自惚れていた。
生まれ変わりという常軌を逸した稀有な体験を経て、魔法と云う超常現象が跋扈するこの世界に生を受けた。
最初はビクつきながら、しかし自身がその奇蹟を自在に操れると分かった時に、彼に駆け抜けたのは歓喜。
言葉に表せぬその感動に彼は、頭の天辺までのめり込んだ。
呪文の力在る言霊を紡ぐ、
火球が矢の如く飛び出した。
風の刃が巻き起こった。
冷気が吹き荒んだ。
魔物と戦った時に受けた傷が見る間に治癒された。
故に。
彼は自惚れていた。
己の力が有れば、産まれ落ちた世界の史実を改変できる。
そう信じて疑わなかった。
実際に今までは上手く立ち回れていた。
金髪の女の子とのお化け退治は、苦も無くこなし、
妖精の国では雪の女王を倒さずに言葉を用いて仲違いを仲介できた。
これからも上手くできる。
本気でそう考えていた。
傲り高ぶりにも限度がある。
10歳にも満たぬ餓鬼が一体何様のつもりだったのか。
故に。
たかが愚かで矮小な一個人が与えられた力に溺れ、眼を曇らせた彼──紫色のターバンを巻いたリュカの目の前に『現実』が突き付けられた。
「────父さんッ!!」
魔導士風のローブを頭から被った魔物の死神の鎌がリュカをで首に押し付けられた状態。
首に冷たく当たる刃の感触を感じ、リュカは眼前で戦う父親を苦悶の表情で見る。
眼前で繰り広げられる孤独な闘争。
否。
それは闘争などでは無い。
一方的な嬲り殺しだ。
実の息子である己と、ラインハットの王子であるヘンリーを人質に取られ、反撃など出来ようもない状態。
「ちきしょうっ! 離せ! 離せよ!!」
ヘンリーは自分と同じように毒々しいピンク色の皮膚を持つ猪頭の魔物──ゴンズの巌のような腕で地面に押し付けられている。
嘆く事しか出来ない自分達を余所に、父親──パパスの傷は次々と増えていく。
「ほっほっほっ。ずいぶん楽しませてくれましたね」
リーダー格の魔物──魔導士風のローブを被ったゲマが愉快気に笑いながら、空いた掌より燃え盛る火炎が放たれる。
人一人包み込んで余りある業火。
常であるパパスならば余裕で躱せる筈のその魔法を、父親たる彼は甘んじて受ける。
「ぐううぅ、あああああぁぁぁぁ!!!!」
人体が焼ける臭い。
独特の異臭が苦痛の悲鳴と共にリュカ達の鼻腔に届く。
身体中を夥しい傷と火傷を負いながら、それでもパパスは倒れない。
「人間風情が、先程は良くもヤってくれたなぁ!!」
二本脚で立つ白馬の魔物──ジャミが怒りを露わに鬣(たてがみ)を振り乱しながら、満身創痍のパパスに襲い掛かる。
筋骨隆々の肉体から撃ち放たれる蹄(ひづめ)。
それがパパスの腹に深々と突き刺さった。
「ガハッ!!」
身体がくの字に折れたパパスの口から血が吐き出され、古代遺跡の床を朱色で汚す。
崩れ落ちそうな膝を手で制し、パパスは倒れない。
「うう……」
「コイツ、まだ倒れないというのか!?」
既に半刻ほど甚振り続けているというのに、未だ膝を屈さないパパスにジャミは戦慄を隠し切れなかった。
人間が秘める底力。
その圧力に知らずジャミは一歩後退る。
しかし。
限界は分け隔てなく残酷に訪れる。
「くっ……がはっ」
ビチャリ、とパパスがまた吐血を繰り返し、その膝が遂に地面に付いた。
それは詰まりパパスの敗北を意味する。
「リュカ! リュカ! 気がついているか? ハァハァ……これだけは言っておかねば……」
既にその眼に焦点は定まっておらず、虚ろにリュカが居るであろう方向に向いていた。
止めてくれ。
リュカは末期の言葉を云おうとするパパスに、いやいや、と首を振る。
眼からは滂沱の涙が止めど無く流れ、口からは嗚咽混じりの言葉にならない言葉が漏れる。
生まれ変わってからこの瞬間まで、パパスは間違いなくリュカの父親であった。
時に厳しく、時に優しく、惜しみない愛情を注いでくれた。
前世の知識が有るから、そんな言い訳が通じない程、父の愛は深く限り無い。
真実、前世では既に成人していたリュカもパパスを実の父親と心で身体で受け止め、自身も親への愛情をパパスへと向けるようになった。
其処に偽りなど無かった。
そのパパスが、テレビの画面の台詞欄で流れた末期の言葉を云おうとしている。
リュカにとってそれは許容の出来ない現実である。
