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[28416] 【完結】 とある・もしもの世界 上条→詐欺条改変 本編再構成
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/09 00:50
この話はとある魔術の禁書目録、とある科学の超電磁砲の二次小説です。タイトルにもありますように、上条当麻を詐欺師といえるほどの頭脳の持ち主に変更し、それ以外はなるべく設定を変えずに話を作っています。上条さんが策士になることによって、波紋のように原作に与える影響を楽しんでいただければと思います。
 
なお、処女作となりますので文章の構成、執筆に関するテクニカルな点についてご教授いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

本作品は小説家になろうにも投稿しております。


以前一悶着あってこちらから完全撤退したのですが、こちらでいただいた数々の感想が恋しくなって戻ってきてしまいました。
出て行った手前お恥ずかしい限りですが、可能でしたら温かく迎えていただけるとありがたいです。

順次ファイルをアップしていきます。


2011.6.18 昨日投稿しようとしたらエラーが出たためいったん削除しました。お騒がせしました。


2011.7.8 改訂しました。

nonotoさまにこの場を借りて御礼申し上げます。



[28416] 超電磁砲 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:44
《超電磁砲1》

平均すると4秒半。
ぼんやりと通り過ぎる人の顔を17数えたところでカウントをあきらめたが、過去の経験と比較するにやや長めの部類にはいるだろう。
度数分布は正規分布ではなく、おそらく2秒と6秒付近に2つのピークができるはずだ。
ピークができる理由は大きく分けて2つ。
厄介なことにかかわりたくないとすぐ目をそらすタイプと、興味と心配が混ざってしばらく見ているタイプの2パターンがあることだろう。
なお、平均値を押し上げているのは、自分と自分を囲む者たちの服装によると推察される。
ともあれ、「自分と目線が合っている時間曲線」は、極狭い範囲で収束する。
他者のためにリスクをとる行為は取りがたいのは当たり前であって、この状況で目線を合わせることは対岸の火事を自分の岸に吹き寄せることになるのだから、残念ながら仕方ないが。

そのような冷めたことを考えつつ、その一方で無視し続けているのにいつまでも諦めない男たちにイライラしつつ、彼女は日が落ちた三車線道路脇の歩道を急ぐ通行人を眺めていた。

彼女が比較的広めと自覚しているパーソナルスペースを笑いながら侵害する男たちの制服をみれば、彼らが学園都市では―能力開発という意味では―かなり優秀な高校に通う生徒であることを知らない人は少数派だろう。入学時の条件は、確かレベル2以上。学力もそれなりのものを要求されているはずだから、彼らが馴染みの「お客さん」とは雰囲気が違うのも当然だ。

「だからね、俺たちとしては常盤台の教育プログラムをどうしても知りたいわけよ」

長い髪を揺らしながら放つ誘い文句も確かに新鮮だ。しかし、新鮮だから好印象を与えるかというと、そういうものでもない。
言葉や態度には2重程度のオブラートに包んであるが、その真意はつまるところナンパであり、レベル3以上は確実である常盤台の学生に、数の力でプレッシャを与えようとする方法も、結局は過去の事例と変わらない。そして、常盤台の制服が、通行人をもって自分で自分を守るくらいの力はあるだろうと思わせるのに有効であることも既定事項だ。

新しいパターンに、最初の1分間とはいえ僅かな好奇心を持ってしまったのは、今日の実験で思った以上に疲れていたせいだと結論する。

「君にとっても、我々の高校のプログラムは能力向上に役立つと思うよ」

TPOが悪いと、どんな言葉も悪質なキャッチセールスの常套句のように聞こえるものだ。そんな惰性的思索を続ける大人の態度も、さすがに肩に手を回されれば即座に瓦解する。

「……離しなさいよ」

「へえ」、「そう」、「興味ないから」に加えて、この言葉を使うときはリーチが掛けられたことを意味する。彼女の客人が圧倒的優位と思っていた状況が一転し、自分が刈り取られる側になることに気づくことに。すなわち、常盤台の超電磁砲、御坂美琴がその能力の一部を解放することに。

「まあ、そういわずにさ。夕飯まだなんでしょ。なんでもおごるよ」

歴然たる力の差に固まった表情に、彼女がささやかで無自覚な暗い喜びを感じることに。

「……離しなさい。痛い目を見るわよ?」

一応、警告はする。聞き入れて解放されたためしはないし、聞き入れられるとも思っていない。だから、これは挨拶、あるいは能力を使用することに対する自分への言い訳と同義だ。
止まれ、といわれて止まる者は最初から脱走をせず粛々と刑期を終えるだろう。逃げ続ける覚悟で脱獄するのだから、そんな言葉を掛ける暇があるならば銃で撃てばよいのにと思う。
その理屈なら、自分も警告なしで打ちのめすべきか、などと物騒な思いに、かすかな匂いが入ってくる。
ゼロ距離にある長髪から漂う香水は、意外と自分の趣味に合うものだった。
香水は体温によって香りが変わっていく。ジュール熱をかければ、さらに好みになるのだろうか。

感情の沸騰は一瞬で、すぐに冷静かつ攻撃的な発想に戻ってくるくらい、
御坂美琴にとって彼らの未来予想図は明らかだった。

「そんなに怒らないで、さ」

言葉はあくまで穏やかだが、語調からオブラートは溶けつつあると感じる。
後ろの誰かの舌打ちがかすかに聞こえる。そして、その音にわざと少し強めの視線を向ける。この視線は好ましいものであるはずがない。
おそらくこのぎりぎりの平衡状態を崩すだろう。

そのとき、その後ろからまっすぐに自分を見ながら一人の男が歩いてくることに気がついた。

「なんだよ、その目は」

10秒くらいか、と予測する。高校生であろうその男は無表情だ。
これから6対1の争いに入り込む覚悟があるようには見えない。
それでも目をそらさないのは、状況を把握していないか、状況を把握して安全域でジャッジメントに通報するつもりなのだろう。
舌打ちの音源にさらに挑発的と見えるような視線を送りつつ、視野の端で自分の予測結果を確かめる。

「無視するなよ」

15秒。予測より長い。ひょっとしたらそれなりに高いレベルの能力者なのか。
彼らの制服をみて、それでも対処可能であると思える程度の能力者が、
可哀想な自分に手を差し伸べてくれるというのか。
まあ、このような状況に陥ることは数え切れないぐらいだから、そのような偶然があっても不思議ではない。

――――――数え切れないほど絡まれる要因のひとつに、隠し切れていない自分の不遜があることを、もちろん彼女は自覚していない。

「おい、…聞いてます?」

25秒。男たちの輪が少し狭くなる。瞬時に使って良い能力の強さを確認する。
自分が背中にしている店や傍らの自動販売機に影響がない、本日の「被害者」が死なない、しかしながらそれ相応の痛みを受ける程度の電撃。
もちろん、こちらからは使わない。相手に先に手を出してもらわないと正当防衛にはならない。

件の男は歩みを止めない。彼はどのような対応をするのだろう。

「ちっ…。…おい、なんだお前?」

30秒。肩に回された力が増す。長髪は自分をコーティングすることは放棄したらしい。
溜まっていた苛立ちをぶつけるように、イレギュラーな乱入者に胡乱な視線をぶつけた。
ここで強さを見せておけば、この女もおとなしくなるだろう、ぐらいは考えているのかもしれなかった。

しかし受ける高校生は相変わらず無表情のまま、

「多人数で女の子を口説くのはカッコ悪い。そして、5分以上話しかけて脈がないなら諦めたほうが無難だと思うけど」

静かに喧嘩を売ってきた。

やはり高レベルの能力者か。どれ程のものかお手並み拝見といきたい、と御坂は思った。
高レベルの能力者の喧嘩はほとんど見たことがない。
自分を助ようとする善意に対しての罪と自覚しつつも、実力が伯仲すればなお面白い、など期待が湧くのも否めない。

御坂の期待に応えるつもりではないだろうが、元々馬鹿ではないはずの周りの連中にも同様の推察は成り立ったらしい。
緊張が走り、能力が使用される独特の感覚―AIM拡散力場か―が高まるのを感じる。
そして、御坂の周りの空気が揺らいだ

発火能力者だ。

長髪は肩に片手を回したまま両手を突き出すように前にだす。その前に炎が現れる。
強度は多分レベル4。自分に話しかけていたのは基本的にこの長髪だったから、彼らの中ではリーダーみたいなものかと思っていたが、この能力なら納得できる。
彼らの学校でもきっと最も強い部類に入るだろう。あそこにはレベル5はいないから。

さて、乱入してきた彼はどう対応するのか。
未だ両手をポケットに突っ込んだまま、無表情を決めているが、それほど自分の強さに自信があるのかね。
その態度がただのハッタリでないことを期待しつつ、ハッタリだったときは即座に助けられるように目を配りつつ、
なんとなく傍観者になったかのように目の前の展開を見ていた御坂だが、何かが焦げる、その独特な臭い…その正体に気づいた瞬間、

「ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!」

怒声とともに、手加減があまり効いていない電撃を周囲に放ってしまった。
あたりが光と爆発音で包まれる。隣の自動販売機がボンッ、と小さな音を立てて機能停止する。
背中のシャッタの塗装がめくれる。
強引に電気の通り道にされたアスファルトが僅かに溶けた臭いがする。

「あー……」

しまった、と思ったときには遅かった。
理不尽に重い罰を受けた男達は軽く痙攣しながら地面に倒れていた。
とっさに心電位、脳波、網膜電位を確認するが全員問題なし。
大事にならなくて安堵のため息を一つ落とす。
同情できるところは限りなく少ない人種だが、それでも髪の毛を少し焦がされただけで回復不能なダメージを与えることには抵抗が大きい。
動揺の波が引き、余裕を取り戻したので聞いてみた。

「……で、アンタはなんで無事なわけ?」

相変わらず両手をポケットに突っ込んだまま、無表情な乱入者に。
見たところ彼はまったくダメージを受けていない。
距離的には同程度の位置に倒れる犠牲者は服も焦げているのに。
自分が無意識に彼だけを避けるように攻撃したのだろうか…
いや、そんな配慮はなかったはずだ。やはり高レベルの能力者か。
しかし、ボールを投げられた男は周囲を一瞥し、僅かに考えるそぶりを見せたあと、

「どうやら、余計なお世話だったみたいだね」

と、ぼそりとつぶやいた。

「質問に答えて欲しいんだけど」
「ジャッジメントには通報しておくね。大丈夫だとは思うけど、病院に運んだほうが良いと思うし」

聞かれたら、女の子がしつこく絡まれていた、と証言するけどそれでいいよね?と続ける。
やはり、納得できる答えが返ってこない。なんだ、この男は。

「一体、何の能力を使ったわけ?」

急速にイラつきが増していくのを抑えて、努めて冷静に聞く。
電撃はステップトリーダでさえマッハ100を超える。電撃を見てからの反応では、絶対に防御は間に合わない。
仮に自分が発電系能力者と知っていて―良くも悪くも自分の知名度は理解している―能力を使うことをとっさに察知して能力で防御したにしても、これだけの電気量を受け流すのは容易なことではないはず。
それができる能力者はレベル4でも上位のものだろう。

「ああ…、俺はてっきり君が外してくれたんだと思っていたけど」
「それはない」
「言い切るのか…。一応、助けに入ったんだけどね、俺」
「で、何で?」
「だから、君が配慮してくれたんだろう?」
「違うって言ってるでしょ!」

この男はあくまで惚けるつもりらしい。でもそんなことは許せない。
自分の能力が通用しないなど、簡単に認められるものではないから。

「答えたくないなら…答えたくなるようにしてもいいのよ?」

うっかり言ってから、醜い言葉だと後悔した。
ああ、これは完全に脅迫だ。筋違いもいいところだ。
この言葉は、倒れている者たちに言うべきものだ。
彼はリスクを負って自分を助けようとしてくれたのに、なぜこんな言葉をぶつけられるのだ、自分は。
今日の実験が大変だったせいだ、など自己弁護する自分がふと現れる。
同時にそれを非難する自分が登場する。
でも、何を御坂が思おうとも、音のエネルギーは拡散しても、言葉は取り返すことができない。

「まあ……もし、君の配慮じゃないとすれば」

それでも、彼は姿勢も表情も変えない。淡々と、同じトーンで、

「きっと、日ごろの行い、ってやつじゃないかな」

または、神のご加護かもね。などと彼自身、絶対に信じていないだろうと思われる台詞を述べる。
それはあまりにも馬鹿馬鹿しい回答だったから、御坂は苛立ちも後悔も忘れてしばらく呆然とした。

「あ、ごめんね」

その間に、彼はポケットから携帯を取り出す。
どうやら電話の相手と待ち合わせしているらしく、遅刻を詫びているようだ。

「……もう、いいわ。助けてくれたのに、悪かったわ」

今、これ以上の質問をしても、自分の望む回答は得られないことがなんとなくわかった。
これ以上質問すると、自分の嫌な面と向き合うことになるかもしれないこともわかった。
そして、質問するエネルギーもどこかに消えてしまった。
だから、ひょっとしたら気づかれないかもしれないくらい軽く頭を下げ、
御坂美琴はその場を後にしたのだ。

決して人には知られたくないプライバシーがあり、それを尊重しようなど殊勝な思いがあったからではない。
それなりに強い能力者なら、データバンクに入り込めばすぐに見つかるはずだ、という見込みがあった。
だから、今この場で聞かなくても良い、と保留しただけだ。





その甘い見通しのために、ストーカーまがいのことをする羽目になるとは、このときの御坂美琴には想像できなかった。










《超電磁砲2》

結論から言えば、データバンクを漁ったものの、あの無表情な男に関する有用な情報は得られなかった。

あの件の次の日、写真つきのレベル4の能力者リスト―もちろん公衆電話から侵入したバンクより違法にダウンロードしたもの―を全部見たが、あの男に似た顔は1人もなかった。
発電能力者なら、あの電撃をかわせたかもしれないと考え、レベル1から3までの発電能力者も調べたが、該当件数はゼロ。
バンクの情報は常に最新で、ジャッジメントやアンチスキルも参照する情報だから、整形したところでごまかせるようなものではない。
可能性としては変身能力者も挙げられるが、それなら電撃を防げることが説明できない。
1時間も掛からずに見つけられると思っていたのに当てが外れて、御坂美琴は頬を膨らませた。

しかし、頬を膨らませても、湧き上がる疑問と好奇心は納まらない。
そして、如何に彼女が世界最高レベルの情報処理およびハッキング技術保持者であろうとも、自分の記憶の中にしかない顔を手がかりにネットワークから個人を特定するのは不可能だ。
彼女が極めてオーソドックスかつ古典的な手法-すなわち現地調査と聞き込み―を取ったのは、端的に言えばそういった理由からだった。

真夏日の午前11時、うだるような暑さの中で御坂は現場に帰ってきた。昨夜とは一転して人通りも多いなか、自分が残した傷痕を調べている姿を見られると、まるで糾弾されているような気持ちになる。
事実、糾弾されても仕方ないことをしたのだから文句は言えないはずだが、それでも見るな、という無言の威圧感で視線を逸らさせるあたりがレベル5たる所以だろう。
そういえば、犯人は現場に帰ってくるというのは定説だったような気がする。
ならば突然ジャッジメントが現れて、器物破損の容疑で拘束されたりするのだろうか。
昨日はルームメイトに特に追及されなかったが、今日帰ったら彼女にまた説教されるかもしれないなどと思いつつ、ふとアスファルトに目を落としたところで彼女はあることに気がついた。

アスファルトの一部で周囲と僅かに色調が異なる部分があるのだ。
直径は約70cm。
円状に変色している場所を見て、そこがあの男が立っていた場所であることに気付いた。

「なるほど」

全身をにじむ汗の分以上の情報を見つけたことに満足して、彼女は次の行動に移った。


「わかった、ありがとう、参考になったわ」

聞き込みについても、それなりに情報が集まった。
昨日、聞くともなしに聞いた「電話」の会話を信用するなら、あの男は例の場所から歩いて15分程度の場所に住んでいるらしい。
この辺りは自分も通学路として使用しているので土地勘もあり、どこに行けば適切な情報が得られそうかは良く理解していた。

「ごめんね…でも、この件でうちの学校の子に報復しようとしたら、こんなもんじゃ済まないから」

あの男は全く見知らぬ自分を助けようと、6対1の状況に首を突っ込むお人好しだ。
ならば、この付近で「助けに入らなければいけない状況を作りそうな」連中、すなわちスキルアウトの溜まり場を何点かあたれば、何がしかの情報を得られるのではないか。
そう考えて、自分の能力と知名度を背景に穏やかに質問してみれば、予想以上に有名人のようで、どこに行っても彼は知られていた。

得られた情報をまとめると、人助けを生きがいのように行う男、異常に運動神経と勘が良い男。
お礼参りも返り討ちに遭ったり、ジャッジメントやアンチスキルが巡回している場所に誘導されて逮捕されたりするなど、成功したためしがないようで、スキルアウトにはできれば相手にしないほうが良い人物と認識されているらしい。
さらに、能力者と戦って負けたことはないらしく、どうやら能力を打ち消すとしか思えない現象を多々起こしているようだ。

「能力を打ち消す能力」

昨日までなら、そんなものあるわけないで笑って終わりだっただろうが、実際それらしい現象を見たばかりなのでなんともいえない。
しかし、通っている学校についても情報があったが、能力開発の点では低レベルといって差し支えない学校のようだ。
能力を無力化できるような力が存在するなら、それはかなり珍しい有用な力のはずであり、そのような学校で開発する意義は薄い。
というより、他の能力開発に熱心な学校から好待遇で引き抜かれないわけがない。

「この道をよく通ると言ってたわね」

他に有用な情報といえば、あの男が最近良く使う道がわかったことがある。
複数のスキルアウトから転送させたGPS情報とも矛盾はないので正しい情報だろう。
今の時期は学園都市の学校は夏季休暇のはずだから、買い物ルートなのだろうか。

「上条当麻、ね」

そして、決定的なのはあの男の名前がわかったことだ。
ためしに端末を引っ張り出して検索すると、記憶に新しい顔が表示された。
間違いなく、この男だ。
バンクの情報なので、現住所や連絡先も同時に入手したことになる。
だから、もしもう1度会いたいと思えば電話で呼び出すことも、家に直接乗り込むことだってできる。
携帯電話を持ち歩いているなら、現在位置のリアルタイム情報だって特定可能だ。

そんな形で情報集めに満足したので、御坂美琴は上条当麻がよく通るとされている道沿いにあるファーストフード店で窓際の席に座り、道をぼんやりと眺めながら涼と遅い昼食を取っていた。

妙な能力があるか否か。
いや、自分の能力を上回る能力者なのか否か。
それを確認したくて半日前まではすぐにでも見つけ出したいという気持ちだったのに、いつでも確かめられるとなると、炎天下を汗だくになって歩き回ったのが急に馬鹿みたいに思えるから不思議なものだ。
確認は別にいつでも良い、とさえ思えてくる。






会って確かめる、ただそれだけのことに急に後ろ向きになった原因が、昨日の自分の言動が後ろめたいせいだと気付いた頃には、食べるものは何も残っていなかった。












《超電磁砲3》

飲み物の残り、より正確に言えば飲み物を冷やす氷が溶けた水をちびちびとすすりながら、御坂美琴はぼんやりと道を眺めていた。
体も冷え、ついでに頭も冷えて考えてみれば、上条当麻なる人物が自分の能力を上回る能力者なのか否かを何故これほど熱心に確認しようとしていたのか、だんだんわからなくなってくる。

何故?
私が負けず嫌いだから?

自分が負けず嫌いなのは正しく認識していると思う。だれかが自分よりも優れている、と聞くたびに確実に自分の心がざわつくのを実感するからだ。
そして、この感情はそんなに悪くないとも思っている。
より強くなりたいという気持ちがあったからこそ、今の自分は今の位置にいる。
今の自分は、自分が勝ち得た今の位置に満足している。

満足しているはず…だよね?

自分に対して疑問系になってしまうなんて、と一人笑う。
私はこんなに頭が悪かったっけ。

笑って、直視しないように自分の心にファイアウォールを展開するが、その疑問の答えだって本当はわかる。
そして疑問の答えを見てしまうことも知っている。

目を閉じて、能力の目で周りを見る。暗闇から一転して世界が「目」の前に広がる。
色彩がなく、通電物質の存在感が視覚よりも強調され、電磁場を発生する場所が強度によって蜃気楼のように揺らいで見える。
しかし、それを無味乾燥なものとは感じない。
視覚で捉える世界も美しいが、この世界だって同じくらい素敵だ。
世界が捉え方で一変する、というメタファーをよく耳にするが、この世界が少なくとも2つの全く異なる見え方をするということを、実感と感動を持って体感できる喜びは大きく、そしてそれはきっと僅かな人しか得ることができないとても貴重なものだろう。

目を開けて、視覚を取り戻す。そこに能力の情報を上乗せする。
そして、外には放電させないように注意して、自分の両手に力を集めてみる。
自分の両手に大きな存在感が集まってくるのがわかる。
同時に湧き上がる万能感。
これが、自分。
だから、仕方がないではないか。



レベル5。認定されたときは、努力が報われたと喜んだ。両親もとても喜んでくれた。
友達からは明らかな尊敬と羨望のまなざしで見つめられた。純粋に嬉しかった。
しかし、自分が一線を越えた領域に足を突っ込んだことを震え、泣きながら理解したのは、自分のAIM拡散力場が示す急上昇の曲線図をみたときでも、瞬間的に出せる電圧が億の単位になったときでも、超電磁砲で退役した戦車を吹き飛ばしたときでもない。



あれは2年前、過去最大級の台風が学園都市を襲ったときだ。
記録的な暴風雨に対しても学園都市はびくともしなかった。
停電も断水も冠水もないという報道は、都市のすぐ外にある町の惨たらしいまでの被害状況と並んで、この街の科学が世界のはるか先を進んでいることの実例の一つとして3日ほど世界のニュースを騒がせた。

あの台風のとき、学園都市に雷が落ちた。規模は過去最大級だという。
私はそれを500mほど離れた寮で見ていた。
視物質を余裕で飽和できる光量だった。直後に轟音と地響きが体を揺らした。
私以外は皆赤ん坊のようにうずくまっていた。泣き出す子も少なくなかった。

そんな中、私は一人、空を見ながら震えながら泣いていた。
私の五感と、そこから情報を得た私の本能は自然の猛威に対する恐怖を告げていたと思う。
だからこそ、私は怖かった。
なぜなら、私はわかったから。
この自然の力を、私はコントロールできる。目が、耳が、体が感じるこの圧倒的な力を、私は思うように導き、生み出し、打ち消すことができる。
能力の目で見える空にある電撃の渦と寮から見えるグラウンドの間に、ためしに能力で線をつないでみる。
莫大な力は私の意図した場所に正確に墜落する。
まわりでまた泣き声が増える。



ああ、私は、なんて過ぎる力を身につけてしまったんだろう。



あの日から、自分と周囲の関係は変わった。
最初に線を引いたのは自分か周囲かはわからないが変化は加速度的で、視覚でも能力でも見えない壁ができてしまっていることに気付くまでさして時間は掛からなかった。
そして、その壁を否定することも、壊すことも私はしなかった。
本当の意味で私と分かり合える人は少ないだろうと諦めていたし、少なくとも表面上は良好な人間関係だったから。
いま思えば、もう少し何とかしていればよかったと反省する。
今の私には、例えば自分がうっかり放った電撃をすり抜けた正体不明の人物について、気楽に相談する相手がいない。

だから、この疑問系は、この寂しさは、自分の力が生み出した処理できない副産物なのだ。

「はあ…」

ここまで考えて、あの男の能力が気になる理由がようやくわかった気がする。
自分の力が破られてしまったら、この寂しさだけしか残らないではないか。
そんなことは認められない。そんなのは、哀しすぎる。
なんて子供っぽい理屈。

「はあ…」

このところ、少しため息が多い気がする。
自分の能力に対する絶対的な自信と誇り、それとセットでついてくる何ともいえない寂しさ。
このトレードオフに気付いたから?
それとも、ひょっとしたらこれは青春の悩みというものか?

また疑問系だ。つくづく頭が悪い。どうせ力を捨てることができない以上、
悩んでもしょうがないことはわかっているはずなのに。

最近、たまに起こる感情の負のループから逃れようと窓の外を見ると、
蜃気楼の中にやけにクリアに抜けて見える部分があった。






上条当麻だ。












《超電磁砲4》

ごく偶に、奇跡がおこることがあるらしい。

高層ビルの窓の清掃を何十年もやっている人が、あるときあり得ないいくつかのミスが重なって落下する。
そのとき、たまたま下を走っていたトラックの荷台にクッションとなるものが満載されていたおかげで命拾いした、とか。
テレビの電源を入れて適当にチャンネルを回したら、異国にいるはずの自分の恩師がローカル放送で生中継されていて、そのおかげで再会できた、とか。

根源たる素粒子自体が確率論でしか記述できず、その総体である宇宙の動きも、結局は統計でしか把握できない。
したがって、決して起こらないことなど決してない。
別に神様や悪魔を持ち出さなくても、奇跡は説明可能なのだ。
さらに、人間は好都合なことを記憶し、悪いことを忘れるという素敵な脳の仕組みをもっている点も奇跡ということを説明する補強材料になるだろう。
圧倒的にはずれが多いくじなのに、宝なんて名前がつけられてまかり通っているのが良い証拠だ。

そんな味気ない話をするする語ることができるくらい、科学に侵食されているはずなのに、それでもこのタイミングは奇跡みたいだと思った。



30分前なら集めた情報と空腹を秤に掛けて多分無視していた。
15分前ならもしかしたら感情のループを能力に変えてぶつけていた。
5分前ならきっと能力のノイズに紛れて気付かなかった。



でも今なのだ。
彼は歩いてくる。
彼の周りだけ、消しゴムで消したように電磁波の群れが消えていく。
視覚のみでしか捕らえられない彼は、相変わらず無表情で店の前を通り過ぎていく。

反射的に立ち上がった。
ゴミ箱に僅かに氷が残った紙コップを突っ込み、小走りで店を出ると、忘れていた熱気が帰ってきた。
右手を見れば、髪質が硬そうな頭をした男が15 mほど前を歩いている。
客観的に見て、体は締まっているようだ。
能力で見れば筋肉量がわかるし、そこからスタミナ、パワー、得意な運動のタイプがわかるのだが、あいにく彼を知覚できるのは今のところこの両目のみ。
それでも、体格、足の運び、体の安定性などと、いままでの経験から、かなり強いのだろうということは推察できる。
もちろん、Homo sapiensとして能力なしに戦った場合という意味でだが。

同時に、御坂美琴は理解する。
彼を探し、問おうとした質問の一部は、すでに回答されている。
能力の目では彼が見えない。
つまり、彼は自分の能力の一部をキャンセルすることができるということだ。

「問題は、私の、全能力、を打ち消せるかどうか、よ」

つい、口から言葉が漏れる。
その音に、先ほどなんとか肯定的に認めたはずの負けず嫌いが一気に煩わしくなる。
そう感じながらも、私は自動的に自分の劣勢を否定する材料を検索している。

能力の目で見えない、というのは厳密には違う。
能力の目で見ると、彼のみが空白として映る。
それはすなわち、彼が見えているということではないか。

なんだ、その小さい考え。別にいいじゃない、見えなくても。
……超電磁砲で木っ端微塵に吹き飛ばせば、私の勝ちなんだから。

小さいと自分を諌めた次の瞬間、それでも勝利にこだわる自分が出てくる。

「はあ…」

またため息がこぼれた。

御坂美琴は確かめたい。上条当麻よりも自分のほうが強いということを。
御坂美琴は確かめたくない。勝利にこだわり、間違いなく自分を孤独に追いやる自分の性を。

そんな二律背反の願望が綱引きをした結果として、とりあえずは15mの距離は伸びるでも、縮まるでもなく維持されることが決定された。
先を行く男は、背後にある葛藤に気付いた素振りはない。

日が少し弱まってきたからか、それとも幼稚舎の生徒が下校する時間が近いからか、少しずつ人が増えていく道を歩いていく。

振り返られたら隠れるか?
隠れないならどう対応する?
戦うのか?
話すのか?
確かめるのか?
そもそも自分は何をやっているのだ?

散歩は気分転換に最適というが、現状は散歩とは程遠く、当然気分が晴れるどころかどんどん鬱滞していくのも自然のことだ。
しかし、考えを早急に決めなくてはいけない。
自分が全ての感情に整理をつけるまで、彼が後ろを向かずに歩き続けてくれる奇跡は期待できないのだから。
そう、もっとも不味いのは、慌てふためく自分を見られることだ。
とりあえず、決めなければ。

情けない姿を絶対に見られたくないという心理こそ、負けず嫌いそのもののはずだが、
今の彼女にはそれに気付く余裕はない。

早く、決めないと。



だから、ふと、彼が立ち止まったときに御坂美琴は酷く驚いた。
まさか、気付いたのか。
まだ、だめなのに、決めてないのに。
思考と感情がばらばらの方向に振れた結果、例のとおり進むことも逃げることもかなわず、保持してきたままの距離をキープしたまま立ち止まる。

彼の肩が左に回転する。
彼の右足が半歩前に踏み出される。
彼は振り向こうとしている。

馬鹿。やめて。
声に出さず、能力にも乗せず、それでも思わず願ってしまう。
そして、やはり彼女は動けない。

彼はそのまま90度左に回転し、ビルの間の細い路地に入っていった。
こちらには全く視線を向けなかった。
微動だにせず、彼のことだけをまっすぐ見ていたから、それはよくわかった。

「はあ…」

またため息がこぼれた。
同時になぜかとても悔しい気持ちが湧いてきた。
決して、自分はこれほど複雑でもてあます感情を持ちながら歩いてきたのに、自分のことなど気付きもせずに立ち去ったことに対する不満ではない。
きっと、一挙手一投足まで上条当麻の気まぐれに支配されているかのごとき、自分の心理状態に腹を立てているのだ。

ああ、気が付いたらもっとイラついてきた。
この不満、どうすれば解消できるだろう?

「……簡単、じゃない」

気付かなかった1秒前の自分を薄く笑って、彼女はつぶやく。
この距離を維持し、全てを保留にしようとしたのがそもそも間違いなのだ。
自分は負けず嫌いだ。それの良し悪しはともかく、それは変わらない。
負けたくないものは負けたくないのだ。
たとえ、負けの定義が自分にしか理解できないものであったとしても、それでも負けるのは嫌なのだ。

だから、御坂美琴は走り出した。
あの背中に追いつくために。

そして、細い路地の角を曲がろうとしたとき、彼女は見た。
弱弱しく地面に座ってうつむく少年と、明らかに彼を害したと思える態を示す4人の男と。その少年を背中に男達に向かう、無表情な上条当麻の姿を。












《超電磁砲5》

世界を救う、という言葉を本気で実行しようと思っていた時期があったと御坂美琴は記憶している。
この世界には隠された力か、はたまた唯一にして巨大な秘密結社があり、それらを自分が何とかすればこの世界で起こる不幸は全て消え去り、皆はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。

厳密に、そして正直に言えば、過去形ではないのかもしれない。
今でも私の好きな漫画には、ぶっちぎりのヒーローが世界を平和に導くストーリーを基調にしているものが多い。
また、現実的には学園都市の科学技術と、能力者―特に、私を含むレベル5―が全力を尽くせば、今の混乱や苦悩にあふれる状況を打破し、完璧は無理にしてもかなり理想に近い形に世界を幸せにできると信じている。
ともあれ、今も昔から共通していることは、私自身が巨大な力を持つ正義として、悪に勝利することを希望しているらしいということ。
しかし、巨大な力を手に入れた私だが、純然たる正義であることの自信については、最近良いペースで減ってきているような気がしてならない。



「状況を見れば明らかだ。君たちは彼に暴力を振るったのだろう?」

18時間ぶりに上条当麻の淡々とした声を聞く。
4人の男達の雰囲気が変わる。
地面に座る彼の腰が、逃げようとして僅かに浮く。

「さっきジャッジメントにGPSコード付きでメールを送った。すぐにここに駆けつけてくるだろう」

男達が半円上に動き、上条を取り囲む。
逃げることを諦めた少年が、遠からずくる暴力に身を縮める。

「今なら間に合う。さっさと逃げろ」

それでも上条の声は変わらない。同じ調子で宣戦布告と変わらない警告を述べる。
恐らく、表情も相変わらず無表情なのだろう。

細い路地への角に走りこもうとした御坂美琴は、一瞬で状況を察し、そして路地を通りこして向かい側のビルに背中をつけて止まった。
状況は能力の目で見えるし、声はここまで聞こえるが、電磁波の穴みたいになってしまう上条の表情については残念ながら推測止まりだ。

自分が出て能力を使えば、蹴散らすのに1秒も掛からない。
彼らが自分を知っていれば、能力を使う必要すらないかもしれない。

それでも、未知であり、自分の心理をかき乱す存在である上条当麻が間近で戦うかもしれない状況を前にした途端、ついつい自分は見の位置に落ち着いてしまった。
そして、一瞬だけ見た画像を脳内で再現する。
彼はこちらを見ていなかった。だから、一瞬で路地を通り過ぎた自分に気付く道理はない。

どうした、御坂美琴。追いかけるって決めたんじゃなかったのか。
なら、どうして見られたか?なんて焦るんだ。

自分に心の中で突っ込むと、状況が変わったのだ、ここは白紙撤回でと政治家みたいな自己弁護が勝手にしゃべりだす。
すると別の部分が、今はそれどころじゃないだろ?と疑問を呈する。
そうだ。確かにそれどころではない。

殴られていたと思われる少年がいたということは、加害者は暴力をなんとも思っていないタイプということだ。
だから、上条の言葉に対して、その一人はためらうことなく表情筋を歪めながら拳を振り上げる。
その拳が、電磁波の空隙と重なる。
しかし空隙は動かず、飲まれたように消えた拳もまた然り。
そして空隙が動き、攻撃者の拳だけではなく腹までが飲まれる。
少し鈍い音がして、

「おいッ!?」

誰かの声とともに、一人が倒された。
間髪いれず、空隙が動く。さらに一人が首を刈られて昏倒する。
続いてもう一人。恐らくみぞおち辺りを蹴り込まれたのだろう。3mほど飛ばされて動かなくなる。
残りの一人は、さて、どう動くのか。

気付かぬうちに、御坂は今日も傍観者の視点になっている。
残された一人が能力者であれば良い、とほとんど自然に思っている。

だが、そんな願いは聞き入れられなかったようで、最後の加害者はポケットに手を入れる。
電磁波の像が強調されている。
あれは、ナイフだ。

御坂に僅かな緊張が走る。
でも、それは映画のスリリングなシーンを見たときのそれと類似していて、あくまで彼女は見物人のシートから動かない。

すると、空隙から直径5cm程度の球状物、恐らくは石が放たれた。
時速100km以上。
反射的に投げたにしては十分早く、しかもそれは正確にナイフをつかもうとする手を捕らえた。
思わず手を押さえる隙は見逃されることなく、空隙に意識が飛ばされる。

時間にして1分もなかった。
その実際は見えなくても、スキルアウトからの情報が誇張ではないことがよくわかった。
上条当麻は確実に強い男だった。

「ふふ…」

それが少し嬉しくて、御坂美琴は微笑む。
微笑んだあと、その理由がわからず困惑する。

「大丈夫か?」
「…………ぃがとうございます…」

しかし、そんな浮ついた気持ちは、被害者の少年の涙交じりの声で粉々に砕かれた。

「立てるか?」
「……」

無言でうなずくのが、波として認識される。
認識しつつ、彼女の意識は急速に重力崩壊していく。

「金、とられたのか?」
「……」

少年は否定しているようだ。
しかし、御坂美琴、一体どういうつもりなんだ?

「一応、俺の連絡先。この件で絡まれたら、連絡をくれ。できることはする」

違うよね?御坂美琴。
あんた間違ったよね?

「じゃあ、行こう。ここにいる意義は薄い」

なぜ。






こちらに少年と空隙が向かってくるのが見えた。
何も考えず、身を翻してひたすら走った。
誰かにぶつかったが、謝りもせずに走った。
走って、走って、後ろを振り返って、そして逃げて。

もう十分だろう、と思える距離を走るだけ走って、ふと気が付けばどこかの路地裏だった。
場所は不明だが問題ない。
携帯があればここがどこかなんてすぐわかる。
仮になくても、私なら、レベル5の超電磁砲なら、容易にわかる。
なにせ電磁の世界を従えるマスターなのだ。
GPSを読むのだって、携帯を傍受するのだって、雷を操るのだって、ドミノを倒すように気楽に、流れるようにできるのだ。

当然、彼らを救うヒーローにだって、簡単になれた、はずなのに。

「くッ…」

思わず座り込み、うつむく。

「なぜ……」

救わなかったのだ、私は。

自己嫌悪が渦を巻く。
いつもなら、まあまあ、と現れる心の弁護人が今日はおとなしい。
私の心には私を告訴する声しかない。



何故、私を救おうとした彼を助けなかった?
何故、4対1の状況を見過ごせた?
何故、加害者が能力者であれと思えた?
何故、ナイフを認識した段階で飛び出さなかった?
何故、見過ごした事を謝らなかった?
何故、私は力をつけた?
何故、あそこでヒーローになったのが私じゃないんだ?



何故、何故、とどろどろと言葉があふれる。
過去最大級の台風のように、心がかき乱される。

「何故…なんで…」

うつむき、自分の腕を抱きしめるように、拘束するようにきつく握る。

「私は…私は……」






どのくらいそうしていたか。
ついに台風は静まった。
しかし、台風一過のように青空が広がるわけもない。

立ち上がろうとして、少しふらつく。
ため息を一つこぼして、頭を振る。
だめだ、しっかりしろ、御坂美琴。
おいしいものでも食べて、元気を出せ。

「よし、大丈夫」

自分に言い聞かせる言葉。
最近、使用回数が増えてきた言葉。

それでも自己暗示とは侮れないのか、それとも私が単純なのか。
すこしだけ心の雲を薄くして、一回、大きく背伸びをしてみる。

「よし、大丈夫」

2回も言えば十分だろう。
最寄りのバス停を探そうとして、やはり歩こうと思い直した。
だって、散歩は気分転換に最適というじゃないか。

私は歩く。光子と電磁波の混じった世界を歩きながら、心の澱を篩にかける。
美しく、素敵な世界に少しだけ心の負担を肩代わりしてもらいながら、私は考える。
何が大事で、何をしたくて、そのために何を反省し、何をすればよいのか。

思えば、自己分析を真面目に行うのは久しぶりな気がする。
いつの間にかファイアウォールや弁護人を作って、見て見ぬ振りを続けていた。
本当の自分なんて見つからないとよく言うけれど、
だからって完全に目を逸らし続けるのはまずいということがよくわかった。
だって、目を離すと、自分でもよくわからない負債が勝手に増えていくような気がするからだ。

このままでは憧れの正義のヒーローから遠ざかる一方だ。






空を見上げればややオレンジが入りだした、青。
そこを行きかう、さまざまな波。
背景が単純だから、干渉波が生み出す波紋が浮かび上がって、それがしみじみと美しい。

とりあえず、わかったこと。
やっぱり、私はこの力が大好きなのだ。
この力で見える世界、この力が動かす事象、この力がもたらすエネルギー。
それらはどうしたってやはり応え難い。
もはや否定することなんてできない。
だから、この力とそれが生む副産物と間で悩むことが不自然なのだ。
それが気に入らないなら、気に入るように変えればいい。
できれば世界を。
無理なら自分を。

やるべきことを見つけて、へこんでも負けず嫌いが垣間見える自分に少し安心したのだろうか。

つい、うっかり、ぽつりと思ってしまった。






……アイツは、何であんなにも平坦なんだろう。












《超電磁砲6》

青が緋色に。
緋色が紺に。

少しずつ変わる空の色と、場所によって変わる電磁波の海が綺麗だったから、バスを使わず、さらに大きく遠回りして歩いて帰ることにした。
歩きながら、少し涙ぐんで、笑って、怒って、悲しんで、また涙ぐんで、今度は怒って。
寮に帰ってからもルームメイトの白井黒子に心配されつつ、お風呂で歌いながら笑って。
布団の上で右手と左手の間を走る放電の樹をみて切なくなって。

感情の波と相互作用して、自己分析の結果が多少は左右されたが、根本的なところはそんなにぶれてないんじゃないかと御坂美琴は思う。
まあ、当たり前といえばそうか。
三つ子の魂、百までも。雀百まで踊り忘れずとはよくいったものだ。
私の根本はもう大体できているのだ。
それなら、考えて、求めて、見つけられるものもそれほど変わらないはずだ。



自分が求めるものは、今のところは具体的にはわからなかった。
ただ、自分がイメージする幸せは、切り立った崖の上に立つ孤独な虎じゃない。
強くてプライドが高いけど、仲間や家族を大切にする狼なのだってことはわかった。
そして、そんな私の幸せを邪魔する私の短所というべきところ。
挙げようとすればぼろぼろでてくるけれど、クリティカルなのはこの3つだろう。

私は負けず嫌いだ。
そして意地っ張りなところがある。
そして……嘘付きだ。意地を張るために、負けないために、自分すら騙そうとする。

自分を大きく曲げることは、多分無理だ。
この3つ全てを完全に変えるのは、とても無理な気がする。

というより、自分に甘いかもしれないが、変えられてしまったらそれはもはや私じゃないのではないか。
そう考えると、ある意味長所なのか?私が私である所以か?などと虫の良い解釈をする前向きさはとりあえず長所に分類してあるけれども直したほうが良いのだろうか。


ともあれ、何度考えても、そしてルームメイトである空間移動能力者に聞いてみても、やはり私の性格の問題は、この3点で間違いなさそうだ。
では、無理なく、かつ自分が求める生き方をするためには、どこをどう直せばよいのか。
そのために、どうすればよいのか。
さらに考えて、考えて、そしたらいつの間にか眠ってしまって。
目が覚めたら、黒子がジャッジメントの支部に行ってしまったのを確認して、なんだかちょっとしんみりして少し泣いて。
その後、涙をぬぐったら、少しすっきりして。



ついでに結論がぽんとでた。



バスルームに入り、シャワーを浴びる。
なんとなく思いついたから、お湯を切って冷水を浴びてみる。
夏とはいえ、やっぱり冷たい。
交感神経がぞわっと励起されて、妙なテンションが湧き上がってくるのを感じる。
肌を粟立て、無駄に足踏みしながら、それでも頭から水を浴び続ける。
どう、御坂美琴。こんな変な状況でも、結論はかわらない?



水を止め、目を閉じて体をぬぐう。
曇り止めが異常に効いている鏡に向かい、目を開けて自分の顔を見る。
能力の目を使っても、自分の顔だけはこんな風に見ることはできない。
いや、見ることができないものが他にもいたね。

これから行うことは誰かに見られたら問題があるかもしれないが、
ここはバスルームだし問題なし。
自分に照れている場合ではない。

鏡に近寄って、自分の顔をよく見てみる。
もう一回深呼吸しても、答えは変わらない。
なら、私がやろうとしていた酔狂な一人劇も遂行するべきだ。



……可愛いじゃないか、御坂美琴。
……多少目が腫れているけど、大丈夫だよ。
そんな独り言を前口上に、微笑みながら私は自分に宣言する。



私は自分に嘘を付くのをやめる。
他人は騙すかもしれないけど、自分を騙すことはしない。



言うは簡単。
でも守るのはとても難しいだろうってことは自分のことだからよくわかる。
何かで縛らないと、今日一日だって守れるかどうか。
だから、こう続けるのだ。



御坂美琴、これは勝負だからね。
自分に嘘付いたら、あんたの負けだから。



そう、嘘を付いたら負けるのだ。私は自分をコントロールできなくなる。
それを放置すると、感情や思考がばらばらになって、何をしても、どちらに進んでも後悔するようになる。
昨日、一昨日は激しかったが、あれは突然ではなくて、ちゃんと予兆はあったのだ。
最近増えたため息は、自分に嘘を付き続けたことに呆れて、自分の心が出した悲鳴なのだ。
論理を完全に跳躍しているけれど、これは私にとって間違いない事実。
逆に嘘を付かなければ、自分はコントロールできる。
過剰な勝気も、身を滅ぼすような意地も、きっと根底にある本当の願望をごまかさずにちゃんと向き合えば、抗えないレベルまで育たないと信じる。



ああ、すっきりした。
何故、今まで気付かなかったのだろう。
私、自分は頭が良いってこっそり思っていたのに、違ったのかな?
鏡に向かって告白する。
そしてもう1度、笑顔を作って。



だから、勝負だ。御坂美琴。
お前が無様に負ける姿を期待してるぜ。



幕引きにはこのくらい芝居がかった台詞がふさわしいだろう。
負けず嫌いは身にしみて痛感している。
そんなことを言われたら、ますます負けるわけにはいかないじゃないか。
もう1度しっかり自分に喧嘩を売ってから、私はバスルームを後にした。






そんなわけで、今日から私は自分限定の正直者になったわけだ。
では、正直者の御坂美琴、あんたその将来性あふれる胸につかえがあるよね?
私に言ってごらん?

ベッドに座って、自分に問いかける。
当然、自分は正直に答えるのだ。

謝りたいよ。アイツに。

そうだよね、と一人問答してみる。
上条当麻は、私の罪の意識なんて知らない。
こっそり尾行したことも、彼を2度見捨てるようなことをしたことも、私ならノーリスクで解決できた事件をしょわせたことも、アイツは知らないのだから。

でも、謝りたい。

そうだね。わかるよ。
でも、そんなこと言われたらアイツは困るんじゃない?

自分に問い返す。
当然、応えるのも私だ。

確かに困ると思うし、自己満足なのかもしれない。

ごめんなさい、というのは簡単だ。
頼めばきっと理由だって聞いてくれる。
理由を聞いてくれれば、謝罪の意図も汲んでくれる。
でも、それでよいのか?

良くないと思う。
困らせるために謝りたいわけじゃない。

そうだよね。
謝りたいんじゃなくて、正確には償いたいんだよね。

償いは、相手への還元が含まれている。
これだって自己満足の一種には違いないだろうけど、単に謝るよりは格段に良いはずだ。
還元した、とか許された、と判断するのも自分だから、本当の意味での償いなんてできるの?なんて反論も可能だけど、私の気持ちとしては償いたい。
償えたかどうかのクライテリアを決めるより、まずは行動したい。

そうだね。償いたいんだよね。

そうだよ。償いたいんだよ。

自分の中で意見が一致した。
つまり、これは私の正直な気持ちなのだ。






では、さてどうすればよいだろう。












《超電磁砲7》

御坂美琴はレベル5の超電磁砲だ。
電磁気に関連することなら正しく自由自在に操れる。
電磁波から直接データを読み出し、またその逆だってできる。
暗号だってよほど硬くなければ自力で解読できるし、自力で解読できなくてもそこらのスーパーコンピュータにプログラムを実行させてこっそり解読させることもできる。
結果、サーバも含めて学園都市のコンピュータの9割以上を彼女は自在に操れる。
相当硬いことで有名な学園都市製の携帯電話の暗号キーだって入手している。
学園都市が義務付けている、携帯電話のGPS情報だって、自分の携帯をいじるように見ることができる。

これら誰にも話すことができない自分の能力の可能性を元に、
彼女が自分と立てた作戦はとてもシンプルなものだった。

論理としてはこうだ。

御坂美琴は上条当麻に償いたい。そしてそれは早ければ早いほど良い。
償うにあたって、なにをすれば彼のためになるのか、を知る必要がある。
彼を知るためには友達になるのが一番だろうが、償いもしないうちにそんなことはできない。
彼の友達の友達になって探る手もあるが、今は夏季休暇中でそれも難しいだろう。

一般的には本人に知られないでその人の情報を探ることは難しい。
それが簡単ならば、興信所など成り立たない。
そしてここは学園都市だ。
興信所自体が少ないし、女子中学生が男子高校生を調べてくださいと依頼して、引き受けてくれるとも考えにくい。

そこで、一般的の枠から逸脱している彼女は、自分の能力を正しく理解してこう結論付けた。



ならば、自分の全能力を使って彼の行動を逐一観察し、そこから彼が受け入れるであろう償いを推測すればよい。



幸い、今は夏季休暇だ。宿題などというものは既に済ませており、バイトもしていない御坂は、急な実験時以外は暇人だ。
これなら情報収集もさぞかし捗るだろう。
上条当麻について、自宅の電話も携帯もIPアドレスは既に入手済みだ。
それらの情報があれば、彼女なら彼の行動のほぼ全てを掌握できる。

彼のプライバシーを侵害することに多少の抵抗はあるが、償いをした後は無関係になるだろうし、知りえた情報は誰にも語らず墓に持っていけば大きな問題はないだろう。



自分の悩みとその効果的な解決方法の両方に気付けて若干上機嫌になった御坂は、それが一般的には悪質なストーカーと称される行為であることに思い至らなかった。



思い立ったが吉日との言葉に従い、早速情報収集を開始する。
まずはGPSコードが500m以上動いたとき場合に、自分にメールを飛ばすようなコードを簡単に記載して、パソコンのメーラに組み込む。

次に自宅と携帯の電話が使用された際に、自動的に録音するプログラムを組む。

最後に、PCと携帯で送受信されたメールを自分の携帯に転送するよう、彼が主に使用しているメールサーバのプログラムを書き換える。

これらの作業で約30分。

その後、少し考えてから、録音プログラムとそのファイル、携帯メールを、可能な限りもっとも硬い暗号化を行うものに修正する。
ついでに9月1日になったら、メーラの追加コード、録音関連の一切のファイル、および携帯の転送メールを自動的に復元不能な状態で削除するプログラムを組む。

9月1日を期限にしたのは、夏季休暇中にけりをつけるという不退転の決意を自分に示すため。
そして、さすがにいつまでもプライバシーを残しておくのは気がとがめたからだ。

部分的に良識的な面があるものの、トータルで考えるときわめて悪どい情報の罠なのだが、組み上げた当人にはその自覚はほとんどなく、1時間もかからないうちに完成してしまった。

自分の手際のよさに自画自賛しつつ、GPSコードをみてみれば、彼はまだ自宅にいるらしい。
ふと思い至って、過去2週間程度の彼のGPSの軌跡を描かせてみると、1度学校に行った以外は、自宅、商店街、図書館の3つが彼の居場所だったことが判明した。
これなら、情報で武装したのちにいざ償いに行く際にも、偶然を装って再会しやすそうだ。
ちなみに1度学校に行った日は、ストーキングのきっかけとなった3日前だった。
もし自分が絡まれたのが一日ずれていたら、彼とはお互い知らぬ関係で、今頃自分はため息でもついていたのかもしれない。
そう思えば、あの無表情と出会ったのも、高層ビルから落下して助かったようなものなのかも、となんとなく思った。






いつ動きがあるかもしれない、と多少の緊張感を維持できたのは、それから1時間後が限度だった。

「なんで、動かないのよ?」

責任が全くないはずの相手に、恨み言を述べてみる。

「携帯も、家電も使ってないみたいだし…友達いないのかしら」

言ってから、自分の携帯だってこの2時間で正規の目的では使われていないのだから、この発言は自分の首を絞めることになることに気付き、苦笑する。
それに、考えてみれば自分だって寮の部屋から出ていない。
彼と自分は全く同じ状況なのだ。

そういえば、そろそろ昼食時だ。
自分が外出したから、彼が動くわけではないが、動きがあっても携帯を持っていけば事足りる。
そう考えて、制服に着替えながら、頭の中で昼食場所の候補をサーチする。
服に袖を通しつつ、私が動いたのに反応して彼が動いたら、看守と囚人の立場が実は逆というホラーかな、とふと思った。
そして、囚人という自分の表現にどきりとし、いまさらながら若干の罪悪感を覚えるのだった。






実際には携帯は無言を保ったためホラーに直面することなく、御坂美琴は無事に昼食を終えた。
さて、これからどうしようか。
アイツが通う、図書館にでも行ってみるか。

思いつきだが、別に予定もないので、そのまま図書館に向かってみる。
件の図書館は第7学区でも最大の規模を誇る区立図書館だ。
歩いて10分程度の距離。
体は冷えているし、それほど汗をかかずに着けそうだ。
街路樹や軒下の陰をなるべく通るよう、少しギザギザなコースを進みながら、図書館に到着する。
予想通り、ほとんど汗をかかずに到着できたことにすこし微笑んで、図書館のゲートを通ろうとしたそのとき、GPSの動きを伝えるメールが届いた。

図書館のゲートをくぐり、入り口に一番近い座席で携帯を開く。
空調は適度に涼しく快適なはずなのに、緊張感で汗が流れるのを感じた。



私は、ひょっとしたら、とんでもないことをしているのでは。



携帯の画面では、上条を示す点が移動している。
今のところ、買い物と図書館に至る共通の道を移動しているので、彼がどちらに行こうとしているのかはわからない。
もちろん、そのどちらでもない場所に向かっている途中ということもありうる。



過去の軌跡を見たときと、全然重みが違う。



点の移動速度から、彼が徒歩であることは容易に想像できる。
まだ暑い時間、徒歩ならそんなに長距離は歩かないだろう。
次の、次の交差点が分かれ道だ。
まっすぐ来れば図書館、右に曲がれば買い物である可能性が高い。

冷静に解析している風を装っているが、心拍数が上がっているのがよくわかる。
その理由は容易に知れた。
一つは他人のリアルタイムを覗き見ることへの背徳感。
もう一つは、彼が図書館に来てしまうかもしれないという事実だ。

後者については隠れればよいということは自分でもわかっている。
だから、この鼓動はきっと前者のせいだ。
やらなきゃ良かった、と僅かに後悔した…が、本気で考えて出した結論なのだ。
これ以上の策を思いつかない以上、このまま行くしかないと気合を入れてみる。
そうこうするうちに、携帯の点は、問題の交差点に近づいてくる。
鼓動が、さらに早まる。
そして。

「ふぅ…」

彼は右に曲がった。買い物のようだ。
一安心すると、うっかり負けん気が出てきてしまう。
何を安心しているのだ、自分は。
観察する、いいチャンスじゃないか。
今から行けば、その目で行動を観察できるぞ?

ああ、駄目だ。いつものパターンだ。
むくむくと行動へ駆り立てる感情が湧いてくるのを感じる。
それに、なんとなく携帯を通して覗き見るより、直接見ているほうがまだましのような気もしてきた。
となれば、まだ体も冷えていないのに、変な汗をかきながら図書館を後にするのは仕方がないことだった。

商店街についたころには、案の定、汗まみれになっていた。
まあ、別に誰に会うわけでもないから特に問題はないと考え、携帯を確認する。
学園都市のGPS精度はかなり高い。
進行方向と逆側から回り込むように移動すると。

……いた。

上条当麻は左手で荷物を持ち、右手をポケットに入れて滑らかに歩いていた。
やはり買い物だった。
そして、買い物に行くことを予知できてしまったことに、御坂は自分の罪悪感が少し増すのを感じる。
しかし、自分には正直であることを誓った彼女は、それを在るべきものとして受け入れつつ、距離を保って後姿を追う。

1分ほど歩いたところで、彼が立ち止まり、携帯電話を出した。
どきり、と鼓動が高くなる。
いや、アイツの携帯電話に細工したわけじゃないから、別に見られたってわからないはずなのだ。
自分はこんなに小心者だったのか、と急に気付いた。
もっと堂々としろ、御坂美琴。
おどおどとしている状況でアイツにみつかれば、何か勘ぐられるかもしれないぞ。

しまった。
間の悪いことに、自分を激励するつもりだった台詞で、上条が振り向く可能性に気付いてしまった。
まずい。なんだか悪い方向に向かっている。
彼にとって、3日前の自分の切った威勢の良い啖呵は記憶に新しいだろう。
その女が、3日たってみたら、汗まみれで、挙動不審で、うろうろ自分の後を付けていたと知れたら。
おかしいと思わないほうがどうかしている。
そして、おかしいと思われて声でもかけられたら。
その問答によって掘られた墓穴にどこまでも落ちていきそうな予感が。

しかし、幸い悪循環予想図は空振りし、上条は携帯をしまうとまた歩き出した。
電話をしたわけではない。通信は確認されていない。
時計でも見たのだろうと納得し、気を取り直して後ろを付いていく。






彼が動く。
自分も動く。
彼のマンションまであと15分強。
人ごみに紛れての追跡だから、正味の時間はあと12分程度か。
安定した歩きを見せる上条に、御坂も落ち着きを取り戻してその程度のことを考える余裕が出てきた。

そもそも、後ろを付いていって、何になるのだろう。

上条に関しては、能力の目は通じない。
だから、彼のもつ買い物袋さえ見通すことができない。
後ろを歩いて得られた情報といえば、歩く姿が安定しているという既知の事実に加え、買い物袋のふくらみ具合から、たまねぎかじゃがいも、1Lの紙パック飲料が1本は入っていることが伺えるくらいだ。
そこから出てくるのは、今夜はカレーかも知れません、という推論。
そこにさらに重ねて、ああ見えてカレーは超甘口が好きで、牛乳を入れないと食べられないのかも、という勝手な妄想。
……あの表情で、あの歩きで、超甘口か?
自分の妄想にうっかり笑いそうになる。

そうやっていろいろと想像はできるが、後姿から得られる情報はかなり少ない。
これは無意味なのだろうなあ、と悟りつつも、あと2分程度で追跡も終了だと考えると、せっかくだから最後まで付き合ってやるかという、己の立場を勘違いした気持ちにもなるものだ。
のんびりと、午後の散歩を楽しんでいる気分に少しなりかけてきたとき、上条が携帯を取り出した。

電気のように走る緊張。
画面を見て、おもむろに耳に当てるのを確認し、能力を集中する。
捉えた。

「もしもし、母さん?」
「あらあら、当麻さん、元気にしてた?」
「ああ、元気だよ。そちらは?」
「こちらも元気よ。父さんは相変わらず世界中飛び回っているけど、毎日連絡は来るわ」

話し相手は母親らしい。
その事実に、なんだか、とても意外な印象を受ける。
アイツに両親がいて。
そしてアイツが母親に電話している。
父親のことも気にかけている。
普通から大幅にかけ離れているように見える上条が、普通のことをするととても新鮮だ。

「はぁ…」

本日初めてのため息をつく。
新鮮も何も、まだ出会って3日間。しかもアイツの中では1日だ。
そもそもなにも知らないからこんなことをしているのに、何が新鮮だ。
暑さにやられたのか、私は。

そんな彼女の憂鬱を他所に、普通の会話が続いている。
内容について特筆すべきことは、今のところ、ない。
わかったのは、アイツが母親に対してもプレーンな口調でしゃべるということか。
なんだか自己嫌悪をぶり返しそうで、もう盗聴もやめようかと思ったとき、思いがけない言葉に耳を疑った。

「そういえば、最近グリル付のレンジを手に入れてさ。パンを焼いてみようと思うんだけど」

パン?

「うん、それで、パンを伸ばす棒ってデパートに売ってるかな?」

伸ばす棒?

「そっか、わかった。ありがとう。じゃあ」

アイツが小麦粉を練って、伸ばして、発酵させて、パンを焼く?
そんな……、と超甘口カレー以上の衝撃を受けて、御坂美琴は崩れそうになる。

だって……、こちらは……、現実ですよ?

アンタ、せめて守らなければいけない最低限のイメージってものがあるでしょうが。
よくわからない憤りを理由もわからず感じてしまう。
それを言えば、常盤台の超電磁砲がレベル0をストーキングしている事実だって同程度の破壊力があるはずなのだが、そのポテンシャルに気付かない彼女には関係ない。

ともかく、彼は美味しいパンを作るために、デパートに伸ばし棒を買いに行くことにしたらしい。
マンションとは逆に駅方向に滑らかに歩き出す彼の背中に、少しやけになって付いていくことにした。

……もし、彼への贖罪の途中で「パン」という言葉が出てきたら、自分の計画はきっと水泡に帰すだろう。






駅前のデパートはそれなりの規模を誇り、食材からジュエリーまで一通りのものがそろっている。
商店街から徒歩で15分程度。途中で上条の携帯の電源が切れたが、特に気に留めなかった。大方、充電し忘れたのだろう。
デパートの入り口の案内板の前で、すっと上条が歩みを止める。
調理具は8階だったはず。
何度か来たことがあるから、そのくらいは覚えている。
ともかく、御坂はとても疲れていた。
上条をなんだか途方もない修行僧みたいに思って用意周到にしようと考えていたのに、立て続けに俗っぽい空気を見せられて、肩透かしを食らった気分になっていた。
今朝、仮想的なもう一人の人格まで演じて考えたのに、あれはなんだったの?
彼が知らないことをいいことに、心の中で新たな不満をぶつけてみる。
そんな具合に、やる気が7割くらいそがれていたので、人が増えたのに距離を変えなかったのが失敗だった。

上条当麻はデパートに入ると、急にペースを上げてエレベータに乗ったのだ。
あっ、と思ったときには遅かった。
扉は閉まり、エレベータは上へ向かう。
他のエレベータはまだ上層階だ。戻ってくるまで時間がかかる。
待っていたら、8階に行ったときに鉢合わせするかもしれない。
携帯の電源が切れているから、ここで見失うと、彼がどこに行くのか把握できない。
一瞬迷い、彼女はエスカレータを駆け上がった。

「ごめんなさい!通してください!!」

途中で何度も謝りつつ、2段飛ばしで駆け上がる。
多分、間に合う。
この時間帯なら、エレベータは各駅停車のはず。
こちらのほうが早い。
しかし、5階からエスカレータに人が詰まりだした。

間に合わないかも。

とっさに階段の位置を思い出す。
確か、エスカレータ降り口の近くにあったはずだ。
前の人に謝りつつ、押しのけるようにエスカレータを降りて今度は階段を駆け上がる。

間に合うか……?

8階まで駆け上がり、身を隠しつつエレベータの表示を見る。






駄目だった。
もう通り過ぎている。
彼は既に降りている。

「はぁ…」

本日2回目のため息を落とし、ついでに肩を落としてゆっくりと階段を下りていった。
こんな汗まみれで、ぐしゃぐしゃの髪、面と向かったら挙動不審で、伸ばし棒を見たら間違いなく笑う自分。

鉢合わせするリスクなんて踏めるわけがない。

そのままバスで真っ直ぐ寮に帰ったものの、今日はこれ以上「観察」する元気はなかったので、シャワーを浴びて、早々に寝ることにした。
データはPCと携帯に残っているのだ。明日確認すればよい。






自分で思ったより疲れた顔をしていたらしく、2日連続で黒子に心配をかけてしまったが、昨日の件は自分の中では解決したと話したら、少なくとも納得した振りはしてくれた。
ごめんね、本当にありがとね。と口に出したら、少し驚いた顔をしていたが、その理由まで考える余裕もなく、私は眠りに落ちた。












《超電磁砲8》

睡眠不足はお肌の大敵とよく聞くが、成長期真っ只中の自分にはそんなものは無縁だった。
元々あまり寝なくても良いタイプだったから、徹夜を2日くらいしてもそれほど苦しくなく学校に行くことだってできた。
しかし、どうやら睡眠は心のケアにはとても重要らしい。
目覚ましも掛けず、朝ごはんも事前にキャンセルしたとはいえ、ひたすら12時間近く寝続けられたあたり、大分疲労が溜まっていたようだ。
そして目が覚めたら心のいろんな捩れやら矛盾が整理されているのを感じた。



物事の2面性なんて、私が一番よく知っていると思っていた。
文字通り、2つの世界を見ることができるのだから。
でも、やっぱり私はわかっていなかったということが、目が覚めるように理解できた。

私は、昨日より前の上条当麻を、修行僧か人外かのように考え、頼まれてもいないのにそれにターゲットをあわせた対応しようと駆けずり回った。
でも、ふたを開けてみれば何のことはない、彼だって当たり前に人間だった。
崖の上にたたずむ、孤独な虎なんかじゃなかったのだ。
ならば、同じプライドを共有する狼に対して、私がしたこと、考えたことはあんまりじゃないか。

贖罪なんて、そこまで複雑に考える必要なんてなかったのだ。
彼が求めることなんて今なら簡単に想像できる気がする。

例えば、彼と一緒に1週間くらいパトロールでも良いだろう。
お人好しな彼のことだ。困った人は絶対助けようとするのだろう。
そのときに超電磁砲がそばにいれば、どれだけ楽になることか。

例えば、もちろんこっそり練習したあとで、彼に美味しい自信作のパンをプレゼントするのでもいい。
彼が知りたがるであろうレシピや作り方、それをもったいぶって教えるのだって良いじゃないか。

というより、考える必要すらないのではないか。

聞けばよいのだ。彼に。
どうしてもお詫びがしたい。だから、アンタが困ってるなら手助けさせて、とか。
自分でみてもそれなりに可愛い顔なのだ。
真面目にお願いすれば袖にされる可能性は少ないのではないだろうか。

そうやって、ひとしきり上条当麻のことを考えると、その思索は自分へと逆流する。



そうか、私も、そうだったのだ、と。



私と周囲との間にある、光子でも電磁波でも観察できない透明な壁。
以前はどちらが原因かわからないし、どちらでも構わないなどと達観していたが、正直に言うならば、私は、本当は寂しい。

この壁に、消えて欲しい。
でも、何が原因か、わからない。どうして壁があるのか、わからない。
そんな葛藤が意識下では続いていたのだろう。
今なら、その答えが見える。

原因はお互いにあるのだ。

周囲は、私を修行僧か人外であるかのように見た。
私は、それを否定せず、ときには助長するような姿勢をとった。

最初は僅かだった盛り上がりを、よってたかって積み上げて、その末に易々とは崩せない壁を作ってしまった。

じゃあ、どうすればよいのか。
寂しがりやの私はどうすればよいのか。

簡単だ。
私が修行僧じゃないと、人外なんかじゃないってことを示せばよい。
それは急には難しいだろう。
少なくともパンを焼くだけで氷解するとは思えない。
私と周囲の間には、4日間の何百倍の時間が流れている。
そして、私は強さや誇りを捨てることもできない。

でも、だからといって諦める必要なんてない。
私は人間なのだ。
だから、失敗もするし、悩みも、誤解もする。
常盤台のエースと呼ばれ、学年でトップの成績を記していても、贖罪のために相手のプライバシーを丸裸にすることに疑問をもたないほど、愚かで幼い。
自分で自分に言い聞かせなければ、平静を保てないほど弱い。
これを、そのまま見せればいいのだ。
多分、クラスの隣の席で澄ましているあの子だって、とんでもない失敗や弱さを持っている。

だから、きっと、笑いなんかするまい。
いや、笑いたいなら、それでもいい。
笑われても、馬鹿にされても、事実なのだからしょうがない。
そのときは、同程度の弱さをついて笑い返せばいいのだ。
きっと、それが私の求める狼の幸せなのだと思う。

今のところはこれが私の正解だ。






そんなわけでたくさん寝て、心の落ち着きも取り戻し、幾分大人になったかの錯覚を経て
この感覚を失わないうちに、「観察」プログラムを消してしまおうとPCを立ち上げた。
電話盗聴プログラムを調べると、昨日の夜中に新しい録音ファイルが作成されていた。
携帯をみれば、その旨のメールも届いていた。

ちょっと迷ったが、もう既に何回も盗聴しているのだ。
せっかく作ったプログラム。
これを聞いて、あとは自分の記憶ごと削除して終わりにしよう。
そんな軽い気持ちでファイルをダブルクリックしなければ、
多分、私は幸せに今日一日を過ごせたと思う。






聞いた後、聞かなきゃ良かったと後悔した。
動揺しすぎて、最後のほうを聞き取れなかったために、もう1度再生する必要があるが、事実を再確認するのが怖くて、マウスを操作する手が震える。
時間としては30秒もない。
上条当麻と、学園都市の研究者と思われる者の会話だった。


「私よ」

「やあ」

「体の調子は?」

「今回は大分良い。無の力も安定している。開発済みだとやはり良い」

「それは良かった。出力は?」

「大分上がってる。有効範囲が広がっている感じだ」

「先日のターゲットは?」

「手ごたえがなさ過ぎだ。命乞いする前に細胞一つ残さずに消したよ」

「無茶すると、また体壊すわよ?」

「良い。そのときは、また適当なところで調達してくれるのだろう?」

「まあね、でもほどほどに」

「ああ。では、また、明日」

「また」






相変わらず淡々とした声で。
あのとき、私を救おうとした音で。
あのとき、あの少年を助けたトーンで。
あのとき、母親にパン作りのアドバイスをもらったイントネーションで。



彼は、とてつもないお人好しであるはずの彼は、
とてつもない事実を、いつもどおりにプレーンに喋るのだった。






2度目は予想したよりは落ち着いて聞けた。
でも10回繰り返しても震えは止まらなかった。
会話から推察できる事実。
彼は、上条当麻は学園都市の暗部の人間のようだ。
彼は人体実験の被験者だ。
詳細は不明、だが能力だけではなく、物質まで消せる能力と見る必要がある。
人を、少なくとも一人、殺している。
そして、彼の体は、彼のものではない可能性が高い。
そして、彼は今の体に特にこだわりがあるわけでもない。

つまり、彼は「上条当麻」でないという可能性すらある。






嘘だ。
こんなの嘘だ。

パソコンを蒸発させて、そのまま事実が消えるなら迷わずそうしたかった。
でも、そんな子供みたいなことをする意義はない。
私は、レベル5、超電磁砲、御坂美琴だ。

子供みたいに全力をぶつけるのは、得るべき情報を調べてからにしなければ。






近くの公衆電話を転々としながら、回線の許容量いっぱいまでのめぼしい情報を研究所からダウンロードする。
情報を、集めなければ。
同時にプロテクトされたファイルを解析、復号化し、ファイル内容の検索に回す。
キーワードは、上条当麻。
右のポケットに入っている携帯電話を何度もチェックする。
今のところ、上条当麻の携帯電話は、彼の自宅に存在しているようだ。
彼自身の在宅は確認できないが、自宅付近に公衆電話はなく、在宅を確認しながらの情報確認は行えない。
そして、処理するデータは多すぎて、時間がなさ過ぎる。

彼は、今日、件の研究員と密会する。
その場所までは、携帯電話でわかるかもしれない。
しかし、話している内容はわからない。
だから、その場所に乗り込んで盗聴し、事実を確認するのがもっとも有効だ。
もちろん、録音、録画装置を持ち込み、動かぬ証拠を押さえるつもりだ。
しかし、彼は、彼らは相当やばい。
最悪ばれたときは、証拠を残さず、自分と気付かれずに逃げるくらい、それが無理なら、せめて相打ちできるくらいまで持っていかないと。
外部に情報がリークしたことが露呈すれば、末端を切り捨てて底にもぐってしまう。
だから。
なんとしても、情報を集めなければ。

もちろん、私が見ていない間に、携帯電話を部屋に置いて、密会に向かう可能性もある。
そうなったら、どこに行ったのかはわからない。
だから、あと1時間。
13時まで情報を集める。
それ以上はもう諦める。
あとは上条のマンション近くで見張りをする。
近くのマンションから能力の目で覗けば、彼自身がいるかどうかは確認できるはず。
そこで、彼の姿を捉え、あとは目を離さず、逃がさず、でも見張られてるなんて気取らせずに動きを待つ。
だからお願い、1時間は家にいて。

……昨日は外出しないことにいらいらしていたのに。なんて幸せだったのだ。畜生。






結局、私は賭けに負けた。
13時までに検索した中に、上条当麻に関する有用な情報はなかった。
あったのは、レベル0ということと、「幻想殺し」と呼ばれているということだけ。
そして、私が彼のマンションについたときには、彼の存在は見えなかった。



彼の携帯電話は、ベッドの上に置かれているようだった。












《超電磁砲9》

当たり前のように、その日は徹夜になった。
対面のマンションの踊り場から確認する限り、上条当麻は1時間後、すなわち14時あたりに部屋に戻り、その後は私が確認した午前4時までは外出しなかった。
実際に密会があったかはわからないが、あったとしたら既に終わっていたのだろう。
彼の携帯電話は、20時に母親に電話した以外は、1度も使われなかった。

午前4時から10時に掛けて、私は再び情報を集めることにした。
アイツを実力で問い詰めることもちらりと頭を掠めたが、実力で敵う保証もなく、一被験者である彼を消して全てが納まるわけもないとなると、その行為は無為だと判断した。

だから、情報を集める。
昨日同様、決して足取りを残さない、超電磁砲のやり方で。






だが、情報を守る壁は高く、厚く。程なく己の無力を悟った。
すごく昔の気がするが、時間的には数日程度に過ぎない昔。
じゃがいもか、たまねぎかを持つ後姿から、必死に情報を読み取ろうとしたあのときみたいに、ほとんど何もわからなかった。
昨日に加えて新たにわかったことと言えば、元々の彼の能力について。

彼の右手はあらゆる異能を消す。
また、異能に伴う物理量もキャンセルできる。
彼の体はかなりの強度の異能を消す。
彼を空間移動能力で飛ばすことも、心理掌握で心をつぶすことも不可能とのこと。
たった、それだけだった。

……すごいじゃない、上条当麻。
アンタ、十分強かったじゃない。






ならば、私のできることといえば、前日すごしたコンクリートの床に座り、彼の部屋から漏れ出る電磁波を余すことなく読み取り、解読すること。
そして、空隙と見える彼が外出するときなら、その行き先を必ず突き止めること。
この、2つしかなかった。



この日、彼が外出したかどうかはわからない。
なぜなら、私は21時まで粘って、それで力尽きたから。
自分の能力が使えなくなるという感覚を初めて味わった。
どうやって戻ったのかも曖昧だが、なんとかして私は寮に戻り、入り口付近で倒れこむように眠ったらしい。



この次の日は、記憶にない。丸一日寝ていたからだ。



そして、今日。
12時くらいに目が覚めて、丸一日以上寝ていたと黒子から聞かされた。
空白の時間に何かあったのではと思い、時間を戻せるわけでもないのにあのマンションに行こうとして、携帯電話が光っていることに気がついた。
送信元は自分のPC。
内容は、携帯電話の録音内容が追加されたことを示していた。

震える手でプログラムを開く。
録音は一昨日の22時。
録音時間は10秒だった



「上条だ」

「ええ」

「まずいことになった」

「そうね」

「明後日、会えるか」

「ええ」

「では、17時に」

「わかったわ」



今回は、1度聞くだけで内容が理解できたし、動揺もしなかった。
長時間の睡眠で、心の負荷が減ったのか。
それとも、明確な日時が指定されているから、覚悟が決まったからか。

「あと、5時間」

すぐに行かなければ。あのマンションに。
いまから5時間では到着できない場所で密会しているなら、手遅れだ。
間に合えばよいが。


今回は間に合った、アイツはまだ部屋にいる。
ただ、いつものアイツらしくない。
なんというか、無駄な動きが少し多い。
虚ろに削り取られるアイツの部屋の電磁波の総量が、いつもの2倍程度なのだ。
……そうか、アイツも落ち着かないんだ。
アイツも、そうなるんだ。



……私と一緒か。



私の手も、アイツの動揺が伝染したように細かく震える。
アイツは無敗のレベル0。
私にだって、表情一つ変えずに相対した。
私の電撃を、表情一つ変えずに消し去った。
私が勝てる可能性は、かなり低いと私の理性がささやく。



「怖いよ……ッ」



正直な私は、アイツによって正直者になった私は、自分の心が隠せない。
いつかのように、うつむき、自分の腕を抱きしめるように、拘束するようにきつく握る。
でも。



「怖い、怖い、怖い……ッ」



今の私はあのときと違う。
ほんの1週間程度の時間だったけど。
ほとんど背中しか見ることはできなかったけど。
ただ、単純に。それは自分の力じゃないんじゃないかっていう人も、きっとたくさんいるかもしれないけど。



「怖い…うぅ…ッッ」



そして、私のしたことはアイツに対する裏切りばっかりだったけど。
自分のしていることの悪意にすら気付かない、そんな愚かな私だったけど。



「嫌だ、嫌だよッ……」



こんなにもゆがんだ関係で。
こんなにも一方的な時間で。
こんなにも重なることができない、波打つ景色なのに。



「アイツと、戦い、たく、ないよぅ……」



私は、御坂美琴は、上条当麻と戦いたくないのだ。
どうしても、なにがあっても、その先に何が待っていても、絶対に。
アイツは私の世界を変えたのだ。
寂しいくせに、崖の上の虎を嘯いて、力しかみていなかった、私の世界を。
誰かとつながる、時間を分け合える、そんな地続きの希望に。
そんなアイツと、戦うなんて。
そんなアイツに、能力を向けるなんて。
怖くて怖くてたまらないのだ。



でも、駄目だ。
私は事実を知ってしまった。



上条は私の人生を変えたのだ。
だから、私は上条の人生を変えなきゃいけない。
独善でいい。恨まれるかもしれない。
でも、私は、私の価値観によって、アイツはこんなことを望んでいないと思う。
怖くても、怖くても、正直者な私はアイツを止めなければいけないと思う。
だから。



アイツを止める。
止まらないなら、殺してでもとめる。
殺すために能力をぶつけ合う。
私の操れる最大の力を銃身に詰め、照準を合わせ、撃鉄を起こし。



そしてその力の引き金を、殺すために引く。



殺されるのは当たり前に怖い。
でも、殺すのはそれ以上に、堪らなく、震え、震え続けるほど怖い。
けれども、それでも止めるのだ。
やるのだ、御坂美琴。



こぼれてしまった涙は元には戻らず、にもかかわらず新しい涙は結構な勢いで湧いてきて。
ぐすぐすと30分くらい顔をうずめて、小さな涙と鼻水の水溜りを作ったら。
なんだか、それで心が落ち着いてしまって、それが酷く哀しかった。
そして。
アイツも、私の力じゃなくて
私と戦うってことを怖いと思ってくれるといいな。
そう、ちゃんと正直を貫いた。






16時30分。
本当に動くのか、不安だったが、ようやく動いた。
動いてくれなかったら。
延期です、なんていわれたら。
この覚悟を溶かされたら、もう1度構築できる自信はなかった。



だから、動いてくれたことに、感謝した。



たくさん寝たからか、それとも命の危機に体が応えてくれているのか、
今日はいつもの3割増くらい電磁波がくっきり見える。
距離は10mから30mくらいの距離を、詰めたり広げたりしながら、人生最後かもしれない散歩を、私はそれなりに楽しんでいた。
上条当麻の背中を追うときは、いつも緊張、および思考と感情の暴走だった。
でも、今日は気負うものもない。
見つかったって構わない。
アイツは私がアイツのことを知っている、その事実を知らないはず。
仮に知っていても、少し時間が早まる、それだけだ。

だから、見慣れた後姿なのに。
いつもよりもぎこちなく動く足。
携帯を取り出して画面を確認するときの僅かな手の振るえ。
小さくため息をつくしぐさ。
そんなものを見つけては、なんだか立場が逆転したようで、笑いをかみ殺しながら、ゆったりと歩いていたのだ。






そんな散歩も、ようやく目的地にたどり着いたようだ。
それは、例のファーストフード店。

すごい、偶然。奇跡でも起こらないかな。

緊張感を飲み込むように、心の中でささやく。
聞こえたわけじゃないだろうに、後姿が僅かに動く。
そして。

彼が携帯電話を取り出そうとしたとき、ポケットから何かが落ちた。
携帯のストラップのようだ。
彼は、気付かず、歩き出す。
どうする、御坂美琴。






これって奇跡かな。






そうだね、きっと、奇跡だよ。












《超電磁砲10》

これって奇跡かな。






そうだね、きっと、奇跡だよ。






「ちょっと、アンタ」



ひざも肩も震えて力があまり入らなかった。
声だって、ちゃんと出るかどうかわからなかった。
でも何とか通じた。
震えていたけど、届いた。

上条当麻の体が僅かに震えて、その足が止まる。
その体に、御坂美琴は一歩ずつ近づく。



「ねえ、アンタ、聞こえてるの?」



言葉に、特に意味はない。
ただ声を掛けないと、また歩いて行ってしまいそうだったから。



「アンタのことよ、上条当麻」



少しぐらつきながら、ストラップを拾う。
言葉に反応して、彼がゆっくりと振り向く。
1度目は30秒間見つめた。
そのあとは何度も逃げ続けた瞳。
彼の目が、1週間ぶりに御坂美琴を見つめる。



「これ、お、落としたわよ」



声がうまく出ない。
渡す手だって、明らかに震えている。
肩だって、揺らいでいる。
涙だって、浮いているかもしれない。
でも、これはきっと。



きっと恐怖だけのせいじゃない。



「ああ、あ、ありがとう」


そして、受け取る手だって、僅かに震えていた。
声だって、プレーンとは言いがたかった。
それを見て、聞いて、私は笑う。



「なに、震えてん、のよ。アンタ。私が、怖いの?」

「そんな、ことは、ない」



何を言う。
その声は震えているじゃないか。
そんな、嘘つきに。
正直者の私は言う。



「あの、さ」

「……うん」

「あの、ね」

「……うん」



これは、奇跡だ。
ありえない偶然で恩師に再会することができるような。
そんな、素敵な奇跡なのだ。



「この前の、ことだけど、ありがとう」

「この、前?」

「アンタが、私を、助けて、くれ、たときのこと」



だから、声が途切れたって話さなきゃ。
言いたかったことを、伝えなきゃ。



「私、本当に、感謝して、る。私、を、助けて、くれる、人が」



涙が流れたって、伝えなきゃ。



「まだ、この世に、いるって、知らな、かった、か、ら」



そう、今こそが贖罪のとき。



「それな、のに。私、アンタに、ひどい、ことしたの」



この、素敵な恩人に、購いを与え。



「だか、ら。こん、どは、わた、しが助ける、から」



そして許しを請う。



「ごめ、んなさ、いっ」

「ほんと、にごめん、なさい」



頭をたれる。






そして、その頭ごと



「ごめん、本当に、本当に、ごめん」



御坂美琴は、上条当麻の左手で抱きしめられた。



「え…?」

「本当に、ごめん。俺は最低のことをした。御坂」

「あ、あ、の」



そんなに震える手で、しっかり抱きしめられたら、抗議の声も出せないではないか。



「悪かった。とにかく、本当にごめん」



上条当麻は謝り続ける。
左についで、右手も頭に回される。
途端に、体から能力が抜けていくのを感じる。



波紋の景色が消え、広い胸のみが見える、光の世界に支配される。



「あの、ちょっと」



しかし、たとえ能力の目を使わなかったとしても。



「ちょっと、アンタ」



これだけ冷やかしの声が聞こえれば。



「落ち着きなさいって、ねえ」



周りに人だかりができているのはよくわかる。






……違うよね、御坂美琴?
……何か間違ってるよね?






何がなんだかわからない。

でも、一つだけ、確実に予測できること。

この状況でも自分を離さず謝り続ける上条当麻が、なにか深い理由を知っているだろう、ということだった。












《超電磁砲11》(完)

南極で氷を売る。という言葉がある。

この言葉にどのような意味を見出すかは人それぞれだろうが、御坂美琴はビジネス力があれば、どんな不利な状況でも物は売れる、というビジネスマン精神の例えと捉えている。

それはつまり、プレゼンテーション力だ。

相手の要望を正しく理解したうえで、相手の求める情報を適切なタイミングで適切に出す。
その間に言葉を混ぜ込み、相手を満足させ、自分の要望を通す。

そのような観点から行けば、上条当麻は南極で氷を売れるに違いない、と私は思う。

なぜなら。

今回の一件について、私に説明したのにもかかわらず。
まだ、この世の生を謳歌しているからだ。






能力を封じたのは殺すためではなさそうだということがわかったし、ごめんなさいの連呼にも際限がなさそうだったので、御坂美琴はとりあえず上条当麻を引き剥がすことにした。

「アンタ、ちょっと離しなさい」
「あ、ああ。ごめん」

慌てたように、ばっ、と手が離される。
いきなり解放されて、御坂はバランスを崩しそうになる。

「ちょっと!」
「ごめん」

この男は、本当に上条当麻か?
まさか、入れ替わったのか?

「……もういいから、とりあえず、入るの?」
「ああ」

ともかく、この人だかりでは何もできない。聞くことも聞けない。
二人は祝福という名の冷やかしを盛大に受けつつ、いそいそと店内に入るのだった。

「あ、こっち」

適当に飲み物を買って2階に行くと、先客が席を取っていた。

「あれ?……えっと、泡浮さん?」
「こんにちは、御坂さん」

確か、黒子のクラスメイトだ。名前はあっていたようだが、なぜ上条当麻と?

上条は考える御坂の顔をちらりとうかがうと、早急に席に座るように勧める。
御坂はどんどん増えていく疑問に頭がオーバーフロー気味なので、言われるままに座る。

「まず、御坂。」
「はい」

上条当麻は既に無表情に近い顔になっている。
さっきのぐしゃぐしゃの顔はどこに行ったのだろう。
そんなことを考えていたら、いきなり佇まいをなおして切り出されたので、こちらもついつい真面目に応えてしまう。

「今回の件だが、お互いの誤解と、そして」

少し言葉を止めて

「その、お互いの悪巧み、が絡み合って事を異常に大きくしてしまったと思うんだ」

悪巧み?

「そう、悪巧み、だ」

彼の言葉はすっかりプレーンになっているように聞こえる。
でも、よくよく聞けば、実はそうでもないようにも思える。

「まず、そうだな、御坂の悪巧みについて、俺なりに推察したのだが、答え合わせをしてくれないか?
「は?」
「お前、俺に後ろ暗いことがあるだろ?」
「う…」

思わず目を逸らす。さっき謝ったではないか。また掘り返すのか?などと思ったところで、結局自分はひどいこと、としか言ってないことを思い出した。

「それについて、俺がこうかな、と想像したことがあるから、それをまず聞いてくれるか?」

後輩にばらすには、自分のしでかしたことはちょっとレベルが高すぎる。
だが、上条は自分の能力を詳しく知らないはずだ。
まあ、当てられることはなかろうから、その想像とやらを聞いてみよう。
真相については、後でこっそり上条にだけ教える、で良いだろう。
そう考え、首肯する。

では、と前置きをして、上条が話しだす。



「お前は、俺の携帯や家電話を盗聴した。多分メールも見たんだろうな。さらにお前はこの1週間、俺のことを尾行して、行動を細かく観察していた。尾行には、携帯のGPS機能を使ったのだろう。……違うか?」



さーっ…と体中の血液が足のほうに降りていくのを感じる。
口が、わなわなと震えるが、どうしてばれたのか、が全くわからない。
そんな私の反応をみて、肯定と読み取ったのか、

「当たっているみたいだな?」

と確認を取りにきた。

「はぃ…ごめんなさぃ」

もはや、これまで。常盤台での人生は終わったか。
泡浮さんの視線を受け止めることができない。
脱力した御坂は蚊が鳴くような声でしか応えられない。

「いや、謝らなくてもいいんだ」

それに対して、上条当麻はなんとおおらかな対応だろう。
自分がされたら、相手の社会的生命はもちろん、生命そのものを抹殺しかねないほどの大罪なのに。
コイツ、まさか本当に高貴な修行僧なのか?怒りの感情をどこかに捨ててしまったのか?
しかし、上条は、御坂の疑問を正しく読み取り、納得できる回答を返した。

「なぜなら、俺はそれを知って、お前を騙したんだから」

だから、お互い様なんだよ。と付ける。



え?
いま、なんて言った?
私を、騙した?



「そうだ、俺はお前を騙した。泡浮さんは、俺が無理に協力をお願いしたんだ。巻き込まれただけだから、誤解するなよ」

泡浮さんに協力?協力…協力……って!

「アンタ…まさか……!」

パリパリと音がする。確認するまでもない。能力が昂ぶって放電が始まっているのだ。
すると、

ぽん

と頭に右手が置かれる。途端に体から力が抜ける。

「周りにこれだけ客がいるんだ。お前が能力解放したら、死人が出るぞ。もし、制御できないなら、このままの状態で話す」

何だ、その右手は。ふざけるな。
ぶん、と首を振って手を振りほどくと、深呼吸を一つして上条の目をにらみつけた。
もう、放電はない。

私がとりあえず落ち着いたことを確認すると、上条は泡浮さんに合図する。
では、失礼しますとゆったり挨拶して、泡浮さんは帰っていった。
何か用事があるのか、それとも2人で話したほうが良いと考えての配慮なのか。
その優雅な姿を見送りながら、渦巻く疑問と怒りを何とか私は抑えていた。






彼女が去ったあと、一口アイスコーヒーを飲んで、上条は続ける。

「もう、わかったと思うが説明する。怪しげな学園都市の研究者っていうのは……泡浮さんだ。ちなみに、お前が盗聴した会話のシナリオを書いたのは俺だからな」

ひくっ、と眼輪筋が痙攣する。
また深呼吸を一つ。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。

「まとめると、お前のストーカー的行為にお灸をすえようとして、俺はわざと偽の情報をお前に流した。お前は自分の悪行がばれてないと考えていることを見越しての策だ。……ただし、こんなに盛大に引っかかるとは思ってなくてな。正直やりすぎた。ごめん」

「ふ、ふ、ふ、ふざけんなアアアアアアアアアアアアアア!」

「落ち着け」

「落ち着くなんて無理に決まってんでしょオオオオ!私、死ぬ覚悟だったんだよ。遺書書こうか迷ったんだぞ。だから、アンタが今ここで死ねエエエエエエエエエエ!」

「頼むから落ち着け」

「アンタを監視するために、階段で徹夜したんだぞコラアアアアアアア!!!」

「すまん、見込みが甘かった」

「何回泣いたと思ってんだテメエエエエエエエエ!」

「悪かったよ。頼む、落ち着いてくれ」

「とりあえず、その右手を離せエエエエエエエッ!」

「離したら、ここが廃墟になるだろうが」

「良いから離せエエエエエエエ!」

「良くねえよ」

「離…」

じたばた暴れて、右手から逃れようとするが、それほどの握力をこめられているわけでもないのに、どうにも手を振りほどけない。
こうなったら、噛み付いてやる、と口をあけたところで。

「御坂」

すい、と顔が近づいた。
距離は約5cmほど。
あと少しで危険水域だ。

あまりの近さに、びっくりして声がでない。
自分のすぐ目の前に、上条の目がある。その目が、真っ直ぐ自分を見ている。

「御坂、よく聞くんだ」

対する上条はいつもよりも、ゆっくりと、言葉に力をこめて話す。

「御坂、お前は、やり過ぎた。そして、俺も、やり過ぎた。そして、お互い、謝った。だから、これで手打ちだ。良いな」

喋るたびに息があごにかかる。顔に血が上っていくのがわかる。

「良いよな。御坂」
「はぃ…」

なんだこれ。ずるすぎるよ。アンタ。

顔が離れる。次いで、右手も離される。
もちろん、もう暴走するなんてことはない。
最初に会ったときのように、エネルギーが全部持ってかれてしまったようだ。
あの右手か、畜生。

「はぁ…」

ため息がこぼれてしまった。
そしたら、一緒に僅かに残った意地も、負けず嫌いも逃げてしまったようだ。
後に取り残されたのは、正直者の私のみ。

「ね、じゃあ、教えて」
「……え?ああ」

彼は、すごく驚いた顔していた。
私の急変についていけなかったのだろうか。
一週間前なら自分でも多分信じられないほど、大きく変わった私に。

「何を聞きたいんだ」
「どうして、その……盗聴に気付いたのか」
「ああ、それか。……これ、見てみろ」

差し出されたのは、アイツの携帯電話。

「ここを押すと、な」

上条がなにかの操作をすると、画面が銀色になった。
……まるで鏡のように。

「俺は、こう見えて結構敵が多いからさ。たまに、これで後ろをさりげなく見るのが習慣なんだ」
「……は?」
「お前に最初に会った、次の日、お前は俺を尾行していただろ」
「なッ…?」
「いいか、人間の視野ってな、180度より広いんだぞ。前を向いていたって、端っこにおまえが映れば、認識できる」

おまえは、結構特徴的だしな。

「で、その次の日、買い物途中で、後ろをさりげなく見ると、だ。お前が付いてきていた」
「う……」
「マンションの付近ではいなかったからな。前日にも会って、その前の日だって、3日連続だぞ。変だと思うだろ」
「……」
「お前は俺の能力に疑問を持っていた。だから追い掛け回される理由だって、俺にはあった」
「……」
「でも、変なのは、タイミングだ。この暑さで、外でずっと待ち続けるなんて無理だろう。じゃあ、どうやって俺の後ろにくっつけたのか。まあ、お前の能力が発電能力者だって事は知っていたからな、何通りか想像はできた」

これがそのうちの1つだ、と携帯のGPSマークを指差す。

「まあ、能力がらみじゃないだろうと思っていたのもある。俺は自分の体質を知っているからな」
「うん……」
「で、そこでふと思ったんだ。GPS情報が漏れているなら、携帯だってそうなんじゃないか、ってな。それで、母親に電話して、パンを作るって嘘付いた」
「は?……えェェェェェ!?」
「自宅でパンなんて作る余裕はねえよ。ていうか、そんなレンジなんて必要ないし。まあ、パンっていうのは口実で、デパートの上層で売っているものだったら、何でも良かったんだけど。」

……そういうことか、この狸。

「そういうことだ。俺の姿から、パンの伸ばし棒を買うなんて予測をする人はいない。普通なら、俺がデパートに寄ったならちょっとしたブランドの服あたりを買うのか、と思うはずだ。にもかかわらず、エレベータで俺に振り切られたお前は、真っ直ぐ8階までやってきた。母親との会話は右手で覆いながら小声で通したんだ。まず、音としてお前に拾えるはずはない。なら、どうして聞こえたんだ? 完璧ダウト、だよな」

くそぅ…。とアイツをにらみつける。
その視線を受け流して上条は言う。
順序が逆になっちゃったけど、言う言葉に続けて

「さりげなく後ろの様子を伺える、鏡面加工のビルの近くで、携帯の電源をこっそり切った。お前が少し反応するのが見えた。これで、GPSだな、って思ったよ」

あの時は、アンタにパンってのが全然似合わなくて、放心してたのよ。

「そうだったか。じゃあ、今後も使おうかな。そんな感じで、デパートを出た後、この計画を思いついたんだ。お前には電池が切れたと思い込ませなければいけなかったから、携帯の電源をオフのまま、ぶらぶらしながら協力してくれそうな人を探していた。そのとき、たまたま会ったのが泡浮さんだ。あとは、会話の内容と電話する時期を打ち合わせて、一応、暗号も決めて、お前をはめたんだ」

暗号…?

「この言葉の次に、この言葉で返したら、オフラインで会おう、という意味とかな、簡単な取り決めだ。見た目で意味が破綻しないように、なるべく狂言の内容に合わせたものを作った。例えば、今日、会おうといった電話だけど、あれの中にも入っているんだぞ」

この野郎。私がひざ抱えて泣いていたのに、暗号だと?

「お前が信じすぎてやばいっていうのは白井、泡浮経由で分かっていたからな。本当は、前回の密会にお前がやってきてくれれば、そこでネタ晴らしになるはずだった。お前が間に合わなかったのは残念だった」
「あのときは、アンタのためにめちゃめちゃ頑張っていたんだからね?」
「そうだろうな、と想像したよ。だから、本気で焦った」
「なんで?」

すると、上条は声を潜めて、ささやいた。






「お前……学園都市の裏情報を漁ったんだろう?証拠は残してないよな?」

私も、声を落として、たずね返す。

「当たり前よ…でも、何で、探すと思ったの?」
「お前にそれだけの能力があるからだ」
「答えになってない」
「お前なら、正体不明の能力者、学園都市の裏なんかに、無防備で突っ込んだりしないと確信していた」
「なぜ?」
「無防備で突っ込める性格なら、俺のことを盗聴なんてしないだろうが」

確かに。
返す言葉がない。

「これは、俺のミスだ。性格も、能力の底も、お前は俺の予想の遥か上を行っていた。だから、手打ちにするタイミングを逃して、大事になってしまった。悪かった」

謝らないでよ。

「だいたい、大筋は以上だ。何か質問はあるか?」
「4つある」
「どうぞ」
「じゃあ」

1つ、GPS以外に、監視カメラの可能性もあった、こちらはどうしてどうして否定したのか。
2つ、泡浮さんを研究者にしたけど、私にはアンタの会話の相手が泡浮さんであることを番号から察知される可能性があった、これについてはどうフォローするつもりだったのか。
3つ、なぜ、本日の密会場所にこのファーストフードを選んだのか。
4つ、最初に会ったとき、アンタは私が5分以上ナンパされていたと言い切ったが、その根拠は。

私は意識してちょっと早口で喋ってみた。どう返すか。

「では、回答しよう」

1つめ。まず、GPSの可能性があり、その次に携帯の盗聴に思い至った。俺としてはまずこの可能性を検討しようと考えたから。GPSや携帯の盗聴の可能性が否定されたなら監視カメラも検討対象になったかもしれない。
2つめ。泡浮には御坂から携帯について聞かれたら、なくしたと回答してもらうように打ち合わせ済み。
3つめ。待ち合わせ場所に人がいない公園なんかを選んだら、お前がいきなり全力で先制攻撃を仕掛けてくる可能性があったから。この通りはこの時間帯だと人通りが多く、とくにこの店は人が多い。大惨事を回避する目的でここを選んだ。
4つめ。お前のうんざりした表情と、あいつらが持っていた缶ジュースが結露していたから。

これで、よいか?

「ありがとう。大体納得したわ。アンタ、やっぱりすごいわね」
「そうでもない。ところで、俺からも1つ聞いていいか?」

なにかしら。

「最初に会ったとき、俺は電話を掛ける振りをした。何故それを見逃した?」

ああ、その話か。

「あの時は、立ち去りたいなら去ればよい、と思ったから」
「……まさか、あのとき俺が電話の振りをしなければ、お前にちゃんと対応していれば、お前は俺のことを調べ上げようなんて思わなかったのか?」
「そうかも、ね」
「はぁ……、なんか、力が抜けてくるな」
「奇遇ね。私もよ」

でも、あの時コイツを締め上げたとしたら、私は1週間前のままだったのだ。
そう思えば、結果的には良い選択だった気がする。

ん…?

「ねえ、アンタって、結構強いわよね?」
「平均的な人間の範疇では」
「私と、勝負してみない?」
「しねえよ」
「なんでよ?」
「お前が勝つから」
「わかんないじゃない」
「わかるよ」
「なんで?」
「はぁ……怒るなよ?」
「内容によるわ」
「じゃあ、言わない」
「言いなさい」

あーあ、と無敗のレベル0はわざとらしいため息をつきながら言う。

「お前は、自分が勝つまで、勝負、勝負といい続けるだろう。だから、どっちに転んでも最終的にはお前が勝つんだよ」
「つまり、アンタは私に勝てる見込みがある、といいたいわけね?」
「そうじゃない。お前の執念を相手にしたくない、と言っているんだ」
「失礼なやつね」






まあ、そんな感じで雑談が続き、会話も止まりだす。
そろそろ、帰るか?と上条は聞く。
そうね、と私は答える。

そして、私たちは、私が奇跡を起こした場所を通り過ぎて、岐路に着く。
分かれ道、私は左、アイツは右。
思えば不思議な出会いだった。
こんな1週間は、もうないだろうな、と呟くと、アイツは
なんにせよ、だ。と切り出す。

「俺とお前は大分特殊な出会い方をしているとは思うけど、俺はこの1週間、胃が痛くなったが、とても楽しかった。学園都市に来てから、一番楽しい1週間だったよ」

「だから、友達になろう。御坂」

すう、と手を差し出してきた。
私はその手を握る。

だって、私は正直者だから。

「私も、楽しかった。はげるかと思ったけど、でも学園都市に来てから、一番楽しい1週間だった」

いやみについても意趣返しだ。
友達とはそういうものだろうから。

じゃあ、と手が離れ、あいつは右の道を歩いていく。
私が馴染みになってしまった、あの道を。
そんなあいつに向かって私はポケットからコインを取り出す。
ぷらぷらしている右手に、正確に狙いをつける
ドン。

「おい」

もちろん、本気で打つわけじゃない。
時速200km程度。
でも、もし当たればそれなりに痛い速度のはず。
上条が無表情のまま、プレーンな口調で抗議してくる。
でも、背中ばかり見ていたはずなのに、いまならそこに僅かな怒りの波を見つけることができるようになっている。

「文句ばっかり言わない。あんたにプレゼントがあったの、忘れてた」

先ほど目にした、コイツの能力。
それが書かれた資料も込みで、今回入手した上条当麻のデータが全部入ったメモリを上条に投げる。
上条は、受け取ったものを見て、すぐに何であるのかわかったらしい。

「足、のこしてないか、もう一度確認しておけよ」

と年上気取りで言ってくれた。
だから、ちょっと汚い言葉で返してやろうと思ったのに

「こういうときは、女の子を家まで送るんだったよな。ごめん、忘れてた」
「忘れてた、を抜けばまだ良かったのにね」
「おっしゃるとおりだ」

……まあ、寮までの間は保留にしておこうか。






この時間を、少しでも楽しくしたほうが、きっと幸せだと私は思うから、



だからその声に正直者の私は従うのだ。



[28416] 禁書目録 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:45
《禁書目録1》

私を連れて、逃げて。

そんな台詞を軽々しく言える人は、逃げるという行為がどれだけ心をすり潰すのかを、きっと知らない。
常に、周りに気を配り、警戒し、ついに迫る追跡者を、息を潜め、命を掛けてやり過ごす。
自らを無名化するから、誰ともリンクしていない、孤独と絶望に満ちた旅。
それは、確実に地獄と呼ばれるものの一種だ。



でも、もし、どうしても逃げるしかない状況なら。

一緒に逃げてくれる人がいるなら。

それは、どれほどの救いになるだろう。






路地裏で目を覚ましたときから、私の人生は始まった。
自分の存在が如何なるものであるか、その背景知識と言語と自分に関する僅かな知識。
そして、魔道書。
それ以外の記憶は一切なかったから、ここで産まれたといってもよいだろう。
その場で発狂しなかったのは、追われていることがわかったから。
正確に言えば、力の流れ、その意図、その効力、そしてその抜け道。
それらから、その場から速やかに逃走すべきという結論が混乱した頭でも出せたから、全ての思索を中断できた。
その意味では、追っ手に感謝すべきかな、など、思うことがないわけではない。


それからは逃げながら、自分とは何か、何であったかを推察を重ね続けた。
とはいえ、自分についての知識がひどく偏っていて、それの真偽を確かめる術もないとくれば、推察の連鎖は最初の1週間も持たずに終結するのは自然だった。
それからは、心を少しずつ削り飛ばしながら逃亡する日々だった。
しかも、その逃亡は、逃げる範囲を指定されているのだから、いずれ捕まるのは目に見えていた。


逃げるうちに身に付けた知識によると、この街―学園都市―はIDが無いと、大幅に行動が制限されるらしい。
そして、IDが無いと学園都市の外にも出ることはできない。
もっとも、学園都市の外から、私の数少ない財産の一つ、歩く教会に探索魔術が掛けられているから、外に出られたとしても状況が変わるとは思えなかったが。
私に現金を下ろせるカード―キャッシュカードというらしい―があったのは、結果的には不幸だったかもしれなかった。
これが無ければ、IDも、知り合いも、自分に関する情報さえ持たない私は、逃げることを放棄できたはずだから。



そして、逃亡劇の果てに自暴自棄になった私が、この服の性能を試すような方法を選びだしたのは、きっと自殺念慮の一端に違いなかった。



でも、高圧電流も、高所からの墜落も、水没も、爆発も、超低温も。
魔術師の刃も、炎も。
私の命を奪うことはないということがわかった。

なんとすばらしい霊装なのだろう。
きっと、これは私の棺桶に違いなかった。



だから、今日、マンションの屋上から迷い無く空に踏み込んだとき。
後ろから来る魔術師が、今までよりも大きな魔力を込めて練り上げた、その攻撃に無防備な背中を誘うように晒しながら、飛んだ瞬間。






私はもはや、どちらでもよかったのだ。
生きながらえたとしても、死んだとしても。






浮遊感。
背後の爆発音。
落下。
軽い衝撃。
そして。






「……何やってんだ、お前」






ああ、そうか。
今回も生き残ったのか。












《禁書目録2》

真の絶望は、人からあらゆる行動を奪う。
思考も、動作も、言葉も。
故に、真の絶望に陥った人は死を選ぶ行動すら取れない。



ならば、私は、まだ底までは落ち切れてはいないようだった。






「……何やってんだ、お前」
「……おなかいっぱいご飯を食べさせてくれると嬉しいな」


無表情な男が、無感動の声を出す。
もう少し驚いてくれてもよいのではないか。
2フロア分くらいは落ちただろうから、ここは7階か6階。
そこのベランダに引っかかった私を見ても表情を変えないから、場違いな発言をして、反応を見る。

事実、空腹だったこともあるが。

「……わかったよ。とりあえず、上がれ」

あれ?外したか。

「……いいの?」
「お前が言い出したんだろうが。それに、駄目だといったらここから落ちるのか?」
「落ちても良いよ」
「ごめん、それは俺が困る。上がってください」

意図が正しく伝わらなかったようだが訂正はしない。
……あながち、間違っているとも言い切れないし。

ベランダによじ登ろうとすると、男が手を貸してくれた。
その瞬間、世界が閉塞するような感覚を覚えた。
なんだ、これは。

「……え?」
「ん、どうかしたか?」

思わず漏らした声に、律儀に反応するプレーンな声。
ベランダに降り立ち、手を放されると、再び開放される世界。

「……大丈夫か?」

男の疑問に首肯する。
何者だ、この男。
魔力や魔術は全く感じない。
でも、それだけじゃない。
この男とその周りにだけ、魔力の空白が存在している。

「ああ、お前も見えるんだな」

男が、確認するように問う。
私が頷くのを見て、1秒ほど静止した後、

「まあ、ともかく入れ。昼食作ってやるから」

そして、非日常的な男は非日常的な入室を促した。






「美味しかった、ごちそうさま」
「清清しいまでの食いっぷりだったな」


私の記憶の中では初となる、その手料理はかなり美味しかった。
1日以上食べてなかったことも手伝い、彼―上条当麻―が感心するくらい食べた。

「そういってもらえると嬉しいよ」
「本当だよ。感激した」

冷たい麦茶を差し出しながら、彼が言う。
ちょっと大げさだが、嘘じゃない。

「大げさなやつだな」
「本当だってば」

そういいながら、彼が対面に座る。

「では、一炊の代償として聞いてもいいか」

来た。

「お前が、なぜ7階のベランダに引っかかっていたのか」

さて、どのように答えよう。
4パターンほど展開して、一番無難そうなものを選ぶ。


「落ちたんだよ。ホントは屋上から屋上へ飛び移るつもりだったんだけど」
「……なにか深い悩みでもあったのか?」
「……そうじゃないんだよ」

嘘。
本当は、それも有った。

「そうか……、じゃあ追われていたんだな?」
「……うん」
「切羽詰ったりしなければ、屋上から飛んだりしないだろ」
「うん」
「何に、追われていたんだ?」

彼は恐らく善人なのだと感じる。
そして、私がこの部屋のベランダに引っかかったのは、ただの偶然だ。
美味しいご飯を作ってくれた、善人と信じたい彼を巻き込むことに、抵抗があった。

「え…っと」

一方で、魔力の海の中で、ぽっかり窪んだかのように見える、正体不明の能力も不安だ。
魔術師ではないと断言できるが、学園都市の能力者について、私にはよく知らない。
私の魔道書が利用されないとも、断言できない。
それに、魔術、という言葉に対して学園都市の人間がどう反応するか。
この1年でよくわかっている。

「えっと、ね。その、それは秘密なんだよ」

だから閉ざすことにした。
もう、これ以上ここにいるのは良くない、と判断する
だから、礼を言って立ち去ろうと口をあけるが、その言葉はブロックされる。

「そうか。じゃあ、ちょっと確認したいんだけど良いか?」
「え?何を?」

すっ、と立ち上がりこちらに歩いてくる。
なんだ、なにをするつもりだ?

「心配するな。たいしたことじゃねえ」

そして、私の隣に屈みこみ。
ぽん、と私のみぞおち辺りを軽く叩く。

「……?」

意図が分からない。
彼の思考をトレースしようとするが、

「ちょっと、その服の袖をまくってくれないか」
「え?」

さらに意図不明なことが増えてしまう。

「駄目か?ひじ辺りまでで十分だが」
「いや、大丈夫、だけど……」

すぅ、と立ち上がり、滑らかに机に向かう。
動きが綺麗だ、と思った。

「これ、使ってくれ」

渡されたのは、書類の束などをとめるクリップ。
受け取ってしまった以上、引けなくなってしまったので、右手の袖を折り返して、指定どおりひじ辺りで止める。

「止めたよ。どうするの?」
「おう、悪いな」

そして、彼は私の右手を握る。
また、世界が閉塞する。
ああ、そうか。
魔力の流れが見えなくなったのか。

「あの……?」
「ちょっと悪い。手をつないでいてくれないか」

僅かに、右手に力が込められる。
そして、彼は、私が飲んでいた麦茶のコップを傾け、少しだけ私の右腕に垂らす。

「ひぅっ」

予想外の行動と、その冷たさに変な声が出てしまった。
一方、彼は相変わらず無表情のまま。

「驚かせてごめん。ありがとう。大体分かった」

そういうと、右手を離し元の位置に戻った。
魔力の流れがまた見えるようになる。
しかし、駄目だ。
全く行動の意図が推察できない。
ひょっとして、からかわれたのか?

「ひょっとして、からかってる?」

不満の表情を作り問いかける。
表情を観察するが、なにも読み取ることができない。

「いや、からかったわけじゃない」
「……じゃあ、説明してほしい」

クリップを外しながら、当然の要求をする。

「いいけど、条件がある」

条件?

「これから、今の手持ちの情報で俺が推察できることをお前に聞く。もしそれが大幅に外れていないなら、お前の隠していることを教えてほしい」

駄目だ。
上条当麻は、私のとても苦手とするタイプのようだ。
思考が読めない。
奥にある意図が分からない。
真意を探ることができない。

「……いいよ」

そして、こちらからの情報を引き出そうとされているのに、好奇心が邪魔して抵抗できない。

私の答えを聞いて、上条当麻はゆっくりと言葉をきるように語る。



「まず、お前は学園都市の生徒ではない。そして、学園都市の能力とは別の、異能の力に関与している」

「例えば、お前の着ているその服は、その異能の力によるものだ」

「そして、その異能の力は、すくなくとも2つ以上の対立する組織で維持されている」

「そして、追われる理由は、お前の能力に起因することだ」

「お前の能力は、これまでの勢力バランスをひっくり返せるほどの大きな力のはずだ」

「以上だ。……違うか?」






言葉が出なかった。
思考が止まり、スタックが疑問符で埋め尽くされる。

「合っているみたいだな。よかった」

良いわけがない。
なぜだ、この男、ひょっとして魔術師なのか?
自分の表情が変わったのをみて、察したのだろう。

「俺は学園都市の人間だ。そのお前の帰属する異能の集団とも、敵対組織とも無関係だ」
「じゃあ……なぜ…わかったの?」
「ただの推察だよ。それより、約束だ。話、聞かせてくれるよな?」
「……わかった。でも、その前に、分かった理由を聞かせてほしいんだよ」

推察できる理由を聞かなければ納得できない。
自分の情報を教えることなど、できるわけがない。
再び、上条当麻は語る。

「お前は隣のマンションの屋上から、うちのマンションの俺の部屋に落ちてきた。落差は2階分くらいだからそれなりの衝撃だ。ベランダの手すりがへこんでいたのだから、それは間違いない。にもかかわらず、お前は無傷だ。だから、何らかの異能の力が働いたはず」

私の顔を見て、一呼吸おく。
理解していることを首肯で伝える。

「そして、お前は異能の力がある。俺のことが、能力の空隙に見えたのだろう?実は、学園都市の友達で、同じように俺が空隙に見えるやつがいるから、お前の態度をみてきっとそうなんだろう、と思った」
「……私には魔力は無いよ」
「魔力?」
「君の言う、異能を操る力」
「お前、俺が触ったときに見えなくならなかったのか?」
「……」
「だったら、あるんじゃないのか。何らかの力が」

確かにベランダでもしくは先ほど彼に触られたとき、魔力の流れが見えなくなった。
でも、どういう理屈だ?

「聞いてばっかりはずるいから、俺も自分の能力を明かそう。……俺は右手で触ったものは異能の力なら打ち消せるし、異能の力を発動することもできなくなるんだ」
「そんな……、そんな力が、あるの?」
「まあ、本当にどんな異能でも、っていうのは分からないがな。今、お前の目の前に存在しているよ。お前の言う魔力っていうのも打ち消せているんじゃないか?」

少し、考える。
そうか。
触られたときは、外からの魔力の流れを私の体も打ち消すようになったのか。
彼にその推察を伝えると、

「ああ、なるほど。そうかもしれない」

とあっさり肯定された。



「話を戻そう。そういうわけで、最初は俺はお前が能力者、学園都市のな、能力者だと思った。追われている理由は分からなかったけどな。ジャッジメントかアンチスキルに電話して、保護してもらおうと考えていた。……でもな、そのあと、不思議な現象を見たんだよ」

不思議な現象?

「ああ、不思議な現象だ。さっき、お前が飯を食っているときだ。お前さ、あんまり箸の使い方うまくないだろ?」

うっ……。と言葉に詰まる。
箸でよいか?と食べる前に聞かれて良いといった手前、面目ない。

「慣れてないなら、無理しなくても良かったんだぞ。まあ、とりあえず、お前、ぽろぽろ野菜のかけらとか落とすからさ、何気なく、それを見ていたんだよ。で、そろそろ指摘しないと、その白い服に染みができるな、って思ってみたらさ。……落とした汁の滴が、不自然に滑らかに服の表面を転がるのが見えたんだ」

不自然?

「ああ、不自然だ。その服は見た目は普通の布でできている。糸の織ったものであるように見える。だからその表面は凹凸があるはずなんだ。そして少しは吸水してもいいはずだ。だったら、油の上を水が転がるみたいな動きをするわけが無い。……でも、お前のことをよく見ると、口の横にソースつけていたからな。そこで、疑問が湧いた」

あわてて、口元を手でぬぐおうとする。
それを手で制止して、彼はティッシュのボックスを差し出す。
丁寧に拭いたティッシュには、確かにソースらしき染みがついていた。
早く教えてくれればよいのに、と非難の目を向ける。
同時に、この話をするときのために、あえて指摘しなかったのかもしれない、と考える。

「そんな目で見るなよ…」
「……もういいもん。それで、その疑問って?」
「お前の能力が、いろんな力を弾く能力ならベランダに落ちてきても平気だったのは納得だ。でも、服だけ弾いて、自分は弾かないなんてそんな器用なことできるのか?と思った。できるかもしれないけど、する意義もよくわからなかった。だからひょっとしたら、その服にそういう力があるのかもと思ったんだ。そうなると、それは大変だ」
「大変って?」
「学園都市では、物に能力を付与することなんてできないからな」

学園都市に、霊装に相当するものが無いことは、見聞きした経験から薄々気付いていた。

「でも、その服が見た目は布だけど非常に特殊な布で、水分をすばらしく弾く性能を持っている可能性だってある。だから、確かめようと思った」
「それが、さっきの行動なの?」
「そうだ。まず、お前のみぞおち辺りを触っただろ?」
「うん」
「触ったときの反応から、特にお前が痛がっていないことが分かった。お前はさっき、口の内側噛んで痛がっていたからな、痛がらないってことは無傷なんだろうっておもった。そして、触った感触から……すまん、ちょっとセクハラか……その、感触から、その服が見た目の通り薄い布で、しかもその下に衝撃を緩和できる何かを着込んでいるとも思えなかった。じゃあ、やはりその服に何かあるのか、と思って次の行動に出たんだ」

ああ、そういうことか。
恐ろしい男だ。
そんなことを考えているとおくびにもださずに私に対応していたのだから。

「お前に右手で触れて水をたらした。お前の能力は、俺の右手が封じているはずだ。結果、お前の右手は水を弾かず、その下にあるお前の服は水を弾いた。これでそのすばらしい撥水性はお前の能力によるものではないことがわかった。だから、その服の特殊性は学園都市では説明できないものだろう、と推察したんだ」
「……」
「学園都市以外の異能を想定する。そこにお前が帰属していると考える。なら、お前が追われる可能性は2つ考えられる。1つはその服が甚だしく重要なものである可能性。もう1つはお前の能力に起因する可能性」
「そうだね」
「では、どちらなのか。まあ、これは俺にはわからない。でも俺の感覚として、俺が貴重な服を持って逃げるなら、その服を着たりはしない。だから、服が重要だって可能性は捨てたんだ」
「うん……私も、そう思うよ」
「なら、重要なのはお前自身だ。その服は、重要なお前を守るための鎧なんだ、ということになる」

……棺桶だよ。
小さく心で呟く。

「では、何に追われているのか。お前の所属する組織が、学園都市以外では唯一無二の異能力集団であり、同胞にお前が追われている可能性も当然ある。でも、お前の服は、俺みたいに信心深くない奴にも十字教の物だってことはわかる」

「現在も起こっている十字教と他の宗教との戦争を考えると、唯一無二の異能力集団が十字教に属しているっていうのは違和感がある。なぜなら、少なくとも、2階分の落下速度でベランダに腹から激突して無傷な服を作れる異能を十字教のみがもっているとしたら、そんなの相手に戦争なんて起こさないだろうから」

「なら複数組織があって、お前が対立組織に追われている可能性が浮上する。その可能性が事実なら、お前は、追われるだけの価値があるってことだろ?」

わざとらしく、3秒ほど肩を落とし頭を垂れてみる。
そして、当然思い至る疑問を問うてみた。


「でも、今の話は、それ以外に考えられる複数の可能性を無視しているんじゃない?」

上条当麻は頷く。

「そうだな。例えば、お前の服はすばらしい撥水性をもち、かつお前は衝撃を受け流す能力をもっている可能性もある。宗派を超えて異能という力で結束した集団があるかもしれない。複数の異能集団があることと同胞に追われることは両立する。対立組織に追われているからといってお前が巨大な力を持っているとは限らない。まあ、ほかにもいろいろな解釈や推論は成り立つ。俺が話した理論構築は砂上の楼閣だってことは理解しているさ」

「でも」



そこで切って上条当麻は私を見つめる。
僅かに、微笑むような表情を見せたのは錯覚だろうか。



「でも、インデックス。お前は認めただろう?」
「……!」



そうか、私が過小評価していたのだ。
上条当麻の思考力と洞察力を。
自分の負けだ、ということがよくわかった。



「一つずつ聞いたんだ。お前の表情に。こう思うけど、正しいかって」



ぐだーっと卓袱台に突っ伏す。
今度は演技ではない。
完全にやられた。
力が抜けた。



「悪いな、インデックス。なんか、お前、切羽詰ってる感じだったから」



心配だったから、ちょっと意地悪な方法だったけど確かめたかったんだ。
そう、上条当麻は付け足した。






その言葉に、顔を上げる。
相変わらずの無表情。ほとんど動かない声のトーン。
そこからは、私の力では何かを読むことができない。
だから。

「心配、してくれたの?」

言葉で確かめるしかない。

「ああ」

短い返答。

言葉は不自由だ。
その真偽とは無関係に、言葉はつむぐことができる。
彼のようにその内側が見えない場合は、額面どおり受け取ってよいかは、ますます不確かだ。
でも。



「そっか……ありがとう」



でも、それでも、うれしい。
とても、うれしい。



あの路地裏からスタートした私の人生で、
誰かに、気遣われることなんて、ほとんどなかった。
誰かとこんなに会話したのは、初めてだ。
誰かが作ってくれたご飯を食べれるなんて、幸せだ。
自分のことを理解してくれるなんて、理解しようとしてくれるなんて、夢みたいだ。






だから、いいよね?
君を信じて、この夢みたいな時間に縋ってみても。
もう、少しだけ。












《禁書目録3》

隣の芝は青いという諺がある。
他人の持っているものや幸せは、それが自分にないという事実だけで
良いものに思えてしまう人間の心理を指した言葉だ。
路地裏で生まれ、1年弱の人生を逃げることに費やした私にとって、
この街の人々は、どこを見てもあまりにも青い、広大な庭をお持ちのようだった。

隠れるように、コンビニで買ったお弁当を食べているとき、
自分と同じ年くらいの学生たちが、友達と楽しそうに話している姿に胸を抉られた。
インターネットカフェか、野宿かで迷っているとき
子供が母親と手をつないで幸せそうに帰宅する姿に涙が出た。
もし、10万3000冊の中に、人生をやり直せる魔術が存在するなら
私はためらうことなく行使するだろう。






「じゃあ、約束だから話すね」

賭けに負けた私は、上条当麻に自分の状況をかいつまんで話す。

ほとんど記憶が無いこと。
1年間追われていること。
この服がある限り、どこにも逃げられないこと。
学園都市から出ることもできないこと。
必要悪の教会。
完全記憶能力。
自分の頭に巣食う魔道書図書館。
自分を追い続ける、2人の魔術師。

時間にして、10分程度。
上条当麻は、ときおり質問をしつつ、頷きながら聞いてくれた。
そして、全部話し終わった後、黙って頭をなでてくれた。
その、左手の温かさに、一粒だけ、涙が零れてしまった。

「私の言うこと、信じてくれる?」
「ああ」
「怖く、ない?」
「怖くねえよ」

そしたら、また一粒。
でも、これで終わり。
もう十分だ。

このマンションの入り口付近に、私を追う魔術師が一人いる。
様子を伺っているが、ここに来るのも時間の問題。
これ以上は、甘えられない。
私を知る人が、ここにいる。
私の孤独を理解してくれる人が、ここにいる。
だから、この人を巻き込むわけには、絶対にいかない。

「じゃあ……」

そろそろ、行くね。
そう言おうとしたのに、言葉が止まる。
この時間を手放したくない。
いつまでも、ここにいたい。
全てを忘れて、人生をやり直したい。
私には許されていない、垣間見えた幸せが、言葉を止めてしまう。

「じゃあ……」

もう一度、だ。
出会いがあれば、別れも必然。
今年の3月22日に酔っ払いの中年が言っていた言葉だ。
今こそ、分かれ目。

「じゃあ、もう、行くね」

私を救ってくれた、やさしい人に向かって、何とか告げることができる。
彼の目が、ほんの少しだけ細くなる。
やっと、表情の動きが分かるようになったのに。






「行かなくていい」

やさしい言葉。
こんなにやさしい言葉は、初めて聴いた。
私が完全記憶能力者で、本当に良かった。
これから先、何年たってもこの感動を、色褪せることなく再生できる。

「駄目だよ」
「駄目じゃねえ」
「行かないと」
「行かせねえ」

魔道書図書館の横に、上条図書館を作ろう。
これから先、辛いときはそこで本を読もう。

「助けてっていったら、助けてくれるの?」
「助けてやるよ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃねえよ」

本が増える。
幸せの本が。
私だけの、幸せの本。

「どうやって、助けてくれる?」
「なんとかする」
「君が思っているより、魔術は強いよ」
「大丈夫、俺も結構強いから」
「ここに、住めなくなるかもよ」
「ここは借家だ」

魔術師は、まだ、動かない。
もう少しだけ、もう少し、だけ。

「学校はどうするの?」
「お前も通えばいい。守ってやる」
「そんなの、無理だよ」
「無理じゃねえ」
「IDが無いよ」
「作ればいい」
「自分の年も、分からないよ」
「じゃあ、14歳だ。それでいいだろ」
「誕生日も、分からないよ」
「じゃあ、今日が、お前の誕生日だ」

迷い無く、流れるように返す言葉に、心が満たされていく。
この言葉が、本当なら、どれだけ良いだろう。
でも、駄目だ。時間切れだ。
魔術師が、ルーンを展開しだした。
あと20分もすれば、ここに来るだろう。

「ありがとう、本当に嬉しかった」
「過去形にするな」
「もう、行かないと」

ふぅ、と上条当麻はため息をつく。

「わかってるよ。魔術師が来ているんだろう?」

流石だね。

「そうだよ、ありがとう。本当に」

戻らなければ。あの、地獄に。
玄関に向かおうとする私の肩を、彼の左手が止める。
その手を、そっとつかんで、離す。
振り返って、微笑む。
せめて、最後は笑顔で。

「ここから先は、地獄」
「あなたの想像を超えた、本当の地獄なの」
「……私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?」

彼の目が、閉じられる。
肩を落として、ため息を一つ。






「案内くらいは、してくれるんだよな?」
「え……?」
「地獄」

笑顔が、固まる。

「とりあえず、証明してやるよ」

……何を?

「地獄につれてっても、大丈夫だってことを」






6回チャイムを押し、1分間待ったところでステイル=マグヌスは魔術を発動させた。
7階の一室、ここに彼女がいることは分かっている。
ゴッ…と音がして炎が生まれ、錠前が溶かされる。
ドアノブをひねって開けようとするが、チェーンに阻まれる。
舌打ちをして、手を振るう。
飴細工のように溶けるチェーンを、2つにちぎる。

すると、部屋からあわてて男が出てきた。

「何やってんだ、テメエ。アンチスキルを呼ぶぞ!」

見たところ、16、7か。
声の威勢は良いが、腰が引けている。

「手荒なまねをしてすまないが、どうしても中に入る必要があってね」

言いながら、土足で室内に踏み込む。

「ちょっ…お前、待てよ、おい」
「アレは、どこだ?」
「アレ、だ。この部屋にいるはずだ。さっさと出したまえ」
「何だよ、アレって」
「女の子だ、匿っているんだろう。早く出したまえ」

おびえた男に、静かに告げる。
一歩、踏み出すと、男は、一歩下がる。
腰が引けている。

「早く」
「ああ、ああ、あ、そうか、アンタか。わかった。ちょっと待て」

男は震えながら部屋に走りこむ。
ふん、全く情けない。

「ほらよ……最初から言えよ。びっくりして死ぬかと思ったぜ」

男が左手で投げてよこしたのは、見まがうことなき歩く教会。
まさか……。

「さっき、変なちびっこい女がベランダにいてさ」
「あとで人が来るから、これを渡して金をもらえって。それで俺の服を着て」

「どこだ。どこへ行った?」

皆まで言わせず、男の襟首をつかんで、壁に叩きつける。
男は、苦しそうに顔をゆがめながら

「知るかよ、知らねえよ!」

身を捩って振りほどきつつ、叫ぶ。

「くそっ……」

早く探さなければ。
歩く教会が無ければ、何かあったらあの子が死ぬことになる。
翻り、帰ろうとするところを呼び止められる。

「おい、待てよ。金、払えよ。ドアも壊しただろ。アンチスキル呼ぶぞ」

くそ、時間が無いのに。
イライラと、ポケットに手を入れて、財布を取りだす。
紙幣を30枚くらい取り出して、床に叩きつける。

「ほら、これで十分だろ」

男が、床に散らばった紙幣をざっと見て、顔を上げる。
表情が一変して、無表情に変わる。






「まいどあり」

驚いたところに鳩尾に右手を叩き込まれ、ステイルはあっさり意識を失った。












《禁書目録4》

実況見分には、そんなに時間はかからなかった。
当事者の片方は学園都市のIDも指紋もDNA型も登録されていない不法侵入者で、自宅を破損された被害者はとても金属を溶かす能力などないレベル0。
状況から、被害者の正当防衛はほぼ明らかだし、彼は自分の学校の生徒。
人助けマニアとまで呼ばれる善意の塊であることはよく知っている。
もはや、詰所に呼ぶまでも無かった。
あとは、加害者が目を覚ましたあと事情を聞けばよいだろう。
アンチスキルの黄泉川愛穂はそう結論付け、上条の肩を叩いて帰っていった。






ふぅ、とため息をついてバスルームに声を掛ける。

「インデックス、もう良いぞ」

かちゃり、とドアが開き、だぼだぼの服をきた銀髪碧眼少女がふるふると震えながら出てくる。

「……とうま、怖いよ」
「怖かったか、もう大丈夫だぞ」
「違うよ……。怖いのは、とうまだよ」
「俺か、そっか、ごめんな」

頭を撫でられたって怖いものは怖い。
人は変わるものだというけれど。
こんなに変われるのを目の当たりにすれば、人間不信コースまっしぐらだ。

「ほら、32万も置いていったよ、あいつ」
「詐欺師」
「まあ、ドアも直さなきゃだしな。差し引き15万くらいか」
「詐欺師」
「詐欺師で結構」

非難と不信を目に込めて投擲するが、上条当麻はどこ吹く風だ。

「それに、実力行使に出たのはあちらが先だ。正当防衛だろ」

新装開店したばかりの上条当麻幸せ図書館なのに、
どこかに偽、という言葉を早速追加しなければならないかも知れない。

「それだって、分かっていたのに」
「ああ、分かっていたよ。でも、挑発したわけじゃないから、セーフだ」

相手の魔術師の特徴、得意とする魔術を教えたのが魔術師の来る10分前。
すると、彼は目を10秒くらい閉じて思案した後、この作戦を立てたのだ。
そして、PCを立ち上げ、何かを調べ、その後誰かに電話した。

「まあ、読み通り魔術師はアンチスキルに逮捕された。金も手に入った。喜べよ」

すなわち、魔術師を騙して、倒す作戦。

「違う、魔術師をアンチスキルに逮捕・投獄させる作戦だ」

アンチスキルとは、この街の警察的組織だ。
学園都市の最新科学による武器、防具を持ち、犯罪能力者を制圧できる軍事力を持つ。
そんなプロフェッショナルな人達の力を借りようというのが、彼の作戦だった。

「これだけ明らかな犯罪行為を行ったんだ。しばらく出てこれないだろ」

あれだけ強い魔術師が、あっさり1人倒された。
追跡者が、1人になった。
まだ、信じられない。
でも。

「なんだか人間不信になりそうなんだよ」

しばらく引きずりそう、という私に、

「まあ、これなら地獄の鬼だって騙せるだろ?」

彼は僅かに口角を上げて応えた。






幾多の誤解と勘違いとすれ違いの末に友人となった上条当麻から電話を受けた御坂美琴は、指定された通りの格好と物を持って上条家を訪れた。
目的が分からなかったので聞いてみたが、時間が無いからあとで、と教えてくれなかった。
ともあれ、何度も能力で覗き見て、隅々まで知っているが、部屋に訪れるのは初めてだ。
ついでに言えば、男の子の家に入るのだって初めてだったりする。
なんだかんだで、少し緊張しつつエレベータを降りると。

「なによ、これ……?」

上条家のドアには、熱で溶かされたような穴があった。
人助けのたびに恨みだって買っているアイツのことだ。
能力者に襲われたのか。
そう判断して、御坂美琴はあわててドアを開ける。
すると、そこには。

「なによ、コレ……?」

明らかに日本人ではない少女がいた。
急に、緊張感がイライラに置換される。

「おう、御坂。ごめんな、いきなりで」

そのイライラは、この部屋の主を見た途端、1.5倍くらいに跳ね上がった。






ビリビリと機嫌の悪い御坂美琴をなだめつつ、上条当麻は持ってきた荷物を出すように促す。
膨れっ面で差し出した大型の空のバッグ2つを上条当麻は受け取ると、片方に丸めてあった新聞紙を詰め込む。
意味不明の行動をとる上条に、少し不安そうな銀髪少女。

「もう少し待ってくれ。ちゃんと説明する」

そう先回りで言われてしまえば、御坂はもう聞くことはできない。
一見、意味不明、でも実はちゃんと意味ある行動に、1週間で何度も騙されたのだ。
コレだって、何か意味があるに違いない、と思えば、いろいろと想像する楽しみだってあるのではないか。
そんな前向きな方向で考えをまとめようとしたが。

「じゃあ、インデックス、これに入れ」

ビクッとなる少女に向かって、もう一つのバッグを広げて淡々と放つ言葉に、そんなのどかな思考は一瞬で混沌に落とされた。






今は夏季休暇期間である。
人口の8割が学生である学園都市だから、街全体がバケーションの空気に包まれている。
これから遊びに行くと思われる学生はたくさんいるし、海外旅行に行ってきたのか、タグつきの大きな荷物を転がしている人もちらほらいる。
だから、外から見れば、きっとこれから旅行に行く恋人同士に見えるに違いない。



その実態は、人攫いに近いのだが。



「アンタ、重くない?」
「それは女性に失礼だろ」
「あ、そうだね。ごめん」
「それより、インデックス。近くにいないか」


バッグに詰められた少女に淡々と語りかける上条当麻。
透視能力者が見たら、手馴れた誘拐犯にしか見えないだろう。
そう指摘したら、右手で持っているから大丈夫だと、当たり前のように返してきた。
相変わらず、可愛くない。

「私の感知できる範囲ではいないよ」
「そっか、御坂は、どうだ」
「こちらも、尾行されている様子は確認できないわ」

どうやら、バッグに詰められた少女は何者かに追われているらしい。
そっと隣の表情を伺うが、特にあせった様子は無い。
表情に乏しいこの男も、リミットを越えれば動揺が顔に出ることを、御坂はこの目で見ている。
だから、事態はまだ許容範囲なのだと分かって、少し安心した。






そんなこんなで、恋人風誘拐犯達は電車に乗り、学園都市の外れにあるホテルにチェックインする運びとなった。
部屋はばらばらで、上条が2階、御坂は最上階だ。
そして、最上階の御坂の部屋に入り、念のためと盗聴装置が無いことを確認してようやく少女は解放された。

「大丈夫か、インデックス」
「少しふらふらするけど、大丈夫なんだよ」

そういいつつ、自分の入ってきたバッグに足を引っ掛けて転びそうになったところを上条が捕まえる。
それを見て、御坂の眉がかすかに動く。

「さて、話してくれるわよね?この状況に対する、納得いく説明を」
「イライラしてるな…少し、疲れたか?」
「イライラしてない。いいから、説明」

ぼん、っとベッドに腰掛け、腕を組んで説明を求める。

「わかったよ。ちょっと長くなるし、信じられないかもしれないけど」
「だったら、信じられるように喋りなさい」
「OK。だから、機嫌直せ」
「だから、イライラしてないってば」

そして、上条当麻はインデックスの背景と襲ってきた魔術師のこと、そして襲ってくるかも知れない魔術師のことを話す。
御坂は、最初は信じられない、といった感じだったが、真顔で話し続ける上条と表情を曇らせる少女を見て冗談ではないことを悟ったらしい。

「確認だけどさ、これ、あのときみたいなドッキリじゃないわよね?」
「もう、あんな真似は二度としない」
「マジなのね」
「マジだ」

うはー、といいながら、御坂はベッドに仰向けになる。
スカートがめくれて、中身が見える。

「おい、見えてるぞ」
「平気よ。短パンだもん」
「短パンがめくれている、という意味で言ったのだが」

瞬間、ものすごい勢いで起き上がり、すそを押さえる。

「冗談だ」
「……ア、ン、タ、ね!」
「でも、きわどかった」
「くッ……もういい、死ね、エロス」
「なんだよ、エロスって」

赤い顔をしながら、上条を3秒ほどにらみつけるが、ふぅ、とため息をついて、真顔に戻る。

「で、これからどうするわけ?」
「そうだな、お前に借りを作りたい」
「借り?」
「そう、借り」

そういいながら、上条は隣に座るインデックスを少しだけ見た。そして、

「お前が家に来る前に調べたんだがな。ここから、20kmくらい離れたところに、イギリス清教の教会があるんだ。そこに行きたい」
「教会って……まさか」
「そう、学園都市の外にある、教会だ」
「ああ……そういうことね。借りって」
「悪い。……頼めるか?」
「まあ、ここまで聞いたんだから、ね」
「ありがとう。大丈夫だよな?」
「大丈夫よ。痕跡なんて、かけらも残さないわ」

つまり、学園都市のデータバンクに侵入して、インデックスのIDを偽造してほしい、というわけだ。
ついでに、上条とインデックスの外出許可も。
そこで、ふと、気がつく。

「アンタさ。もし、私が嫌だっていったら、どうしたわけ?」
「そうだな、お願いしますって、もう一回頼んだかな」
「それでも嫌だって言ったら?」

そう聞くと、彼はほんの少しだけ微笑んで。

「お前は、事情を話せば、絶対にそんなこと言わないと信じていた」
「……そうみたいね。私が協力する前提だったみたいだし」


ホテルの電話回線からサーバーに侵入しつつ、私は苦笑しながら応えた。












《禁書目録5》

最初の1ヶ月は、本屋に行くことが多かった、とインデックスは記憶する。
あまりにも少ない自分の常識や一般知識を補う手段を本に求めたのは、なるほど図書館を名乗るに相応しい。
逃亡しながら隙を見て店に飛び込み、10分くらいでなるべく多くの本に目を通す。
店を出る直前、完全記憶によって本のタイトルのindexを更新し、次の店で読む本を決める。
そして28日後、能力開発の基本が終わり各論に手を出そうかどうか、迷ったとき。
平積みされている一冊の童話集に目が留まった。
40秒ほどでスキャンされたその本の内容は、今でも強く印象付けられている。
人間の想像力とは、かくも豊かなものなのか。
これを思い描ける人物は、どれほどの才能を持っていたのか。
御伽噺の主人公に匹敵する呪いを受ける身でありながら、
そのハッピーエンドが全く描けない自分には童話作家は向いていないことが寂しかった。






5分ほどで私のIDと外出許可証を偽造した後、上条当麻と御坂美琴は夕食を買うため部屋を出た。
1人残されると、急に空間が広がったような錯覚を覚える。
慣れているはずなのに、視覚が孤独を訴えることが辛いから、目を閉じて、横になる。
この半日を頭の中で再生する。



4時12分に、正規の3倍の料金を払って泊まった粗末なホテルから忍び出た。
10時18分に、バスと電車を乗り継ぎ、第7学区まで来た。
11時50分に、交通量の激しい道路に飛び出して、車に撥ね飛ばされながらも逃げた。
13時3分に、上条当麻のマンションに落下した。
13時20分に、人生初の手作り料理を食べた。
14時1分に、服を着替えてバスルームに身を潜めた。
14時43分に、御坂美琴とはじめて出会った。
15時10分に、電車に無賃乗車した。
15時13分に、生まれて初めて誰かの腕の中で眠った。
17時19分に、2時間半ぶりに光を見た。
17時25分に、学園都市の住人になった。完全に諦めていた教会に、行ける事になった。



なんて内容の充実した一日だったのだろう。
なんて非日常な一日だったのだろう。
なんて幸せな一日だったのだろう。

詐欺師だけども優しい上条当麻と、少し怖いけど温かい御坂美琴に出会えた奇跡に感謝する。
同時に、私という災いが彼らの人生を焼くかもしれない可能性に、ジクリと心が刺される。

この一日で、十分なのではないか。
ここで、そっと出て行くべきなのではないか。
あんなに眩しい人達を、私の呪いが害したとしたら。
私はもう、死ぬことすら赦されない。






心の中で、揺らぎができる。
深く、冷たく、早く、激しく。

期待、諦め、希望、絶望、光、闇。
交じり合い、退けあい、やがてそれは渦になる。



でも、と思う自分もいる。

救おうとする意思を無下にすることは、非礼なのではないか。

ひょっとしたら、と思う自分もいる。

あの二人なら、もしかしたら、私を救ってくれるのでは。

やっぱり、と思う自分もいる。

期待したって、自分を深く知れば、あの二人だってきっと離れていくよ。

どうせ、と思う自分もいる。

何をしたって、私の枷は外れることなどないのだ。



心の渦は広まるばかり。
私を飲み込み、強く、優しくすり潰していく。






ホテルのロビーで、先ほど作ったばかりのID(正確には紛失時の仮ID)と外出届をプリントしたあと、御坂美琴は上条当麻をロビーのソファーに促した。
もうここまでで十分だから、帰ったほうが良いと言う馬鹿に物申すためである。

「アンタね、何のために私は部屋を取ったのよ?」

聞かなくても理由は分かるが、一応、聞いてみる。

「俺の部屋はダミーだ。魔術師が知ってるとしたら、俺の名前だろうからな」

彼が部屋に置いたのは、赤外線を使った防犯装置。
前を何かが通り過ぎると、指定した番号にメールが飛ぶ、学園都市ではありふれたものだ。
それを見つかりにくそうな物陰に設置していたから、あの部屋を使わないつもりであることは分かっていた。

「この件は大分危ない気がする。だから、帰れ」

なにをいうのだ。レベル0のくせに。

「だったらアンタ一人じゃもっと危ないじゃない。なんで頼らないのよ」
「俺が勝手に助けると決めたからだ。巻き込めねえよ」
「アンタも分からない人ね。勝率を下げる必要は無いでしょ、っていってんの。それとも私がいても役に立たないと言いたいわけ?」
「そんなことはねえよ。でも、危険だ」
「あっそ。じゃあ、アンタの外出許可、取り消しちゃおうかな」
「……頼むよ」

モノトーンな口調だが、僅かに真剣味を感じる気がする。
なんだか平行線になりそうなので、話題を変えようと、先ほど感じた違和感を口に出す。

「話は変わるけどさ、さっきのアンタの、インデックスの話だけど」

ちらりと上条の目線が動く。
盗聴はない、と教える。

「あの話なんだけど、なんか、違和感があるのよね」
「信じられないか?」
「いや、あの子が言っていることは本当だと思う。少なくとも、あの子の中では」

言外に込めた意味に、彼は頷く。

「やっぱり気付いたか。なら、俺が危険だって意味も当然分かるんだろう?」
「まあ、ね」
「お前、優しいな」
「えっ?」
「あの場でそれを口にしなかった、お前は優しいよ」

優しい、なんていわれたのは何年ぶりだろう。
思わず、少しだけ頬が赤らむのを感じる。

「ごまかすな。でもアンタも分かっているなら、私の力が役立つと思わないの?」
「もちろん思うさ。ただ、相手が学園都市だけならともかく」

彼は、勿体をつけるように一瞬、言葉を切って。

「魔術については俺はよくわからない。魔術を扱う集団についてはほとんど情報が無い。お前の力がどの程度通用するかもわからない。お前を守れるかどうか、自信が無い」

などと殊勝なことを言う。
やはり、コイツとは一度勝負で白黒つけたほうが良いようだ。
自分のほうが強いとでも思っているのか。

「アンタ。守ってほしいなんて、私は頼んでないわよ」
「そうだな、ごめん」

まあそう言ってもらえて、全然嬉しくない、というわけでもないが。

「あのさ、教会に行って分かるかな」
「行ってみないとなんとも。まあ、勝率は3割も無いだろうな」

言葉を省略しても、答えで理解を共通していることを知る。

「その程度だって思っているんだ。じゃあ、割に合わないんじゃない」
「割?」
「リスクと、ベネフィット」

しかし、これだけが分からない。
上条はかなりの合理主義者だと考えている。
なら、何故そのような選択を取るのか。

「ああ、それか。それはな、少し偉そうな言い方をすると、心のケア、かな」
「心のケア?」
「そうだ」

インデックスは、学園都市外の教会から、イギリスにあるイギリス清教本部に取り次いでもらえば、しかるべき対応を取ってもらえると信じている。
でも、私と上条は、その可能性は低いのではないかと考えているのだ。
それでも行く理由が、心のケア、とは。

「インデックスはさ、きっと誰かが自分を助けてくれるなんて、信じられないと思う。今だって、俺たちのことを完全に味方だなんて思ってないよ、きっと。……当たり前だよな。生まれてから、逃げることしか知らなかったんだから」
「……そうだね」
「だから、自分が誰かに信じてもらえるってことも信頼できないと思うんだ。誰も信じられないなら、相手が自分を信じるなんて思わないだろう?」



言わんとすることが、やっとわかった。
やっぱりコイツは馬鹿だ。



「だから、俺はあいつを信じてあいつの希望をかなえてやりたいんだ。結果うまくいかなくても、信じてくれたってことは無駄にはならないはずだから」



誰かを信じる。そして誰かが信じてくれる。
その連鎖によって、人は孤独から救済される。
その連鎖によって、人は誰かと心を共有できる。
私が、コイツに、教えてもらったこと。
この馬鹿みたいにお人好しな、上条当麻に教えてもらったことだ。



「そうだね。私も、そう思う。意味は、あるよね」
「そう言ってもらえると、心強いよ」

僅かに微笑む、救いの手。
ああ、全く。
そんな顔をされたら、ますます帰るわけには行かなくなってしまうではないか。

「じゃあ、私も行く。私だって信じてほしいから」

そのあと夕飯を探しながらも上条は何度も帰れと言ってきたが、全て鮮やかに無視してホテルの部屋に戻ってきた。






そして、私は、インデックスがどれほどの地獄を生きてきたのかを、目撃することになる。






ひょっとしたら、お風呂上りかもしれない。
ひょっとしたら、おなかを出して寝ているかもしれない。
だから、アンタは許可を出すまで、廊下で待機しなさい。


ドアを開けようとする不届き者の襟をつかんで世の道理を教えると私は先に部屋に入ることにした。
部屋を出るとき、大分疲れている感じだったから、寝ているかもな、と思い、静かにドアを開ける。
部屋に入ると、案の定、ベッドの上で、丸まるように眠る少女の姿を確認。

人形みたいという比喩は好きではないが、そのとき私は正にそうだと思った。

さらさらと零れる銀の髪。
透き通る、白い肌。
小さく握り締められた手のひら。
僅かに上下する胸。

こんな細い女の子を追い掛け回すなど同情の余地など欠片も無い。
魔術だかなんだか知らないが、超電磁砲の錆にしてくれる。
そんなことを考えて一歩近づいた、そのとき。



バン、っと音が鳴った。

寝ていたはずの少女が、いきなり飛び上がった音だ。

射抜くような目線をこちらに向けながら、左手を伸ばしてベッドサイドの足の長い照明をつかむ。

バキリ、と何かが折れる音にも構わず、槍のように私に向けて構える。

先ほど穏やかだったのが嘘のような、荒い、あえぐような呼吸が漏れる。

なんだ、と上条があわてて入ってくる。

増えた侵入者に、厳しい目線が向けられて。



「あ……」

少女の手から力が抜けて、がしゃんと音を立てて照明が落ちた。

「あ……あ……」

また、小さく呻き声が落ちた。






それは、もう一人の魔術師に私たちが出会う、14時間前の話。












《禁書目録6》

泣きながら謝るインデックスを抱きしめると、不自然なくらい全身の筋肉が強張った。
大丈夫だよ、といいながら頭を撫でると、少しずつ緊張は解けていった。
そして緊張が解けても、しばらく嗚咽は止まらなかった。
目線を隣に立つアイツに移すと、珍しくその顔からはっきりと怒りを読むことができた。

泣き止んだ後、放心状態にあるインデックスと一緒にお風呂に入った。
入っている間インデックスは一言も喋らなかったけれど、頭にシャンプーをかけて洗ってあげると、もう2粒だけ涙をこぼした。
お風呂から上がると、学習した上条が部屋のドアをノックしてきたので入室を許可した。
照明が新しいものに変わっていたから、きっと彼がホテルに対応したのだろうと思った。
その後、もそもそと3人でご飯を食べている最中に、インデックスがぽつりと

「ごめんね」

と呟いた。
私はとっさになんて答えればよいかわからなかったのに、隣に座った上条が

「気にするな」

と短く返したのが少し悔しかった。

そして、凍りついた空気も手伝ってか、明日もあることだからとその日はすぐに寝ることになった。






そして、また朝が訪れる。

学園都市のゲートでは、IDと外出許可証の提示が求められる。
ゲートの係員は、登録情報と外出者の一致を確認し、通行の可否を決定する。
ゲート付近の道路には各種センサが張られていて、こっそり通るなどは不可能だ。
もちろん、車の中までスキャンされており、隠れて通行しようとしても逮捕される。
簡素な見た目からは想像できないくらい高いセキュリティを誇る学園都市の門だが、前提とする情報自体を操れるレベル5にとってはフリーパスと等しい。

「通ってよし」

タクシーがゲートから離れると、インデックスと上条が少しため息をついた。
厚くて高い特殊コンクリートの外は、30年前の世界が広がっている。
御坂と上条にとっては馴染みのある風景だが、インデックスは初めての光景が珍しいのか、1時間弱の旅の間、ずっと外を見ていた。

6時15分に、タクシーは目的とする教会に到着した。
普通の大きさはこの場にいる誰にも分からないが、50人程度が入れる礼拝堂に、事務を行う部屋が2つ、来客を迎える部屋が1つからなる施設である。
この教会は24時間来客を受け付けてくれるようなので、好意に甘えて早朝に訪問したのだ。
聖ジョージ大聖堂の必要悪の協会に取り次いでもらえるよう事務所の者に依頼すると、上条たちは来客室に通され、そこで待つように指示された。

「大丈夫か、インデックス」

さっきからずっと俯いている少女に、上条が話しかける。

「いま、連絡してくれる。聖ジョージ大聖堂は相当大きな教会だから、きっと夜でも対応してくれるさ」

上条の言葉に、小さく銀色が頷く。
部屋に置かれた振り子時計の鐘が、6時半を告げた。






少し落ち着かない気分なのか、先ほどから時計ばかり見ている、と御坂美琴は考える。
あれから1時間。現地時間ではもう深夜だ。
そろそろ動かないとまずいのではないか。
隣の上条をそっとひじでつつき、外に出るように目で合図する。
時計の鐘が再び一度鳴るのと同時に、二人は部屋の外に出た。

「どう、思う?」
「まだ、不定だ」
「そんな悠長なこと言ってていいの?」
「通信は傍受しているんだろう?」
「しているわ。今のところ、イギリスへ電話もメールもしていない」
「なるほどな。じゃあ、魔術なんだろうな」
「何もせずに、待たせる理由も無いしね。どうする?」
「そうだな。ここまできたら、相手の態度を見よう」
「仕掛けてきたら?」
「そのリスクは少ないと思うが、とりあえず倒せるところまで倒して、あとは学園都市まで逃げよう」
「……アンタは、結局どれだと思う?」



私が昨日感じた、インデックスの話の違和感、疑問点。

何故、学園都市の外からインデックスを監視している魔術師が多いのに、
彼女を襲う魔術師は2人のみなのか。

ここから推察できることは、恐らく学園都市は中に入れる魔術師を選んでいる。そして、彼女を襲う魔術師は、学園都市と通じている。もちろん、学園都市の少なくとも上層部は魔術を認識しているということだ。

学園都市が魔術師のセレクションをかける理由は不明だ。
しかし、一般に特権とは少数が持つからこそ、その価値がある。
さらに、公式には魔術などという存在について、学園都市は認めていない。
ならば、街に入ることを許されている組織は、それほど多いとは考えにくい。
多いほど、情報が漏洩しやすい。敵対する組織も多いと聞く魔術組織なら、街の中で衝突し、存在が露呈する可能性も高まる。

以上から、学園都市で活動できる魔術組織は少数であろう、ということが推測される。

これを足がかりに考察を進めると、インデックスを追跡する魔術師が所属する組織と、彼女が所属する組織が異なる可能性と、実は同じ可能性を考える必要があるが、それぞれに説明が難しいところがあるのだ。

異なる組織なら、彼女が追われる理由は納得しやすい反面、何故彼女が1年にわたり
味方組織の援助無く孤軍奮闘しているのかがわからない。

同じ組織ならその逆で、一人で逃げている理由は分かるが、追われ続ける理由は分からない。

昨日、夕食を買いながら、上条にそのことを聞いてみた。
そしたら、上条は、それらの可能性を認めた上で、もう一つの恐ろしい可能性を追加してきたのだ。

「インデックスは、学園都市を滅ぼしに来たのかもしれない」

息を呑み、立ち止まる私に、いつものように、淡々と語る。

「インデックスの話を聞くと、魔術と超能力はその原理原則は違えど引き起こす現象はオーバーラップするところが多い。そして大事なことは、どちらも現在の科学技術を超える力を使えるということだ」

「どんな軍力も無効化できるが、互いに勝てるかどうか分からない人間が、2つの組織に属しているとする」

「1つは学園都市のようなごく狭い地域に集中して居住している。もう1つは世界中に分散している。当然だが、互いに相手の存在は疎ましい。相手がいなくなれば、世界を事実上手中に入れたようなものだから。では、どちらのほうが攻撃を受けやすい?」

「インデックスの言葉を信じるならば、彼女の中には世界のどんな理も捻じ曲げるだけの魔術を扱う知識がある。ただ、それを行使する力、魔力がない、といっているが、それは俺達にはわからない」

「学園都市と、魔術師の一部が結託しているのは事実だろうから。もし彼女がその魔術師達と対する組織にいるなら、学園都市側の魔術師が討伐しようとしているとも見ることができる」

でも。
でも、そんなのって。

「もっとも、可能性はかなり低いと思っている。1年間も滅ぼすのを待つ意義が無い。俺たちに自分の秘密を打ち明ける必要も無い。あの悲しみが嘘であるとはとても思えない」

「実際は、これまで上げた可能性の複数が重なっているのかもしれないし、俺たちの知らない情報を元に、全然想像外の真実があるのかもしれない」

ごめんな、ひどい想像をして。俺にも、本当のところはよくわからないんだ。
そう、言った後、

「ともかく、追跡者からすれば、もしくは学園都市からすれば、インデックスが学園都市の外に出て教会に助けを求めることができる、このこと自体が想定外の事象なはずだ。だから、絶対に何かのアクションを起こしてくるはず。そこからなにか重要なヒントを拾えればよいと思っている」






私も同じことを考えていた。
まず、動かなければ、これ以上の情報は得られない。

そう思ってここに来たのに、待たされると不安と苛立ちが募ってくる。

「ねえ、どうだと思う?」
「まあ、焦るなよ。手がかりが得られる可能性のほうが少ないんだから」
「そうだけど。もしこのまま待ちぼうけだったらどうする?」
「そうだなあ……。お前にパスポートの偽造をお願いすることになるかな」
「……直接、行くの?」
「それしかないよな」
「アンタ、そんなことばっかりしてると、いつか死ぬわよ?」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない!」

思わず声を上げてしまった。
なんでそんなに、ほいほいと危険に突っ込んでいくのだ。
なぜ、そんなに誰かのために自分を投げ出せるのだ。

「声が大きいぞ。……そうだな、じゃあこうしよう。あと1時間たったら諦めて帰ろう」
「帰してくれるかな?」
「帰るんだよ。これからタクシー会社に連絡して、1時間後にさっき通ったレストランまで来てもらうように手配する。時間になったら、振り切ってでもそこまで行こう」
「そうね、わかっ」

た、と言おうとしたところで能力の目が異常を捕らえた。
何かが、異常な速度でこちらに向かってくる。
姿形は人間だが、明らかに生身の人間の速度を超えている。
部屋から、インデックスが青い顔をして飛び出てくる。
上条が察して、呟く。

「そっか、来たのか」






そして、教会の外に出たところで、私達は魔術師、神裂火織と対面した。












《禁書目録7》

少なくとも、時速200kmは出ていた、と御坂美琴は確信する。
目の前の魔術師の姿からはとても想像つかないが、その速度を維持してここまで来たのだ。
瞬間的に出せる速度はその2倍以上は堅い。
さらに、刀を使った攻撃は音速に達するらしい。

自分の反応速度から逆算し、能力の目で反応が間に合うラインで足を止める。
手をつないでいたインデックスも、歩みを止める。
ポケットからコインを出し、能力で空中に浮かせる。
攻撃されたら、全力で電撃を放ち、それで駄目なら超電磁砲を打ち込むしかない。



だが、上条当麻は止まらない。
2歩ほど、前へ。まるで盾になるかのように。



「神裂火織と申します……できれば、もう一つの名は語りたくないのですが」
「上条当麻だ。インデックスを追う魔術師だな?」
「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」
「魔法名、とは?」
「魔術を使い、戦いを行うために名乗る名前、ですよ」
「かっこいいな。ところで、神裂。戦う前にいくつか質問したいのだが、駄目か?」
「……回答可能なものなら」
「そっか。ありがとう」

上条の言葉を聞いて、御坂は息を呑む。
内容にではない。
声に込められた力、有無を言わせない静かな迫力を感じたからだ。
何かの覚悟を持って臨んでいるということが直感で分かった。

「1つ目の質問だ。お前はイギリス清教、必要悪の教会に所属しているな?」

神裂火織の目が驚きに開かれる。

「……ええ。何故そう思ったのですか?」
「勘、だ」
「答えになっていません」
「学園都市と結びついている魔術組織は、イギリス清教だけだからだ」

後ろで聞いていたインデックスは、自分の追っ手が同胞であることなどどうでもよかった。
上条当麻が、あの魔術師の射程内にいる。
人間では回避不可能な、あの攻撃。
それなのに、彼はあの魔術師から情報を引き出そうとしているのだ。
昨日、私を引っ掛けたのと同じ方法で。

対する神裂は、ますます驚きを隠せない。

「正直、驚きました。あなたは一体何者ですか?」
「学園都市の能力者。幻想殺しと呼ばれている」
「幻想殺し……」

学園都市に1年ほど住む神裂には、それが意味することが分かったらしい。
目の前にいる男が、未知の能力を有することに、僅かにガードが固めたことに御坂は気がついた。

「では、あなたの後ろにいる女性は?」
「ああ、彼女は学園都市のレベル5。第3位だ」

神裂の体に緊張が走る。
そこに、上条は続ける。

「彼女の能力の一部を教えるが、彼女は電流を操ることができる。雷以上の電流だ。そして」

上条は、そこで息を止める。

「彼女はお前の動きを眼ではなく能力で見ることができる。お前が音速で彼女に迫ったとしても、彼女がインデックスを炭にするほうが早い。……言っていることはわかるか?」
「……脅迫ですね。でも、後ろの彼女にそのようなことはできるのでしょうか?」
「できるさ。……それに。」
「それに?」
「インデックスは、人生に絶望している。お前たちに1年も追い掛け回されてな」

神裂の顔に苦いものが浮かぶ。
御坂は動けない。
インデックスも動けない。

「インデックスは、昨日俺たちに殺してほしいと頼んできた。自殺はできないからと。もう限界だからって、泣いて頼んできた。だからここでお前に連れ去られるくらいなら」

上条当麻はゆっくりと、神裂の心に楔を打つように語る。

「ここで死ぬことは本望だろう。だから彼女はためらわないさ。もちろん、俺だってそのつもりだ。彼女がやれないなら、俺がやる」
「させるとでも?」
「できるさ。お前は俺たちの能力を知らない。そして、俺たちはお前の能力を知っている」
「……私の全能力を知っていると?」
「その刀を使った居合いが、お前の最速の攻撃だ。その速度でも反応できる距離に二人はいる。その攻撃を少なくとも1度だったら俺は止められる。……試してみるか?」
「……」

表情はなんとか悠然を保てているだろうか。
心理戦のプレッシャに押しつぶされそうになりながら、御坂は神裂の目を睨む。



10秒ほど沈黙が続く。
御坂の、インデックスの背中を嫌な汗が流れる。
そして。



「……なにが、望みなのですか?」

神裂が引いた。
上条は、答える。

「真実を知りたい。なぜ、お前たちがインデックスを苦しめたのか。その真実を」

神裂は一つ、小さくため息をついた。
そして。

「わかりました。教えましょう。でも……できれば、その子のいないところで話したいのですが」

僅かな間をあけて、上条が答えようとする。が、

「嫌だよ。私も知りたい」

答えを遮り、インデックスが言う。

「ですが……」
「私は知りたい」
「……貴方にとって、知ることは残酷かもしれませんよ?」
「それでもいいッ!」
「でも」
「いいのッ!知りたい!」






私、自分が誰なのか、わからないの。

何故生まれたのか、何をしてきたのかわからないの。

だから、知りたい。

どうしても、真実が知りたい。

たとえ、それが何であっても。

知った先に、何があっても。






泣きながら、独白する姿に心が動かされたのか。
結局、神裂火織はこの場でインデックスの真実を語りだした。












《禁書目録8》

去年の12月。
街中にイルミネーションが急速に増えてきた理由が、聖なる御子の生誕日に託けた
商業戦線であることを知ったとき、インデックスは僅かに憤りを感じたと記憶する。
信仰心も無く、その教義すら知らないのに、その御名をかざし、商売をする。
彼の人を讃える歌が、薄汚いCMのごとく垂れ流される。
そして、それに乗せられてはしゃぐ、軽薄そうな学生達。
ふっ、と侮蔑の笑みを浮かべたところで、ふと気がつく。



では、私はなんだ?



