放射能は、なぜこれほど恐れられるのだろうか。それは目に見えて大きな被害が出るからではなく、目に見えないため人々が想像するからだ、と著者はいう。たとえば今回の震災では、津波で2万人以上が亡くなったが、放射能では1人も死んでいない。それでもメディアは津波より原発の恐怖をあおる。目に見える被害は上限があるが、目に見えない放射能の被害は想像上のものなので、上限がないからだ。
その想像は、どこまで事実なのだろうか。たとえば広島では原爆で10万3000人以上が死亡したとされるが、これは爆発による熱が主な原因である。放射線の慢性被曝が原因とみられる癌による死亡率は、2000年まで累計しても0.4%にすぎない。チェルノブイリでは、消火にあたった消防士など50人が急性の放射線障害で死亡したが、放射線による甲状腺癌は子供に4800人発症し、15人死亡した。これが史上最大の原発被害だが、プラント事故としてはそれほど大規模なものではない。
そのとき欧州で騒がれた「被害」は、微量放射線のLNT仮説による推定であり、確認されていない。このLNT仮説が間違っているというのが、本書の主張の中心である。著者はオックスフォード大学の原子物理学者であり、論証は理論的・実証的で詳細だが、そのロジックはひとことでいうと、微量放射線で癌になって死ぬような個体は進化で生き残れないということだ。
たとえば、あなたが自動車事故で頭蓋骨を骨折すると死ぬかも知れないが、転んでケガをしたぐらいで死ぬことはない。それはケガが自動修復機能の範囲内にあるからだ。人間の自動修復機能は強く、指を誤って切り落としても手術すればつながる。それほど強力な修復や免疫の機能をそなえている人間が、日常的に食物や電磁波などで起こる微細なDNAの傷を修復できないことは考えられない。
LNT仮説は実験や疫学的データでも否定されており、200ミリシーベルト以下の放射線の人体への害はない。それを人々が錯覚するのは、放射線が目に見えないので誇大に想像しているからだ。逆にいうと、20ミリシーベルトの放射線で大騒ぎする人々は、それが頭蓋骨骨折ぐらい大きくて修復不可能な傷だと証明する必要がある。
このように放射線の被害が誇張されてきたため、原発のコストはその技術的費用に比べて異常に過大評価されている。たとえば使用ずみ核燃料の処理は、技術的にはありふれたものだが、政治的な理由で地下数百メートルに埋めるため莫大なコストがかかる。その安全基準は、施設の中に人間が一生住み続けたら100人に1人癌になるかも知れない程度のものだ。こういう政治的コストを除外すると、重量当たりで石炭の1万倍のエネルギーが出て1/10000以下の廃棄物しか出さない原子力は、圧倒的に経済的な技術である。
そこで著者は、放射線の被曝基準の規制緩和を提案する。ICRPが科学的根拠もなく決めた安全基準が50年以上も変わらないのは不合理だ。その後の研究の発展を踏まえて、慢性被曝の上限は100ミリシーベルト/月、生涯の障害線量の上限としては5000ミリシーベルトとすることを彼は提言する。これでも科学的に安全な上限に比べると低いが、被災者の不安を減らし、エネルギー資源の効率的な配分を実現するには十分だろう。
微量放射線の人体への影響はないのだから、これから日本で必要になる賠償や除染コストの大部分も、ほとんどが風評による想像上のものだ。政府は感情的な安心を保証するのではなく、科学的な安全を基準にして事後処理を行なうべきである。
そのとき欧州で騒がれた「被害」は、微量放射線のLNT仮説による推定であり、確認されていない。このLNT仮説が間違っているというのが、本書の主張の中心である。著者はオックスフォード大学の原子物理学者であり、論証は理論的・実証的で詳細だが、そのロジックはひとことでいうと、微量放射線で癌になって死ぬような個体は進化で生き残れないということだ。
たとえば、あなたが自動車事故で頭蓋骨を骨折すると死ぬかも知れないが、転んでケガをしたぐらいで死ぬことはない。それはケガが自動修復機能の範囲内にあるからだ。人間の自動修復機能は強く、指を誤って切り落としても手術すればつながる。それほど強力な修復や免疫の機能をそなえている人間が、日常的に食物や電磁波などで起こる微細なDNAの傷を修復できないことは考えられない。
LNT仮説は実験や疫学的データでも否定されており、200ミリシーベルト以下の放射線の人体への害はない。それを人々が錯覚するのは、放射線が目に見えないので誇大に想像しているからだ。逆にいうと、20ミリシーベルトの放射線で大騒ぎする人々は、それが頭蓋骨骨折ぐらい大きくて修復不可能な傷だと証明する必要がある。
このように放射線の被害が誇張されてきたため、原発のコストはその技術的費用に比べて異常に過大評価されている。たとえば使用ずみ核燃料の処理は、技術的にはありふれたものだが、政治的な理由で地下数百メートルに埋めるため莫大なコストがかかる。その安全基準は、施設の中に人間が一生住み続けたら100人に1人癌になるかも知れない程度のものだ。こういう政治的コストを除外すると、重量当たりで石炭の1万倍のエネルギーが出て1/10000以下の廃棄物しか出さない原子力は、圧倒的に経済的な技術である。
そこで著者は、放射線の被曝基準の規制緩和を提案する。ICRPが科学的根拠もなく決めた安全基準が50年以上も変わらないのは不合理だ。その後の研究の発展を踏まえて、慢性被曝の上限は100ミリシーベルト/月、生涯の障害線量の上限としては5000ミリシーベルトとすることを彼は提言する。これでも科学的に安全な上限に比べると低いが、被災者の不安を減らし、エネルギー資源の効率的な配分を実現するには十分だろう。
微量放射線の人体への影響はないのだから、これから日本で必要になる賠償や除染コストの大部分も、ほとんどが風評による想像上のものだ。政府は感情的な安心を保証するのではなく、科学的な安全を基準にして事後処理を行なうべきである。