大津直子の音楽ノート 8
【第8回:96.9.20】
ごぶさたしています。皆様、お変りありませんでしょうか?
さて今回は、前回の続編です。「もう、忘れちゃった……」という方も、特に前回に戻る必要はありませんので、ご安心くださいね。
それでは、Let's start !!
6月29日 東京文化会館/ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第2番、プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第1番、コルンゴルド シェークスピアの「空騒ぎ」からの組曲、フォーレ ヴァイオリン・ソナタ第1番
7月6日 サントリーホール/チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲(都響)
今回のリサイタルで取り上げた作品は、決して彼にとって初めて演奏会で弾く作品ではないと思いますが、全曲楽譜を見て弾いていました。コルンゴルドはすでに録音しているくらいですから、充分弾き込んでいるはずだし、ベートーヴェンやフォーレも、彼なら技術的には初見で弾けるくらいの作品なのに、「楽譜がなかったら、弾けないのかしら?」と思わせるくらい、楽譜を頼りにしている印象を受けました。どうしてこんなに譜面を見る見ないにこだわるかと言うと、ちょっと準備不足では?という感じがしたからなのです。楽器を弾いた経験がある方ならおわかりだと思いますが、1つのパッセージをある程度弾き込めば、覚えようとしなくても、指の方が自然に動くようになってくるものです。まあ、彼ほどの売れっ子になれば、連日連夜、バラエティーに富んだプログラムで、コンサートをこなしているのでしょうから、止むを得ない部分もあるのかもしれませんが、でも、本当にそうしたやり方でいいのかどうか、少し疑問に感じました。比較するのはよくないかもしれませんが、全曲暗譜で臨んでいる演奏家に比べると、演奏会に対する意気込みというか、姿勢に差を感じたことは確かです。
彼はテクニックもさることながら、ルバートのかけ方やクライマックスの盛り上げ方、フレーズにおける力点の所在など、音楽の歌わせ方の“ツボ”とでもいうべきものを、恐らくは本能的に知っているという点で、天才的なアーティストだと思います。ただ、私がこわいなと感じたのは(前述の楽譜の件も合わせて)、彼にとって演奏会を行うことがルーティン・ワークと化しているのではないかという気がしたこと。先ほど“ツボ”という言葉を使いましたが、まるで腕のいいマッサージ師のように、「ここを押せば、観客のハートをしびれさせられる」ということが、彼にはあらかじめわかっていて、それに沿って演奏しているような感覚にとらわれたのです。もちろん、彼はサービス精神も旺盛ですし、聴き手が無邪気になれば、充分楽しめる演奏ではありました。音も肉厚で、高音は輝かしく、低音は深々としているし、表現も全体的にはロマンティックでありながら、ここぞという場面では、ダイナミックに楽器を鳴り響かせる。特にチャイコフスキーの協奏曲は、ちょっとあざとく感じるくらい、堂々とした見事なものでした。でも、少しマンネリズムの気配が感じられたことは確か。以前、ある 舞台俳優が「私たちは、毎日、同じことを舞台の上で演じているけれども、その一回一回が、常に初めて遭遇した出来事のようにお客様の目に映らなくてはならない」と言っていたのですが、同様のことが言える気がしました(音楽が“新鮮”であることと、充分な弾き込みがなされていることが、決して矛盾することではないということは言うまでもないでしょう)。それから、“ツボ”は押さえているものの、それ以外の部分(技術的に言えば音程の精度など)が予想以上に粗かったのも、気にかかりました。これだけの才能を持った人なのですから、さらに完成度の高い音楽を目指せば、世紀の大ヴァイオリニストに成長することも、夢ではないと思うのですが……。
7月5日 サントリーホール/プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番(日本フィル)
