チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[29735] 【習作】IS〜束が異常になったわけ〜【中編・本編完結】
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/18 19:03
始めに『 IS~束が異常になったわけ~ 』では、題名の通り束が異常になってしまったわけ――――元からあんな性格ではなかったと、私は信じて疑わない――――を作者なりに考えて、こうだったらいいなぁというものを思いついたので書いてみました。

勿論異常になる前の束のことなので、

1、口調が普通。

2、そこまでぶっ飛んでない。

3、周りを思いやれる。

4.束と千冬の出会いが小学生低学年。

などのピースから束が構成されています。束は生まれたときから原作みたいな人間だったんだ!! と思う方は今すぐバック。

そして最後には束が普通から異常になってしまうわけですから、バッドエンドです。でも後味が悪かったり、吐き気のするタイプのBADENDではないのでご安心を。

基本はほのぼの。だけど最初と最後はシリアス。一応中編。感想はなんでもOK。どんどん感想のほうへご指摘お願いします。
ただ宇宙関係の知識がテキトウだな、おい。というツッコミだけは無しで。

全部で七話構成となっております。

では、

『 IS~束が異常になったわけ~ 』をお楽しみください。

*にじファンのほうにも掲載しております。




[29735] 第一話 「もしかして君……束ちゃん?」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/13 18:11




~とある人物の手記より~


 私の親友に、篠ノ之束という人間がいる。

 彼女が生み出したISはそのあまりの技術力と有用性ゆえに瞬く間に世界中に広まった画期的なマルチフォーマル・スーツである。それは搭乗者に絶対の安全性と、思考加速をもたらし、既存の乗り物を超える運動性能を保有している。

 そのあまりにも他の技術を突き放した科学力をもつISであるが、それはもともと宇宙を目指し開拓する目的を持っていたはずだった。

 しかしそれは世界中の人間には認められず、軍関係の方向へと力が入れられている。核兵器が禁止された今、ISの保有数が国の戦力を決めると行っても過言ではないほどに、ISはその有用性を世界に示している。

 そんなISだが影響は軍のみにとどまらなかった。IS唯一の欠陥と言ってもいい点――男性が乗ることができない、つまり女性だけが世界を揺るがす兵器を運用できるという事実が、世界中の男尊女卑の風潮を一変させてしまったのだ。まるでこれまでの人類の歴史をひっくり返すかのように女尊男卑の風潮が世界をとってかわった。元々ゆっくりとだが、歩み寄りをしていたはずの風潮がすぐに移り変わったのは、いったいどんな皮肉なのか。

 さて、そんな世界を変えた、いや、世界を変える力を持つISを開発した本人はどうなのか。一体どんな人間なのか。それはほとんど知られていない。というよりも、誰も知ることができない。彼女が自分の情報を管理し、それを世界へ渡そうとしないのだ。

 大衆が分かっていることは一つだけ。彼女が人並み外れた天才だということだけだ。

 比べることがおこがましいほどの頭脳と類まれな美貌をもつ天才。聞くだけならば神様に愛されたような人間だ。しかし、彼女は重大な欠陥をもっていた。それは一部の国の上層部ならば当然のこととして知られている。

 それは――――大切な一部の人間しか認識できない。

 人間が人間の輪の中で生きていくために絶対に欠かせない力をどこかへ無くしてしまった女――――それが篠ノ之束だ。

 だが……それは間違いだ。

 私は知っている。篠ノ之束が大切な人以外認識できなくなったわけを。

 私は見ていたのだ。篠ノ之束が壊れていった様を。

 私は後悔しているのだ。篠ノ之束が壊れていく理由を作ってしまったことを。

 だから私はいつまでも離れないのだ。篠ノ之束がどれだけ人として終わってしまっても。







 篠ノ之束は人として壊れている。

 それは天才だからではない。

 天才だったからではない。

 彼女の欠点を知る人が聞けば驚くかもしれない。

 彼女が小さい時、彼女は確かに周りに合わせるということを知っていたし、人を思いやることもできる子供だった。口調だって周りと変わらなかった。

 それどころか、年相応に恋をする少女でしかなかった。

 だが……その恋がすべての始まりだった。

 青年は宙へ行きたいと夢を語り、少女はそう語る青年が好きで、そんなどこにでもある何でもない風景。

 それがすべての始まり。





 これから語る物語は、ほんの一カ月の短いお話。

 聞いても納得してくれないかもしれない。分からないかもしれない。それでも、それでも束がどうしてこうなってしまったのか。それを理解してほしい。

 私は私がもつ約束のために、ここで筆を持ち、親友の大切な思い出を語ろう。

 なによりそれが彼にとっての幸いになると信じて。











第一話












 夏の暑い日のことだった。

 夏休みを目前に控えた小学生たちはうるさいほどの音をならすセミにも負けない声を出しながら帰路へ着いていた。熱い熱いと文句ばかり言う大学生とは違い、この暑さの中でも小学生は元気に走り回って帰っていた。男の子は石けりをしながら、女の子は今時の女子高生予備軍の片鱗を見せつつ、楽しそうに下校していた。

 そんな女の子たちのグループの一つに、ある少女がいた。

「ねぇねぇ束ちゃん! この前でた夏休みの宿題ってもうやった?」

 少し赤みがかった肩甲骨まで伸びた髪をかわいらしい水色のゴムでまとめた少女――篠ノ之束にクラスメイトの少女が話しかけている。

「うん。やっぱり簡単だったよ。夏休みの宿題はあと……工作で貯金箱を作れば終わりなんだ!」

「ええ! すっごーい! やっぱり束ちゃんは真面目だよね。夏休み始まる前に宿題が終わっちゃうんだもん。私なんか今まで取ってたチャレンジがたくさん溜まってるから、きっとお母さんにやりなさい! って怒られてからやるんだろうなぁ……」

 そこで束の隣を歩いていた少女――織斑千冬が声をはさむ。

「なら、今からやればいいじゃないか」

 少しだけつりあがった瞳。初対面ではきつめの印象を受ける。が、所詮は12歳の少女。そんな表情も大人からしたらかわいいだけだった。

「もう! そう思ってもできないからやらないの!」

「まぁまぁ、ちーちゃんもそんなきついことをいうんじゃなくて、もっと励ますとかしてあげようよ」

「そうはいってものだな、束。もっと自分でしっかりしないといけないって|おばさん(束の母)もいっていたぞ」

「それでも! もっとやさしく言うの! せっかく夏休みになるんだからさぁ、もっと楽しくいっちゃおーーー!!」

「おおーーーー!!」

「……駄目だ、私はたまについていけないよ、束」

 疲れたように息を吐く千冬。そんな彼女に束は後ろから抱きつく。

「ええぃ! 暑苦しいわ!」

「もう、そんなこといって。ほんとはこういうスキンシップが好きなんだよね~」

「え、千冬ちゃんって実はさびしいと死んじゃうウサギなの?」

 クラスメイトの子が、二人の様子に驚く。いつもは凛としている千冬が何だかんだでうれしそうに束と戯れていたからだ。

「違う! あ~~もう、束!」

「あいあいさ~」

 本気で暑苦しいと思い始めた千冬の内心を正確にサンプリングしていた束が敬礼をしながら千冬から離れた。

「はぁ……今日は剣道の練習があるから、私は先に行くぞ?」

「ええ、そんな!? ちーちゃん今日はオールでカラオケに行こうって約束したよね!?」

「自分の歳を考えろ! 私たちがオールなんてできるか! そもそも約束だってしてない!」

「おーる?」

 クラスメイトの少女はオールの意味が分からないのか首をかしげる。これが普通の小学生の反応だ。

「冗談だよ、がんばってね、ちーちゃん」

 そうして話していると三人が分かれる場所まで来た。今日はここでお別れだ。束は二人に手を振ってバイバイと恥ずかしげもなく大きく手を振って別れる。二人もそんな束に笑い返しつつ手を振った。

「……う~ん。一人になっちゃったなぁ。今日はどうしよっか」

 夕暮れの市街地に消えていく二人を消えるまで見ていた束がポツリとつぶやいた。

 その表情はさっきまでとうって変わって冷たい氷のような表情だった。そこに笑顔はなく、落ち込んだ様子もなく、ただ人間の顔だけがあるようにすら見える。人間の顔を切り取って置いておいたらこんな表情になるのかもしれない。

 本人に自覚はないが、その顔は見るものに不安を抱かせるようなものだった。

「う~、今日は箒ちゃんも剣道だっていってたもんなぁ。やっぱりいっくんと一緒にいたいからかなぁ。これなら私も他の誰かと約束しておけばよかったかも」

 束は特に目的もない自分の予定を恨めしく思いながら、家路を歩く。今日は家に帰っても父と母はいないし、妹もいない。さっきは千冬にスキンシップがうれしいといってはいたが、実は束の方が寂しがりやでスキンシップが好きな人間だった。こうして予定がぽっかりと空いて一人になるとどうしても、悪い方向に考えてしまうから、好きではなかった。……他の人のことを考えていることの方が好きな束であった。

「どうしよっかなぁ」

 独り言をつぶやきながら帰る小学生と言うのも少し不気味だが、特に束は気にすることもなく歩いていた。

 運動神経はあっても、体力もない束の歩く速度は遅く、他の小学生にもどんどん抜かれてしまうくらいに遅い。そんな彼女は明日のことや、夏休みの予定のことを考えながら歩いている。考えすぎて石に躓いたり階段で危ない目にもあったことのある束だが、今日もまた歩いていると赤いポールに足を引っ掛けてしまった。

「うわっ!」

 と同時に目の前から声が聞こえた。

「あ、ごめんなさい!」

 瞬時に状況を判断して、自分が下を向いていたのが悪かったことに気がつくと、顔を上げながら謝っていた。

「え、いやいや、こっちも不注意だったし。別にそんなに謝らなくてもいいよ? そっちこそ大丈夫?」

「はい、ちょっと躓いただけなんで……」

 当たり障りのないことを言いながら、視界を上げるとそこにいたのはなんてことはない、ただの高校生だった。一応この辺では一番偏差値の高い学校のバッチをつけて、真ん中に二と刻まれている。高校二年生なのだろう。容姿は特に説明することもない普通。ニキビとかは無く、少し短めに切った髪の毛と額に浮かんでいる汗が特徴と言えば特徴か。束はその汗を見て、そういえば暑いなぁ、と思う程度であった。

「あれ……もしかして君……束ちゃん?」

「え……あれ? なんで私の名前知ってるんですか?」

 だから突然目の前の彼に自分の名前を言われた時には驚いた。もしかして最近テレビでやっているストーカーという人なんだろうか。思わず身構える。

「えっと、この前の四区の地域会のボーリング大会覚えてない? 俺もその時いたんだけど……」

……四区のボーリング大会?

 頭の中でその情報をもとにデータを検索すると、すぐに出てきた。あれは二カ月ほど前のことだった。地域の集まりでボーリングにいって遊ぶ話が出て、その時束は千冬と一緒にいったのだった。千冬が256ピンというとんでもないスコアを出したおかげでペアを組んでいた束もかなり目立っていたのだ。同じ地区だったというだけでこの青年が束を覚えていたくらいには。とはいえ、注目される側の束からしたら誰の顔も一緒だ。はっきりとした話し覚えてなかった。束は声をかけてきたナンパさんには悪いと思うが、正直に言う。

「ごめんなさい! ちょっと覚えてないです……」

「いや、いいよ。逆に覚えてたらびっくりしてたし。でもこれで覚えてくれたよね。今度会ったら声かけてね?」

 彼も高校生だ。しかし人の心の機微に注意して言葉を出す作業はできるのか、当たり障りのない挨拶で切り抜けようとした。彼の内心ではかわいい女の子だなぁ、と思う一方で、周りから見たら俺ロリコンに見えねぇ? と震えていたので、さっさとわかれたかったのが本音だ。

「分かりました。今度会ったら、私から声をかけますね」

 束が言ったのも小学生にして会話を円滑に進ませる方法を知ってるなぁ、くらいにしか思わず彼はそのまま束の帰る方向とは逆へ歩いて行った。

 これが彼と束が出会い、縁を結んだ最初の日の出来事だった。特にドラマチックなことがあったわけでもなく、ただ道をすれ違いご近所のうわべだけの挨拶をしただけ。それだけの出会いだった。









▽▽▽








 束は天才だった。

 誰が言うまでもなく、彼女は自分で自分が天才だと知っていた。いや、その言葉の範疇に当てはまっているのかすら怪しいほどの才能を自分が持っていると、彼女は正確に理解していたのだ。

 元々、彼女は幼稚園の時から賢かった。普通小学生高学年になるまで直感的な思考しかできず、論理的な思考しかできないはずだが、彼女は7歳の時から論理的思考を展開していた。周りの小学生たちの道筋の立っていない会話を聞いて不思議に思いながら、彼女の成長は続く。

 他のクラスメイトの話があまりにも筋道だっていなくて苛立った時なんて数えきれないほどある。そんな中で千冬という他よりも成長が早くそれなりに束についていける存在に出会えたのは偶然か、あるいは奇跡か。

 しかし彼女はクラスメイトとの面白くない苛立ちの募る会話から千冬と言う友達を得て解放されると同時に、もうひとつの事実に直面する。それは――――計算だった。

 束は今まで家にパソコンがあって、それを当り前のように使っていた。もちろん以前親に使っているところを見られてからは、触っていると怒られるのでばれないように使っていたが、その時にネットでいろいろな知識を溜めこんでいたのだが……そこで手に入れた数学的知識がどれだけ周りと比べて異常なのかを、小学校の算数の授業を聞いて理解したのだ。

 自分がどれだけ周りと違うのか、6歳の春に彼女は理解した。

 もし彼女が普通の天才であれば、ここで周りを驚かせてちやほやされて終わりだっただろう。しかし彼女は天才の中でも、異質過ぎた。スポンジが水を吸うなんてものじゃない。底なしのブラックホールに星が丸ごと飲みこまれるように、彼女は知識を手に入れていたのだ。そして彼女はそれを――――正しく理解して使えてしまった。

 そう、彼女の悲劇はその知識――それも数学に限らないものを使えてしまったことだろう。

 彼女はネットの海にさらされた純粋な悪意の書き込みなどから人間の一面を知ってしまった。もちろん頭の中ではこれだけではないと知ってはいても、黒い一面を知ってしまったことは事実。彼女は自分の才能を、特異性を周囲にさらすことの危険性を知ってしまったのだ。才能があるということがもたらす周囲の変化。その卓越した頭脳であらゆる状況をシミュレーションし、彼女は才能を隠すべきと判断したのだ。なにせ彼女は当時から周りが思いもしないような発明品の図案を頭の中に溜めこんでいたのだから。彼女が隠そうと思うのも当然といえば当然だった。

 とはいえ、そんな考えに彼女がいたってしまったのにはちょうどその時才能ある人間が隣の国に拉致されてしまうという事件が背後にあった。そのおかげで関係するそういった類の情報があふれていたということも理由の一つとしてあげられる。

 そうして束は自分の力を隠すことにした。

 それがどれだけ恐ろしいことか理解できるだろうか。

 六年生の十二歳にすぎない少女が自分ができることを誰にも自慢せず、それこそ親にも言わずに自分だけで秘密を守り続けようと決心するということの恐ろしさを。

 彼女は自分の力を知っているからこそ、今なお隠しているのだ。とはいえ……最近は周りとの会話も楽しくなってきたし、それなりに自分の感情の動かし方もわかってきていた。このままいけば、きっと彼女が学校で抱える悩みは一つだけになるはずだった。しかし……そのひとつが厄介だった。



 最後の一つ……それは自分の才能を見せつけてやりたいと思う――――自尊心だった。



 彼女は時々強く思ってしまう。みんなに褒めてほしい。自分がやったことをすごいと言ってほしいと。確かに彼女は学校で一番の成績をとってるから、褒めてもらう機会には事欠かない。しかしそれは彼女の全力じゃない。それこそ六年前には覚え終わったことで、半分寝ててもできるような問題をやって褒められても、むしろ束としては苛立ちが募るだけだった。

