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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史
【第5回】 2011年9月20日
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吉田典史 [ジャーナリスト]

一体でも多くの遺体を家族のもとへお返ししたい――。
巨大津波の上空を飛んだ警察官の絶望と絶えぬ執念
――宮城県警航空隊の成田聡・機長、平仁・操縦士のケース

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 仙台市の上空を飛ぶときは高いビルがあるため、300メートルでも危険が伴うという。しかし、この時点で平氏は上空200メートルほどまで高度を下げた。高度を下げた理由を聞くと、成田氏は当時を思い起こそうとするかのように、目をつぶり話した。

 「あの天候で低空飛行をするのは危険だった。だが、私たちなりの使命感があった。下には波に気がついていない人がいた。道で話し合っている人もいた。ゆっくりと走る車もあった。避難を呼びかけるパトカーや消防車も見えた。『このままではひどいことになる』と思った」

 平氏はスピーカーで避難指示を繰り返す。「大津波が来ます。高いところへ避難してください」。成田氏は窓を開けて手を振り、呼びかける。通常、航空隊はこのような避難誘導をしない。だが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 整備士は、被害の状況をカメラで写していく。「その映像はテレビ局などで報道されたのか」と尋ねると、成田氏は「それはない」と話した。平氏が答える。

 「あのときは、カメラのアングルを考えて正確な映像を撮るよりも、避難誘導を優先した。下で起きていることを見ると、居ても立ってもいられなかった」

そこまで波が押し寄せているのに……。
居ても立ってもいられない「もどかしさ」

 住民らはヘリコプターには気がつく。だがすぐには避難しない。その後も道で話し合っている人がいた。成田氏はうつむき加減に話す。

 「私たちの気持ちはわかってくれたのかもしれない。でも、逃げようとしない姿を見ると無力感はあった」。

 津波は地域一帯を飲み込み、仙台東部道路のほうにさらに向かう。ヘリコプターは道路の向こうの町の上空に先回りし、2人は避難を呼びかけた。平氏は、「あの波は道路を越えるような勢いだった。海が溢れ返っていた」と説明する。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2005年よりフリー。経営、経済分野で取材/執筆/編集を続ける。主に、雑誌「人事マネジメント」(ビジネスパブリッシング社)や「企業と教育」(産労総合研究所)などで執筆。日本マンパワーや専門学校で文章指導の講師を務める。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』(ダイヤモンド社)、『年収1000万円!稼ぐライターの仕事術』(同文舘出版)、『非正社員から正社員になる!』など。新刊『いますぐ「さすが」と言いなさい!』(ビジネス社)が好評発売中!


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

「「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史」

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