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[29468] 蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/26 23:38
以前より、こちらの投稿掲示板にて『銀英伝短編集(小ネタあれこれ)』と題しまして短編小ネタなどを投稿させて頂きました、投稿名:きららです。

こうした短編小ネタなどをボツリポツリと投稿させて頂いている間には、長編とまでは行かなくても
せめて中編ぐらいには続くものを投稿してみたい、とは想って来ました。
そうした折、先の短編集の中から、もしかしたら少しばかり長いものとして続けられるかも知れないと想えるものが出て来ました。
その短編を元に、あらためて書き直してみたのが本作です。
そのため、最初の部分には元の短編からの引用が混じりますが、あくまでも本人作からの引用です。

題名の『蝶は羽ばたいた』とは、いわゆる「バタフライエフェクト」効果から取りました。
(かねてから温かい御感想を頂いておりました、投稿名:バタフライエフェクト様からは了解を頂いています)
いわゆる<転生・原作知識あり>のジャンルに属しますが、オリジナルキャラクターには原作知識を除いて反則能力や補正は無い積もりです。
逆に原作知識と言う限定された反則のみを特長とする転生者が、それでも生き残ろうとした行動が「蝶の羽ばたき」と成り、
結果として何処で、どのような竜巻を起こすのか、と言ったシミュレーション的な執筆動機も在りました。

とは言え、本編だけでも全10巻+外伝その他と言う長い『原作』全てを書きあらためる程の実力を持ち合わせているとも限らず、
おそらくは『原作』から補完可能な箇所をワープする可能性が少なくありません。

そんな何処までも勝手なSSですが、続く限りは続かせたいとだけは想っております。
出来ましたら、温かく見守って頂ければ幸いです。



[29468] 第1章『この出会いは王朝の「正史」に残る』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/06 22:02
その時、後のラインハルト・フォン・ローエングラム(当時は旧姓ミューゼル)は孤独だった。

軍務に限らず私生活までも共にしてきた赤毛の友人は、両親の元で精霊降臨祭を過ごすべく、実家に1泊していた。
そう成ると、意外と趣味人でも無い「天才少年」は時間の使い方に困惑する。1人、対戦相手もいないチェスを指したりしていた。

その退屈を破る着信音に呼び出されると、画面の向こう側に姉の友人の1人が現れた。
挨拶。前フリ的な雑談。それから本題らしきものが始まった。
「グリンメルスハウゼン子爵に招待されているそうね」
この場合、いくら天才でも肯定以外には返答しようも無い。
「でもね」何故か戦場でも感じた事の無い危険信号を感じた気分がする。
こうした公式の席ではレディをエスコートするのが公式だ、と言われて年令相応の感情が態度と表情に出て仕舞った。
「あらあら。私を連れて行って、と言ってる訳では無いのよ。でもね、ジークに面白い事を言われたそうね。恋をするのも暇つぶしの方法とか」
いよいよ困惑する「天才少年」に追撃が仕掛けられる。
「心配しなくても、ケーキを相手に恋愛をする積もりはないそうね。アンネローゼのケーキは大好物なのに」
何が言いたい?
「確かに可愛い娘だけれど、中身は賢い娘よ。男なら貴方の参謀ぐらい務まるわ。少将よりも、もっと出世してからもね」
初めて微(かす)かながら好奇心を刺激された。

……リンベルク・シュトラーゼは帝都オーデインの中心市街を循環する環状道路だった。

皇宮と其れを取り巻く貴族の邸宅群を其の外側から守る様に囲っている。
これは例えでは無く、この大通りは環状の内側を守る武装憲兵の出動路として整備されており、
その兵舎は環状道路に沿って多角形に配置され、正門を大通りに直通させていた。

しかし、環状道路の直ぐ外側には普通の人々の普通の生活が存在し、
大通りからホンの1区画だけ外側では、元大佐の未亡人が若手士官を下宿させたりしている。
その下宿の前に、むしろ内側を走っていそうな地上車が迎えに来ていた。
通常、男爵夫人とかを乗せていそうな運転手と屋根の付いた車とは対極に位置しているが、
しかしマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言った明朗活発な淑女ならば、むしろ、こうした車を自ら操縦している方が似合うかも知れない。
通常、こうした車は実質的に2人乗りだが、この車は何故か一応ながら後部座席を有していた。
その後部座席に若い2人を乗せて、男爵夫人は子爵邸まで地上車を走らせた。

……ラインハルトが、こうしたパーティーの類をこれほど楽しんだのは、もしかしたら今回が初めてだったかも知れない。

ジークフリード・キルヒアイス以外で初めて完璧に会話が通じた、その意味では最愛の姉ですら子供のまま甘えるだけだったラインハルトにとっては、
ヒルデガルト・フォン・マーリンドルフは2人目の話し相手だった。そんな話し相手が隣に居れば、退屈する理由も無い。
無論、友とだけ共有している秘密を今日出会ったばかりの名門貴族の令嬢に気付かれる程ウカツな積もりも無いが、
これまでの、ただ出席しているだけで誰も会話する相手すら居なかったパーティーがウソの様にラインハルトは楽しんでいた。
楽しんだ結果としてラインハルトは、実際に飲んだ酒量以上に心地よく酔った。

伯爵邸から迎えに来た車にヒルダを引き渡した後は、1人テクテクと夜道を歩いて帰宅したが、主観的には丁度いい酔いざましだった。
実の処「いけすかない相手」の1人の筈であるリューネブルク少将も招待されていた事も忘れ、
まして夫人の介抱のために退場した事などには気付かない程だった。
今1人、去年の憲兵本部に出向させられていた時期に記録と名前だけは注目していた、とある人物が会場を警備していた事にも気付いていない。
その人物と直接に面識を持つのは、グリンメルスハウゼン大将の使者としてイゼルローンまで訪問して来た時だった。

結局、この日のラインハルトは1人との出会いだけに終わった、とも言えるだろう。
そして、この見た目だけなら小さなエピソードは、ローエングラム王朝の「正史」に残る事に成る………。

……。

…イゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。

「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「けっこう、キルヒアイス中将だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯にはまだご理解いただけぬか」

「オーベルシュタイン大佐」若い金の獅子が数秒間の沈黙を破った。
「私にはキルヒアイス以外の協力者も居る。
卿が私に売り込んで来た様な分野の事でも恐らくは好い相談相手であり、その知謀は1個艦隊に勝る」
「ほう?」
初めて、この冷徹な義眼の大佐も意表を突かれた様だ。
「それでも手駒には不足しませぬかな。貴方が手に入れようとしている物は恐らく大きい。
駒はより多くおそろえになったほうがよろしいかと存じます。たとえ汚れた駒でも……」
「誤解して欲しくは無いな。大佐」
ラインハルトは断言した。
「私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ」

……ウルリッヒ・ケスラーは3年の任期を待たずして、辺境星区から呼び戻された。

ローエングラム元帥府を開設して人事権をある程度まで取得出来た事に加えて
イゼルローン陥落と言う突発事態の成り行きから、当時の上位者だった3長官に貸しを売った形に成った結果である。

ラインハルト自身とキルヒアイスたちが軍事力を用いて攻勢に出ている其の背中や足下を防御させる、
その面を含めて相談役としては信任している、
非公式の相談役から元帥府出仕の文官待遇とする際には、彼女が伯爵令嬢である事が遺憾ながらも役に立ったのが帝国の現体制だったが、
その相談役とも協議した結果、やはり実行に当たる実務者としてケスラーを呼び戻して元帥府に所属させた上で、
その元帥府から憲兵本部に出向させる形式とする、と結論付けられた。

そのケスラーとヒルダの人事、そして件の参謀志願の策謀家が、せめて要塞陥落の泥をかぶる犠牲者からは救出した処で、
とりあえず3長官3人分の貸しは買い戻された形に成った。
とは言え、すでにヒルダとケスラーに其の方面の防御を期待していて、今更あれほど効き目の有り過ぎそうな劇薬を抱え込むかは別な話だった。
それに3長官との貸し借りも、どうせ今だけの積もりだと心底では想っていた。
時間の問題、と言うのが本音だった………。

……。

…ケスラー憲兵総監は忙(いそが)しい。

憲兵総監と帝都防衛司令官の兼任に加えて、結局のところ帝国宰相ローエングラム公爵(当時)は社会秩序維持局を廃止して仕舞い
その管轄していた秘密警察の任務まで憲兵隊に引き継がれていた。
ケスラーの有能さと真摯さが任務の重さには耐えられても、身体は1人分しか無い。
防衛司令官としての任務対象が惑星オーディンから惑星フェザーンに移転した機会に、
自分の権限の見直しを部下への適当な委譲も含めて検討せざるを得なかった。
それでもケスラー自身の責任で最終チェックするべき微妙な問題だらけなのが、こうした任務だった。

そうした問題の1つが、とある通信の監視である。
帝都フェザーン駐在の高等弁務官と恒星系1つだけの自治共和国、および現状では惑星エル・ファシルの衛星に成っているイゼルローンとの。
この自治共和国との停戦から帝国と相互の国家承認に至る条件の1つとして皇帝本人が持ち出したのが、初代弁務官の直接指名だった。
それだけに「この」通信の傍受には、皇帝の名誉と言う微妙な問題が付随していた。
しかし、皇帝から指名されてフェザーンに駐在している「奇蹟の魔術師」には、ケスラーですら解釈に困惑させられていた。
傍受されているのを承知でワザと振る舞っているのか?それとも本当に鈍感なのか……

そんな忙しい「大佐さん」を心配する年下の恋人を、カイザーリンは友人として心配していた。正し、何処か暖かく。
実のところ彼女自身も、トンデモなく貧乏性の恋人を選択して仕舞った事は自覚していたのだから。



[29468] 第2章『とある転生者』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/26 23:45
現状「とある金髪と赤髪の少年が最も光り輝いていた」のと、ほぼ同年代を迎えていた。
そんな子供の思考の思考としては充分に異常な内心で「私」は誰にも言えない思考を繰り返していた。

もっと幼い頃は、もっと異常だったろう。
何と言っても、見かけは子供なのに精神は成人のものだったからだ。
「私」は転生者だった。

問題は前世記憶の内容だ。

もっとも鮮明なのは『銀河英雄伝説』という題名の小説(!)が存在する時代の記憶だった。
そして次の記憶では、未だ(?)西暦が使用されている時代。
初めて人類が超光速航法を利用して、太陽系外への探検隊を送り出した時代だった。

その次の人生では、西暦から宇宙暦に変わった瞬間の記憶があった。
地球政府との抗争に勝利した筈の、シリウスの指導者たちが自爆して仕舞った後に生まれた。
そして、残された人々が銀河連邦を成立させて行く、同じ時代に生きた。

その次には、銀河帝国の平民に生まれていた。
幸い、流血皇帝だの敗軍皇帝だのの時代を外して、絶対君主なりに真面目な皇帝の時代だった。
おかげで『原作』での「疾風」の親とか「赤毛」の親とかの様な、平凡なりに穏やかな人生を送った。

そして「現世」は、直近の前世と大差の無い環境に生まれ育って来た。
その点では、現世の両親には感謝している。正直に孝行をしたい。
だが、1人ひそかに作成していた『原作』年表に自分の誕生年を当てはめた瞬間、
「くたばれ、オーディン!」と心底の奥で絶叫したく成った。
帝国暦456年生まれ。
「獅子の泉」の元帥と呼ばれた名将たちと同世代のド真ん中だった………。

……。

…結論から言えば、俺は士官学校に進んだ。

自分から志願しなくても、徴兵されればヒラの兵士として戦争を強制される。決して確率は小さくない。
そうならば、少なくとも士官学校に合格出来る程度に成績優秀ならば進学した方がマシだった。
貴族優先の格差社会だけに、平民から徴兵された一般兵士と士官学校の出身者とにはハッキリと差別待遇が存在していた。

無論、両親は特に母親は心配した。
徴兵ならば、年限が過ぎれば戻って来れる。
だが志願しては、まして士官とも成れば其の年限までが長い。
だが“俺”は知っていた。
両親の心配よりも早く、士官学校の出身者でも戦争には行かなくなる事を。
無論、それまでにヤン・ウェンリーとかに殺されなければ、と言う条件付きだったが。

そうした生き残り確率を少しでも大きくするため『原作』知識と言う反則を精一杯に活用して、いくつかのコネを作ろうと試みた。

視点:後世の歴史家

最近のラインハルトはキルヒアイスの視点から見ても機嫌が好い。
私用の通信回線の利用が増えていた。細目に伯爵令嬢からのメッセージをチェックしたり、送信したりしている。
更には、時間を都合して画面を間に会話したりしていた。

ところが、男爵夫人からの通信を受けて画面の前に出てからは、今まで機嫌が好かった分だけ怒りも凄(すさ)まじかった。

視点:とある転生者

いよいよコネつくりのために俺は、正直には眠くなりそうな場所へと細目に出席していた。
音楽会に観劇、詩の朗読会に絵や陶磁器の展覧会など。実は全て、とある1人の貴族が後援者である事が周知の芸術家たちだ。
案の定、2周ほど周回する頃には其の貴族からの呼び出しが来ていた。当然ながら、イソイソと俺は参上した。

「男爵夫人。ここに至っては隠し事も誤魔化しも致しません。貴女との御縁が欲しくてワザと振る舞いました」
『原作』での印象からすれば、こうした悪びれない態度の方が寛容を得られる可能性が在りそうだった。
「私は高が男爵家の当主よ。それにどちらかと言えば、貴族社会では孤立している方だわ」
「孤立と言うよりも孤高で御座いましょう。それに夫人には素晴らしい御友人が御ありです」
彼女にしては可愛らしく疑問の仕草をしていた。
「グリューネワルト伯爵夫人…いいえ、ミューゼル提督です」
「あの子は、まだ准将よ」
「今度は少将に成るでしょう」
実は、ヴァンフリート会戦がダラダラと進行中の時期だった。1つの会戦ごとに帝国軍の全士官が出征する訳でも無い。
「それに、わずか3年前には幼年学校を卒業したばかりの少尉でした」
「そう言われてみれば、そうね」
「あの提督は間違いなく天才です。
地位が上がれば上がるほど大きな功績を立てられるでしょう。
もしも叛乱軍が同じ間隔で攻めて来る様であれば、准将から少将に成るよりも早く中将から大将に成るでしょう」
「それで、あの子に目を付けたの」
「年金を受け取れる頃までは生き残っていたいですし、年金の額も多い方が好いでしょう。ミューゼル提督の部下ならば其の可能性が増えそうです」
男爵夫人は彼女らしく、爆笑と言うには流石に育ちの好い笑い方をしていた。

……次に俺が男爵夫人と接触する機会を持てたのは、軍内部だから入手出来る、とある情報を報告した時だった。

ヴァンフリート4=2から生還したミューゼル准将が少将に、その副官が大尉から少佐に昇進していた。
「どうやって、あの子に取り入る積もりかしら。ただ私から紹介しただけでは、あの子は気に入らないかも知れないわよ」
「提督は御自分が天才だけに有能な人材を御求めでしょう。実のところ私は、私自身よりも提督の御役に立てそうな人物に心当たりが在ります」
夫人は疑問を持ったらしい。そう言う心当たりが在れば、むしろ足を引っ張るとか、出し抜くとかの実例には困らなかっただろう。
「むしろ、そう言った人物を私が提督に結び付ける事で、提督に対して功績を上げられるでしょう」

視点:ジークフリード・キルヒアイス

ラインハルト様は、他人の思惑や策謀で御自分が動かされると言う事は、当然に好まれない。
男爵夫人から「真相」を聞かされて、当たり前の様に怒られた。
フロイラインとの御縁を切られる積もりなど全く無いだけに、尚更おもしろくは無いのだろう。

下宿に居て男爵夫人からの通信を受けた其の晩は、何時も通りにフロイラインと通信されていたが、
翌日、軍務省での用件が片付くなり、例の士官を探し出すように命令された。

視点:とある転生者

軍務省に在る現状での配属先で、現状での仕事をしていると、キルヒアイス少佐が俺を探しに来た。
さあ、ここからが「現世」での人生の分かれ道だ。

悪びれない、あるいは言動に陰湿さのない相手に対する寛大さ
とは『原作』でのフェルナーやバクダッシュに対するラインハルトやヤンの態度の描写だった。
男爵夫人に限らずラインハルトに対しても、多分は有効な筈だ。

「……裏も思惑も男爵夫人に申し上げた通りです。ウソも偽りも在りません」

「確かに、私としてもフロイラインとの対話は楽しい。
それに、これはフロイライン本人よりも伯爵家と言う背景を含めての問題だが、
今後、どこまで信頼して秘密をあかせるかによっては、好い相談役として期待もしている。
その意味では、卿の手土産は私にとって価値あるものだった事は間違いないが、
それだけに、卿の策略にしてやられた気分は、どうしても残る」
そう言いながらも笑っていた。どうやら第1段階はクリアしたか?
「だが、これで手土産は終わりかな?だとしたら、卿自身が私の部下として有能である事を証明してもらいたいものだが」
「いいえ」そう、この時のために伏線を張って置いた。

「閣下はヴァンフリート会戦では、准将として准将相応の艦隊を指揮されました。
次回の戦いでは少将として、そうした准将相応の艦隊を複数ふくめた少将相応の艦隊を指揮されるでしょう。
当然ながら、指揮下に配属される准将たちについては優秀である事を希望されていると忖度します。
例えば、キルヒアイス少佐が准将の階級であれば、当然に1つを任されると想いますが。
実は今回、大佐から准将に昇進した士官たちの中で、双璧と言うべき2人に心当たりが在ります」
流石にラインハルトも興味を示した様だ。
「ほう?このキルヒアイス並みの准将を2人も知っているのか」
「実は士官学校の後輩なのです。
私が最上級生として舎監の手伝いをしていた当時、2年生と1年生だった其の2人を対番にしたのです。
それが縁で、私が飲みに呼び出せば出て来る程度の付き合いなのです」

