永井荷風が暮らした百年前のマンハッタン・2
今回は、前回に引き続き、永井荷風が百年前に書いた「あめりか物語」の「長髪」に登場する資産ある伯爵家の長子、藤ケ埼国雄がニューヨークで住んでいたビルを突き止めてみたい。
 
国雄は、在籍していたコロンビア大学にも来なくなってしまった。小説中の「私」は、国雄を案じてという気持ちもあろうが、大方は好奇心からであろう、前の大家から聞いた新しい住所を尋ねてみることにする。

公園西町○○番地、セントラルパークに面した十階建てのアパートメント・ハウスビルだ。
ビルには、紫色の制服に金釦を輝かした黒人の門番がおり、八階の目当ての部屋へ「私」は昇降機に乗って行ったと書いてある。

しかもそれは大きな建物で、外界の音は一切遮られ、廊下の空気は大伽藍の内部のように冷ややかに沈静している。 

押した鈴の音は遠く部屋の彼方で響くのが分かり、取次の人が出てくるにも時間がかかるという描写からその家の天井は高く、部屋はかなりの広さであることが想像できる。

まずはその家の主である婦人が登場する。
年の頃はもう二十七,八、ブロンドの髪の毛を今にも肩の上で崩れ落ちるかというように束ねた、睫の長いぱっちりした碧の目をした女性で、国雄より年上、裕福な夫から不品行の角で離婚され、ニューヨーク社交界からははみ出しものになっている。

国雄はその女性の家に住みつき、刹那的な恋愛の相手としていわば玩具のように扱われていると「私」の目には映る。

荷風がニューヨークに滞在したのは一九〇二年から四年間。
つまりその頃既に存在していたセントラルパーク・ウエストのビルで、一九〇〇年以前に建てられ十階建の大きな建物を集中して探せばよい。

現存するビルでは、コロンバスサークルから九六丁目までの間に一つだけ条件に該当するビルがある。

一八八二年に建てられたダコタ・ハウスだ。


1880年代に建てられたダコタハウス。建築家はのちに建てられるプラザホテルと同じ。

昇降機(エレベーター)もあるし、ドアマンというより門番といったほうがふさわしい人が常駐している。


建物は中庭をはさんでいくつかの棟に分かれ、ビルの廊下は天井が高く古めかしく、まさに大伽藍の中にいるような錯覚に陥る。

アパート内部も天井の高さは一三フィートでまさに音が響く。

もちろん、国雄は既に取り壊されたビルに住んでいた可能性もある。

けれど、一九世紀に建てられた上流階級が暮らしていたビルといえば、ダコタ以外考えられないのではないかと思う。
 

ダコタハウスについては、次回に続きます。


この記事は、昨年週刊NY生活の連載「NYビルディング万華鏡」に連載されたものに一部手を加えたものです。


by rumicommon | 2008-10-08 06:38 | ー100年前のマンハッタン
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