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津波で大きな被害を受けた宮城県亘理町のいちご農家が北海道に移住し、新天地でいちごの栽培に取り組むことになりました。
宮城県亘理町では、およそ260の農家が特産のいちごを栽培していましたが、このうち、9割ほどが津波で農業用ハウスを流されるなど、大きな被害を受けました。これを受けて、30年前から姉妹都市として亘理町と交流を続けてきた北海道伊達市が、いちご農家の受け入れを提案したところ、数人が移住を希望しました。このうち、吉田地区の佐藤長市さん(52)は、家族を残して単身で伊達市に移住することを決めました。伊達市では、農業用ハウスなどの設備の費用を負担したうえで、栽培が軌道に乗るまで1万3000円の日当を支払い、2年間は住宅の家賃も市が負担するという条件を提示しています。佐藤さんは「いちご畑はすべて流されて、当分栽培はできず、家族が生活できません。伊達市ではLEDを使った電照栽培など新たな方法に挑戦できることが魅力だと思い、決意しました」と話していました。また、亘理町の齋藤邦男町長は「1人でも多くの農家が何らかの形でいちごの栽培を続けられるよう支援していきたい」と話しています。(写真 苺農家のビニールハウス跡地、アルミの骨組みが幾つか見える。※丁度いい写真が無くてすみません、被害の状況がよくわかりませんね...。)
[ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110604/k10013312921000.html ]
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姉妹都市の伊達市には中学の修学旅行で行きました。本当に懐かしいです。伊達市の関内中学校と私の通ってた亘理中学校は姉妹校で交流してました。
北海道の大自然は強い決意をもって移住する人々を優しく迎えてくれると思います(^^ゞ
2011/6/4(土) 午後 2:58
にゃんTさん そうですか、何かと繋がりがあり感慨深いですね...。普段からの交流があるから、この様な援助を受けられるのです。亘理町として伊達市として良い交流がこれからもより深く結ばれる事に感謝しながら、また、自分も普段から周りの人達を大切にして行きたいと思います。貴重なコメントを有り難うございました。
2011/6/4(土) 午後 10:50 [ rose_herb ]
伊達市に新天地求めて移住ですか、北海道でも、太平洋岸の温たかい良い街ですね
百何十年の時を経て、子孫たちが助け合うんですね
北海道は、アイヌの人々以外は、内地の人ばかり、確か伊達市は、亘理伊達藩の集団移住だから言葉もつながる(結構地域別の方言有った様なご先祖さんの出身地毎に)因みにサツマイモは、もっと襟裳よりの、静内に移住を目論んでました(笑) 北海道の方て内地からくる方に優しいですよ
2011/6/5(日) 午後 3:37 [ 水戸のサツマイモ ]
水戸のサツマイモさん えーあーそうなんですか、水戸さん、物知り、で、私はなんだ?恥ずかしいから、これにて退散...。笑。
2011/6/5(日) 午後 4:38 [ rose_herb ]
サツマイモも伊達市は、仙台伊達と思ってたら、亘理と関わりだしてから、亘理町の歴史サイトで知りました
北海道は、幕末に幕府側に付いた藩が、結構集団移住してますよ
因みに薩摩は、官軍でーす(笑)
2011/6/5(日) 午後 6:16 [ 水戸のサツマイモ ]
戊辰戦争終結後の官賊の仕置きで亘理は90パーセントもの禄高を減らされ、藩を維持できなくなり自費で北海道に渡りました。
琴似の屯田兵と伊達市の開拓は亘理の誇りです。
薩長らの新明治政府の歴史の中で、亘理の歴史は消されてしまいました、亘理の人たちは今こそ先人たちの歴史を学ぶべきです。
2011/6/6(月) 午後 10:43 [ 剛丸先輩 ]
剛丸先輩さん 少し歴史を調べてみます。ありがどう御座いました。
2011/6/6(月) 午後 11:25 [ rose ]
関内中学校、私も修学旅行で訪問しました。今は無き学校ですが、
亘理町と伊達市がずっと昔つながっていたあかしですよね。
亘理の祖先は素晴らしい。そして、今でもその歴史が語り継がれ、交流を持っていることは、誇りに思います。
2011/9/1(木) 午後 8:51 [ nrm*t ]