……本当に全力でやったことを誰かに見てほしい。

 束がいつしかそう考えるのは遅いことではなかった。だが……彼女はそれを鉄の精神で抑えきった。そこには家族への確かな愛情があったのだ。周りからの評価が一気に変わると、そのとき大抵は家族も巻き込まれる。そうして家族に日々が入るくらいなら、と思い束は隠す方を選んだ。

 彼女は天才であって、同時に周りの人間を思いやることもできる――――ごく普通の少女だったのだ。

「う~~~んっ」

 そんな束は今、自室で読んでいた本をパタリと閉じるとそのまま大きく伸びをした。ずっと本を読んでいたので体が固まってしまったようだ。

 図書館からわざわざ借りてきた有名な経済小説に久しぶりに満足しながら、束は席をたつとランドセルからノートを取り出して、ページを何枚か切り取る。几帳面に何度も山折りと谷降りを繰り返して綺麗に切り取ると、ペラペラの白紙のノートにいくつかの絵をかきこんでいく。束は実は意外と手先が器用なので書いてある絵はうまい。どうやら何かの図面のようだ。

「♪~~」

 束は鼻歌交じりにそれを書きあげていく。よくよく見れば図面の上に書いてある題名が、夏休みの貯金箱となっている。彼女は貯金箱を作るために絵を描いているらしい。しかし図面の中に明らかに場違いなモーターや、配線図が書いてあるのは少しいただけない。一体何を作るつもりなのか。

「やったね! できたーーー!」

 迷うことなく図面を引き終わると、工学生もびっくりな図面が書かれていた。どうやらお金を入れるとウサギ型の貯金箱が少しピョンピョンと走りだし値段を読み上げる仕組みのようだ。

「でも……これはまずいんだよね……やっぱり違うのにしよ」

 しかし、それは間違いなく小学生が作れるものではない。一体どこに入れたグラムから値段を読み取り、設定した機械に喋らせる小学生がいるというのか。この程度の技術であれば少し騒がれるくらいだが、慎重な性格の束は自ら自重することにした。

「やっぱり私一人だと作っちゃうなぁ……今度ちーちゃんと一緒に作ろっと」

――やはり自分は一人でいるべきではない。

 束はそう思った。

 今だってなんで自分がこうして我慢しなくちゃいけないのか、なんで自分だけがこんな風になっているのか、そのことでイライラとしてくる。自分で決めた方向性とはいえ、それでもこの状況に鬱屈とした気分にすらなる。束は自分の感情すら制御するが、それでもやはりその心は12年しか生きていない小娘だ。今までの溜まりに溜まったストレスをどうにかしようとし、処理できるほどの力は未だになかった。

 もしこのまま束が一人でいたら……きっと彼女は誘惑に負けて常識を覆すようなとんでもないものを作り出してしまうだろう。

 今現在彼女の頭の中にはそう言った類のものがいくつもある。今までとは効率がケタ違いの発電機や、理論すら思いつかれていない空間制御装置。それらを束は戯れに作るだろう。そうなればその先を容易く予測できる。そして――わかっていても一人の時間が多くなった束は作ってしまう。現に今も束は小学生の領分を越えたモノを作り出そうとしてしまった。このままではまずい。

「ほんと、ひとりってやだなぁ……」

 自分からの誘惑に負けそうになる心を叱咤し、そっと束は息を吐いた。そこには疲れたような色が、少しだけ混じっていた。

 束にはそう思えた。








――――――――








 彼女は自分の心の中に、常に一匹の化け物を飼っている。

 それは束自信の心の姿なのか、それとも彼女が捕まえてしまった闇なのか、はたまた化け物自身が束を探してきたのか。それは誰にもわからないし、束自身も自分が負けなければいいと、そう思っていた。

 しかし、たった一人でこの化け物――オオカミと一緒にいれば、狡猾なこのオオカミに騙されていつか束は籠の鍵をあけるだろう。そうなった時、ただのウサギでしかない束は一体どうなるのか。それは後の歴史が知ってる。





 ~抜粋、とある人物の手記より~










[29735] 第二話 「君も星が好きなの?」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/13 18:11



 ――どうして私なんだろ。

 そう考えることがなかったわけじゃないよ。

 友達は頭のいい方がいいっていつも言うけれど、私はそうは思えなかった。

 だって、もし頭のいい方がいいなら、私は悩まずに済んだもの。


 ~~とある科学者へのインタビューより抜粋〜〜












 やっぱり蒸し暑い夏の日のことだった。

 やけに強い日差しが燦々と差し込み、道路から伝わる熱気がうざったいほどに暑くて、遠くの景色がかすむような夏の日。束は友達と約束したプールへと足を進めていた。

 プール日和といえばそうなのかもしれないが、それはあくまでプールに入っている間。そこに行くまでが地獄のようだ。

「プール、プール、プール!」

「はやくスライダーにのりたーい!」

 が、そんなことは子供たちの目先の楽しみの前には特に意味もないようだ。彼らは皆一様に楽しそうな顔をしながら水着の入ったプールバックを揺らしている。

「早く束ちゃんもいこー?」

「うん! 早くいかないと場所取られちゃうもんねっ」

 ひときわ元気のある小麦色の肌をしたクラスメイトが束の手を引く。それに束はうれしそうに顔をほころばせながら、ぴょんと飛び跳ねてクラスメイトの後ろを追った。

「うんうん、今日は楽しくなりそうだねっ」

「そうだよね~、千冬ちゃんも来れればよかったのに。もったいないよね」

「でも仕方ないよ。稽古って言ってたもん。ね、束ちゃん?」

「うん。でもちーちゃんも稽古するのが楽しくてやってるんだから……それに今度遊ぶ約束もしたし、今日は私たちも……あ~そ~ぶ~ぞーーーー!!」

 この前の一人の時間とはまるっきり違って、今日はみんながいるし、プールで遊べる。束はいつもよりもずっと機嫌が良かった。本当なら親友の千冬も一緒に連れて行きたかったけれど、しばらくは剣道の稽古があっていそがしいらしい。泣く泣く諦めて――もちろん妥協案として一日束に付き合う約束をさせた――今日はクラスメイトの仲のいい友達と来たのだ。

 クラスが一緒で付き合いもそれなりにある友達ならきっと楽しめる。お母さんからもらった二千円がはいったウサギの刺繍のある財布を握りしめたまま空に突き上げて、声を張り上げる。

「えいえい、おーーー!!」

 やはり束の友達だからか、テンションとノリがいい。残りの二人も手を一緒に突き上げた。それをニヤニヤしながらみて、束は再びプールへと駆けだすのだった。










第二話











「「早く早く!」」

「もう、待ってってば!」

 市民プールは嫌だと言った二人の意見を採用してちょっと遠くにある大きめのプールに来て、すぐさま着替えた三人は日陰を取れる位置にレジャーシートを引いていた。

 なかなかに知恵の回る束は準備をしてから泳ごうと言ったのだが、お子ちゃまなクラスメイトたちはまず泳いでからやろうと急かす。しかし拠点の重要性を知っている束は断固拒否。まずは日陰をとるべきだと独裁者張りの演説をクラスメイトにかまして、どうにか準備をさせていた。

「できたー! もういいよね、束ちゃん!?」

 もう待ちきれないとばかりに束に詰め寄るクラスメイトその一。少し頬を引きつらせながら、

「う、うん」

 とうなづくのが精いっぱいの束だった。……内心では私、母親のポジションにいる……? と首をかしげていたが、どうでもいいことだと思ったのか、そのまま二人についてプールへと走っていった。

「どこから行く?」

「やっぱりここは束ちゃんに決めてもらおうよ!」

「えぇ! そうだな~、流れるプールは後でも行けるし……うん! ここはやっぱり朝のうちにスライダーに行こっか!」

 このプールは県内でも大きい方で、スライダーに始まり流れるプールなどの基本を抑え、さらには飛び込み台と波のプールもある本格プール施設だ。なかでも全長320mのスライダーは全国でもあまりない特大のものとして有名で、ジャングルのように入り組んだスライダーのチューブは時おり透明になっていた高所を滑るスリルがあって評判がいい。まだ滑ったことじゃないが、束は楽しみにしていた。

「「さんせー!」」

 キャピキャピとこの後どうするとか、スライダーを滑ったことがあるとか、そんな話をしながら束たちはスライダーを滑るために階段を上っていく。

 まだ朝早い方だからか、並んでいる人は少ない方だ。以前束が家族で来た時には一番下の階段の入口まで人がいたのだから、大体ピークの1/20程度だろうか。そこまで集客できるこのスライダーはそんなに面白いのだろうか。年相応に楽しみになる。

「でも昨日の人ってかっこいいけどびみょーな話しかしなかったよねぇ」

「あ、わかる。歌がけっこう好みだから期待してたのに、なんかコメント下手だしおもしろくなかったよねぇ~、束はどう思う?」

「う~ん。あの人は微妙だけど、隣の人はかっこいいなぁって思ってる」

 束は二人と昨日のテレビに出てきたかっこいいタレントのトーク力のなさについて話しながら自分の番を待つ。やはり友達と話をしていると時間がたつのも早い。さっきまで前にいた男性がいつの間にか目の前にいなくなっていた。おそらくもう滑ったのだろう、そうして体感時間としては短い時間で束の番が来た。二人は滑ったことがあるらしく、束に一番を譲ってくれるそうだ。すこし感謝しつつ、チューブのなかに身を躍らせる。

 始めは青いチューブ。淡い光が漏れるチューブの中を独特の爽快感と共に風を切りつつ進む。それなりに気にいっていた雰囲気だったのだが、すぐにパッと視界が開けると蟻地獄のようなお椀の形の場所に出る。そのままのスピードで突っ込むと、蟻地獄の壁をぐるぐると回りどんどん速度が落ちて一番下まで降りていく。そして次の色のチューブへ運ばれる。初っ端からなかなかこった仕掛けだ。束は蟻地獄のアイディアは面白いなと、頭の中にメモしつつ、次のはどんなのものが出てくるか余計に期待した。

 次のチューブはさっきとは変わって紅いチューブだった。太陽の光で微妙に透けて見える世界は不思議とチューブにいる閉塞感を与えた。同時になぜか……不安になる。滑り落ちていくこのチューブがどこか変な場所につながっていたら? どこかで落ちたりしないよね? ちゃんと下まで降りられるよね? 

 いやな気分が束に迫る。

 そんなことありえないはずなのに、嫌な想像がかきたてられて、肌がざわざわとする。

――――早く、早く下まで降りたい。

 束がそう思った時、赤しかなかったチューブのなかに肌色が見えた。

……なに?

 そう思ったのも一瞬。束はすでに100m以上滑ってきていてそれなりに速度が出ている。その場所から動いてなさそうな、その物が視界に映ったと思った次の瞬間には、それにぶつかっていた。

「きゃぁ!?」

「うぉぉ!? なんだぁ!?」

 訂正、物ではなく者だった。

「イッタ~~~イ!! ……もう! なんでこんなところで止まってるんですか!!」

 束はぶつかったショックで体に痛みが走るのを自覚しながら、チューブのなかで止まるという馬鹿なことをしていた人間を睨む。もしスピードが特に出ているところだったら怪我をしていたかもしれないのだ、束が怒るのも無理はない。

「それと……早く離れてください!」

 そしてぶつかったショックで束とアホの体がくっついたまま滑っていた。束は一応上側だが、それでも見ず知らずの人と体をくっつけていていい気はしない。すぐに力を入れてアホから離れた。そしてようやくお互いに離れていくとお互いに顔を見る。

「……あれ、ボーリングの人?」

「……え、束ちゃん?」

 どんな奴がこんなあほなことをしたのかと、呆れつつ睨んでひどい目に合わせようとも思っていたのに、相手は知り合いだった。思わずその平凡な顔をまじまじと見る。彼もぶつかってきたのが束と知って思考が停止する。本当なら彼の次に降りてくるのは友達であって、一緒に滑ろうと友達が言ったからこそスライダーの途中で待つ暴挙に出たのだから。まさか他の人が、それも近所の人が滑ってくるとは思うまい。……とはいえ、チューブの中にいるのだから、固まっていた二人がそこから滑りだしたのは必然だったのだろう。偶然にも彼の上に乗りかかっていて離れようとしたとき、束は彼をまたぐようにして下側に降りていた。そのため必然的に束は背中から滑っていく形となり……

「あわわ~~~!」

 まったく先が予測できないままスライダーを滑ることになる。

「ひゃぁぁぁーー!?」

 こういった類の遊びは先が予測できてある程度身構えられることが前提で楽しめるのであって、それができないときはめちゃくちゃ怖いだけだ。事実束は右に左にと振られることに翻弄されて涙目になっている。……一応束の運動神経は人よりもずっといい。後に全国優勝をするようなスペックの持ち主を妹に持つ束も、自分からはあまりしないけれど、運動は人以上にできるのだ。が、それでもこうして軽くパニックになっていればどうしようもない。スライダーの特徴の一つである水が多めに流れている点のせいか、体をひっくり返して前を向こうとするもうまくできない。まるで背泳ぎをするような体勢で悲鳴を上げながらどんどん加速して滑っていく。勿論周りは、おお楽しそうだな、としか思ってくれないわけだが。

「ええ、束ちゃん!?」

 そこで束をそんな体勢にしてしまった男が動き出す。なんだか束の悲鳴が本気っぽいので彼はちょっと顔を青くしながら束を追う。

 まぁ、実際は束が怖がっているだけで、特に怪我をすることもないのであとで笑い話になるだけだろう。しかし、激突後、後ろ向きで滑りながら本気の悲鳴を上げさせている彼からすれば、束がなにか怪我をしたんじゃないかと不安になるわけだ。彼は束に追いつくために手で加速をつけてどんどん束に追いすがる。

(ええ!? やだなんでこっちくるの!?)

 しかし、束の視点から見てみると、後ろ向きで怖いのに、さらにはぶつかった男が必死の形相で加速しながら追いかけてくるようにしか見えない。どんなホラーだ。間違っても助けてくれる王子様には見えない。

「ちょっと待ってな。今そっち行くから!」

(むしろこないで!)

 束は叫ぼうとするも、かすれて声が出ない。わたわたと手をふって来ないでアピールをするけれど、彼には余計に助けてと見えたようだ。恐るべし勘違い。

 その勘違いにも気がつかないまま彼は何度もチューブを叩くように加速し、束の足を掴むとそのまま引き寄せて正しく前を向かせる。聞こえはいいが、横から見れば小学生を胸元に抱えて滑っている変態さんだった。……兄妹には、見えなくもないかもしれない。

「きゃあああああ!!」

 そうこうしているうちに、十分な加速の付いていた二人はチューブをものすごい勢いで滑り落ちてゴールのプールへと落ちていった。その体制は座った体勢なので落ちるときにプールの抵抗をもろに受けて顔からいった。

「ぷはぁっ」

 ざばーんっとよくある音をならしながらプールに落ちると、それを見ていた彼の友達が駆け寄っていく。彼がグループの最後の二人のうちの一人で、ちゃんと待っていてくれたらしい。彼が笑わせてくれる最後だったので、みんな口々にからかってやろうとプールの中へとざぶざぶと入って――――固まる。

「あ? みんなどうしたよ」

 そういった彼の手元には一人の美少女。上で別れた時にはいなかったはず。……すでにこの時点で詰みだった。

 彼の友達は口々に「ロリコン……」「えっ……」「短い付き合いだったな」といいつつ彼の元から去っていく。

「え? あっ! ちょっと待ってくれ! ご、誤解だ!」

 途中で気がついた彼が必死で誤解を解こうとするも、「犯罪者はみんなそういうんだよ」と言われれば返す言葉もない。というより何をいってもまともに相手が彼の言葉を聞いてくれる気がしなかった。

 思わず呆然と束の手を握ったまま、立ち尽くす。それが束の友達が下りてきてそのまま彼にぶつかるまで続いたのは、明日以降の学校での評判とかもろもろを予想したうえでのショックとかがあったのだろう。束が見上げたとき、逆光で顔はよく見えなかったが、滴る雫がきらりと光りを反射している……そんな気がした束であった。










▽▽▽











「はぁ~~~」

 ベンチに座りつつ周りに雰囲気に喧嘩を売るような溜息を零した彼。束はそんな彼の姿に、自業自得があるとはいえほんの少しだげ同情してしまった。途中で止まるのはいけないと思うが、まさかそんなちょっとしたミスで彼の今後の学校生活の方向が変わるとは、さすがの束も予測できなかった。

 詳しく聞けばあの時チューブで待っているという考えを最初に出したのは彼の後ろを滑る人間だったそうだ。まぁ、本当であるならそんなことを持ちかけられても断ってほしいところだが、友達に約束を反故にされたところをみると、少し同情的な気分になってしまう。束の心はそんなに図太くないので、そういった人をみるとそれなりに何かしたくなる。例えば電車で人に椅子を譲るとか、その程度のことだが。

「あの、大丈夫ですか?」

 この場合完全に束が被害者側で声をかける必要もないのだが、この時の束は実に常識的だ。相手のことまで心配できるくらいには。

「大丈夫大丈夫」

 からからと乾いた笑みをする彼にすこし頬を引きつらせる束。内心では、この人大丈夫かな、と思っていた。

……今の状況って、いいのかなぁ?

