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[29851] 【オリジナル・習作】日雇いクエスト【異世界ファンタジー・冒険者】
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/22 16:45
 この作品は、『小説家になろう』にも投稿しております。



[29851] 邪魔屋セレスタン
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:02
<凱旋歴一〇一二年一五月七日早朝  川沿い、首府、東王国>

 昨日までの快晴が嘘のように、夜明け前の冬空は低く垂れ込めている。 

 セレスタンは寒さで痺れる指先に息を吐きかけた。
 歳の所為せい
か、最近では身体が温まるのに時間が要る。
 川沿いの開けた場所に人々が集まり始めている。といっても、それほど数は多くない。雪の降りそうな朝には辛い上に急ぎの仕事が多い。
 目端の利く<冒険者>なら、日が昇ってから旨みのあるクエストを探すはずだ。
 近くで怒声が上がる。視線を遣ると、くたびれた壮年の冒険者同士が喧嘩をしているようだった。
 このところ、街の<冒険者>たちは皆、気が立っている。火の粉が掛からないように距離を取りながら、セレスタンは腰に吊ってある水筒に口をつける。
 中身は気の抜けた麦酒エールだ。

 無精髭の生えた顎にしたたる雫を拭っていると、漸く待ち侘びた<斡旋屋>たちがやってきた。
 温かそうな厚手の服に身を包んだ<斡旋屋>たちは品定めの目付きで集まった<冒険者>たちを選っていく。
 セレスタンは一団の中に見知った顔を見つけた。

「や、旦那。久しぶり」
「なんだ、セレスタンじゃないか。まだこんな稼業をしてたのかい?」

 そう言いながら<斡旋屋>はセレスタンにブリキの缶を手渡す。
 口を付けてみると、どうやら薯焼酎(アクアビット)のようだ。セレスタンは二口だけ喉を焼き、ちょっと悩んでから<斡旋屋>に返さずに懐に仕舞った。

「まだというか、もう、というか。この歳になって他の生き方は出来やせンよ」
「そういうもんかね」
「そういうもンです。……ところで旦那、今日は何か<仕事>を頂けるンで?」

 <斡旋屋>は辺りにそれとなく視線を配り、
「……いや、今日は無理だな。次の機会にはよろしく頼むよ」とそう言ってセレスタンに舟型ベトゥ銀貨を一枚に握り込ませた。


 せしめた薯焼酎アクアビットを呷りながら、セレスタンは路地裏に入って行った。
 汚い浮浪者風の老人が付いてくるので貝殻シェル貝殻(シェル)銅貨の鐚銭びたせんを投げてやる。
 ふと気になって貰ったばかりの舟形せい
ベトゥ銀貨を齧ってみた。流石にあの<斡旋屋>は偽物は掴まさないだろうが、念には念が必要だ。

 セレスタンは、いわゆる<邪魔屋>だ。
 雇い主の妨害したい仕事や脇の甘い<冒険者>の邪魔をして小銭を稼ぐ。
 恨みは買うが、巧くいった時の儲けは大きい。
 首府のように大きな街になれば、こういった汚れ仕事には必ず需要があるものだ。

 だが、その<邪魔屋>セレスタンが焦っていた。
 <仕事>が、無い。
 よくない雰囲気だった。

(面が、割れてきたか)

 農作業で賃雇いの仕事のある春から秋には、セレスタンは首府を離れる。これまではそれで色々なことが帳消しになったものだ。
 それがここに来て、巧くいっていない気配がある。

(仕事熱心も、善し悪しってことなンだろうな)

 ぼんやりとそんなことを考えながら薯焼酎アクアビットを口に含む。


 その瞬間、セレスタンの腹に熱い痛みが走った。

 ○

 ヨーゼフは、少し拍子抜けしていた。
 <邪魔屋>セレスタンと言えば、少しは名の知れた小悪党だ。
 護衛に雇われた隊商を皆殺しにしただとか、用心棒に入った商家に強盗を手引きしたとか、そういう武勇伝には事欠かない悪人。
 そのセレスタンが、今では腹にナイフを生やしてヨーゼフの足もとに転がっている。
 噂には尾鰭が付き物だ。本人が思っている以上に周囲の評価が高くなってしまうことはままある。
 伝説の<邪魔屋>も、実は単なるごろつきなのかもしれなかった。

(浮浪者の恰好をするまでもなかったか)

 血を吐くセレスタンの頭を踏み付け、ヨーゼフは辺りを見渡す。
 払暁まで間もない街はそろそろ人の声がし始める時間だ。

「ま、悪く思わんでくれよ。こっちも仕事なんでな」

 一度腹に蹴りを入れ、ちょっと屈んで刺さったままのナイフの柄を握り締める。
 ただのナイフではない。
 少し魔力を込めてやると、セレスタンはくぐもった悲鳴を漏らした。刀身が灼け、肉の焦げる臭いが立ち込める。
 後ろ手に縛り上げ用意してあった菰(こも)にセレスタンを包むと、ヨーゼフは老人とは思えない力でそれを抱え上げた。

 準備を始めた屋台の間をすり抜け、ヨーゼフは衛戍えいじゅの詰め所に向かった。



[29851] 鋳掛けのヨーゼフ
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:00
<凱旋歴一〇一二年一五月七日朝  衛戍詰所、首府、東王国>

 衛戍えいじゅの詰所は首府を大きく取り囲む城壁に付随していた。
 元々が外敵に備える砦として築かれた詰所は大きな六層の塔を備えており、その為今でも衛戍えいじゅの責任者である副伯を塔伯とうはくと呼ぶこともある。

 間の悪いことにヨーゼフが衛戍えいじゅの詰め所に着いたのは、ちょうど夜間の巡邏じゅんらに出ていた衛士たちの集合の時間と重なっていた。
軍事拠点としての役割が期待される以上、詰所の入り口は狭く設計されており、当然こういった時間帯には混雑することは避けられなかった。

 ヨーゼフは簀巻きにした<邪魔屋>セレスタンを路地に転がすと、自分はその隣に腰を下ろした。まだ浮浪者の恰好のままだったから、傍から見れば物乞いが数少ない自分の財産をむしろに包んで置いているようにしか見えないだろう。
 事実、その筵にはヨーゼフにとっては最大の財産が入っているのだが。

 セレスタンが息を引き取っていないか慎重に確認しながら、ヨーゼフは巡邏から帰ってくる衛士たちを値踏みした。
 衛士たちが一様に疲れた顔をしているのは、王の帰還が近いからだ。
 王は、一年の過半を王領の巡幸に費やす。
 地方官僚の引き締めの意味合いもあるが、それよりも重要なのは税の徴収である。
 街道が津々浦々を接続していた古帝国時代ならいざ知らず、現在では一ヶ所に国中の金穀を掻き集めることは困難になっていた。
 なれば、それを使う王廷の方が地方に出向くしかない。
 様々な宗教儀礼で王が首府にいることを求められる十五月から一月までの年末年始以外には、王は各地に封じた諸侯の所領を監察しながら浪費するのが半ば仕来たりとなっていた。

 その王が、もうすぐ帰還する。
 首府が年に一度だけ<王都>として機能するその時に、治安が悪化していたのでは外聞が悪い。
首府を取り巻いて四つ設けられた塔の主たちは、競ってならず者を検挙しつつある。その中には無実の者もいたかもしれないが、そんなことは“玉心を安んじ奉る”という大目標の前には霞んでしまう。
<冒険者>が殺気立っているのは、まさにそれが理由であった。

 ○

 目を付けたのは、若いが装備に金の掛かった衛士の十人長だった。
 貴族の子弟なのだろう。
 十人長の位も金で買ったようで、鎧を着込んでいるというよりは鎧に着られているといった風情だ。
 他の衛士と違うのは、浮かべている表情が疲れではなく焦りだということだった。どうやら、昨晩は大した成果を挙げられなかったようだ。

 ヨーゼフは十人長の視界の端に収まるように移動すると、小さく手招きした。
 普通であれば、衛士の十人長が物乞い如きの手招きなど気にも留めないであろう。
 だが、今の彼はよほど焦っていたようだ。付いて来ようとする部下を制止し、一人でヨーゼフに近付いてくる。

「爺さん、このオレに何か用かい? 下らん用事ならタダじゃおかねぇぜ」
 十人長の口調は予想通り焦りに満ちていた。
「……実は、十人長様に買って頂きたいものがありまして」
「買う? 乞食のお前から? 一体、何を売ってくれるというんだ?」
 嘲りすら込められた問いに、ヨーゼフは無言で自分の隣に置いてある筵を示した。
「簀巻き? 動いているようだが、中身は…… 何だ?」

 剣を抜き放った十人長はその切っ先で簀巻きを少し捲り、息を呑んだ。
「……こいつは、<邪魔屋>セレスタンじゃねぇのか?」
「ええ。手負いですが、まだ生きています」

 ヨーゼフはそう言って十人長の目を見つめた。で、いくらで買って頂けるんです?