人の目を盗むように、今日の食事を貪り食う自分。
軽薄という言葉で誤魔化しながら、そこにある幸せに嫉妬する自分。
自分の運命を呪い、憤る、穏やかから程遠い自分。
この手詰まりな状況を打ち破る手段を探すことを怠り、ただ日々流されるように逃げる自分。



なんだ。
大罪のうち、4つも満たしているじゃないか。



それ以前に、禁書に穢された自分こそが、最も祝う資格がない存在なのではないか。
振りかざした正論は、何十倍にもなって自己の存在理由を危ぶませて。
光り輝くツリーから思わず目を逸らし、インデックスは薄暗い路地裏に逃げ込んだ。






魔術師と対面する直前。
出入り口まで走りながら、上条当麻が話した言葉を御坂美琴は思い出す。

これから勝負してみようと思う。
だから、約束してくれ。
もし少しでもやばいって思ったら、俺はなんとかするから2人で逃げろ。

どのようになんとかするつもりなのか、を聞くことはできなかった。
そこに非常に強い意志を感じたから、疑問を挟むことが躊躇われた。

なんとか、なるのか。

今も続く上条当麻と神裂火織の精神戦に、御坂はそっと唾を飲み込んだ。






「では、お話しましょう」

神裂火織は語る。
彼女が知る、インデックスの真実を。



インデックスには、完全記憶能力がある。
彼女の脳の85%は魔道書の記憶のために使われている。
残りの15%は、日々積算されるゴミ記憶達によって、あっという間に埋め尽くされる。
脳が許容量を超えると、彼女は死んでしまう。
限界が近づくと、予兆となる強烈な頭痛が現れる。
症状が現れ記憶の消去が必要なのは、きっかり一年周期。
消去は我々が魔術によって行う。
そして彼女が今回の限界を迎えるまで、あと3日。



インデックスが握る力が強くなる。
だから御坂も、より強く握り返す。
なんだ、その話は。
この女、本気で言っているのか?

「何度だ。何度、記憶を消した?」

上条当麻の問いに、4度ですよ、と答える。

しかし、御坂美琴は知る。
目の前の魔術師の肩が震えている。
手が、きつく握り締められている。
口元だって、ゆがんでいる。

ああ、この女は本気なのだ。
本気でそう信じて、多分憎からず思っていたインデックスの記憶を消したんだ。

……なんて、哀れなのだろう。インデックスは。
こんな馬鹿野郎に、記憶を消されたのか。
余りのやるせなさに、つい言葉が漏れてしまう。

「さっきからなに馬鹿な話をしてるのよ」
「馬鹿、とは。どういう意味ですか?」

魔術師の目が細くなるが、構わない。

「全部よ。全部。人間の脳のキャパを馬鹿にしてるの?そんなもんで溢れるわけないでしょうが。そもそも、完全記憶能力者なんて、珍しいけどそれなりの人数いるし、ちゃんと元気に生きてるんだけど」
「な……?」
「それに仮に溢れたとして、記憶や意識が混濁したりするならともかく、頭痛ってなによ。記憶力と関係ないじゃない」
「そんな……」
「大体、脳の容量はシナプスネットワークの組み換えで常に変わってるのよ。85%なんて、何で使用量が固定されるのよ」
「それは、知りませんが……でもそんな、そんなの嘘です!」

嘘です…、ともう一度呟く魔術師にさらに証拠を突きつけようとして、上条がすっと伸ばした左手に制された。

「御坂、説明してくれてありがとう。だがな、神裂は脳科学には縁が薄いようだ。お前の説明を聞いても多分理解は難しいだろう。それに」

すこし、間を置く。
御坂にはだんだん分かってきた。
この間によって相手の思考のベクトルを誘導する、そのやり口が。

「聞くところによると、魔道書はただの情報以上の力を持っているようだ。だから、一概に脳の使用量の多さを量るのは難しいかもしれない」

はじかれるように魔術師の顔が上がる。

そうだ。
私達のやってきたことは正しかったはずだ。
彼女を救うために、あれだけ苦しんで行った行為が間違っているはずが無い。



だから目の前に垂らされた、細い蜘蛛の糸にしがみつく。



「なあ、神裂。完全記憶者というのは、人ごみを眺めていても、白い壁を見ていても、脳の使用量は変わらない。これは納得できるか?」
「ええ。全てを絵として記憶する彼女にとっては、どちらも変わりません」
「他の5感についてもそうだ。入力がない状態も含めて、彼女はそのまま記憶する。だから音が無くても、味が無くても変わらずに脳を使う。これもわかるな?」
「ええ」

語りかける言葉に応える声。
ゴミ記憶さえ、インデックスは忘れることができない。
先ほど彼女自身が言った言葉だ。
それに同調する言葉を放つ上条に、青ざめた顔が力を取り戻す。

「ところで、そんな忙しいインデックスの脳だが、一日である特定の時間は記憶を休める時間があるんだ。それがいつかわかるか?」
「……寝ている間、ですか?」
「そうだ。寝ている間は、お前も体験しているように、5感からの入力はなくなる。だから、脳もゴミ記憶を記録する必要はない」

御坂は、上条が何を言うのか、何をするつもりなのか正しく了解した。

「さっきお前は、4回インデックスの記憶を消した、といったな」
「……ええ」
「つまり4年前の段階で、インデックスは今と同様に魔道書を記憶していたってことだよな」
「その通りです」
「4年前って、インデックスは今みたいにお前らから逃げていたのか?」
「……まさか。彼女は教会の寮に住み、幼いながら立派にシスターをしていました」
「そうか。では聞くが」



糸を手繰り寄せ、自己の行為から逃れようとする罪人。



その糸に、鋏を入れる。



「逃亡生活で満足な睡眠を取れてない今年と、幼子が教会に保護されてすごした4年前。……睡眠時間は同じだと、思うか?」



登った分の高さを加速度に変えて、より強く、底に叩きつける。



「今年のほうが明らかに少ないよな。じゃあなぜ、まだ症状が出ないんだ?」



理解可能、かつ決定的な矛盾を突きつけ、屈服させる。



「分かるよな、俺の言ってること。記憶量が飽和したから症状が出るわけじゃないってこと。……つまりお前達の信じてきたことは、完全に出鱈目だったってことが」






どさっ、と音を立て、魔術師は顔を覆って跪いた。
その姿に一瞥を落とし、上条はプレーンに言葉を続ける。


「神裂。ありがとう。おかげで、お前らイギリス清教の上層部の意図も分かった。インデックスを縛っているものも理解した。もう十分だから俺達はこれで帰るよ」
「帰るって…そんなこと、許しません」
「なぜ許されないんだ?お前達の役割は、インデックスの頭にある魔道書を守ることだろう?」
「そ、それは……」
「だからインデックス本人がどうなろうと、別に良いんだろう」



よくはありません。
私達は、親友だったのです。
だから。



小さく、呟く魔術師。



「なにが親友だ。記憶を消すってことは人生を消すことだ。お前は、4回インデックスを殺したんだよ。……親友なんて、よく言える」
「……なにも。なにも、知らないくせにッ!」
「ああ、知らないよ。そしてこれからも知る必要は無い。なぜなら」

「なぜならお前は自分の記憶を消し、地獄の1年間を過ごさせた、憎い憎い敵として
インデックスに記憶されるからだ。永遠にな」

自己を糾弾する言葉の鋭さと、それが意味するところに、神裂の怒りが混乱に変換される。

「どういう、意味、です?」
「俺達は確信したんだ。お前ら魔術師の力なんて無くても、学園都市なら、インデックスを救えるってことに」
「救う?」
「記憶を消さなければ死んでしまう、そんなふざけた仕組みを壊せる、と言ったんだよ」
「な、何を、言ってるのですか?」
「まだわからないのか?……お前の上司の仕組んだこと、だよ」
「……!」

わざとらしくため息をつく上条をみて、御坂美琴は考える。
既に勝敗は決している。
上条は、何をしようとしているのか。

「インデックスの記憶を消さなければいけないのは、イギリス清教の上層部が、そのような魔術をかけたからだ。なぜそのような魔術をかけたのか。理由は言うまでもないよな?」
「……なぜ、ですか?」

対する魔術師は思考停止状態に陥っているらしい。
いや、彼に停止するよう追い込まれたのか。
……ここから、どうするつもりだ?

「簡単だろ。1年分しか記憶が無ければ、余計な知恵はつかない。反抗も難しい。それは、巨大な力を持つインデックスにつけた首輪に決まってるだろうが」
「う……」
「だが俺達はインデックスを救うと約束した。リスクがあっても救おう、っていう意思だってある。」

言外に、お前にはそれがないと棘を刺す。

「そして多少難しいが、救える見込みだってある。もう自称親友の裏切り者には用は無い」
「うぅ……」
「時間が無いんだ、もう良いからどいてくれ。そしてもうインデックスの前に姿を現さないでくれ」
「……」
「お前の姿は、もう二度と見たくないものとして記憶され続けるのだから」






さあ行こう、と上条は私達に声をかける。
一歩、一歩、跪き、俯く魔術師に近づいていく。
インデックスは、御坂と手をつなぎながら、警戒しつつそろりと歩き出す。
ついにその脇を通り過ぎ、少しずつ遠ざかる。
そして。

「待ってくださいッ!」

後ろから、叫ぶような声。
振り返れば、魔術師が立ち上がりこちらを見ている。
流れる涙を隠さずに、真っ直ぐ射抜くような視線を向けている。
視線の力に、私は思わず身がすくむのを感じる。
御坂がぎゅっと手を握り締める。

「まだ、何か用か?」

上条が、再び私達の前に出る。
魔術師の視線が、遮られる。

「私も、私にも、手伝わせてください!」
「必要ない」

魔術師が、一歩こちらに進む。
体に緊張が走る。

「お願いです、手伝わせてください」
「やめておけよ。怖い上司に叱られるぞ?」

もう一歩、こちらに進む。
おもわず、一歩退く。

「私だって、救いたいのですッ!できるなら、私だって、その子の役に立ちたいのです…!」
「何をいまさら」






やれやれ、と上条が両手を上げる。
そして、魔術師に背を向けて歩き出す。
その表情が、見える。



口角を上げ、私達に笑いかける。
隣で御坂が、あっ、と息を呑む。



「お願いです……、お願い、です……ッ」
「くどいぞ」



言葉とは裏腹の、会心の笑み。
口笛でも聞こえてきそうだ。
なんてことをするのだ、この男は。



「待って……お願い……」



上条の歩みが止まる。
さあフィナーレですよ、とでも言わん限りの
綺麗なウインクを私達に見せる。
そして。



「聞く相手は、俺じゃないだろ」

魔術師に振り向きながら、答える。

「お前が許しを求めるのは、俺じゃなくて他にいるだろ?」

きっと瞬時に表情は無表情に変わったに違いない。
平たいトーンの声で、魔術師の背中をぽんと押す。






目も見えず、思索も乱され、おろおろと崖に立たされている魔術師が
抵抗できる道理など、どこにもない。
聡い詐欺師が望むままに、転がり落ちていく様が見えるようだった。






「お願いです、インデックス!私にも、私にも、助けさせてください!」



こうして心を絡め取られた魔術師の力を借りて、私達は私にかけられた呪いを
解く運びとなったのである。












《禁書目録9》

5月3日。
ゴールデンウイークと呼ばれる長期休暇の1日をインデックスは記憶する。
あの日は、それまでで一番ついていない日だった。
魔術師はいつまでも振り切れず、2日程食事も睡眠も取れていなかった。
疲れはピークになり、注意力が散漫に成っていたのだろう。
走りながら後ろを振り返り、前を見たときには間に合わなかった。
看板作製に使っていた塗料を突っかけて、盛大に転んだ。
気が利かない歩く教会は、塗料を有害と判断しなかった。
結果、私の顔や手は、私の目よりも濃いグリーンで染められることになった。


湧き上がる嘲笑。


見れば、学園都市の学生だった。
大きな荷物を持ち、これから旅行に行くのだろうか。
いかにも人生を謳歌しています、という顔をした女生徒の集団が、指を指して笑っていた。


不思議と、殺意は湧かなかった。
ただただ、自分が哀れで涙が出た。
自分が渇望し、ついに手に入らないものを持つ彼らの笑い声を背中に受けながら、私は再び逃げ出した。
遠くへ。
少しでも、遠くへ。






教会の一室を借りて、インデックスは椅子に座る。
私にかけられた呪いを探す儀式が行われる。



「お前ができることが1つある」

協力してもらっている立場のはずなのに、お情けで協力させてやっているかのような口調で上条当麻は語る。
それが第三者から見て明白であっても、気付いていない者にとっては真実となる。
精神的に全面降伏し贖罪の徒となった神裂火織にとって、上条当麻は場を支配する超越者に見えるに違いなかった。

「……なにをすればよいのでしょう?」
「インデックスにかけられた呪いは2種類ある」
「2種類?」
「1つは、記憶を1年周期で消さなければ死に至る呪いだ」
「……もう一つは?」
「考えてみろ」
「……魔術のプロである禁書目録に、自身にかけた呪いを察知できなくなる呪いですね」
「そうだ。だから、お前に少なくとも後者の呪いを探してほしい」
「探してどうするのです?解ける方法が見つからないかも知れませんよ?」
「見つかれば、解ける。俺の能力で」
「貴方の能力。幻想殺し、ですか」
「そうだ。だから探してくれ」

上条の言葉に首肯すると、神裂は私の体の表面に手を這わせた。
2分くらい探るような手をしたが、結局分からなかったらしい。
困った顔をする神裂に、私は助言をすることにする。

「探索術式を魔方陣で強化して、精度を上げれば見つかるかも」
「使用する魔方陣は?」
「東洋占術の亜系統を応用した魔方陣なら、ここの地脈を利用できる。私が書くよ」

魔力を持たない私が魔方陣を形成するためには、何らかの方法で床などに記す必要がある。
それを察して、神裂がこの部屋を借りたのだ。
古いがよく磨かれた木製の床に、マジックで魔方陣を書き始める。
流れるように手が動き、20分ほどで魔方陣が完成する。

「こういうのを見ると、いかにも魔術っぽいわね」

魔術など初めてみるはずの御坂の言葉に、少しだけ微笑む。
私が抱えている緊張や不安を、慰めようとしてくれる気遣いに感謝する。

「そうだな。デザインも良いな。これが終わったらこの柄のTシャツでも作ろうか」

合いの手を上条が入れる。
この二人は1週間程度の付き合いなのに、妙にシンクロしている気がする。
2ヶ月前に流し見た新聞の広告欄を再生する。
若い女性向けの雑誌の見出しに乗っていた、フィーリング、という言葉。
この2人の間に流れているものを指すのだろうか。
私と誰かの間にも、いつか何かが交流されるのだろうか。






「では、はじめます」

魔方陣の中心に、神裂と並び立つ。
書かれた神秘文字が光り、地脈から力を吸い上げる。
ぼんやりと青白い光が場を満たす。
初めて見るはずなのに、通いなれた道のように感じる、この既視感。
10万3000冊の示すところに従い、起こるべくして、起こった現象。
自分が、魔道書図書館であることを改めて知る。

「目を閉じて、魔力を受け入れてください」

体の中を通り抜ける術式。
大きく掴み取られるような、小さく抉られるような奇妙な圧覚。
道行く人々に、一斉に見つめられるような、居心地の悪い触覚。
平衡感覚が麻痺するような、波間に揺蕩い、ゆれる視覚。
それらを受け入れ、動きに合わせるようなイメージを作る。
体の中を流れる血が、空気になったようだ。
周りと混じりあい、溶け合い、私の境界が揺らぎだす。
私は、私を見る。


「もう少しです。がんばってください」

Index-Librorum-Prohibitorum。
あるいは、dedicatus545。
そう、呼称される人格を編む毛糸が、少しずつ、解けていく。
アルファから、オメガへ。
再び、オメガから、アルファへ。
自ら喰らいて永遠に成ったウロボロスのように、
気付けば私は円になる。






「……デックス。大丈夫ですか?インデックス?」

はっと意識を取り戻した。
魔術を過剰に受け入れすぎたようだ。
危うく、自我が分解されるところだった。

「大丈夫」

私の様子に、神裂の顔に罪悪感がにじむ。
自我を手放して、魔術に流されるほどに、私の生きる意欲が弱まっていることに気付いたのだ。

「みつかりました」

私の後ろに立つ上条に、視線を逃がしながら、彼女はそう呟いた。






1つの呪いは喉の奥に、もう1つは後頭部の地肌に、それぞれ刻まれているようだった。
自分にかけられた呪いのために、呪いの相互作用を認識することができない。
片方を解くことで、もう片方に影響する可能性があることを告げると、上条当麻は、

「なら、頭からいこう」

と即断した。理由を聞けば、

「俺が触れていれば、魔術は多分発動しない。頭を触りながらそのまま手をずらして口の中の呪いを解けばよい。逆だと、口の中に手を突っ込まれている時間が長くて苦しいだろ?」

とのことだった。






そして私は上条の前に立つ。
呪いなんてものに縛られていると知ってから1時間もたっていないのにこれからそれを破れるかもしれないのだ。
記憶が奪われ続けると宣告されたのに、それが取りやめになるかもしれないのだ。
あまりの急展開に精神がついて行けず、体がふらついているような気がする。

一方、上条は特に躊躇う様子も勿体つける素振りも無く。
彼は私の頭の後ろに手を回した。探るように動かすと。

パキン。

と軽い音を立てて、術式が壊れるのが認識できた。






壊れた。





私の檻が、一つ。






歯が、カチカチと音を立てる。
瘧が起こったように、体が震えて、ひざが笑う。
何かを急に実感して、それが何かも分からずに、感情の激流に流されそうになる。

ぶるぶると震える私の頭を、上条は頬までなぞるように右手を動かし、今度は左手を後頭部に添える。
私の記憶を永遠にできる手が、すぐそこにある。
私を救ってくれる人の顔が、見上げれば、すぐそこにある。
私の地獄を一緒に逃げてくれる人の目が、私を真っ直ぐ見ている。
歯の根は相変わらず合わない。
体はガクガクとわななく。
いつの間にか、頬を滴が伝っている。



あまりの、身に余る、この幸せに。



「そんなに俺の顔が怖いか?」



上条当麻は私のために微笑む。
僅かだが、確かな微笑。
手のひらから伝わる、温かさ。
彼の命。



「怖く、な、いよ」



ガチガチといいながら、舌をかみながらちゃんと返す。
自分の声が、嗚咽のように聞こえる。
これだけ涙が零れるのだ。
これだけ唇から声が漏れるのだ。
ような、なんてつける必要なんてどこにもない。



「大丈夫だ、インデックス」



Index。
私にとって、忌むべき名前。
私は、私としてではなく、私の記憶としてのみ意味を持つのだ。
そう、宣告するがごとき、私を意味する商品コード。
それなのに。
なぜ彼に呼ばれると、こんなにも優しく響くのだろう。



「あり、がとう」



ありがとう。
その言葉を作り出した、その心を。
そして、その言葉では伝えきれない、その心を。
教えてくれた、深く、優しい、大切な詐欺師へ。



「気が早い奴だな。まだ終わってねえよ」



あーん、と彼が口をあける。
無理やり笑顔を作ろうとして、失敗しながら、私も口をあける。
さて、虫歯はあるかな。
そんな冗談にすら、心の波紋が幾重にも広がる。
そして、すぅと右手が差し込まれて。






衝撃とともに、私の意識を吹き飛ばされた。












《禁書目録10》

6月19日、子供から逃げられた日をインデックスは記憶する。
梅雨の雨の日。天候不順で魔術師が追跡しないということも無く、傘も差さずに、泥を跳ね上げながら、ひたすらに走った。
歩く教会は雨をはじいてくれるものの、顔を伝う雨が胸元に流れて酷く気持ち悪かった。

そしてたどり着いた公園。
雨の中、小さな男の子がぽつんとたたずんでいた。
遠目からでも泣いていることが分かった。
つい、自分の姿を重ねて、話しかけたのが失敗だった。
声をかけて振り向いた瞬間、体がすくむのが目に焼きついた。
なんと言えばよいのか、迷っているうちに子供は走り去った。



……当たり前か。



雨のなか、傘も差さずに立つ私は、幽鬼のように映っただろう。
いっそ、幽鬼の如く煙る雨の中に溶けられれば、この泣き顔も少しは格好がついたかもしれない。






バキン、という音とともに、上条当麻が3 mほど後ろに飛ばされるのを御坂美琴は見た。
インデックスの体は、傀儡のようにゆっくりと不自然に空中に浮かぶ。
その両目が赤く光りだす。
電磁の海に、原因不明の波が生まれる。

やばい、と思ったときには既に吹き飛ばされていた。
磁力でブレーキをかけつつ、体勢を立て直す。
上条はそのままの位置にいる。右手が異能を打ち消したのだろう。

「警告、第三章第二節。禁書目録の首輪、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗」

抑揚の無い声が反響する。

「首輪の自己再生は不可能、現状、10万3000冊の書庫の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

「神裂、なにがおこった?」
「こんな!魔力が、あの子に魔力があるなんて」

「防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の特定魔術を組み上げます」

上条に対する回答を聞く限り、あの魔術師も想定していない現象が起こったらしい。
しかし、朗々と語る内容から、意図するところは明白だ。
だから。

「ごめん」

心で謝り、電撃を飛ばす。
気絶するだけですむようにアンペアを調整した電撃は、彼女の1 m程手前で、突然はじき返される。
非連続な波の変化に、御坂は驚愕する。

「警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。現状、最も難度の高い敵兵、上条当麻の破壊を最優先します」

まずい、まずい、まずいッ。
インデックスの周りの電磁場が出鱈目な歪みを示す。

上条はこんなときなのに、何故か惚けた表情で、インデックスをじっと見ている。

「アンタ!まずいよッ、何か来る!」

「侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。」

電磁波が収束していく。
マクスウェル方程式を完全に無視した正体不明の定数群が、
いくつも現出しているのが見える。

ああ、これが、魔術。
超電磁砲なら止められるのか?
本当に、私で止められるのか?

「アンタ!しっかりしなさいッ!」

「これより特定魔術、聖ジョージの聖域を」






すると、出し抜けに上条当麻は動いた。

右手を突き出し滑るように動く。
彼に伴い、正体不明の定数群も消えていく。
そして、あっという間にインデックスに肉薄し、その額に右手が触れる。
何かが割れる音とともに、インデックスの体から力が抜ける。

そのまま彼は左手で彼女を抱きかかえる。
そして彼女の口をあけると、再び右手を差し入れて。

今度こそ、インデックスを縛る呪いから彼女を解放した。






「なに余裕ぶっこいてるのよ!」

一発、頬を張ってやった。
いつも抜け目なく、おかしいくらいに頭が回るのに。
よりにもよって、なぜこのタイミングで抜けるのか、と御坂は思う。
本当に危なかったのだ。
なにが起こるかはわからなかったが、起こってしまったら洒落にならなかったと
確信できた。

「アンタ、わかってるの?死んだかもしれないのよ?」
「……ごめん」

答える声が、なんだか弱弱しい。
視線が、落ち着かなく、揺れている気がする。

「なんか、あったの?」
「いや、そういうわけじゃないんだ」

まさかインデックスのことで、何かとんでもないことを見つけたのか。
私の表情がさっと変わることに気付いたらしい。

「そういうことじゃ、ない。インデックスも、魔術も、関係ない。ごめん、本当にボケてた。言い訳はまったくできない」

目を伏せて、腕の中で眠るインデックスにも、ごめん、と呟く。

「……なんでよ?」
「理由は、ない」

嘘だ。と直観的に判断する。

「ごめん、本当に」

……つくなら、もっと上手くつけ。

「ごめん、心配かけた」

……当たり前だ。死ぬかと思った。

「怖かったよな。ごめん」






……アンタのことよ。馬鹿。






追加で御坂に胸をたたかれた後、上条当麻は神裂火織に尋ねる。
今後のインデックスの処遇について。
神裂は突然始まり、突然終わったインデックスの暴走に呆気に取られていたようだが、質問の内容を正しく理解し、しばらく考えた後、上層部と掛け合うと回答した。
さらに、決して、その子が不幸になるような結果にはしません、とも明言した。
それに対して上条は、呪いは自分が偶然解いたということにしておくよう、神裂に依頼した。
彼女は意図を量りかねているようだったが、そのことも約束し、去っていった。

そして、姫君は相変わらず眠り続けたままだ。
先ほどから無言が続き、ちょっと重苦しくなった空気を払おうと、
御坂美琴は聞いてみる。

「これからさ、この子、どうなるかな?」
「きっと、学園都市に居続けると思うよ」
「なぜ?」
「こいつは、人質だから」

イギリス清教が学園都市と密通するために、担保として差し出した虎の子。
それがインデックスだと推察されるから、上条当麻は答える。

「どうして、そう思う?」
「神裂との会話で、イギリス清教が学園都市とつながる唯一の魔術集団だと、わかった。そして、インデックスは、イギリス清教以外の魔術集団にも認識されている貴重な人材だ。そんなこいつは、1年間、学園都市に居た。それが意味する可能性のなかで、人質が一番自然だからな」
「……言いたくないけど、破壊神の路線は?」
「まだ消しきれないけど。でも、インデックスが目を覚ませば、はっきりするよ」
「どうして?」
「……そのために、神裂に協力させたんだからな」
「……?」
「俺は、インデックスには何かの枷、つまり呪いがかけられているだろう、と実は思っていた」

さらっと、とんでもないことを言い出す。

「でも、こいつは魔道書図書館と呼ばれる存在だ。にもかかわらず、気付かないって事は、呪いの中には、自分がかけられた呪いに気付けない呪いが必ず入っていると思った」
「なるほどね」
「でも、俺達には呪いはわからない。インデックスは知ることができない。だったら、誰かに聞くしかないだろ?」
「……じゃあ、あんたが言っていた勝負っていうのは」
「そうだ。あいつに呪いを見つけさせることができるかどうか、ってことだ。あいつと話してみて、心理的にあいつにインデックスに対する負い目を負わせ、恩を売ることができるかどうかも加わったけど。」

どうやら、いつもの調子を取り戻したらしい。
少し安心して、問い返す。
どういうこと?

「あいつは強力な魔術師だ。真面目に戦ったら、勝てなかったと思う。でも、あいつは隙だらけだった。私は、インデックスと戦いたくありません、ってそんな雰囲気を振りまいてた。だからその心理に付け込んでここで楔を打っておけば、後で役立つだろうと思ったんだ」
「役立つって……」
「役立つ、だよ。俺はあいつ等を許したわけじゃない。許せるわけ無いじゃないか」

だって、こいつをあそこまで追い詰めたんだぞ。
そう言う上条の目が、少し険しくなるのを見つける。
なんだか表情が豊かになってきてないか。
それとも、私が気付くようになったのか。

「……そうね。あんな奴ら、せいぜい利用し尽くして、使えなくなったら蒸発させればいいのよ」
「……俺は、そこまでは言ってないぞ」
「アンタ、いきなりいい子にならないでよ。ずるい」
「そうだな。悪い」
「全く。で、盲目になる呪いが解けると、どうなるわけ?」

彼は、少しだけ迷うようなそぶりを見せる。

「きっと神裂は、あの探索術式で見つけることができなかったんだと思う」
「何を?」
「コイツにかけられた、他の呪い」

他の呪い?
なんだ、それは。

「俺がもしイギリス清教の上層部なら。そしてこいつに呪いをかけて、死ぬか記憶を消すかを
選ぶことを強制できる人間なら。きっと、こう思うだろう」



ひょっとしたら、何かの弾みで逆らうかもしれない。
――だったら、命令どおりにいつでも動かせる呪いをかけよう。


ひょっとしたら、誰かにさらわれるかもしれない。
――だったら、自分の身を守り、敵を焼き払える呪いをかけよう。


ひょっとしたら、それでも取り押さえられ、敵の手に堕ちるかもしれない。
――だったら、いつでも殺せるような呪いをかけよう。



やめてよ。
そんなこと、言うのやめてよ。
そんな恐ろしいこと、考えないでよ。

耳をふさぎ、目を閉じて、全てを拒否したくなる。
ここまで追い込んだこの子から、まだ奪おうとするのか。

「嫌だよな。でも絶対にあると思う。……だけど」
「だけど?」
「だけど、今のインデックスならきっとそれを見つけられる。そして俺ならそれを解ける」

そっか。
だから、

「アンタは、神裂に、自分が偶然呪いを解いたことにするように言ったのね」

インデックスの、呪いを解く。
でもそれをイギリス清教に悟らせるわけには行かない。
解けた事が分かったら、イギリス清教がどのような行動に出るのか想像に難くない。

今日でインデックスの苦悩が終わったわけではない。
今日、彼女はようやくスタートラインを見つけただけだ。






沈鬱な表情を見せる御坂の頭を左手が撫でる。
なんとかするから心配するな、と。
そして、


「まあ、なんにせよ、だ。今日は運と皆の力で、なんとかベストな結果を迎えることができた。それを素直に喜ぼうじゃないか」

上条当麻はそう区切ると、御坂美琴と腕の中の眠り姫にほんの少し笑いかけた。












《禁書目録11》

7月20日、上条当麻のベランダに落下した日をインデックスは記憶する。
誰とも交じらず、逃げ続けた1年足らずの人生。
いずれ人知れずどこか片隅に転がり落ちて、消え去るはずだった自分。

そんな私の人生をひっくり返した、彼との出会いとその後の顛末を
私は決して忘れるわけにはいかない。



そして、この幸せも。



決して。






夢だと思っていた。

御伽噺の主人公に匹敵する呪いを受ける私が

せめて、自分のために紡いだ、儚い幻。

そうであったとしても、きっと驚かなかった。



でも、目を覚ましても、夢は覚めなかった。

現実は、やはり現実で。

私の思惑とは独立して、淡々とその時を刻んでいく。






私を抱き上げる、その腕も、体も、顔も。

全てが、現実として。

今、ここにある。






学園都市に帰るタクシーの運転手は、私をみて驚いた顔をしていた。
それもそのはず。
泣いて、泣いて、目も腫れて、ぐしゃぐしゃの顔をした私。
油断すると、また涙が溢れている私。
上条当麻には申し訳ないが、運転手が彼を不信そうに見るのも仕方がない状況だった。






目が覚めて、夢が夢じゃなかったことを確かめて、まず泣いた。
大泣きした。二人があわてるくらい、子供のように盛大に泣いた。
二人への感謝の言葉すら、上手く紡げないまま、ひたすら泣き続けた。

それから、気を失っている間の話を聞いたときは、頭が真っ白になった。
私は自分が知らない間に、この2人を攻撃するところだったのだ。
蒼白になった私を美琴が救ってくれた。
どうやら当麻が相当なミスをしたらしく、それがなければもっと簡単に済んだらしい。
だから気にすることは無い、と。
結果として何事も無かったのもあり、私はようやく落ち着きを取り戻した。

それにしても、そんな呪いが私にかかっていたなんて。
完全に消失した今となっては解析することも適わないが、相当に高レベルの魔術師によるものであるのは明白だった。
私を縛った魔術師。
いつか、出会うことはあるのだろうか。


そんなわけで、イギリス清教からの沙汰を待つ間私は上条家の居候になった。
魔術では説明不可能な電化製品達を使いこなせないと、家事すらできないのが学園都市と程なく知った。
手際よく片付ける主と、毎日遊びに来る発電能力者に助けられて、未だに私はゲスト扱いだ。
それに対する申し訳なさと一分の不満をあわせて提出してみたものの、

「とりあえずお前は何もしなくていい。のんびりしてろ」
「まあ、1週間ね。それくらいはごろごろしてても太らないわよ」

と却下されてしまう。
では、私が暇をもてあましているかというと、そう言うわけでもない。



テレビ、というものは多種多様な情報に溢れていて強く私の興味を引いた。
漫画、というものはその表現方法が斬新で読み出すと止まらないものでとわかった。
パソコン、というものはちょくちょく変な具合で止まるけれども、知りたいことを教えてくれる図書館みたいだと知った。



なにより、だれにも追われることのない時間。
そして、誰かがそばにいてくれる、誰かが自分を見ていてくれる、そんな時間。
声を出せば、答えが返ってくる、穏やかな時間。

日常という名の最高の贅沢に肩までつかって、とても暇を感じる時間などない。






3人で買い物に行く。

メニューを何にするかで3人3様の意見がぶつかる。

大抵、当麻が折れて、私と美琴の折衷案になる。

スーパーで材料を買うついでに、お菓子をこっそりかごに入れる。

気付いていたのに、買った後に気付いた振りをしてくれる優しさに感謝する。

夕焼けが夜に変わる刹那に、美琴が見るもう一つの空の美しさを教えてもらう。

お返しに、私も魔術の線が織り成す世界の魅力を語る。

それを綺麗な姿勢で歩きながら、当麻が頷く。

家に帰って、作りかけのおかずをつまみ食いする美琴をたしなめる声がする。

じゃあ、私に作らせなさい、とフライパンを横取りされた当麻が私の隣に座る。

テレビの内容について、私がかなり外れた問いをする。

それに対して、淡々と返す言葉に、笑みがこぼれる。

3人で食べる食事はいつも美味しく、そして楽しい。

夜、美琴を送ってから家に帰る道。

空の星は、街の明るさに押され気味だけど、それでも十分に光っている。

夜、寝る前に神に祈る。

どうか、この幸せを、永遠に、と。






そして、ついに魔術師が、通達を持って現れる。
お久しぶりです、と簡単な挨拶をしたあと、彼女は当麻に言う。



「結論から言えば、1点を除いて貴方の要望どおりになりました」



要望とは。
いつの間に、そのような話ができていたのだ。
ひょっとして、携帯電話、を使ってこっそり話したのだろうか。



「貴方の要望どおり、イギリス清教はインデックスの学園都市での生活を保障します。生活費なども指定口座に振り込みます。IDについては既に登録済みだったので、そちらを今後も使ってもらうよう本日持ってきました。パスポートは、後日発行します」



聞いて胸に喜びがあふれる。
学園都市を去らなくてもよいのだ。
私は、この2人とこれからも会えるのだ。



思わず隣の美琴をみる。
美琴も、よかったね、と笑ってくれる。



「それからインデックスが通う学校ですが、適切なところを手配しました。新学期から留学生という形で籍を置くことになります。もちろん、能力開発のカリキュラムは受けさせるわけには行きませんが、通常授業が多い学校なので大きな問題にならないでしょう」






耳を疑った。






まさか。
まさか。






記憶が再生される。
あのときの、そのままに。






   「学校はどうするの?」

   「お前も通えばいい。守ってやる」
   
   「そんなの、無理だよ」

   「無理じゃねえ」






まさか。
まさか。


手持ちのIDを確認する。
そこには。






   「IDが無いよ」

   「作ればいい」

   「自分の年も、分からないよ」

   「じゃあ、14歳だ。それでいいだろ」

   「誕生日も、分からないよ」

   「じゃあ、今日が、お前の誕生日だ」






私の名前。
14歳。
7月20日生まれ。



美琴が、目配せをする。
当麻が、僅かに微笑む。



涙で、顔がにじむ。






   「私の言うこと、信じてくれる?」

   「ああ」

   「怖く、ない?」

   「怖くねえよ」

   「助けてっていったら、助けてくれるの?」

   「助けてやるよ」
   
   「嘘ばっかり」

   「嘘じゃねえよ」



……なんて人だ。
信じられないお人好しだ。
詐欺師のくせに、すべて正直にしてしまうなんて。
反則も、いいところだ。



だめだ、もう、止まらない。
笑いたいのに、幸せなのに。
目から零れるのを止めることができない。






「確認するまでもないが、通らなかった要望とは?」



当麻が問う。
これだけのことが叶ったのだ。
他に望めることなんて、思いつかない。
想像もできない。
今だって嬉しすぎて、幸せすぎて爆発しそうなのだ。
これに何か上乗せされたら、きっと死んでしまう。






その問いに、神裂は少し困ったように答える。






「ええ。インデックスの一人暮らしについては、残念ながら却下されました。管理人として、貴方が生活をサポートするのが、こちらの条件です」

「そうか……。じゃあ、仕方ないな」






結論。

人は、幸せや嬉しさでは死ぬことができない。

その事実は、魔道書図書館の横にある、とある図書館に永遠に記録されることになったのだ。



[28416] 幻想御手 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:45
《幻想御手1》

開始から1時間しか経っていないのに、すでに集中力が尽きてきたらしい。
夏季休暇を束縛する課題に、佐天涙子は早くも逃げ出したくなってきた。
ぺらり、と捲ると、能力開発概論、と書かれたテキスト。
こんな課題で能力が身につくなら、今頃世界は能力者だらけだ。
やらせるんだったら、もっとためになるものを出せっての。
あーあ、と背もたれにもたれかかるように仰け反ると、目の端に映る家族写真。
平均的な家庭に生まれ、平均的に超能力に憧れを持っていた自分。
そんな自分を見つめる私は、この街の平均になることすら挫折しつつあった。






最近、男遊びが酷すぎる。
そんな言葉から今晩も始まったお説教を、御坂美琴はへいへいと聞き流していた。
まあ、急に情緒不安定になったり、朝帰りしたと思えば倒れたり、無断外泊したり。
今まで積み上げてきた優等生を怒涛の勢いで粉砕する私のことを、寮監への説得も含めてフォローしてくれたのだ。
説教してくれるだけ、ありがたいと思って最初は聞いてきたが、連日となればありがたみも薄れてくる。

「べつに、アイツはそんなんじゃないわよ。二人っきりってわけじゃないし」
「またそんなことを。いいですか、お姉様。男は一皮剥けば薄汚い畜生なのですわよ?」
「わかった、わかった」
「またそうやって。ちゃんと考えないと、いずれ黒子の申したことを聞いておけば、と泣くことになりますわよ?」
「大丈夫だって。泣かない、泣かない」
「泣、き、ま、す、の!若い男など、みな飢えた獣だというのに」

飢えた獣ね。
アイツも飢えることがあるのだろうか。
……ちょっと待て、何を考えている、私。

「……ハッ!まさか、お姉様、お心当たりがおありなのですか?」
「え?あ、ない、ない。全然ない」

そういえば、今アイツはインデックスと二人きりなんだよね。
あの子、可愛いし。
アイツも高貴な修行僧みたいな感じだが、そこは生身の男なのだ。
いずれ、飢えた狼がその隠していた牙をにやりと見せて、インデックスに迫る。

「お姉様……?」

追い詰められたインデックスが足を取られて転べば、そこには何故か天蓋つきのベッドが。

「お姉様?」

インデックスの服は、何故かフリフリのネグリジェになっていて。
見つめあう二人の影は、静かに重なっていき。

……あれ?ハッピーエンドになったぞ。

「お姉様!しっかりしてくださいまし!」
「ああ、ごめん。ちょっと、錯乱してたみたい」

まったく、と肩を落とす黒子と自分の妄想に、少し苦笑が漏れる。



「ところで、お姉様。明日、黒子に少しお時間をいただけませんか?」
「ん?買い物?」
「いえ、実はお姉さまに会って頂きたい方がいまして……」
「だれ?」
「ジャッジメントの同僚で、お姉さまに一度で良いから会わせてほしいと、事あるごとに……」
「へぇ……、まあ、いいわよ」
「やけに、あっさりですわね?」
「まあ、いいじゃない。あんたの同僚なんでしょ?断るのも悪いじゃない」
「ありがとうございます。ところで提案なのですが、せっかくの機会ですしお姉さまの新しいご友人もご一緒されてはいかがでしょう?」

なるほどね。
それがあんたの狙いか。

「いいんじゃない?じゃあ、聞いてみるわ」

アイツも新しい出会いを求めていたのだから、断る理由はないだろう。
新しい出会いといっても、インデックスが新しい友人を見つけるチャンス、という意味だが。






そんなわけで午前10時のファミレスに総勢6人が集うこととなった。
自己紹介では、少し緊張気味なのか流暢な発音で自分の名前を述べてネイティブらしさをインデックスが見せ付ければ、上条は相変わらず、淡々かつ簡潔に述べるにとどめていた。

黒子の友達は、佐天さんと初春さんというらしい。
どうやらレベル5に会うのは初めてらしく、興味津々でいろいろなことを聞かれる。

趣味は?
食べ物の好みは?
好きな音楽は?
好みのタイプは?

一通りの質疑応答が終わったあたりで、黒子がアイツに話しかけた。

「貴方がお姉様のお相手とは、想像しませんでしたわ?」
「どういう意味だ?」
「貴方、結構有名ですわよ。ジャッジメントの間では」
「ああ、そういう意味か。いつも迷惑かけてすまないな」
「正直に申せば、もっと穏やかに解決してほしいところなのですが」
「俺もそう願っているんだけどな。そう思わない相手が多くて」

どういうことですか?と佐天さんが聞く。

「この殿方はしょっちゅう揉め事に巻き込まれますの。それも自分から」
「自分から?」
「恐喝や暴行など、間に入っては加害者を制圧することで、ちょっとした有名人なのですの」

へえ、と佐天さんがアイツをみる。

「すごいなあ、上条さん。レベル0なのにどうしてそんなに強いんですか?」
「まあそれなりに鍛えているから」
「そっか……でも、上条さん、御坂さんみたいなすっごい能力って憧れません?」
「そうだな。まあ、あればあったで苦労もあると思うけど」
「またまた……あったほうが良いに決まっているじゃないですか」
「まあ、そうかな」

あーあ。レベルアッパーがあればなあ。

「レベルアッパー?」
「あくまで噂なんですけど、私達の能力のレベルを簡単に引き上げる道具があるみたいなんですよ。……本当にあるなら、欲しくないですか」
「……安全だって保障されてるなら」
「そっか。……私は多少なら危険でもいいか、って思うけどな」

あはは、と笑う。
その言葉がすこし気になったから、つい口を挟む。

「そんな怪しげなもの使ってまでレベルを上げる必要ないじゃない」
「そうですわ。何事も地道が一番ですわよ」

黒子も同調する。
佐天さんはそうですね、とまた笑った。






そのまま6人で昼食を食べた後、佐天と初春は帰っていった。
最初は少し緊張したが、話してみるととても良い人たちのようだった、とインデックスは記憶する。
趣味も、好きな音楽も、好みのタイプも質問の意味が分からなかった私に、意図するところを親切に教えてくれたし、好きな食べ物の話では、未知の食べ物をたくさん教えてくれた。
学校帰り、偶に食べるんだよ、と教えてくれたクレープやアイスクリーム。
当麻は帰りに食べるか?と聞いたが、せっかくなのだ。
学校帰りに食べてみたいと断った。

あと1ヶ月で始まる、初めての学校生活。
そこで新しく出会う人たちも、彼女達のようによく笑うのだろうか。

「白井。この前は心配かけたな」
「本当ですわ。私、1週間心配しすぎて倒れるかと思いましたわ」
「悪い。本当に、反省している」
「しっかり反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしてくださいな」
「ああ」

白井が言っているのは、このまえ美琴がこっそり教えてくれた当麻との出会いのことだろう。
面白おかしく話してくれたが、その時はきっと混乱の極みで右往左往したに違いない。
そして私のときと同じように、きっと当麻は淡々と罠をつくり、飄々と穴を掘って易々と絡め取ったのだろう。
その姿があまりに鮮明に想像できて、思わず吹き出したのを記憶している。

「泡浮には言ってあるけど、内密にな」
「わかっておりますわ。お姉様の名を落とすようなことは決していたしません」
「お願いね、黒子。……でもまあ、ばれたらしょうがないけどね」
「いいのか?」
「まあ、やっちゃったのは、事実だから」

美琴はそう言いながら、軽く微笑む。
こんな風に肩の力を抜いて生きられるのって、きっとアイツのおかげなんだよ。
そう教えてくれたときの顔が、そこに重なった。






「ところで、先ほどレベルアッパーという話が出てきたのを覚えていらっしゃいますか?」
「うん」
「実は最近、妙に学生が起こす事件が増えておりまして。しかも、バンクのデータと容疑者のレベルが合わない例が結構多いみたいですの」
「前回のシステムスキャン後に急速に力をつけたんじゃないの?」
「その可能性ももちろんあります。ですが、例の事件のこともありますし、何か関連があるのかも、と思いまして」

例の事件とは虚空爆破事件のことだ、と御坂は思い出す。
量子変速を使って、その基点に重力子の数および速度の加速を行うことでアルミニウムを爆弾に変える。
そんな物騒な能力を使用した、連続爆破事件である。
犯人はまだ捕まっていないが、問題はそれだけの規模の爆発を起こせる能力者がバンクには1人しか登録されておらず、しかもその該当者は入院中ということである。
まあ、バンクの情報が必ずしも当てにならないのは、身をもって体験済みではあるが、それでも確かに妙な話だ。

「確かにね。レベルアッパーについては情報があるの?」
「いえ、なにぶん今日初めて聞いたものですので。これから支部に帰って調べてみるつもりですわ」
「そっか。手伝おうか?」
「とりあえずはお気持ちだけ、いただいておきますわ」
「何かあったら、無理しないで頼りなさいよね」
「そうおっしゃるなら、頼れるように門限を守ってくださいまし」

あはは……、と誤魔化しつつ、ふと思いついて、

「ねえ、アンタはどう思う?」

と上条に聞いてみた。






「情報が少なすぎて、わからない」

上条は答える。

「じゃあ、なにについて調べればいいと思う?」
「そうだな、まずはデータバンクの不備だろうな。聞く限りでは一番可能性が高い」
「なぜ?」
「レベルを簡単に上げる道具が存在するとは思えない」
「そうよね。能力開発上聞いたことないし」
「いや、そういう意味じゃない」

黒子の顔に疑問が浮かぶのが見える。

「どういう意味?」
「正確に言えば、簡単にレベルを上げられる道具に不特定多数の人間がアクセスできるとは思えない、という意味だ」
「存在自体は否定しないわけ?」
「それは俺よりお前のほうが詳しいだろう?ただ、無いとは言い切れないんじゃないかな」

少しだけ上条の視線が動く。
その意味を理解する。

そうだ。
この世には魔術なんてものが存在することをこの目で見たのだ。
電磁気の根底にある式ですら乱しうるものが確かにこの世に存在する。
ない、などと言い切るのは軽率だろう。

「ただし、あったとしても現状は想定しにくい。なぜなら、学園都市は能力開発を存在理由の一つの柱にしているからだ。能力開発は科学技術の発展と表裏一体であり、高レベルになるほど付加価値は高い。だからもしレベルを簡単に上げる道具が存在するなら、それを公式に使わないのはおかしい」

「かといって、開発途中のものが流出するとも考えにくい。完成すれば莫大な利益を生むものだ。厳重に管理されているはずだからな。だから、不特定多数の学生が使うことは無理だと考えた」

言うとおりだ。

「でも、現にレベルアッパーの存在は噂となっております。火の無いところに、煙は立たないのではないでしょうか?」

黒子の問いに、上条は、

「たしかに。でも、だとしたらまずいかもな」
「まずい、とは?」
「レベルアップを餌にした、人体実験である可能性がある」

と、いつもの調子で答えた。






本来、レベルアッパーは莫大な利益を生むものだ。
仮に金を出してもらうにしても、低レベルの学生が出せる資金で提供できるものじゃないはず。
なのにそれが出回っているとしたら、何か見合うだけの意図があるんだ。
可能性としては、との言葉に続けて、

「安全性試験および改良実験かな。重度の障害を残すリスクが払拭できないから、リスクアセスメントとそれを回避する手段を探るために学生を使っているのか。あるいは、学園都市に恨みを持つ研究者が作った時限式のテロか。ある一定時間経つと、使ったものに致命傷を与えるとか。他にもなにかあるかもしれないけど、多分、碌なことじゃない。正々堂々できない大それた目的があってこその、大きな餌なんだからな」

相変わらず、悪いことを考えるのがうまいこと。
こんなことをするすると考えて、いつも誰かを騙しているのか?
私やインデックスはもう慣れたものだったが、さすがに黒子はあっけに取られた顔をしている。

「だったら、早く何とかしないとまずいじゃない」
「もし、レベルアッパーがあれば、と仮定した話だ。可能性はかなり低いと思う。まずはバンクのデータにエラーやハッキングの痕跡が無いかどうかを洗うべきだ」
「そっか。じゃあ、私は暇つぶしにレベルアッパーを調べてみようかな。……それでいい、黒子?」

2テンポほど、遅れて黒子が反応する。

「え?ええ、分かりました。私は、バンクを調べてみますわ」

そして






「上条さん、あなた、悪人ですわね」

とあきれたように呟いた。












《幻想御手2》

レベル5、超電磁砲。
初春に誘われて会いに行ったが、会わなきゃ良かった。
彼女の姿は、あまりに遠すぎる。
彼女の姿は、眩しすぎる。
私はまるで、影みたいだ。
光に溶かされ、消える影法師。

能力。私だけの、現実。
レベル0の私では、望む現実に手が届かない。






自分の中には、自分自身では気付かない才能が眠っていて。
あるとき、なにかをきっかけにそれが目覚める。
いったん気付けば、すごい、すごい。
潔く、カッコよく、鮮やかに力がほとばしる。
空想の世界のヒーローに、私は、変わる。

そんな幻想を信じていたから、この街に来た。
そんな幻想は、最初のシステムスキャンであっさり砕かれた。



レベル、0。



かぁ。
これは、まいった。
何倍しても、0は、0だ。
5人集まったって、悪の組織に立ち向かえやしない。
1億人集まったって、私は、0、だ。

1枚の紙切れに、涙が落ちた。






それでも可能性ってやつを信じたかった。
でも、それはそう簡単に私の全てを知られてたまるかなんて空元気と、カリキュラムに従えば何か変わるかも、というずるい打算で作った可能性だから。
最初から、ヒーローなんかにつながってるわけ、なかった。






それから、半年。
今では、そんな可能性すら忘れかけている。
この街で、能力開発を受けています。
この街で、能力開発の勉強をしています。
単にそれだけの人間としてひとくくりにまとめられているのに。
夢を挫かれた、自分と同じような友達ができると、胸の痛みも、なかったみたいに薄くなる。



その代わりに手に入れたのは、ごまかす力。



買い物をしているときにたまに誰かが能力を使っている。
それを見てみぬ振りをして、さあて何を買おうかなと思える力。

システムスキャンで相変わらずのゼロであっても、
いつものことさあ、と思える力。

努力とか、情熱とか、信念とか。
そういうものを、ばっかじゃないの、と笑える力だ。



でも、それでもごまかしようも逃げようも無く直面すると、困ってしまう。
ピラミッドの最下層でのんびりすることに決めたとしたって、可能性を捨てたからって夢を忘れたわけじゃないのだから。



ヒーローの力を持つレベル5の姿は、駄馬の目の前に吊り下げられたニンジンみたいに私の黒い嫉妬心をかきたてる。






「おっはよー、初春!」
「おはようございます、佐天さん」

今日はセブンスミストで買い物をしようと初春を誘った。
夏季休暇も後半に入り、夏物のセールが始まっている。
掘り出し物がないかどうか、商人魂がくすぐられるってもんだ。

「今日もいい天気ですね。って、何するんですか!」
「やだなあ、もう。挨拶だよ。あ、い、さ、つ」
「じゃあ、私も、挨拶しちゃいますよ?」
「やれるもんなら、やってみんかい」

ばっさ、と本日のスキンシップ成功。
まだまだガードが甘いな、初春くん。

「お買い得品、ありますかねえ」
「それを見つけるのが、プロってものよ」
「プロって、何のプロですか?」
「セールのプロ」
「それって、お店に騙されてませんか?」
「そこはまあ、微妙な駆け引きってやつよ」

入り口の液晶パネルを見れば、やってる、やってる。
いたるところで大売出し中だ。

「どこ行く?」
「私は水着を見に行きたいです」
「そっか、私も見たいな」

水着売り場は4階かな。
あえてエスカレータで登ることにする。
わき目で途中階の値引きっぷりをチェックするためだ。
なにせ、プロだし。

「水着かったら、プール行きませんか?」
「いいねぇ、最近暑いし、ちょっと小麦色になってみるか」
「私、日焼けすると赤くなるからなあ…」
「そっか、初春はやわやわのもちもち肌なのだな、ではチェックしてあげよう」
「ちょっ、やめてくださいよ、佐天さん」

初春は、本当に可愛いやつだ。
どうして彼氏ができないんだろう。
この花飾りのインパクトが強すぎるのかな。

「ねえ、初春。初春ってさ、花飾りやめたらもてるんじゃない?」
「え?なんのことです?」

気づいてないなら、まあいいか。

「どのフロアでもセールしてますね」
「血が騒ぐねえ」
「何の血ですか」
「大阪の商人の血だね」
「大阪出身でしたっけ」
「気持ちの上では」

プロから商人になったが気にしない。
そんなこんなで、水着コーナーにやってきた。

「うわー、いっぱいありますね」
「じゃあ、手分けして探そうっか。初春はそっち、わたしはこっちね」

そして、振り返ったところで目が止まる。
今、一番会いたくない人を見つけてしまった。
……レベル5だ。






「とうま、水着買ったら海に行きたい」
「そうだな。おれも何年も行ってないから行ってみるか。御坂はどうだ」
「いいじゃない、海。私もしばらく行ってないし行きたいわ」
「じゃあ計画するか」


セブンスミストのファンシーグッズ店でセールをやっているという情報を偶然ネットで見つけたから、今日は二人を買い物に誘うことにした。
そのページを携帯で見せると

「お前、ぬいぐるみ好きなんだな」

と聞かれたので、ゲコ太の魅力を熱く語ってみたが、

「そういえば、他にセールの情報はないのか?」

さりげなく、途中で話を逸らされた。
まあ、あまり興味がなさそうというのは、辛うじて表情から検出できたからおとなしく他のセール情報を二人に見せることにした。
すると、インデックスが、水着に食いついてきたので、理由を聞けば、泳いだ記憶が無い、とのことだった。
そんな様子に少し保護欲が湧いたため、水着コーナーを優先して回ることにした。

ちなみに、女性水着コーナーの一角で、上条がどのような態度を示すかはひそかに楽しみだったりする。

「あそこじゃない?あ、佐天さんだ」
「本当だ。ちょっとここでは、会いにくいな」
「へえ、アンタでもそう思うんだ」
「お前は、俺を何だと思ってるんだ」

笑ってこちらに手を振る佐天さんに、手を上げて答える。

「こんにちは、佐天さん」
「こんにちは、御坂さん。水着ですか?」
「主に、この子のだけどね。私もいいのがあったら買おうかな」
「水着コーナーに男連れなんて、やりますね」
「……薄々、そうじゃないかと思ってたんだが。やっぱり俺、外そうか」
「私はとうまにも選んで欲しいんだよ」
「見てあげなくちゃ、可哀想じゃない」
「……そうか。まあ、お前らが良いなら」
「佐天さんは、一人?」
「いえ、初春と一緒です。あっちのほうに居るかな、探してきますね」

初春さんも一緒なのか。
あの二人、仲がいいんだな。
まあ、私達だって、そうか。
そう思いながら上条を見ると、なんだか少し考える目をしていた。

「なんかあった?」
「ああ、大したことじゃねえ」
「あとで、やっぱり大したことでした、は無しだからね」
「本当に、大したことじゃない。けどあとで話すよ。まず水着だ」

最近コイツと会っていると、その目を見ている時間が長い気がする。
私とは違う視点で、何かを見ている。
それを確かめたくて、つい伺ってしまう。

ある程度一緒の時を過ごしてみて、彼が私よりも特に物知りというわけじゃない、ということが分かった。
特に、物理系に関しては、私が得意な分、明らかに知識に差がある。
当然、間違った知識に基づいて考察したときには、コイツも間違った答えを導く。
彼だって、全知全能なんかじゃないんだ、という当たり前のことがよくわかった。

ただ、異常に鋭く、巧みだ。
与えられた情報を客観視し、多角的に可能性を上げ、そこから最も妥当な一つに絞り込む、その指向性が並外れて強い。
自分の知識が欠けている、ということも材料の一つにして補正するから、仮に当たらなくても大きく外さない。

この点では、私は、彼に劣る。
だから、彼から学ぶのだ。
いずれ、彼に勝つために。

そんなことを考えていると、佐天さんが初春さんを連れてきた。
それから5人で水着を選ぶ。
上条は、期待はずれだが予測どおりの対応だった。
相変わらずのトーンで当たり障りの無い回答を繰り返すから、ちょっとむきになってインデックスに耳打ちする。
彼女も、ふふっと笑って合意する。

そして紐にしか見えない水着をそれぞれ後ろ手に隠し、上条の前に立つ。

「ねえ、これ、似合うかどうか、見て欲しいんだけど」
「とうまの感想、聞かせて欲しいな」

そして、じゃん、と水着を体に当てて見せつける。
どうよ?

「正直言って、俺は、まだ早いんじゃないかと思うが」

ちっ。これでも駄目か。
隣でインデックスも口を尖らせる。

「……狙いが見え見えだ。不意打ちされたら驚いたかもな」

いずれ、ぎゃふんと言わせてやるから。
覚悟しとけよ。

「せっかく選んだんだ。試着してみればどうだ。見てやるぞ?」

くそぅ。






「御坂さん、楽しそうですね」
「そうだね。彼氏かな。……ちがうか、レベル0だしね」

ついうっかり卑下してしまう。
いけない、いけない。
クールになろうぜ、佐天涙子。

「でも、少しうらやましいですね。男の子と、ああして楽しそうにできるのって」
「初春は内気だからなあ。でも、そこがいいんだけどね」
「佐天さんならあんな感じでしゃべれるんでしょうけど。私には難しいです」
「慣れだよ、慣れ。今度、誰か誘って買い物に来ようか」
「い、いえ、まだ、ちょっと、早いと言うか」
「冗談だよ。愛いやつめ」

ああ、楽しいなあ。
まったく、今ここで会わなくてもいいじゃん。
私と同じ幸せを自分も持ってるって、わざわざ見せ付けなくてもいいじゃん。

「じゃあ、上条さんで予行練習だ。見てもらおうよ」
「さ、佐天さん。ちょっと、待って」
「上条さーん。初春が水着見て欲しいって言ってるんですけど」
「ん?ああ、俺でよければ構わないけど、大して役に立たないぞ」
「ほら、初春。見てもらいなよ」

初春を前に突き出す。
邪魔されてレベル5の顔が少しだけ曇る。
それをみてなんだか憂さ晴らしができた気がする。

ざまあみろ、なんてね。
嫌な子だな、私。

「こ、こ、これなんですけど」
「そうだな。俺のセンスだけど、初春の肌の色だと、暖色のほうが合うんじゃないか?」

こっちの色とか。
すぅ、と差し出された水着を見て、初春は限界を超えそうだった。
しょうがないなあ。

「おお、この色、確かに似合うんじゃない?上条さん、センス良いじゃないですか」
「佐天さん……」
「そういってもらえると、安心だ」
「うん、似合う、似合う。ほら、試着してきたら?」
「いや、あの、そこまではちょっと……」
「ほらほら、遠慮しない」

なんとなく、その場に居たくなくて、初春を試着室に引きずっていく。
ごめんね、初春。

「佐天さん、強引過ぎですよぅ」
「はっはっは。強引くらいがいいのじゃ」






そのとき、初春の携帯がコールされる。

「もしもし、白井さん?え、はい。え?あ、いま私、セブンスミストにいます。……え?」

初春の声のトーンが上がる。

「観測地点?……え?……了解しました。では!」

電話を切ると、

「御坂さん!緊急事態です。協力してください!」

と、レベル5に向けて叫んだ。



レベル0の私に、背中を向けて。



能力によると思われる重力子の爆発的な加速を、人工衛星がキャッチした。
過去の例から、これはアルミを基点とした爆発が起きようとしていることを意味する。
観測地点はセブンスミスト。
上条に手短に説明すると、

「じゃあ避難誘導を手伝おう。初春、指示してくれ」

予測通りの回答だった。

私なら、近ければ電磁波の目で場所は特定できる。
上条なら、能力を打ち消すことができる。
インデックスなら、歩く教会で守られている。

故に私達3人にはリスクが無く、この役を買って出るのは必定だった。
初春さんを残すことを渋る佐天さんを説得して避難させる。
ジャッジメント経由でセブンスミスト内に緊急放送を流してもらう。
歩ける人は階段で、歩けない人はエレベータで。
パニックを起こさないよう、それが連鎖しないように、声を張り上げて誘導する。
絶えず流される放送に助けられ、15分もしないうちに避難は完了したようだ。

これで、一安心。
あとは、問題のアルミを探し出して、蒸発させるのみ。
刈り取る側に回って、沸々と力が湧いてくる。

絶対に、見つけてやるから。

そんなことを思っていると、初春さんの携帯に、黒子から連絡が入る。

「え?……私?ターゲットが?」

その背後から、一人の女の子。
その手には、彼女の手には大きい、カエルの人形が抱えられている。
ぐしゃ、とその手の中で、人形がへこむ。
初春さんが、女の子から人形を奪って、後ろに投げ、女の子をかばうように抱きしめる。
上条が、前に駆け出す。
私は、コインを構える。
人形が、ぐしゃぐしゃと縮まり、点へと収束して、そして。

爆発。






人形は結構大きな爆発を見せたが、幸いけが人も出ずにすんだ。
二人を衝撃波に巻きこまないよう音速以下で打たざるをえなかったコインは、収縮した人形の成れの果てを遠くに飛ばし、それでも届く爆発の衝撃は、幻想殺しの右手が遮った。
床を見ると三角形に衝撃が打ち消されているのがよくわかる。
それは、アイツと最初に出会ったときの、アスファルトの模様を少し思い出させた。

……よし、手加減できる程度に落ち着いた。

では、薄汚い豚を狩るとしよう。






そして、狩猟は始まる。

セブンスミストの回線から、半径200m程度の監視カメラのログをハックする。
犯人は愉快犯的な側面を持っている。
かならず自分の犯行を見ているはずだ。
だから爆発のあと、周囲から立ち去る人影をサーチする。

該当者は1名。

現在も、その場所から動かない。
さぞ、自分の能力の破壊力に悦に入っているのだろう。
上条とインデックス、初春さんに場所を告げる。
初春さんが、ジャッジメントに連絡して退路を断つ。
カメラの中でほくそ笑む男は、自分が既に屠畜場に立っていることを、まだ知らない。



一応、念のため、確認をした。
上条流詐欺術の初段も取れていない私だが、それでもその男は尻尾を出した。
慌てふためく男の30cm横に、今度こそ音速のレールガンを打ち込む。
衝撃波で男が錐揉み状に吹き飛んでいく。
やりすぎじゃねえか、と隣でぼそりと声がした。






セブンスミストで、爆発が起こった。
集まったところで意味も無い私は、その他大勢とともにそれを見ていた。
しばらくして、セブンスミストから初春たちがでてくる。
よかった、無事だったんだ。
そう思って声をかけようとするが、彼らは私のことなどちらりとも見ない。

自分の正義を成すために急ぐヒーローが、路傍の雑草などに目を配るわけは無い。



ため息を大きくつく。



しゃあねえな、振られちまったよ。
じゃあ、帰るか。



大きく。
もしかしたら、聞こえてくれるかもしれないくらいに、大きく。
独り言を一つ言って、佐天涙子はとぼとぼと家へと帰っていった。












《幻想御手3》

レベルアッパーが手に入ったら、どうするかだって?
決まってるじゃないか。
使うよ。当たり前に。

安全性?
しらねえよ。

ああ、レベル0ですか、って、ID見せたときのあの顔を、もう見ずにすむんだろ。
それで、ヒーローになれるんだろ。

だったら使うよ。
当たり前だろう?






家に着いて、日常に逃げようとテレビをつける。
セブンスミストの光景が写され、力を込めてテレビを消す。
無力なリモコンに八つ当たりする無力な自分。
佐天涙子は、ひざを抱えてうずくまった。



ちくしょう、ちくちょう。



呪詛のように、繰り返す。
無力な自分に。
そして、自分の無力さを際立たせる周囲に。
繰り返し、繰り返し。






こんな卑劣な事件を引き起こした男には2ヶ月くらい病院で反省したほうが良い。
そう思わなくも無かったが、バンクに侵入形跡もエラーもないとなると、一連の事件の背後にレベルアッパーの存在を考える必要が出てくる。
そうなると、上条の語るリスクを無視することはできない。
ならば、真相を話してもらうように能力を使ったほうがエコロジーだ。
彼には酷いと言われたが、これでも手加減したつもりの御坂美琴である。

結果的には、能力を使う必要は無かった。
微笑むだけでよかった。
彼は頼まれもしないのに、自分から洗いざらい吐き出した。



「どうやら、レベルアッパーというのは存在するようですわ」

精神感応系能力者に念のためスキャンしてもらった結果は、彼の供述と一致した。

「そして、それは曲のようですの。なんでも、ネット経由で入手したとか」

彼の持ち物であるシリコンオーディオに、レベルアッパーとされるデータが入っていたらしい。

「ファイルが手に入ったなら、波長のフィンガープリントプロファイルを取って、該当するファイルにアクセスできないよう、サーバ側で差し止めるプログラムを組む。そして、同時に、そのファイルのアクセスログをたどれば、作った人が分かる。それで事件は解決でしょ?」
「初春が、頑張ってくれているのですが、ファイルのアクセスが、セキュリティの高いサーバを何箇所も通しているようで、なかなか進まないようですわ。サーバ側の制御は、学園都市の正式な許可がないとできないので、現状では不可能ですし……」
「ああ、そっか。まあ、そうだよね」
「現状では、手詰まりですわね」
「そうね……」

一方、聞こえる会話に理解不能な言葉が高率で出てくるため、インデックスは話についていけなかった。
隣の家主を見上げてみると。

「音楽を聴くと能力が上がる。それはパソコンを使うと入手できる。でも、誰が作ったのか、わからない。ついでに、それを入手できなくすることもできないってことだ」

と、何とか分かる言葉で説明してくれた。
これが以心伝心というものか。
フィーリングでも良いのだろうか。

「じゃあ、どうするの?」
「曲のデータはあるから、どうして能力が上がるのか、なにか副作用は無いかを解析するんだろうな」
「どうやって?」
「多分、聴覚と脳の専門家に聞くんじゃないか?」
「聞いて、分かったらどうするの?」
「その分かった人たちと同じ分野の研究をしている人が犯人だ。その分野の専門家達のコンピュータにハッキングして、レベルアッパーを作った証拠を押さえるんだろう」
「証拠がでてこなかったら?」

そうだな。
彼はそう一呼吸置いて。

「さっき言った、パソコンで入手できなくするっていう方法を実施して、あとは地道に誰が作ったのか探すんだろうな。あとは、レベルアッパーを使った者たちに異常が出たら、なるべく早くにそれを周知徹底して被害を最小限に抑える、かな。周知したときは、被害によっては一時的な暴動が起こるから、それを見越して、今のうちからアンチスキルに協力依頼をしておいたほうがいいな。」
「なぜ暴動が起こるの?」
「例えば最悪死ぬってことになったら、レベルアッパ-を使った人は自棄になるだろ?」
「そっか。ありがとう」
「いや、これは俺の考えだから」

これで良いか?

質問に対して規定事実であるかのように滑らかに語る上条当麻に、聞き入っていた御坂と白井は言葉が出ない。

5秒ほど間を空けて、

「やっぱり、貴方は悪人に間違いありませんわ」

と白井黒子が呟いた。






迷ったけれどやはり佐天は初春に電話することにした。
何度か着信が入っていたから、きっと心配をしているのだろう。
電話をすると、2コールで応答する。


「佐天さん!何ですぐに電話に出てくれなかったんですか?」
「ごめん、ごめん。ちょっと、用があってさ」
「もう。心配しましたよ?」
「ごめんね、ありがと。そっちはうまくいった?」
「犯人は無事逮捕できましたが、レベルアッパーの解析に大忙しです。今夜は徹夜かもしれません」
「そ、そっか。わかった。ごめん、忙しいときに」
「いえ。本当に、良かったです。では、また」
「じゃあね」

……レベルアッパーは、実在するんだ。






大脳生理学者で聴覚にも造詣が深く、かつジャッジメントの活動に比較的協力的な研究者として、木山春生に音楽データを解析してもらうこととなった。
当然、木山の研究所のサーバにはバックドアを構築し、作業内容については確認できるようにしてある。
スタンドアローンPCで解析されたら内容は分からないが、そこまで見に行くのは怪しいと判断してからで十分であろう。
それが、ジャッジメントの結論だった。



そして、今日はこれ以上の動きがなさそうなので、あとは黒子と初春さんたちに任せて、3人は帰路につく。
ただの買い物のはずが、思いもよらぬ事件に遭遇して、少し疲れ気味ではあるが。

「大変な一日だったわね……」
「そうだな」
「水着も買えなくて残念だったんだよ」
「欲しい奴は、決まっただろう?あの、紐のやつ。もう、いつでも買えるじゃないか」
「とうま!」
「冗談だよ」

また、買いに行けばいいさ。時間は、あるんだ。

「そうだよね」
「そうよ。しばらくセブンスミストは使えないかもだけど、別のお店で探しましょ?」
「みことのぬいぐるみも、買えなかったね」
「ああ、別にセールじゃなくても買えるしね。また出直すわ」
「そういえば、何も買ってなかったな」

じゃあ、今日は外食にするか?

「おー、いいじゃん。何にする?」
「私はピザがいいな」
「俺は蕎麦かな」
「じゃあ、私はとんかつかな」

相変わらずだな。
でもがっつりが2票だから、どっちかだな。
ファミレスにして両方取りか、それともじゃんけんで専門店か。
どうする?

「私、ファミレスでいい」
「私も」

じゃあ、決まりだ。結局、いつもの店かな。

「とうま、私、お蕎麦少し食べたいかも」
「あ、私も欲しい」

いや、だんだんがっつり食べたい気持ちになってきたからハンバーグにしようかと思い直
したんだが。

「ハンバーグか。それもいいわね。やっぱり私もハンバーグにしよ」
「えー?それなら私もハンバーグにする」

おいおい、じゃあ、ハンバーグのお店でいいのかよ。



それでも、やはり穏やかな帰り道。

日常という名の、最高の贅沢は続く。






見つけた。
私の、佐天涙子の突破口。
ついに、見つけた。

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ああ、良かった。
無事にファイルが保存される。
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流れる音楽。

これはきっと、幸せへの序曲だ。
ここから、始まるのだ。
私が主人公の物語。



全ては始まりが肝心だと言う。

ならば、強く、強く、イメージする。
私は、能力者だ。
レベル5にだって、成ってやるさ。

されば、強く、強く、言葉にする。
私はできる。できる。
私には、能力がある。

しからば、強く、強く、拳を握る。
いま、錆びた鍵を打ち開けよ。
惰眠を貪る才能を研ぎ澄ませ。

それゆえ、強く、強く、瞳を閉じる。
全ての意識を内側に。
この幸せの調べとともに。












《幻想御手4》

やった。
飛び上がって叫んだ。
やった、やった、やった!
ひゃっほー、といいながらベッドにダイブ。
ごろごろと転がり、無意味に前転してベッドから落ちて。
痛てて……といいながら、やっぱり笑った。

どうだ、ざまあみろ。

私は、能力者だ。



文句、あるか。



ティッシュペーパーを細かくちぎった、その欠片。
佐天涙子は手の上でそれらが作る渦を幸せそうに見つめる。

繰り返し、繰り返し。






まずは親友に教えなければと思ったから、初春に電話した。
電話した直後に、徹夜かもと言ってたことに気付いて切ったが、着信に気付いた初春は律儀にかけ直してくれた。


「佐天さん、ごめんなさい、取れなくて」
「ごめん、初春。まだ、支部?」
「いえ、もうそろそろ帰るところです。今日はやれるところまでは終わったから」
「そっか、じゃあ、いま、大丈夫?」
「大丈夫ですよ。何かいいことあったんですか?」
「そう。あったのだよ、初春くん」
「何ですか?」
「まあまあ、そう慌てずに」
「勿体つけないでくださいよー」
「そっか、では教えてあげよう」
「教えてくださいな」
「実は、私に、佐天涙子に、能力が目覚めたのだー!」
「……え?能力?ええッ?」
「驚いて、心臓も止まったか」
「止まったら死んじゃいますよ。でも、よかったじゃないですか。おめでとうございます!」
「ありがとう、初春」

初春は喜んでくれるんだ。
ありがとう。
ごめんね。
妬んだりして。

「どんな能力なんですか?」
「風、かな。能力っていっても、手で扇ぐのと大して変わんないくらいのそよ風なんだけど」
「でも、すごいですよ、佐天さん。ようやく、努力が報われましたねー」

努力、と言う言葉にぎくっとする。
でも頑張って探したんだ。
努力と言えなくもないか。

「ま、まあね。おかげさまだよ」
「早く見たいなー、佐天さんの能力」
「おう、いつでもおいでな。見せてあげるから」
「そうですね。ちょっと先になってしまうかも、ですけど」
「なんだ、忙しいの?」
「そうなんですよ。レベルアッパーの件で、死ぬほど忙しくなるかもです」

どくん、と心臓が鳴った。

「へー」
「今日、上条さんすごかったらしいですよ」
「何が?」
「レベルアッパーの件について、ジャッジメントに捜査方針をアドバイスしてくれて。本人は雑談のつもりだったみたいなんですけど、結局それで行くことが決まったんです」
「そう」
「すごいですよね。なんだか、上条さんを見てるとレベルって関係ないような気がしてきます」
「そうだね」
「……佐天さん、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと、あれかな、慣れない能力を使って疲れたのかな」
「私も最初はそうでしたよ。すぐ慣れます。今日はゆっくりしてくださいね」
「そうだね、ありがとう」
「じゃあ、おやすみなさい。本当に、おめでとう」
「ありがとう。おやすみ」

捜査方針って?
なんか、やばいわけ?






次の日虚空爆破事件の容疑者である介旅初矢が意識不明となったことで、事件は一変する。
レトロスペクティブに調査すれば、同様にレベルアッパー使用者と思われる者たちが、複数名同様の症状を起こしていることが発覚する。
2日後には、レベルアッパー使用者が、最終的に重度の意識障害を起こすことは、ほぼ間違いないとの結論にジャッジメントは至ったようだ。

「どうすればよろしいと思われますか?」
「なぜ、俺に聞く」

白井黒子からの電話に、上条当麻は答える。

「ジャッジメントで判断すべき問題だろう。俺に聞いてよいのか?」
「参考までに、個人的なご意見を伺ってみたいとおもいまして」

では、言うが。

「直ぐに事実を公表すべきだ。言いたくないが、被害者は治療によって回復傾向があるぐらいの言葉を添える必要もあるだろう」
「嘘をつくということですわね」
「ファイルの利用者、5000人を超えているのだろう?大混乱になるリスクをとれるなら言わなくてもよい」
「……」
「木山春生からの結果報告はないのか?」
「解析に時間がかかっているとのことでして」
「研究所のサーバの利用率は?」
「余裕はありますがそれなりに処理は行っているようですわ」
「解析内容は見えないのか?」
「スタンドアローンで行っている模様です」

なるほど、と彼は一呼吸おいて。

「木山に研究所外のスーパーコンピュータを使用させることは可能か?」
「ジャッジメントが使えるリソース分なら可能ですわ」
「じゃあ、木山に依頼して、そこで作業してもらうんだ。ユーザー権限でな。当然、アドミニ権限での監視プログラムを後ろで流す」
「使わせる口実は?」
「より豊富なリソースを使って速やかに解決してもらいたい、でいいんじゃないか?」
「断ったら?」
「他の研究者を探すか、何らかの方法で木山の研究所を使えなくして強制的に使わせる」

ふふっ、と電話の向こうで笑う声が電磁波で見える。

「……相変わらず、悪人ですわね」
「聞き飽きたよ。あとそうだな、もし意識障害を公表するなら、木山に事前に教える」
「木山自身か、それにつながる研究者が黒幕なら動きがある、ということですわね」
「そうだ」
「ありがとうございました」
「ああ。もし俺で助けられるなら、電話くれ」



「黒子からだよね」
「ああ。事件が一変したらしい」



上条は、聞いた話を私とインデックスに話した。
会話は視えていたけれど大人しく聞きつつ対策を考えてみる。

「私が探ってみようか?」
「レベルアッパーって言葉はかなり広まっている。タームで引っ掛けるのは難しいぞ」
「じゃあ、波長データを検索すれば」
「それは効果的だと思うが、どのくらいコピーがネット上にあるかわからんからな。力業になるぞ」
「じゃあ、どうすればいいのよ?」
「研究者から探ってみよう。聴覚と能力を結びつけるような研究をしている人を探す」

だが、研究者の数は多く、聴覚というありふれた感覚だけでは絞り込むことができない。

「まいったな。……インデックス、なにか思いつかないか?」

魔術の観点を取り入れ、発想の幅を広げるつもりなのだろう。
上条はインデックスに意見を求める。

「音を通じて魔力を上げるというのは、魔術ではありふれた方法。そして、歌は、力を持ち、幻を見せ、体を石にする。レベルアッパーが特別視される理由が、私には逆に分からないの」

どうやらこちらも手詰まりのようだ。
僅かに沈黙が流れる。
それを彼が破る。

「じゃあ、発想を変えよう。他のどんな方法なら、短時間でレベルを上げられるのか。それを調べた上で、その方法を曲で代用できそうな研究をしているものを探そう」

だが、それは結局、間に合わなかった。






予感がした。
能力は使えるのに、つかうと僅かに立ちくらみがする。
これが、まさか、副作用?
ネットで、レベルアッパーについて調べる。
レベルアッパー and めまい。
……え?
うそ。
意識不明?
やだ。
そんなの、やだ。
膝が震えて、立つことができない。
フローリングに座り込む。
それでも、だんだんめまいが増していく。
やだよ。
そんなのやだよ。
誰か、助けてよ。
お願い。
誰か。
ぐらぐらと揺れ始める世界で、私は。







「もしもし、初春です。こんにちは、佐天さん。……佐天さん?どうしたんですか!?」

「ういはる…ごめん…わたし、つかっちゃった」

「佐天さん?」

「だって、ほしかったんだもん、ちから、うらやましかったんだもん、ずっと」

「佐天さん……まさか、レベルアッパーを?」

「くやしかったんだもん、むのうりょくしゃ、なんて、さ。ぜろ、なんてさ。ははは……」

「佐天さん、今、家ですか?直ぐ行きます。動かないでくださいね?」

「わたし、ういはるのことも、うらやましかった。みんな、うらやましかった」

「行きますからね、佐天さん。必ず、直ぐに行きますから」

「わたしだって、なにか、したかったの。だれかに、みとめてほしかった」

「佐天さん、私は、認めてます。佐天さんは、素敵です。だから、だから」

「ありがと、ういはる。ばかだね。わたし。みとめてくれたのに、ねたんだんだね」

「私、知ってます。佐天さんが能力者にすごく憧れてるってこと。だから、その気持ち、当たり前です。だから」

「なりたかった、のうりょくしゃ。どうしても。ずる、したとしても」

「佐天さん、もうちょっとです。あと10分もかかりません。電話、切らないで」

「これは、きっと、ばつなんだね。ずるい、わたしにふさわしい、ばつ」

「大丈夫です、佐天さん。私が、付いてます。必ず、何とかしますから」

「ありがと、ういはる。きづかなくて、ごめん。ほんとうに、ごめん」

「謝らないで……お願い、謝らないでください……」

「ごめんね、めいわく、かけるね。ごめん……ごめん……」

「お願いです、佐天さん。お願いです……」






初春飾利は、なんとか間に合った。
部屋に入れば、既に目の焦点は合っていなかった。
言葉もまともに出ないようだった。
それでも、彼女を彼女として認識したに違いない。
くしゃ、とすこしだけ笑って。
佐天涙子は意識を失った。












《幻想御手5》

力がほしい。

もうヒーローじゃなくてもいい。
この街に来て、この街で生きる。

それを許されるぐらいの、ちっぽけな力でよいから。






連絡を受けて病院に来た3人は、ベッドで眠る佐天涙子を見る。
傍らには白井黒子。
電子音がやけに大きく響く病室。
レベルアッパーですのよ。
捜査疲れが滲む声で白井が告げるのをインデックスは聞いた。

「どうしてなの?どうして、佐天さんが?」
「どうやらネットでレベルアッパーを入手したようですわ。……発見者は、初春でした」
「……俺は、馬鹿だ。甘かった」

隣から小さく聞こえる声に、私は驚く。

「こうなるかも、って思っていたのに。見過ごした」
「とうま……」
「白井、レベルアッパー使用者の容態は進行しているか?」
「いえ、悪くはなっていませんわ」

良くもなってはおりませんが。
そう続ける黒子の声がやけに大きく聞こえる。

「木山からの報告は?」
「まだ、ありません。解析中とのことです」
「そうか。初春は?」
「支部に帰りました。できることを、すると」
「……自棄になったり、してないよな?」
「上条さん、初春は、貴方が思っているより、ずっとずっと強い子ですわよ。大丈夫ですわ」
「そうか」

単調な口調。
ほとんど動かない表情。
だがインデックスはそこに悔しさが見えるのを知っている。

心電図の刻むリズムは、変わらない。
そこに、別の電子音が混じる。
白井が、携帯を取る。

「はい、白井です。え?初春が?……分かりました。直ぐ向かいます」

聞かなくても、内容は分かった。

「初春が、木山のところに向かったそうですわ。これから、私も向かいます」






「見過ごしたって、どういうことよ?」

病院に居てもできることなど無いと御坂美琴は思う。
黒子が出るのに少し遅れて私達もお暇することにした。

またくるね。

そうといってもベッドの上の彼女からの答えは、当然無い。

「佐天が、レベルアッパーを使う兆候はあった。レベルアッパーが危険だとも思っていた。
なのに、彼女が使うことを止められなかった」

佐天さんの脳波を探ってみると、かなり活発な活動をしていると言うことが分かった。
意識不明というのが信じがたい活動量だ。

「兆候なんて、いつ気付いたのよ?」

同病院に入院しているレベルアッパー使用者はあと2人。
その両者とも、やはり脳は活発に動いているとしか思えなかった。
しかも、その脳波のパターンは大部分がオーバーラップしていた。

「最初に会った時に、レベルアッパーの話をしただろう。あのときだ。あのあと、もう一度会ったときにも、そう思った。そう思っていたのに、見過ごした」

そこから導かれる推論は、レベルアッパー製作者に何らかの意図があったということだ。
使用者の脳に何かの処理を強制する、その末に得られる、なにか。

「あのときに……でも、なんで?全然、分からなかった。言われてもわからない」

しかし、なぜ佐天さんはレベルアッパーを使ったのだ。
危険だって知っていたはずなのに。
怪しいって、言っていたのに。

「わからないか?まあ、お前には分からなくても無理は無いかもしれないな」

……どういうことだ?






この街は極端な能力主義だ。
レベルが変わると、学校も、奨学金も、相手の態度すら変わる。
レベルが同じだって、スキャンが示す強度で、多くの人間が狂喜し、絶望する。
それは別に悪いことじゃない。
強制されて、ここに住んでるわけじゃないんだ。
だとしても。

レベル0ってIDを見せたときに、多くの人間が小馬鹿にする悔しさは
きっとお前では理解できないと思う。
俺には、理解できるよ。
能力がほしい。
強くなりたい。
たとえ、そこに危険があったとしても、構わない。
そんな、気持ちを持ってしまうことが、容易く想像できる。

「そんな……、だって、でも」

いや、分かる。
聞けば、よくわかる。
そうか、私か。
佐天さんを、追い詰めたのは。

「違う。勘違いするな、お前が悪いわけじゃない。そんなことを言いたいわけじゃない」

でも私なんでしょ?
そう思ってるんでしょ?

「お前、じゃない。レベル5に、だよ」

同じじゃない。
私、レベル5だもの。

「同じじゃない。お前は御坂美琴だ。レベル5じゃない」

同じだよ。

「違う。全然違う。お前は、明日からレベル0になったとしたって、御坂だろう?」

そんな仮定意味ないよ。
だって現に私は、レベル5なのだから。

「レベルはお前の属性の一つだ。それが全てじゃない」

わかるよ。
アンタの言ってること。
アンタが、そう思ってくれていることも、分かってるよ。

でも。

「お前が今、勘違いしているように、佐天も勘違いしたんだ。自分はレベル0。それを
自分の全てだと思ってしまった。だから、倒れた」

でも。
でも。

「頼む、御坂。お前は勘違いするな。それは、危険だ。とても危険なんだ」
「そうだよ、みこと。私だって、禁書目録が私の全てじゃ、ないんだよ。みことだって、同じだよ」

わかってる。大丈夫。
もう、大丈夫だよ、ありがとう。

でも、悔しいの。
なんだか、とても悔しいの。

「そうだよ、な」

悔しい。
どこかの誰かに、刷り込まれた価値観。
いつの間にか、自分の根底になってる、この価値観。

「ああ、そうだ。悔しいよな」

そして、それをいい様に扱われて。
誰かがこっそり笑っているとしたら。

「許せないよな」

ああ、許せるもんか。
許してやるもんか。

「じゃあ、やるしかないよな」

そうだね。
やってやろう。
超電磁砲の錆にしてやろう。






近くの開けた公園で能力を開放した。
満ちていく、電磁波の波紋。
頭を心地よく満たしていく、マクスウェルの奇跡。
私の誇り、私の現実。
同時に、私を閉じ込めていた、私の愛しい檻。

誇りを檻に変えたのは、他ならぬ私。
でも、それを仕向けた者だって、確かにいる。

だから。

気付かなかった、過去の私のために。
気付いた私は、第3位の全能力を行使する。
大切な、図書館と、空隙に見守られて。
空を彩る波を読む。
黒く厚い空から嵐が見えるように、
そこから、意味を拾い上げる。






……見つけたぞ、クソ野郎。






初春飾利を人質として助手席に乗せ、木山春生はハイウェイを走る。
研究所に侵入者あり。
ナビの画面に、自分の端末が立ち上げられるのを確認する。
出る途中にアンチスキルの特殊車両も見えた。
予想よりも動きが早い。

「早いな……もう、動いたか……」
「何が、ですか?」
「アンチスキルだ。君が来てから、動き出すまでの時間が短すぎる」
「……アンチスキルには事前に協力要請をだしてあります。初動が早いのはそのためでしょう」
「そうか……ジャッジメントも侮れないな」
「だったら、そろそろ諦めたらどうですか?」
「そうはいかない。あと少しで目的が達成されるのだ」

木山は捕まることは無いと確信していたのか、自分の犯行をとつとつと喋った。
樹形図の設計者と同等の演算装置として学生の脳を使う、自分の犯行を。
そして、初春にレベルアッパー治療用のプログラムまで投げてよこした。
もちろん、この場でその真偽を確認することはできない。

「でもほら、どうやら年貢の納め時のようですよ?」

初春は少し震える。
自分が、人質として活用されるときが来たのだから。
でも、目は伏せない。
親友を救うまでは、逃げるわけには行かない。

「やれやれ……じゃあ、少しだけ相手をしてあげるとするかな」

対する木山は余裕そのもの。
サブマシンガンを構えるアンチスキルの一隊を前に緩やかに車を止め、
車から降りる。
ふとバックミラーを見ると、一台のタクシーが映る。
それは近づき、客を降ろして去っていく。
そして。






「やっと、見つけたわ。……あんたが首謀者ね」



ついに追いついた御坂美琴は、そう宣言した。












《幻想御手6》

佐天涙子は夢を見る。

自分とだれかが溶け合って、強い力に変わる夢。

湧き上がる、万能感。
満たしていく、期待感。
埋め尽くすような、圧倒感。

これが私であるならば。

私は、私でなくても良い。





「あんただったのね。木山春生。ジャッジメントから依頼があって、びっくりしたかしら?それとも、ラッキーって、思ったのかしら?」

一歩、一歩、御坂達は木山に近づいていく。
後ろには一瞬で木山に制圧された、アンチスキル。
あり得ないとされた多重能力者を前に、それでも歩みが止まることはない。

「それにしても、多重能力なんて、器用な真似するじゃない。それはあんたの才能かしら。それとも、自分で自分の脳でもいじくった?」

応じる木山は静かなものだ。
明白な自信を滲ませて、こちらを見ている。

「初春さんも人質に取っているみたいだし。自分の勝ちは揺るがないって、ひょっとして信じていたりするのかしら?」

両者の間は50 m。
超電磁砲の射程距離に入る。

「もし、そうなら、その勘違いを正してあげる。いま、ここで」

ね?と言いながら、御坂は電撃を放った。



御坂の電流を、木山の体を淡く包む光がはじく。

その木山に向けて、上条が走り出す。
インデックスが、眠らされているらしき初春のもとに急ぐ。

木山が手を振ると、衝撃波が上条めがけて突っ込んでくる。
それを右手で払えば、木山の顔に疑問が浮かぶ。

その隙に御坂が電撃を木山の足元に打ち込む。
地面が捲られ、彼女は空中に打ち上げられる。
空中で体勢を直す木山は、迫る上条の前にアスファルトの壁を作る。
しかし、それも右手が触れると土くれのように崩れ去る。

迫る上条を、木山が人を超えたスピードで避ける。
インデックスが、初春を背負って、木山から離れる。
御坂の電撃が木山の退路を塞ぐ。

「ここらへんにしておいたほうが良いんじゃないかしら?もし、これ以上抵抗するなら」

上条が、動線上から左に動く。
息が上がる木山に、コインを構える。

「手加減、できないけど」

ドン、と音がして、木山の足元から衝撃が走る。
亀裂が走るのをみて、上条の右手が地面を叩く。
亀裂が止まり、木山の顔が驚愕に固まる。
そして。






的確に放たれた超電磁砲に、能力による防御が適うわけも無い。
衝撃波に打ち据えられて、木山は意識を失った。






意識を飛ばした木山はアンチスキルに担架で運ばれていった。
眠る初春さんの生体電流をチェックし、ついでに僅かに刺激を与えて目を覚まさせる。
幸い何の問題もないようだと、御坂はほっと息をついた。
よかった、と笑いかける御坂に、初春は俯いて手の中のメモリを握り締める。

思わず固まる笑顔をみて、くしゃっと上条が左手で御坂の頭を撫でる。



――お疲れ。かっこよかったぞ。



ついで、インデックスの頭も撫でる。



――お前も良くがんばった。明日は筋肉痛かな。



少し下から見上げる彼の横顔は、よく見ればちゃんと微笑んでいた。






突然、私の体に亀裂が走った。
ばらばらと、ぼろぼろと、私の体から何かが零れ落ちる。

手ですくって、かき集めても間に合わない。
次から次へと、私から離れていく。

私の力も抜け落ちる。
ばらばらと、ぼろぼろと。

寄せ集めても、叶わない。
かき消すように、失っていく。

やがて、私は小さくしぼんで
いつしか、私に戻っていた。






うっすらと、眼を開ける。
白い、天井。
起き上がれば、見慣れぬ服を着た自分。
そうか、ここは病院だ。

私は、助かったのか。






夕方に、初春はお見舞いに来てくれた。

ありがと。

顔も見れずに言った私を、初春は抱きしめてぼろぼろ涙を流した。
その涙に私も泣けてきて、抱きしめ返してぼろぼろ泣いた。

ごめんね、心配かけて。
ありがとね。助けてくれて。

ごめん。

……こんな私で。






佐天涙子には3日間の入院が命ぜられた。

自分の容態は思っていたより大変だったうえに、正体不明のプログラムが解析中ということであれば、病院で様子見になるのも仕方なかった。
入院中、初春は毎日お見舞いに来てくれた。

あのときのことなんて、髪飾りを変えたらすっかり忘れてしまいました。
そんな感じで対応してくれる初春に
くしゃみをしたら記憶がぶっ飛んじゃった。
という感じで対応する自分。

嬉しく、楽しいはずなのに。
今の私と彼女の間には、溝があると感じる。

初春が来ていないときは、暇をもてあまして病院を散歩することもある。
なにせ、基本的に健康なのだ。
そんな自分から見て通り過ぎる人の顔は、やはりここが病院であることを実感させる。

だから、たまに健康そうな若者を見つけると。
ああ、あの人もなのかな、と思って、思わず背中を向けてしまう。

結局私が能力者でいられたのは、72時間も無かった。
今の私は、どれだけ力を込めても、この心の影を払う風すら起こすことができない。

ああ。
私は、なぜ、あんなことをしたんだろう。
後悔は、もちろんある。

でも、じゃあ、あのときレベルアッパーを使わない選択はあった?
と考えれば、そんなもの、あるわけなかった。

だから、これは私の運命に違いない。



だって。



だって、夢だったのだ。



なんども、それこそ夢にだってでてくるくらい、激しい夢だった。
正義のヒーローになりたかった。
悪を蹴散らす、力がほしかった。
それが手に入るかもしれないって、知った、あのとき。
いてもたっても居られなかった。

両親に反対された。
母親は、出発の日まで、反対し続けた。
弟は、幼さゆえに、私をうらやんだ。
そんな気持ちを振り切ってここにきたんだ。
私にだって、意地くらいあった。

それに、この街に来た初日に、私はこの目で見てしまった。
能力。
異能の、力。
すごい、と心が昂ぶった。
あれがあれば、ヒーローになれるじゃん。

あの日の能力者は、きっと御坂さんには遠く及ばない。
それでも、彼は私のヒーローで、そして目標になった。

そんな真っ直ぐな気持ちは、最初のテストで打ち砕かれた。
でも、諦めたくなかった。
諦めたふりをしてたけど、絶対に諦めたくなかったんだ。
私だって、できるはずだ。
同じ、人間だもの。






誰かの能力を見て、目を逸らしながらも
本当は横目で見ていたんだ。

システムスキャンでレベル0だったとき
やっぱりそれでも悔しかったんだ。

努力とか、情熱とか、信念とか。
馬鹿にしたけど、実はこっそり持っていたんだ。

何度も、裏切られ、傷ついては歪に治り
元の形すら、今では分からないけど。

私の中には、いまもヒーローが生きていたんだ。






けれど。
不正をしてまで一旦手に入れた能力はとてもか弱いもので。
しかもそれすら、今は失った。

今は、心がとても空々しい。
ヒーローもとうとう時間切れなのかな。
3分で消えなかっただけ、頑張ったといえるかもしれない。

私、帰ろうかな。
あの家へ。
家族のもとへ。






「初春、今日は早いじゃん」

入院の最終日。
扉を見ずに言って、振り返ったら人違いだった。



荷物をまとめていた私を訪れたのは、上条当麻だった。












《幻想御手7》(完)

ヒーローって、なんだったっけ。

巨大な力を持つ人?

正義を体現する人?

とっさの機転で危機を回避する人?

過去を振り返らない人?

私がなりたいヒーローって、なんだっけ?






無表情で口数も少ない上に口調も平坦だ。
目線もあまり動かないし、体も無駄な動きが無い。
そのくせ喧嘩はとても強くて、頭だって良い。
私を救うために戦ってくれた、私とはあまりに違う、レベル0。


私に、レベルを言い訳にすることすら封じる存在を前に、
私の体は強張った。

「体は大丈夫か?」
「ええ。お見舞いに来てくれたんですね、上条さん。ありがとうございます」
「いや、来るのが遅くなってすまん」
「何を言ってるんですか。こんなことされたら、ときめいちゃいますよ?」

軽い冗談に微笑する彼。
あれ、こんなに、表情があったっけ。

「それは、光栄だ」
「またまた……、そんなこというと、御坂さんに言いつけますよ?」
「それも楽しそうだな。どんな、反応をするか」

私は彼を誤解していたんだろうか。
なんだか、ずいぶんと打ち解けた感じになっている。

「いいんですか。やっちゃいますよ、私」
「おう、やってみろ。見ててやるから」
「もう。あれ、手ぶらですか?」
「ああ、ごめん。そうだな、配慮が足りなかった」
「なんて、ね。冗談ですよ。私、今日退院なんです。今度おごってもらうってことで大丈夫ですよ?」
「ちゃっかりしてるな」

あはは、と笑う私。
肩をすくめる、彼。

「冗談ですよ。大丈夫です」
「いや、いいよ。快気祝いに、今度ご馳走してやる。何が食べたい?」
「そうですね。病院じゃあ食べれなかったから、パフェが良いです」
「パフェか。分かった。覚えておくよ」

凄く、自然。
体の力が抜けていくのを感じる。

「まあ、立ち話もなんですから、座ってくださいよ」






椅子を勧め、私はベッドに座る。
ありがとう、といいながら、椅子に座る、彼。

「それにしても、本当に元気そうだな。安心したよ」
「すみません。ご心配をおかけしました」

今回の事件の犯人は、木山だった。
レベルアッパーの力を借りて、多重能力者になった彼女を、インデックスや御坂さん、そして彼が止めてくれたのだ。
初春も人質になったと、ひょっとしたら危なかったかも、と言っていた。
本当に感謝しなければいけない。

感謝しなければ、いけないのに。

「いや、当たり前のことをしたまでだ」
「……当たり前じゃないですよ。普通、できませんもん」
「そうでもない」
「そうですって。そんな、ヒーローみたいなことなんて」

ああ、嫌だ。
自分の口調が固くなる。
なのに上条さんは穏やかなまま。

「俺達はヒーローじゃねえよ」
「ヒーローですよ」

そうだ。
巨大な力で、正義の心に、聡い機転をもって悪を倒す。
彼等がヒーローじゃなかったら、何だというんだ。

でも、私の言葉に上条さんは緩く首を振って答える。

「俺達は、ヒーローじゃねえ。なぜなら」

一瞬、間を置く。

「俺達はお前に対する罪滅ぼしのために、木山と戦ったんだからな」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ。俺達は、お前にひどいことをした。だから、贖罪のために戦ったんだ。決して、皆を助けようとか、悪が許せないとかじゃねえ。だからヒーローじゃねえ」
「……意味が、わかりません」

まったく解らない。
何かをされた覚えは全く無い。
私のために、戦った?

「俺は知っていたんだ。お前がレベルアッパーを使うこと」
「……え?」
「しかも、俺達は、レベルアッパーが危険だってことも知っていた。知っていたのに、それを見過ごしたんだ。本当に、すまん」

何を。
何を言っているのだ、この男は。

「どういう、ことですか?」
「俺は、レベル0だから」

だから、お前の中にある嫉妬や不満はよくわかる。
俺の中にだって、それはあるから。






そうか。
この人も。

この人でさえ、共感者なんだ。

御坂さんを子ども扱いしているこの人でさえ。
レベルの壁は破れないんだ。



嬉しい、気がする。
共感してくれて。
悲しい、気がする。
超えれないことを見せられて。



「だから本当にごめんな。お前の気持ち、わかっていたのに、止めて上げられなくて」
「……いえ。自分が蒔いた種ですから」
「一言、言えればこうならなかったと思う」
「それはわかりません。言われても手を出したかも知れません」
「そうか」



楽しい、気がする。
偉大なレベル0が謝ってくれて。
悔しい、気がする。
誰かに気にされなきゃいけない、自分だとわかって。



「だから謝らなくても良いんです。私こそ謝らなくちゃ。御礼もせずにごめんなさい。御坂さんにも謝って置いてください」
「あいつはそんなこと気にしねえよ」
「それでも、です。私、御坂さんに明らかに嫉妬していましたから」
「まあな。あいつは凄いもんな」
「凄いですよね。本当に」



希望が、湧いてくる。
良い友達ができたから。
絶望が、湧いてくる。
彼女にはもう届かないから。



「なあ、佐天」
「はい」

幾多の相反する感情を飲み込んで微笑んだ私に、彼はにこやかに告げる。






「お前、学園都市をでて実家に帰ったほうがいいんじゃないか?」
「……え?」






「なんで、ですか?」






だって、お前、懲りただろ?
そう答える彼は、相変わらずの笑顔だ。



お前、懲りただろ。
俺達、レベル0の、無力さに。



お前、懲りただろ。
俺達、レベル0は、報われないってことに。



お前、懲りただろ。
俺達、レベル0を、周りが扱う、冷たい眼に。



お前、懲りただろ。
俺達、レベル0が、力に憧れる、その浅ましさに。






もう、懲りただろう?
もう、嫌になっただろう?






言葉が、思考が、心が、止まる。

何て正しい。
そうか。
この人は正しく理解している。
私達、レベル0の運命と苦しみを。

そうだ。
正しい。
彼は正しい。
私だってそう思っていたことを、全部言ってくれた。

潔く、カッコよく、鮮やかに。

彼はきっと、ヒーローなんだ。
私を救うヒーローなんだ。
迷い、苦しみ、もがき、すがる、この幻想を殺し、
私を楽にしてくれる、そんなヒーローなんだ。

ヒーローである、はずなのに。












「ふざけんじゃねエエエエエエエエエ!!」

「なめたこと、言ってんじゃねエエエエエエエッ!!」



言葉が飛び出た。
弾けたように、手も出た。
彼を殴った。



「何勝手に、私のこと計ってんだ?何勝手に、他人の幸せ、決めてんだ?何勝手に、私が不幸だって決め付けてんだ!?」

「私の幸せは、私が決めるんだ。私の生き方は、私が決めるんだ。辛くたって、迷ったって私なんだ。私だけが、私の人生を決めるんだ!」



体が震える。
嬉しさも、悲しさも、楽しさも、悔しさも、希望も、絶望も。
全部、背負うのは、この私。
だからその重さだって、誰にも文句は言わせない。
当たり前じゃないか。
レベル0も、レベル5も関係ない。
全部ひっくるめて私が納得行かないなら。
そんなのきっと、私が生きている意味が無い。



泣いてるよ、私。
鼻水だって垂れてるよ。
でも、言わなきゃいけないんだ。
カッコつけてる場合じゃない。



上条さんに、だけじゃない。
私にだって、言わなければいけない。



「だから、私の人生、勝手に解ったようなこと言うんじゃねえ!」



上条さんはじっと私を見ていた。
いつの間にか無表情になっていた彼は、少しだけ微笑むと病室を去っていった。






病室の扉の外で、御坂美琴はインデックスと一緒に待っていた。

本当は一緒にお見舞いする予定だった。
お見舞いのお菓子だって買ってあった。
でも直前になって、先に話したいと上条が言い出して。
それならと順番を譲ったら、この有様だ。

もはや、お見舞いなんてできるわけが無い。



「結構、奮発したんだけど。このスイーツ」
「そうか。ごめんな。台無しにした」
「まあ、しょうがないじゃん。3人で食べればいいよ」

病院からの帰り道。
あげ損なったゼリー詰め合わせを上条に押し付けて、並んで歩く。
一人挟んで隣を歩くインデックスが言う。

「やっぱり、とうまは詐欺師だね」

全く持って同感だ。

「うん。やっぱり、アンタは嘘つきだ」

そんな言葉に、上条はわずかに笑う。

「まあ、あれだけ声が出たんだ。元気だってわかってよかったじゃないか」

そういうこと、言ってるんじゃない。

「乙女心を弄ぶと、突然後ろから刺されるわよ?」

デリカシーのかけらもないやつだ。

「大丈夫だ。ときどき鏡で見るようにしてるから」

わざとらしく携帯を出す。
可愛くない。

「人の心に土足ではいると、恨まれると思うな」

インデックスが込めた毒にも、ぴんぴんしている。

「それは慣れっこだ。……だが、ちょっとやり過ぎたかな?」

多分、これは意味の無い問い。
コイツは、やり過ぎたなんて思っちゃいない。
でも。

「ううん。きっと、大丈夫だと思うよ」

そう、私が言うことを予期しての問いだとわかったから。
正直者の私は、ちゃんと答えてあげるのだ。

「だといいがな」

そして、言葉が途切れ、私達は歩く。
でも、けっして居心地の悪い空気なんかじゃない。



左を歩く上条を見る。

相変わらず、無表情。
相変わらず、綺麗な姿勢で、滑るように歩いている姿。
コイツは、どう、思っているのだろう。

「ね、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「アンタはさ、私が羨ましい?」
「いや、特に」
「アンタはさ、レベル0でいるの、嫌?」
「それほど嫌じゃねえよ」
「じゃあさ」



「じゃあ……アンタはさ、なんで、学園都市にいるの?」



予測外の質問だったのだろう。
上条がこちらを見る。
無表情だが、僅かに眼が動いている。
脳波が視れなくたって、答えをサーチしているのが見える。

「俺さ。7年前、ここに来た」
「そうなんだ」
「ここに来る前にいたところに、居たくなくてさ、逃げてきたんだ」
「……え?」
「逃げてきたんだよ。だから俺は帰るところが無いんだ」
「……そう」
「それが、理由かな」

私は答えの意味を考える。
インデックスもきっと考えている。
上条はきっと、私達がどう考えているのかをトレースしている。



そんな思索が交差する、夏の日。






やっちゃった。
流石にやっちゃった、と思う。
いくらなんでも、恩人にグーパンチは無いだろう。
言われたことだって、そこまで酷いわけではなかったのに。

「あーあ。やっちゃったなあ」

独り言こぼしても、現実は変わらない。
私が選んだ道。
私が、背負わなきゃ。

でも、すっきりした、と思う。
なんだか、とてもすっきりした。

私が、いつまで学園都市に居るのか。
私のレベルが、この先上がるのか。
それは解らない。
将来、今日の選択を後悔するときが、来ないとはいえない。

でも、私が生きているのは今日なんだ。
明日でも、明後日でも、1年後でも50年先でもない。
だったら、今日、ベストと思うことを、するしかないじゃん。

あーあ、と言いながら、立ち上がり伸びをする。
ついでに背中を逸らし、仰け反ってみる。



目に逆さに映る、世界。



解った。
唐突だけど解った。
今日のところはこれがベストだ。

初春に、もう一度謝ろう。
上条さんには、うんと謝ろう。
御坂さんやインデックスにも謝ろう。
白井さんにも謝ろう。

謝って、謝って、心を軽くしたら
もうちょっとだけ頑張ろう。






だって、私はさっき見たんだ。

ヒーロー。
自分の人生を生きる、一人の無愛想なヒーロー。

でも、あれならなれる。
私だってなれる。



コインを音速で飛ばせなくても。
瞬間移動ができなくても



たとえ、涙をぬぐう風が吹かなくても。



私は、ヒーローになれる。
私は、ヒーローになる。






私が決める、私が生きる人生のヒーローに、私だってなってやる。
なってやるからな。
絶対に。



[28416] 吸血殺し (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:45
《吸血殺し1》

ベッドから、飛び起きた。

また、あの夢だ。
私が、皆を殺す。
全てを灰燼に帰す。
そんな、真っ白い悪夢。



額に浮かぶ汗もそのままに、姫神秋沙は顔を覆った。






上条当麻と出会ってから時間の進みが速くなった気がする、と御坂美琴は思う。
楽しくて時間が経つのを忘れるという言い回しはよく聞くし、そういった面もまあ、無くはない。
しかし振り返ってみれば、それ以上に命をやり取りするような事件が過密なスケジュールで詰まっていて、これが圧倒的に時間を食いつぶしているのだ。
生きるか死ぬかなんてことを、この2週間ちょっとで3回も味わった。
しかし、さすがにもう一生分使い切っただろう。

だから海などという、漂流やら水没やら幽霊やらサメやらに溢れている、そんなスリリングな場所に敢えて行ったとしても、これ以上厄介が起きるとは考えられない……よね?

そんな具合に疑問符が消えない程度に、御坂は自分の運命をぼんやりと認識していた。



「で、どこにする?」
「近場で良いんじゃないか。どこ行っても、混んでるだろうしな」
「遠浅で砂浜となると、あまり選択肢も無いしね」



佐天涙子の見舞いを空振りした日。
せっかく外出したのに帰るのはもったいないということで、駅前のデパートに行ってみた。
8階に苦い思い出があるものの、この近くではそれなりに大きく品揃えも良い。特に何かというわけではなかったが、ここにもセールの波は来ていたようで、売り場の熱気に、だんだんと楽しくなってくるから不思議なものだ。
そして、一際混みあう売り場を覗いてみれば、女性用水着が大安売り。
押し合いへし合う女性客にまぎれる事に僅かな抵抗を見せた上条の襟をつかみ、
インデックスにセールの処世術の概略を教えると、いざ合戦と突入を開始する。



曰く、奪われるくらいなら、奪え。



青ざめたインデックスの緊張も、ぎゃんぎゃん言ってるおば様たちの喧騒に麻痺したのか。
彼女は、意外と積極的に攻めの姿勢を見せる。
それに触発されて私もアグレッシブな攻勢にでる。
上条当麻は、奇妙な目で見られながらも無表情でたたずんでいる。

そんな激しい戦いの末、ようやく手に入れた水着。
試着を待ち会計を待ちで3時間以上かけた戦利品だ。
使わないなんてありえないよね。
いや、むしろ明日にでも使いたい。
インデックスと目と目で語り合った結果、多数決により海への旅行は即決された。






一応天候も調べたが、問題なし。
外出許可も、当然のように不正アクセスによって偽造するので許可が下りるのを待つ必要も無い。
携帯で調べれば、2時間以内で行ける海水浴場はあまり選択肢も無かったので、特に揉めることなく、プランは確定した。

インデックスはひたすらに上機嫌だ。

ビーチボールやら浮き輪やらの入った大荷物を持つ上条も、彼女の姿をみて僅かに嬉しそうな表情を見せた。
最近は、ようやく心の疲れが減ってきたのか、夜うなされることも少ないと聞く。
彼女が手に入れつつある幸せと、それを壊しうる呪いの存在を話すタイミングについて、御坂美琴は少しだけ思いを馳せた。



そんなこんなの帰り道。
スキップしそうに上機嫌だったインデックスの足が、ぱたりと止まる。
その目が何かを見ている。

「魔術か?」

荷物持ちが問う。

「うん。なにか変な流れが見えるの。なんだろう、ずっと続いている」

歩き出しそうになるインデックスを御坂の手が止める。

「待ちなさい。正体不明のものを追いかけるのは危険だわ」

能力の目で見ると、確かに、インデックスの見ている付近の電磁波の連続性に違和感がある。
言われなければ、絶対に気付かない程度の違和感だ。
細い道のように蛇行しながら路地裏へと続いている。

「どんな感じだ?」
「解らないわ。とりあえず、電磁波の乱れっぽいのが細く路地裏に続いている」
「みこと、見えるの?」

インデックスが驚いたように聞く。

「見えるというか、なんていうのかな、消しゴムで消し損ねた薄い筆跡、みたいな感じ。読めそうで、読めない、でもそこにあることが、言われれば解る、ぐらいよ」
「お前には、はっきり見えるのか?」
「うん。見えるよ」
「やっぱりね。専門家は違うわ」

専門家、という言葉は選択ミスだったか。
彼女の顔が少しだけ曇ってしまった。

「インデックス、追跡する意味がありそうか?」
「わからない。ただ魔術の流れって、この街で久しぶりに見たから気にはなる」
「それは、どういうときにできるんだ?」
「強力な魔術師が通ったあと、が一番可能性は高いけどフェイクかも」
「何かの術式である可能性は?」
「これだけでは解らないかな。追跡すれば、わかるかも」
「そうか、じゃあ荷物を家に置いて改めて追跡でも良いか?」
「うん」
「御坂も、それでいいか?」
「放っておくのも気になるしね。確かめましょ」

そして、一旦荷物を置いてから家に帰り、追跡したものの大きな収穫は無かった。

「ここで流れは終わっている」
「そう、みたいね」

目が悪い人みたいに、目を凝らす。
別に目を凝らさなくても見えるはずなのだが、こうすると、少し見やすい気がする。

「なにか意味はありそうか?」
「多分、ない」
「そっか、じゃあ帰ろう」

あれは、一体なんだったのか。
その正体を知るのは、それから18時間後の話である。






ちょっと気にならないでもないが、これしきのことで水着を無駄にするわけには行かない、というのが、私と美琴の意見だった。
当麻はちょっと考えて

「問題ないか」

とGOサインを出した。

そして迎えた、8月8日。
学園都市を無事不法脱出すると、一路海へとつなぐ電車に揺られることとなる。
一部では笑いの日という、と、昨日テレビでやっていたと記憶する。せっかくだから、いつもよりも笑いが絶えないと良いな、とインデックスは願った。
その時に、当麻の携帯がなる。
電車は貸切といって良いほどがらがらだ。
良いと判断したのだろう、彼は電話を取る。

「もしもし……?だれだ?…、え?なんで、俺が?え?」

なんだろう。

「いや、意味が解らないんだが。だってお前の仕事なんだろ?うん、うん。……え?」

なんだか少し困っているように見えるが、大丈夫だろうか?

「ああ、わかったよ。うん、……行きたければ一人で行けよ。……いや、そこまでは責任取れねえよ」

美琴を見るとそ知らぬ顔。
ああ、そっか。彼女には携帯の会話は筒抜けなんだっけ。
それに気付かない当麻ではない。
だから、あとで、きっと話してくれるはずだ。

「解ったよ。じゃあな」

結構な長電話のあと、電話を切る。
そして、美琴をちらり、とみると

「聞こえたと思うから話すよ。この前、家のドアを壊した犯罪者が、協力してほしいんだとさ」



話を要約すれば、学園都市で有名な進学塾があるのだがこれが錬金術を使う魔術師に乗っ取られた。
そして、そこには吸血殺しという能力をもつ少女が監禁されている。
錬金術師を制圧し、彼女を助けるのが、必要悪の教会所属である彼の任務であり、それを当麻に手伝うよう要請してきたということだ。

その意味するところを考える。
きっと、人の身を超えようとした魔術師を必要悪が処断する、ということだろう。
それを当麻に伝えつつ、でもそんなことに当麻が協力する必要が無いじゃない、というと、

「協力しなけりゃ、アンタを学園都市から連れ去るって言ってるわ」

と美琴が教えてくれた。
なるほど、そう言うわけか。

「話を聞くと、どうやら今日にでも突入したいらしい。だが、俺達は今日は予定があるからな。どうしても今日行きたければ、一人で行けと断った」
「断れたの?」
「断るだろ。だっていきなりだぞ。今日じゃなきゃいけない理由もわからなかったしな」
「なんで、断れたの?」
「なんで、っていわれても、よくわからないが」

だって、相手はあの必要悪の教会だ。
どんな無慈悲だって強いる、あの組織が、海に行きたいからキャンセルなんて認めるはずがない。

「俺は、お前を連れ去るっていうのがハッタリだって思ってるからな。強気に出たら、あっさり折れた」

え?
ハッタリ?

「もしかしたら、あいつが今日解決してしまうかもしれない。そしたら俺達は何もしなくて良い。解決しなければ、多分協力するのは避けられないだろ。だったら考えるのは明日以降で良いよな。だから、この話はもうおしまいだ。あとは帰ってからにしよう」



「ちなみに、昨日の変な魔術の流れっていうのはあいつの仕業なんだとさ。お前を一人誘い出している間に、俺に話をつけようとしたらしい」

「馬鹿よね、そいつ」

そう、美琴が呟く。

「私達が、インデックスを一人でふらふら追いかけさせるわけないってのに」

その言葉が嬉しかったので、とりあえずは思考を棚上げにすることに決めたのだ。












《吸血殺し2》

ぼんやりと鏡を見る。
鏡の中の私が、ぼんやりと見返している。
なぜ、生きていられるの?
貴女。



私を育ててくれた、優しい時間。
私を守ってくれた、のどかな村。
私を包んでくれた、温かい人々。
私を愛してくれた、大切な両親。



その全てを滅ぼして。

なぜ、私はまだ生きているの?






終着駅から海岸までは徒歩で10分ほどであったと、インデックスは記憶する。
駅を降りて海までの道を行けば、水着とTシャツなど、普段は見ない格好の人が溢れていて、自分がついにハレの日を迎えたのを実感した。

今日の服装は、水色のワンピースと麦藁帽子。
どうせ水着になるんだ、歩く教会を着ていかなくてもいいだろ?
そういう上条当麻に勧められて、1週間ちょっとぶりに別の服装で外に出ることにした。
まあ、前回は私服というより当麻の服と美琴の服を折り返して着ていたのだから、本当の意味の私服としては、今日が始めてである。
そこまで思い至って、当麻が学園都市外の魔術師の探索魔術を避けるために、歩く教会を家に置いてきたことにようやく気がついた。

なんて、抜けているのか。

でも、自分の不覚が、幸せの証であるような気がして、インデックスは帽子の角度を少し直した。



「思ったより空いてるな。よかった」
「そうね。もっと混雑しているかと思った」

海岸が見渡せるところまで来て、芋洗いにならずにすんだことに御坂美琴は安堵する。
なにせインデックスにとって人生初の海水浴なのだ。
完全記憶能力者である彼女には永遠に記憶されるであろう、幸せの1ページ、できることならより良いものにしてあげたいと思うのは必定である。

そして、件の少女はハイテンションだ。

全身から嬉しい、楽しい、大好きの電磁波が出ているのが能力を使わなくてもよくわかる。
頭1つ分私より小さい彼女はそれでも同じ光景を見たいのか、爪先立ちで海岸を見る。
その表情に感動と驚きが広がっていくのを、上条がわずかに満足そうに見ている。

「転ぶなよ」

バレリーナのようにそのままの姿勢で歩き出そうとする彼女に、彼が声をかける。
そうか、私も背伸びをすれば彼と同じ視界が見えるのか。
そう思ったので、私も彼女に続いて同じ姿勢をとる。
見える世界は、ほとんど変わらない。
変わるのは、ごく近傍だけ。
私の大切な友人たちの、肩の位置、顔の角度、髪の毛の見え方。
それがほとんどだ。
けれども私はそれにとても満足したので、転びかけたところを上条に助けられるまでインデックスとよたよたと歩きながらプラス6 cmの世界を楽しんだのだ。






「どうよ?」
「どうかな、とうま?」


そして、時が来た。

お待ちかねの、水着お披露目タイムである。
男のほうが着替えるのが早いから、水着になっても浮き輪を持ってもペールな表情を示す上条にインデックスと二人、羽織った上着を脱いで見せ付けてみた。

「いいんじゃないか」

やっぱり、予測通り淡白な回答だ。
やはり僧侶に色気は通じないのか。
当然、色気が不足しているなんて可能性は承認できない。
隣からも、やや落胆の空気が漏れるのが聞こえる。
すると、

「……すごくかわいいと思うぞ」

は?と固まる、私達。
耳を疑う。
今、なんて言った?

「すごくかわいい。やっぱり違うな。ドキドキする」

え?
なんですと?

「変な言い方だけど、女の子なんだな、って思うな。見れて、よかった」


想定外のほめ言葉にフリーズしかかるが、寸でのところで過去の経験に救われる。
よく見れば、わずかに口角が上がっている。

やられた。

隣で機能を停止しているインデックスを肘でつついて再起動する。
彼女もすぐに現状を把握したらしい。
銀の眉が吊り上がるのが見えた。

「ありがと。アンタも良い体してるじゃない。ドキドキするわ」

やられてばかりは癪だから、意趣返しにウインクも上乗せしたが、通じなかったらしい。

「ありがとな。じゃあ、行くか」

と言って、すぅと歩き出す。
まだ、勝てないか。

くそぅ。






そして、海だ。
泳いだこともないインデックスを浮き輪に通すと、そのまま少し沖までいってみる。
上条に手を引かれながら、彼女は不器用にバタ足をしながらついてくる。
彼は水の中でもポリシーを曲げないのか、相変わらず綺麗な姿勢で泳いでいる。

インデックスはさっきから笑いっぱなしだ。
私も妙にテンションが上がっているのを感じる。
上条だって、注意してみれば楽しそうだ。

水面に仰向けになって、空を見る。
快晴とはいかなかったが、入道雲と青い空は、それはそれで夏らしい。
そして、今の私達は、本当に夏季休暇の学生らしい。

こんなに、楽しい時間があるなんて。

隣で同じように仰向けになっている嘘つきに、心の中で感謝した。






海で泳いだ後すこしだけ美琴から泳ぎを教えてもらったが、海の水が塩辛いという本の知識が正しいことを4回くらい実体験したところで打ち切りになったとインデックスは記憶する。
周りですいすい泳いでいる人達を見て楽しさのあまりできるかと思ったが、なかなかどうしてちゃんと水に浮いているだけでも難しいということがよくわかった。
美琴先生によれば、波もない淡水のプールのほうが練習しやすいということ。
プールについて聞くと、巨大な滑り台があったり、円形に水が流れたりと、海とは違う魅力に溢れたところらしい。
今度、一緒に行きましょ、と笑う美琴に私は笑顔で答える。

私の心の図書館は、今日も幸せの本で溢れている。

「そろそろ昼食にしよう」

見計らったようなタイミングで当麻が入り、私たちは浜へと帰還した。






今度は、スイカを割ってみたい。
今度は、本格的にビーチバレーをやってみたい。
今度は、今度はと繰り返す欲張りな姫も、体力とテンションが尽きたのか、揺られる電車にあっさり沈没した。
寄りかかる銀色の頭を見た後、御坂美琴は通り過ぎる車窓に目を落とす。
流れる緑と、海の藍。
そして海沿いの町並み。
30年前の景色は流れ、流れて、やがて思い出へと変わっていく。
隣の上条に目を向ければ、彼も窓の外を見ているようだった。

コイツの思い出、か。
このお人よしで嘘つきな僧侶は一体、どんな人生を過ごしてきたんだろう。

「ねえ、アンタさ。子供のときってどうだったの?」
「どう、とは?」
「子供のときからそんなふうに無表情だったの?」
「……さあな、覚えてねえよ」

彼の目をみる。
彼の心に、なにかのファイアウォールが展開されているのを知る。

「お前は、どうだったんだ?」

きっと、その質問は、防壁プログラムが算出したもの。

「私も、あんまり覚えてない。でも、普通、だったと思う」
「普通?」
「普通に学校に行って、普通に友達と遊んで、普通に超能力なんてなかった」
「そうか。お前は、どうして学園都市に来たんだ?」
「能力にあこがれていたから、かな」

どうしてなのか、きっかけは覚えていない。
はっきり覚えているのは、初めて両手の間を走った電子の光と、そのときの感動だ。

「そうか。じゃあ、なぜレベル5になったんだ?大変だったんだろ?」
「そうね。それは、私が負けず嫌いだったからよ。努力で勝てるなら勝ちたかった。それだけ」
「お前らしいな」
「でしょ」

三つ子の魂百までも、だ。
すると、隣の少女が少し身じろぎをする。

そうだね。
あんたの事も、忘れてないからね。

そして、私もファイアウォールを展開する。

「ねえ、インデックスのこと、どうする?」
「どうする、とは?」
「いつに、する?」
「今日かな」

言葉を省略しても、伝わる事実。
やっぱり。

「明日の朝じゃあ、だめかな?」
「考える時間が欲しいだろう。今日言って明日までに決めるほうが良いと思う」
「インデックス、楽しそうだったよね。……なんか、哀しいね」

そんな私のつぶやきも、きっと防壁が生み出したものに違いなかった。






家に着くと、当麻が麦茶を出してくれた。
それを3人で飲んで一息ついていると、彼はいつもの調子で私に話す。

「インデックス。お前は、自分にかけられている呪いが見えているよな」

カラン。
小さい音を立てて、氷が動く。

「……え?」
「お前にかけられている呪いだ。まだ解いていない、呪いだ」

麦茶を一口飲む。
味は、なかった。

「どうして?」
「ただの想像だ。もしそんなものがないなら、それが良い」

美琴を見ると、悲しそうな顔をした。
そうか、知っているんだ。二人とも。

「見える、よ」
「どこにある?」

言っても、意味がないから言わなかったのに。
どうして、いつもこんなに鋭いのだろう。

「心臓」

美琴が息を呑む。
当麻の視線が、少しだけ揺れる。

「だから、幻想殺しでは消せないの」

それでも、私は笑える。
だって、こんなに幸せなのだから。
呪いの1つや2つ、大したことはない。



「それを、消したいか?」



当麻が聞く。
意味が理解できない。

「もちろん、消したいよ。でも、無理なんだもん」
「消したことがイギリス清教にばれたら、お前は学園都市に居続けることは不可能だ。きっと、一生追われ続けることになるだろう。殺されるかもしれない」
「……」
「それでも、消したいか?」

少しだけ、考える。
この呪いを消したことが発覚すれば、私は世界中の魔術師から追われることになる。
捕まるなんて考えられないけれど、それでも、逃亡生活が如何に辛いかは、私が一番知っている。

でも。

「消したいよ」

当麻の目をみて、真っ直ぐ答える。
私は、もう、わかったのだ。
私は、禁書目録じゃない。
インデックスなんだ。
だから、私に商品になることを強いる呪いなんて、真っ平ごめんだ。

「それで、いいのか?」
「もちろん」

だから、ちゃんと答えられる。
それを聞いて、当麻は20 秒間、考えた。
そして、応ずる。






「じゃあ、消そう」






薄手の服に着替えて、ベッドの隣に当麻が寝ている布団を敷いて、その上に横になる。
ふと、当麻の匂いがする。
いつも、彼はこれで寝ているのだ。

私にベッドを譲り、少しだけ距離を置いて彼はこの布団で寝ている。
私がうなされると、必ず起きてくれる。
私が再び寝られるまで、話し相手になってくれたり、お腹をぽん、ぽんと軽く叩いてくれる。
私が突然孤独におびえると、必ずそばに来てくれる。
手を握って、頭をなでて、言葉は少ないけど、慰めてくれる。

そんな、優しい匂いがする。

「これでだめなら、外科的手法しかないな」

胸に手を当てても呪いが解けないことを確認した彼は、やや荒っぽい方法をとることにした。
私の胸骨に右手を当て、全力で押して胸骨越しに心臓に触れる。
すなわち、心臓マッサージだ。

心臓マッサージは正常に動いている心臓に行うと、心室細動を起こして死ぬことすらあるらしい。
しかし、AEDよりも細かく電流を制御できるレベル5がいればそんなリスクはない。
ただ、肋骨が折れるかもしれないと彼は言った。
肋骨くらいで良いなら、と笑う私に、

「しばらく笑うと痛くなるぞ」

と、少しだけ笑顔を浮かべて答えた。



「じゃあ、やる。いいか?」
「うん」
「人工呼吸も今ならサービスするけど、どうする?」
「じゃあお願いしようかな」
「馬鹿」

これだけのことで少し慌てる彼は、きっと緊張しているに違いなかった。
きっと、私にとって、正しいかどうか、迷っている部分があるに違いなかった。
だから、私は言う。
この、優しい詐欺師に。

「解けたことはちゃんと隠すから、大丈夫」
「そうか」

彼は答えて、私の胸に右手を当てて力をこめる。
肺から空気が追い出される。
頭に血が上るような感覚がする。

「手加減、しないで」

もう一度。
今度は強く。

骨がきしむ音がする。
視界がゆがむ。
そして。






パキン、という音が響く。







私の自由を奪う呪いが、
私の理性を奪う呪いが、
私の視覚を奪う呪いが、
私の聴覚を奪う呪いが、
私の手足を奪う呪いが、
私の生命を奪う呪いが、



そして



私の魔力を奪う呪いが、

すべて、はじけた。












《吸血殺し3》

吸血殺し、という能力だと聞かされた。
吸血鬼なんて居るかどうかわからない。
それでも、私にはそれを殺す能力があると、矛盾に満ちた説明をされた。
その矛盾を指摘する気力もなかった。

流された果てに漂流した、学園都市だった。
楽しい学校生活を送るには汚れすぎている私は、
当たり前のように孤立していた。



寂しいなんて、思えなかった。
泣きながら私の首に引き寄せられて消えた、母に申し訳ない。

悲しいなんて、思えなかった。
震えながら私の腕に引き寄せられて消えた、父に申し訳ない。

苦しいなんて、思えなかった。
猛るように私の体に引き寄せられて消えた、皆に申し訳ない。



学校と寮とを往復するそんな毎日は、私に与えられた罰としては
あまりに優しすぎて。

しかし、それしかできない無力な私は淡々と時間を消費するより他はなかった。

もし、願いがひとつだけ叶うなら。
私から、この力を消して欲しい。

その願いは、口より先にでることはなく。
ゆえに誰にも聞き入れられなかった。






魔神になっちゃった。



私はそう言って、泣いた。



この世の全てを、例外なく捻じ曲げる。
跡形もなく、情け容赦なく、徹底的に捻じ曲げる。
そんな魔神に、なっちゃった。



そう言って、ぽろぽろと涙を流した。

束縛からの解放の喜びと、世界中と敵に回した孤独は等しく釣り合い、
いずれにしても、涙に変わった。

でも、それを聞いた当麻が言うのだ。



魔神でいいじゃないか、インデックス。これで、誰がなんていおうと、お前の自由だ。もう、おびえることなんて、全然ないじゃないか。



そうしたら、美琴が言うのだ。



いいなあ、インデックス。私だって、どうせだったらそのぐらいぶっ飛んだ強さが
欲しかったな。



笑いながら、言うのだ。
嬉しそうに、言うのだ。



そうか、気づけば、私は、孤独ではなかった。
だって彼らは、禁書目録じゃなくて、インデックスの掛け替えのない友達なのだから。



わかったとたん、平衡が崩れた。
自由の喜びと、私を包む温もりと、私の記憶の幸せに。
笑い、笑って、そして、笑った。

2人からの抱えきれない祝福を受けて。






もっと衝撃を受けるか、悩むんじゃないかと思っていた。
呪いがあるってことにも気づいてないのかとも思っていた。

だけど、やっぱりインデックスはすごかった。

自分の呪いを知り、それが解けたときの自分の末も知って。
それでもそっと知らん振りをしていた。

この強さは、ひょっとしたら彼女の不幸が作ったものかもしれない。
でも、私が彼女に劣るところ。
勝ちたがりの御坂美琴がきっと学ばなければいけない、大切なことだ。

「明日ってどうなるのかな」

ひとしきり笑い疲れて、彼女の肋骨の無事も確認して。
簡単に作った夕飯を食べた後、インデックスがつぶやいた。

といっても、実際はほとんど解決したようなものだ。
インデックスに聞けば、錬金術はそれほど強力な魔術じゃないらしいし、こちらにはあらゆる魔術を防ぐ最強の盾がある。
ここは学園都市で、情報を制御し、雷だって操るレベル5だっている。
おまけに、呪いが解けたことをリークしないように、表には立てないものの神様の領域に足を突っ込んだ天才までそろい踏みだ。
負ける要素を探すほうが難しい。
せいぜい、話に聞く間抜けな長髪魔術師が、足を引っ張らないことを願うくらい。

そんな感じに軽く考えていたが、相変わらず上条は慎重だ。

「人質がいるからな。あんまり簡単には考えないほうが良い」

たしかに言うとおりだ。でも、情報がないじゃない。

「そうだな。あいつには連絡が取れないからな。それが、気になるんだが」

例の魔術師と、明日の件について話すために上条が何度か電話したが、連絡がつかないとのことだ。
念のため、基地局の情報を探ってみたが、該当する番号の端末は見つからない。
どうやら、電源が入っていないらしい。
どうする?とインデックスが問う。

「あいつの魔術を探索することができるか?もちろん、ばれないように」
「探索術式は外に開かれた系だから、完全に隠蔽するのは難しいよ」
「この前使った、魔方陣を使うとかの方法はないのか?」
「アラビア式占星術を応用すれば、この時期ならば可能だけど、精度が低いから」
「それなら、お前の魔力を使わなくてすむのか?」
「うん。30分くらいあれば、魔方陣もかけるよ」
「ちなみに、どこに書くんだ?」
「あ……そっか、外に書かなきゃいけないから」
「今日使ったビニールシートの裏を使えばいいんじゃない?」
「とうま、使っていい?」
「かっこいいからな。ぜひ書いてくれ」

インデックスがマジックでさらさらと文字を連ねる後ろで、そっと上条にささやく。

「よかったね、うまくいって」
「ああ、本当に」

でも、結局この日は魔術師の居場所を特定することはできなかった。






8月9日
電車に乗って、20 kmほど離れた公園に来た。
より精度の高い探索術式を使用するため、地脈なる力を借りるためらしい、と御坂美琴は理解する。
魔術というのは学園都市の能力と異なり、世界に点在する、または遍在する力を利用して異能を達成することができる。
外部の力を使える分コントロールが難しいのか、たやすく精神崩壊や暴走を起こしうるとインデックスは説明してくれた。
そんな危険をはらむ魔術だが、彼女は淀みもためらいもなく使役しているということが素人目にも良くわかった。
昨日の夜に書いた魔法陣を地面に置き、彼女は何かをつぶやく。
魔法陣の文字が光りだし、やがて陣の中に場所が示された。

「生きてたんだな。よかった」

上条がつぶやく。

彼は学園都市の17学区にあるホテルで食事を取っていた。



携帯電話は相変わらずつながらないため、ホテルの名前から電話番号を調べ、フロントに電話して呼び出してもらうことにした。
上条が話していたが、なぜか魔術師は昨日の話も自分が学園都市に来た目的も覚えていないらしく、話がかみ合わない。
さらに携帯電話もいつの間にか無くなっていた、とことだった。

ミッションに失敗して何らかの方法で記憶を改竄され、放逐されたのは明らかだった。

錬金術師にそのようなことができるのか、という上条の問いに、インデックスは首を振る。
上条はわずかに考えたあとに、魔術師に会うことを提案する。

あいつは命まではとられていないから、相手はそれほど危険な存在ではないかもしれない。
そして、イギリス清教が正しい情報を提供している保障はない。
だがインデックスはイギリス清教所属であり、表立って反抗することはできないから、いずれその錬金術師に対峙しなければいけない可能性は高いだろう。
ならば相手の手の内を探るために、魔術師が受けた攻撃を解析しておいたほうがよい。

インデックスを追い詰めた魔術師とインデックスを会わせるのは気が進まなかったが、強く反対する理由もなかったので、私達は例のホテルに向かうことにする。



ところが、事件は思わぬ形に転ずることになった。



吸血殺しの異名をもつ少女、監禁されているはずの姫神秋沙がふらふらと歩いているのを、インデックスが見つけたのである。












《吸血殺し4》

桜が散り梅雨が始まっても、私の生活が変わることはなかった。

単調で、静かな死に至るような毎日。

喜怒哀楽を押し殺したつもりはない。

それらは気づけば自然と消えていった。

だから、ある日下校途中に唐突に攫われたとしても、

私にとって大きな問題ではなかった。






それはホテルまであと5分といった地点だった。

「とうま。あの子、吸血殺しかもしれない」

インデックスが小声で指差す少女は、隣を歩く彼と並ぶほど無表情だった。
しかし、その歩みや瞳に生気はない。

上条が無表情でその少女を眺める。
御坂は彼の目の細かい動きに気づく。

「かもしれない、というのは?」
「吸血鬼の存在は、魔術暦上確認されていないの。ただ、伝承や信仰から吸血鬼と、その天敵である吸血殺しは推測されている。その仮定された存在に、彼女から感じる魔力は合致している、というわけ」
「そんなに不確かなものなのか?」
「うん」
「……そうか。そのお前が感じる魔力っていうのが、吸血殺しの能力の源なんだな?」
「多分ね」

上条が2秒ほど黙る。何かを思考しているのが、御坂にはわかった。

「たしかに、あの魔術師の情報と外見は合致するな。他の可能性はあるか?」
「魔道書には合致するものはないよ。学園都市の能力者にならあるかもしれないけど」
「学園都市の能力者に魔力を感じることはあるのか?」
「近い力を感じる人が、ごくたまにだけどいるよ」
「そうか。ところで話が変わるんだが、歩く教会って、お前以外が着ても効果があるのか?」

予想外の問いに、インデックスが驚いた表情を見せる。

「え?……うん」
「あと、歩く教会って、作るのは結構大変なのか?」
「地脈やテレズマを使用して、それなりに霊装として耐えうる寄り代があればそれほど大変じゃないよ
……でも、どうして?」
「ちょっとな。確認だが、お前の歩く教会は特別に貴重なものという理解でいいのか?」
「うん。これは特別製だよ」
「そうか。……わかった。ありがとう」

そして、さらに5秒間思考したあと彼は私達に問う。

「なあ、少し面倒に巻き込まれると思うが、許してくれるか?」






待ち合わせしたホテルのロビーで、ステイル=マグヌスは上条当麻を待っていた。
既に待ち合わせの時間から30分が経過している。

必要悪の教会に問い合わせた結果、自分が不覚をとったことは明白であった。
この弱みがなかったら、きっと席を立ち去ったに違いなかった。

「悪い、少し遅れた」
「少し、ね。なら、水の中に少しだけ沈んでみるかい?」

彼にとって、上条当麻は不意打ちで自分を倒した卑怯者であり、インデックスを騙していつの間にか管理人に納まった許しがたい敵である。
イギリス清教や学園都市両者からの命令がなければ、この場で灰にしても良いとさえ感じていた。

「すこし、厄介ごとがあってな。すまない」
「まあいい。とりあえず君が居なかったせいで昨日僕は不覚を取ったようだ。今度は協力してもらうぞ」
「その言い方は俺の力を当てにしているように聞こえるが、そうなのか?」

口が炎の術式を紡ぎそうになるのを、必死でこらえる。

「当てにはしていない。当てになるとも思っていない。ただし、これはイギリス清教、学園都市両者の意向だ。君には従う以外の選択肢はない」
「異論はあるがまあいい。ところで、確認したいのだが」

少し、間をおく。

「イギリス清教が吸血殺しの少女を保護する理由。それは彼女を助けることだと言っていたな。具体的に、どう助けるんだ?」
「それは、君の知ったことではない」
「俺は、彼女の能力をコントロールする方法を与えることと認識している。仮に俺がそれを可能とするなら、俺が代わっても良いか?」
「言っている意味が、わからないが。第一、どうやって、君にそんなことができる?」
「それはお前の知ったことではない。で、良いのか?」

忌々しいやつだ。
燃やし尽くせればどんなに気が晴れることか。

「ちっ……。まあ、イギリス清教がコントロールできていると確認できる手段なら、勝手にすればいい。我々の主たる目的は、錬金術師の討伐だ」
「良いんだな」
「くどいぞ。勝手にしろ。いずれにせよ、三沢塾に行かなければ話が進まない。その話に移るぞ」
「その前に、なぜ錬金術師が吸血殺しを監禁しているのか、理由が聞きたい」
「なぜだ」
「そこにはなんらかに意味があるはずだからだ。討伐方法に影響する可能性がある」

苛立ちを隠せず、つい舌打ちをしながら答える。

「吸血殺しは吸血鬼を呼び寄せる。吸血鬼は未だ確認されていない存在だが、永遠の命を持つと考えられている。錬金術師は呪文の詠唱に時間がかかるからね、永遠の命はさぞ魅力的なんだろうさ。……これで、気が済んだか?」
「つまり、錬金術師が吸血殺しを手に入れたからお前たちはそいつを討伐する、ってことで良いのか?」
「ああ、そうだ。もう、いい加減に話をそらすのはやめたまえ」
「ああ。じゃあ、本題に移ろう」



計画はごく、シンプルなものだった。

正面から突入し、撃破する。

上条当麻に指摘されるまでもなく、およそ作戦とは言える代物ではなかった。
聞いた彼はため息をつくと携帯をいじる。そして、

「じゃあ、いこうぜ」

と立ち上がった。






三沢塾は、とても不自然な建物だ、とステイルは感じた。
周囲の建物と比較して、あまりに内部の魔力の流れが見えなさ過ぎる。
その強力なステルス性能に、緊張感の高まりを覚えた。

ここで、一度、自分は完全敗北した。

記憶がないために過去の経験を生かすことはできないが、その事実は少なくとも自分の中にある甘さを消し去ることに役立つ。
ため息をついて、突入しようとしたときに、視界に1人の少女が映った。



インデックスだ。



厳しい視線が自分に向けられているのが良くわかる。
それが自然であるのは分かっているが、何度見ても、胸が痛む。

「上条当麻、なぜここに彼女がいるんだ?」
「質問の意味がわからないが」
「そのままだ。なぜ、ここにいる?」
「あいつは魔道書図書館だ。未知の能力を使う相手に協力を求めるのは自然だろ。それに、あいつだって必要悪の教会のメンバーなんだろうが」

そう言われれば返せる言葉はない。

「くそッ……。じゃあなぜ、彼女は歩く教会を着ていないんだ?あんな無防備な状態で、戦わせるのか?」
「まあ、いいだろ。お前、本当は強いんだろ?だったらお前が守ればいいんじゃないか?」

本当は、のところにアクセントをつけられた。

「貴様……」
「いいから行こうよ、とうま」

彼女は上条の手をとる。
そこにある自然な信頼に暗い気持ちが芽生えるのを、ステイルは頭を振って追い払った。






やはりインデックスは極めて優秀だったと、建物に入ってステイルは直ぐに知った。

自分から見て一体にしか見えない術式を的確に個々に分解し、その重心を上条に告げる。
上条はそれを右手で打ち消す。
それに伴って、周囲を覆う空間を圧縮するような効果が、映し出された虚像が消されていく。
自分がしたことといえば、たまに出てくる魂が抜けたような学生を打ち倒すくらいだった。

「次は、そこの壁。ポスターのあたり」

あの子が指摘する。
無言で頷き、上条がそれを消す。

個々を破られた影響が及んできたのか、渾然一体として建物を覆う魔術の場に、次第に揺らぎが出てくる。
多重にかけられた術式がバランスを崩し、場の崩壊が起こるのは時間の問題と思われた。



そのとき。






「唖然。君は、また懲りずにやってきたのか」

我々3人しか居ないはずのフロアに、声が響く。



振り返ると、アウレオルス=イザードが不敵な笑みを浮かべて、唐突に現出していた。












《吸血殺し5》

雨が上がり、季節が変わったことは、カレンダーが教えてくれた。

監禁されてから1月余り建物から一歩も出られなくても、私の時間に変化はなかった。
ただ、単調に、毎日が浪費されていく。

そんな日々に、変化が訪れる。


唐突に現れた錬金術師は、建物の占拠を宣言した。
能力で押さえ込もうとするものたちは、すべて彼に屠られた。
私は、目前での一頻りの殺戮劇にも、なんの感慨も受けなかった。
それは、慣れ親しんだ風景だったから。

しかし、死んだ表情で見つめる私に、彼はある可能性を見せた。
示された希望に、わずかに心が動かされた。






忽然と現れた錬金術師に、ステイル=マグヌスは困惑する。
いつの間に、現れた?
いかなる方法で、現れた?
一人の人間を、遠隔転移するのは高等魔術だ。
錬金術など頓狂な道を惑う者が、扱える範囲を超えている。

「久しいな、と言った所で君は覚えておらんか。名も知らぬシスター。……ところで、君は何故そのような服を着ているのかね?」

アウレオルスはインデックスに話しかけるが、彼女は答えない。
上条が、淡々とした口調で問いかける。

「インデックス。どうだ?」
「防御術式は確認できない」
「わかった、ありがとう」
「ステイル、あいつが、ターゲットということで良いんだな?」
「ああ、そうだ。あれが錬金術師、アウレオルス=イザードだ」
「愕然。ターゲットとは。君は一体いかなる理由でこの場にいるのかね」

しかし上条は答えなかった。
彼はポケットに両手を突っ込んだまま、滑るように前に動き出す。






目の前にぼんやりと座る少女を見て、御坂美琴は小さくため息をついた。
姫神秋沙と共に上条の部屋に着いてから既に30分。
彼女はまだ一言もしゃべらない。

今頃、上条とインデックスは未知の能力を持つ錬金術師と対峙しているのだろう。
自分がその場に居られないことが、酷くもどかしい。
彼らが遅れをとるとは想像できないが、それでもやはり心配だ。
やはり私は、最前線に立って、直接戦う方があっているようだ。

こんな単純では、あの馬鹿にいつまでたっても勝てないではないか。

「貴方達は。なぜ。こんなことをするの??」

ぽつりと姫神がつぶやいた。

最初は上条に似ていると思った。
彼女の表情が消えた顔は、確かに彼に重なった。
でも程なくして、それが間違いであることに気づいた。
彼女はまるで亡霊のようだ。
生きようとする意志と、生きているという証が欠落しているような危うさがあった。

「さあ、私にはまだ分からないわ」

彼の思考は未だトレースできない。
でも、あの馬鹿が言い出したんだから、きっと意味があると思った。
話さないのは不確定な部分があるからだって事も知っていた。

「貴女は。彼を信頼しているのね」

アイツのことは、信頼しているわ。
嘘つきだけど。

「彼は。嘘つきなの?」

息をするように嘘をつく、詐欺師なのよ。

「なのに。何故信頼できるの?」

アイツは馬鹿みたいにお人好しで、優しいから。

「嘘つき。なのに?」

ええ。

「そう」

私には、手段も理由もまだ分からない。
でもきっと、アイツはあんたを助けたいんだと思う。

「助ける。私を?」

そう。
あんたを。






迫る上条に対して、錬金術師は特にあわてる素振りはない。
自らの首筋に鍼を刺し、命ずる。

「動くな。侵入者共」

瞬間、ステイルとインデックスの体が不自然に固まる。

しかし、上条は止まらない。

「何?」

距離にしてあと20 m。
錬金術師の顔に困惑が浮かぶ。

「倒れ伏せ。侵入者共」

その言葉通りに、後ろの2人が地面に突っ伏す。

にやっと笑って上条は、さらに速度を上げる。
錬金術師は次の言葉を告げるべく鍼を取り出すが、当然それは間に合わない。

鈍い音と共にアウレオルス=イザードは上条に蹴り倒された。






「どうして。私を助けると思うの?」

アイツは、そういう奴だから。

「何故。私を助けるの?」

アイツは、そういう奴だから。

「何故。知らない人を助けられるの?」

アイツは、そういう奴だから。






倒されたダメージではなかった。
それはきっと大きすぎる驚愕のせいだった。
額に汗を浮かべ、呼吸すら儘ならない錬金術師に上条は近づく。

「ひっ……」

錬金術師が後退りする。
上条は、ゆっくりと追う。

「あ、歩みを止めよ!」

ばらばらと鍼を落としながら、錬金術師が叫ぶ。
両手を懐にしまったまま余裕綽々で近づく上条の姿に、明確な恐怖を浮かべる。

「止まれ!止まれ!」

言いながら遂に背を向ける。
しかし、そこはもう終着地。
部屋の端まで追い詰められたことを知り、遂に絶望に顔をゆがめて振り返る。

その側頭部めがけて、上条の上段蹴りが打ち込まれ。

そして、ぴたりとギリギリのところで止められる。



力を失い、へたり込む錬金術師に、上条は宣告する。

「お前の能力は俺には効かない。後ろのあいつらには効いても、俺には届かない」

お前は、絶対に俺には勝てない。
理解したか?

