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ミス東大コンテスト2011 EntryNo.4 細川瑠璃

2011.09.07

青磁

明け方の薄曇りの空を眺めている。白みがかった淡い空色に、ふと青磁の色合いを重ねる。

青磁は殷周時代に由来し、南北朝、唐、宋を経て発展した磁器である。基本的には淡い青緑色だが、その色合いは時代と地方によって随分異なる。

 

思い出すのはひとつの花器である。私はこれを以前出光美術館で見た。

青磁の色はとけたばかりの氷のように澄んで、凛と響き渡る冷たさを湛えていた。これは元来人間が持っている色ではないと思った。

 

青磁は別名秘色という。

晩唐の詩人陸亀蒙が、秘色越器詩と題して「九秋風露越窯開、奪得千峰翠色来」と詠ったことに由来するらしい。

 

秘色は、古来中国において貴金属よりも尊ばれた玉(ぎょく)の色を再現するために生み出されたものであるという。

そうであってみれば、これこそが青磁の色と決まった色が存在しないのも無理のないことかもしれない。

それぞれに異なる青磁の色は、それぞれに理想の色の幻を映してゆらめく。古来中国人が追い求めた玉の色。真の秘色は、きっとどこにも存在しない。

 

 

空の青みが増してきた。青磁の色は彼方に消え、また暑く明るい朝がはじまる。

 

 

青磁鳳凰耳花生

2011.09.02

タルコフスキー『アンドレイ・ルブリョフ』

タルコフスキー監督、『アンドレイ・ルブリョフ』。

この映画を観たあと数日の間、私はこの作品について何も書く気が起きなかった。この作品だけでなく、およそ芸術と呼ばれるあらゆる事物についても。

ありふれた表現でいえば、この映画は私の芸術に対する姿勢を揺さぶったのだった。

 

 

アンドレイ・ルブリョフは15世紀ロシアに実在したイコン画家である。

彼に関する史料は殆ど残っていない。だからこの映画で語られる様々なエピソードは、タルコフスキーの想像によるものである。

「旅芸人 1400年」、「フェオファン 1405年」、「アンドレイの苦悩 1406年」、「祭 1408年」、「最後の審判 1408年夏」、「襲来 1408年」、「沈黙 1412年」、「鐘 1423年」。

これら八章のエピソードによって、修道士アンドレイ・ルブリョフが美術史上に燦々と輝く傑作『三位一体』を完成させるまでの苦悩が描かれる。

タタールの襲撃、貴族同士の内乱、大公の残虐な仕打ち、異教徒の乱舞、混沌のロシア。

ルブリョフはタタールから白痴の少女を救おうとして一人の男を殺し、その罪の深さから絵筆を捨て、以後長く厳しい沈黙の修行に入る。

1423年、ある少年がロシア大公の命を受けて大きな鐘を作ることになる。少年は苦労の末に立派な鐘を作るが、完成直後に泥の中に倒れ込んで激しく泣く。始めから完成まで少年をじっと見守り続けていたルブリョフは、この時十年以上にわたる沈黙を初めて破り、お前は立派にやり遂げたではないか、と少年に話しかける。少年の姿に神の愛を見出した彼は再び絵筆をとることを決心する。アンドレイ・ルブリョフが偉大な画家への一歩を踏み出した瞬間である。

ラストシーン。それまでの悲愴な白黒の画面が一変し、黄金の煌めく色彩とともに、アンドレイ・ルブリョフが描いたイコンが映し出される。

 

 

このラストシーンは、これまでに観たいかなるものも比肩しえないような重さと輝きを湛えていた。

この映画を観終わったとき、私はそれまでの芸術に対する自分の考えが余りに軽薄であったことを知った。

私が芸術と呼んでいたものはおよそ表現されたもの、美学が感じられるもの、「それっぽいもの」のすべてであった。

芸術が、あるいは創造が、苦悩と沈黙とそれらを乗り越えようとする意志の上に築かれるものであること、その重さと深さを私は知らなかった。

重ければ良いというものではない。深ければ価値があるというものではない。けれどこの重さと深さは、暗く悲痛な沈黙の後に、なんと偉大な色彩となってあらわれることか。この色彩を目にしてしまった後には、表現という言葉を笠に着て思いつきをばらまく無数の「自己」たち、世に氾濫する芸術とされるものたちがどうしようもなく薄っぺらいものに思えてしまう。

 

 

完成、ということについて考える。

我々の周りは未完成なものであふれている。未完成でいいという風潮、何につけ未完成な状態が当たり前という風潮。無論、社会の中で適度に生きていくためには未完成という境界の曖昧な状態は必要である。

しかし仮にも芸術を名乗るのであれば、それはただの甘えでしかない。

完成の究極の高みへの意志、その覚悟、長い沈黙と忍耐の期間、それらを持たずしてどうして一人の人間に創造が可能になるだろう。

 

