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9.19の脱原発6万人集会 - マスコミ報道が小さい理由
昨日(9/19)の6万人が集まった脱原発デモについて、マスコミ報道の扱いが小さすぎるという不満の声がネットで上がっている。たしかに、マスコミが今回のデモを過小評価している点は間違いない。無論、それは意図的なものだ。NHKも民放もテレビのニュース番組で話題として取り上げたが、東京だけでなく全国各地でデモが挙行された事実を伝えず、各地の人数や映像を紹介しなかった。今日(9/20)の朝日紙面を見ても、東京のデモの写真は載せながら、全国で同じ行動があった事実は記事にしていない。3.11の事故の後、これは最大の脱原発の示威行動であり、他の政治的な集会やデモと較べても、6万人(警察発表2万7千人)という動員は最近では空前の規模と言える。画期的で大成功だし、取り組みを準備した関係者の労をねぎらいたいし、この快挙を心強く感じるが、問題は、マスコミ報道の扱いが小さい点をどう捉えるかである。思い出すべきは、3か月前の6.11の新宿デモだ。このときは、今回よりも参加者はずっと少なかったが、マスコミは重大な関心をもって取材し報道した。TBSの「報道特集」は、アルタ前にカメラとレポーターを置いて現場を生中継し、若者中心のデモの意義を積極的な論調で評価していた。マスコミの扱いが大きく、内在的で、今回のように冷淡ではなかった。問題はそこだ。
何故、今回は圧倒的な人数なのに報道が小さいのか。それは、単に今度のデモが既成組織の動員が中心だからという理由からだけではない。一言で言えば、社会の気運の盛り上がりが違うのである。6.11の新宿デモは、4.10の高円寺、5.7の渋谷に続く第3弾のサウンド・デモで、5.6の菅直人による浜岡停止要請から1か月後という、脱原発の世論が最も高揚した局面のイベントだった。その時期、マスコミも政治の世界も脱原発の空気が支配し、誰も公然と原発推進だの再稼働だのを言えないほどの環境になっていたのである。つまり、この3か月の間に、われわれ脱原発の側は徹底的に反撃され、陣地を奪われ、戦線を後退させられているのである。原発推進側に押し戻され、押し切られているのだ。その政治状況と戦局形勢を正しく確認しなくてはいけない。前原誠司が報ステの特集に出て、「20年で脱原発」などと妥協を言っていたのが7月。原発推進派が「脱原発」を標榜し、「脱原発」の中に身を潜り込ませ、マスコミと政治における「脱原発」の中身を巧妙に変質させる工作を始めたのが、ちょうどこの時期である。5月から6月が脱原発の趨勢のピークで、そこを境に、坂を転がり落ちるように脱原発のモメンタムは萎み衰えて行く。8月末の民主党代表選では、脱原発は争点にすらならず、候補者はすべて原発推進派で揃い、ベストミックスの公約だった。一瞬の早業で巻き返されたのだ。
6月当時を思い出せば、官僚とマスコミによる菅降ろしの政局に対抗して、菅直人が脱原発を争点にした解散総選挙に出るという予測すら、真実味を帯びて噂されていた。その結果、脱原発派が国会で多数を制し、独伊に続いて日本も国論を決め、脱原発の三国枢軸の出来かと期待させるほどの興奮した情勢の中にあった。菅直人が退陣しても、代表選で脱原発が最大の争点になることは、(脱原発を潰したい)マスコミの反動連中でさえ疑わない想定だったではないか。わずか2か月の間に、脱原発の側が一気に崩される事態が起きたのである。結局、代表選の争点から脱原発は外され、増税が争点にされ、挙げ句に増税候補が勝つという脱力の結末となった。もっと思い出せば、あの頃、佐高信が週刊誌に原発文化人のリストを並べ、罪状を糾弾して気炎を上げる光景があった。電力会社の広告塔として活躍してきた原発文化人たちは、茂木健一郎にせよ、勝間和代にせよ、今では素知らぬ顔でマスコミの表に返り咲き、大手を振って闊歩し跳梁しているではないか。復権した。朝鮮戦争後に放免された巣鴨の戦犯とそっくりだ。4月にかけて、「安全神話」、「御用学者」、「原子力村」などの言葉が原発を語る言論空間に次々と登場した。これらは、反原発の論陣を張ってきた高木仁三郎や広瀬隆が長く使っていた用語で、著書の中から拾われ、ネットで瞬く間に普及し、そしてマスコミの世界でも定着した言葉である。
「御用学者」という言葉に、今回初めて接した若い世代も多いかもしれない。今、事故から半年経ち、脱原発の気運の頂点から3か月経ち、「御用学者」の語が使われなくなり始めている。「原子力村」の語も、注意して耳を澄ませば、嘗てほど喧しく言われなくなった。批判言語が消えているのだ。また、東電や安全委や経産官僚の責任を追及する声も小さくなった。放射能汚染は確実に広がり、被害は深刻になっているのに、その事実が正当に報道されず、官僚とマスコミの言説に吸収され、責任論はすっかり背後に退いている。人災だったはずの事故は、天災として処理されている。さらには、3か月前は誰も言い出せなかったはずの、再稼働論が「正論」としてまかり通る状況に変わっている。そして、責任は国民全体が広く薄く負担しましょうという方向にシフトし、風評被害から福島県を守り応援するべく、県産品を皆で食べましょうというキャンペーンに化けている。福島第一の作業員が急性白血病で死ぬ事件が8月末に発生したが、マスコミは真相を検証しようとせず、診断した医師の取材もせず、被害者の身元情報すら報道に出さない。因果関係なしの東電発表で蓋をして済ませている。6月の時点だったら、このような異常な隠蔽工作がまかり通ることはなかった。大騒ぎになり、週刊誌が担当医と元請け幹部のインタビューを載せただろう。われわれは、6月から8月の過程を見直し、どのように反撃されたのか確認するべきなのだ。
