カテゴリ:お産について
出産準備   1 お風呂
ふたりめの子どもというのはどうしても 放置気味 になりやすいみたいだ。
それは出産も同じ。

前と同じでしょ  ・・・・と安易に考えてしまいがち。
気づけば、もう来月じゃん。

と言うわけでやっと準備を始めた。

まずは家の掃除。

散らかしギャングと化したポコのせいもあって
我が家は荒れ放題。
ちょっとづつ片付けていく。

やっぱり落ち着いていられる場所を作るのが基本。
掃除は苦手だけど、ここから始まる。

台所や居間と並んで大切なのはお風呂
美和は「お風呂がなければお産は無理」と、いう。

あたたかくて、重力から開放されて、はだかで包まれるお風呂
ふだんでもリラックスに最適な場所。

お風呂に入ることで、陣痛は和らぎ、痛みの質も変わる。
いったんお風呂に入ってしまうと、もう出られないらしい。

さて、お風呂の天井、床、壁、浴槽、扉・・・・ゴシゴシ洗う。
お風呂は目立たないところにカビがいっぱい。

それからしまってあった炭を出してきて、洗う。
タワシでゴシゴシ。

炭は水をきれいにするために浴槽の中に入れるのだ。
炭には小さな孔があってこれがごみを吸着する。
活性炭フィルターも同じ原理だから、ろ過したのと同じような効果がある。

炭は硬い備長炭がいい。
ぶつけ合わせるとキーンと金属のような響きがある。

これはポコが生まれたときに使ったものをとっておいたものだ。

洗った炭を天日干しにする。
日光を浴びることでこれまで吸着されたごみが分解されてフレッシュになる。

天然塩を3kg買う。
塩を入れるのは、なるべく胎内環境とお風呂の中の状態を近づけるため。
それだけでなく塩はからだにいい。
力を与え、あたためてくれるみたいだ。
やっぱり、いのちは海からやってきたということでしょうか。

塩と炭以外にも、アスコルビン酸(ビタミンC)やエッセンシャルオイルも入れるけど、
これは今あるもので間に合いそう。

掃除、炭、塩でお風呂の準備は完了。

早速塩を放り込んで、ゆっくり3人で入浴しました。

あ、また塩、買いに行かなきゃ。
風呂あがりに吼えるポコ。

by genagain | 2010-02-09 21:10 | お産について | Trackback | Comments(0)
お産について 1
はじめての子を 自宅で、ふたりだけで産んだ(208年4月26日)。

元気な女の子が生まれた。

わたしたちは、その子をポコちゃんと呼び、はだかで育てた。

なぜそんなことを?
それはオイオイ説明していこう。 話せば長くなる。

自分たちで子どもを生もうとすることを「自力出産」と名づけた。
自力出産というホームページを作ったのでそちらも見てほしい。


そのホームページを見て
「わたしたちも自力出産をしてみたい」
という問い合わせがけっこうあった。
もっと情報提供・交換をして、つながりもつくっていきたい、と思った。

さてポコはもうすぐ2歳になろうとしている。
そしてその誕生日の前にふたりめが生まれようとしている。

わたしたちは、もちろんふたりめも自力出産しようと思っている。
そして今回はなるべくその様子を報告していきたい。
記録をつけ、それを人にも役立つように公開していくのは難しい。
ホームページも作ってから更新していない。

だからこの際ブログを作ってみた。

この写真は さくまさくらゆうこ 撮影。 ありがとう。
by genagain | 2010-02-09 18:43 | お産について | Trackback | Comments(0)
が咲いている。
こんなに早く咲いたっけ?

散歩に出たら梅林の剪定をしていて
花やつぼみがついた枝をたくさん切り落としていたので
もらって帰った。

うちの中に、の香りがふわりと広がる。

つぼみが開いてゆく。

香りはやはり、
なんとも言いがたい匂いだ。

・・・と言うわけで、今日はを準備する。

は、我が家のお産にとって欠かすことのできないものだ。

それは飲み物としてだ。
お産で使ったの飲み物は二種類。

ひとつは「梅醤番茶」。
梅干と、おろしたショウガ、醤油を番茶に混ぜて飲む。

もうひとつは「梅ジュース」。
を氷砂糖につけて作ったシロップを水やお湯で割って飲む。

は日本人にとって身近な木で
その実からいろいろなものが作られる。
わたしたちもいろいろ作っているうちに、に秘められた力に気づいたのだ。

飲むとすっきり気分が変わり、力が湧いてくる。

市販品だとそんなに効き目はないのかもしれない。
自分や家族や友人が作ったものには、力がある。

不思議だが、当然かもしれない。

これはなぜ人は料理するのか?ということに関係がある、とわたしは思う。
このことについては項を改めて後ほど書こう。

ともかく、初めてのお産で美和はの飲み物たちにずいぶんと救われたようだ。

甘いものとしょっぱいものがあるのもよい。

お産は時間がかかるのが当たり前なので
その間に気軽に口にできるものや飲み物を用意しておくとよい、と思う。

それはエネルギーや水分の補給のためでもあるし、
気分を変えたり、休息するためでもある。

病院での出産では、食べ物や飲み物を自由に摂ることを禁じられるらしい。
ものを食べてしまうと、出産がうまくいかずに手術をするこになった場合に麻酔が効かなくなるからだそうだ。
飲まず食わずで苦痛に耐え、重労働をするのだから時間がたてば当然消耗していく。

