2011/9/12
世界は,舞台裏をのぞいたことのない人間には全く想像もできない人物によって支配されている<Benjamin Disraeli>
ローマの信徒への手紙13章1〜7節(支配者への従順)。つまり夜中の3時にドアをノックされFEMA CAMP(Death Camp)へ強制連行されても「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく,神に仕える者として......」
サタンは光の御使いに変装し(IIコリント11:14)、そしてサタンの手下は義のしもべに変装するのです(IIコリント11:15)
一番下の記事参照ください。もうカウントダウン が始まっています。実際にこの「死のキャンプ」を管理人は決死の思いで見ているのですから嘘はありません。
ここの記事の後半にFEMA CAMPの写真が貼ってある。みな,しかと心せよ 。
これらの流れを変えることが出来るのは「天皇カンパニー」の唯一の推定名義人近XXXでしょう。本人は壮絶な禊(みそぎ)を経ていますから(あのキッシンジャーも絶対的な忠誠心を持たせるため行われたBreaking Point・あるポイントになると精神に異常をきたす実験でナチの死の天使と言われたメンゲレ博士が人体実験を重ねた末の手法)そう簡単ではありません。どこかの馬の骨が名義人なのではないのですよ。デヴィッド・ロックフェラー亡き後小沢一郎とジェイ・ロックフェラーはそうしてくれるでしょうか?
答えは.......不可。
ヒラリーが持ち帰った100兆円以上(もしかして1000兆円かも)の天皇カンパニーの約束手形(Promissory Note)で8月15日の米国債の利子を払いいつの間にかデフォルトの文字が消えた。間もなくチャールズ公が金をせびりにくるだろう。まず条件をつけることだ。それをロンドン筋に伝えることだ。日本は水爆以上の兵器を持っているのです。それはカネ,カネ,カネのRatioの天皇マネー ですからそれなくしては世界経済は成り立たないのです。本当はデヴィッドロックフェラーが来る予定だったんですが,あの車椅子ではね。ヒラリーはよくやったと世銀総裁の椅子を与えようとか。
代理人は,彼らの忠義を彼らの国ではなく,風の征するモレア=イルミナティに捧げるのである。彼らの狙いは彼らの愛すべき国を破壊して,その殺戮から利益を得ることである<ヘンリー・メイコウ>。
ガーター騎士団が総力をあげた天皇マネーはスイスの赤十字の名義になっていて京の単位(京は兆の一万倍)あるのですから,少なくともあらゆる法人税,所得税,相続税,消費税をなくしとりあえず200兆円ほどで京浜工業地帯を買い取り羽田空港を延長したらいいのです。経済乗数効果 というのを知っていますか。その効果は2000兆円にもなるのです 。
米国債の900兆円?石川五右衛門 が生きていたら言うでしょう。「チッチェーチッチェー」と。
『 1947年1月21日、米国統合参謀本部はGHQに、「日本国の賠償金の原資を確保せよ」との命令とともにひとつの文書を送付した。
「皇族あるいは、彼または彼女の資産の受取人名義人は、事実上国会の管轄外に置かれてきた。このため当委員会は、降伏時における、皇室、宮内省、および全皇族ならびにその名義人の比較的価値のない純粋な物品または骨董品を除く所有財産すべての品目の詳細且つ完全な目録(売却方法を含めて)の入手を望むものである。」
さて、私は日本郵船については書いた。大阪商船の株も皇室は持っていた。この二社の船が、天皇が「火事場泥棒方式」で侵略していった地域へ、物資、機械、人間を運ぶのに使われた。三菱と三井のみならず、住友以下の財閥とも皇室は深く結ばれていた。
また、皇室の銀行支配も徹底していた。皇室は日本銀行の47%の株を持っていた。紙幣を発行するたびに、公定歩合を調整するたびに、莫大な利益が皇室に流れた。
日銀の他に注目しなければならないのが、横浜正金銀行である。「皇室財産が大部分、横浜正金銀行を通じて海外に運び出された」とベアが書いているのは厳然たる事実である。
ポール・マニングは、『米従軍記者が見た昭和天皇』の中で次のように書いている。
「昭和天皇がヨーロッパの金融市場で影響力を持つことができたのは、日本銀行ほど厳しい規制を受けない民間銀行である横浜正金銀行の株を保有していたからである。彼は全発行株数の22%に当たる22万4912株を保有する最も重要な大株主であり、二番目の大株主は2万2000株しか保有していなかった。」
2001年8月13日、共同通信社はスイス政府とスイスの赤十字委員会(ICRC)の1945年8月、終戦直前の公文書を報道した。その内容を記すことにする。簡単にわかりやすく解説する。
終戦直前の8月、(管理人注 :これは間違いで4月15日)昭和天皇の皇后(良子)の名で一千万スイス・フラン(当時と現在のスイス・フランの購買力を単純に比較しても約33億円)の巨額な寄付をするとスイスの赤十字国際委員会(ICRA)に提示した。これに対し、連合国である対日政策決定機関の極東委員会が、この寄付申し込みを受け入れるなと赤十字に通達を出した。しかし、赤十字はこの極東委員会の提案を覆し、1949年5月に秘密裡に送金を受け入れた。この寄付は横浜正金銀行がスイス国立銀行に保有していた「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。皇室はスイスの国立銀行に秘密口座を持っていたし、現在も持っている。どうして天皇が自分の名前でなく皇后名で(管理人注 :これは英国国立公文書館で確認した)横浜正金銀行からスイスに送金したかは不明である。
しかし、推測してみよう。2001年の評価額で約33億円の金を赤十字に寄付するということは、赤十字と何らかの秘密取引をしたとしか考えられない。寄付の数十倍ないし数百倍の秘密預金を、赤十字の名前を借りるか、その力添えでスイスの国立銀行の秘密口座に入れたということであろう。
終戦直前の8月7日、東郷茂徳(当時外相)が、赤十字の駐日代表に皇后名で一千万スイス・フランの寄付を申し入れた。赤十字は応じた。しかし、スイス政府は8月16日に英米などとの合意に基づき、日本資産を凍結した。
1949年に赤十字が英米による圧力下の日本資産凍結の圧力を覆し、一千万スイス・フランの寄付を正式に認めたということは、横浜正金銀行の天皇の「秘密口座」の資金の凍結を解除するための努力の見返りであったといえよう。正確な金額は把握できていない。前述のマニングは昭和天皇の秘密資産の一部について次のように書いている。
「天皇はハイテク電子工業とホテルへの適切な投資で得た推定五千万ドルを公認の手持ち資金として個人的に東京で貯蓄することができた。この投資を可能にしたのが、スイスにある推定30億ドルの秘密資産である。この秘密資産の一部をさまざまな一流企業に融資した天皇は、投資の機会を得て、かなりの額の利益を得たのである。」..........
