

S氏の自宅は、以前より本ブログで自衛隊内のクロカモ一派であろうと指摘している航空自衛隊熊谷基地、大宮の陸上自衛隊化学学校に挟まれた埼玉県上尾市の市街地に在ります。そんなロケーションだからなのか、自宅周辺に常時20台以上の専属監視部隊車両が配置されているとS氏は言います。私も、何度もS氏と一緒に移動を繰り返してますので、後方から一定の車間で着いてくる、側道から突然割り込むなど明らかに不審な行動を示す車両を多頻度で目撃しています。


写真2:S氏の自宅周辺を歩く人
    ウォーキングをしている地元の人間を装っているが、歩く
    姿勢、体格、眼光、全てが鍛えられた軍人のそれを物語っ
    ている。軍・自衛隊系列の人は変装が下手なのが特徴

いつもは、取材活動の足止め、自損事故を誘発するような妨害走行に徹している彼らですが、5月16日だけは違いました。自転車で自宅を出たS氏にいきなり車両を体当たりしてきたのです。写真1は、その時に大破した自転車です。身辺の安全にはいつも気を使っているS氏ですので、この時も、幸い、大きな怪我をせずに済みましたが、この日ばかりは最大級の危険を感じ取り、自宅に逃げ帰った後は、しばらく外出などは控えるようにしたそうです。


*1 クロカモ:私が命名した日本の闇組織のこと。本ブログではこれまで「国営テロ集団」と呼んでいた。国際的な軍産複合体でもあり、天皇家・政府・官庁(自衛隊や警察も含む)・企業・暴力団・宗教団体など、あらゆる組織にその分子が潜入し、実質的に日本を支配していると思われる。JAL123便の撃墜とその後の隠蔽はこの組織が主導したのだろう。今回の福島核テロも彼らがかつて企図した地下鉄サリン事件の再来であると私は見ている。


■M氏を襲った突然のタイヤバースト

本ブログ「闇夜に蠢くもの(4)」にて、早朝にナイトスコープを装着して墜落現場で何かを必死に回収していた自衛隊員、谷間にこだまする大勢の生存者の呻き声など、衝撃的な目撃体験を報告していただいたM氏。5月16日の講演会でもその体験を生で語っていただきました。そのM氏に対してもクロカモの手は及んでいたのです。

以下の写真は激しくバーストした18インチのセミレーシング扁平タイヤ(幅265mm,扁平率35)、ブリジストン社製のポテンザブランドのものです。2010年4月29日の深夜から30日かけて、M氏が都内の知人宅から千葉の自宅へ帰宅する途中で突然バーストしたものです。このタイヤの取付位置は右側後輪でした。講演会の約2週間前の出来事です。


写真3:激しくバーストしたセミレーシングタイヤ

M氏によると、バースト時の走行速度は、一般道でしたが、深夜で車が少なかったので100Km以上出していたと言います。後輪駆動の右側後輪が突然動力を失ったので、当然ながら車両は右側の対向車線に向かってはみ出そうとします。あわや対向車に向かって激突かという危険状態に陥りましたが、過去にレーシング経験があるM氏は咄嗟にカウンターを切り、進行方向を維持しながら車を減速、停車させました。その後はバーストしたタイヤを引きずるように、低速のまま自走して自宅までたどり着いたそうです。

最初は、釘などの硬い路上落下物を偶然踏んでしまったことによる、ただの事故だと思っていたのですが、バースト原因を調べるため自宅近くのタイヤ専門店へこれを持ち込んだ時に、そこのエンジニアが不思議そうな顔をして次のように語ったことから、これがただの事故ではないことに気が付くのです。

釘踏みなんかでポテンザの丈夫なスチールワイヤーがこんな風に切断することはありませんよ。だいたい、路上の落下物を拾うなら前輪の方が先でしょう。かといって、走行中にワイヤーが切断するように、誰かが悪戯で、刃物などで傷を付けるなんてことは、断裂位置や、この密集したワイヤー(写真3)を見ればすごく手間のかかる作業だし、まずあり得ない。切断面を見る限り、まるで熱で焼き切ったように見えるけど、いったい何が原因なのだろう?


