新潟行き/フロアイベント [アート論]
松たか子の顔(加筆3写真追加2) [新・美人論]
1996年の『ロングバケーション』、1997年の『ラブジェネレーション』、そして2001年の『HERO』と、フジテレビ系の月9ドラマに出演、木村拓哉と共演することが多く、その度に女優としての知名度を顕著に上げていったのです。
映画『HERO』(2007年)での演技を見ても、木村拓哉は主役ではありますが、演技は《1流》でしかありませんでした。それに対して松たか子は、眼鏡をかけた3枚目の役柄ではありましたが、《想像界》《象徴界》《現実界》の3界で《超1流》真性の芸術の演技をして、輝いていたのです。父親の松本幸四郎も重要な役で《超1流》の演技で出演していて、親子そろって《超1流》の存在が印象的な映画となっていました。
映画そのものは、エンターテイメントでしかありませんでした。
《想像界》の眼で《1流》のデザイン的エンターテイメント映画。
《象徴界》の眼で《6流》のデザイン的エンターテイメント映画。
《現実界》の眼で《1流》のデザイン的エンターテイメント映画。
この映画『HERO』は、エンターテイメントとして、興行収入は2007年公開の日本映画1位、81億円とヒットしたのです。このヒットに、主役の木村拓哉以上に、松たか子の《超1流》の演技が、大きく貢献していたのです。
韓国の新型戦車XK2「黒豹」(画像大幅増加!加筆4) [デザイン論]

梶芽衣子/女囚サソリ3部作の傑出性(改題、加筆1) [新・美人論]
北京オリンピック開会式の《21流》性 [アート論]

森村泰昌とシンディ・シャーマン/メイプルソープ(改題2改稿4加筆11写真増加3) [日本アーティスト序論]
ペプシネックス・ゼロカロリー [味覚]
レモン果汁、酸味料、カラメル色素、香料、甘味料(アスパルテーム・L-フェニルアラニン化合物、アセスルファムカリウム)、保存料(安息香酸Na)、カフェイン | |
賞味期間 | 6ヶ月 |
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束芋の作品(後半/加筆1) [日本アーティスト序論]
何じゃそりゃ、って?
夕刊の連載小説の“あの挿絵”を描いているアーティスト(1975年兵庫県生まれ)。
- 《想像界》の眼で《6流》、デザイン的エンターテイメント。
- 《象徴界》の眼で《6流》、デザイン的エンターテイメント。
- 《現実界》の眼で《6流》、デザイン的エンターテイメント。
- 《想像界》の美術。《象徴界》や《現実界》は、無い。
- 固体(前近代)美術 。
- シニフィアンの美術。
同調現象が起きたら、異論は歓迎されないのです。
ただ、「みんな」の意見を補強する意見のみが歓迎される。
そうして、異論に対しては、論理で反論するのではなく、
無視と黙殺で反論される。そして沈黙を強制するのです。
周囲を見回して、自分に異論があっても、
他に異論がないようならば、
異論の表明を控えるという自己検閲の機能も、強く働きます。
お酒を飲みながら美術評論家の先生と話していて私と意見が合っても、
最後には「その意見は書かないよ」と言われます。
また同人誌をやっている時に、座談会で話していて、
文字起こしをすると「それは止めておこう」と、削られます。
こうして自己検閲が頻繁になされて、
同調現象が起きて行くのです。
こうして日本の美術批評は集団自殺を遂げてしまったのです。
こうして、「美術界一致の幻想」が現れます。
同調現象の結果は、どこでも、どの雑誌、どの美術館でも、
「みんな」が賛成していると信じられる作家だけが
集中して繰り返し取り上げられることになるのです。
この同調現象が、日本の美術界には、
繰り返し良く起きます。
美術関係者の意見がある方向のみに傾斜する事がおきるのです。
批評は消えて、
それこそ、束芋はすばらしいという、同調現象が起きます。
異論は、黙殺され、沈黙を強制されるのです。
こういう傾向は、森村泰昌、大竹伸朗、宮島達男、草間弥生の作品
への評価などにも見られます。
とても芸術には見えないものに、
日本人の評価の意見が雪崩を打って同調して行くのです。
多様な意見や、少数の異論を失って、
ある方向のみに傾斜する事がたびたび起きて行きます。
その結果として、批評が集団自殺したのです。
そして日本が、3000倍の軍事力の差のあるアメリカに戦争を仕掛けて、
集団自殺へとのめり込んで行ったのも、
こうした集合無意識の同調現象メカニズムでした。
束芋の作品(前半/少し校正加筆1写真1枚追加) [日本アーティスト序論]
川久保玲と村上隆のルイ・ヴィトン(改題加筆4) [アート論]
川久保玲の顔である。
《想像界》の眼で、《41流》美人。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》までの重層的美人。
《現実界》の眼で、《8流》美人。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界を持つ人格。
気体人間。
これは良く出来た肖像写真だが、
この写真を格付けしておく。
《想像界》の眼で、《41流》
《象徴界》の眼で、《41流》
《現実界》の眼で、《41流》
典型的な《41流》の肖像写真で、純粋化されていて、
ほかのものとの重層性はない。
ハイアートではなくて、ローアート写真である。
悪く言えばヨーロピアン・シュラッシュ・メタルの女バンドリーダーのようでもあるし、
後ろに中世の重甲冑の槍軍団を従えた現代日本のエリザベスといった雰囲気である。
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川久保玲がルイ・ヴィトンのためにデザインしたバッグの写真です。
写真の出典はnitrolicious.comです。
このバッグは、青山骨董通りにあるDover Street Market
