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六道珍皇寺  (ろくどうちんのうじ)

東山区

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冥府へ通う入口「死の六道」

六道珍皇寺は、平安時代前期の延暦年間(782から805)に、大和(奈良)の真言宗大安寺住持であった慶俊僧都(きょうしゅんぞうず)によって建立された珍皇寺が始まりです。この建立説には幾つかの説がありますが、詳しい説明は割愛します。このことから古くは宝皇寺とか愛宕(おたぎ)寺など称されていたといいます。その後、鎌倉期に東寺の空海(弘法大師)が興隆し寺領も拡大したが兵乱等により衰微。南北朝時代の貞治3年(1364)、臨済宗建仁寺の住持、聞渓良聡(もんけいりょうそう)により再興され現在に至っています。
六道珍皇寺に六道まいりの風習がうまれ、迎え鐘が撞かれるようになったのはその昔、鳥辺野(とりべの)呼ばれた葬送地 へ続く道に面していたこと、この世とあの世の分岐点「六道の辻」にあったこと、閻魔王宮の役人で第二の冥官だったと伝説をもつ寺が祀る小野篁 が冥府へ通う入口が寺に在ったためとされています。
 本堂の背後に小野篁(おのたかむら)が冥土への入り口にしたといわれる井戸(「冥途通いの井戸」と称している)があります。ちなみに、冥土から帰って来る井戸は 今は廃寺となっている大覚寺門前六道町辺りにあった福生寺の井戸と伝えられる。福生寺は西の葬送地にあたる化野(あだしの)に建っていました。都の人々は、珍皇寺の井戸を"死の六道"、福生寺の井戸を"生の六道"と称していました。現在、嵯峨釈迦堂(清涼寺)脇にある薬師 寺横に、篁が冥土から現世へ戻っていたと伝える"生の六道"の石注が建てられています。篁は珍皇寺の井戸から冥界へ行き、福生寺の井戸から現世へ帰ってくるといわれていました。

アクセス

住所:京都市東山区松原通東大路通西入ル小松町595
電話:(075) 561 - 4129
拝観:境内自由
交通:市バス206・207「清水道」下車、松原通を西へ徒歩約5分

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