天皇は(表面的には皇后名であるが)、執拗にこの寄付に力をそそいだものと思われる。この紛争は1946年6月、極東委員会と連合国軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。極東委員会はこの年の10月、「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定した。マッカーサーの決定ですべてが終わったかにみえた。しかし、赤十字はアメリカの弁護士を雇い、マッカーサーに脅しをかけた。マッカーサーは解任の動きを知る。この問題がからんでいると私は推測する。しかし、今のところ確証はない。
そしてついに極東委員会も、この問題に反対し続けた英国政府も、赤十字の工作に敗北宣言を出した...........
赤十字は私たちが考えるようなナイチンゲールの世界ではない 。国際金融資本、特にユダヤ資本と深く結びついている。彼らは朝鮮戦争を仕掛けるために、天皇が必要だったのではないのか。天皇は彼らの要望に応えると約束したために、秘密資金の凍結を解除されたと推定しても、そう間違った推測とはならないであろう。』(天皇のロザリオ・鬼塚英昭著より)
ローン途中で津波にやられた方は地獄でしょうね。これは西側の銀行システムが質屋であるからでイスラム銀行法によれば そういう場合アラーの神のもとすべてチャラにしてくれること知っていましたか?ある若者が猟師になりたいので船を買うお金がほしいと今の銀行へ行ってごらんなさい。ケンモホロロに追い返されます。しかしイスラム銀行は違います。銀行が船を買って担保にするのです。しかも5年間無利子で。若者が成功すれば金利+アルファをつけて返済するのですが万一台風やシケで船が沈没してしまっても「仕方がない」でシェークハンズで終わりです。これはイスラム社会では当たり前のことでホームレスは一人もいない。そんな人がいればみなで家にきて飯を食え......とこうなるのです。一方この国ではホームレスの収容施設建設を知るや,よってたかって反対をする........それが温もりのない現実の社会なのです。戦前・戦後にリヤカーを引きくず鉄を集めていた朝鮮人の老人に子どもまでが石を投げつけたつけが今出ているということ。
ニーベルンゲンの指輪 その7参照(モーゼ=モハメッド?)
イスラム教もキリスト教も元を辿ればアブラハムなんですがね(笑)。
一連の記事は「黒魔術」という大河の一滴の源流に迫る内容です。初めての人がいきなり読まれますと発狂しかねませんので拙稿の最初からお読みください。 オカルトや聖書が出てくるとみな逃げてしまいますが正面から向き合ってください。理解するには吐き気をもよおします。しかし,これが分からなければあなたたちは永遠にロスチャイルド家の奴隷のように忠実な僕(しもべ)であり続けなければなりません。ここが踏ん張りどろこです。逃げては駄目です。かつての管理人は嘘つきで逃げてばかりいましたが今は逃げません。イソギンチャクの日本人ではもう駄目なのです。世界中どこを旅行しても 「正・反・合」の弁証法で動いているのです。それを見きわめられない人たちは淘汰されてゆきます。一体何人の人がこれらの記事を読んで目を開くのでしょうか。淘汰される人々には同情はしません。何回も書きますが.....
アンダーラインの部分は2007年当時定年まじかの京都大学医学部卒の医師が書いたブログです(本人によれば)。まさに慧眼でしょう。それ以来「狂徒大学」と呼んでいたのを改めました。しかし,東京大学は「頭狂大学」,東京外国語大学は「頭狂害酷大学」といまでも呼んでいます。昭和40年に文部省が行った東大,東京外語,一ツ橋でのクレペリン検査(キチガイかどうかを見きわめるテスト)はなぜか公表されていない。余りにも浪人ばかり増えて難解な入試のためかクレペリンのためかその後入試問題は易しくなると同時に女子大みたいになっているようです。ノーパンシャブシャブで問題になった当時の大蔵省の幹部はみなクレペリン検査を受けていておそらく「キチガイ」と分類されていたのでしょう。そういう管理人もきっと「キチガイ」だったのでしょう。
はっきり言ってしまうと,学校とはだれしも少し気のヘンになる思春期の精神病院なのです,とある作家は言っていた。
Black is White.White is Black.That's the Way It is!!