「さようなら原発1000万人アクション」の運動が立ち上がったのは、3か月前の6月15日である。この日、澤地久枝と内橋克人と鎌田慧が記者会見し、1000万人署名の運動を提起してスタートを宣言した。会見の模様はテレビのニュースでも短く紹介された。すぐにサイトが設営され、私もブログの左カラムにバナーを貼って署名先のページにリンクし、運動をサポートする一人になった。そして、9月18日に明治公園でデモを打つ計画も、このときの発表で予告されていた。正直に言って、私はそのとき怪訝に思ったものだ。何故、デモをそんな遠い先の日程にするのだろうかと。もっと早く開催に踏み切らないのかと。当時の政局を見て、原発推進派の支配者側は、必ず菅降ろしと並行して脱原発の切り崩しにかかると確信したし、真夏の電力使用量の逼迫を背景に、脱原発を押し潰す攻勢に転じるだろうと予想されたからだ。脱原発の国民運動を組織するのなら、素早く動き、最初の一撃で敵を叩く必要があった。そのとき思ったことは二点で、これは労組など既存勢力を動員するオペだから、連合艦隊の海上行動のように、隊列の編成と操航に手間がかかるのかしらという危惧と、きっと彼らは灼熱の炎天下での集合を避けているのだろうという猜疑だった。この6万人のデモは、トラディショナルな左側のデモが主体である。3か月準備したから6万人を集められたという要素がある。同時に、3か月も時間を無駄にしたからマスコミに無視される環境に変わったという側面もある。
もう一つ、私には不満がある。それはメンバーだ。澤地久枝と内橋克人と鎌田慧の3人は悪くない。大江健三郎のキースピーチもいい。だが、落合恵子がサブリーダーというのは気分が殺がれる。3月末だったか、私が初めて小出裕章のことをネットで知った頃、毎日放送のラジオ番組の録音がネットに上がり、それを聞いたことがあった。京都で開催された脱原発系の集会で、出演者が、関電がマスコミ報道を統制して原発の安全神話を刷り込んでいた問題を告発していたが、会場にいた落合恵子が飛び入りで番組に参加し、次のように言ったのである。「私たち、メディアでお仕事する者たちは、原発が安全ではないなどと一言でも言うことは、これまで絶対に許されなかったのです」。正確に記憶してはいないが、そのような趣旨の発言をした。私は呆れて鼻白んだものだ。要するに、テレビのワイドショーにレギュラー出演し続けたいために、持論である脱原発の主張は控えていたことの言い訳と開き直りだ。テレビ局に唯々諾々と従って、原発はエコだ安全だという話を黙過していたという醜態ではないか。それは言論者にとっては恥の告白である。ジャーナリストを自認する者が臆面なく言える言葉ではないだろう。落合恵子は、自ら悪びれることなく堂々とそう言い、(自分は悪くなく)マスコミが悪いのだと声を高くして訴えていた。自分自身の責任や反省は言葉にしなかった。まるで被害者だった。そういう人間が、脱原発の国民運動の発起人として適任なのだろうか。雛壇に並んでいいのだろうか。
大江健三郎は立派な指導者だし、運動にケチをつけたくないが、ここに発起人として名を連ねている面々は、9条の会とか、左側の常連ゼネラリストで、脱原発に過去から携わってきた専門家ではない。棘のある言い方を敢えてすれば、オールマイティの看板キャラの諸氏である。原発問題にずっと向かい合ってきた経歴を持つのは、この中では鎌田慧だけだろう。高木仁三郎が生きていれば、この国民運動の正統指導者に立っていたに違いない。が、高木仁三郎は没していない。とすれば、誰がリーダーに立つべきか。当然、小出裕章と広瀬隆だろう。私はそう思う。落合恵子ではなく、小出裕章と広瀬隆が6万人の前に立ち、歴史的な演説を残すべきだった。この二人は、高木仁三郎と同じく、脱原発に命を賭けてきた知識人である。時代に阿ず、節を曲げず、脱原発を説き続けたために、迫害を受け、不遇の人生を強いられてきた受難者である。日本の脱原発の理論的指導者であり、リーダーとしての立場と資格を持つ英雄だ。理論的指導者が演壇に立たずして、誰がこの運動を鼓舞する檄を飛ばすのか。小出裕章と広瀬隆がメンバーに入ってない理由は分からない。事務局が最初から外したのか、本人が要請を断ったのか、事情は部外者には不明だ。だが、この二人が先頭に立てば、私も運動に積極的に参加しただろうと思う。このところ、二人の存在感がすっかり薄くなっている。二人の影が薄くなると共に、脱原発のモメンタムが減衰し、目標が見えにくくなっているように感じる。言葉と実績を持った者だけが運動の指導者になれる。
指導者は飾りではない。事務局による人選の思考が安易だと思われる。
by
thessalonike5
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2011-09-20 23:30
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東日本大震災
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