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[25889] スタンドバイ (オリ主・再構成) [無印編完結]
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/09/15 00:21
はじめまして。

ss初体験と言うことで、つたない文章ですが、よろしくお願いします。
書き方や間の取り方など、おかしなところがあれば、指摘してください。


・オリ主
管理局員(地上部隊)のオリ主が、アニメに参加する話です。
オリジナルの魔力変換資質を持っています。

・戦闘描写
くどいうえに、状況がわかりにくいかもしれません。
悪い点は感想で指摘していただけるとありがたいです。

・独自設定
管理局や次元世界について、独自の解釈や設定(妄想)があります
あきらかにおかしな点があれば教えていただければ幸いです。


以上の点が気にならず、
「どうれ、俺の貴重な時間を君のために無駄にしてやろうではないか」
そんなの心の広さをもったかたは、一度読んでみてください。



 2011 0207 投稿開始
 2011 0725 無印編完結
 2011 0806 とらハ板に移動



[25889] プロローグ ジュエルシード発掘における小さな事件
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:08
どれほど昔から使われていなかったのだろう。
ぼろぼろに朽ち果て、その意匠を覆うように砂が積もった建物――いや、遺跡の内部を一人の少年が飛んでいた。
比喩ではない。実際に宙に浮き、遺跡の崩れかけている床を避けるように飛行して移動していた。
金色の髪は砂の汚れで輝きを失い、その顔には疲労の色が濃く表れている。それでも、彼の腕は体の半分ほどもあるケースを、決して離さぬように抱えていた。

なぜこんなことになってしまったのか。
少年、ユーノ・スクライアはこの状況に至る過程を思い出す。



少年はスクライア一族という、遺跡発掘をなりわいとする一族の拾い子だった。
一族の人は、彼に惜しみない愛情と、力を発揮できる環境を与えてくれた。魔法の才能があることがわかれば魔法学校に入れるように、学校を卒業して戻ってくれば遺跡発掘チームの責任者にする、というように。
特に後者などは若干九歳の子供をチームリーダーにする大抜擢。ユーノは反対する者も大勢いるのではないかと少々ビクビクしていたが、案外すんなりと決まってしまった。もちろん、自分を含む一族の少年たちを中心に組織された発掘チームは、単に若者たちに実地で経験を積ませるためのものであり、仕事の内容も学術的な調査が主で危険性の低いものだった、という要因も大きいのだろう。

しかし、一番の要因は彼が本当に優秀だったからだ。Aランクの魔導師であり、魔法学校を本来の半分の期間で卒業した彼の実力を疑う者はいない。
誰もが足りないのは経験だけだと考え、だからこそ、それを補うための今回の抜擢には反対しなかった。

ユーノも、今まで世話になってばかりだった自分が、一族のみんなと働ける時が来たことを喜んだ。そして簡単な仕事とはいえ自分にできる限りのことをしよう、と。
そう考え、この発掘には非常に熱心に取り組んだ。


そんな彼は、つい先日一つの発見をした。
遺跡内部の意匠から当時の文化を調べている時に、当時の建築様式と比べて床が妙に厚い部分を見つけたのだ。

そこからはトントン拍子に話が進んだ。
念入りに調査をした結果、床の下に空間があることが判明し、近隣の町から人足を雇い掘り返してみれば、その空間の内部から二十一個の植物の種のような形をした青い宝石『ジュエルシード』が見つかった。それは非常に大きな魔力を内包しており、間違いなく失われた古代の遺産、ロストロギアだと判断されるほどの物だった。

予想していなかった収穫に自分を含む発掘団は色めき立ち、ユーノ自身もとても喜んだ。
発掘されたロストロギアは、通常一度管理局に提出され、危険性のあるものは管理局で厳重に保管される。発掘者が個人的に所有することはできないが、それでも少なくない謝礼が管理局から支払われると聞いている。

