平成23年 7月31日(日) のレポートです。
こだま高速度試験の地(金谷〜藤枝)を訪ねる!
毎年7月31日に狭軌鉄道世界最高速度163kmを樹立したことを記念に、
3年前から、つまり50周年記念から、「藤枝は新幹線原点のまち」を伝える会というものを
開催していたことがわかります。何か、手がかりをと思い、7月31日に出かけることにしました。
高速度試験の出発地 金谷側大井川橋梁手前 時速163キロへの挑戦は、ここから始まった。 |
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| 約50年前までは、もう1本レールが敷かれていた。 こだまはこのレールで出発! 黄色の矢印は、当時と同じ位置の架線柱と思われる。(ちょっと見えにくいが・・) |
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| 高速度試験の記録映画の画像 BGM高らかに出発! カッコイイ〜 |
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| 白い点線がもう1本のレール。 当然、橋梁ももう一本あった。 大井川橋梁は当時3連だった! |
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| これがその映像。 こだまのボンネットが写真の下に写っている。 |
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| 橋梁を渡り切ると、カーブ。 列車は、島田駅に向かう。 当時から左手に東海製紙の工場があった。 白い点線はこだまが通った跡。 ここが東京から209km地点。 |
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| 当時は、砂埃を舞い上げて特急は走っていたのであろうか? 今ではあまり見ないと思う。 試験列車は、真中のサロ2両を抜いた6両編成。 |
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| 島田駅通過。 昔の日本の駅らしい。 |
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| 現在の島田駅。 新たに跨線橋を設けて橋上駅に改築された模様。 |
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| 島田駅構内を出ると、すぐにポイント通過点。 右側のテントでは、いろいろな計測を行っているところ。 下の写真と位置関係を比較すると、おそらく同じ位置だろう。 |
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| 現在のポイント通過点。黄色の矢印の先にテントがあったと思われる。 島田の次は、六合(ろくごう)。当時この駅はなかった。比較的新しい駅である。この駅には、高速度試験の記念碑がひっそりと建てられているが、これは、こだまの後のクモヤ93によるもので、時速175kmを達成した時のもの。 |
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| 現在の六合駅を出るとまもなく、202km地点。 ここが、こだまが時速163kmを出し、狭軌で世界最高時速を出したところ。 ちなみに、記念碑は立てられていない。 (誰かこだま型のカッコイイの立てて〜) 写真上方の山の稜線が、下の写真と一致すると思われる。 |
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| 上の写真は逆光気味なので、奥の山は見えない。 東京から202kmの地点は、瀬戸踏切付近である。 撮影した高台は、岩城神社である。当時の写真とは、角度が違うが、現在は木が多い茂り、唯一ここの位置が当時の写真にいちばん近かった。 それにしても、今は、家などの建物は多い。 |
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| 下の写真と比較すると、ほぼ同じであろう。202km地点で。 | |
| 今も東海道本線らしく、列車は頻繁に走っているが、日中は普通電車と貨物列車のみで、特急はない。 |
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| こちらも202km付近。 山の形もよく似ている。 |
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| とにかく真っすぐであり、高速度試験にこの区間が選ばれた理由がよく分かる。 | |
| もうすぐ藤枝に入るところに、カーブ区間があるレールへの横圧を測定しているところ。 | |
| 今は、すっかり住宅地になって、山が見えない。地元の詳しい人に教えてもらって発見。 ただし、そこらじゅうに詳しい人はいない。 「藤枝は新幹線の原点のまち」と広めている人である。高速度試験は、新幹線のための実験であった。当時は新幹線車両もない中、在来の車両を使って行った。 |
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| 藤枝駅に進入したこだま。 もちろん通常は止まらない特急が止まったのだから、地元の人は喜んだのだろう。 |
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| 黄色い線より上の部分は、近代化に伴いかさ上げされたのであろう。今は、編成が短いので、途中からは当時の高さである。 新型機関車が特急列車のように驀進して通過した。ちょっとだけこだまを彷彿させた。 藤枝駅も橋上駅となり近代化した。 昔は跨線橋を降りたところに、駅本屋があり、改札を通った。 |
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| これは、実験を終え、金谷へ戻るこだま。 7月31日ではないが、写真右上のこんもりしたところが、岩城神社であろう。 | |
| 今は、より木が茂り、形が違っているが、こちらは藤枝市の海側なので、高台は地図を見ても、ここぐらいしかない。そこから、202km地点を推測することがだいたいできた。 地元の詳しい人に確認はしたが。 |
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ビデオで見る、この場所はどこか? 今回、藤枝市で開催された、「新幹線原点のまち藤枝」を伝える会に参加して、 帰宅後、今回の感動をOJのこだまで、高速度試験車の再現をするのもいいかもしれないと思った。もっとも、実物は近畿車輌製だったけど(モデルはクハ26001で川崎車輌製)。 |