防災最前線
「防災最前線」では、様々な防災マニュアルをご紹介していきます。
津波の研究者が、古文書に残る500年前の津波の被害を、実際に現地で確かめる調査を進めています。
静岡で考えられる1000年に一度の津波とはどんなものだったのか。古い記録や言い伝えから割り出すのは、容易ではありません。
静岡県内の沿岸部に残る古い津波の痕跡を調べている
東京大学地震研究所の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)准教授です。
都司准教授は、3月の東日本大震災で津波に襲われた東北の沿岸部を調査し
岩手県宮古市で最大37.9メートルの津波が起きていたことなどを確認しました。
今回、都司准教授は、およそ500年前に沼津市が受けた津波の被害を調べていました。
注目しているのは1498年、室町時代の「明応地震」。
東海・東南海が連動したとみられる巨大地震で、紀伊半島から関東まで、被害が出たといいます。
沼津市西浦江梨の歴史を伝える古文書に、「大切な書物を、明応7年の津波で失った」と記述されています。
その場所に今も残る寺院。境内を測量すると、海抜は10メートル以上。
都司准教授は、西浦江梨を襲った明応の津波は、最高で11.6メートルだったと結論付けました
東海地震で想定される津波、3.2メートルの3倍以上です。
「これは明らかに小さすぎます。駿河湾の中だけが震源の東海地震なら、こうなるかもしれないが、
1000年に一度は非常に大きな津波が来ることを知っておく必要がある」(都司准教授)
都司准教授は、この明応地震が、静岡にとって1000年に一度の巨大津波だったとみています。
沼津市戸田では、「平目ケ平(ひらめがだいら・ひらめだいら)という場所の測量に向かいました。
「津波でヒラメが打ち上げられたことから付けられた地名という言い伝えがある」(都司准教授)
古い地名のため、現代の地図には記載がありません。
町の歴史に詳しいお年寄りもどんどん少なくなっています。
住民の協力でようやく見つかった場所は、海岸から2キロ離れた山間。標高は36.4メートルありました。
「少しの疑いを抱きながらも、おそらく正しい伝承であろうと考える」(都司准教授)
古い災害の記録は、古文書として残っていても、住民に十分知られていないものがまだ多い。
昔話や言い伝えとしてしか残っていなければ、時が過ぎるほど災害の記憶などが失われます。
東日本大震災が突きつけた「1000年に一度程しか起こらないが、起きたら大被害」という大津波。
静岡で「1000年に一度の地震・津波」が起きても、命を落とさず、避難する対策をたてるため、
過去最大の津波被害の再調査を急ぐ必要があります。
そのため、都司准教授は古文書の解読と同時に、地域の伝承など「災害の痕跡、記憶の記録化」を進めています。
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