 束は考える。

 今彼は自分の明日以降のロリコンと言われるであろう日々を考えてダウナーな気分になっているようだが、むしろその後もこうして一緒にいる方がまずいんじゃないかな、と。もう少し経てば缶ジュースを買いに行った束の友達も戻ってくる。そうなれば小学六年生に囲まれる高校生のできあがり。完全なロリコンじゃないかと。……束はロリコンの意味を実に正しく把握していた。

「でもおんなじ日にここに来てたなんて奇遇ですね」

「本当だよね。俺も束ちゃんと会うとは思っても見なかったよ」

「私もです。でも、いいんですか? 友達とわかれちゃって」

「いいって。どうせ少し経てばあいつらもまた戻ってくるだろ。別に喧嘩したわけでもないしね」

 そういうものなのかと、束はどこか憮然としつつ納得した。女の子の関係を保つ方法とはまた違った漫画みたいな男の関係があるのだろうか、と頭のなかにメモを残しつつ、さっきのお詫びに買ってもらった缶ジュースを飲む。体重を気にする女子高生たちが好む水の喉を通る冷たさに、内心一気に飲んでしまいたい気持ちになりながら、束は口惜しそうにペットボトルから口を離した。

「お、いい飲みっぷりだね」

 彼はそんな束の姿にちゃちを入れる。しかし女の子にいい飲みっぷりと褒めるのはどうだろうか。このあたりに彼のデリカシーってやつの無さが透けてみえる。

 最近になって大きくなってきた胸に手を当てて溜息を吐くと、彼の姿をそっと観察した。

 170ちょっとの身長と、それなりに鍛えてあるのか引き締まった体。少し短めの髪の毛をかきあげているようで髪が立っている。何処となく野獣のような印象をうけそうな髪型だが彼の優しげな瞳がその印象を外してしまう。はっきりと言ってしまうと、そのあたりの高校を探せば一人か二人は見つかるような青年だ。具体的には誰かが中学校のアルバムを持ってくれば、あれ、こいつお前に似てない? という会話ができるくらいだ。

 束はそんな彼の姿に、特に何かを考えるまでもなく、そっと目を伏せた。ちょっとだけ彼の腹筋が割れているところに目が移ってしまった。意外と男らしい体つきをしている。

「えっと、あの、この後はどうするんですか?」

 自分の子供らしくない視線をごまかそうと声を上げた。そんな束に気がついたように彼がすまなそうに頬を掻く。

「そうだね、とりあえずはやっぱりみんなを探しに行こうかな」

 束の言葉からどこかへ早く行ってほしいとでも読んだらしい彼は、束から離れるもっともらしい理由を言った。束はそれに気がついたようで、彼を急かしたことを申し訳なさそうに俯いた。そんな束に彼は楽しそうに笑いかける。

「まぁまぁ、縁があったらまた会おうね、束ちゃん」

 彼は束の頭に一瞬手を置いて撫でようとしたが、どうにか置く前に手を止めると後ろに隠して束にバイバイと手を振った。

「はい。いつかまた縁がありましたら」

 束もそういうと彼はその後一度も振り返らずに流れるプールの方へと歩いていく。そうして彼の姿が人ごみの中に消えていくのを見届けた束は大きく息を吐いた。やっぱり年上と一緒にいるのは疲れるようだ。束は買い物にいった二人が早く帰ってこないかなぁ、とわざわざ取った日陰の中で思うのであった。










▽▽▽










「また今度ね、束ちゃん!」

「また行こうね!」

 夕暮れ時、夏の長い日もそろそろ沈もうかという時、ある交差点でありふれた会話が聞こえる。女の子たちの元気な声に家に帰ろうとしているサラリーマンたちは少しだけ笑顔になり、町をほんの少しだけ明るくしていた。

「いいよぉ~、で・も・宿題が終わらなくて行けないのはヤダからね!?」

 そんな未来になんの恐怖もない三人の女の子たちの内の一人である束が意地悪そうな顔をして二人に言った。

「あはは~。そのときは束大先生にお手伝いを頼んじゃうかも」

「うんうん。オタスケマーーン、こっち来てーーーーってお願いしちゃうかも?」

 二人は束の冗談を笑ってかわす――先送りにするともいう――と、軽い冗談を交えつつ、後で束に泣きつけるように口約束を結ばせようとする。……きっと最終日が近くなると今日のことを話にあげて手伝わせようとしているのだろう。

「だーめ。束さんはそんなに暇じゃないのだ!」

 二人の思惑を完全に把握している束は腰に手を当ててふんぞり返って断った。内心残念に思いつつ、その大げさなポーズにクスクスとクラスメイトが笑うと、束にも伝染したように笑いが移る。そうしてひとしきり笑うと、彼らは時間が押してきているのか、その場所でバイバイと手を振って別れた。あまり門限に厳しくない束の家と違って、彼らの家はかなり厳しいらしい。それを破るとしばらくの間でかけさせてくれないのだそうだ。夏休みにその罰は痛い。束は人の家には大変なことがあるんだなぁと人ごとのようにつぶやいた。

 束は家に帰るためにゆっくりとだが歩き始める。以前のようにゆっくりとした歩み。しかしどこかふらふらとしている。束は少し張り切り過ぎたと思いつつ、ぎこちない足を動かして家に帰ろうとする。運動は嫌いではないし、苦手ではなくとも、あんまりしない束の体力は多くない。家に帰らなくては休めないと頭ではわかっていても座りたくなる。

 そんな束の歩く先に都合よく公園のベンチが見えてしまった。

 木でできた普通のベンチだ。雨風にさらされ小汚く見えはするものの、疲れた束には輝いて見える。家に帰った方がいいと思いつつも足はふらふらとベンチを目指し、結局トスンと音を立てて座ってしまうのであった。

「ふぅ~~」

 と老人のような声と共に束が背もたれに体を任せる。心の隅でマッサージチェアのようにもんでくれないかなと思うが、それは望みすぎだ。束は頭の隅に公園をマッサージチェアにする方法を三つ四つと考えつつ、今日は楽しかったと頬をほころばせる。

「……ちーちゃんがいればなぁ。」

 もっと楽しかったのに。

 続く言葉を飲み込み吐き出さないようにしながら、束はそっと空を見上げた。夕暮れの紅い空の中に、かすかに星の光が見えた。いや、もしかしたら人工衛星かもしれない。

 束は人口と天然の区別はつきにくいなんて、いいなとつぶやいた。

 彼女は天才だ。それもはじめから人を超絶したレベルでの天才。それは人工的にできるものではなく、いわば天然の才能。星の光は天然と人口の区別はつきにくいのに、束の自然的才能は自ら隠すことを忘れればすぐさま見つかってしまう。それは強すぎる光を放つからだ。だからこそ星の海のような場所に束も行きたいと、そう思ってしまったのだろうか。

 人工物の放つ光は細く小さく、そして狭い。それは凡人としての人生のけわしさを表すかのようだ。だが天然の光はさまざまな色合いと、人を見入らせるような魅力、そして強い光を持っている。束の才能もまた同じだった。

 夕日が沈みきる刹那の間。彼女は空を見上げ続ける。そんな彼女の表情は無表情に見えて、そして儚く、歳不相応に大人びて見えた。

 本当に一瞬、彼女は年不相応な精神を隠さなかった。

 だからだろうか。







「こんばんわ」







 空を見上げる彼女に声がかけられたのは。








「君も星が……好きなのかい?」








 ひと夏の短い物語が――――――幕を開ける。










[29735] 第三話 「あいしてるーーー!」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/14 09:24


~~ある人物たちの暑い夜の密会より~~


 俺はよく知らないんだ。

 まぁ、一応話には聞いたことはあるよ。

 なんでも姉ちゃんはすっごい借りがあるんだってさ。

 どんなものか? いや、俺が聞いても教えてくれないんだ。

 ただ、一生かけてでも返さなきゃいけないくらい大きなやつなんだってさ。

 それと…………束さんに関係あることらしい。

 だから詳しくは俺も知らないんだってっ!

 でもみんなも疑問に思ったことくらいあるだろ? あの束博士とどうして姉ちゃんがずっと友達でいるのかって。

 前にある雑誌でみたんだけど、束さんとはあんまり友達になりたくないって大抵の人が言うんだって。それでも交友が続いている姉ちゃんはさすが最強の搭乗者とか。

 だからさ……考えたことくらいあるんだ。

 束さんは――――どっかおかしい……って。

 ほんとはそんなこと考えたらいけないんだと思う。でも俺もそう思ったことがあるんだ。

 それに……なんで姉ちゃんは束さんが大変なことになってもずっと友達でいるのか不思議なんだ。

 だってそうだろ。普通ならISに乗って日本に落ちてくるミサイルを破壊しようなんて考えにつき合わないだろ?

 姉ちゃんは教えてくれなかったけど、その借りが、理由なんだと思う。

 根拠? ……別にないけど。なんとなく……かな。

 あの人はもう覚えてもいないけどさ、やっぱり姉ちゃんは律義なんだよな。

 うん、俺もそんな姉ちゃんが好きだ。

 でもさ……いつも、その話をするときはさ――――――すっげぇ悲しそうな顔をするんだ。

 なんで、だろうな。














第三話













「……お兄さん?」

「そ、さっきぶりだね。束ちゃん」

 消えてしまいそうなくらいの儚さをみせていた束に声をかけたのは今日、スライダーのなかで出会った彼であった。彼は束に話しかけるとそのまま近くの遊具に腰を下ろした。

「で、束ちゃんも星が好きなの?」

 そんな彼が繰り返すようにいった。束はその質問に少しだけ気おくれするように息をのんだが、すぐに唇をぺロリと舐めると彼の目をのぞき見た。

「眺めてるのは、好きかな。やっぱり星って綺麗だし」

 束は彼と視線を合わせて睨むように眉を寄せた。しかしそんな彼女の反応のどこかしらがおかしかったのだろう。彼は微笑むと夕暮れの赤みが消えた真っ暗な空に視線を向ける。

「だよね。俺もそう思う」

 彼がそっと小さな声でいった。しっとりとした夏の空気に似て、耳の奥にじめじめと残りそうな声だった。束は前と違う声色に引っかかりを覚えながら、さっきまで見せていた不安定な表情を、そっと隠した。

「どうしてここに?」

 束が話を変えようと口を開く。なんとなくだが、彼が前と違うことが怖かった。

「束ちゃんはわすれちゃったかな。今日は俺も同じプールにいってたんだよ? 一応俺の家って束ちゃん家と近いからね、それなら帰り道も同じようなのになるでしょ?」

 誰もいない公園の中で風に揺れているブランコがキィキィと音を小さく鳴らしている。静かな公園で彼が空をみたまま言った。束はそれもそうだと、納得しつつ、それでも不思議だった。

「でも、どうして私に声をかけたんですか? ここを見られるとクラスの人にまたロリコンって言われちゃいますよ?」

 束は彼があの後、クラスメイトの友達と合流して遊んでいたのを見ていた。何だかんだできっとあの後もロリコンって言われていたのを知っていた。

「別に、この時間にここにくる奴がクラスメイトなんてことはまずないから大丈夫だろ」

「そうですか? たまにクラスメイトには会いますよ?」

「……あ~、あれだ。高校は小学校と違って結構遠いところから通ってくる人が多いからな、そんなに外では会うことないんだよ。だから心配する必要はなし!」

「心配? ……したつもりはないんですけど」

「ふふふ。隠さなくてもいいとも。お兄さんは知っている。束ちゃんが俺の社会的身分の変化を心配してくれているというのはよくわかっているさ!」

 彼は大仰に手を挙げて空へと叫んだ。ちょっと危なそうな人に見えた。

「もう、それでいいです」

 束は彼の性格がめんどくさそうなことを早々に悟ると、さっさと帰ろうと腰を上げた。が、その腰はすぐに落とすことになる。

「で、悩める天才少女はなんで星を見上げていたんだい?」

 ビクッと傍目にもわかるくらいに彼女の肩が跳ねた。束は腰を持ち上げることもなく、ゆっくりと振り返った。

「私が悩んでる?」

 束は彼の言葉の中に『天才』という言葉があったことに心が震えるのを自覚した。同時にどうしてそんなことを言い出したのかが気になって仕方なかった。束は自分の才能を周りに知られるわけにはいかないと思っていたから。

……もし知られていたら。

 そんなわけはない、とわかっていても血の気が引いていった。こんな一人の人間程度に認知された程度ではどうにかなるとは思えなかったが、それでも警戒する必要はある。彼が束の才能に気が付いているのかいないのか。……冷静で緻密な思考は冗談の一つとして言ったと主張しているが、なんとなく彼女の本能と言うべき精神の深いところが、彼への警戒を怠るなと主張していた。自分が動揺していることを悟られたくなくて、言葉の羅列の中から取り抜いてもさして影響のない部分を抜き取る。

「たぶんね。俺にはそう見えたよ」

 彼は律義に答えてくれたが、束は安堵の息を吐いた。どうやらあの言葉は彼が束の天才性に気がついて言ったのではなくて、やはり冗談の類だったと推測できたからだ。ひとり心のなかでよかったと息を吐いた。

……まぁ、誰かにバレるようなへまはしてないしね。

 落ち着いてくると周りを見る余裕もでてきた。自分があの言葉に強い忌避感と言うべきものがあるらしい。

「別にただ眺めてただけです」

 一瞬どうしようかと思っていたが、彼の言葉が冗談ででた言葉出ない以上、ここにいる必要もない。束は今度こそ家に帰ろうと腰を上げた。

「そう? 俺にはうらやましそうに見ていたように見えたけど」

 もう一度束の肩が震えた。

「なんていうかさ、星の光に吸い込まれるような顔……してたよ。なんか悩みでもあるんじゃない?」

 その言葉が耳へと入り、鼓膜を震わせると同時に目の前が灼熱の劫火で彩られたように真っ赤に染まった。

……知ったような口を……ッ!