龍殺しのテーマ
ユング心理学では、混沌の象徴である龍が殺されて秩序が生じる過程を、人間の意識の発展と解釈する。
龍はいずれも無意識・混沌を示す円環的時間 (進歩のない歴史)の隠喩であり、ギリシアでは自らの尾を噛む龍ウロボロスで表された。
この永続が破れ、進歩へ向かう歴史(直進的時間)が開始される経緯を表したのが龍殺しのテーマでもある。
『ハレとケの概念は、円環的時間論に基づいている。円環的時間論というのは、世界は始まるが、一定期間が経ったら崩壊し、再び再生するという、時間が同心円を螺旋状のように回る世界観である。そこには本質的な「進歩」や「発展」はない。
これに対するのが直線的時間論である。世界は一度始まったら、もう元には戻らず、絶えず変化していき、最後は崩壊を迎えて終わるという、一回限りの一本の時間軸が延びた世界観である。
現代に棲む私たちが後者の時間論の呪縛にあることは言うまでもない。この世界観は、実はやや特殊なものであり、ユダヤ-キリスト教の世界観(神による世界創造〜終末と審判)に基づくものである。
なぜ直線的時間論が特殊なものであるかと言うと、この時間論を担うキリスト教的ヨーロッパ文明が全世界を席巻するまでは、世界では円環的時間論がむしろ圧倒的であったからだ。
例えば、東洋的な王朝の時間を考えてみよう。まず、王の死が世界の崩壊である。新しい王の即位は新世界の誕生、世界の再生なのである。年号とは本来そういうものとしてあった(暦年主義の「西暦」と比較されたし)。王朝の交替という、より大きな事態では、全くもって世界秩序の作り直しなのである。
話を少し戻すが、人間は自然の一部であり、自然とともに生きてきた。そういう人間が自然の姿を見て、また自分たち自身の有り様を顧みて、どういう世界観をもったかは自ずから明らかであろう。世界にあるあらゆる生き物は生と死によって明滅し、子は親をまねるように生きてきた。原初的、原型的な世界観が円環的時間論にあることは間違いない。
実際、直線的時間論を自明にして生きる現代人である私たちでさえ、いまでも基底的には円環的時間論を生きている。時間とは世界であるが、例えば「正月」は一年という時間の始まりであるとともに、世界の誕生(再生)である。生の前には死がある。大晦日の夜の、あの何とも言えぬ時間のやり過ごしは「死」の体験でなくて何であろうか。それが証拠に、年が明けた新年の挨拶の晴れ晴れしさはどうであろう。
一年自体が、生と死をくり返しているという感覚が、ハレとケに通じている。もちろん、一日や一月も生と死をくり返している。これを天に転じれば、太陽が、そして月が生き死にし、円環的時間をくり返している。私たち人も、一生涯の中で絶えず生き死にしている。放っておけば、生は崩壊してしまう。生エネルギーを補充し、再生行為をくり返さねばならないのだ。これが円環的時間論に棲む人生観である。
ではいかにして日本人は、生涯の中で生エネルギーを補充してきたのであろうか。それは祭りの日に神から得てきたのである。祭りの日こそ晴れ(ハレ)の日である。いまでは祭りとは見せ物となったものを言う。しかし本来は、正月や盆、節句、農耕儀礼など、神と交渉をもつ様々な機会すべてが祭りである。すなわち、これがハレの日である。
祭りの本質とは何か。神話の再演、世界の始まりの時間を神といっしょに過ごすことにある。そうして原初のエネルギーを得るのである。その具体的な象徴行為が餅(米)を食べることだ。これはただの米ではない。神に捧げる食べ物を御饌(みけ)というが、これをおすそ分けしたケ(食べ物)である。神のエネルギー源と同じものを食べることで、ケ(生エネルギー)が充満するのである。これがハレる(晴れる、張れる、春、満ち満ちる)という意味である。なお、御酒(みき)の場合も同様であるが、この「水」は変若水(おちみず、若返り、再生の水)となる。
さて、話は変わる。ヨーロッパには円環的時間はないのか。キリスト教の普及以前には円環的時間論のケルト・ゲルマン文明があった。実は、ヨーロッパにも円環的時間が基底的に生き続けている。マリア信仰は今世紀になってローマ教皇に認知されるまでは「異端」の教えであったが、これは古代信仰の大地母神の偽装形態(カムフラージュ)である。さらに、キリストその人の誕生日であるクリスマスは古代以来の冬至と正月の祭であり、その復活祭(イースター)とは春分祭(春祭り)に他ならない。つまり、キリストの名を借りた伝統的伝承的な太陽祭なのである。
「復活」とは太陽(一年)の再生であり世界の再生である。復活祭に先立ち、謝肉祭(カーニバル)が行なわれる。最も有名なのがリオのカーニバルであるが、ご存知の通りサンバのリズムに合わせたらんちき騒ぎである。このどこがキリスト教的なのか。その本質は円環的時間論に基づく祭りなのである。(管理人注 ;リオもニースのカーニバルも「毎年変わる四旬節 」がベースでマルディグラとも呼ばれつまり火曜日が本当の謝肉祭=カーニバルの意味で元々ブラジルの黒人奴隷が「泣きたくなれば歌おう」死にたくなれば踊ろう」から始まった。)
ところでブラジルとは興味深い国である。インディオの土地と人々を16世紀にポルトガル人が植民地とした国であるが、その後、アフリカから多くの黒人奴隷が移住させられた。その結果、白人、インディオ系混血人、黒人が共存する国となった。彼らの共通の信仰はキリスト教であるが、特に後二者の信仰は意識せざるカムフラージュであると思われる。インディオ、黒人たちの信仰の深層にはそれぞれの円環的時間論の神話がある。リオでのカーニバルの盛大さはこの抑圧された神話の噴出と考えねば説明できるものではない。