これで自分を育ててくれた一族に、恩返しができる。

ユーノの人生は、そこまでは順風満帆だったのだ。
生まれは少し不幸だったかもしれないが、能力を鍛えるための最高の環境を与えられ、努力は彼を裏切らずに成果を出していた。
だが、そこで致命的な失敗をしてしまった。経験不足――結局はその一言に尽きるのだろう。
しかし、根本はそれではない。物心ついたころから温かな環境で育ってきた――つまり、彼は悪意を知らなさすぎた。


ジュエルシードが発掘されたのは日も暮れようとする頃だった。ユーノたちがいるこの世界には月――衛星がない。夜は非常に暗く、砂漠には目印も少ない。万が一のことを考えて、管理局へ届けるのは夜が明けてからにしようと判断した。してしまった。

そして、夜が明ける前に、発掘団のキャンプが盗賊に襲われた。

たまたま起きていた彼は仲間を逃がそうと懸命になった。彼は、発掘したジュエルシードを抱えておとりになることを選んだ。そうすれば盗賊たちは自分一人を狙い、仲間たちは逃げることができるだろうと。
それに自分一人であれば逃げ切る自信があった。
なにせ、幼くとも彼はAランクの魔導師である。ただの盗賊が相手なら、管理局が来るまでの時間は十分に稼げるだろう。


  *


(甘かった!)

つい先ほどまでの自分の、楽観的な予測に後悔する。
誤算は一つ。
盗賊の中に高ランクの魔導師がいたこと。

その魔力量は、おそらくAAランクはあるだろう。あれほど高レベルな魔導師がいるとは、まるで考えてなかった。
遺跡内でその男と対峙した時、勝つことは無理だと直感的にわかった。
獅子の眼前に放り出された兎のような感覚。哀れな兎にできることはただ一つ、逃げること。

捕縛魔法と結界魔法を組み合わせて少しの時間をかせぎ、そのわずかな間を利用して、気付かれることなく外に続く抜け道に逃げ込む。
このまま遺跡の中にいても追いつめられる。それならば一か八か、外に出て少しでも早く管理局に合流できるようにしよう。

(この出口は発掘団の仲間しかしらない。少しは時間が稼げるはず……!)

細い道を器用に飛行して、彼はついに遺跡から抜け出した。目の前には一面の砂とそれに埋もれた遺跡群が広がっている。
地平線のむこうからは、太陽が昇り始めていた。
明るさに一瞬目がくらむが、管理局の基地はどちらだったか方向を確認しようとして――彼の体は凍りついた。


「よう、少年。なかなか速かったじゃないか。良いことだ」

頭上から声がする。凍りついた体を動かして、上空を見上げる。
そこには内部で対峙した魔導師がいた。その顔には自身の予想が的中したことを喜ぶ笑みを浮かべている。

「ど、……うし、て」

思わず口から疑問が漏れる。だって、この道は――

「ん?ああ、どうしてこの出口がわかったかって?」

男はデバイスを構えながら語り出す。

「最近は盗賊だけじゃ食っていけなくてね。少年たちが雇った人足の中に、うちのメンバーがいたのさ。
 そいつは少年の仲間から遺跡の構造を――もちろん抜け道のことも――聞き出していて、俺たちはその情報を参考にした上で襲撃をかけている。俺から逃げるために、少年が抜け道を通ろうとすることは最初っから想定済みさ」

マジックの種明かしをする子供のように楽しそう語りながらも、彼のデバイスの先には藍色の魔力光が集まっていく。

「それじゃあ、急いでるんで撃たせてもらう。
 死にたくなければ今すぐ地面に降りてくれ。非殺傷でも、この高さから落ちれば死ぬかもしれない」

ユーノは地面から五メートル程度のところに浮いている。下は砂だが、落ち方によっては危険だろう。
この状況から逃れる方法は思いつかない。それなら、少しでも時間をかせがなければ。
ユーノは口元に無理やり笑みを浮かべ、はったりをかます。