そう告げる余りの迫力に、アウレオルスはがくがくと何度も頷いた。












《吸血殺し6》

目の前に座る、少女を見る。
レベル5。序列第三位、常盤台の超電磁砲。
世の流れからほとんど切り離されている、そんな私でさえ知る超能力者。

彼女が、少しだけ嬉しそうに、誇らしげに語る、レベル0。
死んだと思っていた心に、わずかに好奇心が芽生える。






俺は、お前と話がしたい。

話し合いではなく脅迫であることを十分理解して、当麻はそう述べた。
自分の錬金術式が通用しない事態に混乱した彼は、震えながら何度も頷く。
当麻の読みがうまくいったと判断し、インデックスは安堵の息を吐いた。



錬金術は頭の中に世界を構築し、それを現実に反映させる術式だ。
術式の効力は理の連続性から独立するから、体が破裂させかつ死なせないなどの事象を実現することもできる。
吸血殺しの少女から距離を置いて追跡しつつ、私が説明する。

そんな私に、当麻が問う。

「俺の右手で錬金術は消せると思うか?」
「そうだね。きっと、消せると思う」

そうか、とわずかに思考して、

「じゃあやっぱり俺が一人で行くよ。お前と御坂は、姫神と家に帰ってくれないか」

と告げた。

「相手の本拠地に行くんでしょ。アンタ一人じゃ、危険でしょうが」

美琴が当然の指摘をする。

「そうだよ。とうま。高度に完成された錬金術だとしたら、どんな事象も起こせるんだよ。右手の反応が間に合わないかもしれない」

私も追撃する。

「いや、大丈夫だろ。聞いた感じだと、錬金術は俺には干渉できなそうだから」
「なんで?」
「インデックス、右手が触れるとお前に入ってくる魔力が打ち消されると言ってたよな?」
「うん」
「つまり、俺の右手が触れると、その人にかけられた錬金術は消されるし、その人の内側から作用する目的で注がれた魔力も消えるってことだよな」
「多分、ね」
「だったら」

すこし間を置いて、

「俺自身に右手で触れていれば、俺に錬金術は効かないだろう?」

と当麻は言う。

確かに、当麻の言うとおり、右手で自分に触れることで錬金術を回避できるかもしれない。
でもその保障なんて、どこにもない。
彼が使う魔術が錬金術だけとは限らない。

そんな私の反論に、当麻が答える。

「まあな。100%安全っていうのは無理だろ」

だったら、勝率を上げるために私達も一緒に行くべきだ。

「監禁されているはずの姫神が、今ここにいる理由として考えられるのは2つ。1つは彼女が逃げ出した可能性。もう1つは監禁されている、ということが嘘だった可能性だ。そして、前者ならもちろん、後者だとしても、嘘をつく理由によっては、彼女に危険がありうる」

だからお前たちは、あいつを守ってくれないか。

ああ、やっぱり当麻はこんなときでもお人好しだった。
そこになんともいえない危うさを感じて、私は言葉を失う。
しかし、美琴はちゃんと私の意思を汲み取り、彼に伝えてくれた。

「じゃあ、こうしましょう。あの子は私が守るわ。インデックスには劣るけど、私だって魔力は何となく見えるし、レベル5だから遅れをとることはないでしょ。だからアンタとインデックスで、錬金術師のところに行きなさい」

だが、と当麻が言うが、皆まで言わせない。

「インデックスもそう思ってるわ。だから、多数決により決定。いいわよね?」






とりあえず、お願いがあるのだが。
そんな枕詞をつけて、アウレオルスに向かって上条当麻は淡々と述べる。

「後ろに長髪の魔術師がいるよな。あいつを気絶させた上で、いまから30分前までの記憶を消してくれないか?」
「唖然。彼は仲間なのではないのか?」
「そう言えなくもないが、俺とインデックス、そしてお前だけで話をしたいんだ」

何をふざけたことを!

隣で魔術師が叫ぶのを、インデックスは聞く。

「駄目か?」

裏切りと判断したのか、罵りの声と共に攻撃用術式が組まれるのを感知する。

「とうま!」

振り返る彼に迫る炎は振られた右手にかき消される。
その様子を見ていた錬金術師は、首に鍼を刺して命ずる。

「気を失え。そして、忘れよ」

その言葉に従い、崩れ落ちる魔術師。

「ありがとう」

当麻は礼を言い、錬金術師を部屋の隅にあるソファーに促した。






インデックスと衣装を交換して、歩く教会を身に着ける姫神秋沙を、御坂美琴はぼんやり見ていた。
彼女からもれる魔力を遮断することで、彼女を探索することができなくなる。
結果、ここに魔術師が来るリスクも減らせる。
きっと、自分の組織が私を巻き込むことに対する、インデックスの償いに違いなかった。

そんな、姫神秋沙を見るともなしに見つつ、考える。

彼の思考は完全にトレースできたわけではないが、その原動力なら分かる。

彼は、間違いなく、この吸血殺しと呼ばれる少女を助けたいのだ。
彼は、間違いなく、この少女の危うさを何とかしたいのだ。
きっと、私を助けたように。
きっと、インデックスを助けたように。

「彼は。どうしてそんなに誰かを助けるの?」

……私には、わからないわ。

「彼は。どうして誰かのために命を賭けられるの」

……私には、わからないわ。






それは、いかにも彼らしい。
しかし、私にはその理由がどうしても分からなかった。

何故、彼は助けようと思えるのだろう。

あんなに危険を冒してまで、見ず知らずの他人を。
いつも、いつも。











《吸血殺し7》

ふと、逃げてしまおうかと思った。

今、私が来ている服、歩く教会。
これさえあれば、私は吸血殺しの能力から解放される。
底の見えない錬金術師と結託する必要もなくなる。

目の前の少女は、何かを考え込んでいる。
きっと、逃げられる。
ここから逃げて、学園都市から逃げて。
そのままどこかの廃村にでも、ひっそり住み着けば。
そうすれば、これ以上、誰も害さず。
穏やかに、消えていくことができるのではないか。

そっと、立ち上がる。
薄汚れた卑劣な私が、立ち上がる。






テーブルを挟んで対面に座った上条当麻は、錬金術師に問う。

「単刀直入に聞く。お前は吸血殺しを使って、何をしようとしているんだ?」

その声には有無を言わせぬ圧力が込められている、とインデックスは感じる。

「……」

しかし、錬金術師は答えない。

「俺たちは最初はお前が吸血鬼になって錬金術を完成させようとしている、と思っていた。でもそうじゃないよな。お前の錬金術は、完成しているか、それに近いレベルなのだから。じゃあなんのために吸血殺しを攫ったんだ?」
「……」
「もし、それが納得できる答えなら、協力しても良い」
「……とある、一人の少女を救うためだ」

錬金術師の顔が歪む。
彼も何かの覚悟をもって誰かを救おうとしているのか、とインデックスは考える。

「お前の能力は汎用性が極めて高い。なぜ、それで救えない?」
「歴然。その少女の宿命は、人の身に余るものだからだ」
「答えになっていない。お前の能力は人の身を超えたことを起こすことも可能だろう?」
「それは……」
「救う姿を思い描けない、ということか?」

錬金術師が俯く。

「なるほど。大変な状態なんだな。その子は。どういう状態だ?」
「……」
「口外はしない。インデックスの信じる神に誓おう」
「……」

当麻は、ひとつため息をついて。

「質問を変えよう。お前は何故俺に錬金術が通用しないか、わかるか?」
「……いや」
「詳細を教えることはできないが、話によっては俺も協力しても良い」

錬金術師の表情に、迷いが生まれる。

「俺はお前以上の能力者だ。だからお前に不可能でも、俺なら可能かもしれない。そう思わないか?」
「……わかった。が、条件がある。彼女には、席を外してもらいたい」



少しだけ、間が空く。
顔を見れば、当麻の視線が小刻みに動いている。

「そうか。わかった」
「では……」
「その前にもうひとつ。お前の、覚悟を聞きたい」



1秒ほど、間が空く。



「・・・・・・お前はその子を救うために、誰かを殺せるか?」



その言葉に驚いて、当麻をみる。
無表情な顔が、じっと錬金術師を見ている。

「必然。犠牲など厭いはしない」
「証明できるか?」

当麻が、何を言おうとしているのかが、理解できない。

「証明だと。私は、ここまでくるのに、多くを殺してきた。これから先も変わらない」
「全ては、彼女のためか」
「そうだ」

それを聞いて、当麻は目を瞑った。
10秒くらい、そうしていた。
そして、目を開けると。

「お前の考えはよくわかった。ありがとう」



そういうと、テーブルを飛び越え、驚く錬金術師の頭を全力で蹴り倒した。






意識を失った錬金術師を一瞥した後、当麻はステイル=マグヌスの頬を叩いて、目を覚まさせた。
現状把握ができない彼に、矛盾ない嘘の説明をし、後の処理を任せて私たちは帰路に着く。

当麻の顔をそっと伺う。

無表情ながら、その中にわずかに表情を見つける。
怒っているような、哀しんでいるような、そんな表情。

「とうま、怒ってる?」
「そうだな、怒っているかもしれない」
「私、今日のとうまは本当に良く分からない」
「そうだろうな」
「……説明して欲しい」
「帰ったら、御坂と一緒にな」
「……うん」

そこで、あっ、と当麻はこぼした。

「しまった。姫神のこと、ステイルに言うのを忘れていた」

当麻は携帯電話を取り出し、おそらくあの魔術師に電話をかける。
どうやら、姫神秋沙を保護しているということを伝えているようだった。
電磁波が読めなくても、相手が困惑していることが良く分かった。
そして、今日一日彼女を預かることを伝え、当麻は電話を切った。

「珍しいね。当麻が忘れるなんて」
「抜けてたな。まただ。……なんだか最近、調子が悪い」
「……疲れているのかも。最近、とうまは頑張りすぎだもん」
「そう、かもな」

少し、会話が止まる。
いつもは心地よい、無言の時間になるはずなのに。
なんだか、今日はとても息苦しくて、不安になる。
これは、今だけじゃない。
姫神を助ける話をしたころから、心に何かが、ずっと引っかかっている。

「ね、とうま。私ね、とうまにはもっと自分を大切にして欲しい」
「粗末に扱っているつもりはないぞ」
「粗末に、扱ってるよ」
「そうか」

私は正しいことを言っているはずなのに。
何故、こんなに落ち着かないのか。

「いつも、そうだもん。なんだか、自分のことなんてどうでもいいって感じで」
「そんなことねえよ」

彼が、危ない橋を躊躇わずに歩いていくのは怖い。
美琴だって、そう思っているはず。

「そんなことあるよ。毎回毎回、とうまはわざわざ自分が危険になるようなことばっかりしてるもん」
「そうか……ごめんな。気をつけるよ」

私の言っている事は、間違っていないはずなのに。

何故、謝られると心が軋むのだろう。
何故、こんなにも焦燥感が湧いてくるのだろう。






姫神秋沙が静かに立ち上がったが、御坂美琴は特に気に留めなかった。
トイレにでも行きたいのかな、と頭の片隅で処理しつつ、突然生まれた疑問に戻る。

その脇を、姫神が通り過ぎ、静かに、静かに、歩いていく。
玄関に向かって、一歩、一歩。












《吸血殺し8》

姫神秋沙は、玄関に向かって進む。

一歩。

彼女が振り向いたら、どうやってごまかそう。

一歩。

あの二人が、いま帰ってきたらどうしよう。

一歩。

逃げられたとして、どうやって学園都市を出よう。

一歩。

学園都市を出たとして、本当に逃げ切れるのか。

一歩。

どうやって、生活していくのか。

一歩。

どうやって、生きていくのか。






それほど広くない部屋だ。
すぐに玄関までたどり着く。
あと一歩踏み出せば、ドアまで届く。
鍵は、かかっていない。
そっとノブをつかんで、忍び出せばよい。
そこまで着いて、姫神の足は止まる。



ほら、あと少し。

分かっているのに、動けなくなる。

ほら、早く動け。

やっと、一歩、踏み出す。

動け!動け!

震える右手をノブにかける。

早く!早く!早く!早く!

ぎこちなく、右手が、ノブを回す。

そして、その手に、涙が落ちた。



気づいてしまったから。



私は、絶望した振りをしていたんだ。

喜怒哀楽をなくした振りをしていたんだ。

何があっても構わないなんて、自棄になった振りをしていたんだ。

罪人だから、いつ死んでも構わないなんて、悟った振りをしていたんだ。



だって、今、こんなにも私は生きようとしている。

降って湧いた幸運に、縋り縋って。

ごまかして、逃げて、隠れて、それでも生きたい。

そんな資格ないなんて、口で言いながら、それを反故にしても私は生きたい。

皆を殺し、その涙まで灰に変えて、それでもなお。



こんなにも、自分が強かだったなんて。

こんなにも、自分が恥知らずだったなんて。



知りたくなかった。

無かったことにしたかった。

だから、動けない。

あとは扉を開けるだけなのに、動けない。



「あのさ」



そのとき、背後から声がした。






驚いて、振り返った。
御坂美琴は、先ほどと同じ姿勢で、相変わらず背を向けたままだった。

「あのさ、これは私の独断。そして独り言」

背を向けたまま、御坂はしゃべりだす。

「逃げるつもりなら、もっと狡猾で傲慢になったほうがいいわ。笑って裏切るくらいできないときっと続かないと思うから」

姫神の体に震えが走る。

「あとアンタが逃げる可能性をアイツは見越していた。だから、私達に気遣う必要は全然無いから」


「え……?」

「私は、あんたがもし逃げたとしても引き止めないようにアイツに言われてた。でもあんたがタラタラ迷っている様子にイライラしてきたから、つい口出した。だから、これは只の独り言」

「彼は。なんでそんなことを?」

「分からない。でも、きっとあんたのためなんだと思う。あんたが逃げても、逃げなくてもアイツはあんたを助けるつもりなんだろうから」

「彼は。なんで。そこまでして。私のことを?」

「分からないわ。本当に、分からない。これで独り言は終わり。……私、シャワー浴びるから」

そういうと、御坂美琴はバスルームに消えていった。



姫神秋沙は力なく玄関に座り込んだ。






アウレオルスとの戦いの次の日、すなわち8月10日。
上条当麻はステイル=マグヌスに近くの公園に呼び出された。
内容については、アウレオルス=イザードの処遇についての報告と、姫神秋沙の引渡しの要求ということだった。
上条が公園に着くと、彼は不機嫌そうにタバコを燻らせながら、上条に不快そうな視線を向けた。

「君はよっぽど人を待たせるのが、得意と見えるね」
「今日は時間通りだろう」

その視線を軽く流して、上条は答える。

「あいつはどうなったんだ」
「彼は魔力を封ずる術式を幾重にもかけた上で、イギリス本国に輸送された。学園都市の人間だけではなく、彼が所属するローマ正教の魔術師も、複数人殺害しているようだからね。誰が、どのように裁くかは各組織間の交渉結果次第だろう」
「そうか。ところで、あいつはインデックスを知っているようだったな。何故言わなかった?」
「……ああ。彼は2年前に彼女の教師をしていたからね。まあ言う必要もないと思ったからさ」
「そうか」

すこし苦い顔をして、ステイルはタバコをもみ消した。

「もう彼の話はいいだろう。ところで、姫神秋沙の姿が見えないが、どういうことだ?」
「ああ、その件だがな。お前、俺とホテルのロビーで話したこと、覚えているよな」
「何の話だ?」
「吸血殺しの能力について、制御可能とイギリス清教が認める方法があるなら、姫神を
俺に任せてくれるという件だ」
「ああ、それか。確かにそういったが。そんな方法があるとでも?」
「ああ、そうだ。だからあいつのことは俺に任せてくれ」

はは、と嘲笑を浮かべて新しい煙草に火を付けながらステイルは問う。

「ほう。では、是非聞かせてくれないか。どんな方法を使うのか」

それに対して上条は無表情に答えた。



「簡単だ。インデックスが姫神に歩く教会をプレゼントしたいと言っているからな。それを着れば、姫神の魔力は外に漏れず吸血殺しの能力は発動しない。文句無いだろ」



「は?」
「聞いてなかったのか?姫神に歩く教会をあげる、と言ってるんだが」
「なッ……君は正気か?あれが、どれだけ貴重なものか、どれだけ高い防御性能を持っているかわかっているのか?」
「防御性能は知ってる。お前たちがインデックスを使って、1年がかりで証明したからな。だからこそ、そのような嫌な思い出の品などいらない、とのことだ」

ステイルの顔が歪む。

「そもそも俺は、学園都市の学生をイギリス清教に引き渡すことには抵抗があった。よって俺たちの希望が合致してイギリス清教も納得する。誰も困らないだろ?」

それとも、歩く教会じゃ、足りないとでもいうのか?
そう、上条は問う。

「いや、そういうわけじゃない。しかし歩く教会抜きでは、万一のときにインデックスの身をどうやって守るつもりだ?」
「現実に、お前や神裂、お前は覚えていないだろうけどアウレオルスと戦ったが、歩く教会なんてなくても、あいつは危険な目になんて合っていないぞ。だから今後も、何とかするさ」
「……」
「そもそも、インデックスが嫌がってるんだ。仕方がないじゃないか。そうさせた責任の一端はお前にだってあるんだからな」
「しかし……」

ふぅ、と大きくため息をついて、上条は言う。

「本当は、お前の言うとおり俺だって反対だ。歩く教会の防御力は確かに絶大だからな。だから、もし心配なら代わりの霊装を送ってくれよ」
「気軽に言うな。あのクラスの霊装は極めて貴重なんだ。代替なんてあるわけないだろうが」
「だったら」

少し、間を空ける。

「吸血殺しを抑える霊装を送ってくれよ。届き次第、歩く教会と取り替えるように説得するから」

要するに、これは脅迫だとステイルは理解する。
彼はインデックスの身の安全と引き換えに、姫神秋沙の能力を抑える霊装を彼女を引き渡すことなく渡せ、と言っているのだ。

「なるほどね。君の意図は理解した。だが、君はイギリス清教を良く知らないようだね。……我々を脅迫しようなど、正気の沙汰ではない」

その言葉に、上条は静かに答える。
脅迫では、ないと。

「昨日あいつは歩く教会を着ていなかったのを、お前も見ていたよな?」
「ああ。それがなにか?」
「あの時、実は姫神が歩く教会を着ていたんだ。インデックスは本気で譲渡するつもりだから姫神と服を交換したんだよ。昨日、インデックスが着ていた服は姫神のものだ」
「……彼女は、本気なのか」
「ああ。本当に嫌なんだろうな」

ステイルは、しばらく黙って考えていたが、やがて、

「わかった。では、1週間以内に吸血殺しを封じる霊装を用意する。そして、それまではこれを持っているよう姫神秋沙に伝えてくれ」

と、取り出したルーンに何かの文字を書き加えて、上条に投げる。
上条が左手で受け取る。

「これは?」
「それは、魔力を封じるためのルーンだ。身に着けていれば1週間程度なら吸血殺しの能力も封じることが可能なはずだ。だから、その代わり」
「わかったよ。インデックスを説得して、歩く教会を着させれば良いんだろう?」
「その通りだ。……まったく、この程度のコントロールもできないとは、管理人として最低だな」
「繰り返すが、お前たちがインデックスに刻んだ傷だぞ。忘れるな」



チッ、と盛大に舌打ちをしつつ憎らしげに上条を睨んだあと、ステイルは身を翻し去っていった。












《吸血殺し9》

許しも、救いも、自分は受ける資格はないと思っていた。

だけど、それは本当ではなかった。

私は諦めていただけだった。

自分の人生を諦めるかわりに、過去を無かったことにしたいと思っていただけだ。

しかも、それすら偽だった。

救いを見つけた途端に、表層ははじけて消えた。

残ったのは、薄ら汚れた自分。

生に固執し、奪い、騙して逃げようとする、そんな自分。






8月9日。
上条当麻とインデックスが家に帰ってくるのが能力で分かったので、御坂美琴は玄関外まで出迎えた。
通路を歩いてくる二人には、特に怪我がないようだ。
予想通りの結果とは言え、ほっと安堵の息を漏れるのを感じる。

「なんとも、ないわよね?」
「ああ」
「うまくいったの?」
「そうだな、大方は」
「そっか。インデックスも、無事?」
「うん。みことも大丈夫だった?」
「こちらは、何事も無かった。退屈だったくらいよ」

インデックスが何かを思い悩む顔をしている。
何かあったのだろうか。

「……あいつは?」
「ああ。行ったわ」

そうか。
姫神の失踪についても、特に何の感慨もないように彼は言った。






部屋に入ると、御坂は2人に麦茶を出した。
礼を言って、卓袱台の前に座る彼らと向かい合わせに座る。

「アンタが何を考えて、何をしたのか、話してくれるわよね?」
「ああ」

彼は、短く答えて話し出す。

「順を追って話そう。最初、ステイルからの依頼とインデックスから補足を聞いたとき、俺は単純な話だと考えた。吸血鬼という非道の存在と、それを使って法外な力を得ようとする錬金術師。吸血鬼をおびき寄せるための餌として、攫われた吸血殺し。分かりやすいよな」
「そうね」
「唯一疑問だったのは、イギリス清教がステイル一人しか派遣しなかったことだった。本気で事件を解決する意思が感じられなかったからな。でも、それも錬金術が余り有用な魔術体系じゃないという話を聞いて、まあ、納得した。それに、恐らくイギリス清教は俺の存在を疎ましく、また胡散臭く思っているだろうから、俺が戦力として動かざるを得ない状況で戦うことで、あわよくば亡き者にしよう、それが無理でも戦力分析くらいは行おう、そう意図しているのは想像できたしな」
「……アンタ、そんなこと考えていたわけ?」
「ああ」

プレーンな口調で当然のように答える上条に、ため息が出る。

「そんなこと考えながら、海で遊んでたわけ?」
「ああ」

インデックスが悲しそうな顔をした。
きっと、私も同じに違いない。

「だからステイルが一人で行くと言っていたとき、ブラフだと思っていたんだ。あいつが忘れてしまった今となっては分からないが、あいつの話からは昨日突入する必要性は感じられなかったし、あいつもそれは説明できていなかったしな。だから、連絡が取れなくなって、少し焦った」
「なぜ焦ったの?」
「あいつが俺になにか重要事項があることを伏せていて、それが昨日という日に関連するものである可能性が浮上した。連絡が取れないということは、任務に失敗したのだろうからな。それを分からないまま錬金術師と戦うのは、リスクだと感じた。それに、ステイルが負ける程度には錬金術師が強いともわかったのも手伝って、焦ったんだ」
「……なるほど」

「そして次の日、ステイルが何も覚えていないと知って相手の強力さがますます際立ってきた。だから、相手の戦力調査を行おうと提案したのは覚えてるだろ?」
「うん」

そこで、一区切りとばかり、上条は麦茶を一口飲んだ。

「そしてインデックスが姫神を偶然見つけた。あの時、あいつが逃げたか、それとも監禁された事実が嘘かの2つの可能性をしゃべったが、本当はもう1つ可能性を考えていた」
「もう1つ?」
「姫神は吸血鬼をおびき寄せて殺す、吸血殺しだ。そんな彼女を監禁する錬金術師の目的は吸血鬼をおびき寄せることだろう。だったら、あいつはそのために歩いているのかもしれない、という可能性だ。その場合は、もちろん」

一呼吸、置いて、

「姫神の協力が、自発的なのか強制的なのかが問題だ。だが、あいつは一人だったし、しばらく後ろから歩いても監視はないようだった。逃亡防止策をとられていないということだから、強制的である線は消える。でも、自発的かと言うと少し違和感があった」
「違和感?」
「あいつは、感情が抜け落ちているようだった。だから、強制されていないにせよ、他に選択肢がないからしょうがなく、という状況かと想像した。まあ、並べたどの可能性が正しいかはさておき、姫神が極限の中に生きているんだろう、ということは容易に想像できたから、できれば助けたいと思ったんだ」

姫神に最初に話しかけたとき、上条は彼女にさりげなく右手で触れていたが、それは錬金術で意識をコントロールされているかどうかを確かめたのだろう、と御坂は推察する。

「では、どうすればよいのかと考えた。姫神の状態を見れば、俺たちが保護しますなんて言ったところで信じるとは思えなかったし、イギリス清教なんて名前を出したら、ますます拗れそうだと思った。だから」
「だから、拉致したわけね」

少し苦笑を浮かべながら。

「拉致と言う言葉は過激だが、まあそうだな。姫神に、あいつの能力を知っていることと、錬金術師と対立する可能性があることだけ告げてこの部屋に来てもらって、その間に錬金術師に会って事情を聞こうと思ったんだ」
「……錬金術師を倒すつもりはなかった、と言うこと?」
「ああ。イギリス清教が入るとバイアスがかかる可能性があった。だから、ステイル抜きで話せる状況をまず作ろうと思った。相手は少なくとも記憶の改竄はできることはわかっていたからな。その力を借りれば、その状況は作れることはわかっていた。そして、もし納得できる事情があるなら倒す必要はないと考えていた」
「でも、結果としては倒した。どうして?」
「あいつは許しがたい、と判断したから」
「どうして?」
「あいつは、目的のために何人も人を殺しているからだ」
「……それだけ?」
「ああ」


上条の目が少しだけ変化することに気づく。
彼は、嘘をついている。
それだけでも許しがたいのは理解できるが、きっとそれ以外の訳がある。

「……隠さないで」
「隠していない」
「本当に?」
「本当だ」

彼の目線が、少しだけ左の方に動いた。
それで、なんとなく理解できた。

「そっか。本当なら、いい」
「ああ。そういうわけで錬金術師は倒したが、そこで分かったことがある。彼は吸血殺しを攫ったことを認めた。そして、その彼女が逃亡したと認識しているわけじゃないようだった。だから、錬金術師と姫神はある程度の協力関係にあったのは間違いない」
「じゃあ、アンタは間違った、というわけ?」
「なにを?」
「あいつを助けようとしたこと」
「そうは、思っていない。理由はともかく、姫神は極限状態だったのは真実だ。だから、助けたいと思ったことが間違いだった、とは考えていない」

彼の目は、動かない。

「でも彼女は歩く教会を持って、この家から逃げた。アンタが逃がした。なぜ?」

そう、これが私にとって、2番目に大きな疑問。
なぜ、コイツは姫神が逃げることを見過ごすようにいったのか。

「俺とインデックス、そして御坂と姫神が分かれた段階では、姫神の行動原理は不定だった。だから、彼女が今後とりうる行動だって、いくつかのパターンが想定された。その中の一つに、お前から逃げるということだって、可能性は低いけどあり得た」
「そうでしょうね」
「逃げること以外としては、おとなしく家にいること、全てをお前に話して助けを求めることが想定された。姫神はお前がレベル5だと知ったときに、わずかに怯えた感じだったから、お前を攻撃するって可能性はないと考えたし、万が一暴挙にでたとしても、お前なら瞬殺できるはずだから、心配はしていなかった……というと怒るか?」
「大丈夫。続けて」


少し喉が渇いたのか、上条は一口麦茶を口にした。


「俺は姫神を救いたかったのは事実だ。だがあの段階で、俺は姫神がどういう立ち位置にいるのか分からなかった。俺達にとって、リスクファクターになるかもしれない、という可能性を無視できなかった。だから、そのリスクを量りたいと思って、御坂に逃げるなら見過ごすように頼んだんだ」
「どうやって、量るの?」
「逃げた姫神の位置は歩く教会への探索術式で補足できる。姫神は逃げ出しても、学園都市から出るためには外出許可が必要だが、発行まで数日はかかる。だから、ひと時奪われても、歩く教会を取り返すことは簡単だ。インデックスの歩く教会は貴重なんだろう?だったら奪われたと言えばイギリス清教だって協力してくれるだろうから、逃げ切られる可能性は万一にもない」

淡々と語る姿は、いつもどおりだ。
いつもどおり、あらゆるパターンを考えて罠を作っていく彼の思考回路。

「……確かに」
「そして、数日泳がせて姫神の動きをみればきっと分かる。……あいつが、アウレオルス以外の魔術師と接点があるかどうか」
「アウレオルス以外?」
「吸血鬼といわれる存在は仮定されるもの。だが、それは一部の魔術師にとっては非常に魅力的な存在らしい。だったら、それに繋がる吸血殺しだって同じはずだ。姫神がアウレオルス以外の魔術師と繋がっている可能性だってあるだろう?」
「でも、姫神は監禁されていたんでしょ。だったらそれはないんじゃない?」
「俺が、姫神が御坂から逃げる可能性とその理由を考えた段階では、そもそも“監禁されていたこと”が事実である保障はなかったし、監禁されていたとしても彼女と接触する他の魔術師を除外することは不可能だ。そして、それが事実なら、それはとても危険だ。許されない禁術を辞さない連中ということだからな」



上条の言わんとすることは、概ね、理解できる。
しかし、釈然としない部分が、どうしても残る。

「なんか、どうも、すっきりしない」
「私も。納得はできるんだけど。なんでかな」

インデックスも同感らしい。
上条は、そうだな、とつぶやいて

「それはきっと、俺が矛盾した行動をとっているからだと思う」
「矛盾?」
「俺は、姫神を助けると一方で言いながら、一方では彼女のことを信用していないし、彼女を利用する行動をとっているってことだ」

……なるほど。


「姫神が逃げる可能性は、彼女を保護することを提案したときから考えていた。それで、インデックスが服を交換しようと言ったときに、歩く教会を使えば逃げたとしても追跡可能だ、と思い至った。まあ、自己弁護するなら、あれが貴重品だということは伝えてあるから持ち逃げするようなやつなら嵌めても許されるんじゃないか、っていうのはあった」

そういうと、彼は少しだけ目を伏せる。

「……もちろん、仮に逃げたとしても、限界にある姫神に使う手として褒められたことじゃないってことは、良くわかってるよ」






麦茶が無くなったので、上条は冷蔵庫まで歩いていく。
話は、概ね納得できた。
1点分からないことがあるが、それはまた後で聞けばよいだろう。

「納得してくれたか?」

私に聞く上条に、首肯しつつ、確認する。

「今後、数日間は、私は姫神の外出許可申請情報を確認。インデックスは、探索術式で歩く教会をサーチってことね」
「ああ。インデックスも大丈夫か?」
「歩く教会なら、アラビア式占星術か、もっと精度が低い術式でも捕捉可能だから、大変じゃないよ」
「ごめんな。頼むよ」

その言葉にううん、と答えてから、インデックスは聞く。

「ね、とうま。私、もう一つ知りたいことがあるの」
「なんだ?」
「なんで、とうまは姫神の身柄をイギリス清教に預けようとしなかったの?」
「ああ、それか。それも矛盾、だよ」
「矛盾?」

少しだけ、上条は考える目をした。
そして、

「俺は、イギリス清教を信用ならないと思っているんだ。今までもそうだったけど、お前に掛けられていた呪いを確認して、改めてそう思った。だから、あの絶望した少女を預けたくなかったんだよ」
「……そっか」



矛盾しているだろう?と上条は少しだけ寂しそうに笑った。






夜になるのを待って、3人でマンションの屋上に出る。
昨日使ったビニールシートを再利用して、インデックスが探索術式を発動している。
少し離れたところで見ている上条に、御坂はそっと聞いてみる。

「ね。教えて欲しい」
「何を?」
「なぜ、アンタがアウレオルスを蹴り倒したのか」
「分かってるんじゃないのか?」
「インデックスでしょ?」

ああ、そうだよ。
そういう目が、少し細くなるが見える。

「アウレオルスは、インデックスを吸血鬼に変えることで呪いから救おうとしていた。そのために、何人も人を殺した。それは許せることではないし、それをあいつに話したらきっと苦しむだろうから」
「……なに、それ?」
「多分、あの記憶しすぎて死ぬっていうデマを信じたんじゃないか?」
「ひょっとして、吸血鬼なら、死ななくてすむと?」
「そんなところだろうな」

馬鹿馬鹿しい、などと笑い飛ばすことはできない。
インデックスはその馬鹿な話のために1年間追い回されたのだから。

「……なんで、魔術師ってそんな話に騙されるのかしら」
「さあな。でも、その話を聞いたときさ、実は、迷ったんだ」
「何を?」
「あいつを蹴り倒そうか、どうしようかって」
「……何で?」

一つ、深いため息をついて、彼を答えた。

「インデックスを助けるために何を犠牲にしても良い。それは偏愛だと思うけど、そこまで想う気持ちを俺が刈り取るんだ、と思ったら、なんだか心が苦しくてさ」



俺は、正しかったかな。



そう呟く彼の表情は、一瞬、驚くほど弱弱しく見えたから。
それ以上何も問うことはできず、私は彼の背中を黙って叩いた。












《吸血殺し10》

白い修道服を着たまま、ホテルの一室でひざを抱える。

どうしよう。
これから、どうしよう。



湧き上がる罪悪感、自己嫌悪、そして不安に潰されそうで。

軽くなるわけでもないのに、呟き続ける。



どうしよう。
これから、どうしよう。






8月9日。
日が落ちるのを待って、マンションの屋上で発動したインデックスの探索術式により、姫神秋沙の場所は特定された。
場所は、上条家から3 kmほど離れた場所に位置する、ホテルの一室。
写される映像を見る限り、彼女はひざを抱えて泣いているようだ。
また、周囲に魔術師の存在はないらしい。

どうする、と聞くインデックスに対して、上条は、

「今から、そのホテルに行こう」

と提案した。

探索術式は歩く教会の位置も周囲の状況も把握できる反面、持続性も自動追跡機能もない。
正確には、そのような効力がある術式には魔力が必要となるため、インデックスには使わせることができない。

だが、近くにいけば、御坂やインデックスの目によって、彼女や周囲の状況、魔力は認識することができる。

少女達は快諾し、3人は彼女の泊まるホテルへと向かうこととなった。






「私さ、アンタ達に謝らなきゃいけないことがあった」

ホテルまでの道の途中で、御坂は上条に話しかける。
先ほど探索術式で見た、彼女の映像。
そして、出て行く前に玄関の前で、彼女が見せた迷い。
私には、姫神が他の魔術師と結託してよからぬ事を企めるとは思えないが、考えてみたら、彼女と2人で過ごしたときの出来事は、上条もインデックスも知らない。

「あのさ、私、話してなかったよね。姫神と2人でアンタの家にいたときの話」
「ああ。なにかあったのか?」

応える上条に、彼女や私の言動を、なるべく客観的になるように説明する。

「そうか。話してくれてありがとう」

話を聞いた上条は、礼を言って、少しだけ考える目をする。
そして

「姫神が他の魔術師と結託している可能性は減ったが、ゼロとは言えない。とりあえず、今日はこのまま調査を続けよう」
「もし、調べてみて、明らかにその可能性はない、と判断できたらどうするの?」

インデックスが聞く。

「その場合は、まず姫神に逃げた理由を聞いて、できるなら助けよう。そして、プライバシーを侵害したことについて、提案者の俺が姫神に土下座だな。その上で、歩く教会を返してもらおう」

なんだか、過去の古傷が痛む気がするが、きっと気のせいだろう。

「狂った魔術師を相手に戦いたくはないからな。そうなってくれれば一番良い」
「アンタは、姫神が魔術師と結託している可能性って、どのくらいだと思っているの?」
「2%ないだろうな。御坂の話を聞くまでは5%くらいかな、と思っていたけど」
「そんなに低いの?」
「ああ。でも、ゼロじゃないと思ったから、あいつを逃がしたんだし、ゼロじゃないと思っているから、今もホテルに向かっている」

外れていたら、無駄足踏ませたお詫びに、何かおごるよ。
上条は、そう付け足した。





姫神の泊まるホテルは、ごく普通のビジネスホテルだった。

彼女の部屋は1105。
彼女の泊まるフロアの下の階にツインの部屋を取り、エレベータに乗る。
直下ではないが、まあまあ近く、電磁波で見るには全く問題が無い。
インデックスの魔力検知にも問題はないようだ。

彼女は相変わらずベッドの上でひざを抱えている。
近くに魔術師の反応はない。

「そういえば、姫神は歩く教会を着てるんだよな。お前の能力で見えるのか?」
「ん?私には姫神が見えているけど。……インデックス、歩く教会って着てる?」
「うん。シルエットからすると着ているみたいだよ」
「そうか。御坂は、今までもインデックスが見えていたのか?」
「うん。見えてた。それがどうかした?」
「電磁波って、生体に影響するだろ。なんで歩く教会は反射しないんだ、って思ってさ」
「生体に影響しない程度の電磁波だからじゃない?」
「そうかもしれない。でも、後で試してみるか」
「なにを?」
「歩く教会をはさんで、生体に影響する程度の電磁波を発生させてみて、通すかどうか確かめる」
「何のために?」
「もし通すなら、歩く教会の防御に穴があるってことになるだろ」
「なるほど」


上条はいつもの表情、口調で淡々と語っている。
調子を取り戻したみたいだし、今なら、聞いてもよいだろう。

「あのさ、さっき聞きそびれたことがあるんだけど、聞いていい?」
「ああ。なんだ?」
「アンタさ、自分で矛盾してる、って言ってたじゃない?」
「ああ」
「今までのアンタって、迷いなんて無いみたいに決断してたからさ。なんか、いつもと違うっていうか、アンタらしくない気がしたんだ。そんなことない?」
「あ、同じこと、私も思ったよ。とうま」

そっか、インデックスもそう感じたんだ。

「お前たち、よく見てるな」

上条はあっさり認める。

「まあね。でも、なんでよ?」
「俺は、今の生活が気に入っているんだ」
「今の生活?」
「御坂とインデックスとつるんで、くだらないことに盛り上がったり、笑ったりする、そんな生活」

ひょっとして、またからかわれているのか?と警戒するが、そういうわけではなさそうだ。

「私も幸せだよ。今の生活」
「私だって、まあまあ楽しんでるわよ」

インデックスに先を越されたので、あわてて表明することにする。
そう思ってくれてありがとな、と言った後で、上条は続ける。

「姫神のことは助けたいと思う。でも、今の生活を守りたいと願う気持ちだってある。このトレードオフの感情が、迷いとか矛盾の源なんだろうな」
「……そっか。わかったわ。ありがと」


彼は、この時間を守りたいんだ。

私と、同じように。
インデックスと、同じように。

それが確認できたことが嬉しくて、御坂は少し微笑みながら電磁の海を見上げた。






8月10日。
結局、昨日は姫神に特筆すべき動きはなかった。

今日は、事件に関する話をする目的で、上条がステイルに呼び出されたため、チェックアウトの時間まで、御坂とインデックスの2人で姫神を監視することになっている。

監視と言っても、見た目には、2人はベッドの上でごろごろしているように見える。
しかし、これで姫神の部屋で起こるどんな些細な変化も見逃さないのだから、能力というのは恐ろしい。

「変化、ないわね」
「そうだね」


姫神には、相変わらず大きな動きはない。
ホテルのデータによれば、彼女は1泊で部屋を取っている模様だ。
魔術師に会うかどうかは分からないが、チェックアウトの時間までは動きがあるだろう。
しかし、元来、待つより攻めるほうが好きな御坂は、こういった時間が苦手だ。
暇を持て余して、つい過激な方向に発想が向いてしまう。

「魔力を使わない魔術で、相手の記憶を覗けるのって無いの?」
「あるけど、学園都市内で使えるのは早くて1ヶ月後だよ」
「そっか」
「みことの能力で、記憶は見れないの?」
「そうね。……脳波を真面目に解析すれば、見れるかもしれないわ」
「じゃあ、それで行く?」
「……アイツ、怒るよね」
「そうだよね」

インデックスも、似たようなところがあるとわかったのは、まあ収穫か。

「とりあえず、見れるかどうか、あんたで試してみてもいい?」
「いやだよ」



そんな感じの会話を3回ほど繰り返したとき、姫神が動いた。












《吸血殺し11》 (完)

やはり、生きていることはできないと思い至った。

逃げることも適わず、これ以上殺すこともできない。

ならば、私が消える以外に選択肢はない。

こんな私を信用してくれた、お人好しに服を返して。

こんな私を必要としてくれた、錬金術師の望みを叶えたら。

遂に私は、消えてしまおう。






ひざを抱えて一晩考えた答えは、現実逃避といわれれば否定することはできない。
しかし、この厳しすぎる現実から逃げようと何年ももがき続けた自分だから、現実逃避はすでに生活の一部だった。

でも、もう擦り切れた。

後ろには崖があり、前には道が無い。
目を開けて一度見てしまえば、その景色を忘れることは不可能だ。
私はそれに、耐えられなかっただけ。



今日も、世界は回り続ける。
私の事情とは関係なく。
私の存在とは関係なく。



昨日はバスで逃げ去った道を、歩くことにした。
酷暑で揺らぐ歩道。
少しだけ汚れたガードレール。
店の窓に張ってある、売り出し中の文字の赤。
地下鉄の入り口を示す、液晶パネルの光。
いつもなら見過ごす幾多のストップモーション。



今日も、世界は美しい。
私の事情とは関係なく。
私の存在とは関係なく。






ホテルを出た姫神は、歩道をゆっくりと歩いていく。
少し距離をとりながら、御坂とインデックスは後ろから窺う。


「どこに行くつもりだろ?」
「アウレオルスのところかな」


昨日の夜から今日まで姫神が外部と通信した形跡は、電磁的にも魔術的にも観測されていない。
もちろん、前もって会う時間を指定している可能性は捨てきれない。
だが。

「インデックスは、姫神がそんなに大それたことできると思う?」
「思わないよ」
「だよね」


姫神は、一晩中泣いていたようだ。
そのことを上条に告げたら、彼は少しだけ黙った後、今日一日彼女を見て動きが無ければ彼女に直接話を聞こう、と言った。

「とうまも、きっとそう思っているよ」
「そうみたいね」
「とうまは、さ」

インデックスはちょっとだけ口ごもった後、

「今まで、なにも守りたいと思わなかったんだね」

と呟いた。

「どういう意味?」
「そのまま」
「だって、アイツ、人助けが趣味じゃない」
「助けるのと、守るのは違うよ」

言っている意味が分からない、と言おうとしたところで気がついた。
ここから先はほとんど一本道。
姫神は、上条の家に向かっているのだ。







混乱の極みで逃げ出した道だが、意外と記憶は残っていた、と姫神は思った。
この道をしばらく真っ直ぐ歩くと、10階程度のマンション群がある。
その一つが、上条の家だった。
私は、きっと道に迷えばよいと思っていた。
記憶が無いなら、彼らに会えなくても仕方が無いから。
油断すると現れる自分を抑えながら、私は歩む。

彼のマンションに着くと、入り口の前でしばらく立ち止まる。
だが、目を開けた私は、進むべき方向はわかっている。
その先に道が無くても、進むしかないのだ。

少し震える手で7のボタンを押す。
停電が起こればいいのに。

開く扉を超えて廊下を進む。
床が壊れればよいのに。

後ろ向きの気持ちを抑え抑えて、とうとう彼の部屋に至る。
彼らが留守ならよいのに。



「姫神さん」



そして、後ろからかけられる声。



部屋に通されて、私は昨日と同じ場所に座る。
インデックスに歩く教会を返して元の服装に戻る。
借り物のようだった自分の主導権を返してもらったようで、少しだけ落ち着いた。
落ち着いたら、何故だか少しだけ涙が零れた。
その後、彼らは何も問わず、私も上条が帰ってくるまで一言も喋らなかった。






「逃げだして。ごめんなさい」

帰宅して、黙って向かい合わせに座った彼に、姫神は謝った。

「貴重なものだと。そう聞いていたのに。本当にごめんなさい」
「返してくれたからな。気にしなくても良い。それより、聞きたいことがあるんだが」

上条当麻は無表情で、抑揚の無い声で喋る男だ。
何を考えているのか分からない、昨日もそう思ったことを思い出す。

「お前は、自分の能力から逃れたいのか?」
「……こんな呪われた力。消したいに決まっている」

逃れられるなら、どんなにいいだろう。
なだめすかして諦めた自分が、ちくりと刺激される。

「お前がアウレオルスと手を組んでいたのも、それが目的だよな?」
「……貴方は。なぜそれを知っているの?」
「直接、本人に聞いたからだ」
「彼は。どうなったの?」

上条はアウレオルスと戦うかもしれないと言っていたことを思い出す。
彼はどうなったのだろう。

「あいつは、イギリス清教に拘束された。相応の罪を犯したからな。多分、もう会えないだろう」
「……そう」

衝撃は、意外と少なかった。
彼が行ったことの全てを知るわけではないが、知る限りでも許されないことは分かっていたからだろうか。

「お前は、これからどうする?」
「どう、とは?」
「能力を封じる方法を探すのか?」

彼の質問に答えられず、俯く。
手が小刻みに震えているのが見えた。

「わ、わからない」

少しだけ沈黙が訪れる。
直視したくない現実を目の前に晒されて、目の奥が熱くなる。



「あきらめたのか?」



破壊衝動が瞬間的に沸騰した。

出された麦茶のグラスを彼に投げつけようとして、
すんでのところで止める。
揺れてこぼれた液体が自分の服にかかる。



「あ、貴方に、何が、わかるの?」



卓袱台にグラスを戻そうとしたが、手が震えて倒してしまう。
広がる液体が余りに惨めで、気づけば私は泣いていた。






暫く泣いているのを、上条は黙ってみていた。
泣き止んだと見たのか、彼は私に問う。

「死ぬつもりなのか?」
「……なぜ?」
「お前、能力で深く悩んでいるんだろう?」
「……だから?」
「お前の望みは絶たれた。そして、お前は諦めた表情で泣いている。それが理由だ」
「……貴方のせい」

そんな理由で死ぬわけじゃない。
そして上条のせいじゃない。

「そうだな。俺のせいだ」
「貴方のせい」
「ごめんな。お前の希望を、俺が刈り取った」
「……貴方の、せい」
「ごめん。何とかするから、許してくれ」
「何とかする?何を?どうやって?」
「何とかする」

口から、笑いが漏れる。
私は笑う。
何を言ってるんだ、この男。
何とかするなんて。

「無理。貴方には絶対無理」
「絶対なんて、この世には無い」
「絶対、無理」
「そんなことはない」
「無理だよ。だって、手遅れだから」
「そんなことはない」

バン!と机を叩いて、立ち上がっていた。
この勘違い男に、正しく教えなければ。



「私は。住んでいた村を滅ぼした!」

「隣のおじさんも、友達も、両親も、全て目の前で消えていった!」

「私が呼んだ吸血鬼に、吸血鬼に変えられて。私の能力で灰になったんだ!」

「だから、手遅れ」



だから、私が生きることなんて許されないのだ。
勘違いしているこの男に、教えなければ。
勘違いしそうになる自分に、教えなければ。






「じゃあ、償えよ」

……え?

「俺はわかる。お前が罪と思っているなら、俺が何言ったって慰めにならない」

だが。

「もう一つ、分かることがある。罪は償わなければいけない」
「……どうやって?どうやって、償うの?償えると言うの?」
「それはお前が決めることだ。だが、お前は生きているのが、辛いのだろう?死ぬほど、辛いんだろう?」

彼はまっすぐこちらを見ている。
視線に押されて、少し俯く。

「……うん」

「だったら、生きろ。それが罰だ」

「生きるのが、罰?」
「ああ。やりたくないことをするのが、罰だ。お前は死にたいのだろう?」
「……」
「じゃあ、罰を受けろ。そして償え」

そういって、上条はポケットから何かを取り出して、こちらに差し出す。

「イギリス清教の魔術師から渡すようにと」
「……これは?」
「吸血殺しを抑えるためのルーン。身に着けていてくれ。1週間以内でもっとちゃんとした霊装を送るから、繋ぎに使えとのことだ」
「……」
「つまり、お前の能力はコントロール可能になる、ということだ」

黙ってルーンを見つめる私に、上条は言った。

「姫神。お前は、今日はもう帰れ。帰って、考えろ」
「……」
「これは、俺の連絡先だ。何かあれば連絡してくれ」
「……うん」
「あと、一つ。もしお前が生き続ける覚悟が決まったなら、そのときも連絡をくれ。俺達には、お前に話すべき秘密がある」
「秘密?」
「ああ。じゃあ、もう行け」






こうして私は上条家を追い出された。

とぼとぼと歩きながら、私は考える。



生きることは辛い。
死ぬより辛い。
ならば、生きることは罰?



彼の言葉が、半鐘のように響いている。

それは詭弁だ。
単なる言葉遊びだ。

でも、死ぬことが現実逃避というのも、また事実。



ポケットの中には、一枚のルーン。
私がずっと求めていたもの。

そして、償い。
いつ、どこで、何を、どのようにすればよいかも分からない。
償えるかどうかも分からない。

ああ、分からない。
どうすればよいのか、見当もつかなくなった。
どうしたいのかも、さっぱり分からない。



帰って、考えろ。
彼の言葉。

ふと気がつくと、私は帰っている。
自分の家へ。
私が生活をする、私が生きる、あの家へ。

ふっ、と自嘲気味に笑う。

詐欺師、上条当麻か。
完全に騙されたのか、姫神秋沙。



彼がいかなる人間なのか、私には理解ができない。

善人か、悪人かも分からない。
信じれるかどうかも分からない。

でも確実なことが1つ。

彼とは、もう1度話さなければいけない。

彼が隠す秘密。
あれだけ思わせぶりに言われたのだ。
聞かないわけにはいかないから。






自己嫌悪がなくなったわけじゃない。
人生に希望があるわけじゃない。
罪の意識だって消えたわけじゃない。



ぐらぐらと左右する、私の心の天秤。
あちこちにひびが入って、見つめるだけで折れてしまう。


だからそこからひと時、目をそらす。
やがて亀裂が直り、私がきちんと量れる日まで。



棚上げにするチャンスをくれた、優しい詐欺師に。
私は小さく礼を言った。



[28416] 絶対能力進化 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:46
《絶対能力進化1》

ただ、どこまでも強くなりたかった。
10まで来たなら、次の20へ。
100まで来たなら、次の200へ。
どこまでも強い自分は、今日も高みへと進み続ける。
そのために、たとえ何を犠牲にするとしても。






「暇ね……」
「なら、梱包を手伝ってくれ」

8月14日。
気づけば8月も折り返し地点を迎えようとしている。
時の流れがさらに加速したのは、吸血鬼なんて酔狂な存在を賭けたあの戦いのせいだよなあ、とぼんやり考えながら、御坂美琴は今日も粛々と働く2人を見た。

「私が手伝ったら、アンタが見られたくないものを見つけちゃうかも知れないじゃない」
「特に無い」
「またまた。大丈夫よ、ちゃんと理解してるから」
「なにを?」
「アンタだって思春期真っ盛りなんだってこと」

上条がダンボールに荷物を詰め込む作業には、一切無駄が無いように見える。
助手役に落ち着いたインデックスに各種指示を送りつつ、てきぱきと動く姿を見れば、特に手を出さなくても良いのではないか、という気分にもなるものだ。

「気遣いありがとう。でも、お前が想像するものは出てこないから大丈夫だ」
「そっか、もう処分したのね」
「してねえよ」
「ああ、既にもう梱包済みなんだ」
「違うよ。そろそろその話題から離れろ、エロス」
「なによ、エロスって」

そんなことを言われると、少しだけ負けず嫌いが刺激される。
立ち上がって、カッターやビニール紐が残る机に向かう。
引き出しの奥あたりが怪しいか。
それとも、ベッドの下なのか。

「じゃあ、探しても良い?」
「作業の邪魔するな」
「しないわよ。でもマジで探すけど、覚悟はいい?」

そう言うと、彼は少しだけあきれたような視線をこちらに向ける。

「そんなに興味があるなら、後で代わりに買ってやるぞ」
「見たいんじゃないって」
「大丈夫だ。お前が思春期真っ盛りってことは理解しているから」
「アンタね」

わざとビリビリと髪をスパークさせると、彼は肩を大げさに竦めて荷造りに戻る。
怒りのパフォーマンスはスルーされたが、せっかく立ち上がったし手伝ってやるか。
脇にしゃがんでカッターを差し出せば、彼は口角を上げて受け取る。

「ありがとな」
「何すればいい?」
「じゃあ、本棚の本を適当に詰めてくれ」
「了解」

気づけば、今日も彼の思惑通りだ。
苦笑をしながら本を揃えれば、インデックスが不思議そうな顔をした。






2時間程で、ほとんどの荷物はダンボールの中に収納された。
大きく中身が書かれた褐色の箱に囲まれ、出された麦茶に口を付ける。

「ありがとう。助かったよ」

そういいながら、彼は今も変わらず残された卓袱台の前に座る。

「意外と早く終わったね、とうま」
「そうだな。手伝ってくれてありがとう」

銀髪碧眼少女がよいしょ、と言いながら腰を下ろす。
その様子が余りに日本人じみていて、思わず笑ってしまった。

「あんた、英語がネイティブなんだよね?」
「多分ね」
「でも日本語もすごいわね。他に話せる言葉ってある?」
「うん。大体はしゃべれる」
「大体?」
「通常使われている言語なら、大体」
「は?」
「ネイティブ並だと何ヶ国語だ?」
「50くらいかな」

思わず彼女を見ると、自分の特異性を理解していない表情をしていた。

「あんた、凄いじゃない。知らなかった」
「魔術の習得は、言語の理解から始まるからね。魔道書図書館には必要なものなの」

その表情は、もちろん曇ったりなどしない。
それを聞く私たちだって、悲しんだりなどしない。

「じゃあ、特技を生かして将来はキャビンアテンダントになったら?」
「国境無き医師団もあるぞ」
「そんなの危険だし、大変過ぎるからだめよ」
「そうか。ならツアーコンダクターはどうだ?世界中の楽しいもの見れるぞ」
「それならいいかな」
「一度見たら覚えちゃうから、すぐに退屈になるかも」

笑って話せば、彼女も笑顔で返す。
将来、か。
私は将来、何をしているのだろう。

「そういえば、明日って何時に行く?」
「え?お前、明日学校だろ」
「学校は明後日って予定表には入っているけど」

携帯を出して確認するが、明後日となっている。
だからこそ明日にしようといわれたときに反対しなかったのだ。

「でも、涙子と初めて会ったとき、黒子は明日だって言ってたよ」

完全記憶能力者に言われると返す言葉が無い。
部屋の電話回線からサーバーに侵入して確認すれば、果たして黒子が正しいことが判明した。

「予定表、間違ってたみたいね。危うく無断欠席するところだった」
「気づいてよかったな」
「そうね。でも、アンタ達2人で大丈夫?」
「大丈夫だよ。後でお前にも見てもらうから」
「そう。ごめんね」

軽く謝ると、彼はわずかに微笑んで返す。
隣ではインデックスが小さく欠伸をした。






8月15日。
久しぶりに学舎の園の門をくぐる。
ふわふわとした見目麗しい女生徒に溢れる閉鎖空間。
離れたのは1ヶ月くらいなのに、異常に違和感を感じることが自分でも不思議だった。
常盤台に向かって歩けば、多くの視線が自分に集まるのを感じる。
畏敬と恐怖と嫉妬の感情が突き刺さる。

これが、壁だ。
私が気づかずに積み上げてしまった壁。
では気づいた私は、何をすればいいのだろう。

インデックスならなんて言うだろう。
その感情をトレースする。

アイツならなんて言うだろう。
その思考をトレースする。



そして、結論を出す。



「おはよう、今日は暑いわね」
「こんな日は、学校なんてサボってプールにでも行きたくない?」

にこやかに、いかにも気軽という感じで。
絶対に内心の緊張なんて見せないように。

「お、おはようございます、御坂さん」
「いいですね、プール。私も行きたいですわ」

心底驚いた表情で答える彼女達に、笑顔で答える。

「そうよね。もし行くときに人数が足りないときがあったら、誘ってね」

そして歩き出す。



よくやった、御坂美琴。
とりあえずは上出来じゃないか。
この調子で頑張りな。



自分を褒めてくれる相棒が今はいないから。
久しぶりに、自分で自分を褒めてみた。






「では、これが鍵です」

最後に部屋を確認した後、そう言われて差し出されたものを当麻が受け取る。
ここは上条家から2 kmほど離れたマンションの一室。
明日からここに住むことになるのだ。

引越しを提案したのは私だった。
もともと1人暮らし用のマンションに私が転がり込んできたから、不満はないが少し手狭である。
それに、場所は商店街や美琴の寮からも当麻の学校からも遠い。
生活費は必要悪の教会から出ているので、住居費を出すから広いところに移ろうと提案したのだ。
話してみれば当麻も同じことを思っていたらしく、引越しはあっさり決定された。
そのあとは当麻や美琴が口論しつつもいくつか候補を探してくれて、それを1日がかりでめぐった末にこのマンションに落ち着いたのだ。

間取りは2LDK。
学生が住むにはだいぶ広めで、明らかに今のマンションよりも綺麗な作りをしている。
そして、窓からの視界が隣のマンションにさえぎられることもない。
何より、自分の部屋ができるということに、嬉しさが込み上げてくるのを感じる。


ああ、幸せだ。


不動産屋が帰ったあとカーテンすらないがらんとした部屋に寝そべり、当麻に声をかけられるまで私は窓越しの空を眺めていた。






時計を見れば15時。
今日はアイツの家では料理なんてできないから、外食になるのかな。
そんなことを考えながら昇降口を出ようとしたところで、御坂美琴は知った顔に気づいた。

「泡浮さん、こんにちは」

声をかけると、彼女は穏やかに返事を返す。
お嬢様って、こういう人のことを言うんだろうな、と密かに思う。

「どこかで冷たいものでも飲んでいかない?こないだのお詫びにご馳走するわ」

自分で自分を褒めながら誘ってみれば、彼女は緩やかに了承の意を示してくれた。



「上条さんって、そんなこと言うんですね。信じられませんわ」
「でしょ。アイツもああ見えて馬鹿なのよ」

学舎の園の門付近にある喫茶店でアイスコーヒーを飲みつつ、泡浮さんとしばしのお喋りを楽しむ。

「でも、御坂さんを引っ掛けることに協力してと言われたときの衝撃に比べれば、かわいいものですけど」
「そんなに意外だった?」

泡浮さんは2年ほど前に、あのお人好しに助けられたらしい。
無表情で無感動な口調に最初は吃驚した、と聞かされたときは盛大に笑ってしまった。

「本当に意外でした。あんな悪戯をする人だとは思っても見ませんでしたから」
「私も最初はそう思ってた。けど、結構そういうところもあるのよ」
「そのようですね。でも、私の友達も何人か上条さんに助けてもらっていますが、教えてあげたら、きっと吃驚すると思いますわ」
「泡浮さんって、結構意地悪ね。」
「……冗談ですよ」

微笑む姿も絵になるな、などと思ってしまう。
私には無理だな。

「でも、本当にごめんね。妙なことに巻き込んじゃって」
「いえ。結構楽しかったですし、御坂さんとも仲良くなれましたから、巻き込んで貰えてよかったです」
「そう言ってくれると助かるわ」
「私の演技、上手かったですか?」
「上手かった。本気で騙されたもん」
「良かったです」
「もう騙さないでよね」

ふふっ、と笑う彼女だが、ふと何かを思い出したようにその表情が曇る。

「どうかした?」
「ええ。……実は今日、クラスで変な噂話を耳にしまして。お話したほうが良いかと」
「……私の噂?」

ええ、と頷く泡浮さん。
なんだろう。
ひょっとして、例のファーストフード店の前でアイツに抱きしめられていたのを誰かに目撃されたか。
そんなことを考えながら口ごもる彼女に話すように促してみたが、内容は予想外のものだった。






「御坂さんのDNAを元に軍用兵器としてクローンが作られている、という噂です」



コーヒーの氷が、音を立てて崩れた。












《絶対能力進化2》

脳の神経伝達を部分的にブロックする化合物。
末梢神経の活動電位を強制的に下げる化合物。
海馬に作用して一時的に映像記憶能を持たせる化合物。
各種幻覚作用を有する麻薬の類。

思い起こせばきりが無い。
思い出せないものも数多い。

よく今まで廃人にならなかったものだ。
それとも、もう既に廃人になっているのか。






新しいマンションからの帰り道。
当麻と並んで30分ほどの道を歩く。
空を見れば、黒い雲が広がりつつある。
予報どおり、夜には雨が降るのだろう。


「みこと、今日はどうするのかな」
「メールしたけど返ってこないな。16時になったら電話で聞いてみるか」
「今日はどうするの?」
「調理具もダンボールの中だからな。どこかで食べよう」

同じ言葉なのに、意図が伝わる。
そのことが、とても嬉しい。

「そういえば、近所のパスタ屋さんの広告が入ってたよ」
「そこも引っ越したら遠くなるからな。行ってみるか?」

いつものように綺麗な姿勢で歩く当麻を見る。
横目で見ると、歩くペースを自分に合わせてくれていることを知る。
そのことが、とても嬉しい。

「そうそう、週末にセブンスミストで家具のセールをやるんだって」
「なら、お前のベッドを探しに行って見るか?」
「うん」
「それにしてもよく見てるな」
「だって、楽しみなんだもん」
「良かったな」

何気ない会話の中に求めていた日常がある。
そのことが、とても嬉しい。

「私、幸せだよ」
「……良かったな。本当に」

そう言ってくれることが、とても嬉しい。






帰り道に、少し遠回りをして駅前のデパートにカーテンを見に行ってみる。
こういうときに勝手に決めると美琴が拗ねることは知っているから、今日はただの下見だ。
デパートの中に入ると、歩く教会がやはり目立つのか、こちらをチラチラ伺う視線を感じる。
私はもちろん慣れたものだが当麻はどうだろうと思って伺えば、いつもと変わらない表情だった。
そのことに少し安心して、気持ち半歩、彼に近づく。

「カーテンを見た後、ベッドと机も下見するか?」
「うん」

近づいた分だけ、彼が大きく見える。
彼の命に近づいた気がする。

「ね、とうま。私、とうまがいなくなったら困るよ」
「なんだ、いきなり」
「いなくなったら、困る」
「……大丈夫だ」

彼の命。
それは私にとって、掛け替えのないもの。
そう思った途端、急に得体の知れない焦燥感が湧いてくる。

「……嘘だよ」
「大丈夫だって」
「そんなの、嘘」
「……どうした、インデックス?」

彼は助けを求められたら、これからも助けるのだろう。
そこにリスクがあったとしても、きっと、ずっと。
でも、それを私が止めることはできない。
私に止める権利なんてない。
なぜなら。

目に見える全てを助けようとする彼だから、私を助けようとしてくれた。
無茶な話に向かい合えてしまう彼だから、私の話も聞いてくれた。
命を投げ出しても救おうと思える彼だから、私を命がけで救ってくれた。

だから、誰よりも救われた私が、当麻を止めることはできない。

でも、苦しいのだ。
誰かを救おうとして危ない橋を渡っていく姿を見るのは、とても苦しいのだ。
それを言う権利なんて私には無いはずなのに。

それでも、なお。

「ごめんね、とうま。なんだか、心配なの」
「そうか」
「信じられないくらい幸せなのに。なんだか、最近心配で仕様が無くなる」
「……その心配は、きっと税金みたいなもんだ」

無表情にわずかに見える、何かの感情。

「税金?」
「そう。幸せな人が払う税金だ。幸せなほど、高くなる税金だ」
「そっか。税金、か」
「ああ」
「じゃあ、仕方ないね」
「そうだな。払いたくないなら、不幸になるしかないな」
「それは困るよ」

せっかく幸せを満喫しているのだ。
不幸になるなんてとんでもない。

「でも、お前の言いたいことはなんとなく分かった。心配かけて悪いな」
「ホントだよ」
「……仕方ない。税務署に見逃して貰えるよう、賄賂でも渡すか」

そういいながら、彼はエレベータの前のワッフル屋を指差した。






御坂美琴は歩きながら考える。

私のクローン。
レベル5の能力を軍用に転換するために作られた、私のクローン。

……馬鹿馬鹿しい。

クローン技術は既に確立され、家畜や実験動物の作出に応用されている例も多い。
そしてレベル5を軍用に転換できるなら、その経済的価値は莫大なものだろう。

しかし、有り得ない。

軍用にするということは、クローンに戦わせると言うことだ。
真っ向勝負なら、私の能力なら軍隊を相手にしても負けるとは思わない。
でも奇襲や長距離からの狙撃などの方法で、長期的に狙われたら逃げ切れるとも思えない。
つまり、クローンを作ったことが相手方にばれる可能性が高いということだ。

そして、クローンの作出は国際法にも日本の法律にも違反している。
情報がリークしたら、世界中から集まる学生によって支えられている学園都市にとって致命傷となる。
だから、仮に作っていたとしても、学生の噂になる程度に情報がリークするほどの脆いセキュリティで守られるほど軽い情報ではない。

いろいろ考えれば、その噂が荒唐無稽で自己矛盾していることが明白だ。
だが。

「この3週間で、荒唐無稽な現実は何度も見てきたしね」

火の無いところに煙はたたず、との言葉が現実になったことだってあった。
まったく別の重要な情報が、変質した結果として噂ができたのかもしれない。
念のため調べてみようと思いつつ、私は人気のない通り沿いの公衆電話ボックスに入った。






家に帰ってきても、褐色のキューブに溢れる部屋では特にやることもない。
テレビもパソコンもトランプすらも仕舞ってしまった。
雑談をしたり、携帯に内蔵されていたオセロで遊んだりで時間がつぶすが、ふと携帯電話を見ると19時。
美琴からは未だ連絡が無い。

「まだ、連絡はない?」
「ないな。電話をかけても出ない」
「どうしたのかな」
「そうだな。久しぶりに学校の友達と会って、楽しんでるんじゃないか?」
「うん……そうだね」
「そうだな。20時まで連絡が無ければ、どこかに食べに行こう」






外食から帰って一息ついた22時過ぎに美琴からメールがあった。
内容は、家には行けないことを告げるシンプルなものだった。
その短い文面になんだか胸騒ぎを感じて、私は当麻に声をかけた。












《絶対能力進化3》


絶対能力進化、と言う言葉には容易にたどり着いた。


上条当麻を探り続けた3週間前、学園都市のコンピュータの多くにはバックドアを仕組んである。
それを使って私の名前とクローンをキーワードにして情報を調べれば、信じがたい事実が、信じがたいほど簡単に見つかってしまった。

内容が次々と携帯端末にダウンロードされていることを画面が知らせる。

――Now downloading the data

端末を握り締めて、私はいつの間にかボックスの中で座り込んでいた。






――Now downloading the data


私のクローンが
知らないところで作られて
知らないところで殺される
何度も、何度も


――Now downloading the data


頭を砕かれた映像が
足を引きちぎられた映像が
心臓を破裂させられた映像が
首を飛ばされた映像が


――Now downloading the data


No.0002は2分12秒で実験終了
No.0102は1分54秒で実験終了
No.5102は0分59秒で実験終了
No.9802は3分02秒で実験終了


――Now downloading the data


私の命を分けるものが
Sistersなんてふざけたコードを付けられ
ぱたりぱたりと殺されている
何度も、何度も


――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading the data

――Now downloading…………






「うああアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」






ギリギリで端末は守った。
でもそれ以外は駄目だった。
半径50 mが電子の光に包まれて。
轟音と共に瞬時に蒸発した。






「一方通行ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」






次の実験場所は第9学区工場跡。
実験開始は今日の22時半。



それだけわかれば十分だ。






「現時刻は22時20分。第9981次実験開始まであと10分です」

私と同じ声が響く。
私と同じ姿で話している。
私の9981番目のクローンが、そこにいる。
電子の情報だけではなく、目が、耳がその現実を知る。
そして、それに応える声。

「オマエら、相変わらず薄気味悪いくれェ、落ち着いてンな」

レベル5、序列第1位の一方通行だ。
私の妹たちを1万人近く殺した殺人者。
何度も、何度も、何度も、何度もいたぶるように殺した。

殺した。
殺したッ!
この男が!!
この男がッ!!

「待ちなさいよ」

口から出た言葉は、驚くほど平坦だ。
表情もきっと無表情だった。
体も震えてなんていなかった。
足だって、誰かに見せたいくらい滑らかに前に動いた。

「一応、確認する」

でも、涙が出ていた。

悔しくて
切なくて
情けなくて
許せなくて

「あんたは、第1位一方通行。絶対能力進化に従って、超電磁砲のクローンを殺害している。……そうよね?」
「なンだァ、オマエ。……ひょっとしてオリジナルかァ?」
「質問に答えろ」
「あァ?めンどくせェなァ。コレって機密なンだよなァ?」
「……いいからッ、さっさと質問に答えろッッ!」

大げさにため息をついて第1位は答える。

「オマエの言う通りだ。……コレで満足したかァ?」






聞いた瞬間、世界がクリアされた。

一切の音が消えて。
一切の色が消えて。
一切の香が消える。

自分の中にある、安全装置が全て解除されたのが良くわかった。

そして、余りにも静寂に満ちた平坦な心で。
私は全力の雷撃をその男に向かって収束させた。






光と爆発音と衝撃波が訪れ、次いであっと言う間に視界が粉塵に遮られる。
膨れ上がった空気に圧排されて、工場が軋むような音を立てる。
だが、能力の目には彼の無事がよく見えた。
彼は電撃の渦の中で、まだ笑っている。
この中で蒸発しないとは。

さすが第1位と言ったところだ。
しかし、彼が動けないのもまた事実のようだ。



ならば、このまま粉々に切り刻んでやろう。



電撃をさらに収束させ、あまった能力で磁場をコントロールし、砂鉄の剣を作る。
戦車さえも切り裂くそれを、流れるように彼に叩きつける。
だが、それらは彼に届く前にはじき返される。

なるほど、これがベクトル操作か。
やるじゃない。



……じゃあ、これでも食らって死んでしまえ。



電撃による攻撃を解除し、近くにある鉄骨資材を砂鉄の剣で切り裂く。
各辺10cmほどにカットしたそれを、目の前に浮かせる。
ニヤニヤと笑うその男に向かって、全能力を注ぎ込んだ電磁レールを繋ぐ。

そして、バイバイと手を振り、薄く笑顔すら浮かべて。
私は過去最大レベルの超電磁砲を解放した。



満たされる、閃光。












「うぅ……」


薄く目を開けると、顔を打つ激しい雨。
動こうとするが、体中がしびれた様に力が入らず、起き上がることもままならない。
口の中には錆びた鉄の味。
右手を見ると、制服ごと肩まで皮膚が切れている。
左足が砂利のようになったコンクリートに埋まっている。

何とか起き上がると、ぼやけて定まらない視界には黒い影が20ほど。






能力の目で見て、彼女達が私のクローンであることが分かった。
彼らが集めている肉片が、さっき私が助けたかったあの子だってことも分かった。
一片の迷い無く殺すつもりで全力をぶつけたのに、第1位には相手にもされなかったってことも良く分かった。






完全に、負けた。
手を引いて逃げることもできなかった。






統率されたように動き続ける彼女達に話しかけることすらできずに。
足を引きずりながら、私はその場を逃げ出した。













《絶対能力進化4》

昔の記憶は驚くほど思い出せない。

自分がどこで生まれたのか。
自分の両親はどんな顔をしていたのか。
自分が何故学園都市にいるのか。
そして、自分の名前さえも。

過去を持たない自分は、きっとベクトルだ。
起点を持たず、強さと方向だけを迷いなく持つ。
そんなベクトルに違いなかった。






雨はやがて土砂降りへと変わった。
路面に広がる水溜りは波打ちながら、意思を持つかのように互いに手を伸ばしてつながっていく。

人通りが完全に絶えた大通りを、一方通行はゆっくり歩いていた。
右手にはこの2週間買い続けている缶コーヒー。
左手には既に内容も良く覚えていない弁当類。

今日もいつもの通りだった。



いつもの通り、実験場所に行き。
いつもの通り、対象を破壊して。
いつもの通り、電車に乗って。
いつもの通り、食料を買って帰る。



それは生活の一部になっていた。
感じた罪悪感は既に溶けて消えた。

いつも通り、空虚なベクトルに戻った自分は
雨も風もはじき返して街を歩いていく。






家に帰ると、防犯装置のスイッチを切る。
自宅を襲撃されたことはこれまで数え切れない。
帰ってきたら、隣家を巻き込んで部屋が爆破されていたこともあった。
家が放火されたことも3回ほどあった。

防犯装置自体が既に気休め程度の意味しか持たない程、自分は世界に憎まれている。

明かりは付けない。
帰宅を知って、窓から石が投げ込まれるからだ。
だが、この場所もそろそろ知られるころだ。
別の場所に移ったほうが良いかもしれない。

埃の積もったテーブルの上に飲み差しの缶コーヒーを置く。
命をつなぐために、ぼそぼそと弁当を掻きこむ。
隣の部屋から微かにテレビの笑い声が聞こえる。

常盤台の超電磁砲、か。
あいつは、生きているだろうか。

あのような青白く磨がれた殺意は初めてだった。

一分の迷いなく殺すつもりで打ち込まれた攻撃。
彼女の周りで組み上がった莫大な電磁の誘導式。

美しい、と思った。
殺されてもよい、とすら思った。

自分を屠るために放たれた緋色の光を思い出して、一方通行は虚無の笑みを浮かべた。






24時。

足を引きずりながら、御坂美琴はふらふらと街を歩き続ける。
土砂降りの雨が体から体温を奪っていく。
右腕からは血が流れ続けている。
青白い顔で、青白い唇を震わせながら、彼女は街を歩く。

「なんとか、しなきゃ」

向かう先は第9学区にある研究所。
表向きは視覚情報処理と能力開発の関係を研究しているようだが、実態は絶対能力進化
の研究機関であることは把握している。

「なんとか、しなきゃ」

自分が出しうる最大出力の運動エネルギーも通用しなかった。
一方通行には、絶対に勝てない。
ならば、計画を止めるためにはこれしか方法はない。

「なんとか、しなきゃ」

俯き、ぶつぶつと呟きながら、彼女は暗い路地を進む。
遠くで一つ、雷鳴が轟いた。






途中の公園らしき場所で転んだら、起き上がれなくなった。
目の前には表面が雨で撓む濁った水溜りがあった。
顔もきっと、泥にまみれているに違いなかった。
右腕の感覚は、大分前から無い。
左足もコントロールが難しくなってきている。



なんて、惨めなんだろう。



これまで、自分が積み上げてきたもの。
私の能力。
私の大好きな、私だけの現実。
それが全く通じなかった。
根本から否定された。


これまで、自分が積み上げてきたもの。
私の価値。
私らしい、私だけの生き方。
学園都市はそんなの見ていなかった。
私の価値は、私のDNAにしかなかった。



畜生。



ふと、インデックスの顔が浮かぶ。
あの子、泣くよね。
こんな姿見たら、絶対泣くよね。



ふと、アイツの顔が浮かぶ。
アイツ、怒るよね。
こんな姿見たら、絶対怒るよね。



だから、駄目だ。
駄目だ、絶対に。



震える体を起こす。
新たな血がにじんでも力を込める。
生体電流を操って、強引に筋肉を動かす。



ほら、一人だって私はまだ起き上がれる。



学園都市は危険だ。
昔、アイツが言っていた言葉。
その意味にようやく届いた。
こんな頓狂な実験を考え付くなんて、実行してしまえるなんて。
空想のマッドサイエンティストを超えている。



だから、私一人で十分。
電子を操る私一人で十分。
こんな闇に対するのは、それを産んだ私一人で十分だ。



ほら、一人だって私はまだ歩ける。



焦燥で身が焦がされても。
不安で押しつぶされそうでも。
恐怖に体が震えても。
寂しさに涙が流れても。



ほら、一人だって私はまだ戦える。












「御坂!」
「みこと!」






え……?












《絶対能力進化5》

幻聴かと思った。

2人には何も話していない。
ここにいるなんて知るはずが無い。
こんな雨の中、私を迎えに来るなんて、都合の良い話があるわけが無い。

「大丈夫?」

雨がさえぎられる。
目を上げれば、雨をはじく白い修道服が傘を差し出している。

「何があった?」

相変わらず無表情な顔が私を覗き込む。

……雨が降っていて、良かった。






雨の中で震える美琴の姿に、息が詰まった。
それでも何とか取り繕う壊れかけた笑顔に、思わず涙が出た。

なんだ、これは。
誰だ、美琴をこんな目にあわせたのは。
許せない。
絶対に許せない。

震える体に、持ってきた服をかける。
その服ごと、頭一つ大きい彼女を抱きしめる。

「何、で、わかっ、たの?」
「お前の様子が変だとインデックスから聞いた。電話をかけても出ないし、そのうち繋がらなくなった。だから、何かあったのかと思って探索術式でお前を探してもらった」
「探索、術式?」
「雷を使った、探索術式。光ってから10秒くらいしか使えないが、そこで映されたお前の状態は明らかに異常だったからな。迎えに来た」
「迎え?」
「ああ」

美琴が腕の中で震えるのを感じる。

「……駄目、なの」
「なにが?」
「私、の問題、なの。凄く、危険、だから」

だから、駄目なの、と美琴が消えるような声で呟く。
何度も、何度も。
それを見る当麻の目が細くなる。

「御坂、今の状態でお前が何かを成せるとは思えない。だから、帰ろう」
「駄目、なの。行か、ないと。……行、かないと」
「これ以上は限界だ」
「……駄目、なの」

まるで壊れた人形みたいに、同じ口調で、同じ言葉を繰り返す。
何度も、何度も。
ぎりっ、と私の奥歯が音を立てる。

「じゃあ、御坂。2時間だ。2時間だけ、休もう。それなら問題ないだろう?」
「……」
「2時間だけだ。約束する。だから、行こう」
「……駄目」
「駄目じゃない」

当麻はすっと動くと掛けた上着ごと美琴を抱えあげて、歩き出す。
わずかに身じろぎする美琴に、

「お前の能力は封じた。無駄な抵抗はするな」

いつもよりも、少しだけ優しい声でそういうと、待たせてあったタクシーに乗り込む。
場所を告げられたタクシーが、雨に煙る街を静かに走り出す。






ステイル=マグヌスの探索に使用したときはまばらに人がいたが、土砂降りの深夜となれば誰かに見られる可能性など皆無だった。

気を失うように眠る美琴を地面に引いたビニールシートに寝かせる。
わずかに雨に打たれる青白い顔に、ごめん、と謝りながら、地脈を引き出して回復魔術を構成する。
シートに書かれた魔法陣が淡く光り、彼女の体を魔力が満たしていく。

「……何があったんだろう」
「分からないが、学園都市の暗部に関することに巻き込まれたようだな」

隣に立ち、私たちをかばうように傘を差す当麻に聞いても、当然望む答えは返ってこない。

「どのくらいで治るんだ?」
「すぐ」

ならば、眠り姫に直接聞くしかない。
わずかに赤みが差してきた顔に、私は唇を噛み締めた。






部屋に戻った後、当麻はコンビニに行くといって家を出た。
その意味を理解した私は、少しだけ抵抗する美琴を強引にバスルームに連れ込む。
回復魔術で体力は戻っても、体温までは戻せない。
震える体に少しだけ熱めのシャワーを掛けながら、背伸びをして美琴の頭にシャンプーを付ける。
私の幸せの記憶。
あのとき貰った優しさに、精一杯の感謝を込めて。
私よりもずっと短い髪を泡立てる。

「逆に、なっちゃったね」

ぽつりと美琴が漏らす。

「恩返しできて、よかったよ」

せめて気持ちが届くように祈りながら、髪を指で梳く。



流す涙が、すぐに幸せになりますように。
流す涙を、すぐに幸せに変えられるように。



何度も、何度も。












《絶対能力進化6》

暗闇。

溶けてしまいそうな、虚ろに揺らめく暗闇。
あの中で叫んでいるのは、誰だ?
あの女か?
あの群人か?
それとも、この俺なのか?






目を開ければ、暗い天井。
目に届く光の運動エネルギーを操作して、明るさを取り戻す。



また、あの夢か。



くしゃくしゃに皺が寄ったシーツと、わずかにひびが入った窓ガラスを見て
学園都市最強の能力者はそっと顔を覆った。






バスルームを出てから、美琴は何も話さなかった。
私も、何も聞かなかった。
それでも流れる涙を見ているのが辛くて、目を逸らせば乱雑に開けられた褐色の箱。

探索術式で美琴の姿を見たときのことを再生する。
見た瞬間、当麻の表情が凍った。
ただでさえ乏しい表情が、完全に消え去った。
彼の口が、音を出さずに何かの言葉を呟くのが見えた。
時間にしたら、5秒も無い。
しかし、彼が完全に無防備になっている姿は余りに意外で、そして余りに切なかった。

そのあと、当麻は直にタクシーを電話で呼ぶと、ダンボールを開けて私の服やタオルなどを出し始めた。
回復術式についていくつか私に聞き、私にその魔法陣を書くように要請した。

いつもみたいに素早く的確な決断。

でも、その声が、手が、震えているのが良く分かった。
その姿に、吸い取られたみたいに自分の動揺が消えていった。

「ただいま」

そして、彼が帰ってくる。
その声に、美琴の体が少しだけ動いた。






目が覚めたら、アイツに抱えられるようにしながらタクシーを降ろされるところだった。
何故自分がこんな状況になっているのか記憶が曖昧だったから、少しだけ暴れるとアイツが私の顔を見た。

そのときの、あの顔。
的確に表現するのは難しいけど、敢えて言うなら、悲しむような苦しむような顔。
アイツらしくない表情を見た途端、急に記憶がフラッシュバックした。

彼を突き飛ばし、駆け寄るインデックスを押しのけて、道端で吐いた。
横隔膜が激しく上下して、身を絞るように曲げながら何度も吐いた。
喉を焼くような胃液しか出てこないのに。
背中をさする二人の手に気づいて、それでも、何度も。

でも、吐いて、吐いて、尽きるまで吐いたら、なんだか気持ちが落ち着いた。
涙は止まらないけれど、心は既に安定していた。
インデックスに頭を洗ってもらって、その優しさに決意を貰った。

この2人を巻き込むわけにはいかない。
こんなにも大切な友達を危険にさらすことなんてできない。
研究所を破壊するのは1人で十分だ。
この狂った計画を止めるのは、レベル5の超電磁砲1人で十分。



だから、私は騙そう。
あの嘘つきをなんとしてでも騙して、この家を去ろう。






「約束の2時間まであと47分ある。何があったか、話してくれないか?」
「……話したくない」
「何故だ?」
「恥ずかしいから」
「……笑わないから、話してみろ」

無表情に複雑な感情を隠しながら、上条当麻が問う。
その感情が見えるようになったことに、改めて気がつく。

「……私、フラれたのよ」
「……」
「みこと……」

「最初はムカつく男だと思ってた。知るうちにすごい変人だって思うようになった」

我ながら無茶な作り話だと思う。
アイツなら自然な嘘をつけるんだろうけど、私にはこれが精一杯。
でも、いいじゃないか。
私は思春期真っ盛りなんだ。
恋に破れて、自棄になったっていいじゃないか。

「なんか、本当に変な奴なの。何を考えてるのかわからないし、一々行動も変だし」

口からでまかせの恋の話。
明日になれば忘れてしまうような、妄想ラブストーリー。

「でも、何度も一緒に笑いあっているうちに、気がつけば好きになってた」

……あれ、おかしいな。
行き当たりばったりシナリオのはずなのに。

「ひょっとしたら自分が想うみたいに、その人も私を好きなんじゃないかって、思ってた。でも勘違いだった」

何故、こんな気持ちが込みあがるんだ?

「その人は、私を見ていないって、分かった。でも苦しかった。とても苦しくて、苦しくてたまらなかったの」

駄目だ、落ち着け、静まれ。
こんな気持ちになっている場合じゃない。

「だから、自棄になって暴れたの。使われていない廃工場を一つ吹き飛ばしたわ。そしたら自分の能力に巻き込まれて、怪我しちゃった」

……自分の言葉に酔ったのか、私。
うっかり別の涙が零れそうになるのを、あわてて止める。
しっかりしろ、御坂美琴。

「それだけよ。……心配掛けて、ごめん」

少しだけぼやけた視界で、それでも真っ直ぐ上条を見る。
無茶は承知。
それでも通さないと。



「……本当か?」
「本当よ。暴れまくって、落ち着いた。もう大丈夫」
「そうか」
「……カッコ悪いから、話したくなかった」
「……悪かったよ」

考える目をする上条と、表層的な会話を交わす。

彼がこの話で納得するわけは無い。
でも、私でなければ、この悲惨な実験の真実にたどり着くことはできない。
そして、誰にも知られず研究所を破壊することが、私ならできる。
レベル5の超電磁砲なら。

だから、今この場を離れられれば、私の勝ちだ。

「ホントよ。乙女のプライバシーを掘り返そうなんて、信じらんないわ」

言いながら、立ち上がる。
玄関まで、あと10歩。

「これでも傷付いてんのよ。だから、ちょっと一人になりたい」

笑顔さえ貼り付けて、歩く。

「心の傷が癒えたら、また遊びに来るわ。寂しいかもしれないけど、泣くんじゃないわよ」

軽口でごまかして、進む。

「だから、また」
「御坂」

言葉が遮られる。
振り返ると上条がこちらに歩いてくる。
いつものように綺麗な姿勢で。
いつものように無表情に。
私の脇を通り過ぎて、玄関を背に寄りかかる。






「俺には、お前が言ってることが真実だとは思えない」


モノトーンな声で上条が言う。
でも、本当はそうじゃない。
よく聞けば、ちゃんと感情がこもっている。


「そして、仮に真実であったとしても、お前を帰すわけには行かない」


きっとそれは決意だ。
インデックスを襲う魔術師と戦ったときに感じた、彼の覚悟。


「お前があんな状態になるまで追い詰められたんだ。見過ごすなんてできない」

「私を、助けようっていうの?」

「ああ」

「そんなの、大きなお世話だって、思わないの?」

「思わない」

「私の問題だから、放っておいてって言ってるの、解からない?」

「お前はそんなこと思っていない」

「言ってるじゃない」

「でも、思っていないだろう?」


その覚悟に応えるのは、私のナイフのような言葉。

こんなことを言いたいわけじゃないのに。
アイツに八つ当たりしたって仕方ないのに。


「思ってるわ。アンタのその押し付けの善意、正直ムカつくわ。アンタの助けを借りなきゃ私が何もできないと思ってるの?私を、馬鹿にしてるの?」


……駄目だ。
こんなこと言っちゃ駄目だ。


「馬鹿になんてしてない」

「してるじゃない。きっと、アンタは私のことを可哀想だって、憐れんでるんだ。だから手をさし伸ばしてやるかって、思ってるんだ」

「……俺は、お前が本当に可哀想だって思ったよ。御坂」

「ほら!可哀想、可哀想って、私のことを馬鹿にしてるんでしょ?哀れだからお情けでも掛けてやろうかって思ってるでしょ?」


止めて。
誰か、止めて。


「そんなんじゃねえよ」

「嘘。絶対、そうよ。気持ちいいでしょ?助けた相手が泣きながら感謝する言葉、圧倒的優位に立って、相手を見下ろす快感」

「御坂……」



「アンタは助けたいんじゃないわ。本当は見下ろしたいんでしょ?打ちのめされた誰かが這い蹲るのを、安全な立場から、見下ろしたいんでしょ?」


……なんて汚い、醜い言葉だろう。


自分が放った言葉の鋭さと重たさに愕然とする。
取り返しのつかないことを言ってしまったことに、体が震えだす。
もはや、上条の顔を見ることなんてできない。
彼を強引に突き飛ばして、裸足のまま外に逃げようとして。






私の左手をつかむ、彼の右手。






「御坂、お前の言っていることは正しいよ」


聞こえてくるのは穏やかな声。
いつもの、彼の平坦な言葉。


「お前が言った、傲慢な気持ち。俺の中に、確かにあるよ」


ゆっくりと紡がれる、温かいトーン。


「言われて、初めて気づいた。教えてくれてありがとな、御坂」


振り向けば、いつも通りの彼の顔。
無表情を装う、優しい顔。


「それに、ごめん。俺は抜けてた。ちゃんと、言えば良かった」


……何を?






「お前が苦しむのを見ていると辛いんだ。だから、どうしてもお前のことを守りたいんだよ。御坂。……これは、俺のエゴだ。でも譲るつもりはない。諦めろ」






……なんだこれ。
ずるすぎるよ、アンタ。


つながれた右手に、体の力が持っていかれる。
負けず嫌いも、意地っ張りも全部打ち消される。
心のファイアウォールも、作り上げた覚悟も、みんな溶かされる。


そして残ったのは、私。
正直者の、寂しがりやの私だった。











《絶対能力進化7》

俺は、全てが怖かった。
最強の盾を生まれながらに持っているのに。
自分を取り巻く、全てが怖かった。

最強の盾があるから、ためらわずに拳を振るう。
最強の盾があるから、ためらわずにナイフを抜く。
最強の盾があるから、ためらわずに銃を向ける。

媚びへつらい、そして唐突に暴力へと転身できる。
そんな全てが怖かった。
だから望んだ。
全てを超越する力。



レベル6。






一度崩されれば、もうどうしようもなかった。
洗いざらい、知ったこと、したこと、しようとしたことを泣きながら話した。

インデックスはやっぱり泣いた。
泣きながら私の名を呼んで、私の頭を抱きしめた。

上条は怒らなかったが、代わりに私の頭を撫でてくれた。
頑張ったな、といいながら、何度も撫でてくれた。

ひとしきり泣いたら、リラックスしたのか、私のお腹が小さく音を立てた。
余りにタイミングが良くて、うっかり笑ってしまった。
そしたら、2人も笑ってくれた。
笑い声。
そんなもの、もう縁が無いかと覚悟したばっかりなのに。
短い寿命だった決意が馬鹿みたいで、でも、嬉しくて、有り難くて、幸せで。
私は涙を零しながら笑った。






「何でお腹すいてるって知ってたの?」

上条が差し出したコンビニ弁当をお茶で流し込みながら、私は聞く。
泣きすぎて鼻が壊れたのか、ぐすぐす言っているが、味覚のダイナミックレンジが広い私は、問題なく美味しく食べられる。

「解答は食後で良いか?」
「……今のでわかった。言わなくて良いわ」

なんてものを見てるんだ、と抜け目無い彼に少し呆れる。

「今日は何を食べたの?」
「パスタ。みことが鮭クリームをもう一度食べたいって言ってた、あのお店だよ」
「いいなあ、私も行きたかった。なんで教えてくれなかったのよ」
「ちゃんと携帯に電話はしたからな」

履歴を見ようと携帯を出すと、完全に壊れている。
あの電撃に耐えられるわけがないから、当たり前か。

「壊れちゃったみたい」
「壊したんだろ?」

細かい奴だ。

「じゃあ、みことが言ってたデータも見れないの?」
「そうなるわね……」
「まあ、良いだろ。さっき聞いた情報じゃ、どの道足りないんだから」

足りない?

「ああ」
「何が足りないの?」
「絶対能力進化の計画の全貌と、一方通行についてのデータ」

上条はダンボールを開いて、中からPCを取り出す。
コードを繋ぎ、モニターを卓袱台に載せて電源を入れる。

「それを知ってどうするの?」
「決まってるだろ?」

彼は口角を上げて、あっさり答える。



「この狂った計画をつぶすんだよ」






第3位の能力を使って、回線を通じて学園都市の端末をハックする。
電磁の海が意味を持ち、そこからいかなる情報も引き出せるような万能感に包まれる。

「次、過去の実験の詳細を見せてくれ」
「わかった」

上条が求める情報をPCのモニタに映し、必要なものはダウンロードする。
彼の目が異常な速度で動き、次々と移り変わる画面を追う。

「次、過去の実験場所についてのデータを頼む」
「了解」

目を覆いたくなるような惨状にも、その表情は動かない。
もちろん、私も目を逸らさない。
映される地図のデータ。
彼女達が死んだ地点が赤くポイントされている図が流れていく。

「次、絶対能力進化の情報がリークしたタイミングを知りたい」
「キーワードはどうする?」
「超電磁砲、クローンあたりで、学生のブログを検索してくれ。いつから噂になっているか」
「これでいい?」
「……なるほど。じゃあ、次、一方通行のスペックを知りたい」
「何にする?」
「彼の受けた過去の実験データを探そう。なるべく古いものから」
「これ、かな」

後ろではインデックスが黙々と魔法陣を書いている。
星座の持つ意味を使った占星術式と、雨を象徴する豊穣の神の力を借りた術式とのことだ。

「なるほど……。じゃあ、次。ジャッジメントやアンチスキルの調書で、一方通行が関与しているものを出してくれ」
「うん。……だいたい80件くらいヒットする」
「ありがとう。詳細を全部出してくれ」

文字が多い、読みにくい調書が展開される。
自分の3倍近い速度でその情報がスキャンしていく。

「次、一方通行と御坂以外のレベル5のスペックを出してくれ」
「わかった」

第6位以外の4人の超能力者の実験データが示される。
彼は一口缶コーヒーに口をつけると、再び画面に戻る。
全員のデータに目を通した後、彼は目を瞑って20秒ほど考える。
彼の唇が何かを呟くかのように小さく動く。
閉じられた瞼の裏で、眼球が動く様子が薄く見える。

「次、発電能力者と情報処理に関する研究報告書の要旨を引いてくれ」
「……6000件くらいヒットするけど」
「そうだな、この5年くらいの情報で、一般公開されていないものが良い。できるか?」
「うん。21件かな」
「ありがとう。……じゃあ、これが最後だ。樹形図の設計者の使用申請と申請許可の日付と、その案件について出してくれ」
「はい」

マウスで次々と情報を捲っていき、最後のページまで見ると、彼は後ろに倒れるように
寝転がって、もう一度目を閉じる。
インデックスが使うマジックの音が小さく聞こえる。
息もしていないんじゃないか、というくらい動かなくなった様子に、そろそろ不安になってきたころ、彼は目を開けた。

そして、わずかに微笑みながら、私に言った。






「御坂。心配するな。もう、大丈夫だ」











《絶対能力進化8》

実験が無いときは、ほとんど1日寝ていた。
特にしたいことも、趣味も無い。
友人などという存在など、できた試しがない。
そして眠ることに飽きて、空腹に耐えられなくなったら外に出る。
そのときが昼でも夜でも関係なかった。






外に出ると、快晴だった。
携帯を見れば、8月16日、9時23分。
今の自分にとって、それはあと59時間後に実験が行われること以上の意味を持たない。

いつものコンビニに向かって、いつもの道を歩く。
道の途中で茶色い髪の少女を見つけると、似てもいないのにわずかに体がこわばる。
自分の不甲斐なさを鼻で笑うが、思索は彼女達に自然と向かってしまう。

何故、彼女達は死を選べるのか。
耐え難い苦痛を得て、直視しがたい惨状に陥ることを知って。
それでもなお、自分の前に立つ超電磁砲のクローン達。

彼女達に、自分がレベル6になることで得られるメリットなど何も無い。
そして、彼女達は自分の置かれた状況を理解できない白痴ではない。
にもかかわらず抵抗らしき抵抗も見せず静かに殺されていく彼女達を見ていると、自分の精神のほうが異常なのではないか、と思えてくる。



なぜ、自分は誰かを殺してまで生きていられるのか。
レベル6に成れたとしてそこに平穏があるのか。
いっそ彼女達みたいにあっさり死ねば、楽になるのではないか。



そんなことを考えながら歩いていると、視界をふさぐ5人の男達。
なんだ、と思うまもなく、そのうちの一人が鉄パイプを振り下ろす。
当然それは自分まで届かない。

「なンだァ?しけた遊びしてンなァ?」

彼らが誰か、記憶に無い。
ひょっとしたら、以前襲われたのを返り討ちにしたのかもしれないし、学園都市最強の能力者ならば、武器を持って襲っても許されると思っている類の人間かもしれない。

いずれにせよ、ぶつけられるのは憎悪と敵意。
それらをベクトル操作ではじき返す。

「何ですかァ?オロオロ逃げるくらいなら最初からかかってくるンじゃねェよ、糞虫が」

地面を伝わる弾性エネルギーをコントロールして、男達を空中に跳ね上げる。
戦意を完全に喪失したことを確認して、ため息をついてその場を離れる。



もう二度と来ないでくれ。
頼むから、俺を放っておいてくれ。






「大丈夫って、どういうこと?」

一方通行や絶対能力進化に関する情報を集めだしてから約3時間。
物凄い勢いで情報に目を通していたが、私にはなぜこの情報を見る必要があるのかすら分からないものがあった。
まさか、一方通行の弱点でも見つけたのだろうか。
インデックスも驚いたのか、魔法陣を書く手を止めて上条の横に座る。

「何か一方通行の弱点でも、見つけたの?」

そう聞く私を見ながら彼は起き上がる。

「調べてみて分かったんだが、一方通行は恐ろしい能力者だ。お前が全力で能力をぶつけても無傷だっていうのも納得できた」

がざがざとコンビニの袋を開けて、中からペットボトルを取り出して私とインデックスに差し出す。

「あいつは、自分に触れたあらゆるベクトルをコントロールできる。しかも、5感では知覚できない電磁波や超音波もはじけるらしい。だから、仮に核兵器の直撃を受けても平気だろうな」

絶望的な事実を淡々と述べる。

「……勝てないってこと?」
「俺の知る限りでは、あいつに勝てそうな能力者は3人だ。その例外を除けば、レベル5を含めて誰も勝てないだろう。能力者以外で勝てるとしたら、直径数キロをカバーできる気化爆弾でも打ち込んで、酸欠に追い込む手法かな。何万人も巻き添えになるけど、それならひょっとしたら勝てるかもしれない」
「そんな……」

隣でインデックスが言葉を失う。
やっぱりそうか。
あの男には、勝てないのか。
でも、勝てそうな能力者がいる、と言っていた。
誰のことだろう。
私も知っている人だろうか。

「一方通行の能力が反則的に強いっていうことは分かってるわ。で、その例外って誰?」

私の問いに、上条は口角を少しだけ上げる。

「お前も、インデックスも良く知ってるはずだぞ」
「え?」
「私も?誰のこと、とうま?」

その問いに上条は答える。






「お前と、インデックス、そして俺。……ここにいる3人だよ」






「まず、俺。これはいいよな。一方通行の能力は触れたもののベクトル操作。俺が右手であいつの体に触れればあいつは能力を封じられ、ただのレベル0になる」
「うん」
「次は、インデックス。これもいいよな。お前が前言っていたように、魔術は科学とは違うルールで動いているから、あいつの能力でも扱いきれないだろう」
「……うん」
「最後は、お前だ。これについては一方通行の実験結果を見せたほうが分かりやすいだろ」

そういいながら、上条はPCの画面に一方通行の実験結果を出す。

「一方通行の能力は、体の表面に膜みたいに能力が展開されていて、そこに触れると操作できるものだ。そして、さっきお前に見せてもらった実験結果に、このデータがあった。まずこれは能力を最初に発動させる速度を測ったものだ」

一方通行の右手に電極を付けて微弱な電流を流す実験だ。
通電物質内の電流の速度は、音速で測るのが馬鹿馬鹿しいほどの速度。
だが、一方通行はことごとくはじくことに成功している。

「この後、レーザーを使って追試験を行っているが、こちらも同様の結果だ。どうやらあいつの能力はデフォルトが反射になっているようだな。」
「デフォルト?」
「生きるうえで必要な気圧、光、音だけを通して、それ以外は自動的に反射しているってことだ。そうじゃなかったら、光速で飛んでくるレーザーを反射できないだろ」

なんて能力者だ。
これが、私と同じレベル5なのか。

「で、なんでこんな化け物に私が勝てると思うの?」
「まあ、落ち着け。次に、これは別の実験。一方通行の能力を切り替える速度を見たものだ」

こちらも、やはり一方通行の右手に電極を付けて微弱な電流を流す実験のようだ。

「切り替える速度って?」
「反射などのあるベクトル操作から、別の操作を行うまでのタイムラグのことだ。この実験では手に付けた電流の向きや強度を変える間隔で測定している。これを見るとな、あいつは強度が変わることに対する対応速度は光速並みだが、ベクトルが逆向きになるような操作については大体ラグは1マイクロ秒くらいがあることが分かる」
「1マイクロ秒?」
「それで普通は十分なんだろうがな。たとえ核兵器の爆発でも落雷でも、基本的に加わる力のベクトルは一定方向だ。ましてや、そのベクトル方向が逆になることなんてほとんど無いから、最初の一撃を自動反射で弾けば大きな修正なんて必要ないだろうからな」

その言葉に物理に詳しくないインデックスが問う。

「とうま、どういうこと?」
「例えば、前から車がぶつかってくる。その衝撃は、前から後ろに向かって届くだろ。どんなに衝撃が大きくても、この方向は変わらない。これが一瞬のうちに後ろから前に変わることなんてないよな」
「うん」
「切る、殴る、爆発する、燃やす、凍らせるなどの現象は、つまるところ粒子や波の運動で説明できる。そして、普通に想定する攻撃なら、その向きはほとんど不変なんだ。だからこのタイムラグはほとんどの場合表に出てこない」

確かに。

「じゃあ、どんなときに現れるの?」
「そうだな、例えばばね仕掛けの人形があるとするだろ。これを一方通行にぶつけると当然反射される。でも体の表面ぎりぎりでもどってくるように位置を調整して動かすと、速度によっては人形が一方通行に吸い付くような不思議な動きをするだろう。まあ、通常の能力、兵器はそんな器用な動きはできないし、動く一方通行を狙うようリアルタイムで補正するのはもっと難しいから、現実的にあいつはほぼ無敵だといえる」

そこまで言って、彼は一口コーヒーを飲み、私のことを見る。

「でも、御坂の攻撃は違う。御坂はエレクトロマスターだ。電流の向きを、つまり電子の動きを御坂は瞬時に操れる。そして、能力でコンピュータをハックできるくらいなんだ。……スイッチングの速度は1マイクロ秒なんて眠い速度じゃないだろ?」

そうだ。
確かに、そうだ。

「別に、何億ボルト、何千アンペアなんて電流じゃなくていいんだ。人が気絶するくらいの弱い電流で十分。最初は反射させて、次にそれをあいつの反応速度以上で方向を逆にすればよい。それだけであいつは反射できずに気絶して、あとはやりたい放題だ。……簡単だろ?」
「う……うん。」
「これなら一方通行に勝てるだろ」
「……うん」

でも、気づかなかった。
全力をぶつけて、全部はじかれたからもう絶対に勝てないと思ってた。

「普通はそうだ。俺だって調べる前はそう思ってた。でもお前が調べた情報のおかげで見えたんだ。あいつの弱点が」
「……ありがとう」
「礼を言うのはまだ早いぞ。他にもあいつの弱点があるんだから」
「え?」
「こちらは能力というより、性格的なものだがな」

プロファイリング、ってやつだよ。
そういいながら、また缶コーヒーに口を付ける。

「プロファイリング?」
「ああ。一方通行の癖や性格、行動パターンだ。過去の実験における行動、そして調書から浮かんできたんだがな。あいつは自分からは攻撃したことが一度も無い」
「……そうなの?」
「必ず、最初の一撃は相手からだ。それによって相手の力量を見ているのかもしれない。だが、このパターンは使えるよ。なぜなら、先制攻撃ができるってことだから」
「……そうね」

第1位の余裕なのだろうか。

「あと、一方通行は過去に83件事件に巻き込まれている。その全ては被害者、つまり一方通行に落ち度が無いのに、相手が攻撃を仕掛けてきたものだ。にもかかわらず、加害者に殺されたものはいない」
「何で?だって、あいつ、あの子達を楽しんで殺しているようにしか見えないのに」
「そこは、俺にも良く分からない。確かに、実験内容と調書の間に大きな乖離があると思う。だが、現にお前だって殺されなかっただろ?超電磁砲をお前に向かって反射していれば、お前に避ける反応時間は無かったはずだが、そうはならなかった」

そういわれれば、そうだ。
最後に放った超電磁砲は工場を吹き飛ばすくらいの威力だった。
私に向かって反射されたなら、私は影も残さず蒸発しただろう。

「理由は分からないが、一方通行は実験以外で積極的に殺すつもりはないと言える。これもあいつの弱点」
「確かに」
「まとめよう。この場にいる俺たちは、それぞれ一方通行に勝つことができる。そして一方通行は自分からは攻撃せず、まただれかを殺すつもりもなさそうだ。だったら」

そこで、少し間をおく。

「だったら、次の2日後の実験で、3人がかりで袋叩きにすればいい。晴れでも雨でもインデックスが魔術を使えるように魔法陣を書いてくれてる。あいつは自分の防御が破られるなんて思ってないから先制攻撃でいきなり襲えば負ける可能性なんてほぼゼロだ。ごめんなさいって泣いて謝らせて、その様子を録画して学園都市中に流せば、あいつをレベル6にしようなんて実験も終わるだろう」

3対1。
この大切な仲間たちと共に戦える。
それだけで胸が熱くなる。

「……他のレベル5が実験を引き継ぐ可能性は?」
「この実験は、そもそも一方通行以外はレベル6にたどり着けないという前提からスタートしてるから、それは無いだろう。それに万が一引き継がれたとしても、そのときはまた潰せばいい」
「……そう、だね」「よかったな、御坂。この3週間の事件の中では、一番楽に解決できそうだ」
 
そういって、上条はぽんと軽く肩を叩く。
インデックスを見れば、彼女も笑っている。






でも、私はまだ実感できない。
絶対的な壁を感じた、あの驚異的に強い第1位に、本当に勝てる?
 
「あの……本当に、勝てる?」
 
「ああ」
 
「本当に?」
 
「余裕だよ。俺一人で十分なくらいだ」
 
「……本当?」
 
「本当だ」
 
「本当……?」
 
「大丈夫だ」
 
 
答えを聞くたびに、少しずつ気持ちが解けていく。
安堵感と嬉しさが、少しずつ心を満たしていく。
 
 
「本当?」
 
「ああ」
 
「本、当?」
 
「もちろんだ」
 
 
少しずつ、視界がぼやけていく。
少しずつ、涙が溢れていく。
 
 
「ほん、とう?」
 
「楽勝だ」
 
「ほん、と、う?」
 
「ああ、任せておけ」
 
「うぅ……ほん」
 
「本当だ。信じろ」
 
 



 
信じろ。
その言葉が心に広がる。
 
 
 



何を言うんだ、嘘つきのくせに。
 
 
 



でも、嬉しい。
身震いするほど、嬉しい。
嬉しすぎて、涙が枯れてしまいそうだ。
 
 
 
揺らめく視界の中には、私を見つめる目。
ほんのわずかに困ったような表情を浮かべる顔。
 
 
 
女の子がこれだけ泣いてるのよ。
 





……抱きしめるくらいの甲斐性はないの?
 
 
 
 
 
 
 
 
何とか泣き止んだ美琴を、寮まで送ることにした。
人がほとんどいない朝の道。

靄の中を朝日が通り、浮かび上がった光の道筋が美しい。
そう言う美琴の顔は、涙の跡が残っているけど確かに笑っている。
 
「とりあえず、2日後までやることはない。御坂、お前は疲れているはずだから、今日一日はゆっくり寝ろよな。引越しは明日に延期して、俺たちもオフにするから」
 
そういえば、今日は引越しするつもりだったっけ。
すっかり忘れていた。
 
「引越しだったんだよね。……ごめんね」
「謝らなくていいから、明日頑張って手伝え」
 
もっと延期してもいいだろうに、あえて明日に引越しをしようと言うのは彼の思いやりだろう。明後日の戦いが、大したことじゃないってことを示そうとしているのに違いない。
 
「わかった。ちゃんと、気合入れて盗聴器も見つけるから安心してね」
「無いのが普通なんだがな」
 
欠伸をしながら、美琴が物騒なことを言う。
つられて私にも欠伸が伝染する。
 
「今、何時?」
「6時半だな」
「あと30分もするとみんな起き出すわね」
「常盤台の学生は、休みなのに早起きだな」
 
極度の緊張感から解放されたからか、だんだん、瞼が重くなってきた。
美琴も目が半分くらい閉じている。
当麻は、ぜんぜん眠そうには見えない。
さすがだ。
 
「目を瞑って歩くと危ないぞ」
 
見かねた当麻が注意したあたりで、常盤台の寮に到着した。

そのあと、家に帰るまでの記憶はほとんど無い。
途中一度起きたら、当麻におんぶされていたような気もする。
はっと目を覚ましたら私はいつの間にか上条家のベッドで寝ていた。
 


そして、隣に当麻はいなかった。
 
 
 
 
 
いつものコンビニで。
いつものように缶コーヒーと弁当を買って帰る。
いつものように、帰り道で待ち伏せに会い。
いつものように追い払う。
いつものようにため息をつきながらエレベータに乗って。
いつものように部屋に帰ろうとしたとき。
 
一方通行は気がついた。
自宅のドアの前に男が一人立っている。
 
 

無表情なその男は軽く右手を上げて、一方通行に挨拶をした。











《絶対能力進化9》

孤独を好んでいるわけじゃない。
集団で襲ってくるあの連中を軽くあしらうとき、たまに仲間を助けようとする場面に出くわす。
または、電車に乗っているときに目の前に座る学生が身の上相談らしきものをしているのが聞くともなしに聞こえてくることがある。

そんなとき、誰とも交わらずにいる自分が酷く変質した生き物のように思えて心がざわつくのを感じる。

でも、もちろん俺は知っている。



俺みたいな化け物には、孤独以外の選択肢なんてないってことを。






「何だァ、オマエ?」
「今度このマンションに引っ越す予定の者だ。ご挨拶をと思ってね」
「いらねェよ。帰れ」

持参してきた紙袋を渡そうとする男の前を通り過ぎて、家に入ろうとする。
朝から殊勝な奴だ。
今まで律儀に挨拶なんてされたことなどほとんど無い。
もちろん、自分がしたこともあるわけがない。

「まあ、そう言うなよ。挨拶がてら、ちょっと話したいこともあるんだ。……一方通行」

名前を呼ばれて、思わず振り向く。
この男は俺の名前を知っている。
学生のように見えるが、研究者か?
それとも俺を目の敵にする連中か?

「何で俺の名前を知ってるンだ?」
「お前は有名人だろう。で、駄目か?」

殺意を十分に向けた視線を送ったはずだ。
俺の能力について知っているなら、これだけで怖気づくはず。
なのに、この男の表情は毛ほども変わらない。

「面倒くせェ。帰れよ」
「お前にとって重要な話だぞ。……レベル6って言えば少しは話を聞く気になるか?」

反射的に、その男の右手をつかんだ。
こいつ、何を知っているんだ。

「お前、何を知ってるンだ?」
「さあな。話せばそれも分かるんじゃないか?」
「今、話したくなるようにしてやろうかァ?」
「どうやって?」
「俺の能力は知ってるンだろ?ベクトル操作でお前の血液を動かして、汚ねェ花火になってみるか?」
「お前は、そんなことしないよ」
「……ハッタリだって言いてェのかよ?」
「お前は俺の知っていることに興味があるからだ。だからできないだろ?」

男はゆっくりと捕まれた右手を振りほどく。
そして3歩ほど俺に背を向けて歩くと、振り返らずに問う。

「話を聞いてみて、損をしたと思ったなら殺せ。信用できないと思ったなら、そのときも
殺せ。……で、どこで話すんだ。お前の家か?それとも別の場所か?」

このまま加速してけり倒せば、彼はあっさり死ぬだろう。
手に持つ缶コーヒーをベクトル操作でぶつければ、彼を地上に投げ下ろせば、彼は助からない。
それを知った上で、背中を向けているのは絶対の自信があるからだ。
それだけの情報を持っているということを見せているのだ。
どうせたいした情報じゃないだろうが、好奇心が刺激される。

「……チッ。つまンねえ話だったら、その首叩き落すからなァ?」
「ならば、この首が落とされることは無い」



どこにするんだ?と問う彼に舌打ちを返して、一方通行は部屋のドアを開けた。






「引越しのご挨拶、ここにおけばよいか?」
「……いらねェよ」
「爆発物や毒なんかじゃないから安心しろ。ここにくる途中にコンビニで買ったんだ」
「無駄話はいいから、さっさと話せ」

やれやれ、と彼はわざとらしくため息をついて、ソファーに座る。
そして、ソファーに積もった埃が舞うのを見て、

「お前、少しは掃除したほうがいいぞ」
「同じ事を2度言わなきゃわかンねェ馬鹿なのか?」
「せっかちだな。じゃあ、話そう。まず、自己紹介から。俺の名前は上条当麻」

上条は背もたれに寄りかかりつつ、足を組む。

「強度はレベル0だ」
「で?」
「俺の友人が絶対能力進化に関わっていてな。そいつからこの実験やお前のことを聞いた」
「……これは重大な機密なンだがな。誰だよ、漏らしたのは?」
「御坂美琴」

わずかに体に緊張が走る。
この男、超電磁砲の知り合いなのか。

「……なるほどねェ。ってことはアレですか?敵討ちに来たって事ですかァ?」
「違う。取引だ」
「取引?」
「そうだ。これから、俺はお前に情報を示す。お前はそれをみて俺の話が信用できるかどうかを判断してくれ。もし信用できるとしたら、俺は更なる情報を渡す代わりに、お前にはあることをしてもらう」
「……まあいい。さっさと聞かせろ」

では、と前置きをおいて、上条は話し出す。

「お前が参加している絶対能力進化だが、これはかなり高次の機密事項だということは知っているよな?」
「ああ」
「ところが、それがその情報が1ヶ月前に意図的にリークされているとしたら、どう思う?」
「あァ?」
「悪い、PCを使わせてくれないか?証拠を見せたい」

近くにおいてあるノートを彼に向かって投げると、彼は難なく受け取りそれを起動する。
起動後に持ってきたメモリを接続し、何かのデータを俺に見せる。

「何だ、これは?」
「御坂美琴のクローンの存在をみた、とするブログの書き込み日だ。最初の書き込みは7月14日。」
「それで?」
「次に、これはそのブログの発信場所一覧だ。変だと思わないか?」

7月14日に書き込まれた件数は45件。しかし、その場所は学園都市に満遍なく分散している。

「……偶然じゃねェのか?」
「そう思うか?」
「……いや」

同じ日に、さまざまな場所で同じ目撃情報が書き込まれる。
可能性として、本当に同時に目撃されたことや、デマを流そうとした学生がネットを介して仲間を作り、同時に書き込んだことも考えられる。
だが。

「一番妥当な説明は、誰かが身元を隠しつつ情報を意図的に発信したことだとは思わないか?」
「ああ、確かにな」
「そして、7月14日は絶対能力進化にとって意味のある日だ。お前、覚えていないか?」

言われて、思い出す。7月14日……。まさか、あれか?

「7月13日までは、クローンの戦闘スキルが低すぎると言う理由で、多対1の実験だった。しかし、14日からは十分にスキルが向上したということで、1対1の実験になった。そうだろう?」
「……だから何なンだよ?」
「ここまでが、撒き餌だ。俺は今言った2つのことが7月14日に起こったことをただの偶然じゃないと思っているし、それを説明する他の情報だってある。あとは、お前が取引に応じるなら話すことにしよう」
「お前が出したブログの情報。正しいという証拠はあンのかよ?」
「疑うなら、ネットで調べてみればいいんじゃないか?」

彼からPCを奪って調べてみるが、示されたデータと矛盾するところは無い。
だが、この男の真意は何だ?

何を知って、俺に何をさせようと言うんだ?

「お前は、俺に何をさせるつもりなンだ?」
「取引に応じたら話すよ。ただ、お前にしかできないことで、一般常識や良識からみて外れたものではないし、法を犯すものでもないってことは言っておく」
「……」

上条の顔を見るが、そこから感情を読み取ることはできない。
何を考えているのかもわからない。
しかし、迷ったところで仕方が無い。
聞くだけ聞いて、もし理不尽な要求をされたら反故にすればよいだけだ。

「わかった。取引に応じるから、さっさと話せ」



そういうと、彼は無表情のまま語りだした。












《絶対能力進化10》

一方通行は目の前に座る上条当麻を見る。

その目は自分を射抜くように見ている。
自分の舌打ちにも、恫喝にもその無表情はぴくりも動かない。

今まで生きてきて、人間とは2つに分類されると思っていた。
自分に対して媚び諂うものと、自分に対して敵意を向けるもの。

しかし、彼はそのどちらにも属さない。
初めて出会うタイプの人間。



そんな一方通行の思いとは無関係に、上条は語る。








「絶対能力進化の実験系には多くの疑問がある。これはお前のAIM拡散力場のデータだが、実験開始からもう半分くらいの実験をこなしているのに、ほとんど変化が無い。本当に全部終わったらレベル6になると思うか?」
「……成長にだっていろいろあンだろ?後半で急に伸びるかも知れねェだろうが」
「本当にそう思っているのか?……まあいい。次に、これは妹達の戦闘の経歴だが、お前との戦いではほとんどが銃火器を使用している。これなら、わざわざクローンを使用する意味がないと思わないか?」
「仕方ねェだろうが。あいつらはせいぜいレベル3程度なンだからよ」
「順序が違うだろ。妹達の能力はせいぜいレベル3程度であることが分かっていた上で、絶対能力進化が始まったんだ。足りない能力を補うために銃火器を使うというのは不自然だ」
「銃火器で補った個体と戦って、ようやくレベル6になれる可能性だってあるだろうが」

まあ、確かにその可能性は認めるよ。
そういいながら、話題を変える。
淀みなく話す口調に、自分が引き込まれていくのを感じる。

「ところで、お前は妹達を一体作るために、どれだけコストがかかるか知っているか?」
「18万だろ」
「製造プラントを作るコストがそこに入っているとは正直思えないがな。少なくとも材料費としてはそのくらいのコストで済むのだろう。とすると、疑問がわかないか?」
「……何が?」
「なぜ、クローンは超電磁砲からしか作られないんだ?レベル5は他に6人いるんだ。そいつらのクローンを作って戦わせるほうが、バリエーションが増える分効率がいいとなぜ考えないんだ?」

それについては自分も考えたことがあった。
それを質問した事だってあった。

「超電磁砲が筋ジスの治療用に遺伝子を提供したからじゃねェのか?他の奴らのDNAは手に入らなかったからだろ」
「本当に、手に入らないと思うか?」

上条が試すような視線を向ける。
それに少しだけ苛立ちを感じながらも、一方通行は答える。

「手には入るンだろうな。ただ、手に入れるのにはそれなりのコストがかかるって事だろ」
「コストはかかるだろう。だが、大変なものとは到底思えない」
「何故だ?」
「学生はこの街に来るときに健康診断を受ける。そのときには必ず血液検査をするからな、そのときのサンプルが手に入るだろう。それに、もし手に入らなかったとしても」

と言いながら、上条は手に持った細い糸状のものを一方通行に見せる。
……これは俺の髪の毛だ。

「レベル5だって人間だ。髪の毛も角質も新陳代謝で落ちる。コンビニで買った飲み物を飲んだあと遺伝子情報を消すために焼却や化学処理なんてしないだろ。トイレに行った後、流した先が下水であることを確認なんてしてないよな。……だからこんな具合に、素人だってDNAを盗めるんだ」

そういいながら、ふっ、と髪の毛を吹き飛ばして言う。

「確かにコストはかかる。だが絶対能力進化は極秘の一大プロジェクトだ。莫大な予算を掛けて施工されているはずだからな。それに比べれば、髪の毛集めなんて微々たる出費だろう。だから疑問なんだ。なぜ、他のレベル5のクローンを作らなかったのか」
「……知らねェよ。超電磁砲で十分だって樹形図の設計者が答えたンだろう」
「そう、樹形図の設計者だ。この計画の鍵。これを見てくれるか?」

PCの画面には、樹形図の設計者の使用申請と申請許可の日付およびその案件が映される。

「これが絶対能力進化を立案したときの使用申請だ。申請から許可が下りるまで12時間程度しかかかっていない。一方これらは申請が却下された案件だが」

画面を移動しながら、上条は指差す。

「俺がさっきあげた疑問、当然だが研究者だって持っていたことが分かる。実験が進んでもお前のAIM拡散力場に変化がないことへの疑問、別のレベル5のクローンを使うことで実験の進捗を早められるのではないかという仮説。だが、これらを確かめるために何度申請されても樹形図の設計者の使用は却下されている」

この情報については知らなかった。
実験について疑いもなく進めているように見えた研究者が、裏でこんな申請をしていたとは。

「実験は、仮説と実証の繰り返しだ。最初の仮説の修正が必要になったり、前提の誤りがあとで分かることなんて良くある話だ。にもかかわらず、当然思い至るはずの疑問や仮説について、樹形図の設計者の申請が却下されるのはどうしてだ?」
「……」
「答えは簡単だ。この実験でやることは、最初から決まっているからだ。途中で何が起こったとしてもな」
「……お前の言っていることは、推論だろうが。そうだって証拠はあるのかよ?」

声が少しだけ昂ぶった。
この男の話が、ぐるぐると頭の中を巡っていく。

だが、容易には受け入れがたい。
だって、これを受け入れるということは。

「そうだな。たしかに推論だ。じゃあ、もう一つ、傍証を重ねよう」

絶対能力進化の末に、レベル6になれないかもしれないということなのだから。

「さっき、お前に7月14日に情報がリークしたと考えられるデータを見せたよな。そこで、こちらは過去の実験場所と日時の一覧だ」

画面を見ると、昨日までの実験場所とその開始時間が示されている。

「これを見て、何か気付かないか?」
「……場所と時間が変わってきているって言いたいのか?」
「ああ。7月14日以降、実験場所はほとんどが屋外。しかも、最近になるほど市街地に近い場所になってきているよな。そして実験開始時間も昔は深夜、早朝だったが、最近はそうではない。ちなみに」

そういいながら画面をクリックすると、次回の実験内容が現れる。

「次回は列車の操車場で行うらしいが、かなり繁華街に近い場所だ。開始時間も20時半。この変遷が意味することくらい分かるだろ?」
「……」
「普通考えたら、情報がリークした段階で隠蔽するよな。クローンを殺す実験だぞ。そんなことを行ってるってばれたら、最悪学園都市が無くなるんだから。でも、実際は逆だ。7月14日以降の動きは、見つけてくださいと言わんばかりじゃないか」

……頭が、痛い。
何だ、一体、これは何だ?
俺は、騙されているのか?

「最初に言ったように、情報をリークしたのもこの実験の関係者だと考えられる」

言うな。
頼むから、言うな。



「こうしてみれば、一目瞭然だ。実験内容は完全に合理性を欠いていて、しかも実験自体を途中でやめる気満々じゃないか。……連中は、お前をレベル6にするつもりなんて、毛頭ないんだよ」






気付けば、弾けるように席を立ち上がり、上条の首に向かって手を伸ばしていた。
自分の名前と同じ能力が手に宿る。
ガードも反撃もできない学園都市最強の能力。

最強のはずなのに。

「……あァ?」

両手が、彼の右手に弾かれる。

そして、勢いそのまま前に動く自分の顔面に、その右手が叩き込まれる。

鈍い衝撃が走り、座っていた椅子を巻き込んで仰向けに倒される。

「ぐはッ……、なンだ……お前」
「悪いな。手を出すつもりはなかった。……いや、嘘か。本当は、手を出したくてうずうずしてた」
「何で、俺の能力が、効かねェンだ?」
「さあな。それより、話を続けよう。……もう、暴れるなよ?」

低く凄みを利かせた台詞を聞きながら、上条に強引に引き起こされる。

何故だ。
何故、俺の能力が効かないんだ。
何故、俺はこんなことになっているんだ。
何故、俺は、俺は、俺は。






「……何でだよ?」
「何が?」
「何で、こンな実験してンだよ?何で、こンな実験に参加させられたンだよ?」
「さあな」
「何でだよ。何で、俺なンだよ?俺、俺、あンなに殺したのに、何で、いまさらやめるなンて言い出すンだよ?」
「知らねえよ。だが、俺の想像なら喋れるが……聞くか?」

何でもいい。
答えが欲しい。
そうじゃなければ、全てが無駄だったなんてことになったら、もう耐えられない。

「絶対能力進化はお前をレベル6にするものではない。にもかかわらず、お前を騙して実験に参加させたなら、それに見合うものがあるはずだ。なぜなら」

少し、間をおく

「お前は学園都市最強の能力者。騙したことがばれたら、研究所ごと消されかねないだろ。それだけのリスクを負うんだ。きっと理由がある」

そういいながら、先ほどの諍いで飛ばされたノートPCを拾って画面を出す。

「これは第2位と第4位の情報だ。彼らが最後に行った実験は2年前。お前や御坂は2週間に1回は少なくとも実験があるのに変だよな。でも、彼らのIDを調べれば、彼らはちゃんと生きているということは分かる。これが意味することは何か分かるか?」
「……表の世界で生きられねェってことか?」
「ああ。彼らの最後の実験を見ると、二人とも暴走によって多数の死傷者を出しているんだ。これを境に公式の情報から消えたって事は、暗部に落ちたと考えるのが筋だろう」

一度も会ったことがない2人の超能力者が、画面の中で少し微笑んでいる。

「まあ、納得できる話だよな。レベル5は軍隊に匹敵する能力者。自由な学生で居させて、卒業と共に学園都市から離れられるよりは、裏社会に落として抜けられなくするほうが、学園都市としては美味しいと考えたんだろう」

吐き気がする、なんて思えない。
俺だって、同じくらいの悪党なんだから。
1万人近くこの手で殺した殺人者なん……






……え?



まさか。



まさか、そんな馬鹿な。



「……ま、まさか……」

「学園都市は、お前の能力が欲しかったんだろ。離したくなかったんだろ」



やめろ。



「お前は絶対能力進化まで表で生きられないようなことはしていない。何度も事件に巻き込まれているが、全部正当防衛の範囲だ。だから、お前の良心と弱みを握るために、妹達を殺させたんじゃないか?」



やめろ。



やめてくれ。



もう、許してくれ。



そんな、そんな馬鹿な話が。



「何の目的かは知らないが、妹達は絶対能力進化とは無関係の目的で作られた。当初の予定では2万人は必要だと思われてたんだろうな」

「でも、それに必要な数は1万人くらいで十分だったことがあとで判明した。じゃあ、余った1万人はどうするか?当然、殺処分だよな。学園都市の機密と闇の塊なんだ。生かしておくわけにはいかないだろ」



淡々と語る目の前の男が恐ろしい。



なんて事を考えるんだ。
なんて事を言い出すんだ。



「じゃあ、どうせ殺すんだ。何かに使えないかと誰かが考えた。一昔前なら臓器移植だったかもな。でも今は器官培養が可能だから、そんなことに使う意味もない。そこで思いついたんだ」



……やめろ。



「絶対能力進化という餌を付ければ、きっと第1位を釣り上げられるに違いないって」



叫んだ。
叫びながら、耳をふさぐ。



もう嫌だ



それ以上、言わないでくれ。


だが、塞いだ手が強引にはがされる。
目の前に、無表情な瞳がある。



「案の定、お前は食いついた。そもそも殺すつもりなんてなかっただろうし、最初は罪悪感だって感じたってことは過去の実験データを見れば分かる。でも……お前は結局慣れてしまった。流されてしまったんだ。殺すことに、殺してでも力を得ることに、安易に流されたんだ」



がたがたと体が震える。
自分の心の底の底までを抉り取るような目に、ゆっくりとした口調に、いつの間にか涙が流れる。



「そして、予定通り1万人が殺された。お前が、殺した。効率よく殺した。何人もまとめて殺したんだからな。予定通り殺させたあたりで、そろそろこの茶番も終わりにしよう、そう思って誰かが情報を流した。超電磁砲のクローンが作られてますよ、って」



嘘だ。



「同時に1回の実験で殺される人数を1人に絞ったから、多少リークした情報が広まる速度が遅くても、殺され過ぎることもない……もちろん今日ここに俺が来なくても、近い将来、情報がリークしたことを理由に実験は中止されていたはずだ」



嘘だ。
そんなの、嘘だ。
全部誰かのシナリオ通り踊らされていたなんて、そんなこと。



「いま思えば、この実験を思いついた下種野郎は御坂のことも欲しかったんだろうな。あいつならこの情報を見つけられるし、お前のことを止めるために非合法のこともやっただろうから。そうすれば、お前と御坂を手に入れて、ほら、第1位から4位までが勢ぞろいだ」



嘘だと言ってくれ。



頼むから、お願いだから、嘘だと。



「お前はもっと疑うべきだった。考えるべきだった。……途中で引き返すべきだったんだ。
……可哀想に」






やめてくれ!





逆上して上条に襲い掛かった俺は、再び彼に倒された。
何度倒されても俺は立ち向かい、そのたびに床に叩きつけられた。
そのうちうめき声を出すだけになった俺の横に、上条はため息をつきながら座る。

「なあ、そろそろ取引の話をしたいんだが、良いか?」
「……」
「お前は、俺の情報が有益だってことを認めるか?それとも聞く価値のない与太話だと思うか?」
「……」
「どっちだ?」
「……認めるよ」
「じゃあ、約束どおり、お前には義務を果たしてもらおう」
「……何をさせる気なンだ?」

上条は手を差し伸べる。
その手に引かれるように、のろのろと起き上がる。

「簡単なことだ。……お前に妹達が何の目的で作られたのかを調べてもらいたい。そしてあいつらのことを守ってもらいたい」

守る、だと?

「……お前、マジで言ってンのかよ?」
「真面目に言っている。だって、適任だろ?」
「どこ見て言ってンだ?」
「お前はこの実験にもっとも詳しい人物の一人。そして数多くの実験に参加して研究者にも顔が利く。しかも学園都市最強の能力者だ。守りながら調べるのにうってつけだろうが」
「……」

ふぅ、と小さくため息をついて上条は続ける。

「これは、お前のためでもあるんだぞ」
「あァ?」
「お前、妹達に対して罪の意識があるんだろ?」
「……何を根拠に言ってンだよ」
「実験データを見た。最初はお前は殺すつもりなんてなかった。反射で返された攻撃で妹達は勝手に死んだんだからな。だから、お前は殺さないようにした。そしたら、妹達は他の姉妹に頭を撃たれて死んだ。……お前は殺したくなかったのは明らかだ。だったら殺したことを罪と思うはずだろ」

全部、お見通しか。

「だったら、償え。残された妹達を守って、贖罪しろ。これが、取引だ」
「……」
「わかったな」
「……約束なンて、簡単にできねェよ」

俺には、罪を償う資格すらないのだから。
しかし、心を見透かすように上条は言う。

「償え。例え償いきれないと思っても、とりあえず動け。お前がぼんやり悩んでいるうちに誰かがニヤニヤ笑いながら、妹達を良いように使うかもしれないんだぞ」
「……だが」
「だが、じゃねえ。お前に他にやることがあるのかよ?できることがあるのかよ?」
「……」

目を逸らす俺を見て、一つ息をついて上条は言う。

「2日後、だ」
「……」
「今日の話に納得できないなら、もしくはこんな取引に応じられないなら。2日後の実験に顔を出せよ。その場合は、もっと直接的な方法でこの実験をとめてやるから」
「……」
「今まで通り流されたいなら、何もしなくて良い。後は俺が何とかしてやるよ」
「……クソが」
「一応、これは俺の連絡先だ。なにかあったら連絡しろ。じゃあな」






そういうと、俯く自分には目もくれず上条は去っていった。













《絶対能力進化11》(完)

思えば俺は、泥を這いずる糞虫だった。



最強なんて名ばかりだった。
有象無象の暴力に怯えて逃げ続ける。
逃げた先に守るものもなく、ただ日々を流される。
そのくせ悟ったように自分を悪党や化物と呼び、一等高等な人種と勘違いする。



そんな救いようのない、糞虫だった。






一歩踏み出したら、ふらついて倒れそうになる。
あわててテーブルの椅子につかまると、目の前には上条が置いていった紙袋があった。

最強のはずの能力が、あっさり破られた。
そして、自分の人生を根本から引っくり返すような話を聞いてしまった。

なんだったんだ、あいつは。
なんだったんだ、あの話は。

巡り巡る、思考の連鎖と混乱。

しかし、本当のところは分かっている。
俺はいままで見て見ぬ振りをしてきたことだって知っている。

絶対能力進化だから、クローンだから、なんて自分に弁明していたが、俺は人を殺したのだ。
1万人も、この手で殺したのだ。
これが罪であることを誰よりも知っていたのは、他ならぬ自分だ。
その罪深さゆえに、この実験について深く考えないように逃げていたのも、自分だ。



全部、自分だ。
自分のせいだ。
自分がこの事態を招いた。
自分がここまで取り返しのつかないことにした。



糞虫なのは、自分だった。






いまなら分かる。
超電磁砲の姿を美しいと思った理由。
あいつは逃げなかった。
最強の俺に、真っ直ぐ立ち向かった。
勝てるはずもないのに、目を逸らさずに向かってきたんだ。
あの姿に、俺はあこがれたんだ。
あの姿が、俺にはなかったんだ。



ああ、なんて遠いんだろう。
地底の泥を這う俺には、遠すぎる。



突然、彼女達が脳裏に浮かんだ。
こんな糞虫に静かに殺されていったクローン達。
命の意味も分からず、その大切さも知る前に奪われた、俺が奪った1万の命。






これから、俺はどうすればいい?

無様に生きるか?

無様に死ぬのか?

どうすればいい?

どうすれば。






考えながら動く視線が、目の前に置かれている紙袋を見つける。

……そうか。
……そうだったな。
ハッ、なにを、甘ったれてンだか。






分かってるんだ。

あいつに言われなくても。

どうすれば良いかなんて。

何をしなければいけないかなんて。






「俺は、一方通行。学園都市最強のレベル5だ」

口に出して言ってみる。

そうだ、忘れていた。
久しく忘れていた。

レベル6になんてならなくても、俺は最強だったじゃないか。
誰に媚びなくても、誰を殺めなくても、堂々と歩ける力があったじゃないか。



何を卑屈になってンだ、俺。
何を俯いて歩いてンだ、俺。
何を泣いて悔いてンだ、俺。



何をなめられまくって、死にそうな顔してンだよ、俺。






上条が持ってきた紙袋にベクトルをかける。
他愛もなく力に耐え切れずに四散する。

そうだ。
俺は一方通行だ。
俺は許せねェ。

自分を嵌めた学園都市も。
嵌められて踊っていた愚かな自分も。
そんな自分に殺される計画を背負わされた彼女達の運命も。

だから、潰す。
全部潰す。

俺の意思で。
俺の考えで。
俺の信念で。

そして全てが終わったら。
愚かな自分をぶちのめしていい気になっているあの偽善者も、きっちり潰す。






俺は一方通行、学園都市最強の能力者だ。
このベクトルは誰にだって曲げられない。






一方通行は何年かぶりに腹の底から笑うと、締め切っていたカーテンを思い切り開け放つ。
その頂点に上っていく太陽に目を細めると、投石でひびが入った窓ガラスを右手で叩き割った。












ダンボールまみれの自宅のドアがそっと開いて忍び入る影。
ベッドで寝ている私の顔を見て、わずかに安堵の息を漏らす泥棒に声を掛けてみる。

「おかえり、とうま」
「おう、インデックス、起きてたのか」

当麻は相変わらず無表情だ。
それにしてもここまでくるのに全くの無音だったから信じられない。
魔力が打ち消されている像が見えなかったら、絶対に気付かないに違いない。

「どこ行ってたの?」
「新居の住人に、引越しの挨拶をしようと思ってな」
「ホントは?」
「本当に挨拶してきたんだが」
「……住人って、一方通行でしょ」

当麻が少し驚いた顔をする。

「とうま。とうまの情報処理能力がすごく高いってことが良く分かったけど、私のことを甘く見てもらっちゃ困るんだよ」
「やっぱり画面を見てたんだな」

魔法陣を書きながらPCの画面を横目で見ていただけだが、完全記憶能がある私にとって情報収集はそれで十分だ。
新居と同じマンションに一方通行が住んでいる情報だって見逃すわけがない。

「でも、なぜ一方通行だと思った?」
「昨日のとうまの説明は不十分だったから。いままでなんども騙されているもん。さすがに学習するよ」
「不十分?」
「ブログの情報を集めた理由も、樹形図の設計者の申請内容を確認した理由も、その他いろんなことが昨日の説明には入っていなかった。……大切なところを伏せて自分で解決しようとするのは、とうまの悪いくせだよ」
「すまん」

もっとも、止められることを見越して私が寝ているときに忍び出たのだろうから、彼のほうが一枚も二枚も上手だ。

「謝るより、教えてほしい。……みことには知らせたくないんでしょ?今なら大丈夫だから」
「わかったよ」

そう答えて、彼は一方通行との出来事を話す。
電子の情報からは見えない、私のように心に闇を飼っている最強の能力者。
その能力者すら手玉に取っていると思われる、学園都市の思惑。
そして、騙された能力者を立ち上がれなくなるまで殴った、自分勝手で傲慢でわがままで
唯我独尊な話を、うんうんと大人しく聞いてあげる。

「で、とうまは一方通行をどうしたいの?」
「どうって?」
「許すの?許さないの?」

私の問いに、そんなの決まってるだろ、と当然のように言う。



「許せるわけ無いだろ」
「……そうだよね」



一方通行には彼の事情があることを知る。
彼が受けていた余りに非人道的な実験の数々は、きっと記憶には無い私が受けた苦しみと重なるはずだ。
人に許された範囲を超えた能力に振り回され孤独にたたずむ姿は、きっと私と同じだと思う。
彼は、私。
ひょっとしたら私が歩いたかもしれない地獄を生きているのだ。

でも、だからといって許せるわけじゃない。
理由があったから仕方ないで済まされるレベルを、彼は大きく逸脱したのだ。
その結果、大切な友人をあんなに苦しめたのだ。

複雑な表情をする私に気付いたのだろう。
心情が見えるかのように答える。

「同情するべき点は多数ある。だから、許せると思ったときは許そう。でもそれは今じゃない」

少しだけ、ため息をついて続ける。

「本当なら、俺達でなんとかできればベストだった。でも、今回の事件は大きすぎる。……これは一方通行にも言わなかったがな、御坂に調べてもらって、これは危ないかもしれないと思ったことがあるんだ」
「え……?」
「御坂のハッキング能力は間違いなく世界で1位だろう。あいつにかかったら、ほとんどの情報は筒抜けだ。事実、絶対能力進化についてだってそうだった」

でもな。

「得られた情報では足りないんだ。何故、御坂なのか、何故、1万人必要なのか、何の目的で、こんなリスクの大きい実験をしているのか。これらの情報は完全に隠蔽されているんだ。御坂でも届かないところにな。……言いたいこと、わかるか?」
「……ううん」
「絶対能力進化については情報が得られたということは、その情報を取りに行こうとすることを見越して、わざと俺達に見せたんじゃないか。こんな風に俺達が実験を止めようとすることすら、誰かの計画だったんじゃないか、ってことだよ。……怖いだろ?」
「そんな。……考えすぎだよ、とうま」

ぞわっと背筋の毛が逆立つような、いやな感覚を押し殺す。

「まあ、乗せられているかどうかはわからない。でも、結局俺にはまだ真実が見えないんだ。だから、御坂を守るために一人でも多くの手を借りたい、使えるものは使わないと、と思ってあいつの家に行ったんだ。御坂やお前が同席したら拗れるに決まっていたから、そっと行くことにした。……ごめんよ」

まあ、俺も結局手を出してしまったけど。
そういいながら、彼は肩をすくめる。

「……とうまって、本当に詐欺師だね」
「え?」
「詐欺師だよ。とうま」
「なんだよ、それ」
「だって、昨日のみことと会話してたとき、もうそこまで考えてたんでしょ?なんでそんなに嘘を付くのがうまいの?」
「嘘は付いていない。言わなかっただけだ」

同じだよ。

「違う」
「しかも、私が寝ている間に……あれ、今朝突然眠くなったのって……ひょっとしてくれた飲み物に、睡眠薬でも一服盛ったの?」
「しねえよ。お前、その発想は御坂っぽいぞ」
「それは冗談だけど。でも、……はぁ」

ため息が出てしまうのもしょうがないではないか。
こうやってみんなを騙しながら、彼は今日も元気いっぱい危ない橋を渡り続けるのだ。

「なんだ。元気ないな」
「とうまのせいだよ」
「そうか。ああ、そうだな。でも」
「でも、じゃないもん」

でも、それが一番いいと思った。
きっと彼はそう言うのだ。

まったく仕様がない詐欺師だ。
3人で袋叩きにすれば、ノーリスクで解決できるって言ってたくせに。
私はそのつもりで100枚近く魔法陣も書いたのに。
舌の根も乾かぬうちに一人で特攻するなんて。

「……ごめん」
「ごめん、じゃすまないよ」
「許せ」
「簡単には許せない」
「堪忍してください」
「堪忍できません」

でも、結局仕様がないのだ。
これは、税金なんだから。
とびっきりの幸せをもらった私が払わなきゃいけない税金だ。

「ん、おい?」
「心配、したんだからね」

でも、高い税金を毎日払ってるのだ。
このくらいの幸せを享受したって罰は当たらないだろう。
そう思いながら、当麻を抱きしめる。
身長差があるから、お腹辺りにとまった大きな蝉みたいになってしまうが。



「インデックス?」
「心配、したもん」



彼の体から緊張が抜けて、左手が頭に乗せられる。



「悪かったよ。……また賄賂渡すから、機嫌直せ」
「……半分くらいは直った」



だから、あと半分。
もうちょっとだけ、このままでいさせて。












8月18日、20時40分。

人気のない操車場に実験開始の1時間前に忍び込んで、いたるところに魔法陣を配置して隠れること1時間強。
実験開始時間から10分経つのに、一方通行も妹達もやってこない、と御坂美琴は思う。
今までは実験が遅れたことなど一度もない。
上条に小声で聞けば21時まで待とうなどというが、実はこんなことだろうと予測はしていた。

上条はいたって普通だ。
相変わらず無表情で、綺麗な格好で魔法陣を隠していたし、淡々と作戦内容の復唱をしていたから、彼の様子から何かを察することは不可能だったに違いない。

でも、インデックスは違う。
嘘がつけない彼女は、昨日の引越しでも今日の作戦でも、なんだかその様子がおかしかった。

そして、一度気付けば鋏を入れたリボンのようにあっさり解ける。



上条が私に伏せた情報の存在。
そして伏せたという事実から推測される彼の行動。



きっと、この2日の間にこの嘘つきが解決してしまったのだろう。
そして、それを私に悟らせないようにこんな茶番をやっているのだろう。



短いが、非常識に濃い付き合いだ。
だから、この寂しい夜の暗闇に誰も現れなくたって驚かなかった。


「もう、いいわ。魔法陣を回収して帰りましょ。帰ってから、絶対能力進化について調べてみるから」
「いいのか、御坂」
「現れないって事は、何かの原因で中止になったかも知れないじゃない?少なくとも今日はなさそうだから、待ってても無駄だと思うわ」



少し前の私なら、きっと問いただしたはず。
彼が伏せた情報を知りたくて、伏せられたことが気に入らなくて、きっと答えるまで聞いたはず。



「そうか。じゃあ、お前が良いって言うなら帰るか」
「うん。ありがとね」



でも、今の私は違う。



上条は嘘つきだ。
流れるように、息をするように嘘をつく天性の詐欺師だ。

「ん?」
「ううん。なんでもない。ありがと」



でも、彼が嘘をつくのには訳がある。
事実を言って真実を曲げるだけの、ちゃんとした理由がある。
彼が、私が気付いていることを知っているのだって分かっている。



「礼を言われるようなことはしてないぞ」
「そう?……でも言いたいの。ありがとう」



私は知っている
彼は私を守りたいと思ってくれている。
そのためにつく嘘だから、それはきっと優しさに違いない。



「変なやつだな。昨日働きすぎて、疲れがたまってるのか?」
「……なによ。人がせっかくありがとうって言ってるのに」






だから、いいんだ。
今は知らなくても、いいんだ。







だって私は信じているから。
この優しい嘘つきを、私は心の底から信じているのだから。



[28416] 幕間、あるいは幻想殺し (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:46
《幕間、あるいは幻想殺し1》

視線を上げれば紫色の太陽が見えた。
灰色の地面が僅かに波打って、押し上げられるように跪いた。
視界は暗く、その果ては見えない。



東へ、10 km。



そこまでいけば、誰かに会える。
混沌たる大気も、圧し掛かる暗い光も押し退けて。
前へ進めど、道は開けず。



そして終には地に飲まれる。
瓦礫の塵へ。
鉄屑の一片へ。



還元しようとせせら笑う、揺らぎの牙。






目を開ければ暗い天井が見えた。

夢から一転した景色に、ここがどこなのか一瞬分からなくなる。
反射的にベッドの隣に目をやるが、そこに家主の姿は無い。
そうか、ここは私の部屋だったとインデックスは気が付いた。
耳を澄ませば、遠くから人が笑う声がする。
夏季休暇も残すところあと10日余り。
残り少ない自由を貪欲に満喫しようとする幸せな若者が、今日も学園都市に溢れている。

ああ、よかった。
自分もそんな若者の一人だ。
そんな若者に、自分はなれたのだった。

その事実に安堵し額の汗を拭って眠りに付こうとするが、なかなか睡魔は訪れない。
自分の部屋、自分の机、自分のクローゼット、自分のベッド。
借り物ではない私の人生を代弁するがごときそれらの存在は、確かに頼もしく嬉しいものだ。
独りではない一人部屋は、きっと私が私を見つめるために大いなる助けになると思う。

でも、まだ、だめだ。
今日も駄目だ。

自分が少し情けなくて、でも理由ができたことに少しだけ安心して、インデックスは彼の
部屋のドアをノックする。

「とうま、起きてる?」
「……ああ」

少しだけ間があったから、ひょっとしたら寝ていたのかもしれない。
そっとドアを開けると、彼はベッドの上で上半身を起こしていた。

「……ごめんね」
「気にするな。じゃあ、お前の部屋に行こう」

もう3日目となれば、説明なんてしなくても十分に伝わる。
予期していたのか部屋の隅にたたまれた布団を持ち上げると、上条当麻は綺麗な姿勢で乙女の寝室に足を踏み入れる。

「もしかして、寝てた?」
「寝てたけどな、ちょうど目が覚めたところだから大丈夫だ」
「とうまも夢を見たの?」
「かもな」

私の部屋は10畳くらいの比較的広めのものだ。
ベッドの横に布団を敷いても全く問題はない。
私が床に着いたのを確認して、彼は携帯で部屋の電気を消す。

「とうま、なにかお話して?」
「ああ。……じゃあ、そうだな。今日はSFにするか?」
「SF?」
「奈良時代くらいに、今の地球よりもずっと進んだ科学力を有する宇宙人が、地球人をからかいにやってきた話なんだが」

奈良時代に宇宙人?

「圧倒的な科学力で散々引っ掻き回した挙句、地球人の無知をいいことに空気も水もない衛星が故郷ですなんて嘘を言って引き上げていった、迷惑な女の話だ」

頭の中で、キーワードが検索される。
……それってもしかして。

「それは、もしかしてかぐや姫?」
「そうとも言うかもしれない」

ちなみに一昨日はサスペンス調シンデレラ、昨日はミステリー風浦島太郎だった。
話の出だしは冗談みたいな話なのに、彼の得意な話術にかかるとそれらしいストーリーに化けて引き込まれていくから恐ろしい。

「おもしろそう。聞かせて」
「では話そう。正確な記録は残っていないが、今から1400年位前の京都近郊に、竹林を伐採することで生計を立てていた老夫婦がいたんだが……」

惜しむらくは最後まで話を聞いたことが無いことだ。
彼の声を聞いているうちにいつの間にか私は寝てしまうから。






そのとき、彼には何のためらいも無かった、とインデックスは直感する。
迷い無く、彼に残された2枚のうち1枚を捨て去ったのだ。
美琴に残されたのも、もう2枚だけ。

「ほら、御坂。俺はもう丸裸だ。そして、お前に逃げ場はない。」
「くッ……」
「上からでも下からでも結果は変わらないってことは、お前だって分かってるだろ?」

透視能力があるわけでもないのに、美琴が手で隠すものを見透かすような目で当麻は言う。
こんなときでも無表情だ。
それに対して美琴は困惑した顔で彼を見返す。

過去に何度もこのような状況を迎えてきた。
何度抗い、何度策を講じても、ここまできたら勝てた試しがない。

「どちらからかを選べないなら、俺が選んでやろうか?」
「……待って」

ため息をつき、強引に奪おうとする彼を美琴が手で制する。

「どちらでも同じだろう?……インデックスも待ってるんだ。早くしろ」

確かに。
私はもう終わってしまって、美琴と当麻が終わるまで待っている。
勝負はもう見えた。
次の4回戦を楽しみにしつつ、予定調和の末を見届ける。

そして、悔しそうな表情を浮かべて美琴は覚悟を決めたようだ。

「……はい」

おずおずと差し出したハート柄のそれを、彼は少しだけ満足げに眺める。
そして。



「スペードのエース。あがりだ」
「もう、やだ」



大貧民として正座を強要されてそろそろ足がしびれてきたのか。
座る姿勢を少し変えながら、美琴はこの不公平な戦いに不平の声を上げた。






8月22日。
3人は学園都市を離れ、とある街を目指して電車の旅をしている。
インデックスはトンネルに入ったからか、少し強くなった揺れにこぼさないよう気をつけてお茶を飲みつつ、大貧民たる美琴がカードを切るのを見ていた。

大富豪に限らないが、全てのカードを使うトランプのゲームは記憶と戦略が物を言う。
52枚にジョーカー2枚が加わった程度の組み合わせなら、私じゃなくても当麻も美琴も記憶できるようだから、勝負の決め手は戦略だ。
美琴は勝負事になると勝気が強くなる。
それが良く働くことも実生活では多いのだろうけど、ルールに縛られて、取れる手も限定されていて、勝利条件も明確であるゲームでは不利なことが多い。
でも、それは指摘しなくても本人が良くわかっているだろうし、指摘するとますます拍車がかかりそうなので、あえて言わないことにしておく。

「はい、じゃあ、私の強いカードね」
「ありがと、じゃあ、これ。……ね、とうま。車内販売が通ったら何か買っていい?」

大富豪である私は美琴とカードを交換しつつ、当麻に聞く。

「そうだな。電車の旅の醍醐味だしな」
「……アンタ達は気楽で良いわよね」
「大丈夫だよ、みこと。お父さん達も、話せば分かってくれると思うよ」
「だといいけどね」

足がしびれたのか、もぞもぞと動きながら美琴は少しため息をついた。






事の起こりは、8月18日。

一方通行と妹達の実験を止めるために万全の準備で決死の覚悟で望んだのに、見事に肩透かしを食らったあの日だ。

あの日、帰る途中の公衆電話で絶対能力進化が中止されたことを知った美琴は、それはもう喜んだ。その姿を見て私も嬉しくなって、そこに当麻がお祝いしようと言い出して。
ちょっと豪華な外食をして、帰りにカラオケで豪遊して騒いでいるうちに、いつの間にか日付が変わっていた。

そして、笑いながらいつも通りに美琴を寮まで送り、さて帰ろうかと星空を見上げたときに、後ろから怒声と悲鳴が細く聞こえてきた。

何事だ?と当麻と顔を合わせるが、部外者立ち入り禁止で男子が入ったら死は免れない常盤台の結界に侵入するなんてできるわけが無い。
美琴の携帯に電話するが、一瞬だけ出て直ぐに切られてしまう。
でも、まあ、電話に反応できるんだし、美琴は強いし、寮の中なんだから問題ないだろう。



そう結論付けて、若干後ろ髪を引かれつつも帰ったあの日、美琴は地獄を見ていた。



この1ヶ月で常盤台のエースからやさぐれた不良娘に転落したと見ていた寮監は、黒子の陰日向無いフォローで何とか抑えていたらしい。
それが、深夜に鼻歌交じりで門をくぐった美琴の姿に、ついに我慢の限界を超えたのだ。
正確な描写をあえて避けつつ回想する美琴の表情に、たしかなPTSDを見て私はそれ以上の追及はできなかった。



常盤台はお嬢様学校だ。
全寮制で、当然門限だってある。
無断外泊なんて、問答無用で退学処分の対象になる。

しかし、素行不良の烙印を押されたとはいえレベル5。
流石の常盤台も退学処分になんてできなかった。
その代わりに申し付けられたのは、罰としては極めて軽いもの。
すなわち、反省文を書いて提出することだった。
……両親の直筆による署名を添えて。
そして署名を郵送で貰うなんて甘いことは許されなかったため、美琴は両親に頭を下げにいくことになったのだ。

その事態を知って、私達は当然のように美琴の両親に謝りに行こうと言った。
この罰について、私達にも大きな責任があるのだから。
しかし、美琴は話がややこしくなるから、と頑なに断り続けた。
そこで、その頑固に当麻が妥協案を提案したのだ。

「じゃあ、申し訳ないけどこの件は御坂に頑張ってもらおう。その代わり、俺たちも途中まで一緒に行くよ」
「そんなことしなくて良いって」
「いや、そうじゃないんだ。実は俺の実家が引越しをするんだけどさ、今年の夏は帰省しなかったし、手伝いに行こうかと思って。お前の実家と俺の実家って近かっただろ?だから途中まで一緒に行こう」

美琴はちょっと考えたが、やはり一人で帰るのも心細かったのだろう。
しょうがないわね、と口では言いつつ、嬉しそうな顔をしたのを記憶している。






「まあ、考えても仕方ないわ。今は勝負よ、勝負」

そういいながら、美琴がいきなり強めのカードを出す。
手配によほど自信があるのか、それともブラフか?
過去の125回の戦いを読み出して、しばし考えているところで美琴の携帯電話が鳴った。
美琴が座席に隠れるようにこっそり出る。

「もしもし、……うん。あと40分くらいかな。……うん、え?一人だよ。うん」

恐らくは両親だろう。
美琴が若干緊張したような声で喋っている。
両親とは怖いものなのだろうか。
……私の両親は、どんな人だったのだろうか。

「え?大丈夫だよ。うん、うん」

そんなことを考えていると、後ろから声をかけられる。

「すみません、切符を拝見したいのですが。……ありがとうございます。3人一緒でよろしいですね?」

よく通る声で喋る車掌さんだ。
美琴が慌てて電話を切る。
当麻が差し出した切符を受け取り、少しだけ微笑むと、

「周りに他のお客様がいらっしゃいませんが、一応携帯はデッキにてお願いします」

と言って去っていった。
そして、再び鳴る美琴の携帯電話。
しびれた足でよろけつつも慌ててデッキにかけていく美琴を見送る、赤い顔で出来上がってるおじ様たち。

ちょっとまずいかな。
目で問う私に、当麻が答える。

「まあ、聞こえただろうな」

最近言葉がなくても通じることが多い気がする。
これはフィーリングが合っているのだろうか。
それとも、私の考えが顔に出やすいだけなのだろうか。
そんなことを考えながら扉を見守っていると、10分ほどで美琴が入ってくる。
ため息混じりに座った表情を見れば、そのあとの台詞だって予想が付いた。

「アンタ達も、ぜひご招待したいそうよ。どうする?」
「そう言っていただけるなら、俺は好意に甘えようと思うが、お前はどうする?」
「もちろん、私も行くよ。そうしたいって思っていたし」

いいタイミングで現れてくれた車掌さんに感謝かも。
それを聞いて、美琴は半分呆れて、半分笑って応える。

「うちの親、ちょっと変わっているかもしれないから覚悟しなさいよね」
「大丈夫だ。うちの親も相当だから」

うちの親、か。
記憶にない、自分の両親。
多分、もう生きていることはないだろう。
少しだけ感傷的になった私の頭を、美琴が優しく撫でる。

「あんたの両親、お正月休みに探しに行かない?」
「私の、両親?」
「神裂には探してもらってるからな。ひょっとしたらそれまでには見つかるかもしれない」
「え?」

いつの間に?