陣痛開始から12時間や24時間経過しても娩出に至らないと危険だとしている。

万が一に備えての措置そのものが消耗を引き起こしているのだ。
ここにも医療の矛盾をわたしは感じる。

我が家の初めてのお産は、35時間ほどかかったが、美和も生まれた子も元気だった。

さて、梅シロップは毎年漬けているので2瓶も残っている。
梅干も母が漬けてくれたものが十分にある。

準備というか、ストックのチェックで今日は終わり。


にはなぜ特別なエネルギーがあるのだろう。

それはがもっている毒と関係があるように思う。

には、主に種の仁にだが、「アミグダリン」という青酸配糖体が含まれている。
青酸配糖体というのは青酸と糖が結合して無毒化したもので、
の実が攻撃されると(誰かが食べると)、細胞が傷つけられ
配糖体とは別の場所に貯蔵されていた配糖体分解酵素が流れ出し、配糖体と反応して青酸を発生する。

この青酸のために、「生のを食べてはいけない」と言われてきたのだが、
聡明な先祖たちは、そこに生命力が隠されていることを知り、
いかに無毒化して生命力を取り込むかという研究を重ねてきた。
その結果が梅干や梅シロップや梅酒なのだ。

命を奪うほど毒には、大きな生命力が含まれている。

by genagain | 2010-02-08 13:04 | お産について | Trackback | Comments(0)
リラックス


この写真ははじめての出産のとき
陣痛が始まってから撮った写真だ。

この夜、一晩中陣痛が続き、明け方にポコが生まれた。

なんて穏やかな顔をしているんだろう。

家で産むことの意味が、この写真に現れている。

安全で楽しいお産にもっとも必要なもの。
それはリラックスすることだと思う。

お産とは体が開くことだ。
体が開いて、赤ちゃんが出てくる。
体が開くためには、リラックスすることが大切だ。

病院でリラックスできる人はなかなかいない。
それが分娩台という股を開いたままの不快な体勢に固定されて
寒い慣れない部屋で一人ぼっちか、知らない人に囲まれて
ご飯も飲み物もなく、いつまで続くかわからない状態なら、なおさらだ。

だから病院にいくというだけで出産に対するリスクは増えるのだと思う。

いま、子どもを産もうとする女性たちは
いわれなき、必要のない、苦しみを強いられている。

会陰切開も、分娩台も、内診も、なくて済むならその方がいい。
自分たちでやってしまえば、そんなことは必要なかった。

出産の本来の姿を、
女性たちが、そしてそれを取り巻く男性たちも
楽しめるようになることを、願う。
by genagain | 2008-04-25 23:05 | お産について | Trackback | Comments(0)
私たちのお産の基本方針
わたしたちが美和の妊娠を知って、その子を産もうと決めたとき
わたしたちは、どう産み、どう育てるかを決める必要があった。

ふと周囲を見回すと

・・・世界は、行き詰っていた。

大国は「テロ撲滅」のために世界中で爆撃や殺戮を繰り返していたし、
大きな地震やハリケーンなどの災害が多発して、
世界規模の経済危機や不況、失業が続いていた。
「京都議定書」は無視され、環境問題は世界を破滅させるだろうと毎日のように報道されていた。
日本の自殺者は年間3万人を超えていた。
得体の知れない病気が多発した。
毎日何万種もの生物が絶滅しているらしかった。

新しい世紀、夢の21世紀が始まったばかりなのに終末思想がはやっていた。
アセンションがやってくる。人類は滅びる。2013年!

わたしたちに子どもができることを伝えたとき、ある友人が言った。
「こんな世の中で、ほんとに子どもを産むのか?」

まったく馬鹿げた世界だった。

自分たちに子どもができる、という事実が、そのことをわたしたちに突きつけた。

わたしたちは無責任な人間たちから一線を引くことにした。

わたしたちは基本方針を持った。

それは

自然に従う。
余計なことをしない、余計なものを与えない。
大人の都合をおしつけない。

ということだった。

科学という神話・信仰は崩壊していた。
人間は何が正しいかを知らず、方向を失っていた。

その根底には、無責任があると思った。
自分たちで真実を探さずに、専門家や権威にまかせっきりでやってきたからこんなことになったのだ。

自分の子どもに、
だって偉い人がそう言ったんだもの、とか
テレビでそういってたんだもの、とか
そんな言い訳はしたくなかった。

わたしたちは
人間が作り出した何をも信じず、自分たちと生まれてくる子どもで、すべてを決めていこうと決心した。

そのよりどころとなるのは、わたしたちの体とそこから生まれる感覚だけだった。

by genagain | 2008-02-09 21:47 | お産について | Trackback | Comments(0)
妊娠 ~ 命名
美和が妊娠したとき、
わたしたちは結婚していなかったし、
結婚を話し合ったこともなかった。

子どもがほしいと思ってなかったし、
お互いもっとやりたいことをやっていたいと思っていた。

子どもを持つことは、自由を奪われることだった。

それでも、妊娠がわかったとき、わたしはそれを受け入れた。
なぜだかわからないが、「そうか、がんばって育てよう。」と思った。

どうしようか、とか、堕胎しようか、という考えは浮かばなかった。
今思えば、不思議なことだ。
なぜ避妊しないでセックスをしていたのかも、不思議だ。

すべてはわたしたちの意志を超えて動いていたような気がする。
そして、その子がやってきた。

妊娠5ヶ月くらいのころ、美和が言った。
「あっ、おなかを蹴った。」

わたしは膨らみ始めたおなかに顔を寄せた。
ポコっと中から蹴るのが分かった。

わたしたちは、おなかの中に話しかけるようになった。
話しかけるには、名前が必要だった。
とりあえずわたしたちはその子を「ポコちゃん」と呼んだ。
ポコポコ蹴るから。

by genagain | 2008-01-01 18:11 | お産について | Trackback | Comments(0)