 ○

 バティーニュ塔伯の考課基準から考えれば、十人長が警邏けいら任務の完了報告前に浮浪者と言葉を交わすというのは好ましくない行為に思われた。
 金で今の地位を買った十人長たちの士気モラルは御世辞にも高いとは言えず、あまり誉められた勤務態度でない者も少なくない。
 塔伯という彼の職責から言って、今、目の前でまさに浮浪者と話をしている十人長を叱責するのは規律を維持するためにも当然のことだった。

 騎乗のまま二人に近付こうとすると、浮浪者はうやうやしく頭を垂れた。貴人に対する姿勢としては、及第点を与えて問題ない。

「ボーマルシェ十人長、こちらの御老体はどなたかな? 出来れば私も知遇を得たいのだが」
 嫌味である。
 馬蹄の音を響かせて寄って行ったのに、この迂闊な若者はこちらに視線を巡らせさえしなかった。

(再訓練が必要だな)

 そう思いながら、老浮浪者をもう一度見つめる。
 いや、浮浪者ではない。
 汚い身なりをしているが、立ち居振る舞いを見ればそれが鍛えられた者のそれと分かる。変装か。

「これは失礼致しました、塔伯様。こちらの…… こちらの御老体が、<邪魔屋>セレスタンを生け捕りにしたと、そう申しておりまして」
「なるほど。<王都>の治安維持への御協力、痛み入る」
 哀れなくらいに慌てた様子で報告する十人長を意図的に無視し、バティーニュは馬から降りて老人に軽く頭を下げた。
 相手の身分が分からない以上、塔伯たる身分で出来る礼としては最も上の部類に入る。

「それでは十人長はセレスタンの身柄を預かって、詰所に運ぶように」
「はっ、直ちに従卒に……」
「自分の手で、だ」
「は、はっ!!」

 筵を抱えてよろめきながら詰所に向かう十人長の背を見送り、バティーニュはもう一度老人に頭を下げた。

「私の部下が失礼した」
「いえ、失礼をしたのはわたくし)の方でございます」
「と、言うと」

「捕まえた悪党の身柄を、十人長殿に買って頂こうと思っておりました」
 顔を上げた老人は、何とも言えない表情をしていた。
「それを私に言うか」
「詮議などで御手間を取らせるのは悪いかと思いまして」
「なるほど、な」
 少なくとも、物の道理はわきまえた老人らしい。

「よかろう。その正直さに免じて、褒美を出そう。ただ詰所に届け出たよりは多少の色は付けてやる」
「よろしいので?」
 老人が尋ねる。処罰しないどころか、褒美まで出すというのは破格だ。
「知っての通り、今は人手が足りん。その方、<冒険者>か?」
「左様にございます。<首府>には、まだ不慣れですが」
 言外に、これからもならず者を捕まえて来いと言ったのを老人は正確に捉えたようだ。

「<首府>ではない、<王都>だ。先ほど王廷の先触れが入城した」
「それは失礼を致しました」
「いや、構わん」
 市井しせいの者は、知らなくて当然なのだ。
 当代のまだ歳若い王は叛乱を異常なまでに恐れ、周囲に予定をあまり漏らさない。治安維持にあずかる身としてはやり難いことこの上ない。
 王の叔母に当たる王女摂政宮おうじょせっしょうのみやが気を利かして報せを走らせてくれなければ、出迎えすら出来ないところだった。

「そう言えば、まだ名を聞いていなかったな」
「これは失礼を。わたくしは、ヨーゼフ。<鋳掛いかけ>のヨーゼフと申します」



[29851] 酒場
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:17
<凱旋歴一〇一二年一五月七日昼  衛戍詰所、王都、東王国>

 <鋳掛いかけ>のヨーゼフと名乗った老冒険者にバティーニュ塔伯とうはくの出した報償はちょっとした額だった。
 元々<邪魔屋>に掛けられていた賞金の、倍はある。

 功績に対してというよりも、タイミングの問題だ。
 彼の捕らえた<邪魔屋>セレスタンは大物というには程遠いものの、手柄として扱うには十分な獲物だった。
 王が帰還するちょうどその日に、気の利いた報告をすることが出来るということは、治安維持に携わる者として僥倖ぎょうこうと言うより他ない。

 歳若い王に代わって政治の実権を握っている王女摂政宮おうじょせっしょうのみやは全く合理的な人間なので、賄賂よりも実績で人を判断する。
 彼女の差配がもう数年続く以上、バティーニュを始めとした貴族官僚たちは目に見える成果を挙げ続けなければならなかった。

「それで、<鋳掛いかけ>のヨーゼフという冒険者の素性は分かったのか?」
「いえ、回状は出ていないようですから、犯罪者ではないようですが」

 賞金を銀貨で支払った後、塔伯は部下に命じてヨーゼフの素性を当たらせていた。
 とは言え、首府に不慣れだという彼の言葉を信じるなら、あまり大したことは分かるはずもない。
「ヨーゼフ、という名前からしてもっと北、神聖帝国の出身でしょうな」
 詰所に配されている書記官はそう言って回状の綴りを閉じた。
「北では有り触れた名前か?」
「ええ。我々の読み方だとジョゼフになりますが、一つの集落に最低でも一人か二人はいるでしょう」
「ふむ、では<鋳掛いかけ>の方はどうか」
「二つ名、というよりは単に家業でしょう。本人も鋳掛けをするのか、親兄弟がしていたのかは分かりませんが」
 鋳掛け、というのは簡単な鍛冶のような職業だ。
 穴の開いた鍋釜の修理をして日銭を稼ぐ。旅から旅の稼業で、あまり実入りの良い仕事ではなかった。
 預かった鍋釜を粗悪品とすり替える詐欺を行う者も絶えない。
 鍛冶屋ほど高度な技術も開業に資金も必要ないので、それなりに人数のいる職業だ。
「つまり、“何も分からない”ということだ」
「そうなります」

 だが。
 バティーニュ塔伯は従卒に淹れさせた白湯を啜りながら呟いた。

「……あの顔は、昔どこかで見た気がするのだがな」

 ○

<凱旋歴一〇一二年一五月七日昼  安酒場、王都、東王国>

 酒場は喧騒に満ちていたが、どこか陰気でもあった。
 カウンターの端に腰掛けたヨーゼフは、蒸したいもと薄いスープ、それに麦酒エールを頼んだ。
 どこもかしこも物価が上がっているらしく、これだけで貝殻シェル銅貨を五枚も取る。
 東王国は貧民救済の為に貝殻シェル銅貨一枚でパンを一個売ることを法律で定めたが、その悪法の所為せいでパンの大きさは日に日に小さくなっている。
 最近では油を絞った後の胡桃のかすまで練り込んだパンさえ売られている始末だ。
 そんなものを食べるくらいなら、ここ十年で出回り始めたいもを食べている方が、いくらかマシだった。

 酒が来るのを待ちながら、ヨーゼフはてのひらの感触を確かめる。
 人を刺すのは、あまり好きではない。
 浮浪者の装いは川に捨てたが、何かどろりとしたものがまだ肌にまとわりついているような、そんな気がするのだ。
 とは言え、今日のようなことをしばらく続けねばならない。
 それが、金を稼ぐ一番の近道だからだ。

 ヨーゼフは合財袋がっさいぶくろの手触りを確かめた。
 ずっしりと、重い。
 中には今貰ったばかりの馬蹄サボット銀貨が一〇枚入っている。
 これだけあれば、普通の<冒険者>はどこかに小さな土地を買う。それほどの金額だ。
 ヨーゼフはこれ以外にもあちこちの商会に金を預けている。合わせれば、余生を遊んで暮らしてお釣りくる程度には持っている。

 しかし、

(……まだだ、まだ全然足りない)

 もっと、もっと金が必要だった。
 それも普通に稼いで稼げる金額ではない。
 金だけでも足りない。

 <鋳掛け>のヨーゼフには、己の全てを賭して成さねばならないことがあるのだ。



[29851] 寝取られ男アナトール
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:29
<凱旋歴一〇一二年一五月七日昼  王城、王都、東王国>

 耳が、長い。

 アナトール・デュ・ブランショを一目見た人間は、全員が同じ印象を抱く。
 樹精エルフ族のように上に長ければまだ恰好も付こうというものだが、アナトールのそれはみすぼらしく下に垂れている。
 歳はまだ三十を幾つか過ぎた程度と言われていたが、異相の所為(せい)で年齢は、よく分からない。
 田舎の男爵家の八男に生まれついたが、幸か不幸か兄たちが相次いで早世した為に今では諸侯の末席に名を連ねていた。

 そのアナトールが王城に特別な地位を占めていることは、王廷に関係する者なら誰でも知っている。
 曰く、<王女摂政宮の懐刀>、<王女摂政宮の長い耳>。希代の謀臣として出仕するこの男はしかし、彼の主からはもっと親しみやすい仇名で呼ばれていた。


「殿下、お待たせいたして申し訳ございませんな」
「<寝取られ男コキュ>、よくぞ参った。待っていたぞ」

 少しも悪びれた様子の無いアナトールに、王女摂政宮おうじょせっしょうのみやは怒った様子もなく親しく声を掛ける。
 胡散臭い小男に過ぎないアナトールに、この主君は随分と目を掛けてくれている。
 だからこその<「<寝取られ男コキュ>>などという軽口だ。
 実際にアナトールは婚約者を二回、寝取られている。
 が、その事を面と向かって指摘した者は、目の前にいる主君しかいない。
 幼王の叔母にして、東パリシィア王国の現在の実質的な最高権力者。
 王女摂政宮おうじょせっしょうのみや、アレクサンドリーヌ・ド・パリシィア殿下は芳紀まさに十九歳。列強や諸侯の子弟からの求婚を全て撥ね退けて政務に邁進する女傑であると同時に、冗談も解する人物であった。


 会議室には衛兵を除けば、宮とアナトールの二人しかいなかった。腹心であるアナトール以外の廷臣とは、宮はこのような距離感を取ることはない。

「で、だ。<首府>の様子はどうなっている?」
「さて。最悪、とは申しませんが、決して良くはございません」

 アナトールは王女摂政宮から、<御伽衆おとぎしゅう>の束ねを一任されていた。<御伽衆>とは元は王室の貴人の耳を喜ばせる奇譚を蒐集しゅうしゅうするのが役割であったが、宮はこれを一種の間者の組織に作り替えさせている。
 常に国内を彷徨うように移動する王廷に在っては、<首府>の動向は掴みにくい。宮は、アナトールに自分が留守中の<首府>の様子を調べさせ、定期的に報告させていた。


