十五日間という長い闘いは、考えてみれば大変なものだ。体力も尽きる危機に向くだろうし、スタミナももつかどうかだ。その長丁場の峠を越えてやっと向こう側が見渡せたような十一日目である。生身の人間だから心ならずも、持ち続けてまた緊張がゆるむのも仕方のないことだろう。それにしても苦笑いしないではいられないような十一日目だった。
中でも、一番緊張を保って、十日目までの好調を続けてほしいのは琴奨菊だった。この力士らしい粘っこさを、どこへ置き忘れたのか、あっさりと黒星を一個増やしてしまった。前日の難敵稀勢の里戦の疲れが残っていたものとも考えられる面もあるにはあるとしても、言い訳にもならないことだろう。
把瑠都も、途中七連勝を見ていてやっとこの力士らしい勝ち方を身につけたのかと思ったが、あっさり負けてしまった。巨漢同士という売り物はあるにしても、先輩力士として、相撲にもう少し曲が感じられるようにしなければなるまい。
とはいうものの、臥牙丸の初日に一敗しただけで、十連勝という成績をみると、二人の対戦は巨漢同士の対決として新しい大相撲の魅力となりかねないとも思う。新たな時代が始まっているのだなと感じないではいられない。
もう一番白鵬の鶴竜戦を見逃すわけにはいかない。この相撲自体が、白鵬の取り損ないだと私は思う。白鵬は元来取り損ないの少ない力士だが、そんな失敗をおかす時には、派手に演じてしまう傾向があるのではないか。これは、人間としてはそうあった方が人間らしくて良いと思うのだが、横綱の地位を考えると、あまり失敗はして欲しくないと思うのだ。
それにしても十一日目の失敗は、それまでの失敗序曲のようなものがあっただけで、殊更際どい一番だったように思える。白鵬、双葉山、うっちゃりという流れは、相撲に興味を持つ人なら二度や三度は、一種の遺伝のような物語を読んでいると思う。そのうっちゃり物語の中に白鵬は登場人物として出ては来ない。だが、追い込まれてうっちゃりに逃げる時の白鵬には、この技に並々ならぬうんちくがあるのではないかと思わされる。
鶴竜戦も“うっちゃり”を出したくらいだから、追い込まれた一番なのだが、見事なものだった。ほめる技がうっちゃりというのは妙だが、あんな技なら双葉山に見せてやりたいと思うくらいだ。 (作家)
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