7月14日 サントリーホール/モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第34番、ベートーヴェン スプリング・ソナタ、プロコフィエフ ヴァイオリン・ソナタ第2番、ショスタコーヴィチ “24の前奏曲”より
全曲暗譜での演奏。リサイタルでは、前半2曲をベーゼンドルファー、後半はスタインウェイと、ピアノを使い分けていたのが、ちょっと興味深かったので、一応記しておきます。さて、肝心のヴァイオリンですが、以前、私が聴いた時よりも楽器が鳴らず(特に低音)、音量があまり出ないのに、ちょっと驚きました。それとも、私の記憶違いだったのか……。パンフレットによると、96年から楽器を換えたとありますが、“ル・レーニエ”という1727年製のストラディヴァリウス(LVMHモエ ヘネシー・ルイヴィトンの貸与)から、1723年製のストラディヴァリウス(シカゴのストラディヴァリ協会(クレメント・アリソン)の貸与)への交換だから、何ら遜色はないはず。これだけの銘器なら、楽器に不足はないわけで、鳴らないのは、湿気の多い日本の気候のせいでしょうか? それだけではない気がするのですが……。
それから、左手の動きは唖然とするくらい達者なのに、右手が粗っぽく、ちょっと速いパッセージになると、音が痩せたり、荒れたり……なんていうことが頻繁に起こるのが、とても気になりました(これは最新盤のシベリウスの協奏曲を聴いてもおわかりいただけるでしょう)。どうして、こんなに無造作に弾いてしまうのか……。 20代の若い男の子ですから、エネルギーが有り余ってしまうのは、仕方ないとしても、やっぱり節度というものがあるはず。せっかくこれだけのテクニックを持った人なのですから、もっともっと音色の美しさを追求してもらいたいものです。それに、以前から動きの少ない人ではなかったのですが、今回はけっこう必然性のない動作、無駄な動きが目につきました。
圧倒的だったのは、ショスタコーヴィチ。左手の見事なテクニックに、作品が内包する強力なパワーが過不足なくぴったりと一体化して、緊張感のみなぎった演奏を実現していました。この作品をこれだけの完成度で弾きこなせるヴァイオリニストが、現在何人いるかを考えてみても、この人の才能が並大抵のものではないということが理解できるかと思います(ちなみに、彼のショスタコーヴィチの協奏曲の第1番のCDは、1995年度の英Gramophone誌の“Record of the year”に選ばれていますが、これも同曲の最近の名演盤と言えるでしょう。併録のプロコフィエフの第1番の協奏曲に比べても、ずっと素晴しい出来となっています)。
ただし、それに比べると他の作品は、譜面はきちんと弾けてはいても、内容的にはもう一つ踏み込みが足りないような印象を受けました。ベートーヴェンとモーツァルトには、もっと肌理の細かさや柔らかな気品がほしいところ。もちろん、全然別なアプローチを行うならば、それも大変けっこうですが……。プロコフィエフは、作品自体にロマンティックな面や、モダンな面、シニカルな面などなど……一見、相容れないような様々な要素をはらんでいながら、それが絶妙なバランスで一体となっている所に面白さがあり、そうした様々な音楽のキャラクターをどのように処理しながら、全体を構成していくかが、演奏家のセンスの見せ所だと思うのですが、楽器がきちんと鳴らない(特に協奏曲)せいか、色調の変化に乏しく、一本調子で押し通してしまった感じに聴こえたのが、とても残念でした。
しかし、アンコールは圧巻! アクロバティックな小品を、見るも鮮やかに弾きこなし、聴衆を呆然とさせていました。ヴァイオリニスト多しと言えども、こういう作品をまともに弾ける人は、ほとんどいないはず。そういう作品を敢えてアンコールで、しかも、本当に楽しそうにラクラクと弾いてのけるのですから、本当に「ははあーっ、恐れ入りました」という感じです。まさに、左手のテクニックに長ける彼の本領発揮と言ったところ! そのうえ“剣の舞”では、ヴェンゲーロフが休符の合間にピアノを手で叩いてリズムを取ると、今度はピアニストが立ち上がって、手を叩く……など、ユーモアたっぷりの動作を交えて、聴衆の笑いを誘っていました。こんなにサービス精神が旺盛な演奏家も、クラシック界では、まだまだ数少ないのではないでしょうか?
