アンカー月曜日のレギュラーコメンテーター・内田誠が福島第一原子力発電所で働く作業員たちへの取材を試みた。
内田「いわき市の湯本温泉に来ています。原発事故から半年、作業員の皆さんは今どんな気持ちで毎日の作業にあたっているのでしょうか? 聞いてみたいと思います」
今、福島第一原発では、およそ3000人が働いている。その多くは、いわき市内の宿泊施設を拠点に、バスなどで現場に通う。作業を終えて宿に戻ってきた作業員達に、内田誠が声をかけた。
内田「原発の方ですか?」
作業員「そうです」
内田「お疲れ様です。何号機とかお仕事の中身とか差し支えなければ」
作業員「いや、ちょっと。言っていいもんか 悪いもんか」
内田「ダメですか?」
内田「原発のお仕事は以前からやられてたんですか? 」
作業員「いや、あんまりやってない」
内田「じゃあ、今度のことで?どうですか、やってみられて」
作業員「大変です」
内田「原発の方で?」
作業員「そうです」
内田「今日はどんな仕事でしたか?」
作業員「今日は建屋。1号機」
内田「中に入られたんですか?」
作業員「入んないです、外。カバーリング」
内田「そういう仕事の専門ですか」
作業員「鳶(とび)」
内田「放射線量も高いところもあるじゃないですか。怖くないですか?」
作業員「いや別に」
多くを語ろうとしない原発作業員たち。メディア取材を禁じる企業も多いという。そんな中、ひとりの原発作業員が、匿名を条件に取材に応じてくれた。
原発の仕事に携わって10年になるという20代後半の作業員は、内田誠に何を語るのか。
内田「作業員の皆さんの中には、いろんな仕事に携わってらっしゃる方がいて、それぞれご自分の仕事についてご存じのことが沢山あると思うんですけど。事故そのものの状況ですね、今どういうところにあるんでしょうか?」
Tさん「徐々によくなってると思います。汚染水を処理するための設備も、2系統が準備され、順調に稼働するようになりました」
内田「メルトダウンをおこした核燃料そのものについては、今どこでどの状態にあるかについても、はっきりした発表もないですね。それこそ6月になるくらいまで、メルトダウンはないという報告ばかりを、特に大手のメディアは流してしまったんですね。現場で働いている皆さんは、メルトダウンが起こったことを確信したのはいつですか?」
Tさん「ニュース速報で『原子炉の水位が何メートル下がっています』とか、ひっきりなしに流れたりしていましたが、その頃には おそらく燃料は溶けていると考えていました。テレビを見ていましたが『問題はありません』と繰り返すのみで、東京電力や保安院寄りの報道でしたので、おそらく大衆をパニックにさせないように、国も東京電力も大手メディアも、それ(パニック)を恐れて、報道しなかったのではないでしょうか」
内田「もともと原発の仕事をしようと思われたきっかけは何だったんですか?」
Tさん「私が生まれた頃には、あの発電所はありましたので、あの地域にあって当たり前のものでした。地域に根付いた、地域と一体となった、発電所だったわけです。たとえば他の場所で言うと、(愛知県)豊田市なんかで、トヨタの工場で働くのは、ごく当たり前のことだと思います。日本の首都である東京や、首都圏を支える電気を作っている。日本の中心を支えているプライドが心のどこかにあったのは事実です」
内田「福島は危険なものを首都圏から押しつけられたんだという見方もあると思いますが、そうはお考えにならなかった?」
Tさん「もしあの発電所が立地されなければ、あの辺りは過疎化していて、住民は今以上に少ない状況になっていたかもしれません。だから我々は怒りの矛先を向けられないでいるんです。事故が起こったけれどしょうがない。そういう気持ちの住民も少なからずいると思います」
内田「ちょっと言葉きついんですけど、被害者であると同時に加害者の面もあると?」
Tさん「はい」
3月12日、半径10キロ圏内の住民に10キロ圏外に避難するよう指示が出た。福島第一原発の地元に暮らす作業員のTさんも、家族と共に避難生活を余儀なくされた。しかし、所属する会社から「現場に戻ってきて欲しい」と電話があり、3月下旬、再び福島第一原発の構内へと向かった。想像を絶する惨状を目の当たりにし「まさに戦場だ」と感じたという。
Tさん「私があの現場に戻ったとき考えたのは、今までの原子力発電所のどの場所よりも高い汚染が、いたるところにあった。『線量の高いところがあったら違う場所に退避して下さい』と以前から言われていたんですが、周りがすべて高い線量だったので、どこに退避したらいいかわからない。どこに逃げればいいかわからない。非常に緊張感があり、プレッシャーに押しつぶされそうな中で作業していた。我々が戻った当初、あちこちにまだ、がれきがあった。特に絶対に近づいてはいけないと言われた『青いがれき』というものがありまして、
