右京区
現在神社のある場所が野宮として使用されたのは平安時代初期の事で、嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初だとされています。斎王(斎宮)の制度は南北朝時代、後醍醐天皇の皇女祥子内親王を最後に途絶えてしまい、野宮の地には祠だけが残りましたが、明治時代、現在の神社の場所へと祠が移されて村社となり、野宮神社となりました。
野宮神社の鳥居は『黒木の鳥居』と呼ばれ、木の皮を剥がずにそのまま鳥居として使用されているという特徴的なものですが、これは鳥居の形式としては原始的で最古のものと言われています。神社の周囲を囲む黒文字(くろもじ=クスノキ科の落葉低木)の小柴垣も古来のもので、源氏物語の『賢木の巻』にも、野宮の黒木の鳥居と小柴垣の事が描かれています。
野宮神社の祭神は天照大皇神で、境内社には鎮火勝運の愛宕大神、芸能上達の白峰弁財天、交通安全・財運上昇の大山弁財天、子宝安産・商売繁盛の白福稲荷大明神、良縁結婚の野宮大黒天が祀られていますが、中でも縁結びに御利益があるとして野宮大黒天に参拝する女性を多く見かけます。大黒天社の脇にある「亀石」という通称で呼ばれる『神石』は、願い事をしながら撫でると一年以内に願い事が叶うと言われており、参拝者はそれぞれの社に参拝した後、この石を撫でて願い事をしていきます。 えんむすびの神様として有名であるからか、野宮神社の参拝者は圧倒的に女性が多いです。
洛西隋一の野宮じゅうたん苔や新緑の緑の美しさ、紅葉の頃の境内の木々の美しさも観る者を惹きつけてやみません。
アクセス | 住所:京都市右京区嵯峨野の宮町1 |
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