上関原発
中国電力が山口県上関町で建設を計画する2基の原発。2009年4月に建設計画地の造成工事を始め、同10月に海面の埋め立てに着手。反対派の抗議行動で工事は中断したが、11年2月に再開。福島第1原発事故を受け、同3月に再び中断した。同社は18年3月に1号機、22年度に2号機の運転開始を目指しているが、同県の二井関成知事は6月、12年10月に失効する計画地の公有水面埋め立て免許の延長を認めない方針を表明している。
(2011年9月18日掲載)
自立へ 揺れる上関 原発計画浮上から29年 住民二分、人口は半減 山口、20日に町長選告示 交付金見えず 推進派苦悩
原発新設が計画される自治体で初めての首長選となる山口県上関町長選が20日に告示される。計画浮上から29年、原発推進派と反対派に分断された上関町。「建設」を前提に、これまで国から交付金計約45億円を受け取ってきたが、福島第1原発事故を受け、「(準備中のものは)個別に検討しなければならない」(枝野幸男経産相)と風向きは大きく変わった。国のエネルギー政策に揺れる町を歩いた。
瀬戸内海に浮かぶ人口500人の上関町・祝島。海の向こうに中国電力上関原発の建設計画地がみえる。島のあちこちに張ってある、「原発計画中止」を求めるチラシ。島民の約9割が反原発だ。
15日、島民たちが1軒の民家に太陽光パネルを取り付けた。島全体で使う電気を自然エネルギーで賄う試みの第一歩だ。この民家に暮らす氏本長一さん(61)は「エネルギー自給を目に見える形で実現したい」と願う。
上関原発計画が浮上したのは1982年。祝島で反対の流れをつくった一人が、祝島出身で今は島で暮らす福島第1原発の元作業員、磯部一男さん(88)だった。
78年、出稼ぎ先の同原発でポンプ補修の作業中、被ばく線量計の警告音を聞いた。「3年働いても大丈夫」と会社から言われたが、2カ月で辞めた。出稼ぎ仲間7人はがんで亡くなったという。町の原発計画が明らかになると島民に訴えた。「原発事故が起きたら、島に船は寄り付かん。島民は死ぬしかない」
島の対岸。上関町まちづくり連絡協議会の井上勝美事務局長(67)は原発推進に奔走した。北九州から京阪神地区に石炭を運ぶ基幹産業の海運業が、石油へのエネルギー転換で衰退。過疎化が進み、企業誘致も実現せず、雇用を生む原発に期待をかけた。
しかし、福島原発事故で「安全神話」は崩れ、上関原発の埋め立て工事も中断した。井上さんは推進の旗を降ろさないものの、「町は国のエネルギー政策に翻弄(ほんろう)されてきた。(上関原発が)できる、できないだけでもはっきりしてほしい」と苦悩の表情を浮かべる。
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町の事業も止まった。海沿いに広がる約7千平方メートルの空き地。国からの原発関連交付金約17億円で、農産物や魚を販売する市場と総合文化センターを建設する予定だったが、来年度以降の交付が不透明になり、着工が見送られた。今冬完成する温泉施設の維持管理費に交付金を充当できるかも分からなくなった。
84年度から2010年度までに町が受け取った交付金は約45億円。高齢者福祉センターや集会所、歯科診療所などを交付金で建設、町営バスも運行してきた。町は「原発推進」を掲げながらも、原発財源のない町政運営の検討を始める予定だ。