「まず、何と申しましても物の値打ちですな。“翼竜登りの天井知らず”という奴です」
「どの程度上がっている?」
「場末の定食屋でそれなりの晩飯を喰えば、貝殻シェル銅貨で五枚は下りません」

 衛戍(えいじゅ)の下級衛士の日給が、貝殻シェル銅貨六枚である。これで下々の生活が成り立つはずがない。
 アレクサンドリーヌは美しい眉根に皺を寄せた。

「……それでは苦しかろう」
「それに伴って、治安も悪化しております。<冒険者>と称して地方から<首府>に流入する者も含め、ならず者に街が占領されているようなものです」

 王女摂政宮とその側近たちは、以前から<冒険者>を問題視していた。
 そもそもが<冒険者>などと名乗っているが、彼らはただの貧農の逃亡者で、喰いつめ者に過ぎない。
 国法によって“その都市に一年と一日暮らし、他から追及の無い者は都市の住民となる”と定められている所為で、際限なく街へ流れ込んでくるのだ。

「連中は徒党を組んで飯場はんばを占拠し、それぞれに勢力争いをしております。<冒険者>とは名ばかりで、街の外にさえ出ようとしない者がかなりいるようですな」
「困ったことだ。<勇者>アルベルト殿も、冥府で悲しんでおられよう」
「左様にございますな」

 十年前に消息を絶った<勇者>アルベルトは<冒険者>五名を引き連れて、偉大なクエストを達成した。このクエストに参加した者は<六英雄>として諸国でも語り草になっている。

「ともあれ、何か手を打たねばなるまい」

 水を向けた主君に、アナトールは人の悪い笑みを浮かべた。

「なに、このアナトールめに急場しのぎの妙策がございます」



[29851] 鬼討ちヴィクトル
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:34
<凱旋歴一〇一二年一五月一〇日夕方  貧民窟、首府、東王国>

 元を辿れば東パリシィア王国の<首府>とは中洲の集落に過ぎない。
 交通の要衝に位置した為に次第にその大きさを増し、今では大陸東岸最大の都市となっている。
 王城や教会を含む街の中心部は古くからの中洲にあるが、時を経るごとに増えた人口は川の両岸にまで溢れだし、止まるところを知らない。
 今では内壁と外壁の二つの城壁が張り巡らされ、広大な敷地を取り込みながら尚も成長を続けている。

 内壁の内側には、貴族や僧侶、富豪。
 外壁の内側には、市民。
 そして<冒険者>や貧民は、外壁の更に外。
 城壁に守られていない貧民窟は、常に危険に曝されている。
 危機とはつまり、ならず者であり、夜盗であり、山賊であり、魔物であった。
 もし<首府>を天高く空より眺める視座があれば、壁際に苔のように弱々しく貧民窟がへばり付いているのが見て取れるだろう。

 ヨーゼフは、その貧民窟をねぐらにしていた。

 ○

 空は低く、今にも降り出しそうな色をしている。

 林檎は酸っぱくて食えたものではなかった。
 買ったばかりの物を捨てるのも惜しいが、口にするのは御免こうむる。
 ヨーゼフは合財袋がっさいぶくろに歯形のついた林檎を放り込んだ。入れたままにしてある銀貨が、小気味の良い音を立てる。

 <邪魔屋>を捕らえてから、三日が経っていた。
 その間、ヨーゼフは更に二人のならず者を塔伯の元に突き出している。
 最初ほどの実入りはなかったものの、腰に下げる合財袋の重さは少しずつ頼もしいものになってきていた。

 そろそろ、商家にでも預けに行かねばならないか。そう思った矢先、ヨーゼフの背筋に嫌な感覚が走った。

 老いたりとは言え、身体は往時の動きをよく覚えている。
 真後ろから打たれたつぶてを最小限の動きでかわしながら、腰のナイフを逆手に構えた。

「誰だ」

 怒りを含んだ声で問いを投げると、粗末なあばら家の陰から六人ほどの男たちが手に手に得物を持って姿を現す。
 身なりは粗末だが、動きを見れば<冒険者>のようだ。

「老いぼれ、金を置いてけ」

 頭(かしら)らしい大男の口から出たのは、要求だけ。
 どうやら追い剥ぎに慣れているらしい。
 手にした棍棒を弄びながら、ゆっくりと距離を詰めてくる。連携、と言えるほど巧みではないが後の五人もじりじりとヨーゼフを取り囲むように動く。

「……断る、と言ったら?」

 答えずに、大男は棍棒で手近な壁を叩きつけた。土壁に開けた穴が、ヨーゼフの運命だと言いたいらしい。
 普通の老人相手の脅しとしては、十分以上だ。

 崩れる壁を見て、ヨーゼフは観念したように両手を上げた。
 無造作にナイフを手放し、大男の方に蹴って寄越しさえする。
 その様子に、大男は口元を緩め、「金だ」と催促した。

 ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてくる。
 ヨーゼフは、腰の合財袋に手を掛けた。

 ○

 次の瞬間、大男が見たのは凄まじい速さで飛んでくる林檎だった。
 慌てて避ける。が、遅過ぎた。
 頬骨の痛みに耐えながら老人の方を見遣る。地を這うような足捌きでこちらに近寄りながら、既にナイフまで拾っていた。

「ちぃっ!!」

 棍棒で打ちのめそうと叩きつけるが、手応えはない。
 気付けば逆に首絞めにされ、首筋にナイフを突き付けられている状態だった。

 ○

「金目当てか、怨恨か。言え」

 ナイフを大男の日に焼けた首筋に当て、ヨーゼフは尋ねる。
 まさか頭を人質に取られるとは思っていなかったようで、仲間は慌てふためくばかりで動くことすらできない。

「言え」

 少しナイフを引く。
 肌が裂け、筋のような傷に血の玉が浮いた。

「……か、金目当てだ」

 ヨーゼフは、ナイフの柄に魔力を込める。
 施された刻紋が輝き、灼熱した刀身が傷口を焼く。
 さしもの大男も、くぐもった悲鳴を上げる。

「もう一度だけ、聞く。金目当てか、怨恨か」

 たっぷり三秒だけ耐え、大男は口を割った。

「……怨恨だ」

「怨恨なら、誰の差し金だ?」
「ヴィクトル、<鬼討ち>ヴィクトル親分だ」

 聞いたことがあった。
 若かりし頃にトロルを倒した腕利きの<冒険者>だったが、今では零落してならず者の親玉に収まっているらしい。

「そのヴィクトルとやらがどうしてこんな“老いぼれ”を狙う?」
「お前が塔伯に突き出したセレスタンの叔父貴オジキは、ヴィクトル親分の弟分に当たる方だった」

 <首府>における<冒険者>の勢力争いは激しい。
 自分の弟分を余所者に捕らえられ、その報復もしないようでは親分としてのヴィクトルの名に傷が付くのだろう。

「下らん。単なる逆恨みではないか」
「違う。これはれっきとした仇討ちで……」

 最後まで言い終える前に、首に絡めた腕に力を込めて絞め落とす。
 ヨーゼフはナイフを順手に構え直し、周囲に殺気を放った。
 この大男以外は烏合の衆だったようで、殺気に当てられた小物たちは算を乱して逃げ出す。

 下らないことに時間を使ったが、もっと下らないのは置かれている現状だ。
 <鬼討ち>ヴィクトルとやらは、威信に賭けてヨーゼフを血祭りに上げようとするだろう。
 実に、下らない。

 下らないが、下らないなりに楽しいことになるかもしれない。
 全ては、ヨーゼフの立ち居振る舞い次第だ。


 降り始めた雨の中、ヨーゼフは絞め落とした大男を引きずって、貧民窟の奥へと歩を進めた。



[29851] 剛腕ダヴィド
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:37
<凱旋歴一〇一二年一五月一〇日夜  貧民窟、首府、東王国>

 目を覚ましてすぐに、ダヴィドは自分が縛られ、転がされていることを発見した。
 冷たい土間に直に寝ている為、寒気に歯が鳴りそうになる。
 あの“老いぼれ”に絞め落されてから、どれくらい時間が経っただろうか。
 どうやらここは、あばら家の中らしい。
 建てつけの悪い壁の隙間から射す光は夕陽のそれではなく、青白い月の光だ。
 見える範囲には、誰の姿もない。

(くそっ、あいつ等逃げやがったな)

 元より取り巻きを当てにしていたわけではないが、自分を置いて逃げ去ったとなれば腹も立つ。
 所詮はただのチンピラだ。数合わせに<鬼討ち>ヴィクトル親分から借り受けた小者だったが、こんなことなら連れてこない方が良かった。
 明日になれば、ヴィクトル親分の舎弟であるダヴィドが老人一人相手に数を恃(たの)んで襲いかかり、しかも返り討ちにあったという噂は冒険者の間に広まってしまうだろう。
 そうなれば、親分の舎弟衆の中での立場は無い。

 それにしてもあの“老いぼれ”の強さは、何だ。
 あれは、戦い慣れた者の動きだった。
 俊敏な足運び、戦いを組み立てる機転、そしてあの身のこなし。
 地元では負け知らず、<首府>に出ても喧嘩では連戦連勝だったダヴィドが、まるで子どものようにあしらわれた。
 ダヴィドも莫迦ではない。あの戦いは運だとか油断だとかそういったものに左右されたのではなく、単純に力量の差が結果に表れたのだ。