「対番」とは以下の様な制度を言う。
士官学校は全寮制であり3年生以上は同学年で同室だが
2年生と1年生は、2年生と1年生それぞれが同数ずつで同室に成り、1対1の組み合わせで1年間の生活を送る。
2年生としては「士官」つまりは卒業後は部下を持つ上官を養成する学校としては最初の上官経験であり、
幼年学校からの進学でも無い限り全くの新兵であろう1年生に対しては、1対1での軍隊生活そのもののキメ細かい教育が期待される。

少しばかりラインハルトが興味を示した。
おそらくラインハルト自身はキルヒアイスとの2人部屋だっただろう。
この頃の幼年学校には、貴族の子弟を下級貴族や平民出身の士官学校卒業生よりも早く昇進させるシステムとしての意味も在った筈だ。
「付き添い」付での入学も珍しい程では無かったかも知れない。
しかし「対番」ばかりに興味を示してもいない。直ぐに本題に戻って来た。

「卿よりも後輩と言うことは、准将としても若いな」
そして俺は、疾風と露悪者の名前を告げた。

……その時、7月某日。第6次イゼルローン攻防戦を前に帝国軍の増援艦隊が帝都を出征するのは、同年8月20日である。



[29468] 第3章『戦術シミュレーション』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/28 11:21
視点:とある転生者

軍務省に数ある士官控室の1つには、ささやかながら戦術シミュレーションの設備が整(ととの)っている。
シミュレーション・マシンを操作すると、宇宙戦艦のプラネタリウム形のスクリーンに窓が開いて映し出されるのと同じ
コンピューターが艦隊陣形を処理した画像が投影された。

第6次イゼルローン攻防戦の前哨戦。ラインハルト艦隊3000隻の艦隊運動の記録だ。
1戦ごとに、あらゆる戦術パターンを展開しながら、同盟軍を撃滅していく。
だが其の後の1戦で、見事に背面展開を完成させた瞬間、上、下、後の3方向から新手の敵が包囲してきた。
ヤン・ウェンリーの罠だ。
これでヤンの原案通りに1万隻の数が揃(そろ)えられていたら、歴史が変わっていただろう。
しかし同盟軍の司令部が出し惜しみしたか、包囲陣に兵力不足な薄い箇所を見付け出し、そこから突破脱出を果たした。
ここで艦隊の先鋒を疾風が、その相棒が殿(しんがり)を固めていた効果がハッキリと出た。
双璧が居なかったら『原作』通り、全3000隻中の800隻程度は失っていただろう。

そして、要塞攻防戦の本番である。
前哨戦での損害が少なかった分、つまり『原作』での2200隻よりも使えた兵数が大きかった事、
双璧の指揮能力での補正を加えれば実戦力としては更に大きかった事から、それだけラインハルトは戦力に余裕を持っていた。
この余力の分だけ、例えシミュレーションに画像が投影される戦術パターンでは『原作』通りに戦っていても、
その分だけ成果は大きく多く、同時に其の分だけ損害は小さく少なく成っていた。

……そして、第3次ティアマト会戦である。

実の処、イゼルローンからオーディンまでは、8月20日に出発して9月26日に到着するだけの距離が在る。
12月10日に終了したイゼルローン攻防戦に参加していた宇宙艦隊をオーディンまで帰還させ、再編成して、
翌年2月までにイゼルローンよりも同盟よりのティアマト星系まで送り込むのは時間的、距離的にギリギリだった。
よくも攻防戦では少将だったラインハルトを中将に昇進させただけでは無く、中将相応の艦隊を与えて出征させられたものである。
実の処、ラインハルトはオーディンに戻らず、イゼルローンから直接にティアマトへと出撃していた。
ラインハルトだけでは無く、キルヒアイスも双璧も、だった。
そう、少将に昇進していた双璧がミューゼル中将艦隊の先鋒と殿を固めていた。

その結果だが『原作』通り、敵ホーランド艦隊が帝国軍をかき回す。
しかし、それを黙殺する様にラインハルト艦隊は後退した。
そして敵艦隊の陣形と艦隊運動が乱れ切って停止した瞬間、主砲斉射が数回連続して叩き付けられた。

『原作』によれば、ラインハルトは2回の主砲連射で会戦全体を逆転している。
それが「ここ」では1回だった。
ラインハルト艦隊の視点からは右往左往していたホーランド艦隊と、
疾風が先導し其の相棒が後ろから見守って完璧な艦隊運動で後退したラインハルト艦隊
その結果、フリーズ状態に落ち込んだ瞬間のホーランド艦隊を側面に補足したラインハルト艦隊が其の側面方向に一斉回頭するなり
双璧を左右両翼にした横陣からの一斉射撃陣形に変化していた。
両翼の双璧からのクロス・ファイアーが、フリーズから再起動しようとする艦隊と其れをコントロールすべき旗艦との連携を断ち切った。

その後は、このスキに立ち直った帝国軍主力による追撃戦に移っていた。

……フェザーン経由で入手した情報によると、ホーランドは戦死をまぬがれたらしいが、軍法会議が待っているそうだ………。

……。

…俺はシミュレーション・マシンを落とすと、脳内でしか出来ない思案に移った。

こうして、双璧がラインハルトの役に立てば其れだけ、双璧やヒルダをラインハルトに近付けた俺も役に立った事に成る。
だが、やはり『原作』知識を持って居ればこそ「今」の時期的に気がかりな事が在った。

俺はキルヒアイス中佐と連絡を取った。無論、ミューゼル大将の副官として、である。

ブラウンシュヴァイク公爵家が皇帝と貴族と高級軍人を集めてパーティーを開催する。
こうした大掛かりな社交自体は隠しようも無い。それに何時も程で無くとも、何度も開催されてはいる。
だが『原作』知識持ちには、どうしても引っかかっていた。

「中佐。やはり閣下も招待されたのか?」
招待されていた。それにフロイラインをエスコートする、と言う。
(…不味いな…)画面の向こう側のキルヒアイスにも内緒ながら、俺は心配していた。
何せ「悪趣味な柱」1本で助かるのだ。ヒルダを連れている程度のイレギュラ―でも悪い方向へ転がるとも限らない。
しかし其れでは元も子も無くなる。
今度は俺は、男爵夫人を通じて多才なる准将に連絡を取った。

「メックリンガー准将。提督は公爵家でのパーティーの警護を命令されたそうですが?」
「それがどうしたかな?」
(…やっぱり、そうか…)これで更に可能性が高く成った。
「実は気に成るウワサを耳にしたのです」他人には、そう言う事にした。
「クロプシュトック侯爵を知っていますか?」
流石に知らなかった様だ。
「提督が知らなくても無理も無いでしょう。
フリードリヒ4世陛下の即位以前に別の皇帝候補を支持して仕舞い、以来、貴族社会の日陰者に甘んじて来ました。
それが今回のパーティーに出席するために、公爵家に這いつくばる様にして取り入ったらしいのです。
どれ程の屈辱を耐え忍んだ事でしょう。公爵などは勝利者の気分に浸っているそうですが、
もしも、侯爵がパーティーの途中で、会場に何か忘れ物でもして帰ったりしたら……
何と言っても、折角(せっかく)私が取り入ったミューゼル大将も出席されるのですから」
通信画面の向こう側では、口ひげをひねっていた………。

……。

…その時、3月21日。公爵邸の庭のド真ん中で爆発し、ケガ人は出なかった。

そこまでは問題は無かったのだが、むしろ問題は双璧が討伐軍に連れて行かれて仕舞った事だ。
実の処、ローエングラム元帥府を開設する以前のラインハルト艦隊は出征ごとの臨時編成と言って好い。
前回も、こうした意味で双璧は配属されたのだ。
引き留めて独占するだけの権限は大将では未だ無い。そうするためには、後もう2階級は昇進せざるを得なかった。
そして、実は其の事だけが問題では無かった。
俺だけが知っていた。この後で「面倒事」に成る事を………。

……。

…宮廷でこそ失脚したものの、侯爵領に相応しく有人惑星を有した恒星系そのものを私領として確保していた。

その惑星からミューゼル大将を指名してロイエンタール少将からの超光速通信が飛び込んで来た。
討伐軍の勝報から半日も経過しないうちに。

その事を、俺の様なモブ士官が知る事が出来たのは以下の経過による。
ロイエンタール少将からの通信は、直接には先ず軍務省に入り、軍用宇宙船ドックの中の戦艦ブリュンヒルトを呼び出してもらったからだ。
大将に昇進してもラインハルトの処遇は、出征ごとに臨時編成される艦隊の指揮官であり、会議の時にだけ呼び出される立場だった。
そのため会議が無い時には、もっぱら大将への昇進に伴って与えられた専用旗艦に乗っている事が多い。
そして俺は「侯爵領が陥落した」との報告が入った夕刻、理由を作ってブリュンヒルトを訪問していた。
案の定だった。

当然ながら、ラインハルトには今更ミッターマイヤーを見捨てる積もりも無い。
先ずは双璧の代弁者として軍務省に乗り込み、騒ぎを大きくする役目を了承していた。
「帰還途上での死亡は謀殺とみなす」と広言するのである。
当然の様に、ラインハルトを乗せてキルヒアイスが運転する地上車を追走して、俺もブリュンヒルトから軍務省に戻った。
ラインハルトに付いて勝ち組に成りたかったら、ここでの敵前逃亡は論外だった。それに「勝算」は在るのだし………。

……。

…5月2日。クロプシュトック侯爵領から討伐軍が帰還した。

この晩、ラインハルトの下宿でロイエンタールを迎えたのは、ラインハルトとキルヒアイスに加えて俺、
そしてラインハルトは通信画面にヒルダを呼び出していた。

この時点で『原作』以上に話しと騒ぎは大きく成っていた。
何と言っても、当事者たちが侯爵領に未だ居る間にラインハルトが動き出していたのだ。事を大きくする方向で。
それにラインハルトは、この件でも何の秘密も無く伯爵令嬢と連絡を取っていた。
確かに今回に限っては事が大きく、と言うよりは表沙汰に成るほど勝算が大きい。
いくら貴族たちの無理無茶が通る体制とは言え、今回ばかりは明らかに向こう側に非と恥が在るのだから。
その意味では、ワザワザ拷問係を雇ってまで疾風をただ痛めつけようとしたなど、
悪趣味を満足させる引き換えにラインハルトの武器を増やして遣っていた訳だ。
もっとも『原作』ではラインハルトが介入している事を「その」時、始めて知ったのだろうが。
結局「この」拷問係騒動(?)などはスルーされたまま、疾風は生還して来た。
何と言っても、公爵もフレーゲル男爵らの取り巻きも、とっくにラインハルトが事を大きく表沙汰にしていた帝都に戻って来て仕舞ったのだから、
基本的には手遅れだったのだ。

……生還した疾風が相棒と連れ立ってラインハルトに礼を言うために訪問していた頃。

俺は次の「事件」に備えて暗躍していた。
全く「今月」は事が多い。討伐軍の帰還が5月2日。そして次の「事件」が直接にラインハルトたちへと襲い来るのは同月17日だった。



[29468] 第4章『白鳥は征く星の大海』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/31 22:14
5月16日。俺はキルヒアイスに通信を入れた。
「重要な情報を入手した。閣下に報告したい」
どうせ、来年の今頃には追い抜かれている。こんな口をきけるのも今の内だろう。
「ベーネミュンデ侯爵夫人を国務尚書が訪問した」
かつては皇帝が寵愛していた婦人を、現状では未だ後宮の中に在る邸へと、皇帝の意を受けた首相クラスの公人が訪問するのだ。
この訪問自体は隠し切れない。それも、反則で今日だと知っていて確認するのだから。
「侯爵夫人は激昂狂乱している」
実の処、直接に確認できたのは国務尚書の訪問と言う事実だけだったが、その結果を俺は知っていた。
「確か、閣下は明日、男爵夫人に招待されては居なかったか?」

「それがどうした?」ラインハルトが自分で画面に出て来た。
「同じ後宮の中に建てられているとは言え、宮殿の内である以上は威信に相応しく警備されている筈ですから
御自身の館に居られる限り、姉君は御無事でしょう。
しかし、宮殿の外に出ていたならば。
それも人目の在る会場なら兎も角(ともかく)そこから宮殿に戻られるまでの移動途中だったら。
しかも、予報によると明晩の天候は不心得者に都合が好さそうです」
「だが「あの」チシャ夫人でも、そんな直接的な手段は自分の首を締(し)める、くらいの理性や打算は持っていた筈だ」
でなければ、とっくに実行していただろう。確かに。
俺は、今回の訪問を受けて如何に侯爵夫人が狂乱したか、見て来た様に、実は『原作』で読んだままに語った。
ラインハルトとキルヒアイスは天才と其の1番弟子らしくも無い焦(あせ)った顔を見合わせていた。
「差し出口かも知れませんが、ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将に連絡をとってはいかがでしょう。
両少将とも、会場から皇宮までの道のりを警備する程度の兵士くらい動かす権限は持っている筈です。
キルヒアイス中佐と御2人だけで姉君を御護りするまでも、今は無いでしょう」

……通信を切った後、俺は1人で想った。

これで『原作』の様な危機一髪よりはマシな方へ行くだろう。
そして、これでラインハルトへのコネつくりは必要にして十分な筈だ。
後は、余分な「蝶の羽ばたき」効果など出ない様に、下手な介入をしなければ好い筈だ………。

……。

…そうしたコネつくりの結果、俺は戦艦ブリュンヒルトに乗っていた。

『原作』ではモブあつかいでも、大将であるラインハルトの参謀がメックリンガー1人切りだった筈が無い。
准将当時でも、合計10名の士官が幕僚として付随していたのだ。
当然ながら、大将相応の艦隊を管理運営する人数のスタッフがメックリンガー参謀長の管理下に配属されていた筈だった。
その人数の1人として俺は、艦隊を管理運営する実務に追いかけられていた。
その先にはイゼルローン要塞、そして惑星レグニツァと第4次ティアマト会戦が待っていた。

そんな追い回されていた業務の中で「知識」に引っかかるものを見付けていた。
ミッタマイヤー少将指揮の集団に所属する戦艦アルトマルク、艦長フォン・コルプト。
「参謀長。報告したい事が在ります」

「これが、どうかしたのかね?」
「帝都に居た頃、不穏なウワサを聞いた事が在るのです」
今回も、この言い方で行く事にした。
「ミッターマイヤー少将の件でブラウンシュヴァイク公爵が引き下がったのは、軍務尚書との間で2つほど密約を持ち掛けられたからだ、とか」
メックリンガーはヒゲをひねっている。
「1つはフレーゲル中将をミュッケンベルガー元帥の幕僚に配属する」
「もう1つは?」
「ミッタマイヤー少将が軍規を正した例の大尉の実兄、コルプト子爵を少将の背中を撃てる位置に配置させる」
「それは…」流石に驚かせた様だ。
「流石に事実を確認するまでは、ウワサの段階で報告は出来ませんでした」

メックリンガーから報告を受けたラインハルトは直属の大将の権限で、ミッタマイヤー少将の集団からロイエンタール少将の集団へと
戦艦アルトマルクを配置し直した。

……ラインハルト艦隊が敵前旋回に成功した時の事に成る。

ラインハルト艦隊の殿(しんがり)を固めたロイエンタール集団の其のまた最後尾で追走し切れず
戦艦アルトマルクは置いてけ堀と成った。帝国軍主力と同盟軍のド真ん中で。

もっとも「それがどうした」だった。
帝国軍の総旗艦からブリュンヒルトに通信が入った時点で、小事に成り果てていた………。

……。

…その通信が入った時、すでにラインハルト艦隊を左翼に配した帝国軍の正面には、同盟軍が布陣していた。

「左翼部隊全兵力をあげて前進、正面の敵を攻撃せよ」
こんなギリギリのタイミングに成ってから、こんな重要な作戦変更を通告されても、対応出来るのは其れこそラインハルトかヤンくらいだろう。
俺は今、キルヒアイスやメックリンガーと並んで、ラインハルトの「玉座」の後ろに立っている。
その前方、プラネタリウム形のスクリーンでは同盟軍のエンジン光が星雲と成っていて
コンピューター処理された画像を見れば、布陣し終わった両軍が対峙している。

ラインハルトは決断した……

コンピューター画像に投影される両軍の陣形の内、片方の左翼部隊だけが味方(?)から離れて前進し始めた。

変化は突然だった。
ラインハルト艦隊の先鋒ミッターマイヤー集団が急速に旋回し始めた。
続いて画像の中で中央集団が旋回し始めると、俺たちの視点で正面に光っていた星雲が左に流れ始める。
殿(しんがり)のロイエンタール集団が旋回し終わると、そのまま敵前あるいは敵味方のド真ん中を横断していった。
流石にラインハルト以下、緊張を隠せないブリュンヒルトの艦橋で
俺は別な理由でも動揺していた。
今や、左から左後方へと流れていく星雲の何処かにヤン・ウェンリーが居る。
『原作』通りならば、何故か感情的とすら言える上官のため「宝の持ち腐れ」に成っている筈だが、
ひと言でも上官がヤンの忠告を聞き入れたならば、立ち往生した弁慶に立った矢の数並に死亡フラグが立つだろう。

敵と味方の間を横断し終わったラインハルト艦隊が再び旋回した時、
流石に俺は安心していた。
ここで膝が笑わない程度には軍人教育も実戦経験も積んではいたが。
そんな俺を誰も気にしない。
それほど、ラインハルトたちの視点でもギャンブルだったのだ。
しかしギャンブルの結果は、とりあえず当たりと出た。
今や、白鳥が陣頭に立つ猛禽の群れが、同盟軍の死角から襲いかかろうとしていた。

……その後「も」俺は玉座の後ろに立っていた。

しかし思い知った。俺には『原作』知識と言う有利はあっても、俺自身の反則的な能力は無い。
反則なのはラインハルトやヤンたちだ。
そんな反則同士の殺し合いに下手な介入をするなど、とてもじゃ無いが恐ろしい。
少なくとも戦術LVでは無理無茶だ。
そうなると…今後、ローエングラム元帥府での俺の立ち回り方は……

何時の間にか、そんな当面の戦いには余分な思案の余裕まで出来ていた。
無論、本来の艦隊スタッフの仕事に手抜きはしていない。
その程度に仕事をしながら思案するスキルぐらいは身に付いていた。
目の前の彼「ら」が反則なだけだった。
その反則の片方は、すでに上級大将への昇進と伯爵家相続のハク付け程度の手柄は立てていた………。

