GLOBE Japan通信


No.36 『地球環境』 07年3月号


つちや・まさただ 

1942年1月13日東京都生まれ。1966年早稲田大学法学部卒業と同時に武蔵野市役所(東京都)へ就職。75年武蔵野市議会議員、83年武蔵野市長に初当選し6期22年務め、2005年衆議院議員に初当選。

土屋正忠・自民党衆議院議員インタビュー

「環境省は市町村との連携強化を」
廃棄物、温暖化、自然破壊など問題山積
 

「環境行政を行なうに際し環境省は市町村とタイアップしなければならない」。東京・武蔵野市議会議員から、6期22年にわたり武蔵野市長を務め現在、国政の場に身を置く地方自治のプロがこう提言する。


―環境問題に取り組むきっかけをお聞かせ下さい。

●土屋 政治家になるきっかけは、1972年に「成長と限界」というローマクラブのレポートが発表されて、それからしばらくして、ジョン・テーラーの「人間に未来はあるか」という本を読んで感激したことがきっかけでした。上下巻あり、下巻のほうは、地球に負荷がかかっている状態をどうするのかというのがテーマでした。  その中に、《池に藻が生えました、1日に2倍ずつ増えてきて、何年かかかって、ようやく池の半分に藻が広がりました。藻が池いっぱいになるのに、あとどれくらいかかりますか》という設問があるんですね。答えは1日です。そういう設問で人間の限界みたいなものを説いていて、それが私にとって環境の立脚点だったんです。  

ちょうどその頃、1971年に環境庁ができたんですよ。当時、尾瀬に車を通すという話があって、湿原を通って群馬県側と福島県側をつなぐ自動車道路をつくる話がありました。これに対し、初代環境庁長官の大石武一さんは反対しました。その頃、尾瀬の山小屋(長蔵小屋)の経営者も近隣住民に白い目で見られながら、反対運動をしていたんです。そういう自然を守ろうという気持ちというのは、今の環境問題に取り組む原点になっていますね。  

武蔵野市長時代には、1986年にイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に海の誕生を解明した“水惑星の理論”を発表し注目された、地球惑星学の松井孝典教授と対談することなどで、地球規模で環境問題を考えるようになりました。環境問題には、廃棄物、自然環境、地球温暖化の3つがあると思います。


―まず、廃棄物の問題からお伺いします。

●土屋 一番大きな問題ですね。廃棄物をきちんとコントロールしなければ、結局は野山に捨てられ、汚染物質が川を経由して、命の源である海を傷つける。例えば東京三多摩地区には26市で400万人が住んでいます。これは静岡県の人口に当たります。三多摩では日の出町に内陸型処分場があり、私はここで8年間処分組合の管理者をしていました。その時に私がイニシアティブをとり、循環型のやり方に変えようということで、各市が何グラム、何キログラム減らそうという目標を作って、それを多摩全体の運動としました。  

さらに2006年春から、エコセメントというプラントで、重金属などを含む焼却灰を1400℃で燃やし、骨材、セメントの材料にしてしまう、という完全なマテリアルリサイクルを始めたんです。ダイアセメントとタイアップして、260億円をかけて処理プラントを建設しました。プラントは熱を排出するから、CO2対策はどうなるんだ?という側面はあります。しかし、ただ単に従来のように埋めるのではなく、重金属などはすべて途中過程で取り出し、その結果として焼却灰がなくなることで、処分場の面積・容積が半分になりました。


―ゴミの不法投棄問題も自治体にとって深刻ですね。

●土屋 今、ゴミの不法投棄が日本中で起きています。一般廃棄物であったり、産業廃棄物であったりするんですが、残念ながら取り押さえる決め手がないんです。こういうこともあって、全国市長会のなかに、2003年秋〜2005年6月にかけて約1年半にわたって、学者と組長、市長が共同提案したのが「都市と環境」というタイトルの報告書です。これは、これから環境問題を全国市長会がイニシアティブを取って、廃棄物の問題も含め、全国的に取り組んでいこう、というものです。目玉のひとつが、「不法投棄監視」キャンペーンでした。2006年7月に第1回をやりまして、来年も計画しています。


―地球温暖化対策については。

●土屋 空気の対流を利用したパッシブソーラーにも積極的に取り組んできました。武蔵野市立大野田小学校には、風力発電以外はすべて導入されています。屋上緑化のほか、ソーラー発電、パッシブソーラー(対流を利用して風通しを良くする仕組み。熱い空気を逃がして、下にある冷たい空気を持ち上げて冷房効果を得る)のエネルギーを床暖房、床冷水に活用しています。そのほか、燃料電池は昨年3月に総理官邸へ導入されましたが、実は公共施設の中で最初に設置されたのが、大野田小学校だったんですね。東京ガスと荏原製作所の共同で制作した燃料電池の第1号だったんですよ。