 となると、あの<鋳掛け>のヨーゼフとは何者だろうか。
 いずれ名の知れた冒険者だろうか。であれば、襲撃前に親分から何か注意があってもいい。
 <鬼討ち>ヴィクトルという親分は、世間で言われているように膂力だけで伸し上がった男ではなく、頭も切れる。
 その親分から何も言われていないということは、親分も何も知らなかったのだろう。

 そんなことがあるだろうか。ダヴィドは考えを巡らせる。
 <鋳掛け>のヨーゼフは、見たところ既に六〇の峠を越えている。つまり、ヴィクトル親分よりも一〇ほど歳が上だ。となれば、高名な冒険者であれば自ずと名前は耳に入ってくるだろう。
 冒険者の世界というのは、広いようで狭い。
 神聖帝国や南部諸国の冒険者であっても、一流の名前は音に聞こえるものだ。
 偽名、だろうか。
 考えてみれば、ヨーゼフなど如何にも有り触れた名前で疑わしい。
 それとも……

 ○

「何だ、目を覚ましたのか」

 あばら家に入って来たヨーゼフは、手に鍋を下げていた。旨そうな匂いが漂っている。
 申し訳程度に設えられた脱税竈だつぜいかまどに鍋を掛け、手慣れた様子で火を点ける。しばらくすると、くつくつと食欲を刺激する音が立ち始めた。
 ヨーゼフはそこに田舎パンを潰して加え、ラグーにするようだ。

 ダヴィドはしばらく黙って様子を見ていたが、不思議なことにこの“老いぼれ”は自分に危害を加えるつもりがないように思えた。
 ヨーゼフはダヴィドに背を向けたまま、鍋を掻き混ぜたり味見をしている。

「……オレを、どうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「見せしめにするつもりじゃないのか?」

 このままいけば、<鬼討ち>親分は間違いなく追手をヨーゼフに差し向けるだろう。
 手下に報奨金を出すかもしれない。
 だが、<剛腕>ダヴィドを痛めつけて見せしめにすれば、多少の抑止力にはなるだろう。
 自惚れているわけではなく、ヴィクトルの舎弟の中でのダヴィドの地位とはそうしたものだった。

「馬鹿馬鹿しい」

 鍋が煮えたのか、ヨーゼフは合財袋がっさいぶくろから取り出した香草を加えながら応える。

「じゃあ、オレをどうする? セレスタンの叔父貴オジキのように、塔伯に突き出すのか」
「突き出して欲しいのか?」

 まさか。
 腹を刺されていたセレスタンは、大した治療もして貰えずにそのまま息を引き取ったと聞く。突き出される詰所にもよるだろうが、あまり明るい未来は待っていそうにない。

「じゃあ……」

「明日、<鬼討ち>ヴィクトルの所へ連れて行ってやる」
「え?」

 この“老いぼれ”は、今何と言った?



[29851] 再会
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:44
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日昼 ヴィクトルの家、首府、東王国>

 焼いた鶏の腿肉に行儀悪く齧り付くと、中から旨みのある肉汁が溢れてきた。
 ヴィクトルは閑散とした部屋で遅い朝食を摂っている。
 いつもなら煩いくらいに舎弟や手下が辺りに詰めているが、今日はいない。
 全て、行方不明のダヴィドの捜索にてていた。

 ○

 <首府>にいる冒険者の中で、ヴィクトルの地位は特別なものだ。
 ならず者に過ぎない冒険者をまとめ上げ、飯場(はんば)を取り仕切る。
 配下の冒険者からは上納金が集まり、それらを元手にまた勢力を拡大する。
 こういった親分は<首府>にも両の手指よりもいたが、ヴィクトルはその中でも最も成功した一人だった。
 ヴィクトルの舎弟がまた舎弟を取り、小物を集め、小さな“王国”を形成する。
 <鬼討ち>ヴィクトルは、小さな“王”だった。

 “王”であるヴィクトルは、侠気に富んだ姿を配下に見せ続けなければならない。
 大きな勢力ではあったが、紐帯ちゅうたいとなっているのはヴィクトルの人望であり、ヴィクトルへの畏怖であり、ヴィクトルへの信頼である。
 何かあった時に守って貰えるから、ヴィクトルの下に付く。
 そうやって集まった小物たちをヴィクトルが守ることは、半ば義務であった。

 だが、そうしたことを除いてもヴィクトルはダヴィドのことを心配している。
 鉱山掘りの息子だというダヴィドは、体格も恵まれているし機転も利く。
 何よりも、素直だ。
 今のところヴィクトルの息が掛かった飯場(はんば)は五つあるが、ダヴィドにはその内の一つを差配させている。
 将来は舎弟の中から誰かを後継者に立てなければならないだろうが、ダヴィドはその中でもヴィクトルが最も期待を掛けている一人だった。

 そのダヴィドが、帰ってこない。
 ただの老いぼれを一人始末するだけの仕事だったはずなのに、だ。
 正直、ヴィクトルは<鋳掛いかけ>のヨーゼフという老人を見誤っていた。
 卑怯な手を使って三人ほど冒険者を捕まえたらしいが、所詮はそれだけだ。
 <邪魔屋>セレスタンが獄で死のうがどうしようがあまり気にはならなかったが、ダヴィドに箔を付ける為にも“仇討ち”で侠気を世間に喧伝してやろうと思ったのだ。

 付けてやった小者は惨めったらしいつらを下げて、全員が帰ってきた。
 叱りつけた上にブン殴りたい気分だったが、鍛え上げた自制心で抑え込み、ダヴィドの捜索に向かわせたのが、昨日の晩。
 そこから何も進展はなく、手分けして探せるようにと配下の多くを注ぎ込んでいる。

「無事でいてくれればいいのだが」

 指に付いたあぶらねぶりながら、独りごちる。
 それにしても、<鋳掛け>のヨーゼフとは何者だろうか。
 小者の報告によれば、老齢だが俊敏な身のこなしでダヴィドを翻弄したという。
 となれば、斥候スカウトか。

 冒険者の役割分担の中で専門の斥候スカウトはかなり数が少ない。
 必要とされる技能を身につけるのに時間が掛かる上に、それだけの技量があれば盗賊しても傭兵としても食っていけるというのもある。
 斥候スカウトとして、高名な冒険者。名前は、ヨーゼフ。
 ヴィクトルには、一人だけ心当たりがあった。

(いや、まさか……)

 その時、誰かが戸を敲(たた)く音が聞こえた。

 ○

「ダヴィド! 無事だったか」

 扉の前に立っていたのは、果たしてダヴィドだった。

「御心配をお掛け致しました、ヴィクトル親分」と深々と頭を下げる。
「構わん、構わん。お前が無事に帰ってきてくれれば、それでいい」
 そう言ってダヴィドの肩を叩いたヴィクトルは、ダヴィドの隣に一人の老人がたたずんでいるのに気付いた。

「……ダヴィド、こちらは?」
「<鋳掛け>のヨーゼフ殿です。オレをここまで送ってくれました」

 老人は、慇懃な態度で腰を折ってみせる。

「お初にお目にかかる。<鋳掛け>のヨーゼフ、と申す」

 敵地にたった一人で乗り込んで来た男とは思えない低姿勢だ。

「親分、オレはヨーゼフ殿に命を取られてもおかしくなかった。だから、セレスタンの兄貴の件は水に流して貰えないでしょうか」
 ダヴィドがもう一度深々と頭を下げる。

 だが、ヴィクトルの視線はダヴィドではなく、ヨーゼフに向けられたままだ。

 <鬼討ち>は、一度大きく息を吐き、そして、ひざまずいた。

 ○

「初めてでは、ございません。ヨーゼフ様」
「いや、この<鋳掛け>のヨーゼフ、<鬼討ち>ヴィクトル殿に御目に掛かるのは初めてのはず。面を上げてくだされ」
「そうは参りません」

 ダヴィドは、自分が師父と仰ぐヴィクトルの態度に驚いている。
 一体、どういうことなのか。

「このヴィクトル、貴方から受けた御恩を忘れるほど“人でなし”ではございません」
「ヴィクトル殿、ヴィクトル殿は私をどなたかと勘違いしているのではありませんか?」
「いいえ」

 ヴィクトルは、顔を上げた。
 その表情には、憧憬の色が浮かんでいる。


「<六英雄>の一人、伝説の斥候スカウト、<神速>のヨーゼフ様の顔を、私が忘れるはずがございません」



[29851] 酒宴
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 02:52
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>

「しかしそうか、あの時の小僧が、今では<鬼討ち>か」

 ヨーゼフを上座に据えての酒宴は、大いに盛り上がった。
 参加することが許されたのは、舎弟衆の中でもヴィクトルが認めたものだけだ。
 <鋳掛いかけ>を名乗る老冒険者が<六英雄>の一人、<神速>ヨーゼフであると漏らさないと信用出来る人間は、さほど多くはなかった。
 ヴィクトルの舎弟とは言え、元はただのごろつきも多い。
 冒険者の仕来たりを教え込むのも親分の仕事ではあったが、末端まで行き届かせるのは不可能だ。

 それでも、伝説の英雄を迎えての宴が盛り上がらないはずがない。


「左様にございます。盗賊騎士ゲアノートから助けて頂いた後、研鑽を積んでこそ今の自分があるのです」

 板敷きの間だけでは狭いというので、土間にまで茣蓙ござを並べての酒宴だ。
 肉だけでも牛、豚、羊、鶏と並び、<首府>の物不足を思わせない有様。
 持ち寄ったさかなだけでは追い付かず、小者が忙しなく調達に出ている。

