ポコは1歳半くらいから、言葉を発するようになった。
今は毎日新しい言葉を覚える。 単語を口にするだけで、まだ文章は話さない。 しかし、こちらの言っていることはほとんどわかっているようで、 バナナをバクバク食べていても、一切れを手渡して 「これはママにもっていきな。」というと きちんとそのとおりにする。 しっかりと自分の欲望を抑制する。 口にする単語でよく出てくるのは「いたい」と「こわい」。 わたしの顔見て「こわい」と言う。 一番「こわい」の対象になるのは、わたしだ。 でもわたしが怒っているときではない、ふざけているときだ。 笑いながら言っているので冗談のつもりなのかもしれない。 「こわい」の本当の意味を間違っているのかもしれない。 「いたい」は抱っこしててちょっと擦ってしまったり、車に乗っていて揺れたひょうしに頭を打ったり、転んだり、よく使うのだろう。 最初はなんかネガティブな言葉が多いなと思ったけど、 考えてみれば人間が発する言葉の、最重要な目的は助けを求めることだろう。 命に直結することとして。 「楽しい」「うれしい」なんて言えても、それが命を救いはしない。 「いたい」と訴えることは大切だ。 大人の勝手な感情で「もっとかわいいこと言ってよ~。」 などと言ってはいけないのだろう。
ふたりめの子どもというのはどうしても 放置気味 になりやすいみたいだ。
それは出産も同じ。 前と同じでしょ ・・・・と安易に考えてしまいがち。 気づけば、もう来月じゃん。 と言うわけでやっと準備を始めた。 まずは家の掃除。 散らかしギャングと化したポコのせいもあって 我が家は荒れ放題。 ちょっとづつ片付けていく。 やっぱり落ち着いていられる場所を作るのが基本。 掃除は苦手だけど、ここから始まる。 台所や居間と並んで大切なのはお風呂。 美和は「お風呂がなければお産は無理」と、いう。 あたたかくて、重力から開放されて、はだかで包まれるお風呂は ふだんでもリラックスに最適な場所。 お風呂に入ることで、陣痛は和らぎ、痛みの質も変わる。 いったんお風呂に入ってしまうと、もう出られないらしい。 さて、お風呂の天井、床、壁、浴槽、扉・・・・ゴシゴシ洗う。 お風呂は目立たないところにカビがいっぱい。 それからしまってあった炭を出してきて、洗う。 タワシでゴシゴシ。 炭は水をきれいにするために浴槽の中に入れるのだ。 炭には小さな孔があってこれがごみを吸着する。 活性炭フィルターも同じ原理だから、ろ過したのと同じような効果がある。 炭は硬い備長炭がいい。 ぶつけ合わせるとキーンと金属のような響きがある。 これはポコが生まれたときに使ったものをとっておいたものだ。 洗った炭を天日干しにする。 日光を浴びることでこれまで吸着されたごみが分解されてフレッシュになる。 天然塩を3kg買う。 塩を入れるのは、なるべく胎内環境とお風呂の中の状態を近づけるため。 それだけでなく塩はからだにいい。 力を与え、あたためてくれるみたいだ。 やっぱり、いのちは海からやってきたということでしょうか。 塩と炭以外にも、アスコルビン酸(ビタミンC)やエッセンシャルオイルも入れるけど、 これは今あるもので間に合いそう。 掃除、炭、塩でお風呂の準備は完了。 早速塩を放り込んで、ゆっくり3人で入浴しました。 あ、また塩、買いに行かなきゃ。 風呂あがりに吼えるポコ。
はじめての子を 自宅で、ふたりだけで産んだ(208年4月26日)。
元気な女の子が生まれた。 わたしたちは、その子をポコちゃんと呼び、はだかで育てた。 なぜそんなことを? それはオイオイ説明していこう。 話せば長くなる。 自分たちで子どもを生もうとすることを「自力出産」と名づけた。 自力出産というホームページを作ったのでそちらも見てほしい。 そのホームページを見て 「わたしたちも自力出産をしてみたい」 という問い合わせがけっこうあった。 もっと情報提供・交換をして、つながりもつくっていきたい、と思った。 さてポコはもうすぐ2歳になろうとしている。 そしてその誕生日の前にふたりめが生まれようとしている。 わたしたちは、もちろんふたりめも自力出産しようと思っている。 そして今回はなるべくその様子を報告していきたい。 記録をつけ、それを人にも役立つように公開していくのは難しい。 ホームページも作ってから更新していない。 だからこの際ブログを作ってみた。 この写真は さくまさくらゆうこ 撮影。 ありがとう。
梅が咲いている。
