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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史
【第5回】 2011年9月20日
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吉田典史 [ジャーナリスト]

一体でも多くの遺体を家族のもとへお返ししたい――。
巨大津波の上空を飛んだ警察官の絶望と絶えぬ執念
――宮城県警航空隊の成田聡・機長、平仁・操縦士のケース

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 時計の針を巻き戻そう。2人は震災当日、地震が発生した午後2時46分、陸上自衛隊の霞目(かすみのめ)飛行場(仙台市若林区)の敷地内にある、宮城県警航空隊の基地にいた。操縦士である警官6人らは、通常は事件捜査や交通情報の収集、救難救助、災害警備などの活動を行なう。

災害時などに活躍する宮城県警航空隊のヘリコプター

 その日の揺れは激しく、長く感じたという。室内は棚が倒れ、机の上のものが散乱した。停電になったが、県警本部などにつながる警察無線は無事だった。

 航空隊には、3機のヘリコプターがある。1機は、地震発生よりも前に仙台市の上空を飛んでいた。成田氏らは操縦士らと連絡を取り、市内の被害状況などを聞く。

 午後3時5分には、成田氏、平氏と整備士の3人がヘリコプター「あおば」に乗り込んだ。離陸するとき、高度を上げていくと、仙台湾が見える。まだ津波は来ていなかった。波が荒れている様子もなかったという。

 そして、市の中心部に向かった。ところどころで火災が起きて、煙が上がっていた。交通渋滞になっている箇所もあった。

高性能カメラで被害の状況を撮影
そのとき津波が仙台湾に押し寄せた

 震災時に航空隊は、ヘリコプターに搭載したカメラで被害の状況を写し、それを県警本部に送ることが任務の1つだ。そこから被害状況が東京の警察庁、さらに首相官邸などに送られる。

 平氏が操縦し、横に機長の成田氏が座る。後ろに整備士が乗り込み、高性能のカメラで被害の状況を撮影していく。JR仙台駅上空に行くと、数千人が周辺に立ち尽くしていた。

 県警本部から「もう少し、状況がわかるように画面のサイズを大きくして欲しい」などと指示がくる。それを受けて、カメラを「引き」のサイズにして映し出していく。作業を続けていると、気象庁から津波警報が出された。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2005年よりフリー。経営、経済分野で取材/執筆/編集を続ける。主に、雑誌「人事マネジメント」(ビジネスパブリッシング社)や「企業と教育」(産労総合研究所)などで執筆。日本マンパワーや専門学校で文章指導の講師を務める。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』(ダイヤモンド社)、『年収1000万円!稼ぐライターの仕事術』(同文舘出版)、『非正社員から正社員になる!』など。新刊『いますぐ「さすが」と言いなさい!』(ビジネス社)が好評発売中!


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

「「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史」

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