再生の前には「死」がなければならない。その「死」の期間に行なわれるのがカーニバルである。そこは非日常、いや反日常の時間、人の時間ではない神の時間となる。世界の秩序が誕生する以前の混乱状態(カオス、非・反秩序)を、カーニバルとして再演しているのだ。すなわち、誕生前の世界はこうあったという神話である。そして、祭りの終わりとは、秩序(コスモス)の成立(回復)、世界の誕生(再生)を意味することとなる。
日本にも「カーニバル」はある。祭りの中での、人の時間ではないときがそれである。ケ(日常)の正気や秩序を失うとき、人は神の世界にいる。本来の祭りのクライマックスは、酔いつぶれることである。これもカオスであり、非-人知、神に近づくことなのである。また、盆踊りもそうしたものである。一晩中、踊り明かす神憑かりの時間である。 ハレとは、日常(人の秩序)を超えた時間、神の時間である。そして、祭りとは神話の再演であり、世界の死と再生なのである。』以上ハレと祭りのカーニバルより
『02. 2011年5月07日 12:42:30: y0w1x0y7Qc
明治維新のグラバーと薩長の関係からもわかりますね。しかしこれは日本人と世界の人類の進歩を妨げています。皆が自立した個人の集合体となる時期は迫っているので、こういう組織は捨てられることになるでしょう。そのための被害を少なくするには明るい気持ちと情報拡散ですね。金銭支配からの脱却。利息の廃止がひとつの目安になるでしょう。戦争も全ての経済活動もGDPを無限に増やす、利息をつけてお金を貸しそれを返済することによってなされます。無意味な戦争やテロ、環境汚染がなくならないのは利子の増大がかかわっています。個人財産の不均衡も問題です。世界権力者図鑑に載っていた欧州の貴族は中堅クラスで5兆円。普通のサラリーマンはがんばってもせいぜい一億でしょう。前にも書いたかもしれませんが5兆からみれば1億などゴミのような扱いができます。目的に応じて予算をつけるのではなく彼らの個人財産を増やしそれで賃金奴隷をつくることが目的なので(民主主義のサラリーマンには自由はありません。中央銀行に逆らった者は色々な迫害をうけ生きていけなくなります)、使い捨ての兵士や過労死サラリーマン、また最下層工作員も犠牲になります。現在起きているのはピラミッド下層工作マフィアの一種の世界的反乱と言ったものです。上層のレプタリアン系とも言われる人たちは人口大幅削減をしたいのですがそれはマフィアにとっては自分のビジネスの妨げになるからです。だから情報を色々両者のメンバーが流しています。しかし人類の行方を決めるのはどちらでもない一般人だったりします。可能性があるという意味で、そして本当に人々の生活を支えてきた人たちという意味でです。だから情報はありがたくいただいて無知を脱却する必要はあるわけです 。』
1)利益というものを,人間の生き方の中心に置いた社会というものは必ず破滅する。
2)便利な生活というものを,最高の価値として,それだけをひたすら追いかけると冷酷非常な世の中になる。
3)世の中が乱れることの根本は,賢くなれといって頭のいいことを人間たることの第一の価値として強調することだ。
これは老荘の言葉です。心して生きられるよう。
CIAのプロパガンダ・モロク神
カルタゴ の(サートウルヌス=モロク)バアル・ハモンの儀式と彫像の描写によれば,帰依者はまずモロクの像に口ずけをしたあと,像の下で火を熾(おこ)し,像が速やかに赤熱するようになった。次に犠牲者が神の輝く手に置かれ,死の苦しみを味わい,苦痛の叫びは太鼓の連打によってかき消された。(管理人注:こういう儀式はそのまま受け継がれ死の叫びはロックンロールの大音響でかき消される)生贄の儀式が行われている間,預言者たちが祭壇のまわりで踊った。
生贄の場は,子どもたちの悲鳴のゆえにヒンノムと呼ばれ,これは叫ぶを意味する言葉ナハムに由来する。太鼓を意味する言葉トフから,トフェトと呼ばれることもある。イエルサレムに近いヒンノムの谷にあるトフェトで,一部のユダヤ人が律法に背いてモロクに子どもを生贄として捧げた。イゼベル (列王記に出てくる北イスラエルの王,アハブの妻)がモロクに生贄を捧げ,450人の預言者を養ったことが列王記には面々と語られている。
ベン・ヒノムの谷(VALE OF HINNOM)はかつて屠殺の谷と呼ばれた。......王はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し,だれもモレクのために自分の息子,娘に火の中を通らせることのないようにした。(列王記U第23章10節)
サムエル記に見られるこの谷の近くのELAHはダビデがゴリアトと闘った谷でもある 。
聖書ものがたり・列王記参照
教養としての聖書史
預言者たちは烈しく手足を動かして踊り,それによって狂乱するほど興奮して,恐ろしいほどに騒ぎ立て,短剣や柳葉刀で体を切り始めた。この新たな状態で,何か不可視の力にとり憑かれたかのように,預言を口にしはじめるというよりも,わめきたてはじめた。
写真はBOHEMIAN GROVEの儀式の模様。
モロクの儀式はいまや失われて久しい聖なる叢林で行なわれた。これが神の二本の角とともに,バアル・ハモンの崇拝と『ネクロノミコン』で言及される千匹の仔を孕む森の黒山羊,シュブ=ニグラス の崇拝との類似性を反映する。カルタゴの偶像崇拝の謎の多くは,学者や考古学者が努力を続けていてもなお,まだ解明されるに至っていない。古代カルタゴを取り囲む地域は異様な伝説に包まれている。最近でも巨大な墓所や同様に巨大な遺体が遠隔地で発見されたという話がある。(管理人注:いわゆるエノク書にも出てくるネフィリム という巨人)
ドルイド教の巫女(1910年頃)/ ルドン
パステル・紙 39.4×34.4cm イアン・ウッドナー・ファミリー・コレクション
ドルイドとオペラ
ハロウインの本当の意味は??