……。

…宇宙艦隊の時代に軍隊へと志願すれば、宇宙戦艦の中で行く年を送り、来る年をむかえる事は在り得る。

正確には、帝都の軍用ドックの中、白鳥の戦艦の艦内だった。
上級大将ローエングラム伯爵は、皇宮での年越しの宴(うたげ)の席からアスターテ会戦へと出征する。
そのために待機しつつ、司令部を含めた乗り込みの士官たちによる年越パーティーが開催されていた。



[29468] 第5章『閑話らしきもの(その1)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/10 16:19
ローエングラム伯爵家は代々の名門貴族それも子爵よりも格上の伯爵に相応しく、有人惑星を有した恒星系そのものを私領として継承していた。
直系が断絶して以降は帝国典礼省の預(あず)かりと成っていたが、今回、相続者が現れた。

当然ながら相続者としては、伯爵領の惑星を訪問しなければ成らない。
しかも、こうした目的の訪問であれば無視出来ない同行者をエスコートしていた。
伯爵家の後継候補と成ってから、余計に近付いて来る様に成った令嬢たちが近付いて来そうな場所では、常にエスコートしていた以上は。

……そんな訳で、何時もラインハルトの後ろに立っていた筈のキルヒアイスも、主君をフロイラインに預けて俺と同行していた。

リゾート目的で建設された人工天体で、ラインハルトが伯爵領から戻って来るのを待つ。
その後は、その前と同様にアスターテ会戦の準備に忙殺される。
そうした忙(いそが)しい中に数日間の閑(ひま)を過ごさなければ成らなく成っていた。

第4次ティアマト会戦の後、ミューゼル大将(当時)の臨時艦隊は解散させられ双璧や多芸多才が転属して行った後まで
新たに編成されるローエングラム上級大将の遠征軍の準備を命令された1人に、俺は残っていた。
その事自体は、俺自身が「それ」を目的に暗躍して来た結果なのだが、ここでキルヒアイスと連れに成る事までは想定していなかった。

そのキルヒアイスはホテルのフロントでチェックインしている。
「ジークフリード・キルヒアイス。帝国軍中佐」
フロントが驚いている。中佐にしては若い事と貴族でも無い事に驚かれている様だが
確か『原作』では「よくそう言われます」とか答えていた筈だ。
だが重箱の隅を突付けば、何時もはラインハルトが先に名乗っていただろう。
「フォン・ミューゼル大将(この時点では正確には未だ)と待ち合わせる事に成るかも知れません」
思わず横から突っ込みを入れていたものの、それでフロントは納得した様だ。

実の処は、ここで失礼してキルヒアイスとは別行動を取りたい気分だった。
確か、ここではサイオキシン麻薬に絡(から)んだ事件を解決する筈だ。
正直な処、フライング・ボールの試合場で5人相手のデスマッチとか、後腐れさえ無ければ敵前逃亡させてもらいたい。
それに先ず、サイオキシンで成り切りのミノタウロス退治とか、ギリシア神話のテセウスでも無いだろうに。
だが振り返ってみると、もう遅かった。
成り切りミノタウロスが、赤毛のテセウスをロックインしている。
仕方が無い。せいぜいキルヒアイス=ホームズのジャマだけはしないワトソンに徹底するとしよう………。

……。

…事件は解決し、ラインハルトとも合流した。

キルヒアイスは何事も無かった、と言う風な報告をしている。
まあ、とりあえずは解決した事件だし、主君に余分な心配をかけたくは無いのだろう。
その事もあってだろうか、話題は何時の間にか品定めに成っていた。

「取らぬ狸…」と言った例えも「昔」には在っただろうが、
これから出征する戦役での戦略ましてや敵と出会ってからの会戦の戦術を、いくら天才でも今から予言できる筈も無い。
そしてラインハルトの性格からすれば、勝った後の事を考え出しても無理は無い。
最終目的は兎も角(ともかく)その前の「元帥府を開設し、永続的に人材を確保する」と言う目標に限れば
後1勝で手に入る処まで来たのだ。
誰と誰を招くか?と言う話題が出ても無理は無かったのだ。

そして「この」話題をラインハルトがキルヒアイスやヒルダと熱心に語っている以上、知らない振りも出来なかった。
何せ、俺は彼らの殆(ほとんど)と士官学校の先輩後輩の関係だった。
結局は貴族出身だから幼年学校だったオーベルシュタイン、最年長のレンネンカンプ、逆に最年少のミュラーを除いて、
俺が新入生の時の最上級生から、逆に俺が最上級生の時の新入生までの範囲に集まっていた。
当然の様に「この」事を意識した学生生活を送って来た。

こうしたコネつくりの場合は、上級生よりも下級生狙いの方が成功の見込みが多い。
学生同士での先輩後輩の力関係は、社会人の複雑な対人関係に比較すれば単純な位、1方向へと片寄っている。
それも階級社会である軍隊の学校だ。
そして時間的にも、例えば俺が新入生の時の最上級生は1年後には卒業して行った。
じっくりと準備をしたり仕込をする時間的余裕は其れだけ少なかった。
まして、学校当局や教官たちの管理下に居たのだから。
幸いにして、最大の「大物」は俺が最上級生の時の2年生と1年生だった。

……最上級生に進級した頃の俺は、それなりに教官たちの信任を身に付けていた。

舎監の役に当たる教官から、寮生の部屋割りの手伝いをさせられる程度に、である。
舎監としても、誰かに手伝わせなければ現実的に人手が足りなかった。
これは同盟軍の例ながらヤン・ウェンリーの同期生が4840名、それも卒業時の数だから入学時には更に多かった筈だ。
特に「対番」と成る新入生と新2年生の名簿を突き合わせる仕事が、手間と人手を喰う。
その手伝いをしている間に、名簿の中から「その」名前を見付け出していた。

「教官。このオスカー・フォン・ロイエンタールと言う2年生ですが」
「あのロイエンタールか?」
入学から約1年で教官から「あの」付きで名前を覚えられるとは彼らしい。まあ其の方が、話も通り易い。
「ヤー。あのロイエンタールです。親の有無で本人を差別はしたくは無いですが、彼の家庭環境が無関係とも思えません」
教官である以上は、それも学生の日常生活に近い処で接触している舎監であれば、ある程度は事情を知っているだろう。
少なくとも自分の仕事に真摯であれば。
「だが、少なくとも将来の士官としては優秀だ」
その教官には肯(うなず)いて置いてから、別の生徒の書類を取り出す。
「こちらの新入生のウォルフガング・ミッターマイヤーですが」
「それがどうした?」
「彼は中流の平民出身ながら、極めて健全な家庭環境で育(はぐく)まれています。彼ならば、ロイエンタールにも好い影響を与えるのでは?」
「うむ」対番制度の建前からすれば、微妙に逆だろう。
「士官としては優秀。対番の上級生としても、新入生の世話に手抜きはしないでしょう」
俺は不自然でない程度に熱心に提案した。ここで「熱心」だったと言う「事実」が重要だったのだ。
俺の将来の生き残りのために………。

……。

…最上級生として舎監を手伝う卒業までの1年間に、俺は寮生たちと接触していた。

その間に、ロイエンタールとミッターマイヤーを対番にしたのは俺だ、と言う事実は何時の間にか当人たちにも知られていた。
しかし、俺が其の事を未来の双璧に思い出させる様に振る舞ったのは、ミッターマイヤーが卒業した時だった。

おおっぴらに飲酒が許可された(寮内では建前が在った)卒業生を、すでに卒業して軍務に就いていた先輩たちが酒と乾杯で祝う。
そんなパーティーの席上、俺はロイエンタールと乾杯していたミッターマイヤーに近付いた。
ミッターマイヤーが入学してからロイエンタールが卒業するまでの間に、まるで『原作』での出会いの後の様に仲良く成っていた。
ロイエンタールが3年生に成って同室で無くなっても、2人の縁は切れなかった様だ。
元々、上級生らしい(?)下級生に干渉する様な集団行動には無関心な孤高気取りだったが、
本質的には好い両親に育てられていた健全人の方が見捨てられなかった様だ。

そんな友人同士に割り込む様にして、ウザがられない程度に絡(から)みながら其れと無く売り込んで置く。
「卿たちは、これから何度でも2人で飲むだろう。だが、時には3人で飲もうじゃ無いか」とか何とか。

そうして置いてミッターマイヤーにだけ聞こえる様にして耳に入れた。
「ロイエンタールは其のうち女性問題で決闘騒ぎを起こすかも知れん。それも1人や2人でも無く。
だが、私的に武器を持ち出したりしたら軍法会議が待っているぞ。
かと言って、親友を見捨てる卿でも無いだろう。
それに1対1なら正々堂々と戦わせるが、相手が多数だったら尚更。
その時は、せめて素手での殴り合いにしろ」
「先輩はマイン・フロイント(わが友)に何を吹き込んでおられるのですかな?」
オッドアイを露悪気味に光らせて、ロイエンタールが割り込んで来た。
「何。義理の妹さんは綺麗(きれい)に成ったかな?と聞いたのさ」
「疾風」と呼ばれる様に成った後だったらヤン相手でも、これ程うろたえたりはしなかっただろう。
「これはロイエンタールの前だったら、危険過ぎる話題だろうからな」
「エヴァは未だ子供です!!」
「そうだな。これから理想通りに育てるのかな?」
父親からは「求婚に7年もかける甲斐性なし」と言われていたが、現実的には花嫁が成人するまで待っていた、とも言えるだろう。
19才に24才が求婚しても問題は無いが、12才に17才が求婚して真剣だったらロリコンだ。
現状は15才と20才。あわてず着実に育みたまえ。
もっとも全体的に言えば「源氏物語」は相棒の方だろうが。
ともあれ、これでロイエンタールの手前はウヤムヤに出来た様だった。

……翌年。心配していた事件が起こった。

ロイエンタールは女性問題から3人同時に決闘を申し込まれた。
ここでミッターマイヤーが介入したため、武器を持ち出しての決闘3連戦から、素手での3対2の殴り合いに落ち着いた。
結果は当然ながら、3人をノックアウトして双璧は立っていた。
後日、ロイエンタールは、当時の自分は大尉でミッターマイヤーは中尉に過ぎなかった事、そもそも全く当事者では無かった事を主張したため、
ミッターマイヤーの中尉昇進は取り消しに成らなかったが、
ロイエンタール自身は大尉からミッターマイヤーと同じ中尉に逆戻りと成った。
俺は、そんな中尉2人に先輩らしく酒をおごり、3人で痛快に酔った………。

……。

…そんな昔話で俺はラインハルトやヒルダ、キルヒアイスたちを楽しませた。当然だが、言わずとも好い事は言わない様に注意していたが。

現状は帝都へと戻る客船の中。
そして帰れば、白鳥の宇宙戦艦に乗ってアスターテへと戦いに行く。
正直、双璧にも来て欲しかった。あの「奇蹟の魔術師」が、この時代の帝国に生まれた場合最大の死亡フラグが待っていた。



[29468] 第6章『奇蹟の魔術師』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/06 22:00
コンピューター処理された艦隊フォーメーションが、画像に投影されている。
次第に接近する両陣営の艦隊の片方に対して、もう片方の艦隊が正面、左、右の3方向から迫ろうとしていた。
1世紀半の以前、同盟軍の大勝利で知られる「ダゴン星域会戦」の陣形だった。

だが、敵は帝国軍であっても同じ敵では無かった。「戦争の天才」だったのだ。
この天才にとっては、未完成の包囲陣など集中するべき兵力の分散に過ぎず、各個撃破の標的でしか無かった。
その事を1人を除いた同盟軍の幹部たちが知った時には、3個艦隊中の2個艦隊が撃滅され、残る1個艦隊も正面中央から突破され始めていた。

……とうとう立った!帝国軍の視点では最大の死亡フラグが。

「負けはしない。自分の命令に従えば助かる。か。ずいぶんと大言壮語を吐く奴が叛乱軍にもいるものだな」
例によって、俺は玉座の後ろに立っている。
その俺の視点からは、キルヒアイスの方を見がちなラインハルトの金髪ばかりが目に入っていた。
「閣下!」
参謀長も副官のキルヒアイスも通さない行き成りの進言など、俺からラインハルトへの場合は前代未聞だろう。
「差し出がましい口をきく様ですが」
決して部下からの忠告に対して耳の穴の小さい上官でも無いが、それでも親友と姉と今では恋人以外の相手には公人としての距離を置いている。
話の内容によっては、切り出すべきタイミングが存在した。
「あれは「エル・ファシルの英雄」です」
流石に天才でも、瞬間だけ疑問符を浮かべた。
「無理もありません。閣下は未だ幼年学校に在籍していた頃ですから」
「ああ…あの我が軍の栄えある先輩方を小バカにしたペテン師か」
「そして第6次イゼルローン防衛線の前哨戦で、ご不快でしょうが閣下をワナに落としかけた敵でした」
「まことか?!」
流石に驚いているらしい。
「間違いありません。お耳に入れる機会を待っていました」
「成程」
どうやら耳には入った様だ。
「今しばらく御不快でしょうが、あの時のヤン・ウェンリーは新手の大兵力を隠していました。それが魔術の種だったのです。
しかし、遺憾ながら現在の閣下には、これ以上の戦力が御座いません。
あの時、閣下が試そうとしていた戦術をヤンが真似ようとしたら、私などでは対応策が分かりません」
美人だけに不快が顔に出ていた。
「ラインハルト様!」
公的な場所では遠慮している2人だけの時の2人称を使ったのは、
あわてたと言うよりは、周りの耳よりも主君への忠誠心が瞬間だけ上回った、と言う事らしかった。

コンピューター画像の中で、同盟軍の陣形中央に隙間が出来始めていた。フォーメーションC4だ。
それを数秒だけ見据えて、金のタテガミを横に揺らしていた。
「卿の忠言には感謝しよう。だが、ヤンとやらがペテンを仕掛ける方が早かった」
「では、どうされますか」
赤毛の副官の言い方は白々しい事が、むしろ見事だ。主君に冷静さを取り戻させるためだけに言っている。
「このまま全速前進!逆進する敵の後背に喰いつけ」
「黄金のグリフォン」が、華麗に敵を撃滅していた時にも見せなかった本性を剥(む)き出していた………。

……。

…現状、ローエングラム遠征軍はアスターテ星域を離れ、イゼルローン要塞へと進路を向けていた。

おそらく、あの怠け者の「奇蹟の魔術師」は、負け戦の後始末にコキ使われている事だろう。
そうして救助された生存者や残存戦力が「ヤン艦隊」に再編される筈だった。

やっぱり「黄金のグリフォン」だの「奇蹟の魔術師」だのは反則過ぎる。あらためて思い知った。
俺の持っている「知識」と言う有利だけで、こんな反則過ぎる同士の直接対決をどうこうするのは、やはり無理無茶だ。
しかし其の「知識」通り、あの後は消耗戦に成っていった。
恐らくヤンの読みは、ラインハルト(とは未だ知らなかっただろう敵指揮官)ならば不毛の消耗戦を嫌う筈だ、と言う事だったのだろう。
確かに「敵」3個艦隊中の2個艦隊をすでに撃滅して、ローエングラム元帥府を開設するだけの武勲は既(すで)に立てている。
今更その後に残った1個艦隊との消耗戦に拘(こだわ)って共倒れにでも成ったら元も子も無い。
だから、撤収するのがラインハルトの視点でも正しい決断だったのだ。
そしてヤンは「生き残る」という目的のために、それを達成する手段を選択した。
やっぱり、この好敵手たちは反則過ぎる。
俺自身が「知識」を活用する仕方は、別な場所での方が有効なのでは………。

……。

…後年。と言っても何年も後では無く、赤子が幼児に成る程度の後年。

ケスラー憲兵総監は忙(いそが)しい。
そのため新帝都フェザーンでは、適当に部下へと仕事を割り振っていた。
そんな中で、俺に割り振られた仕事の1つが、高等弁務官を「不」定期に訪問する事だった。

こうして俺は「奇蹟の魔術師」と直接に対面する機会を得た。
そう機会である。なまじ前世と「原作」知識を持っているため、どうしても同盟側が舞台と成った時はヤンの視点から読んでいた。
帝国側に所属し自分から進んでラインハルト陣営に加わっていても、心底の何処かでは希望していた。

かつての1人の読者としては、ヤンに会う機会が出来たならば聞いてみたい事が幾(いく)らでも在った。
例えば、イゼルローン攻略を前にして「薔薇の騎士」に言った事だ。

「本気で平和が来ると考えていたのですか?」
「来て欲しいとは想っていた。それに私が希望していたのは、せいぜい当時14才の自分の息子が戦場に行かなくて済む程度の長さの平和だった」
「それ以上を望まなかったのは、やはり当時の帝国の体制が相手だったらでしょうか?」
「そうだね。
やはり自由惑星同盟と言う国家の成り立ちがルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに対するアンチテーゼだった。
だがら最終的な和平となると、建国理念そのものに関係していただろう。
国家もイデオロギーも結局は「人間が人間らしく生きるための道具」に過ぎないのにね。
少なくとも民主国家と言うものは、その筈だった。
だから「人間が人間らしく生きるため」と言う目的のために国家や体制を含めた手段が選択されるべきなんだ」
「その選択の結果ですか?ゴールデンバウム王朝と言う「敵の敵」同士ならば、ローエングラム王朝と民主共和政体は共存出来ると考えたのは」
「その通りだ」
ここではハッキリと肯定するヤン。

「だけどイゼルローンを手に入れようとしていた当時には、そこまでは考えは及ばなかった。
確かに、当時のローエングラム元帥は急速に歴史の表に出現しようとしていた。
だが、その後2年も経過せずに「実態はすでにローエングラム王朝」と言う処まで達成するとは其の時点では分からなかった。
私は予言者なんかじゃ無い。何度も間違えたり、考え直したりしながら結論に近付いていった1人の人間だ。
私がローエングラム王朝と何らかの民主共和政体との共存が可能と考え出したのは、
ローエングラム改革が民主化と言う意味では、もう引き返せなくなっていると確信出来た時だった」
そうだろうな。『原作』はヤン視点で書かれていただけに、ある程度ヤンの試行錯誤する思考の軌跡を追っている。