「……いいんですか? そのまま撃ったら、このジュエルシードを巻き込んじゃいますよ。そしたらこれが暴走、もしかしたら壊れてしまうかも――」

「その箱が外部の影響をカットするように作られていることも聞いている。
 子供は駆け引きなんて小賢しい真似はしないこと。それが長生きの秘訣だ。生きていたら参考にするといい。
 それじゃ、さよなら」

男はユーノの発言を一蹴した。今ので稼げた時間はほんの数秒。これでは何も変わらない。
ユーノの目には、男が魔法を放つためのトリガーワードを唱えるようとするのが見える。

(もう、駄目だ)

これから襲い来る攻撃を想像し、思わず目を閉じる。


――――風が吼えた。


体の底に響くような轟音。吹き飛ばされそうなほどの烈風。
驚いて目を開けようとするが、風で舞い上がる砂煙で何も見えない。
砂煙が落ち着いて目が開けられるようになるまで、十秒ほどかかっただろうか。
ようやくユーノが目を開けると、先ほど男がいた場所に一人の青年が立っていた。


  **


突如現れた青年の姿を見る。

褐色に近い赤髪。
体格は良いが、その顔はいまだ子供っぽさを残している。年齢はおそらく15歳前後だろうか。
茶色のバリアジャケットは、管理局の標準的なものだ。よく見れば少しロングコートに近い形状になるようにアレンジしているが、それくらいしか差はない。

右手には片刃の剣。それはアームドデバイスと呼ばれる種類のもの。
先ほどの男が持っていたような普通のデバイスが魔法の行使を補助するのに対して、青年の持っているようなアームドデバイスは武器としての役割を兼用している。欠点として、記憶できる魔法の数や処理速度は劣るという特徴を持つ、少々扱いにくいものだ。

そして両足にも銀色のブーツ型のデバイス。
こちらもアームドデバイスなのだろうか? しかし、とても武器に使うような特殊な形状はしていない。


青年はユーノの方を向き、口を開く。

「そこの君! 戦いに巻き込まれないように、物陰に隠れていて!」

終わったら呼ぶから――と付け加えると、青年はユーノから視線をはずす。青年の視線の先には、あの魔導師が浮いていた。傷ついてはいるが、その顔にはいまだに笑みを浮かべている。
ユーノはなにか自分にできることはないかと思い、せめてもの助言をする。

「気をつけてください! 相手はAAクラスの魔導師です!」

この程度でも、ないよりはましだろうと信じて。


  ***


「痛いなあ……、いきなり攻撃するなんてひどいじゃないか。管理局はいつからそんな喧嘩っ早くなったんだい?」

男は飄々とした様を崩さずに青年に話しかける。

「かよわい少年に魔法を撃とうとしている奴が善良なわけないだろ」

青年はそれに対しておどけたように、デバイスを持っていない左手を肩まで上げて、あきれたというジェスチャーをしながら応える。
そして、男に問いかける。

「一応聞くけど、発掘団を襲った盗賊だよね?」

「まあね。それにしても早かったじゃないか。管理局が来るにはもう少し時間がかかると思ったんだけど」

「おれ一人先行したんだよ。速さには結構自信があるんだ」

男はその発言を聞きほくそ笑む。
彼は飛行魔法によってやって来た。管理局の地上部隊は飛行魔法を使用できるものはそれほど多くないと聞く。下が砂地であるこの地形では、飛行魔法を使える者と使えない者では速度に大きな差ができる。
それはつまり、青年さえ迅速に倒せば、発掘団の少年を捕まえ、管理局から逃げきるだけの時間は十分に稼げるということ。

「それは身を持ってわかったよ」

そして、男は先ほど受けた攻撃から相手の戦闘スタイルを想像する。
その攻撃方法とは、超高速で飛行してその勢いのまま一撃を叩きこむ、という単純なもの。単純ではあるが、それゆえに強力な一撃。
もう少しでその不意打ちをくらうところだった。とっさにデバイスで防ぐことができたので、なんとか吹き飛ばされるだけですんだ。男が不意打ちに気づけたのは、風を切る音が聞こえたからだ。もしも相手の飛行速度が音速を超えていれば、気づくことさえできずにやられていただろう。
もっとも、音速を越えることができる魔導師など、時空管理局全体でもほとんどいない。