馬鹿で、齎された魔法と云う力に溺れた餓鬼の後始末にパパスが死んでしまう。
逃れようの無い残酷で無慈悲な現実。
「実はお前の母さんは、まだ生きているはず……わしに代わって、必ず母さんを……」
心が慟哭する。
身を引き裂かれるより、なおも辛い刻が迫っている。
ゲマが頭上に巨大な火球を作り出し、圧倒的熱量を伴ったそれを死に体であるパパスに向けて放とうとしていた。
導かれようとしている未来は、黒い焦げ跡しか残らないパパスの残骸である。
そして。
「──────止めろおおおおおおぉぉぉッッッッ!!!!」
リュカは────キレた。
◆
まさにそれは火事場の馬鹿力であった。
先の戦闘で痛めつけられた身体は、過剰分泌された脳内麻薬により、その痛みは忘却の彼方に追いやられリュカが飛び上がる。
武器等持っていない。
在るのは己の肉体のみ。
リュカは怒りの赴くままゲマの横っ面を思いっきり殴り抜いた。
頭のリミッターが外れたその拳は、唸りを上げてゲマのにやけ面に深々と突き刺さる。
ゴゥンッ、とリュカの拳とゲマの顔から重々しい音が鳴り響き、ゲマが吹き飛ばされる。
「グギャっ!!」
「ゲマ様!?」
勢い良く吹き飛び、壁へと叩きつけらるゲマに、手下の二匹の頭が一瞬真っ白になる。
子供と大人。
その体格差を物ともせず、無力な筈だった子供が首領であるゲマを殴り飛ばす。
想定外。
故に決定的な時間をリュカに与えてしまった。
リュカは魔力とは異なる人間の『力』──『闘気』を己が身に纏い、驚愕で間抜け面を晒すゴンズの懐に潜り込んだ。
轟、と風を切り裂くアッパーカットがゴンズの顎を撃ち抜いた。
「ゴガっ!! グアアァァ!!」
衝撃が顎より脳を突き抜け、痛みにのた打ち回るゴンズ。
その拍子にヘンリーを捕えていた剛腕の牢が緩まる。
「ヘンリー! 今だっ、早くこっちへ!!」
「お、おう!!」
ヘンリーが小柄な身体が束縛をするり、とすり抜けリュカとの合流を果たす。
そしてリュカ達は急いで膝を折るパパスに駆け寄る。
「父さん! 父さん、しっかりしてくれ!!」
「おお……リュカよ」
近付くで改めて見る父親は、生きているのが不思議なくらい重症であった。
辺りを夥しく濡らす赤色の液体。
その出所は当然パパス。
傷が無い部分を探す方が至難。
肉体の至る所から流れる命の血潮は、刻一刻とパパスの生命を危険に侵していた。
「ヘンリー!! ホイミを!!」
「分かってる!!」
顔を涙と鼻水でべたべたにしたリュカが叫ぶ。
ヘンリーは覚束ない手先で回復呪文であるホイミを唱える。
リュカも好奇心で覚えていたべホイミでパパスの傷を癒す。
しかし。
パパスの負った傷は余りにも深すぎて治癒は遅々として進まなかった。
そして、回復が終わるまで待っているほど、子供に舐めた真似をされた魔物は我慢強くは無い。
「よくも…………よくもよくもよくもよくもよくも!! この私の顔を殴ってくれたな、餓鬼ィィィィィ!!」
「ふざけやがって随分舐めた真似をしてくれたじゃねぇか! 糞餓鬼が!!」
「厄介な人間を回復される訳にはいかんのだよ」
怒りに顔を醜悪に浮かべたゲマとゴンズ、そしてジャミがリュカ達の前に立っていた。
対するリュカ達の戦力は、子供二人に満身創痍のパパスだけ。
絶望的な戦力差に、ヘンリーの顔が真っ青になる。
だが。
頭の血管がブチ切れているのは、魔物だけでは無い。
ゆらり、とリュカがべホイミの手を止め、立ち上がった。
「お、おい、リュカ!?」
「…………ヘンリーは父さんにホイミを掛け続けて……」
「よ、すんだリュカ……お前の敵う相手では……ヘンリー王子を連れて早く、逃げるんだ」
大切な父親を嬲り殺されかけ、怒りが一周回って顔の表情が一切削げ落ちたリュカ。
人間、余りにも感情が高ぶり過ぎると、表情を作る余裕が無くなる典型であった。
リュカは弱々しく制止するパパスの言葉を振り払い、ゲマ達と対峙した。
子供と光の教団内で有数の力を誇るモンスター三体。
力の差は絶望的であった。
傍から見れば何の力も持たない子供が魔物達に殺されようとしている図だ。
「餓鬼が、餓鬼が!! 私の顔を傷付けてくれましたね、後悔させてあげますよ!! 嬲って嬲って嬲り続けて、殺してくれと懇願するまで嬲って殺してあげます!!」