オカルトでは10月31日のその祭りは「サムハイン」と呼ばれている。ハロウィーンの日に,ドルイド僧と信者たちは,城から城,農奴から農奴へ”トリック オア トリート”と言いながら渡り歩く。
ウェインガートナー教授の草稿
◇前半の一
「――例えばダーナの最も有名な神々は皆血族である。バロールはルーの祖父でありルーは著名なドルイドであるカスヴァスの祖父でありカスヴァスは英雄クー・フリンの祖父である。神の力は血によって受け継がれるのだ。もちろん世界の神話に於いてそれは珍しいことではないがダーナ神話に関しては注目すべき点がある。即ち想像上の存在である神々と現実の存在であるドルイド等ケルトの民との近さである 。実在の人間が神の血を引くと称されるのだ。これは西洋にはあまり例のない『神と人の近さ』である(東洋にはこのような神話が多い。例えば日本のそれは現人神と呼ばれる)。ケルトの血――」
◇前半のニ
「――次にダーナ神族の大母神ダヌー(アヌ)に関してである。ダーナには多くの有名な神がいるがそのほとんどは男神である。曰く魔眼のバロール、太陽神ルー、善神ダグザ、獣の王ケルヌンノス等。それに比べて大母神ダヌーに関して伝わる逸話はその重要度にもかかわらず驚くほど少ない。森と大地を尊ぶドルイドやケルトの民にとっては大母神こそが最も重要な神であるはずなれば。余はこれをドルイドが故意にダヌーの逸話を隠蔽しようとしたのではないかと疑う。ダヌーには何か隠さなければならない秘密がありドルイドは他の男神の逸話をもってそれを隠蔽したのではないかと。余はこの秘密の――」
ダーナ神話とは?
上はシュブ=ニグラスの子より
シュブ=ニグラスの子の一族は体力・知性・魔力などのあらゆる点において人間をはるかに凌駕し、ドルイドの頂点に立ってケルトの民を率いました。たとえばダーナ神話で最も有名な英雄クー・フリンとは、まさにシュブ=ニグラスの子の行いの数々を人格化したものだったのです。
Shub-Niggurathの 姿形は不明ですが、どうやら真っ黒な存在で、ラヴクラフトは「雲の様な」と表現しているので黒いバルンガの様なものを想い浮かべれば良いのでしょうか?女神と言われていますが女性存在と交わって相手に出産させるなど男性神としての側面も持ち、両性具有の存在である様にも想われます。 あらゆる豊饒の女神の原型となった女神と云われており、又、サバトの女王とも云われています。シュブ=ニグラスの名こそ残っていないものの、キリスト教の影響下にあって悪魔崇拝とされた世界各地に残る婬猥な祭の豊饒神たちの正体は全てシュブ=ニグラスであるとされています。典型的なものはドイツのワルプルギスのサバトです。
サバトで祀られる黒山羊の頭部に乳房を持つ悪魔もシュブ=ニグラスの別な姿であるとされていますが、変身した姿なのか化身の一つなのかは不明です。又、ヘブライ神話のリリスや婬夢魔の伝説の源もシュブ=ニグラスであるとも云われています。 この神の系統についてはフレッド・L・ペルトン(Fred L Pelton)の古き神ソトース(Sothoth)が全ての古きものを創造したとする説を除けば二つあり、それもあまり違わないものです。一つはラヴクラフトに依るもので、無名の霧(Nameless Mist)と共にアザトース(Azathoth)から産み出された闇(The Darkness)がこの神を産んだとするものです。もう一つはリン・カーターに依るもので、クグサクスクルス(Cxaxukluth)、ナイアルラトホテップ(Nyarlathotep)、ヨグ=ソトース (Yog-Sothoth)と共にアザトースの子供とするものです。又、ラヴクラフトはシュブ=ニグラスをヨグ=ソトースの妻であるとしています。又、この二神の間にナグ(Nug)とイェブ(Yeb)の恐ろしき双子が生まれたとしており、カーターも双子の両親についての設定は踏襲しています。一方、ダーレスはシュブ=ニグラスをハスター(Haster)の妻であるとしていて、ベネット・ライリーの「Star-crossed」は、この説を踏襲しています。 又、ジョゼフ・S・パルヴァー(Joseph S Pulver)の「The Guard Command」では、シュブ=ニグラスはイグ(Yig)との間に長女のウトゥルス=フリール(Ut'ulls-Hr'ehr)を産んでいる事が語られています。 一方、シュブ=ニグラスは子供を産むだけではなく産ませる側、すなわち父親となる機能も持っています。フレッド・C・アダムズ(Fred C Adams)の「The Punishment of Ighatha」では愛妾でおそらくは普通の女性であったラティナ(Latina)に後にサテュロス達の祖となるイガールタ(Igharta)を産ませています。又、エドワード・ポール・バーグランド(Edward Paul Berglund)の「Wings in the Night」ではナイアルラトホテップの従姉妹と呼ばれる影の女悪魔ミノガーラ(Mynoghra)にヘルハウンド(Hell-Hound)達を産ませています。 それから千匹の仔山羊(Thousand Young)達の母と呼ばれていますが、彼等は本当の子供ではなく変異させられた人間の男達である事がエドワード・ポール・バーグランドの「Cat's Paw」で語られています。しもべである魅惑的な若い娘を世に放ち、彼女との交情を望む男達を家に連れ込ませ、娘の母親だとしてリリス・スモールウッド(Lilith Smallwood)と名乗り、黒山羊(Black Goat)とも呼ばれている女・・・おそらくシュブ=ニグラスの化身が、男に会い、娘と交情する前に自分と交わる事を強要します。そして彼女と交わった男は、みな仔山羊に変身させられてしまうのです。 なお、シュブ=ニグラスの崇拝地の一つであるシスカ渓谷 (Sesqua Vaklley)には、シュブ=ニグラスの兄弟神ナイ=ラカス(Ny―Rakath)の伝承がある事がW・H・パグマイア(W H Pugmire)の「The Thing in the Glen」で語られています。