こんなに早く咲いたっけ? 散歩に出たら梅林の剪定をしていて 花やつぼみがついた枝をたくさん切り落としていたので もらって帰った。 うちの中に、梅の香りがふわりと広がる。 つぼみが開いてゆく。 香りはやはり、梅。 なんとも言いがたい匂いだ。 ・・・と言うわけで、今日は梅を準備する。 梅は、我が家のお産にとって欠かすことのできないものだ。 それは飲み物としてだ。 お産で使った梅の飲み物は二種類。 ひとつは「梅醤番茶」。 梅干と、おろしたショウガ、醤油を番茶に混ぜて飲む。 もうひとつは「梅ジュース」。 梅を氷砂糖につけて作ったシロップを水やお湯で割って飲む。 梅は日本人にとって身近な木で その実からいろいろなものが作られる。 わたしたちもいろいろ作っているうちに、梅に秘められた力に気づいたのだ。 飲むとすっきり気分が変わり、力が湧いてくる。 市販品だとそんなに効き目はないのかもしれない。 自分や家族や友人が作ったものには、力がある。 不思議だが、当然かもしれない。 これはなぜ人は料理するのか?ということに関係がある、とわたしは思う。 このことについては項を改めて後ほど書こう。 ともかく、初めてのお産で美和は梅の飲み物たちにずいぶんと救われたようだ。 甘いものとしょっぱいものがあるのもよい。 お産は時間がかかるのが当たり前なので その間に気軽に口にできるものや飲み物を用意しておくとよい、と思う。 それはエネルギーや水分の補給のためでもあるし、 気分を変えたり、休息するためでもある。 病院での出産では、食べ物や飲み物を自由に摂ることを禁じられるらしい。 ものを食べてしまうと、出産がうまくいかずに手術をするこになった場合に麻酔が効かなくなるからだそうだ。 飲まず食わずで苦痛に耐え、重労働をするのだから時間がたてば当然消耗していく。 陣痛開始から12時間や24時間経過しても娩出に至らないと危険だとしている。 万が一に備えての措置そのものが消耗を引き起こしているのだ。 ここにも医療の矛盾をわたしは感じる。 我が家の初めてのお産は、35時間ほどかかったが、美和も生まれた子も元気だった。 さて、梅シロップは毎年漬けているので2瓶も残っている。 梅干も母が漬けてくれたものが十分にある。 準備というか、ストックのチェックで今日は終わり。 梅にはなぜ特別なエネルギーがあるのだろう。 それは梅がもっている毒と関係があるように思う。 梅には、主に種の仁にだが、「アミグダリン」という青酸配糖体が含まれている。 青酸配糖体というのは青酸と糖が結合して無毒化したもので、 梅の実が攻撃されると(誰かが食べると)、細胞が傷つけられ 配糖体とは別の場所に貯蔵されていた配糖体分解酵素が流れ出し、配糖体と反応して青酸を発生する。 この青酸のために、「生の梅を食べてはいけない」と言われてきたのだが、 聡明な先祖たちは、そこに生命力が隠されていることを知り、 いかに無毒化して生命力を取り込むかという研究を重ねてきた。 その結果が梅干や梅シロップや梅酒なのだ。 命を奪うほど毒には、大きな生命力が含まれている。
「子どもはほしいけど、まだやりたいことがある。」
とか、 「もう少ししてから、子どもを作ろうと思ってる。」 と言う人がいる。 計画して子どもを作るというのは、当たり前になっている。 子どもを作る、という言葉。 それは不遜ではないか? ひとつの命の誕生を、わたしたちは決定できるのだろうか? まるで何かしらモノでも作るように、 ひとりの人間を作ることができるものか? 無計画に生きてきたわたしたちのところに、突然ひとりの子がやってきた。 それはわたしたちの選択ではなかった。 そして、その子は、毎日わたしたちの期待や予想を裏切りながら育っていく。 決してわたしたちの思い通りにはならない、当たり前の命。 毎日が驚きだ。 人間は、生まれながらには、人間を超越している。 それが、ポコとともに生きたわたしたちの実感だ。 人、そしてあらゆる命は本来、他人のコントロールを拒絶して生きていくものかもしれない。 自然の中では、食べられる命もあれば、食べる命もあるのだから。 なのに、わたしの子どもなんだから、わたしが作る(作った)、と平気で言ってしまう。 でも、子どもは「わたしは彼らに作られた。」とは思わないだろう。 そこに、たくさんの問題の芽が潜んでいるような気がしてならない。
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