「たまにあいつからメールがあるんだ。お前がどうしているのか、心配しているようでな。その時に頼んでみたんだ」

さも当然のように言う彼の顔は、相変わらずの無表情だ。
美琴は平然としているから、きっと彼女は知っていたに違いない。

「なんで、いつも黙って突っ走るの?」
「見つかってから言ったほうがいいかな、とそのときは思ったんだ。つい暴露しちゃったけどな」

相変わらずだ。
今日も変わらず、彼は信用できない。

「……詐欺師」
「それは、ほめ言葉だろう?」

全く、信用できない。
どこまで私を幸せにしてくれるつもりなのだ。






駅に近づくにつれてテンションが下がり、電車を降りるとあからさまに肩を落としだした美琴の肩を叩き、駅の改札を出る。
まだ強い日差しを見上げれば、夏の入道雲がくっきりと浮かぶ。
荷物持ちを買って出た当麻が引きずるキャリーバッグの音が響く。
美琴が大きくため息をつく。
そして。






「美琴ちゃーん」



ロータリー前の赤いスポーツカーに寄りかかるっている女性が手を振る。
美琴とよく似た、でも大人の美しさに溢れている彼女はサングラスを取ると、私達3人に綺麗な笑顔を見せた。












《幕間、あるいは幻想殺し2》

久しぶりに見るこの街の風景はやっぱりあまり変わっていなくて、御坂美琴は少しだけ微笑んだ。
車が通り過ぎる道沿いには、思い出のある店が記憶の通りに並んでいる。

あのお菓子屋さんの前で、ソフトクリーム持ったまま走って、転んで泣いたんだった。
あのおもちゃ屋さんの前で、男の子向けのゲームを欲しがって父さんに強請ったんだった。
あの映画館の前で、買ったばかりのわたあめを友達と一緒に食べたんだった。

たわいもない、小さな想い出たちが手を結び、力となって私に告げる。

私は故郷に帰ってきたんだ。

ふとバックミラーを覗けば、少しだけ緊張した表情の少女と、いつもどおりの無表情を車窓に向ける少年。
彼の表情に、2週間前の電車の時間を思い出す。

この街は、彼の故郷でもあるんだ。
彼は、どんな思いでこの景色を見ているんだろう。
……あの時は弾かれた問いかけを、この機会にもう一度聞いてみようか。

これから自分に降りかかる苦難の時間から意識的に考えを逸らしつつ、全開にした窓の縁に肘を付けば、街路樹を吹き抜ける風と岩に染み入る蝉の声。






美琴の実家は、とても綺麗な家だったとインデックスは記憶する。
学園都市では、市街地の中央部はほとんどがマンションなどの集合住宅だ。
だから庭付き一戸建ての家に入ったのは、これが初めてだった。

「おじゃまします」

当麻とほぼ同時に言いながら、しょんぼりしている美琴のお尻をつついて先に進ませる。
ここまできたら、一蓮托生。
運命共同体だ。
3人で大人しく謝るしかないじゃない。
そんなことを小声で言うと、僅かに頷くブラウンの髪。
ぽん、と軽く背中を小突く当麻に、すこしだけ元気が戻ったように見える。
美琴を先頭に、リビングに続く廊下を歩く。
途中の壁に、子供が書いたと思われる絵が張ってある。

「これ、美琴が書いたの?」
「あ、うん。幼稚園のときだけどね」

幼稚園児にとってどの程度の画力が普通なのかは分からないが、幼稚舎に通う子供たちにはまず無理だと思われるほどその絵はうまかった。

「すごいな。県で一位じゃないか」
「……何で知ってるのよ」
「ほら、縁の壁面に書いてある」
「よく見てるわね。相変わらず」

その絵は家族を書いたものだろう。
一目見て、文字通り絵に描いたような幸せな家族に彼女が愛されているのが分かる。

だから、許せない。
学園都市の意思。
こんな彼女を、道具として扱う、その悪意が許せない。

「……きっと、見つかるよ。あんたにも」

美琴は私の表情を誤解したのだろう。
でも、その優しさに不意に包まれて、うっかり泣きそうになってしまった。
大丈夫だよ、美琴。
私もちゃんと守るからね。

「ありがと、みこと。すごく、良い絵だね」






リビングに通され、勧められるままにソファーに座る。
目の前に座る彼女の両親には、怒りや失望といった感情は見て取ることはできない。
しかし、母親―美鈴さん―は笑っているが、父親のほうは和やかな雰囲気にそれなりの厳しさが混じっていることに、インデックスは気が付いた。

「あ、あの。こちら、私の友達で、あの」
「私は、上条当麻と申します。美琴さんとは良い友人としてお付き合いをさせていただいております。本日はお休み中、お招きいただきましてありがとうございます」
「I、Index-Librorum-Prohibitorumと申します」

緊張すると英語の発音になってしまうのは、自分の母国語が英語である証拠だろうか。
そんなことを頭の隅で考えながら、何とか自分の名前だけを伝えると、美琴の父はさわやかな笑顔を浮かべて、

「ご丁寧に、ありがとう。私は御坂旅掛、美琴の父だ。君たちの事は美鈴経由でよく聞いてるよ。どんな人達なのか、是非この目で見たかったからね。一緒に来ていると知ったから、無理言って来てもらった。面倒をかけてすまなかった」

相変わらず探るような目をしながら、私たちに話しかける。

「あ、あの、父さん?えっと、電話で話したとおり、あの」
「上条くん、君は美琴に学園都市にいて欲しいかい?」
「ご質問の意図が分かりかねます」

え?と隣で美琴が言葉を失う。
即答した当麻に、旅掛さんはゆっくりと間を置いてから口を開く。

「常盤台から別途に連絡は受けているんだ。美琴がどのような経緯で今ここにいるかは、君達から説明されなくても理解している。もちろん、君達から謝罪の言葉を聞きたくて呼び出したわけでもない」

私達3人にそれぞれ視線を向ける。
ああ、そうか。
この口調、この話し方は当麻に少し似ている。
隣では少し困ったように美鈴さんが笑っている。

「私が知りたいのは、なぜ、美琴がこんなことをしているのかだ。上条くん、君の意見を聞かせてくれないか?」
「なぜ、私に聞くのですか?」
「君は極めて優秀だと美琴から聞いているからね。君に聞いてみたい」
「その回答次第では、美琴さんを学園都市から連れ戻す、ということですね?」
「ああ、そうだ」
「旅掛さんは、学園都市の経済力、軍事力、そして今後の成長性をどのように考えていらっしゃいますか?」



当麻の流れるような問い口に、旅掛さんの視線が止まる。
少しだけ考える素振りを見せると、彼は当麻に問う。

「学園都市は、歴史上稀有な存在だ。抜きん出た科学技術とそれを機密できるだけのシステムおよび軍事力を有する街。今後の成長性は、そうだな、少なくとも30年は成長し続けるだろう」
「では、それらのアドバンテージを支えている根幹は何だと思われますか?」

彼の視線は、もう動かない。
当麻の顔をじっと見て、そこから少しでも多くの情報を読み取ろうと小刻みに目が動く。
当麻も同様だ。
無表情だが、思考しているときの目をしている。

「自己成長性じゃないのかな。機密をシールできる閉じた系に、優秀な科学者が集まったことで、外とは切り離された跳躍を遂げたと考えるが」
「違います」

当麻の断定に、美鈴さんの笑みが消える。
隣で美琴の体に緊張が走る。
旅掛さんの目が、少しだけ細くなるのが見える。

「では、なんだと思うんだい?」
「それは、能力者です。例えば、美琴さんのような」

少しだけ、間をおく。

「能力とは、科学で説明できる現象にも関わらず、その根本原理を現代科学では説明も再現もできない力のことです。これらは日々解明され、応用される」
「ふむ」
「言い方を変えれば、学園都市外では巨大な粒子加速器や高精度の巨大な水槽を使ってやっと見つけられるかどうかの現象を、学園都市では能力者を使って簡単にモニタできる。科学とそれを基礎にする技術の進展速度が、外部より格段に速いのは当然です」

そう言って、出された紅茶を一口飲む。
褐色の水面に、天井の電球が映っているのが見える。

「能力開発の最たる意義は、手から炎を出せる人間を作れることじゃない。現代科学で説明不可能な現象を再現性良く起こせる実験装置を作ることにあると私は思います」
「……つまり、君は美琴も実験装置だと言いたいのか?」
「ええ。彼女はレベル5。その最たるものでしょう」

旅掛さんは言葉を失ったようだ。
私はそっと心の中で安堵の息を漏らす。
よかった、当麻の勝ちだ。
右に座る美琴も、同様の印象を受けたようだ。
先程よりも表情が和らいでいるのが横目でも分かった。
きっと、彼女が学園都市から連れ帰られることは無い。

「私は、美琴を連れ戻すかもしれないと君に伝えたと思うのだが。君はそうなって欲しいのか?」
「まさか。私は、美琴さんを連れ戻すことは難しいということをお伝えしたかったのです」
「……それだけの価値が、美琴にあると?」
「ええ。旅掛さんや私が想像してるより、遥かに大きな進歩の鍵を、美琴さんは握っていると推察されます。だから、ご両親や美琴さんの意思で学園都市から離れるのは不可能でしょう」

それが、レベル5です。

「……根拠はあるのかい?」
「国王の血筋のものでも入学を断れるほどの、学園都市有数の権力を持った常盤台中学。その卒業生は学園都市内外の官民で派閥を作り、常盤台出身であることに相当のプライドと同胞意識を持って権力を掌握していることから、実際は目に見えるよりもずっと大きな力を潜在的に保持しているのでしょう。その常盤台のルールにこれだけ違反して、名門の地位を揺るがしているにもかかわらず、彼女の失態は反省文程度で済ませられる。これが、最大の根拠です」

いつも通りだ。
淡々と、淀みなく、何度も暗唱した台本を読むかのごとく紡がれる言葉。
その意味するところは美琴にとって重大な事実のはずなのに、何故か安心してしまう。
旅掛さんは、ついに当麻から目を逸らして考える。
20秒ほどの沈黙。



「……では、上条くん。どうすれば美琴は解放されると思う?」
「簡単です。科学技術が、彼女の能力に追いつけば良いのです。そうすれば、彼女を縛る理由は無くなる」
「それは、いつだ?」
「それは私よりも美琴さんのほうが詳しいと思いますが……でもそう遠い話ではないと信じています」
「……なぜ?」
「私は7年間学園都市に住んでいますが、学生から見ても明らかに技術が進歩しているのが分かります。このペースなら、それほど時間がかからないのでは、と。申し訳ありませんが、知識が無いので、ただの勘にとどまってしまいますが」

旅掛さんが、当麻の目を再び見る。
その目は既に値踏みするようなものではない。
きっとこれが、父親なんだと思った。
娘を想う親の目なんだと直感した。

「では、美琴はそれまでどうすればいい?学園都市なんて巨大なものに立ち向かって、どう生きればいい?」
「立ち向かう必要なんて、無いのです」

対する当麻も、旅掛さんの目をじっと見る。
表情は無表情に見えるけれども、きっとそこにある真剣さが旅掛さんにも伝わると信じる。

「共生すればいい。学園都市は彼女から跳躍の鍵を貰い、その見返りとして彼女は豊かな学生生活を享受できる。そして穏やかに科学技術が自分に追いつくのを待てばいい。ただ、それだけです」
「……それでも、学園都市の闇が美琴を危ぶむことがあったら?」
「彼女はレベル5。敵う者など誰もいません」
「それでも、隙を付かれたら?」
「そのときは」



当麻が少しだけ微笑んで言う。



「そのときは、私が助けます。ご心配なく」



旅掛さんも、美鈴さんも、あっけに取られたような顔をする。
言葉だけならどこでも聞ける台詞。
でも、彼は本気で有言実行してきたのだ。
もちろん、これからだってこの言葉を守り続けるだろう。



やがて二人の優しい親たちは、顔を見合わせるとくすくす笑い出した。












《幕間、あるいは幻想殺し3》

気が付けば、いつものパターンだったとインデックスは記憶する。
今回は先方から振ってきたのだから、彼の独走にも少しだけ同情の余地が無いこともないが。
結局、私達は一言も謝ることなく、反省文への署名を手に入れてしまった。

これなら、彼一人で御坂家に来ればよかったのに。

そんな的外れな怒りがちくちくと騒ぎだせば、美鈴さんがいいタイミングで白いお皿を差し出してくれる。

「手作りなの。食べてみて?」

微笑みながら手渡されたお皿の上には、綺麗に星型に焼かれたクッキー。
そういえば、本で読んだお母さんはこんな感じだったと再生する。

手作りのお菓子を作ってくれて、優しい笑顔で話を聞いてくれて。
一緒にお風呂に入って、一緒に寝て、一緒に恋の話をして。

それはきっとステレオタイプに違いないと思っていたけれど。
一口かじった甘いお菓子は、想像していた母親像に余りにも重なりすぎていて。
少しだけ目が潤んでしまったら、美琴が右手を握ってくれた。

しかし、そんなエモーショナルな女性陣を尻目に、男達の会話は止まらない。






「君は面白い男だね。そしてとても賢い。正直に言って美琴と並べるような子がいるなんて、驚いているよ」

親馬鹿の発言だがね、と良いながら、旅掛さんは紅茶に口をつける。
当麻も習ってカップに手を伸ばす。

「私のほうが2歳年上ですから。2年後の美琴さんには、私など及びもしないでしょう。それより」

当麻は一口紅茶を飲む。
そして、ちらりと美琴や私のことを見る。
その目から、彼の脳が高速で思索しているのが伺える。
ああ、今度はなにを言いだすんだろう。

「旅掛さんは、学園都市にかなりお詳しいのですよね?一般の保護者、以上に」

旅掛さんの動きがストップする。
その目が、不思議そうに当麻を見る。

「なぜ、そう思うんだい?」
「常盤台から報告があったのって、嘘ですよね?」
「え?」
「常盤台は、美琴さんを離すつもりはありません。反省文だって、本当に形だけの最小限の処罰であるはず。ならば、わざわざ保護者の不安をあおるような報告をするわけがないからです」

確かにそうだ。
先程から引っかかっていた疑問は、これだったのか。
問いに対して旅掛さんは、悪びれた感じも無く首肯した。

「ああ、すまないな。嘘を付いた」
「常盤台は全寮制の女学校で、学校自体が外部と隔離されています。寮も相当厳しい寮監が監視の目を光らせています。通学だって、専門のバスが走っています。……正直言って、学園都市の外でこれ以上守られた環境を提供するのは難しいでしょう。美琴さんの問題行動について心配されたとしても、現状以上に管理することは難しい。」

だから、彼女を連れ戻す意味は無い。

「それが分からず、また分かっていたとしても感情で連れ戻すこともあり得ますが、お話してそのようなタイプではないと確信しました。もちろん、そのようなタイプならこんな穏便な話し合いなどせず、強制的に美琴さんを連れ戻そうとしたでしょうから、そもそもあり得ないのですが」

そこで話を区切り、旅掛さんを見る。
そういうことか、と私は気付いた。
ああ、と言葉を漏らしたから美琴も彼の思考をトレースしたに違いない。

「だから?」
「そして、私はご覧の通り美琴さん以外の女性とここに座っています。ならば、私が美琴さんと親密な関係にある男であるという観点から見て、私の気持ちを試すために彼女を学園都市から連れ戻すことを匂わせる発言をされたとも思えません」
「……ふむ」
「となれば、なぜ常盤台からの報告があったと嘘を言い、美琴さんを連れ戻すような発言をされたのか。考えられる可能性はいろいろありますが、最も蓋然性が高いのは」



一呼吸置いて。



「単純な思春期の問題行動以上の何かを、彼女の行動から読み取ったということです。それを私たちが知っていると考え、その情報を聞き出すために、敢えて挑発的な発言をされたのでしょう?ならば、旅掛さんはそう読み取れるだけの何か高次の情報をご存知ということになる」

違いますか?

そういう彼は、少しだけ微笑む。
でも、この発言には意味は無い。
なぜなら。

「……確かに、君の考えるとおりだ。……驚いた。本当に。こんなに驚いたのは初めてだ」

それは問うて答えられるような、簡単な内容じゃないはず。
そして、代償として私達の知る情報を教えるわけにもいかない。
だから、この発言から、何の情報も引き出せないし、与えることもできない。

「もちろん、旅掛さんが知る何かを問い詰めるつもりはありません。そして、私達が知っていることを全てお話できるわけでもありません」

ならば、なぜこんな発言をするのか。
彼の瞳を見ながらそのプロセスをエミュレートしようとするが、どうしても分からない。

「では、なぜそれを聞くんだい?」

それは、恐らくこの場にいる当麻以外の全ての人の問い。
なぜ?
そして、彼は緩やかに答える。

「美琴さんは、無知な学生ではない。旅掛さんや美鈴さんは、無知な保護者ではない。それをお互いが知っていることをはっきりさせたかったのです。そうじゃないと、これから先、お互いに言えなくなること、聞けないことが残るでしょう?それを、潰したかった。……そして、もっと大切なこと。それは美琴さんの気持ちです」

少し、間をおいて二人の両親の目を見る。
本気になったときの彼の目で。
まるで不自由な言葉を超えた、心の意味を伝えたいかのように。

「美琴さんは、何の迷いも苦しみもなく生きているわけじゃありません。高い能力に応じた、彼女にしか分からない多くの苦悩を背負っているのでしょう。でも、私の目には、彼女はそれでも幸せに学生生活を送っているように見える」



そして、彼の目は美琴を見る。
少しだけ、でも確実に微笑んで、彼女のことを見つめる。



「……どうだ、御坂。俺はそう思っているが、お前は、学園都市の生活が幸せか?それとも、もう故郷に戻りたいか?」



美琴は微笑む。
そうか、彼女には分かったのか。
彼の言いたいことが。
私には分からなかった、彼の真意が。



「父さん、母さん。私さ、いますごく幸せに生きてるの。毎日が本当に楽しい。こんなに楽しい日が来るなんて、信じられないくらいに満足してるの」



ゆっくりと話す美琴の言葉に、頷く彼女の両親。



「コイツが言ったみたいに、苦しいときももちろんあるけど、でも、それを引いてもおつりが大きすぎて受け取れないくらいなんだ。……だから、今は信じて欲しい。話さなきゃいけないときは、ちゃんと話すから。だから、心配しないで、見守って」



彼らの目から零れるのは、信頼。
そして、愛情。



ああ、これが、家族なのか。



それを見て、私も涙を堪えられなかった。






それが感動のせいなのか、浮き彫りになった自分の孤独のせいなのかは、分からなかったけれど。












《幕間、あるいは幻想殺し4》

美琴の両親はやはり彼女の両親だけあって、通常の枠を超えているようだったとインデックスは記憶する。

彼等は、娘の素行不良などまったく心配していなかった。
その代わり、レベル5という重荷を背負う娘が誰にも話せずに窒息していくのではないかということを心配していたのだ。
そして美琴は美琴で、能力に対する両親の喜びがいつの間にかプレッシャに変わって、彼等の前では常盤台のエースじゃないといけないと思っていた。

これは、多分どこにでもある話。
親が期待し、それに子供が応えようとする自然の思いやりが生み出す、副産物みたいなもの。
でも、そこに学園都市のレベル5と、旅掛さんの情報網が特殊要因として加わった結果、親子の間に不自然な遠慮と裏の読み合いが起こってしまった。

そんな目に見えない壁を今日も飄々と口先で打ち壊した当麻は、旅掛さんの中で人気が赤丸急上昇であることが私にも良くわかった。




「いや、本当に恐れ入った。美琴からは信じられないくらい頭が切れると聞いていたが、今ので納得したよ。すごいな、上条くん」
「すみません、家族の話に口を出して」
「いやいや、出してくれてよかった。おかげで娘の本音が聞けてすっきりしたよ」
「それは良かったです」
「ところで上条くん。君は非常に賢いが、一つだけ誤解していることがあるな」

よほど気分が良いのか、美鈴さんに文句を言われながらもお酒を飲みだした旅掛さんが、少しだけ赤い顔で当麻にウインクする。
どう見ても美琴は美鈴さんに似ているはずなのに、なぜかその仕草に美琴の面影を感じて、旅掛さんが彼女の父親であることを改めて認識する。

「……もしよろしければ、教えていただけませんか?」
「それはね。娘を持った親の気持ちだよ」

当麻の目が小刻みに動く。
たっぷり10秒間をおいて、彼は頭を垂れる。

「すみません、分かりません」

もちろん、わたしは何のことだかわかった。
美琴も美鈴さんもわかっているようだった。
だから、とても不思議だった。
何故、当麻がたどり着けないのか。

「君はさっき、インデックスちゃんもここにいるから、自分が美琴と恋仲に見られることはない、と言っただろう?」
「ええ」
「親はね、そうは思わない。他の女性と仲が良くたって、今はなにも無くたって、君と美琴が将来くっつくかもしれないだろう?だから、娘が連れてきた男をそういう目でみるものだ」

当麻が一瞬フリーズする。
珍しい。
そんな彼に、上機嫌な旅掛さんが持っていた褐色の液体を差し出す。

「ああ、なるほど。……なるほど、そうですね。ああ……、そうか」
「アンタ、珍しいじゃない。そんな姿、あのとき以来、初めて見たわ」
「あのとき、って何時だい?美琴」
「え……えっと、……言って良い?」
「え?ああ、良いんじゃないか。お前が良ければ」

興味を持った旅掛さんと美鈴さんが前に乗り出す。
当麻はきっと先程の言葉の意味を考えているのだろう。
そして、何故自分がわからなかったのかを必死に思考しているのだろう。
心、ここにあらずといった表情だ。

「彼と友達になるきっかけなんだけど、私が街で男たちに絡まれているとき……ああ、もちろん絡まれたって私なら全く危険じゃないのよ、その日はたまたま実験で遅かったから。それで、そのときにコイツが助けてくれて」

気が付けば、当麻の手にあるグラスが空っぽだ。
大丈夫かな?
そう思う私の気持ちを他所に、旅掛さんはさらに追加で高級そうなブランデーを注ぐ。
当麻は美琴の話を聞きながら、クッキーをもぐもぐ食べつつそれを飲み干す。

「それで、その……どうしても気になって、能力を使って調べようと思って」

うんうん、と当麻は頷く。
その手に再び満たされる、人類最古の中枢神経作動薬。
それは流れるような手の動きで、彼の体に取り込まれる。

「……で、結局それが全部見抜かれていて、わざと出鱈目の情報を流されて」

彼の表情に変化は無い。
特に赤くもなっていない。
呼吸数に大きな変化も見られない。

「……というわけ」
「美琴……上条くんが相手でよかったな。それに、お前の能力って、そんなことができるのか」
「……これは絶対内緒ね。こんなことできるって知られたら、変な目で見られるから」
「美琴ちゃん、いまパパにメールしてみるから、なんて書いたか当ててみて?」

美鈴さんが携帯を取り出して、何かを打ち込む。
旅掛さんはすっかり出来上がっているようだ。
1時間前の厳しい表情が嘘のように、でれでれと幸せそうに笑っている。

「送信しなくても、何て書いたかは分かるわよ。打ち込んだときの電気信号が見えるから。……パパ、飲みすぎ、でしょ?」

自然な空気で溶け合う3人。
いいなあ、家族って。

そんなことを思っていると、当麻がすぅ、と立ち上がった。
いつもどおり綺麗な姿勢で歩きだす。
携帯を囲む3人も彼の動きに気付く。
そして。



何の前触れも無く、彼は重力に引かれるように床に倒れこんだ。






急性アルコール中毒という言葉が頭に浮かんだが、低体温も呼吸不整もなく単純に寝ているだけということが分かって胸をなでおろした私達は、彼をリビングのソファーに寝かせる。
当然のように美鈴さんの大説教を正座で受けている旅掛さんを、冷ややかな目で見る美琴に話しかけてみる。


「とうまって、お酒に弱いんだね」

「あんたも気付いたなら止めてくれればよかったのに」


どうやら旅掛さんには、気に入った相手にお酒を勧めてしまう悪い癖があるようだ。
でもそれだけ気に入って貰えたなら良かったじゃない。


「まあね。あんな奴と付き合うな、なんて言われたら困るしね」

「……私、美琴がうらやましいよ」

「……そう」

「家族って、いいなあ、って本当に思った」


うっかり漏れてしまった本音。
こんなことを言われても、美琴だって困るだろう。
慌てて彼女の表情を伺うが、そこには穏やかな笑顔。


「あんたさ、私と両親を見て、どう思った?」

「どう、って……仲が良くて、想い合ってて、本音で喋れて、本気で泣けて」

「それってさ」


彼女はきちんと私に向き合う。
褐色の目が、私の碧色の目を見つめる。


「それって、あんたと私とアイツ、私達とそんなに違う?」

「え……?」

「私達だって、仲が良くて、想い合ってて、本音で喋れて、本気で泣ける関係じゃない?」

「……そう、だね」


その目はとても美しい。
彼女の持つ意思と力に満ち溢れている。


「私の両親はね、最初は他人だったんだよ。大学生になるまで、互いのことなんて全く知らなかった。でも今は、あんたが羨む関係、家族を作れているんでしょう?」

「……うん」

「だったら、さ」


これは、きっと彼女の美しさ。
迷わず、真っ直ぐ貫ける彼女の強さ。
私が、美琴に学ばなければいけない、彼女の美徳。


「だったら、私達だって良いじゃない。家族って言っても。そう、思っても」

「……」

「他の誰もが納得しなくたって、良いじゃない。私達がそう思えば、それで良いじゃない」


……うん、そうだね。
そうだった、ね。


「私は、そう思うわ。アイツだって、きっとそう思ってる。だから、あんたもそう思いなさい」


……うん。


「あのさ。私、分かったの。あんたが前に言っていたこと」


……なに?


「アイツは今まで助けたけど、守らなかったってこと。その意味が。でもね」


……うん。


「アイツは、今は守ろうとしているわ。あんたを、そして私を。私達だってそうでしょう?」


もちろん、そうだよ。


「これだって、紛れも無い家族の証じゃない」


…………ありがとう、みこと。


「だから、泣き止みなさい。アイツが目を覚ましたら、また心配するわ」


ありがとう。


本当に、ありがとう。






きっちり2時間後に目覚めた彼は、無表情で無感動ないつもの彼のようだったとインデックスは記憶する。
それでも、倒れる直前もなんの変化も見せなかったこともあり、酔わせた手前もあり、固辞する彼を説得して、美鈴さんが彼を家まで車で送ることになった。

私はといえば、美琴から誘われたことと、まだ酔いが残っているし引越しの手伝いは明日からにするという当麻の言葉に甘えて、御坂家に泊まらせてもらうことにした。
旅掛さんは当麻を引き止めたがっていたが、彼にも家族と過ごす時間が必要と判断したのだろう。また飲もう、など余計なことを言って美鈴さんからチョップを貰いつつも、笑顔で彼を見送った。

美鈴さんが帰ってきたころには日も大分落ちてきた。
時間が無かったにもかかわらず、恐るべき家事スキルを発揮して並べた豪華な夕食に舌鼓を打ちつつ、御坂家の夜は過ぎていく。











そこは街灯もない、うっそうとした木々に囲まれた場所だった。
砂利と土で適度に均された地面に、少し端が欠けた大きな石が一つ。
そこにいたる小道も暗く、現れるのは夏の亡霊の他はないように見える。
その前に座ってしばらく沈黙したあと、彼はぽつりと呟く。



「……ごめんな、ちょっと遅れた」



まるでその声に答えるかのように、葉ずれの音が一際高まった。












《幕間、あるいは幻想殺し5》

瑠璃色の道を行くと、やがて森に至った。
左手にナイフを持ちながらそろそろと歩くと、一本の巨木が話しかける。
君は一人かい。
寂しいならここに住めばいい。
その言葉が嬉しくて巨木に抱きつけば、彼は声も立てずに石に変わった。



なぜ?



泣きながら道を進めば、一つ目の鬼が話しかける。
何故泣いているんだい?
元気を出して、一緒に木の実を食べよう。
差し出された右手が温かくて手を握れば、彼は声も立てずに石に変わった。



なぜ?



逃げるように道を進めば、巨大な蝙蝠が話しかける。
何故逃げようとしているんだい?
僕の翼に乗って、空を飛ぼう。
広げられた翼が頼もしくてその瞳を見れば、彼は声も立てずに石に変わった。



なぜ?



気付けば、世界は石になる。
自分から生まれた波が、すべてを灰色に変えていく。
ゴトリと地球の裏で何かが倒れる音がした。



なぜ?



なぜ?





8月23日。
昨日はインデックスと色々な話をした、と御坂美琴は振り返る。
夜遅くまでリビングで両親も交えて話して、そのあと一緒にお風呂に入って、
母さんが綺麗に掃除をしてくれた私の部屋でまた話して。
本当にいろんな話をした。

でも、その多くはやっぱりアイツのことだった。

なんであんなにも自分の命に対して無執着なのか。
なんであんなにも誰かを助けようとし続けるのか。

それは私達二人の共通の悩み事だ。
見ていてハラハラすることこの上ない。
その性質ゆえに今の私達の関係があることを知ってなお、何とかしてもらいたいと思う。
でも、彼はその理由を教えてくれないし、私にも彼女にもさっぱりわからない。

だが、こういうときは行動あるのみだ。
幸い、私達には起死回生のチャンスがある。

母さんの話では、彼の母親―上条詩菜さん―はとても人当たりの良い人らしいし、
父さんの話では、彼の父親―上条刀夜さん―はとても頭の切れる人らしいから、
両親に聞けば、何かが分かるかもしれない。
せっかく近くに情報源があるのだ。
何とかして話を聞きたいものだ。
問題は、どうやって彼らと接触し、コアな話を聞くかだが。
そう言うと、インデックスはあっさり答えた。

「引越しを手伝えばいいんだよ、みこと。そうすれば話すチャンスがあるじゃない」
「そっか、手伝いつつ、こっそり聞いてみればいいか」
「駄目そうだったら、どちらかがとうまをひきつけて、チャンスを作ろう」
「そうね、それで行こう」

そんなわけで、やんわりと断る彼を押し切り、細腕二人が彼の実家に押しかけることになったのである。






彼の家は御坂家から車で20分くらいの住宅街にあった。
勢いで来てしまったが、男の子の実家にお邪魔するという現実に今更ながら緊張するのを感じる。
思い返せば、昨日のアイツは私の家に来ても至極普通だった。
アイツは緊張や不安の回路が少し変なのではないか。
そんな八つ当たり的な方向に思考が行けば、運転席の母親にからかわれる。

「美琴ちゃん、緊張してる?まあ、そうよね、私もパパの実家に最初に行ったときは大変だったもん」
「あのね。これはそういう緊張じゃなくて」
「一つ大切なことを教えてあげるわ?」

そう言うと、彼女は私とインデックスの顔をゆっくりと見る。
その顔にあるのは紛れも無く面白いものを見つけた子供の笑顔。

「何事もそうだけど。第一印象って、とっても、とっても、とっても大事よ?」

ごくり、とインデックスの喉が鳴る。
頼むから、素直なこの子を惑わさないで。

「なんでこのタイミングでそんなこと言うのよ。からかうのはやめてよ」
「からかってなんてないわよ」

嘘を付くな。
じゃあ、その笑顔を引っ込めて言え。

「本当のことだもの。これから末永くお付き合いするなら、最初に転ぶと取り返すのが大変よ?」

うう。
なんで家の前まで来てそんなことを言うんだ。
娘が可愛くないわけ?
そこまで思ってふと気が付く。

「ひょっとして、そういう経験をしたわけ?」
「え?」

笑顔が引っ込んだ。
やっぱりそうか。

「そっか、じゃあ今度お祖母ちゃんに聞いてみよ。母さんが何をしでかしたか」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。美琴ちゃん。私はあくまで一般論として」
「うん、うん。一般論ね。アドバイスありがとう。でもこれだけ忠告をくれるんだから、
母さんは勿論そつなくこなしたのよね?」

目が泳ぎだす我が母君。
こういう仕草が娘から見ても可愛いと思えるからこそ、父さんは彼女に夢中なのだろう。

「まあ、いいわ。送ってくれてありがとう」
「……リラックスしてね」
「今更、そんなこと言っても遅いわよ」

走り去る車を見送ると、ロボットみたいに固まったインデックスを引っ張って上条家の呼び鈴を押した。






手伝いに来たものの、引越しはほとんど終わっていた。
残っているのは机やコーナーテーブルなどの配置と小物の整理ぐらいらしく、すっかり整ったリビングに通された私達に詩菜さんがコーヒーを入れてくれた。
対面に座る刀夜さんの視線にばくばくと緊張感が高まっていく。

あの馬鹿母め。
おかげで大変なことになっているではないか。


「あにょ、御坂、美琴と申します。か、上条、いや、と、当麻さんとは、あの、良いお付き合いを、いや友達として、その、仲良く、させてもらっています」
「I、I、I、Index-Librorum-Prohibitorumと申します」

……やっちまった。
しっかり噛んだ。
だめだ。
死にたい。

長文にしなきゃ良かった。
名前だけにしておけば、まだ被害は少なかったのに。

くそう、馬鹿母、馬鹿母、馬鹿母。
本気で恨むぞ。

鏡を見なくても明らかに顔に血が上っているのが分かる。
隣のインデックスはそれを通り越して蒼白の域に達している。

ちらっと伺うと、刀夜さんの表情は脳が処理するのを拒んでいるので分からないが、右隣に座る上条は相変わらず無表情だ。



コイツ、家族の前でもこうなのか。



そのぶれない彼らしさに、引き潮のようにアドレナリンが引いていく。
そうだ、どきどきしている場合じゃないんだ。
目的を思い出せ。
何しに来たんだ、御坂美琴。



一つ、深呼吸する。
よし、行ける。



「ごめんなさい、緊張して変なことを言いました。当麻さんにはいつも本当に良くしてもらっていますので、今日は是非お手伝いをしたいと思ってお邪魔しました」

隣で俯く銀色に、軽い肘鉄を入れて喝を入れる。

「この子もそうです。当麻さんにとてもお世話になっているから、今日は是非手伝いたいって言って。ね、そうだよね?」
「は、はい。私も、お手伝いをしたいと思って、それで、お、お邪魔しました」

その言葉に、やっと視界に入れることに成功した刀夜さんの顔が微笑む。
彼は父親似なのだと、このとき初めて気付いた。
その左隣に緩やかに座る詩菜さんはとても若々しい。
母さんの話だと同じ位の年らしいが、彼女には悪いが私にはそうは見えない。

「当麻の父、上条刀夜です。こちらは母の詩菜。当麻と仲良くしてくれてありがとう。この子の友達が家に来てくれるなんて本当に久しぶりだから、とてもうれしいよ。なあ、母さん」
「ええ。本当に嬉しいわ。遠いところ、来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそお忙しいのに迎えて下さってありがとうございます。……でも、久しぶり、なんですね?」

せっかくボールを投げてくれたのだ。
逃がす手は無いだろう。

「そうね。最後は当麻さんが7つのときだったかしら。学園都市に行ってからは一度もなかったわね」
「母さん。ばらさないでよ」

学園都市は全世界から学生が集まってくる。
たまの帰省に友人を連れて行きにくいことだってあるだろうから、学園都市の生徒が実家に友人を招かなくてもそれは珍しいことじゃない。

でも、コイツが学園都市に来たのは7年前、8から9歳のときだ。
遊び盛りの子供の家に、1年以上も誰も遊びに来なかったのか?



私の顔を見て、思考をトレースしたのだろう。
上条が何かを言おうとしたときに、刀夜さんがポンとひざを叩いて、

「当麻、2階の片付けをさっさと終わらせないか。昼までにかたをつけて、皆で何か食べに行こう」
「でも」
「お二人は手伝いに来てくれたんだろう?だったら、話は後だ。な?」

そう言う父親の顔を見て、少しだけ思考した後に彼は頷く。

「じゃあ、俺たちは行くから、下の片付けを頼めるか?」
「うん。任せといて」
「とうま、怪我しないでね」






手を上げて滑らかに階段を登っていく彼を見送ったあと視線を戻せば、コーヒーを優雅に飲む詩菜さんがにっこり微笑んだ。












《幕間、あるいは幻想殺し6》

勧められたコーヒーを一口飲む。
これはきっとマンデリンだ。
入れ方が良いのだろう、とても後味が良い。

隣の少女をそっと見れば、副腎が貯蔵しているアドレナリンが尽きたのかもう固まっている様子は無かった。
彼女は詩菜さんの顔をじっと見ている。

「お口にあうかしら?」

詩菜さんの言葉に首肯する。
上では小さくがたがたと音が聞こえる。
きっと上条たちが何か重たいものを運んでいるのだろう。
そういえば今座っているソファーも、目の前のサイドテーブルも、綺麗だけれども新しいとは思えない。
これらの家具はアイツが小さい頃を見てきたのだろうか。

「あの、伺いたいことがあります」

インデックスがコーヒーを置いて詩菜さんに問う。
その真摯な眼差しをたおやかに受け止めて、彼女は答える。

「当麻のことでしょう?あの子のことを聞きたくて、家に来てくれたのでしょう?」

時間が止まる。
インデックスの口から驚きの息が漏れる。
なぜ、それがわかったのだ?

「先程の会話の反応から、そう思ったの。あの子がいたら、聞きにくいでしょう?刀夜さんが2階に連れて行ったから、こっそり話しましょうね」

……え?

「あの、片付けがあるって言うのは……?」
「2階の片付けはもう業者さんに頼んで終わっているの。だから、今やっているのは、ちょっとした模様替えといったところかしら」

穏やかに微笑んでいるが、やはり彼女はアイツの母親だと知った。
刀夜さんもそうだ。
あの応答だけでここまで読んで、さりげなく拉致するやり方が彼そっくりだ。

いや。
阿吽の呼吸で、夫婦で動けるから、彼以上か。

インデックスを見ると、同じ考えに至ったらしいことがわかる。

……今の私達ではどう考えても役者不足だ。
隠し事もごまかしも、彼女には通用しないだろう。






だから、正直に話した。

私達が彼の刹那的な生き方をとても心配していること。
彼がそんな行動を取る原動力も分からないこと。
それを知ることができるかもしれないと思ってここに来たこと。

彼女は、彼そっくりの考える目をしながら、静かに話を聞いてくれた。
聞き終わった後、優しく微笑んで、

「ありがとう。あの子のことをそんなに想ってくれて、とても嬉しいわ。本当に、ありがとう」

ゆっくりとそう言うと、立ち上がり、私達の前に跪いて二人の手を握る。

「ありがとうね。言葉が足りないくらい、心から感謝しています」

その少し冷たくて柔らかい手に、ぽろっと涙が零れた。
あれ?
何故、泣いてるのだろう。

「あの子のことを、本当に心配してくれているのね

目の端で、銀色の頭が大きく頷く。
肩がひくひくいっているから、インデックスも泣いているのか。

「あの子が危険な目にあうことを、本当に嫌だとおもってくれるのね」

私も首肯する。
動きにつられて、目から離れた涙が舞う。

「あの子がどこかにいってしまうことを、本当に怖いと思ってくれるのね」



その言葉を聞いて、私は私に届いた。






ああ、そうか。
やっと、わかった。



そうだ、本当に心配なんだ。
そして、とても怖いんだ。



アイツの声。
アイツの言葉。
アイツの微笑み。
アイツのしぐさ。
アイツの優しさ。



それを全て握るアイツは、危険を冒して誰かを助けに行ってしまう。
私達が窮地に陥れば、きっと命を捨てても助けようとするだろう。



だから、彼の命はとても危うい。



ある日突然、アイツがいなくなってしまいそうで。
何も言わずに、消えてしまいそうで。
もう二度と会えなくなってしまいそうで。



それに気付いてしまえば、怖くて、怖くて、堪らない。



だから、だ。
だから涙が零れるんだ。



そうか、やっと分かった。



私は。



「だから、ありがとう。本当に、ありがとう」



私は。






アイツが好きなんだ。











私達二人が泣き止むのを見届けると、詩菜さんはテレビ台の下から一冊のアルバムを出す。
差し出されたそれは、上条当麻の成長記録。

生まれたばかりの小さな小さな赤ちゃんと、それを抱きしめる二人の若い夫婦から始まり、お食い初めをして、寝返りを打って、七五三をして、鯉のぼりを立てて。
幼稚園に入園して、少し緊張した顔で小学校に入って。

多分、典型的で、でも確かに幸せな成長記録。

写真の彼は、よく笑い、よく怒り、よく泣いている。

用水路で田螺を見つけては笑い。
友達とけんかをしては怒って。
迷子センターでひざを抱えては泣いて。

ページを捲るごとに温かい気持ちが湧いてくるのと同時に、今の彼との断絶の大きさに疑問も膨らんでいく。

「とうまは、どんな子供だったんですか?」
「あの子はとても変わってたし頭もすごく良かったけれど、普通の子供だったわ」

インデックスと詩菜さんの会話を聞きながら、アルバムを捲る。

小学校1年生。
彼の誕生会だろう。
今とほとんど変わらない詩菜さんが運ぶ手作りのケーキを、同い年くらいの子供たちに囲まれて、誇らしげに嬉しそうに待つお誕生席に座る彼がいる。

ごく普通の、私と同じような子供が映っている。

「誰かを助けるような、正義感が強い子供だったのですか?」
「見てみぬ振りはできないタイプだったけど、今のあの子とは全然違うと思うな」

小学校2年生。

作文のコンクールだろうか。
広い講堂で表彰される彼がいる。

……あれ?
なにか、変だ。

「その……向こう見ずというか、危険を顧みないような性格でしたか?」
「男の子らしい無茶もしたけれど、どちらかというと怖がりだったかしら」

違和感を確かめるために、見返してみる。
……やっぱり。

私が目を上げると、詩菜さんが少し悲しそうな目をしているのが見えた。

「美琴さん、わかっちゃった?」
「……ええ。何があったんですか?」

詩菜さんは、小さくため息をついて答える。

「不幸、なんですって」
「不幸?」
「あの子に近づくと、不幸になるって誰かが言い出したの。子供ってそう言う話を面白がるし、まだ相手の痛みが想像できないから、その言葉を繰り返されることの傷の深さを知らないのね」

小学校2年生になってから、彼の写真に同級生の姿は無い。
彼の笑顔も、なんだか寂しそうなものになっていた。

「当麻も悪かったのよ。あの子は、何を馬鹿なことを言ってるんだ、ってその反応を無視したの。否定も抵抗もしなかった。……きっとあの子の賢さが、仇になったのね」

思い出せば、私も思い当たることがある。
小学生のとき、クラスメートの馬鹿騒ぎに醒めた態度を取って、輪から外されたことがあった。
その時は首謀者と取っ組み合いの喧嘩をした末に、泣いて謝らせたから何事も無かったが、それがなければ同じ状況になっていたかもしれない。


「結局、あの子はどんどん孤立していった。何とかしたいと思って、当麻とも学校の先生とも何度も話したけれども、だめだった」

ページを捲っても、出てくるのは寂しそうな顔。
この顔は、見たことがある。
ああ、そうだ。
姫神の事件のときに、彼が自己矛盾を嗤って見せた顔だ

「学校の外に友達を作れれば、とも思って塾に通わせたりもしたけれど、この町はそんなに大きくないでしょう?どこに行っても知っている子がいて」

季節が夏から秋に変わっても、彼の表情は変わらない。
ページを捲って季節を送る。

「あの子は、そのうち本に逃げ込むようになった。毎日図書館に通って、あの年の子供では考えられない量の本を読んでいたわ」

私も行った記憶がある、今はもう建て替えられてしまった昔の図書館に、彼が座っている。
厚い本を読むその顔には、もう笑顔すらない。



あんなに小さい手なのに。
あんなに小さい体なのに。
何て不憫なんだろう。



見ていられなくて、ページを捲ると。
あれ……?

「もう転校させるしかないか、と思ったときだったわ。私の友達に獣医さんがいてね。その人の家の前に子犬が捨てられていたんだけど、飼ってくれないかって頼まれたの」

写真には、小さな犬を抱きしめる笑顔があった。
久しぶりの、1年ぶりの、はじけるような笑顔。

私の心にも明かりが燈る。

「アニマルセラピーなんてあまり信じてなかったけど、私が無知だったのね。あの子、フーリエという名前つけたんだけど、フーリエが来てからは彼の生活が一転したわ」

次のページではフーリエを囲む彼と同級生。
皆に囲まれて、彼も笑う。
まるで1年前の誕生日のときみたいに。

「フーリエを見たがって、同級生が遊びに来るようになった。学校でも自然とまた輪に入れるようになった」

ページを捲る。
季節は、冬。
雪をかけられて抵抗するフーリエ。
楽しそうにはしゃぐ声が聞こえてきそうだ。

よかったね。
笑みが漏れる私に、聞こえてくる声。

「ああ、よかった。そう思っていたの。1年間苦しい思いをしたけど、社会で生きていくうえで能力だけじゃなくて協調性も大事だってことを、身を持って学べてよかった。そう考えようとしていたのに」

詩菜さんの口調が、重いものに変わった。
それに気付き、アルバムを繰る私の手が止まる。



それに添えられる、詩菜さんの手。



捲られた、次のページに、彼がいた。



私達がよく知る彼が。



小さいけれど、決して見間違えることは無い。



無表情な上条当麻が、そこに映っていた。












《幕間、あるいは幻想殺し7》

写真に写る幼い彼の表情に、心が空白になった。

なんだ?
なにが、あった?
なにがあれば、あの笑顔が、こうなるんだ?
なにがあれば、こんな小さい子供が、こんな表情になってしまうんだ?

隣に座るインデックスが、なぜ、と小さく呟く。
その問いに、詩菜さんが答える。

「あの子がフーリエの散歩をしているときにね。あの子の友達が悪戯をしたのよ」

悪戯?

「たわいも無い、悪戯。彼にとってはね。小さい男の子って爆竹とかかんしゃく玉とか、そういうのが好きなの。それで驚かせようとしたのね。そしたら、フーリエは吃驚して首輪を抜いて走り出した」

聞かなくても、何が起こったのかは予想できた。
インデックスの体が、少し震えた。

「それで、道に飛び出して、轢かれたらしいわ。即死だったみたい。それから、あの子は2日部屋に立てこもった。鍵をかけて、バリケードを築いてね。限界だと思って部屋のドアを刀夜さんが壊して、脱水状態で倒れていたあの子を病院に担ぎ込んで……そして、目を覚ましたら、あの子は変わっていたの」

私は、考える。

「退院したあと、あの子はその悪戯をした男の子と喧嘩した。……ううん、喧嘩というより、それは一方的な暴力だった。入院しなければいけないくらいの怪我を相手に負わせたの。それをきっかけに学校には行かなくなって……刀夜さんの仕事のつてで、学園都市に行かせることになったの」
「では……フーリエが死んだことが、彼が変わった原因だと思われているのですか?」
「あの時、当麻はフーリエの首輪を緩めていたらしいの。育ち盛りだし、冬毛になっていたから首が苦しいだろう、って。そうしなければ、死なせることは無かった。そう思っているんじゃないかしら」
「推測、ですか?」
「ええ。……あの子、あの日のことは何度聞いても、何も喋らないから。でも、帰省するたびにお墓に行っているから、今も引きずっているんだと思うわ」

考える。
色々な思索が頭の中で渦を巻く。






そのあと、沈鬱な空気を払うように明るい声で、ではお手伝いをお願いしようかな、と言う詩菜さんに従って、私達は小物の整理を手伝うことになった。
物置に入ってあるダンボールを引き上げて、その中のものを詩菜さんの指示に従って分類し、収納する。
作業をする途中で横を窺えば、私同様、インデックスも色々なことを考えているようだ。
その真剣な表情から、彼女もきっと同じことを感じているに違いないと思った。

それにしても、色々なものが出てくる。
詩菜さんはきっと物を捨てられないタイプなのだろうと思いながら、私は黙々と作業をした。

そして、作業開始から1時間ぐらいが経ったとき、インデックスが、あれっ、と声を上げる。

「どうしたの、インデックスさん?」
「詩菜さん、これ、どうしたの?」

彼女が開けた小さなダンボールを覗き込むと、大小様々な土産物らしきものが、乱雑に詰め込まれていた。

「ああ、それね。刀夜さんが買ってきた、幸運のお守りの類ね。捨てようと思っていたのだけど、忘れていたわ」
「お守り?」
「さっき、あの子が不幸だって言われた話をしたでしょう?それを知った刀夜さんが、じゃあ幸せにしてやるといって、出張のたびに買ってきたの。あの子が、ああなっちゃってからは買ってくることもなくなったけどね」

よく見れば、何かの人形や、何者かを象徴したような形をしていたり、何かの骨や羽を使っていたり、いかにもそう言うオカルト系のグッズに見える。

「あの……これって捨てちゃうの?」
「ええ。そのつもりよ。だから、玄関の外に出してもらえるかしら」
「じゃあ、私が貰ってもいい?」

詩菜さんは不思議そうな顔をするが、私にはなんとなく彼女の意図が想像できた。

「ええ、もちろん良いけど……」
「ありがとう。じゃあ、いただきます」

そう言うと、インデックスは大事そうにそのダンボールに封をする。
こっそりと彼女に危険なのかと聞いてみたが、そういうわけじゃないとの答えに安心して
私は作業に戻った。






私達が詩菜さんから聞かされた事実のショックから立ち直ったぐらいに、刀夜さんと上条が2階から降りてきた。
時間稼ぎの模様替えをしていたなんて欠片も感じさせない刀夜さんの笑顔に、改めて上条が彼の子供であることを確認する。

「そろそろ、ご飯にしないか?」

そう言う刀夜さんの声で片付けは一時中断となり、私達は彼の運転する車に乗って、近くのイタリアンレストランに行くことになった。



その店までは車で15分ほど。
私は知らないから、きっと最近できたお店に違いない。

そんなことを考えながら、後部座席で私とインデックスの間に座る彼の顔を窺う。
ころころと変わる表情を見せていたかつての彼を、その無表情に重ねようとして失敗する。
ふぅ、とため息をつくと、上条がこちらを見る。
見透かすような目線に射抜かれて、慌てて目を逸らす。
少しだけ心拍数が上がる。

「どうした、御坂?」
「別になんでもないわよ」
「……俺の写真、見たのか?」

驚いて彼を見て直ぐに、その行為が質問に対する肯定であることに気付いて俯く。
そんな私に彼は少しだけ笑って話す。

「お前は俺の小さい頃を知りたがっていたもんな。さっき見たら少しだけアルバムの位置がずれていたからそうかと思った。……びっくりしたか?」
「……びっくりした」

それが行為を当てられたことについてか、彼の過去についてなのかはわからなかったけど、どちらも驚いたから答えは変わらない。

「母さんから、話も聞いたんだろう?正直、かっこ悪いから知られたくはなかったけどな」

そう言う彼を見ると、向こう側のインデックスと目線が合う。
そこから、彼女の意図を読み取り、合意する。



「アンタも苦労してるんだって、よくわかったわ。穿り返して、ごめん」



とりあえず、それだけ返して窓の外に顔を向ける。
窓ガラスに映る私の顔の表情は、ファイアウォールに隠されていて私にも良くわからなかった。






刀夜さんお勧めのレストランは、お洒落だったし、味もとても良かった。

彼は帰りの運転を詩菜さんに任せてワインを飲んだからか、饒舌にいろいろな面白い話をしてくれたし、詩菜さんもときおり彼をたしなめつつ、高い思考力をうかがわせる応答を見せてくれた。

私もお返しに、上条と学園都市で遊んだこと、引っ越したこと、海に行ったこと、カラオケで歌ったことなどを、その時の楽しさや、感じた幸せを精一杯伝えられるように話す。
インデックスも、同居生活の楽しさや同居人の優しさを一生懸命表現しているのが分かった。

それを聞いて、嬉しそうな表情をする二人の親を見て、私は悔しさが溢れてくるのを感じる。



なにやってんのよ、アンタ。
アンタの両親、あんなに心配してんじゃない。
それが分からない、アンタじゃないでしょうが。



無表情を貫く彼の態度になのか、それともそこまで彼を追い詰めた何かになのかは曖昧だったが、とにかく悔しくて表情が曇りそうだったので、気分転換と意見交換も兼ねてインデックスを誘って化粧室に行くことにした。







「あんた、詩菜さんの話、どう思う?」

電磁の眼で3人がテーブルにいることを確認しつつ、化粧室の前でインデックスに問う。

「とうまが変わった原因の一つであることは間違いない。でも、きっと他にもっと大きな何かがあるんじゃないかな」
「やっぱり、あんたもそう思うんだ」

確かに、それほど強い根拠があるわけじゃない。

人は、普通は大きく変われない。
だから、7年間もあんな刹那を生きるほどになってしまうなら、ペットの死だけでは弱いのではと思う感覚的なもの。

あとは。

「アイツ、あんたが犬を欲しがったとき、動揺も反対もしなかったしね」
「わたしも、それが変だと思った」

以前、インデックスがペットショップで犬を欲しがったことがある。
大きなフライパンを探しにデパートに行ってその帰りに何気なく寄ったのだが、小さい尻尾を振って甘える姿に、彼女は虜になったのだ。
でも、飼いたいと主張する彼女に、上条は反対しなった。
面倒をちゃんと見れるんだったらいいんじゃないか、と淡々と言ったのだ。
結局、彼女の暴走を止めたのは私だった。

だから。

「フーリエの死がアイツを縛ってるなら、犬を飼うなんてできないはずだもんね」
「そうだよね……でも、じゃあなんだろう」






そう、それが分からない。
状況から、フーリエが事故にあった日に、何か決定的なことが起こったはずだと信じる。



では、一体何が起こったのだ。












《幕間、あるいは幻想殺し8》

結局、二人の考えが同じであるということ以外の進展はなく、私達はテーブルに戻った。
紳士な刀夜さんは、私達がいない間に会計を済ませてしまったらしく、お礼をいう私達ににこやかに手を振ると、

「気にしないで。それより、和食の美味しい店があるから、今度来てくれたときはそこにいこう」

と言ってくれた。
だから、じゃあお正月休みにご馳走になりに来ます、というと、呆れたように上条が少しだけ笑った。

そんな彼を見て詩菜さんがそっと微笑むのが、見ていてとても辛かった。






上条家に戻った後、インデックスに誘われて私と上条は近くの公園まで行くことにした。
車でレストランに行く途中で、高密度の地脈に溢れるスポットを見つけたらしい。
場所はだいたい上条家から歩いて10分くらい。
直射日光がまだ厳しい時間だが、腹ごなしもかねて歩いていくことにした。
すこし上機嫌なインデックスの手に握られているのは、詩菜さんからもらった幸運グッズの一つ。
魔方陣が書かれたビニールシートを片手にもつ上条が、それをどうするんだと問うと、

「これは、ヘレナの十字架。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母、ヘレナが発掘したとされる十字架を模したレプリカなの。でも、かなり程度が良いみたい。これなら、きっと耐えられると思うから」
「なにに?」
「歩く教会の寄り代に」

そういえば、以前姫神を追跡していたときに、地脈やテレズマを使用して、それなりに霊装として耐えうる寄り代があれば歩く教会を作れるといっていた。

でも、何のために作るのだろう。

「……ひょっとして、御坂のためか?」
「うん」
「……え?どういうこと?」
「インデックスは、お前を守りたいんだよ、御坂」

そうか。
歩く教会は一方通行の能力に近い。
大抵の有害事象は弾けるし、魔術からも逃れることができる。

「あの歩く教会にはちょっと及ばないけれど、きっとみことを守ってくれるはずだからね。作りたいって前から思ってたの。でも、こんなに早く良い寄り代が手に入るなんて思ってなかった」
「……ありがとね」

彼女がそっと自分のことを考えていてくれたことがうれしくて、彼女の肩を抱きしめる。
それにびっくりして手を離れた十字架を、上条が綺麗にキャッチする。

「ほら」

そういって、すぅと差し出す十字架を、インデックスが恭しく受け取る。
これは、そんなにすごいものなのか。

「刀夜さんって天才かもしれない。彼のコレクションは9割くらいが魔術的意味を持ったり、霊装の寄り代になったりするものだったから」
「……それは、危険なのか?」

その問いに、インデックスが少しだけ言葉を詰まらせた。

「……ううん。単独では力を発動しないから平気。でも、しかるべき配置をすれば、大々的な術式を構築できるかも」
「……なんだか、怖い話ね」
「ごくまれに、偶然魔術を発動させて事故が起こることがあるの。だから、こういうアイテムはちゃんと管理しないとね」

だから、詩菜さんから引き取ったのか。
やはり彼女はエキスパートなのだ。



そんな会話をしつつ、途中の自動販売機で買った学園都市では売っていない飲み物を飲みつつ歩いていくと、上条が不意に立ち止まる。

「もしかして、俺たちが向かっている公園って、あれか?」

彼が無表情で指差すのは、ブランコとちょっとした広場があるだけの小さな公園。
学園都市でよく使う公園もそうだが、有難味があるとは言いがたい佇まいだ。

「地脈は見た目じゃないからね……とうま、どうしたの?」
「いや……なんでも、ない」
「……アンタ、大丈夫?」

彼は一見普通に見える。
でも、彼の手が、体が、ほんの僅かに震えているのが見える。

「大丈夫だ、行こう」

少しだけ震えた声で言うと、彼は私達を置いて足早に公園の中に入っていった。






その公園は中に入ってもやはり有難味がなかった。
唯一良かったのは、直射日光を遮るものが何も無いこの公園で遊ぼうと思う人が皆無であり、周りに人家もそれほど無いために、魔術の行使が見咎められることはなさそうということだった。

でも、きっと子供の視線ならこの公園だって広く感じるのだろう、と御坂美琴は考える。
常盤台に入った年に帰省した際、幼稚園以来一度も訪れなかった思い出の場所に行ってみたが、自分の記憶よりも遥かにこじんまりとした場所に驚いたものだ。
背丈が今の半分くらいだったのだから、あの時は世界が倍の広さだったのだ。
だからここを有難味がないと感じるのは、きっと自分が子供を卒業してしまった証拠なのだとぼんやりと思った。

そして、上条当麻はやはりおかしい。
公園に先んじて入った後も、その視線がうろうろと落ち着き無く動いている。
その手はいつもと違って硬く握り締められているし、たまにつくため息が聞こえてきそうだ。



1ヶ月前のあの時みたいだ。
いや、あの時以上か。



彼を豹変させた出来事がきっとここで起こったのだと直感しつつも、普段とはあまりに異なる彼の雰囲気に、うかつに問うことが躊躇われる。
インデックスを見ると、彼女も同じジレンマに陥っているのであろう。
心配そうに上条を見つめる瞳に、少し心が痛んだ。






「とうま、みこと、こっちに来て」

彼に気遣いつつインデックスが伝える声に、上条の肩がビクリと動く。
彼女が示すのは、肉眼では何の変哲も無い広場の一部分。
しかし能力の眼で視れば、そこに何かの力が集中していることが容易に分かった。

「そこ、なんだか物凄いね」
「わかる?」

地面から吹き上がるようなノイズと、空から収束するような別のノイズが入り混じり、もやもやと蜃気楼のように見える。
これほどはっきりと魔術的な力が視えるのは初めてだった。

「ここは、本当にすごい力が集中しているの。地脈自体が豊富な上に、テレズマの濃度が異常に高い」
「テレズマ?」

それは何?と問う私に、インデックスが答える。

「そうだね。いうなれば、天使の力、かな」
「天使?そんなのいるの?」
「うん。……これだけ濃いテレズマがあるから、ひょっとしたらここに天使がいたのかもね」












ばさり、と音がした。
振り返れば、上条が持っていたビニールシートを落としていた。
でも、彼は落としたことに気付いていないようだった。






彼はふらふらとインデックスに近づく。
顔を見れば、紙みたいに血の気が引いているのが良くわかった。
目は虚ろで、きっと彼女のことを映していなかった。
足はがくがく震えていて、ちょっと突けば容易に転ぶに違いなかった。
その顔は、あのときに似ていた。



そう、インデックスの呪いを解くときに彼が見せた、惚けたような、魂が抜かれたような顔。



「ちょっと、どうしちゃったのよ、アンタ」

「とうま、とうま、どうしたの?」



慌てて駆け寄る私達に、ぶるぶると震える唇が問う。



「イ、インデックス。おまえ、てんし、って、いったか?」

「……え?」

「てんし、だ。そう、いわなかったか?」

「う、うん」

「てんし、って、いる、のか?ほんとうに、いる、のか?」

「……うん。でもね、とうま。しっかりして」



インデックスの心配も、彼には届かない。



「いる、んだな、ほんとうに。ほん、とうに」

「……うん」






インデックスの言葉を聞き、彼は跪く。
やっぱり、そうか。
そうだったのか。






そう言うと、彼は顔を覆って静かに泣き出した。












《幕間、あるいは幻想殺し9》

上条当麻と過ごした時間は高々1ヶ月ちょっとしかないことを御坂美琴は自覚している。
この時間で彼の全てを知ったなんて思うのは、あまりにおこがましい。
私の知らない面だって、まだまだたくさん眠っているはずなんだ。

そう分かっているはずなのに、初めて見る彼の涙は余りに意外で、大きすぎる衝撃で全ての思考も感情も打ち抜いた。

あるわけないと勝手に思っていた姿を目の当たりにして、私は呆然と立ちすくむ。



どうしちゃったのよ、アンタ。
一体何があったのよ、アンタ。



命をかけた戦いでも、彼は顔色一つ変えずに敵を騙し通した。
この世のルールを曲げる魔術師との戦いでも、約束された台本があるみたいに飄々と勝利した。



その彼の口から漏れる嗚咽から、彼が背負う荷物がいかに重いかを知る。
その彼の肩の震えから、彼が歩いてきた道がいかに過酷だったかを知る。






……なんて、可哀想なのだろう。



心に浮かぶ、憐憫の気持ち。






生まれた感情を糧に問う、私の中の私。



彼は、どうした?

彼なら、こんなときどうした?

私が泣いているとき、彼はどうしたんだ?



私はいま、何をしなければいけないんだ?






その問いに答えるのも、私。



知っているよ。



何をすべきかなんて、分かっているよ。






それは、正直者の、私。



彼に貰った、私の力。



この優しい嘘つきが。



自分自身すら騙せずに泣いているなら。



それならば。











その前にしゃがみこんでも、上条は何の反応もしなかった。
完全に心を閉ざしているのが良くわかった。
ひょっとしたら自分の傷を誰にも知られたくないと思うのかもしれなかった。
このまま捨て置いて欲しい、と願っているようにも見えた。
だから。



だから、これは、私のエゴだ。







顔を覆う両手をつかんで、引き離す。
身動ぎ、逃げようとするのを精一杯の力で抑え込む。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった格好悪い顔を、
同じ顔を何度も見せてきた私の顔に向かい合わせる。



「アンタ、しっかりしなさいよ」



何度も見てきた、何度も見つめた黒褐色の目が、私の顔を捕らえる。



「み、さか?」

「そうよ。御坂美琴、よ。アンタは、誰?」

「だ、れ?」

「アンタの、名前よ。言ってごらん。アンタは、誰?」



絶望と自己嫌悪に自己を駆り立て続ける、そんな崩壊へ突き進む思考に横槍を入れる。
一時でも良い。
そこから目を逸らさせて、奈落へ墜ちていくのを食い止める。



「おれ、は」

「誰?」

「かみ、じょう、とう、ま」

「そうね。じゃあ、あの子は、誰?」

「イン、デックス」



それが何かは分からない。
彼が悩み苦しむものが何かは、まだ分からない。
でも確実に分かること。
それは。



「じゃあ、私達の関係は、何?」

「かん、けい?」

「そうよ。私達の関係よ」

「とも、だち?」

「違うわ」



私は、彼が苦しむのを見ていると辛いんだ。



だから、どうしても彼のことを守りたいんだ。



「私達は、家族よ」

「かぞく?」

「仲が良くて、想い合ってて、本音で喋れて」

「かぞく……」

「そして、本気で泣ける関係。家族、よ」



驚いたように、少しだけ大きく見開かれた彼の瞳に、力をこめて頷いてみせる。






「でも」

「でも、じゃないよ。とうま」



涙で顔を濡らしながら、それでもちゃんと微笑んでインデックスが止める。



「とうま、覚えてる?初めて会った、あの日のこと」

「おぼえてる、よ」



聖母のように優しく後ろから彼を抱きしめて、流れる銀色が彼を包む。



「とうまは、言ってくれたよね。私の地獄に、ついてきてくれるって」

「……ああ」

「私の地獄を、天国に変えてくれたよね」

「……てんごく?」

「私、いまとても幸せなの。とうまが、幸せにしてくれたんだよ」



彼女の手が、彼の顔に伸びる。
零れる涙を、その手が拭う。



「だから、私も変える。とうまの地獄を、天国に変えてあげる」

「むり、だよ」

「大丈夫だよ。みこともいるもん。きっと変えられるよ」

「…………む」

「無理じゃない。できるったら、できるの。……信じなさいよ」



私達を、信じなさいよ。



強く、強く、覚悟を伝える。
私が信じる、このどうしようもない泣き虫に。
握ったこの手に、精一杯の意志を込めて。












「…………ごめん」


彼の目から、また涙が溢れてくる。
でも、私はその涙の意味を知っている。
だって、何度も彼から貰ったから。



嬉しくて幸せな涙を、何度も、何度も貰ったのだから。












《幕間、あるいは幻想殺し10》

まだぐすぐす言っている上条を強引に立たせて、日陰のベンチに引っ張って行く。
彼はもはや抵抗せず、肩を落としつつも素直に歩いてきた。

時計を見れば14時半。
少し寂れた公園には未だ人影は無い。
ペンキがところどころ剥げた年代物のベンチは3人が座ると僅かに軋んだ音を立てた。


「話して、くれるわよね?」


インデックスと彼を挟むように座る。
彼の右手は私が、彼の左手は彼女が握る。
逃がすつもりはない、との意思表示に、彼は大きくため息をつく。


「聞いたら、軽蔑、すると思う」

「……何を聞いても軽蔑しないから、安心しなさいよ」


おどおどと話す声に、努めてゆっくり、優しく諭す。
その言葉に、もう一つ大きなため息をつくと、彼は途切れ途切れに話し出した。






「もう、母さんから聞いただろ。俺、子供のときに、疫病神って呼ばれて、いじめられてたんだ」


手を握る力が、少しだけ強くなる。


「近づくと不幸になる、ってさ。何を馬鹿なことを言ってるんだと、子供心に思った。そんなこと言っている連中と付き合ってられるか、って。でも、馬鹿は俺だったんだ」

「……うん」

「直ぐに、俺と周りとの間には、見えない壁ができた。誰も声をかけてこない、俺もかけられない、そんな壁ができてしまった。……何度か乗り越えようと頑張ったけど、駄目だった」


握る手を、強く握り返す。
私も、わかるよ。
アンタの苦しみ、よくわかるよ。


「苦しかった。辛かった。孤独が、あんなに重いものだって知らなかった。俺はそこに居るのにまるで空気みたいに扱われる、その時間に耐えられなかった」

「……そう、なんだ」

「……でも、不思議なものでさ、慣れるんだ。人間って。孤独にも絶望にも、慣れちゃうんだ。俺の人生ってこんなもんだろう。いつの間にかそう諦めて、流されるように生きていたんだ。そんなときに、あいつが、フーリエが、家に来た」


そこで、彼は少し息を詰まらせる。
その目が見ているのはきっと過去の自分だ。


「母さんは、その子は貴方が面倒を見なければ生きられないって言って、俺にあいつを抱かせた。あいつは、抱きしめる俺の顔を小さい舌で一生懸命舐めたんだ。小さい体をくねらせて、俺の元に駆け寄ってくるんだ。何かに必要とされていることを実感してさ、俺は生きていていいんだって思ってさ。……俺は泣いた」

「とうま……」

「あいつが来て、きっと俺の周りに張ってあった壁が崩れたんだろうな。学校でも話しかけてきてくれる友達ができて、あいつの話をしたら一気にクラスの人気者になってさ。……笑っちゃうだろ?あっけないくらい、俺は元に戻れたんだ」


自嘲気味で笑う、彼の顔。
その先を知っている私には、その意味が分かる。


「俺は、あいつに感謝した。心から感謝したんだ。家に来てくれてありがとう、俺と居てくれてありがとうって。でも、あの日。あの、冬の、日…………」

「大丈夫だよ、とうま。大丈夫だよ」


言葉に詰まる彼を、インデックスが励ます。


「……あの朝、俺は、あいつの首輪を緩めたんだ。俺のせいなんだ。緩めたら、首輪が抜けるかもしれないって、少し考えれば分かるのに。なのに、危険なことに気がつかなくて、あいつを殺した」


大きく、何度もため息をつく。


「10mは飛ばされた。一目で死んでいるのがわかった。足も砕けて、頭もつぶれて、腸だって出ていた。轢いた車は走り去ったけど、そんなことはどうでもよかった。俺は怖かったんだ」


声の震えが大きくなる。


「自分の仕出かしたこと、命を奪ったこと、目の前で肉塊になったあいつ、死ぬという現実。その全てが、怖かった。……俺はあの時動けなかった。あいつを抱き上げることを。俺を救った、俺が殺したあいつを抱き上げることを躊躇ったんだ。……酷い話だろう?」

「……子供なんだから、当たり前だよ、とうま」

「当たり前じゃ、ないんだ」

「そんなこと、ないよ」

「酷いんだよ、俺は」


そういいながら、目を閉じて、俯く。
その頭を私の右手が撫でる。
硬い髪の毛を押し倒すように、ゆっくりと撫でる。
やがて、彼の口が開かれて、言葉を紡ぐ。


「……なんとかあいつを抱き上げてこの公園まで運んだ。なんでここだったのかは分からない。あいつと何度も散歩したからかもしれない。そして、ちょうどあそこだ、インデックスが示した、あの場所で、力尽きたんだ」


彼が震える指で指す場所は、莫大な魔力がせめぎあう合流地点。


「あの場で動けなくなって跪いた俺は、祈ったんだ。心の底から、祈った。あいつを生き返らせて欲しいって本気で祈ったんだ。……そうしたらさ」

「……そうしたら?」

「……天使が、現れたんだ」






彼は、笑う。
馬鹿な話だろう。
まるで、そう言いたいかのように。


「……天使?」

「見た目は女の人だった。でも、そこから物凄い力が溢れていることが良くわかった。きっとこの人なら、奇跡を起こせるって容易く信じられた。……まるで、あのときのインデックスみたいに」

「それは、人の姿をしていたの?」

「……はっきりとは、覚えていない。でも、人だったと思う」

「……そう」

「俺は、祈りが通じたんだと思ったんだ。だから、頼んだんだ。フーリエを生き返らせて欲しいって。その天使に、必死に頼んだんだ」


冬のある日に起こった超常に、思いを馳せる。
彼が見た景色を心に描く。


「言葉は無かった。でも彼女が手を振ると、あいつの姿が、あの無残な姿が、元に戻ったんだ。あいつの命は戻らなかったけど、きっとあいつの魂は彼女に救われたと思ったんだ。俺も助けられたって、そう信じた」


だから。


「だから、ありがとう、って心から言った。泣きながら繰り返した。彼女は無表情だったから、届いたのかどうか分からなくて、何度もお礼の言葉を述べたんだ。そしたら」


そこで彼の言葉が止まる。
彼の口が、ガチガチと音を立てる。
私の手を握る彼の爪が、私の皮膚に鈍く刺さる。


「……そうしたら?」

「そ、そうしたら、彼女は、右手をだし、たんだ。俺は、握手、しようって、ことだと思った。だか、ら。その手を、握ったんだ。それだけ、の、つもり、だったのに」


ああ……そうか。
彼の苦悩が、やっと分かった。


「彼女の力が、砕けるのが、見えた。満ちている力が、全部、壊れた。光が溢れて、何も、見えなくなって気を失った。そして、目が覚めたら、誰もいなかった」


震える右手を、強く握り返す。
せめて、この気持ちが伝わるように。


「殺したんだ。俺が、彼女を。助けてくれた天使を、俺が、俺の右手が。それが分かったから、逃げた。その場から必死で逃げたんだ。家まで逃げて、部屋に逃げ込んで、鍵をかけて、布団を頭まで被って、ぶるぶる震えた。自分の罪深さに、震え上がった」


彼の目から、新しい涙が次々と零れる。
それは彼の右手を握る、私の左手に上にぽたりと落ちる。


「死のうと、思った。もう生きていけないって、思ったんだ。でも、駄目だった。意識が戻ったら、病院だった。父さんも、母さんも泣いていた。そのとき、分かったんだ。俺は死ぬこともできないんだって」


気付けば、私も泣いている。
インデックスも、泣いている。






「だから、俺は思った。償おうって、思ったんだ。俺を助けようとして、俺に殺された彼女。だから代わりに、俺も助けようって。誰かを助けて、助けて生きよう。その結果、死んだとしても、それはきっと俺が受けなきゃいけない報いなんだって、思ったんだ」












彼は全てを語り終わって、だらりと力を抜くと背もたれに寄りかかる。
私は必死に彼を立ち直らせる言葉を捜す。
でも、その言葉が口を出るより先に、彼が私に呟く。


「……聞いてくれて、ありがとな。少し、楽になった」

「アンタ、気にしすぎよ。何よ、天使って。人じゃないんでしょう?アンタの右手で消える、異能の塊なんでしょう?だったら、そんなに気に病むことないじゃない」


こんな言葉しか言えない自分が情けない。
こんな言葉では、彼にはきっと届かない。


「確かに、彼女は、人じゃないよ。でも、助けてくれたのは、事実なんだ。俺は、あのとき確かに善意を感じたんだ」

「そうかも知れないけど。でも、だからって、アンタが自分の人生を死んだように生きる理由にはならないでしょ?」

「俺は、罪を、償わなきゃいけないんだ」

「もう、十分じゃない。アンタ、7年間も、苦しんだんじゃない」

「足りないよ。まだ、足りない」


分かってよ。
お願いだから、分かってよ。


「十分よ。もう、十分よ」

「まだだよ」

「なんで、分からないの?十分だって、言ってるのよ」


声を高めた私を、彼が見る。
無表情の裏に、苦悩を抱えた彼の目が、私を見る。


「アンタ、馬鹿よ。本当に、大馬鹿よ」

「そうだな、馬鹿、だな」

「違う、アンタは分かってない。全然、分かってない」

「……」


彼は馬鹿だ。
全然分かってないんだ。


「アンタ、一人で生きていると勘違いしてるでしょ?自分の命が、自分だけのものと勘違いしているでしょ?」


彼は誤解しているんだ。
彼が独りだと誤解しているんだ。


「アンタが死んだら、アンタの両親がどれだけ苦しむと思ってるのよ?」


彼はきっと知らないんだ。
彼の両親の気持ちも。


「インデックスが、どれだけ悲しむと思ってるのよ?」


インデックスの気持ちも。


「……私が、どれだけ、泣くと思ってるのよ?」


私の気持ちも。


「だから、もう十分なのよ。これ以上、アンタを想う人を苦しめないでよ。お願いだから、分かってよ」


揺れる彼の視線に問いかける。






私の涙、見えるでしょ?



アンタのせいで、泣いてるのよ。
アンタのために、泣いてるのよ。



……アンタはそれでも、変わってくれないの?












《幕間、あるいは幻想殺し11》(完)

上条当麻は私の視線をじっと見ていた。
その目はいつもの彼らしい、考える目ではなかった。
そこにあるのは、戸惑い、そして恐れの感情。
もはやファイアウォールも取り払われた。


そのむき出しの心に、尋ねる。
届いてくれるよう祈りながら、尋ねる。


「アンタはさ、変わりたいとは思わないの?」

「……もちろん、思うよ」

「だったら」

「でも、駄目なんだ」

「……何で?」

「夢を、見るんだ。自分が取り残される夢。助けてくれる誰かを殺す夢。そんな夢を見て、目が覚めて。そして知るんだ。自分の罪を。だから、駄目なんだ」


悲しそうに目を伏せる彼の手を強く握って、私は答える。


「私だって、見るわよ。孤独におびえる夢。でも、いいじゃない。夢なんだから。現実は違うんだから」

「でも」

「でも、じゃないの。アンタ、孤独じゃないじゃない。誰かをずっと救ってきたじゃない。だから、それは夢なの。ただの、夢なのよ」

「……そう、だな」


彼が一歩引いたのを知る。
防火壁ができつつある。
彼が、心を閉ざそうとしている。


でも、これ以上、なにを言えばいい?


言葉を捜し視線を惑わせると、彼の左手を握るインデックスとぶつかる。
その顔に強い意志を感じてはっとすれば、彼女の目が私に気付く。


頷く、私。
頷く、彼女。


そうだ、コイツを助けるのは私一人だけじゃない。






「とうま。私、7年前に何があったのかわかるよ」


驚いて彼女を見る上条に、インデックスは静かに話す。


「私、魔道書図書館だから。何があったのか、良くわかるよ」

「……何があったんだ?」

「御使堕し、という術式が発動したの」

「御使堕し?」

「そう、天使の魂を天界から人間界へと引き摺り下ろす術式」


天使、という言葉に彼が僅かに震える。


「……そ、それは、なにを、するんだ?」

「天使の魂は、魂のままではこの世界に居られない。だから、天使は人間の肉体に入るの。そして、入られた人間の魂は追い出されて、他の誰かに宿る。簡単言えば、人格が入れ替わったみたいになっちゃうの」

「何のために、そんなことを?」

「天使の膨大な力を引き出すための術式なんだけど、多分、7年前に起きたのは、偶然だと思う。きっとここの地脈が異常に強いから、その力を借りてこの地域だけに発動したんじゃないかな」


淀みなく話す彼女の口調に、労りの色が見える。
僅かに微笑みながら彼を見る視線に、親愛の情を聞く。


でも、この既視感はいったいなんだ?
この、どこかで聞いたような口調は、いったい。


「偶然?」

「そう。発動したのは刀夜さん。彼が集めた幸運グッズが偶然術式を構成したの。グッズにテレズマが残っていたから間違いないよ」

「父さんが?魔術を?」

「うん。でも、これは事故なんだよ。珍しいけど、世界中で起こりうる、魔術的事故」

「……じゃあ、俺が出会ったのは、御使堕しで天使に乗り移られた誰かだった、ということか?」

「うん、そうだよ」

「……でも。でも、俺が、彼女を殺したことには、変わりないじゃないか」


そういって空を見上げる彼に、インデックスは淡々と告げる。






「それは、誤解だよ。とうま」






「……え?」

「とうまは、天使を知らないんだよ」

「確かに、知らないが……でも、俺は確かに、巨大な力を壊したぞ?」


驚いて彼女を見つめる上条に、インデックスは微笑む。


「天使はね、この世界にはとても収まりきれないくらいの、莫大な力を持っているの。御使堕しで降りてきた天使が持っている力は、本来持っているものの、ほんの一部分。とうまが消したのは、それだけなんだよ?」


口をぽかんと空けて見つめる彼に、ゆっくりと告げる。


「とうま。髪の毛一本抜いたからって、人殺しにはならないでしょ?とうまがやったことはそれよりもずっと小さいことなんだよ」


ああ、やっとわかった。
これは、コイツだ。
コイツのやり方、コイツの口調だ。


言葉にならない何かを必死に言おうとする彼に、インデックスはにこやかに止めを刺す。






「とうまは、7年間もずっと勘違いしてたんだね。……お疲れ様」












日差しが緩んできたからか、公園には人がちらほらと集まりだした。

塗り固められた信念と諦観の根拠を叩き壊されて、壊れたよう虚ろに笑う上条をディスプレイするのは可哀想だったので、二人がかりで引きずるようにして上条家に連れて帰る。
炎天下を汗だくで歩いたことで逆に頭が冷えたのか、彼は一人で考えたいと部屋に篭ってしまったため、なんとなく家に居辛くなった私達は、またあの公園に戻ることにした。


「あんたね、わかってたんだったら、もっと早く言いなさいよ」

「ごめんね、みこと」


持ち帰り損ねたビニールシートは彼が落とした場所にそのまま落ちていたので、風で降りかかった砂を払いつつインデックスに抗議する。


「ごめんじゃないわよ……。私が一生懸命頑張ったのに、馬鹿みたいじゃない」

「……本当に、そう思ってる?」


今まで見た中で一番複雑な魔方陣を表にして、彼女が指定した場所にシートを広げる。
その上に置かれた十字架に彼女が指を当てて何かを呟けば、揺らめく魔力が魔方陣を介してそれに流れ込むのが視える。


「……思ってないわよ」

「よかった」


アイツの苦悩は誤解だったかもしれないけれど、その根本は人間不信だ。


だれも、自分を見てくれない。
だれも、自分を解ってくれない。


それが、誰にも相談できず、悩みをひっそりと持ち続けることになった最大の原因だ。


「とうま、嬉しかったと思うよ。あれだけ、想ってもらえて」

「あんたね……」

「あんなに真っ直ぐ気持ちをぶつけるのは、私じゃ無理だったから。みことが代わりに言ってくれてよかったよ」


屈託ない笑顔で返されると、返答に困る。


「そういう言い方、ずるい。……ったく。でも、あんたが居てよかったわ。天使なんて、私にはさっぱりわからないから」


そう言うと、少しだけ彼女の顔が曇った。


「ん?どうしたの?」

「あのね、とうまには内緒なんだけど。さっき話したのは、ちょっと嘘なんだ」

「……嘘?」

「うん。御使堕しが起こったのは本当、でも、天使がとうまに消されなかったか、っていうのはちょっとわからないの」


どういうことだ?
あれだけ、綺麗に言い切っていたのに。


……まさか、あんた。


「多分、消すことはできないと思う。でも、とうまの幻想殺しは、魔道書図書館でも良くわからない能力だから。だから、天使をすっかり消せる可能性だって、本当はあるの。でも、とうまを助けたかったから。だから」

「……ありがとね。嘘付いてくれて、本当にありがとう」


罪悪感に歪む表情の彼女を、後ろから抱きしめる。


「私も、聞いたわ。今、聞いた。だから、あんた一人の嘘じゃないからね。いいわね?」

「うん。……でも、苦しいね。大切な人に、嘘を付くのって」

「そうだね。……アイツも苦しんでいたのかな」

「……そうかもね」


彼女は一つため息を漏らすと、私を振り返ってにっこりする。
その無理やりに作った笑顔に、私も微笑み返す。


「いつも騙されているんだから、このくらいいいでしょ」

「そうだね。詐欺師だって、たまには騙されてもいいよね」


今度は、ちゃんと彼女も笑う。


写真の中のアイツに少し似た小さな男の子に不思議そうに見られながら、私達二人は笑い
続ける。
その声に答えるように、蝉時雨が一段と勢いを増した。






1時間くらいでできた作りたての歩く教会を首から下げて上条家に入ろうとドアを開けば、中から細い泣き声が聞こえてきた。
インデックスと顔を見合わせたのちにそっとドアを閉めて、近くの喫茶店で時間を潰すことさらに2時間。
恐る恐る帰ってみれば、少しだけ目を腫らした上条家一同が迎えてくれて、詩菜さん手作りの夕食を食べることとなった。



上条家の夕食は、実に和やかだった。
アイツは相変わらず無表情に近かったけれど、努力して表情を作ろうとしているのが良くわかった。
インデックスは昼ご飯が少なかったからか、どこに入るのだろうと思うくらい笑顔で沢山食べた。
刀夜さんも詩菜さんも、昼以上に良く笑った。
私も、大いに食べ、大いに笑い、大いに話して、大いに満足した。






そして、夕食後、私とインデックスは初めて彼の部屋に入った。
引っ越したばかりだから、生活臭なんて全くない、ごく普通の部屋。
進められてベッドに二人で座ると、彼は私達の前に正座をする。

「御坂、インデックス、今まで本当にごめん」

頭を下げるその姿は、やはりとても綺麗だった。

「そんな……謝らないでよ」
「そうだよ、とうま」

私達の言葉にも、彼の頭は元に戻らない。

「本当に、心配をかけた。本当に、馬鹿だった。ごめんなさい」

微動だにしないその姿勢に、ため息をついてベッドから降りる。
強引に彼を起き上がらせると、彼の目を見て言う。

「アンタね、言葉が違うでしょうが」
「え?」
「ごめんなさい、じゃないでしょ?ありがとう、でしょ?」
「あ、ああ。そうだな。ありがとう、御坂。インデックス」

インデックスも彼の横に腰を下ろして、彼に言う。

「よかったね。とうま。これで、もう無茶はしないよね?」

その笑顔に、少しだけ目を泳がせたあと彼は答える。

「そのことなんだが……。あれから、真剣に考えたんだけどな。俺の信じてきたことは間違いだったかもしれないけど、それでも、やっぱり求められたら助けたいって、思うんだ」

だってさ。
そう一呼吸置いて、

「あの時、俺はあの天使に確かに救われたんだ。そして、誰かを助けようと思ってきたから、今こうして俺は幸せになっている。だからさ、やっぱり困った人を見過ごすってことは、これからもできないと思うんだ」







はい?
予想外の決意表明に固まる、私達。

「もちろん、命を捨てようなんてもう思わないけど、でもさ、もうこれは俺の性質と言うか、染み付いた習慣みたいなもので」

「……アンタ、ふざけてんの?」

「いや、極めて真面目だが」

「あの暑い公園で、私達があれだけ泣いて、アンタも泣いて。それで、何?今後も方針は変わりませんだと?」

「変わってはいる。少なくとも気持ちが違う」

「気持ちが違ったって、やることが変わんなきゃ意味ないでしょうが」

「まあ、そうなんだが」


困ったように視線を動かす上条に、インデックスも冷ややかな目を向ける。


「とうま、さっきのごめんなさいは、何についてなの?」

「今まで心配かけて、すまなかったと」

「そして、これからも心配かけます、ってこと?」

「……なるべく、そうならないようにします」

「なるべく、じゃ困るよ」







はぁ、とインデックスが肩を落とす。
私だってそうだ。



コイツはやっぱり馬鹿だったんだ。
馬鹿みたいなお人好しだったんだ。
理由なんて、解決策なんて本当はなかったんだ。






……でも、それならもう、仕方がないじゃないか。






そういう男に、私は助けられたんだから。
そういう男に、彼女は助けられたんだから。



そういう男と一緒に時間を過ごして幸せになっているんだから、もう仕方がないじゃないか。






私はもう一回大きくため息をつくと、目の前のツンツン頭をぺしっと叩く。
突然の攻撃に驚く彼に、びしっと指をさして宣告する。


「ちゃんと、事前に相談しなさい。全部、話しなさい。勝手に独走するの、やめなさい。
……わかったわね?」

「……え?」

「わかったわね?」

「あ、ああ」

「……約束だよ、とうま」

「わかった、約束だ」


その真面目な回答にとりあえず満足して、インデックスと二人で顔を見合わせて笑う。
呆気に取られた彼も、やがて小さく笑い出す。






幸せって、きっと私の中にあるんじゃない。
それはきっと、私と誰かの間にあるんだ。
それはきっと、互いに増幅しあう笑いみたいなものなんだ。



そう強く実感した、とある夏の日の夜。



[28416] 最終信号 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:46
《最終信号1》

はっはァ!ンだァその逃げ腰は!

腕を引きちぎり、飛ばした足を蹴り飛ばす。



――――――――――――やめろ。



愉快にケツ振りやがって誘ってンのかァ!?

抵抗する頭を踏みつけて、嗤い、嗤う。



――――――――やめろ。



さァ、どうやって死にてェンだ?

触れる足に、ベクトルを込めて。



―――――やめろ。



――やめろ。



やめろ。






やめろ!






息を詰まらせて目を開ければ、そこは自分の部屋だった。
上体を起こし、額の汗を拭う。

このところ、毎日だ。

絶対能力進化を凍結に追い込んだあの日から、悪夢から逃れたことはない。

なにを甘ったれてンだ。
全部、俺がやったことじゃねェか。

最早眠れないことを理解した彼は、ため息をついて自宅をあとにした。












8月26日。

ヘアバンドにブルーのTシャツ、白いハーフパンツとスポーティな装備を身にまとった御坂美琴は、早朝の道を速いペースで走る。
時計を見れば、5時20分。
ほとんど人通りがない、まだ眠る清清しい空気の中を彼女は風のように引き裂いていく。

今日は、勝てるだろうか。

そんなことを思いながら、見えてきたとある駅を見れば、見慣れた黒髪と銀色が既に立っていた。

ちぇっ、今日も負けたか。

手を振れば、僅かな微笑と大きな笑顔が手を振り返す。

「おはよう。アンタ、早すぎるわよ。……ずるしてんじゃないでしょうね?」
「おはよう。……ちゃんと時間通りだぞ。5分のハンデも守ったよな?インデックス」
「今日は正確には327秒後に出発したよ」

そう言う彼は、もう汗も引っ込んだのか涼しい顔をしている。
5分じゃ勝てないか。

「じゃあ、明日から7分にしましょ?」
「7分じゃ流石に無理じゃないか?」
「マジで走ればいけるかもよ?」
「もうかなり本気なんだがな」

話す私達を見上げながらインデックスが転がしていた自転車が、馬止めにぶつかって転びそうになるのを、上条がすぅと手で止める。
彼女はそれに礼を言いつつ、

「自転車に乗っていても、結構早いペースだよ?これ以上だともっといい自転車が欲しいかも」
「そうね……せっかくだから、ちょっと早い自転車買って、サイクリングしない?」
「それもいいかもな」

だれかがふと漏らしたことを、その他の二人が拾い上げてプロジェクトにしてしまうのはいつものことだ。
自分の発言が予想外の方向に行く、その予想通りの結末にすこしほほえみながら、インデックスは自転車置き場に愛車を止めた。






始発電車の車窓の外を見れば、既に夏の日差しはその力をぐんぐんと増している。
やけに明るい車内なのに私達以外人が居ないそのミスマッチに、3日目でようやく気がついた。私が一人苦笑をすれば、インデックスは不思議そうに私を見て、

「なんだか、誰も居ない電車って新鮮だね」

と全く同じ発想をするからびっくりする。

「今日はいくつ持ってきたの?」
「12個。それほど魔力を込めなくても大丈夫だから、多めに持ってきたんだ」

彼女が麦藁で編んだ風のバッグから取り出すのは、いかにも曰くありそうな人形や、何かの骨を削った三日月など。
でも、いかにもではなく本当に曰くがあるのだから、魔術と言うのは恐ろしい。

「あの公園なら、もっと効率よくできるのに」
「まあ、ない物ねだりしてもしょうがないでしょ」

そんな会話をしていると、電車の合成音が目的地への到着をアナウンスした。






この3日間、私は始発電車に合わせて駅まで走る生活をしている。
決して何か特別な実験に追われているわけでも、早朝デートをしようと頑張っているわけでもない。

8月23日、アイツの行動原理を知り、その上で今後も変わらぬご愛顧をという頭にツッコミを入れたあの日。
インデックスは詩菜さんから大量の幸運グッズを手に入れた。
魔術を知らない私達から見れば胡散臭いオカルトグッズでも、彼女には宝の山であるらしかった。
うきうきと語られたそれぞれの意味や価値は覚えていないが、要するに地脈の力をそれに込めれば最大限活用できるということがわかった。

それを聞いた上条が、だったらあの公園に通おうかと言い出して夜に行ってみたものの、人気のない公園は、一部のカップルに大人気だったらしく、気まずい雰囲気で引き返すことになってしまった。

だが、都合よく土砂降りが振るわけでもなく、彼らを追い出すこともできず。
だったら早朝に来ればいいということになり、せっかくだからマラソンで勝負しようという思い付きから、健康的な生活がスタートしたのである。

「ほら、お茶だ」
「ありがと」

差し出されたペットボトルは冷たくて、朝の清清しさを際立てる。

「インデックス、嬉しそうだね」
「色々あったけど、やっぱり魔術が好きなんだろ」
「そっか、私と、同じだね」

目の前で歴代4枚目のビニールシートの上に、私の知らないルールで並べられたグッズを眺める彼女の顔は満足げだ。

そこに流れ込む魔術の波を能力で視ながら、彼にさりげなく問うてみる。



「……アンタも、その右手、好き?」



目線だけをこちらに向けたあと、1秒弱思考して彼が答える。



「おかげさまでな。今は、好きだ。守れる力だから」
「……何を?」
「みんなを」

みんな、ね。
まあ、コイツなら妥当な答えか。

僅かにぎこちなく微笑んだつもりの顔をする彼の頬にボトルを押し当てると、彼は僅かに口を尖らせる真似をした。






「とうま、AIM拡散力場の根拠となる数式の、展開方法がわからないんだけど」
「ああ、これはな、ここでラプラス変換を使うんだ」
「それよりも、一つ前の式を重積分したほうが効率的よ」
「それだと、力場が極端に高い値を示したときに計算できなくならないか?」
「普通はそんな条件にならないからいいのよ」

12の幸運グッズを霊装に変えたあと、私達はいつものように近くのファミレスに寄る。
そこで朝食を食べると、こうしてインデックスの試験勉強に付き合うのがこの3日の日課だ。

転入にあたり、一応筆記試験を受けなければいけないということを聞いたのが4日前。
それは大変と慌てたが、良く考えたら彼女は天才だった。
とりあえず3人で私の使っている参考書を上条家に運び、彼の使っているものとあわせれば1 m以上の高さに積みあがるそれを、彼女は2時間でマスターした。

だが、知識を覚えても、それを実際使えるかどうかは別問題。
試験となれば、テクニックだって要求される。
そこで、ちょっと厚めの問題集をインデックスが解いて、わからない場合は二人で解説するということのなったのだ。

正直言って、彼女の通う予定の学校に、こんなハイレベルな知識が必要だとは思えない。
しかし、乾いた吸水剤のごとく面白いように知識や技術を吸い上げる彼女は、教えていてとても楽しい。
そして、彼女もとても楽しそうだ。
ここまでやる必要はないが、学園都市で生きている上でどこかで役立つだろうから無駄にはならないだろうし、趣味と考えればよいかという合意の下の勉強会なので、切迫感もなくのんびりとした空気が流れている。

でも、まあ、本当に凄い子だ。
こりゃあ、あとちょっとしたら、うかうかしてると危ないぞ。
上条はもう無理だと勝負を投げているが、痩せても枯れても常盤台のエースだ。
負けるわけには行かないな、とちょっとだけ対抗心を燃やしていたとき。

ドリンクバーから3人分の飲み物を持ってきた上条が、小さい声で囁く。

「御坂、振り向くなよ」

その顔は無表情で、口は全く動いていない。
コイツ、腹話術もできるんじゃないか。
そんな外れたことを考えたが、そのあとの言葉に体が固まった。






「2つ後ろの席に居るの……第4位だ」










《最終信号2》

能力の目で視れば、髪の長い若い女性がその席には座っていた。
年齢は10代後半か。
相席には誰も座っていない。
視たところ、銃火器の類は所持していないようだ。
もっとも、そんなもの彼女には必要ないのだろう
彼女はレベル5。
その事実を知らなくても、魔力にどことなく似ているAIM拡散力場を探ってみれば、彼女が周囲とは一線を引いた存在であることがわかる。

「……どうして?」

恐らくは周囲の目を引く歩く教会を気にしているのだろう。
インデックスに頭を引っこめるように指示しつつ、上条が答える。

「あいつは、危険だからだ」
「危険?」
「細かい理由は帰ったら話す。とりあえず気付かれないように帰るぞ」

そういうと、彼はインデックスに財布を渡すと、先に会計をして外で待つように言った。

「なんでインデックスを一人で行かせるのよ?」
「あいつがちょっかい出してくるとしたら、お前だろうからな」
「……あとで全部話してよね」
「約束する」

座席の下をくぐるように通路に出て、会計に行く彼女を見送る。
相変わらず彼はいつも通りだ。
無表情、無感動。
いや、腹話術がついてきているか。

でも、彼の意味不明風の行動には大きく裏切られたことがないのも事実。
ここは大人しく従うとしよう。

「御坂、もしも第4位がちょっかいを出してきたとしても、反応するな」
「……?」
「反応するな。そして、喧嘩を売られても買うな。絶対に」
「……わかった」

インデックスが外に出たのを確認したのだろう。
彼はそう言うと、何時も通りの滑らかな姿で歩きだす。
出口からあえて遠回り。
彼女から見て、私が彼の陰に入るように、歩くスピードを調整しているのがわかる。
そっと彼の表情を伺えば、無表情なりに真剣なのが解る。
だから私もペースを一定にして彼の陰に入るようにする。



でも、全くわけが解らない。
第4位から、何で隠れなきゃいけないわけ?



逃げるように立ち去るという、性格と正反対の行為をするフラストレーションをため息で抑えつつ、会計の前を通り過ぎようとしたとき、唐突に黄色い声が響いた。

「あれ?あそこにいるの、第3位じゃん?なんでこんなところにいる訳?」

声の方向を見れば、金髪の少女が指を刺してこちらを見ている。
周りの客の注目が一斉に集まるが、特に気にならないらしい。

「……超驚きました。なんでこんなところで鉢合わせるんです?」
「……偶然?」

そんな威勢の良い少女の後ろに立つ2人も私のことを知っているようだ。
でも、何故自分のことをみて驚くのだろう。

答えを探して彼を見上げれば、僅かに目が細くなるのが映る。
……ひょっとして、彼女達は第4位の仲間か?

「むぎのー、むぎのー、なんか第3位が居るよー」

その思いに答えるかのように騒ぐ金髪少女の声に、第4位がのそりと立ち上がるのが電磁の目で視えた。






「みっともないから大声出すな、フレンダ」

彼がこんなに警戒するのだ。
どんな人物なのだろうと警戒していたが、予想外に上品な声で少し肩の力が抜ける。

「ごめんね、連れが騒ぎ立てちゃって。」
「……別にいいのよ。気にしないで」

第2声だって、至極普通だった。
少し冷静になってその姿を見てみれば、ファミレスに居ることが不自然なほど高そうな服を自然に着こなしている物腰が柔らかそうな女性である。

なんなのよ、もう。

そう思って彼を伺うが、その表情はファイアウォールに阻まれていて読むことができない。

「悪いが人を待たせているんだ。……御坂、行こう」

手短に言葉を告げて立ち去ろうとする彼に右手を取られるが、歩きだそうとするのを制するように声をかけられる。

「ねえ、ちょっと待ってよ。私もこう見えて、実はレベル5なの。……こうして会ったんだし、レベル5同士でちょっとお喋りしない?」
「え?……えっと」

女性から見ても魅惑的とわかるその声に、思わず答えてしまった。
それは確かに魅力のあるお誘いだ。
レベル5直接面識があるのは7人中、2人。
その両方ともまともな会話が成立することはないだろうから、他のレベル5がどんな人物なのか、興味がないといえば嘘になる。

「ね、せっかくだし。そうしましょ?」
「……でも、友達を待たせているから」
「じゃあ、その子も呼べば良いじゃない。ね、そうしようよ」

甘い声に心が傾きかけたところで、手を握る彼の握力が少しだけ増す。
その力に、はっと彼との約束を思い出す。

いけない、いけない。

「……ごめんね、やっぱり行くわ」
「そんなつれないこと言わないでよ」

一歩こちらに近づく第4位を、上条の右手が制する。

「悪いな。またにし」






「テメエとは喋ってねぇんだよ。その口消し飛ばされてぇのか?」






あまりの驚きに一瞬息が止まった。

ネコを被るって言葉があるが、そんな可愛い言葉で形容できるような豹変じゃない。
表情も、口調も、声の調子も、全てが変わった。

違う、それだけじゃない。



彼女の周りに渦巻く力場が、急にうねるように高まるのが視える。



「第3位。つべこべ言ってねえで、黙ってついてくればいいんだよ。綺麗なお顔を削られないとわかんねぇか?」

にたりと笑う彼女の本性に、心が急速に冷やされる。
そして、気付く。
第4位に注視していたせいで、見落としていたこと。

隣でへらへら笑う金髪少女を探れば、スカートの中に銃やナイフが見える。
残り2人は銃火器を持っていないようだが、それなりの強度の能力者だった。

……しまった。
こいつ等、まともな連中じゃない。
ちゃんと、彼の言うことを聞いておけばよかった。
しかし、こんな状況になってしまったらどうしようもない。

「……そんな態度で出られて、大人しく行くわけないでしょうが」
「へえ、やるの?」
「お望みなら、4人まとめて消し炭にするけど」

バチン、と髪の毛に電気をスパークさせる。
何事かと見守っていた近くの客が、能力者同士の喧嘩と知って慌てて距離をとる。

「常盤台の小娘に、できるかぁ?」
「……あんた、舐めてんのね?」

怒りを映すように、ざわざわと髪の毛が逆立つ。
第4位のくせに、上等じゃないか。
溢れる磁力にしたがってポケットから零れ出たコインが、私の周りを衛星のように回る。
彼女の仲間たちがそれを見て、半歩後ろに下がる。
そこで。



「そこまでだ」



黙って見ていた上条が、相変わらず無表情のまま、すぅと私達の間に入った。






「何邪魔してんだよ?てめぇ死に」
「原子崩し。こんなところで能力を使って一般人を巻き込めば、今度は叱責じゃすまないぞ」
「……何?」
「つい最近、やり過ぎて上司に怒られたばかりなんだろう?……俺達のところまで噂になってるぞ」

上条が、淡々と、そしてゆっくりと麦野に話しかける。

「……何者だ?」
「それは言えない。……だが、お前や第2位と同じ、光のささないところに生きているといえばわかるだろう?」
「……」

顔をゆがめつつ、何かを考えるそぶりを見せる彼女に、さらに言葉を重ねる。


「それとも、何か?第3位だけが、のうのうと明るい世界で生きているとでも思ったのか?」

麦野の殺すような視線を、真っ直ぐ受け止める無表情な瞳。

「レベル5に、それが許されるとでも?」

やがて彼女は視線をおろし、わざとらしくため息をついて毒づく。

「……ちっ、なんだよ。つまんねぇな。せっかく楽しいオモチャを見つけたと思ったのに」
「オモチャ、と言う言葉は聞き流そう。とりあえず、これ以上俺達に構うな」
「わかったよ。さっさと行け」

上条は軽く肩をすくめると、私の手を引いてその場を立ち去ろうとする。
その背中に刺さる、彼女の声。






「あーあ。いい気なもんだね、クローンが沢山死んだのに、オリジナルは男といちゃいちゃ腰振ってるのか」






意味を理解して、頭が真っ白になった。



次いで、それが赤に塗りつぶされる。



意味のない言葉を叫びながら、彼女達に全力の電力をぶつけようとする。
それを私の左手に伸びた上条の右手に阻まれる。

それを振りほどこうと引っかき、手を振り回す私。
その姿を指差し嗤う、第4位。



憎い。
憎い。
殺したいほど憎い。



湧き上がる殺意に燃え上がり、怒りに燃え盛り、憎しみに燃え狂う。
この炎で焼き尽くせるかのように、麦野の瞳に呪詛を吐く私の眼。



放せ。
さっさと放せ。



そして、叫びもがく私の視界が、突如遮られる。
目の前には、彼の瞳。
悲しそうな、苦しそうな色を湛える、彼の瞳。


「御坂、やめろ」
「嫌だッ、放せ。さっさと放せ!」
「止まれ。御坂。……これは、命令だ」

命令……?
何時もの彼から程遠い、その単語の響きが頭を反響する。

「命令だ。これ以上やるなら、処分を検討するぞ」

処分……?
言葉の意味に到達できず、いつの間にか動きが止まる私から右手を離し、彼は麦野に相対する。

「第4位。これ以上挑発するなら、敵対勢力とみなす。それで良いのか?」
「……冗談よ。冗談。マジにならないでよ。でもあんた、第3位よりも強いの?」
「地位が上なだけだ」
「あっそ。……じゃ、行くわよ」

そう言うと、佇む私を背にして第4位達は席に戻っていった。






ファミレスの外で待つインデックスは、私の表情を見てひどく驚いた顔をして駆け寄る。
彼女の顔を見て、緊張と恐怖と悔しさが入り混じった感情がどっと流れてきて、思わず涙が流れた。
そんな私に、彼はモノトーンな声で話す。

「御坂。あとでちゃんと理由は全部説明する。とりあえず、能力を全開にして攻撃に備えてくれ」
「……攻撃?」
「あいつ等からの攻撃だ。来るとしたら今だろう。原子崩し以外は不明だから、それだけでいい。……わかりそうか?」
「……この前見たデータ通りなら、私の電磁波と干渉するから、多分わかる」
「頼む。お前、歩く教会は持ってるよな?」
「うん」
「よかった。じゃあ、行くぞ。なるべくゆったり、気楽に見えるように歩こう」

そういいつつ、何時もよりゆっくり歩きだす。
彼女が座った席に、あえて背中を晒すように、ゆっくりと。

「インデックス、今日作った霊装で、攻撃用のものはあるか?」
「ないよ……ねえ、何が起こったの?」
「あとで説明する。じゃあ、俺が逃げろといったら、お前は逃げろ」
「え?」
「いいから。頼むからそうしてくれ。そして逃げたあと探索術式で俺達を探して、魔力を使わない方法で助けてくれ」
「とうま、全然意味が解らないよ」
「言った通りにしてくれ。合図したら、一旦逃げて助けてくれ。頼む」
「わかった」

少しずつ、少しずつ、第4位から遠ざかる。
背中を舐められるような、気味悪い感触に耐えながら、努めてゆっくり歩く。
ゆっくりと、ゆっくりと。
もう100mは来ただろうか。

「じゃあ、あの大通りの角を曲がったら、直ぐにある地下鉄に」



彼がそういったとき、電磁波が異常を捉えた。
後ろから電磁波をかき乱す塊が突如現れ、それが収束していく。
慌てて振返る私が見たのは、白く輝く光。
それはあっという間に私達に迫り、そして。



パキン。



音を立てて、上条の右手に阻まれる。
彼はにやりと発射元に向けて笑みを浮かべると、口を動かさずに言う。



「何事もなかったように、振返って歩いてくれ。多分、もう大丈夫だから」



固まって動けない私達の肩を抱いて強引に振返らせると、彼は再び歩き出す。
引きずられるようにして角を曲がれば、地下鉄への階段は直ぐそこにあった。












《最終信号3》

私が私じゃない感覚がした。

上条の言うがまま、周囲の人を能力で透かし視て、危険がないことを察知したときも。
人がそれほど多くない車両を選んで、3人並んで座ったときも。
いつかどこかで見たみたいに、左右の手を2人につながれたときも。

ぼんやりと周囲を見ながら、音を聞きながら、直視したくない現実から逃げるので精一杯だった。

アイツの言うとおりだった。
ちゃんと事前に警告されていたのに、甘く考えていた。
約束を守っていれば、こんな目にあわなかったのに。

……いや、違う。
そうじゃないよね?
私が、見たくなかったもの。
それは。



「あーあ。いい気なもんだね」



繰り返す。



「クローンが沢山死んだのに」



繰り返す。



「オリジナルは男といちゃいちゃ腰振ってるのか」



繰り返す、その言葉。






あのとき、第4位を心底憎いと思った。
本気で電撃をぶつけようとさえした。

でも、違う。
あの女の言うことは、間違っちゃいない。

私は勘違いしていたんだ。
全部、すっきり終わったと思っていた。
絶対能力進化が中止されて、彼女達が殺されることがなくなって。
ああ、よかった、なんて。
ひどい考え違いをしていた。

実験は中止された。
だから、これ以上、1人たりとも殺されない。



だから、なんだ?



だからって、殺された1万人が帰ってくるわけじゃない。
砕かれ、引き裂かれた苦しみが消え去るわけじゃない。
私が苦しみのスタートラインである事実がなくなるわけじゃない。

何を無邪気に楽しんでんだ?
何を良いことした気分で、浮かれてるんだ?
何を1人だけ、幸せになってるんだ?

何を、一体。






全てが、遠ざかるような感覚がする。

目の前に広がる、暗いトンネルも。
居眠りをする、若い男も。
遠くで喋っている親子連れの声も。
この手をつなぐ、温かみすら。



全てから切り抜かれ、私は墜ちていく。






急かされるようにファミレスを一人追い出され、出てきた二人を見れば突如として攻撃され、もう大丈夫などといわれつつ、美琴の状態は明らかに大丈夫ではない状態で。
相変わらずわけがわからないとインデックスはため息をつく。
説明を求めてみても、当麻は電車で話せる話じゃないから帰ったら説明するの一点張りだ。
状況がわからないと、美琴をうまく慰めることもできない。

どんどん暗く落ち込む彼女に必死に声をかけるが、大した反応はしてくれない。
握った手の握力も心なしか弱まっている気がする。
その分を取り返すように彼女の手に力を込めつつ、心配で心が埋め尽くされていくのを感じる。

「みこと、しっかりして。私ととうまがいるからね。大丈夫だからね」
「うん……」

その痛々しい姿にもう一つため息を落としつつ、彼女を挟んで反対側に座る彼に助けを求める。

「……とうま」

彼女を慰めることにやはり失敗している彼が、声に反応して私を見る。
一時の視線の交差。

彼は僅かに頷き、3秒ほど目を閉じて思考する。
そして、静かに目を開けると、表情を消した顔で話し出した。






「御坂。今日のことについて、今話せることはほとんどない。だが、このまま沈黙が続くのも居心地がわるいからな。時間つぶしに、ちょっとした御伽噺を聞いてくれないか」

淡々と語る彼の声に混じる不可思議な単語に、美琴が少しだけ反応する。

「……御伽噺?」
「ああ。上条流御伽噺だ。お前、聞きたがっていただろ?」
「……今は、聞きたくない」
「じゃあ、聞き流してくれ。インデックスに話すから」

奇抜な言葉で、美琴の心をつかむ作戦だろうか。
期待を込めつつ、話に耳を傾ける。

「題は、クロイツとヘーゲル、という。あるところに、クロイツと言う靴を修理する職人がいた。彼は孤児で、赤ん坊のときに孤児院の前に捨てられていたんだ。孤児院を9歳のときにでると、靴磨きから始まって20年。ようやく小さな出店を開くところまでこつこつと仕事を積み上げていったんだ」

……本当に、御伽噺だ。
何を言い出すんだ?

「クロイツは極めて真面目な性格でな、きっちり朝8時に店を開け、きっちり夕方6時に店を閉める。一日たりとも休まず、20年だ。周囲の人からは人間時計といわれるくらい、その時間に正確な働き方は有名だった」
「……とうま?」
「まあ、聞いてくれ。で、そんな堅物な彼にも、実は夢があった。彼は、絵を描くのが好きでな。いずれ、画家になりたいと思っていた。その夢はあと一歩のところまできていた。書き溜めた絵を美術商に見せたら彼の持つ個展で展示してくれて、何枚か絵も売れたし、依頼もあった。あと少しお金がたまったら、アトリエを開いて好きな絵を描き続けられる。そう思ってひそかに夢を膨らませていたんだ」

美琴をそっと窺ってみても、聞いているのかどうか解らない。
その目はさっきから床の一点を見つめたまま、動かない。

「ところが、だ。そんな彼の仕事振りを悪用しようとした奴がいた。その国一の悪党と、その仲間たち。彼らは、月に一度、クロイツの店の前を朝8時に通る現金輸送車を襲おうと企てた。そこで、その計画の一部に毎日きっちり8時に店を開く彼のことを利用しようとしていたんだ」

話の急展開に、思わず当麻の顔を見る。
これが何時もの彼の語り口だとわかっていて、知らず知らずに引き込まれていく。

「そして、練りに練った計画を実行する日。十数人でクロイツの店の付近に展開する彼らは、銃を片手に彼が来るのを待っていた。時間は7時45分。あと1分でやってくる。……ほら、あと30秒、……あと15秒。時計の代わりといわれた彼が、7時46分にその角からひょいと出てくるのを、彼らはそっと、そっと待っていたんだ」

緩急をつけ、抑揚で場を支配する。
朝の光に隠れる陰。
その場の張り詰めた空気が漂うような錯覚を覚える。

「……それで?」
「ほら、あと5秒だ。手下の一人が、銃の撃鉄を起こす。頭に銃を突きつけて、彼を大人しくさせる。別に殺すつもりはない。ただ、利用するだけだ。何時もやっている、単純な作業だ。その銃を扱う手つきだって、なれた物だ。がちり、と小さい音が響いた」

低い声で喋った後、すこしだけ間を空けて美琴を見る。

「しかし。おかしい、彼は来ない。20年間、365日、判を押したように時間通りにやってくる彼が、今日に限ってやってこない。強盗達の顔に困惑が走る。いや、落ち着け。まだこないと決まったわけじゃない」
「……」
「1分、2分と、時間が恐ろしく早く過ぎていく。あと13分しかない。早く、来い。」

美琴の肩が少しだけ動く。

「あと、13分……、あと10分……それでも、時間は無情に過ぎていく。……あと、7分。まだか。まだなのか?ざわめく手下に舌打ちをしつつ、その悪党も嫌な汗をかく。なにせ今回の輸送車には、大量の金が積んであるんだ。逃がすわけにはいかないんだ」
「……うん」

気付けば、私の視線は当麻の顔に釘付けになっていた。
慌てて美琴を見れば、彼女の顔から絶望が薄まるのが見える。
……そうか、そういうことか。

「ついに、悪党は決断を迫られた。クロイツが来るのを待つか、急遽作戦を作り変えるか。諦める、なんて選択肢はなかった。……大見得切って作戦を立てたのは俺だ。ここで諦めたら手下に示しがつかねぇじゃねえか。……さて、御坂。彼は、どうしたと思う?」

彼は、自分が美琴にしてもらったことを、返しているんだ。
絶望を疑問で埋める、そんな救いを実行しているんだ。

「……作戦を変えたの?」
「そう思うよな。……だが、違ったんだ。事態は思いも寄らない方向にいったんだ」
「……うん」
「どうなったの?とうま」

言葉少なに、だが確実に美琴が返事を返す。
それが嬉しくて、握り締める手の力をもっともっと込めながら、私も話を急かす。

「彼の誤算は、現金輸送車がクロイツほど時間に正確じゃなかったってことだ。まだ8時じゃないのに、通りの角から現金輸送車が姿を現した。なんでだ、なんで、こんなに早いんだ?そうなれば、もうパニックだ。考えていた思考は、全部吹き飛んだ」
「うん」
「でもな、もう一つ、彼が決定的に誤解していたことがあったんだ。何だと思う?」
「……わからないわ」
「私も」
「それはな……。その悪党の部下が、彼が思っていた以上に愚かだったんだ。部下の一人は現金輸送車を自分の貰うべき金塊と思ってしまった。それが通っていくのを、見逃せなかった。……だから、銃を抜いてその前に立ちふさがった」

美琴の顔が、ついに当麻を見る。

「そのあとは雪崩みたいなもんだ。輸送車にそいつが発砲すれば、武装した輸送者の警備員が応戦する。撃たれた仲間を救おうとして、部下がさらに撃ち返して。時間にして5分もなかった。その悪党以外、部下はみんな死んだ。たまたま道を歩いていた一般市民も30人くらい巻き添えになった」
「え?」
「彼も足を撃ち抜かれて捕まった。最後までクロイツはやってこなかった。……クロイツはな、その日、店に行く途中に川で溺れかけている少女を見かけたんだ。勇敢な彼は、流れの速い水に、躊躇いなく飛び込んで彼女を救った。だから、何時もの時間に間に合わなかったんだ」
「そっか……」
「巻き添えにならなくてよかったね」

話はこれで終わりだろう。
そう思って感想を述べる。
だが、彼の話は続く。

「そのあと、悪党が裁判にかけられた。悪党は主張した。クロイツが悪いんだ、と。彼がくれば、銃撃戦になんてならなかった。誰も死なずに済んだんだって。裁判官は、彼がその日にたまたま店に来ることが遅かったことが、この惨劇の一因であることを認めた。もちろん、彼が少女を助けたことだって、ちゃんと証言された」
「……それで?」

生気を取り戻しつつある美琴にほっとしつつ、話がおかしな方向に進んでいることを予感して、彼に耳を傾ける。

「そして、裁判官は、決定的な事実を知るんだ。この事件で巻き添えになった犠牲者の中に、ヘーゲルという名の男がいた。なんとヘーゲルは、クロイツと兄弟だった。彼とクロイツは孤児として互いに知らぬまま育った一卵性双生児だった。そんな瓜二つの兄弟が、胸に3発の銃弾を浴びて、苦しみもがいて死んだんだ。これらの事実から裁判官は迷わず判決を下した」

そこで少しだけ、間を空ける。
自分の目を4つの瞳が見ているのを確認すると、淡々と言葉を繋ぐ。






「判決。この事件の首謀者である悪党と、この事件の引き金となり、自分の兄弟が死ぬ原因となったクロイツを死刑とする。こうして、その悪党とクロイツは仲良く絞首刑になりましたとさ。めでたし、めでたし」






「……は?」
「なに、それ?」

……意味が解らない。
なんだ、その終わりかたは?

「なにか、疑問があったか?俺には、よくわからなかったが」
「……アンタ、本気で言ってんの?」
「ああ。この話、将来子供に是非聞かせたいと思うほど気に入っている話なんだが」
「からかってるのよね?」
「真面目だぞ」

そう言うと、彼は肩をすくめる。
そして、美琴の目を見て答える。

「どこが、おかしい?クロイツが遅れなければ、誰も死ななかった。現金や金塊は奪われたかも知れないがな」
「……?」
「何が、おかしいんだ。彼は罪を犯しただろう?そのために自分の兄弟も死んだんだぞ?」

真っ直ぐ、彼を見る目に、呆れたように美琴が応ずる。

「アンタ、なに言ってんの?」
「お前こそ、なにを言っているんだ?俺には、本当にわからないが」
「……なんで、クロイツが死ぬのよ?」
「彼が惨劇を起こしたからだろう」
「彼はそんなこと、全く知らなかったんでしょ?なんで死刑なのよ」
「知らなくても、彼の行動で人が大勢死んだ。これは罪じゃないのか?」

あくまで淡々と。
美琴を試すように、彼は問いかける。

「罪は、強盗を働こうと思った奴らのものでしょうが。あとはあるとしても、銃撃戦に持ち込んだ輸送車の警備くらいじゃない」
「本当に、そう思うか?」
「第一、彼は溺れた人を助けようとしたんでしょ?褒められこそすれ、何で絞首刑なのよ」
「彼の兄弟は、そのせいで苦しんで死んだんだぞ?」
「だから、関係ないでしょ?彼の全く関係のないところで、誰かが企てた陰謀の責任を何で彼が取らなきゃいけないわけ?」
「……でも、許せないと思わないか?」

彼の声にはもう演技はない。
あるのは、何時も通りの単調なトーンだ。

「彼の兄弟は死んだ。なのに、彼は自分の夢をかなえようとしている。幸せになろうとしている。……御坂、お前は許せるか?やっぱりクロイツも死ぬべきだとは、思わないか?」
「……アンタ、頭がどうかしちゃったの?思うわけないでしょ?」



ああ、やっと理解した。
私は浅かった。
私が理解なんてしていなかったことが、理解できた。



「本当に?本当に、彼は幸せになってもいいのか?」
「……本当よ。もう、やめましょ。なんだか、頭がおかしくなりそうだわ」






「じゃあ、御坂」






彼は、微笑む。
このために即時に組み上げたであろう、優しい御伽噺にフィナーレを届けるために。






「お前だって、幸せになっていいんだぞ」






「……え?」

「お前だって、純粋な善意で提供したのに、それをどこかの誰かに悪用されただけだろう?何も、知らなかったんだろう?ただただ利用された、被害者なんだろう?」


問いかける一つ一つの問いに、ざわっと美琴の髪が膨らむ。


「クロイツと、お前と、何が違うんだ?なぜ彼は幸せになって良くて、お前はだめなんだ?」


ゆっくりと、区切るように届く音に、彼女の肩が大きく上下する。


「だって」

「だって、じゃない。それともやっぱり彼は死ぬべきだと思うか?」

「……思わないよ。でも」

「でも、じゃない。思わないだろう?俺だって思わない。インデックスだって、思わない」


そうだろう?
そう問いかける彼に、はっきりと答える。
ちゃんと、美琴に届くように。


「私も、思わないよ。あんなに頑張って救った美琴が不幸なんて、おかしいから」


でも、でも。
そう言葉を探し続ける美琴の目から、涙が零れるのが見える。






なんで美琴はこんなに泣いてばっかりなんだ。
おかしいよ。
こんなに優しい、素敵な女の子なのに。
私の大事な親友なのに。
家族、なのに。






「御坂。いいか、お前は、大きな勘違いをしている」

「勘、違い?」

「そうだ。お前は取り返しのつかない過去を、まるで自分が不幸になれば変えられるって勘違いしているんだ」

「そんなこと、ないよ」

「そうだ。だってお前は、自分が幸せになっちゃいけないと信じているだろう?」

「だって。……だって、私さえ、いなければ」

「お前がいなくても、いつか、どこかの誰かが代わりになっただけだ」

「嘘、だよ」

「嘘じゃない」


当麻の顔に隠れているのは、悲しみと怒りだ。
きっと誰よりもこの理不尽に憤っているのは、彼に違いなかった。


「御坂。想像してみろ。十数年がたって、お前が母親になったとするだろ?」

「母親?」

「美鈴さんみたいにな。自分にそっくりな娘が生まれて大きくなったする。あるとき、娘にせがまれて、クロイツとヘーゲルを聞かせるとしようじゃないか」

「……」

「でも、流石にこのままじゃ話せないよな?」

「……うん」

「なら、どう変えたい?このふざけた話の結末をどう変えれば、子供に話せるんだ?」

「……え?」

「どこがおかしい?どう変えれば、娘に聞かせられる話になるんだ?」

「……」


考えてみろ。
そう言う彼の言葉に、美琴は俯く。
長い時間、考える。
そして、囁くように呟く。


「彼は、幸せになるべきだわ。悪党が滅んで、彼は好きな絵を描いて幸せに暮らしました。そうならないと話せない」

「……だよな。だったら」

「でも、それだけじゃ、駄目なの」


彼の言葉を遮って、話す声は強かった。
凜と張っていて、よく通った。
何時もの、彼女の強さ、美しさに溢れていた。


「それだけじゃ、駄目なんだ」


その目はきっと燃えるような力があったはずだ。
彼女の体にはエネルギーが漲っていた。
彼を見据えるその背中に、確かに命が満ちていた。


「彼は、決意するの。知らなかったとはいえ、悪党に殺された自分の兄弟。こんな悪を許すこの街の、学園都市の悪意を放っておくわけにはいかないって。だから」

「……ああ」

「だから、戦う。悪意を潰すために抗う。いずれ誰かに誇りを持って語れるように」


振返る彼女の目は、涙で光っていた。
でも、そこに満たされているのは既に悲しみなんかじゃない。
後悔や絶望でもない。


「だから、ごめん。心配かけてごめん。だけど、やっぱり、私は真っ直ぐ生きたい。アンタ達に迷惑かけるかもしれないけど、それでも」

「迷惑なんかじゃないよ、みこと。私もそうして欲しい。そうしてくれると、とても嬉しい」


その口元に広がるのは微笑だ。
きっと、彼女はもう大丈夫だ。
そう、確信した。






「……お前は、やっぱり凄いな。御坂」


重たい荷物を下ろしたように、息を吐きつつ背もたれに寄りかかる当麻に、彼女は小さく礼を言った。












《最終信号4》

行きつけのコンビニの前に張られた、改装のため休業する旨を記す紙をみて、一方通行は小さく舌打ちをする。
仕方なく、次に近いコンビニまでの道を歩きつつ、見るでもなく通りを見ると、昼前なのにやけに学生と思われる人が多いことに気付く。

ああ、そうか。
今は、夏季休暇中なのか。

登校する習慣などとうに忘れ去っていたために、気がつかなかった。
考えてみれば9月まであと1週間もない。
2ヶ月近くそのことに気がつかなかったのか、と我ながら呆れると、心の中で誰かが言う。

なんだ、一方通行。
周りをきょろきょろ見回すなんて、ずいぶん余裕だな。
お前、もう諦めたのか?

自分に毒づく声にため息をついて、彼は人知れず言い訳をする。

だって、しかたねェだろ。
研究者達は、何も知らねェンだから。






あの偽善者に綺麗に打ちのめされたあの日。
彼は真っ直ぐ研究所に行き、研究者に1対1で戦うのは飽きたから、前のように多対1に戻すように要望した。
そうしないなら、絶対能力進化から離脱することを添えて。

もし、学園都市がレベル6を望むなら、彼等が自分を抜けさせるわけはない。
だが、回答はあっさりしたものだった。

やめたいなら、やめろ。

もっと丁寧な言葉だったが、つまるところの意味はそう言うことだった。
それを聞いて、上条の話が本当であることが確認された。
だから、じゃあ、やめるといったのだ。
もちろん、残った妹達の身に何かあったら、関わった研究者を全部惨殺するという脅しも忘れなかった。

そうして絶対能力進化が中止されたあと、研究者を50人ほど殺さない程度に痛めつけて情報を吐かせた。
だが、有用な情報はほとんどなかった。
あったのは、寿命を延長させる技術を使って、世界中で妹達が治療されていることだけ。
あの偽善者が示した情報のほうが、まだ多いくらいだった。



結局、何も解らないままだ。
あの実験の真意も。
妹達の今後も。
自分を狙う悪意も。
何も。






だが、諦めるわけにもいかなかった。
他に、生きている目的もなかった。
だからこうして、しらみつぶしに研究所を訪問しては情報を力ずくで奪うという毎日を送っている。

だが、いつになったら、わかるのか。

ゴールの見えない戦いに、もう一つため息をつく。

仕方ねェだろ。
全部潰せば、何か出てくるだろうが。

自分に叱咤しつつ、コンビニに行くついでに足を伸ばして研究所を襲おうと思いついたのだから、彼が薄汚い毛布に身を包む不思議少女を見つけたのは、偶然に違いなかった。






一目で、変だと思った。
なんだ、あいつは。
コスプレ、ってやつか?


コスプレとは、ああいう珍奇な格好をするのだろうと適当な理解をしつつ、醒めた目で観察する。
彼女は3人の男に絡まれている。
聞こえてくる声から、彼女が前を見ずにぶつかったせいで、男の一人の持つ飲み物で仲間の服を汚したことが原因らしい。

「本当に、ごめんなさい。私、お金持ってないの」
「おいおい、この服高えんだぞ?保護者呼べよ、保護者」
「あの……本当に、ごめんなさい」
「ごめん、じゃすまねえんだよ」

あいつの自業自得だな。
そう判断して、その脇を通り過ぎる。
その耳に届く、彼女の声。

「本当に、ごめんなさいって、ミサカはミサカは誠心誠意謝ってみる」

あ?

聞こえてきたタームに振返れば、男達の間から覗く顔には見覚えがあった。
だが、おかしい。
縮尺がおかしい。

「だから……って、何だよ、お前?」
「おい、お前。……妹達か?」
「え?……おお、アナタは、ってミサカはミサカは偶然の出会いに驚いてみたり」

なんで、こいつはこんなにちびっこいんだ?
考えながら手を振るえば、殴りかかってきた男たちは綺麗に吹き飛んでいく。

「さすが、第一位って、ミサカはミサカは一応褒めてみたり」
「一応って、お前な」

無邪気に笑う彼女を見て、一方通行は軽く眉をひそめた。






電車の中で元気を取り戻した美琴は少しだけハイになったのか、駅から上条家まで全力ダッシュと言い出して。
珍しく乗り気な当麻も真面目に走ったら、二人とも自転車でも追いつけないくらいの速度になり。
周りが見えなくなって遠ざかる彼等に大声を上げて呼び止めてみれば、ごめんと笑う美琴の顔が何時も通りで、怒るに怒れなくなってしまった。

そして帰り着いた上条家。
リビングのPCに映し出されるバンクの画面を0.3秒程度で流し見ながら、私は当麻の解説に耳を傾ける。

「じゃあ、アンタは第4位が暗部だって推察しただけなのね」
「ああ」
「よかった。私、アンタも暗部なのかって、思っちゃった」
「それはよかった」
「……よくない」
「良かったんだよ、御坂」

一枚に映し出される能力者は60人程度。
既に頭の中には36120人の能力者が記憶されている。

「なんでよ」
「何度も俺に騙されているお前がそう思ったってことは、第4位だってそう思ったはずだからだ」
「……そっか」
「でも、何であいつ等が仲間だって思ったの?」
「あの金髪のスカート、動いたときに不自然に膨らみがあったからな。ああ、銃だって思ったんだ」
「……どこ見てるのよ?」
「あのな」

私は今、第4位の仲間を探している。
ファミレスを出るときに横を通り過ぎた金髪少女と、2人の少女。
記憶を元に電子で検索することはできないが、記憶を元に記憶を検索することはできる。
だったら、能力者を全部憶えてしまえばよい。
その提案は可決されて、美琴が忍び込んだバンクの情報が私の頭にコピーされているというわけだ。

「でも、とうま。なんで、第4位が美琴にちょっかい出すって思ったの?」
「それはな、あいつの上には3人しかいないからだ」
「……?」

記憶は私にとって極めて日常的なもの。
だから会話したって何の支障もない。

「あと、3人抜けばトップなんだ。その足がかりの第3位が目の前にいる。そう思ったらライバル心が刺激されないか?ちょっかい出したくなるだろう?」
「……なるほど」
「だが、あんなに暴力的だとは思っていなかった。正直、豹変振りに驚いたよ」
「……そうは見えなかったけど」

豹変振りだったら、とうまだって負けてないじゃない?
そう、ちくりととげを刺す私に、彼は肩をすくめる。

「そう、いじめるな」
「……で、アンタは何で暗部の振りをしたわけ?」
「牽制だよ」
「牽制?」
「麦野はともかく、他の3人の能力は不明だった。あの場で戦えば、お前が勝っても周りに被害が出るのは必至だった。だから麦野を止めるために嘘を付いたんだ」

美琴が騙されたんだから、きっといつも以上の詐欺師だったのだろう。
何があったのか、状況を聞けば、果たして予想は的中した。

「ね、とうま。なんで、第4位が上司に怒られたってわかったの?」
「あいつの性格。そして、完全攻撃型の能力。その2つから、きっと暴走することもあるだろうと容易に想像ができた」
「……確かに。さすがだね」
「ありがとう」

礼を言う当麻は、一口麦茶を口に含む。

「じゃあ、命令とか処分っていうのも、そういうことよね?」
「ああ。暗部ってもっと隠語を使うのかも、とも思ったがな。思いつかなかったから、そこに落ち着いた。あとは、お前が正気を失っていたからな。ショックで我に返ると良い、とも思った」
「……お蔭様です」

美琴は大げさにちょこんと頭を下げる。
自分を取り戻した彼女が嬉しくて、私は顔が緩むのを感じた。



「とうま、ファミレスを出てからのこと、説明して」
「ああ。あの場のやり取りで、麦野はきっと俺達を暗部と信じた、と判断した。その場合、彼女がとる行動は3パターン考えられた」

彼は3本指を立てながら、緩やかに説明する。

「1つ目は、正体不明の組織と争うべきじゃないということ、2つ目は正体を暴くべきだと判断すること、そして最後はこの場で殺してしまおうとすることだ」
「……うん」
「最後のは、恐らくないとは思ったがな。正体を暴くために拉致するくらいはやるかも、と考えた」
「なんで、ないと思ったの?」

彼女の破壊的な性格なら、それが一番ありうると思ったのに。

「気に入らないという理由で壊す。そんな単純な思考力しかないなら、力があっても暗部で生き残れないだろうから。あいつと話して、反応速度から頭が良いことはわかったしな」
「でも、実際に攻撃してきたじゃない?」

私の反論に、美琴が答える。

「違うの、あれは、攻撃じゃないの」
「え?」
「あれは、私とコイツの間を狙ったものなの。……きっと、悪質な嫌がらせね」

だが、彼は少しだけ首を振って答える。

「……それもあるだろうが、それだけじゃないと思う」
「どういうこと?」
「きっと、俺を試したんだろうな」
「アンタを?」
「あいつには、俺は正体不明の能力者に見えただろうから」
「……そうか」
「怖いね、第4位」

恐ろしい人だ。
第4位。
破壊的で、残酷なのに、頭が良くて、おまけに強い。
しかも、暗部に所属していて、どれだけ仲間がいるかわからない。
美琴の能力でも、直ぐには見つからないほどのセキュリティで守られた、学園都市の闇。

「でも、大丈夫だろ。あの攻撃のあと何もないってことは、俺達が暗部だって信じたってことだから」
「……なんで、それで大丈夫と思うのよ?」
「あいつは頭が良いからさ」
「……?」

不思議そうな顔をする私達に、彼は少しだけ微笑んで語る。

「あいつからみれば、正体不明、能力も規模もわからない暗部。一生懸命調べても、何の情報も出てこない。そりゃそうだ、暗部じゃないんだから」

少しだけ、間をおく。

「でも、あいつはそうは思わない。きっと高次の機密なんだ、ってそう思う。だから、手を出せない。調べること自体がリスクだから、うかつに俺達に付きまとうこともできない。だから、大丈夫だ」

大丈夫、という彼の言葉はとても心強い。
彼がそういうなら、きっとそうだ。
美琴もそう思ったからだろう。
場の雰囲気が緩むのを感じる。

「……じゃあ、私はなんでこんなことをしてるの?」
「保険、かな。万が一のために、できる限りの情報を知っておいたほうが良いだろう?」
「なくても、本気出せば私なら勝てるんじゃない?」

きっとそれは、緩んだ緊張から漏れた軽口だった。
でも、少しだけ当麻は真面目な顔になると、美琴に言う。



「御坂。俺は、お前と第4位なら、文句なしにお前が強いと思うよ」
「そう?」

少し嬉しそうな顔をする彼女に、淡々と語る。


「さっきの一撃でお前が確信した通りに、お前の能力で麦野の原子崩しを弾けるなら、あいつがお前に勝てる要素なんてない。そもそも、情報戦じゃお前の圧勝だ。本気で戦うなら勝負になるわけがないんだ」

だが。

「御坂。それでも俺は、実際に戦うならお前は100%負けると思うよ」
「……どうして?」
「お前は、あいつと戦って、あいつがズタボロになって這いつくばって泣いて謝ったとして、その頭に超電磁砲を打ち込めるか?」

予想外の彼の言葉に、美琴は驚きながらも首を振る。

「できないよな。でもあいつならやるぞ。躊躇いなく。それが、勝てない理由だ」
「……そんな」
「だから、あいつと戦わない方が良いんだ。勝てる戦いでも、負ける可能性が高いから」



でも、もう二度と会わないはずだ。
だから、心配するな。



凍りついた場の雰囲気を壊すように、彼はすこしだけ明るい声で告げる。
それに、私達も同調して、何とか笑う。






そう、もう二度と会わないはず。



このときは、確かにそう思っていた。











《最終信号5》

その少女は20001番目のクローンらしい、ということを一方通行は知る。
通行人の非難めいた視線をちらちらと浴びながら問うてみれば、培養途中で培養器から出された挙句、研究者に追い出されたということだった。
彼女に更なる質問を浴びせつつ、彼は考える。

こりゃァ、まずいな。

彼女の言っていることが正しいなら、考えられる結末は一つしかない。
それを回避するために自分ができることも、他に思いつかない。
でも、そのためには彼女は足手まといだ。

さて、どうするか?
やっぱり、一緒に連れて行くしかないか?

そう思ってふと見れば、彼女が裸足であることに気付く。

「お前、もしかして、その下って何も着てねェのか?」
「乙女に何を言わせるのって、ミサカはミサカは憤慨してみる」

目を凝らせば、彼女にいたる道に、僅かに落ちる血液。
それは彼女の足から流れたものに違いなかった。

「……しかたねェな」

彼はそう言うと、毛布ごと彼女の体を能力で持ち上げる。
不満を告げようと開かれた彼女の口は、突如として空へ連れ去られた浮遊感に、僅かに悲鳴を上げた。






当麻の話が終わったあとは、緊張から解かれた疲労感のためか、何時もよりも言葉少なく時間が流れていく。
美琴は座布団を枕に横になって漫画を見ているし、当麻はネットで何かを調べている。
私はといえば、いつものように小さなプラスチックカードに細いマジックで魔法陣を書き続けている。

魔力を使えない魔術師は不便なものだ。
僅かでも魔力があれば、環境にある場の力を誘導して術式を完成できるのに、魔力がないと途端に能力が制限される。
偶像の理論、地脈、テレズマそして霊装。
それらを使って行使する術式は、それぞれ限定した状況でしか使えない。
だからこそ、なるべく多くの状況を想定し、対応できるよう準備をしておく必要がある。

魔神と呼ばれる存在なのに、それでも人として生きたいから。
彼らと生きる時間を守るために、私は今日も魔法陣を書き続ける。

そして、また一枚糧を完成させたとき、卓袱台の上にある当麻の携帯が鳴る。
携帯に表示される名前は、酒見夢近。
今までに聞いた記憶がない名前だ。

「とうま、電話だよ」
「おう。ありがとう」

台所でパスタを作っている彼に、携帯を持っていくが途中で切れてしまう。

「切れちゃった」
「そっか。誰からだった?」
「酒見夢近、って人から。誰?」
「ああ、隣のクラスの奴だ。なんだろう」

そういいながら、彼はオリーブオイルで炒めた大蒜に醤油と生姜を加える。
そして再び鳴る、携帯電話。

「今度は、メールみたい」
「そうか。ちょっと見せてくれ」

受け取って内容を確認する彼の目が、少しだけ細くなる。

「どうしたの?」
「ああ、よくわからないメールなんだ」

示される文章を読む。
直ぐ、来い。
それだけだ。

「なにこれ?」
「さあ?ハイコンテクスト過ぎて解らないな」

そういいながら、彼は火を止める。

「だが、放っておくわけにも行かないな。昼飯、少し遅れても良いか?」
「うん、まだお腹すいてないし」
「御坂も良いか?」
「うん。大丈夫。その人近くなの?」
「ああ、それほど遠くない」

本を置いてこちらを見る彼女を、当麻は少しだけ見つめる。

「じゃあ、行ってくる」
「うん、いってらっしゃい」
「気をつけてね」

靴を履きドアのノブに手をかける、彼。
だが、その姿で動きがストップする。

「どうしたの?とうま」

その言葉にも、彼は答えない。
突然フリーズした彼に美琴も彼のそばに来る。

「どうしちゃったの、アンタ?」

すると、彼は大きく一つ、ため息をつく。
そして、振り向いて答える。

「約束、だもんな」
「……なにが?」
「ちゃんと、事前に相談する。全部、話す。勝手に独走しない。そう、約束したもんな」
「……うん」

彼はもう一つ、大きくため息を落とす。



「ごめん、嘘付いた」
「え?」
「学校の友達じゃないんだ」
「……どういうこと?」


小さく頭を下げて彼は言う。



「ごめん、酒見夢近は偽名だ。それは、一方通行のことなんだ」






どういうこと?と詰め寄る美琴に、当麻は説明した。
何時ものように、淡々と。

8月16日の朝、一方通行の元に訪れたこと。
絶対能力進化の裏にあったはずの、未知なる目的とその推測根拠。
それを調べるために、一方通行を利用している事実。

あの日私に説明したのとほとんど変わらず、美琴に話した。

「……なんで、今まで黙ってたのよ?」

美琴は怒らなかった。
悲しみもしなかった。
ただ、静かに、そう彼に聞いた。

「あのときのお前には、重すぎる。話したら潰れると思ったからだ」

静かに返ってくるその言葉に、目を瞑る。
2度、3度、大きく深呼吸をする。
そして、目を開く。
その目は、何時も通りだ。
淀みも狂いも存在しなかった。

「ありがとう。確かに、アンタの言うとおりだわ。私、きっと耐えられなかった」
「でも、今のお前なら、大丈夫だと信じた。だから、喋った」
「うん。大丈夫よ。私だって、少しだけ違和感があったから」

だって、こんなに簡単に片付くわけ、ないじゃない。
そう答える声も何時も通りだった。

「みこと、大丈夫?」
「うん。大丈夫。やるべきことができた。ただ、それだけだから。知ることができてよかったわ」

彼女が見せる微笑みは、きっと作られたものじゃない。
美琴は、乗り越えたんだ。
あの悲劇を。
それが、改めてよくわかった。

「あいつから呼び出されたってことは、何か見つけたってことよね?」
「そうだろうな」
「だったら、あいつを、ここに連れてきてくれない?」
「……いいのか?」

僅かに心配そうに問う彼に、彼女は強く頷く。

「大丈夫。もう、大丈夫よ。私も、ちゃんと聞きたいから」

そんな彼女を2秒ほど見た後、当麻は美琴の頭をくしゃっと撫でる。

「頑張りすぎるなよ、御坂」



頷く彼女をもう2秒見つめると、当麻は私の肩をぽん、と叩いて家を出ていった。
彼女は、ドアが閉まると、深くため息をついてへたり込む。
その背中を、後ろから抱きしめる。

「強いね、みことは」
「……そんなことないよ。ギリギリだったもん」
「ギリギリでも、乗り越えたみことは偉いよ」

回す手に添えられる彼女の手を握ると、私は彼女を一際強く抱きしめた。






当麻に連れられて家に上がる2人の姿がとても印象的だったことをインデックスは記憶する。

初めて本人を前にしたが、この白髪緋眼の細い男が彼女の妹達を殺めたとは、にわかに信じられない。
その隣に立つ、アルバムで見た彼女に瓜二つの少女が、作られた存在だということも受け入れがたい。

変えられない事実と、自分の認識とのギャップを強く感じる。
だが、美琴の顔を覗き見れば、強く結ばれた口が彼女の強い意思を示していた。


「よく来たわね」
「オマエが呼ンだンだろ?」
「ええ。直接話を聞きたいと思って」
「よく俺に会うつもりになったなァ」

憎まれ口を叩く彼。

「逃げる必要なんて、ないでしょ?」
「あの時、俺に負けたオマエが、良く言うよ」

その言葉に、美琴がすぅと手を伸ばす。

「あの時は、ね。今はどうかしら?」
「あァ?」

美琴に声をかける当麻に、彼女は心配しないで、と答える。

「何か?今なら、勝てるってか?」
「ええ」
「面白れェじゃねェか。じゃあ、やって」

みろ、と言う言葉は続かなかった。
彼女の指先から生まれた紫電に貫かれて、第1位は呻きながら膝をつく。

「ぐッ……な、何をした?何で、反射が効かねェンだ?」
「次、右腕行くわよ」

2秒ほど間が開き、再び電流が走る。
彼の右腕の表面を伝い、彼が再び苦痛の声を漏らす。

「わかったかしら。あんたの反射は、もう私の能力には効かないってこと」
「くそッ……」
「あんたのこと、私はいつでも殺せるってこと」

バチン、と左右の手の間に光の枝を見せながら、彼女は微笑む。

「理解できないなら、もうちょっと続けるけど。どうする?」
「……はン、上等だよ、第3位。次はきっちり弾き返して、炭にしてやるからなァ?」
「やめてよ、お姉様」

挑発する彼に、手を伸ばす美琴。
その間に、彼女の妹が立ちふさがる。






「え……?」
「もうやめて。お姉様。もう十分でしょ?これ以上、傷つけないで」

予想外の行動に、美琴も、庇われた彼も驚きを隠せない。
なぜ?
なぜ、彼を庇う?

「あんた、こいつに妹達が何をされたか、知らないの?」
「もちろん知ってるよ、絶対能力進化。その全記憶は、ミサカネットワークで共有されているから」
「ミサカネットワーク?」
「妹達の脳波リンク。情報を共有し、記憶を保存できるの」
「でも、でも、だったら、何故?」

戦慄く美琴は震える声で少女に尋ねる。
背後の少年も、呆然とその背中を見ている。

「何故って?」
「何故、そいつを庇うの?なぜ、助けるの?」
「意味が、わかんないよ」

少女は微笑みながら、両手を広げて答える。

「だって、殺されたのよ?あんたの姉妹が。1万人も、苦しんで、殺されたのよ?」
「だから?」

彼女の笑みは壊れない。

「だからって、あんた、恨んでないの?憎くないの?」
「さっきから、意味が解らないよ、お姉様」

その表情には、自虐や諦観なんてない。
あるのは心底、わからない、という疑問の表情。
それを見て、当麻の目がすっと細くなる。

「何で?……何で?」
「だって、当たり前のことでしょ?」
「……何が?」






「私達は、作り物だもん」

「殺されるためだけに作られた、偽者だもん」

「だから、当たり前なの」



あはは。



そう笑いながら、無邪気に彼女は紡ぐ。






「あんた……、あんた……何、言ってんのよ?なに、ふざけたこと、言ってんのよ?」

「ふざけてないよ」

「ふざけてるわよ。馬鹿なこと、言うんじゃないわよ」

「あーあ。さっきから、そればっかり。どうして?ってミサカはミサカはため息をついてみたり」


後ろに座る彼に振り向き、変わらぬまま、にこにこと問う。


「ねえ、一方通行。どうして、お姉様はこんなこと言うの?ってミサカはミサカは期待を込めて聞いてみる」

「あ……あ……」


パクパクと口を開くが、意味を成す言葉が彼には話せない。
そんな彼の姿に口を尖らせると、その目は当麻に移る。


「ねえ、あなたはわかる?って、ミサカはミサカは最後の望みを託してみる」

「……まあな。お前には、本当にわからないんだな?」

「うん」


力強く頷く彼女。
その勢いに、男物のワイシャツの折り返しが解けて、彼女の手が隠れる。
それを直そうとして失敗する彼女に、当麻がすぅと近づく。
綺麗な姿勢でそれを直しながら、彼女に聞く。


「なら、とりあえず知らなくて良い。ところで、打ち止め。一方通行を探していたって言ってたよな。……お前は、何がしたいんだ?」


嬉しそうな表情で彼に礼を言ってから、彼女は答える。
至極当然な、この世の真理を答えるように。






「ミサカ、とても困ってるの。実験が止まって存在価値が無くなっちゃったから。だから、一方通行に頼みに来たの」

「……ああ」

「早く実験を再開してくれるよう、頼みに来たのって、ミサカはミサカは懇切丁寧に答えてみる」






ミサカも混ざる、と主張する打ち止めにお菓子とゲームを与えて自室に監禁したあと、当麻がリビングに戻ってくる。
重く、圧し掛かるような沈黙を砕くように、彼は淀みなく一方通行に質問する。
その答えをまとめると、わかった状況は以下の通りだった。

彼女は上位固体で、他の妹達を制御できる。
彼女を含めた妹達は、ミサカネットワークと言う脳波リンクで知識、記憶、情報、演算力を共有できる。
彼女は培養途中で培養器から出された最終個体で、なぜか研究所から追い出された。
妹達は、世界中で寿命延長の治療を受けている。

それを聞いた当麻は、一方通行に聞く。

「じゃあ、お前は、研究所に行くつもりだったんだな」
「……ああ」
「そうだな。早く行ったほうが良いな。今から行くか?」
「あいつはどうするンだよ?」
「連れて行くしかない。何が起こるかわからないから」

二人の間で展開される会話に、美琴が口を挟む。

「ちょっと、待ってよ。どういうことよ?説明してよ」
「ああ、すまない」

そう言うと、当麻は美琴に向かい合う。

「御坂。打ち止めは、妹達を制御できる上位個体だ。その彼女を研究所が放逐するとしたら、考えられる理由は一つしかない」
「……何よ。なん、なのよ?」
「妹達の破棄だ。もう処分するから、制御装置だって、いらないんだ」
「……ちょっと、アンタ、なに、言ってるの?」

彼女が意味を理解するまで、しばらく間があった。



やがて、美琴は当麻の肩をつかむ。
その手は、肩はぶるぶると大きく震えている。

「アンタ、言った、じゃない。なにか、目的があるって。妹達が、必要な何かが、あるって。あれは、どうなったのよ?ねえ、どうなったのよ?」
「それはきっと事実だ。必要な何かがあるはずだ」
「じゃあ、なんでよ?」
「想像が混じる。それでも良いか?」

つかまれた手をそっとどけて、今度は彼が美琴の肩に触れる。
そっと、優しく。
ゆっくりと、届くように、言葉を紡ぎながら。

「絶対能力進化は大きなプロジェクトだ。莫大な予算がかかっていたはず。だから、それが突然中止になって、大損した研究者だって多いはずだ。わかるか?」

「う、ん」
「だから、そいつらの誰かが暴走したんだと思う」
「……なんで、そう、思うの?」

ガチガチと音を立てて顎を鳴らす彼女の肩をぽん、ぽんとゆっくりと叩く。

「いいか、御坂。打ち止めは研究所を追い出された。絶対能力進化の真意が周到に隠蔽されていることと比較して、これは余りにお粗末な手段だ。上位個体をアンコントロールの状況に置くメリットなんて、全く無い。研究所から引き離すことが目的だとしても、どこかのホテルの一室に軟禁すれば良いだけの話なんだから、この事象に合理性はない」
「……うん」
「だから、妹達を破棄するって言うのは、この計画を立てた首謀者とは別の誰かの意見だ。
だとすれば、次にそいつが取りうる行動は2通りだ」
「……何?」
「1つはそいつが本当に自暴自棄になって、破壊的行動にでること。もう1つは、そいつが妹達の破棄に伴う混乱に乗じて、最後に大きな利益を掠め取ろうとしていること。だがな、どちらだとしても、俺たちにとって好ましくない事態になる可能性が高い」

落ち着きを少しずつ取り戻した彼女の手を握り、その目を見て彼は語る。

「他の妹達を制御できる上位個体の存在自体が、妹達が確かに何かの目的で作られた証拠だ。それは、きっと彼女達を集団として制御することで実現可能な、何かだ」
「そう、だね。うん、たしかに、そうだね」
「そして、彼女が放逐された研究所には、上位個体を作れる技術がある。学園都市の真に
至る鍵がある。……それが、その暴走した研究者の手によって失われる可能性があるんだ」

はっ、と見上げる視線に、彼は頷く。

「だから、直ぐに行かないと。……一方通行、いいよな?」
「ああ」
「じゃあ、作戦を」






そういって、彼が一方通行のほうを見たときだった。
私の感覚が、近くで膨れ上がる魔力を察知する。
このマンションの1階だ。
まずい。
魔術師だ。

「とうま、魔術師だ。魔術師がいる」

弾けるように立ち上がる彼の目の前。
リビングに面する窓に向けて、魔力が登ってくる。

「とうま、窓の外だよ!」

彼が窓を開けると、そこには宙に浮かぶ魔術師の姿。
その男は躊躇いも無く、右手の霊装を引き絞ると、






「……衝打の弦」






込められた魔力を彼に向かって解き放った。











《最終信号6》

あれは梓弓を用いた風の魔術だ、とインデックスは解析する。
日本神道系の術式。
そこから生まれた衝撃波が当麻の右手に打ち消される。

この環境で使用できる魔法陣は、古代エジプト神話の太陽神の力を導くものか。
ポケットの中のカードを手探りで引き出しつつ、目の前の魔術師の解析を続ける。

「……何者だ?何故、術を破れ」

その言葉は迷い無くその懐に突き進む彼の姿に止まる。
迫る彼の右手を、風の力を借りて回避する。
そこに打ち込まれる、輝く電撃。



「この忙しいのに……何なの、こいつは?」
「インデックス、記憶にあるか?」
「ううん」

高圧電流によってあっさり気を失った彼を囲む私達。
私の指示に従って当麻が彼に右手を当て、霊装の類を全部破壊する。
突然の乱入者に気持ちがリセットされたのか。
美琴の表情が先程よりずいぶん落ち着いている。
その意味では、この不届き者に感謝といったところか。

「しばらく起きないわ。そいつの処分はあとで考えるとして、話を続けましょう?」
「そうだな……でも、ラッキーかな」
「何が?」

そう言うと、少しだけ笑って彼は答える。

「使える駒が、一つ増えたかもだから」
「……また、悪いことを考えたの?」

呆れたようにいう美琴に肩を少しだけすくめると、当麻は何事も無かったかのように窓を
閉め、飛ばされた座布団を元に戻してゆったりと座る。
私達も彼に倣って元の席に戻る。

「お前ら……一体、何なンだよ?」

魔術も詐欺師も知らない最強の能力者が、一人呆然と立ち尽くして呟いた。






そこは一見すると大きな工場のようだ、と御坂美琴は思う。
変電設備や給水、給油パイプが連なっていて、とても生物系研究に使用される研究所には見えない。
その周囲は高さ3 m程度の壁に囲まれている。
周囲に人家もまばらな場所なのに、過剰な守備が不自然だった。
だが、それはこれからやることを考えればとても好都合だった。
これなら、誰も逃げれず、誰も入らせずに事が済む。

研究所の外の壁に寄りかかり、第3位の能力を解放して通信回線と配電図を探る。

まず、周囲に存在する監視カメラの類を全部破壊する。
次に壁を砂鉄の剣で切断し、敷地内に忍び込む。
変電設備を機能停止させ、地中に走る光ケーブルを断ち切る。
ふっと研究所の明かりが消え、非常用回路に切り替わる。

次いで半径200mの電磁波をかく乱し、電波による通信を可能な範囲で妨害する。
最後に非常用回路の配電を観察し、そこにつながるメインサーバの位置を通信用魔術を使って一方通行に伝える。
上空に待機していた彼が、機能を停止した研究所の屋上にそっと降りる。

一方通行が侵入したことを確認すると、通信用魔術を使って魔術師―闇咲逢魔―に指示を出す。
彼は魔術で守衛を沈黙させた後、その門の近くの物影に隠れる。

ここまで、3分。
上出来だろう。
壁の穴を通って外に出つつ振り向けば、上条当麻はにやっと笑った。






打ち止めが追い出された研究所のスペックを確認した後、研究所への侵入プランとして採用されたのは、やはり上条の案だった。
時間が無いからそれほど吟味できたわけじゃないが、きっとこれ以上の案は無かったに違いない。

彼が立てたプランはこうだ。

まず電力、通信網、電波通信を可能な限り遮断する。
そうすれば、中にいる研究者達はパニックに陥るだろう。
そうすれば、情報の隠蔽作業をしていても、それを遅らせることができる。
なおかつ、そのパニックが外に伝わるのを遅らせることができる。

同時に、これだけの規模の研究所だ。
絶対に非常用電源がある。
だからその配線を見れば、貴重なデータを保存するサーバがどこにあるかわかるはずだ。
あとは、そこに行って情報を入手し、それを元に必要ならば情報収集の手を広げればいい。

もちろん、その間に逃げる研究者だっているだろう。
それは入り口付近でインデックスにさりげなく見張ってもらえばいい。
その場は逃がしても、それが誰だかあとで調べることができる。

この作戦に大きな異論は無く、人員の配置の話に移行したときに、彼は魔術師を起こすように私に依頼した。
電気刺激で意識を取り戻した彼から襲った理由を得意の話術で暴露させてみると、果たして彼はとある人物を救うためにインデックスの頭にある魔道書を欲したことが発覚する。

これを聞いて少し考えると、彼は闇咲と取引をする。
その人物を救う代わりに、この作戦を手伝え、と。

彼に与えた任務は、彼の能力を考えると一見それほど重いものではない。
守衛を倒し、研究所から逃げようとする研究者を足止めする。
電波妨害でカバーしきれない箇所からの通報にアンチスキルがきたら、それも制圧する。

だが、その無表情が語る説明に、この騒動が大きな問題になった場合は守衛に顔を見られた闇咲を犯人としてスケープゴートにしようとする意図が隠されていることに、私とインデックスはちゃんと気付いた。

そして、研究所への侵入という次にリスクの高い仕事も、彼がごく自然に一方通行に押し付けたため、
私達はサポート役の位置に落ち着いたのである。






「うまく、行くかな?」

使えるだけの全ての霊装を持ってきたインデックスが、ひそひそと呟く。

「大丈夫だろ。あいつは最強なんだから。監視カメラも作動していないようだし、顔を見られる前に気絶させるだろうから捕まることもないだろうしな」
「……あとは、まだデータが残っていることを祈りましょ」

一方通行突入から38分。
まだ彼から連絡は無い。
研究所の入り口からは何人か人が出てくるのが能力で視えたが、彼らはことごとく風の魔術で打ち倒された。

「ねえ、お姉様。いつになったら研究所の人が迎えにきてくれるのって、ミサカはミサカは聞いてみる」
「もう少しよ。待ちなさい」

その答えに、ため息をついて携帯ゲームに戻る打ち止めをインデックスが悲しそうに見つめる。
私はその顔から目を逸らして、小声で上条に聞く。

「ねえ、アンタは、研究者は何を考えていると思う?どうやって、妹達を破棄するつもりだと思う?」
「打ち止めを使うんだろう。……自殺させる命令でも、実行させるつもりなんだろうな」
「やっぱり、そうだよね。でも、だったらどうして彼女が追い出されたの?」

「研究所内で破棄派と反対派に分裂が起こったのか、もしくは彼女よりもさらに上位個体が研究所にいて遠隔操作できるから、彼女はそれほど重要じゃないのかもしれない」
「さらに上位?」
「ああ。彼女は上位個体と自覚しているが、実はただの中継地点なのかも知れないだろ?」

でも、情報が少なくて解らない。
そういってため息をつく彼は、少し悔しそうだった。

「結局、あいつの働きが頼りってことね」
「ああ」






その時、カシャン、と何かが落ちる音が後ろで響く。
振返れば、携帯を落とした打ち止めが倒れていく姿が目に映った。
慌てて抱きとめるインデックスの胸の中で、彼女は苦しそうに息をしている。
なんだ、なにがあった?