 集まっている面々も、凄い。
 ヴィクトル親分の舎弟衆では飯場(はんば)を任されている<大樹折り>や<牛斬り>、頭角を現し始めた<赤銅>が居並び、普段は敵対しているはずの<嘆き>のイシドール親分やその舎弟頭の<鐘担ぎ>までいる。

 そんな中で、ヴィクトルはヨーゼフを常に立て、下にも置かない扱いだ。
 美女を侍らせ、給仕をし、自ら酌まで務める。
 相手が相手である。
 ヨーゼフは噂が広がらないことを望んでいるが、人の口に戸は立てられない。
 招いた相手を通じて、ヴィクトル親分が<神速>と関わりのあることはいずれ<首府>の冒険者に広まる。
 そうなれば、しめたものだ。
 逆らう者は減り、無用ないさかいもなく飯場はんばを支配下に収めることが出来る。

 ダヴィドは端女はしための少女に酌をさせながらこの数奇な巡り合わせを想い、感慨に耽っていた。

 ○

 「<六英雄>の一人、伝説の斥候スカウト、<神速>のヨーゼフ様の顔を、私が忘れるはずがございません」

 ひざまずき、ヨーゼフを見上げるヴィクトルの顔には憧憬が浮かんでいる。
 ダヴィドは師父のこんな顔を見るのは初めてのことだった。

「……さて、<鬼討ち>にここまで頭を下げられてはシラを切ることも出来んか」

 ヨーゼフ老人は居住まいを正し、
「左様。<神速>ヨーゼフとは儂のことだ。故あって長くその名乗りは上げておらんが」と応えた。

 <神速>のヨーゼフ。
 呪文持ち帰りし者たちの冒険行スペルブリンガーズクエストを達成した<六英雄>の一人。
 その眼力に見通せぬものはなく、その身軽な体捌きは正に神速。
 曰く、魔軍の将軍を翻弄し、負けを認めさせた。
 曰く、遺跡の罠を全て見抜き、何一つとして作動させることがなかった。
 曰く、神聖帝国中に多くの舎弟を抱え、大盗賊の頭目ですらヨーゼフには道を譲る。
 生きた伝説。
 全ての斥候スカウトの憧れ。

 噂には尾鰭が付くものだが、話半分に聞いたとしても尋常の冒険者ではない。
 魔軍の領域の奥深くに潜って古代の叡智の結晶である呪文書を持ち帰った冒険行の一員と言うだけで、ヴィクトルがひれ伏すに足る威徳がある。

 ましてや、ヴィクトルにとってはヨーゼフは命の恩人でもあった。

「御無沙汰をしております。と言っても、ヨーゼフ様の方では私のことは覚えてはおられないでしょうが」
「ふむ、そこが腑に落ちん。<鬼討ち>ほどの豪傑を覚えておらぬというのでは斥候(スカウト)失格。儂もついに耄碌したか」
「いえ、そうではありません。往時の私はまだまだ駆け出しのひよっこでしたから。三十五年ほど前に、エッフェンの古道で……」

 そこまで聞いて、ヨーゼフは手を打った。

「ああ、そうか。あの時の小僧か! 確かに面影がある」

 ○

 そのまま打ち解けた二人は、家に入ってダヴィドの酌で葡萄酒ワインり始めた。
 <首府>の冒険者のこと、ヨーゼフの旅して回った各地の現状、い女のこと……
 酒神の気まぐれで話題は縦横無尽に飛び交ったが、どうして<鋳掛いかけ>などと名乗っているのかと、何をしようとしているかについてはヨーゼフは巧みに話を逸らしている。

 ヴィクトルの指示で信の置ける者だけが集められ、なし崩しに宴会が始まった。
 ヨーゼフの武勇伝をヴィクトルが聞き役になり、周りが喝采を送る。
 こんなに心躍る宴は、そうそうありはしない。


「親分、そのゲアノートというのはそれほど強かったんですか?」と尋ねる舎弟に、ヴィクトルは苦々しげに笑う。

「強くは、ない。……あの時は、まぁ、雇い主が悪かったのだ」



[29851] 隻眼ゲアノート
Name: 逢坂十七年蝉◆2478f245 ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/21 03:00
<凱旋歴九七七年八月昼 古道、エッフェン伯爵領、神聖帝国>

 草の匂いが濃い。

 隊商は、街道を外れた古道を急いでいた。
 馬車は一輌もない。道が細く、荷物を馬に括り付けて進むより他にないのだ。
 長い間放置された道は両脇の草が伸び放題になり、樹々は繁って昼間でも薄暗い。

 駆け出し冒険者の、<青銅>のヴィクトルがこの隊商の護衛について八日が過ぎていた。
 三日で終わるはずの仕事が、長雨の所為せいでここまで押している。
 大市を目指して出発した隊商は遅れを取り返す為にこの裏道を選んだのだ。

「酷い道だな」と雇い主が零す。
 腹の出た商人で、自分だけ馬に揺られているというのに不平ばかり漏らしている。
 彼以外の用人と冒険者は、皆徒歩だ。長雨でぬかるんだ道は足を取られ、疲労が溜まる。

「……だから、ヨーゼフさんも反対してたじゃねぇか」
 呟くヴィクトルの方に商人は咎めるような視線を向けた。
「<神速>なんて御大層な二つ名を名乗っている斥候(スカウト)がいると聞いて雇ったが、とんだ期待外れだな。儂が何をしようとしても反対するだけではないか」

 ヴィクトルは顔をしかめた。
 この商人は、何も分かっていやしない。

 ○

 “冒険者は、北を目指す”という言葉が死語になって久しい。
 神聖帝国や蛮域、その向こうに広がる魔軍の領域。叙事詩に語られる英雄譚の多くは、寒風吹きすさぶ北の大地で紡がれた。
 だが、今は違う。
 ならず者とほとんど同じ意味にまで落ちぶれた冒険者たちは北など目指さない。
 春から秋は農村で賃雇いの仕事をし、冬になると街にたむろする。
 そこには“冒険”などない。
 あるのは、腐りかけたパンと気の抜けた麦酒エールと、たまに淫売女。
 かつての<冒険者>が得ようとした名誉と財宝と未知と美酒と美女と比べると、随分と見劣りする。

 それでも、ヴィクトルは北を目指した。

 東王国出身のヴィクトルにとって、神聖帝国は子どもの頃に聞かされた物語の舞台だ。
 冒険者になったばかりのヴィクトルは、故郷を離れてここで日雇いクエストをこなしながら腕を磨いている。
 いずれは金と名誉を携えて、故郷に帰りたい。
 そうすれば、父親を“生き返らせる”ことが出来るかもしれなかった。

 ○

「この先に盗賊騎士の根城がある、という噂は本当だ」

 先行して偵察していた<神速>ヨーゼフは、開口一番そう言った。
 名のある斥候スカウトで経験も豊富なヨーゼフの言葉に、隊商よりも護衛の顔が暗くなる。
 最初二十人いた護衛も、金払いの悪い商人を見限って徐々に減り、今では半分の十人になっていた。

「相手の数は?」
「三十人。ごろつきだが、当然武装している」
「迂回は、出来ないのだろうか?」
「裏街道の周りは完全に森に囲まれている。迂回するなら、引き返して本道に戻るしかないな」

 初心者に過ぎないヴィクトルから見て、ヨーゼフと他の冒険者との違いはよく分からない。
 ただ、いつも自分より半歩先を見ている気がする。
 この八日間、ヨーゼフと行動して分かったことは、その半歩が埋めがたい半歩だということだ。

「本道に、戻るわけにはいきませんか?」

 ヨーゼフの提案を、雇い主である商人は笑い飛ばした。

「馬鹿を言うな。この道を後二日行けば大市だ。今更引き返すなどと」
「しかし、命あっての物種とも言いますよ」
「その命が賭かっとるんだよ、こっちは」

 エッフェン伯爵領で大市が開かれるのは、今回が初めてだ。
 神聖帝国の事実上の最高権力者である帝国総督が、大市開市の代勅を出すのは珍しい。
 何らかの政治的駆け引きがあったのかもしれない。
 定期市と違って、大市では参加費に当たる税さえ払えばどんな商人も参加出来るので、普段帝国領内で商いをしていない商人にとっても、儲けが出る機会がある。
 南方でしか取れない産品を馬に満載して北上してきた隊商の主にとって、ここで大市の開催に遅れることは破算とは言わぬまでも、莫大な損失になってしまう。

「そもそも、お前を雇ったのは説教を聞く為じゃないぞ、<神速>の。
 高い金を払ったのは、金儲けを確実にするためだ。その為の投資だ。
 “冒険者風情”は儂の言うことを聞いていればいいんだ!」

 怒声を上げる雇い主をなだめるヨーゼフの口元が冷たく歪んでいるのを、ヴィクトルは見逃さなかった。

 ○

 裏街道の脇に少し開けた場所があったので、その晩はそこで休むことに決まった。
 夜営の支度も早々に<神速>ヨーゼフは元狩人の冒険者を伴って、夕闇の森へ消えて行った。
「兎でも獲って、スープの実にでもするつもりでしょう」と年嵩の冒険者が歯のない口で笑う。
 行程が伸びたので、糧食は常に不足していた。
 商人はたっぷりと食べ物を持っていたが、「これは商品だ。欲しいなら金を払え」と出し惜しんでいる。

(それも仕方ないか)

