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【コラム 私は見た!】

白鵬の天敵

2011年9月23日

 相撲は苦手をつくってはいけないというが、稀勢の里は苦手どころではなく、天敵そのものという存在になってきたのではないか。二子山全盛時代に貴闘力、安芸乃島といった活きの良い力士連中が子ども時代のいじめっ子さながらに外国人横綱の曙から面白いように金星をあげたことがあったが、あの時代を思い出す。

 なぜ決まった相手に弱いのか。そんなことをなぜなのかと聞いても、答えられるわけもないし、またそれが答えられるくらいなら追い込まれた関係を修正してしまっているに違いないからこの“負”の人間関係はある程度長びくものとして関係者をいじめ抜くものらしい。

 そんなことを考えると白鵬もとんでもないものを背負い込んだと思う。ところが、生きた人間が互いに年6回というスパンで新たな結果を出していく大相撲という舞台では、思い出したくもない記憶が、2カ月に一回よみがえってくることを避けるわけにもいかないのだろう。

 しかし、これは白鵬の戦跡の中では、どちらかといえば、非常に例の少ないものであって、大抵の対戦相手との記録は、勝数が圧倒的に敗戦との差を開いている。

 つまり、天敵の名に類するものは、稀勢の里ぐらいしかいないと見ることもできる。だが、この実情が客観的にはどう見えるかは別のことである。というのは、12日目現在で対戦戦績は、22対6である。これがどんな意味を持っているかというと、他の対戦相手に対しては、圧倒的な優位を保持している白鵬が、6回も負けているのかと、ある種の驚きで受け取られるに違いない。これを端的にいえば、白鵬はそれほど負けが少なく、当然同じ相手に負けることを巧妙に避けている。そう考えてもよいだろう。

 だが、その白鵬にも63連勝をピークにして、やはり、人間の常として衰えが襲いかかっているのではないだろうか。というのは、いかに天敵が相手であったにせよ、その相手に連敗するここ2戦は、その稀勢の里に攻め込まれている。天敵が襲いかかったとしても、こんなことはあり得なかった横綱だったのに、一体どうしたというのだろう。 (作家)

 

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