(それに、地上などにそれほどの魔導師がいるわけがないな)

男は無駄な仮定を考えている自分に苦笑する。
そして、青年を倒すための過程を構築する。


「さて、お互い自己紹介といこう。おれはウィリアム・カルマン三尉だ。おとなしく投降して――」

目の前の管理局員はのらりくらりと会話を続けようとしている。おそらく、部隊が来るまでの時間稼ぎをしようとしているのだろうが。

(それにのるつもりはない)

男は話を聞くことなく、魔法弾を放つための発射台(スフィア)を作りだす。弾は誘導弾。この魔法弾は、術者の思い通りに動かすことができる。視界内にいる限り、延々と追いかけることが可能。
青年は慌てて防御魔法で防ぐ。

男の構築した戦術は単純なものだった。
男の目的は可能な限り早く、確実に倒すこと。ならば自分のもっとも得意とする戦法で戦うことが最善。
選んだのは、多数の誘導弾で足止めし、高威力の砲撃魔法で仕留める――という定石中の定石。

この戦法は、正攻法ゆえに相手が自分以上の実力を持っていれば通用しない可能性が高いのが欠点だ――が、AAランクの自分に敵う相手はそうそういない。ましてや地上などに。
これは何も管理局をなめているわけではない。自身が管理局にいた時の経験によるものだ。


男は昔、管理局の武装隊にいた。部隊内で自分と一対一で戦って勝てる奴はいないほどに強かったし、海に派遣された時には模擬戦で執務官と対等に戦ったこともある。

そんな栄光を思い出すと、同時に転落の記憶も思い出して、嫌な気分になる。
武装隊の隊長が辞めて、新しい隊長を選定する時のこと。
誰もが次の隊長は男だと思っていた。しかし、部隊の一人が男に濡れ衣をかぶせたことで、その道は途絶えた。男は犯罪者となり、陥れたそいつは隊長に選ばれた。
そんなよくありそうな話。

それを思い出すと、心にかつての憎しみが再びわいてくる。
あの日から、男は管理局に復讐する道を歩み始めた。管理局に対するテロに参加することもあれば、今回のようにロストロギアを奪うようなまねも何度も行った。
なぜそんな道を選んだのか。

(違う!)

選んだわけではない、決定されたのだ。
そうせざるをえない程のどうしようもない感情が、あの日に男の中に生まれたというのか。
それも違う。
その事件が男を「管理局に復讐する存在」に「変えた」のだ。

(俺は戦闘中に何を考えているんだ)

男は自嘲し、思考を切り替える。そして魔法を殺傷設定に切り替える。
それは作戦の一つ。攻撃が殺傷設定だとわかれば、相手は自然と委縮する。そうなれば、こちらが砲撃魔法を構築するための時間をより安全に稼ぐことができる、という考えだ。

――本当にそれだけだろうか。
先ほどの回想が全く影響していないと、本当に言い切れるだろうか。
効率的に、論理的に考えたつもりになっていても、その行動は感情に支配されていないと、どうして言えるのか。


殺傷設定に気付いた青年は、男の思惑通り防御に専念し始める。
ただ、少し想定とは異なっていた。予想では先ほどのように防御系の魔法で固めると思っていたのだ。時間を稼ぐにはそれが最適だから。
しかし青年は空を飛び回り魔法を回避する道を選んだ。自分の空戦技能によほど自信を持っているのだろう。確かに、その機動は男の目から見ても見事なものだと言えたが――

(だが、その自信もここで打ち砕かれる)