 ヴィクトルはよそって貰った薄いスープを啜りながら溜め息を吐く。
 世間の風は、冒険者に冷たい。
 地縁もなく彷徨う彼らに対し、為政者は「税を納めぬ者」として見ていたし、都市や村々の人間は「厄介事を持ちこむ者」と畏れている。
 便利使いされるだけで、何処にも心の置き処がない。それが日雇い冒険者の生き方だ。

 それでもヴィクトルは冒険者にならなければならなかった。
 父親を、救う為に。

 ○

 ヴィクトルの父親は、死んでいる。
 但し、それは“法的に”という意味でだ。
 元々とある男爵の家士をしていたヴィクトルの父は才覚に溢れた人物だった。
 義に篤く、謹厳実直。
 彼を慕う人間は多く、食客も囲っていた。

 その食客の一人が、無法を働いた。
 ヴィクトルの父の主筋に当たる男爵家の親戚の娘を、手籠めにしたのだという。
 事実は分からない。
 娘は生き恥を晒すことを良しとせずに、見つかる前に命を絶っていた。
 そして、食客が一人、姿を消した。それだけのことに過ぎない。

 だが、男爵の怒りは収まらない。
 父は裁判にかけられ、死罪を仰せつかった。裁きを下したのは、男爵自身だった。

 ヴィクトルは、当時のことをよく覚えている。
 裁判の翌日に大雨が降った。激しい雨につつみが破れ、家も畑も押し流された。
 避難を指揮していた男爵自身も、濁流に呑まれた。

「神の怒りだ」

 村人は口々にそう言った。裁判を私的に利用したことに、領民は憤りを覚えていた。
 男爵の遠縁に当たる老人が新しい男爵として招かれた。
 この老人は、死刑宣告書に既に署名がされていることを重く見た。

「一度、死ぬしかない。公的な文書とは、そうしたものだ。但し……」

 元々僧侶だったという老人がヴィクトルの家族に提示したのは、一つの条件だった。

「教会の鐘撞堂が古くなっている。誰かの喜捨であれが建て直されることがあれば、儂は特赦を行うことに躊躇いはなくなるだろう」

 鐘撞堂を、建て直す。
 それは普通に農民をしていて稼げる金額ではない。
 地べたに這い蹲ってでも、ヴィクトルは鐘を稼がねばならなかった。

 だから、冒険者になった。

 ○

 首筋の辺りがチリチリとする。
 まだ寝入ったばかりなのに、ヴィクトルは目を醒ました。空には星が瞬いている。
 不寝番の交代までにはまだ時間があるはずだ。
 枕元に置いてあった戦槌をそっと引き寄せ、立ち上がる。

 帰って来なかった<神速>と狩人を除き、護衛は八人。
 不寝番も含めて全員が既に戦いの支度を終えていた。
 ヴィクトルは、未だ眠りの国にいる雇い主を乱暴に揺する。

「ん、どうした? まだ暗いぞ?」
「敵襲です。物陰に隠れてください」

 言い終わらない内に、最初の矢が飛んできた。
 躱(かわ)しながら周囲の森に目を凝らす。駄目だ、見えない。
 焚き火を背後にしているので、森の影が濃いのだ。
 慌てて火を消そうとするが、降り注ぐ矢にそれも叶わない。

「ギャッ」と声を上げて、年嵩の冒険者が倒れ伏した。
 森の中から姿を現したのは、十五人ほどの盗賊だ。
 得物は山刀や片手剣など統一が取れていないが、連携はしっかりしている。

 敵は、隊商がこれまでやって来た道の方から現れた。
 逃げる為には、先に進むしかない。

(これは…… 詰んだか?)

 先に進めば、敵の根城がある。かといってこの人数で商人を守りながら元来た道へ突破できるとも思えない。
 ヴィクトルは死を覚悟し、戦槌を構え直した。


「グッ、フッ」
 また、くぐもった悲鳴が聞こえる。
 今度は誰がやられたのか。商人を守りながら、周囲の様子を窺う。
 しかし、斃(たお)れたのは商人でも用人でも、冒険者でもなかった。
 盗賊の一人が、山刀を構えたまま、倒れ伏している。
 その背中には、矢が深々と突き刺さっていた。

(同士討ち、か?)

 乱戦であれば、そういうこともままあると聞く。
 打ち掛かって来た盗賊の脳天に戦槌を叩き込みながら、ヴィクトルは辺りに気を配る。

 また、矢だ。
 矢が狙いあやまたず、盗賊の背に刺さる。
 暗闇の森に目を細めると、何かが素早く森の中を動いている。
 そういえば、森の中から射掛けられていた矢の雨はいつの間にか止んでいた。

 盗賊たちに動揺が走っているのが見て取れる。

(行ける、これは!)

 ヴィクトルは腹に力を込め、大音声だいおんじょうで叫んだ。
「貴様ら、もう終わりだ! 天運は我らに味方した! 降伏すれば命ばかりは助けてやる!!」
 言いながら、こんな莫迦な話はないと自嘲する。
 まだ相手の方が多いのだ。こんな状況で降伏を勧めるなど、正気の沙汰ではない。

 だが、効果は覿面てきめんだった。
 浮足立った盗賊は、明らかに連携を欠くようになっている。
 圧倒的に有利だったはずが、いつの間にか追い詰められていることに怖れをなしたのか。

 盗賊の一人が乱戦を抜け出し、根城の方へ逃げようとする。
 が、それは叶わなかった。
 ヴィクトルは、その背中が立ち止り、崩れ落ちるのを視界の端に捉えていた。
 盗賊は斬られたのだ。
 根城に続く道から現れたのは、戦斧を構えた大男だった。
 片目に眼帯を付けている。
 大男は、吼えた。

「我が名は騎士ゲアノート。<隻眼>のゲアノート・フォン・アードラースヘルムだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう」

 髪も髭も伸ばし放題の大男がフォンという柄でもないだろうに、と思いながら、ヴィクトルは戦慄していた。
 身体つきには自信のあったヴィクトルだが、それよりも大きい。
 その膂力で繰り出される一撃を受け止めることが出来るだろうか。
 唾を飲み、戦槌を握り直す。

 その時ゲアノートの傍(かたわ)らに小さな影がうごめいているのにヴィクトルは気付いた。
 あれは何だろう。

 ○

 影は、素早かった。
 気付かれないように一瞬でゲアノートに近寄ると、左脇の下にナイフを抉り込む。

「んなッ!」

 よろめきながらもゲアノートが振るう戦斧を、影はひらりひらりと躱していく。
 その動きは、まさに<神速>。
 避けながらも再びゲアノートに近付き、ナイフを抜き去る。
 大男の脇から血が溢れ、辺りに飛び散る。

 巨獣のような<隻眼>ゲアノートが動きを止めるまでに、さほど時間はかからなかった。

 ○

「ヨーゼフさん!」

 残党を追い散らした後、ヴィクトルはヨーゼフに駆け寄った。
 ゲアノートの返り血を浴びたヨーゼフは凄惨な笑みを浮かべている。
 戦いの間中ヴィクトルの後ろで震えていた商人も、いつの間にか這い出してきていた。

「逃げたんじゃなかったんですね」
「逃げても良かったんだが、勝てそうだったからな」

 狩人を連れたヨーゼフは森の中で罠を張り、移動しながら矢で盗賊を倒していたのだ。
 本当は事前に言い含めていた年嵩の冒険者がこちらの指揮を執って連携するはずだったが、最初にやられたのは想定外のことだった。

「流石は<神速>だ! 儂の眼鏡に適っただけのことはある! どうだ、儂の専属にならんか!」

 煤と泥で汚れた顔を拭いもせずに商人は、商人はヨーゼフの手を握ろうとする。

「折角のお話ですが、お断りします」
「どうしてだ、金ならたっぷりだすぞ!」
「それが、勿体ないと言っているんです」
 ヨーゼフは、嘲りを隠さない表情で言った。

「“冒険者風情”に大金を払う必要なんて、無いのでしょう?」

 ○

 隊商は大市の開催日には間に合ったが、あまり意味はなかった。
 逃げ散った盗賊たちは抜け目なく貴重品を持ち去っていた上に、商品を満載した馬を乗り逃げしていたのだ。
 残った商品は、ほとんどない。
 結構な額の資産を失って呆然とする商人から、ヨーゼフたち冒険者はしっかりと給料を分捕り、大市を後にした。

「ヨーゼフさんは、この後どうするんですか」
「そうだな。もっと、北を目指そうと思う」
「“冒険者は、北を目指す”ですか」
 ヨーゼフは鼻を掻き、「実は、<勇者>ってのに憧れている」と応えた。

 それきり二人は何も話さずに別れた。
 まさか、三十五年も経って再会するとは思わずに。

 ○

 ヨーゼフの杯に酒を注ぎながら、ヴィクトルはあの時のことを思い返していた。

(“冒険者風情”、か)

 今でもあの商人の口調を思い出すことが出来る。
 ヴィクトルは多くの舎弟を従え、<首府>で知らぬ者はない人間に成り上がった。
 だが、実際はどうだ。
 あの頃から、何も変わっていないのではないか。

 この家一つとっても、そうだ。
 ヴィクトルの住んでいるこの家は、名義が別の人間になっている。
 冒険者は、家を購うことが出来ないのだ。

 目の前にいるこの英雄ですら、“冒険者風情”なのだろうか。
 だとすれば。

 自分の杯に酒を注ぎ、一気に呷る。
 宴の夜は、まだまだ続いて行く。



[29851] 銀貨一〇枚
Name: 逢坂十七年蝉◆e570cb4a ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/24 01:02
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日深夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>

 酒宴の席に、心地よい気だるさが満ちている。
 普段であれば酒癖の悪い者が暴れ出す頃合いだったが、圧倒的上位者である<神速>ヨーゼフの存在が良い意味での重しとなり、宴は和やかに進んでいた。