7月27日 フィリアホール/ベートーヴェン クロイツェル・ソナタ、グリーグ ヴァリオリン・ソナタ第2番、パガニーニ 「ネル・コル・ピウ」変奏曲、シマノフスキ アレトゥーザの泉、サラサーテ サパテアード、アンダルシアのセレナード、ヴィニアフスキ 創作主題による華麗なる変奏曲
彼女の演奏は以前にも聴いたことがあるのですが、その時に比べて格段に素晴しかったというのが、第一の印象でした。前回が悪かったのか、それとも著しい成長を遂げたのかはわかりませんが……。まずは、高音域の響きが、多少キンキンと金属的な感じがするものの、非常に輝かしいこと。それに比べると、低音域は若干鳴りにくそうでしたが、それでも全体的に音量がとても大きくて、ホール狭しと鳴り響いていました(私はこのホールで何人ものヴァイオリニストの演奏を聴いていますが、こんなに音の大きい人は初めてでした)。
特に前半の2曲のソナタは、パワフルな音に圧倒されるような感じ。当日、会場で何人かの知人に逢ったのですが、ベートーヴェンやグリーグには、少し違和感を覚えた人もいたようでした。まあ、これは好みの問題だと思いますが……。とにかく、こんな具合に楽器をパワフルかつ艶やかに響かせるので、スラブ系やラテン系など民族色の濃厚な情熱的な音楽が、彼女の資質に合っているような感じがしました。あるいは今回は聴けませんでしたが、プロコフィエフやストラヴィンスキーなどの今世紀の作品も面白い気がします。ただ、民族色の濃厚な情熱的な音楽が合うと言っても、彼女は決して思い入れたっぷりに音楽に没入していくタイプではないのです。ちょっと乱暴な言い方ですが、音色が派手で主張が強いわりに、音楽自体は意外なくらいサラリとしている。そのギャップが彼女ならではの個性なのかもしれません。体の動きもさほど多くないし、音楽の構成も常識的な線を逸脱しない。フレーズの終わりの処理の仕方なんて、むしろそっけないくらい。たとえば“クロイツェル”の1楽章に多出する重音など、もっとていねいに処理してもいいのではと思う箇所も幾つかありました。
後半はヴィルトゥオーゾ的な小品を集めたプログラムでしたが、中でも超難曲として有名な「ネル・コル・ピウ」変奏曲(この曲のみ暗譜で演奏)は、さすがの彼女でもテクニック的に不安定な部分を露呈してしまい、どうしてこの作品を敢えて取り上げたのか、不審に思いました。しかし、残りの作品はどれも素晴しい出来。彼女の華やかで、しかもキメの部分ではビシッとパンチの効く音色と曲想とがよくマッチしていましたし、それに、変に粘らない、サラリとした音楽の進行が、しゃれた味わいを産み出していました。こうした小品をすっきりとセンス良く演奏できる点も、彼女の大きな美点と言えるでしょう。
華やかさとパワー、そしてテクニックを兼備した彼女は、まさにソリスティックな演奏家といえるでしょう。今後、音楽にどのように深みを付けていくのかが、注目されるところです。それから、彼女は昨年、シノーポリ指揮ドレスデン・シュターツ・カペレとベルクの協奏曲を録音しており、今年の11月に収録予定のベルクの室内協奏曲とカップリングして、テルデックから発売されるとのこと(発売時期は未定)。これが彼女のCDデビューとなるわけですが、こちらも大きな期待が寄せられそうです。
……と、2回に渡り、長々と若手ヴァイオリニストについて書かせていただきましたが、いかがでしたか? さて、いよいよ9月。“芸術の秋”の夜長に、フレッシュな若手演奏家の演奏会やCDを楽しんでみるのも、一興ではないでしょうか? どうぞ、素敵なひとときをお過ごしになられますように……
(C) 1996 by 大津直子