 おそらく心配して声をかけてくれた彼に危うく激情のあまり、思いつく限りの罵詈雑言を吐き出しかけた。束は必死にそれを自制しつつ、表面上は何でもないような顔を取り繕う。

「……そうですか? 別に何にもないですけどね」

「ふ~ん」

 何もかも見透かしたような顔で束を見る視線に、束は本気で帰ってしまうのもいい案なのではないかと思う。なんだか彼は面倒な類の人間であるらしい。

「……俺さ、けっこう星が好きでさ。いろいろ知ってるんだよ」

 訂正、面倒な人間だ。

 束は基本的に波風を立てないような人づきあいを心がけて、それなりに意見の会う人とは仲良くするスタンスをとっている。そんな束でも彼の言葉をすべて無視して帰ろうかと思う。というよりも実行したくなってきた。

「例えばあの星。束ちゃんにそっくりじゃない?」

 そういって彼が指さしたのは、南の空に浮かぶ青い星。うっすらと見える二等星くらいの星を彼は楽しそうに見ていた。

「私に?」

「そ、束ちゃんに。あれはさ、一人ぼっちの星なんだよ。ここからじゃ分からないけど、あの星はかなり大きめの星なんだけど、意外なことに一つも衛星がないんだ。普通結構な大きさの星、それも質量も大きな星には衛星があって一人でいることは少ない。あれは珍しくそういう孤独な星なんだよ」

「……それって私が一人ぼっちって言ってます?」

「そうだけど?」

 澄ました顔で彼は言った。束は無性にその顔に苛立ちを感じ、今度こそ帰ろうと足を動かした。

「……じゃ、私帰りますね」

「うん、ばいばい」

 そっけなく、私は機嫌が悪いとアピールをしつつ、彼に背を向けると、彼は何でもないようにばいばいという。

……なぜだろう。今束は負けたような気になっている。

 フンッっと鼻をならして、彼の横に座った。

「あれ、帰るんじゃなかったの?」

「もうちょっとくらい話を聞いてあげてもいいですよ?」

 束はあくまで自分優位にするために質問をかぶせた。彼はそれに苦笑しつつ――その仕方ないなぁという顔に余計にイライラする――OKと小さくいった。

「そっか、でも何を話そうかな。決めてなかったんだよ」

「どうせならさっきの宇宙の話でもしてみたらどうですか?」

「宇宙の? いいよ。実はちょっと宇宙のことには詳しいつもりなんだ」

 彼は楽しそうな光を目に宿していった。束は不機嫌さを隠さないまま、彼の話を一応聞く体勢を作った。

「そうだね。まずはこの空がなんで暗くなるって話からしようか「知ってるのでいいです」」

 しかし不機嫌な束がまともに話を聞くはずがなかった。彼が話始めた瞬間にすぐさま声をかぶせた。顎を引き、手のひらを膝の上に載せ、下から仰ぎ見るようにし、かつ目に鋭い光をやどした迫力のその姿は案に彼に言っていた。

……得意げに私に話しかけたんだから、私の知らないことを教えなさいよ、と。

 彼はあくまで彼女を天才と冗談めかして言ったわけだが、もしかして、と思いつつその迫力に冷や汗を一筋流しつつ、次の話を模索した。どうせならこの妙なプレッシャーの女の子をおどろかしてやりたいと思う気持ちがあったのかもしれない。

「…………じゃあ、星の光は何でできてるかって話を「それも知ってます」……じゃ、じゃあ今見ている星の光はずっと「昔の光なんですよね。それを辿るとずっと昔のことがわかる」……その通りです」

 僅か一分撃沈した。

 彼にはまだ壁が厚かったようだ。









▽▽▽









 彼は自分の知っている宇宙の知識――もちろん本からの受け売りだ――を総動員して束に話しかけるが、その程度の知識を束が持っていないわけがなかった。この後も彼の必死の抵抗が続くも、すべて束に知っているといわれて、最後には間違っている発言。そこから地面を黒板に見立てた授業までされてしまった。いわゆる青空教室。先生はロリ美幼女。しかも夜の公園。特定の趣味の人は偉く興奮するシチュエーションだが、もちろんいたって普通の彼はそんな危ない性癖を持っているわけもないので、まじめに束の授業を聞いて、手帳にメモをしていた。

「――というわけで、ここがこういう計算式になるからロケット、とういよりも衛星軌道上にある物体の軌道をこのバーナーで制御できるんだよ」

 束は額をつぅっと辿る汗をハンカチで拭き、ふぅっと満足げに息を吐いた。

「なるほどねぇ……ここで微分積分が使われているとは……! これからはもっと微積が好きになれそうだよ。にしてもよく束ちゃんはこんな問題解けたね?」

「まぁ束さんにかかれば、こんなのちょちょいのちょいだね。伊達に未解の問題を解くのを趣味にしてないよっ」

 おお、そりゃすげぇ。彼が尊敬のまなざしで見ている。

 そこでようやく束がはっと気がついた。

…………しまったーーーーっ! 微分積分を実際に応用して使う方法なんて小学生にできるかーーーッ!

 バンバン汗が出ている。今まで隠していた自分の才能の片鱗を近所のお兄さんごときに見せてしまうとは、さすがの束も予想外だった。

 言い訳をするなら……だってお兄さん聞き上手というか、なんかいつの間にか説明してたんだもん。

……どうやら束にもよくわからない何かがあったらしい。

「えっと、わ、私今日は遅いからもう帰るね!」

「ん、そうだね。ごめんね、こんな遅い時間まで教えてくれて」

「ううん! 私も好きでやっただけだから! じゃ、じゃあ、またね!」

「あっ! 束ちゃーーん、できれば明日もよろしくねぇーー!」

「え、あ、はい!」

 束は焦ったように飛びあがって、とうとう公園の外へと走り出した。

 公園の周りには民家もなく、公園から遠めの見えなくなる位置まで走ってからようやく荒い息をつく。

「はぁ……はぁ……」

……どうしてだろう。

 束はひんやりとした夏の夜の風に頬を冷やされていくのを感じつつ、今のいままで自分がしてしまったことを思っていた。

……なんで自分はあんなにいろいろなことを話してしまったのか。

 多分束の思う限り、そんなことをしたのは初めてだった。生まれて家族以外に初めて、いや、家族にも見せたことのない自分の一面を見せてしまった。

……どうして?

 なんでそんなことをしたのか。本当に束は不思議だった。なんで、ともう一度脳髄に考えるように命令をしようとして、すぐに思い改めた。脳裏に彼のデリカシーの無い顔が浮かんだからだ。

……なるほど。

 束は一人納得する。あの男は面倒で、敬語すら使う価値もない相手だったということだけだった。

「そっか……うんうん」

……あんまり頭もよくなさそうだし。あの青年になら別に話をしても大丈夫かな。

 束は一人うんうんと、顔を縦に振る。

「……面倒な相手には適当に相手してもいいよね」

 隠れた民家から顔をだして遠目に公園の方を覗き見る。彼は束がいなくなったあとも空を眺めていた。束は見つかるかもしれない緊張感がなくなったことに息をもう一度吐いて、ようやく家へと帰るのであった。

……もちろん、本人は絶対に首を縦に振らないだろうが、意外に抜けているところのある束が、明日の約束に頷いていたことを風呂に入る前に気がついて、焦って冷たいシャワーを浴びて悲鳴を上げたのは誰にも言えない秘密だった。









▽▽▽








 少しだけ雨が降っていた。空は暗く、雲に覆われている。これじゃ星は見えないな。

 束は肩を少しだけ落として右耳にあてた電話に集中する。

「――でだ、私のほうの合宿もそろそろ終わりそうなんだ。だから遊びに行かないか?」

 電話の相手は声を聞かなくても分かる。束にとって親友というべき少女――織斑千冬だ。

 彼女は夏休みが始まってから合宿に長野の方まで出かけていて、ここしばらく会えなかった。自他共に認める親友である二人に、これだけの時間合わないというのは、どうにもさびしくなる。

 千冬も将来的に非常に強い女性になるとしても、この時点ではまだ幼い少女だった。

「うんうん、ちーちゃんのお誘いを束さんが断るわけがないよ! いつがいい? 今がいい!?」

「馬鹿もの。今は長野だ、行けるか!……そうだな。合宿が終わるのが一週間後だから、来週の水曜日にしよう。空いてるか?」

「モーマンターイ! 束さんにまっかせておいて!」

 電話越しで見られているわけもないが、束はゆらゆらと自分の部屋で踊っていた。途中からタップダンスが入るあたり、かなりのハイテンションのようだ。

「また連絡しばらく連絡できないと思う。とりあえず少し遅いが三時に駅前にしておこう。……忘れるなよ?」

「忘れないよ! 失礼しちゃうなぁ。」

 そうか、電話越しに千冬は笑う。しかし時間が近づいているようで、後ろから声がかかっていた。

「すまんな、時間みたいだ」

「ぶーぶー、もっとちーちゃんと電話させろー!」

 かわいく年下の生意気な女の子を装って文句を垂れる束の声に思わず笑う。

「ふふ、今日はもう切るぞ」

「はーい。ちーちゃん?」

「ん?」

「あいしてるーーー!」

「はいはい、お休み束」

「おやすみぃー」

 ポチっと束は電話を切った。

 電話の後の寂しさには慣れない。

 束は仕方ないと頭を振って、すぐに寝るのであった。










――――――――










 きっと俺の知らない何かが束さんと姉ちゃんの間であったんだと思う。

 それは、俺が知ることはなくて、知る必要な無いって姉ちゃんはいうはずでさ。

……うん、ちょっと悔しいけど、姉ちゃんと束さんの問題なんだよな。

……俺はさ、別に束さんが嫌いなわけじゃないんだよ。

 もうあんまり覚えてないけどさ、やっぱり俺には優しいお姉さんでさ、大切な人の一人なんだよ。

 俺が一人で家にいるときにご飯作ってくれたりさ、さびしい時に一緒にいてくれたり、結構優しいところもあるんだ。

 今日のあの人見てるとそうは思えないかもしれない。

 でも……束さん、ほんとは――――やさしい、いい人なんだよ。



~~ある人物たちの暑い夜の密会より~~



[29735] 第四話 「わ、わたしの負けだよ……っ!!」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/16 00:31


~~ある天才の独白より~~



 ずっとほしかったものは手に入らないと思ってた。

 うんん、私は諦めてた。

 だってそうでしょう?

 私が一番大切にしているもの(家族との平穏)を捨てないと、ほしいもの(才能を隠さずにすむ世界)は手に入らないんだもん。

 手に入らないもののために、今持ってるものを捨てることは……私にはできないよ。

 そう、思ってたよ。

 納得していたんだよ。仕方ないって。

 それしかなかったんだ。そうやって諦めるしか方法がなかったんだ。

 でも、手が届いてしまった。

 私がほしかったものが手に入ってしまった。なにも失わずに。

 だからこそ、私はそれを手放すことが嫌で、できなくて、許せなかった。










第四話









 珍しくそう暑くない日だった。昨日の夜に降り始めた雨がしみ込んだ地面が暖かくなることはなく、都合よく曇りなことも重なってそこまで気温が上がらない。風もつめたいため非常に過ごしやすい日だった。

 さて、そんなある日のこと。『普通』の少女である束は物陰に隠れてはちらちらと覗き見る、という行為を繰り返して行っていた。

「……ううぅ……なんでいるのぉ?」

 昨日の「明日はよろしく」の声にうなづいていた自分を何度も叱って、結局約束を破ることに忌避感のある束は朝から公園に来ていた。束はこれで律義な性格なので約束を破ることはしたくないと思っている。しかし彼に会うのは昨日のことから気まずい。……あくまで束が一方的にそう感じているだけで、彼は何のことか全く分からないだろうが。

「……どうしよう」

 ならばどうしようと案を考えて思いついたのが、今の現状だった。彼は約束の時間を決めていなかったので、『朝早くに約束を守るために公園にいったけどいなかったから帰った』作戦である。これなら約束を守るために公園に行ったことにもなるし、彼に会わなくてもすむ。思いついた時には自分で、やはり自分は天才だったと納得してしまった。まさに自画自賛。

 が、そんなのは絵にかいたモチ。まさか彼が朝早くからいるとは思わなかった。いたとしても昨日会った夜からだとばかり思っていた。

「これが意識の外を突くということ……ッ」

 予想外の行動をとられた束のテンションもなぜかうなぎ昇りだ。とどまるところを知らない。

「ほんと、どうしよっかなぁ」

 一応頭の中ではこれに対する対抗策も持ってる。……さすがに今からずっと待っているわけもないだろうから、時間がたってから帰ったところを狙って公園に行けばいいと。しかしだ、一般的な善悪の感性をもつ人間が自分を待っている人を、それこそ一日中待たせることに良心の呵責を覚えないのかと言われればそうではない。一週間もすれば忘れているだろうが、それまでの心理的ストレスはなかなか来るものがある。束はそれが嫌だった。

 とはいえ、彼の前に出るのもできない。むしろ勇気がない。

 昨日の束は初めて自分を隠さずに人と話してしまった。あの千冬にですらほんの少し話した程度で、彼女の異常性と言うべき知識を誰かに伝えたことはない。だというのに……昨日のあれはまるでお酒に飲まれてしまった人間のような行動だったと反省するほどだ。

「はぁ……」

 地味に最近多くなってきた溜息を吐きながら、再び公園を物陰からのぞき見た。

……まだいるし。

 彼はベンチに座りながらまた空を見ている。いつまで見ているんだろうか。もう束が来てから一時間は経っているのに。

 というか、ぼーっと見ている彼が恨めしい。

……私はこんなに悩んで大変な思いしてるのに……!

 あそこまで気の抜けた雰囲気の彼にここまで惑わされている自分が憎い。

――こうなったら……ッ! お兄ちゃんが帰るまで……ここではってやる!

 そんな彼の前に出るのはやっぱり癪に障る。どうせなら彼が帰ってすぐに公園にいってやる、と半ば束も意地になってきた。

……こうして束の一方的な、実に、いやほんとに、マジで、くだらないプライド(あくまで束の)をかけた戦い(青年は戦いがあるとすら知らない)が始まった。








▽▽▽








「わ、わたしの負けだよ……っ!!」

 束は泣きそうな顔をしながら彼の前に立っていた。

「え? え? どういうことだってばよ?」

 まったく覚えのない束の表情に彼は焦っている。

「まさか……こんな時間までいるなんて、さすがの束さんも予想外だったよ……」

 敗北の味を覚えた束はがっくりと肩を落とす。それもそのはず、現在時刻はPM8:00。朝のAM8:00から実に12時間もの間彼はベンチに座っていたのだ。さすがの束の彼の忍耐力の前には膝を屈するしかなかった。……物陰に立って待っていた束の足が限界で、文字通り膝を屈してしまったというのが正確な話なのだが、ここは天才の意地にかけて彼に悟らせなかった。

「え、もしかしてずっと見てたの? なんだ、もっと早く出てきてくれればよかったのに」

「いやいや、束さんももっと早くに出たかったよ。…………お兄さんが早く帰れば私も苦労しなくて済んだのに……」

「ん? なにかいった?」

「ううん。なにも」

 素知らぬ顔で彼女は言った。彼は不思議に思いつつも彼女に昨日の話の続きをせがむ。

「そう? でさ、今日も悪いんだけど、ここ……教えてくださいっ!」

 取り出したのは高校生が読むには厚い本。英語で書かれたそれは束が以前読んだことのある宇宙科学についての本だった。昨日の時点で彼が宇宙に並々ならぬ熱意を感じていた束はそれがでてきたことを不思議に思わなかったものの、彼の熱意に首をかしげた。

……年下の子供に頭を下げてまで教わりたいことなの?