写真4:断裂部分の拡大写真。10cm以上に渡ってワイヤーが切断されている

ブレーキやタイヤに密かに細工されたりするのは、S氏の調査活動では当たり前に行われていることです。大体は手が届くところに、短時間で済むような細工がされます(*2)。しかし、このエンジニアが言うように、セミレーシングタイヤのスチールワイヤに何か工作しようとすれば、目を盗んで短時間にという訳にはいきません。その意味で犯罪性は薄いだろうと思っていたのですが、後でこのバースト事故が起きた場所を改めてM氏に尋ねた時に、私は愕然としたのです。


*2 短時間で済む細工:サスペンション部分に発信機を取り付けたり、片側のディスクに金属板を貼り付けるなどの手口。金属板の場合、ブレーキシューが片減りを始め、走行してから数時間経過した後に非常に危険な状態になる。これをやられ、調査途中で車両による移動を断念したことが何度かある。


■陸上自衛隊習志野駐屯地内から発射された熱線銃

M氏はそれを正確に覚えていました。バーストの衝撃を感じたのは陸上自衛隊習志野駐屯地の正門前だと。「習志野(ならしの)」と聞いて、私はすぐに、これは123便絡みだということに気が付いたのです。


写真5:習志野駐屯地正門前。バーストはここで起こった。


図1:バーストが起きたときの周囲の状況
   直線路なので、後輪だけの釘踏みは不自然。車両右側は全面
   習志野駐屯地の敷地である。高い塀で囲まれているので、何か
   を撃ってきたなら正門の開口部以外にない。建物の上からは
   タイヤの断裂位置からして不可能。

「蘇る亡霊」シリーズでは、御巣鷹の尾根近辺に降下し、米国軍との戦闘、生存者を殺戮した主体は陸上自衛隊北富士駐屯地に設置されている特殊部隊(殺人部隊)、富士学校の部隊であると見ていますが、戦闘後の軍機やミサイル破片の回収、隠蔽用土の運搬と空中からの散布まで、これらの作業を事件発生から早朝までの数時間内に終えるというミッションを考えれば、当然ながら他の駐屯地の兵員を相当数動員しなければ実効不可能であるという結論に至ります。

以前、国際軍事評論家のB氏に習志野駐屯地の日航機事件への関与の可能性を尋ねたことがあります。

北富士が動くにせよ、富士学校が動くにせよ、その運搬と降下を補助するには熟練した第1ヘリコプター団の支援なくして事は成し得ない。御巣鷹までの距離を考えれば、木更津駐屯地のヘリコプター団が関与していないはずがない。そして、木更津のヘリ団が日頃フォーメーションを組むのは、陸上自衛隊内のエリート中のエリートと言われる習志野の第1空挺団です。彼らの錬度は非常に高く、世界に出しても恥ずかしくない優秀な部隊で、夜間降下なども軽々とやってのける能力がある。習志野が本件に絡んでいるかどうかはわかりませんが、状況からして、もはや関与していないとは言い切れないでしょう。

 ところで、一時期、習志野のエリート部隊の隊員の多くが創価学会の信者で占められて問題になったことがあります。信仰の自由があるとはいえ、特定の宗教団体の信者が、思想信条的に中立であるべき自衛官の任務に多数任官してよいのかと。結局、バランスを取るために立正佼成会の信者を多く採用したと聞いてますが。部隊内統治というのは、いつの時代でも上官の悩みの種なのです。


B氏によると、木更津&習志野の両駐屯地には、外国軍からの防衛任務があると同時に、国内反乱軍、クーデター軍に対する首都防衛という重大任務が与えられているとのことです。日航機事故の時には、公式には午前8時49分に初めて第1空挺団が現場に降下したことになっています。有名な川上慶子さんのヘリコプターによる救出場面も第1空挺団の功績として記録されています。、