生体電流をチェックする。
バイタルサインには大きな問題が無い。
ただ、脳波が異常だ。
何かの処理を不自然な配列で実行しようとしているのが見える。
あのときに、佐天さんの脳波みたいに。
彼女の脳を強制的に動かそうとする、何かの力が視える。

「どうした?」
「打ち止めの、脳波が異常なの!なんだろう、これ」

それを聞いて、彼の目が小刻みに動く。

「……そういうことか。御坂、打ち止めから出される電磁波をキャンセルすることはできるか?」
「できるけど、どうして?」
「もう既に、終わっていたんだ。その暴走した研究者の企みは。打ち止めは、破滅的な何かを起こす命令を妹達に飛ばそうとしている可能性がある。だから、早く」
「……わかった」

彼女から発散する電磁波に、逆波長の電磁波を重ねて情報を打ち消す。
幾万の変化する波を、一つの取りこぼし無く全て消し去る。

「処理が結構大変よ。電波妨害の範囲を小さくしてもいい?」
「ああ。もうこれだけ時間が経っているから大丈夫だろう。そうしてくれ」
「でも、どうして?なんで、こんなことに?」
「時限式だったんだろうな、きっと。この子の脳に、書き込まれていたんだろう」
「書き込まれる?」

その問いに、彼は少しだけ目を伏せて答える。

「きっと、脳に情報を書き込む仕組みがあるんだ。そうじゃなければ、妹達は知性や判断力がない大きな赤ん坊にしかなりえないから。それを使ったんだろう」
「でも、時限式なんて。人間なのに、プログラムみたいなことって可能なの?」
「俺の脳科学の知識では原理をまったく理解できない。でも、この前のレベルアッパーだって、似たような現象を起こした。だから、それはきっと可能なんだ。……すまん、思い至らなかった」
「どうしよう、どうすればいい?」
「お前の能力で、脳の情報をいじれないのか?」

彼のアドバイスに従って脳の電流をスキャンする。
だが、それは余りにも膨大で複雑で。
私の能力では制御することができないことを知る。

「駄目。複雑すぎて、手が出せない。記憶を読むくらいはできそうだけど、情報を制御することはできない」
「……しかたない、現状維持で、一方通行が持ち帰るデータに期待するしかない」

彼女の体温が高くなる。
明らかに発熱している。
このままの状態が続くと、命令は打ち消せても彼女の体が持たない。






一方通行、早く、帰ってきなさい。
通信用魔術で呼びかけるも、返事が返ってこない。
お願いだから、早く帰ってきて。






そう祈るように上げた顔が、近づいてくる車に突然生まれた電磁波の巨大な揺らぎを捉えた。

あれは一体?

あれ?

視たことがあるぞ?

あれは。

あれは!






「やばいッ!」



私の声に1秒弱遅れて届く眩い光。
それは私の前に立ちふさがる彼によって阻まれる。



「また会ったわねぇ、第3位」



6時間前に二度と会わないことを祈った恐るべき第4位が、円形に溶けたドアを蹴り落として私達の前に姿を見せた。












《最終信号7》


先程の攻撃は、完全に殺すつもりで放たれたものだった。
能力を思うように行使できない状況で現れた最悪の敵に、背中に汗が伝っていく。
何故だ?
何故、このタイミングで現れるんだ?
時計を見ると、一方通行の侵入から40分。



まだか。
まだ、彼は戻らないのか。



「いやぁ、驚いたわ。指令があって来てみれば、見たばっかりの顔がいるじゃない?」

じゃり、と一歩彼女が私達に近づく。
その後ろから現れる、3人の能力者達。

絹旗最愛。
滝壺理后。
フレンダ=セイヴェルン。

どうする?



どうする?



「だから、お前たちが、犯人ってことで良いよぁ?この場に偶然、居合わせましたなんて、
そんなことねぇよなぁ?」

レベル5。
麦野沈利。
原子崩し。

「まあ、偶然だとしても、別にいいけどね?疑わしきは抹殺って言うしねぇ?」

にやにやと笑いながら、歩みを進める凶悪な超能力者。

「良いのか?原子崩し。俺達に手を出すと、大きな問題になるぞ?」

上条の言葉に口をゆがめて答える。

「私が一番ムカつくのは、お前だよ、お前。何で、私の能力が効かねぇんだよ?あぁ?」
「……なるほど。じゃあ、交渉決裂ってことだな?良いんだな、本当に」

ハハハ、と嗤って、彼女は吼える。

「ムカつくお前をぶっ殺せれば、関係ねえよ!カァンケイねェェんだよォォォ!!」

そういいながら収束する原子崩しを、上条が蚊を払うような軽い仕草で打ち消す。



まずい。
打ち消せるのが右手だけだってばれたら。
間違いなく、彼は殺される。

でも、今の私は戦うために能力を使えない。
いま、この手を離したら。
妹達が。



侵入から41分。
早くして。
お願いだから






「じゃあ、仕方ないな。……インデックス、十字架をくれ」

そういって差し出す左手に、彼女が十字架を投げる。

「なんだ?死ぬ前にお祈りでもするってのかぁ?」

嘲笑を無視して彼は問う。


「いくつだ?」
「……3、3、2、2、5ぐらい」
「十分だ」
「御坂、インデックス。第4位は俺がやる。お前たちは、雑魚を頼む」
「解ったわ」

左手に握られる、歩く教会。
私の胸に下がるそれよりも3ランクは弱いと彼女がいっていた霊装。
アイツの能力によって、その効力は相当打ち消される。
しかも、その効力が持つのは、計算すれば180秒。
原子崩しに通用するのかどうかは疑わしい。

そして、今の私にできることは、磁力でコインを浮かせるくらい。
このくらいのハッタリしかできない。
雑魚といわれて緊張と怒りが混じる後ろの能力者を、封じることぐらいしか。






いや、違う。
私は、できる。
私なら、第4位に勝てる。



この子を見捨てれば。
妹達を、見捨てれば。






逡巡。
だがそれは、彼の左手で断ち切られる。
後ろ手で見せるその手は、強く握られ上に親指を立てている。
大丈夫だ。
信じろ。






その意味を理解すると同時に、彼は原子崩しに静かに語りだす。
侵入から42分。






「その汚い口の利き方には、もううんざりだ。これからお前を始末するからな。お前こそ、地獄に落ちずに済むよう、せいぜい祈れ」
「なに言ってんだ、お前?……レベル5に勝てるとでも思ってんのか?」
「勝てるさ。お前よりもずっとずっと強い、第3位に勝てるんだからな。お前なんて、俺達からみれば、後ろに並ぶ雑魚となんら変わりない」

その挑発に散弾銃のように放たれる電子の洗礼。
それらを全て右手で打ち消す。

「どうした?痛くも痒くも無いぞ?」

ゆったりと彼女に向かって進む。

「ほら、出し惜しみするなよ?こんなもんじゃねえだろ?」

ひらひらと手を振る上条の姿に、彼女の顔から馬鹿にしたような笑いが消える。

「ああ、そうか。なるほどな」

その代わりに浮かぶのは、憤怒。
粉々に砕いてもまだ殺し足りない、滲み出すどす黒い殺意。

「負けたときに言い訳するためか。後ろのお仲間に、顔向けできないもんな。だって、本気じゃなかったもん、って言いたいのか?」

ぶるぶると震えだす麦野の体。
その体を中心に電磁の海が大きく歪みだす。
その姿に、彼女の仲間達ですら思わず後ずさりする。



「あーあ。……みみっちいんだよ。雑魚が」






怒声とともに、身長くらいの直径のメーザーが放たれる。
光とともに流れるように走り出す彼の右手が、それをかき消す。
驚く第4位が、彼の足元に向かって手を振る。
その手の動きを読むかのように左によけると、0.5秒前に彼がいた地面に穴が開く。

「ほらよ、三下。殺すって言ってなかったか?俺はもう、こんなに近いぞ?」

そういって、大げさに手を開いてみせる彼は、第4位まではあと10 m。
だから、それは、嘘だ。
それだけの距離があれば、彼女なら5回は彼を殺せるはず。

殺せる、はずなのに。

「ほらほら、さっきまでの威勢はどうした?あの臭い口調は、どこに消えたんだ?びびってないでなにか喋ってくれよ」
「……殺す。殺す、殺す、殺すッ!」

言葉とともに、叩きつけられる電子の光。
ゆっくりと近づく彼に、彼女は余りにも正直に攻撃している。

「……なんか、飽きてきたな。そろそろ、尻尾巻いて逃げてもいいんだぞ?」

きっと、彼女は初めてなんだ。

ここまで虚仮にされること。
ここまで馬鹿にされること。
ここまで見下ろされること。

そして、自分の能力が全く通用しないこと。

「死ね、糞が、さっさと死ねッ!」

だから、怒りで我を忘れて真正面から全力をぶつける。
よく見れば、力を打ち消しているのは右手だけだって気付けるはずなのに。
あまりに許しがたい存在だからこそ、信じる自分の力を小細工なしに全力でぶつけてしまっている。
彼が少しずつ自分に近づいてくることにも気付いていない。

「糞はお前だろ?お前のためにある言葉だろう?」

そして、5mまで来たところで、彼は急に走り出した。






侵入から43分。






先程までと、速さが違った。
最初の走り自体がフェイントだったことに、このとき気付いた。






あっという間に、彼女に肉薄する。

光を放つ彼女の右手を、彼の右手がつかむ。

光を失う右手を引いて、走った勢いそのままに彼女の鼻に自分の頭を叩きつける。

仰け反る彼女の体に自分の背中を当てると、そのまま彼女を一回転させて地面に叩き
つける。

呻く彼女の右膝間接を、彼の踵が粉砕する。

悲鳴を上げながら能力を使おうと差し出した左手を右手で捻り、間接を逆方向にへし折る。

その勢いのまま、彼の左足が、彼女の右肩を踏み抜く。

そしてドスン、と彼女の腹の上に勢いよく座ると、潰された蛙みたいな声を上げる彼女の胸倉を両手でつかみ上げる。






「よお、第4位。気分はどうだ?」






自分の鼻血に汚れ、痛みで涙塗れになっている第4位は、まだ自分の置かれた状況を理解できないようだった。

これだけ明らかな敗北をしているのに、それでも初めて人間を見た南極のペンギンみたいに呆然としていた。

その第4位の頬を、上条の左手が一閃する。


「よお。これから、お前は死ぬけど。なにか、いいたいことは?」


先程より近くなった彼の顔に、ようやく彼女の理解が届いたようだ。
その目に、少しずつ、恐怖が浮かぶ。


「じゃあ、これからお前達に見せてやるよ。俺の能力……だから、動くなよ、雑魚共」


その言葉に、彼に向かって動こうとした絹旗の動きが止まる。
自分を誰も助けてくれない、助けられない状況を理解して、彼女ががたがたと震えだす。


「た、助け」

「だめだ。お前は死ね」


彼の左手が、ゆっくりと麦野の前で開かれる。


「ちょっとばかり、時間がかかるけどな。お前ら、良いもの見れるぞ?一生トラウマ物の極秘の能力だ。体張って見せてくれるリーダーに感謝しろよな?」

「お、お願、い……助けて、助け、て」


命乞いなど聞かずに笑いながら彼女の頭に手を伸ばす上条に、裂帛の気合を轟かせて絹旗が襲いかかる。
だがそれは彼に届く前に、閃光とともに10 mほどバウンドしながら吹き飛ばされる。
振り向けばインデックスがカードを構えている。
最強の魔術師が書いた魔法陣が、窒素装甲の防御ごと彼女を吹き飛ばす。


「動くな、って言ったの。手加減したけど、次は殺すよ?」


でもそれだって、嘘だ。
あんな小さな魔法陣じゃ大したことできないって、言っていたじゃないか。
その魔法陣では絹旗を止めることは、本当は難しい。
でも、彼女は微笑む。
微笑みながら、ちゃんと凍るような声で静かに脅しをかける。


だから。


「フレンダ=セイヴェルン。銃を抜くのはやめたほうが良いわ。私の超電磁砲のほうが早いから。……それとも勝負してみたい?」


私だって言う。
できる限り平坦な声で。
回るだけのコインを見せ付けながら。
口に冷たい笑みを浮かべて。






そして。






「……なにやってンだ?」






侵入から45分。
最強の能力者が約束のタイムリミットギリギリに戻ってきた。






「見て解るだろ?こいつ等が殺しに来たから、返り討ちにしていたところだ。……話にならないくらいの雑魚だったけどな」
「……あァ?」
「研究所に侵入したやつを始末しに来たらしいぞ。それが俺達だと知らずに」
「……そいつ、ひょっとして第4位か?」
「ああ。一方通行も知っているだろ?」



一方通行、と言う言葉に第4位達に衝撃が走る。



「暗部なンだろ?」
「ああ、だが、俺達よりもずっと下部組織だ」

振返り、一方通行にウインクしながら彼は言う。

「……なるほどなァ。それは可哀想に」

聡い彼は、上条の意図に気付いて話をあわせる。

「可哀想だろ?何も知らないで、俺達に突っ込んできたんだよ。……あーあ。なんだか、醒めちまったな」



そういって、彼は麦野を離すと、彼女の上から立ち上がり伸びをする。
それは絶対的な能力を持つ者の、余裕溢れる仕草にしか見えない。



「もういいや。飽きたから、お前ら適当に帰れよ」

そういって、彼女達に背を向ける。
私達に笑顔を向けながら、5歩ほど進んで、ふと立ち止まる。

「そうだ。お前、御坂のことを馬鹿にしたっけな?忘れてた」

そう言って、振返ると再び第4位に近づく。



「やっぱり、こいつは殺そう。な、御坂?」



動けない腕と足で、必死に逃げようとする第4位に近づきながら、彼は聞く。
求める答えはわかっているから、私は答える。



「殺すまでも無いわ、放っておきましょ」
「そうか?……まあ、いいか」

そういいながら、彼は第4位に近づいてその顔に触れる。
おびえきった表情で震えながら涙を流す第4位に、そっと話しかける。

「お前さ、自分が暗部に落ちた、あの2年前の暴走を憶えているか?」
「え……?」
「憶えているか、と聞いているんだ」
「お、おぼ、おぼえて、います」
「そうか。あれさ、学園都市の上層部の仕業だから」
「え?……え?」
「お前を飼い殺しにして、使い捨てるために上層部が仕組んだことだから。これからもせいぜい頑張って、ペットとして生きろよな?」






そう囁くと、彼は行こう、と言って歩き出す。
私達の背中を追う者は、もちろん誰一人としていなかった。













《最終信号8》

守衛所前で闇咲と合流したあと、6人は上条家に帰った。
一方通行が入手した何らかのデータおよびプログラムを元に、彼が打ち止めの神経接続を操作すれば、程なくして彼女は目を覚ました。
相変わらず良く笑う、その抜け殻のような命に一方通行は複雑な笑みを浮かべると、彼女を研究者のつてで病院へ連れて行くと言う。
打ち止めが今後生きていくためには、培養器による調整が必要、とのことだった。

いつ、実験が再開されるの?

そう聞く彼女への返答に口ごもりながら、打ち止めを抱きかかえて一方通行は去っていった。
情報の共有は、ちゃんと明日行うとの約束を残して。


そのあと、私達は闇咲との約束を守るため、彼が救いたいと願う彼女の眠る病院に行くことになった。
何時ものように能力で外出許可証を偽造して学園都市を抜け出して。
電車とタクシーに揺られて彼女の元に馳せ参ずれば、闇咲があらゆる犠牲を払ってでも破りたかった
その呪いは、上条の右手によって容易く砕けた。
目覚める彼女を抱きしめる彼の姿を見ているのが気まずかったので、私達は早々に病院を後にした。






「なんか、疲れたね」

電車に揺られて、早くも眠そうな顔をするインデックスがぽつりと呟く。

「そうだね。こんなに疲れたのは、初めてかもね」

朝5時に起きて、麦野達で2回、一方通行で1回。
自分の命が危ぶまれる時間を3回も過ごした。
闇咲も入れるなら4回だ。
これで疲れなかったらどうかしている。

「ああ、疲れたな。今日は早く寝たいな」

一日徹夜でもほとんど変わらない上条も、流石に人の子だったらしい。
その表情を見れば、疲労感を見て取れないこともなかった。

「アンタ、今日も大活躍だったわね。……本当にありがとう」

ガラガラの電車に揺れる中吊広告を見ながら、3%ほどの思考力で礼を言う。

「そうでもない。今日一番活躍したのは一方通行だろ」

一方通行。
今日の朝までは、二度と耳に入れたくない、二度と思い出したくない名前だった。
でも、なんでだろう。
疲れているからだろうか。
今は、それほど、嫌じゃない。

「そうだね、あいつ、頑張ったね」

私のことをちらりと横目で伺ってから、彼は応える。

「ああ」

私の返事を聞いて安心したのだろう、インデックスが上条に聞く。

「とうま。私、不思議なことがあるの」
「なんだ?」
「なんで、一方通行は、実験に参加したのかな?なんで、途中でやめなかったのかな?あんなに後悔しているのに、どうしてだろう」
「そうだな。俺にも本当のことは良くわからないよ。でも、惰性、だと思う」

今日の役目を終えて光を失いつつある赤い太陽を見ながら、彼の話に耳を傾ける。

「あいつは、最初は抵抗したんだ。でも、途中で抵抗することを諦めた。そして、とうとう流されたんじゃないかな」
「惰性、か」
「流されて、流されて。そして、気付いたら自分がとても遠くまで来てしまったことに気付いたんだろうな」

それを聞くと、インデックスは上条の手を握る。
彼の左手を両手で包むように握り締めて、少しだけ俯く。

「どうした?」

「私、分かるの。流されて諦めてしまう気持ち。そして、あるとき自分が全然遠くにいることに気付く、絶望。それが、とても怖いの」
「そうか……、そうだな。俺も、わかるよ。そうだな、怖いよな」

私も、それがとても良く分かる。
惰性で生きて、孤独を気取った振りを続けた2年間。
そこから解放された今だから、それが分かる。
だから、私も彼の右手を握る。
彼女がするみたいに、両手でしっかりと。
もう、そこに戻らなくて済むように。

「私も、分かるよ。あいつを許せるわけじゃないけど、でも、分かる」

電磁の海を見失う代わりに、私の視界には車窓越しに広がる赤い海が見える。
今日という日は二度とは戻らない。
今と言う時間は、今、失われていく。
なぜか、それを強く感じる。

「……きっと、分かることが大切なんだよな」
「そうだね。分かれば、今を生きれるもんね」

同じ景色を見て、同じことを考える。
こんな愛おしい時間ですら、きっといつかは消えていく。
風は去り、季節は去り、山も、海も、この星ですらいつかは失われる。

「でも、辛いんだね。生きることって。何かを得れば、いつか失う怖さがある。でも何も得なければ寂しくて生きられない。……なんで、私達は生きているんだろう」

それは赤色に縁取られる景色が残した感傷だった。



だから、そこから生まれた問いに、その場の誰も答えることはできなかった。







8月27日。

一方通行からフィードバックされた研究所内での出来事のあらましをまとめると以下の通りであった。

彼は打ち止めの脳に悪質なプログラムを植え付けられた痕跡をサーバから発見した。
IDから植え付けた研究者を拘束して締め上げたところ、彼はあっさり計画を吐いた。
彼は外部の研究機関の差し金で、打ち止め経由で世界中の妹達に殺戮を行わせようとしたらしい。
打ち止めの上位命令文を拒否できる個体は存在しないから、実行されれば大変なことになっていた。

そこまで聞いて彼を気絶させると、彼はサーバ内の機密データをさらに深くまで探った。
その結果、追加で分かったことは3つ。
1つ目は、打ち止めは妹達の演算を一定の方向に制限および制御する能力があること。
2つ目は、打ち止めが許可することで、妹達以外も、彼女等の演算力を利用することが可能であること。
3つ目は、その能力を使って、「ANGEL」と暗号化されたプロジェクトが計画されていること。

結局、分かったことは妹達が絶対能力進化ではない、何かの目的のために作られたということだけだ。
それ以上は見つけることができなかった、そう一方通行は自虐的に締めくくった。

「いや、得られたものは大きい。暗号化された計画があるという事実が前進だし、それが研究所にあるということは、その計画の根拠となる実験があったことを意味する。そこを起点に何か分かるかもしれない」

そういうと、上条は一方通行がダウンロードしたデータを検索するように言う。
それに応えて情報を探るが、めぼしいものは出てこない。

「……じゃあ、ANGELに関与した研究者のリストは出るか?その研究者の過去の研究内容を付き合わせれば、何か浮かぶかもしれない」

その提案に応えて、リスト一覧を作成する。
保存されているデータ内で関与している可能性がある研究者は25人。
彼らの論文や学会発表の要旨を網羅的に集めるプログラムを組みつつ、そのリストを流すと。

「……ねえ、なんでこいつの名前がここにあるの?」
「こいつのこと、知ってンのか?」






一方通行が指を刺す画面には、木山春生の名前が映し出されていた。












《最終信号9》

バンクから木山のデータを引き出してみれば、彼女は何故か保釈されており現在アンチスキルの監視対象とされていることが分かった。
幻想御手事件の被害規模を考えれば保釈されているという事実は不自然であり、彼女が裏の情報を知りうることの傍証であるかのようにみえた。
一方で彼女のことは一応面識があり、アンチスキルが見張っているとなれば何かを企んだとしても実行への抑止力になるだろう。
じゃあ、話を聞きに行ってみよう、ということで私達3人は一方通行も交えて木山のもとを訪ねることにしたのである。






そこは一見すると寂れた病院のようだった。
だが電磁の目で見てみれば、彼女一人が生活するには大きすぎる電力が消費されていることがわかった。
アンチスキルの監視網を電波障害で抜けて忍び入る。
壁紙のあちこちが破れた通路を奥に進むと、敢えて壊さずに放置した監視カメラを見たのだろう、木山春生は直ぐに私達の前に現れた。

「これは驚いた。私の計画を潰してくれた3人に、第1位じゃないか」
「お久しぶり。ちょっと話を聞きたくて来たんだけど、時間ある?」
「……無い、といっても帰らないのだろう?入りたまえ」

彼女に促されて、応接間に入る。
少し古いが、置かれている調度はどれも良いものであるように見えた。

「で、なにかな?」
「単刀直入に聞くわ。ANGELという計画に聞き覚えはあるわよね?」
「……ANGEL?……ああ、そうか。だから、第1位がいるのだな」
「そうよ、あんたも知ってるのね?妹達」
「ああ」

横目で伺えば、上条は出されたコーヒーを一口飲みつつ、じっと木山の顔を見ている。
その目は、彼の全知能を働かせて情報を読み取ろうとしていることを示していた。

「私達は、まあいろいろあってその計画の名前にたどり着いた。これについて、知っていることを教えてくれないかしら?」
「……これは恐らく重大な機密事項だ。知ることは危険だと思うが」
「……恐らく、とは?お前は知らないのか?」

そこで上条が口を挟む。

「私は直接関わっているわけではない。その計画の基礎理論、技術の一部を参考に、私の実験を行っただけだ。……ANGEL計画から私にたどり着いたなら、彼らは私の実験結果を参考にしたのだろうな」
「お前の実験とは幻想御手事件のことだな?」
「……そうだ」

打ち止めの反応が類似していたからもしかして、とは思っていたが、まさか本当につながるとは思っていなかった。

「お前がこんなに早く保釈されたのはそのためか?」
「さあ、それについては私も知らない」
「お前は何故、ANGELの基礎理論にアクセスできたんだ?」
「私が以前所属していた研究室が、それは酷いものでね。そこにいるときに、偶々見たのだよ」

彼の目が小刻みに動く。

「お前の知っていることを話してくれないか」
「……話して私に何のメリットがあるんだい?」
「……この状況で拒否できンのかよ?」
「私の喋ることが本当である保証は?そして、たとえ君達の能力で記憶を見れたとしても、その中にある意味まで完全に理解できるかな?」

彼女は一方通行の脅迫にも平然と答える。
あれだけ大きな事件を起こせる犯罪者なのだ。
生半可な精神力のはずは無かった。

「質問を変えよう。お前は幻想御手事件を、何のために起こしたんだ?」
「……何故そんなことを聞くんだい?」
「樹形図の設計者並みの計算力を俺達も提供できるから」

その言葉に、木山の表情に驚きが走る。

「……冗談だろう?」
「いや、本当だ」
「どうやって?……ああ、そうか、確かにそうだな」
「ああ。……どうだ、内容によっては協力しても良い。もちろんANGELについて話してもらう引き換えだがな」

彼女は20秒ほど彼の顔を無言で見つめたあと、黙って頷いた。






病院の地下室。


置き去り、という悲しいコードで呼ばれる彼等がとある実験で昏睡状態になった。
木山は彼らをどうしても助けたかった。
だから、そのために幻想御手事件を起こした。
生命維持装置の中で眠る子供たちの前で、木山は淡々と語るのを御坂美琴は黙って聞いていた。
それを聞いた上条は、彼らのことを調べてよいかと木山に尋ねる。
首肯する彼女を見てから、彼は一方通行に言う。

「打ち止めのときみたいに、お前の能力で何とかならないのか?」
「……こりゃァ、ちっと手がでねェな」
「何故?」
「こいつ等、繋がってンだよ。全員で一つになっちまってる。誰か一人だけを弄るとリンクがおかしくなって全員死ぬかもしれねェ」
「逆に、一人から全員を助けられる、ということか?」
「そォだがよ。昏睡原因を解析しつつ、全員分の脳を弄るなンて演算力は到底ねェぞ」

演算力か。
それなら協力できるかもしれない。

「だったら、私が助けるわよ。あんた、ベクトル操作で私と思考をリンクできるでしょ?
足りない分は私が代理演算するから」
「いや、それでも足りねェよ」

それを聞いて上条は考える。

「妹達を外部演算にする、ってのは使えないか?」
「リアルタイムで解かなきゃいけねェからな。演算力が膨大すぎて、演算式の分割と結果の統合だけで俺のキャパを超えちまうンだ。脳の神経が焼けちまう」
「そうか……」
「まァ、他のアプローチで地道に攻めるしかねェだろうな」
「……木山。樹形図の設計者の演算力があれば、解決できる見込みはあるのか?」

だが、隣で聞いていた木山は呆然と答える。

「……今の君達の話が、本当ならば。……私が立てていた仮説が、誤りだったということだ」
「……そうか」
「現時点では、策は無い。……全く、思いつかない」

そう言うと、彼女はよろよろと近くの椅子に座り込む。
その姿は、御坂の心に突き刺さった。






その姿は、とても哀れだった。
非道な実験の果てに、眠り続ける彼らの姿も哀れだった。

きっと彼等は、妹達と同じだった。
ひょっとすれば一方通行とも重なるかもしれなかった。



何故だ?
何故、こんなに皆苦しむんだ?
何故、私は救えないんだ?



目の前に助けるべき人がいる。
救いを求める人たちがいる。

それなのに、私には何もできない。
何も。






……馬鹿言うな、御坂美琴。

あんたは、いつからそんなに弱くなったのよ?






突然響く、私の中の私。






あんたは、頼りすぎなのよ。



あの噓つきに頼りすぎなのよ。
あいつがいつも助けてくれるから。
あいつがいつも考えてくれるから。



いつの間にか、守られることに慣れてるのよ。
守られていることに、流されているのよ。



私は、あのとき自分を狼だって思ったんでしょ?
あいつに飼われた犬じゃないんでしょ?



だから、考えろ。
自分の頭で。
考えるんだ。






ほら。






……答えは、あるじゃないか。






きっと、できる。
これなら。
私達なら。












木山の隠れ家を後にしたのち、私は3人に自分の思いついた解決策を話す。

それは当然のように反対された。

インデックスはその計画が私にもたらす現象について強調し、最後には泣いて反対した。
上条は他に解決策を思いつかないことを認めつつも、最後にはやめてくれと頭を下げた。
一方通行は信じられないものを見るかのように、私のことをじっと見つめていた。

でも、私は譲らなかった。
だって、私は決めたから。

抗う、と。
いずれ誰かに誇りを持って語れるように、戦うと。






8月29日。
培養器から出されて体が安定した打ち止めは、迎えに来た一方通行達をみて少し期待した。
これでちゃんと動けるようになったのだ。
ちゃんと使えるようになったのだ。
だから、ひょっとしたら実験を再開してくれるかもしれない。

果たしてそれは、その通りだった。
これから彼等がすることに協力すれば、実験を再開するよう働きかけると、一方通行もオリジナルも約束してくれた。

協力内容は、一方通行とオリジナルとを繋ぐ、中継地点となること。
そして、ミサカネットワークにオリジナルを登録すること、外部演算として妹達を使わせること、そして妹達の上位命令行使権をオリジナルに一時的に委託することだった。

上位命令行使権の委託は、自分が機能停止すると判断した場合以外には行うべきではないとは思ったが、実験を開始されればどうせ同じだし、良いかと思って受け入れた。



一方通行に連れて行かれたのは古い病院の地下室。
彼等はこれから昏睡する子供たちを目覚めさせるために演算を行うとのことだった。
一方通行だけでは演算力が足りないため、彼はベクトル操作で脳波の読み取りと神経回路を組みかえる作業だけを行い、その解析はオリジナルが行うよう分担するらしい。

オリジナルは何故かこの場に来なかったが、特に興味は無かった。
ミサカネットワークに繋がれば、情報は共有できる。
そのうちのいくつかのパーツが消えたとしても、総体としてはなんら影響が無い私達。
彼女はその一つに組み込まれたのだから、その存在価値だってその程度のものだ。

『じゃあ、打ち止め、上位命令行使権の委託をお願い』
『分かったよ、お姉様』

頭の中で命令文を飛ばすと、無価値から、無価値へと権利の委譲が行われる。

こんな面倒なことをしてまで、誰かを助けようとする、その意味も意義も分からぬまま、
私は自分に背を向けて立つ最強の能力者を黙って見つめた。






人払いの魔術によって、昼間にもかかわらず無人となったとある公園。
その一箇所に展開された魔法陣の上に、御坂美琴は立つ。
既に泣きそうになっているインデックスをもう一回抱きしめて。
既に泣きそうになっている上条当麻にもう一回抱きしめられて。



彼女は一つ大きく息を吸うと、その目を閉じた。












《最終信号10》(完)


眠り続ける子供たちの一人に一方通行が触れるのを、打ち止めは見ていた。
上位命令行使権をオリジナルに譲り渡した今、私の存在価値は本当に空っぽだ。
生まれたままの空虚な気持ちには、祈るような顔をする木山の姿にも、何も感じなかった。

『じゃあ、一方通行に触れてリンクを開始して』
「ほら。手ェ貸せよ」

言われるままに彼の背中に触れる。
彼と超電磁砲が、私を介してつながる。

『じゃあ、はじめるわよ』

電磁波越しに彼女は呟くと、唐突にミサカネットワークの負荷が急上昇した。






「何これ?」


リソースがどんどん侵食される。
妹達体の思考ルーチンが制限され、束ねられた演算量が一点に集中する。
他ならぬ、彼女達のオリジナルに。


でも、こんなことをしたら。


『あああああァァァァァァァァァッッッ!』



私を通過して一方通行へと流れていく瀑布のような演算結果に悲鳴が混じる。

なんてことを。

そんなことをしたら。



『ぐッ……ぅ……』



共有した感覚で、彼女の脳神経のあちこちが断線するのを感じる。
自分と同じ質の脳を1万人分束ねているのだ。
ただ、それらに一方的に計算させているわけではない。
リアルタイムで帰ってきた結果を解析し、再計算の指示を出しているのだ。
人間の耐えられる負荷のわけがない。


なのに。



『うぅぅ、ぅあ…………ううぅ』



既に焼け切れているはずの脳なのに。
彼女の能力は止まらない。
何故?



「あいつを回復させてるンだ」



感覚を、思考を、脳がつながる彼から返事が返る。



「回復?」

「魔術、だ。あのシスターが、壊れる端から回復させてるンだ」



魔術。
何度も見た、不可思議な力。
しかし。
物理的に治っても、この苦しみに精神が死んでしまうのではないか。
そんなことを、思ったとき。







『…………ッアアアッッ!!』



突然、オリジナルの腕に裂け目が入った。
次いで、足から血が吹き出す。
その共有された視覚に、クオリアとして突如流れ込む苦痛に思考できなくなる。
一体、なにが?
何が、起こった?



「学園都市の能力と魔術ってのは、相性が悪いンだとよ」



相性?



「同時に一つの体に流し込むと暴走して、体のあっちこっちが大爆発してしまうンだとさ」



地面に撒き散らされた血液が、逆戻しの映像のように彼女に戻る。
腕の傷は見る間にふさがっていく。
同時に吹き飛ぶ、彼女の耳。



「でも、治る。それでもあのシスターなら治せるンだと」



砕かれる足。
断ち切られる腕。
引き裂かれる心臓。
潰される眼球。



その全てを治癒するのと引き換えに、他の何かを壊されて。



「そうまでして、こいつ等を救いてェって言うンだ。あいつ等、頭おかしいと思うだろ?」



それでも、苦痛に吼えながらも、彼女は止まらない。
演算はますます力を増し、私の思考にも影響が出てくる。
その結果を受け止めて実行するだけで、第1位の処理能力は限界に近い。
人の身を引き換えに彼女が行使している演算は如何ほどのものだろう。



でも、何故だ。



何故だ……。






「なあ、最終信号。嗤っちまう、話だと、思わねェか?」


……何が?


「俺は、レベル6に、なりたくて。なりたくて、なりたくて、あンなにお前たちを殺したってのに」


……うん。


「そして騙されたって思って。絶対能力進化なンて嘘だったって信じて、実験を潰したのに」


……うん。


「俺は、それでもやっぱり騙されてたンだ。あの、偽善者に」


……なんで?


「だって、やっぱり実験は正しかったじゃねェか。妹達を使って、ちゃンとできたじゃねェか」


……ああ。


「レベル6が、できたじゃねェか。今、あの場所に厳然と存在するじゃねェか」


……そうだね。






気付けば、彼は震えていた。

その顔に浮かぶのは、絶対の畏敬と、深淵の恐怖。
自分の全てを一吹きで消し去れる、その猛々しく輝く姿にガチガチと顎を鳴らしながら。
その異形で苦痛に満ち満ちた姿に、腹の底まで怯えながら。

彼は震えていた。






でも、何故なんだ?
なぜ、ここまでできるんだ?






生まれた問いに答えるように、私の頭に響く絶対能力者の声。






『打ち止め、妹達。……うぅぅ、……見なさい。ちゃんと見なさい』



沸騰する血液に身を焼かれ、内側から崩壊する骨を軋ませながら、彼女は言う。
身に余る苦痛に唇を噛み切りながら、それでも彼女は続ける。
集約された情報を、溶けて還るその脳で処理して。



『私は、生きている。今、生きている。生きている、のよ』



彼女から受け渡される情報の激流に、飲まれ沈む小さな布のようなものが見える。
拾い上げれば、それは彼女の記憶。



そこに隠された、彼女の苦悩。
レベル5として科せられた重荷。
オリジナルとしての、彼女にしかわからない絶望的な苦しみ。



『これは、私の意志。私の命。私がしたくて、やると決めて、選んだ時間。私の生き方』



そして、それらと溶け合い、交じり合う感情。
理解し理解される、そんな優しさ。



『私は、決めた。その子達を、助けるって。あんた達を助けるって、決めたんだ』



彼女の前に立つ、銀色の少女を知る。
ぼたぼたと泣きながら、それでも詠唱を紡ぐその口。
それがどうしようもない孤独に何度も歪んだことを知る。



『あんた達のためじゃない。私のため。私が、私であるために。今、私がここにいるために』



同時に、理解する。
彼女の微笑み。
彼女の温もり。
与え、与えられる喜びが、渾然一体としてそこにある。



『生きることは、決めること。生きることは、つながること。生きることは、響きあうこと』



彼女の横に立つ、黒髪の少年を知る。
彼女の名前を呼び続けながら、流れる涙が溢れるその目。
それが信じがたいほどの絶望と諦観に満たされていたのを知る。



『あんた達は、確かに、今まで生きてなかった。でも、見なさいよ、あんた達だって、今、つながっている』



同時に、理解する。
彼の優しさ。
彼の眼差し。
互いに信じられるその奇跡が、その中でちゃんと輝いている



『あんた達は、今、その子達を、救っている。私と繋がり、そいつを通して、その子達の命を救っている。あんた達は、今、生きている』



私は知る。
オリジナルと、私の姉と彼等の間にある共鳴を。



共に生きる苦しみと、別離の恐怖と、互いを救いきれない無力感。
その間を幸せが補完する、不協和音の命の響きを。



『あんた達は、今、ここに居るんだ。居なきゃ誰かが不幸になるんだ。代わりなんて、だれもいないんだ』



羨ましい。
ふと、心に浮かぶ、言葉。



『だから、あんた達のことだって、どこかで誰かが待っているはずだ。一人一人を』



だったら。



『私、みたいに。誰かが絶対に待っているんだ。それに、早く気付きなさい』



……ひょっとして、目の前に居るこの背中も?






「……アナタは、どう思う?」



感覚を共有し、記憶を分け合う最強の能力者に聞いてみる。



「アナタは、生きてる?……アナタはあんな風に生きたい?」



滝のような汗を流し、懸命に子供たちの眠りを解こうとする、私達の殺戮者に問う。



「アイツ等は、馬鹿だ。信じられねェくらい、馬鹿だ。馬鹿だと思ってたが、ここまでとは思わなかった。あンな生き方、できるわけねェだろうが」



……うん。



「あンなに不器用に、あンなに苦しンで。あンな生き方、損じゃねェか。大損じゃねェか」



私も、そう思うよ。



「信じられねェよ。あンなの、信じられねェよ」



でも、なんで。
なんで、嘘を付くの?



「嘘じゃねェよ」



嘘、でしょ?



「嘘じゃねェ」



解るよ。
だって、つながっているから。



「……嘘じゃ、ねェ」



解るよ。



ちゃんと。












「……俺だって」



うん。



「俺だって、……俺だってッ」



うん。



「俺だって、ああなりたかった。損でもいい、苦しンでもいい。誰かに認められて、誰かに寄り添って、それだけでいい。そんな人生を、生きたかった」



……うん。



「こんな、糞みてェな人生、嫌なンだ。俺だって、寂しいンだ。俺だって、苦しいンだ。俺だって、辛いンだ」



…………うん。



「俺だって、俺だって、生きてェよ。生きていて良かったって、死ぬほど苦しンだって、いつかそう思いてェよ」



生きたい。
命を。
この命を、満足に使いたい。

その資格なんて、ないけれど。
そんなこと、とっくに解りきっているけど。

それでも。
諦められないンだ。

どうしても。










ふと、彼の姿が揺らいだ。
それが自分の顔を伝う液体のせいだって、少し遅れて理解した。
そうか、これは、涙か。

上流から押し寄せる激流と、下流からさかのぼる濁流に押しつぶされて、
ひしゃげた私の心に生まれた、小さな小さな感情。






憎い。

彼が、憎い。

私達を殺した、奪った彼が憎い。






憎悪に任せて、無防備な彼の首に後ろから腕を回す。
私の細い腕が、そっと彼の首を拘束する。






でも、哀れだ。

なんて、哀れなんだ。

なんで、こんなに小さな背中なんだろう。






彼の背中を温めるように、私の小さな体を彼の背中に押し付ける。
流れる情報が増して呻く彼に、もっと、もっと近づく。






そして、愛おしい。

私達を救おうする、この殺人者が。

僅かだけれど、何故か彼が愛おしい。






突如生まれたカオスの感情を包んで、私はそっと彼の耳に囁く。






「ねぇ、一方通行」

「……なンだ?」

「ミサカ、アナタが憎いよ。沢山殺したアナタが憎いって、今はそう思うよ」

「……そォか」



そっけなく響く声と歪む表情に、満足と憐憫を感じる。



「ね、一方通行。ミサカ、これからも、アナタをきっと許せないよ?」

「あァ。当たり前だろ」

「でもね、不思議なの。何故なのか、自分でもわからないの」



私につながる姉の心と、私につながる1万の妹達の揺らぐ魂。
ともすればその中に埋もれそうになりながらも、私は、私の意志を見つける。



「アナタを許せないのに、アナタに笑って欲しいの」



矛盾と混乱に溢れる、私の気持ち。



「アナタを苦しませたいのに、悲しむアナタを見たくないの」



ラジオノイズみたいにざわめく、この感情。






「アナタが憎いのに、アナタのそばにいたいの……ミサカ、どうすればいいかな?」






盲目なのに勝手に歩き出し始める、産まれたばかりの私の命。






「……俺にもわかンねェよ」

「……そうだよ、ね。ミサカにもわかんないから」

「でも、居たいなら、いいンじゃねェか。居れば」



選ばれた言葉は単純だ。
なんの捻りもない、ステレオタイプな単語の羅列。



「ミサカが一緒だと、きっとアナタは大変だよ?」

「構わねェよ。そうしたきゃ、そうしろ」



声に含まれている感情だって、とても不器用だ。
それはきっと、私みたいに矛盾に満ちているに違いない。



「アナタのこと憎んでいるのに?そんなミサカといても、いいの?」

「憎まれることには、慣れてるからな」



でも、私は、理解している。
情報の海に溺れそうになりながら、生まれた感情に彷徨いながら。
それでも私は彼をつかんでいる。



「本当に、いいの?」

「お前の人生だ。お前が決めれば、それでいいンじゃねェか?」



そして、彼は私から離れない。

突き刺す憎悪に怯えながら。
引き裂く敵意に傷つきながら。
自分の矛盾に迷い戸惑いながら。

それが、孤独の代償か。
それが、罪の償いか。
それが、彼の優しさか。
それとも、ただの気まぐれか。
それも全然わからないけれど。



それでもなお、彼は私のそばにいる。



涙で濡れる私の前に、涙を流す彼がいる。






「いいの?もう、引き返せないよ?返品なんて、できないよ?」

「なに言ってンだ、お前」



私の前に、彼の命がある。
壊したい、守りたい、彼の命が。



「俺は、一方通行だ。……引き返すつもりなンて、端からねェンだよ」



私の命の前に。



いま、確かに。












8月31日。
人生の中で最も濃密な夏季休暇の最終日は晴天だった。
あれだけ頑張ったのだ。
そして万事丸く収まったじゃないか。
だったら、このくらいの御褒美があっても良いだろう。
そう思えば、輝く太陽は自分のためにあるような気がしてきた。
そんな不遜な感想を持ちつつ、御坂美琴は目を細める。

「やっぱりここは涼しいね」

木々の間を通り抜ける風に深呼吸をしつつ、隣の銀色少女が微笑む。

「学園都市にもこんなところがあるんだな。知らなかった」

その隣にいる黒髪少年も、気付けば心地よさそうな顔をしている。
彼の後ろには、私達の新しい自転車。
色違いの、御揃いのマウンテンバイクがベンチの後ろに並んでいる。
右手を見れば、私達の通ってきた道。
せっかくセッティングしたのに、彼等は途中で引き離されたようだ。

「あいつ、遅いわね」
「まあ、仕方ないだろ。2人乗りだし」
「本当に、能力を使ってないみたいだね」

サイクリングに超能力を使うなんてありえない。
第1位のくせに、そんなことも分からないのか。
……なんて、意外と単純な彼の性格を焚きつけたのは、失敗だったか。

「途中で転んで怪我してないよね?」
「……じゃあ、俺が見てくるよ」

上条が立ち上がって自転車に手をかけたところで、曲がり角から白髪少年が現れる。

後ろに座る少女の楽しそうな声援を受けながら、右に左に若干よろめきながらも彼は進む。
汗をかきながら、息を上げながら、それでも彼は前を見ている。

まあ、あいつらしいかな。

そう思いつつ声をかければ、ようやくこちらに気付いたのだろう。
こちらに一度大きく傾いた後、ふらふらとベンチの前まで彼の自転車はやってくる。

「オマエ、ら、早すぎ、るン、だよ。ちったァ、手加減、しろよ?」

その声に返す、3者3様の言葉。

「あんたね、挑発に乗りすぎ」
「そこまで頑張らなくてもよかったのに」
「能力だって才能だからな、適度に使えば良いんじゃないか」

3つの同じ意味の言葉に、眉を吊り上げる学園都市最強の能力者。
その後ろから挙がる、黄色い声。

「アナタは日常生活で能力に頼りすぎなのって、ミサカはミサカは指摘してみる」



四面楚歌。
孤軍奮闘する気も起きなかったのだろう。
彼はため息をつくと、自転車を立てかけるとベンチに座り込む。

「疲れた。マジで、疲れた」
「楽しいね、ってミサカはミサカははしゃいでみる」
「楽しくねェよ。お前は乗ってただけだから良いだろうがよォ。……あァ、足が痛ェ。背中も痛ェ」
「……じゃあ、電気マッサージしてあげようか?」

彼の呻きに少し紫電を光らせてみれば、やっぱり打ち止めはその前に立ちふさがる。



「お姉様。これ以上、苛めないで」



あの時と同じ顔で。
あの時と同じ声で。

でも、もう彼女は違うんだ。
彼女はもう、変わったんだ。

矛盾に満ちた命を、彼女は生きようとしている。
矛盾に満ちた彼と、一緒に生きようとしている。

だから。



「そうだね。そいつを苛めると、あんたが帰れなくなっちゃうもんね」



私だって、違うんだ。
私だって、変わるんだ。

流されずに生きるために。
誰かに誇りを持って語れるように。






そう思って空を見上げれば、超音速機の雲が一筋、どこまでも青い空を引き裂いていった。



[28416] 正体不明 (改訂)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:46
《正体不明1》

9月1日
昨日は高まる緊張感と期待になかなか眠れなかったことをインデックスは記憶する。
なにせ、明日から憧れの学生さんになれるのだ。
学校に行って、友達ができて、授業を受けて、帰りにアイスクリームやクレープを食べて。
そんな日常の代名詞みたいな時間のなかに、私も加わることができるのだ。
なんて、幸せなのか。
そう思ったら、もうどうしようもなかった。
そんなわけで何時もの通り彼の部屋を尋ねて助けを求めてみたが、昨日は初めて当麻の御伽噺を最後まで聞くことができた。
せがんでもう3話話してもらって、4話目の途中あたりで記憶がなくなったから、そこでようやく眠りにつけたらしかった。



カーテンを開けて、朝の日差しを導く。
外を見れば、昨日と同じ快晴だ。
窓の外から眺めれば、昨日電車に乗ってサイクリングしにいった公園近くに立つビルが僅かに見える。

よし、頑張るぞ。

気合を入れると、昨日の夜に10回は確認した鞄を片手に、彼女は自室のドアを開けた。






美琴を寮に送るために何度も通っているので既に通いなれたものだが、今日は光景が違う、とインデックスは思う。
周りを見れば、制服に身を包んだ人、人、人。
各々の学校に所属することをその服で主張しつつ、たくさんの人がぞろぞろと道を行き交っている。

そうか。
制服も良いなあ。
明日からは制服にしたいと当麻に主張してみようかな。
なとど自分の歩く教会をちらりと見て考える。

しかし、その羨むべき衣装を身にまとう顔を観察すれば、夏季休暇ボケなのだろう、どことなく無気力でやる気がない表情を浮かべている人が多いことに気付く。
まったく、自分の漬かっている幸せのありがたさに、気付いて欲しいものだ。

そんな具合に学園都市では日常的な、でも自分にとっては非日常な時間にきょろきょろと回りを見ながら歩いていたら、段差に躓いて転びかけたところを当麻に救われる。

「大丈夫か?」
「うん。ありがとう」

そういって見上げる彼の制服姿はとても新鮮だ。
出会ってから彼が学校に行く姿は一度も見ていなかったが、やはり彼もこの街の学生なんだということを改めて実感する。
そんなことを思いながら前を見れば、こちらは見慣れた制服姿の女学生を見つけたので、大きく手を振ってみた。

「おはよう、みこと」
「おはよう。あんた、やっぱり歩く教会にしたのね」
「うん。でも明日からは制服が良いな」

そういって、ちらりと当麻を伺うが、その答えは予想通り。

「お前が学校に通うことはイギリス清教が知ってるからな。歩く教会がずっと家にあったら、探索されたとき不自然だろ?たまに外に抜け出すために、いつもは着ていたほうが良い」

まあ、そうだよね。
それは、わかっているけど。

「膨れるな。家でさんざんお披露目会したじゃないか。神裂に写真を送ったら、狂乱してたぞ」
「……なんだ、とうまの携帯の壁紙にするために撮ったのかと思ってたのに」
「しない」

そういう当麻のポケットから、美琴が携帯を抜く。

「じゃあ、何を壁紙にしてるのかしら?……って、べた塗りの黒じゃない」
「アイコンが見やすいだろ?」
「アンタらしいわ」
「お前は?」
「わたしは、ほら」

そういって見せる彼女の携帯には、8月22日に旅掛さん、美鈴さんと私達3人で撮った写真が映っている。
いい写真だね、といいつつ、私も携帯を見せる。
そこにあるのは、昨日一方通行に撮ってもらった、3人で自転車で併走する写真。

「あいつ、写真撮るのうまいじゃない」
「ベクトル操作で光子を制御するから絶対ぶれない、って言ってたな」
「すごいね、第1位って」
「能力の無駄遣いよ」

そんな雑談をしているうちに、常盤台と当麻の学校の分岐点についてしまったので、少し寂しげな表情を浮かべる美琴に手を振って彼女を見送った。






とある学校の教室。
HR開始のきっちり20分前に到着した上条当麻のもとに、迷える子羊たちがわらわらと集まってくる。
その期待に満ちた眼差しに真意を悟って、彼は鞄から彼等が求めるものを出す。

「上条、いや、上条様。あの、もし、できましたれば……」
「言わなくていい。あと20分あるから、貸すよ」
「ありがとうごぜえます!御奉行様!……よし、野郎共、ブツは手に入れた。行くぜ!」

そういいながらコピー室に走り去る彼等を静かに眺めた後、彼は綺麗な姿勢で席につく。

「カミやーん。元気にしてた?光り輝く夏休み、うはうはアバンチュールの1つや2つあったんやないか?」
「久しぶりだな。アバンチュールか……そういえば沢山あったな」
「なんやて?」
「「なんだと?」」
「「なんですって?」」

彼から聞こえてきた不穏当な回答に、ガタン、と席を立ち突如として彼の周りに詰め寄る生徒達。
そんな彼等に、彼は淡々と言う。

「アバンチュールと言っても、本来の意味だ。冒険ってことだが」

その回答に、なんだ、いつものことか、と何事も無かったかのように彼等は席に戻っていく。

「カミやん、驚かせすぎやで。……そんな冗談言うなんて、吃驚したわ。本当になにかあったんやないの?」
「まあ、無いこともない……というのも冗談だ」

再び距離をつめようとする彼等が、また椅子に戻る。

「まったく……で、何人くらい助けたん?」
「そうだな、10000人以上だな」
「……冗談やろ?」
「冗談だ」
「本当に変やで、カミやん」

その言葉にかすかに微笑む彼を見て、驚く青髪ピアス。

「本当に、変や。……さあ、何があったか、白状してもらおうか。どんなロリや?どんな未亡人や?どんな落下系ヒロインや?」

そう詰め寄る彼の頭に、教科書の角がヒットする。
頭を押さえつつ彼が不満そうに後ろを振り向けば、そこには腕を組んで胸部を更に強調した女生徒の姿。

「馬鹿なこと朝っぱらから言うな。……ちょっと上条を借りるわよ?」
「吹寄……世界史はきついで……」
「あんた、上条の宿題に群がってなかったけど、大丈夫なんでしょうね?」

その問いに、綺麗な笑顔で答える青髪。

「あははー。当たり前や。全部、家に置いてきたで。そうしないと、小萌先生が叱ってくれ」

帰ってくるのは、皆まで言わせずに額に叩き込まれる彼女の鋭い頭突き。
クリーンヒットを食らって崩れ落ちる彼を一瞥して、上条が問う。

「で、俺は何をすればいいんだ?」
「転校生の机を準備してって小萌先生から頼まれたの。手伝って」
「ああ」

床に倒れて痙攣する彼には目もくれず、二人は準備室に急いだ。






HR開始時間となり、壇上にある彼女専用の台の上に立って、ざわめく生徒を静めるべく月詠小萌はバンバンと机を叩く。

「静まれー、者共ー。ちゃっちゃとHRを終わらせて、始業式に行きますよー」
「先生、土御門は?」
「お休みの連絡は受けてませんー。もしかしたらお寝坊さんかもしれませんー」


復活した青髪ピアスの質問に小萌は首をかしげて答えた後、クラスに爆弾を落とす。

「さて、皆さんー。ビッグニュースがありますよー。今日から、新しいお友達が増えますー」

ええ?
男ですか?
女ですか?
と盛り上がるテンションに、彼女はウインクをして答える。

「おめでとう野郎どもー、残念でした子猫ちゃん達ー。転校生は女の子ですー」

おおお、とどよめく生徒達の間で一人静かに座る上条に、小萌は口を尖らせて聞く。

「上条ちゃんは、どんな子だろー、とか、やったーとか無いんですかー?」
「いえ、ありますよ」
「あるようには先生には見えませんー」
「今、教室の外にいるんですよね?転校生。あまり騒ぐと、入りづらいのでは?」

そのペールなトーンの言葉に、ぴたりとざわめきが止まる。
半年前なら、なに醒めたこと言ってんだ、と野次が飛んだかもしれないが、最早彼が人助けマニアとの異名をもつ善意の塊であることは誰もがよく知っている。
確かにそうだよなあ、可哀想だよなあ……と納得して、立ち上がって口笛を吹いていた彼等はおとなしく席に戻る。

「……そうですねー。先生も煽っちゃいましたねー。でも、よく気付きましたねー」
「いえ。こういう時どうなるか、予想がつきますので」
「……まあいいですー。では、転校生に入場してもらいましょうー」

彼のよくわからない発言に疑問符が浮かぶ生徒達の前に、転校生がおずおずとその姿を見せた。



生徒達の納得は表層だけだったらしい。
うおおおおおおおおおおお。
と先ほどよりも大きなどよめきに、転校生がびくっと震える。
それを机をバンバン叩いて小萌は静めつつ、教壇の横に立つよう誘導する。

「ほらほら、落ち着けー、落ち着けー。転校生の紹介をしますよー。まず、お名前から言ってもらいましょー」

その言葉に促される、彼女達。

「……姫神秋沙です」
「I、I、I、Index-Librorum-Prohibitorumです」

物怖じせず皆を静かに見る姫神と、全身が固まっているのが明らかに見て取れるインデックス。

「姫神ちゃんは、なんとあの名門、霧ヶ丘女学院からの転校生ですー。一方インデックスちゃんはイギリスからの留学生。転入試験で満点をとった天才シスター少女なのですよー」

更にヒートアップする生徒達。
最早自力で静めるのは不可能と判断したのだろう。
小萌の目配せを受けて、吹寄が一番前で踊り狂う青髪を振り向かせると、鋭いパンチを腹に叩き込んで鎮圧する。

そして、パンパン、と手を叩くと一言。

「で、次は誰?」

その様子を見た、銀色少女が呆然と呟く。

「学校生活って、思っていたより過激かも……」







打ち止めが家に来てから、生活のリズムというものに縛られるようになったと一方通行は思う。
三食の食事と、夜は寝るという制限。
それがあるだけで、まるで普通の人のような生活時間に活動が制限されるのだ。


そんな彼女は、朝から上条家に出張している。
彼等は今日から学校なので、上条達と遊んでいるというわけではない。
単純に、一方通行の家にはテレビが無いため、朝の時間にやっているとあるアニメを見せてもらいに彼の家にお邪魔しているのだ。

しかし、合鍵は貰っているし上条も別によいといっていたが、いつまでもそういうわけにもいくまい。
決して彼女を独占したいとか、彼に懐く姿に嫉妬しているというわけではないのだ。
なぜかそんな言い訳を自分にしていることに気付いて、一方通行は頭を掻きつつ家を出た。






駅前のデパート内で適当に購入したTVをベクトル操作で持ちつつ、一方通行は自宅への道をのんびり歩く。
すっかり人通りが絶えた道。
住民の大部分が学生であるから、今の時間に通りで見かけるのは大人か、もしくはスキルアウトくらいなものだ。
いや、あと、暗部もあるか。
そう考えれば、誰にも遭遇しないのが平和というものだろうと彼は思う。
でも、そこでふと疑問が湧く。

それならこんな時間にテレビを持って歩いている俺は、一体何なのだ?
大人、ではない。
スキルアウト、でもない。
暗部、でもない。
ならば、俺は一体何をやってるのだろう。
これから、どうやって生きていくのだろう。

今まで考えたことも無かった自分の将来にふと思いを寄せてみて。
予想外にそれが深く重いテーマであることに気付いて、そこから逃げようと視線を上げてみれば、彼の目が非日常を捕らえる。






彼から700mほど。
真っ直ぐ通る3車線道路の一部が閉鎖されている。
そこに、15人ほどの人が倒れている。
……あれは、アンチスキルだ。

そしてその傍らに立つ奇怪な服装をした女の視線がこちらを捕らえたことに、彼は気がついた。












《正体不明2》

数日前の自分なら、きっと通り過ぎていたと一方通行は思う。

彼女が何者であるかは分からない。
大人か、スキルアウトか、暗部なのか、それとも自分みたいなイレギュラーか。
だが、状況から見てアンチスキルを制圧したのは彼女だろうし、倒れている彼等を見れば彼女の暴力性が容易に見て取れる。
このまま放置すれば、彼女は更に破壊行為を続けることは間違いないと思われた。



面倒臭ェなァ。
あの偽善者の事件を呼ぶ才能が、俺にも伝染ったのかァ?



ため息をこぼしながら彼女に向かって歩き出せば、その周りの地面が不可思議な動きをする。
亀裂が入り、チーズみたいに裂けてアスファルトが盛り上がる。
そこに周囲から出鱈目に瓦礫が集い、みるみる形を作っていく。
それを見て、彼の目が少し細くなる。



ありゃァ、能力者じゃねェよな。
魔術か。



魔術なんて酔狂な存在を信じざるを得ない目にあってから5日。
認識した途端、世界は隠す意図を放棄したのだろうか。
まったく、なんて面倒なことだろう。
そう思いつつ、買ったばかりのテレビを壊さないようにベクトルを調整しながら、突然彼は加速した。






足の裏にかかるベクトルを調整する。
同時に加速度を制御して体にかかる負荷を調整する。
更に自分が押しのける空気の加速度を操り、倒れているアンチスキルを吹き飛ばさないようにする。
瞬間的に音速に達した彼は巨大な石像に肉薄し、そのままの勢いでそれを貫く。
そして、驚く顔を作らせる時間を与えず、魔術師をつかむと、運動の方向を垂直に変えて更に速度を上げる。
死なない程度に、しかし意識を失う程度の急激なGをかけられた魔術師は、すぐに動かなくなる。



そのまま超音速で空を移動して学園都市の外れまでくると、彼は高度を下げた。






緊張がまだ解けず、ギクシャクとした動きで始業式から教室に向かいながら、インデックスは考える。

当麻が、冷たい。
近くに居るのに、私とあまり話してくれない。

顔は覚えても、名前もまだ知らないクラスメートが多く、私の歩く教会のためか、はたまた日本人じゃないこの風貌のせいか、遠巻きにされている気がするのに。
ちょっと寂しい気持ちになっているのに、そういうことに敏感なはずの彼が今日に限って私に構ってくれない。
わいわいと騒ぐ喧騒の中、急に独りになった気がするが、件の彼は大分前を歩いているので駆け寄ることもできない。

薔薇色に思い描いていた学校生活が、突然色褪せたような感じがして肩を落としてため息をつくと、姫神秋沙が声をかけてくる。

「貴女も。この学校に、転校してきたの?」
「う、うん。イギリス清教にとうまが頼んでくれて。でも、びっくりしたよ、あいさが居て」
「私は。吸血殺しじゃなくなったから。前の学校に居られなくなったの」
「そっか……。あの、これからも、よろしくね」
「よろしく」

8月13日に私達の仕出かしたことを代表で謝った当麻に、驚いて、泣いて、笑って、そしてその頬を張った右手が差し出される。
私もその少し冷たい手をそっと握る。

「わたし、学校生活って初めてなの」
「貴女は。留学生って言ってたけど」
「それは形だけなの。だから、色々教えてね」
「上条君に。教えてもらえばいんじゃない?」
「とうまは冷たいの。なんだかわからないけど」

そう言って彼の背中を睨む私を見て、彼女はしばし考える。
そして、ああ、そうか、と言って彼女は私から離れていった。






今日は新学期早々大変な目にあった、と始業式の眠い話を聞きながら御坂美琴は回想する。
何とか適当に話を作って説明したが、あれで納得してくれるだろうか。
式が終わったらまた質問の嵐なのかなあ、などと思いつつ、2ヶ月前と比べて自分と周囲の距離感がぐっと近づいたことに気付いて、少しだけアイツに感謝していたりもする。



朝、教室に入ってみれば、クラスの喧騒が急に冷えるが良く分かった。
その異常な状況に一瞬足が止まるが、まあそのうち分かるだろうと気を取り直して席に着く。
そんな私に、己の運命を呪うかのような沈鬱な顔で話しかけるクラスメート。
今思い返せば、彼女はくじ引きかじゃんけんで決まったに違いない。

「あ、あの。御坂、さん?」
「おはよう。どうしたの?」

彼女の表情に大きな疑問が残るが、私はもう壁を壊すと決めたのだ。
今までみたいなそっけない態度に見えないよう、最大限優しく聞こえるような声で尋ねてみる。
そのトーンに少しほっとしたのか、彼女は問う。

「あの、これはあくまで噂なんですけど」
「うん」

水を打ったように静まり返る教室。
電磁波の目で視れば、教室の扉の外に他クラスの生徒の姿も見える。
そこでようやく、私の答えに皆が注目しているということが理解できた。

「その……なんていうか」
「……大丈夫よ、教えて?」

優しさを維持しつつ、緊張感が高まるのを感じる。

妹達のことがばれたのか?
彼女達の何人かは学園都市で治療を受けていることはミサカネットワークで知っている。
そして彼女達がちょくちょく病院を抜け出しては、貪欲に知識と経験を積み重ねている事実も知っている。

だから、いずれ妹達のことはばれるはずだと思っていた。
だが、こんなに早いとは。

「えっと、ごめんなさい。そのですね」
「大丈夫。緊張しないで」

さて、どう答えよう。

「聞きたいのは、その、か、か」
「か?」

機密をはぐらかしつつ、穏当に納得できる回答は、一体。






「か、彼氏さんの、ことです!」
「……は?」

彼氏さん?

「皆、知ってるんです。御坂さんがお付き合いしている人が居るって」
「はい?」
「寮の門限も守らないし、そのあ、あ、朝帰りしたりして彼氏さんと会っているってことも」
「……え?」
「お店の前で抱きしめられてたって、目撃情報もありますッ」

え?
え?
えーっと?

「お、ね、え、さ、ま!はっきりおっしゃってくださいまし」
「え?……黒子?」

混乱した頭で回答を探しているところに、突然現れた黒子に抱きつかれて思考が飛ぶ。
胸に頭を擦り付けながら泣き出す彼女を強引に引き離すが、彼女は血の涙を流すような形相で私に迫る。
そういえば、最近ちょっと彼女はおかしかった気がする。
良く分からない殺気を感じつつ半歩身を引けば、彼女が吼える。

「お姉様、死なばもろともですわ」
「ちょっと、なんでいきなり死ぬ前提?落ち着きなさいよ」
「問答無用!」

テレポートで背後に回るのを予測して前に逃げつつ、予想通りの行動をとった彼女を電撃でしとめる。
痙攣して気を失う彼女に額の汗を拭えば、周囲から集まる視線のベクトルに気がつく。

「それで。御坂さん。詳しく、教えてくれますよね?」
「へ?」
「教えて、くれます、よね?」
「……はい」

そのベクトルを代表して背水の陣で望む彼女に、頷く以外の選択肢など無かった。
そんなわけで、周囲の生徒達の注目の中、質疑応答の時間が始業式まで続いたのである。






今日も面白かった連続アニメ劇場に大満足して家に帰ってみれば、一方通行の姿は無かった。
携帯電話もテーブルの上に置きっぱなしだから、彼と連絡を取ることもできない。
突然一人になってしまってなんとなく寂しくなった打ち止めは、自分の携帯電話を持つとマンションを出て一方通行を探すことにした。

探す、といってもそれは散歩に近い。
あれ、こっちにいるかも。
あ、こっちから電波を感じる。
そんな直感に従って、分岐点を適当に曲がりつつ歩いているだけだ。

しかし、そんな散歩も20分もすれば飽きる。
やっぱりマンションに帰って、上条さんの家でテレビでも見よう。
そう思い返して帰ろうと思うが、案の定、自分がどこに居るのか全く分からなくなった。
大通りに出れば分かるかも、と思って近くの通りに出てみれば、負傷したアンチスキルが何人も救急車に運ばれて行くのがみえた。
その周りには、アスファルトの地面がたわむように抉れ、瓦礫が飛散していた。

その異常な光景に恐怖を感じて、身を翻して走る。
走って、走って、一度後ろをみて誰も居ないことを確認して、または走ろうと思ったとき。
道の脇から出てきたその人に、私は全力でぶつかった。
重量差で飛ばされてしりもちをついた私に、彼女は慌てて駆け寄る。

「……大丈夫?」
「……なんだか目がチカチカするって、ミサカはミサカは呻き声をあげてみる」
「え?本当?どうしよう、しっかりして!」

視線を上げれば、心配そうな顔。
その顔に、笑顔を作って答える。

「うん。大丈夫だよ。ぶつかってごめんなさいってミサカはミサカは頭を下げてみる」
「ううん。ごめんね、わたしも良く見てなかった」

ぽんぽん、と服の汚れを叩いてくれる彼女に、私は問う。






「ありがとう。ミサカは、打ち止めって言うのってミサカはミサカは自己紹介をしてみたり」
「打ち止めちゃんね。私は、風斬氷華。よろしくね」



そう言って差し出されたその手は、確かに温かかった。












《正体不明3》

学園都市の外れにある森林公園まで飛んできた一方通行は、その木々の間に着陸した。
右手には買ったばかりのテレビ。
左手には珍妙な格好をした魔術師。
その両者を地面に置くと、彼は少し考える。



……まァ、コレが順当だわなァ。



2秒ほどで結論を出すと、彼は未だ意識を取り戻さない彼女の額に、そっと手を当てる。
無傷で守り通した家電から感じる日常とでも言うべきものに、少しだけ苦笑しながら。





孤独と感じていたのは結局大きな勘違いであった、とインデックスは実感する。
始業式が終わり自分の席に座った瞬間、波のように四方から押し寄せる学生達。
目を白黒させて当麻に助けを求める視線を送ろうとするも、人の壁に阻まれて彼を見ることができない。
では、唯一の知り合いである姫神はどうかとサーチするが、彼女の周りにも人だかりができていて救いは望めないことが魔力の目でよく分かった。
どうしよう、どうしようとおろおろする私の目の前で、明らかに人間には許されていない髪色をした少年が、度を越えてにこやかに喋りだす。

「いやあ、ほんま、生きててよかったわー。こんな天才シスター美少女をリアルの世界で見れるなんて、神様ってやっぱりおるんやね」
「引っ込め、青ピ。神様が居ても、お前には天罰しかくれねえよ」
「お前が出てくるとおびえるだろ。代われよ」
「そうよ、ほら、吃驚してるでしょ?」

四方八方からの総攻撃にも、彼の笑顔は変わらない。
なんて幸せそうなんだろう、とその晴れやかな表情にうっかり見とれる私に、怒涛のような質問が注ぎ込む。

「ね、留学生だよね?イギリスのどこから来たの?」
「留学って、能力開発関係?イギリスにも学園都市みたいなところあるの?」
「こっちにどのくらい居られるの?住むところ決まった?」
「やっぱり英語すごいんだよね?なにか、しゃべって?」
「ていうか、日本語通じる?えーと、Can you understand me in Japanese?」
「おお、発音良いじゃん、吹寄。通訳、通訳」
「……ごめん、やっぱ無理。上条は?あいつなら大丈夫でしょ」

質問は全て記憶しているが、回答するのはこの口一つだ。
とりあえず日本語は話せるし理解できることを告げれば、彼らの勢いが鰻上りに高まる。
家は?家族は?趣味は?好きな食べ物は?
その嵐を制御することができずに、私はついに彼に救いを求める。



「とうま。助けて」



すると、私のその短い言葉に、突然喧騒が止まった。
ざざっ、と人の群れが割れ、窓の近くに立つ彼と私の間に道ができる。
なに?
一体、なに?
そんな疑問に答えるかのように、天国から地獄に落ちたような顔で例の青髪が言う。


「……カミやん、どういうことか、説明してもらえるか?」

突如として豹変する彼、いや周りを取り巻く彼等の雰囲気についていけない私を尻目に、彼はすぃ、と窓際まで歩くと、カラカラと窓を開けて空気を入れ替える。

「上条、なぜ、お前が下の名前で呼ばれているんだ?」
「上条くん、納得行く説明が欲しいわ?」
「……皆、奴を囲め。絶対に逃がすなよ?」

彼の退路を立つべく、殺気立つ学生達が幾重にも半円状に彼を取り囲む。

ああ、そうか。
当麻と私の関係が、誤解されたのか。

理解が追いつき、昨日美琴達と打ち合わせたストーリーを再生する。

「あの、違うの。私ととうまは、その」

だが、その言葉は彼が落とした爆弾によって打ち消される。

「インデックス、皆に教えてあげたらどうだ?……お前は俺と一緒に住んでるってことを」

そう言うと、なにぃ?と声を上げて詰め寄る彼等を避けて、彼はにこっと笑顔を私に見せると窓の外に飛び降りた。






「……飛びやがった」
「おい、青ピ、追いかけろ」
「無茶いわんといてよ?ここ3階やで」
「お前ならいける。大丈夫だ」
「そのアホみたいな回復力は何のためにあると思ってるんだよ?」
「ここで飛ばなきゃ、お前の存在価値ってなんなんだよ?ただの豚になりたいのか?」
「……何で皆、そんなに冷たいん?第一飛び降りたかて、カミやんが本気で逃げたらボクに追いつけるわけ無いやんか」
「クソッ、なんで今日に限って土御門は休みなんだ?」

窓から外を見つつ歯噛みする男性陣。
一方、女性陣はといえば、呆然とした面持ちでひそひそと囁きあう。

「……いま、笑ったよね?」
「うん、笑った」
「私も見た。笑えるんだね、上条くん」
「私も、初めてみた」

わけも分からないうちにぽつんと取り残された私は、すぐに今後の彼等の予測行動に気がついてそっと席を離れようとしたけれど、それはやっぱり間に合わなかった。






ほぼ同時刻。
始業式という束の間の休憩時間を間を挟み、質疑応答時間は再開されてしまったと御坂美琴は思う。

上条当麻とは遠い親戚で、小さいころからの幼馴染。
インデックスはやはり上条の親戚で、学園都市に留学するにあたって彼と同居することになった。

要約すればそんな会話で何とか切り抜けようとしたが、そうは問屋がおろさなかったらしい。
スタンガン並みの電撃にも直ぐに復活した黒子は、始業式の間にそのエナジーを最大限高めたのであろう、哀れなクラスメートに取って代わって、私の審議を取り仕切っていた。

「お姉様。親戚とはいえ年頃の殿方の家に入り浸るなど、言語道断ですわ」
「入り浸るって、そんな」
「……ここにお姉様の行動記録があります。なになに、8月17日、彼の引越しを早朝から手伝う。8月18日、彼とカラオケボックスで日付を越えて楽しいときを過ごす。8月19日、彼とボーリング場で楽しいデート……ふふ、うふふふ……」
「な?なんで、それを知ってるのよ?」
「お姉様。ジャッジメントを甘く見てもらっては困りますわ?」
「それって職権乱用よね?そんなところなの?ジャッジメントって?」

にやり、と笑う顔が怖いわよ、黒子。

「勘違いなさっては困ります。あ、く、ま、で、職務上の監視の中に、たまたまお姉様が映っていただけですわ?」
「嘘よね?それ、絶対嘘よね?」
「まあ、初春がどうしても協力したいと言ってきたので、やむを得ず力を借りたところもありますが」
「初春さんも?大丈夫なの?ジャッジメント」

擦り切れた笑いを浮かべつつ私のプライベートを読み上げるツインテールに電撃を飛ばすが、今度は空間移動で避けられる。

「そうそう、最近殿方が一人、増えましたわね?」
「……え?」
「白髪の、整った顔をされた方のようですが……何者ですの?」
「えーっと」
「一緒にサイクリングに行くほど、親密な関係のようですが」
「アンタ、何者なの?流石に怖いわよ?」

そんなこんなで私を吊るし上げる裁判は、第1位と知り合いになったという驚愕の事実に混乱する場を私がそっと抜け出すまで止まらなかったのである。






その輝くような白さの修道服さえ見えなくなった彼女と、彼女を取り囲む過熱した学生たちを姫神秋沙がぼんやりと眺めていると、彼女の携帯電話がメールの着信を知らせる。

鞄から取り出して内容を見れば、差出人は上条当麻。
内容は、教室の外に出てくれ、とのこと。

後ろを振返れば、薄く開いた教室のドアから彼の姿がちらりと見えた。
全ての注目を彼女が独占しているから気付かれることは無いだろうが、それでもそっと足を忍ばせて外に出れば、彼が少しだけ口角を上げて言う。

「ごめんな、姫神。お前のインタビューの邪魔をした」
「いい。どうしたの?」
「せっかくだから学校を案内しようかと思って」
「そう。じゃあ。お願いしようかな」

綺麗な姿勢で歩き出す彼に従って、構内を案内してもらう。

ここが能力開発室。
ここがAIM拡散力場測定室。
ここが力学的実験室。

学園都市の学校ならありふれた施設を巡りつつ、彼と色々な話をする。
彼にあってからの、私のその後と、私にあってからの、彼のその後を。
そして、購買部脇の自動販売機でおごってもらったサイダーを片手に中庭に出ると、彼と並んでベンチに座る。
空を見れば、どこまでも澄み切る青。
ここのところ朝晩が涼しくなってきているから、夏の空が見られるのもあとわずかだろう。

「姫神、お前、明るくなったな」
「そう?」
「ああ。表情が変わった気がする」
「そっか。……きっと。詐欺師に騙されたからかな」

何とはなしに彼が呟く言葉に、何とはなしに言葉を返す。

「悪かったよ。本当にごめん。……あのとき、俺はちょっとおかしかった」
「あのときだけ?」
「けっこう言うな、お前。じゃあ、あのときは特に、だ」
「……なんで?」
「きっと、心が不安定だったんだと思う。感情の変化を、理性が理解してなかった」

理性の固まりみたいな彼に似つかわしくない台詞に、思わず彼の顔を見る。

「なぜ?」
「……変わりたい、と思う気持ちと、変わってはいけない、と思う気持ちがぶつかってたんだろうな」
「……そう。じゃあ。私と同じかもしれない」
「そうか。……お前は、変われそうか?」
「……多分」
「良かったな、姫神」

そう言う彼は、微かだけれどちゃんと笑っている。

「貴方は。変われそう?」
「多分な」
「……どうして?」
「詐欺師に騙されたからじゃないか?」
「貴方が?」
「ああ。俺が」

目の前から空へと飛び立つ雀を、彼は目で追う。
つられて私も、空の青に目を移す。



「……お前は、生きていけそうか?」
「……うん」
「それは、良かった。本当に、良かった」



何気ない口調で聞かれたから、何気ない口調で答える。
すると、彼の手が私の肩をぽんと叩く。
だから私は、少しだけ微笑んで彼に教える。

「貴方のお陰じゃないの。小萌のお陰」
「あの人は凄いからな。信じて間違いない」
「うん。本当にいい先生」
「ああ」
「……私。将来、能力で苦しむ子供を助けたい。だから、ここで小萌に学ぼうと思ってる」
「いいことだ。頑張れよ、姫神」

彼の笑顔が少しだけはっきりする。
その顔に、先ほど見た彼の顔を思い出す。

「貴方は。とても過保護なのね」
「何がだ?」
「あの子とのこと」
「ああ。……そうか。気付いたのか」
「うん」
「気付かれないように、派手な退場をしたんだがな。騙されてくれなかったか」
「その前から。知っていたから」
「そうか。一本取られたな」
「たまには。良いと思わない?」

そうだな。
そういいながら、彼は少し背伸びをする。
穏やかな時間の流れにうっかり小さな欠伸を漏らせば、目ざとい彼はやはり微笑んだ。






下校時間を合わせたのに、もう15分も待たされている、と御坂美琴は思う。
置いてけ掘りの妖怪みたいにしがみ付く黒子を振り切って、何とか時間に間に合わせたのに。
待っているのも退屈だし、このまま学校まで迎えに行こうか。
そう思っていると、通りの角から待ち人が現れた。
でも、おかしい。
なんだか二人の間に距離があるような。
そう思って声をかけてみれば、二人同時に手を振りかえしたかと思うと、銀髪少女が上条をキッと睨む。

「すまん、遅れた」
「いいわよ。どうしたの?」
「いや、クラスの連中がインデックスを離してくれなくて」

そんなことを彼と話せば、私と彼との間を裂くようにインデックスが割り込んでくる。
そして彼のことをお尻で突き出すと、彼女は私の手を取って言う。

「とうま!私はみことと二人きりで話すから!先に行って!」

その剣幕に、了解と呟いて彼は歩き出す。
その後ろ、10mくらいの距離を保ちつつ、ぷりぷり怒る彼女をなだめながら聞いてみる。

「ね?一体なにがあったの?」
「とうまが、今日はひどいの。冷たいの。ちっとも助けてくれないの。せっかくイギリス清教が同じ学校にしてくれたのに、全然つれない態度をとるんだよ、みこと」

怒り心頭といった口調で話す彼女をなだめつつ話を聞き出せば、大まかな事情は分かった。



まったく、過保護だこと。
でも、賢い彼女のことだ、直ぐに真意に辿り着くだろう。
だが、せっかく悪役を買って出たのだ。
ここでばらすのは無いよなあ。



そう思ったけれど、可哀想だったので少しだけ彼に助け舟を出す。

「インデックス。アイツもね、ああ見えて、思春期なのよ」
「……だから、何?」

彼の肩を持つ発言に気付いたのだろう、彼女が口を尖らせて聞く。

「だからね、きっと恥ずかしいのよ」
「恥ずかしい?」
「あのくらいの歳の男って、人前で女の子とべたべたするのが恥ずかしいの。男らしくないって思うんじゃないかな」
「とうまが?」
「うん。アイツだって男なんだから」

そう、アイツだって男なのだ。

「……今まではそんなの無かったのに」
「学校って、そういうところなのよ」
「そうなの?」
「そうよ」

彼女の無知に付け込むようで少しだけ気がとがめる。
許してね、インデックス。

「そっか。……でも、なんか、納得行かないよ」
「しょうがないって、一時の病みたいなものよ」
「うー」
「まあまあ。で、学校はどうだった?」
「最初はどうしよう、って思ったけど、すごく楽しかったよ。友達も沢山できた」
「よかったね。順調なスタートじゃない」

その言葉に頭を撫でれば、直ぐに笑顔に変わる彼女が愛おしかった。
そんな後ろのやり取りを聞いていたのか、いなかったのか。
先を進む彼が、道端のクレープ屋に近づく。
それをみて、ずるい、と隣の少女が走り出す。
何時もの3人に戻れそうなことに少し安堵の息を漏らしつつ、私はその背中を追いかけた。






風斬さんはとても優しく穏やかな人だ、と打ち止めは思った。
異常事態から離れるように手を引いて駅のほうに向かっても、彼女は特に理由も聞かずについてきてくれた。
そして少しだけおびえた私に、喫茶店で美味しいパフェをご馳走してくれたのだ。
知識として存在は知っていたが、こんなに甘く溶けるものだとは思わなかった。
あまりの感動に、ミサカネットワークで味覚を共有してしまったほどだ。
そして、美味しい、美味しい、と連呼する私に微笑みながら頷いてくれる優しい彼女のことを、私はすっかり大好きになってしまった。

だから、携帯が鳴らないのを良いことに、一緒に本屋さんに行ったり、ゲーセンで遊んだり、プリクラを撮ったりと目一杯楽しい時間を楽しんだ。
迷惑じゃないかなとたまにその顔をうかがったが、彼女もちゃんと楽しんでくれているようだったので
嬉しさが倍増した。
あの人も、このくらい嬉しそうな顔をすれば良いのに。

そんな楽しい時間だったから、時が流れるのはやはり早かった。
ふと気がつけばもう12時近く。
お姉様達がそろそろ帰ってくる時間だ。
ミサカネットワークで探索してみれば果たして彼女はこの近くに居ることが分かったので、新しい友達を紹介するべく、風斬さんの手を引いてそちらに向かう。
5分ほど歩いたところで、クレープを片手に持つ彼らに出会う。

「はじめまして。私は御坂美琴。妹の面倒を見てくれて、本当にありがとう」

すこしおどおどとする彼女に、お姉様がすっと手を差し出す。
その手を握りながら、彼女が答える。

「あの、はじめまして。風斬氷華です」
「私はインデックス。みことの親友だよ。よろしく」

そういって差し出される手にも、彼女はすこし緊張気味だ。
風斬さんはきっと引っ込み思案なのだろう。
そんなことを思いながらぼんやり見ていた打ち止めは、姉が上条さんに何かを耳打ちすることに気付く。

何を話してるのかな?

ちょっとだけそんな疑問を持ったところで、上条さんが少しだけ微笑んですぅと手を出す。

「俺は上条当麻。こいつと同じで御坂の親友だ。よろしく」

差し出された左手を握る彼女は、やはりおどおどとそれに答えていた。












《正体不明4》

緊張しつつも家のドアをくぐれば、荷物の少ない整った部屋であったと風斬は思った。
初めてできた可愛らしい友達とそのお姉さん、そしてその親友達に招かれるまま上条家に入ったのが30分前。
出された麦茶を少し飲みつつ、わいわいとにぎやかな会話に混じるというこれまた初めての経験に少しだけ慣れてきたのを感じる。

もちろん、にぎやかに喋っているのは私ではないが。

「でね、風斬さんにパフェご馳走してもらったんだよ、ってミサカはミサカはあのときの感激を身振り手振りを交えつつ伝えてみたり」
「そう、よかったわね」
「なんのパフェだったの?」
「イチゴスペシャル大福パフェ」
「そっか。本当にありがとね」
「いえ……」

嬉しそうに彼女を見る、彼女そっくりの御坂さんを見て、少し照れながらそう答える。
御坂さんはレベル5。
この街で7人しか居ない、能力者達の頂点だ。
こんな凄い人と知り合いになれるとは思わなかった。

「でね、その後一緒にゲーセンに行ったの。超伝導ホッケーを一緒にやったんだよって、ミサカはミサカは手のスナップを利かせながら報告してみる」
「あれ、スピードが速かったよな。打ち止めは追いついたのか?」
「なんとなく電気の流れが見えたから良い勝負だった、よね?」
「うん。打ち止めちゃん、強かったよ」
「わーい、褒められた、とミサカはミサカは手を上げて喜んでみたり」

彼女ほど情感豊かに表現することはできないけれど、私もとても楽しい時間を過ごせた。
こんなに早く時間が経つことを知ったのは初めてだった。

「そっか……ああ、そうだ。俺、ちょっとクラスの友達に返さなきゃいけないものがあるんだった。インデックスも来るか?」
「うん」

時計を見て何かの約束を思い出したのか、上条さんが言いながら立ち上がる。

「悪いな、40分くらいで戻る。御坂、打ち止めと風斬にお菓子でも出してやってくれないか」
「え?なに?何があるの?って、ミサカはミサカは身を乗り出して聞いてみたり」
「……あげ過ぎるなよ?一方通行に叱られそうだ」
「わかったわ。行ってらっしゃい」

そう言うと、彼等は私達に手を振って家を出て行く。
少しだけ静かになるかと思いきや、お菓子という言葉にテンションがあがった打ち止めちゃんが冷蔵庫の隣にある棚に突撃しだして、御坂さんに止められる。

「あんた、ちょっと待ちなさい。他人の家の棚を勝手に開けるのは駄目よ?」
「ええー?それなら、お姉様だって駄目なんじゃないかなって、ミサカはミサカは根本的な疑問を呈してみたり」
「そっか。確かにそうね。じゃあ、残念だけどお菓子はお預けね」
「……ごめんなさいって、ミサカはミサカは涙を呑んで白旗を振ってみる」
「だったら、最初から余計なこと言わないの」

その2人の後ろからひょいと覗いてみれば、棚の中には色とりどりのお菓子が満載だ。

「あの、上条さんってああ見えてお菓子が大好きなんですか?」

その私の質問に、御坂さんは笑いながら答える。

「そうじゃないのよ。これは私とインデックスの分。最近は打ち止めの分も混ざってるわね」
「そうですか。びっくりしちゃいました」
「そっか。そうよね、アイツに似合わないでしょ?」
「……ええ」

だから、その言葉に私も笑顔で返す。

「あっ、でもこんなこと言ってたって、内緒にしてくださいね?」
「わかってるって。でも、あいつも出されれば結構食べるのよ」
「そうなんですか……想像が難しいです」
「でしょ?」

そんな話をしていると、御坂さんの携帯が鳴る。
ごめん、と謝ってから話し出す彼女。

「うん、……うん。わかった。うん、私もそう思う。うん、……じゃあ、そっちに行くわ」

聞くとはなしに聞こえてきた会話から予想はついたが、電話を切ると彼女は私達に手を合わせて、

「ごめんね。ちょっと行かなきゃいけない用事ができちゃった。直ぐに帰ってくるから、お留守番頼める?」
「ええ。良いですよ」
「ごめんね。この子のこと、よろしくね。……帰ってきたら一緒にご飯食べに行きましょ?ご馳走するわ」
「そんな、悪いですよ」
「いいの、そうさせて。じゃあ、打ち止め、行ってくるね。何かあったら連絡しなさい」
「うん、行ってらっしゃい、お姉様」

玄関のドアが閉まると、私の前で御坂さんを見送った彼女は、くるりと振返る。
その顔に浮かぶのは、満面の笑み。

「しめしめ、これで邪魔者は全ていなくなったぞ、ってミサカはミサカは悪役顔でほくそ笑んでみたり」
「……食べすぎは駄目だよ?」
「ええっ?そんな?」
「だって、よろしくって言われたから」
「ちょっとだけー、ちょっとだけ見逃してよーって、ミサカはミサカはシャツの端をつかんで哀れな声で嘆願してみたり」
「……仕方ないなあ。じゃあ、ちょっとだけだよ」

ちょっとだけ頑張ってみたけれど、押しに弱い私は結局彼女の演技に押し切られて、上条家のお菓子倉庫に手をかけた。







マンションの最上階にある共有スペースで夏の空を眺めつつ待っていると、直ぐに美琴はやってきた。
少しだけ心配そうにする彼女をせめて元気付けたくて、インデックスは大きく手を振って迎える。

「どうだった?」
「何も。変わりは無いわ。でもどうしてここまで来たの?」

彼女の問いに、当麻が答える。

「風斬の聴力がどの程度良いか分からないからな。少なくとも初めて会ったときに耳打ちした程度では聞こえないことは分かったが、念のため少し距離をとったんだ」

しれっと答える彼は、相変わらずだ。
その調子に、美琴の顔に少しだけ元気が戻る。

「そうね。でも、何者だろう。インデックスはどう思う?」
「私は美琴に言われなければ気付かなかった。よく見ても、何かの力が混在してできている、ということまでしかわからないよ」
「じゃあ、御坂のほうがあいつを良く見えたんだな」
「でも私にも、AIM拡散力場に近い力が入り乱れてできているってところまでよ。どうしたらそんな存在が作れるのかは全然わからない」

そうか。
そういって、当麻は少しだけ考える目をする。

「ね、とうま。風斬は危険だと思う?」
「いや、それは無いだろう」
「どうして?」
「あいつが打ち止めに会ったのは偶然だ。あいつは俺達のことも知らなかったようだし、俺の右手を警戒した感じも無かった。それに誘われるがままに家に来たしな。あいつに害意はないだろう」

魔術の目で事実を視た今でも、彼女が人間ではないとは信じられない。
先ほど話した受け答えだって、人間そのものの反応だった。
どこにでもいる、気弱で底抜けに人がよさそうな少女だった。
ビデオで彼女の姿を見たなら、人であることを疑うことなんて絶対にできないだろう。

「私もそう思うわ。あいつ自身には害意は無い。……でも、悪意を持った誰かに操られると言う可能性は?」
「もちろん、ある。だが、それも相当低いだろう」
「そうだよね、そういうつもりなら最初から攫ったり襲ったりするよね」
「ああ。悪い奴じゃなさそうだ。まあ、天使なんかの仲間だと思って、普通に接するようにしよう」
「全く……最初にできた友人がこんなに飛びぬけて変わり者なんて。あの子の今後が不安だわ」

天使、という言葉を出す当麻に、驚いて顔を見るが何時もの表情だった。
それをみて、彼があの事件を乗り越えられたと知って嬉しさが湧き上がる。

「変わり者なのは、悪いことばかりではないかもしれないぞ」
「え?」
「この前、木山に聞いたANGEL計画の話、覚えているだろ?」



8月29日に置き去りの子供たちを救ったあと、木山春生から聞きだした情報。
木山が幻想御手を作る際に参照にしたANGELの基礎理論は、複数のAIM拡散力場を一定方向に揃え、それを束ねるための理論だった。
彼女はそれをベースに、統合されたAIM拡散力場を通じて各個人の脳を制御し、超並列演算機を成そうとしたのだ。

「木山の情報から、妹達が作られた理由にAIM拡散力場が関与している可能性がある。だったら、風斬から何か有用な情報を得られるかもしれないだろ?」
「でも、どうやって調べるのよ?取り押さえて、解剖するなんて言わないわよね?」
「そんなことしなくても、我々には強い味方がいるじゃないか」
「……なるほど、あいつに調べさせるのね」
「ああ。一方通行の解析能力なら何か分かるかもしれない」

その言葉に、ふぅ、と美琴がため息をつく。

「第1位ってすごいよね。この前も思ったけど、やっぱり壁は高いよ」
「……あいつは確かにとんでもない能力者だが、触れたものしか制御できない。だが、お前は自分から離れた距離でも動かしたり解析できるだろう?」

一長一短、適材適所ってことだ。
そういう当麻の言葉に、美琴は少し微笑む。

「ありがと。……じゃあ、もう少ししたら戻りましょ」
「ああ。せっかくの打ち止めの最初の友達なんだ。変わった奴だが、温かく油断なく見守ろうじゃないか」



だが、そんな私達の笑顔は長くは続かなかった。






自宅のマンションの通路に空から侵入すると、一方通行は少しだけため息をつく。
右手で眠る魔術師―シェリー=クロムウェル―の記憶を読んだところ、彼女がイギリス清教と学園都市の間に亀裂を入れる目的で侵入してきたことがわかった。
また、彼女のバックグラウンドについても読めるところまでは把握した。
もちろん、自分に襲われた時点から少し前まで記憶については消去しておいた。

この女の目的が達成されたら、あのシスターにも少なからず影響しただろう。
そうなる前に取り押さえられたのは僥倖かもしれないが、この女をどう扱えばよいのか
自分には分からない。
それに、魔術やそれが持つ魔術的意味について自分は専門外だ。
ひょっとしたら、彼女が見れば自分には見えない大切な真実や虚構に気付くかもしれない。




だったらこれから先は、あいつ等の仕事だろう。



そう思いつつ上条家のドアをベクトル操作で開ければ、見慣れた顔が口の周りにチョコレートを付けつつ出迎える。

「あれ?お帰りって、その人、誰?まさかアナタ、攫ってきたの?」
「ンなわけねェだろ、クソガキ。上条の知り合いが行き倒れてたンだよ。それよりまだここに居やがったのかァ?」

適当に答えつつ、既に勝手を知った上条家にずかずかと入れば、見慣れぬ顔があった。

「……誰だァ、お前?」
「え?あの、……え?」
「アナタ!ただでさえ誘拐犯みたいなんだから、もうちょっと優しい言い方はできないの?ってミサカはミサカは腰に手を当てて憤慨してみる」
「はいはい、すみませンねェ」

上条の友人か、はたまたあいつが何かに首を突っ込んで助けようとしている女か。
そう適当に判断しつつ、リビングにあるソファーに魔術師を下ろす。
脳波をチェックすれば、あと半日は目を覚まさないであろうことが分かった。
彼等に連絡しておけば、このまま置いて帰っても差し支えあるまい。

「おい、そろそろ帰ンぞ」
「駄目だよ。いまお留守番中だもん」
「あァ?」
「上条さん達が、いまお出かけしているの。もう直ぐ帰ってくると思うよって、ミサカはミサカは留守番くらいできるってところをアピールしつつ言ってみる」
「留守番って、お前……ただ菓子を貪ってただけじゃねェのか?」

その言葉にグーパンチで突っかかってくる打ち止めを適度な反射でいなすと、彼女は更にヒートアップして飛び蹴りをする姿勢を見せる。

まったく、クソガキが。

「危ねェから、やめろ。……ところで、そいつは誰だ?」

助走をしようとしたところで、ぴたりと止まる打ち止め。
どうやら話を逸らすことに成功したらしい。

「ふふふー。……知りたい?」
「あァ?」
「知りたい?」
「いや、別に」
「知りたい?」
「……なンだよ、お前」
「し、り、た、い?」

このままでは会話が終わらない。
小さくため息をついて、彼女が求める答えを出す。

「……あァ、知りてェよ」
「本当に?」
「本当だァ。教えてくれ」
「そっか、どうしようかな」
「チッ……頼む、教えてくれェ」
「いま舌打ちした?」
「……してねェよ。もう、良いだろ?さっさと話せ」

嬉しそうに焦らす彼女を見ていたくないわけでもなかったが、それほどのんびりと待てる性格でもない。
イライラを自分なりに抑えつつ聞けば、彼女の顔が一段と輝く。

「仕方ない、教えてあげようって、ミサカはミサカは一方通行の惜しみない拍手を求めてみたり」

わかった。
だから、早くしてくれ。
ぱちぱちと手を叩きながら、彼女をせかす。

「この人は、風斬氷華さん。今日、お友達になったの」
「……お友達だァ?」
「アナタを探して外を散歩していたらね、偶然会ったの。パフェをご馳走してもらって、一緒に遊んで、とってもとっても楽しかったんだからって、ミサカはミサカはこの幸せを精一杯の表情で伝えてみる」



ほォ。
自力で友達ができたのか。
すげェじゃねェか。



「そりゃ、よかったなァ」
「うん。ね、一方通行もお友達になって?」
「あ?あ、あァ」

いきなり振られて、戸惑ってしまう。
友達、だァ?
どうやってなれば良いんだ?
まずなにを言えばいいんだ?
固まった自分と、困惑した表情を浮かべる彼女を見比べて、打ち止めはため息をつく。

「じゃ、アナタ。自己紹介して」
「……俺は一方通行だ」
「風斬さん。この人、こう見えて第1位なんだよって、ミサカはミサカは衝撃の事実を教えてみる」
「え?……ええ?第1位って……ええ?」
「そう見えないでしょ?」
「……おい、それはどういう意味だァ?」

笑いながら言う打ち止めの頭に軽くチョップをくれてみる。

「……もう、乱暴なんだから。風斬さん、いろいろと難点や屈折したところもあるけれど、多分悪い人じゃないから友達になってあげてねって、ミサカはミサカは風斬さんの優しさに一縷の望みを託してみる」
「あ、はい。わかりました」
「お前なァ……」
「はい、じゃあこれでお友達。じゃあ、握手して?」

少しだけドスを聞かせた声にもめげずに、打ち止めはニコニコと笑いながら俺と彼女の手を近づける。



ああ、そうか。
こいつは、自分の初めての友達と、俺にも友達になってほしいンだな。



そこに彼女の優しさが垣間見れた気がしたから。
普段なら絶対にしない、握手なんて照れくさいことをしてみようと一方通行は彼女の手を握る。



途端に彼の脳に流れ込む、情報の波。






「……てめェ、何者だ?」



敵意に満ちた学園都市最強の能力者の声が、昼下がりのリビングに低く響いた。












《正体不明5》

人間のようにしか見えない彼女を構成しているのは表層だけだった。
能力で視れば、彼女がAIM拡散力場の集合体であることが容易に分かった。
少しおびえた表情を浮かべるその顔だって、厚さ1cmほどの層に過ぎなかった。
膨らましたビニール人形みたいに外側しか持たないがらんどうの人外が、人間のような言葉で喋る。

「あ、あの、一体?」

その言葉に答えず、一方通行は自分の脇で笑顔を凍らせて立ちすくむ打ち止めを引き寄せる。

「あ、一方通行?どうしたの?」
「もう一度聞く、お前、何者だ?何の目的で打ち止めに近づいた?」

言葉に十分な殺意を載せてすごみつつ、彼は心底後悔した。
打ち止めを一人にしていたこと。
魔術師を調べるために彼女を放っておいたこと。
上位個体である彼女は、妹達の生殺与奪を一存で左右できる上位命令文を発動できる。
彼女を押さえることは、1万の能力者を支配下に置くことと同義だ。
そんな貴重な人材を、学園都市の悪意がいつまでも泳がせておくわけが無いじゃないか。

「あの、言っている意味がわからないんですが……」
「何、とぼけてンだよ、テメエ」
「……いい加減にしてよ、一方通行。風斬さんは私の友達なんだよ」
「友達、だァ?コイツが?……馬鹿言ってンじゃねェぞ」

畜生。
騙しやがったな。
せっかく、打ち止めは友達になれたと喜んでいたのに。
こいつを騙しやがったな。

「な、何、言ってるの、アナタ」
「打ち止め。確かにこいつは、見た目は普通の女に見える。だがな」

許せねェ。
孤独を弄ぶなんて、絶対に。

「こいつは、人間じゃねェ。お前は騙されてンだよ」
「……え?」

何とか笑顔を浮かべて場を収めようとした打ち止めが、今度こそ固まった。
目の前の人外も、まるで心底驚いたかのように目を丸くした。

「……アナタ、何を言ってるの?冗談でも、流石に笑えないよ?」
「冗談で言うかよ。おい、テメエ、俺が第1位だってことは言ったよなァ?さっさと白状しねェと、再生できないほどグシャグシャのスクラップにすンぞ?」
「わ、私、私、何のことだか、本当に」

目を細めて一歩近づく自分に、後ずさりしながらも風斬は下がる。
まるでこういう場面で、人間がそうするみたいに目に涙を浮かべながら。

「……OK。あくまで白を切るって言うンなら、それでいい。後腐れ無い様に、綺麗さっぱりこの場で消滅させてやる」

更に彼女に近づく。
彼女はおびえた顔で後ろに下がる。
だが、限りある退路は直ぐに壁によって絶たれる。

「もォ逃げる場所はねェぞ。心配しなくても、死ぬこたァねェよ。……最初から生きてないンだからよ?」

彼女に向かって伸ばす手。
その前に、蒼白の顔の少女が立ち塞がる。
この馬鹿。
人質にしてくださいと言わんばかりじゃないか。
慌てて、彼女の手を引き戻す。

「アナタ、いい加減にしてよ!」
「……じゃあ、良く見てろよ。お前が言う、お友達の正体を」

そういって、一方通行は風斬にむけて右手を振る。
僅かに彼女に触れるその指先は万物を切り裂くナイフと変わり、彼女の左手を洋服ごと切り落とす。



「「……え?」」



切断面から覗く腕の中に広がる空洞と、一滴の血も流さずに転がる左手を見て、打ち止めと風斬は同時に呆けた声を漏らした。






時計を見ると、家を出てから25分。
あと10分くらい待ったら帰ることにしよう。
美琴の提案に従って、私達は共有スペースにあるベンチに腰を下ろして空を見る。
晴天だった空の端に、いつの間にか入道雲が現れている。
盛り上がる綿飴みたいなそれも、もうそろそろ見納めになるのだろう。
充実しすぎた夏の次は、どのような秋が来るのだろうか。
巡り来る季節がもっと幸せで、できればもっと穏やかであるよう去り行く夏に祈りを込める。

「……これからさ、風斬とどうやって付き合えば良いかな」
「普通の友人として、でいいんじゃないか?」
「そうだけどね、人間じゃないって思うとさ。なんか居心地が悪い感じがしない?」
「そうだね。私もそう思うよ、みこと」

1人挟んで横に座る美琴を見れば、少し複雑な表情を浮かべている。
その顔から、彼女が姉として、妹の奇妙な友達との距離感を計りかねていることが良く分かった。

「その感覚は正しい。未知に対する恐怖は人間の根源的なものだからな、当たり前だと思う」
「それはそうだけど。でもさ、そうとも言ってられないじゃない」

ため息をつく彼女に、当麻は語る。

「時間が解決すると思うぞ?」
「そう、かな。そうだと良いけど」

歯切れ悪く答える彼女。
その顔を横目でちらりと一瞥して、当麻が何かを思考しだした。






腕を落とされたのに、風斬は特に痛みを感じていないようだった。
ぶるぶると震えながら、落とされた自分の左腕が溶けるように消えていくのを、そして何も無い空間から現れるかのように空洞である腕が元に戻っていくのを、へたり込みながら見ていた。

「これで分かっただろ。こいつは人間じゃねェンだよ」

自分の少し後ろに立つ少女は何も答えない。
引き戻したときのまま握るその手は、やはり小刻みに震えている。

……見せるべきじゃなかったか。

少しだけ後悔するが、こうでもしなければ彼女は納得しなかっただろう。

「もう、いいよなァ?お前、何者だよ。……次は上半身と下半身を割って2つにすンぞ?」

静かに、でも圧迫感を込めて語る言葉に、数テンポ遅れて風斬は反応する。
驚愕と困惑に満ちていた表情に、恐怖の陰が差す。

「おい、なぜ、打ち止めに近づいたンだ?誰に命令された?」
「ひっ……」
「チッ……いい加減に」

しかし、一歩進もうとする足が、つながれた手に止められる。
俯き、震える打ち止めは、それでも強くその手を握って離さない。
思わず彼女に視線を移すと、風斬が這うように玄関に向かおうとする。
その体を床の衝撃をコントロールして跳ね上げれば、彼女はうめき声をあげながらごろごろと転がる。


「おい、放せよ」
「……やめて」
「あァ?」

それでも腰が立たないかのような姿勢で這いながら逃げようとする彼女に向けて、ベクトルによる衝撃を放とうとする手が打ち止めに止められる。

「……おい、何で止めるンだ?」
「やめてよ」
「なにいって」
「やめて!もう、やめてよ!」

ついに玄関まで張っていった風斬は、そのまま靴も履かずにドアを開けて逃げ去る。
置かれた彼女の靴が、やがて虚空へと消えていく。

「お前に近づいたあいつの意図を聞きださねェと、やべェだろうが」
「もう、嫌!やめてよ!」

一声叫ぶと、手を振りほどいて玄関に走っていく打ち止めの肩をつかむ。

なンでだよ。

なンで、分かンねえンだよ。

「……いい加減にしろ。直ぐにあいつ等が戻ってくンだろ?お前はここに」
「いい加減にするのは、アナタだよ!何でこんなに酷いことをするの!?」
「酷いって……だってあいつは」
「風斬さんは、とっても優しかった。ミサカと遊んでくれた。ミサカと笑ってくれた。ミサカの大切な友達なの。それなのに、それなのに」
「……お前だって、見てただろうが。あいつ、人間じゃねェンだぞ?」



その言葉に、彼女は身を振って手を振りほどく。
そして涙を溜めたその目で、一方通行のことをきつく睨みつける。



なンでだよ。
なンで、そンな目で見るンだよ。



それとも、何か?
……俺が間違っていたのか?



「だったら。だったら、ミサカだって同じだもん!」
「同じ?」
「ミサカだって、作られた命。ミサカだって、人間じゃないんだから!」



そう言うと、打ち止めは一方通行に背を向けて走り出した。
言葉を失って立ち尽くす彼の前で、玄関の扉がゆっくりと閉まった。
彼の脇に置かれたテレビの箱には、いつの間にか大きな傷がついていた。






最上階は上条家よりも地面から遠い分、少しだけ涼しさが違う気がする。
先ほどから吹いてきた風に目を細めつつ、当麻は語る。

「……将来、3Dホログラム技術がずっと進んだとしよう」
「……?」
「まるでそこにいるかのように、質感と実感を持って相手と喋れる。そんな技術があったとしよう」
「……うん」
「その時、お前は浮かび上がるホログラムにいま感じている違和感を持つと思うか?」

突然全く関係の無いような話をしだす当麻の言葉に、美琴が彼の思考をトレースしようとする。
私も、同じく彼の意図についての思索を開始する。


「感じないと思う」
「ということは、お前が感じる違和感、居心地の悪さは、命じゃないんだ。ホログラムに命が無いのは明白だから、風斬に命がないことにお前が引っかかっているわけじゃないと言える」
「うん」

まあ、少し飛躍があるが、最後まで聞いてくれ。
そう言いながら彼は続ける。

「ところで御坂。お前は俺を人間だと思うか?」
「……もちろん」
「インデックスはどうだ?」
「もちろん、そう思うよ」
「では、なぜそう思う?」
「なぜって……だって当たり前でしょ?」
「考えてみろ。なぜ、俺を人間と思う?お前達の能力では見ることができない、確認できない俺を、なぜ人間と思うんだ?なぜ、風斬と同類と思わないんだ?」

その言葉に、少しだけ沈黙が流れる。
なぜ、彼を人間と思うか。
それは。

「とうまに、心があるからだよ」
「なるほど。じゃあ、どうやって俺に心があることを確かめたんだ?」
「それは……とうまが笑ったり泣いたりするから。感情があるって見ていてわかるから」

その答えに彼は少しだけ口角を上げる。

「例えば俺が、精密に作られたロボット、もしくは魔術的な力の塊だとしよう。俺は傷つければ血を流すし、それはやがて癒える。馬鹿にされれば怒った顔と言葉を返すし、傷つけられれば目に涙を浮かべて悲しそうな顔をする。人間ならこういう場合はこうすると想定されるあらゆるパターンに対応して反応できるとしたら、お前はどうやって俺に心が無いことを見破れるんだ?」
「それは……、えっと……」
「俺だけじゃないぞ、お前以外の、お前が人間と信じる全ての存在が作り物じゃないと、どうやったら証明できる?」

私が人間と信じるに足る反応を完璧に返す、精密な作り物。
それを人間ではないと証明できたら、自己言及性パラドックスが起きてしまう。
だから。

「証明できないよ。でも、そんなことありえないじゃない?」
「それは分からないだろ?お前がたった一人残った地球人で、高度に進んだ技術をもつ宇宙人がこの世界を作ったかもしれないじゃないか」
「……もちろん、それは否定できないけど。でも」
「否定できない、ということが重要なんだ。有りうるってことなんだから」
「……うん」

言っていることの意味は分かる。
でも相変わらず意図が分からない。
美琴の表情も、彼女が真意に到達できていないことを示している。

「御坂、インデックス。お前が日常と思っていたこの世界が、実は作り物であるかもしれない可能性をお前達は知った。そしてそれを確かめることもできないってことも分かったよな」
「ええ」
「じゃあ、お前達は、俺と話していて居心地が悪いか?」
「え?」
「俺は、人間じゃないかもしれない。心なんてないかもしれない。そんな可能性がある俺と居て、お前達は居心地が悪くないか?」

悪いわけないじゃない。
そう異口同音に答える私達に、彼は少し微笑む。

「ありがとな。俺も、それでもお前達を自分と同じだと思っているよ。でもこれは、ロジックじゃないんだ。論理的には証明できないんだから、これは信念なんだ。そう思わないか?」
「信念、か」
「そうだ。お前と俺は同じ。不確かだけれど、そう信じている。その信念で、俺達は生きているんだ」
「……確かにそうだね」

だったらさ。
そう彼は言って、少しだけ言葉を区切る。



「風斬は人間でないっていうのは明らかだ。そんなあいつに心があるかどうかはやっぱり不確かだ。でも、ある程度時間が過ぎれば、信じられるときが来るかもしれない。そう思わないか?」

「……そうね」

「信じられれば、きっといま感じている居心地の悪さも消える。あいつに心があると思えるなら、命の形が違っていても一緒に笑えるはずだから」



少し時間がかかるかもしれないけど。
そんな関係ができることを祈っているよ。
そう言う当麻に微笑を送ると、美琴は背伸びをして立ち上がる。

「そうだね。人と同じか。直ぐには仲の良い友達にはなれないもんね」
「ああ」
「うん、少しすっきりした。ありがとね」

時計を見ればあと3分。
吹いてきた少し涼しい風に髪をなびかせつつ、美琴は共有スペースのベランダに出て外にでて手すりに寄りかかる。
その脇に何時ものように並んで立つ私達。
上条家よりも高い視線に、より遠くまでくっきりと景色が見える。
高いところはちょっと怖いけど、この景色が毎日見れるのもいいなあ。
そんなことを思って景色を眺めていたら、突然当麻が下を指差して言った。






「……あれ、打ち止めじゃないか?」












《正体不明6》

閉ざされた扉に手を伸ばしたまま、一方通行はしばらく動けなかった。
やがてその手は力なく落ちて、彼は大きく肩を落として俯く。



何、馬鹿なことをいってンだよ、クソガキ。



既に聞くべき人は去ってしまったのに、その遅すぎる音が自分の口から漏れることを、彼の耳は聞いた。



俺は、間違っていたのか?



上条家に来てからの記憶を再生する。
その映像が、責め立てるように彼を押しつぶす。
友達ができた、と喜ぶ彼女の顔。
友達との想い出を、幸せそうに話す彼女の声。
友達と自分の手を繋がせようとした、彼女の小さな手。

あいつに近づくものから、あいつを庇って。
それを排除すればあいつを守れると思っていた。
これからもずっと、そうして生きようと思っていた。
たとえあいつに憎まれたとしても、それで良いと。
あの日、あいつと自分の矛盾を受け入れた日、そう誓った。



なのに、この有様だ
守れないどころか、泣かせてるじゃねェか。



俺は、間違っていたのか?



風斬氷華は人間じゃない。
それは間違いない。
だから、怪しいあいつを排除したことは間違っていない。



でも、他にやりようがあったンじゃねェか?
あの、偽善者がやるみたいに。
あいつからさりげなく引き離す方法だって、沢山あったじゃねェか。



喜ぶあいつの幸せを、目の前で切り裂くよりも、ずっと優しいやり方が。



クソッタレ。



深く息をついて、頭をグシャグシャとかきむしる。
そのままの勢いで、床に腰を落とすと深くうなだれてもう一度ため息をつく。



さて、行くか。
やっちまったものは、仕方ねェ。
泣かれても恨まれたとしても。
今は、追いかけなければ。


あの泣き顔にもう一度向かい合うことが怖くて、知らず腰を上げるタイミングを遅らせる自分に叱咤し、一方通行はのろのろと立ち上がった。






走っていく打ち止めを見る当麻の目が細くなる。
1秒ほど考える目をすると、彼は淡々と美琴に言う。

「御坂。お前なら磁力でブレーキをかけつつ壁を伝って降りられるだろう。打ち止めを追いかけてくれ」
「わかった」

そう言うと、美琴はひょいとベランダを越える。
最上階は14階。
自分の能力を信じる彼女にとっては、その高さなど何の障害にもならない。

「携帯のGPSコードを俺の携帯に送ってくれ。インデックスと直ぐに追いかける」
「うん。じゃあ、また」

そう言うと、彼女はベランダから飛び降りる。
振返らずに、私達は階段へと走る。

「何が起こったのかな?」
「打ち止めは逃げている感じじゃなかった。だから直接の危険はそれほど大きくないだろう」
「じゃあ、何であんなに一生懸命走っているの?」
「わからない。だが状況から考えると、風斬に関することが原因かもしれない」
「……罠、だったのかな?」
「その可能性は依然低いと思う。打ち止めを連れ去るなら、2人きりになった状況で気絶させるなり、取り押さえて拉致すればよいのだから。屋上から見てもわかる異常行動をとらせる意味は無い」

ペースを遅らせてくれているとはいえ、彼のスピードはそれでも速い。
上条家のある階についたときには、私の息はすっかり上がっていた。
彼はエレベータの下ボタンを押すと、小走りに自宅まで走る。

そこで気付く、魔力の流れ。

「と、とうま、待って。待って」
「ああ。すまない、早すぎたか」
「違うの。魔術、師が、居る」
「どこに」
「家に」

その言葉に、彼は綺麗な姿勢で踵を返すと、私の前に立つ。
まるで楯になってくれるかのようなその背中に、大きな安心を感じる。

「家の、どこだ?」
「リビング。ソファーの上。寝ているみたい」
「そいつを知っているか?」
「知らない。でも魔力の中にイギリス清教に独特の対魔術用術式を感じる」
「わかった。じゃあ、そっと中に入ってみるから、お前はここにいろ」

そう言うと、当麻は音もなくドアを開けると、土足のまま地を滑るように家の中に入っていく。
魔術師は依然動かない。
魔力の空隙はリビングに到達し、そしてまた玄関まで戻ってくる。

「どうだった?」
「良く分からないが、気を失っているようだ」
「何で家にいるのかな?」
「打ち止めを連れ去ろうとして電撃で逆に気絶させられたのか、風斬を狙ったのか。……ひょっとしたら、こいつから逃げた風斬を打ち止めは追っているのかもしれない」

そういいながらリビングに来れば、褐色の肌を持つ女がソファーに寝ている。
私の狭い知り合いの記憶のなかに、当然のように該当者はいなかった。
彼女の身につけている霊装を私の指示に従って壊したあと、当麻は少し考えると机の引き出しを探りながら聞く。

「インデックス、魔力を封じる魔法陣ってあるか?」
「この人の魔力を利用するならできるよ」
「じゃあ、それを書いてくれ」
「……それは、どうするの?」

ポケットにあるブランクのプラスチックカードに、マジックで魔法陣を書きつつ問う。

「ああ、これか。今は構ってられないからな。一応、目を覚ましたときように」

そういいながら、彼は迷いなく魔術師の両手足をガムテープでぐるぐる巻きに拘束する。
両手足の先も、手袋みたいに包まれる。

「……手馴れてない?」
「3度目くらいだ。馴れるまではいっていない」
「それで大丈夫?」
「頑丈な布テープだからな。魔術を使えなければ、通常の人間なら切ることはできない」

淀みなく言いながら束縛を完了すると、彼はバスルームから薄手のタオルを持ってくる。
それを何度か縛ってこぶを作ると、それを魔術師に噛ませた上で縛り上げ、その上から更
にガムテープを巻く。
なんだか気の毒な状態になった彼女の胸の上に、私は完成した魔法陣を置く。
当麻はそれを動かないよう、テープで固定する。

「さすがに少し可哀想だね」
「不法侵入罪でアンチスキルに突き出されるよりはいいだろ?ところでインデックス、魔法陣の書かれたビニールシートはまとめてあるよな?」
「うん。あの大きめな鞄にある」
「念のため、それも持っていこう。じゃあ、行くぞ」

そう言うと彼は芋虫みたいな魔術師には目もくれず、綺麗な姿で歩き出す。
迷いのない一連の非日常行動に見とれていた私は、慌てて彼の後を追った。






前しか見えなかった。

ただ、前へ。
現実から逃げられるように。
前へ、前へ。

ぼろぼろと涙をこぼしながら、それでも風斬氷華は走り続ける。

考えるな。
信じるな。
見るな。
聞くな。
感じるな。

走って、走って、走る。
走り続けても息が上がらない。
それに気付いて、立ち止まる。



私は、息をしていない。



突如として肩に圧し掛かる現実に、彼女は跪く。
逃げるのをやめた彼女を、記憶が侵食する。



手を切り落とされたのに、痛みは無かった。
落ちた手から、落とされた腕から、血は流れなかった。
手はいつの間にか元に戻っていた。



そういえば、誰かと笑って話すのは初めてだった。
そういえば、誰かと何かを食べるのは初めてだった。
そういえば、誰かと一緒に遊ぶのは初めてだった。



気付けば、全てが初めての経験。
なんだ、これは。
そんな、馬鹿な。

自分を自分として証明できる記憶をサーチする。
どこで生まれた?
どこで育った?
両親は?
友達は?
自分を知る人は?



しかし、それらは何一つ思い出せない。
否、何一つ、存在しない。



代わりに思い出されるのは薄っぺらく撓む、あの街。
存在も時間の流れも曖昧な、陽炎のようなあの街。



馬鹿な。
嘘だ、そんなの。


ひざを抱えて、俯く。
その視界に入る、自分の足。



素足で飛び出してきたのに、いつのまにか足が納まる見慣れた靴。



……はは。
……ははは。



そうか。
そうだったっけ。
私、化け物だったっけ。
第1位が言う通り、人間じゃなかったっけ。

重く圧し掛かる心の重圧を示すように、彼女の座る地面が軋みだす。
感情は張り裂けそうなのに、何故か体に力が満ち溢れる。

そうだよね。
人間じゃ、ないもん。
化け物だから。

やがて重みに耐え切れず、ずんと音を立ててアスファルトがへこむ。
壊れた笑いを漏らす彼女。



そこに、後ろから届く、小さな声。



「風、斬、さん。待って、お願い、待って」



振返れば、小さな友達が、こんな私を友達と信じたあの子が追いかけてくる。
その姿が何故か怖くて逃げようとしたところで、風斬は状況を把握して動けなくなった。






マンションの廊下から空へと飛び出した一方通行は、上空をうろうろと回りながら道路の様子を隙間なく見る。
彼の目に届く光は光学的に補正されているため、圧倒的な解像度と情報量をもって光景を把握できているが、ビルやマンションの陰が多い部分ではどうしても死角ができる。
それでも他に方法はなく、彼は更に上へと昇りながら、情報を集める。



だめだ、見つからねェ。
一度帰って、第3位の力を借りたほうが良いか。
そう思ったころに、彼はようやく打ち止めを見つける。



慣れない全力疾走で疲れたのか、その膝は既に笑っている。
ふらふらとよろめきながら、既に歩いているといっても良いくらいの速度でありながら
彼女はそれでも走っている。



俺だよな。
あのクソガキを追い詰めたのは、俺だよな。



彼は苦虫を噛み潰したような表情をすると、彼女にめがけて速度を上げて降下する。
距離にして、あと3km。
だが、そこで一方通行の思考が止まる。
心が鷲づかみにされたように冷たくなり、時間の流れがスローになる。






打ち止めが這うように走る、その道路。
その信号は赤だ。
彼女はそれが見えていない。
周りの通行人の驚く顔も、きっと視界に入っていない。
彼女が見ているのは、その前で振り向く風斬氷華のみ。
手を伸ばし、何かを叫ぼうとしている、あの人外のみ。



そこに、横から突っ込んでくる、大型トラック。



もう、ブレーキは間に合わない。






衝撃まで、あと2秒無い。
全力で突っ込んでトラックを弾けば、ギリギリで彼女は助かる。
だが、どの方向に飛ばしたとしても、通行人を巻き添えにしてしまう。
あの大きさ、あの速度だ。
きっと何十人もの死傷者が出る。
どうする。
どうする?



だが、思考したのは0.1秒も無い。



答えなど、決まっているのだから。



瞬時に加速すると、彼の体は容易に音速を超える。
衝撃まであと1秒。
巻き込んでしまう誰かに詫びながら、彼は更に速度を上げる。
距離にして、あと300 m。






そのとき、唐突に打ち止めの姿が虚空に消えた。

「……あ?」

瞬時に方向を上向きに変え、辺りを見回す。
すると、500m程左方に、彼女が居た。






彼女は驚いた顔で、女に抱きかかえられている。


赤毛を2つに結んだその女は自分を見つめる一方通行に気付くとにっこりと微笑んで、手に持った軍用懐中電灯を振って挨拶をした。












《正体不明7》

完全に前を見ていなかったのか、走り去るトラックを一瞥すると、一方通行は空を滑るように進んでその女の前に降り立つ。
彼女は自分と肉薄する状況でも、にこやかな笑顔を絶やさない。
年は自分と同じくらいか。
先ほど使った能力から、空間移動系の能力者であるのは間違いない。
恐らくは、レベル4。
油断なく相手を睨みながら、一方通行はその女に静かに語りかける。

「おい、そのガキをこちらによこせ」
「助けてあげたのに、ありがとうぐらい無いの?」
「悪ィが、礼はそのガキを離してからだ。……早くしろ」

その言葉に大げさに肩をすくめて見せると、女は打ち止めを離す。
自分と目が合うと、すっと目を逸らして厳しい顔をする彼女に心の中でため息をつきつつ、一方通行は彼女の手を引く。

「……最近変な奴が多くてなァ。疑り深くて悪かった。さっきは助かった」
「いいのよ。気にしないで」

そう言う彼女は、やはり笑顔のまま。
ただの親切な能力者、か。
そう結論付けて、立ち去ろうと振り向く背中に声をかけられる。

「助かったと思うなら、借りを返してくれない?……一方通行」
「……あァ?」

振り向けば、彼女の目が真っ直ぐこちらを向いている。

「何で、俺の名前を知っているンだ?」
「貴方、かなりの有名人だから」
「ほォ……で、何をしろって言うンだ?」

心にわきあがる警戒心をそのまま表すような声を上げれば、傍らの少女の非難がましい視線が突き刺さる。

「……アナタ、何でそんな言い方しかできないの?ミサカの、命の恩人なんだよ?」

その目と言葉に内心応えつつも、表情を変えずに睨む一方通行に、その女は少し首をかしげて言う。

「簡単なことよ。誰も死んだりしない、殺したりもしない」
「……だから、何だ?」

自分の我慢強さを試すような口調にイライラが高まってくる。
すると、そこに打ち止めを追いかけてきたのだろう、御坂美琴が走ってきた。

「打ち止め!大丈夫だった?」
「うん。お姉様。このお姉さんが助けてくれたの」
「危なかったの?……そう。ありがとね。妹を助けてくれて」

ほっとした表情を浮かべると、御坂は女に頭を下げる。
それにやはり微笑を浮かべると、赤毛の女は言う。

「そうね。一方通行だけじゃなくて、貴女にも許可を貰ったほうが良いかしら?」
「……何を?」

変わらず、笑顔で。






「少しだけ、そのクローンを貸してくれないかしら?」






こいつは、何者だ?
膨れ上がった警戒心のままに、打ち止めを引き寄せる。
第3位も反射的に打ち止めの前に庇うように立つ。



「何者だ、テメエ?」



自分を知る人間ならば震え上がるような殺意を浴びせても、その女の表情は変わらない。



「その子を殺したりしない。用が済んだら、ちゃんと返す」
「質問に答えろ」



空間移動能力者なら、飛び掛っても避けられる可能性が高い。
だが、触ることさえできれば生体電流を制御して動きを奪うことができる。
さて、どう動くか。



だが、レベル5である2人を前にしても、彼女の余裕は消えない。



「私、貴方達と戦いたいわけじゃないの。だから、少しだけ借りるだけ。約束するわ」
「そんな話、聞けるわけが無いでしょう?」
「受け入れてもらえないと困るの」
「俺達がレベル5だって、知ってるンだよな?……死ぬぞ、オマエ」



その言葉に応えるのは、彼女の深いため息。
そして、ゆるりと視線を上げる。



「約束するから。だから、信じて、ね?」



そう言うと、女は手にする軍用懐中電灯を振る。
その瞬間、打ち止めとその女の姿は忽然と消えた。







離れた位置から路上で一人、風斬氷華は目の前の展開を呆然と見ていた。
人にあらざる存在である自分には、遠くの彼等の会話もクリアに聞き取ることができた。
空間移動能力者が能力を発動させる瞬間の、燃え立つようなAIM拡散力場も、虚空に消える直前の打ち止めの表情も、目の前で起こっているかのように認識した。



彼女は、誘拐された?



理解した瞬間、風斬の耳が音を捉える。
距離はここから800m程。

混乱する打ち止めを眠らせるように指示する、あの女の声がする。
それに従うように響く足音。
抵抗する布ずれの音。
呻く声が、やがて細く消えていく。
車のドアが開き、彼等はそれに乗り込む。
そして、いずこへと走り去る

彼女は、誘拐されたのだ。
何者かに。
取り押さえられ、抵抗したのに薬をかがされて。
助けを呼ぶ声も出せずに、眠らされて連れ去られたのだ。

その事実がゆっくりと認識される。
誘拐、だ。
あの女はちゃんと返すと言った。
でも、その保証はどこにも無い。



……彼女にはもう、会えないかもしれない。






ふと気付けば、体が震えている。



これはなんだ?
この感情は。
人外の化け物のくせに空洞の胸にこみ上げる、この感情は。
初めての、そして激しい、この痛みは。






ああ、そうか。
分かった。



私は怒っているんだ。






理解した彼女の体が、軋みを上げる。
加速度的に増していく重量に、地面にずぶずぶと足が埋まる。
そして、彼女は正しく知覚する。
正しく思い出す。

自分の存在を。
自分が何者であるかを。

そう、私はAIM拡散力場の海から生まれた。
全ての能力者の力とつながる、虚数学区の子。
実数の外にある虚数として、学園都市を何時も見ていた。
陽炎の街から透かし見えるこの街を、いつもうらやんでいた。
笑い、泣き、悲しみ、喜ぶ、無数の命達。
その輝きの一つになりたくて、なれなくて。
いつだって、学園都市の人達がうらやましかった。



私だって、だれかと笑いたかった。
私だって、だれかと泣きたかった。
私だって、だれかと悲しみたかった。
私だって、だれかと喜びたかった。



私だって、だれかと友達になりたかった。






そんな私に手を差し出してくれた、一人の愛らしい少女。



彼女の手は、とても温かかった。
彼女の笑顔は、とても優しかった。
彼女の言葉は、とても柔らかかった。
彼女の時間は、とても幸せだった。



こんな私を友と呼んでくれた、大切な人。



そして今、その彼女を害するものが居る。
彼女が今、危機に瀕している。






風斬氷華はついに顔を上げる。
その目に映るのは、光の世界ではない。
彼女が住む、陽炎の街。
そこに揺らぐ、打ち止めとあの能力者の力場を真っ直ぐに見る。



許しがたい敵に対する、灼熱の憤怒。
それを力に変えて、風斬は矢のように走り出した。












《正体不明8》

マンションの入り口で電話に出た当麻が話している相手は美琴らしい、とインデックスは推測する。
彼の電話の口調から、何か好ましくないことが起こったことが容易に分かった。

「ああ。心配するな。とりあえず一方通行に運んでもらって、直ぐ帰ってくるんだ」

心配するな。
彼はもう一度繰り返すと、電話を切る。

「打ち止めが攫われたらしい。ちょっと忙しくなるな」

目で聞く私に、彼は淡々と答える。

「攫われた?」
「ああ、空間移動能力者らしい。赤毛の女。これでわかるか?」

当麻の質問に、記憶の中のバンク情報を再生する。

「うん。結標淡希。レベル4。空間移動能力者の中では最も強力な能力者だよ」
「そうか。細かいスペックはわかるか?」
「最大移動距離は800m以上、最大移動重量は4520kg。自身に触れなくてもこの制限の中なら任意の物を移動できる」
「それはすごいな」
「……勝てそう?」

その質問に、当麻は淡々と回答する。

「試合なら余裕だ。だが実戦となると、手持ちの情報では引き分けが良いところかな」
「なぜ?」
「結標は一度に800m移動できる。別の言い方をすれば、半径800mの全てを一瞬で巻き添えにする攻撃をしないと、確実に結標を倒すことができない。それは市街地だと事実上不可能だ。しかも、今は打ち止めが人質になっているからな。真っ向から戦えば、勝つのは相当難しい」

確かにそうだ。
空間移動能力者の最大の強みは、攻撃と逃走が読めない点にある。
学園都市のように建物などの遮蔽物の多い街でこそ、最大限の能力を発揮できるのだ。
逆に一方通行や美琴の攻撃能力は、強力ゆえに街中ではその真価を発揮しにくい。

「じゃあ、どうするの?」

そう言って彼を見上げる私の頭に、彼の手がぽん、と乗せられる。

「心配するな。多分、何とかなる」
「……本当に?」
「ああ、皆で力を合わせればな」

少しだけ微笑む彼の後ろに、沈鬱な表情の超能力者2人の姿が小さく見えた。






上条家。
ぐるぐる巻きのまま、やはり気を失っている魔術師の姿に僅かに驚きを見せたものの、やはりそれどころではなかったのか。
魔術師の脇に立ったまま、PCを卓袱台の上に移動させる当麻に問いかける。

「アンタ、なに悠長に調べ物しようとしてんのよ?」
「悠長ではない。お前の能力で結標淡希のプロファイルデータをダウンロードしたら、直ぐに動く」
「プロファイルだァ?そンな暢気なことする必要なンてねェだろうが」

イラつき、落ち着きの無さを隠さない第1位の声に、彼は淡々と答える。

「インデックスの探索術式で打ち止めの場所を探し、そこにお前が強行する。そう言いたいんだろう?」
「……ああ」
「結標は一度に800m跳べる。お前の接近を僅かでも気取られれば、打ち止めを連れて直ぐに逃走するだろう」
「上等だよ。移動する度に音速で追ってやる」

その回答に、当麻は美琴に結標淡希の詳細な実験データをダウンロードするように指示しつつ答える。

「それも考えたがな。追い詰めると、きっとあいつは打ち止めの命を人質にするぞ?」
「命?」
「結標は任意のものを800m移動させられる。追い詰められたら、あいつは打ち止めを800m地中に移動させる、と脅してくるだろう」
「……クソッタレが」
「それに、もし今回打ち止めを助けられても、中途半端に結標を逃がしたらあいつはまた打ち止めを狙ってくるだろう。座標移動に24時間狙われるリスクは大きすぎる」

だから。

「だから、ここで決める。もう2度と立ち向かう気が起きないようにするために、完璧に敗北させる作戦を練るんだ」

そう言うと、当麻は一方通行の肩を叩く。

「心配するな。結標は打ち止めを殺すつもりは無い。あるなら、さっき聞いた状況で打ち止めを助ける意味なんて無い。何かに利用するためにあいつを攫ったんだ。だから、まだ時間はある」

そう言う当麻に、美琴は情報のダウンロードが終了したことを伝える。
その概要を聞くと、当麻は頷いて宣言した。

「じゃあ、始めよう」












スモークガラスのその車は、学園都市の外れにある廃工場に入っていった。
この周辺は学園都市の中では珍しい、寂れた街並みを呈している。
周囲にまばらに存在するビルも、よく見ればガラスが破れ、ドアを失っている。
学園都市の開発から取り残され、電車網やバス網からも外されたこの地域にはそもそも人が住んでおらず、訪れる人もほとんどいない。
そんな場所にある打ち捨てられた工場を訪れていることが、彼等のやろうとしていることが後ろ暗いことである何よりの証明であるように思われた。



工場から500m。
彼等の動向を油断なく伺うと、男達の手によって車から打ち止めが連れ出されるのが風斬には見えた。
工場の中の力場を見れば、この場にいる能力者は彼らを含めて10人。
ここで突っ込めば、楽に救出できるかもしれない。



そう思って足を踏み出したところで、意識を取り戻した打ち止めが暴れるのが見える。
後ろ手で縛られている彼女は、それでも電撃を発して果敢に抵抗する。
そんな彼女を吹き飛ばす、空力能力者。
叩きつけられて呻く彼女にあの女が懐中電灯を振れば、彼女の姿が転移する。
陽炎を追えば、工場内にある部屋に彼女のAIMが見える。
笑いながら工場内に入っていく空間移動能力者。
その背中が消えたところで、風斬は走り出した。












携帯電話を複数回線使用時の会議モードに切り替えると、上条当麻は御坂美琴に聞く。

「もう公園に着いたのか?」
「うん。今、インデックスが探索術式を発動している」
「インデックス、問題なく聞こえるか?」
「大丈夫だよ」

彼の目は小刻みに動きながら、流れるように移り変わるPCの画面を見ている。

「一方通行はどうだ。大丈夫か?」
「少し落ち着いたみたい。ここまで飛んだときは異常な速度で怖かったけど」
「それはよかった」

結標の実験データ。
結標の過去の起こした事件。
結標の過去の学校での生活態度。
通り過ぎるそれらの情報を解析しながら、結標淡希という能力者の弱点を洗い出す。

「とうま。場所の特定ができた。第19学区の外れにある廃工場だよ」
「打ち止めは無事だよな?」
「うん。少し、怪我をしているみたいだけれど」
「……わかった。御坂、その場所のGPSコードを転送してくれ」
「了解。……もう、行って良い?」
「ああ。携帯回線を繋ぎっぱなしにしておいてくれ」
「うん」

上条当麻は1人―正確には魔術師と2人―で上条家に居る。
幻想殺しを持つ彼に対してベクトル操作を行おうとすると、大きな負荷がかかる。
だから、上条を一緒に運ぼうとすると、一方通行の能力が大きく制限されてしまうのだ。
今回の作戦は、一方通行の高機動性を必要とする場面が想定される。
ならば、自分が戦線に立つのは邪魔にしかならないであろう。
そう判断した彼はダウンロードが終わった後、一方通行に御坂とインデックスを地脈の公園に運ぶように指示して、自分はデータの解析を行うことにした。

「一方通行に代わってくれるか?」
「わかった。……はい」
「……なンだ?」
「やり過ぎるなよ。そして、殺すな」
「……約束はできねェなァ」
「打ち止めが見ているんだ。短絡的な行動はするな」
「……チッ」

舌打ちとともに、御坂の回線にノイズが混じる。
恐らく一方通行が彼女を連れて高速で移動を始めたのだろう。

「インデックス、こちらはあと3分ぐらいで終わる。直ぐにそこに行くから、何かあったら教えてくれ」
「わかった。頑張ってね、とうま」

その声に、おう、と答えると、彼は再び画面に集中する。
彼の頭に流れこむデータがやがて集まり、意味を成し始める。












今の自分は自動車よりも速く走れるに違いない、と風斬は思った。



車の中から荷物を取り出そうとしていた、打ち止めを吹き飛ばした能力者に急接近すると、
彼の両足に鋭い蹴りを飛ばす。
あっけなく砕ける両足で支えられずに揺らぐ体をつかむと、そのまま後方へ放り投げる。
15m程転がっていく鈍い音に、残りの3人の能力者が驚いて振り向く。
一番近い顔をつかむと、真っ直ぐ車のボンネットに叩きつける。
頭の形でへこむ鉄板からずり落ちる身体を飛び越え、炎を作ろうとする手を叩き折る。
鳩尾に叩き込んだ正拳で吹き飛ばされる仲間に、叫ぼうとする最後の1人の口に手を当てて力を込める。
顎を砕かれた痛みで失神する姿を一瞥したあと、彼女は打ち止めのいる部屋を見る。



そして風斬は、音もなく薄暗い工場へと入っていった。












《正体不明9》

ここは工場の一室だと打ち止めは思った。
打ちっぱなしのセメントの床にはところどころにうっすらと埃が積もっている。
部屋の中央には古ぼけたソファーが2つ。
ドアのノブを回しても、外から鍵がかかっているのか開く気配は無い。
壁にある窓には格子が渡してあるから、ここからの脱出は不可能だ。
吹き飛ばされたときに噛んでしまった唇に痛みが走って触れば、指先が赤く色づいた。

もう、逃げられないのか。

自分を攫った能力者達。
彼等には自分の発電能力では太刀打ちできなかった。
中でも赤毛の女は別格に強い。
気がついたらよくわからないところに飛ばされる恐怖。
そして、自身の能力がそれだけにとどまらないことを示すような、あの余裕の笑み。
しかも、携帯もなくミサカネットワークに繋いでも場所がわからないとあっては、助けを呼ぶこともできない。
完全に追い詰められた状況に至って初めて、自分が今まで如何に守られてきたかを知る。

ごめんなさい、一方通行。

ぽつりと漏らした言葉に応ずるかのように、部屋のドアが軋みを立てて開かれた。






赤毛の女は男を2人引き連れて部屋に入ってきた。
手にはトランプのカードが握られている。
それを弄びながら、相変わらずにこやかな表情で、私にソファーに座るように言う。
言葉を無視して立っていると、男の1人に強引に手を引かれ、彼女の前に座らされる。

「ごめんね、最終信号。口、切っちゃった?痛かったかな?」
「……」

言葉なく俯く私の顔を、男の1人が強引に持ち上げる。
彼女はそれを手で制しつつ、話を続ける。

「私は座標移動って言うの。よろしくね」
「……なぜ、ミサカを攫ったの?」

私の問いに、彼女はふっと笑って答える。

「私ね、どうしても知りたいことがあるの」

そう言うと、彼女はゆっくりと足を組む。

「なぜ、能力を私が持っているのかってこと」
「……どういうこと?」
「私には座標移動の能力がある。でも、なぜそんな力を私は持っているのか?なぜ、そんな力を持つのが私じゃなきゃいけないのか?それを知りたいの。」

言っている意味がわからない。

「なぜ?」
「私は大きすぎる力を持っているの。誰かを傷つけてしまう、人に許される限界を超えた力。だから、知りたいの。理由があるのか、無いのかを。……それを、妹達を使って計算しようと思ったのよ」



その言葉を聞いて脳裏に浮かぶ、3人の顔。
いずれも莫大な力を操る、一線を超えた人達だ。
そんな彼らも、泣いて、苦しんで、悩むことを打ち止めは知っている。
だが。

「ミサカには、わからない」
「何が?」
「あなたの言っていることが、全然わからない。そんなものを知るために、私を攫ったの?」
「そんなもの、ですって?」

彼女の表情が微妙に変化するのが見える。
それに構わず、言葉を続ける。

「だって、それを知ったって何にもならないじゃない」
「……そうかしら?大切なことよ、知る、ということは」
「じゃあ、教えて。それを知って、そのあとどうするの?」
「答えを知ることが先よ。そのあとは、答え次第ね」

彼女の言葉は、答えになっていない。



そこで打ち止めは気付く。
彼女と、あの3人の大切な人達との違いを。

「あなたは、弱いんだね」
「え?」
「あなたは、可哀想だね」
「……なにを言ってるの?」



そして、思う。
私もひょっとしたら彼女のようになったかもしれない。
彼等に会わなければ、一方通行の手をとらなければ私が落ちたかもしれない、孤独と欺瞞の世界に彼女はいる。

「あなたは、泣きたくないの。苦しみたくないの。悩みたくないの。誰かのせいにして、何かに押し付けて、自分の罪を無かったことにしたいんだ。私は、悪くないって」
「……」
「あなたは、一人ぼっちなの。涙を拭ってくれる人も、苦しみを聞いてくれる人も、悩みを打ち明けられる人もいないの」
「……黙りなさい」
「だから、あなたは弱い。あなたは可哀想だ。こんなことまでして、言い訳をしようとする、あなたが」
「黙れ!」

彼女が手にしたトランプのカードが一枚、虚空に消える。
そのカードは私の左手の上にぱらりと落ちる。
私の左頬を薄く引き裂いて。

「作り物の癖に、偉そうに語るな!あんたに何がわかるのよ?クローンのくせに、何がわかるのよ?」
「……わかるよ。私も、あなたみたいだったから」
「……ふざけるな」

また、カードが飛ぶ。
それは私の右腕を薄く抉って落ちる。



「……もういい。偽物の話なんてこれ以上聞きたくない」

そう言うと、彼女は大きな息を数回する。
そして先ほどまでの笑みをどうにか繕うと、ゆっくりと語る。

「もう、わかったわよね?貴女を攫った理由」
「……」
「これから示すデータを元に、妹達を使って計算をしてもらうわ。上位個体の貴女なら、できるでしょう?」
「……」
「計算が終わったら、家までは無理だけど、近くまでは送るわ」
「……いいよ」

そんな頼みを聞く理由は無い。
だが、ここで断ったところで、依頼が強制に変わるだけだということは予想できる。
それに、その計算によって何かに重大な影響を与えるとは到底思えない。
……もちろん、彼女の今後の人生にも。

「素直に聞いてくれて助かるわ。……じゃあ、データを用意して」

彼女の言葉に、男たちが立ち上がる。


そのうちの1人がノブに手をかけたとき、彼は蹴り飛ばされた扉ごと吹き飛ばされた。






風を斬るかのような速度で室内に走り込んだ彼女に、能力者が放つ水が蛇のように迫る。
それをやすやすと避けると、力を使ったままの姿勢で驚く彼を壁まで蹴り飛ばす。
もう1人の男が作り上げた石つぶての散弾は、彼女の皮膚を貫くことは無い。
そのうちの一つを額にはじき返されて昏倒することを確認すると、風斬氷華は座標移動に相対する。



来て、くれたんだ。



「貴女、強いわね。肉体強化系の能力者かしら?」

部下を一瞬で倒されたのに、座標移動の表情には余裕の色が浮かんだままだ。

「風斬さん!この人、空間移動能力者なの。気をつけて!」
「うん。もうちょっとだからね、打ち止めちゃん」

立ちすくむ私に向かって一瞬だけ微笑むと、彼女は座標移動に向かって走り出す。
そして。



「……え?」



彼女の左足が、突如として切り落とされた。






バランスを崩して彼女は倒れる。
切り落とされた足の近くには、トランプのカードが2枚。

「貴女……何者なの?」

一方切り落とした座標移動も愕然としている。
彼女の目は、蒸発する結晶のように消えていく足を、それに伴って元に戻る彼女を信じられないような目で見ている。
その隙に、戻りきっていない足を軸に強引に踏み込んで、彼女は座標移動に右手を伸ばす。
だが、その腕は同じように地に落とされる。

「どういうこと?なんで、治るの?」
「ねえ、なんなのよ?貴女、一体なんなのよ?」

更に打ち込まれる、プラスチックのカード。

それは彼女の左腕を落とす。
身体を支えていた腕をなくして、彼女はバランスを崩して倒れる。

次いで、右足。

胴体。

切り刻まれていく、彼女の姿。






「やめて!」

気付けば、彼女に覆いかぶさっていた。
こんなことをしても、座標移動の能力には意味が無いかもしれない。
でも、そうせずにはいられなかった。

「あなたは、計算結果を知りたいだけなんでしょう?それを知れば、満足なんでしょう?だったら、これ以上傷つけないで!」

泣きながら叫ぶ私の顔を、風斬さんは呆然と見ていた。
まるで戦場で天使にあったときみたいに、理解できないといった目で私を見ていた。

その顔に、私の涙が落ちる。
一つ。
また一つ。

やがて、その雫に新しい滴が加わる。
一つ。
また一つ。

微笑む目じりから流れる液体が、混じりあい、溶け合って一つの流れになる。












そして、私の目の前でその首が落とされる。






絶叫。












《正体不明10》

手をちぎられても、再構成された。
足を切られても、直ぐに癒えた。
なのに、今。
彼女の身体は、元に戻らない。



千切れた身体は、溶けては行かない。
浮かんだ涙も、消えては行かない。
その代わり、少しずつブレていく。
彼女の身体が、存在が、霞んでいく。






「ようやく、くたばったみたいね」

後ろからの声に、思わず振返る。
窓を背に笑う、その顔に瞬間的に殺意が沸騰する。

だが、渾身の力を込めて飛ばす電撃は、移動されたソファーによって阻まれる。
そのソファーは地に落ちる前に唐突に消え、私の体の上へ転移される。
重量で押しつぶされ、床に倒される私。
肺が潰され、血が頭に上る。
なんとか跳ね除けようと足掻く上に、彼女が腰掛ける。

「ねえ、教えてくれない?」
「ぐっ……」
「なんで、あんな化け物を庇うのかしら。貴女も見たでしょ?アレ、人間じゃないのよ?」
「うぅ……」
「何でかしら?それとも、あれかな、貴女も作り物だから?」

作り物。
そう、私は、作り物。
合成された、命だ。
この心だって、機械によって植えつけられた。
人を手本に作られた、人に在らざる物。



だけど。



だけど。











「舐めたこと言ってンじゃねェぞ、クソッタレ」



だから、どうした?
それが何だ?



「作り物だろうが、偽物だろうが、この命は、私の命なンだよ」



私はここにいる。
今、生きているという事実が消えるわけじゃない。



「満足に自分の命も生きねェで、泣き言言って逃げてる甘ったれに」



だから、風斬氷華だって。



「ケチつけられる筋合いなンて」



彼女が私の友達である事実だって。



「これっぽっちも、ねェンだ!」



こんなクソッタレに、笑われる理由なんて欠片も無い。












全力で身体に電流を流す。
生体電流を操るなんて、高度なことはできるわけが無い。
できるのは、筋肉を過剰に痙攣させるだけ。
だが身動きができないこの状態なら、それで十分だ。

筋線維が断裂する痛みに悲鳴を上げながら、圧し掛かる重圧のバランスを崩す。
よろけるように私から離れる座標移動に、ソファーから這い出した私はつかみかかる。
予想外の行動に油断したのか、僅かな電気を帯びた拳が彼女の手に当たる。
床に散らばるトランプ。

更に一歩踏み込もうとしたところで、私の体は突然5mほど後方の天井付近に飛ばされる。
重力に引かれ、床に叩きつけられる。
着地するとき足を捻ったのか、なんとか立ち上がるものの痛みで動くことができない。
それでも顔だけ上げて睨めば、彼女の顔にはもう笑顔が無い。
警戒すべき敵として、私のことを認識したことが良くわかった。
私から目を離さず、彼女はカードを拾い集める。



クソッタレ。
ここまでか。



その時、閃光と轟音が鳴り響いた。












地響きにぐらぐらと工場が揺れるのを感じた。
窓の外を見れば、目の前にあったはずの古いビルが、コンクリートの山に変わっていた。
呆然と見つめる視界にオレンジ色の光束が何本も通る。
一瞬の遅れの後に、激しい音と地響きが襲う。



何だ?
何が起こっているんだ?



見れば、扉を失った入り口からも光が見える。
どうやら、辺り一体の建物がなぎ倒されているようだ。
見る間に、周辺の建物はなぎ倒され、一面が瓦礫の山に変えられる。
座標移動にも状況は把握できていないらしかった。
窓の外で繰り広げられる爆撃に、茫然自失の態をなしていた。

「一体……何が、何が起こっているの?」

気付けば、突如として目の前に広がる圧倒的な力に、彼女の身体が震えているのが見えた。






そして、唐突に轟音がやむ。
鼓膜が破れるような音量からいきなり解放されて、静寂がなぜか薄ら恐ろしい。



「何よ……終わったわけ?」



そこで私は気付く。
見える限り、広範囲の建物が例外なく打ち倒された。
なのに、何故この建物だけ無事なのだ?