 しかし束は彼がなんで宇宙に興味があるかを聞くことはせず、彼が渡した本を手に取った。

「なんだ、これか。結構前に読んだけど、これ簡単だよ」

「え、まじ? そもそも英語が難しくていまいちニュアンスが理解できないところがあるんだけど」

 束はパソコンで世界中の情報や、論文を読んでいる。もちろんその中には英語で書かれているものもあって、最初は苦労したが今では話すのも簡単なくらいにはマスター済み。彼のいうニュアンスが理解できないということが、実はよくわかっていない――だって読んで文字のごとくじゃないの? とは束本人の談。……それが周りには理解できないということを根本的にわかってくれないのは、彼女の脳細胞が人よりも数倍多いからからなのか――が、とりあえず彼に説明してあげることにした。

「どこ?」

「ここ」

 そういって彼が指さしたのは、教科書にはない本土独特の表現だった。日常会話で使うような微妙な表現は、向こうに行かなくては覚えにくいだろう。もちろん高校生程度で使うような英文ではない。

 束はなるほどと一つ頷いてから彼にこの英文を読んであげた。

 自分は人に教えるのにあまり向いてないと千冬がいっていたことから、彼にも教えるのではなく、理解してもらうように自分で努力する方向に仕向ける方針でいくらしい。実際には強いやる気のない相手には使いにくい方法だが、幸いにも彼にはやる気がある。

「ああ、そっか! こう訳すればいいのか! ……あれ、でもこっちと話がつながらなくね?」

「ううん。一応前のページでこっちの内圧についての説明があるからそっちを引用してみると……」

「なるほど、わからん」

「え、だからここだって」

「いや、そんな難しい単語、辞書なきゃ無理」

 そうかな。小さく首を傾げた後に束はどの単語がわからない? と聞いて、わからない単語の上に意味を書いていく。幸い文法は大丈夫なようなので、これでいいだろうと彼女は思う。

「ふむふむ、そういうことか」

「……ほんとに分かったの?」

「おう、いえーーー!」

 はぁ、とまた溜息を吐いた彼女は、彼のお調子者の様子にうらやましそうな視線を送り、そっと笑った。

「で、内容の方は大丈夫なの?」

「…………」

 彼は小さく呻いて黙った。

「……じゃ、最初のほうから簡単に説明してあげるから」

「……よろしくお願いします」









▽▽▽










「というわけで、ここが円錐形なのは空気を切り裂き空気抵抗を少なくし、かつ全体の空気の流れを壊さずにできるからなんだよ……と、もう10:00だね。今日は終わりにしよっか」

「うい、ありがとうございます、束先生!」

 びしっと音を立てながら、右手で敬礼。背筋は伸びていい姿勢だ。思わずこっちも敬礼したくなってしまう。すでに夜の闇も深く、暗闇を電灯が道を照らすだけだ。そろそろ束も帰らなくては見周りの警官につかまってしまう。というよりも、親が怒ってないかのほうが心配だった。一応連絡を入れたとはいえ、この時間はさすがにまずいだろう。束はこの後のことを思うと胃が痛い。それでもこの教師のまねごとのような時間を後悔しようとは思わない。

 そんな束の気持ちを置いて、彼はベンチにもたれかかり大きく息を吐いて体の筋を伸ばした。二時間も集中して話を聞いていたために体の節節が固まっていた。そんなまったくこっちのことを見ていない、いわばレ
ディーの様子に気を配らない駄目な男に、束はにっこりと満面の笑顔を作ると、

「じゃ、ここまで訳して置くように、宿題だよ?」

 と彼に囁く。そのページ数、実に100ページ近く。彼は青くなりながらもコクコクと頷いた。俺も学校あるのに……という囁きは先生役を地味に気にいってきていた束の前には意味は無い。彼は学校の授業中に翻訳することに決めた。せめて授業で大切なテストに直結するような部分はでるなと祈りながら。

「じゃ、私もう帰るね」

「うん。ほんとにありがとな」

 彼は今も必死に自分が持ってきた分厚い本を見ながら、それでも束の方を向いて笑う。束はこういう人と知り合いになるのっていい経験かもと思いながら、同じく笑い返して、手を振る。そうして、二人は別れた。もちろん、また明日、声をかけることはわすれなかった。











▽▽▽











 夏の夜道で、鈴の音のような音が響く。小さな音は鈴虫の声に巻き込まれ、聞こうと思わなければ聞けないほどの大きさだ。それでも確かにそこに音がある。

「~♪」

 そんな夜道を歩く音源は、束だ。

 次々と変わる音の高さに鈴虫が合わせるような気分を一人味わいながら、彼女は踊るように家に帰っていた。小さな唇から洩れる音は飛んだり跳ねたり、とても楽しそうだ。

「~~♪」

 彼女自身もまた、少しだけ歩調が軽い。まるで踊るようだ。うすい水色のワンピースがゆらゆらと揺らめく。

「~~~♪」

 彼女がこんなに機嫌がいいのは久しぶりだった、本人に覚えがないほどに。

 くるっと彼女がターン。広げた両手が空気を揺らし、そっと風が吹いた。

――また明日。

「ふふふ」

 彼女は小さく微笑んで笑った。

 さっきの彼の顔は面白かった。青くするという表現がぴったりな彼の驚きよう……どうにも笑みがこみ上げてくる。

 まさか、まさか自分が教師のまねごとをするとは……そう思う自分がいる。こんなことになるとは思わなかった。不機嫌にさせられて、腹いせのように彼の話すことにいちゃもんをつけていたら、いつの間に彼に物を教えることになるなんて思いもしなかった。もちろん、それは彼とこうして明日も会う約束をすることであり、同時に自分がそれを楽しいと思っていることでもあった。今まで束という存在の上に張り付いていた普通の仮面を彼の前でかぶることはなく、こうして『普通』にいられる。

 そこではっとした表情を作った。

……敬語、忘れてた。

 それもすぐに、まぁいいか、と打ち消す。どうせ自分が先生なのだし、自分が敬語を使わなくてもいいでしょう。と一人納得する。もちろん、根本的な部分では彼の方が年上であることを忘れるつもりはない。しかしそれでもこのくらいはいいだろう。束は一人首を縦に動かして、また歩き出す。

 思えばいつの間に敬語を使わなくなったのだろう。最初からのような気もしないでもないし、教え始めてからのことのような気もする。どっちがどっちなんてどうでもいいことだが、本当に意識しないうちの脱敬語だった。

 きっと周りの人が今の束を見たら、驚くだろう。いつも笑っているものの、どこか堅かった束の表情は満開ともいうべき表情だった。そんな表情を彼女が撮っていることは、きっとまだ知らない。






 街頭に照らされた道が家までずっと続いている。周りには民家のみで束が歩くこの道に特にいうこともなくつまらない。でも今日の束は鬱屈を溜めることもなく、飛んでしまいそうなほど軽い足取りで結局家まで帰るのであった。









▽▽▽







 だから私はISを作った。

 だから私は宇宙を目指した。

 だから私は――――世界を変えた。

 彼が私を見てくれたから。

 私は私のすべてを使って、きっと世界を私色に染め続ける。




――――それが私が彼にできるたった一つのことだから。




~~ある天才の独白より~~







[29735] 第五話 「だからもう、逃がしてなんて――――あげないんだから!」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/16 00:30


~~ある教師の客観的『彼女』~~


 えっと、初めまして。

 私IS学園で教師をさせてもらってる○○です。

 わけあって名前は言えませんが、一応大人の女性なんですよ。

 実は……今まで職場に女のひとしかいなかったのに、最近になって男の人が来たんですよ。

 で、いろいろあって、この前初めてあの博士と会っちゃったんです!

 とてもあのISを作ったような人には見えないんですけど、やっぱりあの人が作ったんですよね。

 私が知ってる博士とは全く違いました。

 やっぱり生は違いますね。

 一応知識として知ってたんですけどね。

 でも本当なんですね――――身内しか認識できないっていうのは。

 あそこまでいないものとして扱われるなんて知りませんでした。

 私が知っていたのは、あの人の外のことだけでした。

 若くしてISという既存の技術をあらゆる点で越える発明を世に送り出した天才。

 その美貌さえも神によって作られたようなその姿に、誰もが目を離せなかった、と言われている。

 調べれば調べるほど、理解できないほどの技術の数々。 

 どうしてアレに誰も目をつけなかったのか、皆が首をひねるようなもの。

 ISが登場した以降の歴史を語ることはしないけれど、間違いなく博士たった一人の発明によって世界が変わった。

 男尊女卑の世界から女尊男卑の世界へと、世界は姿を変えた。

 それが博士。

 それをたった一人で行ってしまたのが、博士だった。

 それが私が知っていた博士だった。

 でも、今日同僚の先生が教えてくれた。

 あの人は好きでそうなったわけじゃないんだって。 

 誤解しないでほしい、博士は優しい人なんだと。









第五話










 最近続いていたカラッとしていた夏の日。今日は日差しがきつく、道行く人の額を見れば誰もが暑そうに汗をかいていた。

 束が教えることに面白さを覚え始めてから、彼に青空教室を開き始めてからすでに十日が立っていた。あれから変わらず束は厳しく彼にたくさんの知識を教えていた。束もやる気が溢れてくるのか、自宅である程度調べて事前に準備を完璧にしてから授業に臨み始めた。おかげで彼の実力もうなぎ昇りだった。

 今も二人はベンチに座って楽しそうに話していた。

 最近は二人とも夜だけでなく、昼にも会うことが増えてきた。

 そのすべてが束からの声なので、彼は特に気にしなかったが、束は他の人の誘いも断って彼と会い始めていた。

 そんな夏の昼のこと。あまりに暑い日差しを忌々しそうに睨んだ束が、見事なまでの爆弾を彼に投下した。





「お兄さん。今日、家来ない?」








▽▽▽








 世界が止まった。

 彼は完全に動きを停止。あらゆるエネルギーを放棄してしまっていた。

「……why?」

「it's too hot」

 いや、そうじゃなくて。

 彼は束に思わず声を荒げそうになった。同時にそれはまずいだろ、と。

 あまり深く考えたことはないけれど、こうして小学生と毎日のように会う高校生という絵面だけでまずいというのに、赤の他人の高校生が小学生の家に入る。まずい、まず過ぎるではないか。

 彼は束の家に行って紹介された時、束の親に通報される姿が瞼の裏に浮かんだ。

「いや、さすがにそれはご遠慮させて――」

「でもほんとに暑いんだもん。これじゃ授業にならないよ」

「……でもなぁ」

 彼自身も額の汗をぬぐいながら、暑いと呟いた。

「だって39度だよ? 日陰でも35度あるんだよ? こんなので勉強できるわけないし」

 現在の気温は夏らしい暑さだった。ベンチは日陰にあるが、それでも風邪すら暑い今日はとても集中して勉強できる状況ではない。

「どっかの公民館とかでもいいんじゃない?」

「周りの人の目に耐えられる?」

「おいおい。普通兄弟に見られて終わりだって。束ちゃんもお兄さんって言ってるし」

「……やだ」

「といわれても……なんで?」

「なんとなく……かな? ごめん冗談。遠いから」

 彼は頭の中に地図を浮かべた。確かにここからそれなりの距離がある。小学生には厳しいだろう。

「う、じゃあ、今日はやめておこうか」

「お兄さんは自分で勉強できるの?」

「一応できるんじゃないかな。最近は束ちゃんのおかげで英語も読めるようになったし。今日はいくつか知識の収集って奴に力を入れてみるよ」

「その言葉かっこ悪い。ナルシストみたいだよ」

「……うい」

「とにかくやだ」

 そんなぁ、と彼が天を仰いだ。

「そんなに私の家に行くの嫌なの?」

 彼女は悲しそうに首をかしげた。

「別に部屋も汚くないし、変なにおいもしないよ?」

 彼がしぶる理由を考えて、自分の部屋が汚く見られているとしたら、悲しかった。

「昨日掃除機かけたから綺麗だよ」

 彼はそれに小さく笑うと、そうだね、と小さく口ずさむ。

「ほら、束ちゃんなら分かると思うけど、一応俺にも世間体ってものがあってさ」

「そこまで他人のことなんて気にしないよ」

「あっさり言ってくれるね」

「だって私じゃないし」

 束がにっこりと笑った。

「はは……そうっすか」

 彼が乾いた笑いを上げると、余計に束が楽しそうな顔をする。

「ね、だからいこ? ちゃんとエアコンもあるし。体にちょうどいい温度を保つ特別製なんだから」

 腕をひかれた彼は諦めたように束についていく。何だかんだで彼は束の授業を楽しみにしていて、キャンセルすることはしたくないのだ。

「オーケー、オーケー」

 束はよかったとにっこりすると、肘から手に変えて、彼を引っ張っていく。

「捕まっちまったよ」

 彼はめんどくさそうに頬をかいて、結局束の隣を歩くのだった。










▽▽▽












 運のいいことに束の家には彼女以外の家族がおらず、誰にも会いそうになかった。

……ちいさな女の子と二人っきり。

 字面にすると危ないことこの上ないが、あいにく彼はそこまで愚かではない。親にいろいろと言われる未来を回避したことに安堵していた。

「へぇ、意外」

 そんな彼が束の部屋を見た時の第一声がそれだった。

 あまり女の子らしくないシステム的な部屋。床にごみは落ちておらず、整理整頓が効いている。しかし生活感がないわけではなく、出窓や机の端にちょこんと小物が置いてあった。

 彼の声に束は恥ずかしそうに俯くと、わざと元気な声で、早く座ってと彼を急かした。

 束の照れ隠しに彼はまた楽しそうな顔をすると、大仰なポーズをとりながら周りを見回した。

「おお、この机の上のねいぐるみはウサギか。束ちゃんらしくてかわいいね」

「もう、お兄さん! 勉強しに来たんだから、そんなことしなくていいんです!」

 彼が手にとって感心したような声を上げる。束はとうとう我慢できなくなって、俺のところまで飛ぶように近づいて彼を無理やり座らせた。

「くくっ」

 彼がそんないつもの束とは違う姿に可笑しそうに喉を震わせる。

「うう~」

 束は彼を睨む。いつもは理路整然と彼にたくさんの専門知識を教える彼女だが、今の姿は小学六年生の女の子。

「ばかぁ!」

 ポスポスと彼を叩く姿は、六年生というよりも二年生くらいか。少なくとも彼には愛きょうの感じられる姿だ。

「ごめんごめん、まじめにやるからさ」

 ちょっとテンションが上がってたんだよ。彼はニヤリと笑った。

「……そんなデリカシーのないことしてると嫌われますよ」

 叩きたりないのか束が不満そうに彼を睨む。

「わりー。でもなぁ……いや、なんでもない。ちゃっちゃと昨日の続きを教えてもらいますか」

 少し分が悪い。彼は気づかれないように次の話を持ってきた。もちろんその程度の話の流れの機微を分からない束ではない。口をとがらせて不機嫌さをアピールするも、彼は見てないふりをしたまま衛星について書かれた本を取り出し、昨日まで使っていたページを開くのだった。

 結局、そんな彼の姿に一度息を吐くと、彼女はいつものように彼に勉強を教えるのだ。









▽▽▽









 束は彼のノートに簡単な解説を書きながら、ふと思った。

……どうして彼はこんなに頑張るんだろう。

 以前はどうでもいいと切り捨てた理由が、なぜか自分の部屋で勉強をしている今に限って気になった。それは自分の部屋と言うある意味で一番安心できる環境で余裕ができたからなのか。束には判断できなかった。

 すこし難しい論文を読みながら彼がうんうんとうなっている。

 束には簡単に理解できたそれも、彼のような普通の人には難しいようだ。

 以前までならば、簡単に理解できないことにいらいらとしていた自分。しかし、今は彼の困った姿を見ていると自然に笑みが出る。彼の様子は束の琴線に触れるのだ。今までにそんなことはなかった。教えて理解されないストレスと戦うのが、束と言う少女だった。

 さらに言えば年下の少女にわざわざ頭を下げて教わりたいと思うのだろうか。

 束は人に教わろうと思ったことがない。

 だから余計にそうしてまで宇宙へと足を進める彼の姿が不思議だった。

 頭をがりがりと書いてノートにまとめいていく彼をじっと見る。

 よほど集中しているのか、そんな束に気がつく様子はない。束は髪がぼさぼさになっていく様子を克明に眺めていた。じっと見ているとこの一週間では気がつかなかったことがいくつもあった。

 容姿はやっぱり普通だった。前はなかったニキビが出来てる。束は栄養のバランスが悪いのかな。と心配しながら、もっと見た。

……少し鼻が高いかな。日本人にしては珍しいかも。あ、唇はプルプルしてる。ちょっと光ってるからリップでもぬってるのかも。

「…………ああ、わかんね! 束ちゃん! ここ教え……て、ってどうしたのこっちみて」

 じろじろと観察されていることなど梅雨と知らず、彼が声をあげて束をみた。

「え、な、なんでもないよ!」

 まずい、と思わず焦る。

 あわあわと胸の前で手を振り顔を見られないように俯かせて、彼のノートをみた。幸いにして彼はそんなに束の顔をじっくり見なかったので何も気がつかなかった。もしじっくりと見られていれば真っ赤な顔を見られていただろう。