……そんな感じで楽しい議論を続けている間に、あらためて思い出していた。元々ヤンは歴史家に成りたかった筈だった。

「ヤン提督。もしも皇帝が提督を招くに当たって、軍部では無く学芸省へと招かれていたら、ご返事は変わっていましたか?」
「もしかして貴官が言っているのは…」
「ヤー。学芸省では「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂が進行しています。その事業への参加を要請されたら」
「私にとっては、メフィストフェレスの誘惑だね。猫を買収する積もりだったら金貨よりもキャットフードを用意するべきなのさ」
結局の処、イエスとかノーとかは言わなかった………。

……。

…報告のために憲兵本部に戻ってみると、総監は居なかった。

私邸から迎えが来て
「今晩の「大佐さん」は6時間以上眠る責任が在ります」
とか言って連れ戻されていた。

仕方が無いので、報告書は書類にして提出しておく事にしたが、上官への報告は1つでも無かった。
他に報告する中の1つが出張予定の確認だった。
現状、イゼルローン要塞は惑星エル・ファシルの衛星に成っている。
これをもはや何処にも移動させない様に、後付されて来た航行エンジンを破壊するのも停戦合意の1つだったが、
その破壊の後を確認して再びエンジンを取り付けさせないための監視が続けられている。
自治共和国駐在の弁務官による正面からの査察だけでは無く、
われわれ憲兵隊の不意討ち調査で確度を上げて置くのが、結局は双方の利益だった。

その出張予定表と会談の報告書を明日の書類に紛れ込ませながら、
ふと想い出していた………。

……。

…イゼルローンと「奇蹟の魔術師」の名前が互いに結び付けられ始めた頃。

開設したばかりのローエングラム元帥府でウルリッヒ・ケスラーに引き合わされた頃の事だった。



[29468] 第7章『華のローエングラム元帥府』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/04 23:52
同盟領内に在るアスターテ星系からイゼルローン要塞を経由して帝都オーディンまでは、1ヶ月以上の時間的距離が存在する。
その時間の間にオーディンでは、論功行賞のための会議と事務が進行していた。

オーディンの中心市街には、ローエングラム伯爵家が断絶する以前からの邸宅が、当然の様に存在した。
伯爵家相続と同時に、世間体からもミューゼル時代の下宿からは引っ越して来ていたが、
おそらく「リップシュタット」までの短い間ながら姉を迎えて同居していたのは、この伯爵邸では無かったか?
現状での同居人はキルヒアイス。
他にも邸宅の管理だけでも最低限の使用人は雇わざるを得ない。これは平民階級の雇用問題でもある。
其の中に混じって、下宿時代の家主姉妹が通勤して来ていた。

伯爵邸を相続して具体的に利益と成った事は、伯爵令嬢が正々堂々と出入り出来る様に成った事だ。
今も訪問して来たヒルダを応接しているラインハルトとキルヒアイス、そして末座に控えた俺の議題は、つい先日に訪問して来た使者の件だった。
つい先日、ラインハルトがアスターテから戻るのを待っていた様に宮内省からの使者が「恐れ多い内意」を伝えに伯爵邸を訪問した。
その使者には邸宅に付いてきた骨董品を適当に渡して帰らせたが、重要だったのは「内意」の内容の方だった。
「ローエングラム上級大将を帝国元帥に任ずる。同時に宇宙艦隊副司令長官に任ずる」
元帥府の開設のみならず、宇宙艦隊18個艦隊中の9個艦隊の人事権を取得出来るのだ。
当然の様に、この場での話題は、誰と誰を艦隊司令官にするかの議論に成っていた。

先ず1個艦隊はラインハルト直属。次に1個艦隊はキルヒアイスに任せたい。
だが普通、艦隊司令は中将以上を当てるのだが、キルヒアイスは未だ正式には大佐であり
今回の論功で准将を飛び越えて少将に昇進する予定だっだ。これも帝国元帥と成るラインハルトの引きである。
「手ごろな地方叛乱でも起きてくれないかな」ラインハルトが物騒な事を言い出した。
ラインハルトは「能力的にもキルヒアイスは自分の代理人に相応しい実力を持っている」と信頼していた。
そのキルヒアイスならば、地方貴族の叛乱程度は少将相応の兵数規模で鎮圧出来るだろう。
そして鎮圧して凱旋すれば、その功績で中将に昇進させて艦隊を与えられる。
「その機会までは、何のかんのと理由を付けて1個艦隊を空けて置こう」
キルヒアイスは恐縮し、ヒルダは「何のかんの」の理由に属する提案をいくつか提出した。

残りは7個艦隊。
2人は当然ながら、すでに中将に昇進していた双璧だ。
さらに残る5個艦隊には、現状では少将クラスに甘んじているが以前からラインハルトが目を付けていた、
下級貴族や平民出身の少壮士官たちを抜擢する方針だった。
アウグスト・ザムエル・ワーレン…エルネスト・メックリンガー…カール・グスタフ・ケンプ…
…コルネリアス・ルッツ…フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト……

そこまでの名簿が作られた時点で、ラインハルトは何かに気付いた様にヒルダに向かい直して何かをわびた。
「フロイライン、決して私たちは貴女を忘れていた訳では無い。それどころか貴女を元帥府に欲しい」
「私は1人の兵士を指揮した経験も御座いませんが?」
「指揮官は揃(そろ)った。しかし参謀が欲しい。
いや、軍事的な参謀ならば私自身とキルヒアイスで十分だ。
目に見える敵に対しては私たちが陣頭に立ち、武力を持って攻勢に出るだろう。
だが、その足下や背中を別の種類の敵から防御するための相談役が必要だ。
そうした意味でも貴女のセンスと知謀は、1個艦隊の武力に勝る」
「過分の評価を頂きます」
そう言って軽く礼をとった後に続けた。
「しかし其れは、武力とは別の意味で手を汚す場合も在り得る役目かと。
しょせん私は名門の箱入り娘に過ぎません。
むしろ例えば憲兵本部の中などに、能力的にも人格的にも信頼出来る協力者をつくるべきでは」
むしろラインハルトは好機嫌だった。
「貴女は私に助言してくれれば其れで好い。今も適切な助言をしてくれた」
それから真面目な態度で続ける。
「やはり非公式な相談役では無く、例え文官待遇でも貴女を元帥府に出仕させたい」
そうなると元帥府独自の人事権に加えて、ラインハルトが伯爵である事、ヒルダが伯爵令嬢である事が
「この程度のワガママ」を通す役に立ちそうだった。それが帝国の現体制だった。
目的のために手段は選択するものだ。

続いての話題は、ヒルダが助言した「協力者」に移った。
確かにラインハルトがヒルダに求めているのは、直属の相談役である。
やはり実務に当たる実行者が、別に必要だった。
その方面の実務に優秀でラインハルトが信頼出来る誰かを、いったん元帥府に所属させた上で憲兵本部に出向させる。
そうなれば、ラインハルトにも候補者の心当たりは在った。
「かつて私は、ウルリッヒ・ケスラーと約束した。3年を待たずして約束を果たせるだけの地位を手に入れた」
「しかしラインハルト様。3年と言うのはケスラー提督(もう大佐からは昇進しているだろう)の任期の意味ですが」
「お前が反乱を1つ潰(つぶ)した位では欲張り過ぎかな?フロイラインの人事も在るしな。2つ3つ程度は潰す必要が在るかな」
ますます物騒な事を言い出した。

「ところでザルツ大佐」
末席で拝聴していた処へ、急に話題を振られた。
「卿は度々(たびたび)有益な情報を提供してくれた。その実績からしても、卿もケスラーと協力して情報面で活躍して欲しいものだが」
笑顔なんだが口に獲物をくわえたライオンの笑い方にも見える。
「どうかな?ザルツ准将」
確かに、俺を准将に昇進させる程度の権限は元帥府にでもあるだろう。
「ケスラー提督とともに憲兵本部へ出向しろ、との御命令であれば粉骨砕身の努力をさせて頂きます。
しかし准将の件につきましては
ケスラー提督の下で准将相応の実績を上げた時とさせて頂きたい、と愚考いたします」

……後年の憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ中将。当時のザルツ大佐としては、こう返答するしか無かった……

視点:後世の歴史家

数日後、ローエングラム伯爵に正式に元帥杖を授(さず)ける儀式が執り行われた。

そしてイゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。
現時点では、ヒルダは未だ正式には元帥府に出仕してはいない。
したがって、今日の場合もラインハルトとヒルダの私的な友人関係による訪問、と言う形式である。
それでも、お互いの地位が「ワガママ」を通させていた。
だが話題は色気の有るものなどでは断じて無かった。

「フロイライン。言う処の我が帝国軍3長官は辞任するだろうか?」
「形式的にも辞表は提出せざるを得ないでしょう。それだけの事態です」
ラインハルトにしても、その程度の質問だけをする積もりも無い。
「私としては好機だろうか?」
現状の帝国軍の序列では、3長官とラインハルトの間に存在するのは幕僚総監クラーゼン元帥1人だけだ。
「今回の閣下は、むしろ3長官が現職に留まれる様に弁護なさるべきです」
「理由は?」
「今回の事態は、閣下であっても思いがけない突発事でしょう。
そんな望まなかった機会に飛び付かなくとも、これから堂々と武勲を上げて自らの手を届かせる積もりで居られたのでは。
むしろ、現状では閣下の上位者である3長官に、ここは恩義を感じさせて置くべきでしょう」
ラインハルトは満足した。
「その通りだ。フロイラインとケスラーの人事の事も在る。その取引材料ならば、むしろ安い…どちらにせよ、今の間だけだ」
それから軽く笑って付け加えた。
「1人分、余るな」
そして、ラインハルトがヒルダと対談している間は脇に控えていたキルヒアイスとも笑い合った。

……ところがヒルダを送った後、別な来訪者が押しかけて来た。

「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「けっこう、キルヒアイス中将だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯にはまだご理解いただけぬか」

「誤解して欲しくは無いな。大佐。私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ」

……結局の処、オーベルシュタイン大佐の売込をラインハルトは黙殺した。

しかし、このまま見捨てるのも後味が好くも無い。
「死んだ猪や囚(とら)われの身に成った間抜けの身代わりに罰を受ける程、大佐も罪深くは無いだろう。
それに猪は彼の忠告を無視した結果だったらしいしな。
幸か不幸か、3長官との取引材料は後1人分だけ残っている」
キルヒアイスとヒルダも、ラインハルトに言われて微妙な態度ながらも同意した。

視点:とある転生者

「ザルツ大佐。卿の得てくる情報は興味深いな」
結局の処、とりあえずの俺の役目は元帥府の事務局に所属して、憲兵本部に出向するケスラー少将との連絡役を兼ねる事に成った。
そのため、気心を知るために飲みに来ていたのだが。
「情報源は秘密が原則である事は、私も承知だ。だから詮索はしない。だが例えば……」
ケスラーが例えたのは「カストロプ動乱」だった。

俺はヒルダがラインハルトを訪問して来た時、機会を捕らえて警告した事が在った。
「お父上は、カストロプ公爵家の相続に関係して奔走していらっしゃるそうですが……」
ヒルダが頷(うなず)くのを確認してから続ける。
「公爵領へ御自身で赴(おもむ)かれるのは危険です。人質にされる危険が在ります。
向こう側は既(すで)に其の積もりで準備を始めている可能性が在ります。
おそらくは、キルヒアイス少将に任せる事態に成るでしょう」

だが誠実なるマーリンドルフ伯爵は愛娘の忠告には感謝しながら
「これは私の役目だよ」と言い残して出立して行った。
こう成ると、と言うよりヒルダがローエングラム伯爵邸や元帥府に出入りしていた時点で、
キルヒアイスの任務には「マーリンドルフ伯爵を生かして連れて帰る」と言う任務が加わる。
逆説的ながら、それだけキルヒアイスをカストロプに対して出征させる名目は立て易かった。

当然ながら、俺は戦術的にはキルヒアイスに干渉していない。
そんな余計なジャマをしない方が好い筈だった。

「実に的確な情報だった」
その晩の酒の味は、表現し難(かた)かった。
「そんなに焦(あせ)る必要は無い。
それだけ的確な情報源を秘す卿が、明らかにローエングラム元帥の利益に沿って行動している。
卿の情報は、元帥閣下のために貴重だ」



[29468] 第8章『目的のためなら手段を選ぶ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/07 23:28
ケスラー少将がローエングラム元帥府から憲兵本部へと出向して何ヶ月かが過ぎた頃。

元帥府事務局での連絡役である俺は、ケスラーからの報告を受け付けていた。
殆(ほとんど)単身で乗り込んだケスラーとしては、
憲兵という軍内部の警察組織の中に親ローエングラム派閥をつくる事から始めざるを得なかった。
未だ未だ、その派閥づくりの段階だった。
そんなケスラーからの報告をヒルダを通してラインハルトに提出して、さて事務局の仕事に戻りながら
俺は『原作』知識を想い返していた。

……オーベルシュタインは、正論と評価されながらも好感は持たれなかった。

それは正論である事自体への反発と言うよりも、価値観の相違では無かったか?
極端だが其れだけに分かり易い例が「ヴェスターランド」だ。
キルヒアイスへの贖罪(しょくざい)意識が大きいにしろ、ラインハルトは恐らく夭折するまで、罪悪感から解放されなかった。
逆説的ながら、もしかしたら其の短い生涯で只1回だけだったかも知れない男女関係のトリガーに成った程、彼の精神に傷跡を残していた。
ところが、其れ程の苦悩を主君がフラッシュバックさせていた同じ時、冷然として主君の罪を被っていた。

ラインハルトとオーベルシュタインは、根幹では其れだけ価値観が異なっていた。
そのラインハルトと価値観を最も多く共有していたのは、やはりキルヒアイスだろう。
ヒルダや双璧その他の直属の部下たちも、キルヒアイスには及ばずとも多かれ少なかれラインハルトの価値観に共感していた筈だ。
だからこそ、ヒルダの考察でも価値観の多様性と言う観点からオーベルシュタインの存在を認めていたのだが、
その場合でも同時に「むしろヤンの様な人物に其の役割を」とも考察していた。
ヤンは元々、好敵手としてラインハルトに認められたのだし
ヤンの価値観は、帝国とは異なる多価値観を認める建前の中で育(はぐく)まれたものだった。

何故、そんな事を内心にしろ考察しているか、と言えば
時期的に「アムリッツァ会戦」が近付いている筈だからだ。
もっとも狭い意味での「アムリッツァ会戦」とは、同星域で戦われた1つの戦闘を意味する。
広い意味では、侵攻側の出撃から双方の撤収までの連続した戦役を言う。
この広い意味での「アムリッツァ」で帝国軍が実施した飢餓作戦は、どちらかと言えばオーベルシュタインの価値観に近い、とも想える。
少なくとも「ヴェスターランド」をめぐるラインハルトやオーベルシュタイン、
あるいはオーベルシュタインよりもより多くラインハルトと価値観を共有している筈のキルヒアイスの言動などを追っていけば。

実の処『原作』にも書いていなかった。誰の発案で、どう言う経過をへてラインハルトが飢餓作戦を決断したのかは。
オーベルシュタインは不在、よりラインハルトやキルヒアイスと価値観を共有している筈のヒルダが其の位置に入れ替わっている「現状」で
ラインハルトの決断は、どの程度まで影響されているのだろう………。

……。

…とある夕刻、俺はキルヒアイスに声をかけてみた。

「キルヒアイス中将。元帥閣下は対叛乱軍の戦略をお練りでしょうか?」
ラインハルト本人を回避してキルヒアイスにした辺りが自分ながらセコいが、笑顔のキルヒアイスに御持ち帰りされた。

当然の様にキルヒアイスは中将に成っても、ローエングラム伯爵邸に同居している。
その伯爵邸にラインハルトの方はヒルダをさそって帰っていた。
「ザルツ大佐。以前にも、この顔ぶれで論議した事が在ったな。確か、元帥府に誰と誰を招くか、と言う論議だったが」
元帥閣下に、こう言われたら「ヤー」以外の返答も無い。
「卿には時々、驚かされる。そうした時は結果からすれば有益な情報や提案だった。今回も参考に成る様な情報は無いだろうか」
「それは、お話次第です。ですが…私などが機密に関係しても好ろしいのでしょうか?」
「秘密保持を心得ない卿でも無かろう」その程度には信頼されている訳だ。

……やはりラインハルトは同盟軍迎撃の戦略を練っていた。キルヒアイスとヒルダとの3人だけで。

やはりシミュレーションとしてなら飢餓作戦も検討されたらしい。
だが、最終的には3人の合議で却下された。
ヒルダ曰く
「元帥閣下の目指しておられる事のためには、民衆を敵に回す危険は回避すべきです。
目先の勝利のためには成っても最終的な目的のためには選ぶべき手段では無いでしょう」
そんなヒルダにラインハルトは好い機嫌だ。
「フロイラインの主張では「目的のためには手段を選ばず」とか「目的が手段を正当化する」とかは、中学生向けのマキャベリズムらしい」

そもそもマキアベリが中学生向けの陰謀主義者だと言うのは、彼の主君が毒殺趣味だと言うのと同様、政敵による誹謗中傷だった。
彼が説いたのは「目的を達成するためにこそ手段を選択するべきだ」と言う事だった。

「私の目的は叛乱軍に勝つだけでは無い」
ラインハルトはハッキリと言い切った。
「これまでも私は、ただ叛乱軍に勝つだけでは無く、武勲を上げ私自身が力を手に入れるために戦って来た。だが
元帥府を開設した今と成っては、私の既(すで)に持っている力をより大きく強くするためには別の手段が必要だ。
私が抜擢した部下たちに武勲を上げさせ、力を付けさせる。その部下たちの上に立つ事で、私の力とするのだ」
ラインハルトは笑顔だが、ライオンの笑い方だ。
「私の目的を不純だと想うか?ザルツ大佐」