そんな華々しいイメージの木更津&習志野の両団ですが、習志野に至っては、旧陸軍習志野学校時代から、工兵隊や鉄道隊で有用な特殊技術の研究に加えて、毒ガスなど特殊兵器についての研究が盛んであったと言われています。その伝統を受け継いでかどうかわかりませんが、現在でもでもレンジャー(特殊作戦)課程が同駐屯地に設置されいます。オウム真理教VXガス襲撃事件で逮捕された山形明は、習志野駐屯地でレンジャー訓練を受けていた元陸上自衛官であることは有名ですが、レンジャー訓練を受けている彼だからこそ、取り扱いが危険なVXガスを、実際の犯罪で使い切れたのであろうと想像されます。また、陰謀論の世界で噂されているオウムと創価学会・統一教会=国際勝共連合との関係なども、B氏が語る駐屯地内での信仰問題と山形元自衛官の犯罪を明快に結び付けるという点では、全く無視できる話ではないことが分かります。


写真6:毒ガスが入ってただろう軍用薬ビン
    123便の墜落現場で発見されている

123便日航機事件と習志野駐屯地の関係は、それまで、私の中では限りなく黒に近い灰色として捉えていたのですが、M氏の車の突然のバースト事故が、かなりの確率で習志野駐屯地内から、講演会出演前のM氏の事故死を狙って発射された熱線銃(*3)の照射によるものと推定されて以来、習志野もまたクロカモに汚染された国賊部隊として取り扱う必要があると認識せざるを得なくなったのです。


写真7:最精鋭部隊の象徴である第1空挺団の純白のスカーフ
    国民の血で染まっているのなら、もはや彼らにそれを着用
    する資格はない


*3 熱線銃:あるいはレーザー光線銃と呼んでいいのかもしれない。これが熱線銃と推定する根拠は以下の通り
 ・熱で焼き切ったようだというタイヤエンジニアの証言
 ・実弾が使用されたなら、その痕跡がタイヤもしくはタイヤハウス内に
  残るはずだが、実際には見つからなかった
 ・1980年代、私が学生の頃に、筑波大学でレーザー光線銃が完成したと
  の情報を耳にしたことがある。当然、当時は本気にしなかったが。
 ・電磁パルス銃など、未だ公表されていない非殺傷型兵器の攻撃を実際
  に受け、その電磁パルス信号の検出に成功している
どうやら、カタログスペックを真に受けるだけの軍事マニアには絶対に理解できない、超ハイテク技術による攻防の世界があるようだ。クロカモが保有する恐るべきハイテク技術については、今後もここで紹介していく。


 * * *


渡辺文樹監督の作品に「御巣鷹山」という作品があります。自衛隊機によって123便が撃墜されたという設定で、本ブログが示す事実内容とはいささか異なりますが、事件の背後に、イランへの日本政府による核兵器開発技術の供与という下地が盛り込まれている点に、渡辺監督の日本の「政治と暴力」に対する鋭い感覚が見てとれます。

S氏が渡辺監督に直接聞いた話として「習志野の自衛官が家に来て、土下座をして帰っていった」というものがあります。私も渡辺監督と懇談の機会を持ったことがありますが、残念ながらその件については聞きそびれてしまいました。仮にその話が事実だったとして、土下座をしなければならなかった理由とはいったい何だったのでしょうか?

今回の話に困惑し、憤る若い自衛官に私はこう問います。「あなたは今、本当に日本国民のために働いていますか」と。もしも、その通りだと言うなら、勇気を持ってあなたの上官に尋ねてください、「上官殿はかつて、日本航空123便に乗った国民を手に掛けた、あるいは見殺しにしませんでしたか?」と。行動を起こすのはその返答の後です。


図2:渡辺文樹監督作品「御巣鷹山」(2005年)。
   エンターテーメントとしては意見が分かれるかもしれない


DIXERUNT ERGO AD INVICEM NON SCINDAMUS EAM SED SORTIAMUR DE ILLA CUIUS SIT UT SCRIPTURA IMPLEATUR DICENS PARTITI SUNT VESTIMENTA MEA SIBI ET IN VESTEM MEAM MISERUNT SORTEM ET MILITES QUIDEM HAEC FECERUNT
そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
(ヨハネの福音書 19章24節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土