「どこがわかんないの?」

 なるべく動揺を隠して声が震えないよう気をつけて言った。

「えっと、ここ。なんか本文読んでもさっぱり。宇宙での活動における放射線とその影響とかいわれても……」

「そっか、今まで軌道とかの計算ばっかりだったもんね。そういう系統はまだやってなかったね。……とりあえず今日はそこを飛ばしてやろう。明日そっち関係をやるから」

 束がすぐに彼のできない原因に思い当たると、明日のカリキュラムを組んでいく。

 次はどんなことをやろう。どうやったら彼は分かりやすいかな。

 束が好きなのがこの次のことを考える時間だった。でも、今日はちょっと違った。さっきまでの何でという疑問が束の意識の片隅に常にあり、どうしても気になってしまったのだ。

「……ね、おにいさん」

 どうしても、気になる。

 今までだったら絶対にこんなこと考えなかった。考える必要がなかった。自分のことで手いっぱいなのに人のことまで手は出せなかったのだ。

 でも今は知りたい。すごく、知りたい。

 彼がどうして宇宙を夢見るのか。あんな真空の、とても人の生きてはいけないような世界に彼がなぜここまで魅了されているのか。それが知りたい。

 もしかしたら、それは自分にとってなにか大切な何かになるかもしれないから。

 束はそっと、薄桜色の唇を開く。

「どうして、そんなに宇宙へ行きたいの?」

 彼は笑った。束の真剣な様子に気がついてなお、彼は笑った。

「今頃聞くなんて……とりあえずここはお約束的に言っておこうか。今更どうしたんだよ」

「今更って……ただ聞いてみたくなっただけだよ。……ちょっと聞くのは遅くなったかもしれないけど」

 ばつの悪そうな顔をしてしまう。それでも彼から目を離さない。

「そうだなぁ。別に大したことじゃないんだけどな」

「大したことだよ。普通は年下の、それも小学生に頭下げてまで教わろうとは思わないよ」

「そういえばそうかも……」

「それだけやりたいから勉強してるんでしょ? その理由が、私は知りたい」

 彼がうなルような声を出す。迷っているように見える。

「う~ん、ま、嘘はいけないか……」

 しかし彼は隠すようなことでもないかなというと、どうということもない晴々とした顔をして束をみた。

「これには海よりも深く、山よりも険しい理由があってな」

 束はあんまりな導入にがくっと肩を落とす。それでも彼ならこんなものか、そう納得して耳を傾けた。

「笑っちゃうかもしれないけど、俺宇宙飛行士になりたいんだよ」

「宇宙飛行士?」

「そ、あの宇宙へ行っていろいろな実験やら観測やらをする仕事」

 彼は束から目を離した。その視線が捕えたものは彼が持っていた携帯の待ち受け。アラスカでとられた星の瞬く夜空の写真。彼はそれを見せてきた。

「これ、親父がとった写真なんだ」

 その写真は美しかった。携帯の画面では洗わせる画素数なんて大したものでもないのに、束の心を掴んで離さないような魅力があった。

 日本では見れない天の川が綺麗な青を描き、一等星がその存在を見せ付け、小さな星の光ですら七色に輝いている。

「すごい……」

 知らず感嘆の息がもれた。

「だろ? 俺もさ、初めてこれ見た時は感動した。実際に見てみたい……本気でそう思った。でさ、それを親父に行った時、親父が言ったんだ――――宇宙に行けば地球上のどこで見るより綺麗なんだぞ――――って」

 誇らしそうに胸を張った彼が、自分もまたこの写真の魅力に取りつかれたことをうれしそうに見ていた。

「それがきっかけ。別に大したことじゃないだろ? その後はいつの間にか星座の本とか買ってさ、いろいろと調べてるうちにね、いつか宇宙に行きたいって本当に思っててさ」

 彼が恥ずかしそうに俯く。自分の夢を誰かに、年下の女の子に語ることが恥ずかしかったのかもしれない。

……別に恥ずかしいことなんかじゃないよ。

 束は口に出しそうになった。

……私なんて……

 今の自分と彼の夢を語る姿。どちらの方が正しいのか。家族か、夢か。他人か、自分か。

 束は知らず彼をじっと見ていた。

……もしかしたら、ううん、私はうらやましいのかな。

 眩しい。彼の姿が束には夜空に輝く星のように眩しかった。人口の光に負けてしまうこともある星の輝き、それでもそこに確かに存在し、今も誰かを魅了し続ける星の光のような彼が、束はうらやましかった。

「でも、実はさ。本気で目指そうと思ったのは――――束ちゃんのおかげなんだ」

 自分の矮小さを思い知らされたような気持ちになって、気分の沈み始めていたとき、彼が言った。思わず彼の顔をまじまじと見てしまう。

……私が?

 何かしていたのだろうか。

 自分が彼にできたのだろうか。

 彼のような人間(夜空の星)に私なんかが――――何かできたのか。

「私……何ができたの?」

「たくさんのことを。束ちゃんは俺にたくさんのことを教えてくれたよ」

 彼は満面の笑みを作ると束の目をみた。

「今まで本当は宇宙飛行士になろうって本気で思ってなかったんだ。英語だって読めなかったしね。束ちゃんが俺にいろいろな宇宙のことを教えてくれたから、俺は本当に宇宙に行こうって思えたんだ」

 束は思わず口に手を当ててしまった。それは体の奥底からあふれ出る何かをせき止めるためだった。

「だから束ちゃん――――――ありがとう」

  束は必至でそれを抑えた。

 自分でも分からない衝動が視界をにじませる。

……私でも、何かできた。彼みたいな人に何かできた。

 人とは違う自分が、できたことがあった。

 なぜだろう。それがとてもうれしかった。今までもいろいろな人にお礼を言われてきたのに、彼に言われた時、束は体が震えるほどの感情の渦が生まれた。

 それは彼だけが束がなにも隠さないで話をできた人だったからなのか。素直にいられた人に、こうしてお礼を言われたことが束にとってどれほどの価値があることなのか――――束は自分でもわからなかった。

 束は何か言おうとするけれど何を言えばいいか分からず、ただ首を縦にふった。

「まだ遠い未来かもしれないけどさ、俺が宇宙に行って地球を眺めたらさ、その時ももう一回言うから――――束ちゃん、俺はここまで来れたぞ。ここまで来れたんだ。どうだ、俺は夜空に映ってるか?……ってね」

 その言葉は鈍い人にだってわかるだろう。暗に言っていた。

 私のおかげだ。ありがとう。

 そう意味が込められている。束は誰よりも早く、それがわかった。

「……聞こえないとは思うけどね」

 彼がはにかむように言った。

 束は心の中で何度も何度もそれを否定した。

「ううん、ちゃんと……聞こえるよ」

 自分にその言葉が聞こえないわけがない、と。地球からどれだけ離れていても、彼がそういってくれる言葉が、声が、聞こえないわけがないのだから。

「私だけはちゃんと聞いてるから」

 彼は少しだけ息を飲んだ。

「……そっか。そうだね。束ちゃんにだけは聞こえるかもしれない」

「そうだよ。私には聞こえるんだから……だから、ね。ちゃんと私に声を届けて、約束……だよ?」

 自然と束の頬が緩んでいた。

「……そうだね。約束だ」

 彼は束の頭の上に手を置くと、そっと撫でた。

 髪型が崩れるとか、子供扱いされてるとか、そんなことも忘れて束は目を閉じてそのぬくもりを味わう。彼の指先から伝わる温度は、どこか気持ちがよかった。

 温かい湯船の中にいるような、そんな感触。束はすっと目をあけると、今までのような自然な笑みを消してニヤリと表情をつくった。

「ならちゃんといけるように勉強しないとね」

「そうだなぁ。もっとやらないとね。……しばらくは付き合ってくれるかな?」

 彼は内心、これ以上は時間的にきついかも、と思うが結局撫でられるままの束に促されるように頷いて、そして彼女を誘っていた。

 本当なら小学生を巻き込むことは褒められることでもないし、いやそもそも巻き込むこともできないか。

 とにかく彼は束とこれからも会うことを約束していた。

「もちろん。私はお兄さんの先生だからね。最後まで教えるんだから」

 そんな彼の誘いを笑ってうなずいた束の心の仲は、何をいまさら、だった。

……もうどれだけ教えたと思っているのか。これくらいで済むと思っているのか。

 彼女は笑う。

 久しく誰にも見せていなかった、彼女本来の笑み。それを顔いっぱいに広げ、ひまわりのような表情と楽しそうな雰囲気をのせて、彼女はいった。





「だからもう、逃がしてなんて――――あげないんだから!」







[29735] 第六話 「まってよ……」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/16 23:45


~~ある科学者の独白~~


 私は神様を信じてない。

 でも殺したいほど憎んでる。

 目の前にいるのなら八つ裂きにして殺しちゃうくらい。

 でもいないと思ってる。

 ちょっとした矛盾。

 殺したいけど、いないと思ってる。

 いるのかな。

 いないのかな。

 別にどっちでもいいんだけどね。

 もう関係ないし。

 私が何度も何度も後悔する一瞬は過去のことだから。

 神様も過去へは戻れない。

 だから、いいんだ。

 きっとどれだけ科学が発達しても、時間を人類が手に入れることはない。

 だって――――――私ができないんだもん。

 私ができないことを、どうして他の人ができるの?

 だからこの先、どう頑張っても人類は過去へ行けない。

 だから、もういいんだ。









第六話









 もうすぐ火曜日の今日が終わって、明日は水曜日になる。それまでの後十分で束は空を見上げていた。

 今日家に来てくれた彼の語った――夢。それは誰にでも成れるわけではなく、努力を重ねた本当に一部の人間だけが達成することができる夢だった。

 束は彼がうらやましい。自分のおかげで成る決心がついたと語ってくれたことはうれしかったが、束はそんな夢を持っている彼がうらやましかった。彼のような夢を持って輝いてみたい。そう思ってしまうのはごく自然のことなのだろう。

 束は彼に影響されたように空を見え上げて星を見ていた。

……いつか彼もあそこに行くのだろう。

 空気は無く冷たい暗闇の海へ。

 あの場所は危険でいっぱいだ。とても絶対安全とは言い切れなかった。もしかしたら死んでしまうかもしれない。

 束は背筋が冷たくなった。

……お兄さんが死んじゃう?

 気がつけば束は机に向かっていろいろな図面をかいていた。

……これ……は?

 自分でも無意識と言う他にないような、いつの間にかの作業だった。それでも彼女がよく見ればやはり自分の書いたものだったとわかる。

 こういう所に自分の規格外さが出てくるのだ。

 束が見つけた特殊なエネルギーを原料とし、持ち主に何らかの外的要因による事故がせまった時、それから身を守る機械。のちの『絶対防御』の原型であった。

 そっと溜息を吐いた。

……私も、周りを気にしないでできたらなぁ。

 彼の夢を追う姿にあこがれた束。しかし彼女自身も夢がないわけではない。むしろ明確な夢をこの年で持っていた。

 しかし、彼女にそれを叶えようとする意志はない。

 家族に迷惑をかけてまで、彼女は自分の自尊心を満たすという行動をするつもりはなかった。

……隠しておくことが……最善、なんだよね。

 束は目の前にある図面を一取り眺めてすぐにゴミ箱に捨てた。

 宇宙は危険な場所で、彼が怪我をするかもしれない。でもそれは今じゃない。

……まだ必要ないよね。

 ゴミ箱に入った図面が視界の端に映る。

……でも、これがあればお兄さんが怪我すること……なくなるんだよね。

 自分が作った発明品がどれだけ優れているかなんて束は百も承知だ。これを彼に渡せば彼が怪我をすることもなくなるだろう。だが、束は彼のためにその図面から機械を作ろうとは思えなかった。

……お兄さんなら大丈夫。大丈夫……だよね。

 あれだけ自分が普通の小学生でないと見せつけておいて、今更になって怖くなった。

 彼はまだ束のすべてを見たわけじゃない。まだ、束の知能が優れていることだけしか知らない。束が自らもっともおかしいと思うこと、天才ゆえの『発想力』。

 それを彼に見せたくなかった。

 束の持っている力をみた彼が、束に対する態度を変えるんじゃないか。

 そう思うだけで彼女はそれを作れなかった。

……お兄さんに嫌われるのも、よそよそしくされるのも……いや。

 だから彼女は作らない。

 あらゆる発明を。その脳髄からあふれる輝かしい至高の発明品の数々を。

 彼女は隠し続ける。

 彼はもう大切なものだから。

……いらないよね。そうそう怪我することなんて、ないよ。

 その優れた頭脳で考える。

 あれがなければいけないような事故がそうそう起こるわけがない、と。

 心の奥深く、束に誰かが話しかける。

 大丈夫。

 まだ知らなくても大丈夫。

 もうちょっとだけ続けられるよ。

 ね、だから……

 知らず束の視界から空が消えていた。

 見上げればさっきまでの空に雲がかかっていた。

 束は何ともないその視界の中で、ふと思った。

「明日、晴れるといいなぁ」








▽▽▽








 束はいつもの待ち合わせ場所で彼と話しながら、頭の片隅でこんなことを考えていた。

……これどうしよう。

 さっきからずっと悩んでいる『これ』とはポケットに入っているある物のことだった。それは丸い球体で特に装飾もない。手のひらサイズのボールだ。

 しかしこれが外見に反し既存の科学力を上回る技術力が終結された発明品であることを誰が想像できるだろうか。持ち主に何らかの脅威が迫った時、オートで対象者を守るのちの『絶対防御』のプロトタイプである。一回限りとはいえ、もし世界に売り出せば瞬く間に広まることだろう。

 昨日散々悩んで、結局褒められるかもしれないと思って作ってしまった。

 残念なことに彼を目の前にして、嫌われたりしたらどうしようと二の足を踏んでしまった束は未だに渡せていない。

 ポケットで自己主張を続けるそれに意識を先ながら束はどうしようと考える。

 1.普通に渡す。

 一番無難な選択肢、しかしそう簡単にそれを選ぶわけにもいかない。もしこんな普通じゃないものを渡して束と彼の関係が壊れたら本末転倒なのだし。

 2.渡さない。

 つまりは現状維持。束が選ぼうとする選択肢の中で一番簡単に選べる選択肢だろう。勇気を出す必要もないし、今のままでも十分に楽しい。むしろこれを渡してできるメリットは彼の身の安全と、あるか分からない彼からのお礼だけなのだし。いや、彼ならきっとお礼を言うだろうけど。

 3.まずは彼がどんな反応をするのか探ってみる。

 なるほど、デメリットもないし、これでうまくすれば渡しても大丈夫かわかる。最高の選択肢だ。ただ、束にそういった言葉を誘導する才能がないということをぬかせば、だが。やろうと思ってもそれとない言葉がまったく思い付かない。信頼できる人には口下手なのだ。

 三つの選択肢から選ばないことなんてできない。

 このまま逃げ続ければ現状維持、つまり2を選択したことになってしまう。別にデメリットがあるわけでもないから無理にそれ以外を選ぶ必要はないだろうが、褒めてもらえるという餌を前にして束は未だ決心がつかなった。

 もしかしたら褒めてもらえるかもしれない。認めてくれるかもしれない。

 それはギャンブルのときの『当たるかもしれない感覚』に似ている。

 そう簡単には抜け出せない。事実束も抜け出せていなかった。

「束ちゃん?」

 彼が束の顔をのぞきこむ。

「え、ええ!? なに!?」

 束はいきなりアップで映った彼の姿に飛びあがって距離を取った。

「いや、心ここにあらずって感じだったから」

「そうだったかな?」

「そうだったよ。ぼーっとしてさ。体調悪い?」

 彼が束の額に手を伸ばした。手のひらで体温を測ろうとしているようだ。束はそんな手を一瞬振り払おうとするが、蛇のような動きをした腕に振り払おうとした腕は避けられて、結局なすがままになる。