そして男は砲撃魔法の構築するため、詠唱を始める。
管理局員はいまだ誘導弾を避けるのに集中して――――いない。


男が砲撃魔法の構築を始める時、その瞬間にできる意識の隙を青年は見逃さなかった。
すでに回避機動から速度を落とすことなく、男へと向かっている。

男は自分の失策を悟る。
この迅速な対応。青年は最初からこの隙を狙っていたのだと今さらながら気付く。
急いで砲撃魔法を破棄、そしてすぐさま迎撃のために直射弾を放つ。
しかし、青年は速度を落とさない。
直射弾が直撃する。
その身体は傷ついているものの、速度は衰えるどころかなおも加速している。

そして男が慌てて離脱しようとしたときにはすでに、青年はすでに目前まで来ていた。

「ヘビィバッシュ!」
『Sir! Heavy Bush!』

青年とデバイスが吼える。
青年は鮫のような笑みを浮かべる。先ほどのように止めてみろ、止めることができるのなら――表情はそう雄弁に語っている。
防ごうとして、とっさにデバイスを掲げる。
その斬撃はデバイスを砕き、男を撃ちすえた。バリアジャケットが紙切れほどの意味を為さない一撃。金属の塊であるデバイスが男の骨を折り、デバイスから流れ込む青年の魔力が、男のリンカーコアの機能を阻害する。

「安心しな、峰打ちだ」
『Yes. Non-Lethal mode』

男の意識が落ちる直前に聞いた台詞は、そんなものだった。

(金属の塊で殴って、非殺傷も何もないだろ……)

最後に頭に浮かんだのは、そんな益体ない考え。

戦闘が始まってから決着までは、わずか十秒程度であった。


  ****


気を失った男が危険物を持っていないか確認した後で、青年は男に捕縛魔法をかける。

「それじゃあ、行こうか」

そう言うと、青年はユーノを抱きかかえようとした。

「だ、大丈夫です。自分で飛べますから」

「無理はしない方が良い。震えたままで飛行するのは危ないよ」

言われてようやく、ユーノは自分の手足が震えていることに気付く。
危険な体験は今までもあったが、殺されそうになるというのは初めのことだった――もしも彼が到着するのが数秒でも遅れていれば、死んでいたかもしれない。
一度そう考えてしまうと、震えが止まらなくなる。
そんなユーノを青年はそっと抱きかかえ、飛翔した。

基地への道中、ユーノが落ち着いた頃合いを見計らって、青年がぽつりとつぶやく。

「暇だね」

思わず青年の顔を見ると、青年と視線が合う。

「自己紹介でもしようか。俺はウィリアム・カルマンだ。階級は三尉。趣味は読書、好みは探偵ものかな。推理ものよりも社会派人情ものの方が好きだ」

「ユーノ・スクライアです。発掘団の責任者……です。先ほどはありがとうございました」

「おっと、そうでしたか。そうとは知らず、失礼しました」

青年の口調が、急に子供に対するものから、大人に対するものへと変わる。しかし、その口調は若干冗談めいていて、その表情はあきらかに「普通に喋っても良いよね?」と言っているようだった。

「……普通に話してもらって構いません」

「ほんとに? じゃあユーノ君と呼ばせてもらうよ。よろしく」

「よろしく……えっと、ウィリアムさん。……すみません。僕がミスをしたからこんなことになってしまった。せめて昨日の内に管理局に運んでいれば、こんなことにはならなかったのに」


ウィルは少しの間、考えるようなそぶりを見せる。そして、考えがまとまったのかゆっくりと口を開いた。

「確かにそうだね」

そしてユーノの発言を肯定する。襲撃が起こったのは君のせいだ、と。

「でも、それだけじゃない。
 おれは一番最初に出動したんだけど、出るまでの間にも大勢が基地まで逃げて来た。そして逃げて来た人たちから、君がどんな風に行動したのかもある程度聞いている。ユーノ君より小さな子がいたけど、その子は君のおかげで逃げることができたって言っていたよ。
 それに、隊舎まで来れなかった人たちは、事前に決められた避難場所に逃げ込んだらしい。何かあった時の避難経路や場所、君が考えたそうだね。部隊の仲間が楽で助かるって褒めていた。
 君の行動が最善だったのかは、今来たばかりのおれにはわからない。――だけど、間違いなく、君のおかげで助かった人もいる」