その疑問に答えるかのように、窓ガラスが音を立てて割れる。






「……待たせたなァ」
「遅くなってごめん。……あとは任せなさい」



飛び込んできた大好きな超能力者達の背中を見て、私は安心してその場にへたり込んだ。












《正体不明11》(完)

落ちそこなったガラスが、頃合を見て音を立てて地面に落下した。
彼女に5分前までの余裕は無い。
小刻みに揺れるその身体から、恐怖と動揺が容易に読み取ることができた。



「……良く、頑張ったなァ」



座標移動と相対しながら、背中越しに届く声。
その言葉に、私の体が今更のように恐怖と怒りで震える。



「ミサカ、1人じゃ、ないの」
「1人じゃない?」
「風斬、さんが、助けて、くれたの。刻まれながら、助けて、くれたの」



その言葉に、左手で消えかけている彼女の姿が見えたのだろう。
一方通行と姉の肩がピクリと動いた。
10秒ほどの沈黙。
そして、一方通行は大きく息を吐くと、先ほど侵入してきた窓ガラスに向かってゆっくりと歩き出す。



「結標淡希。能力名は座標移動。最大飛距離は800m、最大移動重量は4520kg」



その口調は誰かを思い出させるくらい、単調だった。



「スペックだけ見りゃァ、最強の空間移動能力だ。だが、本当は違う」



静かに、ペールに相手の心を縛っていく。
語られる真実に、結標の顔に驚愕が浮かぶ。



「オマエは、自分を連続で飛ばせねェ。今から2年前の8月14日に行われた実験以来なァ」



窓ガラスまで到達した彼は、サッシの脇の壁に手をつく。



「更に空間移動能力者に共通の弱点もある。それは」



そう言うと、彼はずぶりと壁に手をめり込ませる。
手を起点として壁に一直線の亀裂が走り、部屋全体を囲む。



「精神的動揺によって演算がうまく行かなくなるってことだ」



そう言うと、彼は何気ない感じで差し込んだ手を上げた。
それに応じて、差し込む光。






真っ二つになった工場の壁の隙間から、眩しい太陽が見える。






そのまま彼は持ち上げたそれを、ほいっと後方に放り投げる。
工場の上半分が捲り上げられるように飛ばされ、地響きを立てて落下する。



「なァ。これで良く見えるだろ。何か、感想はねェか?」



開かれた景色は、想像通り瓦礫の山だった。
来るときに見えた廃墟群は何も残っていない。
目の前で起こった現象に、広がる光景に付いていけない結標は、ぱくぱくと口を開くが何も喋ることができない。



「なァ。あの赤い看板が見えるかァ?あの、鉄骨がむき出しになっているビルの少し向こうの看板」

「……」

「見えるのか、と聞いてンだが?」

「み、見えるわ」



その言葉が音として届いた瞬間、姉の周りに回っていた鉄骨片の一つが轟音を立てて看板とその周囲のコンクリート片を消滅させる。



「あの看板までの距離が800m。大きさもオマエと変わらねェ。言っている意味、わかるよなァ?」

「あ……あぁ……」

「どういうわけか、この付近は見晴らしが良い。オマエがどこに飛ンでも、超電磁砲なら届くと思うが」



そう言うと、一方通行はずしゃ、と一歩前に進む。
それを見て、彼女が慌ててカードを動かそうとする。
だが、その脇を通り過ぎる緋色の光の衝撃波に、彼女はカードを撒きながら吹き飛ばされる。



「警告するわ。あんたの筋につながる神経電位。この距離なら私には視える。次に不用意に動こうとしたら、その腕から吹き飛ばすわよ?」



咳き込みながら立ち上がろうとする結標に、一方通行は近づいていく。
彼に心底おびえた顔をみせ、立ち上がることもできずにずりずりと後ずさりしながら、彼女は吼える。



「近づくな!それ以上、近づくな!近づけば、その子の命は無いわよ?」



その言葉に、一方通行の歩みが止まる。
それを勝機と見たのか、結標は更に言葉を重ねる。



「私は、その子も、超電磁砲も座標移動で飛ばせる。地中にだって飛ばせるのよ?いつでも、殺せるの」



ほとんど悲鳴みたいなその言葉を聞いて、一方通行は大きく肩を落としてため息をつく。



「わかったでしょう?その子達は人質なの。だから早く」

「哀れだなァ、オマエ」

「……え?」

「本気で言ってンだとしたら、抱き締めたくなっちまうほど哀れだわ」



やれやれ、と言う具合に両手を挙げると、彼は一歩前に出る。



「オマエ、俺達が何故ここにお前等がいるとわかったと思ってンだ?」

「……」

「お前等がどこにいるかなンて、どンなに離れていても俺なら1cmの誤差なく見付けられンだよ。……第1位を舐めンな」



そして。



「オマエがこいつ等を地中に埋めたって、高々800mだろ?俺なら5秒で掘り出せる」

「そ、そんな……」

「人質?そンなしょぼい能力で笑わせンなよ、三下が」



歩みにあわせて、後ずさりする彼女の背中が、半分だけ残った壁にぶつかる。
逃げ場が無いと悟った彼女が自暴自棄で振るおうとした手を、一方通行が蹴り上げた石が
物凄いスピードで貫く。
手を押さえてのた打ち回る彼女を見て、彼はぼそりと言う。



「第3位」

「ええ」



その言葉とともに紫電が結標を貫き、煙を上げながら彼女は動かなくなった。












9月2日。
当麻からの連絡を受けて超音速機で来日した神裂は、何度も頭を下げながら褐色の魔術師を回収していった。
当麻が彼女と語る言葉は極めて穏やかなものだったが、今回の件は大きな貸しであることをきっちりと彼女の心に刻みこんでいることが良くわかった。
やがて90度以上の深い礼をする姿が玄関のドアの向こうに消えるのを見送ったあと、彼は
PCでデータをハックしている美琴に聞く。

「話の途中ですまん。御坂、結標淡希の容態はどうだ?」
「怪我自体は大したことはないけど、精神的に壊れたみたい。……心療内科に入院しているわ」

その言葉を聞いて、彼は少しため息をつく。

「……言ったとおりだろう?やり過ぎだって」
「こンなもンで済ませたンだ。。むしろ礼を言われてェよ」
「あの子達を傷つけたのよ?あいつの顔見たら、きっともう一発くらい超電磁砲を打ち込みたくなるわ」

やっぱり、なんとしてでも俺が行くべきだったか。
彼はそういいながらもう一度ため息をつく。

「で、話って何なンだ?」

家においてきた打ち止めが気になるのだろう。
少し落ち着かない様子でせかす一方通行に、当麻は答える。

「まずはシェリー=クロムウェルから得られた情報で、非常に有用なものがあった。一方通行が見つけたあいつの記憶では、20年前にイギリス清教と学園都市が共同の実験をしていた事実があったよな」

そういいながら、彼は美琴にデータを出してもらうよう依頼する。

「その事実が意味すること。それは、20年前の段階で、学園都市の一部の人間は魔術を認識していたってことだ。そして、現時点でもイギリス清教とのつながりがあることから、現在も学園都市の上層部に魔術を認識しているものがいるのは間違いない」
「……で?」
「20年前から、学園都市は魔術と関連があった。でも、魔術なんて存在は学園都市では一度たりとも認められていない。だから、それは何かの高次の目的で隠されているんだ」

そこで彼は一口麦茶を飲む。

「となれば、学園都市は20年前から一貫して、機密のプロジェクトを推進してきているんだ。ならば、その提案者は20年前から相当の権力を学園都市で持っていたはずだろう?」

そういいつつ、彼は美琴が出したリストを提示する。
そこに示されているのは、学園都市の理事や役員の経歴だ。

「学園都市は、急発展を遂げる学術の街。上層部の入れ替わりだって激しい。20年前から役員や理事で居続けた人物は、きっと少ないだろうと思って調べてみたら、該当者は1人だった」
「……誰だ?」

その問いに、画面の表示が切り替わる。



「こいつだ。学園都市総括理事長、アレイスター=クロウリー」



そこに映るのは、男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える人物。



「で?」
「ところで、アレイスター=クロウリーという名前は、魔術の世界では特別な意味を持つ。そうだよな、インデックス」
「うん」



そこで私は説明する。
20世紀最強最悪の魔術師のエピソード。
魔術師ならば恐らく知らぬものは無い、その偉大で汚らわしい天才のストーリーを。



「聞いての通り、アレイスター=クロウリーという名前は魔術師にとって特別な意味を持つ。そんな名前を、魔術に詳しい彼が冗談で名乗るとは思えない。その魔術師はイギリス清教に討伐されたらしいから、イギリス清教と付き合うならなおさらだ。だから俺は、彼はその最強の魔術師本人なんじゃないかと思うんだ」
「……学園都市のトップが、魔術師?」

美琴の呟きが、宙に溶ける。

「そして、結標の記憶から、アレイスターの元には当然ながら色々な機密が集まり、そしてそこから命令が出ていることがわかる。妹達についても、少なくともGoサインを出したのはあいつだった」

気絶した結標から一方通行が読み出した記憶については昨日聞かされた。
彼女は窓の無いビルに訪れるVIP達を運ぶための案内人であり、仕事中にさまざまな機密に触れていたことがわかった。

ほとんどが断片的でそれだけでは意味を成さない情報だが、いずれこれらについてもわかる日が来るのだろうか。

「あいつは、何かを企んでいる。魔術と科学を組み合わせた、途方も無い何かを」
「妹達も、その一環ということね」
「ああ」
「そういえばオマエ、風斬の情報を聞いたとき何か考えてたよな。何か、わかったのか?」

ああ。
そう答えて、当麻は言う。

「風斬が作られたのか自然発生したのかはさておき、特に方向をそろえなくてもAIM拡散力場から彼女のような強大な力をもつ存在が産まれることがわかった。だったら、妹達によって方向をきちんとそろえられたら、想像を絶する存在を作ることができるはずだ」

そういいながら、彼はPCを操作して画面を出す。

「これは妹達の居場所だ。世界のほとんどをカバーするように満遍なく分散されている。この意味がずっとわからなかったんだがな。妹達によって作られた、AIMの兵器を世界中
どこにでも動かせるようにするための配置と考えれば、すっきりしないか?」

でも、一体何のために?
そう問う私に、彼が答える。



「シェリーの記憶から、魔術集団は互いに対立が深まっていること、また学園都市に対する警戒心が高まっていることがわかった。……いずれ魔術と学園都市の間で戦争になるのは避けられないだろう。だから、そのための準備の一環かな」



何時も通り、淡々と恐ろしいことを言う彼に、場の空気が凍る。



戦争?



「なんで……?なぜ、そうなるの?」

美琴の問いに、彼は少しだけため息をつく。

「魔術は宗教と一体化している。神の奇跡を実現するのが魔術だからな。だが、科学は世界から宗教を駆逐しようとしている。さらに学園都市の超能力は、神の奇跡すら数式で説明してしまうだろう?魔術集団にとって、学園都市は自分達の存在を脅かす恐ろしい存在なんだ」

だから。

「どこかのタイミングで存在をかけた戦いになるのは避けられないんだ。あとは、それが何時か。魔術側が今なら勝てるが、将来はわからないと判断してしまうのが何時かが問題だが、少なくともシェリーの記憶ではそう遠くなさそうだ」



しん、と場が静まる。
戦争。
大規模な殺し合い。
それが起こる可能性を告げられて、言葉が出なくなる。



「……じゃあ、俺達はどうするンだよ?黙って戦いが始まるのを待つのか?」

沈黙を破り、一方通行が問う。
その問いに、当麻は何時も通りの口調で答える。

「俺達はアレイスターの存在も知り、イギリス清教ともつながりがある。だから、これらをうまく操れれば、戦いを回避できるかもしれない」
「……どうやって?」
「それはこれから考える。でも、現時点で一番妥当なのは魔術側に魔術の存在を公開させることだろう」

魔術は秘密主義だ。
宗教を背景にしているから、異教とは交流も薄い。
それぞれが強い力をもっているのに、まとまった行動ができない。
だから。

「魔術を公開し、異教同士を集めた魔術都市でも作って魔術の習得と開発を行わせる。魔術都市の力が学園都市と拮抗できるようになれば、戦いは回避できるだろう?」

たしかに。
確かにそうなれば、戦いは起こらない。



でもそれは、あまりに遠い道ではないか?
でも、場の空気がぐっと重くなるのに、彼は微笑んだままだ。



「とうま、なんでそんなに余裕なの?」



私の問いに、皆の視線が彼に集まる。
その視線に、彼は笑みを湛えたまま、静かに言う。






「だって、俺達は全て持っているじゃないか」

「全て?」

「世界最強の超能力者。世界最高のハッカー。世界最強の魔術師。世界最速の超並列演算装置。学園都市の決戦兵器。それらが皆、この手にあるじゃないか」

「……」

「これだけのカードを持っているんだ。俺達ならなんでもできる。そう、思わないか?」






当麻は不思議だ。
今まで数え切れないくらい騙されてきたのに、その言葉を信じてしまう。
何とかなるんじゃないかって、うっかりそう思ってしまう。



「……あァ、確かにそうだなァ。この面子なら、世界だって制圧できるなァ」

「そうね。確かに、誰が相手でも負けるわけが無いわね」

「うん。私だって本気を出せば凄いってことまだ見せてないしね」



彼の言葉は、力がある。
彼の言葉に、力を貰う。
皆を操り、皆を幸せにするために。
彼がくれる、数々の嘘と、真実達。



彼がすぅと右手を出す。
その握りこぶしに、美琴が自分の拳を当てる。
それに添える私に、一方通行が少しだけ口元を歪めて習う。



「アレイスターや、魔術集団はきっと色々考えている。世界をこう変えてやろうって多くの画策をしているに違いない」



彼は、にやっと笑う。
私達も、同じ笑みを返す。



「でも、そんなこと知ったことではない。俺達は、俺達が住みやすい、俺達が幸せと思える方向に世界を動かせば良い。誰かに利用される人生なんて、真っ平だからな」



ずっと誰かに利用されてきた私達。
それを救ってくれた、世界最強の詐欺師の笑顔。






「だから、作ろう。そんな幻想ぶち殺して、俺達の望む、もしもの世界を」











その時、玄関のドアがバタンと開く。
焦った表情の打ち止めが、半泣きになりながら一方通行に駆け寄る。
その顔を見た彼は、少し慌てて決意の拳を引っ込めると彼女に問う。

「……なンだァ?またかァ?」
「うん。早く来て」
「アイツ、もうマスターしたって言ってなかったかァ?」
「もうちょっと練習が必要みたい。だから、早く」


引っ張られるように連れて行かれる彼の表情には、確かに笑顔がある。
扉の向こうに消えてから、美琴がそっと呟く。

「仲直りできて、良かったね」
「しばらくは、慌しそうだけどな。本当に良かった」

今頃、一方通行は彼女の身体を構成するAIM拡散力場を纏め上げているのだろう。
自身の存在がぼやけないようにちゃんと練習しろ、とぶつぶつ言う姿が目に浮かぶようだ。

「ひょうかも、仲間に入れないとね」
「ああ。あいつも大事な戦力だからな」
「仲間、でしょ?」
「そうだな。戦友だな」

そう言うと、誰からともなく笑い声が起こる。






ここから始まる、もしもの世界に、少しの緊張と大きな期待と希望を膨らませて。



[28416] 幕間、あるいは原子崩し
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:47
《幕間、あるいは原子崩し1》

白を基調とする静かな個室で、彼女は姿見の前に立つ。
そこに映るのは、栗色の髪をした女性。

私が腕を回せば、鏡像の彼女の右手が動く。
私がひざを曲げれば、虚像の彼女の身体が沈む。
私が微笑めば、幻想の彼女の口角が上がる。

しばらくその薄まった表情を眺めたあと、おもむろに左手を突き出す。
一度。
二度。
三度。
相変わらず微笑む彼女の身体は胸を中心としてひび割れていく。
やがてその中心は剥がれ落ちて、変わりに見慣れた赤色に置き換わる。
十度。
二十度。
何度叩いても、彼女の笑みは崩れない。
部屋に響く鈍い打撃音。
その音は監視カメラを見たのだろう、慌てて駆け込んできた白衣の女性に取り押さえられるまで粛々と続けられた。






8月30日。
退院前の説明事項を静かに告げる両生類と敬意と愛情を持って呼ばれる名医の前に、麦野沈利は何を考えるでもなく座っていた。彼が放つ声は鼓膜を振動させ、言語野や前頭葉によって処理されてその意味を伝える。だがそれによって私の思考や感情に特筆すべき動きは起こらなかった。

「……とにかく。身体はもうすっかり大丈夫だけど、心は全然駄目だね?ちゃんと薬を飲むこと、3日おきにはここに必ず来るんだよ?」

視線をゆっくり左手にずらせば、机の上に置かれた8種類の錠剤が見える。色彩豊かといえば聞こえが良いが、不用意に飲むことを避けるように毒々しいまでの警告色で示すそれらは、疑いようも無く向精神薬に違いなかった。

「ちゃんと来るんだよ?……わかったね?」

視線を彼にぼんやりと戻すと、私はゆっくりと首肯する。その行為に意味は無い。とりあえず頷けば済む。それだけだ。

「……念のために言っておくけど、来なかったり逃げようとしても必ずここに連れてくるからね?」

少しだけ目を細めて言う彼に再び頷いてみせる。どのように連れてくるつもりなのか、それが実現可能なのかと私の脳細胞の一部が疑問を出すが、それは水面に落ちた木の葉の波紋のように容易く掻き消えた。

わかりました。ちゃんと来ます。

意志をかき集めて何とかそれだけ告げると、たった3日間で私の体を復元した名医は納得したのか、ようやく私を解放してくれた。



診察室を出ると、待ちかねたように3人の少女が立ち上がるのが見えた。預けてあった退院祝いの花束をフレンダから受け取れば、薔薇の香りがかすかに漂った。
赤、黄、白、青で溢れる生きる希望みたいなその軸を少し強く握ると、包装紙を突き破った棘が指に刺さる。
ああ、痛い。
そして痛覚を思い出せば、左手の包帯の下が主張するように少し痛む。そうか、局部麻酔をかけられたんだっけ。どうでも良いけど。

そんなことを考えながら正面玄関を出れば、4日ぶりに見る太陽に肌が焼かれるのを感じた。私が生きようと死のうと、悩もうと笑おうと輝く光。
原子崩しなんてちっぽけなものじゃない、この星を一瞬で消滅させられる規模の核融合を
何十億年も続けてきたその光を直視すると、視界がホワイトアウトする。
白く抜けた視界を私が這いずる地面に戻せば、サイレンを鳴らす車が一台、私がここに来るときに通った救急患者用出入り口に走ってきた。






9月3日。
いくつもあるアジトの一つにあるソファーに力を抜いて寄りかかりながら、麦野はこの数日のことを回想する。

例えばフレンダ=セイヴェルンのこと。
「結局大人しい麦野は私の麦野じゃないって訳よ。だからこれでも食べて元気になれー」
私の胸に頭を擦り付ける彼女の頭をみて、ああ、彼女には旋毛が二つあるんだと考えていた私の顔を見て心配してくれたのだろう。缶詰を主食にしていると思っていた彼女からは想像できないほど珍妙だが美味しい料理を振舞ってくれたあの時間。
あの時、私は確かに嬉しいと感じたはず。だがその振幅はそよ風に揺れる蜘蛛の糸の如く小さかった。

例えば絹旗最愛のこと。
「こういう時は超B級映画と相場が決まってるんです。超元気がでますから行きましょう、麦野」
渡されたパンフレットの文字列を目で追うだけの私の表情に気をかけてくれたのだろう。半ば強引に引きずられて入った寂れた映画館で見たあの映像。
あの時、私は確かに楽しいと感じたはず。だがその動きは錆びた振り子みたいに直ぐに静止へと落ち着いた。

例えば滝壺理后のこと。
「大丈夫だよ、むぎの。私はむぎのを応援しているよ」
手渡されたコーヒーの水面に浮かぶ小さな埃をじっと見る私を元気付けようとしてくれたのだろう。
病院帰りに手をとられて寄り道して買い物をした、あのデパートの喧騒。
あの時、私は確かに幸せと感じたはず。だがその膨らみは穴が開いた風船みたいに見る間に萎んでいった。



すまない、と思う。
情けない、と思う。
不甲斐ない、と思う。
だがそれらの気持ちも、やはり砂漠を満たす砂のようだ。
重ねても重ねてもある高さより昇ることはなく、振り掛ける端から崩れていく幻のようだ。



だから、あの日のことも同じだった。
何の迷いも無く殺意をぶつけ、何の言い訳もできないほど敗北したあの日。
傷をつけるどころか、相手にすらされない。全力をぶつけても、その能力の欠片を見ることすらできない圧倒的な力を誇る能力者の存在。
彼だけではなく第1位と第3位を擁し、絹旗の能力すら貫く正体不明の能力者をも持つ暗部組織と、彼我の力量の絶対的な差に気付かずに勝てない喧嘩を売った愚か過ぎる自分。
代償に受けた痛みや屈辱と、産まれて初めて感じた純粋な恐怖。
それらもやはり、飛行機雲みたいに形を崩し、その境界を失い、漠然と実感を失っていく。



だから、あの日のことも同様だった。
危ない橋を渡ってフレンダが集めた情報の束。
手駒にするために学園都市が仕組んだ罠と、それにまんまと引っかかった私達。
その事実を見て、困惑し、憤り、悲しむ彼女達を見ながら、心に浮かんだ感想はシンプルだった。
やっぱりあの能力者の言う通りだったのか。
事に関与した研究者の顔写真を見ても、大した感慨はどうしても生じなかった。



全てが、そうだ。
あの日から、全て。
私の生きる意志のように。
私の命への執着のように。
彼岸に手向けられる煙のように、心が揺らいで薄れていく。






9月5日。
何時ものように目が覚めても起き上がる気になれず、天井を見たり目を閉じたりを4時間ほど繰り返したところで枕元の携帯電話が鳴る。
のろのろとそれに目を移して背面に浮かぶ文字を確認すれば、この5日間毎日のようにかけてくる相手だった。
20秒ほど鳴るに任せるも、その騒音が憂鬱だったのでマナーモードに切り替える。
命を失ったそれをガラスのテーブルに投げると、目測を誤ったのか電話は机の角に鋭い音を立ててぶつかり、床に落下した。
もちろん、拾う気力はあるわけがない。床に広がる脱いだままの洋服や開いただけで読む気になれなかった雑誌達と共に、誰かが片付けてくれるまでその場にとどまり続けるのだろう。

私と同じ。
いずれ彼女達が私の元を離れ、誰もこの部屋を訪れなくなったとしたら。
誰かが私を発見してくれるまで、どのくらいの時間がたつのだろう。

そんなことを何となく考えていると、部屋の隅の倒れた鞄から電子音が鳴る。掛け布団を引き上げても鳴り続ける音を1分間聞いたところで、ついに私は諦めてそれを手にした。
耳に当てれば、ヒステリックなトーンが聞こえる。
ああ、面倒くさい。

「あんた、一体何のつもりなの!?」
「……なにが?」
「5日も電話に出ないって、どういうこと?一度負けたくらいで仕事を放棄するって、何なのよ。どこのガキなんだよ?」

何を喚くんだ。
放っておいてくれ。
黙る私に、声は続く。

「指令に失敗して、命令もボイコットして、部下にも指示を与えない。レベル5だからって何でも許されるって勘違いしてない?暗部を舐め過ぎると死ぬわよ?」

死ぬ、か。
それもいいな。

「いいわ。殺したら?」
「……チッ。いい加減に」

聞き続けたところで意味が無い。
動け、働け、殺せ。
ペットに鞭を与え、餌をちらつかせて操るための言葉が続くだけだ。
迷わず通話を切ると、間髪いれずにまた電子音が鳴る。

もういい。
さっさと銃か何かで撃ちぬけよ。

「……なに?」
「これは警告。これ以上反抗するなら、あんたも、あんたの部下も始末する。大人しく言うことを聞きなさい」
「そう。やれば?」

何もかも面倒になって機密回線越しに叫ぶ声をトイレに投げ込むと、携帯と鞄を拾って私は3日ぶりに外に出た。






3日間のうちほとんどを横になっていたからか。それともあまり食べていなかったせいか。
相変わらず輝く光の下を歩けば、少しだけ身体がふらつくのを感じる。
紫外線は美容の大敵だ、などと珍しくまともなことを感じたので街路樹の陰に移動すれば、大幅に暑さが去っていった。
見るともなしに道沿いの店を見れば、ディスプレイされているマネキンが着ている服には秋が伺える。
そうか、もう9月か。
日付までは思い出せず、確かめるために携帯を出すのも億劫だったから何日かはわからないがもう一月暦が移ったはずだ。
そう思いつつ影に沿うように歩くと、小走りに通り過ぎる学生の1人の荷物がぶつかって体が傾く。反射的にガードレールに手を突いた事実に、心が壊れていても本能が残っていることに今更ながら気付く。
そのままの姿勢で動かない私に謝り続ける少女に対応するのが面倒だったから、大丈夫だと伝えて10歩ほど歩いたところで、ポケットから振動が伝わる。
ため息をついて出れば、相手は絹旗だった。

「麦野、今どこですか?今日は病院に行く日ですよ。超早く帰ってきてください」
「ああ、そうね」

律儀な子だ。どう考えても上司として失格な私なのに。

「麦野、今日はケーキ買ってきたんだ。早く帰ってこないと麦野の分がなくなるって訳よ」
「むぎの、迎えに行こうか?」

恐らく後ろから割り込むように話しているのだろう。

「わかった。あとちょっとで帰るから。じゃあね」

きっと私は感謝すべきだ。
今までの自分の行為を振返れば、この待遇は破格と言える。
でも、それすら今の私には重荷だ。
身体に巻きつく包帯みたいに、その優しさで身動きが取れなくなる。



ありがとう。
あんた達の思いやりは嬉しいよ。



だから、私を放っておいて。






道沿いにある街路樹の尽きるところまで歩いてみよう。
なんとなくそう思ったから、借り物のような身を動かしていく。
たまに通り抜ける風は確かに涼しい。

左手を見れば、ひっきりなしに車が通り過ぎていく。
右手を見れば、学生達が喫茶店で楽しそうに話をしている。
それぞれが意志を持ち、それぞれが目的を持って生きている。
私の五感は、私が生きていることを告げている。
それが何故かとても不思議で、全てが偽者のような気分に囚われる。

そんな思いを巡らせながらふと下を見れば、もがきながら仰向けになっている蝉が見えた。
意志もなく、ただプログラムされたとおりに樹木の根に寄生し、遺伝子の発現に従って形を変え、生殖本能を満たして尽きる彼等。
小さな存在だが、それは確かにこの世界に彩と音楽をもたらし、多くの人々に感慨と感激を与えている。
拾い上げて木にあてがってみても、手を離せば地に落ちる、命を終えようとしている姿。



その姿をじっと見つめたあと、ふと浮かんだ思いつきを実行するために麦野沈利は携帯電話を取り出した。






その建物は第一学区の少し外れにある豪華な一戸建てだった。
外壁は2m程の桜色のレンガでできており、そこかしこに監視カメラの目が光っている。
通されたリビングに入れば、30畳はある吹き抜けの部屋に天窓から光が差しこんでいる。
壁には一目で名画とわかる絵画がかけられ、彼女が持つ権力と富を物語っていた。

狙撃されたらそれで良いと思っていたが、心底驚きながらも家に入れたのは、きっと室内なら私を始末できる自信があるからに違いなかった。
原子崩しの名を持つ私も、無敵ではない。
反応速度を上回る攻撃、知覚できない毒。
それらによって殺されうることぐらい良くわかっている。

「なぜ、わかったの?」

2年間機密回線越しに聞いた声と彼女の肉声は、当然のように全く別物だった。
テーブル越しに見るその姿も、予想していたものとは大幅に違っていた。

「2年前の実験を思い出したの。その時、貴女はあの場にいた」
「それだけ?」
「あとは、貴女は学園都市の理事。だから、ひょっとしたらと思った」

別に外れても良い。その結果、捕まったり殺されても構わない。そう思って訪れた彼女が私達の上司だったことは、幸運か不幸かは判断できない。

「……で、何しに来たわけ?」
「もう、貴女には付き合いきれない。それを言いに来た」
「暗部を抜けたいってことね。……それなりの理由はあるんでしょうね?」
「別に。やりたくない。それだけよ」

目の前で初老の女が何かを考え、何かの意志をこめる目をする。
だが、別に良い。どうだって良い。

「簡単に抜けられるとでも?」
「抜けられないなら、抜けなくていい。でももう命令は聞けない」
「……死ぬわよ?」
「いいよ。殺せば?」

立ち上がり、床に寝そべる。
天窓から注ぐ太陽の日差しが、空調がやや効き過ぎの室温を緩和して心地よい。
カチリ、と撃鉄を起こす音がするが、目を開ける気にはなれなかった。
この光の中で死ねるなら、上等だ。

耳を澄ませば、細く蝉の声が聞こえる。
彼も遠からず死を迎えるのだろう。
私と同じく、プログラムされて、それに操られて。
そう思えば、何気なく聞いてきた音色が少しだけ優しく感じられる。
そこに混じるため息の音。
なんだ、撃たないのか?

「あんたの部下も死ぬわよ。本当に良いのね?」

せっかく良い気分なのに。
面倒臭いなあ。

「それは無理」
「……なぜ?」
「貴女は失脚する。貴女が私を使って数々の事件を起こしたことについて、あと2時間もすればサーバーから時限式に情報が各マスコミに流れるから」

紡ぐ言葉に、私の胸倉がつかみ上げられる。
その行為に急に何かがこみ上げてきてその手を払うと、目を血走らせた彼女が凄む。

「あんた、何言ってんの?なに、やってくれるの?」
「貴女はクリーンなイメージで理事に選ばれている。致命的でしょ?もう、今の地位には戻れない。あいつらも殺せない」
「言いなさい。どうやったら止められるの?……言いなさい!」

頭に突きつけられる銃の冷たさもまた、心地よい。
鉄の硬度。
硝煙の臭い。
私の人生を彩ってきたそれに、目を閉じる。

「言わない。殺せば良い」

その言葉に、轟音と共に私の頬を弾丸が掠める。
痛みに命を感じるが、床に零れる血を見ると不思議と生きる意欲が溶けていった。

「……何故?なんで、あんた、笑ってるの?……なんでよ?」
「面白くて。私もこうやって殺してきたんだ。因果応報って本当だったんだな、って思ったら、なんだか可笑しくてさ」

今度は右手だ。弾は掌を貫き、高価そうなフローリングに当たって止まった。
凄い。
この口径でも良く見れば穴が見える。
そう思ってその穴越しに彼女を見て微笑めば、ついに彼女は銃を下ろした。
弱いな。
私ならあと10ヶ所は穴を開けるのに。
もっと痛くて、もっと苦しいところがあるのに。
教えてあげようか?

「……もう、いいわ。諦めた。あんた、もう駄目なのね」
「もっと頑張れば?拷問の仕方、知らないの?」

私の問いに、彼女は首を振って椅子に座る。
そして傍らにある封筒を取ると、私の前に投げてよこした。

「取引よ。あんたは抜けて良い。部下も殺さない。だから、最後にそいつを殺しなさい。そして情報を流すのをやめなさい」
「ここで殺しておけば?」
「……その価値はないわ。あんたが使えないなら、私は暗部を使い続ける意味も無い。レベル5を殺しても得は無いもの」
「得、ね。貴女は何故生きてるの?」
「……それをわからないあんたは、既に死んでるってことよ」

ため息をつくと、彼女は手で顔を覆う。
不思議だ。
私にはやはりわからない。
生きようという意志だけでも理解できないのに、なぜ権力を、地位を守ることにまで力を使う気になれるのか。

「やっぱり、わからないわ」
「なら、知らなくて結構。……最後の命令、聞きなさいよね。あと、情報を流したら、失脚する前にあんた達を皆殺しにするから」

それを聞いて、私は笑う。
空虚に、感動も、感情の昂ぶりもなく、ただ笑うという行為を行う。

「何が可笑しいのよ?」
「……そんな情報、流すわけ無いでしょ。まさか騙されるとは思わなくて。貴女、理事の椅子には能力が足りないんじゃない?」

その言葉に彼女は再び銃を構えるが、笑い続ける私をみて憎憎しげな顔を浮かべると、吐き捨てるように宣告した。

「ともかく。そのターゲットは必ず殺しなさい。3日以内に殺せなければ、あんたの部下は死ぬことになるわよ?」
「あいつ等は最初からいつ死んでも仕方ないって思ってるわ。だから、別にそれでもいいんじゃない?」
「……本当に腐ったリーダーね。こんな人に使われていたなんて、可哀想に」



確かに。






押し付けられた茶封筒をもって帰ろうとすると、その女は慌てて呼び止めると包帯で私の右手を強引に巻いた。そういえばと歩いてきた通路を振返れば、点々と血の跡がついている。確かにこれでは目立つだろう。

撃った相手の怪我を隠してまで保身をはかりたいのか。
そこまで今の地位を守りたいのか。

権力とは与えられるものでも、奪うものでもなく、自然と自分にあるものだと思って生きてきた私にはその原動力がどうしてもわからない。
だから、去り際に再度先の約束を確認する言葉も、意味はわかっても真意は理解できなかった。



門を出ると、待たせてあった車に乗り込む。
車の滑らかな加速を感じて、速度計の隣にある時計を見れば13時。
そうだ、そろそろ薬の時間だ。
鞄からサイケデリックな錠剤を取り出すが、飲み込むための飲み物が無い。
車を止めるように指示をすると、走り出したばかりで止められた運転手がそれでも丁重な姿勢で開くドアを通り、私は近くのビルの脇にある自動販売機に向かう。そこで適当に飲み物を選んでから燦々と照りつける日差しを仰ぎ見れば、このビルはそれなりに高層であることがわかった。見たところ、テナントがちらほらと入っている雑居ビル。



特に、この行動に意味も意志もなかった。
冷たい飲み物を手に入れたから、多少暑くても眺めの良いところで飲んでみようか、というただの思いつき。もしも誰かに呼び止められたら、黙って引き返すつもりだった。
だが、昼休みが終わったからか、セキュリティが甘すぎるのか。正面から入って最上階までエレベータで運ばれる間、誰一人に見咎められることはなかった。
エレベータの左手、非常階段を登れば、背丈の半分ほどの手すりに囲まれた薄汚いコンクリートが私を迎えてくれた。
吹く風は地上より僅かに涼しい。すこしだけ大きく息をすると、私は適当に歩きながら、
プラスチックのパッケージから錠剤を押し出す。
赤、黄、白、青。
まるで薔薇の花束のような色を持つそれを飲み干すと、ぼんやりと外を眺める。
高さは20mと言ったところか。落ちたら死んでしまう高さだ。
死、か。



よっ、と手すりを超えて、向こう側に立ってみる。
足の下には小さく動く車と人。
あと20cmで、命が終わる。
いいよね、これでも。



飲みさしのペットボトルを試しに投げてみると、それは液体を振りまきながら落下し、アスファルトに軽い音を立てて墜落した。
次に、鞄を投げてみる。それも同じ。肩紐を少し撓ませながら偶々通り過ぎた車のボンネットに弾かれてどこかへ飛んでいく。



じゃあ、あとはこれか。
手にした茶封筒を痛む右手で引き裂く。
あの女の家で見せられた、ターゲットの写真とその詳細データが書かれた30枚ほどの紙の束が再び目の前に現れる。



ターゲット。
その言葉で消した人間は100人じゃ納まらない。



それしか生きる道が無いと思い。
それしか力を生かすことができないと考え。
それこそが自分の存在価値と信じて
奪って奪って塗り固めた自信と自負の城は、子豚が編んだ粗末な藁の家よりも容易く粉砕された。
ついでに、今までの人生もこれからの人生も押しつぶされた。



だから、もう良いじゃないか。
頑張らなくても。
虫けららしく、自分の命ずるプログラムに従って終了のボタンを押せば。



そう思って、この世の見納めにもう一度だけ世界を見る。
雑然としたビルと高級住宅が混在する、統一感に欠ける空間なのに、何故か今は美しく感じる。
きっとそれは、終末が見せる儚さだ。
花の色、散る姿こそ、美しけれ。
そう思って久しぶりに感慨を持って見渡せば、すぐ近くに桜色の外壁に囲まれた家が目に留まる。
ああ、あの女の家か。
ここから近いな。



あの家の中、あの女は今も必死に何かを考えているのだろう。
策略を練り、誰かとコンタクトを取り、何かを調べ、出した結論を指示する。
2年間も存在を知りえなかった彼女は、当たり前のように人間だった。
必死に生きようとする、自分が満足に生きるためには誰かの犠牲も厭わない人間。



私のような、人間。



それに気がついて、麦野は笑う。



そうか。

私はあんなだったんだ。

なるほど、なるほど。

はは。



ははははは。






ひとしきり笑うと、彼女は左手に抱えた紙束を宙に投げる。
駒場利徳と大きなフォントでかかれた氏名の少し上を狙って、彼女は能力を発動する。
セルロースとプラスチックの中間でできたそれを蒸発させ、彼女の光は薄いピンクのレンガをなぎ倒す。
更に左手に力を込めれば、腕がちぎれるような痛みと共に直径4m程のメーザーが生まれ、30分前に見上げた天窓を飛散させる。
2分も原子崩しを撃ち続ければ、もはやそこに誰かが住んでいた痕跡を見つけることは不可能なほど不規則に地面が溶けた更地が出来上がった。



それをみて、麦野はもう一度大きく笑う。
笑って、笑って。
やがて波が収まると彼女は呟く。



バイバイ、私。



そして彼女の身体は20cmのラインを超え、地上に向けて落下を始めた。












《幕間、あるいは原子崩し2》

地上までは何秒かかるかな。
そんなことを考えながら、最後くらい可愛らしく両足をそろえて飛んでみた。
一瞬だけ景色が持ち上がり、直後に角度を変えながら加速する。
浮遊感。
こういう時に時間がスローになると良く聞くけれど、そんなことは無かった。
走馬灯も見なかった。
でも、ただ一つだけ思い出した。
小さい頃に両親と一緒に行ったあの遊園地。
登りきった頂点から一気に駆け落ちるカタルシスを不意に思い出して、私は微笑んだ。



衝撃。



暗転。






9月7日。
3日ぶりに彼女の部屋に入れば生ゴミが湧いた臭いがかすかに漂っていた。
床には脱ぎ捨てられた洋服、乱雑に開かれた雑誌、飲みさしのペットボトルが散らばっている。テーブルの上には食べ残したままのパスタが変色し、一部に緑白色のカビが生えているのが見えた。
先月までの上品な雰囲気が思い出せないくらいに荒れた状況に深くため息を付くと、せめて生ゴミを処分しようとキッチンに入ったところで足が止まる。

引き裂かれた壁紙。叩きつけられて砕けた食器。刃が欠けた包丁。

臭気を発して小虫が湧いたシンクがまだ日常に見える風景に、絹旗最愛は言葉を失う。
そんな私をばらばらに引き裂かれたぬいぐるみの首が、ぼんやりと見つめている。

「きぬはた、どうし……」

基本的に感情の起伏に乏しい滝壺ですら、その衝撃は大きすぎたらしい。振り向けば、立ち尽くす私に声をかけようとした姿のまま、彼女は固まっている。その後ろから顔を出したフレンダに至っては言うまでもない。

誰からともなく漏れる、深いため息。
これは、もう駄目だ。
決断すべき時が来てしまった。

「滝壺さん、フレンダ。……これからどうしましょう?」

問いかける意味は余りに明白で、出さなければいけない結論は余りに難解だ。
どれを選んでも後悔が残る選択肢に、また誰かが大きく息をついた。






学園都市の板金技術は、いつ見ても信じ難い程のレベルであると浜面仕上は思う。3日前に大破した筈なのに、近くでしげしげと眺めてみても修復した跡が全くわからない。恐ろしいのはそれだけの完成度を、正味50時間程度で仕上げてしまうということだ。

「悪い。どこかに文句つけようと思ったが、見つけることができなかった」

そう言う軽口をにやっと笑って受け流す彼には、かれこれ十度ほど仕事を頼んでいる。持ち込む車は毎回違うから盗難車だと気付いているかもしれないが、それでもきっちり仕事をしてくれるあたりが若いなりにも職人というところか。その技術だけでなく、人格も信頼が置けると浜面はひそかに評価していた。

「それはよかったよ。じゃあ、これ請求書」

受け取る紙を一瞥すると、財布からカードを出して渡す。まだこの偽造カードは有効なはずだ。彼に迷惑はかかるまい。
そんなことを思いながらレジでの処理を待ちつつ何気なく見ると、他の客の請求書が見える。こんなところに置きっぱなしにして、と思いつつ額を見れば、何かおかしい。

「……おい、ちょっと待て。何でこいつへの請求額はこんなに安いんだよ?」

修理内容は自分と大して変わらないはずなのに、そこに並ぶ数字は自分へのそれの3分の1程度。
アレ?
ひょっとして、逆?
俺、騙されてる?
状況が飲み込めてきて少し引きつり出した自分の表情を見ると、彼はやはりにやっと笑う。

「当たり前だろ?お前のコレ、偽造だろうが」
「なっ……?」
「まあ、俺は別に良いんだがな。どうせカード会社が払ってくれるし。それに別にお前の懐が痛むわけじゃないだろ?」

馬鹿言うな。それだけ完成されたカードを作るのにどれだけの努力を重ねたと思っているんだ。
そう言いたいところだが、流石にそれは筋違いだし、なにより後ろの車の鍵はまだ彼の机の中だ。何とか怒りを飲み込み、可能な限り穏やかな顔で言う。

「なにを言うんだい、青年よ。コレはれっきとした正真正銘、正規のブラックカードだぞ?本来お前如きが触ることすら許されないのだぞ?」
「そう言う台詞は、ちゃんと働いて正規のカードの一枚でも持ってから言うんだな」

余りに正論な意見だが、それだからこそ腹が立つ。
クソッ、何とかぎゃふんと言わせてやりたい。
そう思いながら怒りで震える手で彼からカードと鍵を受け取って車に向かえば、運転席の近くにオイルの入った大型のタンクがある。
蓋は閉まっていないようだ。
それを見て浜面はにやりと笑い、後ろで腕を組んで見送る彼に向かってそれを思い切り蹴り飛ばす。撒き散らかされたオイルに驚く彼に自分の尻を叩いて見せると、車に飛び乗りスタートボタンを押して。

「……あれ?」

何故か動き出さないエンジンに、焦り気味で二度、三度とボタンを押す。やはり、反応は無い。
かちかちとむなしく響く音に、やがてトントン、とガラスを叩く音が加わる。
ぎぎっ、と音を立てるように首を捻って右手を見れば、相変わらず口元をゆがめる男が立っている。その手がドアのノブをゆっくりと引き開ける。

「これ、盗難車だろ?」
「……」
「盗難防止装置に小細工したようだが、やり方が古い。最近はほら、こんな具合に」

そういいながら彼は左手に握るリモコンを押す。
途端に動き出す燃焼機関。

「遠隔起動回路を利用したツールがあるんだ。これを使えば、エンジンのシリアルナンバーさえわかれば始動も停止も遠隔操作できる。尤もほとんど広まってはいない。持っているのは、そうだな。俺みたいな修理に関係する連中くらいか」

今更ながら気付けば、少しオイルにまみれた右手にはスパナが握られている。その腕の筋肉はどう見ても自分の1.5倍はあるように思われた。

「……さて、せっかく働きたいというんだ。精一杯頑張ってもらうか」

自分が詰んだことを知った浜面は、その言葉にがっくりと頭を垂れた。






1時間ほど話し合った末、結論を出した私達はそれを病院に伝え、たっぷり3時間待ったのちに足取り重く病院に向かった。
ため息をつきながら病室のドアを開けば、ベッドの上の彼女の目線が自分を捕らえるのを絹旗は感じた。

「調子はどうです?」
「結構良いわ。ありがとう」
「腕と腰の調子は?」
「問題なし。あのカエル、やっぱり天才ね」

僅かに笑顔を自分に向ける彼女に、完全とは言えないまでも強さを取り戻した声に、少しだけ心が痛む。
それを強引に抑えつつ、私は彼女の右手にある椅子に座る。逆側に滝壺とフレンダが座るのを待って、ちゃんと笑顔を作って彼女に話しかける。

「麦野、あの医者が言うには、身体はもう超大丈夫なようです。だから、ここらで一休みしませんか?」
「……?」

小首を僅かに傾げる彼女に、努めて優しく、ゆっくりと話す。

「あの医者の知り合いが、学園都市の外にマンションを一棟持っているそうです。で、そのうちの一室を2週間程度なら貸してくれると」
「……へえ」
「マンションがあるのは住宅街ですが、電車で10分くらい乗れば海にも山にも出れる良いところらしいです。最近色々ありましたし、皆でそこに行きませんか?」

その言葉に、残り二人の少女も賛同する。
麦野は私達の顔をゆっくりと見回すと、少しだけ考える顔をする。



「……いいんじゃない。お言葉に甘えて、たまにはゆっくりしましょ」



楽しみね。
そういいながら笑う彼女の顔を見ているのが辛くて。
医者に話を聞いてくると言い訳しつつ私は病室を後にした。












《幕間、あるいは原子崩し3》

9月8日。
海風に吹かれる彼女の横顔をそっと見ながら、絹旗最愛は小さくため息をついた。
昨日から数えて、これで何度目だろう。
何度ついても状況は変わらず、時間を戻すこともできない。
それにも関わらず漏れる息は、きっと私の心の軋みに違いなかった。

「絹旗。あれ、見える?」
「ええ。……超下手なサーフィンですね」

そんな私の苦悩とは対極的に彼女の顔は穏やかだった。
フレンダが買って来たペットボトルを礼を言って受け取ると、麦野は再び視線を海に向ける。
日差しを乱反射する水面に目を細めながら、風で乱れた髪をそっと撫で付ける。

「むぎの。サーフィンできる?」
「やったことないからね。どうだか」
「麦野ならできるって。運動神経が普通じゃないから」

何事も挑戦って訳よ。
そう言うフレンダの言葉に緩やかに首肯する姿。
5日前から3交代で見守っているが、その状態は極めて安定しているように思われる。

「これ、美味しいわね。学園都市でも売っているのかしら」
「あの壁の内側と外側では状況が超違いますからね。どうでしょう」

言ってしまってから、自分の発言が不用意であったことに気付いて恐る恐るその目を見るも、そこに動揺の色は感じられない。

「麦野、せっかくの休暇なんだしさ、学園都市のことは忘れてゆっくりしようよ」
「そうだよ、むぎの。楽しもう?」

彼女の傍らに立つ二人の少女の表情も、昨日までと比べると晴れ晴れとしているように見える。
彼らも私と同じように状況を知っているのに、なぜそんな顔で笑えるのだろう。
自分の諦めの悪さをまざまざ見せ付けられた気がして、私はまた息を吐いた。






麦野沈利。
レベル5、第4位。
プライドと暴力と残虐性を重ね合わせた彼女が完全に挫かれたあの日から、麦野の精神は加速度的に崩壊していった。
生きる意志からあっさり手を離し、発作的な自傷と沈黙を繰り返す。
あらゆる言葉や光景から興味を失い、ついには痛みにすら反応しなくなる。
1日おきに種類も力価も倍になっていく向精神薬でも、彼女の心を救うことはできなかった。
このままでは遠からず彼女は廃人になるだろうと気付き出した私達3人は、あの日彼女の主治医に呼び出された。

「あの子のことだけどね。もう気付いていると思うけど、残念ながら限界が近いね?」

そう切り出して話す口振りは穏やかだったが、その表情には憂いの陰が見えた。冥土帰しの異名をもつ彼は、自分の患者を救うためにどんな手段でも使うという噂は聞いていたが、だからといって彼がその手段を肯定しているわけではないということは容易にわかった。

「……他に、方法は無いんですか?薬を足すとか」
「臨床試験中の薬に、麻薬の一種まで使っているからね。これ以上はとても無理だね?」

静かに告げる彼の声に、隣の2人がうなだれるのが見えた。

「精神感応系能力者を使う、と言うのは?」
「彼女は精神的ダメージも相当大きいうえに、レベル5だからね。……でも、食蜂君の心理掌握なら何とかなるかも知れないね?」
「……いえ。それは無理だと思います」

常盤台中学の女王、食蜂操祈。彼女の持つ最強の精神系能力なら、あの記憶もトラウマも無かったことにできるかもしれない。
でも、それは不可能だ。
常盤台には超電磁砲がいる。あの正体不明の暗部に属する第3位が。
彼女のいる常盤台に接触しようと試みたら、彼女の精神は生き返っても今度こそ物理的に消されてしまう。
でも。
だからといって、こんな方法しかないのか。

「実行したとして、どのくらいで安定するんです?」
「少なくとも2週間は必要だろうね。……落ち着くまでは君達も大分苦労するだろうね?」

君達、か。
今までの彼の言葉から、彼が私達を暗部組織の人間だと気付いているのは確実だと思われた。
事ここに至っても彼女の両親について何も聞かない。
彼女の人生を左右する決断を、思考できない彼女の代わりに私達に投げかける。
選んだ先の彼女の人生について、私達に責任を求める。
例えそれが何者であっても、どんな方法を使っても自分の患者を救う。
なるほど、彼は冥土帰しの名にふさわしい。

「……少し考えさせてもらえませんか?」
「なるべく早めに答えを出して欲しいね。……取り返しの付かなくなる前にね?」

だが、その日彼女は飛んだ。
20m以上の屋上から墜落した彼女が腰椎、仙骨骨折と手足の裂傷で済んだのは、彼女の強靭な肉体のせいでもレベル5であるおかげでもなく、ただ偶然に通りかかったバンの屋根がクッションになったからに過ぎない。
もし落下が2秒前後したなら、きっと今頃彼女は死んでいただろう。

だから私達は一刻の猶予もないことを痛感して、冥土帰しに最後の手段を取ってもらう事に決めたのだ。

でも。
もしも彼女がいつもの麦野だったとして。
この方法を取るか、命を捨てるかの2択を迫られたとしたら。

ひょっとしたら、彼女なら死を選んだかもしれない。






学園都市のゲートから20m程離れたところで、浜面仕上はラジオのスイッチを入れる。
3回目の取引に向かう途中に偶々スキャンして見つけた放送局は自分好みの音楽をチョイスしてくれるものの、学園都市内では電波障害か何かのために聞くことができない。だからハンドルを握るものの特権として、外に出るときには必ずこの波長を拾うことに決めている。

「で、結局何時間働かされたんだ?」
「4時間。途中で何度か逃げようとしたんだが、あの野郎、その度にエンジンを止めやがってさ。最後のほうはマジで車を捨てようかと思った」

後ろに座る服部半蔵のにやつく顔を、ルームミラー越しに睨みつける。そのまま視線をずらせば彼の後ろにある褐色の箱達。

「……捨てられたら計画が台無しだ」
「わかってるよ、駒場さん。だから頑張って汗水たらしたんだって」

結局、左手にしみこんだオイルの染みは風呂に入っても取れなかったが、そんなことはどうでも良い。この車が無事に戻ってこなかったらと思うとぞっとする。

「でも、全く迷惑な話だよな。自殺するなら周囲を巻き込むなっての。何のために樹海があると思ってんだか」
「そう言うなよ。誰にだって悩みはある」

あの顔を思い出して思わずフォローしてしまった自分の頭に、半蔵のごつい右手の拳が当てられる。

「何だよ。お前、あのメンヘル女に惚れたのか?……まあ、確かに顔もスタイルも良かったがな」
「ち、ちげえよ。そんなんじゃねえよ」

確かにあの乳は良かった。
音を立てて車の屋根を突き破ってきた彼女を病院まで届けたときはパニックだったから気付かなかったが、あの後修理代の請求もかねて見舞いに行ったときに見たときの姿は、病院着越しでもなかなかのものだった。

「……鼻の下が伸びてるぞ」
「駒場さん?違いますって。俺はこれでも紳士ですよ。紳士」
「そうだな、お前は紳士だもんな。バニー好きの」

バニーか。
それも良いかも知れない。
迷惑かけたから、何かで借りを返させて欲しい。
微笑みながらそう言う彼女の言葉を思い出して、紳士な彼はうっかり妄想力を掻きたてられた。












《幕間、あるいは原子崩し4》

9月8日。
せっかく海に来たのだから海の幸でも食べようか、ということで散歩もかねて防波堤沿いを歩くことにした。
時計を見れば11時20分。
まだ夏の名残のある日差しの中、黒いレースの日傘を持つ彼女の横顔を絹旗最愛は見上げる。

「麦野、あれ見てよ。すっごいボロボロのボートが転がってるって訳よ」
「フレンダ、そんなに引っ張るな」
「……むぎの。ボートに乗ってみたい」
「ここは波が強いから危ないわ。乗るなら湖に行きましょ?」

まとわり付くフレンダを僅かに笑みを漏らしつつあしらい、言葉少ない滝壺に柔らかく応える彼女の姿は、彼女の部下になってからの記憶を探っても最も穏やかであると言える。

「あの店、まだ早いのに超混んでますね。ひょっとしたら超美味しい店だったりするんじゃないでしょうか?」
「そうね。じゃあ、あそこにしましょうか。今日は朝早かったから、おなか減ったしね」

元々が裕福な家に生まれ、才能にも恵まれた彼女だ。これまでの人生での分岐点で左右を逆にしていたとしたら、彼女は真にこの表情を見せる女性になっていたかもしれなかった。

「美味しい鯖、あるかな」
「……この辺りでとれたかしら」

だからこそ、心が痛む。
それが、作られたものであることに。
それが、一時のものであるかも知れない可能性に。






9月3日。
学習装置、正確に言えばそれを一部改変した装置であるとの説明を受けた。
脳に技術や知識を五感レベルでインストールするという、人間の根幹を揺るがすような科学技術。
普通の病室の続きにある一見普通の個室にもかかわらず、特殊な鍵と厚い扉に守られた部屋に、その忌まわしい装置は置かれていた。

「これを使えば、何とかなるかもしれないね?」

そう言う医者の顔は、自分の言葉の重みを自覚しているのだろう、終始無表情を徹していた。
それはそうだ。
それはつまり。

「……麦野が、麦野じゃなくなるってことですか?」
「そういうわけじゃないよ?」

……そうじゃないか。

「これで、本当に麦野が助かる訳?本当に?」
「これを使った上で、書き込んだ信号を安定させるために特別な薬を処方すれば、精神の崩壊は回避できると思うね?」
「……麦野。だったら……だったら……」

入院、拘束して投薬と心理学的療法を続けることができれば彼女は回復するかもしれない。
だが、彼女はレベル5。
暴走すればこの病院自体が消し飛ぶ可能性がある超能力者。
だから力ずくの方法もとることなんて危険すぎてできない。
寧ろこのような状況の彼女に向かい合ってくれる医者がいること自体が奇跡なのだ。
彼が助けられないなら、だれも麦野を救えないだろう。

「むぎのは、助かるの?」
「これ以外、僕が思いつく方法は無いね?」

崩壊は、避けられる。
彼女は、生きていける。
……でも、こんなこと彼女は望むのか?



病院を出た後、私はフレンダと滝壺を誘って近くの喫茶店に入った。
この時間はガラガラで会話が盗み聞かれる恐れは無く、念のためフレンダが盗聴器を探索したがそんなものはもちろん見つからなかった。

「どう、思いますか?あの超あやしい治療を受けたほうが良いと思いますか?」
「……他に手が無いんだから、もう仕方ないって訳よ」
「むぎのが助かるなら、そうするべきだと思う」

頷く二人に、飲み物を持ってきたウエイターが去るのを待って問いかける。

「……良いんですか?私達、暗部から超裏切り者扱いされますよ?」

学習装置を使って精神を救うということは、彼女の精神構造に手を入れるということだ。その結果麦野の自分だけの現実が歪み、能力の行使に影響する可能性がある。
彼女がレベル5の力を維持できなくなるかもしれないのだ。それに性格だって変わるかもしれないから、そもそも今までのような戦闘に精神的に耐えられないかもしれない。
それはアイテムとして致命的。上司やその上が黙って見過ごすわけが無い。

「あんたはいいよ。絹旗。1人でも十分強いからさ」

私の問いに、フレンダの顔が引き締まる。彼女はテーブルに肘をつくと、顔を私に近づけて話す。

「絹旗はきっと麦野なしでもやっていける。アイテムにこだわらなくたって、他の暗部に移ることだってできる」

彼女は隣の滝壺を見る。

「でも、私と滝壺は違う。麦野がいたからこそ、私達は今まで生きてこれた。麦野の下で、アイテムでそれぞれの役割を果たしてきたから、なんとかこれまでやってこれた訳よ」

ドジも重ねたけどね。そういって少しだけ苦笑を漏らして。

「正直言って、他の暗部に移れるかもわからないし、移っても生きていけるかもわからないって訳」

彼女はそう言うが、私だって他で生きていける自信なんて全くない。
圧倒的な麦野をあっさり地に伏せた能力者の存在を知ったあの日、私の能力に対する自負だって粉々に砕かれた。
同時に暗部に対して、今更ながら底の知れない恐れが湧いた。
今まで生きてきたのは奇跡だったのではないか?
上層部がある日消そうと思ったら、蝋燭を吹き消すように私達は抹消されるのではないか?
そう気付いたときから、私だってずっと不安の中で生きている。今更、素性の知れない他の組織に移るなんて勘弁して欲しい。
そう答える私を静かに見つめた後、フレンダは隣の少女を見る。

「私の力の生かし方や居場所を、むぎの以外がくれるとは思えない」

そう言って目を伏せる彼女の姿に、少しだけ沈黙が流れる。

結局、どちらも袋小路。
麦野を今のまま放っておいても、もしくは見捨てて逃げたとしても行き止まり。
麦野の精神を救ったとしても、やはりその先は行き止まり。

「でもさ。今だから思うけど、最初から駄目だったのかもね」
「どういうことです?」
「麦野が今までどおりだったとしてもさ。手も足も出ない奴らが上にいるんだから、結局状況は変わらないって訳よ」
「そうだね、ふれんだ。……それが暗部なのかもね」

確かにそうだ。
誰かを害して生きようしていた段階で、最初から出口なんて無かったのか。
なんて当たり前のこと。
……今まで気付かずに済んだのも、麦野のお陰か。

そう思ったときに、彼女の墜落を知らせる電話が鳴った。





9月8日。
今回も順調な取引ができそうだ、と顔なじみの商談相手と話す駒場利徳の後姿を見ながら浜面仕上は思った。
学園都市の技術は壁の外とは30年以上の開きがある。
その開きの原動力は当然学園都市の優れた研究開発力だが、その一方で高度の情報漏洩防止策も差を保つのに必要不可欠な要素だ。
技術もコピーされればあっという間に追いつかれ、追い越される。
だから学園都市の製品は、外に出すものは意図的に劣化した技術で作っているし、都市内の製品にもここ最近のものには外部に持ち出せないようにロックがかけられている。

「じゃあ、これで。またよろしく頼むよ」
「……ええ。では」

こちらに歩いてくる駒場の顔には僅かに笑顔が見える。思った以上の収穫があったようだ。
都市内では4世代くらい時代遅れになった、まだ持ち出し禁止用セキュリティの甘いPCや携帯のチップ。自分たちにとってはゴミ同然のそれらも、外の人間からすれば宝の山だ。

「どうでした?」
「……まあまあだ」
「じゃあ、帰る前にちょっと豪勢な飯でも食べませんか?この近くにうまい店があるらしいですよ」

半蔵がナビにデータを送ってくる。海鮮料理屋か。ここから近いな。

「……浜面が頑張って働いたお陰で上手くいった。何でも好きなものを食べろ」
「やった。じゃあ4時間分食べさせて貰いますね」
「お前が食べたいのは魚じゃなくてウサギじゃね?」

それは否定しない。
だが、学園都市の門にあるスキャナを誤魔化せるこの車無しには、今回の商談にたどり着けなかったのは事実だ。
……今なら堅物の駒場さんも、兎さんでも許してくれるかな?
そう思ってルームミラーを見れば駒場にしては手加減したつもりの拳で半蔵が呻いていたので、浜面はため息を付いてハンドルを握りなおした。












《幕間、あるいは原子崩し5》

9月8日。
あと30分ぐらいお待ちいただけますか、というウエイターの案内に、じゃあ待ちましょうと外にあるベンチに座った麦野沈利を絹旗最愛は驚きをもって見つめた。
僅かにある日陰の下、少し暑そうにパタパタと手で顔を仰ぎながらも彼女は平然と座っている。

「麦野、別にここじゃなくても良いって訳よ。暑い中待ってるのも大変だし」
「むぎの。暑くない?」

そう気遣うフレンダや滝壺に、彼女は手団扇を止めつつ答える。

「暑いわよ。でもしょうがないじゃない、他に待つところが無いんだし」
「……近くに他に店が無いか、超急いで探してみますね」

そう言いながら携帯を出そうとする私を、右手を上げて制する。

「絹旗がここにしようって言ったんじゃない。良いから待ちましょう。こういう時間も大切よ?」

待たせるのは良いが、待たせられるのは大嫌いな彼女とは思えない台詞に、フレンダと滝壺が思わず顔を合わせるのが見える。
私も予想外の台詞に、携帯を出しかけた姿勢のまま動けなくなる。
そこに不意に強く吹く一陣の風に、飛ばされていく彼女の白い帽子。
あっと言いながら追いかける私をからかうように、それは風を掴んで飛んでいく。
コロコロと、遠くへ、遠くへ。
この場に居たくない私の気持ちを救うように。






9月3日。
飛び降りたときにできた外傷を治療するための麻酔から覚まされること無く、学習装置によってインストール作業を受けた彼女は、4時間ほどで目を覚ました。
24時間経っても覚醒しないなら、書き込んだ情報を消す必要があり、その場合は彼女の記憶の多くが巻き添えで消える可能性があると告げられていたから、私達は開かれた目を見て20%ほど安心した。
彼女の目はやがて焦点を結び、その口が開かれる。
その腕から注入される意識を保てるギリギリのレベルまで脳の活動を抑制する精神安定薬のせいか、彼女の動きは泥酔した者のそれに良く似ていた。

「あ、ぁ、あ……」

紡ぐ音は意味を成さない。だが、声を出す意思があるということが大きな前進だと思われた。

「麦野、麦野、わかりますか?」
「……むぎの」
「麦野っ、フレンダだよ?わかる?……む、ぎのっ」

麦野。
それがあなたの名前。
理解できますか?
あなたが、あなたであることが、まだわかりますか?
……あなたは、まだあなたですか?

呼びかける私達に、彼女が何度も口を開閉したあとにようやく音を搾り出す。

「き、ぬはた。たき、つぼ、ふれん、だ」

私達の目を見ながら響く彼女の声に、フレンダの目から涙が零れた。
点滴から落ちる水滴よりも早く、次から次へと流れる雫。
そこに、震える彼女の手がそっと差し伸べられる。

「何、泣いてる、のよ。変な、子ね?」

その仕草に、僅かに彼女が見せる微笑に、フレンダがわっと泣いて彼女に縋り付く。
滝壺もベッドの逆側の床にへたり込むと、麦野の右手をつかんで顔を伏せて肩を震わせる。

「滝壺、まで。何、よ?何が、あったのよ?」

握られる右手を優しく握り返す彼女の姿に、私はついに耐え切れなくて病室から飛び出した。



顔を右手でぐっと拭って廊下の角を曲がろうとすると、あの医者がこちらに向かって来るのが見えた。きっと髪飾りのようにつけられているプローブで捕らえた脳波から、麦野が覚醒したことを知ったに違いない。私はもう一度顔を拭うと、歩いてくる彼を待つ。

「彼女の調子はどうかな?脳波を見たところ、上々の結果だとおもうけどね?」

その台詞に、筋違いと知りながらも吐き捨てるような音を私の口が放つ。

「……ええ、おかげさまで。超良い調子ですよ。……跡形も無いほど」
「それはよかったね?」

八つ当たりの悪意にも彼は淡々と答える。
たしかに、そうだ。
賭けに勝ったのだから。
きっと彼女は、もう大丈夫なのだから。

「……ええ。そうですね。……そうですよね」

息を大きく吸って、吐いて。
何とか気持ちを落ち着ける。
何度も考えて、何度も話し合って、そしてたどり着いた答えだ。
一時の感情で否定するのは、間違いなんだ。

「……辛いかい?」
「……辛いです。麦野を超裏切りました。超取り返しの付かないことをしました」

でも、辛い。
彼女の穏やかな姿に、どろどろと後悔が湧いてくる。
人間の尊厳なんて踏みにじりながら生きてきたはずなのに、あの表情をみると罪悪感で心が引き裂かれる。

「……本当に、すまない。僕の力不足のせいだ。恨むなら僕を恨んで欲しい」

肩に置かれる手の温かさすら、自分には許されない気がする。
彼が庇う言葉すら、自分には価値が無い気がする。
だけど、苦しくて。
だから、意味が無いのを知りながら、彼に問う。

「……もう、戻れないのでしょうか?時間がたっても、前の彼女には戻れないのでしょうか?」
「……彼女次第だね。書き込んだ情報を切り離せるだけの強さがあれば、ひょっとしたら溶け合わずにすむかもしれない」

俯いていたから見えなかったが、最初に説明したときみたいに彼の表情は苦渋に満ちたものだったに違いない。肩に置かれた手が少しだけ震えるのが窒素越しにわかった。それは生きる強さすら手放した麦野への、声に出せない謝罪にきっと違いなかった。






9月8日。
目的地まであと1kmです、とナビが告げる声に視線を動かそうとした瞬間だった、と浜面仕上は思い出す。
突然手を広げながら目の前に飛び出した黒い影。
きっと衝突防止装置による補助ブレーキが無かったら間に合わなかった。
派手なブレーキ音を立てて止まる車の前に、へなへなと座り込む彼女の姿に、彼は慌てて車を飛び出した。

「おい、あんた、大丈夫か?……おい?」

車は彼女の10cmほど前で止まっているし、見たところ怪我はなさそうだ。
恐怖と緊張でガクガク震える足を何とか奮い立たせると、少し語調を強めて問う。

「おい。……おい?聞こえてねえのか?……おい!」

自分の声に呆然と見上げる彼女。
少し気持ちが落ち着いてきて、改めて彼女の姿を見れば、何かおかしい。
なんだ、この女?
コスプレか?

「あんた、その格好はなんだ?コスプレか?」

奇妙な衣服が捲れて覗く生足に視線がロックされつつ問うと同時に、後ろからクラクションが鳴らされる。
振返れば後続車が2台ほど。

「おい、あんた、立てるか?」
「……ええ。私は大丈夫ですわ」
「……?まあ、いいや。じゃあ、じゃまだからとりあえず歩道に行ってくれるか?車寄せるから」
「ええ。これはコスプレではありませんわよ」
「……は?」

珍回答に思考がフリーズするが、それはいらだつようなクラクションによって再起動する。とにかく脇へ、と手を引っ張ってコスプレ女を歩道に上げると、浜面は頭を下げつつ車をわきに寄せた。












《幕間、あるいは原子崩し6》

死ぬつもりで飛び降りたあの日、目を覚ましたらとても気分がよかったと麦野沈利は思い出す。
自分の中に渦巻いていた食いつぶされるような無力感と絶望感、そしてそれに基づく自暴自棄な感情が大分薄れて、なんと言えば良いのか、生きる意志に近いものが胸の中に確かにあった。
それは死を覚悟したあの瞬間に僅かに見えた命への執着のせいかもしれないし、自分を完全に殺したと迷い無く認識したことをきっかけにした、一種の精神的な生まれ変わりのようなものかも知れない。
いずれにせよ、今の自分はかつての記憶にある私に比べて自分からみてもかなりおだやかで、我慢強く、そして優しい。
なにより、常にイライラとして一つの方向へと視野狭窄になりがちだった性格が緩和されて、周囲を見渡す余裕ができた気がする。
死ぬ、という経験はここまで人を変えるのだろうか。
そう思いつつあの日を境に自分の中に生まれた新しい自分をぼんやりと認識する。
それに感謝しつつも、どこかに得体の知れない違和感を感じながら、麦野は飛ばされる帽子を追いかける絹旗の背中を見つめた。






歩道の上で行ったりきたりのやり取りを総合すると、つまり彼女―オルソラ=アクィナス―は何らかの理由によって追われているらしいと言うことがわかった。彼女の追っ手たちは学園都市には手を出すことができないらしく、偶々見つけた俺達の車―学園都市専用のナンバーをつけてある―に乗せていってもらおうと無謀なダイブをしたようである。そこまで聞いた駒場利徳の指示により浜面は彼女を乗せて車を走らせる。

「……まったく。お前、もうちょっとで死んでたんだぞ?そこら辺理解してる?」
「ええ。私はローマ正教のシスターですわよ」

話はかみ合わないが、前後する文脈から察するに神の御加護があるから大丈夫、と信じたらしい。
神のご加護ね。
そんなものがあるなら、今の俺はこんなことしてるわけないっての。
例えるならそう、南国のプライベートビーチあたりで、着ている意味が無いレベルの細スケ水着を着たお姉ちゃんたちを侍らすとか、そのくらいの加護をもらえるはずじゃねえか。
そういうと、後ろから重く堅い一撃が後頭部を直撃する。
振返らなくてもわかる。こんな凄まじい攻撃をできるのは彼の知る限り駒場利徳ぐらいしか存在しない。

「……今までの話を聞いていると何者かに追われているから学園都市に逃げたい、そういうことだな?」

人よりもゴリラにジェノタイプが近いのではないか、思われる彼の風貌を見ても、彼女の微笑みは変わらない。
彼女の追っ手達は学園都市にまでは手を出せないようだ。だから彼女としてはなんとしてもそこまで逃げ切りたいらしい。

「そうでございます。ですので、もしできましたら私を学園都市に連れて行ってくださいませんか?」
「とりあえず追っ手は無いようだ。オルソラと俺達は何の関連もないから、この車に乗ってることも知らないはずだろ?だったらこのまま軽く飯食って学園都市まで連れて行ってやれば良いんじゃねえの?」

ちらちらと周囲を伺いながら言う半蔵の意見に駒場も首肯する。
駒場さんが困った人を見過ごせないタイプであることはよく知っているし、だからこそ自分は彼にここまでついてきたのだ。
そう思っていると、以心伝心か同じことを彼は言う。

「……命がけで飛び出してくるまで困ってるんだ。助けるのが人情と言うものだ」

いや、命がけって言う認識はこの女には無いかもしれませんよ?と突っ込んでみようとミラー越しに見たが、彼女の捲れた修道着の奥にちらりと色の違う箇所が見えた気がしたので、その言葉は発することは結局無かった。






30mほど走ったところで、麦野の帽子はようやく木立に引っかかって止まった。自分の身長では届かないが、能力を使えば何の問題もない。軽く3mほどジャンプすると、絹旗はそれをキャッチして、大きな汚れや傷が無いことを確認する。幸い異常は無いようだ。心からほっとするが、考えてみたら今の麦野なら何かあっても文句も言わずに取ってきたことに対する礼を言うだけかもしれない。
そう思って振返れば、ウエイターが運んできてくれた麦茶に頭を下げる彼女の姿が小さく見えた。
麦野。
麦野。
あなたは、どこまであなたなのですか?



9月3日に自殺未遂を起こした麦野には、すでに生きる意志、自己保存の意欲が欠落していた。これが無能力者なら様々な治療法があっただろうが、彼女の原子崩しは気まぐれや暴走、意識混濁の状態で発動しただけで数十人単位の人間が塵に変えられてしまう能力。現在有効とされている各種方法が極端に制限されているのが致命的だった。
その意味では彼女はレベル5であるが故に暗部に落ち、これ以上ない挫折と屈辱と恐怖を味わい、そしてなすすべも無く崩壊する運命にあると言える。
彼女はひたすらに能力に翻弄されて生きる哀れな少女だった。

そんな彼女を救うための最後の手段として提案された、学習装置を使って施した治療。
それは端的に言えば『生きる意志』を強引に注入する作業だった。
死と自己否定をひた走る彼女に、逆の意識を植え付けることによって生の方向へ引き戻す。

それだけ聞けばとても単純でわかりやすい話。
しかし、現実的には大きな壁がある。
まず生きる意志、などという漠然な物は数値化できるようなものではない。
生きる意志を与えうると想像できるもの、例えば恋人、財産、名声などは多くあげられるが、それは十人十色だろうし、それぞれに対する重み付けも大きく異なる。
さらに、生きる意志、と言うのはそれまでの経験、知識、そして個々人の性格と不可分だから、誰かから『生きる意志』だけを抽出して麦野に注入するというのは不可能だ。そして、適当にそれと目するものを強引に注入すれば、彼女の性格が崩壊するか、彼女が彼女ではなくなってしまう。

ところが偶然に、インストールにうってつけの条件を満たす存在を冥土帰しは知っていた。
超電磁砲のクローン。
彼等は均一の知識、経験、性格を植えつけられたモノトーナスな存在。そして、彼女達の記憶や経験は一日おきにバックアップをとられている。
彼女達は、つい最近まで麦野と同様の状況だった。つまり、生への意欲がなく、死ぬことに恐怖もためらいもない状態。
ところが、そんな彼らの状況が8月29日を境に一変する。
彼女達はその日を境に、生きる意味、命の大切さ、誰かと生きる幸せをそれぞれ模索し始めた。何がきっかけでそうなったかは冥土帰しにもわからないとのことだったが、少なくともその状況は今日まで続いている。
だったら、8月28日と29日の差分データに『生きる意志』があるのではないか?
それを書き込むことで、人工的に麦野に生きようとする意欲を生み出せるのではないか?
それが、何が何でも患者を救う名医の結論だった。

「……つまり、麦野に超電磁砲のクローンのデータを上書きする、ってことですか?」
「上書き、ではないね?麦野君の記憶に、あの子たちのあの日の経験、心理的動揺を追加するんだよ?」

書き込まれた麦野が、クローン達が経験したことが何であるのかを具体的に知ることは多分不可能だろう。それらは主にクオリアとして彼女に書き込まれるから、仮に記憶が再生できても断片的だろうというのが彼の見解だった。ただし。

「麦野君の一部としてこれらの生きる意志が機能することを期待しているが、可能性としてはそうならない場合もあるね?」
「……そうならない場合?」
「彼女の人格が強すぎれば、インストールされた情報は彼女とは切り離されて存在することになるだろうね?」
「……二重人格になるってことですか?」

人格というほどはっきりしたものではないだろうけど、それに近いね?
あっさり首肯する彼に掴みかかろうとするが、何とか堪える。
そうだ。
たとえ二重人格になっても、片方の人格がもつ生きる意志が死への渇望を抑えてくれるなら、それだって喜ぶべきことのはずなのだ。

「仮に2重人格になったとしても、それは通常一時的だ。それらはやがて交じり合って、一つになるだろう」
「つまり、麦野でもクローンでもないものになる、ってことですね?」
「麦野君の割合がほとんどだからその表現は不適切だけどね。もし彼女が非常に強い子なら、そうはならずに書き込んだ情報が消滅するかもしれないけどね?」

つまり彼女の強さ次第。
強ければ、書き込まれた情報なんて蹴散らして純粋な彼女自身に戻れるだろう。
そう言う医師の声がよみがえる。

でも、今の麦野を見ていると。

今の麦野は、もう以前の彼女であるようには、どう見ても私には見えなかった。






帽子を拾って軽くはたいて汚れを落とすと、絹旗最愛はとぼとぼと30mの道を帰路に着く。
少しずつ、談笑する3人の姿が近づいてくる。

悩んだって、これしか道は無いんだからもうサポートするしかないって訳よ。
むぎのを救えるなら、仕方ない。大切なのは、これからだよ?

自分の中にある、彼女の精神やプライドに手を加えた苦悩を語ってみたものの、フレンダと滝壺の意見は平然としたものだった。
私もそれが正しいと思う。
他に方法が無かったのも事実。
だから最大限に彼女が安定するように目をつけられる覚悟で外出許可を偽造して学園都市を抜け出したのだ。
もっとも妥当な選択なのだ。
それでも何度自分に言い聞かせても溢れてくる後悔に、改めて割り切りの悪さを感じて絹旗はため息を一つつく。

そんな彼女の目の前を黒塗りのバンが一台、法定速度をやや無視したスピードで通っていった。












《幕間、あるいは原子崩し7》

オルソラを拾ってからカオスになった車内の会話をラジオでブロックしつつ、先ほどの経験から事故を起こさないようにびくびくしながら少しだけ運転に気をつけつつ、浜面仕上の運転する車は目的の海鮮料理屋に到着した。
ここに来るまで半蔵が何度も後ろを伺ったが、やはり尾行は確認できない。
うまいと有名な店だけあって、結構な混み具合だ。店の外にある待合用のベンチにも人が座っている。

「結構混んでるな」
「お前が勧めたんだろうが。まあ、それだけ旨いんだろう?期待してるぞ」
「……俺は鮭がいい」

そこまで行って、浜面はふと気付く。

「オルソラ、シスターさんって魚食べれるのか?パンとワイン以外食べられないとかいうのはないのか?」
「はい、結構な混み具合で楽しみですわね」

つまり、大丈夫ということだな。
適当に解釈して車を止めて店に近づくと、意外にも見知った顔があった。

「……麦野、だよな?」
「あら。えっと、浜面だっけ?」

穏やかに座る彼女と対極に、ざっと立ち上がるその後ろの2人の少女。
アレ?
俺なんかまずいこと言った?

「なにやってんです?超早く麦野から離れなさい」

穏やかな顔1つと厳しい表情2つにたじろぐ背中に、これまた殺気溢れる声がかけられる。
慌てて振り向けば自分の半分くらいの背丈の少女が、白い帽子を持って自分を睨みつけてる。
なんだ、このお子様は?

「おいおい、俺は別に」
「つべこべ言わずにさっさと離れろ、と言ってるんです。耳が超遠いんですか?」

その言い様に内心むかっときたが、ここで怒ってしまったら彼女と同レベルだろう。大人の余裕を見せるべく、手を広げて麦野から離れる。

「まったく、餓鬼の嫉妬は困ったも」

そこまで言ったところで、身体に鈍い打撃を感じた。何故か視界一面に空の青が見える。どうやら仰向けに吹き飛ばされたようだ……と思ったときに背中と後頭部に激しい衝撃を受けた。
うう……と唸りながら目を開ければ、宙に舞う先ほどの少女。
このような状況なのにロングセーターから覗く下着に目が移ってしまう自分の余裕が恨めしい。彼女はそのまま自分に馬乗りになり、右手が自分の顔の左脇に叩き込まれて。
ドン、という音とともに地面が陥没した。
……はい?

「絹旗。その人は私の命の恩人なの。それ以上はだめよ?」

後ろから響く穏やかな声に、みしみしと音を立てながら手首まで地面に陥没した手が引き抜かれる。
この女、能力者か?
しかも躊躇い無く攻撃してきたぞ?
食らったらひょっとしたら死ぬぞ?
……ひょっとしなくても死ぬぞ?

そんな彼の混乱した思惑とは別に、例のメンヘル女は優雅に立ち上がって浜面に手を伸ばす。

「ごめんね。うちの部下が勘違いして。お詫びにここのご飯はおごらせて」
「……い、いや、その」
「ね?お願い」

前かがみで強調された胸に気をとられたからでは決して無い。
これは背後の女たちがそうしろと強い視線を送ってきたからだ。
だから、浜面他3名は、こくこくと頷く以外選択肢などあるわけが無かった。






人数が急遽8人に増えました、という絹旗の言葉にもウエイターが笑顔で対応してくれたのは、入るのと入れ替わりにぞろぞろと外に出てきた団体様が占めていた席が開いたからに違いないと麦野沈利は思う。
通されたのは8人掛けのテーブル。
手前に男三人とコスプレ女。
奥にアイテムの4人が座る。
勘違いしたお詫びにご馳走するわ、という私の声にも男3人は反応できないようだった。
怪しい彼らに警戒するアイテムの3人もまた然り。

「すみません、とりあえずここからここまで8人前でおねがいしますわ」

そんななか、躊躇無く注文をしてくれるコスプレ女―オルソラ=アクィナス―は頼もしい、と思ってよいのだろうか。日本料理にそこまで詳しくないのか、手当たり次第に舟盛を何種類も頼もうとしたあたりで流石に突っ込みを入れる。

「それは流石に頼みすぎだわ。今まで頼んだので多分十分だから、あとは足りなければ頼みましょう?」

自分でも驚くほど、穏やかな言葉が出てくる。

「……鯖は?」
「じゃあ、すみません、鯖の味噌煮を追加で」

注文をとりにきた少女が立ち去ると、再び場を埋める沈黙……と思いきや例のコスプレが喋る。

「麦野さん、絹旗さん、滝壺さん、フレンダさん、とおっしゃいましたよね?皆様も学園都市の能力者なのでしょう?なぜ外にいるのですか?」
「……それはいろいろと理由があるって訳よ」
「……?」

わけがわからない、という彼女に絹旗が答える。

「理由がありまして、学園都市から2週間程度はなれて暮らすことになったんです。それでここにいるんですよ」

きっとそれは、私の精神的治療のために、学園都市から離れたほうが良いと言う判断によるものだろうと思う。もしかしたら、この2週間のうちに私達を学園都市の外で暗殺しようとする向きがあるのかもしれない。
でも、少なくともアイテムの3人は最後まで私と運命をともにしてくれる覚悟であるのは良くわかるから、仮に後者であったとしてもそれは彼女達の責ではないと考える。
そうなったら、せめて彼女たちだけは逃がそう、などと何時もらしくない私が囁くのをもう1人の私が聞く。

「で、浜面。あなたは何故学園都市の外にいるの?」

その質問に、男3人が、うっと詰まる。
学生ならば学校に行っていなければいけない時間。
車に乗って外をふらふらしている段階で理由は何パターンかしか考え付かないが。

「……まさか、その子を拉致しよう、なんて考えていたわけじゃないわよね?」

その言葉にぶんぶんと男達の首が横に振られる。

「じゃあ、なんで」
「浜面さん達は、私を助けてくださったのですよ」

言葉を遮ってコスプレーヤーからフォローが入る。
前後左右に入り乱れる話を理解すれば、彼女はローマ正教所属のシスターで、天草式十字凄教、ローマ正教という宗教組織に追われており、その手が届かない学園都市まで彼等に送ってもらう予定だったとのことだった。
追っ手は200人以上で、隙をついて逃げ出したものの1人ではとても逃げ切れない、そう思って諦めかけたところに、学園都市の車を見つけて拾ってもらったと言う。
それを聞いて当然生まれる疑問、すなわちなぜ追われる必要があるのか、について彼女は堅く口を閉ざしたままだった。
まあ、人に言いたくないことの1つや2つ、誰にでもあるだろう。
今後の人生に深く関わるとも思えないし、好きなようにすればよい。

それにしても、この浜面という男、つくづく不運な人だ。
私の自殺に巻き込まれ、数日も経たないうちにこんな珍妙な事件に巻き込まれるとは。
予想よりは落ちるが運ばれてきたまあまあ美味しい料理を食べつつ、彼のことをぼんやりの眺める。
恐らくは自分なんかとは比にならないくらいちっぽけな犯罪で生計を立てているスキルアウトの顔を。

「俺になんかついてるか?」
「え?いや、別に。あんた苦労性なのね、と思ってさ」
「……そうかもな」

そうやって苦笑する自然な表情は、声は、今まで塵芥としてまとめていたスキルアウトへの認識を改めるのに十分だった。
そう、彼等だって人間なのだ。
……自分の自我すら保ちきれない私よりも、ずっと正しい人間。

「ところで、お前、さっきのあれ、殺す気だっただろ?」
「お前って何ですか?私には絹旗最愛という超素晴らしい名前があるんですが」
「じゃあ、絹旗、あれは何の能力だ?」
「スキルアウトが知っても超意味が無いと思いますけど」

そっけなく言いながら刺身をつつく絹旗を、滝壺がたしなめる。絹旗にとって滝壺は大人の女性と認識されているからだろうか、彼女は不承不承に絹旗が答える。

「あれは窒素装甲と言う能力です。身体の回りに窒素の膜を張って、それを超操るんです」
「窒素?でもなんでそれで地面に穴が開くんだ?」
「膜状になった窒素はどのようにでも操れるから、それをコントロールして重い物も持ち上げられるし、堅いものでも破壊できるんですよ」
「そうなのか?」
「貴方が乗ってきた自動車。私なら片手でばらばらに引き裂いた上で海に捨てられますよ。やって見せましょうか?」
「……イエ、ケッコウデス」

外見とは裏腹の能力について知ったからだろう、彼の態度におびえが見える。もし私がレベル5だと知ったらどうなるだろう、ともちらりと頭を掠めたが、大人気ないと考えてやめた。

大人気ない……か。

そんなことを考えるなんて、変わったものだ。私も。
そう思って、少しだけ苦笑すれば、フレンダが不思議そうにこちらを見つめるのが見えた。











《幕間、あるいは原子崩し8》

食事は約束どおり私の支払いとなったが、常識を知らないシスターが高い順から頼んでしまったために、店のグレードからはありえない額の請求に少し驚いた。
予想外の額になってしまったことへの詫びも兼ねてとのことだろう、スキルアウト達は私達をマンションまで送っていくと言ってくれた。
その発言に調子に乗ってフレンダがこの付近の人気スポットに行きたいと言い出したため、なし崩し的に近くの人魚だか幽霊だかが出るといわく付きの場所に連れて行って言ってもらうことになった。

「ねーねー、麦野、あそこに何か見えない?」
「どこ?」
「あそこ、あの、岩の陰」
「ああ、あれ?あれは幽霊じゃないわ。ただの水死体よ」
「……ッ!」
「嘘よ。ただのビニールでしょ」

そんな具合にたまにゴミも見えたけれども、その景色は穏やかでとても清清しく感じられた。
どこまでも続く砂浜に、所々に見える岩陰とかすんだ水平線から打ち寄せる小さな白い牙。
シーズンが過ぎたからだろうか。周りには全く観光客の姿は無い。一時のプライベートビーチというやつだ。きっと海に入ればくらげだらけだろうが。
そんなことを考えつつ、うーんと伸びをすると、その頬に当てられる冷たいボトルが当てられる。
慌てて振り向けば、浜面仕上が少し悪戯っぽい目をしながらサイダーの入ったそれを差し出した。

「サイダーでよかったか?この近くの自販機、あまり選択肢が無くて」
「……ありがと」

炭酸よりはお茶系が飲みたい気分だったが、せっかくの好意だ。ありがたく受け取っておこう。
少し強めにペットボトルを振ると、原子崩しで壁面に僅かに穴を開ける。
よかった。しばらく使っていなかったが、能力はちゃんと使えるようだ。
そして予想通りの射出速度と角度で飛び出した液体は、直ぐ近くでニヤニヤしている男の顔に直撃する。

「お、おい、なんだよ、これ?」
「あれ?不良品かしら」

噴出が収まったのを確認してふたを開ければ、程よく炭酸が抜けた冷たい甘さがのどを通り抜ける。このくらいならば、今の気分にぴったりだろう。
その加減が自分でも驚くくらい心地よかったから、顔にかかったサイダーを手で拭おうとした彼にハンカチを投げつける。

「使いなさいよ」
「お、サンキュー……ってこんな高そうなもの使えねぇよ」
「あげるわ。返してくれなくていいから」

おっかなびっくりフリルのついたシルクのハンカチを使う彼がほほえましくて、少しだけ笑い声を上げると彼は不満そうに言う。

「……悪かったな、こんなもんも知らない下賎な者でよ」
「そういうつもりじゃないの。ただ、どうせ使うなら遠慮なく使えばいいのに、って思って」

笑顔のままでそう言う私の顔をみて、彼に視線が固まる。

「……ん?どうかした?」
「い、いや、その。なんていうのかな、お前ってさ、お嬢様なの?」

お嬢様、か。
確かにそうだったのかもしれない。
かつては。

「そうだったかもね。でも今は違うわ」
「そっか……よかった」

よかった?
なにが?

「だってさ、こうして話せるじゃんか。お前は高嶺の花じゃなくて、俺と同じ地面に咲いてくれているんだから」

不意に言われた言葉に、思考が固まる。



俺と。

同じ。

地面に。

咲いている。

よかった。



なんだ?
この、わきあがる感情はなんだ?

悲しみか?
怒りか?
喜びか?
幸せか?

一体なんなんだ?



この数日穏やかだった心が、突如として引き裂かれたみたいだった。
急に落ち着かなくて、気持ちに整理ができなくて。
自分でもわけがわからなくて、彼から強引に視線を引き剥がして右手を見ると、絹旗が遠くから辛そうな顔で見ているのがわかった。
人一倍世話好きで、人一倍抱え込みやすい彼女は、私の件で、恐らく私以上に悩んでくれているのだろう。
彼女のため息がこの数日で明らかに増えていることを、彼女が私に見せまいとして涙を隠していることを私はよく知っている。
何て良い部下に恵まれたのだろう、と感謝の言葉が足りないくらいありがたく思う。
でもまだ私には彼女の苦悩を拭えるだけの力も安定もないことも、私自身が一番良く知っている。

ごめんね、絹旗。
本当に、ごめん。

だから心の中で謝りつつ、突然の心の揺らぎをねじ伏せつつ、私は再び寄せては返すさざ波に目を戻した。

そんな私達を遠くから見守る、幾百の目があることなんて全く知らないまま。






いつもよりも短いスパンでタバコが消費されていくのは、きっとあの女狐のせいに違いないとステイル=マグヌスは思う。
法の書などという超一級の魔道書の秘密を握るオルソラ=アクィナス。
その捜索にローマ正教は助けを求めてきたのに、イギリス清教から実際派遣されたのは自分だけだった。

確かに、いままで自分は二度も任務に失敗してきている。
インデックスの捕獲然り、錬金術師の件然り。
しかもただの失敗ではない。いずれも何がなんだかわからない間に事件が終わっていたと言う、最早笑う他ないような最悪な結果での失敗だ。上司からの信頼が失墜するのは当然の結果だった。
だが。
本来ならば自分への信用が落ちただけなら、いや、落ち込んでいるからこそ最大主教は禁書目録を使うように命じるべきだ。
彼女の魔道書図書館としての実力は超一流。禁書目録がいれば、200人ものローマ正教の魔術師がいたとしても、イギリス清教の手でオルソラを救出できる可能性だってあるし、ひょっとしたらローマ正教に知られること無くイギリス清教の庇護にこっそり置くことだって可能かもしれない。実力が低迷している自分だからこそ、サポートに彼女を置くのは必須と考えるのが自然だ。

にもかかわらず、禁書目録を使う許可をしなかった背景。そこには間違いなくあの男の存在がある。
上条当麻。
それなりのレベルの魔術師であるはずの自分が預かり知らぬところで事件を解決してしまった、あの底が全く見えない学園都市の能力者。
彼の周りには複数人の超能力者が取り巻き、彼に何らかの形で助けられて恩義を感じている能力者は調べられた範囲でも1000人をくだらない。
そんな彼がローマ正教と接触する機会を与えたが故に、禁書目録を連れてローマ正教と結びついて敵にまわってしまうリスクを犯すのは余りにも無謀すぎる。
だから最大主教は禁書目録を使うリスクと使わないベネフィットを秤に掛けて、自分単独で事件を解決するように仕向けたのだろう。
いざという時には、彼女の言う『保険』を使うように申し添えて。

確かに、理解できる。
自分が彼女の立場でも、きっとそうする。
しかし、非常に忌々しい。
全く、何でこんなことに。

彼は半ばまでも尽きていないタバコを吐き捨てると、当ても無いオルソラの探索をするべく学園都市の門付近の散策を再開した。












《幕間、あるいは原子崩し9》

それに最初に気付いたのはやはり滝壺だった。

「むぎの。能力者に囲まれている」
「……何人?」
「200人くらい」

ついに、始末しに来たか。
それにしても200人とは豪気なものだ。数打ちゃあたると思ったのか。
その言葉に私と絹旗、フレンダが滝壺を囲むように陣を組む。

「強度は?」
「わからない。通常のAIM拡散力場と全然違うの。だから、全然わからない」

今まで滝壺の能力で相手の能力が測れなかったことなど一度も無い。一体、何者だ?
アドレナリンが分泌される。
交感神経が瞬間的に刺激され、頭が、身体が戦闘モードになる。
原子崩しが、私の中で始動する。

「お、おい?何があった?」
「能力者に襲撃されているわ。きっと狙いは私達。あんた達は関係ないから、車まで走って逃げなさい」

そう言う私に、浜面が食い下がる。

「で、でも。お前たちは?」
「私達は平気。こう見えて、強いのよ?」
「こ、こ、こんなレースのハンカチを使ってるくせに、強がるなよ」

見ればスキルアウトたちは各々武器を取り出している。
馬鹿共が。
そんなもので立ち向かっても死ぬだけなのに。
それをみたときに、また不意に響く音。


―――――イママデ、ワタシタチガ、コロサレテキタヨウニ。


今度ははっきりと頭に浮かんだ記憶と感情に失いそうになる意識。
なんだ、これは?
なんとかそれを制御しつつ、私は微笑んで言う。

「大丈夫よ。私は、レベル5、第4位なのよ?」
「……え?レ、レベル5?」

驚いた、怯えたその表情に感じるのは、優越なのか、それとも孤独なのか。

「そう。だから、大丈夫。お願い。逃げて」

その言葉に弾かれるようにオルソラを抱えつつ3人がバンまで走る。
その背中に、大きな声で伝えそびれた言葉を投げる。

「浜面!今度、ちゃんと返すから。借りを返すまで、死ぬなよ!」

答えるように右手を振る彼から目を離し、防波堤に上がってきた彼らを見る。
中央に立つ少女が手を振ると、横に並んだ暑苦しい黒服を着ている一団が砂浜に下りる。
何て甘い連中だろう。
むざむざ私達の前にその姿を現すなんて。
……ひょっとして私達の能力のことを知らないのか?



って、まさか。






今まで聞いてきた言葉がかみ合った瞬間、車を指差して絹旗の名を叫んだ。
それだけで彼女は全てを察して、窒素の力で跳ぶように走った。

でも、それでも間に合わなかった。

海岸線に一列に並んだ能力者から放たれた光は正確に車を捉え、その外壁に穴を開け、車体は衝撃で転がりながら海に落ちていった。
そこに絹旗が一直線に突込み、車体を強引に引き裂く。
中の4人を救い出そうとする彼女に着弾する光に、彼女の身体がくの字に折れる。

窒素装甲が効かない?
この光景、前にも見たことがあるぞ?

苦悶の表情を浮かべながらそれでも4人を引き上げ、跳ねるようにこちらに戻ってくる。
その足を、手を光や炎が貫き、焼いていく。
まるで彼女のガードなど意味が無いかのように。
その姿に、苦悶の表情に心にビシリ、とひびが入る。


―――――チガウ、オモイダセ。


それでも、彼女は止まらない。
全身の至るところから血を流し、それでも絹旗は足を止めない。
やがて相対する中央の少女が手を下ろすと、未知なる攻撃がやむ。
私の足元で力尽きる彼女が運んできた4人もいたるところに裂傷が見える。
だが、それは絹旗の比ではない。
彼女の怪我は重傷だ。この出血量では、あと2時間も持たない。

冷静に状況を判断しなければいけないのに。
わかっているのに。
その流れ落ちる血に、開く傷口に、記憶の奥底から誰かが囁く。


―――――コレヲ、オマエハ、シッテイルハズダゾ。


うるさい。
それどころじゃない。
頼むから、考えさせてくれ。
どうすればいいのか。
リーダーである私が、麦野沈利がどうするべきか、決断しないと。



そう思う私の前に、相手方のリーダーと思われる少女が歩いてくる。
変なデザインの杖を持ち、絶対的な自信を持って、見下すような表情で。
数の力をかさに着ているだけではない、恐らく自身の能力においても負けるはずは無いという不遜な態度が全身から漲っていた。

「すみませんがね、その小汚い女をこちらにさっさとこちらに引き渡してくれちまいませんかね?」

さげすんだ表情で私達を見下ろすその目。

私は、知っている。
この眼。
この態度。
この言葉。


―――――ゼンデアリ、コデアルワタシタチハ、シッタジャナイカ。


「言葉、聞こえてねえんですか?さっさと渡せ、と言ってるんですが?」

傷ついた手でそれでもオルソラを庇う浜面に、杖を持った少女は近づく。

「……渡した後、どうするつもりなんだよ?」
「そんなの異教のサルには知ったこっちゃねえんです。言われたまま、差し出せば十分なんですよ?」
「異教の、サル、だと?」

浜面の前に立ち塞がる、やはり血にまみれた駒場と服部。
その姿ににやりとすると、彼女は舌なめずりをしてゆっくりと話す。

「サルですよ。生きる値打ちも無い、異教徒ども。本来なら全て焼き尽くして地獄に落とすべきところ、その女を差し出せば生きることを許可してやろうといってるんです。……サルには難しかったですか?」

私は、知っている。
この侮蔑の目。
この相手を貶める言葉。
この相手を踏みにじる笑み。


―――――アノトキ、ミタジャナイカ。


「……ふざける」

そういいかけたところで、駒場と服部の身体が吹き飛ばされ、海へと落ちる。
それを見て嗤い続ける甲高い声。



私は、知っている。
この女は、私だ。
今まで幾多のターゲットを嗤いながら屠った私そのものだ。



気付く私に、囁く声が、やがてはっきりと意味を成す。
不明瞭だったもう一つの私が、輪郭を持つ存在として全であり個であった少女が浮かび上がる。



―――――アノトキ、ミタジャナイカ。


―――――アノ、マジンヲ、ミタジャナイカ。


―――――アノ、レベル6ヲ、ミタジャナイカ。


―――――アノ、サイキョウヲ、ミタジャナイカ。


―――――アノ、サギシヲ、ミタジャナイカ



そして、私は知る。
私の中にある、もう1人の私について。
優しく、愛しく、でも私とは違う私について、ようやく理解に至る。


私は知っている。
これは、魔術。
世界のルールを根底から覆す、魔神が使役する異能の力。


私は知っている。
これは、レベル6。
第3位が神の領域まで進化した究極の力。


私は知っている。
これは、第1位。
幸せをついに手に入れた最強無敵の一方通行。


私は知っている。
これは、レベル0。
魔神も第1位もレベル6も騙して救ってきた、天使すら葬る幻想殺し。



巡り巡る情報たち。
次々と秘密を打ち明ける知識群。
それらは信じがたい内容を、信じざるを得ないクオリアにて私に宣告する。
私の信じてきたあらゆるものを、もう一度根底から叩き壊しながら。












はは。












ははははははは。












はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは。












……んな!



ふざけんな!



ふざけんなよ!












なんだよ。



なんなんだよ。



これ以上、私にどうしろって言うんだよ。



何もかも捨てて、死ぬつもりだったのに。



こいつらまで巻き込んで、学園都市から逃げたのに。



暗部の上司も殺したのに。



なんだよ。



今更、こんなのってないよ。



こんなのって。



ねえ。



誰か、教えてよ。



ねえ、誰か。



誰か。



私、どうすればいいのよ。



わからないよ。






もう、何にもわからないのよっ!






自分が騙されたことを知って。
自分が如何に醜かったかということも痛いほどわかって。
自分がもう暗部で生きていけない状況であることも実感して。
騙された彼らには前以上に勝てる見込みも無くて。



自分が躍らされていると知った操り人形。
それが気に入らなくて、踊らされていた糸を自分で全部切ってしまったら、もうマリオネットは動けない。
動きたいのに、力があるのに、どうすればいいのかわからない。



いつの間にか膝を突き、頭を抱える私。

破壊衝動と、生きる意志と、自殺念慮と守りたい想い。

それらも、どこまでが本当で、どこまでが自分で。どこからが偽者で、どこからが作り物か。

そのレベルでわからない。

決められない。

決断できない。

進めない。



もう、だめだ。



だれか。



助けて。












お願い。











誰か……。










《幕間、あるいは原子崩し10》(完)

俯き跪く私の後ろに立つ男に向かって、かつての、本来の私と見紛う少女が嗤う。
圧倒的な力を誇示し、圧倒的な数を見せつけ、絶望の淵で一縷の希望を探す哀れな鼠をいたぶるように、彼女は声を立てて嗤う。
男がガチガチと顎を鳴らす音がここまで聞こえる。
今まで幾度と無く聞いてきた、幾度と無くそれにピリオドを打ってきた音色が、何時もと変わらず奏でられる。

「さてと、そこのお姉さんはやる気がねえみたいですし、お強そうな方たちはみな吹き飛ばしちまいました。そろそろその女を渡そうって気にはなりやがりませんか?」

力を背景に尊厳を逆なでするその悪趣味も、やはり私の口が繰り返してきたものだ。
そこに立って喋っているのが私でないことが、寧ろ不思議なくらいだった。

「……え、え、そ、その」

言葉を紡げない浜面仕上は、おそらく立っていることすらできないのだろう。這いずるように後退するのにあわせて、乾いた砂の音が聞こえる。

「別に、私達としてはあんたが死のうが生きようが関係ねえんです。真っ当な頭を持っているんだったら、やることは一つっきゃねえでしょうが」

自分の中に湧き上がる相反するベクトルの感情、相容れない衝動に動けない私の前に、一歩一歩、少女が近づく。
激しい呼吸をしながらずり下がる彼に、後ろから弱弱しい声がかけられる。

「……はま、づら。そいつ、らは、殺す、気で攻撃、してきた。渡したら、俺達も、そいつも、殺される。だから。逃げ」

同時に響く爆発音で、何かが海に落ちる音がする。
その言葉に、その響きに、私の中の私が何かを叫ぶ。

それと同時に頭の中に響くもう一人の言葉。
墜ちる日を今か今かと待っている私が、混沌の井戸へと手招きをしながら。



―――――このまま、殺されても、良いのでは、ないか。



すると、それに答えるようにフレンダが裂帛の気合を放った。
思わず振返れば、彼女は下着が見えるのにも構わず捲り上げたスカートから出したサブマシンガンを両手に構えて、叫びながら海岸沿いの黒服たちをなぎ倒す。

弱虫のくせに、ドジのくせに、私から離れるように移動しながら、私が巻き込まれないように、すこしでも遠くに走り去りながら。

でも、止める隙も、守る時間も、声をかける余裕も無かった。
小さな身体は直ぐに閃光に貫かれ、彼女は血と涙で濡れた顔をこちらに向けて倒れる。
血の泡を吹きながら、彼女の口は呟く。



麦野。
お願い。
死なないで。



ドジのくせに。
弱虫のくせに。
綺麗な、笑顔で。



だが目の前の杖が振られると、彼女は血を撒きながら5mくらい飛ばされていく。
ああ。
ああ……。



何故?
こんな私なのに、何故よ?
あんたはなぜ笑えるのよ。
フレンダ。



吹き上がる私の感情と、ざわめく1万の命が混ざり、轟々と音を立てて流れ始めた。

打算が。
計算が。
悲哀が。
誇りが。

あらゆる感情が押し流され、合流して一点へと収束していく。
その混濁した渦の中から、いつの間にか1人の私が立ちあがろうとしていた。
ぶるぶると震えながら、生まれたてのキリンみたいに、これから生まれる命みたいに。



その私に嘲笑とともに振るわれる白銀の杖。
そこから生まれた何かの波は、私に届くことは無い。
代わりに目の前に立ちはだかる身体を刻めば、彼女の身体が崩れ落ちる。
戦闘の矢面に立ったことがない滝壺理后は、戦闘狂の私を守るためにその身を引き裂かれる。



何で?
一体、何で?
私だよ?
今まで見てきたでしょ?
私が何をしてきたのか。
知ってるでしょ?
私があんたをどう扱ってきたのか。



歯の根が合わない口で尋ねても、彼女の答えは一つだけ。
たった一つの、今まではじめて聞いた、強い口調の彼女の命令。



生きろ、むぎの。



そしてついに堤防が決壊する。
混沌の井戸も、死への欲求も、自己嫌悪も、諦観の念も、不遜も、プライドも何もかも。
あらゆるものを押し流し、あらゆるものを踏み潰して、私の心が一色に染まる。






「浜面。その女、助けたい?」

だから、私は穏やかに聞くことができた。
後ろに立つ憎い敵と、多少数を減らしても脅威には変わらない黒ずくめの集団に背を向けて、それでも彼に緩やかに問いかけることができた。
意味は無いけど、これはけじめだと思えたから。
これで背中を撃たれて死ぬなら、私の命運はそれまでだとなんとなく思えたから。

「私、言ったよね?借りは返すって。私はレベル5。麦野沈利」

気を失ったオルソラを泣きながらも離さない彼の横に跪き、静かに彼に問う。

「私の力なら、銀行にある金だって全部自分のものにできるよ?貴金属だって欲しいだけ手に入るよ?」

わかっているのか、いないのか。
彼は震えながら、何度も私に頷く。

「それらをふいにしても、それでもその女を救いたい?」

海水で汚れた頭を撫でながら、そっと彼に尋ねる。
やがて恐怖が困惑に、困惑が疑問に変わる瞳を真っ直ぐ見つめて、私は彼の覚悟を聞く。

「ここで、私への貸しを使って、後悔しない?何があっても、後悔しない?」






「……しねえよ。こいつを助けるために、駒場さんも、半蔵も、お前の仲間だってやられたんだ。お前がオルソラを助けてくれるなら、後悔なんてするわけねえよ」

震えていても、泣いていても、答える彼の顔には迷いは無かった。
自分の命よりも大切な何かを知る輝きを、私はその瞳に確かに見た。

「そう。わかった」

だから、私はついに救われた。
よかった。彼で。
私を助けてくれたのが彼で、本当に良かった。
だから、感謝の意を精一杯込めて、彼の首筋に手刀を入れる。
昏倒する彼を見て、もう一度礼を言う。



ありがとう。
おかげで、やっと私はわかったよ。



倒れる3人のかけがえの無い仲間に、頭を下げる。



私は、やっと私を乗り越えたよ。
本当に、ありがとう。
そして、ごめん。







そして、私は振り向く。



少し傾き始めた、巨大な核融合炉を背中に背負って。



ちっぽけな、とてもちっぽけな私は、それでも私に命じるプログラムに逆らうために。



原子崩しの名に、恥じないように。



かつての私を打ち負かすために。






私の命よりも大切な、愛しい彼等を守るために。











聖ジョージ大聖堂。
半狂乱状態のステイル=マグヌスからの報告と、やや遅れて届いた神裂火織からの報告を付き合わせると、状況は最悪の展開を迎えたことをローラ=スチュアートは知った。
法の書の解読法がなされたとは思えないが、万一のときにはオルソラを奪取するよう派遣した必要悪の教会の神父。
そして更にバックアップとして行動を黙認した聖人神裂と、イギリス清教としては無断でと言いたいが、日本国に侵入しようとした英国騎士団の連中。

これだけのメンバーがローマ正教200人の魔術師と協力してオルソラ=アクィナスを救うよう動いていたとローマ正教は認識していたはずだ。
にもかかわらず、ローマ正教の魔術師は跡形も無く全滅。
イギリス清教側は全くの無傷。
学園都市の情報では、高レベルの能力者が都市の外に出た形跡は無し。
さらにオルソラは行方不明で、攫った天草式十字凄教は元々神裂が教皇をしていた。

この状況を見て、オルソラを奪うためにイギリス清教がローマ正教の魔術師を滅ぼした、と発想しないほうが無茶と言うものだ。

それでも、オルソラが手元にいれば彼女をローマ正教にひきわたすことで何とか事を収めることができたかもしれない。
しかし、彼女も行方不明とあっては、イギリス清教が彼女を監禁して法の書の秘密を暴こうと拷問にかけられていると疑われても弁明する方法も無い。

まずい。
これは、本当にまずい。
いままで何とか上手く保ってきたローマ正教との関係が、これで一気に悪化してしまった。

うろうろと自室を行ったり来たりするものの、この状況を打開できる名案など何一つ思い浮かばない。

ああ、せめて。
せめて、1人でもローマ正教の魔術師が生き残ってくれていたなら。
意味の無いもしもを思っても、現実は容赦なく時間を推し進める。
ビッグベンの鐘の音が響いても、彼女の歩みはしばらく止まることはなかった。












9月19日。
大覇星祭初日、浜面は何時ものメンバーと共に、とあるATMを奪取しようとしていた。
今日は大会初日、大勢の外部の客をさばくためにアンチスキルもジャッジメントも大忙しで、死角になりやすい場所にあるATMは格好のターゲットだ。

何時ものように素早く配線を切り、回路に侵入して正面の防火扉を開ける。
続いて内部にある2番目のチップをショートさせ、30秒間以上開かれると鳴る警報機を遮断する。
そしていよいよ本丸、現金の入った超硬化テクタイトに手を差し伸べようとしたときに、けたたましく鳴り響く警報音。

「え?」
「……しくじった?」
「あれ?これでいいはずなのに」

そう思ってよくよく見直してみれば。
……アレ?
シリアルナンバーが、違いますぞ?

さーっと上半身から血液が抜けるような感覚でゆっくり振り向いた顔の横を、一筋の光が通過する。
それは容易く警報機を蒸発させ、ついでに円状に金庫を抉り取る。

「全く、いつになっても超役に立ちませんね、馬鹿面は」

抉られた重さ100kgを越す塊をひょいと持つ少女の姿を見れば、いつもは出てくる軽口なんてとてもじゃないけど叩けない。
……お前、もっと弱くなるよう冥土帰しに調整してもらったほうが良かったんじゃないか?
せめて心で呟いた悪態を見透かしたのか、彼女の蹴りが足に叩き込まれる。

「大丈夫だよ、はまづら。私はそんな進歩しないはまづらを応援している」
「……応援するなら、蹴られる前に止めてくれよ」

相変わらず応援しかしてくれないジャージ娘の無表情も、よく見れば喜怒哀楽が読めることが最近わかってきた。
ちなみに、今は楽だ。
畜生、そろって俺で遊びやがって。

「まあ、いいじゃない。あんたはそういうのが似合ってるわよ?」
「それ、褒めてないよね?けなしてるよね?」

こいつはこいつで、元お嬢様のくせに何て意地悪な微笑をするのだろう。
そもそもあのときの海で見た天使はどこへ行ったのか?
何度聞いても気絶させられた後の顛末は教えてくれないが、意識を失う直前に見た彼女の笑顔はどうしようもなく美しかった。
オルソラの応急処置で一命を取り留めた仲間達や俺達が病院で目覚めたときに見せた涙だって、感動するくらいだった。
それなのに。

「ほらほら、超早く行かないとアイテムのメンバーが待ちくたびれちゃいますよ?」
「だから、アイテムじゃないだろ?俺達はスキルアウトで」
「スキルアウトって名前がいまいちな訳よ。第一麦野に似合わないし」

麦野沈利。
原子崩し。

何がなんだかわからないうちに、仲間共々スキルアウトに参入して。
何がなんだかわからないうちに、駒場さんを半殺しにしたように見せかけて新しいリーダーになったレベル5。

「これは大きな鉄塊でございますね。ではこれを売って一儲けしようということなのでございましょうか?」
「ちがうって。この中に、お金が入ってるの。どっさりと」
「そうですか。最近鉄の値段も上がっているそうですし。きっと大儲けできるのでしょうね」

麦野にのっとられた俺達の呼称はいつの間にかアイテムに改名されつつあり。
そしていつの間にか、この天然シスタースキルアウトによってローマ正教の信徒になりかけている。
信じる力はやはり強いのか、彼女のフェロモンに勝てないのか。
敵対していたはずのスキルアウト達にも、いつの間にか宗教?による連携ができつつあるのが恐ろしい。
このままうまくいけば、愛と信仰と原子崩しで全スキルアウトを統一できるんじゃないか?
駒場さんが夢に見ていた持たざる者達の学園都市への反逆が、冗談抜きで実現するのか?
こいつらと一緒に頑張れば、正々堂々胸を張って戦えるのか?

「いいじゃない、オルソラ。儲けの7割は孤児院に寄付するっていうんだから、多いほうが良いでしょ?」
「……5割じゃなかったっけ?」
「この前、駒場がそれで良いって言ってたわよ?」

前言撤回。
人徳で攻めるなんて、何て卑怯なんだ。
実質のスキルアウト、いやアイテムの管理をしている駒場さんの苦労が目に浮かぶ。
もちろん、俺も半蔵も大分苦労しているけど。






でも、金がなければ、人は動かないぞ?
そんな自分のため息に気付いたのか、麦野が首に手を回す。
密着して漂う彼女の香りに、いろんなものが刺激されるのを感じる。

「大丈夫よ、お金が無くても、人は動くから」

畜生。
なんで運転席には背もたれなんて物があるんだ。
これさえなければ。
……知っててやっているんだろうけど。

「お嬢様は、綺麗事を言いますなあ?」

だからせめて、このくらい言わせてくれ。
言って紛らわせないと、色々とやばい。

「綺麗事じゃないわよ」
「綺麗事だって。金がなきゃ始まらねえじゃねえか」

そうかもしれないけど。
そういいつつ、ふわりとはなれる温かさが、少しだけ惜しい。
ミラー越しに見れば、悪魔の笑顔と視線が合う。
もう慣れたはずなのに、その笑顔に少しだけ胸の鼓動が早くなる。

「だって、私、知ってるから。お金よりも大切なこと」
「なんだよ。まさか私の美貌とかいうんじゃねえだろうな?」

動揺を隠すために言った言葉に、座席越しに軽く蹴りが入れられる。

「それも有るけどさ」

否定しないのね。
まあ、いいけど。

「有るけど?」

彼女はきっと話したそうな顔をしていたから。
だから、表情の見え始めた彼女に聞いてみる。

「知りたい?」

彼女をもっと知りたくて。
彼女の思いを共有したくて。

「ああ。知りたい」
「……笑わない?」

まだまだ底の見えない、凶暴で冷酷で、優しくて涙もろい第4位。
その過去も、苦悩もまだよく知らない、きっと孤独で孤高の少女。
あの時、俺の心をどろどろに溶かした、そんな彼女に少しでも近づきたいから。

「笑ったら焦がすだろ?笑わないから、教えてくれよ、麦野」
「そんな真顔で言われてもなあ……」

それではと不器用なりに笑顔を作ってみれば、その不器用さを指摘して4人の少女が笑う。
それにつられて自分も本当に笑いだせば、笑い声は増幅し、反響しあう。

「……ああ、笑った。あんた、顔芸で生きていけるわよ?」
「そりゃどうも」

落ち着いたのか、ふぅ、と息を吐いて座席に戻ってしまう麦野。
おいおい、笑われ損かよ?
そう思って、再度問おうと口を開くと、彼女の言葉がぽつりと響いた。



「大切なのは、生きていることよ」

「生きている、こと?」

「そう、生きていること。今、生きている、このことをありがたいと思うこと」

「……」

「この瞬間、死ぬ人がいる。生きたいのに、生きれない人がいる。……私が生きれなくした人も、沢山いる」



あの日の後、再会したときに語った彼女達の過去。
それらはきっと拭い去ることなく、一生彼女達が背負わなければいけない十字架に違いない。



「でもね。そんな私に、資格なんてないかもしれないけど。それでも私は生きてるんだ。今、生きてるの。楽しかったり、苦しかったりして、生きてるんだ」

「……ああ、そうだな」

「生きて、何かができる。そうなれたことが、私にとっては奇跡なんだ。だから、せっかくだから楽しく生きたい。もったいないから、精一杯生きたいんだ。私の意志で、思うように。……私が大切と思える誰かと一緒に」



それは、お金では買えなかったんだ。
こんな金庫よりも何倍もお金があっても、この気持ちは買えなかったんだ。
そう言う彼女の顔は、やっぱりどうしようもなく美しかった。



だから、俺も思った。
ならば俺も、生きたい。
できれば、こいつのヒーローとして。
この前みたいに、無様に守られてばかりじゃ嫌だ。
せめてこいつだけのでいいから、麦野を守れる英雄になりたいと思った。



それなのに。



「……浜面が超卑猥な目で麦野をガン見してるんですが」
「……やっぱり浜面は浜面だったって訳よ」
「……病院にいく?はまづら」
「……神は全てを受け入れてくれますわよ?」



畜生。
俺のシリアスなんて、こんな物かよ。
でも、いいさ。
別に、まだ誰にもわかってもらえなくても。
ばらすのはヒーローになれてからで十分だから。

「麦野は、シリアスだと可愛いのになあ……」
「あぁ?だと、ってなんだ。だとって?」

自分の言葉に、後光が差すのがわかる。
光る彼女の指先が僅かに自分の髪に触れると、焦げ臭い臭いと共に4人が笑いだす。

「パーマ!パーマだよ、麦野」
「超凄いです、こんな微細な力加減できるなんて、超凄いじゃないですか?」
「せっかくだから、全部行こう?むぎの」
「浜面さん、素敵ですわよ?」

お願いです、やめてください。
そういいながら、左手で該当箇所を触ってみれば、こりゃ見事なパンチじゃないですか。
我事ながら、後頭部の惨状に悲しみよりも笑いがこみ上げてきて笑い出せば、再び車内に笑いが増幅しだす。






下種で結構。
おちこぼれで結構。
泥の中の蓮を持ち出さなくたって、こんな薄汚い俺達にだって笑いがある。






今ここにある、頼りない幸せを持ち寄るみたいに。
俺達は腹を抱えて笑いながら、人目のない路地裏を縫うように車を走らせた。



[28416] 《使徒十字1》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 13:58
《使徒十字1》

9月18日。
朝起きると少しだけ雲が多いのか、クリーム色のカーテン越しの明かりが少なめだったとインデックスは記憶する。
治ったと思えば命がけの戦いが起こってまた再発する私の孤独への恐怖のせいで、引っ越してから一度も自室で朝を迎えたことが無い同居人は既に覚醒していたのだろうか。私が起きると、ベッドの隣に敷かれた布団からむくりと立ち上がった。
せっかくだからゆっくり寝ていればいいのに。

「おはよう、インデックス」
「おはよう、とうま」

私の幸せが夢ではなかったことを保証する始まりの挨拶。
それに今日も感謝しつつ彼に微笑めば、彼も少しだけ寝癖がついた頭を撫でつつ口角を上げる。

「なんだか天気が悪いね」
「大丈夫だ。明日は晴れるよ」

明日は大覇星祭初日。
当麻と美琴の両親も来るし、準備も練習もしたのだから是非晴れて欲しい。
今まで樹形図の設計者の天気予測が外れたことが無いのは知っていても、少し不安が鎌首をもたげるのも自然のことだと思う。

「そうだね。じゃあ、ご飯作るね」

2日おきに家事当番を決めるくじの示した運命に従って、朝食を作るために私はよっとベッドから降りる。それに合わせて彼は綺麗な姿勢で綺麗に布団をたたむと、滑らかに部屋を出て行く。
時計を見れば曇り空によって昨日より2分ほど遅れてしまったことを知った。
さて、着替えるか。
そう思って引き出しを開ければ、服の間に黄色の小さな帽子が見える。
それを見て自動再生される心配事を押し殺すべく、私は小さなため息をついた。






9月5日。
加速度的に増えていく学校の友人達に安心したのか、当麻がようやく学校でも普通の態度に戻ってくれたころだったとインデックスは記憶する。
2週間後に大覇星祭を控えて勝負熱が盛り上がってきた美琴の情熱によって決定された朝のトレーニングに付き合うようになってから、昼食後の授業は眠くてしょうがない。
元々学校で教える基礎理論についてはほとんどマスターしてしまっているから、授業自体真剣に聞いていないことも手伝って、かくん、かくんと頭がずり落ちるのを自覚しつつも、落下するような快感に抗えずまた舟を漕ぎ出してしまう。
そうこうするうちに完全に頭が落ちきると、同じくらい真剣に聞いていないはずなのに、なぜかばっちり起きている隣の生徒にそっとわき腹をつつかれる。

「ひゃぅ」

思わず上げる変な声に周りの生徒の忍び笑いが起こる。
少し顔に血が上るのを覚えつつ元凶を睨めば、黒髪少年は相変わらずの無表情のまま瞳だけをこちらに向けた。

「……いじわる」
「……昼飯が多すぎるんじゃないのか?」

口を尖らせて小声で抗議しても、返ってくるのはそんな憎まれ口だ。
しょうがないじゃない。
自転車でとはいえ、毎朝かなりの距離を走ってるんだから。一方通行なんて最初のころは朝食すら食べられなかったぐらいの運動量。
そりゃあお腹だって空くし、眠くもなるよ。

「……何時もみたいに新しい設計を考えればいいんじゃないか?」
「……既に書ききれないくらい考えちゃったから」

腹話術で魔法陣でも考えればと言われても、既に頭にある285通りの陣をまず試してみないと、これ以上は有効性の予測精度が低くなりすぎる。
魔法陣を書くのにも時間がとられるが、まさか授業中におおっぴらに書くわけにもいかない。
美琴に基本となる数百パターンの陣を印刷できるようにプログラミングしてもらってからは大幅に効率化はできているのだけれど、大覇星祭の準備に追われる吹寄の手伝いやら、霊装に地脈を込めるのやら、クレープ屋さんで友達や家族達とおしゃべりするのやらで時間が取られて、なかなか構築する時間もないのだ。

そんなことをひそひそと話していれば、当麻に向かって右から紙飛行機が飛んでくる。顔を動かすことなく彼が右手でそれを掴んで読むと、少しだけ苦笑が浮かぶのが見える。

「……どうしたの?」

私の小声に彼に渡されたそれを見れば、ヴィヴィッドな色で踊る文字列達。

独占するな。
こちらにも笑顔を分けろ。
俺にも話させろ。
うらやましいぞ、クソが。
お前の口先で先生を帰らせろよ。
ボクのことも睨んでほしいわ、いや、むしろ踏んで。

最後の一行以外は誰が書いたか確信は持てないが、男性陣の熱い思いがその筆圧ににじみ出ているのが良くわかる。
私の人気と反比例して急落していく彼の支持率を可視化しているそれを見て、私はそっとため息をついた。






放課後。
今日はポスター作製を手伝うけど、1人で大丈夫だから先に帰ればいい。
そう言う彼の言葉に甘えて秋沙と下校すれば、黒子、涙子、飾利と笑いながら話す美琴と合流する。
そのまま途中のアイスクリーム屋で話に一花咲かせた後、家に鞄を置いて一方通行の家に遊びに行ってみる。

「今、良い?」
「あァ」

合鍵でドアを開けて声をかければ、ソファーに寝転がっていた彼がゆっくり起き上がった。
テーブルの上には中学生向けの教材が開かれているが、打ち止めと氷華がテレビにかじりついているのをみると、今日の授業は終了したのだろう。
そう判断して彼等の視界をちょっとだけ遮ってテレビ台の中からオセロを取り出すと、既にテーブルについてコーヒーを飲んでいる彼の前に座る。
彼が黙って差し出す缶コーヒーを受け取ると、使い慣れた4つの駒を置く。
今のところ9勝32敗。
最初は美琴にも当麻にも全く勝てなかったが、PCソフトを使って打ち筋を6万手ほど覚えたあたりで彼等にはほぼ勝てるようになったため、今は我々の中では最強である一方通行が乗り越えるべき壁。トランプや将棋だと当麻が最強だが、オセロだと彼は一方通行に完敗するから不思議なものだ。

「さァて、今日もへこンで泣くなよなァ?」
「最近は負けが込んでるじゃない?そんな強気な台詞は勝ってからいったほうがいいよ」

相手の精神に互いに揺さぶりをかけつつ、白黒をつける戦いが始まる。
こんなに充実しているんだ。
魔法陣なんて書く時間なんてあるわけが無い。






今日も一方通行とインデックスの真剣勝負が始まってしまったし、夕食を作るにしても早すぎるし、かといって上条も帰ってこなくてはやることが無いと御坂美琴は思う。
夏季休暇中は知らなかったが、あのお人好しだ、学校でも皆が嫌がる雑用を無表情にこなすだろうってことは容易に想像がついたし、事実その通りだった。
その上、今は大覇星祭を目前に控えている。だから彼の学校の実行委員に連日で付き合わされるのも自然な流れだった。

実行委員はだいなまいとぼでぃなんだよ、と少し不機嫌そうにインデックスが古語で言っていたのが引っかかるが、彼にそういう意志は無いだろうから我慢するとしよう。
……一度くらいどんな人か見ることも兼ねて手伝いに行って見るか。
いや、でも常盤台の生徒が手伝うのはおかしいよね。

そんな自問自答をしつつ、前のめりになっている打ち止めの後ろを通ってソファーに移動する。ぱたんと横になってぼんやりとテレビを見れば、画面の中で魔法少女が戦闘モードへと移行しているところだった。
あと6分くらいであからさまな敵役が捨て台詞でも吐くのだろう。
そんなことを思いながら見ていると、明らかに戦闘向きではないミニスカートを着る年端もいかない正義の味方は、一方的な劣勢に追い込まれていった。
あと2分で放送終了なのに。どうオチをつけるつもりだ?
いつの間にか起き上がって見入っていれば、倒れる彼女に敵がダメ押しの一撃を打とうとするところで次週に続いてしまう。
こんな終わり方をされると続きが気になってしまうじゃない。
それこそが放送局の罠なのに、嵌められても悔しくないあたり意外と完成度が高いアニメなのかもしれない。

そう思いつつ惰性で眺めていると、緊急ニュースのテロップが流れてくる。
それは、学園都市の理事の1人が死亡したことを単調な文面で知らせていた。
へぇ、そうなんだ。
まあ人材は沢山いるし、直ぐに代わりの誰かも見つかるでしょ。
そんなことを思って特に気にも留めず、少し早いけど夕飯でも作ってやるかとこの数日で使い慣れたキッチンに向かう途中で覗いてみれば、インデックスが悔しそうな顔をしていたのでその頭をごしごし撫でる。






その理事の死が思わぬ形で私達に関わるとは、もちろん全く考え付くはずが無かった。



[28416] 《使徒十字2》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 13:59
《使徒十字2》

帰りは20時半くらいになるから、先に食べていてくれ。
そう書かれたメールを見て、インデックスは更に不機嫌が強まったことを記憶する。
また今日もなのか。
ちょっと良い顔しすぎなのではないか。
考えてみれば今日5連敗したのだって、彼が良いように使われていることに対するイライラが遠因になっている気がする。
全く。
完全勝利の満足感を溢れさせてソファーに座っている家主が視界に入るのも気に入らなかったから、キッチンで夕食を作ってくれている美琴を手伝う。

「ごめんね。最近作ってもらってばっかりだね」
「いいのよ。嫌いじゃないから。……負けたの?」
「……今日はまだ一度も勝ててない」
「そんな日もあるわよ。最近は勝てるようになって来たんだから、そのうち連勝できるようになるわ」

うー、と唸る私に、彼女は微笑む。
そういえば、最近トランプで彼女に負けることが多くなってきた。
きっと以前よりも彼女の勝気が減って、私の勝利への欲求が強まったからだろう。
そう思うと、私は多分に美琴の影響を受けているのだろうし、彼女は多分に当麻の性質を取り入れているのだろうということがわかる。
じゃあ私も当麻から何かを得ているのだろうか?
少し考えたがわからなかったので、皿を取り出そうとしている彼女に聞いてみる。

「みこと、私、変わったかな?」
「ん?」
「みことは最近とうまに似てきたと思う。前よりも感情の制御が上手くなっているから」
「……そう?……そうか、そうかもね」
「それでね、私もみことに似てきた気がするの。前よりも負けると悔しいって思うようになったから」

私の意図を理解して、彼女が少し考える。

「そうね。でも、あんたもアイツに似てきたと思うわよ?」
「……どこらへんが?」

そう聞くと、目線をくるっと回して答える仕草が美鈴さんにそっくりだった。

「あんたはね、普段は違うけど、マジになったときはアイツにだぶるようになってきたわ」
「そうなの?」
「うん。私はマジになると熱くなるけど、アイツは本気のときほど研ぎ澄まされたような雰囲気になるじゃない?」
「そうだね。……私も?」
「そうよ。いつもの、ほわんとした感じが消えて、刃みたいになるのがそっくり」

そうなんだ。全然気付かなかった。
そういいながら、皿に盛られたクリームシチューをテーブルに運ぶ。

「まあ、そんな状況にはあんまりならない方がいいんだけどね」

そう言って苦笑する彼女はもうすっかり事件に慣れてしまったんだと、今更ながら気がついた。
平穏が一番なのにね。
そう言えば、いつから私達の会話を聞いていたのだろう、一方通行が口を挟む。

「穏やかな生活を守るためには、ときには穏やかじゃねェこともしなきゃならねェンだよ」

自分達の特異性を考えれば、確かにそうなのだけど。
でもそう願ったっていいじゃないか。
わくわくしながらスプーンを出す打ち止めを見ながらそう反論した3時間後、やはり平穏は崩された。






21時に帰ってきた当麻は、やはり鞄を置くと一方通行の家にやってきた。
遅い、と口々に文句を言う私と美琴をなだめつつ、彼は出された夕飯に手を合わせる。
そしてもくもくとそれを食べながら、彼は理事が死んだというニュースを見たかどうかを私達に聞いた。

「見たわよ。それがどうかしたの?」
「気になることがあってな」

彼女の死について、その重要性の割に報道がやけにあっさりしすぎていることが気になる。
その死因すら明らかにされていない。
それに疑問を持って帰り道携帯で調べてみれば、彼女の自宅が襲撃されたらしいという情報が複数のブログに載っていたとのことだった。

「襲撃?」
「ああ。どうやら住んでいる家ごと跡形も無く消されたという噂があるんだ」

そんなことができる能力者はどのくらいいるか?と聞く彼に、私は答える。

「能力者だったらレベル5じゃなきゃ無理だね。能力から考えると、第2位、4位、7位の誰か、かな。情報が無い第6位の可能性も有るけど」

もちろん一方通行や美琴だって可能だが。

「魔術の可能性はあるか?」
「理事の家がどのくらいの大きさなのかわからないけど、それなりに立派な家を消滅させることができる魔術が学園都市で使われたなら、私が気付くはずだよ」
「……オマエ、何を考えてるンだよ?」

問いかける一方通行に、彼は答える。

「理事が殺されたとしたら、それが誰にだとしても結構な事件だからな。可能なら背景を知っておいたほうが良いと思ったんだ。それに」
「それに?」
「もし殺されたなら、それを報道しないように圧力がかかっている理由も気になる」

確かに。
私達を中心に学園都市の事件が起こるなんて思わないけど、大きな事件なら私達に影響する可能性がある。
納得した美琴がアンチスキルのサーバーに侵入して確認すると、果たして明らかな殺人事件であることがわかった。

犯人は不明だが、爆薬や化学兵器を使われた痕跡は無い。
襲撃を受けた角度から計算して、衛星からの攻撃ではない。
事件当時の半径50kmのレーダー網に正体不明の機影は見当たらない。
アンチスキルがレベル5の犯行であることを疑っていることは、火を見るより明らかだった。

それを美琴から聞くと、当麻は少しだけ考える目をする。
その後、彼は事件の詳細なデータを読むと、地図データを開いて建物の位置や高さの情報を調べる。そして、

「御坂。事件が起こった時間帯のこの周辺の監視カメラのログをハックして、お前達以外のレベル5が映っているかどうか確認できるか?」
「もちろん」

それから20分後。
私達は犯人と目される人物にたどり着いた。






夜中に行くとまた妙な雰囲気に咳払いして帰ることになるかもしれないと思ったが、第1位を舐めていたとインデックスは思う。
あらゆるベクトルを操る万能能力者である彼は、例の公園を包み込む甘く妖しいアダルティな雰囲気をみて、一緒に連れてきた打ち止めの教育に悪いと思ったらしい。
右手を突き出せば、そんな雰囲気ごとカップルを吹き飛ばすような突風が生み出され、悲鳴と共に彼等は散っていった。

「……ちょっと可哀想じゃない?」
「別にここじゃなくても良いだろうがよォ」

誰とも無く出てくる非難の声にも、彼は正にどこ吹く風といった感で答える。
そんな一方通行に礼を言うと先を促す当麻に従って、私達は嵐とカップルの去った公園に足を踏み入れる。
そして、私は例の地脈スポットに使いまわしのビニールシートを広げて式を展開する。
やはりここの地脈は使いやすい。
絶対量は多くないものの、出力のブレが少なくて扱いやすいのだ。
そんなことを考えつつ、2度会った第4位の姿をイメージして探索をかければ、彼女がとある病院に寝ている姿が映し出される。

「こりゃァ、何時もオマエが行ってる病院じゃねェか」
「そうだねって、ミサカはミサカは首を縦に振って合意してみる」
「……入院しているようですね。包帯を巻いていますし、怪我でしょうか」

一方通行ファミリーが言う通り、ここは打ち止めがメンテナンスに通う冥土返しの病院だ。彼女は定期的に病院に行く必要があるから、麦野が入院しているとなると彼女やその仲間達に鉢合わせする可能性がある。
麦野は私達のことを上位の暗部組織であり、この前の戦闘で私達には手も足も出ないと思い込んだはず。
しかし、打ち止めが定期的に病院に行かなければいけない事実を知ったら、それを足がかりにまたリベンジしようとするのではないか。
そう当麻に聞けば、彼は少し考えて答える。

「その可能性もあるな。……とりあえず、家に帰ってあいつの情報を集めよう」



でも、もしもこのとき私が聞かなければ。

私達はパワーバランスをとるための微妙な舵取りなんて考えずに、大覇星祭を楽しめていたかもしれなかった。



[28416] 《使徒十字3》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 13:59
《使徒十字3》

そろそろ打ち止めが眠くなりだしたので、とりあえず一方通行は風斬と彼女を連れて先に飛んで行き、私達はいつものごとく電車に乗って帰ることになった。
時計を見れば22時半。
来るときよりも格段に人が減った電車に揺られながら、御坂美琴は窓ガラスにぼんやりと映る隣に座る少年を見る。

最近会う時間が大幅に減ってしまった。
考えてみれば一日のうち平均すると15時間くらい一緒にいた夏季休暇が異常だったのだが、それでもやはり寂しいと素直に思う。
彼と過ごす時間は事件が起こらなくてもとても刺激的だ。
穏やかで心地よいのに、予想外のタイミングで予想を超える鋭い思考を見せるから全然退屈に感じない。
最近増えてきた表情に、その心の内をあれこれ想像することが楽しいから、顔を見ているだけでも時間が過ぎるのが早い。

でも、これは恋なのだろうか。

彼のことは好きだ。
詩菜さんに気付かせてもらったあの日から、そのことは疑いも無く自信を持って言える。
……でも、いま自分の胸にあるこの想いは、恋愛感情なのだろうか。
恋愛の知識はほとんどが漫画と母親の主観によるが、少なくともその偏った情報と彼への気持ちは微妙に違う気がしてならない。

一緒にいると誰よりも落ち着いて、自分自身でいられる。
彼が微笑んでくれると、心が温かくなるのを感じる。
彼が涙を流すと、氷のような冷たさが胸に広がる。
彼を救うためだったら、きっと命を捨てられる。

でも。

彼を自分ひとりだけのものにしたいとは思わない。
彼が他の女性と一緒にいても、それほど苦しいと思わない。
彼に触れたい、抱きしめて欲しいという衝動は少なくとも自覚していない。
彼と恋人として一緒にいる自分を、全く思い描けない。

だから、わからない。

最近壁が薄くなってきた常盤台のクラスメートに聞いてみても、お嬢様達にはその手の経験が無くてやはり満足する答えは得られなかった。
かといって、行き詰ったときに綺麗に道を示してくれるコイツに聞くわけにもいかない。

「どうした、御坂?」

そんな葛藤が詰まったため息を拾い上げたのか、彼の声が響く。

「え?……いや、その」
「……第4位の件が心配か?」

左を見れば、自分の顔を心配そうに見る2人の目とぶつかる。
何でも見えているように錯覚してしまう彼の黒褐色が今は脅威だ。
思わず目を逸らしてしまって、その後でその行為から彼が何かに思い至る可能性に気付く。
ああ、しまった。
おそるおそる目を上げると、やはり彼は考える目をしている。

「みこと、大丈夫?」
「大丈夫よ。ごめん、ちょっとぼんやりしてた」

相変わらず思考を続ける彼を覗いながら、冷や汗をかいて答える。

まったくもって刺激的だ。
事件が起こったときぐらい、ゆったりとさせてくれても良いのに。






寝付いた打ち止めを一人置いておくわけにも行かないだろうということで、一方通行の家に再集合した私達は、彼のPCを使って冥土返しの病院のサーバーにハックすることにした。
麦野のカルテを手に入れれば、そこから細かい背景情報を得られるだろうと踏んでの行為だったが、一病院とは到底思えないほどそのセキュリティは強固でアクセスすることはできなかった。

「じゃあ、調剤の情報と、病院の監視カメラのログはどうだ?」
「……それなら大丈夫かも」

どの薬局でも調剤をできるように情報は共有されているはずだから、そのセキュリティなら破れるだろうし、監視カメラも警備会社の管轄だろうから容易くみることができるだろう。
読み通りに出てきた情報を画面に出せば、出された薬から麦野は重度に精神を病んでいることがわかった。
最初の処方日は8月26日。
……上条が彼女を叩きのめしたあの日だ。
その情報を知って、インデックスが心配そうに彼を見上げるのが見えた。

「……とうま」
「……ちょっとやり過ぎたかな」

しかし、彼の表情は動かない。
彼が後悔しているのは麦野を追い詰めたことではなく、精神的に追い詰めすぎることで彼女の短絡的な行動に巻き込まれるリスクを上げてしまったことであるに違いなかった。

「これが病院の監視カメラのデータ。13時32分に男二人を伴って麦野が運び込まれているわ」
「駐車場に監視カメラはあるか?」
「うん。……これね。13時28分に黒塗りのバンから担ぎ出されている。車のナンバーを照合する?」
「頼む。それと、この画像って拡大できるか?」

彼の示す車の辺りを拡大する。
画像解析で鮮明化させるが、特に違和感は感じない。

「どうかしたの?とうま」
「この車、屋根に穴が開いていないか?ほら、ここが歪だ」

そう言われて見ると、屋根が描くカーブが一部ささくれ立ったようになっている。
いつものことだが、その観察力には舌を巻く。

「つまり、この女はこの車の屋根をぶち破っておちてきたって言いてェのか?」
「ああ。カメラから見える怪我の様子や服の破れ具合を合わせて考えると、そう考えるのが妥当だろう。……きっと自殺しようと飛び降りたんだろうな」
「……なんで?」
「時間的に、理事を殺した直後に落ちたと考えられるから。誰かに追われて逃げようとして落ちた可能性は低い」

淡々と答える彼の表情は、やや無表情が強くなっていた。
だから。

「アンタは悪くないわ。気にしちゃ駄目よ?」
「ああ。ありがとう」

上条はそう言いながら笑顔を作ったが、その目は笑っていなかった。






9月6日。
麦野の属する暗部組織には、滝壺理后という能力者がいる。
彼女の能力は能力追跡。
その能力は能力者のAIM拡散力場を記憶、追跡するものだから、一度会ったことのある私達が麦野の入院する病院に行くと、それが発覚する可能性がある。
もちろん、上条やインデックスについて彼女の能力が有効かどうかはわからないが、私やインデックスが互いに魔力やAIMを見ることができ、そして上条を空白と認識できることから推測すると、彼等についても滝壺に見つかる可能性は高い。

「病室、わかったか?」
「ええ。500mほど距離を取っていますから、ばれることは無いと思います」
「滝壺はいるか?」
「ええ、まだ」

そんなわけで、彼女達の監視を風斬にお願いして私達5人は離れたファミレスで待機している。
周りを見れば、土曜日だからだろうか、まだお昼前なのに比較的混雑しだした店内は喧騒に包まれている。

「バックドアのプログラムはできたのかァ?」
「ええ。これならカルテのシステムにくっつけて動かせるから、見つかることは多分無いわ」

一方通行の問いに持ってきたメモリを見せつつ答える。
昨日4時間かけて作った自信作。
これを直接インストールできれば、あの異常なセキュリティも外部から突破できる。

「でも、一方通行ってやっぱり凄いんだね。スパイになれそう」
「確かに」

インデックスが言っているのは先ほど出てきた光学迷彩のことだろう。
結標淡希と戦ったときにも衛星の目から逃れるために使った、ベクトル操作によって光子をコントロールし、完全に不可視にする方法。
自分の表から来る光子を、裏から来る光子のベクトルと相互変換するという至極単純な原理だが、それを実現できるあたりがやはり第1位だ。
ちなみに、一方通行は目に入る光子だけを微調整することによって盲目にならずにすむが、一緒に侵入する私は完全に暗闇状態になってしまうために彼とリンクして光学情報を貰わないといけない。

「それを言ったら俺よりも第3位だろォが。今の時代、ネットワークを制御できるコイツのほうがよっぽど向いてるぜ」
「でも、アナタのほうがそれっぽいよって、ミサカはミサカは褒めちぎってみたり」
「そりゃァ、ありがとうございますゥ」

滝壺が去ったタイミングを見計らって、一方通行と私が病院に侵入、カルテデータをコピーし、バックドアを形成する。
同時に風斬と上条、インデックスで万一に備えて打ち止めをガードする。
昨日の作戦概略を思い出しつつ、彼女の首にかかる歩く教会に目をやると、打ち止めは少し得意げにそれを指で揺らして見せた。補助霊装によって麦野戦のときよりも大分強化されたそれなら、私の全力の攻撃でも5分は防げるとインデックスがお墨付きを与えた一品だ。

「かっこいいでしょ?お姉様」
「うん。かっこいいよ。いつも、ちゃんと着けてなさいね」
「うん。ちゃんとお嫁に行くときも持っていく覚悟だよってミサカはミサカは報告してみる」

お嫁、ね。
私もいつか結婚するのかなあ。
そう思いながらうっかり上条の顔を見たら、また彼と視線が合ってしまった。

「あ、あのさ。カルテに手は加えないって言ってたけど、本当にいいのよね?」
「ん?……ああ。きっと医者が気付くからな。もし麦野が本当にやばそうで手を入れるなら、調剤の方だ。……そんなことにはならないと良いがな」

そう言う彼の顔を覗えば、どうやら私の動揺は気付かれなかったらしい。
心の中でほっと息をついたとき、上条の携帯が鳴った。






じゃあ、行くかァ。

そう言って立ち上がる一方通行と共に、超一流のスパイ2人はどこにでもあるはずの病院へと侵入を開始した。



[28416] 《使徒十字4》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 13:59
《使徒十字4》

ファミレスから近くの公園に向かう上条たちと別れて、御坂美琴は一方通行と共に病院に向かう。
途中の監視カメラの死角で一方通行に触れると、一瞬視覚が失われ、次いで彼から入力される光学情報に置換される。
そのまま彼のベクトル操作によって音も無く音速を超えて飛べば、数秒で病院まで到達する。
エントランスに降り立てば、AIMを見つけた風斬がこちらに向かって微笑む。
彼女は、滝壺達は昼食も兼ねて3時間ほど外出するといって車で立ち去ったことを独り言のように伝えると、タクシーを拾って待ち合わせの公園に向かっていった。



予めこの病院の施工業者のデータを見てあるから、どこにサーバールームがあるかは分かっている。
リンクする彼に情報を渡すと、彼と静かに地下に続く階段を移動する。
目的の部屋を閉ざしている途中にあるICチップと静脈パターンによる認証を制御してドアを開ければ、この病院の規模にしては大型のサーバーが並んでいた。
メインの端末を立ち上げて、パスワード解析を開始する。
しかし、ここの暗号化もかなりの堅さで、解析には時間を要するものと思われた。

『余ってるキャパで代理演算するから、俺の演算力を使え』

リンク越しに彼の意図が伝わってきたので、彼の許可する領域を使用させてもらうことにしよう。そう思ってアクセスすれば、光学迷彩をかけているのにも関わらず、使えるリソースが予想よりも遥かに残されていることに驚く。

『あんた、やっぱり第1位なのね』

直接コネクトしているから、これは言葉ではない。
私の意志と感情が、直接彼のそれと交流しているから、まるで自分のように彼の全てがわかるし、私の全てが彼には見える。

『褒めても何もでねェぞ。ンなことより集中しろ』

色のように見える彼の焦りのクオリアは、滝壺が戻ってくることよりも残している打ち止めに対するものだった。
それを知って喜ぶ私の感情を見て、彼の中に羞恥が広がるのを聞く。

『内緒にするから』

広がる私の意志に応えて、また彼のパルスが反響する。

そんなやり取りを6回ほど繰り返したところで、サーバーへのアドミニ権限を得ることができた。






病院の屋上に出て使用する波長の反射を解除してもらうと、彼の携帯に現状をまとめたメールを飛ばす。
1分待ってからスピーカーとマイクをOFFにして電話をかける。
電磁波で呼び出し音を聞いている間もなく、上条は直ぐに応答した。

「どうしよう?」
「まあ、仕方ない。基本情報はわかったと言うことで良しにしよう」
「冥土返しを何とか引き離して、PCのデータを見る必要は無い?」
「ここまで隠すんだ。きっと彼のPCにも情報は無いだろうし、あったとしてもサーバーのセキュリティなんて比じゃないレベルで保護されているはずだから、時間的に無理だろう」

サーバーへアクセスしてカルテ情報を見てみたが、残念ながらめぼしいものは無かった。
記載されていたのは、麦野について行った処置、自傷行為などの精神障害を示唆する所見、投薬による簡単な経過観察のデータのみ。
気になって他の患者のデータを何人か探ってみれば、麦野のカルテには異常に情報が少ないことがわかった。
加えて、一方通行のリクエストによって打ち止めや妹達のデータも見てみたが、こちらもほとんど意味が無い情報しか残されていない。
学園都市の深部に関わる人物については、情報の扱いが別であることが容易に推察された。

「そうね……。でも、一応バックドアは作っておいたわ。あと、麦野みたいに重度に精神を病んだ患者は、監視カメラ付きの部屋に入院しているんだけど、それもこのサーバー経由で見られるから」
「それは良いな。じゃあ、家に帰ったらログを確認しよう。何か情報があるかもしれない」
「わかった。じゃあ」

これから帰る、と伝えようとしたときだった。
がしゃんと音を立てて、屋上に出る鋼鉄のドアが開く。
自分達は見えも聞こえもしないはずなのに反射的に振返れば、そこに第4位が立っていた。






昨日腰椎を骨折する重傷を負ったようには、到底見えなかった。
幸い彼の世話になったことはまだ一度も無いが、冥土返しという言葉は嘘偽り無いことが、彼女の動きでわかった。
私達に向かって、彼女は若干ぎこちなく歩いてくる。
静かに脇にずれてもその目線は動かないから、彼女が私達に気付いていないことは間違いないようだった。

『どうする?』
『もう用はねェだろ。このままそっと飛ンで帰るぞ』
『そうね』

反響しあう意志はそのような意図を伝え合いながら、相反する思いを互いが共有していることを示す。

まさか、また飛び降りるのか?
その時、私達は助けるべきなのか?

