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皇室全般画像掲示板
お手振りですねぇ。
奈良県の室生寺と長谷寺ご訪問の時のものでしょうか?お召し物から判断しました。
ID:0P/77FYw No.354998 に教えてあげるね。 >美智子か雅子かってほど下品にして下賤。>最低最悪なくそ女です。>戦後の皇太子妃は日本一のウンコ女をつれてくればいいのです。>簡単ですbyおーちゃん ↑ こういう汚い言葉を、おたくは普段つかっているんだね。 これ全部自分のことだよ。こんな言葉で美智子皇后を罵倒しているつもりだろうけど、すべて、自分自身に返ってきている筈だよーー>ID:0P/77FYw本当に汚なくて、この上なく下品な婆だねID:0P/77FYwは。どれだけ惨めな人生なんだろう。 自業自得だろうけど。そんないや〜な臭いばかりがする、汚物ID:0P/77FYwのコメ。
そんなに身を乗り出したら、陛下が影に…
雅子費と同じタイプ。
>そんなに身を乗り出したら、陛下が影に…ったく。皇后陛下が座席にもたれたまま手を振ろうもんなら、「ふんぞり返ってる」とイチャモンつけるくせに。
つまり、雅子と同様に配慮がないのですね。もたれかかるか、陛下を隠しても平気かどっちかになってしまう。紀子様なら殿下を隠さず、きちんと姿勢を正しておてふりされます。
変なファッション限りなく変変だ家族も変もっと普通の常識でやってください
ついこの間までヘンテコリンがばれなかった幸せ、、、、
>ついこの間までヘンテコリンがばれなかった幸せ、、、、股子入内がなければ、永遠にばれなかったかも。
ええかっこしいの偽善者だとは思っていたがここまで馬鹿で浅はかだとは考えなかった。
女系をたどれば ナルヒト―美智子―冨美 ―その母ちゃん(シナ関係疑惑) 雅子―優美子―江頭ババア―その母ちゃん(コブマキ芸者疑惑) で同世代にあたる。 冨美さんのお母様の素性はどうよ、ってこと。 冨美さんは上海で生まれ育って16年なんでしょう だったらお母さんは中国系て自然じゃない
ID:Yr.kYzx2 No.355406 ↑あんたの素性が一番怪しく、いやしいんだよ。文章読めば、すぐわかる。わかってないのは、この本人だけ。本当のウマシカ。
どこがどう卑しいんだ?痛いところ突かれたから?
正田富美子(舊名副島富美子,1909年〜1988年),日本今上天皇明仁的皇后美智子的母親,出身佐賀名門副島氏。丈夫是前日清製粉集團的名譽會長正田英三郎。出生於中國上海,在滬生活十六年,通中文。父親副島纲雄是日本「國策會社」理事,也是「江商」上海支店店長。1923年9月歸國,居東京,就讀麴町雙葉女子高等學校。在雙葉高女的「禮拜」集會中,為正田英三郎的母親相中,19歲完婚。
在滬生活十六年,通中文。19歲完婚。19で正田の父ちゃんと結婚した美智子の母ちゃんは上海に16年もいてシナ語がペラペラだったのね。
美智子さん、中国には母親を通して馴染みがあるんですね。
>19で正田の父ちゃんと結婚した>美智子の母ちゃんは上海に16年もいて>シナ語がペラペラだったのね。当時の上海の、統治状況からいって重要だったのは英語と仏語だよ。冨美子夫人が堪能だったのは英語のほうで、それは子供たちへの英語教育にもあらわれている。
戦前は上海や天津に日本人租界や英国租界、フランス租界・・・と各国の租界があったはず。私の親戚も天津生まれ&育ちでした。租界で一番角が高いのが英国。日本の銀行も本店は英国租界に置いたそうです。冨美子さんは英語が堪能でらしたようですが、租界でもし、中国人の乳母に育てられたら、中国語「も」多少はおわかりになったでしょうが、中国で育ったからといって、「中国系」なんてあまりに短絡的。
>中国で育ったからといって、「中国系」なんてあまりに短絡的。信じられないくらい短絡的だよ皇后さま批判者はもしくは、単純単細胞視野狭窄症、歴史的背景への知識の欠落というか受けた教育程度が窺い知れるというか・・・ね。
前はそうおもってたけど、お母様がシナ系とかとか、今まで考えたこともなかったのだけど美智子さんのシナへの入れ込み方がちょっと変わってるし美智子擁護がシナ系なのも結構ばれてきてるしこうなると今まで見過ごしてきたことももう一度検証したほうがいいんじゃない、となっても不思議じゃないと思うのですが。冨美さんが上海育ちなのは別に隠されていなかったけど結婚するまでの19年のうち16年上海にいたのは初めて知った。そしてシナ語ができることも。それを日本の情報ではなくて 他国(台湾?)のウィキに書かれていたことはかなりの驚きですよ。
そのウィキの資料が本当なのか 確認のしようもないけど日本にいてわかんないことがなぜ台湾でわかるのか?日本版ウィキにない「正田富美子」の項目がなぜ台湾にはあるのか。19年のうち日本にいたのがたった3年とすると完璧な帰国子女。冨美さんが純粋な日本人だとしても、これだけ長期にわたり外国で育つと感覚がちょっとずれてくるのは仕方ないかもしれない。女学校は13歳〜5年だと思うのですが 3年ってことはふたば学園も途中転入ってことになるのでしょうか?ま、所詮ウィキに書いてあることだから 真偽はわかりません。ただ、正田家がなぜ「日清」じゃなければならなかったのか、と含めて美智子のシナとの動向は要注意です。これだけは言える。
上海生まれ、日本育ちかと思ってましたが結婚までほぼ中国で暮らしていたとは。
09年にうまれて23年に日本に帰国。14歳です。ここからふたば学園3年に転入して卒業までの3年、17歳まで過ごします。卒業後はまた上海にもどり結婚までの2〜3年を過ごした、ということですね。冨美さんが日本人ばなれした体格をもっています(大正初期の生まれなのに170ほどのセンチの長身、腰高、脚がながい)また美智子の顔立ちからははよくわかりませんが美智子結婚のころの弟さんの顔写真がコーカソイドっぽくみえるものもあります。美智子さんの肌の質感もやや日本人ばなれしたものを感じることもあるしあの髪のクリクリさ、とか ちょっと疑わしい部分もあります。
冨美子夫人の母親が、日本人じゃなくてロシア人だったりは可能性としてあるかも。
大正時代の頃の上海には、ロシア革命から逃げてきたロシア人も多く生活してましたからね。
津田卒業時に正田のお母さまに見染められたと言う説がありましたが、、あと、昔の大学は確か3年終了だったと聞いたことがあります。
昔中が奥に住んでいた日本人は、中国人を使用人として使ってはいましたが、小学校も中学校も中国人とは全然別でしたよ。日本人租界の中は日本の風習で暮らしていたのは間違いないです。だから、冨美子さんが中国系なんてあり得ないです。
『日清』か・・・。なるほど。。。名前の由来って、ちゃんと理由があるんですよね。