アッカドと神的存在
類型論と説話の種類
ゴルゴーンメドゥーサ↑ .......例えばゴルゴーン三姉妹などは、海の神ポントスの子孫で、本来神であるが、その姿の異様さから怪物として受け取られている。ゴルゴーン三姉妹はポルキュスとケートーの娘で、末娘のメドゥーサを除くと不死であったが、頭部の髪が蛇であった
ネフィリムは「創世記6章1〜4や民数記13章33節」などに登場する 。
『ノアの大洪水の主要な原因のひとつはネフィリムでした。ネフィリムのことが書かれてある直後に、神のみことばはこう語っています。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は仰せられた。『わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。』」(創世記6:5−7)そこで神は全地上を洪水にし、箱舟に乗ったノアとその家族と動物以外の、すべての人とすべてのもの(ネフィリムを含む)を殺されました(創世記6:11−22)。』,と。ギルガメシュ叙事詩の洪水の話を読むと原点は「シュメール神話」であることが分かります。
ノアの洪水の発掘調査に関しては拙稿:聖書ものがたり・GENESIS(創世記)参照ください 。
「方舟から出たノアの息子はセム、ハム、ヤペテであった・・・・この3人がノアの息子で全世界の人々は彼らから出て広がったのである」
――『創世記』第9章――
これは嘘です(笑)。
ノアの方舟はゴフェルの木でつくられて......という記述がありますがゴフェルの木とはオーク材で当時はなかったとされる 。
ギザのピラミッドの巨大な石はネフィリムが軽々と持ち上げて造ったような気もするが?
19世紀には,アンドレア・カレコニというギリシャ人が,墓所の一つを開いて,身長12フィートに達する骸骨を見つけている。カルタゴのさまざまな廃墟で,人身御供の犠牲者の名残を収めた灰だめが掘り起こされているが,バアル・ハモンの偶像は見つかっていない。
聖書ものがたり・ヨシュア記参照
その見つかっていない偶像は多分これだ。
バール(Baal)とはカナーンの主神。雨と豊饒の神でしばしば太陽神とも見なされる。ただし後にキリスト教文化下で悪魔化して邪神とみなされた。バール (Baal)は「主」の意で神を示す一般名詞でもある。なお女性形はバーラト(Baalat)。この語はバビロニアで「主」の意を持ち主神の称号であったベル(Beel)に由来すると推察される。
大神エルと女神アシラトの息子であるとされ、海神ヤムを倒して神々の王となる。その後死の神モトの恨みを買って殺されるが、妃のアナトの力により復活した。アナト、アスタルテの両女神を妃とするが、この二神はしばしば混同あるいは同一視される。説によってはさらに多くの女神を妃として持ち、時にこれらの女神にはバーラトの名が冠されるが、その多くは両女神と同一視される場合がほとんどである。古くは海神ダゴンの子とされることもあったらしい。河神アシュターや死神モトとは兄弟とされることもある。
以上のようなバール神の姿は主として「アシュタルテ・パピルス」といった古文書によるものであるが、統一国家を持たなかったフェニキア人はそれぞれの都市国家において独自のバールを崇拝しており、「アシュタルテ・パピルス」に登場するバールはバール・ハダドあるいはバール・サフォン等と呼ばれる神であったらしい。これらフェニキア諸都市で崇められたバール神群にはテュロスのメルカルト(「街の神」の意であり単なるバールの別名とも思われる)、ビブロスのアドン(「主」)、シドンのエシュムン(「治癒」)等がありその数は極めて多く、しばしば区別される。
しかし古代〜中世のヨーロッパにおけるバールの姿にはローマと地中海世界の覇権を争ったカルタゴの神であったバール・ハンモン(「鍛冶師」)の影響も無視できない。幼児供犠(史実であったかどうかには議論の余地が有るが)で悪名高いこの神はその後の支配者ローマ人による悪宣伝も手伝って邪神とみなされており、後世バール神が多くの悪魔の原形となった背景としては、フェニキア人がパレスチナ(カナーン)での主要な異民族であったことの他にこのことも無視出来ない要素であろう。いわゆるLAWの源流にあるものが、かつてローマと呼ばれ、今ではキリスト教と呼ばれている一連の普遍的統一概念であることを鑑みれば、バールは二重の意味でLAWの敵対者であったといえるかも知れない。
バール神そのものはバビロニアの暴風神エンリルがその原形と目されるが、豊穣神タンムーズの性格も色濃く受け継いでいる。ユダヤの唯一神Y.H.V.H.もバールの影響をかなり強く受けており、元々はバール神群の一柱とする説もある。ユダヤの伝説的英雄ニムロッドの原形もバール神と推察される。ギリシャに伝わってオリオン、アドニス、ヘラクレス等の半神の原形となった他、前述の様に中世期には多くの悪魔の原形となった。女神転生においてはバール神はY.H.V.H.によって悪魔バエルとベルゼブブに引き裂かれたとの独自の解釈をしている。(解説はここ )
