セントラルパークを目指したのには訳があった。
John Lennonが住んでいたダコタハウスに行ってみようと思ったのだ。
今から9年前、New Yorkに出張で来た際に、一度訪問したのだが、それ以降はNY
を何度か訪れたものの来る機会がなかったのだ。
今年は
ビートルズファンにとっては特別に記憶される年だろうし、実際に9/9以降は
久しぶりにビートルズを聴く機会が増えていたので、久々に行ってみよう、という
気になっていたのだ。
日本ではよく
「ダコタハウス」と表記されているけれど、僕が見た限りだと、
英語では、
"The Dakota"と書かれているケースがほとんどのように思われる。
「ハウス」ってついてねーんだよ。
1880年10/25から1884年10/27まで4年の歳月をかけて建造されたという。
季節で言うと、ちょうど僕が訪れた頃だ。
シンガーミシンの社長 Edward Clarkから依頼されてHenry Janeway Hardenberghの
設計事務所がデザインをしたらしい。彼らはプラザホテルのデザインでも知られている。
建てられた当初、周囲に何も無かった(古い写真が残っている)ので、
マンハッタンの北のはずれ(=僻地)をアメリカのカナダ国境の僻地のダコタに
準(なぞら)えて名づけられた、という説が1933年の新聞記事で紹介されているそうだ。
その説ともうひとつ、発注主のEdward Clarkが、ダコタ好きだったからそう
名づけられたという説と2つあるようである。
真相はどちらでもかまわないけれど、そういう謎とか「言われ」があるのって、
何だか楽しくて良いな、と思う。
記憶を頼りにセントラルパークを西側に沿ってゆっくりと歩いた。
そろそろあっても良い頃じゃないかな?と思ってから更に少し行った72丁目に
突然豪奢な普請の建物が聳え立っている。
建物は大きいのだが、それに比較して通りの幅が充分に広くないので、遠くから
それを見ることが出来ないので、文字通りひとつブロックを過ぎると突然現れる、
と言う印象を受けた。
非常に立派な建物で、歩道と建物の間の柵(フェンス)にも立派な男性の頭部と
ドラゴンが2体で一組の金属製の飾りが数mおきに設置されている。
Johnが撃たれたという入り口には守衛がいて緩い感じで立っていた。
前回来たときは 「ここが・・・」と僕が質問しかけたところ言い終わる前に
「そうだよ」という感じで頷いたのだが、今回は守衛同士で談笑していた。
ここで撃たれたのか。。。と思うとちょっと切ない気がするが、そこを
日常で通り抜けているヨーコさんやショーンはどんな気分なのだろう?
もう毎日の事だから深く考えないのかもしれないけれど。。。
このダコタハウス、入居にはボード(理事会)の許可が必要らしい。
過去から現在の居住者のリストを調べるとなかなか興味深い。
一方でつい最近(2005年)にもアントニオ・バンデラスとメラニー・グリフィン夫妻が
入居を断られたとして話題になった。
一応、お金があるというだけではダメで、アーティスト系である必要があるらしい。
1970年代には、ビリージョエルやジーン・シモンズが断られたのも有名な話である。
居住者リストには古くはローレン・バコール、レナード・バーンスタイン、
なんて名前もある。
それ以外でもざっと列挙すると、
ボノ、ロバータ・フラック、ジュディ・ガーランド、イアン・マクドナルド、
ロバート・ライアン、ニール・セダカ、ポール・サイモン、スティング等々
年間何日ここに住んでいるのかは知らないけれど、錚々たるメンバーだ。
勿論、ここに小野洋子さんとショーン・レノンも名を連ねている。
次々と観光客がやってきては、入り口で写真を撮っている。
アビー・ロードスタジオ前の横断歩道を思い出した。
ダコタハウスを後にして、中央公園(漢字?)へと戻る。。。