====================M氏からの請求書(ここから)====================

平成23年7月5日

陸上自衛隊習志野駐屯地司令
第一空挺団長

山之上哲郎 様

請求書

拝啓 昨年4月29日の深夜、貴殿の管理する習志野駐屯地内から照射された
熱線によりM氏の車両が損害を受けました。それについて、あわや死に至る
かの恐怖を感じた精神的苦痛への補償と合わせて、下記の金額を請求いたし
ます。1月以内にM氏の銀行口座へ全額お振込み下さい。

敬具



 慰謝料       5,000万円
 一年間の遅延金 2,000万円
 タイヤ交換代金    28万円 (4本同時交換)
 −−−−−−−−−−−−−
 計          7,028万円

以上

追記
 M氏の実名、口座番号、口座名義は貴殿の駐屯地が、隊から独立して運用し
 ておられる、独自の情報部隊の調査によりすでにご存知であると認識してお
 ります。なお、習志野演習用地の地下に建設された広大な核フィルター付き
 地下施設と、官邸との連絡地下トンネルについては、今後も全く触れるつも
 りはありませんので、どうかご安心ください。

====================M氏からの請求書(ここまで)====================
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

JAL123便墜落事故−真相を追う−蘇る亡霊(12)

2011-06-28 00:22:28 | JAL123便墜落事故
※人体の放射化など、核汚染に関する記事は「核汚染日本の再生」カテゴリーをご参照ください。1985年のJAL123便日航機事件と今回の福島原発の件は、根源を同じくする問題であると私は捉えています。

 * * *

日航機事件の背後に蠢く日本の闇組織について考察するシリーズ、その第12回目です。このシリーズでは、私や調査協力者のS氏が取材中に体験した彼らの執拗なまでの妨害行為を読者の皆様に露にすると同時に、同組織の性質を論考し、以前乱暴に書き散らした「隠された日米戦争」をできるだけ補足していきたいと考えています。、


■改めてクロカモの正体を考察する

これまでの説明の繰り返しになりますが、「国営テロ集団」と呼んでいたこの組織を、今後は「クロカモ」と呼ぶことにします。闇夜に飛翔する不思議な鴨を千葉県の印旛沼で目撃したことがきっかけでこれを命名しました。この名前には捉え所がない、姿がよく見えないという意味も込められています。また、この組織は、日航機事件の関連書籍を多く出されている池田昌昭氏が、その著書の中で唱える「黒幕的組織」とほぼ一致するものであると考えます。

これまでの調査取材を通して、この非公然組織が政府・自衛隊のみならず、地方を含む官公庁、政党、警察、企業、マスコミ、暴力団、宗教団体、旧華族・天皇家などあらゆる組織にその協力分子を潜入させ、日本の政治と行政を裏から操っているとの認識を得ました。また、国際軍事評論家B氏による日本の軍政に関するこれまでの解説から、この組織が、旧帝国陸軍の流れを組むグループを核とし、同時に、日本占領時代前後から在日米国陸軍・空軍や、その関連米国企業を一派に加えた、国際的な軍産複合体を形成している可能性も見えてきました。日米というのも一面的な話であって、第2次大戦以前からの旧陸軍の国際交流関係を紐解けば、そこには当然、フランス・ドイツ・ロシア・中国・南北朝鮮、そしてインドなどの中央アジア圏各国とのコネクションが見え隠れします。

奇しくも、このブログタイトルのベースとして拝借させていただいた、松本清張先生のノンフィクション作品「日本の黒い霧」で、「もく星号事件(これも飛行機事故)」、「下山事件」など戦後の未解決事件に米国占領軍の影が見え隠れするとの指摘がなされていますが、旧来からの謀略諜報網を活用した日本人協力者なき国内完全犯罪は達成し得ないと私は考えますので、旧帝国陸軍残党+米国占領軍の組織融合が既にこの頃(1940年代末)には成立していたものと推測されるのです。

留意すべき点があるとすれば、[ 旧帝国陸軍=日本、在日米陸空軍=米国 ]ではないという点です。旧帝国陸軍と旧帝国海軍が決定的に分裂した組織体同士であったことは、B氏が日頃から指摘する日本軍事史の重大事実ですが、米国海軍・海兵隊の戦果を事実上横取りする形になった在日米陸空軍にしても、本国政府に対して決して従順な組織でなかったことは、占領軍司令官マッカーサーの召還、その後の国内の不遇を見れば状況的にそれを理解することができます。第2次世界大戦終了直後、そこに残されたのは、日本の敗戦だけではなく、更なる日本国内の分裂と米国内の新たな分裂であったと考えるべきです。