メギドの丘などの最新の写真はここで見ることができます。
古代カルタゴの儀式の銘板(ネクロノミコン414ページ)
古代カルタゴの廃墟で発掘された奇妙な奉納の銘板は,人身御供がなされた恐るべき神々の崇拝を指し示す。
バアルの面貌をもつタルナスの女神に,
バアル・ハモンの帝に,
アブスハムバンに対してさえアシュタルテの信者,
アシュモンの子にふさわしい帰依者は誓約をなしたり、
汝は嘆願を聞き,祝福をほどこしたまえ。
N・デイビス博士「カルタゴとその名残」1861年,256ページ
古代「フェニキア」の哲学者サンコニアトンに帰せられる文書では,復讐するデーモンを鎮めるために,カルタゴ人が子どもたちを殺させたと記されている。こうした場合の犠牲者は,「そのような謎めいた儀式で生贄にされた」のである。カルタゴの神官たちの炎血にまみれた祭壇をまぬかれた者はいないようだ。王の息子や娘,王族さえもが,貴族や異人や奴隷と共に生贄にされた。シラクーザ のアガトクレースがアフリカに侵攻して,カルタゴが包囲されたとき,カルタゴの神官はサートゥルヌス=モロクの怒りを鎮めるために五百人以上の犠牲者を生贄にした。書記のユースティーヌスはこう記録している。
シラクサのルチアはどう関係しているかは定かではないのですが........
シラクサのルチアはイルミナティでは「クイーン・マザー」として崇められている。写真は聖ルチア、フランチェスコ・デル・コッサ画。ワシントンD.C.国立博物館蔵
『ルチア』とはラテン語で光を意味するLuxまたはLucidから派生した名前でこれがLICIFERとして崇められているのかもしれない。ラテン語訳「ヨブ記11章17節」にこの言葉は出てくる が,いつの間にか神学者によって意味が歪曲されてしまったようだ。
彼らは血腥(なまぐさ)い宗教と恐ろしい忌むべきものを救済策として使用した。成人を犠牲者として生贄にし,子どもたちを祭壇にもたらし,血を流すことによって神々の愛顧を求めたからである.......
このような無慈悲な犠牲と人間の苦しみを要求する,カルタゴのモロク崇拝の異質な過酷さには,いささかショックを受ける。偶像の尋常ならざる姿とその神官たちの狂信的な流血好みは,古代の文書で明らかに他の偶像の館とは異なり,モロクの館は都の外に設けられた。モロクの偶像はその姿が巨大で,牡牛のものらしい頭部があり,両手は何かを受け取ろうとしているかのように伸ばされ,胴体は内部が虚であった。この偶像の前に七つの神殿があり,最初の六つはさまざまな家禽や動物の生贄のために使用され,七つめが人間の生贄のためのものであった。(ネクロノミコン415〜416ページから要約・編集・解説)
ヘレニズム文化の中心地であったエジプトはカルタゴよりはるかに古い。
第二イザヤはトインビーによると「千年期・the Milleniumの間支配する王は,まだ神自身ではなく,単に別の代理者,すなわちメシアにすぎない。しかし,この世界が”別の世界”によって取って代わられるまでの間,”この世界”に出現する奇跡的な”至福千年期”=エデンの園(神の国ではなくて地上の楽園)の思想は,異なっているばかりでなく,結局において互いに相容れない二つの思想を妥協させようとする支持しがたい試みである。第一の思想,すなわち,第二イザヤ書の思想は,奇跡的に改善された未来主義的な現世王国の待望である。第二の思想は,”神の国=CIVITAS DEIは時間のうちに存在するものではなく,別な精神的次元に置かれているものであって,このように次元を異にしているからこそ,かえってわれわれの現世生活の中に浸透し,それを変貌させることが出来る,という思想である.......千年期の終末観思想が不可欠な思想的はしごの役目を果たしたかも知れないが,一度上に登ってしまえば,もうそのはしごはなくなっても差し支えない」(トインビー注;千年期が俗に未来の”黄金時代”の意味で用いられるのは,ここからきているのである)
キリストが王として統治する王国は,アカイメネス朝の王をユダヤ人の王に変え,おまけに未来に投影した,世界征服者としてのメシアによって打ち立てられるいかなる王国とも,同じ標準で計ることができない。ピラトに,「あなたの言うとおり,わたしは王である」と答えたのち,「私は真理についてあかしをするために生まれ,また,そのためにこの世にきたのである」<ヨハネ福音書,18・37>。この思いがけないことばは,あるいは無視することも出来よう。
このCIVITAS DEI(神の国)がいやしくも時間の次元に入ってくる限りにおいては,それは未来の夢としてではなくて,現在に浸透する精神的実在としてである。もしわれわれが,実際にどうして,神のみこころが天に行われているとおり,地にも行われるようになるか,ということを問うとすれば,その答えは,神学特有の表現を用いて言えば,神の遍在という概念の中には,超現世的平面における超越的存在だけでなしに,現世における,また,現世に生きるあらゆる人間の魂の中における内在が含まれる,ということになる。
