<凱旋歴一〇一二年一五月七日早朝 川沿い、首府、東王国>
昨日までの快晴が嘘のように、夜明け前の冬空は低く垂れ込めている。
セレスタンは寒さで痺れる指先に息を吐きかけた。
歳の所為
か、最近では身体が温まるのに時間が要る。
川沿いの開けた場所に人々が集まり始めている。といっても、それほど数は多くない。雪の降りそうな朝には辛い上に急ぎの仕事が多い。
目端の利く<冒険者>なら、日が昇ってから旨みのあるクエストを探すはずだ。
近くで怒声が上がる。視線を遣ると、くたびれた壮年の冒険者同士が喧嘩をしているようだった。
このところ、街の<冒険者>たちは皆、気が立っている。火の粉が掛からないように距離を取りながら、セレスタンは腰に吊ってある水筒に口をつける。
中身は気の抜けた麦酒だ。
無精髭の生えた顎にしたたる雫を拭っていると、漸く待ち侘びた<斡旋屋>たちがやってきた。
温かそうな厚手の服に身を包んだ<斡旋屋>たちは品定めの目付きで集まった<冒険者>たちを選っていく。
セレスタンは一団の中に見知った顔を見つけた。
「や、旦那。久しぶり」
「なんだ、セレスタンじゃないか。まだこんな稼業をしてたのかい?」
そう言いながら<斡旋屋>はセレスタンにブリキの缶を手渡す。
口を付けてみると、どうやら薯焼酎(アクアビット)のようだ。セレスタンは二口だけ喉を焼き、ちょっと悩んでから<斡旋屋>に返さずに懐に仕舞った。
「まだというか、もう、というか。この歳になって他の生き方は出来やせンよ」
「そういうもんかね」
「そういうもンです。……ところで旦那、今日は何か<仕事>を頂けるンで?」
<斡旋屋>は辺りにそれとなく視線を配り、
「……いや、今日は無理だな。次の機会にはよろしく頼むよ」とそう言ってセレスタンに舟型銀貨を一枚に握り込ませた。
せしめた薯焼酎を呷りながら、セレスタンは路地裏に入って行った。
汚い浮浪者風の老人が付いてくるので貝殻貝殻(シェル)銅貨の鐚銭を投げてやる。
ふと気になって貰ったばかりの舟形
ベトゥ銀貨を齧ってみた。流石にあの<斡旋屋>は偽物は掴まさないだろうが、念には念が必要だ。
セレスタンは、いわゆる<邪魔屋>だ。
雇い主の妨害したい仕事や脇の甘い<冒険者>の邪魔をして小銭を稼ぐ。
恨みは買うが、巧くいった時の儲けは大きい。
首府のように大きな街になれば、こういった汚れ仕事には必ず需要があるものだ。
だが、その<邪魔屋>セレスタンが焦っていた。
<仕事>が、無い。
よくない雰囲気だった。
(面が、割れてきたか)
農作業で賃雇いの仕事のある春から秋には、セレスタンは首府を離れる。これまではそれで色々なことが帳消しになったものだ。
それがここに来て、巧くいっていない気配がある。
(仕事熱心も、善し悪しってことなンだろうな)
ぼんやりとそんなことを考えながら薯焼酎を口に含む。
その瞬間、セレスタンの腹に熱い痛みが走った。
○
ヨーゼフは、少し拍子抜けしていた。
<邪魔屋>セレスタンと言えば、少しは名の知れた小悪党だ。
護衛に雇われた隊商を皆殺しにしただとか、用心棒に入った商家に強盗を手引きしたとか、そういう武勇伝には事欠かない悪人。
そのセレスタンが、今では腹にナイフを生やしてヨーゼフの足もとに転がっている。
噂には尾鰭が付き物だ。本人が思っている以上に周囲の評価が高くなってしまうことはままある。
伝説の<邪魔屋>も、実は単なるごろつきなのかもしれなかった。
(浮浪者の恰好をするまでもなかったか)
血を吐くセレスタンの頭を踏み付け、ヨーゼフは辺りを見渡す。
払暁まで間もない街はそろそろ人の声がし始める時間だ。
「ま、悪く思わんでくれよ。こっちも仕事なんでな」
一度腹に蹴りを入れ、ちょっと屈んで刺さったままのナイフの柄を握り締める。
ただのナイフではない。
少し魔力を込めてやると、セレスタンはくぐもった悲鳴を漏らした。刀身が灼け、肉の焦げる臭いが立ち込める。
後ろ手に縛り上げ用意してあった菰(こも)にセレスタンを包むと、ヨーゼフは老人とは思えない力でそれを抱え上げた。
準備を始めた屋台の間をすり抜け、ヨーゼフは衛戍の詰め所に向かった。