「大丈夫」

「本当に?」

「本当。でも……もしかしたら体調悪そうに見えるのは昨日夜更かししたからかも」

 特に彼も束の体温が高いと思わなかったのだろう。首をかしげたタイミングを見計らって言った。……内心夜更かしの話になって、これは話を切りだすチャンスか? とも思ったが、今は様子見に徹することにする。

「夜更かし? 束ちゃんも夜更かしとかするんだね」

「む、それってどーいう意味?」

「え、ほら。夜更かしは美容の敵! とかいいそうだから。束ちゃんって肌きれいだしね」

 彼が束の頬を突っついた。何かしてるの? 彼が言ったので束は特になにも、と返した。実際は自分で作った機械に肌をきれいにするマッサージその他をさせているが、ここは謙遜しておく。

 そんな束の言葉に彼が大げさに驚いた。本当に何もしてないと信じたらしい。まだまだ女の子に慣れてないなぁと思いつつ束は話を変えた。

「ありがとう。……で、もうさっき出した課題は終わってるの?」

「もちろん。終わってるから声をかけたんだよ」

 そういって彼はノートを見せた。覚えることではなくて、応用的な新しい考えを自分で生み出す勉強をしていたのだが、絵つきで分かりやすくまとめられていた。

「ふ~ん。なるほどねぇ。……うん、合格~~!」

 束は大きく○を腕で作った。

「まぁ先生の腕がいいからな。合格しないと怒られちゃうよ」

 彼は言った。束の信頼にこたえて見せる、と。

「いうね。でもまだまだ。もっと知らなくちゃいけないことはたくさんあるんだから。それに体も鍛えないとね」

「そっちのほうも一応やってるよ」

「やっぱり宇宙飛行士は体も鍛えてないといけないよねぇ」

「でも鍛えても無重力のせいですぐに骨が弱まるっていうのが……なんとも言えないけど」

「でも、行くんでしょ?」

「もちろん」

 教え子の頼もしい姿。彼はこの僅かな期間で大きく成長していた。それこそ人生経験の少ない束でもわかるほどに。

「ふふ」

 別になにも笑う所なんてない。それでも束の唇から笑みがこぼれた。

……ああ、楽しい。

 本当に楽しい。

 束は自分で今、この瞬間が満ち足りていることを自覚した。

 別にきっかけなんてありはしない。

 ただ二人でこうして教え合って、彼の姿と成長を認めて、自分のことを隠さずにいられて、束は自分がどれだけ恵まれた位置にいたのか、そのすべてを悟った。 

 心が軽くなる。体も軽くなった。

 どんどんと体が熱を持っていく。

 束は自分でもそれを止められない。どんどんこぼれるこの楽しさはどこから来るのだろう。

……彼に見られたら恥ずかしいかも。

 そう思っても止められない。

 必死に束が出した課題を解いていく彼の横顔を束は見る。こっちを見てくれることはなさそうだ。束は残念そうに肩を落とす。その時に視界も下へと落ちて、あるものを見つけた。

 彼の手が、あった。片手で本を上げて見ている姿でもう片方の手がペンを持ったまま残っていた。

 じっとそれを見る。

 束の小さな手よりもはるかに大きかった。

 父の手よりも大きいのかもしれない。男の人特有のごつごつした手。自分のは凹凸の少ない滑らかな手で、彼のとは似ても似つかない。

 それを束はじっくりとみた。 

 彼の手はこのじめじめとした夏の空気でも乾いているように見える。

 でも見えるだけで、本当は汗びっしょりかも。

 束はそんなどうでもいいことが気になった。基本的に束は研究者らしい性格で、気になったことは調べないと気が済まない。だからだろうか。気がつけば彼の手に束の手が重なっていた。

「うぇっ!?」

 意外とすべすべしている。あくまで見た目だけがごつごつとしているらしい。

 なぜか開いた手にそっと指を這わせて彼の指を掴んだ。爪もよく手入れされていて、程よい長さで切り揃えられていた。まるでネイルをやっている女の子のような気のつけ方だ。束は男のくせにと感心してしまった。

「ええっ!?」

 裏返して今度は内側をなぞる。

 あんまり信じないが、友達とよく話す手相を見てみた。生命線はあんまり長くないが、金運は自分よりも長かった。

「ちょ、ちょっと!」

 触った感じ、もちもちとする。べとべとしているわけじゃない。かなり触り心地がよい。束にとってちょうどいい人肌の温度だった。

 片手だけでなく、束は両手で彼の手を包み込むようにして掴んだ。

 そのときビクリと彼の手が震えるが、そんなことどうでもいい。束は本能が欲するままにその手を自分の頬へと持っていく。

……温かい。

 この暑い夏でも、彼の手は心地よかった。

「た、束ちゃん……?」

 彼が束の行動に我慢できなくなって肩をゆする。その顔には正気をさぐる色があった。

「ん……?」

 束が上の空で返事をした。目がとろんとなっていた。

「あの、そろそろ話してくれると……うれしいなぁ」

 頬をかいて、彼はいった。

「え…………」

 束は目をパチっとした後包み込むようにして握った手へと視線を移して、彼をみた。その顔は真っ赤だったことは心にしまっておいた。

 次第に瞳孔が開いていく。

……ああ正気に戻ったんだな。

 急な動きをして束を驚かせないようにしながら、後の爆音に備えて耳をふさいだ。彼は危険にはわりと敏感な方なのだ。

「ふにゃあああああああああっ!!」

 そうして束は真っ赤な顔で叫び声を上げるのであった。







▽▽▽






 束が真っ赤な顔で叫びをあげ、からかわれていた場所から離れたところで女の子が二人の様子を見ていた。

 少女の名は織斑千冬。自他共に認める束の親友だ。剣道に力を入れているのが特徴の将来有望な美少女だ。

 そんな彼女は、今自分が見ている風景が信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。それが本音だったというべきか。

 親友の少女が年上の男の人とベンチで笑っている。

 言葉にすればそれだけのことだ。

 詳しく語るのならば、親友の少女が見たこともない顔で、年上の男の人と自分の約束をさぼってベンチで笑っている、だろう。

 千冬は剣道の強化合宿に参加していて、今日やっと帰ってきたのだ。いつもさみしがり屋で自分に付きまとってくる束だが、それでも親友なのには変わりなくて、千冬も長い間会えなくてさみしかったりもした。電話越しの口約束とはいえ、千冬は確かに束と約束したのだ。来週の水曜日三時から遊びに行こう、と。

 だが、実際はどうだろう。

 待ち合わせの場所にはいない。……それだけなら良かった。束が自分との約束を忘れるなんて考えられなかったが、それでも行けないときはあるだろうと納得できた。…………できたはずだった。

――――――彼女が千冬にさえ見せたことのない笑みを見せていなければ。

 あの笑みはなんだろう。

 千冬は思わず自分に問いかけた。それほど今の束は千冬の知っている束と違っていた。

 今だからわかるが、束はもっと影のある笑いをしていなかったか?

 あれほど彼女が無邪気に声を張り上げたことがあったか?

 見る人を引き込むような表情を――――見たことがあったのか?

 千冬は公園の外、網の向こうから束を見ている。

 今の自分の表情は、一体どうなっているのか。彼女は自分でもわからなかった。

 なぜ、とも、どうして、とも思った。

 考えても答えは出なかった。

 ただ、分かったことは、束が自分よりもあの男の人を優先させたということだけ。

……それだけわかれば十分だった。

 千冬は聞こえるはずもない距離でも、極力音をたてないようにゆっくりと振り返る。

 束がああして笑っているところを見たくなかった。

 合宿でまた少し強くなったと、そう思っていたのに、実際はそうじゃなかったらしい。千冬は自分の心の弱さを笑い、そっと公園から離れていく。

……逃げているのだ。

 千冬は親友だと思っていた束が、こうして自分よりも優先する人間がいて、自分のことを忘れて笑っている姿を、これ以上見たくなかった。

 だから、逃げる。

 自分は何も見ていない。

 また明日も時間はある。そう自分に言い聞かせて、どうにかして言い聞かせて、千冬は帰ろうと足を動かす。内心、震える体を隠して、気がつかないふりをして、彼女は歩いた。

 そう、いずれ強大な力をもつであろう彼女も、今はただの女の子でしかなく。自分の弱さとは向き合えぬほど弱かった。――彼女は自分が壊れないようにと、内心で悲鳴を張り上げる強さしかもっていなかった。



「――――ちーちゃん……?」



 だからこそ、彼女の耳にその声が届いたのは――必然で、避けられない運命だったのだ。








▽▽▽









 束は見てしまった。

 彼と笑い、口にてを当てて笑い声を我慢していた視界の中に――――親友の後ろ姿を。

――来週の水曜日にしよう。

 頭の中に響いた声。よく覚えてる。先週の夜に千冬の合宿の終わりに合わせて遊びに行こうと約束したときの会話だ。

――時間は三時にしておこう。

 今は……何時だ? 針はとっくに三時を過ぎている。

 つまり……自分は――――|千冬(親友)との約束をやぶった?

 さぁっと血の気が引く音がした。

 視界の中に彼女がいる。それだけのことを束は認識できなかった。

「――――ちーちゃん…………?」

 本当に千冬なのか? 確かめるように声がでた。

 瞬間、彼女が走って|逃げた(・・・)。

 その後ろ姿に彼女は偽物だと叫ぶ自分と、追いかけろと騒ぎたてる自分が生まれた。

「え? え……?」

「……たばねちゃん?」

 駄目だ。束の頭の中で約束が何度も響いて、彼女の体が何度も震えた。

「は、はやく追いかけないきゃ…………!」

 束は震える手足に力を入れて走り出す。千冬の走りそうなルートはすぐに思いつくから、もう見えない位置に行った彼女を追いかけるのはそんなに難しくない。けれど面と向かって彼女に何を言えばいいのかまったくわからなかった。

 体の奥底から頭の奥までぐるぐると震えた。

――どうして逃げるの?

 疑問が喉まで浮かび上がる。

どうして、どうして?

 冷静な思考の一部が茶番だと吐き捨てる中で、束はずっと走ってる。千冬の家まで最短距離を思い浮かべて先周りをする足に淀みは無いが、表情は淀んでいる。

 全力で後先を考えないままに、道を曲がる。

「――――ちーちゃん!!」

 束は一気に近づいた彼女の背中へと声を張り上げた。

 不自然なくらい千冬の体がぴたりと止まる。

「た、たばね……」

 束が見つめる中でゆっくりと振り返った彼女の瞳が不安そうにゆらゆらと揺れていた。

「ちーちゃん!……」

……何を言えばいいんだろう。

 結局思い浮かびもしなかった言葉を探して口を開いては閉めた。中途半端に手が持ち上げられる。

「どう……した?」

 千冬が小さくつぶやいた。息を飲む束の耳には小さな声すら耳へと正確に届いた。

「あの、あのね。ち、違うんだよ……」

「何が?」

「だから、えっと、その……私……っ!」

 束はまとまらない頭で必死にいい訳を考えた。

――忘れようとしたわけじゃないよ。

――意地悪したわけでもないよ。

――私はちーちゃんとの約束楽しみにしてたんだよ。

 しかしその言葉に説得力はあるのだろうか。いや、無い。千冬からすれば全部言い訳にしか聞こえない。

 混乱した頭でもそれくらいわかる。

「わ、わたし……」

 だから呻くように意味のない言葉を吐き続けるしかできなかった。

「……私……だから、何?」

 束の目を見ながら千冬が口を開く。その目から束は視線をそらした。とてもではないが見ていられなかった。 

「私……今日は、その――――」

「言い訳は聞きたくない」

 鋭利な刃物のような言葉が束の言葉を切り裂いた。

「…………忘れてた?」

 千冬の言葉に束が勢いよく首を振った。

「そんなことない!」

「――ならなんで来なかった!?」

 大声に束の肩が震えて、一歩後ろへ足が下がった。

「だって……」

「だって…………なに? どうせ――忘れてたんだろう?」

 千冬は吐き捨てるようにいった。束はそんな彼女の様子に言葉もでない。そんな姿に千冬は余計に苛立つ。

 いつもなら完璧に制御して見せる感情が、今ばかりはどうしようもなかった。

「どうせ私よりもあの人の方が楽しいんだろう? だから私との約束を忘れてあんなとこにいたんだ!」

 千冬は吠えた。その表情は泣きそうで、我慢できないような苛立ちを混ぜた表情だった。

「ち、違うよちーちゃん!」

「違わない!」

 束はそんな千冬を落ち着かせようと声を張り上げるが、千冬は聞かなかった。

 ……どうしてだろうか。千冬には束の言葉のすべてが苛立ちと共に言い訳のように聞こえるのは。肌が逆立つように苛立ちだけが募る。

「私だって覚えてたんもん! 約束だって何処に行こうとか考えてたもん!」

「~~!!」

 千冬の袖を掴んで束は言った。このまま千冬が友達じゃなくなってしまうような背筋が冷たくなる予感に襲われたからだ。

 それを千冬は思いっきり腕を振って振り外した。

「いまさら――――っ!…………もういい。私は帰るっ!!」

 目の前が真っ赤に染まったような気がした。束の話した覚えていたといいう言葉がまったく信じられない。

「……っ!? ごめん! ごめんなさい!」

 束が千冬の袖をもう一度掴んで言った。

 喉が張り裂けそうな声でも、彼女は構わず声を上げる。

 思いっきり掴んだ部分にしわがついた。千冬は睨みながら手を叩いてグングンと歩き始める。

 体勢が崩れた束は転びそうになっても千冬を追いかけた。

「ごめんなさい! 謝るから! ねぇ、お願い! 待ってっ!」

 伸ばした手が空を切る。

 千冬は後ろから聞こえた声を無視して歩いた。

「ちーちゃん! お願いっ!」

 いらいらする。束は少しくらい困ったほうがいいんだ。

「まってよ……」

 束はもつれそうになる足を必死に動かした。今までにないくらい力を入れた。そうでもしなければ震えて動きそうになかったから。

 次第に遠ざかっていく千冬の背中を見ながら走った。息が切れても、足が震えても、束は走った――周りのことなんて何も考えずに。 

……そんな彼女がそうなることは必然だったのだろうか。

 束の視界の端に巨大な物体が映る。

 気がついた時にはもう――遅すぎた。

 束は千冬を追いかけることに集中しすぎて何も見えていなかった。今自分がいる場所さえもわかってなかった。

 彼女が追いかけている場所は歩道ではない。何処にでもある道路だ。そこへ飛び出すように束が出たのなら……そこに車という物体が現れるのは当然の結末だった。

……うそ。

 嫌に早くなった思考がどうしようもない未来をはじき出す。

 そんななかでも束は千冬に手を伸ばす。彼女は気がついてすらなくて、後ろ姿しか見えなかった。

 それでも伸ばした。

 けれど、届かない。

 その伸ばした手の平は千冬に届かず、必死に追いかける少女に届いたものは――――





「――――――束ちゃん!!」





 とんっと優しい感触の後にキキーッと引き裂くような音。続いてゴンッと鈍い音が聞こえた。

「…………え……?」

 呆然と束が呟いた。

……おかしい。私は轢かれるはずだった。

 冷静な思考が動きを続ける。

……あの速度、タイミング。どれを見ても私がこうして尻もちを付いているだけなのはおかしい。

 呆然と手を掲げて見た。傷はなく、綺麗な手だった。

……どうして?