キリスト教の神観では,神の超越的な面(あるいは”ペルソナ”(三位一体の神のおのおのの位格)は”父なる神”のうちに現れ,内面的な面は,”聖霊としての神”のうちに現れる。しかし,キリスト教の信仰の独特の,かつもっとも重要な特徴は,神が二元的存在でなくて三位一体であること,そして”子なる神” としての面において他の二つの面が統一され,この神秘によって,人間の頭では理解できないが,人間の胸ではっきりと感じることのできる一つのペルソナを形成していることである。”まことの神”であると同時に,”まことの人間”であるイエス・キリストのペルソナのうちに,神の社会と現世社会は,この世ではプロレタリアートの間に生まれ,罪人として死ぬが(注:バラバかイエスかという意味で),別の世界では”神の国”の王,神そのものであるところの王となる, 共通の成員をもつ。一方は神的で他方は人間的な二つの性質がどうして単一の人格のうちに同居しうるのだろうか。この問いに対するいくつかの答えが,信条の形で,キリスト教父の手により,ヘレニック社会 の哲学者の専門語を用いて 作り上げられている。
上級者は歴史の研究 のサマヴェル版の日本語訳が出ているので参考にされては。原書よりは当然読みやすい(笑) 。
《紀元1〜3世紀に書かれたと思われるヘレニック社会の一批評家の文章が残っている。
「現代に生まれた人間の精神生活の癌の一つは、精神的緊張の低下であって、ごく少数の選ばれた人びとを除き、われわれはみな、弛緩した日々を送っている。仕事においても、気晴らしにおいても、われわれがもっぱら目標にしているのは、人気取りと享楽である。全心を自分のしていることに打ち込み、本当に手に入れる価値のある承認を勝ち取ることのうちに見いだされる、真の精神的財宝を得ることに、少しも関心をもたない」(森田実の言わねばならない....2006年10.3(その3より)
ヘレニック文明などに関しては蛮族戦闘団体 その1〜3までお読みください。 NWOという世界統一政府はみなもろくも崩れ去っていった姿を。
ヘレニック文明:ミノス文明の遠い間柄の子で西欧および正教キリスト教文明の親。エーゲ海沿岸ならびに諸島で紀元前1100年以前に発生。世界国家:ローマ帝国。哲学者としてプラトン,ストア,エピクレス,ピュロンの各派。詩としてはアイルランド叙事詩,チュートン叙事詩。イスラム以前のアラビア詩。キリスト教(外来シリア),イスラム教,ミトラ教(外来シリア),マニ教(外来シリア),イシス崇拝(外来エジプト),大乗仏教(外来インド),キュベレ崇拝(外来ヒッタイト),新プラトン派(固有),極西キリスト教(注),はじめはチュートン諸神崇拝,のちにアリウス派キリスト教,はじめはチュートン諸神崇拝,のちアリウス派キリスト教。蛮族:東北〜ユーラシア遊牧民(サルマチア人,フン族),西北〜島興ケルト族,北〜大陸チュートン族,東南〜アラブ族,西南〜ベルベル族。
注:極西キリスト教文明は紀元375年ごろ以後,いわゆる"ケルト外辺”主としてアイルランドにおいて,新しい土地の自然的挑戦と,ヘレニック社会の解体と西欧文明の発生という二重の社会的挑戦とに応じるために発生した。分離の時期は450年頃から600年頃までの間である。ケルト人はキリスト教を,自己の野蛮時代からの社会的伝統に適合するように改めた。6世紀頃にはアイルランドは明らかに西欧におけるキリスト教の中心になっていた。その特異性は教会組織と,文学および芸術の中に現れている。この文明に決定的な打撃を与えたのは,9世紀から11世紀にかけてのヴァイキングの侵略と,12世紀におけるローマの教会権力とイングランドの政治的勢力である。極西,極東キリスト教ならびにスカンジナビア文明の萌芽は,過度に厳しい一連の挑戦に応じなければならないという無理な緊張のために,流産におわり流産文明とも呼ばれる。
シオニストによる蛮族戦闘団体の時代は間もなく終わり,もう今の我々は生きてはいませんが2150年の水瓶座から本当の意味でシャングリラ(地上の楽園)が訪れるでしょう,きっと 。そうです,時の経つのを忘れる悩みや苦しみのない永遠の楽園のことです。必ずそうなるでしょう。
日本と地球の命運・米国の原発
国連軍は米国で何の準備をしているのでしょうか?
ローマの信徒への手紙13章1〜7節(支配者への従順) 。
つまり夜中の3時にドアをノックされFEMA CAMP(Death Camp)へ強制連行されても「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく,神に仕える者として......」
http://a12iggymom.wordpress.com/2011/09/15/first-a-russian-navalair-base-in-tn-now-this-new-japanese-military-installation-in-marysville-ohio/
時近ければな〜り〜でも「知らぬが仏」
What has been will be again,
What has been done will be done again.
There is nothing new under the sun.
(ECCLESIASTES9:1)
かつてあったことは,これからもあり
かつて起こったことは,これからも起こる。
太陽の下,新しいものは何ひとつない。
(コへレトの言葉第一章九節)
聖書ものがたり・コへレトの言葉参照
PLANET X
=惑星X
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