東京電力が来年度から3年間の電気料金の値上げ終了後に、半減中の一般社員の賞与水準を元に戻そうとしている問題で、政府の第三者機関「東電に関する経営・財務調査委員会」は14日の非公式会合で、「15年度に賞与水準を回復することは認められない」との考えで一致した。
15%という電気料金の値上げ幅についても、委員から批判的な声があった。ただ、値上げの理由としている火力発電所の燃料費の増加が、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働の行方に左右されるなど見通しが不透明なため、是非の判断は先送りした。
東電は賠償や事故対応の費用を捻出するリストラの一環として、7月から一般社員の賃金の5%、賞与の5割を削減中。賃金カットは賠償が終わるまで続ける方針だ。ただ、原発事故の収束や電力供給にあたる社員の士気を保つため、さらなる給与水準のリストラについては否定的な声もある。
戦後最長の景気回復が続いていた頃からも一貫して賃金水準の下がり続ける我らが日本ですけれど、一度は下げた賃金水準を元に戻す計画を立てている掛け値無しの優良企業もあるわけです。全ての企業がこのような姿勢を持ってくれれば日本の国内景気もこう酷いことにはならなかったであろうなと思わせられるのですが、しかるに「賞与水準を回復することは認められない」などと政府が介入しています。話になりませんね。賃金水準を下げるのは推奨される一方で、それを回復させるのはダメだというのですから、日本の労働者が置かれた状況が悪化するばかりなのも当然です。
前にも書いたことですが、凶悪犯罪の加害者であっても人権がなくなるわけではありません。受けるべき罰もあれば、守られるべき権利もあるのです。同様に重大な事件を巻き起こした企業の従業員であっても、労働者としての権利はなくなるものではないはずです。ただ世間で声高に振る舞っている人を見ると、どうにも社会的に反響の大きい事件の「加害者」に対しては、謂わば「権利剥奪」とでも言うべき刑を下したがっているように見えます。犯罪者に人権はない、などと宣うのと同じような勢いで、電力会社従業員の労働者としての権利を蔑ろにして憚らない人が闊歩してはいないでしょうか。
とかく日本では経営者目線でしか物事を考えられない人が多い、労働者であっても気分はエグゼクティヴな人が目立ちますけれど、末端の労働者までもが経営責任を負わされることにロクな異議申し立てが出てこないのは、何とも因果応報な話です。別に東京電力の従業員が企業側に売り渡す「労働力」の質が落ちたわけでもない、仕事量が減ったわけでもない(むしろ増えているはずです)、こういう状況で賃金をカットされる筋合いなど微塵もないはずですが、当たり前のように賃下げが行われている辺りに、日本的な労働観、日本的な雇用感覚が窺い知れます。
節電のためと、電力需給の逼迫する平日の昼間を避けて、休日や深夜に操業をシフトさせる企業も少なからずありました。当然のことながら、今までは平日の昼間に働いていた人が土日や深夜に働くことを余儀なくされたわけでもあります。歴然たる労働条件の不利益変更としか私には思えないのですが、労組や左派として振る舞っていた人々は何をしていたのでしょうか。原発憎しでデマを撒き散らし、福島への差別や排除を駆り立てることにばかり熱心で、労働者が置かれた状況が悪化していくのを気にも留めていないとしたら、流石に労組なり左派なりの在り方を考え直さなければならないところです。
確かに東京電力が防げなかった事故は非難に値するのでしょうけれど、だからといって東京電力に対してなら何をしても許されるものではありません。百歩譲って電力料金の値上げ期間中は賞与(実質的な給与)水準の回復を見送るべしとの政府介入を認めるとしても、「3年間の電気料金の値上げ終了後」に給与水準を元に戻すのは、これこそ経営努力であって賞賛されこそすれ非難される謂われはないはずです。給与水準を回復させるために値上げ分が使われるなら感情的な反発も理解できないことはありませんが、なぜ値上げ期間を終えた後まで賃金カットを強要されねばならないのか、まぁ政府も世論も人件費削減に血道を上げる人々の味方なのでしょう。東京電力のような労働者の味方は少数派です。
従業員の賃金水準を極限まで低く抑え込むことで低価格のサービスを提供している企業が幅を利かせている昨今です。その手の企業経営に批判的な人も多数派ではないなりに存在するわけですが、原発事故後の流行りを見るに、色々と頭が痛くなって来るところでもあります。消費者向けの価格を維持するために、従業員の賃金を下げることで対応せよと、そう政府がお墨付きを与えようとしている、そしてこれに対する反対の声は全くと言っていいほど聞こえてこないのですから。別に事故を起こしたわけでもない中部電力に対しても便乗でリストラを迫った、まさに聳え立つ糞としか言いようのない政治家もいました(参考)。何でも給与カットとリストラで対応すればいいのだ、賃下げを続けろと、そういう考え方が押しつけられるのは決して東京電力だけ、電力会社だけに止まることはないでしょう。
国鉄、電電公社民営化したときや、中福祉中負担と言って福祉国家化を止めた時も、小選挙区も郵政民営化も全て「無駄排除+公務員バッシング」ばかりで、その結果国民全体の利便性は向上するのか、本当に削減が大きな財源になるのかという議論はおろか、削減した(あくまでつもり)わずかな額をどう振り分けるかという議論さえおざなり。そして民間のひどい労働環境は放置または悪化の一途の繰り返しが戦後の日本史のような気がします。
国民がおまかせ政治を黙認して互いに政治教育をすることを怠ったつけが今に来ているみたいです。
加害者はおろか、被害者まで人権はないようです。
その「正当」な行使として認められる範囲が、非常に狭くなっているところもあるような気がしますね。認められるべき権利の行使も、悪用として扱われることが多いのではないでしょうか。
>ヘタレ一代さん
お任せ政治どころか、悪い意味で国民が政治の背中を押しているところはないでしょうか。各種の削減や労働環境の悪化が、政治の無作為の結果ではなく民意に応えた結果として行われる方向へと変転しているところもあるように思います。
>ルーピーさん
その手の人の頭の中では、もはや被災者でも被害者でもなくなっている、社会保証受給者を財政に対する加害者とでも思っているのではないでしょうかね。
>ノエルザブレイヴさん
世論対策、国民の声を聞く、という意味では、いい手段なのでしょうね。ただそれがどういう結果をもたらすかと言えば、回り回って国民の首を絞めるわけですから呆れるほかありません。