時計の針を巻き戻そう。2人は震災当日、地震が発生した午後2時46分、陸上自衛隊の霞目(かすみのめ)飛行場(仙台市若林区)の敷地内にある、宮城県警航空隊の基地にいた。操縦士である警官6人らは、通常は事件捜査や交通情報の収集、救難救助、災害警備などの活動を行なう。
その日の揺れは激しく、長く感じたという。室内は棚が倒れ、机の上のものが散乱した。停電になったが、県警本部などにつながる警察無線は無事だった。
航空隊には、3機のヘリコプターがある。1機は、地震発生よりも前に仙台市の上空を飛んでいた。成田氏らは操縦士らと連絡を取り、市内の被害状況などを聞く。
午後3時5分には、成田氏、平氏と整備士の3人がヘリコプター「あおば」に乗り込んだ。離陸するとき、高度を上げていくと、仙台湾が見える。まだ津波は来ていなかった。波が荒れている様子もなかったという。
そして、市の中心部に向かった。ところどころで火災が起きて、煙が上がっていた。交通渋滞になっている箇所もあった。
高性能カメラで被害の状況を撮影
そのとき津波が仙台湾に押し寄せた
震災時に航空隊は、ヘリコプターに搭載したカメラで被害の状況を写し、それを県警本部に送ることが任務の1つだ。そこから被害状況が東京の警察庁、さらに首相官邸などに送られる。
平氏が操縦し、横に機長の成田氏が座る。後ろに整備士が乗り込み、高性能のカメラで被害の状況を撮影していく。JR仙台駅上空に行くと、数千人が周辺に立ち尽くしていた。
県警本部から「もう少し、状況がわかるように画面のサイズを大きくして欲しい」などと指示がくる。それを受けて、カメラを「引き」のサイズにして映し出していく。作業を続けていると、気象庁から津波警報が出された。