 視線をそっと上げた。そこには前方が大きくへこんだ車だけがあった。

 自分は無傷なのに、どうして車は壊れているんだろう。

 束は本当に何も分からなかった。

 腰が抜けていた。あまりにも突然のことに力が入らない。束はどうにかして立ち上がろうと手を地面につこうとして、何かに触れたのに気がついた。

「……?」

 それは柔らかかった。

「あっ……」

 それは束の足元にあった。

「……うそ、うそだよ」

 それは束を押しのけた後のように転がっていた。

「……うそだよ。うそにきまってるよ……ね」

 束の狭まった視界がどんどんそれの根基へと走っていく。

 徐々にはっきりしていくそれ。

 それはもう冷たくて……そう、束の身近なものに似ていた。最近は毎日見てた。少し前には両手で握ったこともある。

「…………うぅ、うそだよぉ……」

 ぽつり、ぽつりと雫がおちた。

 なんだろう。束は濡れた目元をぬぐう。

 どんどん溢れてくるそれをうっとおしいとばかりにグイグイとこすってもまだ溢れてくる。

 その雫は幸か不幸か、狭まった束の視界を元に戻してしまった。

 広がった視界で、みる。

「……お、にいちゃん……」

――――うつぶせでぴくりとも動かない彼の姿を。

「……おきてよ、おきてってば」

 彼の肩をゆすった。

 伸ばされた手を握って、何度も声をかけた。

――――それでも彼は動かない。

「返事して、じゃないと……明日は課題たくさん出しちゃうんだから。だから――――――」

 最後は小さすぎて、束にも聞こえなかった。

 尻つぼみになる言葉と滲む視界。

 束は何度も何度も声をかけて、ゆすって彼を起こそうとする。でも、起きない。

……傷もない。血も出てない。なのに起きない。

 束はわかっていた。でもわかりたくなかった。

 声をかけるのは、肩をゆするのは、知りたくなかったからだ。逃げたかったからだ――現実から。

 でも、それは束の逃げる速度よりもずっと早くて、追いつかれる。

 束は気がついてしまう。

 ぎゅっと握りしめた手。束の近くにあっていつも温かった手。そこから伝わる脈が――――ないことを。

「いやぁ……」

 だから理解した。

「いやぁぁ……」

 もう彼は――――

「いやああああああーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」


 絶叫が、響く。



[29735] 第七話 「――――どうして!」
Name: 観光◆6a663401 ID:0f8bca7b
Date: 2011/09/18 17:19
 白い煙がもくもくと空へと上がっていった。からっとした夏らしい青い空へと上がる煙は遠くまでいってもよく見える。束は黒い服装に身を包みながら一つの星もない昼の空をじっと見つめていた。

「おにいさん……」

 唇から洩れた呼ぶ声を受け取るべき人は、もういない。すでに目の前の墓石の下で眠っている。束は別に死後の世界なんて信じてないが、彼がここにいないことだけはしっかりと分かってた。

……もう会えない。

 どんなに望んだって、彼は戻ってこない。



――――彼は四日前のあの日、死んでしまった。



 周りを見ていなかった束を追いかけ、車にひかれそうになった彼女を助けるために彼はその身を犠牲にした。即死だった。吹き飛ばされた時に強く頭を撃ったことが原因らしい。法定速度を守っていたとしても、うちどころが悪ければ人は死ぬ。彼もそうだった。別に外傷なんてなかったが、彼は絶対に怪我をしてはいけない頭の中をどうしようもないほどにやってしまった。実に1.5tもの鉄の塊が40kmもの速度で軟弱な人の体に襲いかかればどうなるかなんて、誰にでもわかる。そういう意味では……外傷のなかった彼はある意味幸運だったのか。

 コインを投げれば裏か表が出るように、彼もまた生きるか死ぬかは二分の一。人は簡単に死ぬのだ。

「…………」

 束は黙ってお墓の前で空を見ていた。

 空に星はない。

 ぼんやりした頭の中で、人は死ねば星になるってホントかな。そう問いかける自分がいたことに気がつく。遠くで……彼の妹だろうか、彼にどこか似た顔立ちの少女が泣いている声が聞こえる。まだ兄が死んだことを納得してないのが、束にもよくわかった。自分はすぐに納得してしまったのにああして感情を吐き出す彼女を見ると、自分がどこかおかしいような気がしてくる。

 暑い日差しに照りつけられた黒い石。それは彼じゃなくて、ただの石だ。彼はもう立ち上がらない。

……奇跡なんて起こらなかった。そこにはただ現実が堂々と居座っているだけだ。

「束…………」

 となりにいた千冬が小さく親友の名を呼んだ。その声は彼女を知るものなら驚くような、とても弱々しい声だった。彼女の目の下にはクマがあり、顔は何処となく弱々しい印象が彼女をとってかわっていた。まるで何かに取りつかれたような顔だった。

 束は、どうしてとも思わず、ただ彼女に大丈夫だよ、と一言返した。千冬とは対照的なまでにいつもと変わらない声。自分の所為でという誰にも攻められない地獄の中で千冬は、ただいつも通りでいる束が恐ろしく、同時にどうしてと叫び出したい衝動が彼女を満たす。


――――運命の歯車はもう取り返しのつかないところまで来た。


 その俯いた視線の中で千冬はみた。綺麗に手入れを欠かされていなかった束の指先。自慢なんだとひっそりと言った彼女のいつかの表情が脳裏に映る。それが見る影もないくらいにぼろぼろになっていた。よく見れば爪は割れ血が固まった跡があった。それが何を意味するのか、千冬には分からなかった。ただ、どうしようもない悪寒だけが体に溢れて、止まらない。何を意味することもない、何かに聞かせるわけでもない、純粋に千冬の唇から声が、もれた。


「――――束……?」


 ただ呼んだだけだ。そこに意味などない。しかし彼女はゆっくりと振り返った。その視界のなかで千冬は見る。目の前で大切な人を失った彼女は、自分のせいで大切なものを失った彼女は小さく笑っていて、同時に――――泣いていた。。

「ねぇ、ちーちゃん。私、どうしても信じられないんだ」

 束が千冬の瞳を見つめながらいった。

「……そう、なのか。でも、もうあの人は……その……」

「ううん。そっちじゃないよ」

……そっちじゃない?

 それ以外に信じられないことがあるのか。束は千冬の驚愕を気にすることもなく語る。

「お兄さんの心臓が止まったのはわかってるし、酸素の供給が止まった脳の細胞が壊死してもう生き変えらないのもわかってる。私が言いたいのはそうじゃないよ」

 ゆっくりと、しっかりとした声だった。現実を見据え、目の前の事実へと挑む挑戦者の目つきだった。

「私が信じられないのは、私に作れないものがあったこと」

「作れないもの?」

「そう。私ね、帰ってから考えたんだ。どうしたら――時間を戻すことができるかなって」

 何を言ってるんだろう。本気で千冬はそう思った。そして気づく。

――――ああ、そっか。束、ほんとはまだ……

 なんで手が荒れていたのか。それは束が今まで机にかじりついて考えていたからだろう。

「でもね、駄目だった。私がどんなに考えてもできなかった。今まで私にできなかったことなんてないのに。どうしてだろうね。私が本当に必要な時に、頭は役に立ってくれないんだよ」

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。束の瞳が爛々と光っていた。どんな手段でもいい。もう一度、会うんだとその瞳が語っていた。

「束……あの人は、もう――――」

 千冬は自分に彼が死んだ責任の一端があることを理解したうえで束を諭そうとした。千冬の瞳に涙があふれる。

 私があんな意地悪を束にしなければ。あんな子供のように癇癪を起さなければ――今も束は笑っていたはずなのに。あの人は生きていたはずなのに。

 震える体を叱咤して千冬は束と向き合った。束が死んだ人間に固執する。……それは束を笑わせていた彼も望まない選択肢だと思ったから。しかしそれに束は首を横に振るだけだった。

「笑っちゃうよね」

 唐突に、何の脈絡もなく束が呟いた。その乾いた音は千冬にだけ聞こえた。

「私、お兄さんの名前も知らなかったんだ。あんなに一緒にいたのに」

 目の前で存在を主張し続ける墓石に刻まれた名に、束は見覚えがない。彼女にとってお兄さんはこんな名前の誰かではなかった。

「ほんと……笑っちゃうよね」

 本当に笑うしかないよね。あんなに一緒にいたのに。束は今も彼とかわした会話を覚えてる。何千と彼から送られた言葉、その中に彼の名前だけは無かった。

「私、たくさんお兄さんに勉強を教えたよ。でもお兄さんは名前を教えてくれなかった。どうして、だろうね。私には――――わかんないよ」

 溢れる涙を、自然と束はぬぐっていた。それでもどんどん溢れる涙。

「お兄さん、すっごく優しかった。ほんとのお兄さんみたいだった」

 今までずっと、それこそ葬式が終わってからもずっと黙っていたのに、束の口はどんどんうごきはじめた。一度決壊した涙と共に、脳裏に彼の姿が浮かんでは消える。

「私が教えても、すっごく楽しそうにしてくれた。変な目でなんか見なかった」

――さすが束ちゃん。わかりやすいね!

「……楽しかった。お兄さんと喋ってるだけで、楽しかった……っ!」

 溢れた涙が熱い。燃えるような感情の炎が束の中で揺れている。

 束もまた、気がついた。

 溢れる涙の意味に。その理由に。

「…………――だよぉ……」

 余計に、涙があふれる。

「……いやだよぉ……」

 もう会えない。

 もう話せない。

 それは変わらない事実で。どうしようもない現実だった。

「会いたいよ……まだ、まだ沢山話したいこと、あるんだから……」

 もう、立ってられない。

 束は膝を地面についた。未だ溢れる涙がぽたぽたと落ちる。

「なのに……なんで……なんでっ……なんでっ!!」

 がんっと地面をたたいた。石の破片が刺さって血が溢れた。それでももう一度叩いた。

「約束! 約束したのにッ! 宇宙からお礼をいうって。私がそれを聞くって! 約束したのに――――どうして!」

 涙に歪む瞳のまま何度も地面をたたく。気がつけば鮮血が待っていた。

「…………もう、もうやめろ!」

 見てられない。自分が束をこうして苦しめてる。そんな訳がないのに、千冬には束が攻めてるような気がした。だから精一杯の声をあげながら束を抑えた。

「もうあの人は死んだんだ! 死んだ人は約束を守れない! 束ならわかるだろうっ!」

 束を抑える千冬の目にも涙があふれていた。

「違うよ! お兄さんは約束破らないよ! だって一度も破らなかったし――――うそはいけないって言ってたもん!!」

「束! いい加減にしろ!……あの人は死んだんだ! もう納得しろ!」

「――――嫌だっ! お兄さんはちゃんと約束守ってくれるもん! だって! だって!! じゃないと――――」

 振り下ろした腕が力なく地面をたたいた。

「じゃないと――お兄さん、うそつきになっちゃうよ。……うそはいけないって、いってたもん」

 ぼろぼろと溢れた涙の所為で、まともに喋れなかった。かすかな嗚咽のみがふたりの間で響いた。

「あ、ああ、ああああああああああああああああああああっっ!!」

 声を上げる。これ以上ないくらいに。束は思いっきり声をあげて泣いた。どうして、どうして。子供のように純粋な悲しみと思いが束の胸のなかで今もくすぶっている。それが辛くて悲しくて束は声を張り上げた。

「……ごめ――、……ごめんなさい……っ!」

 千冬も今は会えない彼に言葉を。締め付けるような辛さと真っ向から向き合って、辛い痛みに耐えながら何度も何度も同じ言葉を言った。力なく叫ぶ束を抱きしめて二人は泣く。

「ああああ! やだあああああ! お兄さん! お兄さん! わたし……わたし……!」

 小さい束の体を千冬はぎゅっと抱きしめた。束が壊れるくらいに。そうしなければ束はどこかへ行ってしまいそうだった。

 ひっく、ひっくとしゃっくりを何度も束はあげる。涙は止まらずぼろぼろと流れていた。それでも時間というやつはずっと進む。しばらくすると束は体を震わせて空を仰ぎ見た。

「約束は絶対に守るんだ……」

 その視線の先には小さな星が一つ、瞬いていた。本当に小さな光が青空のなかにポツンと光っていた。

「私は約束を破らないよ……」

 絶対にやぶらない。束は決めた。

「いつか、私は宇宙にいくよ。そしたら、お兄さんもほめてくれるよね」

 ――宇宙に行って地球を眺めたらさ、その時ももう一回言うから。

 彼がそういったから、束は約束を守る。ただ彼の声が聞きたくて。約束を守ると決めた。お兄さんが宇宙にいけないなら、私がいく。

「だから……だから……っ! 私は絶対宇宙に行くんだ……っ! ――――絶対に、絶対にっ!」






――――そうして彼女(ヒト)の物語が終わって、彼女(ウサギ)の物語が――始まる








▽▽▽







 それから束は人が変わったようにすべてをあるものの発明に捧げていく。今までどんなことがあっても隠し続けた『天才性』を惜しみもなく使い続ける。いくつかの発明をして世界中から発明費を稼ぎあげ、自分だけの研究施設を作り上げて、束はある発明品――後のISを作り始める。自分の生活、家族の生活、世界のバランス、そういったすべてのものに興味の一つも持たずに彼女は発明を続けた。

 その研究のペースは他人から見ればおかしすぎるものだった。世界中が彼女の発明に狂喜し彼女をもちあげたが、それにすら一片の興味を示さなかった。そんな束の姿に親友――千冬だけはすべてを悟った。

――もう彼以外が束の目に入ってないんだ、と。
 
 彼女がかろうじて認識できたのは親友の千冬とその弟、そして家族くらいのものだった。それを知った千冬はいつまでも罪悪感から逃げられなかった理由と、振りかかった逃げられない罰を悟る。

……私は、きっと束のそばにいなくちゃいけないんだ。お兄さんを殺して、その罰がきっとこれなんだ。私が束を壊したんだ。なら、私は――

 そうして千冬は彼女と共にあり続けることを決めた。それがたとえどんな結果をもたらそうとも、自分だけは束と一生付き合っていくのだと、そう覚悟を決めた。

……みて、ちーちゃん。どう?

 千冬すら気がつかぬまに束はウサギの耳を模したカチューシャをつけていた。それは彼女が以前彼に束らしいとウサギの小物を褒められたからだと言っていた。宇宙からの彼の声を聞くために大きな耳が必要なのだとも。

……ね、できたよ。

 時間がたち、彼女の作ったそれ――ISを見て千冬はただ誰にも見られないように泣いた。何も知らない人が見ればただその技術に圧倒されるだけだろうが、千冬だけは彼が束に望んでいた平穏を犠牲にして生まれたISを見ることが辛かったのだ。

 IS――その機能の数々に、束の優しさと彼への思いが詰まっている。束が渡せなかった絶対防御、それは彼がもしISに乗った時怪我をしないように。人型で訓練をせずとも飛べて宇宙に上がれる機能、それは体を鍛えるのが苦手な彼のために。使用するためのテキストは日本語とわざわざ翻訳した英語が同時に乗っている、彼が英語は苦手だといっていたから。

 束が作り出したISは、彼女が宇宙に行って約束を果たすためのもので、同時に彼の願いを叶えるためのものだった。

 しかし――束は一人で宇宙へといった後、結局ISを宇宙用として世界にださなかった。

 千冬はなんとなくだがその理由が分かった。多分、束は自分の作ったISで宇宙を目指してほしくないんだろうと。ISで宇宙に行っていいのは彼だけなんだと。束はそう思っているような気がしていた。

――なんだか、つまんないね。

 束の提案したミサイルの爆撃をISで防ぐことで軍事的価値を見せつけISで宇宙を目指させない計画に千冬は何も言わずに協力した。それはそこにかつての誓いがあったからだ。千冬の目の前にいる少女は、親友で、同時に逃げられない罰の形なのだから。

 束という一人の天才は、何の理由もなく世界を動かし続け、翻弄し混乱を世界に与え続けた。

 もう、彼女にはそれくらいしかすることがなかったから。

 そんな彼女の私室には…………今も英語で書かれた宇宙への本が大切そうに保管してあった。





≪完≫






感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.298394918442 / キャッシュ効いてます^^