2011年9月18日()

論説・あぶくま抄

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風評被害と戦うために(9月18日)  
 かつて東北はみちのく(道の奥)と呼ばれた。明治維新の後には、「白河以北一山百文」と称された。うかつにも、そんなテレビドラマの『おしん』のような遅れた差別される東北は既に過去のものだと感じていた。それがこの震災と原発事故によって、一瞬にしてひっくり返った。風評被害という名の未知なる差別が、福島を、いや白河以北の東北を覆い尽くそうとしている。いや、それは風評被害ではない、放射能汚染という実体があり、それゆえの差別だという声がある。しかし、それはやはり風評被害である。
 白河以南では、福島ナンバーの車が石を投げられた、福島からと知ると買い物を断られた-などというばかげた話をじかに体験した人から聞いた。悲しい現実だ。その地の線量が福島南部と変わらないことを確認しておく。
 予想されたことではあるが、風評被害は福島から東北一円に広がっている。おぞましい差別にまつわる事件が次々と起こっている。8月には、東海テレビ(名古屋市)が情報番組の中で「汚染されたお米 セシウムさん」というテロップを誤って流した。岩手県産米が標的にされた。京都の五山送り火において、鎮魂と供養のために岩手県陸前高田市の津波に倒された松のまきを燃やすプランがあった。これは「放射能に汚染された灰がまき散らされる」といった多数の市民の抗議を受けて、中止に追い込まれた。9月には、福島の産地から送られた農産物を販売する「ふくしま応援ショップ」が、福岡市内で行われるはずであったが、「九州に福島の物を持ち込むな」「地域の汚染が広がる」などの声によって取りやめになった。
 あえて差別事件といっておく。これらの事件の舞台が、名古屋・京都・福岡であったことはおそらく偶然ではない。中世以来の、ケガレと差別の風土が濃密に残る土地柄である。そうした差別の希薄な東北の人々には理解しにくいことが、そこには当たり前に転がっている。これはまさしく文化の問題だ。わたしは「差別なき東北」を誇りに思う。
 あるいは、差別の対象とされた地域は福島を越えて、岩手にまで及んでいる。白河以北がひとくくりに放射能汚染地とされたのである。しかし、陸前高田と東京は実は、福島第一原発からはほぼ200キロの距離、線量もほぼ同じレベルである。陸前高田の松が汚染されているならば、東京の松や桜もまた汚染されている可能性は高いはずだ。いくらか頭を冷やして考えれば、これが白河以北に限られた問題ではないことは、直ちに知られる。
 福島では何より、早急に大がかりな国家プロジェクトとして除染が進められねばならない。風評被害に対しては、毅然[きぜん]として、前向きに立ち向かうしかない。世界の人々がフクシマを凝視している。福島をチェルノブイリにしてはならない。(県立博物館長 赤坂憲雄)