昨日みた彼の無表情がふと心に浮かんだと思えば、それが広がり一方通行に届く。
彼の微笑むような温かい意思がソナーとして伝われば、私も彼に同意する。

見てみぬ振りはできないね。
あァ、あの偽善者が泣くだろうからなァ。

それに、これは上条のためだけじゃない。

私も一方通行も、きわどかったのだ。
レベル5という、学園都市にとって実に魅惑的な力を持ち、そして容易く絡め取ることができる無知な子供達。
彼に出会えなければ、彼に助けられなければ、麦野のような道を歩む未来だって十分にありえた。
だから、見てしまった以上、助けられる状況である以上、見捨てることはやっぱりできない。
例えそれが、私達を殺そうとした敵であっても。
きっと上条ならば、私達を守るために無表情で切り捨てるような相手であっても。

共有する思いを互いに確認しつつ、彼女の様子を油断なく覗う。
彼女は柵に近づくと、それに肘を乗せてぼんやりと遠くを眺めている。
若干眠そうな表情をしているのは、処方されている高力価の精神安定薬と抗鬱薬のためであろう。
カルテの情報では、昨日のTMとコードされた処置の結果、彼女の精神状態は劇的に良くなったと記載されていたから、ここに来たのは単に景色を見に来ただけなのだろうか。
取り越し苦労だったのかと評価しだした私達の前で、たまに風になびく髪をかき上げつつ、彼女は静かにビルの群れを見つめている。
こうして見ている分には、とても綺麗な大人っぽい女性だ。
あの狂笑と侮蔑と暴虐の能力者とは、どう頑張っても結びつけることはできない。
……これも、彼女の一面なのだろうか。
彼女の、真の姿なのだろうか。

そんなことを考えながら彼女の横顔を見ていると、ドアがまた油の切れた音を立てて開かれ、そこから看護士が姿を現した。

「麦野さん、お客さんが見えていますけど、どうしますか?会われますか?」

そう聞く彼女に振り向くと、麦野は少し上品に微笑んで聞く。

「ありがとう。どういった方かしら?」
「浜面さん、という方です。なんでも昨日麦野さんを助けた、とか」
「……そう。わかりました。お会いします」

そう言うと、彼女はやはり少しだけ引きつったように、でも十分優雅な歩みでゆっくりとドアの向こうに消えていく。
私と一方通行に、狐につままれたような複雑な思いを残して。






9月8日。
昨日は早朝と深夜に例の公園で霊装の拡充を行う以外は何事もなく、結果的にのんびりと過ごすことになったと御坂美琴は思い出す。
とりあえず彼女が病室を30分以上離れた場合は自動的にメールを飛ばすようなプログラムを組んでおいたが、それがアラートを立てることも無かった。
そんなわけで、せっかくの日曜日だったのにと不満を少しだけ込めつつ監視カメラのログ確認とカルテチェックを寮に帰る前に行ったところ、麦野達が学園都市を離れようとしていることが発覚する。
それを知らせると、上条は何時もの通りの考える目を2秒ほどしたあと、こう提案した。

麦野が理事を殺したということに、そろそろアンチスキルも気付く頃だろう。
だから、彼女達は捕まる前に逃げようとしているというのが最も可能性としては高い。
しかし、カルテには最低2週間以上転地療法を行うとされているが、冥土返しが逃亡を助けるとは考えにくいから、本当に療養する目的で外に出るのかもしれない。
だから、明日1日だけ彼女を監視しよう。
明日、もし冥土返しの用意した部屋に行かずに遠くに移動したなら、彼女達は二度と戻ってはこないだろうからもう心配は要らない。
もし療養するようでも、しばらくは俺達の脅威にはならないだろうから、明日以降ゆっくり対応を考えよう。

その提案に従い、今日は皆で学校をサボって麦野の監視を行うことになった。
とはいっても、実際に監視するのは一方通行のみだ。
本来ならばいつものように外出許可証を偽造して尾行するところ、滝壺の能力があるからやはり制限がかかる。
彼女の能力の有効範囲がわかればよいのだが、それが未知である以上用心に越したことは無い。
その上、どの程度学園都市を離れられるかどうかもわからないから、風斬に監視をお願いすることも難しい。
そんな壁に当たって少し悩んだが、学園都市の外ならばそれほど高い建物も無いので一方通行が空から監視すればよいということに上条が気付いたため、こうして上空2kmからの監視が決定されたのである。
一応、私とインデックスが付き合おうかと言ってみたが、彼としては打ち止め達を守ってくれていたほうが良いと判断したらしく、申し出は素気無く断られた。

「どう、一方通行?あと、E-1ね」
「全然、動きがねェ」

監視と言っても、通信用魔術を介してオセロをしているのだから、彼の余裕ぶりが覗える。
まあ、それも無理は無いか。
彼自身にとってはあの4人など脅威でもなんでもないのだから。
彼が気にしているのは、あくまで打ち止めを中心とした私達へ災厄が降りかかることのみであり、それが去りつつある現状にほっと力が抜けるのも無理は無い。
加えて、監視がほとんど実を結んでいないことも脱力感につながっているに違いなかった。

彼女達は3人の男と黒服を着た女と合流して海沿いの料理屋に入った後、黒いバンに乗って海岸沿いの道を走っている。
その男達のうち、2人は監視カメラに映っていたといっていたから、合流したのは麦野達の属する暗部組織のメンバーなのかもしれない。
彼等への麦野達の対応は高圧的であるように見えたらしいから、ひょっとすると部下の者達か。

6時間上空に待機して、現在5連敗中の彼が得た情報はそれだけだった。

「なァ。今のうちにアイツ等の部屋に監視カメラでも仕掛けて、帰ってくるかどうかを確かめるようにすれば、こンな事しなくても良いンじゃねェか?」
「それも考えたがな。監視カメラの設置がばれるかもしれないし、それだと部屋の情報しかわからないだろう?お前が今教えてくれている情報は、やはり貴重だと思う」
「チッ……。A-7」
「……悪いな。手伝えなくて」
「ごめんね。学園都市の外だと衛星の映像も解像度が落ちるから」
「……うざってェから謝るンじゃねェよ」

元々彼は待てるタイプではないから、こういったことにはイライラもあるに違いない。
その弱みに付け込んで、ここぞとばかりに容赦なく勝ちに行くインデックス。
15連敗の恨みはそんなに深かったのか。
でも、そろそろ注意しておいたほうが良いのではないだろうか。

「アナタはそろそろお昼寝の時間だもんね」
「うっせェよ、クソガキ。オマエは黙って風斬に勉強教えてもらえ」
「そんな?頑張ってるアナタを心から応援したいのにって、ミサカはミサカは悲しい返答に涙を流してみたり」
「見えないからって嘘付くンじゃねェよ」



そして、彼の7連敗が決定する3手前。
彼の口調が変わった。






「おい。……なンかやべェ雰囲気になってるぞ」



[28416] 《使徒十字5》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 19:15
《使徒十字5》

やや緊迫する雰囲気を伝えながら一方通行が語ったところによれば、黒服の集団が200人ほど麦野達を囲むように接近しているとのことだった。
彼らは一部に金貨を入れるような袋や車輪など意味不明のものを持っているが、半数以上は明らかに武器と思われるものを所持している。状況から考えて、麦野達を始末しようとしているのは明白だと御坂美琴は思った。

「黒服って言ってたけど、胸に十字架のマークはある?」
『あァ』
「じゃあ、ローマ正教だ」
「ローマ正教?」

上条の問いに、インデックスが世界最大宗教組織かつ最強の魔術集団である存在について教える。

「でも、何でローマ正教が?学園都市とつながってるのは、イギリス清教だけじゃなかったの?」
「……新たに参画してきたのか、参画しようとして失敗したから始末しようとしているのかもしれない」
『で、どうするンだよ?』

通信用魔術越しに一方通行の焦った声が聞こえるが、答えを待たずに彼が声を上げる。
ついに攻撃が始まったらしい。
一方的な展開に、麦野の部下たちが次々と倒される。

『どうするンだ?早くしねェと』

だが、それに答える単調な声。

「麦野達とローマ正教の諍いだ。そして、世界最強の魔術集団を相手にするリスクはとても踏めない」
『見捨てるってことかよ?』
「ああ」

思わず彼の顔を見れば、表情は完全に隠されていた。
心の動きもその目から読むことはできなかった。

『……オマエ、マジで言ってンのか?』
「本気だ。助けようにも、魔術師200人相手にお前一人で勝てるかどうかもわからない」
『……でも、殺されるぞ?』

低くなった一方通行の声に、ペールなトーンが淀みなく答える。

「仕方がない。それが、彼等の選択、出した答えなんだから」

……正しい。
彼は、正しい。
麦野達は私達の潜在的な敵だ。
そして殺されそうになったことだって実際にあった。
大事な仲間が命を賭けてまで救う理由なんてない。

『後悔しねェのか?』
「しない。むしろ、ここでお前に何かあるほうが後悔する」

正しい。
大切な仲間と命を狙う敵。
秤にかけるまでもない。

『……』
「見ていたくないだろうから、もう引き上げてきたほうがいい。長い時間頑張ってくれてありがとう」

けれど。
私にはわかった。
一方通行が何を言うか。
そして、何をするのかを。

『俺は、オマエのことを信頼しているンだ』
「……ありがとう」
『そして、オマエの頭が信じられねェくらい良いことだって知っている。オマエの言ってる事が正しいってことも、理解できる』
「……一方通行」
『……でもなァ』

小さくため息をつく魔術越しの彼は、きっとらしくないと思っているのだろう。
そしてそれこそが、自分が救われた証であるということにも気づいているはずだった。

『俺にはできない。アイツを見殺しにするなンて。ンなことはできねェよ』
「一方通行。俺達は麦野と魔術師のどちらに正義があるのかもわからないんだぞ?魔術師達に殺されて当然のことを麦野達がしてないと言い切れるのか?」

淡々と言葉をつなげる彼の表情は動かない。
能面みたいな顔をして、いつも通りに最も正しい理を話す。
それに答える一方通行の声は対照的だ。

『関係ねェンだ。ンなこと』
「……なぜ?」
『決まってる。俺が、一方通行だからだ』

そこにあるのは憤りであり、躊躇いなのだろう。
矛盾を内に抱える彼は、きっとすべてを包んでまっすぐ進んでいく。

「頼む。わかってくれ」
『俺は、見ちまったンだ。アイツの顔を見ちまった』

奈落へ続く未来から切り返した、あのときから。
そして、これからもきっと。

『アイツは、俺だ。俺の姿だ。俺が当然進むべき未来だったンだ』
「……そんなことはない」
『そうなンだよ。……だから、アイツだって変われたって良いだろうが』
「……」
『アイツだって、救われるチャンスがあって良いだろうが。糞みてェな人生から手を切れる望みがあって良いだろうが』
「……そうかもしれない。でも、危険すぎる」

上条の目がついに伏せられる。
一歩引いた彼の言葉から、力が失われていく。

『舐めてンのかよ?俺は第1位、一方通行なンだ』
「ああ。……ああ、そうだな」
『……これ以上、止めンなよ。早くしねェと本当にやばい』






ふう、と上条は深くため息をつく。
そして、目をつぶる。
1秒ほど思考した後、彼は一方通行に伝える。

「わかった。じゃあ、一旦十分離れて、光学迷彩をかけてテトラポットをひとつ持って上空に戻ってくれ」
『ああ』
「そして、テトラポットを削って作った破片を、上空から魔術師に打ち込むんだ。絶えず位置を変えて、絶対にお前がいることを悟らせるな」
『わかった』
「こちらもサポートできるよう準備する。決着がついたら連絡してくれ」

通信用魔術のカードをテーブルに置くと、彼はもう一度深いため息をついた。
そして、顔を上げると、流れるような指示を私達に出す。

「御坂。冥土返しの病院に身元を隠して電話してくれ。音声は合成音声をつかって、内容は、麦野達が瀕死の重症を負っている、ということで頼む。GPSコードも一緒につければ、学園都市外の提携病院からすぐに救急車が行くだろう」
「信じるかな?」
「連絡に、TMの治療を知るものだ、と付け加えてくれ。それできっと大丈夫だ」
「わかった」

そして、彼はインデックスの方を向く。

「インデックス。今使える霊装の中から、回復用のものと最も強い攻撃および防御霊装を用意してくれ。そして、歩く教会から私服に着替えてくれ」
「うん」
「あと、そうだな。今のうちにトイレにいっておいた方が良い」
「どうして?」
「しばらく行けなくなるだろうから」

意味を理解した彼女が、言われた通り準備を始める。

「風斬。インデックスがしばらく居なくなるから、周囲への警戒を強めてくれ。無いと思うが、万が一何かあったら、インデックスの歩く教会を着て打ち止めをつれて逃げてくれ」
「わかりました」

急変する状況に不安な顔を浮かべる打ち止めを抱き寄せつつ、風斬が答える。

はー。
それぞれに話すべきことを伝えたのか、彼は脱力してソファーに座り込む。

「……良かったじゃない?」
「良くない」
「本当は、アンタだって良かったって思ってるんでしょ?」

電話回線の本局を端末でハッキングして怪しげな通報をでっち上げながら、彼の横に座って聞いてみる。

「……2%くらいはな」
「良いじゃない。少しでもそう思っているなら」

私の笑顔をちらりと見たあとで、彼はまたため息をつく。

「だが、98%は心配と後悔だ。……監視なんてしなきゃよかった」
「大丈夫よ。きっと上手く行くわ」

落ちそうになっている肩をポンと叩くと、彼はまた大きく息をした。






準備を始めてから5分もたたなかった、とインデックスは記憶する。
テーブルの上にある通信用魔術のカードが、重く落ち込んだような声を届けてきた。

『今、終わった』
「……何かあったのか?」
『麦野達は助けた。……いや、助けたというほどのことはしてねェか』
「どういうことだ?」

言いよどむように言葉を止めた後、一方通行は答える。

『第4位が本気を出したみてェだ。俺も何度か危ないときは足止めをしたが、ほとンど1人でやった。……1人で全滅させたよ。すげェもンだ。跡形も残っちゃいねェ』
「……殺してしまった、ということか?」
『ああ。1人残らず蒸発させちまった。……止める隙もなかった』

全員、殺した?
そんな……。
力を見せ付けて、退かせるのかと思っていたのに。

それを聞いて言葉を失う私達を尻目に、淡々と当麻が答える。

「わかった。じゃあ、今すぐ帰ってきてくれるか?」
『何故だ?』
「場に残されている魔力が消えないうちに、インデックスに見てもらいたい。相手が何者で、どの程度の強さの魔術師だったか」
『了解。1分以内に戻る』

通信用魔術をテーブルに戻すと、彼は私達に言う。

「ここまできたら仕方ない。最後まで付き合おう」
「……これから、どうなるのかな?」

麦野が、ひいては学園都市がローマ正教を敵に回したという余りに重たい事態。
受け止め切れない私の問いに、彼は笑顔で答える。

「わからない。でも、心配は要らない」
「……うん」
「大丈夫だ。何とかなるから」






少しだけ引きつった笑顔で慰める彼に、私達は頷くことしかできなかった。



[28416] 《使徒十字6》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/18 19:41
《使徒十字6》

戻ってきた一方通行に連れられて、惨劇の上空にやってきた。
現場は左右の浜辺や防波堤との連続性が完全に立たれており、発泡スチロールに半田ごてでも当てたかのように至るところがどろどろに溶かされていた。
彼とともに光と音に紛れながら彼女の前に降り立つと、そこに一本の銀色の杖が転がっていた。

あれは、蓮の杖。
やはり相手はローマ正教だ。

そう思って見渡せば、場に残っている魔力の名残からローマ正教の攻撃術式の特徴が伺える。念入りにサーチしてみても、それ以外の魔力は半径300mには感知できなかった。

『おい、その女、やべェぞ』

周囲を窺う私に、リンク越しに一方通行の意思が飛ばされる。
夥しい血を流す絹旗の顔は蒼白で、このままでは死を免れないことがすぐに理解された。

『大丈夫。任せて』

絹旗の手を握る麦野の脇に座り、持ってきた回復用霊装を取り出す。一見すると小さな黄色い帽子にしか見えないが、これはヘルメスの帽子という強力な霊装だ。
私がそれを絹旗の上に掲げて詠唱をつむげば、絹旗の体にマナが満ちていくのがわかる。
もちろん、おおっぴらには治せない。
表面の怪我はそのままに、内部の致命的な傷を選んで回復させていく。
見る見るうちに顔色が良くなっていく彼女に、麦野の顔に驚きが浮かぶ。

ついでフレンダ、滝壺と部下の者達を回復させ、最後に生き残りなのか、気を失っているローマ正教のシスターにマナを届ける。
このシスターからは魔力を感じるから、目を覚まさないうちに離れた方がよさそうだ。
そのことを一方通行に伝えると、彼はベクトル操作で私と一緒に上空2kmに戻る。

『何とかなったのか?』
『うん。もう死ぬことは無いよ。直ぐに救急車が来るから、心配しないで』
『ああ。……でも、さすがにこンな事になるとは思わなかった』
『……仕方ないよ。一方通行のせいじゃないもん』

リンクする彼の思いは、正義がローマ正教側にあるのでは、という当麻の言葉をリフレインしていた。
だから、私はそれに答える。

『あなたがさっき教えてくれた記憶。それを見れば、私にはローマ正教が正義とはとても思えない』
『……そうか?』
『そうだよ。十字架を掲げる者があんなに残虐なことをしている段階で、それは神の教えに対する侮辱だから』

だから、悔いなくてもいいんだよ。
その気持ちに応える彼の感情。

『ありがとな』
『落ち込んだからオセロに負けたって言い訳されたくないしね』
『……オマエ、今日つくづく思い知ったけど、結構ずるいよなァ?』
『はて、何のことかしら?』

そんなリレーをしているうちに、麦野達を迎える救急車がやってくる。
それに仲間が全員運び込まれるのを確認して、最後に麦野は原子崩しで一面をなぎ払う。

『何をやってるの?』
『自分達の痕跡を消してるンだろ。……さすがに手馴れてンな』

ルーチンワークのように足跡を蒸発させる彼女を救おうとした一方通行の意思。
それが良い方向に働いてほしいと、私は願わずにはいられなかった。






麦野達が無事に場を去ったことを当麻に伝えると、彼はしばらくこの場にとどまってほしいと依頼した。
これだけの事態が起こったのだ、何らかの関係者が必ず現場を確認に来るはず。
そこから可能な限り情報を引き出そうという彼の話に、調子を取り戻したようだとインデックスはほっと胸をなでおろす。

『現場にローマ正教以外の魔術師は居たか?』
『調べた範囲では魔力の名残は無かったよ。もし居たとしても、この戦闘には係わり合いが無いはず』
『そうか。生き残ったシスターも関係なさそうか?』
『うん。たいした魔術師じゃないし、ローマ正教から攻撃もされていたから』

そんな会話を通信していると、見慣れた姿が走ってくる姿が一方通行の光学補正によって見えた。
……ステイル=マグヌスだ。
彼はいたるところに大きな穴が開いている状況と、蒸発を免れたローマ正教の霊装が散らばっている姿を見て、何が起こったのかを理解したようだ。
ぶるぶると震えながら携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかける。

『おい、会話をききてェか?』
『うん』
『なら、1kmくらいまで近づかないと無理だが、感づかれねェか?』
『歩く教会は置いてきたから、大丈夫だと思うよ』

そう伝えれば、すーっと一方通行は高度を下げる。
同時に何かのベクトル操作をすると、地上の会話が伝わってくる。

「最大主教を!早くつないでくれ!」

まるで彼が隣に居るように、その焦りがひしひしと伝わってくる。
そして彼がやっとつながったローラ=スチュアートに捲し立てる言葉を拾い集めれば、大まかの状況は理解できた。

なるほど、これはイギリス清教にとっては未曾有の危機だ。
彼が泣きそうな顔をするのも仕方がないだろう。
……ひょっとしたら、学園都市はローマ正教とぶつからずに済むかもしれない。

そして背景を知らない一方通行に情報を渡せば、彼もステイルに対して同情心が沸いてきたようだ。

『アイツ、哀れだなァ』
『……そうだね』

今も許せるわけの無い仇ではあるものの、彼に全ての責任を押し付けて切り捨てるくらいのことを必要悪の教会ならばするだろうと思えば、わずかに憐憫の情も感じるというものだ。
そんな私達の視線に気づくことも無く、帰還命令を受けたらしき彼は電話を切ると、若干ふらつきながら立ち去っていった。






その後姿を見送った後、入手した情報を当麻に伝えていると、私のセンサーがアラートを立てる。

何か、感じる。
何だ、この違和感は。

急に現れた何かの正体を見定めようと、魔力の流れに神経を集中する。
漠然とした帯状の魔力が、クリアーな線に変わる。
その交わる点を、密度を、ベクトルを見定める。
すると、ただの風景にしか見えなかったそこかしこに、浮き出るように魔術師たちの姿が見え出した。

今度は天草式十字凄教だ。

すると、彼等に応えるかのように遠くから高速でこちらに向かってくる影。

「……女教皇様」

人を超えた速度で、しかし優雅なフォームで駆けつけた彼女を取り囲む彼等に、神裂火織は薄く微笑む。
その笑みに安心したのか、老若男女入り乱れる天草式の輪が縮まった。

「お久しぶりです。……皆、お元気そうで何よりです」

彼等の一人一人をゆっくりと見渡す彼女の瞳に感極まったのか、そこかしこから微かに泣き声が漏れてくる。
そんな彼等の様子を見て少し目を伏せた後、神裂はゆっくりと告げた。

「貴方達が何をしたのかは、おおよそ知っています。でも、私は貴方達の口から聞きたい」
「女教皇様。これは、その……誤解なのよな」

輪から一歩彼女に近づいて説明する黒髪は、天草式のリーダーなのだろう。
誘拐犯の嫌疑に対する釈明をしようと、額の汗をぬぐいながら彼が説明するところによると、天草式は私利私欲のためにオルソラを誘拐したのではなく、あくまで彼女が求める助けに応じて行動を起こしただけとのことだった。

「我等、女教皇様の教えに従い、救われぬものに救いの手を差し伸べるべく日々行動してきたのよ。誤解されては困るのよな」
「……では、建宮。どうして直ぐにオルソラを連れて遠くに逃げなかったのですか?天草式の本拠地に匿っても良いのに、なぜ学園都市の近くに滞在していたのです?」
「それは……」

口篭る彼―建宮という名前なのだろう―を促すように見つめる彼等の主の目に、建宮は頭を垂れて答えた。

「……我等、女教皇様の御傍に行きたかったのよな」
「え?」
「我等がオルソラを保護したことで、イギリス清教が動きを見せたのは知っていたのよ。だから、ここにいればイギリス清教と接触できるかもしらんと考えたわけよ」

結局オルソラにも逃げられ、ローマ正教も何者かに消されて何にも良いところは無かったけれど。
ため息混じりに話す彼に、神裂の顔が曇る。

「……そうですか。わかりました。……この件、上と話してみます。貴方達に悪意が無いことがわかれば、イギリス清教もひょっとしたら迎えてくれるかもしれません」

その顔に顔を上げる建宮に微笑みかけると、彼女は何気なく空を見上げる。
私から漏れ出る魔力は微々たるものだから感知できるわけないし、存在を物理的に捕らえられるわけじゃないから偶然と知りながらも、幾度となく追い詰められた聖人の目に私は少し身がすくむのを感じた。






インデックスからの通信に呼び出されて上条が出れば、神裂と天草式について追加の情報を彼女が伝えるのを彼の横で御坂美琴は聞いていた。

単なる誘拐犯であると考えていた天草式。
だが、真実はそうではなかったということになれば、ローマ正教の行動が一気にきな臭くなる。

魔術には詳しくないが、法の書というのは魔術師ならば必ず知っている著名な魔道書であり、かつその内容を誰も解読できないことでも有名らしい。だから、その解読法を知ると目されるオルソラを、力を求める天草式が攫ったと考えるのが今回の事件の出発点として最も考えやすいが、それが否定されるともうひとつの可能性が浮かび上がる。
つまり、外部に解読法を漏らさないためにローマ正教が彼女の口を封じようとして、そこからオルソラが逃走したという可能性。
そして、それを裏付ける事実として、ローマ正教はオルソラが巻き添えになることを承知で麦野達を攻撃したことが挙げられる。

結局ローマ正教も、学園都市と、そしてイギリス清教と同じということか。

宗教組織がひたすらに人を救う行動のみをとるわけじゃないことはインデックスの件で痛いほどわかっていたはずなのに、知りたくない現実を見せられたような気がしてつい小さく肩が落ちてしまうのを感じる。

そんな私の横で、相変わらず考える目をしながら上条は淡々とインデックスと話す。

「では、もう神裂と天草式は別れたんだな」
『うん。しばらく身を潜めるように神裂が言ってた』
「もし本気で追われたとして、彼等はローマ正教やイギリス清教から逃げ切れると思うか?」
『そうだね。……天草式は迫害の歴史があったから、逃げたり身を潜めたりすることにかけては世界トップレベルの魔術をもっているの。だから、きっと大丈夫だと思うよ』

そうか。
彼はそう言うと、10秒ほど目を閉じて考える。
彼にしては長考だ。
今度は何を考えているのだろう。

そんなことを思って瞼の裏で眼球が振動しているのを見守っていると、彼の瞳が開かれる。

「インデックス。俺は神裂と会ってみようと思う。付き合ってくれないか?」
『え……?どうして?』
「楔を打っておこうかと思ってな」
『楔?』
「そうだ。お前は会いたくないだろうが、協力してくれないか?」
『……うん。わかった』



その答えを聞くと、彼は私に外出許可証の偽造を依頼する。
そして滑らかに携帯を操作すると、学園都市外に行くためのタクシーを手配した。



[28416] 《使徒十字7》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/19 01:21
《使徒十字7》

例の海岸線から5kmほど離れた小さな公園に着いたと連絡があったのは、神裂が視界から消えてから1時間後のことだった。

その間新たに現場に現れる魔術師はなく、代わりに集まってきた地元の警察や消防の面々が変わり果てた光景に混乱しながらも調査をする姿が見えるのみだった。
周囲には野次馬達がわらわらと集まってきている。
恐らくローマ正教の魔術師が展開した人払いが切れたためだろう。
これだけ大勢の人が見ていて、しかも封鎖された現場に近づくのは魔術師としてもリスクがある。
それに場に残されている魔力はステイルが来る前にとうに消え去っている。
仮に魔術師が現れたとしても、何かの情報を得られるとは考えにくい。
そう結論して当麻に伝えれば、彼は一方通行に公園まで運んでもらうように通信魔術越しに依頼する。

「見てなくて良かったのかァ?」

閑散とした住宅街にある、忘れられたような公園のベンチに座る当麻に、一方通行は問う。

「今まで得られた情報で大体はわかったからな。これ以上あの場に張り付くよりも、別のことに力を使ったほうが良い」
「何だ?」
「俺とインデックスは、これから神裂に会おうと思う。お前にガードを頼みたいが、お願いできるか?」

ペールな口調で告げる当麻に、一方通行は答える。

「あァ。でも魔術は良くわかンねェぞ?」
「今、インデックスは歩く教会を着ていない。だから、万一のときにこいつを連れて逃げてくれるだけでいい」
「……オマエはどうするンだよ?」
「俺は大丈夫だ。これがあるからな」

そう言って、彼は自分の右手を見せる。
彼のもつ能力であり、同時に彼のことを一方通行がかばいきれない原因である枷。

「……わかった。任せろ」
「ありがとう」

そう告げる最強の能力者の言葉に少し微笑むと、彼は携帯を取り出して神裂にコールした。






空間に溶けるように消えていった一方通行に上空から見守られながら、ベンチに座って神裂を待つ。
待ち合わせの時間まであと23分。
耳に流れこんでくる蝉の声もピークを過ぎたのか、大分その勢力が衰えてきたように感じられる。
空を見れば、やはり澄み切った青。
幸せなときには気づかないが、今みたいに大変だったり辛かったりすると、妙に自然の美しさが空々しく感じられる気がする。

「まだ、暑いね」
「ああ、そうだな」

当麻の顔をそっと見るが、そこにあるのは相変わらずの落ち着いた表情だ。
これから彼女に話す目的を考えれば少しくらい緊張していても良いのに、少なくとも外からはそれが見て取ることはできない。
それとも、それは私の観察眼が足りないせいだろうか。
あと1年、2年と時間を重ねれば、未来の自分はそこに彼の不安を見つけることができるのだろうか。

……未来、か。

思いついた単語に、ふと心が揺らめくのを感じる。
未来。
私は何をしているのだろう。
例えば1年後。
私は今のように幸せに生きていられるのだろうか。
彼の傍に、まだ居られるのだろうか。

「どうした?」
「……ううん」

私の顔を覗き込む、彼の瞳。
彼の目はいつまで私を見ていてくれるだろうか。

1年?
2年?
10年?
それとも?

彼は考え込む私の顔を見ると、すぅと立ち上がって綺麗なフォームで自動販売機に向かっていく。
その遠ざかる背中が、なんだか無性に寂しくて。
立ち上がって追いかけて左手をつかめば、彼は驚いた顔をする。

「インデックス?」
「ごめんね。……一緒に買いにいこう?」
「……ああ」

この手の温かさ。
私を何度救ったのかわからないこの手とも、いつか必ず離れる日が来る。

命は有限。
時間も有限。
人と人との縁だってビードロ細工みたいに壊れやすいもの。

「とうま。私、怖いよ」
「……何が?」
「いつか必ず、とうまと別れる日が来ること」

私の心に巣食う闇。
繰り返し繰り返し心に刻まれた、完全で抉られるように痛む孤独。
ようやく手にした幸せを脅かす何かが現れるたびに、それは嵐のように吹き荒れる。

「大丈夫だ。そんなことにはならない」
「……嘘だよ。だって、とうまは死んじゃうもの」
「俺は死なないよ」
「嘘。とうまだって年をとるじゃない」

ああ、そういうことか。
彼はそう言うと、つないだ手に少しだけ力をこめる。

「そうだな。俺にも、お前にも寿命はあるから。いつか必ず別れはくるな」
「……そうだよ」
「でもさ」

強まる語調に彼を見上げれば、彼の命が私を見据えるのがわかる。

「ステレオタイプな言葉だけど、真実だと思うことがあるんだ」
「何?」

彼にも私の命は見えるだろうか。
見えるとして、その輝きはちゃんとかけがえのない光を見せてくれているだろうか。

「死は恵み。今を浪費せぬよう神が与えし期限。死なくして、我々は命の意味も、愛の喜びも、友情の震えも知ること無し」
「……誰の言葉?」
「上条当麻」

まじめな表情を崩して、にやっと笑いながら彼は言う。
その笑いに、私も倣う。

「何それ。……今思いついたの?」
「ああ」
「ふふっ……面白い。ありがとう。ちゃんと記憶した」

私の中の、彼の図書館に。
私だけの本を守る、大切な、大切な私の聖域へと。

「ちょっとカッコつけたがな。俺は真実だと思ってるよ。永遠に生きていたとしたら、きっと心は持たないと思うから」
「そうだね。……でもそれでも寂しい。せめて飽きるまで生きられたらいいのに」

私の言葉に、彼は口角を上げる。
きっと、その言葉は予想できていた。

「ならば、飽きるほど充実して生きれば良いんだ。ただ、それだけだろう?」
「うん。……大丈夫、充実してるよ。ちゃんと」

気づけば嵐は去っていた。
蝉時雨も、快晴の空も、もはやガラス越しの世界なんかじゃない。
ちゃんと私を包み込んでくれる存在に戻ってくれていた。

「ありがと。いつも、ごめんね」
「良いんだ」

ワンピースに少しだけこぼれた涙の跡をそっとこすりながら言えば、彼はやっぱり私の頭を優しくなでてくれた。






現れた神裂火織の姿に体が固まるのを何とか抑えて笑顔を見せれば、彼女は心底ほっとした表情で微笑を返した。
世界に20人といない聖人の一人。
その身に宿る身体的、魔術的能力は驚異的なレベルなのに、彼女の心はそれに似合わないほど脆いことを私は知っている。
それをうまく誘導した結果、横に立つ少年が彼女の絶対的な信頼を勝ち得ていることも。

「悪いな。忙しいだろうに、呼び出して」
「いえ。インデックスにも会えましたし。それにしても、どうしてここにいるのですか?」

先ほど買ったペットボトルを当麻が渡すと、彼女は頭を下げつつそれを両手で受け取る。

「大覇星祭って知ってるか?」
「ええ。学園都市の一大イベントの一つ、でしたよね?」
「それの準備がかなり大変でな。それに色々あって、夏季休暇以降ずっと土日もなしに忙しかったから、たまには学校をサボろうって話になったんだ」

せっかくお前が頑張ってインデックスの学校を手配してくれたのに、サボりなんて申し訳ないけど。
“お前”のところをさりげなく強調するあたり、彼の飴と鞭が垣間見れる。

「そうでしたか。……インデックス、学校は楽しいですか?」
「うん。とっても楽しいよ。ありがとう」

飴の一つである私は、精一杯の笑顔を作って彼女に答える。
それを見て緩む顔を、当麻がしっかり横目で見ているのを確認しながら。

「それでな。お前にわざわざ来てもらった理由なんだが」

頭をもう一度下げてペットボトルを開けようとした彼女に、あくまで淡々と、話を切り出す。



「実は、俺達は知ってるんだ。……ローマ正教のこと」



ぷしっ、と空気が抜ける音を立てた姿勢のまま、神裂の体が固まる。

「オルソラ=アクィナスのこと。法の書のこと。ステイルのこと」

ぎぎっ、と音を立てるように彼女の首がぎこちなく動いて、彼の顔を見る。

「そして、天草式のこと」
「……な、な、何故?」
「幻想殺しの能力によって」

口だけ微笑みながら、彼は言う。

「……幻想殺しは、異能を消すだけなのでは」
「それも能力の一部だがな」
「……そんな」

目の前に立つ少年の底知れない能力に、口をわななかせる彼女。
その肩を、当麻はぽんと左手で軽くたたく。

「冗談だ」
「……え?」
「悪い。冗談だ。ちょっとからかおうと思って」
「……えっと。冗談、ですか?」
「すまん。知っているのはな、たまたま海岸近くを散歩していたからだ。そしたらローマ正教らしき攻撃用術式をインデックスが感じてな」
「なるほど」
「駆けつけるとステイルが今言ったことを、最大主教に大声で電話でしゃべっていた。だから、知ってるんだ」

相変わらず切れが良い詐欺師の腕前に、私はほっと安堵の息を漏らす。
これだけの秘密を知っていることに対する疑問。
それが浮かぶ前に、より大きな嘘を使って思考をかき乱す。
結果、彼女は多少無理があるストーリーでもすんなり受け入れてしまう。

「あの馬鹿……」
「まあ、そう言うな。話を知れば、あいつの混乱も仕方がない」
「……ええ。そうですね。大変なことになりました」
「ああ。だから、お前に会って話さなければ、と思ったんだ」
「……え?」

だから、の意味が彼女には理解できなかったのだろう。
顔に疑問符が浮かぶのを、当麻は和やかな表情を浮かべつつ静かに眺める。

「あの……だから、とは?」
「お前は天草式十字凄教の女教皇なんだろう?」
「元、ですが。……でも、だから、何なのですか?」
「お前は天草式と仲違いしたのか?」
「そんなことはありませんが……」
「だったら現状はまずいって思わないのか?」

焦らすように問う彼に、神裂は思考する。
きっと彼女が思い至らないのは、彼女の人格によるものであろう。
根本的に人を信じ、そしてあらゆる人を救おうとする彼女には、きっと当麻のような発想を一生思い描けないに違いない。

「……すみません。教えていただけませんか?」

申し訳なさそうに小さくなる神裂に、当麻はプレーンな口調で言う。






「このままだと、天草式は危ないぞ?」



[28416] 《使徒十字8》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/19 13:55
《使徒十字8》

言葉が届いた瞬間、彼女の息が止まった。

「どういう、ことですか?なぜ、彼等が?」
「簡単な話だ。今回の事件、このままだとイギリス清教がローマ正教の魔術師を全滅させたことになってしまうだろう?」
「……でも、学園都市の能力者が犯人という可能性も」

美琴の能力で、学園都市のゲートの監視カメラのログから、麦野達が出入りする映像は既に消去されている。
もちろん、外出許可証絡みのデータも絶対にばれないように改竄済みだ。
学園都市外の人工衛星はリアルタイムで光学情報を得ているわけじゃないから、彼女達がその場にいたことを証明できる情報は容易くは出てこないはず。
加えて、救急車が出動した記録類についても当然のように手が入っている。
学園都市がレベル5である麦野の犯行を積極的に認めるわけはないと思うが、仮に疑ったとしても少なくとも学園都市から出せる証拠はもう存在しない。

「確かにな。でも、それは無理だろう」

もちろん、そんな背景など知らないかのように、当麻はペールな声で話を続ける。

「今回の件、隠密だったんだろう?学園都市には知らせなかったんじゃないのか?」
「……ええ」
「なら、学園都市の能力者が犯人です、と言ってもローマ正教は納得しない。仮に犯人と認めたとしても、あくまでイギリス清教からの指令を受けての犯行とみなすだろう。それに、学園都市だってそんなことはないと主張するだろう。イギリス清教がせっかく築いた学園都市とのパイプが途切れかねない」
「そうですね。……確かに」

不安な表情を浮かべて頷く神裂。

「じゃあ、イギリス清教は、罪をかぶると思うか?あの最大主教が、そんなことをするとでも?」
「いえ。思えません」
「じゃあ、どうすると思う?」

そこまで言われて、彼女はやっと当麻の意図に気がついた。
顔からみるみる血の気が失せるのが良く見えた。

「ま、まさか……彼等を?」
「ああ、そうだ。今回の事件の発端。誘拐犯である天草式。彼等がローマ正教の魔術師を屠ったことにすれば良い。最大主教ならそう考えるだろう」

がたがたと震えだす彼女に、当麻が言葉を重ねる。

「もちろん、単純に天草式をローマ正教に引き渡す、じゃだめだ。彼等は自分達の犯行じゃない、と主張するだろうからな。それに疑義をもたれては困る。だったら、どうするか。……言わなくてもわかるだろう?」
「あ……ああ……」

顔を覆ってうつむく神裂に、当麻が止めを刺す。



「イギリス清教は独自の調査の結果、今回の件が天草式の犯行と結論。捕獲作戦を行うも失敗。やむを得ず抵抗する彼等を一人残らず粛清した。……筋書きとしてはこんなものかな」



もちろん、本当はこのストーリーが一番起こりうる予測図かどうかは不定だ。
天草式と関連の深い聖人である神裂に配慮するだろうから、イギリス清教が天草式をスケープゴートに使えるかどうかは、はっきり言ってわからない。

だが、イギリス清教に仲間として迎えるように取り計らうとまで言っていた神裂だ。
当然、こんな可能性は頭を掠めもしなかったはず。
そこに、あたかも当然こうなるが如くに予想外の展開を見せ付けられれば、そちらに思考が一点集中してしまうのは無理もない。
それが彼女の信頼する上条当麻からの言葉であるのだから、なおさらのことであろう。

そして、打ちのめされて震える神裂の肩に、当麻がぽんと手を乗せる。
少し涙が浮かぶ目で見上げる彼女に、彼は信じられないくらい優しい声で話す。

「神裂。心配するな。俺達が何とかするから」
「……え?貴方達が?」
「ああ。俺達がそんなことにはならないように動くから、心配するな」

でも、どうやって。
そう聞く彼女に、答える声。

「ローマ正教の術式を感知して、インデックスと駆けつけたときにはもう全てが終わっていた。現場には、誰もいなかった」

単調な口調で当麻は続ける。

「だがな、そのときはまだ魔力の名残が残っていた。そしてインデックスは、ローマ正教の魔術のみを感知した。天草式の術式が使用された形跡はなかった」
「では、貴方達が助けてくれるというのは」
「ああ。もしイギリス清教が天草式をスケープゴートにしようとしたら、インデックスが証言する。完全記憶能力を使って、犯人は絶対に天草式ではないとな」

だから、心配するな。
そう繰り返す彼の言葉に、神裂の目から涙が流れ落ちた。
彼女は礼を述べながら、何度も何度も当麻と私に頭を下げる。

「ただ、一つだけ頼みがあるんだ」
「……なんでしょう?」

一度地獄に落とされれば、それが今までいた地上であったとしても楽園に見える。
落とした張本人だと気づかないから、神裂にとっては当麻が楽園に導いてくれた大恩人に見えるに違いなかった。

「先ほど言ったように、いざというときには俺達が助ける。だがな、できればインデックスがイギリス清教に反抗するような状況は作りたくない」
「ええ、もちろんそうです」
「だからな、お前には今まで以上に最大主教や必要悪の教会の動向を見てほしい。そして、天草式を討伐するという動きが少しでも見えたら、すぐに知らせてくれ。その段階で、どう動くか相談しよう」

わかりました。
そう表情を引き締めて答える彼女に、当麻がすぅと左手を差し出す。
固い握手を両者が交わすのを見て、私は彼の目標が完全に達成されたことを理解した。







神裂と別れた後、当麻と一緒にバスに乗って帰ることになったとインデックスは記憶する。
今回は自分達も相応のリスクを覚悟で事件に飛び込んだのだから、リスクアセスメントをしたい。
神裂に見つからないように公園の隅に隠しておいた攻撃と防御の霊装があるから、何者かに襲われても何とかなるだろう。
そう提案する当麻に従って、自身を餌に、自分達を追う何者かがいるかどうかを魔力と空からの目で確認することとなったのだ。

まだ夕方には早い時間。
平日と言うこともあり、やってきた学園都市行きのバスには私達の他は誰も乗っていなかった。
一番後ろの座席に座ると、当麻は小さくため息をつく。
彼の顔を見れば少し浮かない顔をしている。
さすがに疲れたのか、それとも尾行が心配なのか。

「お疲れ様」
「ありがとう」

もう温くなってしまったペットボトルのお茶を飲む彼に倣って、私も飲み物を口にする。
歩く教会のおかげで日ごろは直面していない過度な暑さに、さすがに少し脱水気味だ。

「お前こそ、大変だったな。ありがとう」
「そんなに大変じゃなかったよ。心配しないで」

天草式という理由を作ることで、神裂をイギリス清教から心理的に引き離し、かつイギリス清教の内部情報を調べるように促す。
義理堅い彼女のことだ、天草式について調べる過程で知りえる私達に関する情報について、今まで以上にこっそり教えてくれるだろう。
さらに、聖人にここで一つ大きな貸しを作ることで、いざと言うときに彼女の助けを要請しやすくなる。
ついでに、天草式という一魔術集団に恩を売っておくことで、将来的にイギリス清教と対立するような状況を打開するための布石とする。

私が見る限り、彼の目的はパーフェクトに達成されたものと思われた。

「でも、良かったね。期待以上の結果だったんじゃない?」
「ああ。……そうだな。期待以上かもな」
「それに、ほら、あの事実もわかったじゃない」
「ああ」
「本当にびっくりしたよ、とうま。私、ぜんぜん気づかなかったもん」

別れ際に彼が何気なく確認したことに、神裂だけではなく私もとても驚いた。
彼には隠し事はできないことを重々承知している神裂が秘密ですよ、と言って教えてくれた事実は、俄かには信じがたいものだった。

「まあな。俺の方が長いから」
「でも……記憶を再生しても私にはまったくわからない」

目は非常に多くの情報を入力しているが、脳の処理が追いつかないために通常はその大部分を切り捨てることになる。
私は処理を後回しにして取りあえず全部を保存することができる一方で、彼はリアルタイムに処理できている情報量が私よりも遥かに多いのだろう。

「凄いね。とうま」
「ありがとう」

でも、バスに乗り込んでから彼の顔はあまりぱっとしない。
私が周りに魔力は検出できないということを伝えても、一方通行から尾行者は確認できないとの知らせを受けても、その表情は変わらなかった。

期待以上の成果があり、案じていたリスクもなさそうなのに。
どうしてそんなに浮かない顔をしているのだろう。






「とうま。……どうしたの?」

何でもないよ。

「嘘だよ。何でもある顔してるもん」

何か心配事があるわけじゃない。
俺も今日はベストの結果だったと思ってるよ。

「じゃあ、どうしてそんな顔してるの?」

ちょっと考え事をしていてな。

「何か気付いたことがあるの?」

いや、事件に関することじゃないんだ。

「じゃあ、何を考えてるの?」

大した事じゃない。

「そんな顔してるのに?」

……ああ。



速やかに無表情になる顔を見て、8月23日以前と同じだと思った。
彼の心は防火壁の後ろに隠れようとしている。
臆病で傷つきやすいはずの彼は、ようやく開けてくれた扉を閉ざして、内へ内へと落ちていっている。

何が原因かわからない。
でも、彼が何かに思い悩んでいるのは確実だと思った。
だったら。



私がその扉を開けてあげるしかないじゃないか。



[28416] 《使徒十字9》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/20 19:20
《使徒十字9》

「とうま。私の目を見て」

彼の左手を両手でしっかり握って、逃がさないという意思を伝える。

「私の目を見て。ちゃんと」

こちらを向く二つの瞳を、しっかりと覗き込む。

「とうま。私、頼りない?」
「そんなことないよ」
「じゃあ、教えてほしい。とうまが考えていることを」
「……インデックス」
「とうまが悩んでいることを。とうまが苦しんでいることを」

本当に、たいしたことじゃないんだ。
モノトーンで話す彼の顔に、自分の顔を少し近づける。

「とうま、全部話してくれるって約束したよね」
「……」
「したよね?」

じりじりと近づく私の顔に、迫力に押されてか、それともこれ以上は揺れるバスだと危険だと判断したのだろうか。
彼はちょっと肩を落とすと、あきらめたような表情になる。
その目を遮蔽する壁が崩れたことを確認して、私は顔を元の位置に戻した。






「お前は、今日の俺を見ていてどう思った?」

ため息混じりに問う彼に、私は少し考えて答える。

「いつも通り、相変わらずとうまはとうまだなあ、と思ったよ」
「それだけか?」
「それだけって……そうだね、神裂との話を聞いてて、やっぱり凄いなあと思った」

ありがとな。
そういった後で彼は言う。

「……麦野達を見捨てるべきだって言ったとき、どう思った?」
「どうって……当然かな、と思ったよ」

美琴はそうは思わなかったみたいだけど。
それは言わなくても彼なら気付いているだろう。

「じゃあ、神裂を騙したときは?」
「……え?だから、凄いなって」
「本当に?」
「……どうしたの?」
「いや、ごめん。……ああ、馬鹿だな、俺」

自分の額をトントンと人差し指で叩きながら彼は思考する。
きっと、自分の気持ちを正しく伝えられる言葉を必死に探しているに違いなかった。

「いいよ、とうま。ゆっくりでいいんだよ」
「その、何ていうのかな。俺は、100回今日を繰り返したとしても、100回同じ選択をすると自信を持って言える。俺の中で、出した結論は変わるはずがないから」
「うん。そうだと思うよ」

彼ほどの思考力を持つ人なら、行き当たりばったりなど絶対にしない。
だから、条件が変わらなければ結論だって変わるはずがない。

「麦野やローマ正教の魔術師を見捨てて、神裂を騙して、天草式を利用する。これから先も、俺はこうやって誰かを切り捨てて、利用して、騙して生きていくんだ」
「……とうま」

そこに混じる自虐を感じて、私はとても驚いた。
その思考力、人心掌握こそ彼の最大の強みのはずなのに。
私の表情を見て、心理を読んだのだろう。
彼が蔑む読心術によって、彼は私の疑問に答える。

「これは俺の力だ。これがなければ今はないんだから。今の俺の幸せはないんだから。それはわかってるんだ」
「……うん」
「わかってるんだよ。インデックス。異能を消す右手しか持たない俺が、レベル5や聖人と渡り合うためには、頭で戦わなきゃいけないってことくらい」

でも。
それでも。

「でも。俺はあのとき羨ましかった。一方通行が焦がれるほど羨ましかった。敵ですら救おうと言える、救うことができるあいつの強さ、あいつの能力。それに雪崩みたいな嫉妬が起こるのを感じたんだ」

当麻はレベル0。
その比類なき知力と基本的な身体能力の高さに隠れていつもは気付かないが、彼は正面からぶつかれば私や美琴はおろか氷華にも敵わない。

「一方通行も、御坂も、そしてお前も。自分を堂々と主張できる、自分だけの莫大な力を持っている。そんな力が俺にもあれば。そうすれば、誰も騙さず、見捨てず、みんな救えたかも知れないって」

レベル5を特に羨ましいとは思わない。
涙子を見舞ったあの日の帰り、彼は確かにそう言った。
力なんて別に欲しくない。
あの日の彼は、確かにそう思っていたはずだ。

「もしも俺に力があれば、もっと真っ直ぐにお前達を守れたかもしれないって。……こんな無いものねだりするなんて、馬鹿だろう?」

自分を嗤う彼の弱弱しい表情。
だから、私は当麻を抱きしめた。






「とうま。とうま……」



湧き上がる感情は、謝罪か、喜びか区別できなかった。
でもどちらでも構わなかった。
突き動かされるように立ち上がると、私は彼の頭を掻き抱く。



「お、おい?」
「とう、ま……うぅ……」



私や美琴は仕方がない。
人よりも抜きん出た力を持って生まれてきたのだから。
それに伴う重圧だって、悲劇だって私達の運命のはずだ。

でも、当麻は違う。
彼にはそんな運命なんてなかった。
それなのに私達の歩く険しい道を、レベル0の彼は一生懸命、一緒に歩いてくれているのだ。
考えて、考えて、考えて、考え抜いて。
電撃も飛ばせなければ、魔術も使えない彼は、それでも必死になって私達を守ろうとしているのだ。

だから、本当は騙したくないのに、それでも誰かを罠に嵌める。
だから、本当は利用したくないのに、それでも誰かの意思を操作する。
だから、本当は皆を救いたいのに、それを口に出すことすらできずにいる。

だから、本当は要らないはずなのに、大きな力を欲している。



なんて申し訳ないことなのだろう。
そして、なんてありがたいことなのだろう。



強張った彼の体に、彼の黒髪に、ぽたっと涙が落ちるのが見える。
彼に吸い込まれるように消えるそれを見たときに、私は唐突に分かった。
ああ、そうだったんだ、と。
私はようやく気付いた。



私は、この人に会うために生まれてきたんだ。
私は、この人を守るために生まれてきたんだ。



私は、この人に恋するために生まれてきたんだ。



「とうま。大丈夫だよ」
「……え?」
「私、とうまを守るよ。私がちゃんと守ってみせるよ」
「……」
「だから、もう心配しなくても良いんだよ。自分を責めなくても、良いんだよ」
「インデックス……」



彼の頭に回した手をそっと離して、彼の目を見つめる。
涙でぼやける目でも、それでも当麻が私の意図を考えているのが良く分かった。

そんなの、当たり前だよね。
今までずっと見てきたんだから。

誰よりも近くで。
誰よりも愛しい彼を。



「とうま。私は、魔神インデックス。この世の全てを捻じ曲げられる世界最強の魔術師なの」
「……ああ」
「だから、大丈夫なんだよ。どうしようもないことなんて、起こらない。私が絶対に起こさせないから」
「でも、お前が力を使ったら」
「いいの」



いいんだ。
私は世界を変えられるんだから。



「私ね、気付いたことがあるの」
「……何だ?」



世界中を敵に回すことになったって、それでももう平気だから。



「今までずっと知らなかったこと。私の気持ち」



貴方を守るためなら、他には何もいらないんだから。



「私はね。……私は、インデックスは、とうまの事が大好きだよ?」



例え全てを滅ぼしたとしても。



それで愛しい貴方が守れるならば。



[28416] 《使徒十字10》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/20 18:35
《使徒十字10》

周囲の魔力を窺いながらバスに揺られている。
私の右手は彼の左手に繋がれている。
私の大好きな当麻の手に。
私を何度も助けてくれた、そしてこれからは私も助けていく温かい手に。






私の告白を聞いた当麻は、心底驚いた顔をしていたとインデックスは記憶する。
涙できらめく私の目を、彼は呆然と見ていた。

「……とうま?」
「え?ああ、ああ、ごめん」

彼に対する女性陣の人気はとても高いことは学校に通いだしてすぐに知った。
ピンチを助けてくれて、それに恩を着せようともしない。
嫌な仕事も黙々とこなす。
そして頭も良くてスポーツも万能とあれば、もてないほうがおかしい。
だから、今までに数限りないほどの告白を受けてきたはずなのに。
それでも彼は、生まれて初めて好きといわれたかのように、思考が働いていないことを知った。

「……あの、私の話、聞いていたよね?」
「ああ。もちろん」

相変わらずぼんやりとした顔に、まさか聞いていなかったのか?と思って問うてみれば、さすがにそれは無かったことが分かった。

「……なにか感想は無いの?」

にもかかわらず、呆けられると困ってしまう。
濁流みたいに暴れる感情をそのまま言葉にしたから、思い返すとなんだか恥ずかしくなってきて顔に血が上るのを感じた。

「ああ。……その、ありがとな。インデックス」

そう言って頭を撫でながら、彼の顔がだんだん何時も通りに戻っていくのが見える。
壁に覆われた無表情ではない。
もうその感情を読むことができる、そして生きよう、守ろうとする意思を秘めた、力強い顔つきに戻っていく。

「本当に、ありがとう。ありがとうな」

そして次に浮かぶのは笑顔。
作ったものではない、心からの笑みであると私にはなぜか分かった。

「俺、ちょっと幻想をみていたみたいだ。うっかり勘違いしてた」
「幻想?」
「ああ。幻想だ。皆とか、正義とか、そういった幻想だ」

そう言うと、彼はすぅと私を抱き寄せる。
魔術の眼が失われ、彼の胸しか見えなくなる。

「お前のおかげで、目が覚めた。俺は馬鹿だった」
「……とうま」

彼の体から、当麻の匂いがする。
私を包み、私を慰め、私を守る彼の命が目の前にある。

「俺は俺の幸せを、お前達を絶対に守る。そのためには何だってする。利用して、騙して、裏切って、罠にかけてやる」
「……いいの?」
「ああ。だって、何が何でも守りたいんだから。一番大切なもの、譲れないものなんだから」

そういって、彼は私をそっと離す。

「ありがとう。俺は良く分かったよ。俺は俺としてこれからも生きて良いってこと」

微笑む彼に、私は思わずもう一回抱きついた。






家に着くまで一応探索はしたものの、魔力でも空からの監視でも尾行者は見つからなかった。
帰った後、一方通行は光学迷彩で麦野達の様子を窺いに行ったが、圧倒的な力でローマ正教の魔術師を全滅させたとは思えないほど麦野は穏やかだったとのことだった。

結局学園都市から逃げるでも、都市外で療養するわけでもなく即日で帰ってきてしまった麦野達。
今後も監視するのか、それとも放っておくべきか。

「そうだな。とりあえず1週間に一度くらいの監視でどうだ?」
「そんなに間があってもいいの?」

その問いに、当麻は答える。

「一方通行が調べてくれた情報を見れば、麦野は大分落ち着いているようだ。暗部とも手が切れているようだし、早々無茶なこともしないだろう。そして何より」
「何より?」
「麦野には守るべき人間ができたらしいということがわかった。彼等を守らなきゃいけないから、もう感情に任せて暴力に訴えることはしないだろう。だから、きっと大丈夫だ。それより、問題はオルソラかな」

そう言って一口麦茶を飲む。

「オルソラは微妙な立場にいる。法の書の秘密を握る魔術師として、ローマ正教はイギリス清教が攫ったと考えているだろうから、イギリス清教に見つかったらきっと彼女はローマ正教に引き渡されるだろう。そうなると、彼女は麦野達がローマ正教の魔術師と戦った事実を知っているから学園都市としては困ったことになる」
「じゃあ、どうするのよ?」
「彼女はローマ正教に襲われたことを知ってるし、探索術式を避けるような防御魔術を身につけているようだから見つかることはまず無いだろう。一方通行の話だとスキルアウトに身を寄せるつもりらしいしな。だが、イギリス清教が探しているという事実は、いずれ教えておいたほうがいいとおもう」

法の書の解読法は何通りもある。
私が学校の授業中などに考えて追加した100を超える解読法でも、正しいと思われるものは一つもない。
彼女が解いたと考えている方法は、恐らくこの100のうちのどれかだろうから彼女のことを探すことは意味がないと思うが、仮に私がオルソラの解読法が誤りであると確認したところで、彼女の居場所なんて知らないで通す私がそれを公表することもできない。

「いずれって、何時よ?」

美琴の質問に、当麻は答える。

「そうだな。大覇星祭が終わったあたりでどうだ?あと2週間以上あるし、ローマ正教とイギリス清教の関係もある程度進展するだろうから、話せる内容も変わるかもしれないからな。状況によってはそれより先に会わなきゃいけないことになるかもしれないが」

もちろんそれについては神裂から情報を仕入れるつもりなんだろう。

「もしイギリス清教がオルソラを捕まえにきたら?」
「オルソラはさっき言ったとおりそう簡単には見つからないだろうから、捕まえようとしたら大規模な魔術を使うことになる。それはインデックスが感知できるからな。そのときは可能ならオルソラを先に保護して、一方通行に地球の裏側あたりまで逃がしてもらうことになるかもしれない」

そういって彼は私達のことを見回す。
皆、特にこの方針で異論は無いようだ。

「じゃあ、それで行くかァ」
「そうね。……明日からしばらく日常に戻りましょ?」

学園都市、イギリス清教、そしてローマ正教。
それらのパワーバランスの進展を見守りつつ、適宜それに介入していくということでひとまず話し合いは終わったのである。






9月14日。
計画通り1週間たったので、一方通行は打ち止めの通院のついでに物理的に麦野達の様子を見るために出かけていき、私達3人は電子的に監視カメラのログやカルテ、投薬情報から麦野の様子を確認することになった。
思えばこの1週間は心のどこかで彼等の動向が引っかかってはいたものの、1点を除いて特筆すべき変化も事件も無く、久しぶりに穏やかに過ごすことができたと御坂美琴は振り返る。
朝、皆で早朝のランニングに行き、単調な授業を聞き、能力測定を行い、一方通行の家に集合する。
相変わらず毎日のようにあちらこちらから大覇星祭の準備の手助けを要請される上条とは、やっぱりほとんど会う時間が無いけれど。
最初はいるべき人がいなくて時間の使い方すら戸惑う感じだったが、さすがに1週間もたてば彼無しの空間が当たり前になってくる。
これが2人から1人になったのなら話は違うだろうが、なにせ私の周りには大切な仲間達がいるのだ。

彼がいなくても打ち止めにおいしいご飯を作ってあげたいと思うし。
彼がいなくても風斬に勉強を教えてあげなきゃいけないし。
彼がいなくてもインデックスの孤独を埋めなければいけないし。
彼がいなくても一方通行にゲームで勝たなければいけないし。

そして、ある日彼無しでも寂しいと思う時間が減ってきたことに気付いて愕然とする。

ああ、こうして人は忘れられていくのか。
ならば、ある日突然私がいなくなったとしたら、やはり私も彼等の中から消えてしまうのか。

自分の薄情さがそこに見えた気がして、私と同様彼の不在を寂しがっているはずのインデックスに聞いたとき、私は初めて違和感を感じた。

「ね、インデックス。アイツ、ずっと帰ってこないね」
「うん。……まあ、仕方ないよ。とうまはああいう性格だから」

誰かと戦うために帰ってこないんじゃないから、許してあげようよ。
そう言う彼女の回答に、私は戸惑ったのだ。

あれ?
なんで?

私以上に彼に依存し、私以上に寂しがり屋のはずの彼女が、困ったような顔をしながらも彼が帰ってこないことを認めている。

そして、予想外の彼女の答えによって一旦感じた彼女の変化は、その後の彼女、特に上条と話すときの彼女の表情、距離、仕草をみるにつけてよりクリアに何かを私に告げていた。
それこそ、1週間経った今日、彼女にはっきり聞いてみたいと思えるほど強く。






「インデックス、たまには二人でパフェでも食べに行かない?」

麦野の状態を確認し終わったあと、御坂美琴はさり気なくインデックスに声をかける。
麦野達の状況はすこぶる安定しているようだ。
スキルアウトともうまく、まあスキルアウトらしい活動はしているようだが、うまくやっていることは監視カメラのログから分かるし、投薬量も大分減ってきている。
オルソラは常に麦野達と一緒に行動しているようだから、万一イギリス清教が手出しをしようとしてきてもきっと彼女達が守るだろう。
そんな形で心配事が解決に向かってきたから、久しぶりに女の子同士でゆっくり話したいのよ。
じゃあ、当麻も一緒にというインデックスの言葉をやんわりと断り、半ば強引に私は彼女を近くの喫茶店に連れ出した。



時間が微妙だからだろうか、いつもは混んでいるのに今日は比較的空いているお店の、一番奥の席に二人で座る。
この店の看板メニューであるイチゴ大福パフェを2つ頼んだ後、私はインデックスを久しぶりに真正面から見た。

銀髪碧眼の少女。
イギリス清教、必要悪の教会所属のシスター。
10万3000冊の魔道書図書館。
全てを揺るがす魔術を行使できる魔神。
私が家族と認めた女の子。
そして、アイツの同居人。

「どうしたの、みこと?」
「いや、あんたのことゆっくり見るのって、久しぶりだなって思ってさ」

そっか。
そういえば私もそうだね。

そう言って微笑む彼女に、守るより攻めるタイプの私は、待てない私はつい聞いてしまう。






「ねえ。……あんた、アイツと何かあった?」



[28416] 《使徒十字11》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/21 02:09
《使徒十字11》

口に出してしまってから、早すぎたかと後悔した。
もっといろんな話をしてからにすればよかったか。
これでは、これを聞くために連れ出したのがばればれでは無いか。

でも、音のエネルギーは消えても、言葉を出した事実を消すことはできない。

「……え?」

驚く彼女の顔に、心がピシッとヒビが入ったような音を立てるのが聞こえた。
それが、どこが割れた音なのか、痛んだ響きなのかは分からないが、きっと大切な何かが損なわれたと知った。

「あんたのアイツへの態度、このところ変よ?」
「そう。……そっか」

少しうつむいたから見える彼女の旋毛に、またどこかが苦痛を訴えた。

「そうよ。絶対。……アイツは何時も通りだけどさ。あんたは嘘つけないじゃない?」

インデックスは嘘をつけない。
だから、嘘をついていることを隠すことができない。

「うん。……みことにはお見通しなんだね。黙っててごめん」

それでも隠す何か。
それは一体、何なの?
知りたい。

「いいのよ。……もし言いたくなければ、言わなくてもいいから」

そして、知りたくない。
聞かずにすむなら、それでも良い。
ここまで聞いておきながら、そんな虫の良い声が反響する。

「あのね。……あの。その……」

口篭る彼女の様子から、なんとなく事情が見えた気がした。
だから、それを確定された真実にしたくなくて。
開けかけた箱を閉じたままにして猫の命を不確定に戻そうとする。

「ごめん、やっぱり聞かなくて」



「私ね。……とうまに、好きって言っちゃった」



ああ。
やっぱり。
そうだと、思っていた。






彼女が私を止めたか。
私が彼女に謝罪の言葉を述べたのか。
そんなことは全く憶えていない。



俯いたまま私は走り去るようにその場から逃げ出した。






追いかけてくる銀色を振り切るように、第3位の能力を行使する。
あっという間に私の体は高層ビルの壁に張り付き、ついで導く磁力によって走るより早くその屋上までたどり着く。
それでも彼女から少しでも離れたかったから、なぜか流れる涙を振り払いながら、私はビルの屋上から屋上へと蜘蛛のように飛び移る。
一瞬の落下と、そして磁力のネットに救い上げられるような上昇感。



その繰り返しはまるで私の今までの気持ちみたいで。
繰り返して盛り上がる彼への想いと、それを打ち消してきた自分みたいで。
ならば今は落ちるべきかと、ふと思って。
でも彼に救われた自分を損なうことなんて当然できなくて。



いつの間にか見知らぬビルの屋上で、私はひざを抱えて泣いていた。



馬鹿だ。
私は、馬鹿だ。
大馬鹿だ。



間抜け過ぎる自分を、繰り返し責めながら。



私、気付いてたじゃない。
アイツが好きだって、気付いてたじゃない。
それなのに。
それなのに。



腕に力をこめて。
足に力をこめて。
少しでもこの身を小さくして。



なのに、何よ。
これが恋かわからないなんて。
これが恋愛感情かわからないなんて。



せめて、荒ぶるこの心を、私の中だけに閉じ込めるように。
せめて、泣き叫ぶこの声を、私の中だけに響かせるように。



こんなに痛いのに。
アイツを独り占めしたくて、こんなに痛いのに。

こんなに苦しいのに
アイツが私以外の誰かといると、こんな苦しいのに。

こんなに辛いのに。
アイツがもう二度と私に触れてくれないと思うと、こんなに辛いのに。

こんなに寂しいのに。
アイツが私を恋人と見てくれないことが、こんなに寂しいのに。



全て、気付いていたはずなのに。
全部、全部知らなかったことにして。
このぬるま湯に身を浸して。
何時までもこの時間が続けばいいなんて幻を見て。



馬鹿だ。
本当に、馬鹿だ。



二の腕にきしみながら突き刺さる爪の痛みも、きっと救いだった。
全てを失ったような、このどうしようもない喪失感を紛らわしてくれるから。
もう戻れない日常への切なくなるような慕情を乱してくれるから。



泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。



そのとき、泣き続ける私の隣から声がする。






「……おい。オマエ、こンなところで何やってンだ?」







顔を上げて周囲を見回しても誰もいなかった。
だけどすぐに思いついて能力で視れば、すぐ隣に3人のシルエットが浮かび上がった。

「……何よ」
「あァ?オマエ、泣いてンのか?」

麦野の監視が終わって家に帰る途中だったのだろう、ある範囲の電磁波長のジャミングを解いた一方通行が、打ち止めと風斬と一緒にこちらを心配そうに見ているのがわかる。

「……放っておいてよ」
「何があったンだよ?」

素っ気無く突き放しても、彼は食い下がる。

「お姉様。……どうしたの?」
「御坂さん……」

お連れの2人も同様だ。

ああ、ダメだ。
これでは感傷に浸ることもできない。
ため息をついて他のビルに移ろうと歩き出せば、一方通行の手が私の手をつかむ。

「待てよ。そンな顔見せられて、引き下がれ……」

繋がれた瞬間、視界が暗転する。
同時に彼とのリンクが繋がり、視覚情報が付与される。

そして彼に、打ち止めに、風斬に、あふれかえりそうなこの気持ちが流れ込む。
怒涛のように広がる私の感情に、彼等の感情が反響音を立てる。

『離しなさいよ。……離してよッ』
『なるほどねェ。そういう訳かよ』

驚愕。
同情。
憐憫。
そして、疑問。

それらの感情を揺らめく色として見せながら、渾然一体として繋がる私に、彼の思考が囁く。

『お姉様。落ちついて』
『落ち着けないわよ。……勝手に人のプライバシーを見てくれちゃって』
『悪いなァ。そういうつもりは無かったンだけどなァ』



まあ、立ち話もなンだ。
ちょっと付き合え。



一方通行がそのような意図を私に見せると、景色が急変する。
瞬時に音速を超えた私は、いつかのサイクリングロードへとあっという間に拉致された。



[28416] 《使徒十字12》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/21 20:46
《使徒十字12》

休日にもかかわらずそれほど人が通らないのは、ここがバス停から最も離れた地点であるからだろう、と御坂美琴はぼんやりと思った。
思考のリンクから開放され、光学迷彩を解いた打ち止めと風斬にはさまれるようにベンチに座りながら、少し離れた自動販売機で飲み物を買っている一方通行を見る。

まったく、余計なことを。

でもこの3人には全て知られてしまったのだ。
しかも走って逃げるにしてもバス停まではかなりの距離がある。
私をベンチに残して一方通行が離れたのには、ちゃんと計算があることを理解した。

あいつ、この頃アイツに似てきたわね。

そしてうっかり上条のことを思い出してしまって、また涙が出そうになる。
あわてて空を見上げてごまかせば、超音速機が空を切り裂いていくのが見えた。

ああ、あの時もこんな景色だったっけ。

5人でサイクリングしたあの日見上げた空と同じ、どこまでも青い空。
あの時、確かに私は誰かに誇りを持って話せる人生を歩もうと思っていたのに。
何でこんなことになっちゃったんだろう。
そう思ったら、上を見ただけでは足りなくて、やっぱり涙は零れてしまった。



「おい、そンなに泣くなよなァ」
「……うっさいわよ」

手の甲でごしごしと顔をこすると、彼が差し出すペットボトルを奪い取る。
そんな私に小さくため息をつくと、彼は向かい合うようにぽんと腰を下ろした。
まるで、そこに椅子があるかのように。

「……あんた、それどうなってるの?」
「あァ?……ああ、これか。ベクトル操作で周りに空気を圧縮して、椅子にしてンだよ」
「常々思うけど、あんたって本当に便利な能力者ね?」
「これが第1位と第3位の間にある、歴然とした差ってやつだ」

手を広げながら冗談めかして言う彼に、苦笑しつつペットボトルに口をつける。

「なるほどね。通りで私は第3位なわけだ」

そんな私の見せた笑顔に安心したのか、一方通行は缶コーヒーを一口飲むと少しまじめな顔で話す。

「なァ。オマエ、どうしたいンだよ?」
「……どうって?」
「アイツのこと、諦めンのか、と聞いてるンだ」

ずきっと胸が痛んだ。
なにを言うんだ。
泣いてるのを見てたんだろう?
今言わなくてもいいじゃないか。

「……うっさい」
「諦めンのか?」
「うるさい!」

吼える私に、彼は肩をすくめる。

「オマエなァ。……同じ諦めるにしてもよ、せめて想いを伝えてからでも遅くねェンじゃねェのか?」
「うるさいよ。……だってもう、遅いじゃん」

遅いじゃん。
もう。

「オマエ、あのシスターの話、ほとんど聞いてなかっただろうが」
「……」
「あのシスターが言ってたのは、アイツに好きだって言った、そこまでなンだろ?」
「……そうだけどさ」
「あーあ、俺、何やってンだか」

ガシガシと頭をかきながら、一方通行は言う。

「正直、俺にはこンな役回りは似合わねェ。全く持って似合わねェ」
「そんなこと無いよってミサカはミサカは未知なるアナタの恋愛相談にわくわくしてみたり」
「照れずに頑張ってください、一方通行さん」

緊張感を叩き壊すような声援を受けて頭を抱える一方通行。

本当に、何やってんだか。
彼も。
そして、私も。

しかし不思議な雰囲気になってきた場がまずいと思ったのか、やがて覚悟を決めたように一方通行は顔を上げる。

「手短に済ませンぞ。オマエはどうしたいンだよ。このままフェードアウトして終わりにしてェのかよ?」
「……そんなこと、無いけどさ」

もう私が入る隙なんて、ないじゃん。

「ンなことねェよ。絶対ねェ」
「ミサカもそんなこと無いと思うよ」
「私も、そう思います」

何でよ?

「アイツはオマエを助けるために俺に一人で立ち向かって来たンだぞ?オマエを助けるために殺しに来た第4位とだって戦ったンだぞ?なンとも思ってない女のために命を賭けられるかよ?」
「……」
「オマエ、忘れたのかよ?オマエがレベル6になったとき、傷つくオマエを見てアイツ泣いてたじゃねェか。泣いてオマエのこと抱きしめてたじゃねェか」

言われるままに思い出されるのは、アイツの顔。
アイツの仕草。
アイツの微笑み。

「それだけじゃねェ。アイツは何時だってオマエの事を気にかけてる。オマエが苦しまないように、泣かずにすむように。例えば俺がこうしてオマエと普通に話せるのだって、アイツが間に入って大分苦労してくれたからだろ?」

常に私を守ろうとしてきた、どうしようもなくお人好しのレベル0。

「……そう、だね」
「俺にはとても信じられねェよ。これだけの事をして貰ってるのに、このままあのシスターにアイツを譲って消えようとするオマエが信じられねェ」
「……だけど」
「これだけの事をして貰ってるのに、アイツを信じられないオマエが信じられねェよ」



確かにそうだけど。
確かに、そうなんだけど。
……確かに、そう、なん、だけどさ。



涙を溜めて俯く私に一方通行は一つため息をつく。
そしてこのままでは埒が明かないと思ったのか、少し口調を変えて私に言う。

「仕方ねェ。本当は秘密にしておくつもりだったがなァ、取っておきの情報を教えてやるわ」
「……何よ?」

言葉とともに零れ落ちる涙が2粒、膝に落ちる。

「ちょっと前になァ、俺、アイツに聞いてみたンだ。オマエ、第3位やシスターのことどうするつもりなンだって」
「……どういうこと?」
「男一人に、女二人だろ?オマエ等がアイツに惚れてンのは俺にだってわかってたからなァ、アイツがどう考えてるのか、ちっとばかし気になってな」

気になって?

「別にいいだろォが。気になってもよ。……話を逸らすンじゃねェよ」
「ごめん」
「で、そしたらなァ。驚愕の事実が発覚したンだ」
「……何?」

問う私に、一方通行はにやりと笑う。

「何だと思うよ?」
「……焦らすんじゃねぇよ」
「……口真似するなよ」
「それで?」

眼を細める私に、手を上げて彼は答える。



「それがなァ。アイツ、気付いてなかったンだ」
「は?」
「オマエ等がアイツに惚れてるってこと、アイツ、全く気付いてなかった」
「はぁ?」



やはり笑いながら、第1位は続ける。



「お前、俺をからかっているのだろう?って真顔で言ってた。アイツ、すげェな。頭ン中見てみてェよ。ホント、ベクトル操作が通用しねェのが残念で堪ンねェわ」



嘘だ。
そんな、馬鹿な。



「何でなンだろうな。あれだけ頭が良いのに、あれだけ心理を読むことに長けてるのに、何でこンな単純なことに気付けねェのか、不思議過ぎる」
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃねェよ」



そういえば、アイツが実家に来たとき。
アイツは父親に質問されても分からなかったっけ。
……ひょっとして。



「そんな……、まさか……」
「ああ、そう思うだろ?俺も正直そういうのは良くわかンねェがな。アイツよりは全然マシだってことが良くわかった」



まさか、アイツは。



「本当?本当よね?今の話、本当よね?」
「ああ、本当だ。アイツのプライドのために黙ってようかと思ったがなァ」



アイツは……鈍いの?



「そうなンだろうなァ。オマエ等にとっては大変だろうが。……多分、あのシスターの好きって言う言葉も、アイツには恋愛感情としての好意とは理解できてねェンじゃねェのか?」



ははは……。
そんな、馬鹿な。



そんなこと、あるわけ無いじゃない。
まさか、そんなこと。



ははは。












「一方通行!すぐ、インデックスのところに連れてって!」
「……あァ?」
「早く!私、あの子を置いてきちゃったの。だから、早く!」
「おいおい、ちょっと落ち着けよ」
「落ち着けないわよ。お願い、連れてって」

突然立ち上がって捲くし立てる私に眼を白黒させる第1位を、強引に立ち上がらせる。

「きっとあの子は私を探してる。だから、お願い」
「……はいはい、分かりましたァ」

駆け寄る打ち止めと風斬が彼の背中に触れると、やはり光学迷彩がかけられるとともに私達は超音速で空へと駆け上がる。

『元気になったかァ?』
『……おかげさまで』
『そりゃァ、良かったなァ』
『……ありがとね』
『まあ、せいぜい頑張って面白いもの見せてくれよなァ?』
『ちっ……』

どれだけ強い意志を送ったところで、リンクしている以上、安心と、そして未来への希望と不安がごちゃまぜになった感情を隠すことはできない。
そしてどんなに彼が毒づいても、彼も安堵と微笑みと私達に対するエールを見せないわけにはいかない。

『まあ、でも。本当にありがとね。助かった』
『お互い様だァ』






そして10分後。
自分の告白がどうやら空振りしたらしいことを思い悩み、上条との距離を測りかねている銀色少女を、私達はようやく見つけたのである。



[28416] 《使徒十字13》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/21 22:53
《使徒十字13》

衛星と監視カメラの死角で第3位を地上に降ろしたあと、恋に迷う二人の少女たちが涙の再会をすることを見届けて一方通行は家へと進路を向ける。
呼び鈴も鳴らさずベクトル操作で鍵を開けて上条家に進入すれば、家の主はソファーの上で考え事をしていたらしく、自分の侵入に左目を開けて答えた。

「上条さん、ただいまってミサカはミサカは挨拶をしてみる」
「ただいま帰りました」

元気よく挨拶する女性陣に答えつつ立ち上がる上条を、一方通行はじっと見つめていた。
その視線に気付いたのか、彼は打ち止め達にお菓子を上げると適当にテレビのチャンネルを変える。
そして彼等がそちらに夢中になっている隙に、眼で合図をして自分を外へと誘い出した。



「どうだった?」
「泣いてたよ。……酷いヤツだ、オマエは」

ドア越しに寄りかかってベクトル操作をしてマンションの壁が音波を遮断するようにしているから、中にいる風斬達に会話が聞こえることは無い。

「どっちが?」
「両方」
「……やっぱりな」

ため息をついて沈鬱な表情を作る偽善者。

「オマエの予想通りだったンだろうが」
「そうだな。……どんな話をしたんだ?」

目線をあげて自分の目を真っ直ぐ見る彼の瞳。
自分の全てを完全に見通すようなその力に、少しだけ身が引けるのを感じつつ答える。

「適当だよ、適当。最後だけだ、オマエの指示通りに言ったのは」
「そうか。納得していたか?」
「恋は盲目ってヤツだなァ」

上条当麻は天才的な思考力と洞察力をもつが、恋愛については幼稚園児以下の理解力しか無い。
そんな荒唐無稽な話に納得するとは到底思えなかったが、上条の言うとおりに実際に話してみたらあっさり第3位は納得したので驚いた。

「悪いな。こんな役回りをさせて」
「全くだ。……全く持って似合わねェ役をやらせやがって」

麦野達を監視した帰り。
あらかじめ決めてあった暗号にしたがって、携帯の着信が2秒おきに3回鳴った。
何事かと思って打ち止め達に見られないようにそっと携帯を見れば、上条当麻から第3位とシスターをフォローして欲しいとのメールがあったのだ。

ひょっとしたら彼女達が動揺しているかもしれない。
だから、このメールに書いてあることをベースに説得して欲しい。

眉をひそめつつ高度を上げて地上を監視すれば、ビルの屋上から屋上へと飛び移る第3位の姿があった。
これのことかと思って声をかければ、状況は直ぐに飲み込めた。

「本当に悪かった。そして、助かった」
「で……、オマエはまだわかンねェのかよ?」
「ああ。さっきも一人で考えていたんだがな。やっぱり分からなかった」
「……そうかよ」
「やっぱり、あの2人への自分の気持ち、これが恋愛感情なのか全然分からなかった」

前に聞いたときと同じ回答を、彼は答える。

なにせ、今まで恋なんてしたことがなかったから。
自分が誰かを好きになってよいなんて思っていなかったから。
そして、自分が誰かに好かれる権利があるとも思っていなかったから。
そもそも恋愛なんて語るにも、そんな経験なんて全く無いのだから。

大きくため息をついて答えたいつかの彼の姿がそこに重なる。

「あの二人のことは大事だ。俺の命よりずっとずっと大事な存在だ。他の何を切り捨てても、あいつ等の笑顔を守りたい。それはこの前神裂と会ったときに改めてよく分かった」

でも。

「二人に優劣なんてつけられない。何度考えても、どちらか片方なんて選べない。……そして、もし誰かが俺以上にあいつ等を幸せにしてくれるなら俺は身を引くべきだって。何度考えてもそう思えてしまうんだよ」

これは、恋だって言えるのか?
そう聞かれたところで、自分だってそんな経験は無いから分からない。
だけど。

「でも、泣いてたぞ、アイツ」
「……ああ」
「アイツだけじゃねェ。シスターだって最近ちょっと変だ」
「……知ってるよ」

彼女達の気持ちに答えられないなら、どちらに答えたとしても嘘になってしまうなら、いっそ気付かない振りをしたほうがいい。
そうすれば、正面から恋愛対象か分からないなんて言われるより、ずっと傷が浅いだろう。
確かに、上条の言っていることは良くわかる。
きっとそれが真実なのだろう。
でも。



「……じゃあ、いいよなァ」
「ああ。お前にはその権利がある」

そう言って目を瞑る彼の左頬を、全力で殴りつけた。
能力無しで誰かに拳を振るうなんて初めてだ。

殴るということが、こんなに自分を痛める行為だと初めて知った。

「……本当に悪い。お前の気持ちを踏みにじるようなことをして」
「勘違いするンじゃねェよ。俺は第3位にそういった感情を抱いているわけじゃねェ」

勘違いも甚だしい。
これは、そんな想いじゃない。

「俺にとってアイツはヒーローなンだ。それを良いように操ってるようなオマエがムカついた。……それだけなンだよ」

もう一人のヒーローは、口の端から少しだけ血を流して、それでも真っ直ぐ俺を見る。
その目はとても鋭く、敵意とすら感じられるほどの意思がこめられていた。

「違うだろう?本当は勘違いじゃ、ないだろう?」
「……勘違いだ。何度も言わせるンじゃねェぞ」
「本当か?」
「くどいぞ」

そうか。
彼はそう言いつつ、空を見上げる。
そのままの姿勢で、独り言のように上条はつぶやく。

「なら、良かった」
「あァ?」
「実は今、少しだけ心が痛んだ」

そう言って、彼は微笑む。

「お前に御坂が攫われるのを想像して、少しだけ心が痛んだ」
「……馬鹿言ってンじゃねェぞ」
「そうか。……そうだな」

彼の微笑みは、なぜか自分の何処かを痛ませる。

「その痛みをきっちり育てて早く気付いてやれよ、偽善者。いつまでもアイツ等が待ってくれると思うな」
「ああ。……言う通りだ」

本当に、ありがとう。
そう言いながら見せる笑顔に、やはり少しだけ胸がちくりと痛覚を発する。



よく分からない疼きに顔をしかめながら、一方通行は少し乱暴に上条の肩を叩いた。



[28416] 《使徒十字14》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/22 22:30
《使徒十字14》

9月18日。
引き出しを開けて見つけたヘルメスの帽子に少しだけ落ち込んだ気分を取り戻そうと、自分の目と同じ明るい若竹色の部屋着に着替えると、インデックスはキッチンに向かう。
既にだしをとってある鍋に豆腐や乾燥若布などを放り込み、冷蔵庫にある鯖の味醂干をグリルに入れると、レンジで加熱したホウレンソウを氷水で冷やしたあと作り置きの胡桃味噌に混ぜる。
そしてタイマーをセットした後、洗面所に行って手早く顔を洗って髪の毛を梳かす。
くるっと回って姿見で見るが、寝癖は特についていないようだ。
キッチンに戻ってフルーツでも出そうかと冷蔵庫を開けば、昨日買った苺が目に入る。

ああ、あの鈍感男め。
何時になったら気付くんだ。

鈍男に振り回されて悩み続けた1週間。
フィナーレとして訪れた友情の危機と雨降って超強化された友情。
そしてその末に知った、自分の恋に立ちふさがる絶壁の高さ。
それらの記憶がその赤に再生させられて、インデックスは少しだけ肩を落とした。






9月14日。
自分の言葉が余りに不用意だったことに、彼女が走り去る後姿を見てようやく気付いた。

しまった。
順序を間違った。
何て愚かだったんだ。

そう思って店を飛び出すと、50m程先を行く美琴は振り返る。
そして私を見てとても寂しそうな笑顔を見せた後、飛ぶような速さでビルの屋上へと消えていった。

ああ。
何て馬鹿だったんだ、私は。

彼女の当麻に対する想いなんて、重々承知だったのに。
出し抜いて告白してしまった罪悪感と、それが空振りした悲壮感を解消したいがために、勢いあまって話す順番を致命的に間違ってしまった。

「みこと!……みことッ!」

空を切り裂くほどの大声で叫んでも、私の言葉で心を切り裂かれた彼女が戻ってくるはずも無い。
それでも何度も何度も彼女の名を呼び、ついに声も枯れて言葉では彼女を連れ戻せないことを悟った私は、探索術式を使うために例の公園に走り出す。



馬鹿だ。
親友を、家族を。
私は今、失ったのかも知れない。



探索術式の魔法陣を持っていないことにも気付かなかった。
泣きながら、ひたすら走った。
息が上がって、わき腹が痛くなって、足が震えても。
そんなもので許される罰であるわけが無かったから、もっと苦痛を求めるように更に力を込めて走った。

でも、私はずるいのだ。
それが、このときに本当に良くわかった。
こんなに泣きながら、罪悪感に身を焦がしながら、耐え切れないほどの喪失感に居場所が無いくらいの寂しさを感じながら。
自分でも信じられないような、畜生のような自分が小さく声を上げるのを私は聞いた。



よかったじゃない。
これで、とうまを独り占めできるかもよ?



思わず自分で自分の頬を思いっきり殴りつけた。



何を考える?
私は、何を考えている?
みこと、なんだよ?
私のことを命懸けで救ってくれた、誰よりも大切な家族なんだよ?
私を家族と言ってくれた、私の命よりも大切な女の子なんだよ?



圧倒的多数で責め立てられても、鳴り響くような音量で罵倒されても。
私の中にいる小鬼はそれでも意見を曲げなかった。



でも、ライバルだよ?
ひょっとしたら、とうまはみことを選ぶかもよ?
……今、相手にされていない、私ではなく。



周りの人が振り返るのも気にならなかった。
哀れむような視線を浴びながら、それでも私は大声で否定し続けた。

違う!
絶対に違う!
そんなんじゃない。
みことは、そんなんじゃない!

違うんだ。
絶対に、そんなことはない。
そんなことはない。
そんなことは。



石に躓いて転んだことを言い訳に、ついに私は走るのをやめる。
限界まで走ったからか、自分でも喘鳴がはっきりと聞こえる。
それと共に、汚れた私の声も力を増す。

がん。

せめて痛みで打ち消そうと地面に頭を打ち付けても、歩く教会はそれを許さない。



これじゃ、もうシスターなんて名乗れないよ。
どうしよう。
どうすればいいの?



……とうま。



跪くことが自分への許しのような気がしたから。
震える足に力をこめてふらりと立ち上がり、2、3歩足を進めたところで。



私は後ろから抱きしめられた。







誰だ、と思う時間は必要なかった。
この手は、今まで私を何度も救ってきた手だったから。
私の大好きな家族の手だったから。

「みこと……」

その言葉に、彼女の腕の力が少しだけ強まる。
そして周りに紫電が散ったかと思うと、私達の体はとあるビルの屋上まで駆け上がる。

誰もいない空間。
地上よりも少しだけ近い、空の青。

そこで私のことを離す彼女を振り返れば、予想通りにこれ以上ないくらいの泣き顔だった。
その手がゆっくりと私のフードを外す。

「みこ」

そして、私の言葉を遮るように、大きく振りかぶった彼女の右手が私の頬を打ちぬいた。

「あんたはずるいわ。……だから、これはその罰よ」

頬を押さえて呆然とする私に、彼女は静かにそう宣告する。

「ご、ごめ」

新しい涙をこぼしながら謝ろうとする口に、彼女の右手が当てられる。

「でも謝るな。……あんたは当然のことをしたんだから、謝っちゃだめよ。……アイツを好きな気持ちを謝っちゃだめよ」

嗚咽を何とか押し殺す私に、彼女は笑顔を見せて。

「私、あんたに言わなきゃいけないことがあるの」
「……っ、な、なに?」

ぼろぼろと涙をこぼす私の頭をいつものようにやさしく撫でて。
それでもその目は私の目を真っ直ぐ見据えて、彼女は言った。



「私、アイツが、上条当麻が好きだから」
「……」
「誰にも譲りたくない、独り占めしたいくらい、本当に、本当に好きだから」
「……うん」

だから。

「私、今日からあんたのライバルになるから。あんたの家族だけど、恋敵にもなるからね?」
「みこと……」
「だから、今までも、そしてこれからも。私達は対等だから」
「たい、とう?」
「うん、対等。誰よりも仲がいい家族。でも一人の男を奪い合う。そんな不思議な関係よ」

いいの?
それで、いいの?

「だってさ。私、あんたも大好きだから」

でも。

「私、アイツが好きよ。でも、アイツを手に入れても、あんたが居なくなっちゃうのは嫌なの。そんなの幸せだなんてとても思えないから」

……私は。
私は、ちょっとだけ、そう思っちゃったよ?

「あんたね、少しは嘘を付きなさいよ。……そりゃあさ、私だってほんのちょっとだけ、そう思わなくもないわ。正直に言えばね」

だったら。

「でも、それは本当にちょっと。私の大部分はそんなの絶対に嫌だって言ってるのよ。……確かに自分の中に矛盾はあるわ。でもさ」

でも?

「それが、恋なのかなって思うんだ。盲目になって、悩んで、自分が嫌になって。この矛盾が、私が本当に恋している証なんじゃないかって、そう思うんだ」



やはり美琴は凄いと、心の底からそう思った。

真っ直ぐに。
ひたすらに真っ直ぐに前を見る。
命に燃える、信念に煌く瞳で。
迷いも矛盾も、全部、全部自分だって言い切れる美しさ。

その輝きに、思わず心が奪われた。



「少し恥ずかしいこと言ったけど。これが私の正直なところよ。インデックス……これからも家族でいてくれない?」

少しだけ頬を赤くして、流れる涙をそのままに差し出された彼女の右手。
私と同様に心に恋の鬼を飼い、私と同様にそれに思い悩み、私と同様にそれでも恋を捨てられない不器用な少女。

私と対等な彼女。

だから。

「ありがと。みこと。私もそうしたいよ。貴女と対等で、家族で、恋敵に」

そう言いながら、思いっきり彼女の左頬に平手を打ちつける。

「だから、これで対等。……いいよね?」
「……それでこそあんたらしいわ。元気になってよかった」



2人して頬に紅葉を作りながら。
2人して涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をしながら。
それでも私達はくすくすと笑い出す。

やがて笑いは増強し、増幅しあい。
何時しか私達は地面に転がりながら、お腹を抱えて笑い続けた。

涙に滲んだ目が捕らえるのはやはり空。
どこまでも、どこまでも続いていく、透明な青だった。











9月18日。
朝食を食べ終わって食器を食器洗い機に放り込みつつ時計をみれば、何時もよりも5分遅れている。
ほぼ同時間に食べ終わったのに、我が家の鈍男は既に着替え終わってソファーに座ってくつろいでいる。

遅れたのは、とうまのせいもあるんだよ?

そんな言葉を喉頭蓋辺りでUターンさせると、部屋に入って部屋着を脱いで。
そして、歩く教会に手を伸ばしたとき、私は気付いた。

何だ、これ?

目を凝らすと歩く教会の周りに矢のように突き刺さる探索術式の数が、昨日までと比較して異常に増えている。
しかも、よくよく見れば、術式の種類も多い。
今までのイギリス清教、ローマ正教そしてロシア正教会の術式に加えて、さらに多くの十字教の宗派や他宗教に特徴付けられる術式がかけられているようだ。

「インデックス、遅刻するぞ?」

ドア越しに声をかける彼にこのことを話すと、危うくドアが開かれそうになったので下着姿の私はあわててノブを引き戻す。

「とうま!」
「……ごめん」
「でも、どうしよう?」

その問いに、ドア越しに少しこもった声が答える。

「去年の大覇星祭のときもこうだったのか?」
「……そんなことはない、と思う」

去年はずっと歩く教会を着っぱなしだったから、今年ほど歩く教会に対する探索術式に鋭敏ではなかったと思うが、さすがにこの変化を見落とすほど魔術を読めないことはないはずだ。


「そっか。まあ、探索している理由は分からないが、ここで着ないで学校に行けば怪しまれるだろう。気持ち悪いが着ていくしかないな」
「そうだね。……でもなんでかな?」

その問いに、魔術に詳しくない彼から明確な回答が返ってくるはずがない。
だから、この言葉はただの不安を紛らわすものに過ぎないはずだった。
ところが。

「心配するな。……直ぐに理由は分かるさ」
「え……?」



なぜか気楽な声が聞こえてきたので思わずドアを開ければ、彼がすぅっとずらした視線に自分の迂闊さを知って、私はあわてて扉の陰に隠れた。



[28416] 《使徒十字15》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/25 10:04
《使徒十字15》

半日あれこれ考えてみて、いろいろと観察して、記憶の再生を繰り返してみたが分からなかったとインデックスは思う。
歩く教会に突き刺さる探索術式の量が増えたことについて、当麻は一枚めくれば解答が書いてあるテキストみたいにすぐに理由が分かると言った。
だが、念のためと攻撃と防御用の霊装を複数持って登校したときも、大覇星祭に向けての注意事項の伝達と士気向上のための集会のときも、その後の帰り道でも理由らしい理由は全く見つからなかった。

ほとんど全てが日常通り。

敢えて変化があったところをあげれば、美琴がクラスメートとの打ち合わせのために朝早く登校してしまったために、何時もの通学路で会えなかったことぐらいだ。
それだって、帰り道にはいつも通り待ち合わせして帰ってきたのだから、とても何かに繋がるとは思えない。
もしかしたら神裂が教えてくれた情報が関係するのかも、と記憶を何度か再生してみても、やはり該当するような事象は見当たらない。
他には大覇星祭に向けて半日で学校が終わったことがあるが、これだってとても関連性があるとは考えられない。

一体、なんだ?

何度か当麻にこっそり聞いてみても、帰ったら話すと返ってくるのみ。

本当は、理由なんて知らないんじゃないか。
私の不安をなだめるために、敢えてあんな嘘を言ったんじゃないのか。



そんなことまで思っていたぐらいだから、探索術式の謎についての理由をとっくに彼が手に入れていることなんて、私に分かるわけはなかった。






3人で家に帰ると、一方通行ファミリーがリビングでぽりぽりお菓子を食べながら私達の帰宅を待っていた。

「ただいま」
「おゥ」
「おかえりー」
「おかえりなさい」

私達の声に三者三様の答えを返した後、風斬が私達に麦茶を入れてくれた。
それに礼を言いつつ円を作るように座れば、当麻が口火を切る。

「一方通行、どうだった?」
「ああ。オマエの言うとおりだった。やっぱりローマ正教が絡ンでたよ」

ローマ正教?
驚いて声を上げて気付けば、吃驚しているのは私だけだった。

「やはりな。この前のオルソラの事件がばれたのか?」
「それはわからなかった。それに、アイツ等がやろうとしていることもよくわからねェ」

一人だけ取り残されて話が見えない。

「ちょっと待って。一体どういうことなの、とうま」

不満を少しだけ乗せて彼に聞いてみれば、彼は少し微笑んで答える。

「ああ、ごめん。お前への説明が先だよな」
「……忘れないでよ」
「ごめんな」

そして、彼は一口麦茶を口にすると、淡々とした声で述べる。

「お前に対して、正確にはお前の歩く教会に対してかけられている探索術式が急増しているということを、俺は今朝知った」
「うん」
「でも、お前はイギリス清教の虎の子だ。そんなお前へ見張りが急激に増えたんだ。……イギリス清教がその状況を知らないわけないだろう?」

確かにそうだ。
神裂の話では、学園都市の中に入れる魔術師はイギリス清教のみ。
だから学園都市の外から、魔術世界では困ったことに有名人である私に対して、探索術式がかけられていることは知っている。
だが、探索術式だって長時間かけ続けようとすればそれなりの魔力を使うし、人員だって必要になる。
だから、監視をする魔術師たちは、お互いに監視していることがばれていることを了解の上で術をかけている。
ならば、これだけ探索術式が急増したことを、同じく探索しているイギリス清教が気付かないはずがない。

「そうだね。……でも、だから?」
「いまイギリス清教はローマ正教と危うい関係にある。その上でお前にもし何かあったら、学園都市との関係にも悪影響が出る。だから、何でこんなことになっているのか、絶対にその理由を調べるはずだよな?」

学園都市への人質というのが私の立場のはず。
その私に何かあれば、イギリス清教にとっては頭の痛い問題になるはずだ。

「うん……確かにそうだね」
「だから、聞いてみたんだよ。イギリス清教の魔術師に」

え?
……まさか。

「あれは、聞いたンじゃねェだろうが」
「聞いた、だろう?別に拷問にかけたわけじゃない」
「アンタ、記憶を読むが正確な表現でしょうが」
「まあ、確かに」

そうか。
それがあったか。
自分が完全に見落としていたことをようやく理解した。
悔しい。
途中まで思いついたのに。

「まあ、そう言うわけだ。一方通行と御坂のおかげで、少なくともイギリス清教の持つ情報の一部が手に入ったというわけだ」
「……じゃあ、私に教えなかった理由って、ひょっとして?」
「ああ。お前にあらかじめ教えたら、態度に出るだろう?そこから不審に思われたくなかったからな」

完敗。
いつも通り、私は当麻には勝てないことが良く分かった。
だからため息を一つついて、私は白旗を上げる。

「良くわかった。……じゃあ、教えて。何をしたのかを」

私の言葉に一方通行と美琴が顔を合わせるが、それを当麻が右手で制する。

「発案者は俺だ。だから、俺が話そう」

そして語られた内容は、相変わらず当麻は当麻だと再確認させるものだった。






イギリス清教の魔術師の携帯電話に、美琴が身元を隠して電話を入れる。

その人にとって大事な少女を攫った。
無事に帰して欲しくば言うことを聞け。
なお、行動は全て監視しているから、不用意な行動をとれば人質の命は保証できない。

一方通行ファミリーと共にステルス化された美琴がすぐ近くに居ることなど、魔術師が察知できるわけはない。
言われるがままに人気のない部屋に誘導されたところで、一方通行のベクトル操作で生体電流を操られれば、魔術師はあっさり卒倒する。
気を失ったことを確認して、一方通行が記憶を読み込み、必要な情報を得た後30分間の記憶を削除する。
最後に美琴が盗聴器の類と魔術師の携帯のログを改竄して、何事もなかったかのようにする。

「まあ、ざっとこんな感じだ。簡単だろう?」
「……とうま。良かったの?」

淡々と語る彼の表情は、特に何の陰りもない。
でも、彼は納得しているのか?
このような方法を取ってまで情報を集めたことに。

「もちろんだ。お前達を守るなら、俺は何でも使えるものは使う。そう決めているからな」
「……それは、うれしいんだけど」

でも。

「とうまの友達だったんじゃないの?」
「ああ。そうだな」






土御門元春。
最初に会ったときは何て変な格好をしているんだろうと思った。
それでも気さくで明るくて。
少し変な趣味は持っているようだったけど、気遣いもできる彼。
当麻とも仲が良いように見えていたから、あの日、神裂に聞いた当麻の言葉に私は本当に驚いた。



「なあ、神裂。確認したいんだがな、土御門ってちゃんと働いているのか?」
「……え?」

神裂の表情が固まるのを確認しつつ、当麻はペールに言葉を重ねる。

「土御門だよ。アウレオルスのときも何処かに行ってたし、大丈夫なのかなと思ってさ」
「あ、あの……」
「イギリス清教として、もう一人くらい別の人材を派遣したほうが良いのでは、と思うのだが」

話についていけない私を尻目に当麻の言葉は続く。

「どうして、彼がイギリス清教所属と思われたのですか?」
「色々と細かい証拠を積み重ねると、そうとしか思えなくてな」

明らかに身体能力、知力が飛びぬけているのにそれを隠そうとしていること。
物音、視界を動く物体そして背後に対する警戒感が異常なほど高いのが普通じゃないと思っていたこと。
インデックスが家に来た後、初めてマンションの廊下で会ったときに彼の目がほとんど驚いた感じではなかったこと。
インデックスの携帯にいつの間にか仕組まれていた盗聴器を美琴が調べたところ、受信元の廃屋付近の衛星画像に彼の姿が映っていたこと。
極め付けは、インデックスが歩く教会という明らかに学生には許されていない格好で学校に転入してきたのに、彼は転入した事実にも、彼女の服装にも驚いた様子がなかったこと。

「これらを積み上げれば、あいつがイギリス清教所属だってことは予想できた。あとは今のお前の反応で、確信を得たってわけだ」
「……これは、秘密なんです」
「分かってる。土御門とは親友なんだ。俺のほうこそ、あいつが隠すことを陰で暴くようなことをしているとは知られたくないからな。俺が知ったことを内緒にして欲しい」
「……そうですか。じゃあ、これはここだけの話、ということでお願いします」



そうして、当麻は土御門の情報を神裂から入手したのだ。
だが、まさかこんなに早くにそれを活用するとは思わなかった。

「あいつは友達だ。でも同時に、あいつはお前の情報をイギリス清教に流すことで何らかの利益を得ている、いわばスパイだ」
「……たしかに」
「身分を隠して集める情報なんだ、お前にとって知られたくない、そしてイギリス清教にとって知りたい情報のはずだ。それを横流ししているんだから、相応の対価を払ってもらっても罰は当たらないだろ?」

でも、だからって舞夏をだしに使うなんて。

「だからこそ、だ」
「どういうこと?」
「あいつは初めて会ったときから油断ならないと思っていたからな。そして今も何を考えているのか良く分からないところが多々ある。しかもあいつとは学校で毎日会うだろう?」

だからさ。

「あいつの弱点を押さえておきたかったんだ。もしあいつが将来俺達に牙を剥いたときに対抗できるようにな。今回の件で、舞夏がアキレス腱だって確認できたのは大きな収穫だと思う」



淡々と。
あくまで淡々と。
紡がれる言葉には、迷いなどなかった。
だから、私は分かった。

これは、私が彼に与えた覚悟なんだって事を。



「そっか。……そうだね。スパイならしょうがないね」
「ああ。まあ、記憶も消してもらったから、あいつにとっては今回の件は無かったも同然だ。だから、俺達がこれから起こす行動によって、あいつが罰せられることはない」

変なところで優しいが、これはきっと当麻なりの贖罪なのだろう。
ならばその意を無駄にすることなく、前を向くべきだと思った。
だから、大きくため息をつくと、彼の罪悪感を一緒に背負う覚悟を決めて私は一方通行と美琴を見る。



「じゃあ、教えて。今回の事件について」



[28416] 《使徒十字16》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/25 10:04
《使徒十字16》

追跡封じの異名を持つオリアナ=トムソン。
ローマ正教所属のシスター、リドヴィア=ロレンツェッティ。
彼等は「刺突杭剣」と呼ばれる霊装の取引を行おうとしている。
そして、この2人以外にも取引に関与しているものがいると推測される。

大覇星祭でセキュリティの甘くなった学園都市に彼等は侵入しこの取引を行うとされているが、魔術師たちは学園都市に正規のルートでは入り込むことができない。
そこで取引に関与すると思われるイギリス清教、特に魔術世界で有名な必要悪の教会所属のシスターであり学園都市の住人でもあるインデックスにターゲットを絞り、彼女の付近で起こる魔術的な戦闘を口実に学園都市になだれ込もうと虎視眈々と狙っている。

概略するとそのような話を一方通行が語るのをインデックスは黙って聞いていた。



「刺突杭剣とはなんなんだ?」

当麻の質問に、私は答える。

「ローマ正教の霊装。処刑と刺殺の宗教的意味を抽出し、極限まで増幅・凝縮・収束させて、切っ先を向けただけで距離も障害物も関係なく聖人を殺せるとされている、対聖人用の最終兵器みたいなものだよ」

なるほど。
そう言って当麻は目をつぶる。
2秒くらい沈黙が流れた後、彼は目を開く。

「何か思いついたの?」

心配そうな美琴の問いに、彼は微笑む。

「まだ情報が無いから分からないけど、何とか頑張ってみるか」
「……頑張れば解決できそうなの?」

私の言葉に、彼は肩をすくめる。

「そうじゃない」
「そう……」

やはり、これだけの情報だと無理か。
そう思って少し気落ちした私達に、彼はにやりと笑って言う。



「頑張って解決しようって意味じゃない。……頑張って今日中に、つまり大覇星祭前に何とか終わらせよう、っていう意味だよ」






さて、作戦を練ろう。
そういう当麻を囲んで円陣が少しだけ小さくなる。

「まず、刺突杭剣だがな、これはフェイクの可能性が高い」
「フェイク?」
「聖人は魔術世界の核兵器。そして、聖人を一番多く配下に擁しているのはローマ正教だ」

そうだよな、と確認する当麻に、私は首肯してみせる。

「聖人を距離に関係なく一撃で殺せる刺突杭剣は、言ってみれば遠距離作動型核兵器強制停止スイッチみたいなものだろう。ところで、常識で考えてみたとき、刺突杭剣を最も欲しがるのは、誰だと思う?」

当麻の問いに、一方通行が答える。

「聖人を擁していない魔術集団かァ?」

確かに。
聖人を擁していないなら、聖人がいる魔術組織と戦ったときに一方的に相手の戦力を大幅に下げることができる非常に強力な武器になる。
ところがそう思ったところで、当麻が返す。

「……他にもっと欲しがっている所があるんだ」
「……違うの?」
「ああ。答えはな。……学園都市だ」

あっ、という声が美琴から漏れた。
それはそうだ。
魔術と軋轢が深まる学園都市。
魔術集団との戦いになれば聖人が乗り込んでくる可能性が高いが、刺突杭剣があれば戦局が大きく変わる。
彼の言うとおり、学園都市こそもっとも刺突杭剣を欲しがる組織のはずだ。

「そして学園都市にとって最も有利になり、そしてローマ正教にとって最も不利になる刺突杭剣を、ローマ正教が学園都市で取引する。これは明らかにフェイクだと思わないか?」
「……そうだね」

頷く私に、ただし、と付け加えて。

「可能性として、ローマ正教の聖人は既に刺突杭剣に対する対抗術式みたいなものを開発したことだって考えられる。自分達にはもう効果がないから、他の魔術組織に渡して、邪魔なイギリス清教あたりを駆逐するために使わせようとしているのかもしれない」

でも。

「だとしても。誰かの手に渡ってしまったら、刺突杭剣にこっそり改変が加えられて防御不能になるかもしれない。そして、それが自分達に向けられるかもしれない。だから戦略的に非常に重要な聖人を失うリスクを踏むのに見合うメリットなんて、やはりほとんどないはずだ」
「そうね」
「だから、ほぼ間違いなく刺突杭剣はフェイク。きっと何か他の目的があるはず」

そこで、彼は麦茶を一口すする。
刺突杭剣がフェイクだとして。
何のためにローマ正教はそんなことをするのか。

「この情報を故意に流したのがローマ正教とは限らないぞ。全然別の魔術集団かもしれない」
「私達の手持ち情報は、土御門の記憶だけだもんね」

美琴が駄目元でネットワークから情報をスキミングしているが、刺突杭剣、ローマ正教、オリアナ、リドヴィアなどの名前はヒットしないようだ。
学園都市がどのように関与しているかは不明だが、少なくとも電子で得られる有益な情報は現時点ではない。

「まあ、不確定な要素が多いが、とりあえず現状では土御門の情報を信じて考えてみよう。わからないからって立ち止まっていても状況は変わらないしな」

少しどんよりした空気を払うように、当麻はグラスを傾けつつ笑顔を作った。






まず、刺突杭剣という偽の情報を流す意味を整理しよう。
当麻はいつものとおり流れるように、用意された台本を読むように語りだす。

「刺突杭剣は魔術集団にしか通用しない言葉だ。だから、この情報は魔術師達に向けて仕組まれたもののはず。じゃあ、この情報を受け取った魔術師はどう考えるか」
「……当然、何とかして手に入れたいと思うよなァ」
「そうだよな。だが、手に入れるに当たってこの霊装特有の問題があるんだ」

ああ、確かに。

「こんなに魅力的な霊装だ。是が非でも手に入れたい。なのに、奪取に最も有力な聖人を投入できないというジレンマがあるんだ。更に言えば、学園都市に聖人を近づけることもできないよな。何かの弾みで刺突杭剣が発動するかもしれないんだから」
「つまり、学園都市に魔術師の注目は集まるけど、聖人は近寄れないという状況を作る目的は何か、ってことね」

美琴の相槌に、彼は首肯する。

「その答えのヒントは土御門の記憶にある。イギリス清教は、インデックスに探索術式が集中することを知っていた。だから、この事件から遠ざけるために、可能な限り自然に、無理なら強制的にインデックスを隔離しようとしていたんだよな?」
「あァ。コイツが巻き込まれると、学園都市に魔術師がなだれ込むってなァ」
「だよな。だからきっと、それが答えだ」

どういうこと?

「つまり。この情報を流した連中が邪魔な存在が2つあるってことだ。1つは聖人。そして1つはインデックス、お前だ」
「……なるほどね。探索術式を集中させる状況を作って、都市外の魔術師を利用してインデックスの監視をさせようってことね」

そこから推測される目的。
この情報の発信者は、なにか学園都市を舞台に大それたことをしようと企んでる。
そして、その策略は魔術関係であり、聖人の戦闘能力やインデックスの知識を持って妨害できる何かのはず。

相変わらず淡々とした口調だが、内容は穏やかではない。
大覇星祭は外部からも大勢の来客が訪れる。
当麻や美琴の両親だってやってくるのだ。
そんな最中に大規模魔術でも行使されたら大変なことになる。

焦燥感が湧いてくるのを感じて頭を振ると、視界に風斬のひざの上に座ってうとうとしている打ち止めの姿が目に入る。
この話の流れについていくのはさすがに無理だから仕方ないが、そののどかな雰囲気が少しだけ羨ましい。

「じゃあ、手分けして調べてもらえるか?」

当麻の声にはっと彼の顔を見ると、既に依頼内容は決まっているのだろう、その目から彼はもう集中した思考を行っていないことがよくわかった。






彼が依頼はこのような具合だったとインデックスは記憶する。

まず、私に探索術式でこの2人の魔術師を見つけられるかどうかを聞いた。
対して私が、追跡封じと言われるほどの魔術師なら探索を妨害したり、逆にそれを足がかりに攻撃したりすることも可能だからやめたほうがよいと答えると、その回答を予期していたのだろう、間髪いれずに美琴と一方通行に指示を出す。

美琴に対してはオリアナ=トムソンとリドヴィア=ロレンツェッティの名前でパスポート、ID、ホテルのチェックインなどが行われていないかどうかを確認すること、そして学園都市の空港の監視カメラのログと土御門の記憶にあった両者の顔写真を照合して、この3日程度で入国した履歴があるかどうかを調べること。
一方通行に対しては、監視カメラのログ確認は負荷が大きいことから、美琴の演算を補助するように。

そして、彼等が情報を集めている間に当麻は私に聞く。

「追跡封じ、という名前からどんな魔術師だと考えられる?」
「そうだね、見つからないことを第一にしているだろうから、魔力をなるべく抑えるよう、痕跡を残さないように魔術を駆使する術者かな。そして、きっと相当強力で頭の切れる魔術師だと思うよ」
「そうだろうな。……ところでインデックス、姿を完全に消したり、物理的に変えたりする魔術は存在するか?」
「うん」
「それはばれない程度の魔力で実行できるのか?」
「……それは無理だよ。かなり高等な魔術だからね。ある程度ごまかせても、それなりの術者ならすぐにわかると思う」

だから、そのような魔術をこれだけ学園都市外に魔術師がいる状態で行使するとは思えない。

「そうか。……なら監視カメラや衛星の情報は使えるということだな」
「うん」

当麻は少しだけ考える。

「リドヴィア=ロレンツェッティについては知っているか?」
「……記憶にはないよ。ごめんね」
「ローマ正教の術式に限定したとして、少数の魔術師によって学園都市の広範囲を攻撃できるような術式は存在するか?」
「霊装次第かな。学園都市は地脈やテレズマがそれほど強くないし」
「なるほど。……じゃあ、急いだほうがいいな」

彼の脳裏に浮かぶ可能性に少し怖くなって、私は聞く。

「麦野がローマ正教の魔術師を全滅させたのがばれて、復讐しに来たのかな?」
「それは恐らくないだろう。麦野は一方通行みたいな自動展開の防御は持たない。そして御坂みたいに魔力を視ることができないことは、お前が絹旗達を治したときに何の反応もしなかったことから確認済みだ」

だから麦野がターゲットならば、こんな大がかりなことをしなくても魔術師が奇襲すればそれでかたが付くはずだと当麻は説明する。

「外れて欲しいが、きっと狙いは学園都市そのものなんじゃないかな、と思うよ」

尤も、偽情報からお前がターゲットじゃないことは明白だし、そのことから近くにいる御坂達も目標じゃないと言えるから、その点については安心だけど。
そう言って彼が少しだけ笑顔を見せたときに、美琴の沈んだ声が聞こえてきた。






「駄目だったわ。念のため7日分のログを調べたけど、該当者は無かった。別のルートから侵入したのか、それとももっと前から既に侵入していたのね」
「ありがとう。……まあ、片方は追跡封じと呼ばれるくらいだからな。そう簡単には見つからないのも無理は無い」

あくまで変わらぬトーンで話す当麻に、一方通行が苛立ちを50%くらい隠して聞く。

「じゃあ、どうするンだよ。シスターの探索も使えねェ、空港のログも当てにならねェじゃ、そもそもソイツ等が学園都市に居るかどうかも分かンねェじゃねェか」

学園都市は広大な敷地を有し、建物だって数え切れないくらいある。
衛星の情報や監視カメラにアクセスできても、どこに居るのか分からない状況では、いくら美琴がレベル5の発電能力者でも調べきることはできない。
上空から圧倒的な解像度で光学情報を取得できる一方通行でも、学園都市全てを見通すことは不可能だし、建物の中を覗き見れるわけでもない。



……手詰まりだ。






過去の事件では、美琴の能力と探索術式によって得た圧倒的に有利な情報の元、当麻が立てた作戦の元で動くことができた。
その結果、私達は全ての事件を難なくこなしてきた。
だからこれから先も、どんな事件でも私達なら容易く解決できると思い込んでいた。

でも、実際は違うのだ。

私達が私達にとっての勝利を続けているのは、実は学園都市の庇護によるところが大きい。
美琴の能力をサポートする監視カメラ、衛星、サーバー、スーパーコンピュータ群。
そして、そもそも魔術師が容易に入り込めない仕組み。
このように私達に有利で魔術師に不利な地の利があるからこそ、科学側に力のバランスが偏っていて、唯一の魔術師である私が満足に魔術を使えない状況にもかかわらず、私達は困難を切り抜けられたのだ。
前情報が無い魔術師と戦うには、私達は決して磐石な戦力とは言えないことにようやく気づいた。

単に魔術師である私が頼りないからだ。

相手が魔術師なのに。
私が役に立たなきゃいけないのに。
本当は、役に立てるのに。






……違う。
違うよ。



今こそ、私が力を見せるときじゃないか。
今こそ、当麻を守るときじゃないか。



追跡封じ?
私は魔道書図書館なんだよ?
どんな魔術にも対抗できる、最強の魔術師なんだよ?



やればいいのだ。
私が。
多少のリスクは負ったとしても、私なら見つけられるのだから。






ちょっとだけ目を瞑って、覚悟を決める。

攻撃術式を返される覚悟。
そして、最悪自分の魔力を探知されてしまう覚悟。
……魔神であることが発覚する覚悟。

それらを大きく息を吸って飲み込むと、私は目を開ける。
自然と当麻と目線が合う。



頷く私。
それに返す彼の微笑み。



そして、彼は私達に静かに告げる。



「じゃあ、仕方ない。奥の手を使おう」



[28416] 《使徒十字17》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/26 11:17
《使徒十字17》

9月18日。
学園都市に侵入したオリアナ=トムソンは都市内のとあるホテルにチェックインしていた。
防御用の霊装は幾重にも羽織っているが、世界の中でも特異的に魔術を排除し、超能力などという正体不明の力を開発している学園都市にいるとそれでもやはり少しだけ落ち着かない気持ちになる。
しかも強力な魔術を使うのも、時期的にはまだ早い。

あと1日はおとなしくしていないと。

今、囮である自分が捕まってしまったら、今回の計画実行に大きな支障をきたすに違いない。
周囲に魔力はまったく感じないから問題ないだろうが、それでも若干の緊張感が湧いてくるのは否めないというものだ。

ホテルのロビーには比較的大勢の人が溢れている。
きっと明日から始まる大覇星祭に参加するためであろう、父兄と思われる年齢の男女達に、兄弟なのだろうか、かなり幼い子供たちの姿が混じる。

皆を幸せにしたい。
誰一人漏れることなく、誰一人不幸に落ちることなく。

彼等の笑顔を見ると、そのための確かな基準点を作らなければという思いが一層強く燃えあがるのを彼女は感じて、うっすらと決意の微笑みを浮かべた。






宿泊する部屋は4階にあるツインの角部屋。
非常階段の近くで窓も2つあり、飛び降りても何とかなる高さだ。
いざとなれば逃げるルートは多いほど良いことは今までの経験で痛いほど知っていたから、ここが空いていて良かった。
そう思いながら抱えた大荷物をベッドに降ろし、相方に通信魔術で連絡をしようと速記原典を起動しようとしたところで、突然けたたましいサイレンが鳴った。

「当ホテルの3階で火災が発生しました。繰り返します、当ホテルの3階で火災が発生しました。お客様は落ち着いてホテルの外に避難して下さい。繰り返します……」

3階?
ここの下の階じゃない。

あわてて窓の外をみると、視界のほとんどは立ち上る煙で埋め尽くされていた。

まずい。
本当に火事のようだ。

とりあえず、バッグだけを手にして急いで部屋の外に出る。
モックとして持ってきた荷物については、どこかで調達すればよいだろう。






そんなことを考えながらドアを開けて一歩踏み出そうとすると、死角から突然黒髪の少年が目の前に現れる。
そして即座に叩き込まれた右手の拳に、パキンと音を立てて術式が破壊される。

だが、驚く暇など全くなかった。
いつの間にかできた窓の隙間から流し込まれた高圧電流に、オリアナ=トムソンはあっさり意識を手放した。






打ち止めが歓声を上げながら使い切った3袋分の花火を圧縮してゴミ箱に捨てたあと、一方通行が倒れる魔術師の記憶を読みにいくのを魔力封じの魔法陣を書きながらインデックスは見ていた。

「ね、上条さん。ミサカ、偉いよね?ってミサカはミサカはもっと褒めてとせがんでみたり」
「ああ。偉いぞ、打ち止め。この件はお前のおかげで解決したようなものだ。本当に良くやってくれた。ありがとな」

頭をガシガシなでながら、当麻は優しい笑顔で言う。

「わーいって、ミサカはミサカはくるくる回りながら人に役立つ喜びをダンスで表現してみたり」
「あの……打ち止めちゃん、そろそろ危ないよ?」

三半規管がおかしくなって、ふらふらと千鳥足になりかけた打ち止めを危ういところで風斬が抱きとめる。

「なんか、世界がまわるよ」
「回ってンのはお前の目だ。クソガキ」

これだけの解析をしながら悪態をつけるのだからたいしたものだ。

「ホテルの回線を調べてみたけど、さっきの花火で特に宿泊客に混乱はないみたい」
「それはよかった」

御琴のチェックによると、この部屋限定で流した警報も花火で作った煙も他の客には気づかれなかったらしい。
これで計画の半分は成功した。
後はこの魔術師の持っている情報次第だ。

果たして全体像につながっていてくれるのか。
それとも、撹乱のための一要員に過ぎないのか。

魔法陣を書き終わって改めてオリアナ=トムソンを魔術の目で詳細に観察する。
持っている魔力はそれほど高くない。
防御術式は当麻がまとめて壊したからわからないが、なにか痕跡はないかと探してみれば、ベッドの上に置かれているメモ帳みたいなものに何かの魔術的意義があるように思われる。

手に触れずそれをよく観察すれば、その紙切れには魔法陣と魔道書の両方の側面が共存していることがわかった。
書かれている文字は、Walter Symbol。
通信用の魔術プログラムが見える。
その構造を完全に把握したあたりで、文字が蒸発するように消え術式も自己崩壊してしまった。

なるほど、こういう魔術もあるのか。
この原理を応用すれば、地脈の力を利用して精神汚染を起こさない魔道書を書けるかもしれない。

意外な発見に若干の興奮を覚えたところで、一方通行の声が届く。

「解析、終わったぞ」






今回の事件、やはり刺突杭剣はフェイクだった。
実際の目的は、ローマ正教所属のリドヴィア=ロレンツェッティが使徒十字という霊装を使い学園都市を制圧することであり、その準備期間や発動までの時間稼ぎのために、陽動としてオリアナが起用されたということがわかった。

「使徒十字とは?」

当麻の声が少し遠くに聞こえた気がした。
使徒十字。
突き刺した土地をローマ正教の支配下に置いてしまう、ローマ正教の持つ霊装のなかでもトップクラスの能力と価値を持つもの。

それを使うのか。
ローマ正教は本気で学園都市を支配する気なのか。

「……インデックス?」
「……ごめん」
「ひょっとして、よっぽどヤバイ状況なの?」

美琴の心配そうな顔に、うなずいてみせる。

「使徒十字はね、星座を魔法陣として利用して、4万7000平方kmの範囲をローマ正教の支配領域にしてしまうの」
「支配、とは?」
「簡単にいうと、全てをローマ正教に都合よく運命や主観を捻じ曲げてしまうの。範囲にいるローマ正教徒に幸運を与え、その分不幸になる異教徒も何が起こってもローマ正教のおかげで幸運だと誤解する、そういう霊装なの」

当麻の目が小刻みに動くのが見える。

「もし発動しちまったら、俺達はローマ正教徒になるってことかァ?」
「そうだね。信仰の深さによるけど、異教徒であってもローマ正教が正しいって思ってしまうから、いずれはローマ正教の信者になると思う」

短期的にはローマ正教に有利な場を作る。
長期的にはそもそもローマ正教の支配する街にしてしまう。
使徒十字の効力の恐ろしさを語ると、一瞬、場がしんと静まった。

「インデックス、使徒十字は星座の力を使うと言ったよな。ということは、学園都市の位置だとこの時間というのが決まってるのか?」
「うん。学園都市だと、そうだね、……明日の夕方だよ」
「……間一髪ってやつだなァ」
「安心するのはまだ早いわ。使徒十字もリドヴィアも見つかってないんだから」

「……ひょっとして、またミサカの出番かなって、ミサカはミサカは腕まくりをしていつでも来いという意思を見せてみたり」

そんな中、本日のMVPと褒められたことがよほどうれしかったのだろう。
やる気と意気込みに輝くその表情は、びっくりするほど美琴に似ていた。






オリアナを探索するための、最後の手段。
それはある程度のダメージ覚悟で私が探索術式を使うことだと思っていたとインデックスは記憶する。
だから、あのときの当麻の微笑みながらいった言葉に一番驚いたのは私に違いなかった。

「じゃあ、仕方ない。奥の手を使おう」

そういって微笑んだ彼は、風斬に打ち止めを起こすように依頼する。
もう完全に寝入ってた彼女は、目をこすりながらぼんやりした目で前に座る当麻を見つめた。

「……あれ?おはよう、上条さん」
「おはよう。寝ていたところ悪いんだが、協力してくれないか?」
「……おい。クソガキに何をさせるつもりなンだ?」

一方通行の語調が少し強くなる。

「大丈夫だ。危険なことじゃない」

そう、穏やかな声で言うと、彼は打ち止めに微笑みながらお願いする。

「打ち止め。妹達の力を借りたいと思うんだ。上位命令文を発動してほしい」
「いいよ。何について?」

なるほどという声が美琴の口から漏れるのを聞いた。

「学園都市の全監視カメラ、および学園都市の衛星のログ。この全データ3日分からオリアナ=トムソンとリドヴィア=ロレンツェッティを網羅的に探し出してほしい」
「うん。わかった」

そういうと、打ち止めは目を閉じて命令を発信する。
1万を統べる上位個体である彼女の意図は即座に世界中に広がり、超高速、超並列分散コンピューティングとなった妹達は樹形図の設計者をも上回る演算力を発揮する。
その司令塔である打ち止めの表情からはいつもの幼さは消え、魔術の眼で視ればわずかに光って見えるほどの電磁波の信号のやり取りを行っていた。
その姿は、まるで神話にでてくる妖精みたいだとふと思った。

そして、当然のように答えが出るのにさほど時間はかからなかった。

「オリアナ=トムソンは見つけたよ。第7学区にあるホテルで今チェックインしている」
「見つかってよかった。ありがとな。妹達にもよろしく伝えてくれ」
「うん。……皆、上条さん達の役に立てて喜んでるよ」
「そうか。ありがとう」

彼は優しく打ち止めの頭をなでると、私達に振り返る。

「糸口は打ち止めが捕まえた。あとはここから伝っていけば、黒幕に至れる」

安堵の笑みを漏らす私達に、彼はにやりと笑って答える。

「じゃあ、準備ができたらすぐに行こうか。……愚かな魔術師を騙しに」












いまや恒例のように蓑虫になっているオリアナ=トムソン。
彼女の件を解決した勢いに乗って使徒十字の探索についてもやる気を見せる打ち止めに、当麻は目線を合わせるように少しかがみながら言う。

「打ち止め。そろそろ見せ場をインデックスに譲ってやってくれないか?」
「ええー?」
「ほら、あいつも久々に魔術師が相手で、何かしたくてうずうずしてるんだ。だから、ここらで選手交代といこうじゃないか」

でも、と言う打ち止めの頭を、後ろから一方通行がガシッと捕まえる。

「おら、言うこと聞けよ。オマエはもう十分頑張ったんだからよォ」
「……ミサカ、偉かった?」
「……ああ。偉かった。俺達の誰もが解決できなかったことを、オマエは成し遂げたンだ。すげェと思うぞ」

振り返って一方通行を見上げる彼女の目を見て、彼は少しだけ照れくさそうな表情で言う。
彼にしては最大級のほめ言葉に満足したのか、打ち止めはうなずいて風斬の胸に飛び込んでいった。

そんなほほえましい光景を見守る私に、当麻がこっそり聞く。

「何か見つけたんだろう?リドヴィアを見つけられそうか?」

よく見てるなあ。

「うん。ぎりぎりで解析したからね。場所も特定できると思う」

その言葉を聞きつけて、美琴と一方通行が近くに寄る。

「じゃあ、リドヴィアの場所を特定して、アンタの右手で使徒十字を壊せば解決ってことね」
「……どうなるかと思ったが、楽勝じゃねェか」

これだけ大規模な陽動作戦まで組んでリドヴィアは使徒十字を使用しようとしていた。
それは使徒十字が時間や場所を選んで発動するタイプの霊装であることによるのだろう。
だが、彼等もまさか陽動する前に本質を見抜かれて攻められるなんて思っていないはずだから、このメンバーで不意打ちをかければ万に一つも討ち漏らすことはありえない。

「よかったね、とうま」

笑顔で彼に振り向けば、彼は目を瞑ってフリーズしていた。



「どうしたの、アンタ?」

美琴の問いにも、彼はぴくりとも動かない。
外部の情報を完全に遮断して、すべてのエネルギーを思考に集中していることがよくわかった。

25秒。
今まで見た中で最長の思考時間だったと記憶する。

彼が長考するときは、きっと彼の中で賛成と反対が拮抗しているのだ、と今までの経験から思った。

当麻は基本的には慎重派だ。
発想は独創的だし、平気な顔で危ない橋も渡るけれども、基本的には私達の安全を第一に考えて行動している。だから、自分が頑張れば済むときには迷わないのに、私達を巻き込むとなると躊躇する。ときには過剰なくらい安全側に立った決断を下すこともある。

だから、彼の言葉を聴かなくても、彼の決断はそれなりにリスクがあることは予想できた。

やがて彼はゆっくりと目を開くと、私、美琴、一方通行の順にその顔を見る。
そして大きくため息をつくと、当麻はゆっくりと口を開いた。

「提案があるんだ。……賛同してくれるか?」






例の公園に人払いをかけて、地脈の力を借りてオリアナの術式を再現する。
これは1対1で繋がる通信魔術。
だからこの魔力の線の先に、リドヴィア=ロレンツェッティがいるはずだ。
距離からして学園都市の外。

「じゃあ、頼む」

そう言って手を振る当麻に口角を上げると、一方通行は当麻以外の全員をステルス化させて、超音速で飛び立つ。



虚空にしか見えない空から私が使う攻撃用霊装で唐突に防御術式が破られ、驚きの表情を見せるまもなく美琴の電撃を受けてリドヴィア=ロレンツェッティが気絶するのは、それからたった3分後のことだった。



[28416] 《使徒十字18》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/25 17:25
《使徒十字18》

9月19日から一週間にわたって繰り広げられた大覇星祭をインデックスは記憶する。



馬鹿みたいに必死に騒いで。
喉が痛くなるほど大声で応援して。
勝って泣いて。
負けて泣いて。
そして手をとり、肩をたたき、拳をぶつけ合って。



詩菜さんに美琴と二人で当麻への想いをこっそり相談して。
美鈴さんに拉致されそうになった打ち止めを、一方通行が困った顔で取り返そうとしているのを見て皆で精一杯笑って。
旅掛さんがこっそり当麻にお酒を飲ませようとしたのを全員で止めて。
打ち止めと風斬にお願いされた一方通行が、長点上機学園の個人戦に出て当然のように圧倒的な勝利を収める姿に手を叩いて。
来場者数ナンバーズで打ち止めが当てたポップコーンを少しずつ皆で食べて。



私はどんな記憶だって忘れることはないけれど。
世界最大のお祭り騒ぎにちゃんと一員として参加して精一杯楽しめた一週間を、私は絶対に忘れることはないだろう。



これも、オリアナ達の一件が、少なくとも私達の中でほぼ解決していたからだ。
もし解決していなければ、私はひょっとしたらイギリス清教の関係者に拉致されていたかもしれないし、そうじゃなくても私達は心のどこかで引っかかりを持ったままで楽しみきれなかったに違いない。
そう思えば、この夢みたいな過熱した時間は、私達が勝ち取ったものだといっても不遜じゃないだろう。



この街にいれば、ごく普通の、黙っていても1年に1回やって来る一週間。
去年の私にとって、あふれかえる人込みに、隠れる場所を必死に探して路地裏を逃げ回った一週間。



その一週間を輝く宝石みたいな記憶に変えてくれた大切な家族達に、仲間達に、そして友人達に。
私は感謝してもしきれないくらい、心にありがとうが溢れていた。






そして、祭りは終わる。
楽しい夢のように、瞬く間に時間は流れる。

余韻に浸る間もなく、私達は現実へと帰る。
次なる祭りで精一杯笑うために、今日も真っ直ぐに前を向いて進む。






9月26日。
第7学区のとある建物に、私達6人はやってきた。
ここは麦野をリーダーとするスキルアウトがよく出入りしていることは大覇星祭前に集めた情報で知っていたし、来る前に探索術式を使ってオルソラがいることを確認しておいたから、彼女にきっと会えるはずだった。

来る途中でたむろしているスキルアウト達も、美琴や当麻のことは知っていたのか、大部分は静かに道を空けて通してくれた。
もちろん、かかってこようとする者もいないわけではなかったが、それらは小虫を蹴散らすように振った一方通行の腕によって適度な衝撃で吹き飛ばされていった。

建物自体は5階建ての比較的しっかりとしたビルだ。
入り口にも監視カメラとICカードリーダー、静脈認識パネルが設置されている。
スキルアウトがいるのはもっと廃墟みたいなものかと勝手に想像していたが、どうやらそれは誤りだったらしい。

「どうする?」

美琴が実力で開けるかと聞くが、当麻は首を振って答える。

「なるべく穏やかにいこう。麦野は安定しているらしいが、刺激しないに越したことはない」

特に誰も異論がなかったので、彼は呼び鈴を押す。
それに答えるように出てきた長身の男は、浜面と呼ばれていたことを私は再生した。



ローマ正教所属のオルソラ=アクィナスに会いたいと告げると、浜面は驚いた表情をしながらも私達を3階の部屋に案内した。
この部屋も、ビルの外見同様まともな応接間だ。
条件反射的に魔術的なトラップがあるかどうか確認したが、そのようなものは特に見当たらなかった。
美琴の顔を見れば彼女も頷いたから、きっと盗聴器の類も見つからなかったのだろう。

「魔術についてはよくわかンねェからな。オマエ等に任せる」

打ち止めと風斬の手にそれぞれ軽く触れながら、一方通行は声を潜めて言う。
急な攻撃に対して彼等を守るために、彼は即座にベクトル操作をする準備をしているのだということがわかった。

「ああ」

そういう当麻が左手に持つのはヘーパイストスの盾。
幻想殺しで効果が減弱していくが、あと1時間程度なら物理攻撃をはじけるはずだ。

さて、どう出るか。

やけに秒針の音が大きく響く時計が、11時を告げる。
窓の外から小さく男達の笑い声が聞こえる。
それぞれが少し緊張した顔をしている中、当麻だけがいつもどおりのペールな表情を見せている。

そして待つこと15分。
控えめなノックとともに、オルソラ=アクィナスが部屋に入ってきた。






意外なことに彼女は一人だった。
レベル5が2人いることを知らないのか、特に物怖じした感もなく対面に立つと緩やかにお辞儀をする。
以前見たときには気絶していたから気づかなかったが、彼女には人を和やかにさせる人徳があると感じた。

「初めまして。オルソラ=アクィナスと申します。わざわざ会いに来て下さいましてありがとうございます」

それに合わせて当麻はすぅと立ち上がると

「上条当麻だ。忙しいところ呼び出してすまない」

そういいながら左手を差し出す。
それを笑顔で握り返す様も、やはりゆったりとして包容力を感じさせるものだった。

「時間はどのくらいなら大丈夫だ?」
「特にやることもありませんから、いつまででも大丈夫ですわよ」

好戦的で、謀略的で、必要悪の教会以上に無慈悲だと思っていたローマ正教。
しかし当たり前のように彼女のようなシスターもいるのだ。
そう思うと、自分達がしていることに少し心が痛んだ。

「では、俺達がここに来た理由を話す前に、この子を紹介しよう」

そう言うと当麻は私に開いた手の先を向ける。

「この子はイギリス清教所属、インデックス。知っているか?」
「……ええ。では、この子があの禁書目録なのですか?」
「……その名前は気に入らないが、そう呼ばれている存在だな」

実は最初から知っていたのではないか、というくらいオルソラははっきりとした驚きを見せなかった。
でもよく観察すれば、その目が丸く開かれているのがわかったので、一応びっくりはしているようだ。
そんな彼女に、当麻は声のトーンを2段階くらい落として囁く。

「さて、では本題に入るが、オルソラ」
「はい」
「これからの話は天草式が絡んだ話になるが、ドアの後ろの人達に聞かれてもよいか?」

天草式という言葉が出た瞬間、彼女の体が僅かに固まった。

「……どうして、それを?」
「それはこれから話す。が、聞かれたくないなら、聞かれないようにすることもできるが」

囁き返すオルソラは、少しだけ考える。

「……いえ。大丈夫ですわ。そろそろ話すべきだと思っておりましたし」
「そうか。では、話そう……麦野、聞き耳立てずに入ってきてもいいんだぞ?」

美琴にも私にもドアにへばりつく様に耳をそばだてる4人が最初から視えていて、もちろんそれを彼に伝えてある。
だが、当麻の呼びかけにも彼女達は動かない。
あくまで、私達はいないという態で通すつもりらしい。
あるいは急に声を掛けられて恐怖で動けなくなったのか。

10秒ほど待っても入室者がいないことを確かめてから、当麻は彼女に話し出した。






神裂に語ったのを少しアレンジして真実味を増した話をしつつ、戦闘後に天草式や神裂と会ったことは伏せつつ当麻が知っている情報を話すのを、オルソラは頷きつつ静かに聞いていた。
そして話がローマ正教の魔術師に触れると、彼女は一滴だけ涙を流した。

「……どうした?」
「彼女達を救えなかった私の力不足が、不甲斐なくて堪らないのでございますよ」

その言葉に、当麻がすぅと無表情になる。
だから私は彼の左手を握る。
横目で見れば、美琴も彼の手を握っているのがわかった。

「お前に責任はない。お前は命を狙われ、そして気絶していた間に全ては終わったのだから」
「……それでも、でございますよ。争わずに解決できる道を、私は示すことができませんでしたから」

シスター、オルソラ=アクィナス。
彼女こそがシスターと名乗るべき人格だと、宗派の壁を越えて理解できた。
だから、大丈夫だといいながら、実は少しだけ心に残っていた執着も、アスファルトの上の氷みたいに溶けて蒸発していった。

「ともかくだ。話したとおり、お前はイギリス清教に追われている。容易に見つかるとは思えないが、念のためにそれを忠告しに来たんだ」
「わざわざ私のために。本当にありがとうございました」

そう言ってオルソラは深々と頭を下げる。
彼女の頭が緩やかに戻るのを待って、当麻は淡々と話した。

「ところで、オルソラ。お前はローマ正教のシスターで、結構高い位なんだよな?」
「ええ」
「じゃあ、お前に頼めばローマ正教徒になれるのか?」

その問いに、彼女はええ、と微笑みながら答える。

「既にスキルアウトの皆様も、何百人か入信していただいているのでございますよ」

そうか。
当麻はやはり単調に答える。






その言葉に、私は覚悟を決めるべく一度深呼吸をした。



私は決めたんだ。



彼を信じると。
彼と生きると。
彼を守ると。



だから、当麻の言葉が続くのを、ちゃんとオルソラの目を見ながら聞くことができた。






「じゃあ、頼みがあるんだが」
「なんでございましょう?私にできることでしたら何でも言ってくださいな」



悪いな。
そう言いつつ、当麻はオルソラに言った。






「俺達6人、今日からローマ正教に入信したいんだ。洗礼の儀をお願いできないか?」



[28416] 《使徒十字19》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/25 19:39
《使徒十字19》

9月26日。
驚きながらもやはり救いを求める者には等しく門戸を開くのが彼女の生き方なのだろう、オルソラ=アクィナスは私達の入信を笑顔で受け入れたとインデックスは記憶する。
では、といいながら案内する彼女に着いていけば、彼女が開くビルの一室は礼拝堂のようだった。
礼拝堂といってもきちんと作られたものではない。
寄せ集めの机、寄せ集めの椅子、古ぼけたピアノ。
きっと、彼女が言う新しい信者達が一から作り上げたのだろうと想像された。

「ここは、世界で一番素敵な礼拝堂ですのよ」

私の心の声が聞こえたかのようにオルソラは答える。

「皆さんの力をあわせて、1から作った礼拝堂なのです。……以前私のためにと作ってもらった、誰かから奪ったお金で作られた綺麗な教会より、ずっとずっと価値があるのでございますわ」

その優しく、誇り高い言葉に思わず涙が出そうになった。
彼女についていきたい、彼女を守りたいという感情が自然とわきあがってくるのを感じた。



でも。

でも駄目なんだ。

ごめん。



「じゃあ、早速お願いできるか?」

私の知る限りでは、ある意味最も信仰から遠いところにいる当麻は、いつもと同じ無表情でオルソラに促した。






洗礼が終わり、ローマ正教徒の証である十字架をもらった私達が礼拝堂から出ると、廊下に麦野達が待っていた。
彼女はオルソラに外すように告げたあと、私達を別室へと案内した。

「元気そうだな?」
「おかげさまで、ね」

机をはさんで対峙する麦野、絹旗、滝壺、フレンダをぐるっと眺めた後、当麻はペールな口調で聞く。

「で、何だ?」
「まずは一言言いたくてね」

そういいながら、彼女はにやりと嗤う。



「よくも騙しやがったな、テメエ」



対する当麻は涼しい顔だ。

「よく騙されてくれた。あのときは助かったよ。ありがとう。……でも、なぜわかった?」

その静かな声と僅かな微笑みに毒を抜かれたのか。
それとも最初からそんなつもりはなかったのか。
麦野はふぅと一息落とし、ついでに肩を少し落として俯くと、打ち止めをちらりと見てポツリと話す。

「私、救われたのよ。あんた達に」
「……え?ミサカ達に?」
「ええ」

どういうことだ、と問う当麻に、絹旗が麦野の受けた処置について話す。
……TMとは学習装置のことだったのか。

「なるほどな。で、今は安定しているのか?」
「まあまあ」
「俺が言うのも変だが、それは良かったな」

だが。

「なぜ、それを話す?俺にそんな情報を与える意味が俺には全くわからない。知らん振りして、騙された復讐をする機会を覗うという選択肢だってあったのに」

当麻の尤もな問いに、麦野は頭をかきながら少しだけ黙った。
きっと彼女の中でも矛盾した思いがあるのだろう。
それが彼女の口を塞いでいるということが、なんとなく伝わってきた。






「あのさ。……違ってたら忘れてほしいんだけどさ」

30秒ほどの沈黙の後、麦野の口から出てきた言葉は予想外のものだった。

「あの……あんた達、あのとき、ローマ正教に襲われたとき、私達のこと助けてくれたでしょ?」
「……なぜそう思う?」

当麻の目が少し細くなる。

「変だったから。私一人で、200人は流石にきつかった。何度も致命的な隙を見せた場面があった。なのに、そういうときに限ってあいつ等は攻撃してこなかった」
「……」
「戦いが終わったあと、攻撃を受けた絹旗は直ぐにでも死にそうだった。なのに、こいつは突然調子を取り戻した。絹旗だけじゃない、ほかの仲間もそうだった」

あくまで無表情に、当麻は相槌を打つ。

「それに、異常に早いタイミングで救急車が来た。私の通う病院の救急車が。これって絶対に偶然じゃない。そう思ったんだ」
「なるほど」
「じゃあ、誰の仕業?って思ったら、自然とあんた達が浮かんだ。他にこんなことできそうなのは、誰も思いつかなかった」

だからよ。
そう、麦野は締めくくる。

「なるほどな。事情は良くわかった」
「で、どうなの?」

ひじを突いて猫みたいな目をして聞く麦野の表情は、とても穏やかだった。
思い返せば、さっきの悪言だって殺意も敵意も殆ど篭っていなかったことに気づく。
彼女はやはり変わったのだろうか。

「お前はどう思うんだ、麦野?」
「わからないわ。だから聞いてるの」
「俺達が、その状況でお前達を救うメリットがあると思うか?」
「ないわ」

だったら、答えなくてもわかるだろう?
そういう彼に、麦野はにやっと口角を上げて答える。

「ええ。わかったわ。あんたの仲間は、あんたと違って正直ね。……ね、打ち止め?」
「えっと……困ったってミサカはミサカはアナタに救いを求めてみる」

はぁ、と一方通行が大きくため息をつくのが聞こえた。
彼はあきらめたように手を上げながら、それでも十分な殺意が篭った目を麦野に向けつつ静かに言う。

「ちっ……おい、第4位。この件は極秘情報なンだ。もしばらしやがったら、死ぬのがテメエだけで済むと思うなよなァ?」
「おお、怖い。流石第1位ね?」

対する麦野は飄々としたものだ。
そんな彼女に、当麻もため息交じりで言う。

「ばれたなら仕方ない。お前の想像通りだよ。お前達を見捨てるのが忍びなくてな、つい助けてしまった」
「そう。……ありがとう」



そう言うと、彼女の雰囲気が変わった。
今までの緩い表情が引き締まり、崩していた姿勢がぴんと伸びた。
その変化に警戒しつつも。
私は素直に彼女は美しいと思った。



「本当に、ありがとう。貴方達のおかげで私も、私の仲間達も助かったわ。……だから、本当にありがとう」



そういって頭を垂れる麦野と、それに倣う絹旗達。
思わず当麻をみれば、流石の彼も少しだけ驚いた顔をしていた。



「ああ。……でも礼なら俺以外に言ってくれ。……俺は何もしてないから」



そう言って少しだけ表情を失う彼に、麦野はもう一度頭を下げる。



「そう?……でも、ありがとう」
「……え?」
「私、あんたのおかげで変われたから。あんたのおかげで、生きられるようになったから」
「……やめろ。やめてくれ。俺は、俺達のためにお前を壊しただけだ」



当麻の言葉が少しだけ強くなる。
警戒すべき相手と相対したときほど、いつもは静かになるのに。
思わず驚いて麦野から目線を外して彼を見れば、美琴も、他の3人もあっけにとられたような表情で当麻を見ていた。



「そうね。私はあんたに壊された。……あんたの右手で、私を今まで閉じ込めていた幻想が壊されたのよ」
「……」
「あんたに負けなければ、私はきっと死んだように今も生きていた。生きてる振りして死んだ人生を送ってた」
「……そう、か」



でも穏やかに、そして和やかに。
彼女は自分の人生を振り返る。



「だから、あんたがどう思おうと、私はあんたに感謝してる。ありがとね、幻想殺し」
「……ああ。そういってもらえると助かるよ。……本当に助かるよ。麦野」



そして、これから先の人生を正しいものにしていくために。
そのために彼女は当麻と話したかったんだと、私は理解した。



[28416] 《使徒十字20》(完)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/26 11:16
《使徒十字20》(完)

聖ピエトロ大聖堂。
ローマ正教の大本山で連日のように行われている枢機卿の会議の議題は、今日も平行線だとマタイ=リースはため息をつく。
最初の一報目が入ったときは、それこそ戦争の準備をするために世界に散っている聖人や霊装を掻き集めるように指示したが、後になって思えばこの行為がさらに問題を大きくした一因であることは認めざるを得ない。

その後続く2つの組織からの連絡が入ったのが一昨日。
計3つに増えてしまったこの最重要議案について早急に決めなければ事態は悪化する一方なのに、枢機卿達はこの期に及んで自分の損を最小化し、利益を最大化しようとしている。

このままでは本当にローマ正教は滅んでしまう。

もはやため息などついている場合ではない。
独断でもやむをえない。
ローマ教皇として、結論を出さなければ。

そう思って、右手を上げながら立ち上がる彼に集中する枢機卿の視線。
しかし、それは突然の乱入者によって、あっさりと掻き乱される。

「何事だ!ここをどこだと思っている?」

枢機卿の一人が泡を飛ばしながら怒声を上げる。
しかし彼の怒りは、乱入者の悲鳴のような叫びで一気に凍りついた。



「……大変です。今度は、今度はヒンドゥー教の最大宗派が!」



ああ、神よ。



20億人の頂点としてすべての信者を支えるはずの彼は、思わず顔を覆うと力なく椅子に体を投げ出した。






9月26日。
オルソラ達のアジトからの帰り道。
いつもは打ち止め達と先に帰ることが多い一方通行も、なぜか歩きたい気分だったらしい。
6人で並ぶと道の半分以上を占拠してしまうが、殆ど人が通ってないから良いだろうということで並列で歩く。
それぞれの胸には銀色に輝く十字架が揺れている。

「良かったじゃない、麦野が恨んでなくてさ」

美琴の声に、当麻はなんだか疲れたような声で答える。

「あいつの精神はまだ安定していない。ひょっとしたら、明日になったら意見が変わるかもしれない」
「また、そんなこと言って。いいじゃない、素直に喜べば」
「変わったって良いだろうがよ。そンときは返り討ちにするだけだろうが」

2人のフォローにも、彼の反応はいまいちだ。
時折ため息をついているから、久しぶりに彼の精神が限界に近いのかもしれない。

「とうま、大丈夫?」

思わず彼の左手を取れば、負けじと美琴が逆側の手をとる。

「アンタ、どうしちゃったのよ?」

両手に花の状態でも、彼の表情は変わらない。
流石は鈍男だ。

「いや、なんていうか。ああいうのって、俺、困るんだ」
「ああ言うのって?」
「見殺しにしようとまで言ったのに、礼なんて言われるとさ。さすがに罪悪感が大きすぎる」

また、ため息だ。
でも、彼がこんな風に弱さを見せるのは私達にだけだってことを、私達は皆知っている。

「オマエなァ、何でそンなにくよくよしてンだよ?」

やや俯きがちに歩く当麻に、一方通行がフォローする。

「だってさ」
「だってじゃねェよ。結果オーライじゃねェか。皆感謝。皆幸せ。何が不満なンだ?」

そうだな。

「そうだよ、上条さん。過程はどうあれ、上条さんは麦野を助けた。それで良いと思うって、ミサカはミサカは力説してみる」

うん、わかるよ。

「終わりよければすべて良し、というじゃないですか。自分の行動が思わぬ形で誰かを助けられたなら、それはやっぱり喜ぶべきことなんですよ?」

ああ、確かにな。

「良いじゃない、アンタの得意な口車で、第4位を心強い味方にしていけば」

なるほどな。

「麦野はいい顔してたよ。私が初めて会ったときよりも、ずっと生き生きしてた。だから、当麻が麦野を生き返らせたんだよ」

そうか。
ありがとな。



そんな具合で当麻は20分ほど慰めの集中砲火を浴びて。
電車に揺られてる間、寝ているのかと思うくらいずっと目を瞑って考えていたらしく。
家に帰るころには心の整理ができたのか、すっかりいつもの彼に戻っていた。






上条家。
家に帰ると一方通行はステルスをかけて空へ飛んでいった。
以前聞いたらマッハ50までぐらいなら周りにそよ風を起こすことなく飛べるといっていたから、きっともうサウジアラビアに着いたころだろう。
そんなことを思っていると、彼から通信用魔術で連絡が入る。

『次はどこだァ?』
「今度はインドのヴァラナシ。美琴がGPSコードを送るから、どこか主要な街の上空でいったん受信して」
『了解』

これで8つ目。
実際にどれほどのインパクトがあるのかは正確には量れないが、ネットの情報を見る限り現地では宗教的混乱が起こっているらしいから、相応のダメージはあったはず。
そして数を重ねるごとに私の歩く教会にかけられている探索術式のうち、ローマ正教のものが明らかに減っていくのが確認できている。

やっぱり、当麻の言うとおりになったのか。

あの日彼の提案を聞いたときには心底驚いたものだが、実際に結果に現れているのをみると、やっぱり彼は天性の詐欺師だと改めて納得できる。

そのことを当麻に伝えれば、

「もう少し時間がたたないと状況はわからないだろう。今度さりげなく神裂に聞いてみるから、それまでは世界情勢のニュースを注意深く集めよう」

と相変わらず慎重なコメントが帰ってきた。

「ちゃんと効果が出ているんだから、もう少し喜んだって良いじゃない」

いちおう不満の声を上げつつも、当麻が調子を取り戻したことがうれしくて、私は美琴と顔を見合わせて笑い声を押し殺した。












星座を魔法陣として利用して、4万7000平方kmの範囲をローマ正教の支配領域にしてしまう霊装、使徒十字。
支配領域では、全てをローマ正教に都合よく運命や主観を捻じ曲げてしまうの。範囲にいるローマ正教徒に幸運を与え、その分不幸になる異教徒も何が起こってもローマ正教のおかげで幸運だと誤解する。
それはローマ正教への崇拝に繋がるから、異教徒に対して強制的にローマ正教へと宗旨替えさせる霊装であるとも言える。
当然これはローマ正教専用の霊装だし、その使い方はローマ正教の管理者や魔道書に詳しい一部の魔術師、そして私しか知らない。

こんなローマ正教にとってのみ好都合な霊装なんて、百害あって一利なし。
破壊するに限る。
リドヴィア=ロレンツェッティの居場所を網羅解析で見つけたときに当麻以外は皆そう思った。

だが、当麻は違った。

「提案があるんだ。……賛同してくれるか?」

その前口上のあと彼が話す作戦に、私は全身がぞわっとするような興奮を得た。

彼の、余りの思考力の高さに。
そして、うっかり見落としていた、私達が世界なんてものと戦うために極めて有用なツールについて。






「ローマ正教は世界最大最強の魔術集団だ。そして彼等は平気で学園都市を支配下に置こうと行動してきた。これは2つの面で危険だ」

そう言って彼は2本の指を立てる。

「一つは、何百万の人達を支配することになんら抵抗を持たないということ。これは敵ならばどのように扱っても良いという意思を示しているから、看過できない危険なサインだ」

そして。

「もう一つは、自分達の力を彼等が理解してることだ。世界最強だから、何をしても誰も文句を言えないだろう。勝手に学園都市を自分のものにしようとする術式を展開するということは、そういう傲慢な自負があるという点で恐ろしい」
「……だから?」

確かにローマ正教は危険な集団なことはわかる。
でも、それを言ったってどうしようもないじゃない。
そういう美琴に、彼は淡々と答える。



「それが、どうしようもあるんだよ、御坂」



彼は、眠り続ける蓑虫の隣に腰を下ろしてゆっくりと話す。

「前者はもうどうしようもないがな、後者については操作できるんだ」
「……え?」
「ローマ正教は世界最強の魔術集団。でも、流石に自分達以外の全てを敵に回して戦える力はないだろう?もしそんな力があったとしたら、使徒十字なんて手ぬるい方法なんて使うまでもない。正々堂々学園都市を魔術師で制圧すれば終わりだ。いや、そんなことするまでもない。そもそも敵じゃないんだからな」

確かに。
魔術的な力は霊装やテレズマ、聖人など色々な要因に左右されるから、ローマ正教が最強とはいっても、他の魔術組織と比べて相対的に強い材料を多く持っているだけに過ぎない。
実際戦ったときにどうなるかはわからないし、ましてや世界中の魔術組織を相手にしてローマ正教が勝てるとも思えない。

私の同意に、彼は首肯する。

「ならば。例えばローマ正教が世界中の魔術集団から敵対視されるような状況を作れたとしたら、どうなると思う?」
「……きっと、身動きが取れなくなる」
「そうだ。学園都市にちょっかいだそうとそちらに気をとられている間に、後ろから別の組織が手を組んで背中を刺してくるかもしれない。周りが敵だらけの状況になったら、もうローマ正教は動けないだろ?」

そう言って微笑む彼に、一方通行が対面のベッドに腰を下ろして聞く。

「……それはそうだが。実際にそうできなきゃ、何の意味もねェだろうがよ」

きっとその指摘を待っていたのだろう。
当麻は立ち上がると、少しだけ芝居がかった様で手を広げて答える。



「それが、できるんだよ。俺達なら」
「……あァ?」
「ほら、目の前にあるじゃないか。こんな大それた野望を叶えるための道が」



道?



「わざわざ俺達のために、ローマ正教が示してくれた道があるじゃないか。こうすれば良いと」



……え?
ひょっとして?



「この事件を考えたやつは馬鹿だよな。わざわざこんな貴重なプレゼントをくれるなんて」



まさか。



「そうだ。使徒十字。これを使えばいいんだよ」






聞けば簡単な話だった。
簡単すぎて、寒気がした。



「使徒十字はローマ正教専用の霊装だ。だから、まずこれをリドヴィア=ロレンツェッティから奪おう」

そして奪った後は、オリアナとリドヴィアの記憶を4週間分くらい消して、一方通行に適当な国に置いてきてもらった上で電子データも改竄して最初から日本に来てなかったことにしよう。
そうすれば、使徒十字がどこで失われたのか、誰にもわからなくなる。

気温が下がったような感覚を私達に与えながら、彼の言葉は続く。

「そして、世界中の使徒十字を使用できるポイントを洗い出す。その上でローマ正教以外の宗教、できれば十字教以外の中心地が入るポイントに使徒十字を設置する。24時間放置したら、次に別のポイントに打ち込む」

そうするとどうなるか。

「他の宗教は混乱するよな。突然、自分達の支配域でローマ正教に圧倒的に有利な術式が掛けられるんだ。そして丸1日とはいえ、自分の宗教にあまり熱心じゃない者の中には使徒十字の影響でローマ正教に転向する人だってでてくるはず」

そうしたら、誰がどう見てもローマ正教からの侵略だと判断するよな?
その言葉に、私達は頷く以上のことができない。

「もちろん、たった1日のことだ。実際の被害はたいしたことはないはず。だがな。こういうのは量じゃないんだ」

ローマ正教がその気になれば、彼等には自分の宗教の信者を強制的にローマ正教に転向させることができる。
そして自分達の聖地ですら、彼等の領土のようにすることができる。

これは他の宗教にとってはとんでもない脅威だ。
それこそ学園都市なんて目じゃないくらいの、恐ろしい敵と映るはずだ。

「だから、そうだな、なるべく魔術的に強そうな宗教で上から20くらいを使徒十字で揺さぶれば、もうローマ正教は動けなくなるだろう」
「……ローマ正教が自分達の仕業じゃないと言い張ったら?」

私の質問も、当然予想範囲だったのだろう。
彼は滑らかに答える。

「無罪を主張しても通らない。現実にローマ正教に有利な状況が世界中で起きている。そしてなにより、他宗教を容易く侵略できる霊装をローマ正教がこっそり持っていたことが、そしてそれを使って侵略できることが証明されたという現実が、既にダウトなんだ」

そもそも、ローマ正教以外に使い方を知っている者はほとんどいないんだ。
自分の無罪なんて証明できるはずがない。

「ローマ正教がリドヴィアを見つけたとしたら?そして、誰かに使徒十字が奪われたことを知ったら?」

美琴の問いにもすらすらと答えが返ってくる。

「知ったところで、やはり何もできない。まさか学園都市を支配するために使徒十字を持ち出したところ、何者かに奪われて行方不明なんて言えないだろ?学園都市という言葉をださなくても、持ち出したということは、使おうとしたということなんだ。ほら、やっぱりローマ正教は侵略しようとしたんだって思われるだけだ」



そして訪れる沈黙。
これなら、ローマ正教を孤立させることができる。
20億を抱える大集団に、たった6人の私達で対抗出来てしまう。
しかも、私達には全く疑いが掛けられることなく。






しかし、詐欺師の策略はこれだけにはとどまらない。
沈黙を破って、彼が言葉を続ける。

「使徒十字だがな、今言ったようなローマ正教をコントロールするツールとして使うだけじゃもったいないと思わないか?」

え?
まだ何かあるの?

「オリアナが親切に教えてくれたじゃないか。使徒十字は制圧に使えるって」

そうだけど。

「使徒十字を使ってローマ正教を孤立させた後で、もしローマ正教以外の魔術集団と戦わなきゃいけない状況が発生したとしよう。そのとき、使徒十字は素晴らしい武器として使えると思わないか?」

もう、開いた口がふさがらない。

「なにせ有効範囲は4万7000平方km。この範囲なら、ローマ正教徒が圧倒的に有利な状況で戦えるんだ。すごい霊装だよな」
「でも……ああ、そうか、そういうことね」

美琴が質問しかけて、彼の次の言葉を理解する。



「だから、これは本当に提案なんだがな。……ローマ正教の信徒にならないか?オルソラは高位のシスターだから洗礼もできるし、追われているあいつに頼めば、ローマ正教本体に情報が漏れることもないから誰にもばれずに済む」



彼の言葉に、やはり沈黙が流れた。
でも、これは信徒になることを迷っているからじゃない。
彼の異常な思考力を見せられて、心理的に圧倒されているだけだ。



「どうだ?」

黙っている私達に不安を感じたのか、彼が再度問いかける。

「……別に拘りはないから良いわよ」
「俺もかまわねェよ」
「なんだかついていけないけど、ミサカも良いよ」
「……私も良くわからなくなってきましたけど、大丈夫です」






そして当麻は私を見る。

「インデックス。お前はイギリス清教のシスターだ。少なくとも1年以上そうやって生きてきた。だから強制はできない」
「……うん」
「でもな、これは本当に俺のわがままだけれども、いつかお前をイギリス清教から解放したいって、俺は思うんだ」

お前を道具として扱い続けてきた、扱い続けようとしているイギリス清教を俺はやっぱり許せない。
そして、どうしてもあいつらの態度が危険に見えてしょうがない。
そう言いながら、彼の黒褐色が私の碧色を捕まえる。



「だから、これはお願いだ。インデックス。俺を信じてついてきてくれないか?」



詐欺師め。
本当に、ずるい詐欺師め。



「……しょうがないね。わかったよ、とうま」



そんな言葉を大好きな貴方に言われたら。
ついていかないなんて、言えないに決まってるじゃない。












9月29日。
私の様子を見に来るという口実で、天草式と接触するために来日した神裂は、帰り際に山ほどのお土産をもって上条家を訪れたとインデックスは記憶する。

「色々と心遣いをいただいて、本当にありがとうございました」
「いや、たいしたことはしていない。困ったときはお互い様だからな」

神裂の当麻に対する態度は、既に従者のそれに似ていた。
しかしそれも無理はないだろう。
彼女の心には、彼は大恩人として深く深く刻み込まれているはずだから。

「でも、良かったな、神裂。例のオルソラの件がうやむやになって」
「ええ。ローマ正教内で何か大きな問題が起こったらしくて、それどころではないと捜査を打ち切られたようです。……本当に幸運でした」

その幸運を作った幸せの白い鳥は、今日も十字架を持って空を飛んでいることを彼女は知る由もない。

「そうか。……問題って何が起こったのか知ってるか?」
「えっと……まあ、貴方なら良いでしょう」

当麻を信じるイギリス清教所属の魔術師は、ローマ正教所属の詐欺師に内情を打ち明ける。

「どうやら、ローマ正教は多数の魔術組織と揉めているらしいです。中には攻撃色の強い魔術組織もあるみたいで、争いを回避するために必死で画策しているとか」
「……そんなことがあったのか」

全ての黒幕は、さも驚いたかのような顔を作って答える。

「ええ。でも最大主教も一時期参っていましたけど、おかげで最近は元気を取り戻してきたようです」
「そうか。それはよかったな」

もうちょっとイギリス清教を追い詰めるべきだったか。
きっと彼はそう考えているのだろう。

「ええ。……では、そろそろ行きます。本当にお世話になりました。必ず、この恩はお返しします」
「恩だなんて大げさな。まあ、インデックスも喜ぶから、いつでも家に来いよな」

100倍か。
それとも1000倍か。
どのくらいの利率を掛けて恩返しをさせようと算盤をはじいてるんだ?