『水色のがれき』には絶対に近づいてはいけない」
内田「何ですか?」
Tさん「『青いがれき』の正体は、建屋の外壁なんです。つまり、爆発した建屋の外壁が飛んできて、近づいただけで、5ミリとか10ミリシーベルトの線量を放っている。近くで作業すれば、あっという間に高い被ばくをしてしまいます」
内田「原発の仕事は非常に階層化されていて、一番上には保安院がもしかしたらあって、東電さんがある。それから協力企業があって、そのあと数次に渡る下請けの構造がありますよね。実際、何社ぐらいに会社の段階が分かれているのですか?」
Tさん「知っているだけでも、7次、8次(下請け)会社くらいまであります」
内田「末端の労働者が、被ばくを沢山してしまう危険な現場に投入される様なことは、ある…あったんでしょうか?」
Tさん「実際にあります。『被ばく要員』という言葉がありまして、高い被ばくをしてしまう可能性の作業は、1人の作業員が長い時間作業することはできません。たくさんの作業員を集め、人海戦術で、多くの人たちが代わる代わる作業していく。そういう仕事の人たちを、我々の隠語で『被ばく要員』と呼んでいました。高いお金を出して来てもらって、高い被ばくをする作業をやってもらう。そういうことは、事故前も現在も実際にあることです」
Tさんに、放射線管理手帳を見せてもらった。事故収束のための緊急作業による被曝量は、積算で50ミリシーベルトを越える。現在では、会社の規定により被ばくが少ない後方支援などに従事しているという。
内田「そうすると、人をどんどん入れ替えなければいけない。現場で働く人の数が確保出来ない事態になる危険性はないですか?」
Tさん「他のサイト(原子力発電所)から、人間を連れてきて作業させているんですが、(人手が足りなくなるおそれは)正直、あります」
内田「浴びていい放射線量の規準に関していうと、福島で被ばくした分についてはカウントしないで、もとのたとえば柏崎なんかでまた働けるようにしましょうということを、直接東京電力の関係者から聞いているんですが、人体が浴びていいものは、人間の勝手で数字を上下させること自体おかしいと思いますけど…」
Tさん「非常に難しい問題でして、(緊急作業の分を含めると)我々の労働面からいうと、それ以上仕事をすることができなくなる。我々にとっては、いいことではないわけです」
内田「命を削って仕事をすることになりますよね」
Tさん「少なくとも私は、最期はがんで死ぬことになると考えています」
内田)「ご自分が?」
Tさん「はい」
内田)「どこか倒錯…。さかさまになっていませんかね」
事故から4ヵ月以上経った8月1日、構内の排気筒から、過去最高の毎時10シーベルトを超える非常に高い放射線量が確認された。もし1時間浴び続ければ、確実に死亡する強さだという。
内田「大量の急性被ばくに備えて、自分の造血幹細胞を事前にある方法で採取しておいて、凍結保存しておく。破壊された骨髄を再生するために、造血幹細胞を事前に採取しておきましょうとずっと呼びかけていた有名なお医者さんがいるんですが、現場で大量被ばくする可能性がある以上は、そういう備えをしておくべきだという議論は、作業員の皆さんの間で話題になっていませんでしたか?」
Tさん「内部ではまったく、その単語すら聞きませんでした」
内田「ほんとですか?」
Tさん「はい」
内田「原発は、おそらく仕事を始められた後も、日本中の原発で様々な問題が起こりましたね。美浜の爆発事故の問題であったりとか、柏崎の地震。その他たくさん日本中の原発がいろんな問題をおこしましたけど、辞めようと思ったことはなかったんですか?」
Tさん「一切ありませんでした」
内田「原発のあるところには常に、原発を止めろとか、脱原発ないし反原発の運動をしてる人もいる。気になってはいなかったんですか?」
Tさん「(反原発の)考え方をナンセンスだと思っていたので、たいして気に止めなかった。時代遅れな考え方と小馬鹿にしていた部分があったかもしれません。しかし、結果としては、彼らの言っていることの方が正しかったわけです」
内田「原発そのものについては、今はどう思ってらっしゃるのですか?」
Tさん「一旦事故が起きてしまうと、非常に大きな災害になってしまう。事故が起きる可能性や問題を抱えている発電所は、今すぐにでも廃炉にするべきだと思います。原子力発電をこのまま続けていいものと私は考えていません」
内田「ふるさとが壊されたというお気持ちですか?」
Tさん「そうですね。今まで自分たちが信頼してきて、その一員だった原子力発電所によって、自分のふるさとが壊されてしまった」
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