「ナイン」正直に想っていない。
「敵に対する敗因と成った時に、不純だったと言われるでしょう」
ウソもヘツライも無い。
「負けはしない。私も、私が選んだ提督たちも」
それからラインハルトは其の目的のために選んだ手段としての戦略を語り始めた。
「したがって私は、叛乱軍1個艦隊に其々(それぞれ)1個艦隊を当てる積もりだ。
私が艦隊司令官にした提督たちに、叛乱軍を撃退したと言う実績と実力を示す機会を与えるためにな。
そのための各個同時攻撃の体制を整える事が作戦の基本方針と成る。
これまでに入手した情報では、敵は8個艦隊。私は9個艦隊を持っている。
残る1個艦隊を活用すれば、さらに作戦の選択肢が増す」
俺は脳内で返答を選択した。

「私は閣下は無論、キルヒアイス提督や他の提督方にも実戦指揮官としては及びません。
そんな私が言うのも、おこがましいのですが敵にもヤン・ウェンリーが居ます。
私などではヤンの力量は分かりません。あの「奇蹟の魔術師」をはかる計器に適切なのは元帥閣下でしょう」
「そうだな。1個艦隊に1個艦隊ずつで対処したら、相手がヤン・ウェンリーでも確実に勝てそうなのは、私かキルヒアイス位かも知れんな」
実の処、ラインハルトでも後半歩で殺されかけたのがヤンなのだ。

「それに大佐。その前に敵8個艦隊が全てイゼルローン回廊から出て来て、決戦に応じてくれる必要が在る。
もしも回廊を抜けて帝国領内へ入り込んだ処で先頭集団を叩いた場合、残りの兵力が回廊から出て来なければ、
こちらもそれ以上、攻勢のかけようが無い」
「閣下。敵は民主共和政体であるが故(ゆえ)に好戦的と成る季節なのです」
流石に天才でもラインハルトも帝国の子。キルヒアイスもだ。ヒルダも聡明とは言え伯爵令嬢だ。
西暦21世紀日本だの銀河連邦だのの「前世」持ちでも無い。
「だからこそ、ヤンの騙し討ちまで6度もイゼルローンに攻め寄せたのです。
今回、ヤンがイゼルローンを確保しているにもかかわらず
平和攻勢では無く出兵して来るのも、共和主義者が好戦的に成る季節だからなのです」

「ほう」ラインハルトが又、ライオンの笑顔に成った。
「卿は叛乱勢力にも情報元を持っているらしいな」
それから別な笑い方をして手を振った。
「安心したまえ。私の不利益を図らない限り、卿の情報元の秘密は尊重する」
しかし、どうやら「この」情報はラインハルトの参考には成った様だった………。

……。

…宇宙時代とは言え、宇宙の全ての天体に固有名が付けられている訳では無い。

先ずは有人惑星。次に有人惑星を持つ恒星系が優先される。
無人の衛星などは、例えば(恒星名)4=2と言った符丁で処理される。
いや恒星自体、航路局の割り振った数字とアルファベットだけの符丁で処理されている方が多数派なのだ。

そんな符丁で処理されるだけだった星系がローエングラム元帥府に所属する9個艦隊中8個艦隊の集結地に選択された理由は、
軍事戦略からは明解だった。
イゼルローン回廊を帝国側へ抜けるポイントから惑星オーディンを有するヴァルハラ星系へと結ぶ線上に沿って、
有人惑星を持つ星系の手前に位置していた。
『原作』でのフェザーン回廊から同盟領、後には新領土への3回の侵攻のうち2回の決戦場にランテマリオ星域が
残る1回も隣り合うアル・マデッタ星域が選択された、その全く同様な選択だった。

元帥府事務局の仕事の続きで戦艦ブリュンヒルトに乗せられて、この符丁で呼ばれていた星系まで、俺も遣って来ていた。

後にラインハルト・フォン・ローエングラムによって、この星系と、始まろうとしていた戦役の名が命名される事に成る。



[29468] 第9章『新ティアマト星域会戦(その1)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/13 20:57
戦国日本の島津軍は「釣り野伏」と名付けた戦術を多用した。
しかし、これに類似した戦術は古代から近代までの西方から東方までの様々(さまざま)な軍隊が試し、その幾(いく)つかは成功した。

いわゆるヤン艦隊も「うちの艦隊は逃げる演技ばかりうまくなって」と言うくらいの常套手段だったが
帝国軍それもラインハルト陣営が「釣り野伏」を使わなかった訳でも無い。
『原作』でも双璧が、ガイエスブルク撃滅後の撤退戦で、ヤンの部下の筈だった相手に対して成功している。

今回「釣り」の役目を引き受けたのはキルヒアイス艦隊だった。
何と言っても、敵と同数の8個艦隊を「野伏」に当てるのが前提であり、1個艦隊で敵8個艦隊を決戦場となる星系まで誘導しなければ成らない。
そして「野伏」8個艦隊と敵8個艦隊が同時衝突した後は、今度は敵にトドメを指す予備戦力と成る。
成功すれば最大の功績が期待出来るが其れだけ難度も高く重要な任務を、ラインハルトは能力的にも最大の信頼を向ける親友に割り振り、
自分は8人の敵の中で自分だけが勝利出来るであろう「奇蹟の魔術師」に立ち向かう予定だった。

……この星系が符丁で処理されて来た理由は、簡単と言えば簡単だ。

恒星だけの孤独な星系であり、直ぐ後方に在る地方貴族の私領とは言え、有人惑星を持った星系の様に命名する価値は無かった。

その恒星を、予想される同盟艦隊の進行方向に対して盾にする位置で、総旗艦ブリュンヒルト以下8個艦隊が待機していた………。

……。

…俺、ザルツ大佐は例によってラインハルトの玉座の後ろに立っている。

「キルヒアイス艦隊旗艦バルバロッサより入電!」
オペレーターからの報告が上がって来た。
9個艦隊中もっとも通信能力が高いのはブリュンヒルトそして姉妹艦のバルバロッサだ。
本来の建造コンセプトからすれば、大将以上の専用艦である筈のバルバロッサに
中将に成ったばかりのキルヒアイスを乗せているのはローエングラム元帥である。
しかし現実に役立っていた。
ブリュンヒルトのスクリーンに窓が開き、バルバロッサからデータリンクされて来た情報が投影される。
同盟軍8個艦隊が次々と、この星系に接近して来つつあった。

だが各艦隊が縦に並んでいても、1匹の「俊敏なる蛇」の様な1つの陣形にまでは成っていない。
当然だ。そのためなら「蛇の頭」に位置しなければ成らない総司令部はイゼルローン要塞に引っ込んでいる。
そして各艦隊旗艦の艦型も識別された。敵第2陣に戦艦ヒューベリオンが確認出来た。

……ラインハルトの命令が下る。

「全艦出撃!!」
敵視点から見れば、恒星の周囲に8条の光芒が見えただろう。
だが其れは、頭上に蛇を持つ顔を刻まれた伝説の盾から8匹の蛇が放たれた様に、同盟軍8個艦隊へと同時に襲い掛かった。

……ラインハルトの読みは当たった。

敵は連携が好くない。
ズルズルと8対8では無く、8組の1対1へと落ち込んでいた。

俺はラインハルトの後ろに立っていながら、俺なりの軍人教育と実戦経験を動員して戦意を保とうとしていた。
「敵はアスターテの敗残者どもだ!」ラインハルトは獅子の吼え声を上げる。
その通り「アスターテ会戦」でラインハルトに撃滅された3個艦隊の生存者と残存戦力を再編成したのが「ヤン艦隊」なのだが
現状、指揮しているのは「奇蹟の魔術師」だ。
ヤンに「汚染」された兵士たちは、もう士気の観点からも敗残兵などでは無い。
逆に、この旗艦がブリュンヒルトだと気付いたら「アスターテの仕返しだ!」とばかり戦意を高ぶらせかねない。
しかし、キルヒアイスも居ないラインハルトの後ろで、こんな足を引っ張る様な発言を表に出したら逆鱗に触れるだろう。

大体、俺ごときに分かる事に「戦争の天才」が気付かない筈が無い。
そして、この「天才少年」には凄(すさ)まじいまでの感性と「目的のために手段を選ぶ」戦略家が混在している。
ともすれば戦意過剰に成りそうな自分をコントロールしつつ、この会戦の目的のために時間を稼ごうとしていた。
自分の抜擢した艦隊司令官たちが其々(それぞれ)に手柄を立てる時間、
そして「釣り」の任務を果たした後は、今度は自分が恒星の向こう側を迂回して来ながら予備戦力として待機しているキルヒアイスが
敵にトドメを指して最大の手柄を立てる時間を、である。

だが、相手はヤンである。
時間稼ぎだけでもラインハルトですら全能力稼動を必要としていた。
ブリュンヒルトの旗艦能力の高さで、情報だけはリアルタイムで入って来ているが、
部下たちに命令する余裕は、ラインハルトでも簡単には手に入らない。
目前のヤンへの対応で手一杯に成りがちだった。

……ブリュンヒルトのコンピューターが解析したヤン艦隊の陣型が、半月型に変わり始めた。

「わが艦隊の右から攻撃を集中する積もりだ。こちらも右を守れ」
ラインハルトが先手を取った。

すると今度は左へとシフトして行く。
「左を防御」

再び右へシフト。
「また右だ。遅れるな」
ケンプには悪いが、ラインハルト相手では同じ戦術でも通用しない様だ。いくらヤンであっても。

……そのラインハルトの後ろに立っていながら、俺ことザルツ大佐は、ヤンの姿を想像するばかりだった。

後の特命室長ザルツ中将ならば、この時の戦艦ヒューベリオンの「円卓」で記録された資料も入手可能だったが。

「流石にローエングラム伯爵は「戦争の天才」だ。つけこむ隙も逃げ出す隙もない」
「逃げるのですか?」あえて常識論を提出するのが役目と心得ている。
「この場での勝敗は無意味だ。周りの味方が負けたら敵中に孤立する。
そしてローエングラム伯爵の狙いも、そこなんだ。私が彼の目の前から逃げ出して、他の味方を助けに行かせない積もりだ。
私ごときを過剰評価してくれるのは光栄だがね」
「成程」
「こうなったら、これしかない。もっとも、敵がこれに乗ってくれればだが……」

……ヤン艦隊副司令官フィッシャーの艦隊フォーメーションは成程、名人芸だった。

半月陣から左右にシフトし続けていた陣型が、何時の間にか三日月型に変化していて、さらにU字型に再編されながら後退して行く。
「あの中に誘い込んで3方から攻撃、私が怯(ひる)んだ隙に味方を援護に行くか……」
残念ながら、相手がラインハルトだった。

やっぱり、ザルツ大佐ごときが手も口も出せる勝負じゃ無い。
俺は、他の敵味方の状況確認に仕事をシフトした。

ミッターマイヤー艦隊は疾風に相応しい速攻で、同盟第9艦隊を振り回している。
ちなみに「疾風」は「第6次イゼルローン戦」時点でラインハルトから命名済みだ。
これに対して双璧の相棒は、今のところ互角なのは敵がビュコックだからだろう。
百戦錬磨に防御を固められては流石のロイエンタールでも閉口するらしい。
だが、第9艦隊を手一杯に追い込んだ疾風が、その疾風らしい素早い転進でビュコックの死角を突付いて相棒に突破口を開かせる。
すると、老将が立ち直るまでの間だけ余裕を持ったロイエンタールが今度はミッタマイヤーを援護し、
その間に再び疾風が第9艦隊を振り回す。

双璧でも片方だけなら、百戦錬磨は互角近くに戦える様だが、2対2に持ち込まれたら連携度が違い過ぎた。
『原作』知識を持っている俺でも、双璧相手のタッグマッチで戦えそうなペアと成ったら、ラインハルトとキルヒアイスくらいしか思い付かない。
後はビュコックの相方がヤンだった場合か。
今のビュコックも、せめて隣がウランフかボロディンでいて欲しかったろうが、
星域侵入時の第1陣だったウランフはビッテンフェルトと「前世」言う処のガチバトル状態。
最後尾の第8陣だったボロディンは、味方の端でルッツと戦っている。

同盟側で互角に戦えているのは、この辺りまでで、残りは帝国側が押していた。
ラインハルトが期待して元帥府に招いただけの実力を示し始めていた………。

……。

…8組の1対1、と言うべき今回の基本方針からは、ラインハルトが天才でも余りに細かい命令までは事前に下し切れない。

そして戦闘が始まってからは、ラインハルトでさえヤンとの戦いに集中せざるを得なかった。
だが、ラインハルトが抜擢した提督たちならば、以下程度の基本方針で必要にして十分だった。
「敵を恒星の方向へ押し込め」
今や、ヤン艦隊を除いた同盟軍7個艦隊は、ジリジリと恒星の方向へ押し込まれ始めた。
そこには、トドメの一撃を期待されるキルヒアイスが待っている。

ラインハルトはブリュンヒルトのスクリーン正面に見えるヤン艦隊から、開いている窓の戦況図に瞬間だけ注意を向けた。
「キルヒアイスはまだ来ないか?」



[29468] 第10章『新ティアマト星域会戦(その2)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/08 23:48
今や同盟軍7個艦隊は、それぞれ正面から帝国軍各1個艦隊ずつに押し込まれながらも、何とか踏みとどまろうとしていた。
彼らとて、最初に彼らを「釣った」1個艦隊が未だ敵に残っている事。
おそらく、現状で彼らの後方に成っている恒星の向こう側に隠れているくらいは想像出来ているだろう。

その同盟軍の後方に、恒星の向こう側から遂(つい)にキルヒアイス艦隊が出現した。
旗艦バルバロッサが陣頭に立ち、急速に接近して行く。
これに対して、未だ何とか対応する時間的距離は残っている、とでも想ったか同盟各艦隊が最後のモガキを見せ始めた。
だが、この時のキルヒアイスは新兵器によって敵を奇襲した。
事前に「例え敵に想像を絶する新兵器があろうとも、それを理由として怯むわけにはいきません」とか演説した同盟軍参謀が居たそうだが、
この新兵器は同盟軍としても「まさか」よりも「やはり」という形で表現される筈だった。
何せ「第5次イゼルローン攻防戦」から遠くない時点で、開発中の新兵器を手土産に亡命しようとした帝国貴族が存在した。
サンプルに持ち出した実物は奪還されたものの「こんな新兵器が開発中である」と言う情報を知っていた亡命者は同盟側に保護され、
侵入していた奪還者は、その新兵器で突破口を開いてイゼルローン回廊に逃げ込んだのだ。

「指向性ゼッフル粒子を放出せよ」
ナノマシンに誘導された見えない粒子が、未だ宇宙戦艦の主砲でも有効射程外の筈の空間を横断して、同盟艦隊に浸透していった。

変化は、少なくとも同盟軍には突然だった。
戦艦バルバロッサが、本来1隻の敵も居ない筈の仮想の1ヶ所を狙って主砲を炸裂させると、
その仮想の1ヶ所から7本の火炎と爆発の道が同盟軍の7個艦隊へと其々(それぞれ)に延びて行き
それぞれの艦列のド真ん中で大爆発した。
この奇襲効果を見逃す様な凡将はローエングラム元帥府には抜擢されない。
同盟軍各艦隊と其々に対決していた各艦隊が好機を逃さず全面攻勢に出て、それぞれが担当していた敵艦隊を突き崩しながら
向こう側から急速接近するキルヒアイス艦隊の方向へと追い遣り始めた。

もはや同盟軍は正面からは帝国軍に押し込まれ、左右は押し込まれて来る味方がジャマし合い、そして後方の逃げ道もキルヒアイスに迫られ
ズルズルと主導権ばかりか艦隊フォーメーションを立て直す余裕すら奪われて包囲殲滅の危機に直面していた………。

……。

…この時、ラインハルトに引き離されていたヤン艦隊だけが、包囲の外に居た。

ヤンは装甲の厚い艦を並べて防御壁をつくり、その隙間から火力で反撃しながら、何とか味方の方へと艦列をシフトさせようとしていた。
これを見抜いたラインハルトもヤンに合わせて艦列を横ずらせ、ヤンにしてみれば味方の生命が賭けられたカバディが続いていた。

「行かしはしない。だが…10万隻の包囲殲滅戦ははじめて見るな」
そんな感想を漏らしたラインハルトが何気なしに横を見て、ヤンの狙いを見破った。
ヤンとのカバディを続けている間に、何時の間にか恒星が、やけに大きく近付いている。
「レグニツァだ!」
例えヤン相手でもラインハルトならば、実行されて分かるほど、してやられはしない。
だが、ここは瞬間だけ遅かった。
恒星から伸びて来たプロミネンスが、ヤン艦隊をブリュンヒルトのスクリーンから隠した。

……ラインハルトは1回だけ肘休めを殴り付けて冷静さを取り戻した。

その後ろで俺は、今更ながら「奇蹟の魔術師」の意味を知っていた。
ヤンは智将のイメージが大きい。その特長は、歴史家として学習した戦史知識の豊かさである、と想われている。
だが敵味方の膨大な生命を賭ける実戦の中で、なまじ莫大な知識の中から1つだけの正解を、どうやって検索しているのか?
ある程度ヤンの内面まで記述された『原作』を深読みしてみれば、想像だけは可能だ。
目前の戦場を、陣頭に立っているからには自分自身の生命すら賭けのチップに成っている最悪のギャンブルを認識しながら、
なおかつ「後世の歴史家」の視点で俯瞰(ふかん)して視る事が出来る
その言わば神の視点を可能にする彼自身の精神こそ、ヤンを「奇蹟の魔術師」にしているのだ。

その意味でもヤンに立ち向かえるのは、やはりラインハルトだけだ。

そのラインハルトは、瞬間だけは見失ったヤン艦隊の意図を早くも見抜こうとしていた。
もっともヤンは、意図そのものだけは隠す積もりも無いと疑わせるほどの猛進をしている。
その猛進の延長線上に位置しているのは……
「戦艦バルバロッサを呼び出せ!キルヒアイス提督にビッテンフェルト艦隊を援護させる」
正面攻撃ならば帝国軍最強なのが黒色槍騎兵だが、その代償が側面や背面の防御だった。
無論、普通の敵に短所を突付かれた程度で負けるほど弱くは無いが、敵はヤンだった。