ルイヴィトン・アット・コムデギャルソンに変わり、
ショップの店頭でのみの予約販売となるそうです。
下記情報は裏原宿ファッションブログ 裏原マグからです。
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Re-Edition
ルイヴィトンが日本に上陸した1970年当時に大流行した
プチ・マルソーとサック・ドゥ・ポッシュを、
川久保玲自身が復刻をしたモデル。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《7流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
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Customization
クラシカルなヴィトンのバッグを川久保玲がカスタマイズし
芸術化させたデザイン。
パピヨン26は3つの動物のチャームをつけたタイプ。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《7流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
ミニ・スピーディはバッグを持つハンドルを合計8つつけた
手のひらよりも少し大きめ位のスモールサイズのバッグ。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
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Creation
川久保玲が一からデザインを行ったラインで、モノグラムの
キャンバスで出来たラウンド型とスクウェア型のそれぞれに
ヌメ革のロングハンドルを施したデザイン。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
《想像界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《象徴界》の眼で、《超1流》から《41流》の重層的表現、真性の芸術。
《現実界》の眼で、《超1流》、真性の芸術。
《想像界》《象徴界》《現実界》の3界同時表示の作品。
気体美術。
どれも凄いけれども、最後のCreationの2点が、
おとなしそうに見えて、《41流》を持つ重層表現であるのが、
さすがである。
凄い実力!
さて、最後に、村上隆のルイヴィトンのバックを復習しておこう。
《想像界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で、《13流》、真性の芸術。
《想像界》の作品。
液体美術。
《13流》というのは、お笑い喜劇漫画など領域である。
村上隆の顔である。
《想像界》の眼で、《13流》
《象徴界》の眼で、《13流》
《現実界》の眼で、《13流》
《想像界》の人格。
液体人間(=近代人)。
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村上隆の作品である。
《想像界》の眼で、《21流》、デザイン的エンターテイメント。
《象徴界》の眼で、《13流》、デザイン的エンターテイメント。
《現実界》の眼で、《13流》、真性の芸術。
《想像界》の作品。
液体美術。
《21流》というのは、エロの領域である。
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芸術の定義を素材論的に見れば、
素材的に時間的に耐久力のあるものが、
歴史的には芸術とされて来た。
川久保玲のデザインワークは、素材論や形式論的には、
芸術ではないし、
そしてまた【ユング的集合無意識】の視点で見ても芸術ではない。
しかし【フロイト・ラカン的位相からの芸術分析】で見ると、芸術であるし、
その芸術力の実力は、村上隆を遥かに超えるものをもっている。
■川久保玲と「H&M」とのコラボレーション
http://www.movement.cc/blog/archives/2008/04/03-192934.php
スウェーデンのネス・アンド・モーリッツ (Hennes & Mauritz) が展開する
低価格かつファッション性の高い、高級指向の顧客もターゲットとした服で、
世界的に人気を集めている。
「H&M」が発表したプレス・リリースによると
「川久保玲氏は
我々がコラボレーションをお願いしたいデザイナーのリストの中で
常にトップにありました。今回ようやく彼女から了承をもらうことが
出来て非常に嬉しく思うと共に期待感でいっぱいです」とのことです。
これに対して川久保玲は、次の様に答えている。「私は常にクリエーション(創造)とビジネスとのバランスを、興味深く考えてきましたが、それはジレンマでもありました。そして、これまでは常にクリエーション(創造)を最優先事項としてきました。今回の試みはそれを解決するいい機会であり魅力的な挑戦だと考えています」
川久保玲と村上隆を比べると、川久保も村上も、共にクリエーションとビジネスのバランスを問題にしたアーティストであり、共に世界的成功をしたと言える。
クリエーション(《超1流》/《41流》)とビジネス(《7流》)のバランスを考えるという思考は、日本の旧・現代美術の作家にも評論家にも無かった視点である。旧・現代美術に属する私は、洋画商史を調べるなど近代という時代構造の中でのギャラリーについては考える事をして来たが、ギャラリーを超えて、ビジネスとクリエーションのバランスと言った思考はしてこなかったのである。
私の川久保玲を本格的に知るきっかけは、大変に遅くて、1999年の東京都現代美術館でのファッション展『身体の夢 ― ファッション OR 見えないコルセット』まで、待たなければならなかった。
ここでの川久保玲の創造性と芸術性は傑出していたのである。