「…………さい」
臓腑の底から溢れ出てくる嚇怒のまま喚き散らすゲマ。
そのゲマとは対照的にリュカはぽつり、と小さく呟く。
「ほっほっほ、恐怖で頭がおかしくなりましたか? 命乞いなどしてももう遅いぞ餓鬼ィィ!!」
「────五月蠅いって云ったんだ、糞野郎」
この世界──ドラゴンクエストⅤには二種類の力がある。
すなわち『魔力』と『闘気』。
『魔力』はメラ、ヒャド、ホイミなどの魔法使いや僧侶が扱う呪文の源。
『闘気』は火炎斬り、グランドクロスなどの特技の源。
二つの力は互いに反発し合い、合わさる事はまず無い。
その性質に注目したのがドラゴンクエストを前世で遊んでいたリュカだ。
似たような力なのに反発し合う。
これと同じような話をリュカは漫画で知っていた。
故に。
リュカはもしかしたらこの世界でも漫画の技が出来るのでは無いかと考えた。
幸いリュカの天性の才能は、その二つの力を扱う事に長けていた。
だからこそリュカはその技──『魔力』と『闘気』を合わせる事に『魔法先生ネギま!』の『咸卦法(かんかほう)』を習得しようとした。
結果は無残の一言。
『魔力』と『闘気』はどうやっても合わさる事は無く、今の今まで反発したままであった。
そう、今のリュカでは絶対に『魔力』と『闘気』は反発するのだ。
すっ、とリュカは両手を合わせ、頭上へと掲げた。
リュカの頭の中では、今から繰り出す最強の呪文の原理は理解している。
簡単な原理だ。
竜の口の形に組み合わせた両手の中で、魔法力を用いて闘気を超圧縮し、放出する。
ただそれだけ。
それだけが『竜の騎士』の最強呪文の理屈である。
使用される闘気には枕詞として竜が付随するが些末な事だ。
竜の口の形にした両手の中に渾身の『闘気』を溜める。
命を削れ、もっと、もっとだ。
リュカは目を閉じ、両手を『魔力』で覆い、手の中の『闘気』を徐々に圧縮していく。
最初にリュカの異変に気付いたのはゲマだ。
魔法に精通した彼の目にも、リュカが行おうとしている行為の異常性が際立っていた。
子供の小さな手の中で、育まれていく巨大な力の胎動。
それは徐々に、確実に、加速度的に強大になっていく。
この時点でゲマの脳裏からは大音量の警鐘が鳴り響いていた。
だが。
たかが子供如きに怯える事は、ゲマの魔族としての矜恃が許さなかった。
「ほっほっほ、いまさら何をやろうとしても無駄です。あの妙な真似をしている餓鬼を痛めつけなさい、ジャミ! ゴンズ!」
「お任せ下さい」
「糞餓鬼が、手足折って一生牢屋で飼ってやるぜ!」
ゲマの掛け声に二足歩行の馬と猪頭の怪物がリュカに躍り掛かる。
しかし、一歩遅かった。
既に呪文は完成間近。
リュカは暴れ狂う手の中の『闘気』を必死に制御する。
がくがく、と震える手を気力で押さえ付ける。
放てば一国さえ消し飛ばす程の威力なのだ。
元の使用者である『竜の騎士』でさえ『竜魔人』という究極の戦闘形態にならなければ反動で放てぬ程の代物。
故に。
リュカは自身が如何なっても構わない。
どれほどの代償を支払ってでも眼前の敵を駆逐できれば良いと、本気で考えていた。
「腕二本くらいくれてやるさ。だからお前らは────消し飛べええええええぇぇぇぇぇぇッッッッ!!!!」
『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』。
破滅を齎す光の奔流が全てを呑み込んだ────
◆
全ての音がその爆発音で掻き消える。
古代遺跡から白色の極光が突き抜ける。
ゲマも、
ジャミも、
ゴンズも、
古代遺跡も、
何もかもを呑み込んで破滅の光は世界を蹂躙する。
リュカの放った『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』もどきは竜の口を模した両手から放射状に放たれ、その呪文の前に存在する悉くを消滅させていた。
古代遺跡はリュカの『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』もどきを放った地点より消失し、目の前に広がる光景は延々と巨大な破壊痕を在るだけの外の風景。
上空より見た古代遺跡は、丁度遺跡面積の半分が無くなった状態であった。
