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パラオ国旗の作者との対話 [2010年10月26日(火)]





   パラオの国旗





    Skebong氏と筆者





 今月2日、私はJohn Blau Skebong氏を
パラオ共和国の前の首都で、
最大の町であるコロールの
ご自宅でお目にかかりました。

 この人は1979年、パラオの国旗が公募されたとき、
これに応じて当選し、それが現在の国旗になった
その発案者です。

 ご自宅は私が泊まった日航リゾートホテルから
タクシーで15分くらいのところでした。

コロールの町外れに近いところを左折して、
海岸に面したところにお宅はありました。

 いかにも熱帯海洋性気候のパラオの家らしい
風通しのいい、大きな部屋で、壁を背に、
大家族の大半がソファに座り、
テレビを見ていました。脳梗塞の後遺症で
やや言語に聞き取りにくいところがあり、
途中からパラオ語で話してもらい、
お嬢さんに英語に通訳してもらいました。

 家族をいろいろ紹介されましたが、
あまりに大家族で、とても覚えられませんでしたが、
奥様とそのまたお母様、子ども、孫ったちが
ごいっしょのようです。

 82歳の義母は日本語を久々に話すといいながら、
とてもお上手でした。女学校まで日本時代でしたから
ということでした。

 同氏はアルモノグイ州知事の実兄です。

私「体調が芳しくないというのにご無理を言って
  申し訳ございません。日本ではパラオの国旗に
  諸説があって混乱していますので」

S「どういう混乱かな?」

私「@パラオの国旗は日本の日の丸を真似したという説、
  A日の丸の太陽に遠慮して、照らされて輝く月にした、
  B日の丸が旗面の中心であることに遠慮してすらした」

S「全部違うね。私はもちろん日の丸を知っているが、
  特別にそれを意識してデザインしたわけではない。
  日本は日本、パラオはパラオだ。あなたは
  パラオの満月を知っているか?」」

私「あいにく、今回はほとんど月の出ない時期で・・・」

S「それはいかん。いや、気の毒じゃ。今度は
  是非、満月のときにいらっしゃい。それはそれは
  感動的な夜景だよ」

私「はい。国立博物館で満月の夜、みんなが踊る
大きな油絵を拝見しました。月が文化や生活の
中心になってきたことを感じさせるものでした。
是非、またトライしたいと思います」

S「そうするがいい」

私「ところで、あなたは・・・」

S「1935年生まれ。日本時代に10年過ごした」

私「戦後は日本には?」

S「船乗りをしていたので、若いころはよく行ったよ。
  大阪、東京、神戸・・・懐かしいね」

私「いつごろですか?」

S「1950年代だね。その後は教師になったので、
  行っていない。ずいぶん発展したようだね、日本は」

私「ドイツ系の一族とか?」

S「いや、はっきりしたことはわからん」

S氏の妻「この人のお母さんは
本当に色の白い方でした」

S「たぶんスペイン系かドイツ系ということだろう。
  オヤジもパラオ人にしては白かった」

私「スペインが15年、ドイツがこの島を買
い取って15年」

S「その後、第一次世界大戦で日本が勝って
国際連盟の委任統治ということで31年統治した。
スペインは宣教以外何もせず、ドイツは
アンガウル島でりん鉱石の開発かな。日本が
教育、経済、何でもやってくれた」

私「その後がアメリカ、ま、国連の信託統治ということですが」

S「だから私の名前も、ジョンは英語、
ブラウはドイツ語の青」

私「Skebongは?」

S「ドイツ系の言葉らしいが英語読みでスキーボング」

私「?」

S「スキーボン、スキェボン」(旨く聞き取れず)

私「デザインをしたときに月を竿側にずらしたのは?」

S「最初はまん中に置いたんだよ」

私「で?」

S「試みに少しずらした旗を作ってみたら、なかなかいい」

私「却って真ん中に見えるということでしょうね」

S「結局、横の10分の1ずらした」

私「色に遠く別の意味を含んだのですか」

S「空色はパラオの海の色。黄色はproudとか unity」

私「日の丸のことは」

S「考えなかった。さっきも言ったよ」

私「はい、失礼しました。
  応募数はどのくらいでしたか?」

S「私は20作品くらいと聞いていた」

私「一説には70とも100とも言われている」

S「そうかね。選考委員は
  Ngiraklang Malsol氏を委員長とする
  特別の委員会だった」

私「Malsol委員長はどうしておられますか?」

S「残念ながら亡くなったよ」

私「お体の具合が悪いようだが」

S「5年ほど前に脳の病気をしてご覧の車椅子生活だ」

私「急な面会の申し込みをお受けくださって
  ありがとうございます」

S「これで日本での混乱も治まるだろう」

私「重ねて御礼申し上げます」。
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コメント
本人は応募したほうですから、よくわからないのではないでしょうか。
ナカヤマ元大統領に聴いてみましょうね。
お電話では話しましたが、今度はおめにかかって詰めた話をしてみたいものです。
Posted by: 吹浦忠正  at 2011年09月18日(日) 19:36

パラオの国旗は公募によりたくさんのデザインが応募されているはずです。その中からたまたまJohn Blau Skebong氏のデザインが選ばれたと思いますが、その選ばれた理由ななんだったのでしょうか?その辺を聞いてほしかったですね。
Posted by: しん  at 2011年09月18日(日) 14:15

昨年10月のチャンネル桜の番組を見ましたが、司会者の方も展転社出身とのことで、吹浦先生の今回のフィールドワークにかなり抵抗を感じていたようです。
名越氏の主張は強引で粗雑な部分も多々ありますがそれゆえ一部保守論壇では神格化に近い形で信奉されているわけでして、
保守派と目されている吹浦先生が名越氏の説を否定されるのはかなり勇気のいることではなかったかと心配しております。
でもだからこそ吹浦先生だけが通俗説の修正をできるのかもしれません。
先ほどの無礼なコメンを失礼いたしました。
Posted by: amber  at 2011年01月07日(金) 23:38