―国会議員になってからの活動は。

●土屋 環境部会には出るようにしていますが、まだ大きな成果を挙げていません。ただ、市長時代にやってきたことを広く部会などで発言しています。今、部会の議論でも、環境税が中心です。しかし、環境税も良いけれども、本来の環境政策を展開していくには、環境省は市町村とタイアップしていかなければならない。今の環境問題というのは豊かな生活が原因と言ってもいいのだから、環境省だけでは絶対に解決できない。環境省ができることは、生産組織に対するコントロールだけですよ。国民に直接呼びかけるには、市町村が本気にならなくてはできないのです。  

市町村のほうが、国民の身近なところにいるから、市民意識が高い。例えば、武蔵野市は、ソーラー発電の補助金制度を行っています。ソーラー発電の設置には、1KWのもので60万円かかる。標準の3KWだと180万円。それを武蔵野市では、1KWのソーラー発電につき10万円補助しているんです。利用する人々は、20〜30世帯います。200万円近く出しても地球環境保全に取り組もうという人がいるんですね。これは大変なことですよ。市民意識のほうが先行している。国民がマイカーから、公共機関の乗り物に乗り換えることだって、CO2対策になる。それから物流を整備するとか、「ムーバス」(武蔵野市が全国で初めて導入したコミュニティバス)だって環境対策に非常にいいんですよ。  

繰り返しますが、環境省はもう少し国民生活との結びつきを強くする必要があるのではないか。市町村とタイアップする、という展望なくして環境問題は先に進みません。


―自然環境についてもこれまでさまざまな取り組みをされていますね。

●土屋 武蔵野市長時代に私がアクションを起こしたのは、シベリアの寒帯林を守ることでした。当時は、熱帯林のラワン材などを(建築資材の)コンパネなどに使っているということで、「熱帯林を守れ」ということでした。現に、ITTO(国際熱帯木材機関)が熱心に取り組んでいました。熱帯林を守ることがブームだったんですね。  

各自治体が熱帯林を守り、「寒帯林を切れ」と言うので、そこで私は「ちょっと待て」と、「寒帯林の生産性は低い」と言ったんですね。1980年代の前半ぐらいに、第2シベリア鉄道ができました。これは、シベリア鉄道より緯度が高いところを平行して走っている。だから、「この鉄道は寒帯林の切り出し鉄道ではないか」と危機感を持ったわけです。  

それで私は市長として、1987年からハバロフスクと渡り鳥交流を始めたのです。渡り鳥は、冬は井の頭池で過ごし、夏はシベリアで過ごす。1991年に、武蔵野市の子どもたちが初めて、シベリア・ハバロフスク市のアムール川の流域に、バードウォッチングに行きました。1992年、私はハバロフスクへ行き、ハバロフスク市長と協定を結び、10年間青少年交流をやろうと取り決めたんです。その青少年交流の中に、バードウォッチングを入れて自然を大切にしようという計画を立てました。


―寒帯林の生産性はどのくらい低いのですか。

●土屋 1992年に当時の林野庁長官だった秋山さんや専門家の方に来ていただいて、ヘリコプターでずっと森林を見ました。すると、直径60cmぐらいの木で樹齢が約200年くらいなんです。日本ではそのくらいの規模に成長するのに60年かかる。でも、熱帯林は20年しかかからない。だから熱帯林と寒帯林を比較すると、熱帯林は寒帯林に比べると10倍ぐらいの生産性があるわけです。その時に改めてシベリアの寒帯林の大切さを感じました。  

シベリアにとって、木は飯の種で、切らないわけにはいかない。現地では本当に50円、100円単位で売っているわけですよ。それなら、「木は切らずに売ってくれ」と主張しました。どういうことかと言うと、例えば、自然を活用するための新しいタイプのレジャー施設を作って、そこに1人泊まれば、1日1万円を現地に落としていきますよね。10日泊まれば10万円。100人来れば1000万円となるわけです。そうすれば、木を切らずに収入が得られる、と提起したわけです。

さらに、当時の人は、植林など全くしていないから、「植林もしっかりやるべきだ」ということで、武蔵野市が中心となり、5月の連休に植林隊を出しているんです。これは10年以上も続けている活動です。自分たちのお金で現地に行き、緑の羽募金から植林用の木の資金を頂いてやっています。ようやく、現地の人々も「植林をしよう」という気になってきました。小さな面積ですが、これまでに10万本ぐらい植えました。面積は狭いが、植林によって、「森林は有限なもので、大切にしよう」という意識が、シベリアのハバロフスク市に芽生えました。