……後に報告させた戦闘記録と、これも後に入手出来たヒューベリオンの記録によれば、事の顛末は以下のごとくだった。

すでに包囲の環は閉じ、徐々に縮み始めていた。
「包囲の中の敵は密集しているだけに狙わんでも撃てば当たるが、そればかりでも詰まらんな。それにそろそろ左右の味方で窮屈に成って来た」
らしいと言えばビッテンフェルトらしい。
「好し!ワルキューレを出せ。ワルキューレなら、あの中に突入して、もっと敵を倒せるぞ」
だが母艦機能を持つ全艦が全機を発進させ終わるよりも前に、ヤンが出現した。
「敵らしきもの、後方より急速接近」
「全艦一斉回頭!どうせ、そろそろ周りの味方で窮屈だった位だ。包囲の中の敵は任せる。わが艦隊は、この新手の敵と戦うぞ!」
決断が遅い、と言う弱点だけは無かった。
決して黒色槍騎兵は、回頭が間に合わないままの横腹を撃たれたのでは無かった。

だが、ヤンは見破っていた。
「戦闘艇を発進させ終わってない敵艦を識別出来るか?そこへピンポイント攻撃をかけろ」

ただでさえ1隻の防御力を飽和させるヤン艦隊の1点集中砲火が、母艦よりも防御の弱過ぎる誘爆物を露出している処へと狙い撃ちしたのだ。
ワルキューレの誘爆で黒色槍騎兵の艦列には次々と穴が開き、その穴をヤン艦隊の特技、1点集中砲火が抉(えぐ)り続け拡げていく。
それでも尚「怯むな!反撃しろ!わが艦隊に退却の文字は無い!!」などと叫ぶのがビッテンフェルトだった。

「好し、今だ!あの黒い艦隊に残存戦力のすべてを一挙に叩きつけろ。1点突破で味方を逃がすんだ。急げ!」
同時に副官を振り返った。
「中尉。何としてでもビュコック提督の旗艦リオ・グランテを呼び出してくれ」
そしてヤンはビュコックに、こう言った。
「私の艦隊が脱出口を確保します。そのスキに各艦隊の指揮系統を再編成しつつ、イゼルローン要塞への撤退をお願いします…
…ご心配なく。あいにく自滅や玉砕は私の趣味では在りませんから」

……そのヤンを追うラインハルト艦隊の中に、当然に俺は居た。

だが、ヤンに追い付いたラインハルト艦隊と黒色槍騎兵を援護するべくシフトしたキルヒアイス艦隊から、今度は
ダムに開いた穴から溢(あふ)れ出る水流のごとく流れ出た同盟軍の残存艦たちがヤン艦隊を隠した。
このスキにヤン自身も撤収を開始した。
「よし、全艦隊、逃げろ!」とでも命令しただろうか?
尚も味方を逃がすため、追撃する帝国軍の先頭へとピンポイント攻撃で出足を止めながら、ヤンは逃げて行った。

……ラインハルトは、もう1回だけ肘休めを殴り付けて冷静さを取り戻すと、新たな命令を下した。

「全艦隊、包囲殲滅戦から追撃戦に移れ。
どうせ奴らは、この星域からイゼルローンまで逃げ帰らなければ成らないのだ。
彼らの故郷までの道は遠い。脱落者ことごとく、卿らの手柄首にしろ」
とかく戦闘中に発せられる言動は、トキの声まがいの戦意をけしかけるものに成りがちだが、
この場合は、具体的な指示を兼ねていた。

命令を下し終われば当然に通信は切られるのだが、あえて俺はバルバロッサとの回線切断を最後にした。
そして玉座の周りの結界を遮音にして階段の下の艦橋に降りた。
おそらく、結界の中のラインハルトはキルヒアイスに向かって
「ヤン・ウェンリーはなぜ、いつもおれが完全に勝とうというとき現れて、おれの邪魔をするのだ?!」
とでも訴えている事だろう。
それが、もっとも狭い意味での「新ティアマト星域会戦」終了の儀式だった。



[29468] 第11章『新ティアマト星域会戦(その3)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/09 22:20
第2次大戦における「ガダルカナルの戦い」は大日本帝国にとっての「終わりの始まり」として知られるが、
連合艦隊の視点では「吸血戦」の側面を持っていた。

敵航空基地の沖合での戦いである。
夜の間の海戦自体に勝とうが負けようが、夜が開け空爆が始まる前には撤収しなければ成らなかった。
何隻の敵艦を撃沈し自艦は浮いていても、つまりは海戦には戦術的に勝利していても、
空爆から脱出出来るだけの航海能力を減失していれば未帰還の結果が待っていた。
そして退艦者が泳ぎ着くのは、敵の島である。
本来、海軍と言う軍隊は軍艦と言う機械に乗って戦う。水兵に採用してから、そうした機械を取り扱えるよう教育していた。
特に当時ならば徴兵してきた普通の青年に銃を持たせていた陸軍に比較すれば元々、志願兵や下士官(職業軍人)の割合が高かったのだ。
その折角(せっかく)教育した人的資源を危険に晒(さら)す、そんな前提条件の戦いだったのである。

いわゆる「ヤン艦隊」は「アスターテ会戦」でラインハルトに撃滅された3個艦隊を再編成したものである事は知られているが、
なぜ1個艦隊分の生存者や残存戦力を救助出来たか、と言えばアスターテ星系の位置が理由に出来る。
イゼルローン回廊を同盟側に抜けた同盟領内にアスターテは位置し、ラインハルトは勝利してもイゼルローン要塞へと撤収していた。

……『原作』での「アムリッツァ会戦」の様に、辺境とは言え有人惑星の存在する辺りまでの侵攻を許した訳では無い。

だが「その」手前辺りまでは引き込んで『原作』ではイゼルローン回廊に近いアムリッツァ星域で戦われた決戦を戦わせた。
そうして包囲殲滅をしかけた、少なくとも包囲に成功して殲滅しかけた上での追撃戦だった。
会戦の場所と成った星域からイゼルローン回廊の出入り口までの間に、ポロポロと同盟軍の艦列から損傷した艦が脱落し、
そうした脱落艦や、何とか撃沈前に脱出だけは出来た救命艇の乗員が帝国側の捕虜に成って行った。
実の処、正確な統計は後に入手出来る様に成った同盟側資料と突き合わせた結果だが、
狭い意味での会戦で発生した戦死・行方不明よりも、その後の追撃戦での脱落者・捕虜の方が
この戦役での同盟側の未帰還者を増加させていた。

……帝国軍の旗艦ブリュンヒルトの艦上。

すでにイゼルローン回廊の帝国側出入り口が近い。そして実は「あの」アムリッツァも近い。
少なくとも帝都オーディンからの距離からすれば
ちょうど地球上で東京を基点にして、ニューヨークとワシントンDCが近い遠いと言う感覚だろうか。

狭い意味での会戦が戦われた星域から、同盟軍を追撃し戦果を拡大しながら、ここまで来ていた。
そしてブリュンヒルトのスクリーンには、強行偵察艦からの映像が映し出されている。

ここまで収容して来た敵の捕虜の数そして尋問の結果からすると、『原作』での「アムリッツァ会戦」に相当近い損害を与えられた様だ。
だが其の代償として、こちら側の各艦隊も無傷とはいかなかった。
やはり腹を減らせ弱らせた敵では無く、行き成りの全面決戦だったのだ。
結局の処、帝国側の民衆を飢えさせたり、占領軍に対して暴動に追い込んで傷付けたりする代わりに、
ラインハルト軍の兵士が犠牲に成った、とも言える。
だがラインハルト本来の目的が表面化する時は、この事実も「ローエングラム伯爵は民衆の味方だ」との宣伝材料に使われそうだ。

特に黒色槍騎兵は…言わずが武士の情けだろう。
それでも「この」程度の損失は回復可能だけの余力が帝国には残っていた。貴族を平民に寄生させながらでも。
そして同盟側には、おそらく回復余力を超えた損失を与えた筈だ。
だが、それでもヤン艦隊だけは推定3分の2以上が生き残って帰ろうとしている。
最後まで踏み留まって味方を逃がしながら。しかも、ここへ到着するまでに先行する味方からの脱落者を少なからず救助していた。

そのヤン艦隊が殿(しんがり)を全うして、イゼルローン回廊に消えて行く。
見送るラインハルトは、まるで肉に喰らいつく寸前のライオンが尻尾を振っている様な笑顔だ。美人だけに尚更こわい。
ヤン艦隊を最後に、すべての同盟軍がイゼルローン回廊に撤収した事を見届けて、ラインハルトもブリュンヒルトを反転させた………。

……。

…未だラインハルトは、報告を受けるだけの立場では無い。

ブリュンヒルトを反転させると、宇宙艦隊「副」司令長官としてのラインハルトは、司令長官を超光速通信で呼び出した。

「ご苦労だった。ローエングラム元帥」
3長官と纏(まと)めても司令長官は本来、実戦部隊の指揮官だ。
惑星オーディンの地表上では無く、旗艦ウィルヘルミナをヴァルハラ星域周辺に待機させていた。
「優秀にして信頼出来る部下に恵まれました」これをラインハルトは言いたかった。
荘厳に頷(うなず)く司令長官。
「卿と卿の部下たちは、ただ航路局が割り振っていた符号を戦史に残る戦場の名に変えたのだ」
「その件で愚考いたしました事が在りますが」
ラインハルトは礼儀正しい演技で提案した。
「この星系を以後「新ティアマト星系」と呼んでは如何でしょう」
「新…ティアマト、だと?」
「いかにも。小官も軍務に就いている以上は戦史を学習せざるを得ませんでしたが
「第2次ティアマト会戦」における「軍務省にとって涙すべき40分間」には帝国軍人として悲憤慷慨せざるを得ませんでした。
しかし、幸いにして今回は、叛乱軍が同様の涙を流した事で在りましょう」

後日ながら同盟は、艦隊司令として出征した8人の中将の内、ヤンとビュコックを除く6人に対して元帥への2階級特進と国葬をもって報いた。

重々しく司令長官は顎(あご)に拳(こぶし)などを当てていたが、数秒後には天井に鼻先を向けて大いに笑っていた。

かくて後世の戦史では、この戦いは「新ティアマト星域会戦」と呼ばれる事に成る………。

……。

…繰り返すが、帝都までの帰路の長さからすれば「アムリッツァ星域」と大差ない辺りまでブリュンヒルトは遠征して来た。

だが『原作』では、有人惑星が存在する辺りまで侵攻側を引き込んで、飢えさせるまで待ってから攻勢に出ていた。
しかし「今回」は、“その”手前まで「釣る」なり決戦を戦ったのだ。
それだけ決着は早く着いている。
つまり、俺ことザルツ大佐だけが知っている事ながら、皇帝フリードリヒ4世が未だ生きている間に帰り着く計算に成る。
4世が死んだ瞬間、ラインハルトが戦場からの凱旋途中では無く惑星オーディンの地表上に居た場合、どの程度まで影響が出るのか?
だが“この”情報だけは「現世」ではヴァルハラまで持って行く種類の代物だった。

……そんな「前世」からみの事をクヨクヨ考え過ぎた結果か、唐突な夢まで見た。

何回かの「前世」の中で『銀河英雄伝説』と言う小説に嵌(はま)っていた年頃
その頃やはり嵌っていた、とある美少女ゲームの夢だった。
正確には、オマケに付いていたミニゲーム中のエピソードだ。
プレイヤーキャラクターが、何人かのヒロインたちの中でライバル関係だった2人を仲直りさせる話だが、
何とも「シュークリームを作らせる」と言う仲直りの方法だった。
材料集めやら製法やらでドタバタした挙句(あげく)1人のヒロインが作ったクリームを、もう1人のヒロインが作ったシュー皮に包んで食べさせた。
「シュークリームと言う御菓子には、クリームもシュー皮も両方必要なんだ」
と言うオチだった。

確か「シュークリームは甘いお菓子だが、クリームの中の砂糖だけよりもシュー皮に入れた塩の隠し味で更に甘く成る」とかで、
美味しい塩を手に入れようとする、と言うのがドタバタの1つだった。

……だが「前世」と言うのは「現世」に限ったら、結局のところ記憶である。目が覚めればオーディンへと帰るブリュンヒルトの艦内だった………。

……。

…帝都に戻った俺は、元帥府事務局で書類とケスラーとの連絡事項とに追い回される毎日に戻りかけた。

正し、書類は増えていた。当然である。
あれだけの戦いの後始末だ。勝ったから、と言って後始末が減る訳でも無い。
特に手間をとるのは論功行賞である。
ラインハルトは「自分自身よりもキルヒアイスを筆頭とする部下たちに手柄を立てさせる」と言う目的を、ほぼ達成した。
それだけに、元帥府から軍務省へと提出される推薦状その他だけでも書類は増えていた。
そして、そうした書類が全て処理し終わる前に来るべき時が来た。

皇帝が死んだ。



[29468] 第12章『閑話らしきもの(その2)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/10 16:21
*作者が勝手に「アニメ版」『銀河英雄伝説』に対して「ここがこうだったら」などと思っている事です。

vol.54『皇帝ばんざい』のEDは「ワルキューレは汝の勇気を愛せり」だったら、もっと好かったな、と今さら想っています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

戦艦ブリュンヒルトでのラインハルトの席を、無造作に玉座に例えて来たが
本来の意味での玉座は、銀河帝国の只1ヶ所にしか存在しない。
その本来ただ1つの「玉座の間」にラインハルトが踏み込んでいた。
正面の大扉を通り抜けたラインハルトは、王朝の臣下たちが列を成す中央に出来た回廊を、紅いカーペットを踏んで進んでいく。
そして、玉座を見上げる階段の下まで進んだ。今までならば、ここで留まり膝を屈した。
だが、今日だけは尚も階段とカーペットを踏みしめて昇っていく。
階段の下から見守る群像には、黒地に銀を飾った軍服の背中が今日の儀式のための豪華なマントに隠されていた。

階段の上には待っていた。
玉座の片側には、大公妃のドレス姿も美しい姉が。
その反対側には長身を元帥の軍服に包み、正装の勲章も凛々しい親友が。
ラインハルトは孤独では無かった。
今日のドレス姿もラインハルトの正装に合わせたヒルダを片手にエスコートして昇ってきた。
そのヒルダを片腕から解放すると、キルヒアイスがアンネローゼの側に移動してヒルダに場所をゆずった。

ラインハルトは玉座への最後の一歩を近付く。
その玉座の背もたれの上に付けられていた「双頭の鷲」の飾りは「黄金獅子」に取り替えられていた。
座上に安置された、黄金の冠の頂上に付けられている飾りも同様だった。
その宝冠の前で最後の閂(かんぬき)の様に両方の肘休めに乗せられていた錫杖(しゃくじょう)を片手で取り上げる。
続いて宝冠に両手を伸ばした。
そして頭上に持ち上げる。無造作に、しかし誰ひとりまねしようのない優雅さをもって。

次の瞬間、見上げる臣下たちの瞳に映った。
黒と銀の大元帥の軍服姿を玉座に腰かけさせ、黄金の冠と黄金の髪をひとつに溶けあわせた彼らの皇帝の姿が。

「ジーク・カイザー・ラインハルト!」の唱和が「玉座の間」に響(ひび)き、繰り返されながら木霊(こだま)し続ける。
ローエングラム王朝が、ここに始まる………。

……。

…そんな「玉座の間」の末席。

この即位のオコボレで中将に昇進したばかりの俺ことハンス・ゲオルグ・ザルツ新中将は、当然に唱和していた。

間もなく式典が無事に進行しパーティーにうつると、適当に歓談しながら物想いに浸(ひた)ったりした。

『原作』によると、5月25日付で当面は存続させた同盟との和約を成立させた、和約の名からして其の時はバーラト星系に居ただろうラインハルトは
6月22日に惑星オーディンで戴冠している。
その間隔と同じくらいの時間を、ハイネセン~イゼルローンあるいはオーディン~イゼルローンの移動に消費している記述が在るが、
ハイネセン~フェザーン~オーディンの経路は時間的距離からしてもイゼルローン経由よりも近道な訳だ。
それでも、ラインハルトを乗せた戦艦ブリュンヒルトがオーディンに帰り着いた時点で、せいぜい数日前。
ブリュンヒルトからの超光速通信で指示して準備させて置かなければ、実際的に不可能だったろう。
例えば国務尚書に指名していて、おそらく「この」儀式の取り仕切りが初仕事だっただろうマーリンドルフ伯爵その他に、とかである。

実際に、そうだった。
そして俺は、その準備の事務方に関係していたため、ある程度の楽屋裏を知る立場だった。

……儀式の準備をする側の視点からは、真面目に処理しなければ成らない問題の1つが席順である。

列席者を武官と文官に大きく分ければ、文官側の第1席はマーリンドルフ伯爵自身だったが、武官側の第1席では多少の紆余曲折が在った。
問い合わせるべき武官側からの出席者の殆(ほとんど)がフェザーン回廊からの凱旋途中だった、と言う事情も在ったが
最前列に同格者が2人出来ていたのだ。

大元帥である皇帝ラインハルトに次ぐ元帥と定められたのは、キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールの3人だったが
この3人の中から第1席を選ぶならばキルヒアイスだと、双璧も納得していた。
だがキルヒアイスの位置は階段の上、玉座の側でラインハルトを待つ、と決まった。
もしも他の臣下と並べて階段の下から見上げさせたら、皇帝がスネただろう。
残る双璧が互いに譲(ゆず)り合ったため、愛娘ほども武官たちの気心を知っているとも限らない伯爵には決めかねる事に成った。

それに伯爵としても席順だけに悩んでいる事も出来なかった。
某日、伯爵は皇宮を訪問する。
幼帝と言うにも幼過ぎる女帝カザリン・ケートヘンの親権者として皇宮に引っ越して来てから1年足らずのペクニッツ公爵が応接した。

伯爵と公爵が2人切りで、どのような会話を交わしたか、と言う事は後世の歴史家には想像力を少なからず刺激される事だったが、
正確な内容は当の2人しか知らない。
ローエングラム王朝の「正史」に残る事では、以下のごとくである。