B氏によると、昭和天皇は、警察補助隊(現在の自衛隊)が組織として成立した後も、制服を着用した自衛隊関係者と宮中で接見することは絶対になかったと言います。それほどまでに旧帝国陸軍の暴走に憤り、同じ轍を二度と踏まないとの強い決心をされていたとのことです。昭和天皇のその姿勢は、反旧帝親米国政府(在日米軍ではない)的国策となって現れ、やがて戦後の目覚しい復興と経済成長として発現するのですが、その間、官庁・企業に網を張るクロカモも同時にその経済的影響力を広げており、やがて、反昭和天皇、反米国政府の動きとして表面に現れることになります。それこそが1985年の日航機事件、そして1989年の昭和天皇毒殺事件(*1)であると私は推測するのです。昭和天皇崩御と共に、仕掛けられた人工バブルは弾け飛び、そこから経済大国日本の没落が始まるのです。


*1 昭和天皇毒殺事件:1989年の昭和天皇崩御がどうして毒殺と分かるのか、昭和天皇が崩御直近にお話されたビデオがあればそれを医師免許のあるどなたかにお見せください。どのような特徴がお顔に見られるでしょうか?正規の医学教育を受けられた方なら、その映像から毒を盛られたのが第一の死因であると簡単に看破することができるはずです。昭和天皇は側近から徐々に毒を盛られて死に至ったと考えられるのです。話は飛びますが、皇室関係者がよく利用する聖路加病院の日野原重明医師が、あのご高齢で現職を退職しない本当の理由(通常は70代までに引退)、それは日野原氏が知る人ぞ知る、日本の毒薬の最高権威であり、昭和天皇の死因について専門家としてその真相を知りえる立場であったことが最も考えられるのです。なお、日野原氏の名誉の為に付け加えておきますが、氏は昭和天皇の医師団には加わっていません。ただし、佐藤栄作元首相の最後を看取った医師の一人であったことに、何か別の重大な真実が隠されていると私は感じています。


写真1:日野原重明氏


■グリコ森永事件とクロカモ、日航機事件

その間、1985年の前年には、警察を上回る情報収集能力で時の警察権力を振り回したグリコ森永事件が発生しました。その後、警察が事件の容疑者をある程度特定するに至った後でも、見えない圧力の下、逮捕が執行されることはありませんでした(*2)。1985年8月12日、日航機事件の発生日ですが、その日に新聞社宛に送られたグリコ森永犯によるいわゆる「終結宣言」は、偶然の一致と受け取るにはあまりにも出来すぎであり、むしろ同犯行と日航機事件の間に同じグループが存在することをあからさまに仄めかしているとも言えます。クリコ森永事件を封殺したその見えない圧力こそがクロカモであろうし、そこに関与している人物像(*2)から、当時の表向きのクロカモ関連組織の一つとして「国際勝共連合」の名前が浮上してきます。


図1:グリコ森永事件の背景

国際勝共連合は、暴力団・在日勢力・米国CIA・韓国KCIA・有力政治家・企業群からなる政治結社で、この複雑な組織を完全に取りまとめられる実力のある人物となれば、元旧陸軍参謀、元伊藤忠会長の瀬島龍三氏をおいて他にないと、B氏は断言します。瀬島氏の名前が挙がることにより、鐘紡、住友などの関西財閥(*3)、許永中(きょえいちゅう)など当時の疑獄事件のスター達、中曽根康弘、竹下登、亀井静香など、黒い政治家達、そして氏がシベリア抑留されていたロシアとの関係、軍人時代または伊藤忠時代の戦後賠償ビジネス(*4)で関係を築いた朝鮮半島・中国との繋がりまでもが見えてくるのです。


