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やつらが隠してきたもの

2011年09月18日 22:37|電力自由化自民党役職停止中

東京電力福島第一原発の事故後、定期検査に入る原発を再稼働させるかどうかが議論になっています。

しかし、全ての原発を再稼働させる必要はないはずです。

日本は、電力を安定供給するために、最低限いくつの原子炉を稼働させる必要があるのか、まず、経産省はそれを明確にしなければなりません。それもやらないというのは経産大臣の職務放棄以外の何ものでもありません。

そして、安全性の高い原子炉から順番に、これとこれを稼働させたいということを発表し、ハードウェアの安全性確認をストレステストなどで実施しなければなりません。さらにオペレーションなどのソフトウェアもきちんと確認し、その上で、事故を隠蔽してきた経営体質を一掃するために、経営陣の総入れ替えと外部取締役の登用などを行った上で、再稼働に向けての了解を取る作業を始めるべきです。

東京電力福島第一原発の事故は、孤立した事象ではありません。

過去の原発事故の多くが隠蔽されてきました。臨界事故のような事故ですら、長期間隠蔽されてきました。

そして、その結果、事故情報が共有されず、防げたはずの事故が起きてしまっています。多くの事故は、取るべき安全対策が取られなかった結果、起きてしまいました。

まさに人災ともいうべき事故が並んでいます。それでも、原発は安全だという「安全神話」を、原子力村は強引に押し通してきたのです。これまでのいい加減な対応を見ていると、東京電力福島第一原発のような事故は、遅かれ早かれどこかで起こらざるを得なかったのではないでしょうか。

これを繰り返さないためには、経営体質の抜本改革が必要です。再稼働するならば経営陣の総退陣と社外取締役のきちんとした選任が必要です。経産大臣に、それができるでしょうか。総理に、それを指示する勇気があるでしょうか。

例えば、1978年11月2日に東京電力福島第一原子力発電所三号機で臨界事故が起きています。

日本で起きた最初の臨界事故だったとされています。操作ミスで制御棒五本が抜け、午前3時から10時半までの7時間半臨界が続いたと思われます。

しかし、この事故は発生から実に29年間も隠蔽され、1999年に起きた北陸電力の志賀原発一号機事故の調査に関連して東京電力から同様の事故が過去に起きていたことが経産省に報告され、事故発生から29年後の2007年3月22日になってようやく事実が公表されました。

事故を公表した保安院のリリースは、最小限の事実を淡々と述べています。

「一.連絡の内容
東京電力から本日、次のような連絡を受けました。

(一)東京電力において、一F三号機で昭和五三年一一月に、一F五号機で昭和五四年二月に、また一F二号機で昭和五五年九月に、定期検査期間中の原子炉において、制御棒引き抜き事象が発生していた。

(二)いずれの事象についても、詳細な調査を進めているが、一F三号機については、制御棒が五本引き抜かれており、臨界になっていた可能性が高いとしている。なお、一F三号機は、当時、原子炉圧力容器の耐圧試験を実施しており、蓋は閉じた状態であった。

(中略)

二.当院の対応
東京電力(株)からは、いずれの事象についても詳細な調査を進めていると聞いており、事実関係が明らかとなり次第、その内容を精査してまいります。」

臨界事故のような大事故が29年間の隠蔽の末に公表されたにしては、ずいぶんと事務的ではありませんか。

「制御棒の想定外の引き抜け」と称される事故は、この
1978年11月の福島第一三号機の事故を最初に、
1979年2月東京電力福島第一原発五号機、
1980年9月東京電力福島第一原発二号機、
1988年7月東北電力女川原発一号機、
1991年5月中部電力浜岡原発三号機、
1993年6月東京電力福島第二原発三号機、
1996年6月東京電力柏崎刈羽原発六号機、
1998年2月22日福島第一原発四号機、
1999年6月18日北陸電力志賀原発一号機、
2000年4月東京電力柏崎刈羽原発一号機、
2007年6月東北電力女川原発一号機とたびたび起きています。

過去のこうした事故が隠蔽され、事故情報が共有されなかったことが次から次とこうした事故が起きた原因だと思われます。原子力村の隠蔽体質がいかに安全を損なってきたか、それに対して政府がいかに穏便に済まそうとしてきたか、よくわかります。

このうち1999年6月18日の北陸電力志賀原子力発電所一号機の事故は、定期点検中に、原子炉の弁の操作の誤りで炉内の圧力が上昇し、三本の制御棒が抜け、臨界になりました。

スクラム信号が出ましたが、制御棒を挿入することができず、手動で弁を操作するまで臨界が一五分間続きました。

この事故も隠蔽され、運転日誌への記載も本社への報告も行われないという異常ぶりでした。

原発関連の隠蔽や不祥事が相次いで起きたために、2006年11月に保安院がそれまでの事故の総点検を指示し、2007年3月になってこの日本で二番目に起きた臨界事故がようやく公表されました。

これだけの事故とこれだけの隠蔽工作が行われてきたにもかかわらず、マスメディアは電力会社の経営体質をどれだけ追及してきたのでしょうか。

原発再稼働は、単にストレステストをやればいい、知事がOKを出せばいいというものではありません。電力会社が、この隠蔽体質を変えない限り、原子力というものを彼らにまかせることはできないのです。

総理、あなたは国民を守るのですか、それとも電力会社を守るのですか。

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