そして、その代償。
リュカの両腕は肘から180度に折れ曲がり、あらぬ方向を向いていた。
曲がってはいけない方向に向いた両腕の指は全て、折れ曲がり見るも無残な状態。
しかし。
何と云う僥倖。
リュカは生きている。
あの超威力の呪文を放っておきながら、破裂もせず、両腕も弾け飛ばず、未だ人の形を保っている。
これが奇蹟と呼ばずなんと呼ぶのか。
リュカはその訪れた万に一つの奇跡を噛み締める事無く、魔力も闘気も枯渇が原因でその場より崩れ落ちる。
とさり、と渇いた音が嫌に大きく聞こえた。
その音に呆然と『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』もどきが引き起こした破壊痕を見ていたヘンリーがはっと気づく。
「おいリュカ!? しっかりしろ。目を開けてくれよ!? お前は俺の子分なんだぞ、親分の許しも無くこんな所で死んだら駄目なんだぞ!!」
「おお、リュカよ、なんという事だ」
半べそを掻きながらリュカへと近寄るヘンリー。
パパスも力尽きた息子の下へ、満身創痍の身体を引き摺り駆け寄った。
リュカは己の身を案ずる二人の声を聞きながら、深い深い闇へと意識を落としていった────
◆
あれから五年の歳月が流れた。
リュカはかろうじて命を留めていた。
しかし、無茶無謀な『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』もどきを放ったリュカは、心身とも衰弱しきり半年ほど意識を取り戻さなかった。
パパスは傷こそ深かったものの、駆けつけたラインハットの兵士の懸命な治療魔法により、一カ月と云う短い期間でほぼ完治していた。
ヘンリー誘拐を企てた主犯──ヘンリーの継母は国家反逆罪で処刑され、その首を城下町の広場に晒した。
そして、現在。
リュカは、己の慢心と力不足を痛感し、ラインハットでの療養を終えるとパパスと共に諸国を修行して回っていた。
五年の月日でリュカは少年から青年へ。
背は見間違えるほど伸び、すらり伸びた手足。
母親似の端正な顔立ちの美青年に成長していた。
リュカはこの五年で外見だけでは無く、驚くほど強く逞しく成長を遂げた。
此処はゲームの世界。
そういった意識がゲマとの死闘で完全に払拭され、この世界を生まれ故郷と認められるようになったリュカの成長度合いは驚異の一言。
五年前に出来なかった『咸卦法(かんかほう)』も習得し、近距離戦では向かう所敵無し。
メラ系とヒャド系を融合させた全てを消滅させる呪文──『メドローア(極大消滅呪文)』をも習得。
その威力は山を消滅させ、海も消滅させる。
更に。
あの『ドルオーラ(竜闘気砲呪文)』すらも完全に制御できるようになった。
こうしてリュカは、ゲマとの戦いで心身ともに叩きのめされた事で、阿呆みたいに強くなった。
時代のグランバニア王としての期待も高い。
そして。
「ふむ、こんなところか」
パパスは気品溢れる口髭をしごきながら呟いた。
眼前には今しがた放ったメドローアの破壊跡がくっきりと残っていた。
メドローアが解き放たれた海岸の岩場の海に続く道は、驚くほど綺麗に抉られた跡を残していた。
抉られた跡は岩場から海へと続き、直線上の海すらも『抉れていた』。
そして。
抉られていた海が時間を思い出したように、消滅した海水あった場所へと流れ込んでいく。
「すごいや、父さん。メドローアも完璧だね!」
「はは、すごいのはリュカさ。こんな呪文を思いついてしまうんだからな」
パパスは喜色を露わして近寄る息子の髪をわしゃわしゃ、と撫でてやる。
背が高くなり、だいぶ大人びたリュカは、嬉しそうに父の掌の感触を甘受した。
そう。
リュカとの修行に付き合ったパパスも同じ事が出来るようになったのだ。
もう一度云おう。
パパスも『同じ事』が出来る!
なにそれこわい。
それなんてムリゲ?
リュカとパパスの親子と対峙した『気の遠くなる年月を経て神をも超越した魔界の魔王』は、そんな言葉を残し、最強親子にフルボッコにされて消滅した。
完
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ミルドラース「ぬわーーーーーー」
暇つぶしに書いた。
続く予定ありません。