「では、失礼します」
「ああ。気をつけて」

ドアが閉まるまでお辞儀を崩さない彼女を見送って、彼はくるりとこちらに振り向く。



予想通りの相変わらずの悪い笑顔に、私と美琴は顔を見合わせて笑い出した。












聞こえるかもしれないから、まだ笑うなよ。
そう言いながらも、彼もくすくすと忍び笑いを漏らしだす。

「アンタだって笑ってるじゃない」
「そうだよ、とうま」
「そう言うな。これでも上手くいくか心配だったんだぞ?」

でも良かった。
予測どおりに動いてくれて、本当に良かった。

彼はそう言いながら、私達に微笑む。
その顔を見て、私は胸が少しだけ高鳴るのを感じた。
そして、きっと隣に座る彼女も同じなんだろうと直感した。






20億人を騙した、世界最強の詐欺師、上条当麻。
私達を何よりも大事と思ってその他全てを切り捨てる、世界最強の冷酷男。
そして恋する私達の気持ちに気づかない、世界最強の鈍感男。

「おい、どうした?」

だから、隣に座って腕を組むくらいの攻勢に出ても良いだろう。
彼の謀略が上手くいったことで上がったテンションのまま彼の左手に思い切って飛びついてみる。

「おい、インデックス?」

戸惑う彼の揺れる視線に決意を固めたのか、それとも勝気が刺激されたのか。
覚悟を決めた電撃姫が私に続いて彼の右腕をロックする。

「ちょっと、御坂?どうしたんだよ、二人共」
「いいじゃん、別にさ」
「上手くいってよかったね、というお祝いだよ、とうま」

お祝い?

「こんな美少女二人に密着できてるのよ?少しは嬉しそうな顔をしたら?」
「ひょっとして、いやなの、とうま?」
「そんなことはないが。でも、ちょっと待て、おかしいぞ?」

真っ赤な顔をする美琴と、おそらくそれに負けないくらい色づいた私。
羞恥心で力加減を間違ったのか、直ぐに三者のバランスが崩れて。



「……失礼しましたァ」



タイミング良く帰ってきた一方通行が立ち去ろうとするのを、当麻が珍しく焦った声で呼び止める。

「一方通行。わかってると思うが、誤解だからな?」
「オマエなァ。ガキが見てるンだから、そういうことは他所でやれ」
「他所といっても、ここは俺の家なんだが」
「だから、他所だよ。他所」
「……ッ!あんた、ちょっと、なに考えてんのよ?」
「へェ、そンなに焦るなンてねェ。常盤台のお嬢様は何だと思ったンですかァ?」

他所って、どこだ?
そんな疑問を持つ私を置いてけぼりにして、ぎゃあぎゃあと美琴と一方通行が口論を始める。

「ね、とうま。他所って、どこ?」
「さあな。きっと、例の公園のことかな」






その答えだって嘘である気がした。

そうしたら、私では、きっと10年たっても彼の全てを知ることなんてできない、と急に強く感じた。



だって、彼は詐欺師だから。
深く、優しく、嘘つきで、傷つきやすい詐欺師だから。

見るたびに、聞くたびに、触れるたびに変わるから。
毎日見ていても、一緒にいてもきっと飽きることなんてないから。

だから、10年後も、20年後も私は彼に騙されるのだろう。
きっと彼は、30年たっても50年たっても私を笑わせるために騙してくれるのだろう。



……そう、思って良いよね?
ずっと一緒だと思っても良いよね?



叶わないかもしれない想いの痛みと、叶ったときの未来を思い描く喜びを胸にしまいつつ、隣に立つ当麻を見上げる。



「ね、とうま。私、信じてるからね」
「……何がだ?」



一方通行と喧嘩しているうちに、私達がいい雰囲気になっているのに気づいた美琴がつかつかとこちらに向かって歩いてくる。
だから。






「とうまなら飽きるほど充実した人生をくれるって、私、信じてるからね」






俺を信じてついて来いとまで言ったんだよ。
ちゃんと責任取ってよね。



小声で言った言葉が届いたかどうか、確認するのがどうしようもなく恥ずかしかったから。
美琴の周囲ではぜる紫電の音を口実に、私は手を振りつつその場を一目散に退散した。



[28416] 《とある・もしもの世界1》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/01 19:31
《とある・もしもの世界1》

学園都市第七学区、窓のないビル。
生命維持槽のビーカーには弱アルカリ性培養液が満たされ、緑の手術衣のまま、その中に逆さまになって浮かんでいる存在。
男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える彼は、入ってきた情報を整理する。

なるほど、彼等は使徒十字を奪ったのか。

面白い。
実に、面白い。

ローマ正教が学園都市に攻勢を仕掛けることを画策していた情報が入ったときは、対応をどうするか思案したものだが。
まさか彼等が解決してしまうとは思わなかった。

ふふふ……

思わず笑い声が漏れる。
これほど小気味よい気分になるのは、実に久しぶりだ。



だが。
もはや放置はできない。
計画の要、幻想殺しと一方通行のステップが全く進んでいない。
このままではいつまでたっても私の望みが叶わない。

仕方ない、消すか。

自分の計画の邪魔をする、彼等の最大の武器である情報を司る者。
滞空回線を電磁波で掻き乱し、彼等の動向を無意識にマスクしている超能力者。

第3位、御坂美琴。

発電能力者の頂点として、また学園都市の広告塔として有用な人材だが、もはや生かしておくメリットよりも、デメリットのほうが上回る。
彼女を排除すれば、彼等の情報収集能は激減する。
今までほとんど使えなかった滞空回線を使った監視も行える。

アレイスター=クロウリーはそう結論すると、即座に学園都市の闇へと指令を出した。






10月8日。
昨日ロシアから帰ってきた後少し赤い顔をしていた打ち止めは、夜になって高熱を出した。
慌ててぐったりとした彼女を抱えて、カエル医者のところに文字通り飛んでいく一方通行。
追って病院にいこうと呼んだタクシーを待っていると、20分もしないうちに彼は頭を掻きながら帰ってきた。

「ただの風邪なンだと。……心配かけてすまねェな」

最近一方通行と一緒に世界中を毎日旅している打ち止め。
帰ってくると、ここがどうだった、こんな人がいたと遅くまで大興奮で喋っていた。
今までは主に一方通行の部屋にいることが多い生活だったから、幼い彼女にはその刺激は余りに強すぎたのだろう。
テンションが上がりすぎて疲れがたまっていたに違いない、と御坂美琴は思った。

「しょうがないわね。じゃあ、明日は休んで皆で看病しましょ?」

聞けば一方通行は病気をした経験がないとのこと。
当然看病したことだってないだろうからどうすればよいのかわからないはず。
じゃあ、仕方ないじゃないか。
決して、学校をサボってアイツと一緒にいたいというわけではないのだ。
……いや、それもあるけれどさ。
本当は。

「そうだな。じゃあ、そうするか」
「うん。賛成」

そんなわけで、めでたく今日は一日自主休校と決定されたのである。



一方通行の家のソファーで横になりつつ時計を見れば13時半。
カエルが処方した薬が異常に良いのか、それとも最近はこんなものなのか。
打ち止めは熱も下がり、顔色も平常と変わらなくなってきたと御坂美琴は思う。
一日休みを取って3人でこの家に来たものの、やったことといえば卵粥の作り方を一方通行に教えたくらいだ。
そして元気を取り戻した打ち止めは子供らしく、いや大人だってそうだろうが、体調が良いのにずっと寝ているのなんて退屈なのだろう。
ベッドから出ようとするたびに、ちょくちょく監視に行く一方通行に叱られる声が聞こえる。

「ミサカはもう大丈夫だよって、ミサカはミサカは心配性のアナタに元気なところをアピールしてみたり」
「……ダメだァ。今日は一日寝てろ、クソガキ」

彼の配慮でリビングのテレビが彼女のベッドの脇に設置されているが、それでも寝続けているのは堪らないのだろう。
様子を見に行ってみれば、退屈ですと顔に書いてあるのが読めるかのように、口を尖らせている彼女がいた。


「……じゃあ、アイス食べたい。熱出したときはアイスと決まってるって、ミサカネットワークが言ってるもん」
「あからさまな嘘を付いてンじゃねェよ」
「でも、良いんじゃないですか?食欲が出てきたのは健康の証ですし」

風斬のフォローに私も合いの手を入れる。

「そうね。病人にも楽しみは必要だし。……打ち止め、何が食べたい?」
「ソーダアイスが食べたい。……でもクッキー&クリームも良いかも」
「わかったわ。買ってくるから、私と半分こしましょ。……いいわよね、一方通行?」
「……仕方ねェなァ」

やった、と上半身を起こす打ち止めが、一方通行の視線を感じてすごすごと布団の中に戻っていく。
まったく、融通が利かないやつだ。
私の周りの男は、どうしてこうも過保護なんだろう。

「じゃあ、行ってくるわね」

残り二人の希望を聞いた後でそう打ち止めに声をかけると、彼女は大きく手を振って答えて、また一方通行にちくりと小言を言われていた。





窓越しに見えた空は樹形図の設計者の予測通り雨が降ることを示していた。
一旦上条家に戻ってお揃いの傘を各々手に取ると、私達は近所のスーパーまで買い物に行くことにした。

「重苦しい雲だな」
「そうね。……雷が落ちるかもね」
「雲の動きも早いね」

3人並んで歩く道。
殆ど毎日上条家か一方通行家に通う私は、もはやどこに何があるのか分かるくらいに慣れ親しんだ道だ。
あと100mほど行けば左手に少しだけ安売りをしている自動販売機があることも知っているし、あと300m先の道を右に曲がれば駅への近道であることも覚えている。
引っ越してから1ヵ月半の間に、新しくできたファーストフードのお店がそろそろ見えてくることだってこともわかる。

そっか。
引っ越してからまだ1ヶ月ちょっとしか経たないんだ。
ふと思ったことに自分で気が付いて、主観とのズレに少し驚く。

そう思えば、彼と出会ってからまだ2ヶ月半だ。

もはや自分の家族と思える彼なのに、重ねた時間はたったのそれだけだ。
なんて濃密な時を共有してきたのかと改めてしみじみと思う。



その思いを胸に、そっと隣を歩く上条を見る。
私と色違いの傘を持ち、最初に会ったときと相変わらず綺麗な姿勢で滑らかに歩く彼。



初めて会ったときには、自分の能力が通用しないことが癪でしょうがなかった。
1週間経って、自分の視野がいかに狭かったのか、狭くしていたかを彼から学んだ。
2週間経って、自分の命を投げ出せる生き方に、どうしようもない焦燥感を感じた。
3週間経って、彼の中にある迷いや苦悩の片鱗を垣間見た。
4週間経って、初めて彼も弱さを持っているということに気が付いた。
5週間経って、命がけで自分を守ろうとしてくれるその瞳に、胸が熱くなった。
6週間経って、彼の涙に、初めて彼を守りたいと心から思った。
7週間経って、己を賭けて私を守る背中に、私も並び立つと覚悟を決めた。
8週間経って、私はついに彼に恋をした。



そう、私は彼に恋をしたのだ。
こうして隣を歩くだけで、安らぎとともに鼓動が早くなる。
近づきたいのに、僅かに距離をつめるようとしても変に意識してしまってできない。
そうやって気づきだすと、ほら、また顔に赤みが差すのがわかる。



ああ、漫画みたいだ。
フィクションみたいな恋物語だ。
生を賭して戦うヒーローと、それに恋するヒロイン。
ヒロインのほうが戦いに強いことと、ヒロインがなぜか2人いるのはちょっと違うけれど、それでも十分に空想物語みたいな時間の中で私は想いを抱いている。






そんな幸せな気持ちで歩いていたから。

私の命を狙う銃が、その引き金をそっと引かれようとしていることなんて想像できるはずがなかった。



[28416] 《とある・もしもの世界2》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/28 20:22
《とある・もしもの世界2》

一歩踏み出したところで、夢を砕こうと超音速で飛来する金属片を能力の眼が捕らえた。
私の電磁波の干渉を受けたそれは、大きく進路を逸らして左手の店のガラスを突き破る。
私がレベル5の発電能力者じゃなければ、絶対に死んでいた銃撃。
反射的に能力を解放して発射源を探れば、400mほど離れたところに停車しているワンボックスカー。
右手をふるって砂鉄の剣でガードレールの一部を切断してそれを超電磁砲で飛ばすと、後輪を消し飛ばしながら車は横転する。

「どうしたんだ?」
「……狙撃された。狙いは私みたい」
「とうま。早くこれを」

インデックスからヘーパイストスの盾を受け取ると、無表情になった上条は行くぞ、と声をかける。
何者かわからないが、背後にいる組織の意図をここで押さえなければ。



だが、その瞬間、私達3人は何かに横なぎに吹き飛ばされた。
4mほど転がされて、慌てて起き上がると長身の男がゆっくりとこちらに歩いてくる。



あれは。



あの、男は。



「よお、第3位。舐めた対応をしてすまなかったな。レベル5にあんな攻撃が通用するわけないんだが、どうしてもやると言い張りやがったから」
「……あんたは」



私の問いに彼は手を胸の前に伸ばすと、恭しく一礼をして答える。



「だから、今度は失礼がないよう俺が相手をさせてもらう。……第2位の垣根帝督がな」






垣根帝督。
第2位、未元物質と呼ばれる未知の能力を有するレベル5。

「御坂、インデックス」
「ごめん、私には全くわからなかった」
「魔力に近いものを感じるけど、私にもわからない」

歩く教会とヘーパイストスの盾のおかげで全くダメージはないが、その攻撃の本質が私にもインデックスにも解析できない。
私達の前に立ちふさがる上条に答えれば、彼は小さい声で告げる。

「一方通行を呼んでくれ。あいつはやばい」

だが、垣根は笑いながら答える。

「残念だがな、第1位は今忙しい。呼んでもきっと来れないと思うぞ?」
「……どういうことだ?」
「お前が知る必要はどこにもない。俺が用があるのは第3位だけだからな。そこをどいてくれよ」

電磁波を操り一方通行の携帯を呼び出すが、コールしても彼は出ない。
風斬、打ち止めの携帯にかけても同様だ。
ミサカネットワークで問いかけてみても、打ち止めには繋がらない。
……妹達の力を借りて能力をブーストすることもできない。



一体何が起こっているんだ?
何でいきなり襲われてるんだ?



「どくわけには行かない。……お前は御坂を殺すつもりなんだろう?」
「まあな。俺としては弱い者苛めは好まないんだが、命令だから仕方ない」

左手を後ろ手に回して、攻撃する隙を狙うように指示しつつ彼は話を続ける。

「命令?それだけの力を持っているのに、誰かに使われて素直に従うのか?」

侮蔑を交えた言葉に、第2位の表情が少しだけ変わる。

「俺にはお前風情では理解できない野望がある。そのためには曲げなきゃいけないこともあるってことだ」
「……敗者の弁だな。そんなにアレイスターが怖いのか?」

そう言いながら、上条はゆっくりと垣根に近づいていく。

「俺はいずれあいつを潰す。だが、今はそのときじゃない。ただそれだけだ」

垣根は両手をポケットに入れたまま、やはり上条のほうへ歩いてくる。

「行動を先延ばしにするのは、臆病者の典型だな」
「安い挑発だ。弱者にはその程度が限界だろうな」

やがて両者の距離が10mを切ったところで、上条は右手を突き出しつつ滑らかに走り出して。



彼の体は垣根の体から生まれた白い翼に吹き飛ばされた。






瞬間的に心が殺意で冷たくなるのを感じた。
それと同時に導いた電磁誘導式によって、第2位に10億ボルトの電流が殺到する。
同時にインデックスが放つ攻撃用霊装が、奇妙な曲線を描きながら襲い掛かる。

だが、それらは彼を覆うように展開された6枚の翼によって阻まれる。

「ほう、面白いな。未元物質に干渉できる能力は初めてだ」

最強の霊装を容易く弾かれて呆然とするインデックスをみて、垣根は笑いながらそう言う。
私の能力を弾けたことについては何の感慨もないようだ。
……私など、眼中にないということか。

「だが、力不足だな。すまないが退場してくれるか」

その言葉とともに翼によって彼女の体はバウンドしながら左へと転がっていく。

「これで二人っきりだ。お前は常盤台のお嬢様なんだろう?優雅なダンスでもみせてくれよ」

畜生。
怒声を上げながら私が放つ超電磁砲も、彼の体には届かない。
2度、3度と連打しても、彼の翼を破ることはない。

そのとき弾かれる緋色の光にまぎれるように、倒れていた上条が驚くべきスピードで起き上がると垣根へと迫る。
だが、あと2mというところで、彼の足をすくうように翼が動く。

「幻想殺しは右手だけなんだろ?お前じゃ俺に勝てないんだから、おとなしく倒れてろよ」

横倒しにされた彼を、やはり未元物質が弾き出す。



まずい。
こいつは強い。
しかも、私やアイツの能力を知っている。
ここは逃げなければ。



そう判断して、第2位の周囲に高圧電流を膜状に張り巡らせる。
瞬間的に視物質を飽和させるほどの光と、鼓膜が破るほどの音を轟かせて渦巻く電子の障壁。
これで中にいるあいつは何も見えないし聞こえなくなったはずだ。



垣根の歩みが止まるのを確認して、生体電流を制御して上条に向かって高速で走り出して。



そして私は白い翼に叩き伏せられた。



[28416] 《とある・もしもの世界3》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/29 19:44
《とある・もしもの世界3》

第2位の力によって吹き飛ばされたものの、衝撃は歩く教会によって吸収されたから特にダメージはない、とインデックスは判断する。

すぐさま起き上がってみれば、美琴の超電磁砲を笑いながら垣根が弾くのが見えた。

手持ちの魔法陣と霊装の組み合わせを瞬間的に考える。
先程の攻撃は彼には通用しなかった。
魔法陣を霊装でブーストすれば、もっと高出力の攻撃を出せる。
でも、それであの翼を貫けるのか?

迷いながらも魔法陣と霊装をすばやく取り出そうとしたところで、当麻が跳ね上がるように起き上がって第2位に迫るのが見えた。

幻想殺しが届けば。
あの翼さえ消せれば勝てる。
お願い、届いて。

そう思うのと、当麻の足が払われるのがほぼ同時だった。
そして倒れる彼は、未元物質によって3m程飛ばされる。



とうま!



まだヘーパイストスの盾があるから平気なはずだ。
手を握り締めて駆け寄りたい気持ちを必死で抑え、未元物質の特徴を何とか解析しようとする。
真正面からぶつかっても、おそらく勝てない。
ならば、どうするか。
どこに隙があるのか。

手で霊装と魔法陣の組み合わせをしながら必死に魔術の眼で視るが、依然としてその正体はわからない。

そのとき美琴が手を振ると同時に莫大な量の電流が第2位の周りに展開された。
紫電を発しながら当麻に駆け寄る彼女を見て、逃げるということだと私は彼女の意図を理解した。

だから、私も背中を翻して走り去ろうとした瞬間。

私は見た。



美琴が地面にめり込む程の衝撃で、第2位に叩き伏せられるのを。






手でくみ上げた魔法陣の力を解放した。
先程の攻撃の4倍くらいの威力があるペレの炎。
狼のような姿をとりながら、灼熱の炎は正確に第2位に突っ込んでいく。
魔術はやはり未元物質によって阻まれるが、そのガードごと力押しで垣根を10mほど吹き飛ばしながら火炎が荒れ狂う。

「みこと!」
「御坂!」

地面に体の半分ほどが埋もれている彼女に、当麻と二人で駆け寄る。

よかった。
息もある。
外傷も全くない。
まだ、歩く教会は機能している。

気を失っているが、これは正体不明の力の一部が歩く教会の守護に干渉して、加速度を打ち消せなかったことによるブラックアウトのためだろう。

「とうま、逃げよう」
「ああ」

当麻が彼女の手を引いてアスファルトから引きずり出す。
私は追加で攻撃用魔法陣を10枚、ダメ押しで垣根に叩き込む。
それぞれ全く違う物理的、魔術的側面を持った攻撃だ。
どれか1つくらい効いてくれると良いが。

「インデックス、行くぞ」
「うん」

美琴を抱えて急ぐ当麻の後を、私も走る。
なるべく細い道を、何度か左右に曲がりながら。

「……ダメか」

左手で担ぐように美琴を抱えながら、右手で何度か電話をかけた彼はつぶやく。

「繋がらないの?」
「ああ」

一方通行にはやはり電話が繋がらない。
向こうでも何かあったのか。
一体、何が起こっているんだ。

「インデックス、あの建物に入るぞ」
「うん」

息が切れてきた私を気遣ってか、彼は左手に見えてきた古ぼけた工場を指し示した。






荒い息を押し殺すように物陰に隠れながら、私と当麻は並んで座る。
美琴はまだ目を覚まさない。
何度か当麻が顔を軽く叩いても、彼女の意識は回復しない。
……そういえば気絶した人を起こすのはいつも美琴の役割だったんだ。

「とうま、一体何があったと思う?」
「御坂が学園都市の上層部、いやアレイスターに狙われたんだな」
「使徒十字のせいかな?」
「いや、それはないだろう。そうだとしたら、俺やお前だってターゲットのはずだ」

でも、じゃあなぜ?

「……きっと御坂の能力が邪魔だったんだ。こいつのハッキング能力が、情報収集能力が邪魔だったんだと思う」
「どういうこと?」
「きっと、アレイスターは俺達を危険視しだしたんだ」

俺達の強さは科学と魔術の両方の情報戦を制していることにあるから。
だから、このうちの片方を潰そうとしているんだと思う。

「……じゃあ、この後は」
「ああ。御坂を殺して俺達から目を奪った後、俺達を何らかの方法で自分の良いように扱おうとするだろうな」

そんな。

「だが、そんなことはさせるわけにいかない。もちろん、御坂も殺させない」
「でも、どうするの?」
「何があったのかはわからないが、一方通行なら何があっても切り抜けられるだろう。今はあいつと連絡が取れるまで、下手に動かないのがよい」

でも、見つからないかな。

「そう願っているが。いずれにしてもこういうときはじっとしているほうが見つからない可能性が高い」

そう答える当麻を見て、そして眠る美琴の顔を見て。
私はそっとつぶやく。

「……もし見つかったら、私がやろうか?」

魔神としての力を振るえば、多分第2位に勝てる。
しかし当麻は首を振って静かに言う。

「それは本当に最後の手段だ。使っちゃいけない禁じ手なんだ。だから一方通行を信じて待とう」
「でも」
「でも、じゃない。もしもあいつが俺達を追ってきたとしても絶対に使うなよ。
ちゃんとチャンスを見つけてなんとかするから。いいな?」






それでもと私が言葉を続けようとしたとき。
轟音とともに天井に穴が開く。
ガラガラと崩れ落ちてくる鉄筋コンクリートのかけらの向こうに、ねずみ色の空が見える。



「面白いな、お前。本当に面白い。流石に少しばかり興味がわいてきたぞ?」



やはり両手をポケットに突っ込みながら。
天使のような白い羽をはためかせながら、悪魔のような第2位が空から降りてきた。






そこから先は一方的ななぶり殺しみたいなものだった。

美琴を抱えて翼を避けようとする当麻を吹き飛ばし、私がポケットから出す魔法陣の攻撃を面白そうな目をしながら受け止めて。
そして隙があれば眠り続ける美琴に容赦なく未元物質の攻撃を向ける。

彼女の胸にある歩く教会がその攻撃を弾くことすら、そして当麻が傷一つなく立ち上がることすら、彼にとっては楽しみの一つであるらしかった。
初めて見る不思議なおもちゃを見つけた子供のように、無邪気といえるほど澄んだ瞳を向けながら、垣根は美琴を肉塊に変える力を振るう。

「やめろ。第2位」

何度吹き飛ばされても立ち上がる当麻も、目にも留まらない速度で振るわれる翼に反応することはできない。

「やめて。お願い、もうやめて」

私の持つ魔法陣のカードも霊装も、もう殆ど残りがない。

「まだだろ?もっと何か隠してるんだろ?ほら、もったいぶってるとそのお嬢さんが潰れちまうぞ?」

当麻が時折ポケットに手を入れて一方通行へとコールしてるが、繋がらないようだ。
彼の表情から無表情が失われ、ほんのわずかに焦りの色が浮かびだした。



お願い一方通行。
早く気づいて。






そして何度目だったか。

当麻をなぎ払う衝撃に、パキンと音を立ててついにヘーパイストスの盾が砕けた。



[28416] 《とある・もしもの世界4》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/06/30 21:08
《とある・もしもの世界4》

壁に叩きつけられた当麻がうめき声を上げるのをみて、第2位はほう、と声を上げた。

「なんだ、ようやく俺の攻撃が届いたか。……これだけぶっ叩いても効かないから、正直言って自信が揺らいでいたところだった」

笑いながら言うレベル5に、当麻が言い返す。

「お前、これだけ時間をかけて俺一人の防御を貫けただけだろう?その二人はまだ傷一つ付いていない。……なにが自信だよ」
「そう吼えるなよ。どうすればこの胡散臭い手品を壊せるか気づき始めたところなんだから、黙ってみてろ」
「そういうわけにはいかない。さっきようやく一方通行と繋がったからな。……あと1分も持ちこたえれば、俺達の勝ちだ」

当麻のはったりにも、第2位の余裕は崩れない。

「へぇ。この状況でしれっとそんな嘘をいえるなんて、お前いい具合に歪んでるな?」
「嘘かどうかは直ぐわかるさ」

今まで誰にも見破られたことがない、最強の詐欺師の言葉。
だが、それにも垣根は動じない。

「いいんだぞ、そんなに頑張らなくて。お前のその言葉がフェイクってことはわかってるんだ。なぜなら」

彼は自分の翼を優雅に広げて語る。

「俺の未元物質が展開されると、困ったことに電波障害が起こるんだ。未元物質と電磁波が干渉して通常とは違う状態になるからな」

にやっと笑って、続ける。

「だから、お前がさっきから何度電話をかけても、第1位に繋がるわけはないんだよ」



そんな。
じゃあ。
一方通行は来ないのか。



ならば、もうやるしかないのか。
私が、覚悟を決めるしか。



魔神として生きるしか。







だが、それでも当麻は負けなかった。
彼は私に目で警告しながら、平静な声で言葉を返す。

「お前、何を勘違いしているんだ?俺は携帯を使ったなんて一言も言ってないぞ?」
「……何だって?」

少しだけ眉をひそめる垣根に、淡々と続ける。

「お前が今見ている科学では理解できない現象。これを応用した力で一方通行を呼んだんだ」
「……」
「お前、わからないだろう?なぜ自分の力が通用しないか。なぜこれだけの攻撃を無傷でしのげたのか。なぜ多重能力者のような不可思議な攻撃をその女が使えるのか」

一歩一歩彼に近づきながら、静かに語る。

「だったら、どうしてその力で一方通行を呼べないと思うんだ?……ほら、上を見てみろよ?お前の空けた大穴を。……空を飛んでくるあいつなら、直ぐに気づくぞ?」

その言葉に、初めて第2位の顔に迷いが生まれた。

「良いのか?あいつは第1位、一方通行だ。まともに戦って、無事に済むと思うか?」

ゆっくりと近づきながら、あくまで単調な、ペールな声で。

「あいつは第3位に惚れてる。……この状況を知れば、お前は八つ裂きにされるぞ?」

やがて彼は美琴のそばまで到達する。
そして、美琴を揺り動かすと、彼女の瞼がピクリと動いた。

「そしてほら、第3位も目を覚ます。お前は勝てる自信があるのか?第1位と第3位。そしてお前の理解できない力を行使するその女を相手にして」



だが、当麻は間違った。
当麻は知らなかったのだ。
第2位の性格を。
彼が抱える第1位への深いコンプレックスを。



「……ムカついた。てめえの態度、心底ムカついた」

そう言いながら、垣根は未元物質を振るう。
一部は右手で消したものの、その多くは当麻の体に叩き込まれ、彼はその場に蹲る。

「お前とその女のことは、絶対に殺すなと言われてる。だから、今までこれでも手加減してきたんだがな」

思わず駆け寄る私も、その能力で後方に突き飛ばされる。

「……だが、第1位をちらつかせれば俺が逃げると、てめえはそう思ったわけだ。……あんまり舐めてんじゃねぇぞ?」

立ち上がろうとした彼の左肩に、羽が打ち付けられる。

「これは警告だ。これ以上邪魔をするなら、てめえは俺の敵だ」

そういいながら、残りの羽が美琴の体を押しつぶしていく。
歩く教会の力が見る見るうちに減っていく。

「俺は自分の敵には容赦しねぇ。だから」
「ふざけんな」

その凄みを利かせた第2位の声は、当麻の怒りに満ちた声によってさえぎられた。






「ああ?」
「ふざけてんじゃねぇぞ、お前」

そう言って、彼は右手で美琴を害する羽に触る。
彼女の歩く教会が力を失うぎりぎりで、未元物質が打ち消される。
はじけるように消える自分の力に、垣根の顔が怒りで歪む。

「そうか、OK。てめえは俺の敵ってことだな」
「当たり前だ。今更なに寝ぼけてんだ」

右手を握り締めながら、彼は第2位に相対する。

「お前なんかに、御坂を殺させるものか。絶対にそんなことさせるわけにいかねぇんだよ」
「……よっぽど死にたいんだな、てめえ」



その言葉に答えず、当麻は真っ直ぐに垣根に突っ込んでいく。

彼が振るう未元物質を右手で掴み取るように動かせば、強引に動かされた羽が他の羽とぶつかって第2位はバランスを崩す。

そしてすっとしゃがむと、当麻は鋭い足払いをかける。
倒れそうになるのを羽で支える垣根のわき腹に、すくい上げるように当麻の右手が突き刺さる。
幻想殺しが発動し、垣根の翼が溶けるように消える。

そのまま彼をつかもうとする当麻の腹に、垣根の蹴りが叩き込まれる。
離れる右手。
そして力を取り戻して鋭く動く羽が、当麻を振り払う。



「なかなか良い攻撃だった。……だがもう終わりだ。もう二度と同じ手は喰わねぇよ」
「そんなのやってみなきゃわからねぇだろうが」
「てめえ、本当にムカつくやつだな」

そのとき、小さく声を上げるとともに、ついに美琴が目を覚ました。
起き上がる彼女は少しだけ混乱したようだったが、自分の前に立ちふさがる当麻とそれに相対する第2位を見て、直ぐに状況を知ったようだ。

「御坂。インデックスと逃げろ」

何かを叫ぼうとする美琴に、まるで背中に目が付いているみたいなタイミングで当麻は言う。

「こいつは俺が何とかする。だから、逃げろ。そして一方通行を呼んでくれ」

心配するな。
そう言って当麻は一筋血が這う左手で親指を立てる。
いつかのように。
この明らかに絶望的な状況で。

「何とかする、か。……初めてだ。ここまでこの俺を馬鹿にしたのは、未だかつてお前以外にいねえよ」
「馬鹿にしてるわけじゃねえ。ただ、譲れないと言ってるだけだ」
「譲れない、ね」

怒りが頂点を通り越したのか。
それとも馬鹿馬鹿しいと思ったのか。
垣根の顔が平常ともいえる表情へと変わっていく。

「参考までに教えてくれよ。たかが女のために、何でそこまでできるんだ?」
「そんなの決まってるだろうが。何でわかんねえんだよ?」

はっ、と笑って第2位は言う。

「なんだ、ひょっとしてあれか?愛してるとか言っちゃったりするのかよ?」

まったく馬鹿馬鹿しい。
そういいながら、彼は嗤う。
だがその嗤いは、震えるような大声に打ち消された。






「ああ、そうだよ。その通りだ!」



搾り出すような声で、当麻は叫ぶ。
叫びながら、一歩踏み出す。



「俺は絶対にこいつ等を守るんだ。大切な、大切な二人を絶対に守るんだ!」



まるで今までの鈍感が嘘だったように。
命が危うい状況なのに、呆けたように彼の背中を見る私達の前で彼は吼える。



「だから、お前なんかにここで負けるわけにはいかないんだ!」






余りの勢いに嗤いを忘れて呆然とする垣根に、当麻が殴りかかる。
だがその拳が届く前に、当麻はやはり打ち据えられる。
それでも倒れると同時に彼は起き上がり、また倒される。
跳ね上がると同時に右手で未元物質を打ち消し、そこに更に攻撃を受けて。



「はっ、まったく。……もっと賢いやつかと思ったのにな。こんな色ボケの馬鹿だったとは、興ざめだ」



苦痛に顔をゆがめながら、それでも立ち上がろうとする彼の両肩を未元物質が押さえつける。



「がっかりだ。……本当に時間を無駄にした気分になった」






ため息を一つ付くと同時に垣根の羽が一枚、煌いた。

空中で刃に変わるそれは余りに早く振り下ろされて。

当麻を切り裂く光景に私は何の反応もすることができなかった。



[28416] 《とある・もしもの世界5》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:48
《とある・もしもの世界5》

第2位の羽は振り下ろされる。



正確に。



正確に当麻の右肩に吸い込まれて。



とん。



そんな軽い音を立てて、彼の右腕は切り落とされた。







乾燥しきった古い新聞紙のようなセピア色の世界だった。
私は当麻の腕が埃まみれの床に転がるのを。
彼の肩からそこだけ鮮やかな赤を示す鮮血が迸るのを、収束していく視野で記憶した。



当麻の、腕が。



当麻の、腕が。



「これで幻想殺しも使えないだろ。さあ、どうするんだ?まだ何かできるのか?」
「うぅ……くッ……」



とうまの、うでが。



「ははは……。じゃあ、愛しの彼女達と仲良くリタイヤしてもらおうか」



そう言いながら、歪んだ顔で笑みを作る垣根帝督が、数mにわたる巨大な翼を緩やかに振り上げる。

6枚の羽は私達3人を押しつぶすために黒い影を落とす。



「では、さようなら」



そして音の速さを超える速度で、未元物質は振り下ろされて。












それは虹色に光る盾に阻まれて、鈍い音を立てて弾かれる。






1540の術式を束ねて編み上げた、私の魔術によって。
吹き上がる殺意を魔力に変えた、魔神の行使する力によって。






大海を満たす魔力。
地表を潤す地脈。
空に溢れるテレズマ。
その全てを、今この瞬間、完全に掌握したことを知った。

目を閉じて語る私の呼びかけに、世界が答える声が聞こえる。
そして私はどこまでも広がる。

地球を超え。
太陽系を超え。
星星の海を越えて。

無限大に広がる私の波動が、再び収束して私に戻る。

そして私は目を開ける。



この目が視界に蠢く汚い害虫を見つける。



「なっ……なんだ、一体?」

慌てて綿埃みたいな小さい羽を振り上げる小虫に、右手を軽く振る。



死ね。



私の意思に従い、この手を伝わるように何百もの魔法陣が空中で折り重なる。
そこから生まれた衝撃波が地響きを立てて、小羽を震わせるそれを地中深くへとめり込ませた。

そして、できた大穴の上に、ふわりと身を浮かせる。
穴の深さは100mはあるか。
その底に醜く横たわる屑に向けて、私は術式を編み上げる。



「……竜王の殺息」



ゴミが跡形もなく蒸発するように、この星を貫かない程度に手加減をした光を降り注ぐ。



消えろ。
細胞の一片も残さずに。



光に削られて、どんどん穴が深くなっていくのが分かる。



まだだ。
まだ足りない。
こんなもので、許すわけにはいかない。



「……追加術式。『神よ、何故私を見捨てたのですか』」



朽ちろ。

果てろ。

潰れろ。

砕けろ。

滅べ。

失え。



見捨てられた者の恨みの面を強化することで本来の意味を歪めた、私だけの術式。
古今東西あらゆる魔術に共通する恨みの力は、血の涙のように地の底に堕ちる。






もう、消し飛んだだろう。
そう思えるぐらい光を浴びせてから術式を解くと、私は肩を押さえて蹲る当麻の元に駆け寄る。

「あ、あんた……魔力を、使っちゃったの?」

美琴の問いに頷きながら、彼の肩を見る。
幻想殺しは、彼の右手はもうない。
だから、きっと私の魔術で回復できるはず。

そう思いながら回復術式をかけるが、なぜかそれは途中でほどけてしまう。

何故だ?
打ち消されるのでもないのに、なぜ術式が失敗するんだ?

焦りながら数百の魔術をかけるも、それらはなぜかシュレッダーにかけられたみたいに途中から裁断されてしまう。

「治せないの?」

その問いに、首を振って彼女に答える。
そして、もう一度、魔力を昇圧させる魔法陣を組みなおして術を行使しようとしたとき。
背後からすさまじいスピードで白い羽が叩き込まれた。






「……ははは。すげえよ。本当にすげえ」

全身の服はボロボロで、至るところから血を流しながら、それでも第2位は嗤う。
私の展開する三日月型の盾に己の刃を阻まれながら、それでもなお彼は嗤い続ける。

「ありがとな。……ふふ……ははは……」

なるほど、恐怖で頭がやられたか。
そう思って目を細める私に、垣根は笑いながら続ける。

「おかげでわかった。わかったぞ。俺の能力、これがどこから来たのか。何を意味しているのか」

言葉とともに背中の羽が爆発的な速度で広がっていく。
工場を瓦礫に変え、数十メートルの大きさに広がったそれは、先程までとは質の違うものになっていることが良くわかった。

「そして、どうやって使いこなせば良いか。……本当に感謝するぞ」



だが、それがどうした?
それしきの進歩で場の力を掌握する魔神に勝てるとでも?






「思い上がるなよ、第2位」

突かれた蜂の巣のように周囲の力が唸りを上げて私に殺到する。

「この世には、お前なんかでは理解できない世界がある」

私の呼びかけに応じて、この可哀想な小鳥を八つ裂きにしようと地が、空が叫ぶ。

「何が感謝だ?……哀れな。お前、自分が一体、誰の前に立っていると思っているんだ?」

集まる力。
それを収束する私という名の重力レンズ。

「私は世界最強の魔術師。……魔法名はdedicatus545」

両手を広げれば、奇しくもそれは2枚の羽。
空に憧れる人類共通の夢を象徴する、5465の術式が織り成す魔術の結晶。

「感謝は、私の言葉だ。感謝するよ、第2位。……お前のその軽い頭をこの手で砕けるからな」



空間をたわませるほどの力。
それにも第2位は動じない。



「まあ、どちらが強いかなんて直ぐに分かる。じゃあ試し斬りとさせてもらおうか」

みしみしと音を立て、そしてその本質を万華鏡のように変化させて。
6枚の翼を広げて、第2位は言う。

「さて。今度は防げるかな?……この未元物質の力を」






そしてそれぞれが飽和する。
限界まで引き絞られた弓矢が交錯しようとした瞬間。






きっと、その場にいる全てが動けなくなった。



[28416] 《とある・もしもの世界6》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/02 20:59
《とある・もしもの世界6》

ぶつかろうとした私と第2位の動きが、ぴたりと止まった。
きっとその場にある全てのものが、一斉に運動を静止したに違いない。
そう思うほどの実感を持って、私の魂を揺さぶる重力子が吹き荒れた。






何かがあった。
そこに、何かが。

AIMでも魔力でもテレズマでも地脈でもない、何かが。
恐るべきものと直感できる何かが。

当麻の右手に。
いや、彼の右手があるべき場所に。



ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾぞザザザザザザザザザザザザザざザザザザザザザザザザザザザざザ。



そんな音を立てているのが見えるかのように、収束していく「力」としか表現できない何か。

その場に居合わせた者を問答無用で萎縮させ、平伏させるような何かが不可視の腕を作っていった。

それを従えつつ当麻はゆらりと立ち上がる。

そして、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。
不可思議な、そして不可解な言葉を。






「……そうか。やっぱり居たのか、『オマエ』」



虚空に向かって。



「ずっと不思議だった。ずっと違うとどこかで思っていた」



微笑を浮かべて。



「だから、絶対に居ると思ってた。幻想殺しに邪魔されてるんだろうって。あの時から、そう何処かで信じていた」



懐かしい旧友に会ったかのように。



「なあ、『オマエ』。……力をくれないか」



再会を喜ぶように。



「俺は、俺を捨てられない。それでも良いなら、その力をくれないか」



硬い握手を結ぶように。



「幻想殺しと引き換えに『オマエ』の力を」






あっという間だった。
何かが弾けて、何かと混ざり合った。
それしかわからなかった。



感じられない衝撃。
目には見えない光。
耳に届かない轟音。



駆け抜けていく何かの波動に思わず身をすくめてしゃがみこんだことに気づいて。
慌てて起き上がれば、当麻の右手はいつの間にかいつも通りに戻っていた。



その手を彼は振り上げると、2、3回開いて閉じる。
そしていつも通り、淡々とした優しい声で私達に告げた。






「もう大丈夫だ。……そいつは俺が片付ける」












一歩、一歩、当麻は進む。



「御坂。よく俺達を守ってくれた。ありがとな。……怖かっただろう?」



跪いたまま呆然と背中を見送る美琴が、その声を聞いてぽろっと涙をこぼす。



「インデックス。ありがとな。そして、ごめん。……お前に力を使わせてしまった」



立ち尽くす私の横を通り過ぎつつかけられる言葉に、思わず視界が歪む。



「……とうま」
「……上条」



乾いた血の道を残す左手を振るその姿に、私の心から凍てつく殺意が、燃え上がる衝動が消えていく。
心をすっぽりと覆っていた薄暗い緞帳のような覆いに亀裂が入る。



本当は泣きたかった。
本当は守って欲しかった。
本当は助けて欲しかった。
本当は魔神になんてなりたくなかった。



そんな私がその下から春の息吹のように芽を出す。



「大丈夫だ。でも、もう大丈夫だ」



知らず膝を突く私の前で、彼は第2位、垣根帝督と再び向かい合った。






もはや30mを超える輝く羽を広げるレベル5。
明らかに数段階飛ばしたレベルまで駆け上がったはずなのに、彼は近づいてくる当麻に、思わず一歩後退する。



「お前、言ったよな?インデックスに、ありがとうって。力を教えてくれて感謝するって」



静かに語りかける口調でも、その中には明確な怒りが満ちているのをインデックスは知る。



「だから、俺も言おう。ありがとう、第2位。俺もお前に感謝するよ。心からな」



彼の右手から発せられていた未知なる莫大な力は既に霧散したように思われる。
でも、魔術の眼で視れば、明らかな変化が見える。



「そのあとお前はこうも言ったな?試し斬りをさせてもらおう、と」



今まで空白だった当麻が、薄ぼんやりだがちゃんと視える。



「だから、礼儀として俺も同じ台詞を返そう」



そして、当麻の右手に何かがある。



「お前で試し斬りをさせてもらうぞ。垣根帝督」



消滅と生成を繰り返す、なにか不可思議な力が。
幻想殺しと互いを食らい尽くそうと絡み合う、漆黒の龍のような存在が。



「……ああ、そうだ。一応あらかじめ謝っておくよ」



取ってつけたようなその言葉は。
余りにも冷たく。
余りにも無感動で。
余りにも単調なものだった。







「そのつもりは無いがな。……もし殺してしまったらごめん」






その言葉が皮切りだった。
垣根は凶暴な猫に突然出くわした雀みたいに、全身の翼を精一杯広げると空へ駆け上がる。
30mほど空へ昇った彼は、広げた翼を畳み込むようにして切っ先を当麻に向ける。



対する当麻の動作は簡単だった。
ただ。
ただ右手をすぅと第2位に向けただけ。



その右手に沿って、殺し合っていた力がもつれ合いながら咆哮をあげる。






そして。












気を失った第2位の頭に美琴が手を当てて、脳波からその記憶を読みに入る。

「……結構負荷が大きいわね。これを平然とこなす一方通行ってやっぱりとんでもないやつね」

その軽口にいつもの元気は無い。

「とうま。探索術式で一方通行を探してみようか?」
「ああ、頼む」

私の口調もきっと遠慮がちに聞こえるのだろう。
当麻の目線がほんの少しだけ動くのがわかった。

「あとでちゃんと説明するよ。今は情報を集めて、必要とあれば直ぐにでも逃げなければいけない」

きっと彼は誤解している、と思った。
私達の作っているこの微妙な距離は、彼の能力が原因じゃないのに。
そう思いつつ、もはや世に公開してしまった魔力を投入した最大精度の探索術式を展開すると、ねずみ色の空をバックスクリーンにして一方通行の場所とその様子が映される。

「よかった。無事みたいだな。ここは第9学区の研究所か」
「うん。皆、無事みたいだね。……床に倒れているのは研究者かな?」
「そうらしいな。あっちも何かあったんだろう。魔術で呼び出せるか?」
「うん」

空中に展開した魔法陣に話しかけると、一方通行とつながった。

「一方通行、聞こえるか?」
『……あァ。すまねェな、びっくりしただろ?』
「何が?」
『……家をみてねェのか?』

聞くところによれば、どうやら彼等は学園都市の暗部に強襲されたらしい。
窓を破って唐突に侵入してきた猟犬部隊を名乗る集団を風斬が感知し、一方通行がすぐさま3人をステルス化して応戦。
眼にも見えず攻撃も反射される一方通行に勝てるわけも無く、彼等はあっさり壊滅したが、そのうちの一人が一方通行の知り合いだったとのことだった。

『いつもみてェに遠距離から攻撃して手足の自由を奪った上で、記憶を読ンだらよ。ANGEL計画についてこいつが知ってたンだ。だから、そのまま研究所まで飛ンで、データを奪ってきたところだ』

だからか。
ステルス化したなら、電話もミサカネットワークも通じないわけだ。

「そうか。実はこちらも第2位に襲撃された。どうやらアレイスターが俺達を本気で潰すつもりらしい。今からGPSコードを送るから、そこに来てくれないか?」
『……そうなのか。3人とも無事なンだな?』
「ああ」
『良かったな。じゃあ、そこに向かう』

術式を終えると、当麻は美琴に解析を一時中断するように依頼し、第2位を右手で担ぎ上げる。
そして500mほど離れた寂れた路地で、私達は一方通行達と落ち合った。



そこで垣根の記憶消去と、ついでに彼の自分だけの現実を破壊しつつ互いの情報を詳細に交換し合った末。
どうする?と集まる私達の視線に当麻は3秒ほど考えて答えた。



「……学園都市を離れよう」






10月25日。
既に秋めいてきたこの頃、早朝の海辺の散歩はとても気持ちが良いと御坂美琴は思う。
清清しい新鮮な空気が通り抜け、漣の調べが静かなリズムを刻む。

「今日も晴れそうだね」
「ああ、秋晴れだな」
「わからないよ、みこと。女心と秋の空っていうじゃない」

さすが50ヶ国語マスター。
そんな諺まで知っているのか。

「そう。……じゃあ、あんたの気持ちは突然変わるってことね?」
「え?それは……いじわる」
「もし変わらないンなら、女じゃねェってことだな」
「一方通行!」

余計な止めを刺す第1位に、インデックスが打ち止めと一緒にチョップを入れる。
まあまあ、と宥める風斬に、デリカシーというものをマスターしているかのような感じで打ち止めが語りだすのを見て、私は思わず微笑む。

「平和ね。……怖いくらい」
「ああ。……でも、大丈夫だ。頑張れば怖いくらいな平和を勝ち取れるさ」

そう言って微笑む上条に、私も自然と笑顔返す。

その和やかな空気を羨んだのか。
空を行くウミネコ達が突然一斉に鳴声を上げる。

「いちゃつくな、ってさ」
「平和で良いね、と俺には聞こえたが」

果たしてどちらが正解なのか、それともどちらも間違いなのか。
白い比翼を見送れば、広がる秋の青い空が見える。






樹形図の設計者が無くても、これなら私にだって天気予測ができる。
その透き通った水色を見て、本日ここ島原は快晴であることを私は確信した。



[28416] 《とある・もしもの世界7》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/02 22:39
《とある・もしもの世界7》

10月25日。
朝食を食べた後は、いつものように天草式十字凄教の面々と上条や打ち止めが実戦形式の訓練を行う。
最初は1対1でも歯が立たなかったのに、最近は上条は4対1、打ち止めも2対1ならこなせるようになってきたと御坂美琴は観察する。

隣では1日で完全に会得した天草式十字凄教の術式について、インデックスが五和に改良点について講義している。



「暇ね……」
「じゃあ、俺と対戦でもしてみるかァ?」
「無茶言わないでよ。あんた強すぎるから無理。風斬とやれば良いんじゃない?」
「いいけどよォ。鹿児島県が無くなるかも知れねェぞ?」

隣で困ったように微笑みながら打ち止めを見守る風斬を見て、一方通行はそう言う。

「オマエの自分だけの現実、ちっと見てやろうか?」
「……お願いしようかな。でも、もうこれ以上最適化はできないと思うわよ」

そういいながら頭を差し出すと、一方通行の手を介して彼とリンクが形成される。

何度見てもとんでもないレベルまで跳ね上がったこと。

『そうでもねェよ。オマエだって似たようなもンだろうが』
『私のは、私一人の力じゃないからさ』
『でも、オマエじゃなきゃ扱えねェ力だ。もっと誇れよ』

いつものように私を励ます彼の思考に対して、私の心が反響する。

『あんたさ、本当に良かったよね』
『何が?』
『あの実験、抜けられて本当に良かったよね』
『……あァ。本当に』

一方通行。
真っ直ぐで、素直で、傷つきやすい少年。
許せない部分は一生消えないと思うけれど、それもひっくるめて私は彼をかけがえの無い仲間と、今なら心から言える。

『……リンクしてるのも良し悪しだなァ。隠し事ができねェよ』
『お互い様でしょ?』

彼の私に対する複雑な想いも、彼の打ち止めに対する複雑な想いも。
そして私の彼に対する複雑な想いも、インデックスに対する複雑な想いも。
全て筒抜けに、彼我の区別無く共有できてしまうこの感覚。

『ね、一方通行』
『何だ?』
『私達、親友って言って良いわよね?』
『……ああ』
『でも……きっと恋人には一生なれないよね』
『そうだなァ。これだけお互いが見えちまうと無理だわな』

そんな思考を分け合いながら眺めれば、生体電流を制御して急加速した打ち止めが、建宮の隙を付いて電撃を打ち込むのが見えた。






上条の提案に従って、学園都市からひとまず退散して天草式の庇護に入った私達。
だが自分達の置かれた状況を考えたら、何もせずに待ち続けるなんてことなんてできなかった。
だから、期限を決めた時間でより高い戦闘力を得るために、ある者は地道に、ある者はトリッキーな方法を模索するのは自然なことだった。



一番トリッキーな方法を取ったのは一方通行だ。
彼は第2位がインデックスの魔術を受けて、自身の能力を飛躍的に高めたことに着目した。
今までの能力開発とは根本的に異なる、魔術のプロセス。
そこに跳躍への鍵があると考え、インデックスに第2位へ叩き込んだ魔術を思考のリンクで共有してもらったのだ。

結果、彼は2度ばかり死に掛けた。

この地にあふれる地脈を使った回復術式が無ければ、恐らく彼は今頃この世にいない。
そんな危ない賭けに対する涙交じりの鉄拳や電撃を反射なしに受け止めつつ、彼は最後には飛びぬけた領域へと到達した。

インデックス曰く、聖人でも纏めきれるかどうかというほどの力。
血まみれになりながら正体不明の黒い翼を生やして、にやっと笑った彼の顔を今でもはっきりと覚えている。



一番驚いたのは打ち止めと風斬だった。
一方通行が手に入れたANGEL計画の詳細。
それは打ち止めにANGELと呼ばれるプログラムを書き込むことでAIM拡散力場の方向を完全にそろえ、それを使って風斬氷華を人工の天使へと変えるためのものだった。

そんな意味不明のプログラム、直ぐに破棄しよう。

解析を行った私と一方通行の意見に、打ち止めは風斬を離れに呼んで1時間位話し合って。
戻ってきた彼女達が今までで一番真面目な顔をして話した言葉は、今も忘れられない。

「ミサカも、役に立ちたいの。守ってもらうだけじゃなくて、守りたいの。……これは妹達の意思でもあるんだよ?」
「私も、役に立ちたいです。皆さんと一緒に戦いたいです」

ふざけるなと顔色を変える一方通行。
だが、彼を真っ直ぐ見ながらアナタを守りたいと言い切った2人の目に溢れていたのは、絶対に曲げないという強い意志だった。

結果、1日がかりで私と一方通行で安全性を確認したプログラムは冷や汗を流す一方通行によって打ち止めに書き込まれ、風斬は天使になった。
本気を見せてみろという一方通行のリクエストに彼女が応え、南アフリカの砂漠で風斬と対戦した一方通行に感想を聞けば、その能力はもはや地上で扱って良い力の範疇を超えているとのことだった。



そんな一方通行ファミリーに比べて、私達のとった方法は地味なものだった。



インデックスはもうこれ以上ないくらい強いが、それでも新しい術式を覚えれば覚えただけ相乗効果で強くなれるらしい。
神裂の大恩人として特別に教えてもらった天草式の秘伝の術式をほぼ半日でマスターし、地脈の力を借りて作り上げた魔力を外に漏らさない防壁の中で2時間ほどでそれらを試して。
一段階強くなったと彼女は言ったが、私にはもはやその差は分からなかった。
その後は自分の中で何千というオリジナルの術式を編んでいるという。
目を閉じて動かなくなるその姿は、なんだか上条の考える姿にそっくりだった。



私はといえば、妹達の力を使ってレベル6になれる実績はあるものの、あの苦痛は正直しんどいし、だれかに回復術式をかけてもらわないと直ぐに死に至る。
自力で戦えなければ結局は皆の足手まといになってしまう。
だが、一方通行の真似をしてインデックスの魔術を取り込もうとしてみたものの、血を吐くまでもなく余りの負荷に到底無理だということがわかった。

じゃあ、どうするか。
しばし考えた私は、そこで自分だけの現実を見直すことで、能力の底上げをすることを思いついた。

今まで私は、いや私以外の全ての能力者はそうだが、「自分」だけの現実を磨くことで能力を開発してきた。
すなわち私だけの思考力と、私だけの演算力。

だが、私には、御坂美琴には1万の妹達がいる。
なにも自分一人で全てをこなす必要なんてないじゃないか。

それに気付いて思考プロセス、演算経路をスタンドアローンから並列演算へと最適化してみたところ、あの時の域にはなれないまでも、贔屓目に見ればレベル6と言っても過言じゃないほどの能力を行使できることが分かった。
今なら飛躍を遂げたあの第2位が相手でも、なんとかなるかもと思えるぐらいまでは。

ちなみにその演算式は妹達全員にミサカネットワークで共有したから、打ち止めも含めて彼女達はレベル5に少し足りない程度までの能力を使えるようになっている。
もちろん、互いに出し合う演算力でのレベルアップだから、同時に全員がその力を得るわけではないけれど。



上条については、第2位との戦いで何を得たのか正直よくわからない。
分かったことは、幻想殺しが弱まった分、彼が電磁波でもかすかに見えるようになったことぐらいだった。

彼の説明では、例の天使を打ち消したときに、幻想殺しが飽和したのか一瞬だけその陰に「何か」が居ることに気付いたらしく、その時から頭の片隅で自分の能力が幻想殺しだけなのか、常に疑問を持っていたとのことだった。
それが、垣根に右腕を切り落とされたときに現出したらしいが、そんなものは誰も見ていないし、彼が言葉を駆使して説明するその存在のイメージを何度聞いても理解することはできなかった。
私はもちろん、インデックスも、一方通行も、本人さえも分からないと言っていたから、きっとその正体については誰にもわからないのだろうと思う。

だが、彼は強くなったことは間違いない。

あの日、進化した未元物質を切り裂いてあっさり垣根を打ち倒した右手。
1対1、全力同士の正面衝突ならこの世の誰にも負けることはないだろうと彼は断言する。
だが。

「やっぱり、これじゃ駄目なんだよ」

自身の最強を言い切った後、歓声を上げる私達に彼は淡々と言った。

「相手が1対1で向かってくるとは限らない。いきなり後ろから攻撃されたら、やっぱり俺は反応できない」

電磁波を視ることもできず、攻撃を反射できるわけでもない彼は、やっぱり右手以外は弱いままだ。
その身体的な反応速度だって聖人とは比べ物にならない。
改善点があるとすれば、幻想殺しが弱まった分、彼自身で魔力やAIMの動きをわずかに察知できるようになったことぐらいだ。

だから、彼はそれを感覚として戦いに生かすために、島原に来てから毎日のように魔術師達と戦っている。

僅かでも強くなれるように。
少しでも私達の足手まといにならないように。
そして、訪れるはずのチャンスに、その奇跡の右手を生かせるように。

今日も、今も、私の目の前で。






「ま、参った」

反応速度、術式の流れに対する先読み。
それらの着実な向上を示すように。

彼が突き出す右手を顔面ぎりぎりで寸止めされて。
牛深が倒された3人を代表して漏らす降参の声に、私は小さく口笛を吹いた。



[28416] 《とある・もしもの世界8》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/02 22:40
《とある・もしもの世界8》

10月25日。
11時15分まで天草式に鍛錬に付き合ってもらったところで、今日のノルマは終わったと彼等は考えたのだろう。
天草式に礼をしてから解散となり、私達は上条と打ち止めがシャワーを浴びるのを待つ。
彼等が上がってくると打ち止めが濡れた頭を風斬に乾かしてもらってる横で、昨日のうちに買っておいた炭やらトングやらを上条と一方通行が納屋から出してくる。

「おまたせーって、ミサカはミサカは綺麗になった姿で満面の笑みを浮かべてみたり」
「おゥ。じゃあ、行くかァ」

今日も律儀に見送ってくれる天草式の皆に手を振ると、私達は一方通行に触れる。
すぐさまステルス化された私達とバーベキューセットは、音速に少し欠ける速度で小浜のキャンプ場へと飛び立った。






いつもはあまり料理などしないのに、こういうときになると興味がない振りをしつつもやけに張り切るのは可愛げと言っても良いだろう、と炭をおこす一方通行を見つつ御坂美琴は思う。
昨日の夜ネットでなにを調べているのだろうと思っていたが、先ほど飛んできたときにリンクしてみれば何のことはない、彼の頭は如何に美味しく肉を焼くかで一杯のようだった。

「おい、適当に炭を入れてンじゃねェよ」
「えー?たくさん入れたほうが火力が増していいじゃん?」
「火が強けりゃ良いってもンじゃねェンだよ。素人が」
「アナタだって今日初めてでしょ?」
「第1位を舐めンなよ?」
「まあまあ、打ち止めちゃん。ここは一方通行さんに任せましょ?」

上条は流石に少し疲れたのか、それとも一方通行の背中をみて任せようと思ったのか。
ターフを張ると、その下に引いたビニールシートに横になって空を見ている。

「とうま。今日もお疲れ様」
「ああ。お前もな」
「うん。もうそろそろ一回実際に使って試してみたいから、明日結界を張ってもらって頑張ろうかな」
「そうか。……向こうの反応はまだないか?」
「無いよ。きっととうまの予想通りかも」

隣に同じように寝転ぶインデックスとの距離がやけに近い気がしたから、私も彼の右隣にお邪魔することにした。
幻想殺しが弱まっているから、一方通行のベクトル操作も上条が受け入れれば何とか通用するし、彼に触れれば生体電流だって少しだけだが視える。
見せて、と言いつつそっと彼のおなか辺りに触れてみれば、かなりの肉体疲労が溜まっていることが分かった。

「大分疲れてるわね。……どう、調子は?」
「頭打ちだな。これ以上のレベルアップは正直難しいと思う」
「そっか。……でも、十分強くなったじゃない?」

インデックスによれば天草式は気配を消し、場に溶け込みながら戦うかなりオリジナリティの高い攻撃型魔術集団らしい。
その猛者を4人同時に相手にできるのだから、以前の彼から考えれば驚異的な向上だ。

「まあな。でも、率直に言えばもう少し何とかなると思っていたんだがな」

きっと3日前の打ち止めとの手合わせで敗北したのが効いているのだろう。
やっぱり能力の壁は高いな、と彼は少しだけ苦い顔をする。

「そんなことないよ、とうま。とうまは最強だもん。私達の誰よりも強いんだから」

彼は私達の中で最強。
そして、同時に最弱でもある。
状況次第でどっちにでも転ぶジョーカーなのだ。

そんなインデックスのフォローに、彼は小さく一つため息をついて時計をちらりと見る。

「ありがとな。……さて、もう12時だ。これで今日の分はお終いだ。じゃあ、肉が炭に変わらないうちにあいつ等を止めるか」

そう言いながら口論に夢中になっている3人に向かって綺麗な姿勢で立ち上がる彼を、私達二人は慌てて追いかけた。






強くなるのは大切だ。
だけど、今を楽しむことも同じくらい大切だ。

今まで貯めておいた恩を放出して、事態に混乱する神裂を説き伏せ秘密裏に紹介してもらった天草式。
その隠れ家の一つに着いたとき、上条はそう言った。
そして、私達もそう思った。
今だからこそ、その通りだと心から思えた。

だから、話し合った末、私達はルールを決めた。
能力を向上させるのも、色々と考えるのも午前中まで。
午後になったら、目一杯今日を楽しむと。

もちろん、どうしたって頭を掠めることはあるけれど、それを顔にも言葉にも出さずに仲間と笑っていれば、いつかは本当に楽しくなる。

そんな決まりに従って、私達は毎日を楽しんだ。
それはもう、これ以上ないくらいに。



キャンプをした。
釣りをした。
水族館に行った。
動物園に行った。
ハングライダーもやった。
ボートを漕いだ。
観覧車に乗った。
グラススキーもした。

インデックスがやりたいといってたスイカ割りをした。
季節はずれで誰も居ない浜で本格的にビーチバレーもやってみた。

一方通行が行ってみたいとぼそっと言ったカラオケで、高音が出ない彼をからかいつつ4時間歌った。

風斬が食べてみたいと言ったたこ焼きを、ちょっと火傷しながら焼いてみた。

打ち止めが作ってみたいと言った伊万里焼を、四苦八苦しながら作ってみた。

私がやってみたいと言ったホットヨガを、6人で汗をかきながら楽しんだ。

上条が、じゃあと言ってリクエストした由布院の温泉めぐりもお揃いの浴衣で満喫した。



楽しい時間。
本当に、これ以上ないくらいの楽しい時間を、いま私達は生きている。
学校をサボって、毎日新しい楽しみを追及しながら生きている。

そしてあの夏季休暇よりも、ずっとずっと幸せな時間。
大好きなアイツと、こんなにも近くに一緒に居られる時間。



今が幸せじゃないなら、私がこれから先に生きる意味なんてきっとない。






夜。
快晴をそのままに、海の上には降るような満天の星空が広がっていた。
打ち止めが疲れて寝てしまったために一方通行達は来なかったから、今は珍しく3人だけ。
3人で砂浜に腰を下ろして寄せては返す波の音に耳を澄ませながら見あげれば、自分が悠久の時を旅しているような錯覚を得る。

「綺麗だな」
「うん……」
「そうね……」

見上げる角度をつけた勢いそのままにインデックスがごろんと寝転べば、私と上条もそれに倣う。

「すごいな。視界一杯が星の海だ」
「アンタさ、星座って詳しい?」
「まあ、常識的なレベルでは。でもインデックスのほうが詳しいだろ?」

確かに。
きっと彼女の眼には、この何万年も前に放たれた赤方偏移する恒星のパルスも、全く違う意味を持って視えているに違いない。

「魔術的な意味があるからね。……でも、今は単純に綺麗だなあ、で良いんじゃないかな」
「……そうだな」

彼女の声質がほんのちょっとだけ硬くなったことに気付いて、彼が僅かに沈黙する。
その沈黙に背中から現実が覆いかぶさって来るのを感じて、私は思わず上条の右手を取る。
今までみたいに、私の能力を完全に押さえることはない右手を。

すこし左で動いた音がするから、きっとインデックスだって同じ事を思い、同じ事をしているに違いなかった。



「あの星は、今はもう無いかもしれないんだよね」

そんな私達の不安を誤魔化すように、インデックスが話し出す。

「ああ。光の速さは有限だからな」
「そうね。100万光年離れた星の今は、100万年後にしか見えない。だから、あの星が今ある保障なんてどこにもないってことよね」

少しだけ沈黙が続いた後、彼女はぽつりと漏らした。

「でもね。私達だって、実はそうなのかもね」
「……え?」

遠い、遠い星々に目を細めながら。

「私達だって、互いのことを知るまでには、分かり合うまでには時間がかかる。そして分かったと思えたときには、既にその人は居ないかもしれない」
「……うん」

そうか。
確かにそうだ。
私達だって相手を知るまでには時間がかかる。
声を聞き、表情を読み、言葉を考えて。
その積み重ねで、ようやく理解といえる状態にたどり着く。
その意味では、真空を旅してようやく地球に至る星の光は、人と人との心の交流ときっと同じだ。

「そして、この星空と同じ。自分の光が届いて欲しい。そう願いながらきっと今日も誰かが誰かを待っているんだよね。遠い、遠い距離を感じながら」
「……そうね。きっとそう。そう思えば、私達は幸せだよね」

こんなにも近くに想い人が居るのだから。
こんなにも近くに自分を想ってくれる人が居るのだから。
幸せだよね。

「そうだね。……幸せだよね」
「そうよ。幸せなのよ」


幸せなんだ。
私は今、確実に幸せなんだ。
絶対に、間違いなく幸せのはずなんだ。



そう何度自分に言い聞かせても。
何十回、何百回と言い続けても。



それでも考えてはいけない思考が今日も巡ってしまう。






直ぐ隣で手をつなぐ彼とだって。

きっと、まだまだ埋められない距離があって。

それを埋めるためには時間が必要なのだ。

時間、が。

どうしようもなく、長い時間が。

その時間があれば。

きっと得られる幸せが、待っているはずなのに。






皆で決めた期限まであと12日。



それで尽きるかもしれない自分の命に。
それで飛散するかもしれない彼の命に。



堪えきれずに零れてしまう涙を、私はこっそり右手で拭い去った。



[28416] 《とある・もしもの世界9》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 08:45
《とある・もしもの世界9》

天草式の隠れ家に帰って明るいところで見てみれば、美琴の目が少しだけ赤くなっているのがわかったから、当麻に見つかる前にとインデックスは彼女を強引にお風呂に誘った。

彼女は最近、妙に明るい。

私、精一杯楽しんでる。
毎日、楽しくて仕方ない。

そう言ってはしゃぐその姿は、きっと不安の裏返しに違いないと私には分かった。

1年間、追われ続けた私だから。
それが如何に心をすり減らすかは誰よりも知っている私だから。

追っ手の影に24時間警戒し続ける彼女の心の軋みは理解できるつもりだし、それを慰めるのも私の役目だと思った。



上条家よりも二周りほど広いバスルーム。
いつもみたいにお互いの頭を洗いあって、背中を流し合って。
湯船に並んで座って、広げた窓の外を見る。
このあたりは人家もそれほど多くないし、天草式の結界が張ってあるから覗きなんてできっこない。
だから大胆に開かれた大き目の窓越しに、やっぱり満天の星空が顔を覗かせた。

「ね、電気消そうか?」

私の提案に頷く彼女。
浴室の電気が落とされると、星明りがくっきりと浮かび上がった。

「こうしてお風呂に入りながら星空を見るのって、なんだか不思議な感じね」
「うん。そう言えば、みことと夜の露天風呂って行けなかったね」

湯疲れで打ち止めが目を回したために、由布院の旅は予定より早く切り上げられてしまったから。
楽しみにしていた夜の部は結局お流れになってしまったのだ。

「あのときは天気もあまり良くなかったからね。こんな素敵なバスタイムにはならなかったと思うわ」
「そうだね。……天草の湯はいかが?」
「ふふふ……最高よ」

ちゃぷん、と水音を立てながら、彼女は少し腰の位置を前にずらして手を頭の後ろに組む。
私も真似して同じ姿勢をとれば、視線がちょうど三日月と向かい合う。

「綺麗な月だね」
「ええ」

月のタロットの象徴は、不安定、幻惑そして現実逃避。
きっと今の私達にぴったりのカードなのだと思った。

「みこと」
「ん?」
「……泣いても良いんだよ?」

同時に月が暗示するのは真実への導きを与える、無名無形の見えざるもの。

「……え?」
「私、良くわかるんだ。きっと誰よりも良くわかる」

では、真実とは?
では、無名無形の見えざるものとは?

「……何が?」
「落ち着かない気持ち。未来が閉塞する感覚。絶望が希望を塗りつぶす冷たさ。……いま、みことを苦しめているものを」

それは一体なんだ?
私が彼女に示さなきゃいけない救いとは?

「そっか。……そっか」
「うん」

そんなの、決まってる。
そんなの、わかってる。
だから。

「うん……う、ん。ごめ、ん。わたし、わたし、さ」
「……うん」
「あんたの、苦しみ、知らな、かったの。こんなに、辛いって、知らな、かった」
「……いいんだよ。いいんだよ、みこと」



お風呂の水かさを50μL増やす彼女の肩に手を回す。
お湯よりも冷たい私の手で、彼女の凍える心が温まるように。

「ごめん、ごめ、ん。……あんた、さ。強い、よね。こんなに、わたし、こんなに、辛い、のに」

しゃくり上げる彼女の肩に、頭を乗せる。
その頭ごと、彼女の左手が私を抱き寄せる。

「みんなが、いるのに。アイツ、もいるのに。みん、なと笑って、それでも、私、こんなに辛いのに。よく、頑張った、よね。あんた、可哀想だったね。本当に、強かった、ね」
「うん。……う、ん」

みこと。
みことだって強いよ。

「わたし、くやしいの。あんたが苦しんでいた、そのときに。何も知らずに、のほほんと生きていた自分が。その時間が。浪費してきた時間が」
「……ありがと。本当に、ありがとね。みこと」

いつだって美琴は強い。
自分の辛さよりも、誰かの辛さを思える貴女は。
誰かの辛さを思って、泣ける貴女は。

「……ありがとね。インデックス。少しすっきりした」
「……なんだか、私が慰められちゃったね」

しばらく二人して泣いて。
そしてやがて照れたように笑いながらそっと離れて。

私は救ったのか、それとも救われたのか。
やっぱりそれは月のように不安定だったけど。
それが美琴との関係だからこれで良いんだと、私はそう思った。












10月8日。
第2位に襲撃されたあの日。
一方通行の情報と、第2位の記憶を統合して当麻が言った言葉に、一方通行が噛み付いたことをインデックスは記憶する。

「学園都市を離れるって……逃げるってことかよ?」
「違う。ちゃんと意味はある」
「……納得いかねェな。オマエ、本当に分かってるンだよな?今の俺達の置かれた状況を」



一方通行と当麻、そして風斬とそれを天使化するためのツールである打ち止め。
この4人をアレイスター=クロウリーは「プラン」なるものに利用するつもりらしい。
それが何であるのかはわからないけれど、どう考えてもまともなものであるわけがないし、そして彼等が利用された結果、無事に済む保証もどこにもない。

一方、監視を行うための滞空回線の邪魔をする存在として、そして、「プラン」進行の妨害因子として、美琴は命を狙われている。
今回は第2位を何とか退けられたものの、これで襲撃が終わる保証はない。
もうレベル5で使える可能性があるのは詳細不明の第6位だけだが、レベル5じゃなくても毒物や周囲を巻き添えにした爆発など、狙う方法なんていくらでもある。

そして私は、ついに自分の魔力を解放してしまった。
歩く教会のごく近傍で発生した膨大な魔力。
探索術式で歩く教会を監視している魔術師達が、これに気付かないはずがない。
直ぐにでもイギリス清教が槍玉に挙げられて帰国命令が出されるか。
そんなステップを踏まずに、学園都市に魔術師達が討伐になだれ込んでくるかといった状態だ。



つまり、私達6人は突然お尋ね者になったのだ。
未曾有の大ピンチに一方通行は眉をしかめながら主張する。

「こンなところでぼやぼやしている場合じゃねェだろ。まずはこンな戯けた計画を立てたアレイスターをぶちのめす。それが先決だろうが」

だが、当麻は首を振って答える。

「確かに、それが最も有効だ。だが、それがうまくいく保証はない」
「なンでだよ?」
「アレイスターはとてつもなく強い魔術師である可能性があるからだ」

20世紀最強最悪の魔術師、アレイスター=クロウリー。
彼と同じ名を冠する学園都市総括理事長が、その魔術師本人である可能性を当麻は主張する。

「もしアレイスターがただの人間なら、簡単に勝負が付く。魔術と科学で窓のないビルを突破して、圧倒的な能力であいつを駆逐する。そして滞空回線を操って、さもあいつが指示を出したかのようにしばらく演技して、俺達に関するプランを廃棄する。ただそれだけで、かたがつく」

だが。
もしもあいつが悪名高い魔術師だったら。
窓のないビルにはきっと魔術と科学の両面の罠が、想像外の霊装や魔法陣があるだろう。
万一自分が魔術師とばれたときに、世界中の魔術集団が襲ってくる可能性に備えて。
だが、それに対してこちらで魔術に対抗できるのはインデックスだけだ。
こいつが負けるレベルの魔術師ならきっと俺達に対抗手段はない。
俺達は蜘蛛の巣に引っかかった蝶みたいに絡め取られて終わりだ。

流れるようにペールに語る声に、一方通行が反論する。

「でも、わかンねェだろ?アイツが魔術師であるかどうかも。仮にそうでも、シスターが負けるかどうかも。そして俺達の力が通用しねェかどうかも」
「ああ。だが、リスクがあるだろう?」
「でもよ。リスクを踏ンでも、何とかしねェといけねェ状況だろうが。このままだと、全員食い潰されるぞ」

その通りだ。
……尤も。

「ああ。それは分かってるさ。だから学園都市を離れよう、と言っている」
「……だから、が繋がらねェ。さっさと説明しろ」

仮にアレイスターを何とかできたとして。
それでも私が追われる状況は変わらないけど。
私が、今すぐにでも皆から離れなきゃいけない状況は、変わらないけど。






決めたはずの覚悟
それが揺らがないよう、しっかり手を握り締める。

当麻を守る。
そして、守りきったら私は去る。

あのとき、2人だけのバスで誓ったことだ。
そのときが来ただけなんだ。

だから、大丈夫。
私は、大丈夫だ。

私の図書館は、一生分の幸せが詰まっているから。

だって、私の想いは叶ったんだから。
当麻は私のことを想ってくれているんだから。
独り占めできなくても、私の想いに気づかなくても、もう十分なんだから。



私は当麻の目を真っ直ぐ見る。
泣きもせず。
誤魔化し笑いもせず。



彼から聞ける、きっと最後になるであろう作戦をちゃんと漏らさずこの耳にと。
詐欺師が贈る、最後のトリックを心の図書館の最後のページへと。



[28416] 《とある・もしもの世界10》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 08:46
《とある・もしもの世界10》

10月8日。
とある路地裏。
足元には記憶も自分だけの現実も破壊された第2位が横たわる。
再起不能の彼には誰一人として目もくれず、その中で当麻の淡々とした言葉が響く。

「魔術師アレイスターの立場だったとして。今、俺達に取られて最も困る行動は何だと思う?」
「……攻められる、じゃねェのか?」

一方通行の問いに、当麻は緩やかに答える。

「アレイスターにとって、どうやら俺達4人は掛け替えのない存在らしい。だから彼にとって一番困るのは、俺達がどこかに行ってしまうことだ」

何せ、俺達無しじゃプランとやらが成り立たないんだ。
そう言って、彼は口角を上げる。

「もし、俺達が突然学園都市から居なくなったとしよう。方々手を尽くしても見つからない状況になったとしよう。そうすれば、アレイスターは絶対に焦るはずだ。なんとしてでも見つけようと監視の目を光らせつつ、イライラと報告を待つはずだ」

それはそうだ。
当麻達は学園都市の中じゃなければ生きていけないわけではない。
打ち止めの調整だって妹達同様ほとんど終わっているから、メンテナンスに縛られることももう無いのだ。
寧ろ、自分達を付け狙う学園都市から逃げようとしない方がおかしい。

「そして、苛立ちが高まった頃に、俺達の消息が突然探知網に引っかかったとする。偶然としか思えない状況でな。そしたら、アレイスターはどうすると思う?」
「きっと、何としてでもここで捕まえようとするわね」
「ああ。でも、俺達は通常の暗部組織で捕まえられるようなメンバーではないだろう?レベル5も使えたとしてあと1人。科学兵器を組み合わせたって、イギリス清教に協力を依頼したって、第1位と第3位、そして魔神を相手に勝てるわけが無い」

……ああ、そういうことか。
この思考。
この発想。
これを見れるのもあと僅かだと思うと、寂しくて堪らない。

「だとすれば。もう対抗できるのが自分くらいしかいないと思えば。アレイスター自身が出てくるしかないだろう?しかも突然なんだ。満足いく準備もなしに、罠かも知れないと思いつつも俺達の虎の穴に入って来ざるを得ない。……こちらのほうが、リスクは少ないと思わないか?」
「……なるほどなァ」
「そうね。あいつを巣から引っ張り出すのには、その手しかないかもね」

私達の同意を得たのを確認しつつ、当麻は続ける。

「だがな、あんまり長期間行方不明になるのも得策じゃないと思うんだ。長すぎると、学園都市やイギリス清教の力で見つけられないことに痺れを切らしたアレイスターは、何かの罪状をでっち上げて俺達を国際指名手配でもしかねない」

そうなったら、アレイスターを倒せても俺達の社会復帰が難しくなる。
まあ、情報なんて後でどうにでもなることだから気にしないという手もあるがな。
そう言いながら、彼は言う。

「だから、期限を決めよう。とはいっても俺達はアレイスターの性格を全く知らないからな。……まずは1ヶ月でどうだろう?」
「1ヶ月、ね。根拠は?」
「ほとんど無い。敢えて言えば、それだけあれば色々と状況も落ち着くだろうし、1ヶ月あればこのよくわからない力を使いこなすことができるかもしれない、という位の弱い根拠だ」

ちょっとだけ溜息をつきつつ、彼は自分の右手を見ながら言う。

「私達の両親や友人が人質に取られる可能性は?」
「人質というのは、目的とする者と連絡を取れる状況じゃないと取っても意味が無い。なにせ消息を絶つんだ。連絡が全く取れない相手に、どうやって人質を取ったことを伝える?伝えられないならそんなことする意味は無いだろう?」

すらすらと答えて、彼は締めくくる。

「1ヶ月消息を絶つ。その後、学園都市の探索網にギリギリ引っかかる情報をリークしてアレイスターをおびき寄せる。もしそれであいつが出てこないなら、次は3ヶ月、それでも駄目なら、さらに期間を延ばす」

自分達の価値にアレイスターが重きを置いているという点を突く作戦。
決着がつくまでの期間が不確定だから、気長な勝負になるかもしれない。
逃げ続ける、隠れ続けるというのは精神的に負荷が大きいことも理解している。
それでもこれが、手札の中では最も勝率が高い戦略だと思うんだ。

「仕方ねェな。……じゃあ、1ヶ月間放浪の旅って事かァ」
「いや、そうはならないと思う」
「あァ?」
「心当たりがあるからな。隠れることに長けていて、しかも細かい説明無しに俺達を受け入れてくれるところについて」

……なるほど。
早速、生かすつもりなのか。

「天草式にお願いするのね」
「ああ。神裂には色々と聞かなきゃいけないことがあるからな。そのついでにお願いすれば、きっと大丈夫だろう」
「……アイツ等、貸しが無くても笑顔で受け入れてくれそうなくらいお人好しっぽかったもンな」

やっぱり当麻はすごい。
いつも通り、当麻の作戦で決着がつきそうだ。
これならきっと勝てる。
万全な体勢を整える私達の罠で、アレイスターを討てる。

よかった。
最後に彼の煌きを見れて、本当に良かった。

そう思って。
すっきり覚悟が決まった気がして。
当麻に微笑みかける私。
だが、そこで疑問が生じる。



あれ?
この作戦、私も戦力で組み込まれてるよね?
なのに、1ヶ月とか3ヶ月とか。
……ということは。



そんな私に笑みを返しつつ、当麻はあくまで同じペースで話を続ける。






「じゃあ、インデックス。始めようか」
「え?……何を?」
「決まってるだろう?」



そう言って、やはり彼は笑う。
魔術でも科学でも、自分自身でも解析不能の力を得た詐欺師は、いつもと同じように私に微笑みかける。



「お前が魔神だって事を誤魔化すんだよ」



え……?






とある公園。
人払いで6人きりになり、いつもの不自然な静けさが広がる。
そしてその片隅にある、今までずっとお世話になってきた地脈。
魔神になったからにはもう使うこともないはずだったのに、と私は不思議な気持ちで当麻を見上げる。

「じゃあ、準備は良いか?」
「うん」

皆に見守られる中、記憶に従って特定のパターンの魔力を練り上げ、それを一気に解放する。
それと同時に、当麻が私の指示する箇所に右手で触れる。
30分前から探索術式を一部制限する魔法陣をかけられた、私の霊装に。
私を今まで守ってきた、閉じ込めてきた歩く教会に。



パキン。



少しだけ負荷に耐えたものの、やはり弱まっても幻想殺しは伊達じゃないのか。
法王級の霊装にひびが入り、一方通行が持ってきてくれたワンピースのピンクが見え出す。

「そこでやめて」
「ああ」

分解のタイミングを見極め、幻想殺しを止めてもらう。
それと同時に私は魔力を打ち消し、一方通行によって6人がステルス化する。

ぱさり、と地に舞う歩く教会の欠片。
それを光子でも電子でも見えない手で拾い上げて確認すれば、ちゃんと目的は果たされたことが分かる。

「上手くいったか?」
「うん」

頷きつつ、幻想殺しのためにリンクできない彼からは私が見えないことに気付いて声で答える。

いままで、ありがとう。

そっと呟きつつ、僅かに力を残すその破片を定位置において近づいた魔術師を監視するための魔法陣を完成させると、私達は天草へ向けて移動を開始する。

見る見るうちに高度が上がり、学園都市が小さくなっていく。
その中で一際目立った輝きを見せる窓の無いビルを見て、一方通行が舌打ちするのが聞こえる。

「これで、誤魔化せるかな?」
「今頃大混乱が起こってるだろうからな。きっと大丈夫だ」






美琴の問いに、やはり当麻は淡々と答えた。



[28416] 《とある・もしもの世界11》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 15:43
《とある・もしもの世界11》

魔神であることを誤魔化す。
そんな大それたこと、できるわけ無いと思っていた。
だが、妙な力に目覚めたとしてもやっぱり当麻が詐欺師であることに変わりは無くて。
そして魔術なんてほとんど知らないくせに、私よりも魔術師の心理を良く把握していた。

「インデックスが魔神になったかどうかは、まだ確認されていない。魔術師達の目の前でお前が魔力を振るったわけじゃないからな。あくまで歩く教会の直ぐ近くで莫大な魔力を観察された。ただそれだけだ」

そうだよな、と確認する当麻に私は頷く。

「一番素直な解釈は、お前が魔力を行使したとすることだ。だが、少なくとも今すぐにその結論に決着することは無い」

……え?

「なぜなら、お前に実は魔力があるということはイギリス清教の、恐らくは本当に一握りしか知らない最高機密だからだ」
「そうだけど……」
「そして、お前には魔力がない。その言葉を信じて、それを何度も確かめた上で世界中の魔術師達は幼いお前に魔道書を見せてくれたはずだ。お前に魔力があると僅かでも思ったら、魔神になることに協力するわけなんてないんだから」

どういう理由を語ってイギリス清教が魔道書図書館を作ることを他の魔術集団に認めさせたのかは不明だが。
インデックスが脅威になることは絶対無い。
駆け引きはあったにせよ、その点が確信できたから世界はイギリス清教に協力したんだ。

「だから。他の魔術集団は直ぐにはお前を魔神とは思わない。その可能性があるかもしれない、ぐらいのレベルで今はとどまっているはずだ。もちろん、イギリス清教だって問い合わせをされてもそんなことは絶対に認めない。実はインデックスには魔力がありましたなんて認めたら、世界中を裏切って魔神を作った罪でイギリス清教が滅ぼされるからな」

私はイギリス清教に直ぐに帰国命令を出されると思っていたよ。
そう言うと、彼は少しだけ口角を上げて答える。

「そんなことは絶対にできない。逆にイギリス清教はお前にしばらくは手出しができないんだ。慌ててお前を回収しようとしたら、周りにそれがどのように見られるかなんて明白だから」
「そうか。……そうだね」
「……でもさ、世界中の魔術師から疑われていたら、すぐにばれるんじゃない?」

恐る恐る、と言う感じで美琴が聞く。
その質問の答えは間違いなくYesだ。
私は早急に何処かに呼び出され、魔力を詳細に探索する術式にかけられるはず。
そうすれば、魔神であることは隠すことができない。

「そうだな。このままだと間違いなくばれるだろうな」
「……このままだと?」
「ああ。このままだと、だ」

どういうことだ?
ばれずに済む方法が、あるということ?
私の顔に浮かんだ疑問に、彼は私達にしか見せない、いつもの悪い笑顔を溢す。

「だから、誤魔化すんだ。より大きな嘘で」






20世紀最強最悪の魔術師、アレイスター=クロウリー。
公式に死んだことにはなっているが、そんなことは発表したイギリス清教だって信じてはいない。
私の記憶の中にだって、いつ何時彼が再来しても分かるように、アレイスターの魔力パターンは刻み込まれている。
彼に問われて以前に答えたのとほぼ同様の回答をすれば、それを当麻が引き継ぐ。

「聞いたとおり、ぽっと出の魔神インデックスに比べて、魔術師アレイスターは段違いの悪評を持つ世界中の魔術師の敵らしい。だから、そいつに現れてもらう」
「……は?」
「オマエ、窓の無いビルから引きずり出す作戦を立てたばっかりだろうが。そンなことができるンなら苦労はねェよ」

当然の反応に、彼は笑って答える。

「ああ。でも、別に良いんだよ。ご本尊に光臨していただかなくても」
「……ひょっとして、私に?」
「その通り。お前ならできるだろう?」
「う、うん」

魔術師達は魔力を測ることで相手の存在を見る。
インデックスが日常的にやっているように、そして探索術式をかけるように。
だから、別にその存在が無くても良いんだ。
その者だと思えるほどそっくりな魔力さえあれば。
そして彼は、こう続ける。

「筋書きとしてはこうなるだろう。イギリス清教のインデックスの歩く教会。この付近に本日多量の魔力を感知した。だが、その前後に魔力に近い力や正体不明の力、つまり第2位と俺だ、も発生しており詳細は不明。真偽を問い合わせるも、イギリス清教は禁書目録の魔力を否定」
「……うん」
「そして、より詳細な監視を行おうと遠見の術式を展開したところ、それが突然何者かに妨害され映像での確認が不可能となる。術式のエラーを疑い、再試行しているうちに、その近傍に突如として魔術師アレイスター=クロウリーの魔力を確認。それと同時に、歩く教会が破壊される」
「破壊?」
「ああ。破壊だ。魔術師達は歩く教会で探索しているんだろう?だったらそれがこの状況で壊されれば、普通はどう考えると思う?」
「……私が、アレイスターに殺された、と思う」

口が震えるのを感じた。

「そうなれば、大混乱は必至だ。アレイスターが現れただけでパニックなのに、そいつに禁書目録が殺された可能性が高いとなれば。世界中の魔術師はアレイスターにどう対処するかで精一杯。少なくともしばらくは殺されたであろうお前のことなんて頭から消えるはずだ」

ひょっとして。

「そのあと、そうだな。天草式の隠れ家に向かう途中で一度大きく迂回して、何処か人気が無いところで、もう一度アレイスターの魔力を再現しよう。そうすれば魔術師達は先に観察した魔力はエラーじゃないことが確信できるし、彼が別の場所に現れたなら学園都市が魔術師達に狙われることも無い」

これで、誤魔化せる?
誤魔化せるの?

「正直に言えばイギリス清教は難しいかもしれない。だが、それ以外は大丈夫だと思うぞ」

今、この場を去らなくても。
まだ皆と一緒にいてもいいの?

「ああ。お前をターゲットに世界中が攻めてくるなんてことは起こらない。だから、大丈夫だ」

本当に?

「ああ」

本当?

「もちろん」











新潟県上空。
とある山林の中でアレイスターの魔力を放出した後、再び空の旅に戻った私達。
当麻のために皆で声を出しながら会話をしているが、そう言えば一人リンクできない彼からすれば、目に見えない何かに空中を高速で引っ張られているようなもののはずだ。
しかも光学迷彩をかけられた上に視覚情報が無いから完全なる暗闇のはず。
それでも平然とした声を出せるあたりが、実に彼らしい。

「とうま、怖くない?」
「ああ。大丈夫だ。一方通行を信じているからな」
「……大丈夫だ。落としたりはしねェよ」

そう強がっているが、当麻の体に迷彩をかけるのはかなりの負荷らしい。
美琴の演算補助を受けてなお、音速を破ると発生する衝撃波を打ち消すほどの演算力も余っていないらしく、一方通行にしてはゆっくりとした空の旅となるのも仕方ないことだった。

「このくらいの速度だと、景色が見れて良いわね」
「……人を飛行機か何かと勘違いしてねェか?」
「そんなこと無いよって、ってミサカはミサカはファーストクラスの乗り心地と見晴らしに満足しつつアナタを宥めてみたり」
「オマエ、もはや完全にフライト気分だろうが」

そんなのどかな言葉の応酬。
いつも通りの時間が流れている。

……覚悟、決めたのにな。
一人になるって、決めたはずなのに。
少しだけ、先延ばしになっちゃった。



でも、あくまで少しだけなんだ。
魔神インデックスが、魔術師アレイスターを倒す、その時まで。
その時は、やっぱり私は消えなきゃいけないから。






『オマエ、馬鹿なこと考えてンじゃねェぞ。偽善者を泣かせるな』



思考を共有する一方通行がこっそりと話しかけてくる。
覗き見するなんて、反則だ。



『一方通行の言う通りよ。もしあんたが居なくなったとしてもさ。これだけ親しくしていた私達が、あんたを探しだすための足がかりとして狙われないわけ無いんだからね』



美琴まで痛いところを突いてくる。
痛すぎて。
思わず皆とずっと居続けたいと思ってしまうくらい、それは痛すぎて。



『貴女が居なくなるなんて絶対にいやだって、ミサカはミサカは断固反対』



そんなこと、言わないで。



『まだ約束のパフェを一緒に食べに行ってないんですよ。一緒に計画したハイキングだってまだ行ってないです。皆でやらなきゃいけないことが溢れるくらい残ってるんですよ?』



言わないで。



「……何を内緒話してるんだ?」






突然黙り込んだ私達を不審に思ったのだろう、何も視えず、何も聞こえない当麻が疑問の声を上げた。

「なんでも、ないよ」

思わずその言葉に答えて。
そして自分の声の弱さに驚いた。

「……ああ、なるほど。そういうことか」

私の声に、そして他の誰もが返答に窮している様子に。
彼は状況を把握すると、私に優しく話しかける。



「なあ、インデックス。俺を信じられないか?」

「……そんなことないよ」

「確かに、俺は弱い。第2位との戦いだって、何とかすると言っておきながらあの様だった。……お前が不安になるのも無理は無いと思うよ」

「そんなことない。私、とうまを信じてるもん」



だって、貴方は盾になってくれたじゃないか。
何度倒されても、それでも盾に。
だって、貴方は救ってくれたじゃないか。
魔力に溺れて暴走した、そんな私を。
そして、貴方は作ってくれたじゃないか。
独りにならなきゃいけないはずの私に、予期せぬおまけの時間を。



「ありがとな。……じゃあ、お願いだ、インデックス」



視えないはずなのに、彼は真っ直ぐに私の目を見る。
でも、私だってきっと同じことができる。
何度もその目を見て、
何度もその声を聞いてきたのだから。
だから、声を聞けば、姿が見えなくたって彼の目を見つけられる。



「約束する。アレイスターを倒した後も、絶対にお前が独りにならないようにする」



言わないで。



「例えこの世界全てを騙したとしても、お前を絶対に守って見せる」



言わないで。



……嘘。



お願い、言って。



もっと。



「だから、独りになろうとするな」



もっと。



「消えようとするな」



もっと。



「もう、どこにも行くな」



もっと。



「俺は、お前に傍にいて欲しいんだ。禁書目録じゃない、魔神でもない。インデックス、お前にずっと傍にいて欲しいんだよ」






「ここから先は、地獄かもしれないよ?」



彼に私の涙は視えないけれど、それでもきっと声で伝わったはず。
でも良いんだ。
こんなときには女の子の目に涙が無いと、カッコがつかないじゃないか。



「貴方の想像を超えた、本当の地獄かもしれないよ?」



だから。
あのときの台詞を。
私の図書館の冒頭にある、大切な言葉を。
もう一度、誰よりも大切な貴方に問う。



「……私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?」






「地獄なんて無いさ」



微笑む当麻は、あの時とは違う言葉を紡ぐ。



「有るよ。地獄は、きっとある」



じゃあ。
そう言って、すぅと彼は左手を差し出す。

あの時と同じように。
いつもと同じように。

私が踏み外さないように、転ばないようにずっと守ってくれたその手がある。



「ならば、お前を騙してやるよ」



その手を握る、透明な私の手。
もう、駄目だ。
もう、無理だ。



「例えそこが地獄だったしても。天国だって信じられるように、ちゃんとお前を騙してやるよ」



もう、離れられないからね。



もう、離さないからね。






大好きだよ。



……とうま。



[28416] 《とある・もしもの世界12》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 15:44
《とある・もしもの世界12》

10月30日。
想定される最初の決戦日まであと7日となったので、今日は戦略のアウトラインを考えよう。
そう言う当麻の提案に従い、天草式の離れで私達は作戦会議を開いたとインデックスは記憶する。
緊張した面持ちで円を作る私達に彼が示した案はおおよそこんな感じだった。

2日前に身元を隠して美琴と当麻が両親にメールをする。
内容としては追われていること、でもちゃんと学園都市の外で元気に生きていること、そして近いうちに学園都市に一度帰るかも知れないことを盛り込む。
そして当日の11時、全員で上条家にステルス化して向かい、仕掛けられているはずの監視系ツールを美琴が壊すと同時にステルスと探索術式封じの魔法陣を解いて自宅に入室。
そのあと以前美琴と一方通行が更地に変えた学園都市のはずれまで全員でステルス無しで飛んで行き、付近の回線からアレイスターの情報を探るため美琴がセキュリティが高めのサーバーにハッキングする。
時間は1時間。
それで何の反応も無ければ、探索術式封じの魔法陣を再構築した上でステルス化し、速やかに去る。

「なンか、不自然な点が多々見えるンだが」

とりあえず最後まで聞いてから、一方通行や美琴、そして私から出される異口同音の指摘に、当麻は淡々と答える。

「まず、この作戦が不自然極まりないのは指摘の通りだ。敢えて自分の情報を晒しているのが明白だからな」

そう言いながら、彼は肩をすくめる。

「例えば監視系ツールに気付いたなら、それを壊すこと自体が情報であることに気付かないわけはない。光学迷彩をかけられるのに、敢えて自分の姿を衛星に晒して飛ぶ必要は無い。探索術式を封じられるのに、ジャミングを解除する根拠は不明だ」

だから。

「きっとアレイスターは気付く。両親へのメールをトリガーに監視の目を強くして、俺達が自宅に入ったことをキーに監視カメラの情報やイギリス清教の探索術式で俺達の位置を特定した後、ああ、これは罠なんだときっと思い至る。でも、それで良いんだよ」
「それを承知で襲ってくるはずだから、ね」
「ああ。この作戦は、アレイスターに位置を特定される前に、学園都市の外れに到着できるかどうかが成否を分ける。マンションとか都市の中心部で戦闘になるのは避けたいし、なにより移動中に攻撃されるのは不利だからな」

もっともあの日の11時なら、学生しか住んでいないマンションには誰も居ないだろうし、学校を避けるように飛べば戦闘になっても被害はほとんど出ないと思う。
麦野にはこの前渡して置いた通信用術式で事前に知らせるから、スキルアウトが巻き込まれることも無いだろう。
そう言う当麻に、美琴は頷く。

「そうね。だから敢えてあの日にしたんだもんね」

11月7日は半年に一度行われる詳細なシステムスキャンの日。
よほど重大な理由が無い限り不参加は認められないし、参加しないと最悪レベル0と認定されてしまうこともある。

「俺達、レベル0にされちまうかもなァ」

一方通行の呟きに、当麻が答える。

「お前達2人にとって、レベル0なんて初めてだろう?」
「まァな。オマエはレベル1からだったンだっけ?」
「ええ。あんたは?」
「俺か、俺はどうだったかなァ。覚えてねェな」
「何それ。自分で振っておいて」
「過去は忘れるタイプだからなァ、俺は」

にやっと笑う一方通行に、美琴と打ち止めが食ってかかる。
話し合いも終わったから、もうこの場の重い空気を壊そうとする彼の心遣いに感謝しつつも。
リアリティを帯びてきた決戦の日に、私はそっと溜息をついた。






だが、現実は思い描いた通りには進まなかった。






今日は雲仙温泉付近に乗馬をしに行こう。
一度雨のために中止になってしまったから、今日はリベンジだ。
作戦会議の後、今日は早々にオフにしようということで決定され、買い揃えたおそろいの服に着替えようとしたときに、当麻が持つ通信用術式に連絡が入った。

「どうした?」
『……大変なことになりました。知らせておいたほうが良いかと思って連絡を差し上げたのですが』

何事?と集まる6人の中央に置かれたカードから、潜めるような神裂の声が聞こえてくる。

「何があったんだ?」
『ローマ正教が、本気で学園都市を攻めるようです』

使徒十字の件で世界から孤立したローマ正教。
一触即発のバランスを必死になって保とうとしていたはずなのに、どうしてこのタイミングでそんなことに?


「何故?」

当麻が小刻みに動く目をしながら問う。

『使徒十字を使ってローマ正教を陥れたのは、先に学園都市に現れた魔術師アレイスター=クロウリーである。そのようにローマ正教は断定し、世界中の魔術集団に彼を討伐することを宣言したのです』
「なるほど。つまり、ローマ正教の敵はアレイスターと言うことなんだな?学園都市そのものではなく」
『正確にはそうです。しかし、ローマ正教は学園都市総括理事長が魔術師アレイスターであるとも認識しておりますので、学園都市が攻撃されるのは免れないかと』

当麻が4秒ほど沈黙する。

「お前はさっき、ローマ正教がアレイスターを討つと宣言した、と言っていたよな。それに他の魔術集団は追随しないのか?」
『……ええ。アレイスターは非常に凶悪な魔術師ですし、ローマ正教と他の組織にはもはや同盟を結べるほどの信頼関係は有りませんから』
「そう言うことか。では、ローマ正教の魔術師が学園都市に押し寄せるのを、他の組織が見守るという構図なんだな?」

世界中の魔術師公認の下、学園都市にローマ正教の魔術師が侵攻してくる。
あの、ローマ正教だ。
学園都市が阿鼻叫喚の地獄絵図になることは容易に想像がついた。

『ええ。ですが、押し寄せるということにはならないようです』
「聖人を使うのか?」
『いいえ。……これが、他の組織が追随しないもう一つの理由でもあるのですが』

ローマ正教。
2000年の歴史を持つ世界最強を名乗る攻撃型魔術集団。
彼等が持つ霊装には、使徒十字以上のものもある。
きっと私の知らない霊装だって、私の知らない魔術だってあるはずだ。
他の組織が見に回る、その攻撃。
それは一体?

『神の右席、と呼ばれる魔術師が居ます。ローマ正教の中でも非常に特殊なメンバー。その数は4人』
「神の右席?それは、何だ?」

神の右席?
本気か?
ローマ正教は、そこまでするのか?

……私達だ。
ここまで追い込んだのは、攻め込む口実を与えたのは。
全て私達なんだ。

『彼等は、世界を動かすために存在する魔術師。その本質は人間を希釈し、天使へと近づけた者と理解されています』
「すまん、付いていけなかった。もっと分かりやすく言うと?」
『要は人の限界を超えた神・天使クラスの魔術を行使することが可能な魔術師ということです。聖人なら分かりませんが、一般の魔術師ではその攻撃すら理解できず、全く相手にならない程の強さを誇るでしょう』

当麻がまた思考する。

「つまり、ローマ正教はアレイスターを倒すために、最終兵器である神の右席の4人を投入する。その4人は他の魔術集団から見ても途轍もない力を持つ魔術師、ということだな?」
『ええ』
「ありがとう。で、それはいつだ?攻めると宣言したんだから、当然その通告もあったんだろう?」
『……3日後。11月2日と通達がありました』

そうか。
そう言って彼が礼を言うと、通信用魔術が終了する。



学園都市が、神の右席に攻められる。
学園都市が、伝説級の魔術師同士の戦場となる。
抵抗する学園都市の能力者が惨殺されて。
学園都市が焼け野原になる。



急展開する事態に、そしてそれらが全て自分達が引き起こした事態であることに蒼白になる私達。



だが、その中で1人、当麻は微笑みながら言う。






「どうやら、運が向いてきたようだぞ?」



[28416] 《とある・もしもの世界13》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 15:45
《とある・もしもの世界13》

言っている意味が分からなかった。
何を根拠にその笑顔がでてくるのか、全く分からなかった。

「アンタ……本当に分かってるわよね?学園都市が戦場になるかも知れないのよ?」
「ああ。多分、そうなるだろうな」

平然と答える彼。

「私達のせいなのよ?私達が、戦禍を招くのよ?」
「まあ、落ち着け。御坂」
「落ち着けるわけ無いでしょ?……どうするのよ?」

わかった。
ちゃんと説明するから。
そういいながら、当麻は立ち尽くす私達に座るように言う。
震えながらギクシャクと座り込む私達に、いつものように単調で穏やかな口調で語りだす。

「まず。俺達だけのことを考えるなら、今回の件は正に僥倖だ。俺達で何とかしようと思っていたアレイスター=クロウリー。こいつを神の右席が討ち取ろうとしてくれるんだ。彼が魔術師であってもなくても、神の右席が上手く倒してくれればそれで良し」

逆に、もしも失敗したとしてもだ。

「失敗すると言うことは、世界中の魔術師が見ている前でアレイスターが神の右席を破るほどの魔術を使うことだ。あいつはその存在を世界中に公開したことと同義だから、一斉に世界中から追い回されることになる。だから、どの道学園都市の理事長なんて暢気にしていられるはずは無い。当然、プランとやらも頓挫だ」

それは良いよな?
確認する言葉に、私達は頷く。

「だから、俺達のとる道は3つある。1つは放置だ。知らん振りして、ここでゆっくり温泉にでも入ってアレイスターが転がり落ちるのを静かに待つという道」
「そ、そんな……」

口々に反論しようとするのを当麻は手で制する。

「分かってる。こんな方法、取れないって思うんだろう。でもな、正直に言うぞ。俺は今回ばかりは神裂の情報を恨んでる。なぜなら。……もしも知らなければ、俺達がリスクを踏む前に、全てが片付いていたかもしれないんだから」

俺は、狭く小さい人間だ。
だから、お前達を守るので精一杯だ。
この6人が無事に済めば良い。
それ以上は最初から望もうとなんて思っていないんだよ。
暗く、落ち込んだ表情を見せながら、彼はそう呟く。

「アンタ……」
「……いや、分かる。分かってるンだ。俺だってそう思うけどよ」

皆、そう思ってるんだ。
私だってそうだ。
命の重さは等しいと言うけれど、あれは主体が無い言葉だ。
私にとって、当麻にとって、それぞれにとって。
命の重さは決して等しくなんて無い。
見知らぬ誰かと、仲間や家族の命が同じ重さのわけが無い。

でも。

「でも、もう駄目だよな。俺達が招いたこの事態、流石に知ってしまった以上は見逃すわけには行かない。……だから、1つ目の道と対極の道がある」

当麻の目の問いかけに、私達3人が答える。

「……神の右席を私達で倒すってことね」
「確かに、真逆の道だわな。……英雄みてェだ」
「そうだね。……でも、倒せるかな?」

私の問いかけに、当麻は小さく溜息をつく。

「さあな。神の右席なんてその存在を聞いたばかりだし、聞いても意味がほとんど分からなかった。インデックスが分からないなら、彼等と俺達のどちらに軍配が上がるかは、もう分からない」

ただ、1つだけ確実に言えることがある。
それは。

「俺達と神の右席が衝突した場合、最も得をするのは言うまでもない、アレイスターだ。俺達が勝てたとしても、せっかく島原でこっそり身に付けた急激な能力の向上がばれてしまう。神の右席だって強いだろうから、無傷で倒せるとも思えない。……結果、負ければそれまで。そして勝てても極めて不利な条件でアレイスターと戦うことになるだろう」

……言われるまでもない。
最悪、アレイスターと神の右席の挟み撃ちになる。
未知の超高レベルの魔術師5人を相手に、生き残れるかどうかは不確定だ。

朝に立てた作戦は破綻。
予期される3日後の絶望的な戦い。
それを見せ付けられて、沈み込む私達。












そこに、小さく笑い声が聞こえてくる。






驚いて見れば、口角を上げて忍び笑いをかみ殺す男が居る。
楽しそうに。
嬉しそうに。
肩を震わせて小さく笑う、男が居る。












当麻が、笑っている。






「ふふふ……ごめんな。ちょっと脅しすぎた。すまん。……ふふふ……」



幸せそうな顔をして。
今までで初めて見るくらい、彼の中で笑いが盛り上がっていることが良くわかる。



「……とうま?」
「アンタ、どうしちゃったの?」



呆然と。
ただ呆然と見守る私達の前で。
一頻り笑った後、彼はふぅ、と1つ深呼吸をして答える。






「大丈夫だ。この条件なら、きっと上手くいく」
「……え?」






「心配するな……もう、俺達の勝ちだよ」












11月2日、10時42分。
神の右席の4人は学園都市に降り立つ。

前方のヴェント。
後方のアックア。
左方のテッラ。
右方のフィアンマ。

世界中の魔術師が監視する中、天使の名を冠する彼等は学園都市第七学区へ向けて侵攻を開始する。

だが、彼等は直ぐに異変に気付く。



何故、抵抗が無いのだ?
そもそも、どうして人っ子一人居ないんだ?



自分達が魔術師アレイスター=クロウリーを討ち取りに来ることはきっと学園都市にも漏れているはずだ。
だから、絶対に激しい抵抗があると思っていた。
学園都市の最新科学兵器は、自分達が知るものよりも30年は先を行くと言う。
そして学園都市では、魔術の劣化コピーみたいな能力者を開発していると聞く。
もちろん、それらで自分達に傷一つ付けられるとも思ってはいなかったが、抵抗が無いどころか人の気配すらないとなると、なんだか薄気味悪い気持ちが湧いてくる。



まあ、良いじゃないか。
面倒が無くてよい。



誰かが言う。
世界中の注目が集まっているのだ。
しかも魔術師だけではない。
どこからリークしたのか、世界中のマスメディアまでがこの状況を見守っているらしい。
異教徒とはいえ大々的に一方的な虐殺をするわけにはいかないのだ。



さて、見えてきたぞ。



嫌な雰囲気を吹き消すように、別の誰かが言う。
目標。
窓の無いビル。
奇妙な反射を見せて鈍く輝く建物に、4人の魔術師は近づいていく。






そして、彼等の前に空間から染み出るように現れる、1人の魔術師。


衝撃の杖を従える、伝説級の魔術師。
アレイスター=クロウリー。






両者は何かの言葉を交わし。






そして、瞬時にテレズマが、魔力が爆発的に膨張する。






そして交錯する5つの力。



[28416] 《とある・もしもの世界14》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 15:46
《とある・もしもの世界14》

それが長かったのか、短かったのかは判断するのが難しい。



周囲のビルが何十棟も砕けて、その何倍もの建物の窓ガラスが破片になって宙を舞う。

炎が吹き荒れ、氷が降り注ぎ、光が溢れ、雷が吼える。

何千と言う術式が行き交い、何万と言う魔法陣が空中に描かれ。

世界中からあらゆる力を吸い上げては、互いにそれを消滅させる。

人を捨てて天使の力を名乗る者と、魔術を捨てて科学に走った伝説の魔術師。

両者の戦いは、永遠のような、一瞬のような平衡を保ち、そしてそれが崩れる。

傾いた天秤はその角度を加速度的に増していき、終に勝敗が決する。



血にまみれた勝者が、動かなくなった敗者を見て嗤う。



そして、その嗤いは直ぐに失われる。






上空10kmから強襲する、6人の異能を操る者達によって。



勝者は一瞬にして、敗者へと転落する。












アレイスター=クロウリーと、神の右席の4人。
その余りに圧倒的な戦いを固唾を呑んで見ていた世界中の魔術師達は、その戦いの勝者を突如として屠った5人の能力者と1人の魔神を前に呆気に取られたに違いないとインデックスは思う。



クレーターのように建物がなぎ倒された第七学区。
その中心で倒れる5人は、まだ辛うじて息があった。



魔力の根源と記憶を私と一方通行が破壊した後、回復術式によって最低限生きていられる程度まで怪我を治しつつ、私は探索術式を逆探知して世界中の魔術師にメッセージを送る。



学園都市でのこれ以上の横暴は許さない。



一方通行の、美琴の、氷華の、打ち止めの、そして当麻がもつ、魔術では語れない圧倒的な力のクオリアを付けて送りつけられたメッセージは、強烈なインパクトを世界に与えたに違いない。



引き潮のように速やかに撤退していく学園都市外の魔術師達。
彼等が完全に手を引いたことを確認した後、窓の無いビルに侵入して学園都市の最深部の情報を制圧したところで、私達は溢れるような、叫ぶような歓声を上げて互いに抱きしめあった。












10月30日。
勝利宣言をした当麻を私達は言葉無く見つめていた。
このどう考えても追い詰められた状況で、どうして勝ちを言い切れるのか。
考えても考えても至ることができない。

「……駄目だ。わかンねェよ。どうしてだ?何で、この状況で笑えるンだよ?」

1分ほど続いた沈黙を破って、一方通行が頭を掻きながらギブアップした。

「説明しろ。焦らすンじゃねェよ」
「まあ、そうあせるなよ」

当麻は余程上機嫌なのだろう。
鼻歌が聞こえてきそうな、いつかの笑い顔を見せながら歌うように彼は言う。

「まず、俺達の勝利条件を確認しよう。どういう結末なら、俺達は勝ったといえる?」
「そりゃァ、学園都市を神の右席から守りつつ、アレイスターを倒せれば良いンだろ?」
「そう。この際、建物の被害は良いよな。学園都市で生活する、アレイスターなんて無関係に生きている善良な市民、彼等の命を守るというのが1つの条件。そしてアレイスターを倒す、これがもう1つの条件だ」

私たちが首肯するのを待って、彼は続ける。

「現状、11月2日にローマ正教の神の右席が攻めてくるのはどうしようもない。そして彼等と何某かの戦闘が学園都市で起こるのも不可避だ。じゃあ、どうすれば学園都市の市民を守れる?」
「……神の右席が戦闘を行う前に排除する?」
「それも解だな。だが、あと2つあるぞ?」

あと2つ?

「まず1つ目は神の右席が積極的に市民を殺さないように抑止することだ」
「……え?だって、ローマ正教だよ?異教徒を殺すことを躊躇わない集団を相手に、そんなの無理じゃない」
「そう思うだろ?」

良くぞ聞いてくれました。
そんな表情を作りながら、当麻は答える。

「それがな。できるんだよ。今ならな」
「今なら?」
「ああ。今なら」



「ローマ正教は現在孤立無援。最悪の魔術師を討伐するのに誰も協力してくれないぐらい、他の魔術集団の警戒心は強い。当たり前だよな、使徒十字を使ってあからさまな侵略を行ってきたんだから」

侵略の発案者は、まるで他人事みたいに流暢に説明する。

「そんな追い詰められた彼等が、ようやく見つけ出した活路。それが魔術師アレイスター=クロウリーだ。そうだ。こいつのせいにしよう。全部こいつが仕組んだことにして、抹殺してしまえ。そうすれば自分達への疑いも晴れるとローマ正教は思ったに違いない」
「……うん」
「だがな、そんなに簡単に世界はローマ正教を信用しなかったんだ。神裂の言葉、聞いていただろう?11月2日に討伐する、とローマ正教から通達があったと。……通達なんてかっこいい言葉を使ってるがな。実際はそんなに強気なものじゃない」

どういうこと?とすっかり聞き役になった私達が合いの手を入れる。

「考えてみろ。何で討伐する日程をあらかじめ連絡するんだ?情報が漏れて逃げられるリスクや応戦の準備をされるリスクを積み上げる必要性なんて本当は無いんだ。にもかかわらず、こんな情報を流した理由は、1つしかない」
「……学園都市を侵略するンじゃねェってことを示すためか?」
「ああ。自分達に侵略の意図は無い。疑うならどうぞ監視してください。……哀れだろ?そこまで周囲に気を使わないと、彼等はもう動けないんだよ」

だから。

「ローマ正教は、今回の作戦で学園都市の市民を積極的に害することはできない。異教徒だから殺しましたなんてことを、疑いの目で監視している異教徒達の前でできるわけが無いだろ?」
「……そうね。言う通りだわ」
「じゃあ、その監視を強めてやろうじゃないか。11月1日の午後にでも、学園都市で戦争が起こるって世界中のマスメディアに情報を流そう。そうすれば、ますます彼等は残虐行為に出るわけにはいかなくなる」

そう言うと、彼は一息つく。
既に追いつけなくなりつつある打ち止めに、噛み砕いた説明をするのを聞きながら、私はもう1つの方法を考える。

……ああ、そうか。
きっとこれだ。



「とうま。もう1つの方法って、市民を避難させることでしょ?」
「そう。根本的な解決だよな。その場に市民が居なければ、巻き添えになることも無い」
「でも、どうやってその状況を作るの?市民に退避命令なんて無理じゃない。サーバーに入り込んで命令を出したって、全員を完全に退避させるのは無理よ?」

美琴の尤もな問いに、当麻は滑らかに答える。

「確かに言う通りだ。市民に避難しろって命じるのは不可能だよな」
「じゃあ、どうするの?」
「発想を変えるんだ。逃げてください、と言うんじゃない。逃げなきゃいけないと思わせるんだ」
「……?」
「例えばな。樹形図の設計者がこう予測したとする。11月1日の午前9時に発生した正体不明の能力により、11月2日の午前6時から午後9時の間に、学園都市の第七学区を中心に学園都市全域に小型の隕石が多数飛来することが分かった。数が多すぎて、これらを全て打ち落とすことは不可能、とか」

……詐欺師。
こういう嘘を何で思いつけるんだ?

「そんなことを言われれば、誰も第七学区に近寄るはずが無い。それどころか皆、シェルター機能があるような地下街に避難するだろ?……神の右席はきっと驚くぞ。何でこんなに人が居ないんだって」



「アンチスキルが神の右席に攻撃したらどうするンだ?攻撃したら殺されちまうぞ」

一方通行の問いも想定内だったのだろう、当麻は笑顔で答える。

「アレイスターはひょっとしたらアンチスキルに神の右席の排除を命じるかもしれない。だがな、アレイスターは第2位を通じて、致命的な情報を俺達に漏らしたんだ」
「何だ?」
「あいつの命令や情報収集は滞空回線を使って行われる。学園都市中に5000万機ほど散布されている70nmのシリコン塊。アレイスターが学園都市の隅々まで掌握できるんだから、恐ろしい通信網だよな」
「……あァ」
「だが、それは御坂の能力でかき乱されるんだ。意図して乱そうとしなくても、自然と漏れる電磁波でな。……じゃあ、意図的に電磁波を放出したらどうなる?」
「そりゃあ、情報を分断できるンだろうが……でもコイツ1人で学園都市全域に干渉するような電磁波を作っちまったら、それを浴びた近くの市民が参っちまう」

一方通行の言うとおりだ。
美琴なら滞空回線の分断はきっとできる。
でも、それをやると、きっと少なくない市民が巻き添えになる。

しかし、その言葉を聞いて、やっぱり当麻は口角を上げる。

「……俺は1人なんて言ってないぞ?」
「あァ?」
「忘れてるだろ?俺達には心強い味方が居ることを」
「……まさか」

私達3人はほぼ同時に思い至ったらしい。
シンクロするように発する疑問の声に、彼は静かに答える。



「ああ。……妹達にお願いすれば良いんだよ」






修正されたアレイスター討伐作戦の概略はこうだった。

まず、11月1日に協力してくれる妹達を200人程度募って、一方通行が世界中から学園都市にこっそり送り込む。
次に、一方通行と一緒に学園都市に侵入した美琴が妹達の演算を利用して樹形図の設計者に侵入、天災の予測情報をその日の夕方に出させる。
最後に全世界のマスメディアに11月2日のネタを拡散させる。
明くる11月2日、朝6時に学園都市内に満遍なく散ってもらった妹達が、他の妹達の演算補助を受けてレベル5-にブースト、監視カメラや衛星の死角から一斉に電磁波を発して滞空回線を遮断。
同時に一般回線からサーバーにハッキングし、隕石落下に伴う避難活動に当たるように全アンチスキル、ジャッジメントに通達する。

そのあと私達6人は、もぬけの殻になった学園都市に、突如として情報を遮断されて混乱するアレイスターを倒すために神の右席がやってくるのを上空で待つ。
目も耳も潰されたアレイスターが、近づいてくる魔術師に対抗するために出てくるのを。
対峙した彼等が死力を尽くして戦い、あわよくば勝者も十分なダメージを受けてくれることを祈りながら。

そして、勝負がついたら。
勝ったのがどちらであったとしても、それを全力で鎮圧する。
その後、自分達の能力を誇示しながら、魔術師を恫喝する。
学園都市に二度と手を出す気を起こさないように。






そして詐欺師の掌の上を転がるように。
ほぼ全てが用意した台本に沿うかのように滞りなく進行し、学園都市からアレイスター=クロウリーと神の右席は排除された。






11月2日。
勝利に盛り上がる私達は、一方通行がスポンサーとなって大型のレストランを貸切り、妹達と一緒に結構豪華な夕食を食べて。
また誘ってくださいと言う彼女達に手を振りながら、一方通行ファミリーとともにステルス化されて各地に飛んでいく妹達を最後まで見送って。
そして、約1ヶ月ぶりに、我が家に帰ってきた。

当然のように部屋中に仕掛けられた監視カメラの類を美琴が残らず壊して。
ついでに魔術的なトラップが無いかどうかも詳細に検討した後、手早く掃除をして。
引き続いて合鍵で一方通行宅に入って同じように片付けをしていると、一方通行たちが帰ってくる。

「お疲れ」
「おゥ。……やっぱりオマエが居ねェと飛ぶのが早くて良いわ」
「そりゃ悪かったな」
「……あァ?掃除してくれたのか?」
「感謝しなさいね。監視カメラ、108個もあったわよ。正に煩悩ね」
「そりゃすげェ。ありがとな」

そういいつつ、缶コーヒーを冷蔵庫から取り出すと、一方通行はどかっとソファーに座る。

「やっぱ、疲れたなァ」
「そうだね。頑張ったもんね」
「何が疲れたって、コイツに何時間も迷彩かけ続けるのがマジでしンどかった。あの戦いにケリを付けるのはオマケみたいなもンだな」
「オマケは言い過ぎでしょ」

そう言いながら、私達は笑う。
一頻り笑った後。
ちょっと良いか、と言って当麻が居住まいを正した。



「今日は皆、本当にお疲れ様だった。皆のお陰で、ベストの結果を得られたと思う。……俺の考えを信じてくれて本当にありがとな」
「何よ、改まって」
「どうしたの、とうま?」

口々に出す疑問の声にも、彼の顔つきは変わらない。

「本当は、今日言うべきかどうか、迷ったんだ。だが、アレイスターを打ち破ったこの感触があるうちに、話すべきだと思った」
「……何を?」

その声は表情と同じく真剣そのものだった。
いつの間にか彼が纏う刃みたいな雰囲気に、思わず私達もちゃんと彼に体を向ける。

「これは、提案だ。そして、俺自身、正直言ってここまでしなくても良いかもしれないと、迷っているところもある」
「何だよ。前置きは良いから早く言え」

一方通行に急かされて、当麻はゆっくりと口を開いた。






「なあ。俺と一緒に世界を騙さないか?」



[28416] 《とある・もしもの世界15》
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/03 14:20
《とある・もしもの世界15》

9月14日。
学会発表のためにケンブリッジに行った帰り。
学園都市行きの飛行機を待っている最中も、多くの人から握手やサインを求められたと御坂美琴は思う。
自分でも意外だったが、元来こういうのは苦手ではなかったのか。
いつものようににこやかに対応したあと、出国口の外で手を振ってくれる彼等に軽く笑みをみせたあと、私は超音速機に乗り込む。

座席に座って、一つ溜息を落とすと同時に気付く。
あ、そうだ。
打ち止めに頼まれていたお土産、買うの忘れてた。

あーあ、と小さく言いながら背もたれに寄りかかる。

でも、打ち止めも悪いんだよね。
頼むタイミングが悪い。
なにも、出動中に言わなくても良いのに。

胸辺りまで伸びる髪の毛先を確認しつつも、恨みがましい目をするであろう妹の顔がありありと予測されて、私はもう一度溜息をついた。






時差ボケで若干苦しいが、こういうときはちゃんと夜まで起きていたほうが良いことは経験的に知っている。
だから、学園都市に着陸したあと、一旦荷物を家に置いて大学に行こうと御坂美琴は思った。

先日引っ越したばかりの、一軒家。
まだ慣れないドアを開くと、今まさに外出しようとした白い影に出くわす。

「あれ?大学は?」
「おゥ、おかえり。それが加速器がおかしくなっちまってよ。実験が中止になったから帰ってきたンだわ」
「ただいま。そりゃ大変ね。どこ?」
「E-34-1と3らしい」
「また?劣化が早すぎない?」
「風斬の解析では素材の問題なンだとよ。あの高温下で安定する素子が開発されるまでは、このくらいのスパンで使い捨てるしかねェらしい」

やれやれ。
じゃあ、しばらく一方通行はやることが無いということか。

「でも良かったじゃない。これで心置きなく大覇星祭、打ち止めや風斬と一緒に楽しめるでしょ?」
「……別に壊れてくれなくてもよ、スケジュールは空けてあったンだが」
「……知ってるわ」

よっと重たいキャリーをもって部屋に向かおうとすると、すっと彼の手が伸びる。

「貸せよ」
「……ありがと」

ベクトル操作で私の部屋まで荷物を届けてくれる第1位の後ろ姿に、例のお土産をこっそり買ってきてもらうようお願いすると、彼は振り返っていつものように呆れた顔をした。






イギリスに行くついでに送ってやるという一方通行の言葉に甘えて、大学までベクトル操作で一緒に飛んで行く。
時計台の前にある通称中庭に降りたつと一瞬周囲の目が集まるが、それが私達だとわかるとその視線は散っていった。

「ありがとね。じゃあ、よろしくね。気をつけて」
「あァ」

そう言いながら空中に掻き消える一方通行に手を振ると、私は工学部のある5号館に向かう。
研究室に入り、教授に学会の報告をしたり、報告書をまとめたり、同じラボの学生とイギリスの料理について喋ったりしているうちにあっという間に時間は過ぎて。

窓の外を見れば少しだけ日が落ちてきたようだったから、ふと思いついて屋上に出てみる。

第2位の能力を研究機器に干渉しないようにしながら開放する。
空気の流れを電磁で制御して、自分の体をふわりと浮かせる。
700mほど昇れば、学園都市の外壁の外側に建設中の街が見える。

大分できてきたじゃない。

事あるごとに呼び出される同居人が不満気に言う数々の不備は、少なくともこの距離では見えない。



1年後には完成する予定の街を見て、私はこの4年を感慨深く振り返った。






4年前のあの日。
アレイスター=クロウリーを失脚させたあの日。
勝利に浮かれる私達の中で、上条だけは既に先のことを考えていたことを知った。

発想自体なら、もっと光るものが過去にあった。
やり方だってエレガントとはとても言えなかった。

それでも私は、それまで聞いた彼の話の中で一番驚いたのだ。

彼にとっては、アレイスター=クロウリーを倒すことすら、1つの過程に過ぎなかったという事実に。






「なあ。俺と一緒に世界を騙さないか?」

彼が纏う真摯な雰囲気が無ければ、本気の表情が無ければきっと冗談だと思ったに違いない。

「……どう言うことだ?」

沈黙を破って問う一方通行に、彼は答える。

「今日、俺達はアレイスター=クロウリーを破った。そして神の右席も再起不能にした。ローマ正教を始め、魔術師達がインデックスのメッセージに対して退却して行ったから、俺達の能力を世界中の魔術師が驚異的に強いと思ったのは間違いない」
「……そうね」
「そして、俺達はこの学園都市の全情報を制圧した。言い換えれば、この街が俺達を害することは最早無い」
「あァ」



だからな。
恐らく、このままでも大丈夫だと思うんだ。

学園都市は今まで通り魔術集団を排除する。
そしてそのガードの中で俺達は生活する。

インデックスだってもう連れ戻されることは無い。
事前に事情を話した神裂は既に離脱して、大幅に戦力が落ちたイギリス清教。
これから世界中の魔術師から、制御不能の魔神を作った罪で集中砲火を受けるから、お前を連れ戻す余裕なんてあるわけない。
そもそもそんな行動に出たら、魔神を独り占めすると見られてイギリスが物理的に無くなりかねないのだから。

だから、きっとこのままでも大丈夫だと思うんだ。

でも。



「俺達は世界中に力を見せ付けた。驚異的な力を。震え上がるような力を。だから、俺達は現状だとやっぱり潜在的に追われているんだ。この力を狙う誰かから、常にな」
「……」

そして、と言いながら、少しだけ上条は言いよどむ。
少しだけ躊躇ったあと、彼は言葉を続ける。

「……そして、打ち止めと風斬、だ」
「……ミサカ達?」
「お前達は、その、特殊な事情で生まれているだろう?もちろん俺達からすれば家族同然でそんなことは全く関係ないが。……これだけ有名人になってしまったんだ。お前達を存在しか知らない者達は、これからきっとお前達に後ろ指を指すと思う」
「……」

表情が曇る2人に、ごめん、と言いながら彼は続ける。

「もちろん、一番不安定なのはインデックスだ。魔術のトップであるこいつが、学園都市に自分の意思で居る。これは現状でもぐらぐらしている魔術と科学のバランスを大きく乱すだろう」



「……さっきから黙って聞いてればよ、分かりきったことをくどくど言ってンじゃねェよ!」

一方通行が、バンと缶コーヒーを机にたたきつけると上条の胸倉をつかみ上げた。

「オマエ、何がしてェンだよ。あァ?俺達の不安を煽って何がしてェンだよ?……そンなもン、……そンなもン」

やがて、昂ぶる気持ちは行き場をなくしたのか。
静かに見つめる上条の前で、一方通行の手は力を失い、その頭と同じようにガクンと落ちた。

「言ったって……どうにもならねェだろうが」

項垂れる一方通行に、上条が頭を下げる。

「ごめんな、一方通行。本当に、ごめん。……皆もごめんな」

そう言いながら、上条は私達にも頭を下げる。



そして、静かに、淡々と。
でも、その裏に強い意志を込めて彼は話し出した。






「以前、結標淡希の陰謀を砕いたときに、俺が話したことを覚えているか?……ああ、そう言えばあのときは打ち止めと風斬が居なかったな」

頷く二人に、彼はあのときと同じ言葉を続ける。

「魔術は宗教と一体で、神の奇跡を実現するのが魔術だ。でも、科学は、学園都市の超能力は、神の奇跡すら数式で説明してしまう。魔術集団にとって、学園都市は自分達の存在を、背景とする宗教を侵食する恐ろしい存在なんだ」

だから。

「このままでは魔術と科学はいずれ戦争になる。そして、この根本にあるのはただ一つ、科学と魔術の進歩のスピードの差だ」



魔術は宗教を背景にしているからか、極端な秘密主義だ。
それぞれの組織のポテンシャルはあるのに他組織との交流は殆どないし、魔術自体を公表していないから人も集まりにくい。

それに対して、科学は、学園都市は真逆だ。
オープンにされた情報。
互いの能力者の才能を共有するデータベース。
異能を操れる能力者の存在を公開しているから、能力に憧れて毎年のように大勢の人が集まってくる。

学園都市の歴史は高々数十年。
それなのに、集積される能力と知識によって凄まじいスピードでその力は増している。
近い将来、世界中の魔術集団を相手にしても勝ててしまうようになるのは想像に難くない。
その、追いつき、追い越されるという魔術側の危機感が世界を不安定にしているんだ。



「だから、この根本的な争いの原因を正す方法はただ一つ。世界に魔術の存在を認めさせること。そして学園都市の進化に対抗できるような、宗派に関係なく魔術を研鑽しあえるシステムを魔術集団に作らせることしかない」
「でも……それは難しいと思う。魔術は、それで2000年以上通してきたんだから」

インデックスの指摘に、上条は頷く。

「ああ。分かってるよ。きっと余程のことが無いと魔術集団は変われないんだろうってことは」

だからさ。
そう前置いて、彼は宣言する。






「余程のことを起こそう。魔術の存在を認めなきゃいけないような、そんな状況を作ろう」



「……え?」



[28416] 《とある・もしもの世界16》 (終)
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:47a4ff70
Date: 2011/07/08 23:48
《とある・もしもの世界16》

4年前の11月2日。
上条は語った。
彼のトリックを。
世界を欺く、彼の理を。






「俺達は飛びぬけた力を持っていることを、遠からず世界中が知るだろう。このままだと俺達は世界から迫害される。そこでだ。人間の根本心理を利用する」
「根本心理?」
「人間はな、未知なる物を本能的に恐れる。それが分からないというだけで、敵と判断する癖があるんだ」
「……そうね」

最初に風斬に会ったとき、それは良くわかった。

「同時に、人間というのは、共通の敵ができると同胞意識が芽生えるんだ。敵の敵は味方、とはよく言ったものだな」

そこで打ち止めの理解が不十分であることに気付いたのだろう、彼は言葉を言い換える。

「打ち止め。お前が好きな、正義のヒーローの話に例えようか。遠い星からやってきた、人類を超絶する力を持つ巨大化するヒーローだ。いいか?」
「うん」
「彼は地球を守るため、同じくらい大きくてやはり人間ではどうしようもない力を持つ怪獣と戦う。懸命に戦う彼に、人類も及ばずながら最新兵器で手助けをするよな?」

頷く打ち止めの脳裏には、きっと日曜日にやっている特撮物の光景が浮かんでいるに違いない。

「じゃあ、打ち止め。例えばお前がその世界に居たとして。その巨人を不気味だと思うか?」
「……え?そんなこと思うわけ無いよ」
「そうだよな。じゃあ、話を変えよう」

そう言って、彼は一呼吸置く。

「別の世界。やはり巨人が地球にやってくる。しかし違うのは怪獣が居ないことだ。彼が人類では勝ち目のない力を持っているのは分かる。別に彼が人類を攻撃するわけじゃない。でもなぜ彼が地球に来たのか。言葉が通じないから人類には分からない。世界を滅ぼす力を持つ巨人は、今日もひっそりたたずんでいる。さて、打ち止め。今度はどうだ?」
「……ちょっと怖いかも」
「だよな。……でも彼は全く変わらないんだぞ?それなのにどうしてそう思うんだろう?」
「えっと……怪獣が居ないから?」

ああ、そうだな。
上条は答えて。

「凄い力を持っているだけじゃ、ただの怖い人になってしまうんだ。凄い力にふさわしい敵が居ないと正義の味方には成れないんだ。逆に言えば、ぶっちぎりの力を持っていても敵さえいれば、ああ、味方なんだって皆笑ってくれるんだ」

その言葉に納得した笑みをみせる打ち止めを見つつ、一方通行が問う。

「俺達をヒーローにしたいと言うのはわかった。……で、敵は?魔術師じゃねえンだろ?まさか、自作自演をするのかよ?」
「まさか。人類の敵は既にいるだろう?」
「……あァ?」
「毎日、新聞で、テレビで出てくるだろう?」

言われて考えても、分からない。
私だけじゃない。
一方通行も、インデックスも。
風斬も、打ち止めも分からないようだ。

「教えてよ。アンタはそれを何だと言うの?」

私の問いに彼は淡々と答えた。






世界には、不幸が溢れている。

貧困。
戦争。
天災。
事故。
病気。

今日も何処かで誰かが苦しみ、理不尽に死んでいく。
これは正に人類の敵だ。
人類が撲滅しなきゃいけない、倒さなきゃいけない敵なんだ。

「だから、今日から俺達は正義の味方を演じよう。これらの不幸を相手取り、科学と魔術で立ち向かう正義の味方を」

例えば何処かで大地震が起きたとすれば。
直ぐに飛んで行って、可能な限り科学と魔術で人を救おう。

例えば何処かで戦争が起きたなら。
直ぐに飛んで行って、可能な限り科学と魔術でそれを止めよう。

「演じる、ってどういうこと?それって正義の味方じゃない?」

私が上げる疑問。
それはヒーローだ。
私が思い描いていた、成りたくてしょうがなかったヒーローそのものじゃないか。

だが、彼は首を振って答える。

「違うんだよ、御坂。俺達は正義の味方になるために、誰かを救うんだ。なにより俺達は自分の生活を犠牲にしようなんて思わない。俺達が24時間監視すれば未然に防げるかもしれない惨事も、見逃すのを承知で生きていくんだ。……これは偽善だろう?」

そうか?
それは、本当に偽善か?
それは、やっぱりヒーローなんじゃないのか?

「そして、この行動にはもう一つ裏の目的がある。……これは神裂に教えてもらったことだ」
「……裏の目的?」
「例えば、魔術集団が居る地域の近くで大災害が起こったとする。それを俺達は救いに行く。インデックスが魔神の力を振るい、次々と被災者が救われる。でも頑張ったって広い国土全てにわたって助けることなんて、できるわけは無い」

そして、その様子を見て魔術集団はどう思うか。

「目の前で他所の魔術師が必死に自国民を救おうとしている。助けた人からの心からの感謝を受けて、ヒーローとして輝いている。一方、自分達はどうだ?魔術を公表できない、その縛りがあるから助ける力があるのに、助けられない。救われぬものに、救いの手を差し伸べられないんだ。それはとても苦しく、悔しいことだろう?」
「うん。……そうだね」
「やがて、俺達の活動は世界に公認され出す。魔術集団がインデックスの使う力を魔術と認めなかったとしても、俺達はこれを魔術と言い続ける。「魔術」という力で人が救われる事実が、世界の既知となる。するとどうなるか」

いずれ、誰かの我慢が効かなくなる。
自分達だって、胸を張って救いたいって思う魔術師が、絶対に出てくる。

そう、思わないか、と聞く彼に、引き込まれるように彼の話を聞いていた私達は思わず頷く。

「そして、一旦現れてくれれば雪崩と同じだ。俺も、私もと世界のあちこちで賛同してくれる魔術師が出てくる。同時に魔術の存在が明るみに出てくる。公認され出せば、魔術は各国にとって戦術的な意味も持つからな。遠からず自国の魔術師はこれだけ居ますよ、と各国の政府は互いを牽制するように声を上げ始めるはずだ」

既定事実であるかのように。
既に決定された未来を語るかのように、インデックスに向かって上条は続ける。

「あとは簡単だ。魔術の頂点に居るのがインデックスだってことは世界中が知ってるんだ。お前主導で魔術都市を作れば良いんだ」






ほら。
できるだろう?






俺達全員を、味方として受け入れてくれる世界が。



レベル5と周囲の間にある壁が崩れた世界が。



魔神が皆と笑いながら生きていける世界が。



クローンだってAIMから生まれたって、それがどうしたって言ってくれる世界が。



魔術と科学が共存できる、そんな世界が。






そんな、もしもの世界が、俺達の手で。











9月14日。
完成する予定の魔術都市を見つめながら、4年前の彼の言葉を、御坂美琴は思い出す。

あの日彼が描いた、もしもの世界。

その言葉は現実となった。



もちろん、楽な道では決してなかった。



得体の知れない力を持つものとして、ずっと怯えたような、疑いを含む視線を浴び続けてきた。
魔術師だけじゃない、助けに行ったはずの人達にだって何度も殺されかけた。
数え切れないくらいの悲惨な死を目の当たりにした。
限界まで疲れて、大切な仲間と家族と喧嘩したことだって数え切れないくらいある。
両親に、友人に、後輩に泣きながら反対されて心が引き裂かれる思いをしたことだってある。
こんな事していて、本当に上手くいくのかって泣きながら上条に問い詰めたことすら。
毎日のようにマスメディアから侮辱としか思えないような報道をされたことだって。



そして、世界は頑として魔術の存在を認めなかった。
科学あるいは学園都市の能力だと、何度魔術という言葉を出しても否定された。



でも、私達は成し遂げた。
救って、救って、それでも救って。
そして、気付けばいつの間にか世界は味方になっていた。



どこに行っても、私達は感謝の対象になった。
現地の魔術師達が、私達の指示を仰ぐようになった。
数え切れないくらいの人を救った。
歯を食いしばりながら、互いの背中を任せて救い続ける仲間との絆が深まった。
両親が、友人が、後輩が誇りを持って私達を語るのを聞いた。
この道を選んでよかったって、何度も上条に泣きながら感謝した。
毎日のように、何処かで私達のことは英雄として報道された。



そして、終に世界は魔術を認めたのだ。






あの日、私が描いた世界が、ここにある。
今、私の目の前に。



……唯1つの例外を除いて。











少しだけ眠気を感じて早々に帰宅すれば、ジャージ姿の打ち止めがランニングから帰ってきたところだった。
最近彼女は大覇星祭に向けて走りこみをしている。
そこに4年前の私を見た気がして、なんだか不思議な気分になった。

「よ、お帰り」
「お姉様?あれ、大学行ってたの?」

私が何時も大学に持って行く鞄が目に留まったのだろう、彼女が少し驚いた声を出す。

「まあね。ちょっと眠いけど、一応」
「そうなんだ。……で、お土産は買ってきてくれたよね?」
「う、うん。大丈夫よ、忘れるわけ無いじゃない」

電磁の目で視れば、一方通行が帰ってきていることが分かる。
テーブルの上にちょうどのそのサイズの箱があるのが視えるから、ちゃんと買って来てくれたのだろう。

「ちゃんと、リビングのテーブルの上に置いてあるわよ」
「そっか、良かった。ありがとう」

そう言いながら、家に入ると、全員分の靴がある。
今日は早いな。
そう思いながらリビングのドアを開けて、テーブルの上を確認して。

「ちょっと、あんた。これじゃないでしょうが?」
「もう売り切れてて無かったンだよ。同じようなもンだろうが?」
「……お姉様。どういうこと?」

じとーっとした目をする打ち止めに、ごめん、と手を前に合わせて素直に謝る。

「謝るくらいなら、最初から誤魔化そうとするンじゃねェよ」
「この状況じゃ、最早誤魔化しようがないでしょうが」

そんな感じでいつもの口論をしていると、2階から階段を下りてくる音。



「おかえり、みこと。学会どうだった?」
「まあまあね。5つくらいオーラルで面白いのがあったけど、どちらかって言うと人脈作りがメインだったわ」
「そっか。お疲れ様」

4年間で大分背も伸びて、そしてとても美しくなった私の家族と3日振りに会話をする。

「魔術都市、今日見たわよ?結構できてきたわね」
「まだまだだよ。各宗派の意見が対立してて、まとめるのが大変なの」
「そう言うのは、得意なヤツに任せれば良いンじゃねェか?」
「一応、私がメインにならないといけないからね。少なくとも表面上は」

そんな話題のアイツは、どうやら部屋に居るらしい。
3日振りに愛しの私が帰ってきたのに冷たいこと。

全く。
本当に困ったものだ。












何でも綺麗に解決する。
何でも解決したかのように思い込ませる。
そんな世界最強の嘘つきで詐欺師の上条当麻。



今まで4年間、彼は私が望んだこと全てを、最終的にはちゃんと叶えてくれた。
私の望む世界を、私が望んだ以上の形で実現してくれたのだ。
卒業したら皆で一緒に住みたいという願いすら、ちゃんと応えてくれた。



唯一つ。
私の恋心以外は。



でも、流石に4年も経てば良くわかる。
彼が鈍感だって言った一方通行の言葉が嘘だったことぐらい、私にだってインデックスにだってちゃんと分かる。



彼は私達二人を本当に好きだってことくらい。
そして、自分を想う私達の気持ちにどう答えるのが正解なのか、その答えを出せないことくらい。



別に独り占めできなくても私は良いのにさ。
インデックスだったら別に良いのに。
彼女だってそう思ってくれているのに。



全く、律儀なやつだ。
詐欺師なんだから、騙してくれればそれで良いのに。
なんでここだけ正直になるんだ。






何度と無くインデックスと慰めあったことを思い出す。
何で私はこんなことをしているんだって思ったことだって何度もある。



でも。
それでもやっぱり仕方ないんだ。



私はそういう男に恋したのだから。
私はそういう男といて幸せなんだから。



だからこの気持ちはやっぱり仕方ないんだ。
だから、私は前に進むしかないんだ。






まだ完成には至らない、私のもしもの世界。
その最後の1ピースを埋めるために。
ちゃんと彼が私を騙してくれるように。



4年前と同じく綺麗な姿で階段を降りてくる彼に、私は精一杯可愛らしくウインクをして、ただいまを告げた。



[28416] とある・もしもの世界 extra1
Name: verdadelo◆5ddb6f89 ID:7d52edb2
Date: 2011/09/22 19:24
とある・もしもの世界 extra1

9月30日。
今日は大切な私の家族達はそれぞれ用事があるらしく、久しぶりにこいつと二人っきりだと目の前の少女を見ながら御坂美琴は思う。
銀髪碧眼、どうみても日本人ではない彼女は、小さく欠伸をしながら目をほとんど閉じかけたままで言った。

「なんだか……気だるい感じがするよ。……どうしてかな」
「昨日、夜更かしししたからでしょ」
「だって……一方通行が強すぎるんだもん」
「あいつは学園都市第一位の能力者なのよ? 勝とうと思うほうが無茶なんだってば」
「……なんで肩持つの?」
「持ってない。事実よ、あきらめなさい」

まったくあの馬鹿にも困ったものだ。なんで大人げなく勝ちに走るのだろうと御坂は思う。いや、負けず嫌いは私もわかるからよい、でも一度くらいさりげなく負けてあげれば、この子も熱くなって勝負と言い続けないだろうに。

「でも、なんか負けっぱなしは悔しいもん」
「そんなこと言ったって……じゃあ、アイツに仇を取ってもらえばいいんじゃない?」

今、彼女と一方通行が夢中になってハマってるのは戦略性が高いゲームだったはず。ならば我等が詐欺師ならばきっと負けることはないだろう。だが、目の前の幼い少女は不満そうに口を尖らせながら、

「やだ。だって、それじゃ意味ないじゃない。私が自分で勝たなきゃ」
「まあ……そうよね。私もそう思うよ。……じゃあさ、魔術を使えばいいんじゃない?」
「ゲームに勝てそうな魔術は記憶にない」
「そりゃそうか」

21世紀最強の魔術師になるのは確実視されている彼女でも、シミュレーションの世界には手が出ないのか。なんだかとても平和的な悩みにうっかり笑いを漏らせば、銀の眉毛が吊り上って、

「うー。本気で私は悔しがってるんだよ? なんで笑うの? いつからそんなに冷たい心の持ち主になっちゃったの?」
「ごめん、ごめん。なんだかさ、平和だなあって思ってね」
「平和じゃない。明るい家族のピンチだよ」
「大げさな」
「大げさなんかじゃないもん」

やれやれ、困ったものだと御坂は横を見てうつむく彼女の顔を見て思い出す。アイツの服を着て、泣きそうな顔をしていたインデックス、あの頃の彼女と全く変わらないその横顔を。

「……どうしたの?」
「ううん、なんだか懐かしいなって思ってさ」
「何が?」
「あの頃を、インデックスと出会ったときのことを思い出してたの」
「そっか。……一方通行に会ったときのことも?」
「……うん、それも」

もう、遠い昔のことのような気がする。彼のことは、絶対に許せない、殺しても殺したりないとまで思っていたのに。なのに、その気持ちが消えたわけじゃないのに、彼はもう私の家族だ。私の命と引き換えにできる、危ぶむ者がいるなら殺してでも守れると言い切れる、そんな家族に気づけばなっている。

「あんたさ、さっきからなんだか一方通行にこだわるのね。……アイツの話は聞かないの?」

そろそろ15歳になる彼女に記憶と言えるものが生まれてからずっと、彼女は上条当麻が誰よりも大好きなはずだ。結婚すると真顔で言ったことだってあったし、私もそれに苦笑して頷いたことも覚えている。だが、魔術師は少し言いよどんだ末に、衝撃的な言葉をぽろっと落とした。

「あのね。……私ね、その……一方通行が好きかも」
「……は?」
「だからね」
「ちょ、ちょっと待った。え? 一方通行が好きだって言った?」
「……うん」
「そんな……じゃあアイツは?」
「そりゃあ好きだけど……その、なんていうか……ちょっと違うかなと思っちゃったんだ」

聞き捨てならない台詞を若干赤らめた頬をしつつ語りだす銀髪少女に、御坂美琴は軽くフリーズする。衝撃を受けつつも心に占めていたのは、それを聞いたときに上条が受けるであろうショックに対する心配だった。
これを知ったら……アイツはどんな顔をするかしら。そうか。と無表情で言って、布団の中でこっそり泣いたりして。
それはそれで見てみたいかも、などと少しいじめっ子モードに思考が傾いていることに気づいて、御坂はぶんぶんと頭を振った。だめだ、落ち着け。それどころじゃない。

「ね……冷静になって聞いてね。あんたは上条当麻じゃなくて、一方通行が好きになっちゃった。これでいいのね?」
「う、うん」
「好きって、その……ライクじゃなくて、ラブってこと?」
「……うん」

あちゃー、こりゃあマジっぽい。どうしたもんだろうか。最近、胸が大きくなったと少し前にインデックスがこっそり教えてくれたけれど、どうやら胸だけじゃなくて別の感情もすくすく育っていたようだ。

「あのさ……それって、いつから?」
「いつかな……わからない。気づけば好きになってたのかも」
「そ、そっか。気づけば、ね」

なるほど。一方通行があからさまに迷惑そうな顔をしているのに、それでも勝負を吹っかけていたのは、愛のなせる業だったということか。
いや……でも、まあ……別にいいかな?
考えてみれば、この子があの馬鹿を好きであっても――もちろん、打ち止めや風斬には悪い気はするけど――特に問題はないのよね?
一方通行が振り向いてくれる可能性はだいぶ低いとは思うけど、まあ……好きになるのは自由なんだし。

「一方通行がどこかに遊びに行ってくれるときに、ステルスをかけてくれるでしょ?」
「ん? ああ、そうね」
「そのときに、彼の心を何度も見たのが、きっかけかな」

聞いてもいないのに、両手を胸の前で組みつつ恋の始まりを語りだした銀色に、ちくりと心のどこかが痛むのを御坂は感じる。
あれ、なんでだろ。
別に問題ないと思ったはずなのに。

「そうなの。……他には?」
「あとはね、なんといっても学園都市最強の能力者だし。頭もいいし、その……かっこいいし」
「……へー」

ちくり、ちくりと一方通行を褒め称える緑の瞳に心がうずく。
なんだ、どうしたんだ、御坂美琴。

「そっけないけどとっても優しいしね。……ゲームには負けてくれないけど」
「でもさ、それならアイツだって凄いじゃない」
「……それはそうだけどね。でも、なんていうか……やっぱり刺激的じゃないのかも」
「……刺激的じゃない?」
「本当に家族だから。だから、異性として見れなくなっちゃったということなのかも知れない」

ああ、そうか。
やっとわかった。
私はイライラしてるんだ。私が想うアイツよりも、一方通行のほうが良いといわれて、そのことがどうにも許せないんだ。

「確かにね。あんたの言うことは正しいかもしれない」
「……でしょ。だから」
「でもね。私はそうは思わないわ」
「……え?」
「私はアイツが好き。アイツが一番だもの。どこをとっても、一方通行に負けるなんて思ったことは一度もない」
「う、うん」

ついつい語気が強まってしまったのか。はっと気が付けば目の前に座る少女が目を丸くしてこちらを見ているのを知った。
しまった。馬鹿だな、私。

「ま、まあね。ほら、好きっていうのはそういうことだからさ。誰であっても、そうなのよ。それがたとえ学園都市第1位であっても、無能力者であったとしても。好きになったら、その人が最強だって思えるんだから」
「……そっか。そんなに好きなんだね」
「私がどれだけアイツを好きかは、あんたも知ってるでしょ?」
「うん。……でも、なんかびっくりした」
「ごめんね……ちょっとマジになっちゃった。……まあ、しばらくアイツ等には内緒にしておくからさ、打ち止めの姉である立場上、頑張れとも言い難いんだけど……やるだけやってみたら?」
「……ありがと」
「どういたしまして」

そのとき、チャイムの音が部屋に響いた。
やれやれ、ようやく帰ってきたかと思って、少女にウインクをすると玄関を開けるために立ち上がる。
私も行くと言って自分の前を歩く彼女の後ろ頭を見ながら、そっと御坂はため息をついた。
彼女がまさか一方通行に主旨替えするとはね。
……まったく人生は何が起こるのかわからないものだ。
そんなことを思いながら、玄関の扉を開けると、そこには。

「ただいま……あれ、どうしたの、二人そろって」
「いや、特に理由はないけどさ」
「でも、ありがと。荷物持つのを手伝ってくれるとうれしいな」

そういってほほ笑む彼女は、やはり今日も美しかった。だから、私も彼女に、大切な私の家族に笑顔を返しながら言う。

「もちろん。おかえり、インデックス」
「ただいま、みこと」
「ママ、お土産は?」
「こないだ欲しがっていたアイス、そこのボックスに入ってるから冷凍庫に持って行って」
「やった。ありがと」

あの頃のインデックスに瓜二つの彼女の娘は、飛び跳ねるようにしてキッチンへと箱を抱えていった。

「なんだか不思議ね。本当に、あの子はあんたを上回るの?」
「うん。魔力は完全にあの子が上だし、魔術を操る才能だって私以上だから」
「それは親馬鹿ではなく?」
「ちょっと馬鹿も入ってるけどね。でも、事実だよ」
「そっか。……なんか嬉しいような、悔しいような複雑な気分ね」
「……なんで?」
「あんたが最強の魔術師だってずっと誇りを持って思ってきたからかな。でも、親を超えてくれるのもまた、誇らしいけどね」

私の言葉に、インデックスはふふっとほほ笑んで、

「でも大丈夫。当分は……そうだね、あと40年は、負けないから」
「え?」
「大丈夫だよ、みこと。元気なうちは……それでも、私が最強だから。あの子がおばあちゃんになるころまでは、私は元気でいるからね。一緒に長生きしてよね」
「なんだか、寂しい話じゃない。……こんなぴちぴちの美人をつかまえてさ」
「……三児の母が何を言ってるのかな?」

それを言うな。まだまだ若いって自信持ってるんだから。

「それを言ったら、あんただって同じでしょ。……ところで、残りの子供たちは?」
「一方通行が遊園地に連れて行ってくれたみたい」
「……は? なんで?」
「ゲームセンターで、一方通行がゲームに負けたの。それで、罰ゲームなんだって」
「ちょ、ちょっと待って。インデックス。……あのね、絶対にそのことをあの子に言っちゃだめだからね?」
「え? どうして?」
「あとで理由は話すから。ともかく、内緒にして。そうじゃないと……この家が吹き飛ぶかも」

疑問符を顔に浮かべるインデックスに強引に約束させると、後ろから少女の声がした。恐らく叶わぬ恋をしている彼女の耳には、この情報は猛毒だから。

「ママー。アイス食べてもいい?」
「いいよ。パパとみことの分も残しておいてね」
「うん、ありがと」

あのときと比べて、家族が増えた分、悩みも苦労も多いけど。
その分、暖かくて幸せな我が家に、御坂美琴は今日も感謝するのだった。


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