 杯の葡萄酒ワインを啜りながら、ダヴィドは安堵の溜め息を吐いた。
 親分であるヴィクトルはヨーゼフに、仇討ちのことをわざわざ持ち出す様子はない。
 ヨーゼフに捕らえられた<邪魔屋>セレスタンは確かにヴィクトルの弟分であったが、それほど縁が深いというわけでもない。要らぬわだかまりは酒と一緒に呑み下されてしまえば良いのだ。
 命の恩人であるというヨーゼフに難題を吹っ掛けるほど、ヴィクトルは子どもじみてはいない。
 そもそもが<邪魔屋>は嫌われ者だった。
 理想的ではないが、水に流したことで誰もヴィクトルを責めることはないだろう。

 視線をヴィクトルとヨーゼフの方に向ける。
 何やら、ヨーゼフが合財袋がっさいぶくろの中身を確かめているところだった。

 ○

馬蹄サボット銀貨で一〇枚ある」

 老冒険者は、銀貨をヴィクトルの方に押し出した。

「ヨーゼフ様、これは?」
「<邪魔屋>セレスタンを突き出した、報奨金だ」

 一瞬、場が凍りついたようになる。
 敢えて誰も触れなかった話題に、ヨーゼフ自らが口火を切るとは予想もしていなかった。

「この金を、<鬼討ち>ヴィクトル殿に返そうと思う」
「返す、と言われましても……」
 自分の払った金ではない。
 受け取ってしまえば、ヨーゼフがセレスタンを突き出したことをヴィクトルが是認したことにも、なる。
 この場はそれで収まるかもしれないが、今後ヴィクトルに刃向った者が金を積めば許されると誤解するのも癇に障った。
 ヴィクトルは返答に窮しながら顎を撫でる。
 難問だ。
 ヨーゼフの眼を見ると、そこには、悪戯っ子のような光が浮かんでいる。

(なるほど。試されている)

 <神速>ヨーゼフと言えば、<暴風>エカチェリーナと並んで六英雄の参謀役として名高い。
 器を見られているのか、単に遊ばれているのか。
 ここでどう応じるかが、ヴィクトルのこれからの人生に関わってくるとも言える。

「ヨーゼフ様。<邪魔屋>セレスタンは確かに私の弟分であり、私は奴の仇を討たねばなりません」
「で、あろうな。この街の冒険者の繋がりはそう言ったものだと聞いている」

「……とは言え、この<鬼討ち>が“年寄り”一人を囲み殺したとあっては、冒険者の名折れ」

 場が再び凍りつく。
 よりによって、<六英雄>をつかまえて“年寄り”とは。
 周囲の視線も気にせず、ヴィクトルは続ける。

「私個人としてヨーゼフ様には命の恩もあります。この一件は、水に流して差し上げましょう」

 言った。
 英雄相手に大した口上だ。
 ここでヨーゼフの風下に立てば、明日からのヴィクトルの立場は悪くはならないだろうがこれまでと変わらない。
 逆に<神速>さえ“許す”ことが出来れば、少なくともヴィクトルは英雄と同じ立ち位置で話をしているということだ。格が、上がる。
 対立する<嘆き>のイシドールもこの場に居るのだ。威勢を見せなければならない。

 ○

「水に流して頂けるのなら、有り難い。有り難くはあるが」
 ヨーゼフは、一〇枚の銀貨を再び押し出す。
「この金子きんすは、れて貰わねば困る」

 道理ではあった。
 昔日せきじつの恩を対価にヴィクトルとヨーゼフが手打ちに到るのであれば、この銀貨一〇枚はまるで宙に浮く。
 たった一〇枚。
 ヴィクトルにとっては端金(はしたがね)だが、田舎の村なら一人が食っていける程度の畝(うね)は手に入る。
 <冒険者>はこの一〇枚の為なら喜んで人を殺すだろう。
 馬蹄(サボット)銀貨一〇枚とは、それだけの価値がある。

「言ったはずです、ヨーゼフ様。
 私は、許した。これ以上銀貨も受け取るのは、道理に合わない」
「ヴィクトル殿、儂は許して貰った。
 であるからには、この銀貨を持っていることは、道理に合わない」

 ○

 奇妙な静寂が場を満たす。
 当人同士はやりとりを愉しんでいるのかもしれないが、脇に控えるダヴィドは気が気でない。
 この場にいる冒険者は会話の機微が読める者ばかりではないのだ。
 例えばダヴィドの後ろに座を占める<赤銅しゃくどうのガスパールなどは、既に腰を浮かせて備えている。何かあれば、ヴィクトルの楯となるつもりか。

(この場をどちらがどう収めるか)

 ヴィクトルが英雄に花を持たせるか。
 ヨーゼフがこの街の顔役ともいうべきヴィクトルに恩を売るか。
 ひょっとすると、<嘆き>のイシドール辺りが仲介の労を取るかもしれない。

 だが。
 ダヴィドは空になった杯に葡萄酒ワインを注いでいた端女(はしため)の少女の手を掴む。
 ヴィクトルの家に仕えているが、この少女はダヴィドの“持ち物”だった。
 まだ小さいが、長い金髪と青い瞳は少女が美しく育つことを暗示しているようだ。
 少女の身体が恐怖で強張るのが分かる。
 ダヴィドは少女の手を掴んだまま、腕を挙げた。

「ヨーゼフ様、銀貨一〇枚でこの少女を買われませんか?」

 ○

 ダヴィドという若者は機転を利かしたつもりだったのだろう。
 行き場のない銀貨を、取りあえず片付ける先として、少女を売りに出した。
 端女にしては器量の良い娘だったが、ヨーゼフに少女を囲う趣味はない。
 それでもこの誘いに乗ってやったのは、ヴィクトルがダヴィドの申し出を聞いて相好を崩したからに他ならない。
 なるほど、手の良し悪しはともかくこの状況で二人の間に割って入ることの出来る胆力は、冒険者を統べる上で不可欠な要素だろう。
 舎弟のダヴィドがここで目立つことは、彼にとって悪いことではないらしい。

「ヴィクトル殿が良ければ、儂はそれでも構わんが」
「ヨーゼフ様さえよろしければ、私に反対する理由はありませんな」

 合意がなされ、涜皮紙とくひしに譲渡の契約が記される。
 文章は、ダヴィドが書いた。
 驚いたことに、この冒険者は文章を書くことが出来るらしい。大したことだった。

 当の少女はぼんやりとヨーゼフを見つめている。
 それもそうだ。
 突然、主がこんな老人に変わったのだ。まだ十二、三しかならない少女では混乱するのも無理はない。

「ヨーゼフ殿、こちらにご署名を」
「うむ」

 ヨーゼフは少し躊躇ってから、ヨーゼフ・フォン・クルンバッハと記名する。
 自分ではただの<鋳掛け>のヨーゼフのつもりだが、公的な文章には本名を記す必要がある。
 冒険行から帰って随分と長くなってしまった本名を、ヨーゼフはあまり好いていなかった。

「ではこれで、この少女はヨーゼフ様のものです」

 ダヴィドに背を押され、少女がヨーゼフの足もとに跪く。
 次いで、譲渡の契約書がヨーゼフに渡された。
 涜皮紙の文面は、列記とした契約書の体裁を整えている。

 ヨーゼフは腰からナイフを取り出すと、柄に魔力を籠め、刀身に火を灯した。
 そのまま契約書に火を近づけ、

「娘、良かったな。今宵からお前は自由だ」と、少女に向かって微笑んだ。

 少女も、周りの冒険者たちも呆然としている。
 銀貨一〇枚の値打ちがある契約書が、燃え尽きようとしていた。


「流石」

 声を漏らしたのは、ヴィクトルだった。

「流石は六英雄のお一人。欲のない」

 清貧は美徳だが、冒険者とは無縁だ。
 死に近しい冒険者たちは、食べ、呑み、犯し、貪る。
 才智を絞って利益を得ることは、冒険者にとって行動規範とも言える。
 ヨーゼフが契約書を燃やして見せたことは、これに反する。
 ヴィクトルはヨーゼフを無欲であると讃えることで、並の冒険者と違うことを際立たせようとしている。
 それは同時に、そのヨーゼフを許したヴィクトル自身をも一段上に置く為の布石でもあるようだ。

 ヨーゼフは、嬉しくなった。
 たったこれだけの間にそこまで頭を働かせることの出来る冒険者が、いる。

 それは、ヨーゼフの夢の実現には欠かせない要素だった。


「今宵はすこぶる機嫌が良い。ここは一つ、賭けをしようではないか」 



[29851] 賭けられるもの
Name: 逢坂十七年蝉◆e570cb4a ID:3ff4f8ba
Date: 2011/09/24 21:53
<凱旋歴一〇一二年一五月十一日深夜 ヴィクトルの家、首府、東王国>

「賭け、ですか」
「左様」
 ヴィクトルの問いに、ヨーゼフは楽しげにうなずく。
 賭博は冒険者の日常の一部だ。
 サイを使ったものや、札を使うもの、いろいろ種類がある。
 宴の座興としては確かに面白いが、ヴィクトルにはこの老人がそういった遊びを指して賭けと言っているのではないように思えた。

 案の定、ヨーゼフが言いだしたのは、そういった普通の賭け事ではなかった。
「儂が、謎々リドルを出す。
 答えられれば、ヴィクトル殿たちの勝ち。誰も答えられなければ、儂の勝ち。至極、簡単なルールだ」
「なるほど。謎々リドルですか」
 謎々リドルと簡単に言っても、奥が深い。
 昔は冒険者の一般教養とまで言われていたが、今では詩や歌と同じく趣味のようなものになっていた。
 それでも、謎々リドルに精通する者は尊敬の目で見られる。

