
特に17時以降の街中に出ると、オレンジの電飾が賑わう様子がよく分かる。
私が一年の中で一番好きな季節がもう、そこまで来ている。
都内はまだまだ残暑が尾を引いているが、清里から小淵沢の辺りまで行くと、
もう完全に秋だった。
小淵沢インターから車で小一時間ほど走ると、カナダ料理だけを出してくれる小さなレストランがある。
これまでにも二度ばかり足を運んだことがあったが、
先週末に訪れた時には10年前にはまだ小学生だったオーナーご夫妻の子供が、
すっかり大人になっていて、一瞬誰だか分からなかったぐらいだ。
時は刻々と過ぎいるのだ。
もしも結婚してなかったら今頃、その日暮らし、明日の日銭稼ぎに私は忙殺されていただろう。
おそらく持病を持っていた私がその生活を続けてたら、今頃倒れていたに違いない。
気持ちのゆとりは、人間関係にも大きな余裕を生み出すようだ。
普通ならキリキリカリカリ来るようなことでも、主人との日々の会話で100パーセント癒されて、
それが対人関係にも大きく影響しているように思う。
ゆとりは失敗をも回避させてくれる。
思えば離婚してから再婚するまでの約7年間は、何かに依存するように生きていた。
それが時には音楽だったり時には人間関係だったり、時には突発的な趣味に異常に執着してみたり…、
そこからは幾つもの過ちが生まれたと思う。
ある、かつての同業者との数年前の約束と、その約束を守った時の彼女の豹変振りを私は忘れない。
彼女には本当に世話になったし、その恩はけして忘れてはいない。
…だが、人間とは時にあさましいものでもあり、
彼女は私の再婚を心から信じていなかったか或いはそうなっては欲しくなかったのか、
私が彼女に言われたこと、
…「貴女は絶対に幸せにならなければいけないのよ。」 という言葉を、
本当に守って実現させた途端に彼女が態度を豹変させたのには驚いた。
人の多くは、その相手が自分よりもか弱く、立場が良くないからこそ油断をして愛したがる。
それはまるで小鳥を飼うような感覚に近いのではないだろうか…。
概ね人とは、自分が優位に立てる人間関係を作りたがるものかもしれない。
そしてその種の人間関係は、最初に強者と位置づけた人の立場が逆転しそうになると、必ず破綻する。
対等な人間関係などこの世に存在しないことを、人は殆ど口にしたがらない。
皆、心のどこかでは非対等な関係をとても好んでおり、
よくよく人の人間関係を観察してみると、やはりどちらかが強者で、どちらかが圧倒的に弱者だから成り立っているものが多いのだ。
それが世の中、それが現世というものなのだろう。
先日ある場所で共演した歌い手が、普段はあまり鳴らないはずの楽器が私が弾いたら途端に鳴ったと言って、
とてもびっくりしていた。
勿論種も仕掛けもない、ただそこに数的の愛情を落とした演奏に過ぎないのだが。
サンボーニャ奏者の
瀬木貴将さんが、そう言えばいつか面白い事を話していた…。
“私が息を吹きかければ、ビー玉だって醤油瓶や500円玉だって生き返ります。
何だって鳴らせますよ。”…。良質な音楽には必ず、良質なファンがついて来る。
そうではないものに、良質なファンはやはり乗って来ない。
数年前までの私は後者だったが、今の私はおそらく前者だと言い切る自信がある。
だが、今の私は物事の順序が数年前とは一部、変わったかもしれない。
音楽一番、カレシは二番…だった当時からすれば、
伴侶が一番、音楽は二番… の今の私はある意味、それが嘘か冗談だと思われても仕方がないのかもしれない…(笑)。
【Youtube Celso Fonseca - Bom Sinal (2003)】 autoplay

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