「国民の安全が懸かっていた。一刻も早く汚染水を止めなきゃいけない。そればかり考えていた。利益など別問題だった」。淡々とした口調の中に緊迫感が染み込む。工業薬品メーカー、東曹産業の岩瀬裕全(ひろたけ)社長(61)が、高濃度の放射性物質にまみれた汚染水処理に協力した当時を振り返った。
四月三日、日曜日の早朝。岩瀬社長の携帯電話がなった。社員からだった。「現地(福島第一原発)の土木業者の代理店から、水ガラス(ケイ酸ナトリウム)の引き合いが来ています。汚水処理に使うそうです」
同原発2号機取水口付近の亀裂から海に汚染水が大量に流れ出ていた。東京電力側はコンクリートや高分子ポリマーなどを注入したものの効果がない。
そこで指名されたのが透明で粘着性のある液体、水ガラスだった。実際、岩瀬社長が水ガラスの入ったビーカーに土壌硬化剤という別の液体を混ぜて振ると数秒で固まった。触るとカチンカチンだ。この固体化スピードを利用して、トンネル工事の軟弱地盤を固めたり地下水の止水などに用いられている。
四日から二回に分けて計七千リットルを納入。岩瀬社長は「原発に近い仙台工場が津波被害で操業停止していたので東京工場(江東区)から運んだ」という。
止水作業は五日午後から一昼夜続いた。岩瀬社長は「汚染水が漏れ出た土壌の下は砂地だったようだ。水ガラスは浸透性があるほど広範囲にわたり止水できる。(水ガラス注入後)流れ出る水の量が細くなったと聞いて『絶対に止まる』と確信した」と話す。六日早朝、流出は止まった。一キロ当たり七十円の工業薬品が汚染拡散を防いだ瞬間だった。
会社設立は一九三七年で従業員数は九十六人。主力製品、水ガラスの市場規模は縮小している。二十年前に業界全体で約百万トンあった出荷量は、公共事業減少もあって二〇〇九年度は約四十六万トンに落ち込んだ。
ただ今回の大仕事が図らずも知名度を高めたのは事実。同社東日本営業部渉外課の坪野雅夫課長(39)は「液状化が起きた東京湾岸エリアの方々から問い合わせが増えている」という。液状化への効果は地質によるが、地震の備えとして地盤改良の必要性が高まれば需要拡大の可能性も。
坪野課長は「水ガラスが役立ったことが世間に知られ、社員の士気も上がっている」と力を込めた。その一方で、岩瀬社長は「与えられた役目をしっかり果たすことが基本。一喜一憂すべきではない。黒子は黒子でいい」と自らを戒めた。
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東日本大震災の影響は首都圏の小さな企業群をも直撃した。しかし、各企業は再興に向けて黙々と活動を続けている。震災余波の中で奮闘する「都の企業」を追った。