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2011年9月19日(月)付

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民主党―政策決定の技術を磨け

野田政権は政策決定のやり方を、政府が一手に取りしきる手法から、党側が深く関与する方式に改めた。これからは法案の国会提出に先だって、政府が党に説明し、了承を得る。まるで、[記事全文]

バブルの決算―歴史を裁くためには

バブル崩壊が極まった90年代後半、銀行や証券会社が相次いで破綻(はたん)した。「日本発の世界恐慌」を防ぐため40兆円を超す公的資金が投入され、約10兆円が損失穴埋めに消えた。そして責任追及の[記事全文]

民主党―政策決定の技術を磨け

 野田政権は政策決定のやり方を、政府が一手に取りしきる手法から、党側が深く関与する方式に改めた。これからは法案の国会提出に先だって、政府が党に説明し、了承を得る。

 まるで、自民党政権の「事前審査制」である。

 党の了承なしに法案を出せない自民党方式では、党側が実権を握り、首相主導の政治はかなわない。「族議員」がはびこり政官業の癒着が起こる――。

 こう批判して、民主党は政策決定を政府に一元化させたはずだ。迷走を反省するとともに、単なる逆戻りにしないよう、工夫を凝らさなければならない。

 鳩山政権は政府主導の証しとして、党の政策調査会を廃止した。菅政権は復活させたが、党の意見は政府への提言という位置づけだった。このため、閣僚や副大臣らをのぞく多くの議員が「我々の意見は聞き置くだけか。それでは単なる採決要員ではないか」と不満を募らせた。

 だから、もっと党側の意見を反映させる新方式にする、ということらしい。

 首相主導は大切だ。だが、国民の代表である議員の意見を生かさないのも確かにおかしい。そのバランスをとり、うまく両立させる工夫が必要だろう。

 衆参ねじれの現状では、野党との話し合いが不可欠だ。それに対応するためにも、党側の発言力を強めたい事情もわかる。

 けれども、その方策が事前審査なのか。政府の判断と責任で法案をつくり、提出し、与野党議員の意見は議会の審議で反映させるのが「世界標準」だ。それが首相主導を実現しつつ、議員の知恵も生かす道のはずだ。

 国会でもっと建設的な議論を戦わせ、柔軟に法案を修正できるよう、審議のあり方などの見直しも進めてほしい。

 新方式では、重要案件は、首相や幹事長ら6人でつくる「政府・民主三役会議」で党議決定するという。増税といった国民に負担を求める不人気な政策を遂行するには、自民党型の全会一致方式よりは現実的かもしれない。

 一般の案件は、政調の役員会や幹部会で了承する。前段階の部門会議に副大臣や政務官が共同座長として加わるなど、政府の方針が骨抜きにされるのを防ごうとする工夫はみられる。だが族議員の暗躍や既得権を守る政治に陥らないためには、透明性の確保が欠かせない。

 バラバラで未熟な民主党が、政権政党として機能していけるのか。成否を分けるのが政策決定の技術である。不断の努力を重ね、磨いてほしい。

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バブルの決算―歴史を裁くためには

 バブル崩壊が極まった90年代後半、銀行や証券会社が相次いで破綻(はたん)した。「日本発の世界恐慌」を防ぐため40兆円を超す公的資金が投入され、約10兆円が損失穴埋めに消えた。そして責任追及のため、当時の経営者たちが刑事被告人になった。

 いくつも起こされた「バブル裁判」の最後となる旧日本債券信用銀行の粉飾決算事件で、破綻当時の会長、頭取、副頭取の無罪が確定した。

 この事件では、甘い不良債権処理を認めてきた旧大蔵省が方針転換して会計基準を厳格化するなか、経営が悪化した取引先への同行の融資継続が妥当だったかが問われた。すでに無罪が確定していた旧日本長期信用銀行事件とほぼ同じ構図だった。

 今回の東京高裁判決は、経営の裁量権を大きく認め、回収が期待できるなら融資の継続は違法といえない、と判断した。

 判決の明快さからは、むしろ裁かれなかった責任の大きさが浮かび上がる。

 刑事責任を追及されたのは公訴時効にかからない破綻当時の経営者たちで、バブル期に経営を暴走させた真の責任者の多くは司直の手を逃れた。護送船団行政を続け、損失処理の先送りを容認してきた旧大蔵省の責任も不問とされた。

 官民一体で問題を先送りした結果、日本経済への打撃が巨大化したことを思うと、釈然としない人も多いだろう。

 政官業の癒着構造のもとで、都合の悪い情報が隠されたり、課題解決が遅れたりして、破局を招く事例はほかでもある。刑事事件になるかどうかはさておき、東京電力福島第一原発の事故をめぐっても、災害への十分な備えを怠った国と電力業界に対する責任追及には、バブル総括と似た難しさがつきまとう。

 そもそも刑事事件で裁けるのは、歴史の一断面に過ぎない。民事訴訟の活用は無論のこと、国会などを舞台に責任の所在を解明し、問題の本質を明らかにする仕組みが必要だ。

 さらに大切なことは、問題の拡大を未然に防ぎ、小さな段階で芽を摘む取り組みだ。情報公開や公益通報などの制度を駆使して、政官業のもたれ合いで矛盾が蓄積しないよう、知恵を絞り、目を光らせたい。

 一連のバブル事件は「国策捜査」と呼ばれた。「国民の血税で破綻処理した以上、刑事責任の追及は当然」との世論が当局の背中を押し、メディアもそれを求めた。

 捜査当局への過剰な期待を和らげるためにも、歴史を裁く多様な仕組みを整えたい。

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