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強い放射能汚染直面 福島・双葉郡の農家

耕作することができない警戒区域の水田。稲穂ではなく雑草が生い茂る=福島県双葉町

 重苦しい「収穫の秋」を福島県双葉郡8町村の農家が迎えている。福島第1原発事故から半年が過ぎたが、郡内の広範囲の土地が強い放射能汚染にさらされたまま。農業生産活動はほとんどゼロになっている。「避難先で黄金色の田んぼを見ると切なくなってくる」。古里に帰る見通しが全く示されない中で、農家としてどう生きていけばいいのか、厳しい現実に向き合うことを強いられている。(中島剛)

■今も鳴る電話
 「(警戒区域内にある)大熊町の自宅の電話から転送で、携帯に時々ナシの注文が来るんです」。避難先の喜多方市のアパートで9月上旬、果樹農家の朝田義尚さん(37)が悲しげな表情を浮かべた。
 原発から4.5キロの大熊町熊地区で、ナシを中心に2.5ヘクタールの果樹園を持っている。後継者となって15年、町内の果樹専業農家では最も若い。父までの代の借金を払い終え、思い通りの経営に取り組める環境が整った直後の被災だった。
 7月16日に一時帰宅したが、ナシ畑は草が伸び放題。「いつも懸命に草を刈り、あんなにきれいな畑だったのに…」。木にはダニがたかり、黒星病も出ていた。「果樹は1年管理しないと、元に戻すのに5年かかる。来年も帰れなかったら、全て伐採するしかない」と語る。
 朝田さんは今、小学生の息子と2人暮らし。6人家族はバラバラになった。妻は勤務先のある南相馬市、祖父と父は磐梯町の老人福祉施設、母は会津若松市の仮設住宅。「父は原発事故後、認知症が進んだ。会いに行くと『剪定(せんてい)は終わったのか』などと、いつも畑を気にしている」
■代わりの畑を
 自分が生きているうちに、大熊町で農業を再開するのは難しいと感じている。それでも子や孫がいつの日か帰って就農する日を願い、畑の管理は続けるつもりだと言う。
 大熊町に近い浜通り地方に果樹畑を取得できないか、模索している。「今後どうすれば農業が続けられるか。双葉郡の若い農家は、その情報を求めている」と話す。
 富岡町本岡のコメ農家猪狩弘道さん(68)は、地元の農家の仲間十数人といわき市四倉の建設現場で汗を流していた。「考えれば考えるほど悲しくなる。でも仮設住宅でボーッとしているのは嫌だ。働いて自立しないといけない」
 水田35ヘクタールと10アールのハウスで営農し、郡内トップクラスの大規模農家だった。原発事故後、いわき市に避難したが、仲間を集めて4月初めから市内の建設会社で働く。「弱気では駄目。みんなで稼いで議論して前を向かないと」と語る。
■自主除染計画
 町に測ってもらった水田の放射線量は毎時40マイクロシーベルト以上あった。「容易ではない。10年、20年は帰れないだろう。でも負けていられない」
 線量が早く下がってくることを願いつつ、自主的な除染計画を仲間と練っている。「田んぼにヒマワリや菜種を植える。1年でも早く田植えができるようにしたい。耕し続ければ農地も荒れない」と訴える。
 猪狩さんを奮い立たせるのは古里への強い責任感。「原発事故は人災。ただ双葉郡は相当、原発の恩恵を受けてきた。当初の耐用年数を超えた原子炉の長期使用にも、黙って反対しないできた。東京電力や国を責めてばかりはいられない。俺たちがやるんだ」


2011年09月19日月曜日


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