ポール・ヴァレリーのある印象的な一節を引用したい。

「待つことができない、と言った……さようなら、終わりが見えないほど時間をかける仕事、三百年の歳月をかけた伽藍よ!…さようなら、明るい色の薄い層が塗られると、次の色がその上に重ねられるまでには、天才の発露とは無関係に、何週間も待つという、隠し隔てのない仕事の積み重ねによってついに完成する絵画よ!さようなら、推敲を重ねた言葉、文学的省察、貴重な物象や精密機械にもなぞらえられる作品を生み出した数々の探究よ!……今や、我々は刹那に生きて、衝撃や対照効果にのみ気を引かれ、偶発的興奮あるいはそれに類するものが照射するものだけを捕らえるように強いられている。我々はスケッチ、粗削り、草稿で満足し、評価する。完成するという概念そのものがほとんど消えてしまったのである。」

(ポール・ヴァレリー『知性について』恒川邦夫訳)

 

我々はスケッチ、粗削り、草稿で満足し、評価する。完成するという概念そのものがほとんど消えてしまったのである。…

 

アンドレイ・ルブリョフは、完成するという概念を我々に思い出させる。その孤高の、ほとんど信仰とさえよべるような概念を。

 

アンドレイ・ルブリョフ作、『三位一体』

2011.08.26

ツルゲーネフ『ルージン』

思い入れの強い小説はいくつかある。

文章や構成がこの上もなく美しい小説、思考や人生の糧になるような小説、登場人物の誰かに妙に共鳴してしまう小説。三番目の種類の小説が最も扱いづらく、また得てして最も離れがたい魅力を持つ。

 

イワン・ツルゲーネフの『ルージン』は、まさにそんな小説である。

 

舞台は19世紀のロシア。主人公ルージンがとある貴族の屋敷に現れる。屋敷では客人たちが毎晩様々な議論に没頭しているが、誰もルージンの知性と雄弁には敵わず、ルージンは音楽のように流れ出る言葉と理想主義的な思想によって聴く人を魅了していく。屋敷の娘、ナターリヤもそんな一人であった。彼女はルージンに恋し、駆け落ちしてでも彼と共に行くことを願うが、ルージンは煮え切らぬ態度のまま彼女を捨てて一人立ち去る。人はルージンを、理想を語りつつ現実においては全く実行力を持たない人間として批判する。

数年後、学生時代の友人と再会したルージンは、あらゆる職業や事業に手を付けながらも何一つ成功せず一所に留まることのできなかった自分の半生を語る。

1848年、革命のパリで一人の中年の男が「ポーランド人」として死ぬ。それがルージンの最期であった。

 

ルージンのように理想と情熱を持て余し、しかし実際には無能力な19世紀の知識階級を、ロシアでは「余計者」と呼んだ。

 

ルージンの流浪の末の栄えなき死を成れの果てと名指し、彼の人生を敗北と形容することは容易である。そのほうがよほど健全かもしれない。

だが、おそらくツルゲーネフはルージンをそのようには描いていない。私もそうは思わない。

 

 

エピローグで印象的な一節がある。

ルージンが旧友の差し出す安息を振り払い、放浪に去っていく場面である。

 

「こんな晩に、屋根の下にいる人は仕合わせだ、暖かい片隅を持つ人は。

主よ、ねがわくは、すべての寄る辺なき漂泊(さすらい)びとを助けたまえ。」

(池田健太郎訳)

 

だがツルゲーネフは、まだ若く賞賛の眼差しを浴びていた頃のルージンにこんな台詞を言わせてもいる。

 

「私はスカンジナビヤのある伝説を憶えています。… 一人の王様が家来の武士たちと一緒に、薄暗い細長い小舎のなかで火を囲んでいました。それは冬の夜のことでした。ふと一羽の小鳥が扉口から飛び込んで、別の扉口から出て行ったのです。王様はそれを見て、あの小鳥こそはこの世に住む人の身そのままである。闇の中から飛んできて闇の中へ消えていく、暖かい明るい所にいるのも束の間にすぎないのだ、と仰いました。『王様、』と一番年嵩の武士が言葉を返しました。『小鳥は闇の中で消えてしまうものではなく、やがては我が巣を探し出すのでございます。』

まさしくその通り、我々の生活は電光朝露にひとしいものではありますが、しかし一切の偉大なるものは人間を通して成就されるのですからね。そうした最高の力の道具になるのだという意識は、その他のありとあらゆる悦びにかわって人間を慰めてくれます。死そのものにさえ、人は己れの生命を、己れの巣を見出すでしょう・・・」

(米川正夫訳)

 

 

ルージンは一つの場所に、物事に、落ち着くことの出来ない人間であった。彼には熟成への忍耐も持続的な習性も欠けていた。彼は留まることも可能だった安息所を振り捨て、ひとり彷徨い、英雄的なものの皆無な市街戦のうちに死んだ。

彼は業績としては何も残さなかった。しかしそれゆえに彼が真面目でなかったと言うことは出来ない。

不正と凡俗と妥協とに陥らぬことにおいて彼は真面目であり、少なくとも人生そのものに対しては真摯であった。

ルージンは一つ一つにおいては確かに何も残さなかったかもしれないが、しかしその生の漂泊の軌跡は無意味な空虚ではなかった。

 

彼もまたひとつのやり方で、人生の厳粛さを示してみせたのだ。

 

 

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