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Requiem 311 ~その後の声を綴ります。

 

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Posted on 03:44:46 «edit»

Category:慈春の旅

自由への悟り 

来る日も来る日もただ歩き続けるだけの毎日、
だけどそれは私が望んだ日々であり、己の意思が効く間に行きたい場所を全て巡りたいなどと、
往生際の悪い欲望を抱いてみる。

欲を持つことは罪悪だと教えられたあの日々の私はまるで、蝉の抜け殻のようだったのではないかと気づく。
何度も何度も、何枚も皮を脱いでも叶えられない奇跡、悟り。
それが己の心がけの悪さのせいだと完全に思い込まされたことを、まだ心のどこかで憎しみに代えてしまう自分を、
さらに次なる罪悪感で締め付けている。

むしろそちらの方が不自然なことなのに私は、それを止めることが出来ずにいるのだ。

習慣とは恐ろしいものだ。
肉体を失くしてもそれが消えないなどと、誰が教えてくれたであろうか…。

光が降り注ぎ黄泉へと、極楽浄土へと向かうことだけを信じた日々の学びは、
神の名を借りた何者かが人間という聖なる生き物をそうではないものへと変質させ、
進化を妨げるために思いついたただの洗脳ではなかったのか。

再び私は怒りを抱き、拳を握り締める。


Gandhara



瓦礫の上に、胡坐をかいて新聞を読む男の背中が見える。
何をしているのだろうと思い駆け寄るとそれは、私がかつて「霊」と呼んでいたもののようだった。
今の私ならばそのようなものとは違うことを直ぐに呑み込めるのにあの時は、
それらが視界に入る度に何か恐ろしいものでも目にしたみたいに、とにかく経を読み、祓おうと必死だった。

彼らに経などほとんど届かない。
なぜならば彼らは生理現象みたく、己の生前の習慣を際限なく継続していると思っているのだ。
その自覚のない人間に経など何の意味もなく、ただ毎日お腹が空き水を求め、
それ以外はそれまでの自分を普通の人々と同じように繰り返すだけなのだ。

言ってみれば生きた人と、どこも変わりない。
ただ、生きた人の視界には写らないという以外に。


私はもう、経に頼ることをやめた。

それより饅頭か粥のようなものはないのかと辺りを見回すと、
遠くの境内にそれらしきものの匂いを感じ取り、一目散にその辺りに飛んで行く。
どの寺に何時にどんなものが出されるのかという大体の察しがついているので、
そのタイミングで意識が勝手にその場所をまさぐり始める。

瓦礫の上で胡坐をかいて新聞を読んでいる、その男性の傍に座り、
私もこの世の今を知りたいなどと考える。
不謹慎…。
そう思うのは、実は祈りに取り憑かれた生身の人間だけだと、今だから思える私は、
執着じみた祈りを手放してから本当の祈りを幾つも体験した、おそらく珍しい僧侶なのかもしれない。




--- 〔 女川町 70代 僧侶(慈春) 〕 ---



Stephan Micus - Passing Cloud

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