(やはり、試されているか)

 ヴィクトルは顎を撫でながら思案する。
 英雄は、どんな難題を吹っ掛けてくるのか。そして、賭けられるものは何か。
 銀貨一〇枚の値打ちがある契約書を焼いて捨てた後だ。単純な財貨ではあるまい。

「もし、儂に勝つことが出来たら……」
「勝つことが、出来たら?」

「何か一つ、願いを聞いてやろう。<神速>のヨーゼフとして」

 ○

 それは全く破格の条件だった。
 <神速>のヨーゼフに、頼み事をする。
 相手は英雄だ。仮に義兄弟の契りでも交わすことが出来れば、その影響は計り知れない。

「た、例えば、義兄弟になって頂く、という願いでも?」
 恐る恐る尋ねたのは、<嘆き>のイシドールだ。
 いつも泣いているように眉の垂れた男だが、これでも数少ない魔法の使える冒険者である。
 ヴィクトルの風下に立ってはいるが、いつかは見返してやろうという気概があるのはヴィクトルもよく知っていた。

「無論のことだな。流石に命まで取るというのは勘弁して貰いたいが、叶えられることならば、叶えよう」

 誰かが、嘆息を漏らす。
 この英雄は、本気だ。
 思いもよらず人生の岐路が目の前に現れたことで、冒険者たちの酔いは醒め、殺気にも似た気魄が酒席に満ちる。

「儂は卑怯なことが大好きではある。が、今回は正々堂々と勝負をしよう」
 そう言ってヨーゼフは手にしていた杯の裏に、ナイフで何かを手早く彫り付けた。

「今ここに、謎々リドルの正解を刻んだ。儂が答えを左右しないようにな」

 確かに、これならば不正のしようもない。
 ヨーゼフは続ける。

「勝利を掴むことが出来るのは、最初に正解した一人のみ。その一人の願いだけを、儂は聞く。
 そしてもし、誰も答えることが出来なかったら……」

 そうだ。
 賭け事には常にチップが必要だ。
 一体、この老人は何を要求するのか。

「……この街の、飯場はんば一つの利権を頂こう」

 ○

 <嘆き>のイシドールは、ことの成行きを注意深く見守っていた。
 この老人は、食わせ者だと直感が告げている。
 乗るべきか、反るべきか。
 <鬼討ち>ヴィクトルの持つ飯場の数は、五つ。対してイシドールの持つ飯場は、三つ。
 誰も答えられなかった時、取られるのは恐らくヴィクトルの飯場だ。
 となれば、埋めがたかった二つの差が、一つになる。
 自分の分が取られるとしても、ヴィクトルの飯場がそのままということはあり得ない。

 これは良い兆候だ。間違いなく。
 座興を座興として成立させるためには、満座の賛成が必要。
 ここで憶して退いたとなれば、一生浮き上がる目はないだろう。
 イシドールは、隣に控える舎弟頭の<鐘担ぎ>に目配せをした。

 ○

「乗った!」
 <鐘担ぎ>の胴間声どうまごえが響く。
「俺もだ!」「オレも!!」
 つられたように、ヴィクトルの舎弟たちも賭けに乗る。

 進退極まったのは、ヴィクトルだ。
 イシドールも舎弟も、ヴィクトルに比べれば負けても失うものは少ない。
 勝手なことを言ってくれるものだ。
 だが、ここで断るわけにもいかない。

「乗りましょう、この賭けに」
 ヴィクトルが答えると、ダヴィドも「乗った」と声を上げる。
 この忠義者だけは、師父と慕うヴィクトルが返事をするまで待っていたらしい。

 ヨーゼフは、口元を綻ばせた。
「よろしい。この部屋に居る全員が、参加ということでよろしいな?」

 ○

 英雄は、朗々とした声で歌う。

は、緑林グリューネヴァルドの奥義。
 何処いずこにも在り、何処いずこにも無し。
 はかなの名を呼ぶことは、何人なんぴとにもあたわず。
 呼べば直ちに崩れ去る。
 さて、それは、何か』

 居並ぶ冒険者は、顔を見合わせた。
 難題だ。
 歌い終えた英雄は、それきり押し黙っている。
 つまり手掛かりヒントはこれだけということだ。

 <嘆き>のイシドールは掌にじっとりと汗をかいていた。
 答えが分からない。
 だが、願いを聞いて貰えるのは最初の一人だけだ。
 焦りが頭の中を渦巻き、思考が纏まらない。
 答えねば。何か、答えねば。

「か、風!」

 ○

 ヨーゼフが小さく首を振る。
 外れたらしい。
 魔法の素養がある<嘆き>のイシドールが最初に外したことで、場の空気は渾沌としてきた。

「水に映った月!」
「夜!」

 次々と答えが飛び出すが、英雄は笑みを貼り付けたまま、小さく首を振るのみ。
 ついに答えていない冒険者は、ヴィクトルとダヴィドだけになった。

 ヨーゼフの眼が、二人に催促する。どうした、まだ答えぬのか?

「……影」

 ヴィクトルの隣に座るダヴィドが、絞り出すように答える。
 どこにでもあり、どこにもない。
 だが、これも外れていたようだ。
 一体、答えは何だ。

 満座の視線が、ヴィクトルに集中する。
 ここで外せば、飯場が一つ奪われる。最初からこの老英雄はそれが狙いだったのか。
 乾いた唇の間から、嗄れた声が漏れる。まるで自分の声ではないようだ。

「……空」

 ○

 ヨーゼフの笑みが、一際大きくなる。
 そして、首を横に振った。
 してやられた。
 焦りが焦りを生み、全員がほとんど当てずっぽうで答えたに等しい。
 手掛かりヒントもほとんどない中で、ヴィクトルたちは完全に老斥候スカウトの術中に嵌まっていたのだ。

 恨みごとの一つも零したくなる。
 一体、どこの飯場を持っていかれるのか。
 場所によっては随分と苦労させられそうだ。
 ヴィクトルは強靭な自制心で、溜め息を堪える。

 その時、少女がヨーゼフの元に近付いて行った。

 先ほどヨーゼフに自由にして貰った、端女はしための少女だ。
 手には大きな平パンと蜂蜜の壺を持っている。
 注目が集まる中で、少女はヨーゼフに平パンを差し出すと、蜂蜜でそこに何かを書いて行く。


 ヨーゼフの顔が一瞬歪み、ついで讃えるように笑顔に変わった。

「正解だ」

 ○

 ヨーゼフの掲げた平パンには、蜂蜜で“沈黙シレンシ”と書かれていた。

「少女よ、名を聞こう」
「ロザリーです」

 ロザリーと名乗った少女は、祖父と孫ほども離れた英雄にぺこりとお辞儀をした。
 その様子に微笑みを返し、ヨーゼフは尋ねる。

「ロザリーよ、何故答えが分かった?」

「はい。えっと、まず緑林グリューネヴァルドというのは、盗賊のことです」

 遥か昔、神聖帝国の森林地帯を根城に暴れまわった盗賊団の名残から、今でも盗賊を緑林と言い換えることがある。
 いわゆる雅言葉みやびことばだ。

「盗賊の人に大事なことは、いつも黙っていることだと思います。それにヨーゼフ様はずっと手掛かりヒントを出してくれていました」
手掛かりヒント?」
 ヨーゼフが、先を促す。

「はい。謎々リドルを出してから、ヨーゼフ様は一度も喋っていません。だから、これが答えだと思いました」

 ○

はかなの名を呼ぶことは、何人なんぴとにもあたわず、か」

 考えてみればその通りだ。
 声に出してしまえば沈黙は破られる。
 答えを知ってしまえば何ということはない。
 ヴィクトルは苦笑を堪えることが出来なかった。
 まさか十二、三の少女に敗れるとは。

 それにしても。
 ロザリーという少女に、ヴィクトルは内心舌を巻く。
 緑林という雅言葉を知っていた、知識。
 ヨーゼフ翁の所作から手掛かり(ヒント)を導き出す、洞察力。
 どうしてこんな少女が端女(はしため)などしていたのか。
 そして、一体何を望むのか。


「ロザリー、おめでとう。お前の勝ちだ」

 ヨーゼフは、慈愛の籠もった目で少女を見つめている。

「さあ、願いを言いなさい。儂に出来ることなら、何でも叶えてやろう」

 視線が集まる。
 少女は、躊躇いがちに答えた。

「私、魔法の勉強がしたいです」

 ○

「良いだろう」

 ヨーゼフはロザリーの頭を撫でた。

「最高の師匠に付けてやる。儂の仲間、<暴風>エカチェリーナにな」

 エカチェリーナ!
 冒険者たちが息を飲むのを感じて、ヨーゼフは微笑む。
 <暴風>エカチェリーナと言えば、六英雄の中でも<勇者>アルベルトと並んで別格。
 <呪文持ち帰りし者たちの冒険行スペルブリンガーズクエスト>の立役者だ。
 一晩に一人ならず二人の英雄の名を耳にし、冒険者たちの感動は計り知れない。

「有難うございます」

 深々とお辞儀をするロザリーに、ヨーゼフは好感を覚えた。
 これはひょっとすると、大した魔法使いになるかもしれない。


「さぁ、ロザリー嬢の勝利と前途を祝して乾杯と洒落込もうじゃないか!」

 ヴィクトルが音頭を取り、再び酒宴が始まる。

 ヨーゼフは、何かが動き始める予感に年甲斐もなく喜びを見出していた。


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