数日の間に、何度か伯爵が公爵を訪問し、そして何回目かの密談の後
2人は乳母に抱かせた女帝を伴って、第3者の前に公式交渉の場を移した。
そして女帝を隣の席に寝かせて卓に着いた公爵は
伯爵が宮廷の礼節を墨守しながら拡げた書類を今いちどだけ通読してから、羽ペンを受け取った。
そして書類の末尾に記入した。
―女帝カザリン・ケートヘンの代理人としてペクニッツ公爵―
ゴールデンバウム王朝の、これが終焉であった。

……これに先立つ密談の内容は、結果だけなら明らかに成っている。

女帝には公爵令嬢としての余生が―と言うには余り過ぎているが―新皇帝の名において保障された。
今ひとつ、これに比較すると見た目ささやかとも言えなくも無い談合が伴(ともな)った。

後にローエングラム王朝側が公認(?)した処によると、
数日間に何回か繰り返された談合のうち、残り1回か2回に成った時に公爵の側から提案された事に成っている。
「私も、式典には列席すべきだろうか?」
誠実にして、かつ其れは愚鈍の同意語では無い伯爵も、瞬間だけ公爵の真意を深読みしようとした。
まるで、自ら晒(さら)し者に成る事を希望するのか、とでも錯覚しそうだった。
だが伯爵の誠実さは、愛娘に受け継がれて大きく開花した聡明さと互いに補完し合っている。
直ぐに、この提案が持つ政略的意味に気付いた。

新皇帝が戴冠する、その宝冠をかぶせる役に相応しいのは、生存していれば先帝だ。
元々、戴冠式と言う儀式をわざわざ挙行する目的は「今この瞬間より、この人物が正統の皇帝である、と言う事実を“見せる”」ためなのだ。
だがら、これまで正統の皇帝「だった」先帝が自分の正統性を譲り渡す、と言う政治的意味を其のまま視覚化出来るのならば、それが好い。

「公爵の御英断を尊重しましょう」
そう伯爵は答えたと、これはローエングラム王朝側の公式見解である………。

……。

…俺ことザルツ新中将だけは、想ったものだった。

公爵は知らなかっただろうが、交渉相手が伯爵で好かったのだ。
オーベルシュタインだった場合よりは、確実に冷汗の量が減少していただろう。
また、そう言う経過で無ければ、こんな提案を自分からしたりはしなかっただろうし。

式典当日の「玉座の間」では、公爵は文官最前列の伯爵と並んで、双璧の前に立っていた。
流石に新皇帝への「ばんざい」は免除されている。
末席の俺の耳までには、公爵の声が唱和に加わっていたか、どうかは聞き取れなかったが列席者に並んで挙手の敬礼をとっていた。

式典が進行しパーティーにうつる頃には、そんな公爵を誰も引き留めなかった。
まして末席のザルツ中将ごときが、おせっかいの出来る立場でも無い。

そんな物想いに浸りながら、今宵(こよい)はパーティーを楽しんでいた。
デザートに摘(つま)んだシュークリームは、塩の隠し味が上手で菓子全体が甘かった。



[29468] 第13章『閑話らしきもの(その3)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/11 11:27
ラインハルト・フォン・ローエングラムあるいは皇帝ラインハルト1世は
ローエングラム王朝の「正史」ならば「大帝」とも呼ばれるだけの業績は残していただろう。
たが、皇帝当人がゴールデンバウム王朝のルドルフ大帝をタブーとしたため、この尊称は忌避された。

そんなラインハルト1世を評価した同時代人の証言で、もっとも公正とされるのは
ユリアン・ミンツ編集による「ヤン・ウェンリー=メモリアル」だと言うのが通説である。
この「メモリアル」でも明記されているが、ヤン自身は自分を軍人では無く歴史家と規定していた。
実際、後半生において何冊かの歴史書を残しているが、それらは全て著作時点で1世紀以上過去の歴史を論じたものであり、
同時代については息子であるユリアンに断片的なメモリアルの破片として残し、息子が編集するに任せた。
それは、自分が歴史の観察者では無く当事者に成って仕舞った自覚ゆえであり
少なくとも軍人としてのヤン自身を自賛する精神とは遠かった、からだとされる。
正しユリアンの評価は、ことヤンに関係する限り
懸命に公正さを保とうと努力している痕跡は認められるものの根幹的に全面肯定である事も通説である。
しかし、ヤン以外の同時代人、特に或(あ)る意味ではヤン最大の好敵手とも言えるラインハルト1世に対しては、
ユリアンを通した好敵手ヤンの評価が、もっとも公正とされている。

このヤン=ユリアン父子によるラインハルト1世評価に対して、しばしば持ち出される比較対照でもある
やはり同時代人の批評としてはパウル・フォン・オーベルシュタインによるものが、やはり通例とされている………。

……。

…オーベルシュタインは爵位を持つ貴族の子に生まれたがために、光コンピューターの義眼を与えられて生き延びた。

そして、例えばキュンメル男爵などとは異なり、義眼を使用している限り幼年学校を卒業し軍務に就く事に障害は無かった。
だが貴族の子弟を、平民出身の士官学校卒業生よりも早く昇進させるシステムとしての意味も持っていた幼年学校である。
そして晴眼皇帝によって空文化されていたとは言え「排除法」はルドルフ大帝が定めたがゆえに廃法とは成っていなかった。
そんな彼が、多感な思春期である筈の年代を、やはり血気さかんな年代の貴族の息子である事だけは同じ者たちに囲まれて送った事が、
彼の人間性と人格の形成に何処まで影響したか、後世の歴史家たちは、ある程度までなら追跡可能である。

退役時に中将に昇進して現役を去ったオーベルシュタイン退役中将は、その後の数年間を学芸省の顧問として出仕した。
当時の同省では「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂が進行し続けており、旧王朝に対して独自の批評と史観を持つ彼も参加させる事は、
史書の多面性と言う観点からは期待されたのだ。
そうした痕跡を正式に刊行された「全史」から探す事は、後世の歴史家としては中々の知的刺激を期待出来るとされる。
それを探す事が楽しみに成ったのは
結局「全史」は学者であると同時に、やはりローエングラム王朝に仕える立場の者たちによって記述編集されたものだからだ。
ラインハルト1世はルドルフ大帝になど成りたくは無かった、それが「全史」に影響していた、とされている。

結局のところオーベルシュタイン退役中将は、数年後には学芸省も去ったが
この間に旧王朝が隠蔽(いんぺい)隠匿(いんとく)し続けて来た数々の秘密資料を記憶し、後に個人の責任で何作かの著述を残した。
そしてルドルフ大帝以下、ゴールデンバウム王朝の諸皇帝と取り巻きの貴族たちを、自らの言葉と倫理によって断罪したのである。

そんなオーベルシュタインの鋭過ぎるペンに対しては、獅子皇帝ラインハルト1世ですら
完璧なるNo.1、理想的な専制君主、弱さなど無い完全な皇帝には届かなかったらしい。
もっとも後世の歴史家の中には、そうした1世評価をオーベルシュタイン自身の経歴と結びつける反論も無い事も無い。
オーベルシュタインが自ら1世の元に自分を売り込みに行った時、すでに其の位置は後のカイザーリンに先取されていた。
「だから」と言った反論に更に反論する歴史家たちが、しばしば引き合いにするのが、件の黄金像だったりする。

「ローエングラム王朝の存続するかぎり、皇帝の像を、没後10年以内に、しかも等身大をこえて建設してはならない」
とはラインハルト1世の勅命である。
だが像の材質と台座については言及しなかったため、等身大の黄金像を造った事が在った。
しかも、かつて旧同盟に存在したアーレ・ハイネセンの巨像よりも高い記念塔の頂上に設置する計画だった。
ローエングラム王朝も既(すで)にラインハルト5世の時代である。

流石に、この時は自治共和国から指摘された。
この巨像を破壊させたのはラインハルト1世だが、同時に命令してハイネセン自身の墓所や他の記念物は逆に保護させている。
「ハイネセンが真に同盟人の敬慕に値する男なら、予の処置を是とするだろう。巨大な像など、まともな人間に耐えられるものではない」
とは、その時の1世の言だと伝えられている。
流石に5世は記念塔の計画を中止し、黄金像は「獅子の泉」のプライベート・エリア内に安置されたと伝えられる。

要はオーベルシュタイン個人を落としめてまで、ラインハルト1世への批評を封じようとするのは、
黄金像の件で1世の真意を曲げた行為まがいだ、とでも言いたいのだろうか。
流石に、そこまで言明するのは自分の品格が下がると、大抵の歴史家は考える様だが………。

……。

…何れにせよ、ラインハルト1世を公正に評価しようと試みる歴史家ならば無視は困難である。

ヤン=ユリアン父子とオーベルシュタイン、それぞれが評価した中間の何処かに落とし処を探すのが、通例と成っている。

こうして後世に知己を得たとは言え、生前のオーベルシュタイン自身は不遇だったろうか?それは結局の処、本人しか分からない。
只これだけは史実である。退役中将オーベルシュタインは、老人性の病気で死んだ。



[29468] 第14章『とある秋の日のバラ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/11 23:15
その日、国務尚書リヒテンラーデ侯爵は皇帝フリードリヒ4世の「ご意見」を伺(うかが)いたかった。
もう既(すで)に、主君であり執政者である筈の相手を、執務室などでも無くバラ園に探す事にも慣れていた。

現状「首相」が悩まされている案件の1つが「新ティアマト星域会戦」の後始末である。
戦役には勝利し、叛乱軍には大損害をくれてやって追い返した。
だが大勝利したからこそ、ローエングラム伯爵に悩まされていた。
伯爵は自分の手柄よりも部下たちの武勲を主張している。
もっとも彼自身は既に帝国元帥だから軍での階級としては、もう昇進させようが無いが、
その代わりかどうか知らないが、元帥は腹心でもある最大の殊勲者を、大将を飛び越えて上級大将に昇進させるよう要求していた。
元帥府に出仕する中将たちの中でも最も若く、中将に昇進したのも他より遅かったのも黙殺して。
それに値するだけの武勲を立てているから始末が悪い。
追い抜かれる他の中将たちにしても、元帥府に招いた時点で中将だった2人には大将への昇進を
元帥府に招いた時点で少将から抜擢した残り5人の中将には、本来は大将以上への礼遇である専用旗艦を与えるよう要求していた。
繰り返すが、それだけの武勲を立てているから始末が悪い。

国務尚書が恐れているのは、ローエングラム元帥府が帝国軍内部の派閥として、これ以上に肥大する事だ。
自分の腹心である財務尚書ゲルラッハ子爵などは
「たかが成り上がり者ひとり、いつでも料理できます。吾々に必要なうちは、奴の才能を役立てようではありませんか」
などと楽観的だが、国務尚書は悲観を捨て切れなかった。
「叛乱軍が死滅したとき、あの金髪の小僧も倒れる」
その時「ルビコンを渡る」最初からの予定だった、とまでは断定出来なかったとしても………。

……。

…そんな「首相」の言を背中で聞きつつ、皇帝はバラの手入れを続けていた。

やがて侯爵が沈黙すると、バラに顔を向けたまま侯爵に語りかけるとも無く、独り言を言うとも無く語り始めた。

……ラインハルト・フォン・ローエングラムか…

あれは予よりは、余程マシな皇帝に成るであろう。
驚くには当たるまい。
予は先帝の御子ながら、本来なら忌避されて来た筈の敗軍皇帝の名すら付けられていた不肖の子だ。
そんな予が誰からも期待されないまま、皇帝の何たるかも教えられないままに
ただ放蕩に任せていた頃だったな。あの娘を見たのは……

そうだ。あの娘だ。
今のアンネローゼに好く似た、美しい以上に優しい娘。
だがあの娘には、例えばシュザンナが絡(から)め取られた様な「蜘蛛の巣」は相応しく無かった。
まして「あの」頃の予には、今の権力すら無かった。それは兄か弟のものになると思われていた。
そんな予が、どれ程あの娘に癒(いや)されたか、いや救われたか
予の様な無能者であっても老いただけで付く知恵ぐらい付いた今ならば、尚さら分かる。

そんな「あの」娘に相応しかったのは、彼女が彼女のまま老いていく事だった。
そして、アンネローゼの様な優しい彼女に似た孫娘やローエングラムの様な生意気な孫息子に恵まれる事こそ、彼女には相応しい。
もっとも、あのミューゼルの様な娘婿だけは、彼女には勿体(もったい)無かろうがな。

今度は何に驚いておる?リヒテンラーゼ。
予は耄碌(もうろく)しておるのかも知れぬ。戯言(ざれごと)で、そなたをからかっておるのかも知れぬ。

まあ戯言でも無かったら、この帝国は生き返るかも分からぬがな。
ただ、アンネローゼが清らかだった事に、何時か1人位は驚くかも知れぬが………。

……。

…やがて、老いた皇帝はバラから離れた。

「予は少しばかり疲れた。休ませてもらおう」
そう言って柔らかな椅子に身を沈めた皇帝の日向ボッコに付き合っているうちに
侯爵は自分の方が疲れている事に気付いた。何と言っても、身体的にも疲れる年令ではあり、そして精神的にも疲れていた。

……そして侯爵が、昼寝をしていた自分に気が付いた時…

皇帝は眠っていた………。

……。

…ローエングラム元帥府

「あと5年、否、2年長く生きていれば、犯した罪悪にふさわしい死にざまをさせてやったのに」
無論、キルヒアイスと2人切りの時で無ければ言葉にも出さない。
「ラインハルト様、今後の方針ですが」
「そうだな…フロイラインを呼んでくれ。やはり相談しなければな。それからケスラーとザルツに、更に情報を集めるよう伝えろ」
「はい。ラインハルト様」

だがヒルダには何かが不安だった。
皇帝が死ねば君主政である以上、何らかの政変が起こる。
それに対処する政略策謀や戦略を協議している筈だった。それで間違いは無い。
だが、ヒルダにはラインハルトの何処かで手応えに違和感が在った。
引っかかるというよりは、何かが引っかから「ない」のだ。
これが何処の誰かだったら、元々そんな疑問すら持たなかっただろう。
ローエングラム伯爵を覇者にする事だけを目的とする以外、何を切り捨てても冷然としていただろう。
だが、そうするにはヒルダは、ラインハルトと言う1人の青年その人に近付き過ぎていた。

……その日の元帥府からは退出後、ローエングラム伯爵邸。

「元帥閣下…私などでは、いえキルヒアイス提督で無ければ明かす事の出来ない秘密が在る事は今さら承知するまでも在りません。ですが…」
ヒルダは自分が引き返し不能点に近付きつつある事を自覚していた。
この線を越えたら、あの誠実なる父を、マーリンドルフ伯爵家それは伯爵領の領民まで含めるかも知れない全部を巻き込むであろう。
そして、巻き込んだ上で引き返せなくなる。。
だが、これは伯爵家のための政略としても正しい筈だ。
しかし、自分の背中を押しているのが理性だけでも無い事もヒルダは自覚していた。
「…目的のためにこそ手段は選ぶべきなのです。それでは閣下の目的は何なのでしょうか?」
「それがどうした?」
ヒルダは令嬢らしからないかも知れない例え話をした。
ボクシングですら、10秒間だけ敵が立ち上がらなければ勝利と言うルールが前提で無かったら、勝者すらいない殴り合いを続けるだけだろう。
「それで?」
今度こそ、例え話では済まない
次の言葉こそ、最後である事は分かっていた。

「閣下は何のために勝とうとされているのですか?その前に…“誰の”ために戦っておいでなのですか」
3人切りの同席者だったキルヒアイスは、おそらくヒルダに対しては初めてだろう、銃の位置を確認した。
「閣下!私がゴールデンバウム王朝代々の伯爵家の跡取りだと言う事は、ご心配に及びません。
これはマーリンドルフ伯爵家の政略としても、正しい選択だと確信しております」
そして、ヒルダにしては非理性的ながら、その言葉以上の何かを伝えたいとの感情を込めてラインハルトの瞳を正視した。

……ラインハルトは沈黙を破った。

「フロイライン。いや、ヒルデガルト・フォン・マーリンドルフ」
ラインハルトも先刻のヒルダに負けず、真剣に瞳を正視した。
「貴女を「3人目」と認めよう。そうだ。飛び立ちたければ、何時かは大地を蹴り付けなけばならなかったのだ」

そして、ラインハルトは自分の内部に閉じ込めていたものを吐き出した。

ラインハルトの目的は何だったのか?
彼の目的は、少なくとも最初は姉を取り戻すためだった。
取り戻すべき敵が皇帝ならば、皇帝に勝てるだけの力が欲しかった。
だから力を手に入れるために戦い、勝って来た。
だが、皇帝は死んだ。
そして姉は後宮では無用の存在と成った。おそらく姉は、遠からず解放されて来るだろう。
では、ラインハルトの目的は達成されたのか?