写真2:瀬島龍三氏(左,故人)と中曽根康弘氏
    瀬島氏は陸軍幼年学校出身。幼い頃から将来の指導者として育てられ
    た。貧農出身の苦労家という出自は全くの虚構である。中曽根氏は海
    軍主計出身だが、前身は内務省勤務であり陸軍に近いと見られる

1985年以後、クロカモと米国政府派の「隠された戦争」が激化し行き、現在の福島に至る訳ですが、日航機事件の約1ヵ月後に電撃合意されたプラザ合意、1995年に発生した地下鉄サリン事件なども、その争いが表面化した典型例として捉えることが可能です。また、大きな流れの中で捉えれば、翌1986年に続けて発生したスペースシャトルの空中爆発事故、チェルノブイリの原発事故なども、クロカモを含む国際軍産複合体と各国中央政府との争いの表出であると見なすこともできます。話が大きくなるので1985年日航機事件以後に発生した「隠された戦争」については、別途このシリーズの中で私の考察を述べていきたいと考えています。最後に、読者の皆様におかれましては、
 戦争=国家vs国家 (国家間紛争)
 戦争=資本主義vs共産主義 (思想対立)
 戦争=キリスト教vsイスラム教 (宗教対立)
という旧来の2元論的対立軸、誰か特定の一者、一国を強大な悪徳と見立てる安易な陰謀論的視点では、この複雑に入り組んだ争いの実相を理解できないとだけ、再度念押しさせていただきます。


*2 見えない圧力、人物像:次の書籍を参考にされたい。特に(1)には、何か政治的な、見えない圧力による捜査への介入があったことを、現場の刑事の証言として紹介している。
 (1)「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」 一橋文哉 新潮社 1996
 (2)「グリコ・森永事件『最終報告』 真犯人」 森下香枝 朝日新聞社 2007

*3 関西財閥:日航機事故後の社長交代で何故、航空輸送業界に全く無関係な鐘紡の会長、伊藤氏が日本航空に迎え入れられたのか?関西財閥と日航機事故との不透明な関係についても今後追求を加えたい。

*4 戦後賠償ビジネス:関連書籍は多いので詳しくは述べないが、戦後賠償として日本から資金や支援物資がかつての被占領国に提供された。しかしながら、事実上、日本国民の税金がそれを取扱う伊藤忠など日本の商社に還流(それがまた政治家に還流)していただけと揶揄されることも多い。それ以後のODAなどでも同じ腐敗構造が見てとれる。


 * * *


文中に「仄めかし」という言葉を用いましたが、グリコ森永事件でも分かるように、クロカモが暗号的な仄めかしを非常に好むグループであると私は分析しています。解釈において異論も少なくありませんが、この手の分析に関しては「日本の陰謀」さんが優れていると思います。次の例を見てください。

 (1) 8月12日 日航機事故 → 12月8日 日米開戦
 (2) 33 → 3×11 →3月11日 関東東北大震災

(1)は月日の数字を入れ替えることにより、日航機事件の発生日は日米開戦日(12/8)を指すようになります。上述のコンテキストから意味を解釈すると、8月12日は「日本(クロカモ)の米国中央政府に対する襲の日」と読むことができます。(2)に関しては、昨年発生したチリの落盤事故あたりから、新聞紙上で33という数字がやたら気になることから注目してみました。33は西洋数秘術においても、陰謀論における世界支配組織の階層を表す数字としてもよく知られています。33を素因数分解すると3と11が出てきます。また北緯33度は、原爆が落とされた広島(34'23)と長崎(32'45)の中間付近の緯度を現します。チリの深い鉱道に33人が取り残されたという事実から「チリの地中の向こう側の国(日本)で、広島と長崎の悲劇が再現される日」と解釈できないでしょうか?もちろん、陰謀論の世界で囁かれている通り、チリの落盤事故がクロカモなど国際軍産複合体の計画的事故であると仮定すればの話ですが。

この解釈が正解であるかどうかなど答の知りようもありませんし、こじつけと言われれば反論のしようもありません。ただ、クロカモの常識では量れない行動パターンを誰よりもこの目に焼き付けてきた立場としては、決して無視し得るものでもないと感じるのです。


聖書からの引用に代えて


南の島フィリピンより
管理者 日月土
コメント (0) |  トラックバック (0) |