しかし、もうラインハルトの戦いは、姉1人のための戦いでも無くなっている。
皇帝の死で始まるであろう政変と権力闘争の中で、戦わなければ其れこそ姉を護る事も出来ないだろう。

「あらためて聞こう。フロイライン」
ラインハルトも、もう笑ってはいない。
「私は“誰”と戦い、その誰かから“何”を奪った時、勝利者と成るのだ?」
「ローエングラム元帥閣下には打倒すべき敵がいます。それは」
そしてヒルダは、伯爵令嬢としては危険すぎるかも知れない、しかしラインハルトには貴重な言葉を発した。
「ゴールデンバウム王朝です」
甘い男女の会話では無かった。だが、ラインハルトとヒルダは少なくとも共犯者には成っていた………。

……。

…その日、伯爵令嬢は初めて門限を破った。

そして、キルヒアイスは2度目の朝帰りをした。
両親の居る実家で過ごした事と、ビアホールの閉店まで店内にいた事を同じくカウントするならば2度目だが。

……皇帝のまま死んだ男の弔いは、帝国が滅びていない限り大葬で執り行われる。

そして「先帝」の寵妃「だった」グリューネワルト伯爵夫人が後宮から暇を戴いて、ローエングラム伯爵邸に身を寄せたのは
大葬の翌日だった。



[29468] 第15章『内乱勃発』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/14 22:57
「彼らは正義派諸侯軍などと自称しておりますが、むろんそんなものを公文書には、記せません。と申しまして、叛乱軍と記しますと、自由惑星同盟と自称する者どもと区別がつきません」
これに対する「帝国軍最高司令官」の命令は、こうだった。
「奴らに相応しい名称があるぞ。“賊軍”というのだ。公文書にはそう記録しろ」
意思が通じたと見るや、最高司令官は用件を打ち切った。
「では行くぞ。賊軍の立て篭もるガイエスブルクへ」

ラインハルトの総旗艦ブリュンヒルトが、続いてキルヒアイス艦隊旗艦バルバロッサが飛び立った。
そして…
ミッタマイヤー艦隊旗艦「人狼」
ロイエンタール艦隊旗艦トリスタン
ワーレン艦隊旗艦「火竜」
メックリンガー艦隊旗艦クヴァシル
ケンプ艦隊旗艦ヨーツンハイム
ルッツ艦隊旗艦スキールニル
ビッテンフェルト艦隊旗艦「王虎」……
と次々に飛び立って、地上から逆に流星が蒼穹へと駆け上って行く。

……俺ことハンス・ゲオルグ・ザルツ准将は、逆流星群を見送っていた。

帝都防衛「臨時」司令官ケスラー憲兵中将とともに残された留守番の1人である。
無論、留守番だから、と言って軽い役目でも無い。
その役目の1つが、ヒルダやケスラーあるいは俺が独自に集めた情報を適時、ラインハルトや別働隊を指揮するキルヒアイスに通報する事だった。
無論、その通報はヒルダなりケスラーなりが直接に通信する事も在るだろうし
俺からの情報も、先ず俺がヒルダなりケスラーなりに報告して通報してもらう場合も在るだろう。
その辺りは、留守番組が協力して適切に、と言う事だった。
とりあえずは、信頼されているのだろうか。

早速、俺は仕事に取りかかった。と言っても報告先が出発したばかりだ。それでも他の仕事が幾(いく)らでも存在した。

最優先事項の1つが、惑星オーディンの地表上に存在する武装部隊をケスラー「臨時」司令官の指揮下に結集する事である。
現状、ラインハルト側の地上軍はクーデターを実行したまま占拠していた状態だった。
建前としては幼帝を補佐する帝国宰相と協力しての逆クーデターだったが。
その状態から最高司令官の発した戒厳令を根拠として、ケスラーが帝都防衛司令官としての指揮権を掌握するのである。
実の処、この “逆”クーデターに対するラインハルト陣営の事前準備は「流石」と言うべきだった………。

……。

…準備をすること自体が相手に対する挑発に成る事を恐れず、挑発に乗ってきた時の準備をおこたりなく整える。

むしろ意図的に挑発する事と、挑発が成功した場合の準備を両立させていた。
例えば、リンベルク・シュトラーゼである。
この環状道路は帝都オーディンの中心市街を循環していて皇宮と其れを取り巻く貴族の邸宅群を其の外側から守る様に囲っている。
これは例えでは無く、この大通りは環状の内側を守る武装憲兵の出動路として整備されており、
その兵舎は環状道路に沿って多角形に配置され、正門を大通りに直通させていた。

そうした武装憲兵隊の指揮権を当時の憲兵総監からケスラーに委譲させたのだ。
この時点でのローエングラム元帥は宇宙艦隊司令長官だが、憲兵隊は宇宙艦隊の指揮下には無い。
だが帝国宰相との協力関係にあった司令長官は、宰相からも軍務尚書と統帥本部総長に働きかけてもらい、指揮権委譲を実現させた。
尚書と総長の視点からは、結果的に自爆行為だったが。
更に総監自身が爵位を持つ貴族であり「リップシュタット盟約」に合流する事に成る片方の派閥に近かった事を逆用して圧力をかけた。
こうして実現したケスラー指揮の武装憲兵は、実行の際に役立った。

その時、もっとも直接に障害と成る可能性を持っていたのは近衛師団だったが
近衛すなわち皇帝親衛隊である以上は、皇帝からの直接命令さえ在れば3長官の命令すら従う必要の無い建前である。
そして宰相が幼帝の名前で命令を下していた。曰く
「あくまで玉体と皇宮を守護し奉り、門外の事態には干渉するべからず」
こうして着々と、リヒテンラーゼ=ローエングラム枢軸は来るべき時の準備を整えた。
ローエングラム元帥としても、次の段階の事は兎も角(ともかく)当面の敵に勝つ事を優先していた。目的のために手段は選ぶものだ。

こうして着々と準備が進んで行く事自体、ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム陣営への挑発に成っている事を、
ラインハルトと今や完全な共犯者のヒルダは、実際に着手する前から計算していた。
言ってみれば、挑発する積もりで挑発に乗ってくる事を希望して挑発していたのである………。

……。

…そうした挑発に、挑発された側は狙い通りに乗って仕舞った。

大体、園遊会くらいの偽装で誤魔化(ごまか)し切れる話では無い。
直接に参加した貴族だけでも3千数百名、その上2千何百万の兵数を指揮させるだけの軍人を正規軍から引き抜こうとするのである。
機密保持のデリケートさだけでも想像を絶する。陰謀は秘密であるべき筈だ。
それなのに、盟約文書の結び「大神オーディンの守護」ウンヌンがローエングラム元帥府で笑い話のネタに成っている始末だ。
元々、この3千数百名の貴族すべてがブラウンシュヴァイク派閥とかリッテンハイム派閥とか、だった訳でも無い。
この2つの派閥は次期皇帝の担ぎ出しをめぐって、お互いを直接の敵対者としていたのだ。
それが最も露骨だったのは、むしろ直近の事。先帝崩御の直後である。
だが、幼帝即位と、それに表裏一体のリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸に対抗して野合したのだった。
その後から、対立抗争の時点では中立だったり日和見だったりした中間派も引き込まれた。
更には、親ブラウンシュヴァイクとか親リッテンハイムとかでは無く、反リヒテンラーゼとか反ローエングラムとかで後から合流した者も居た。
特に反ローエングラムでは、貴族階級の敵と見なしての参加者もいただろう。直感ながら、これは正しかった。
おそらく、この最後の例えに成るのが『原作』ならばランズベルク伯爵とかだろうか。
何れにせよ元々からして、信頼度と言う視点に限れば集め過ぎだったのだ。

「前世」で『原作』を読んだ限りでは、どの程度のコピーを入手出来たのか分からなかったが
“これ”を証拠に一斉検挙する積もりならば、2ヶ月近い時間だけなら在った。
ヤン曰く
「発生すれば、鎮圧するのに大兵力と時間を必要としますし、傷も残ります。ですが、未然に防げば、MPの1個中隊で、ことはすみますから」
しかし、それでは勝者は帝国宰相リヒテンラーゼ公爵に成る。
帝都を逃げ出した貴族たちが武力で反乱を起こし、それを武力で鎮圧してこそ
ローエングラム元帥が内乱の勝利者と成れるのだ。

目的のために手段は選ぶものなのである。

だからラインハルトは待っていた。
ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵が帝都から逃げ出し、ガイエスブルクか何処かに立て篭(こ)もる時を。

そんな共同謀議をラインハルトは、ヒルダやキルヒアイスと3人で続けていた。
当然ながら、ザルツ准将ごときがそこに入り込める理由など無い。
そんな時の俺は推測するばかりだったが
おそらくヒルダがラインハルトの主要な共同謀議者であり、キルヒアイスは同意を求められていた場合が多かったのでは無いか。
知力よりも性質的に、陰謀策略の相談相手には親友が「好い人」過ぎたからこそ『原作』ラインハルトも参謀を欲しがったのだから。
そんな勝手な推測をしていると、
キルヒアイスの徹夜ビールに付き合った思い出をしみじみと思い出す時も、場合によっては在ったりした。
奇妙に大人の味がするビールだった。

そして「リップシュタット戦役」の潜伏期間とも後には言えた、この時期の事をさらに将来に成ってから思い出す事も在った………。

……。

…戴冠を直前にしていたラインハルト・フォン・ローエングラムは、即位後の人事に関係して判断と決定を下していった。

キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤー上級大将を帝国元帥に任ずる。
キルヒアイス元帥を軍務尚書に任じ、国務尚書の主催する閣議へも出席させる。
同じくロイエンタール元帥を統帥本部総長に任じて国内軍司令官を兼ねさせ、ミッターマイヤー元帥を宇宙艦隊司令長官に任ずる。
正し、軍部尚書ならびに統帥本部総長には上級大将として指揮していた艦隊をそれぞれの元帥府に所属せしめ
皇帝親征の際には従軍も在り得る。 
また統帥本部とは別に幕僚総監をおいて皇帝を補佐させ、親征の際には参謀長として従軍させるが
ヒルデガルト・フォン・マーリンドルフを中将待遇として、これに任ずる。

だが、ここまでの人事案を下されて、国務尚書(予定者)は初めて異議を唱えた。
ラインハルトは皇帝に成る前から「首相」を慰留する羽目に成る。
血族の姉を除けば、ヒルダが最もラインハルトに親しい女性である事は周知であり
戴冠当日も、玉座の直近までヒルダをエスコートする予定だった、
と言うより、しなかったらしなかったで、余計かつ不愉快な憶測を招きそうだった。
同じ様に余計かつ不愉快な憶測回避を理由として、ヒルダの父親に「首相」からの辞任を思いとどまらせたのである。

そんな伯爵と事務方として接触しながら、俺ことザルツ少将(中将昇進予定)は脳内で想ったものだった。
この人は聡明だが、その聡明さが人を騙(だま)すとか落し入れるのと同じ意味に成るには「好い人」だ。
例えばジークフリート・キルヒアイスが、この人くらいの人生経験を積んだなら、こんな感じかも知れない。
もしかしたら『原作』ラインハルトが「首相」に指名したのも、ヒルダのコネ以外に、そんな理由が存在したりしたのだろうか?
そんな事まで考えた時に、何年か前にキルヒアイスに付き合った、奇妙に大人の味がしたビールを思い出していた………。

……。

…何年か後で、そんな回想をするなどとは“当時”の俺ことザルツ准将は想いもしていなかった。

俺は予言者なんかじゃ無い。ただ1つのだけの反則知識を持っていただけだ。
当時の俺は、惑星オーディンの地表上を占領しようとするケスラーの手伝いに追い回されていた。
「リップシュタット戦役」ですら、勃発したばかりの頃である。



[29468] 第16章『流血の宇宙?』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/16 22:23
「1対1でオフレッサーと出会ったら、卿はどうする?」
「すっ飛んで逃げるね」「同感だ」
双璧をしても、逃げても恥にならない相手というものは、確かに存在するのである。
「しかし、こう成るとザルツ先輩には」
「思い出した様に驚かされるな」

出撃の数日前、出撃準備に追走されながらも、ささやかながら作った時間を戦術シミュレーションに活用していた。
ローエングラム元帥が「帝国軍最高司令官」として尚書と総長を兼任する様に成ったため
軍務省と統帥本部と言う軍事情報の集中する2大システムに集中していた情報が活用可能に成っていた。
その中から参照すべき情報を確認していたのだが、
シミュレーション・マシンを操作していたザルツ准将が、とある設定をした。

敵の本城と言うべきガイエスブルクまでの途中に存在する要塞の1つ、レンテンベルクである。
この要塞を攻略するには第6通路を突破して核融合炉を奪取するのが最短ルートだが、その通路に装甲敵弾兵総監オフレッサーを配置したのだ。
これだけ条件が限定されると、双璧ですら正攻法では困難だ。
6回ほど撃退され、その失敗相応の犠牲が出た辺りで双璧はシミュレーションをひと休みした。
「遣り方を代えるべきだな」
「同感だ。疾風も宇宙で無ければ吹きそうに無いな…先輩は、何か在りますかな?」
軽く頭を横に振ってから答えたものだった。
「名高い双璧に、やっとこ准将くらいが勝てる訳も無いだろう。だが…原理原則くらいなら言えるな」
「原則?」
「目的のために手段を選ぶものだ。この場合、目的は?要塞を入手して再利用する事か。
無力化が目的だったら、戦艦の火力を集中して動力炉を直撃しても、むしろ手っ取り早いだろう?
恐らく元帥閣下としては「平民の味方だ」と宣言している手前、平民出身に決まっている兵士を100万単位で虐殺したくは無いだけだろう」
「だったら、降伏勧告をすれば好いでしょう。ザルツ先輩」
その時は、そこまでだった。艦隊の出撃準備に時間を取られていた………。

……。

…仮想が現実化していた。

「では、ミッターマイヤー頼む」
「やはり俺からか」
「俺よりも卿の方が誠実そうに見える。それに下級だが俺の家名にもフォンが付いている」
「分かった。だが多分、もう1回の勧告が要るだろう。その時は卿の方が、こちらが本気だと通じるだろう」
「俺の方が、冷酷そうに見えそうだからな」

結局の処、疾風の誠意あふれる勧告も黙殺され、第6通路には何処かの「奇蹟の魔術師」まがいの1点集中砲火が叩き付けられた。
通路に立て篭(こ)もる側が戦闘手段を限定するために自分で充満させたゼッフル粒子に点火し、核融合炉の手前まで誘爆していた。
この結果に多少は慌(あわ)てながらも、露悪的態度で隠しながら再度また勧告すると、今度は「返答を待って欲しい」との猶予を要求して来た。
数時間後…要塞内の「行方が判明している」最上位者シュターデン大将の名で勧告受諾が伝えられた。
この数時間は、それまで最上位者だった上級大将の行方不明を確認するために費やされていた。

……前線からの情報を入手して、俺ことザルツ准将はホッとしていた。

あの猛獣を捕まえるまでの犠牲もだが、捕まえた後の始末も厄介だ。
『原作』ではオーベルシュタインが提案していた、と言うよりも「あの」劇物でも無ければ思い付きもしないだろう。
だが“それ”を知っていたからと言って、俺が替わりに嫌われ者に成るなぞ、真っ平ご免だ。
それに「前世」で『原作』を読んでいた頃から想っていたものだ。
最初から “こう”しておけば、ラインハルトが劇物に腹いせの方法を提案させる様な、不愉快な事を聞く事も無かっただろう。

……だが、前線から逐次送信されて来る情報に接しながら、何時の間にか違和感を覚えていた。

その違和感が何だったのかに気が付いたのは、とあるキルヒアイス上級大将からの報告に接した時だった。
「ガルミッシュ要塞、開城」
開城?陥落でも自爆でも無く?それに「キフォイザー星域会戦」はどうした?!

表面的な事実だけは、直ぐに判明した。
“賊軍”の副総帥は、分派行動をとってはいなかった。
『原作』での結果的には、1回の会戦で実質的に片付いてはいたが
キルヒアイス別働軍に数の上では対抗する規模の敵軍が、ガイエスブルクの「副」程度はある要塞を拠点に活動していれば、
余分に手間取り位はしただろう。
その手間が省けた分だけ早く、しかし成果は着実に上げつつあったキルヒアイスは、
ガルミッシュ開城と、シュタインメッツ少将らの投降を手土産に、とりあえずはローエングラム本軍との合流を目指す
「8月10日~15日の間に、ガイエスブルク周辺にて合流の見込み」と報告していた。

だが、どうして?“賊軍”は分裂しなかった?
再度『原作』を想い返してみて、想い当たったのはオフレッサーの後始末だった。
当時の読者としても「エグい」と想った遣り方だったが、想い返せば「あの」冷徹なオーベルシュタインが
“たかが”主君の腹いせ、などと言った御機嫌取りのためだけにエグい報復を思い付く筈も無い。参謀長は何と言った?
「貴族どもに相互不信の種をまいてごらんにいれます」
そして結果は、どうだった?「この事件の後遺症は大きかった」と書かれていた筈だ。
更には総帥と副総帥のケンカ別れも「この事件の」後だ。
しかし「この事件」は貴族たちの心理に限っても、それほど影響が大きかったのか?

さらに詳しい「真相」は後日、この時に要塞内に居て生き残った証言者
どうもケスラーが事前に潜り込ませた「草」とかも混じっていそうだったが
兎も角(ともかく)も証言が入手可能に成ってから判明した。

確かに貴族たちは相互不信を、オフレッサーの件から助長はされなかった。
その代わりに別な意味でなら深刻な消失感を、ガイエスブルクの内部に与えていた。
実の処、オフレッサーは盟約に忠実だった。
成り上がりものほど当人次第で、自分だけの成り上がりを許してくれた旧体制に忠実な場合も少なくない。
例えば、幕末の新撰組だ。
逆に、かつての自分の出身階級に対して、ことさら敵対的ポーズを演技すらしてみせる者も居る。
そう言う意味で「金髪の小僧」に対する反感を大っぴらにしていた巨漢である。
そして「強さ」のイメージでも、とりあえず味方で居る間は安心感を与えてくれる虚像ぐらいは周囲に与えていた。
だが「その」勇士は、たかが通路1つすら守護出来ずにアッサリと消えた。
その消失感が、とりあえずは総帥と副総帥を再協力させたらしかった。

だがラインハルトとヒルダは超光速通信で合議しながら、この点については心配していなかった。
「貴族同士を横に分断するよりも、貴族と平民を縦に分断する方が、ローエングラム陣営の勝因に成る」
との認識を確認し合っていたからだ。
兵数的にも、戦略家としてのラインハルトは計算していた。
分裂した場合に副総帥が連れ出していただろう兵数がガイエスブルクに残っていたとしても、
キルヒアイス別働軍の合流で強化される実戦兵力の方が強い。

実の処、8月15日に要塞外で戦われた艦隊戦の結果は其の通りだった。

しかし同日、俺ことザルツ准将は既(すで)に行動中だった。
独自に情報を分析し、とある事を確認した上で行動を開始した後だった訳だ。

これに先立って、キルヒアイスからの報告に接した後の俺は
ヒルダやケスラーには、こう報告して置いた。
「情報処理と状況確認のために、独自に分析してみます」
この報告自体はウソなんかでは無い。
正し、独自の情報源と突き合わせたのである。俺が持っている1つだけの反則知識と。
その上で、致命的なズレが生じているか、いないかを確認したのだ。

確かめなければ。悲劇が近付いていた。


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