その上で、今度はユーノの行動を肯定する

「最初は間違えたけど、君は自分の力でその失敗を取り戻した。だから君はよく頑張ったよ――結果だけ見たらロストロギアも奪われていないし、盗賊も捕まえることができた。なんだ、良いこと尽くしじゃないか」

彼はユーノに笑いかける。
なんだか照れくさくなり、ごまかすように話題を変えようとする。

「あの、ウィリアムさん。怪我は大丈夫ですか?直撃してたように見えましたけど」

「ん?ああ、大丈夫――それからウィルって呼んでくれても良いよ――あれにあまり威力がないことは予想できたからね。
 じゃあ基地までの暇つぶしにさっきの戦闘についてでも話そうか」

あっさりと話題は変わった。そしてなぜか戦闘の解説が始まる。


「まず、さっきの戦闘におけるあいつの目的はなんだと思う?」

「それは当然あなたを倒して、僕を捕まえること、ですよね」

「そうだね。でも、ただ倒すだけじゃだめだ。あいつにはもう一つ為さなければならないことがある」

「それは……管理局の援軍が来る前に倒すこと、ですか?」

「正解。そして、おれもあいつを早く倒したかった――おれにとって最悪な状況は、他の盗賊が来て君を人質に取られることだからね――つまりおれも相手の援軍を危惧していたんだ。というわけで、さっきの戦闘はお互い短期決戦を望んでいた。
 ただし、相手に目的を気取られるのは結構危険だ。だから話を続けようとすることで、おれの目的が時間稼ぎだと勘違いするように誘導した。
 だけど相手に目的を変えられると、この優位性が無くなる。だから駄目押しとして単独先行して来たことを話した。これで相手はおれをなるべく早く倒して、時空管理局が来るまでに目的の物を奪って逃げようと考える」

「待ってください。それなら援軍がすぐそばまで来ていると言った方が良かったんじゃないですか?その方が相手は焦るでしょう?」

「かもしれないね。でも逆に、増援の相手をするために魔力を節約しよう――なんて考えて持久戦になるかもしれない。
 普通は一部隊を相手にしようなんて考えないけど、高ランクの魔導師にはプライドが高い奴も多いし、地上部隊は実力が低いとなめられることも多い。……まあ、実際にランクの平均はCだし、空を飛べない魔導師も多いから仕方ないんだけど」

だからって弱いわけじゃないよ、ニヤリと笑いながら付け加えて、ふたたび話し出す。


「さて、ここから先はおれの思考を追っていこう。早期に決着をつけるためにはどうするか?
 接近戦が得意なら近づいて斬り合おうとするし、遠距離型なら相手の防御を貫けるだけの高威力の魔法を撃とうとすることは予想できるよね?
 あいつはまず、誘導弾を撃ってきた。しかし、君が教えてくれたAAクラスの魔力を持つという言葉から考えると威力が低すぎる。まず間違いなく牽制用だろう。とりあえず防御する。このまま防御し続けると、相手は高威力の魔法を使ってくるだろう。回避できるかもしれないが、相手の魔法の特性がわからない以上、撃たせないのが一番だ。
 したがってこちらの戦法は、相手が撃つ前に叩くことになる。おれは射撃魔法が得意じゃないから、接近する必要があるんだけど、普通に突っ込むと迎撃される可能性がある。相手の隙をついて飛びこまないと。
 隙ができるのはいつか。それは相手が高威力の魔法を構築し始めた瞬間だ。特に、相手はおれが時間稼ぎをしていると思っているから、不意をつける。
 それに相手は誘導弾の行使と高威力の魔法の構築をおこなっているのだから、迎撃用の魔法を撃つために現在の魔法を破棄しなければならないかもしれない。そうなれば、わずかではあるけど、さらに時間を稼げるわけだ。――これは相手のマルチタスク能力にもよるから確実ではないけどね。
 後は突っ込んで攻撃するだけ。
 そうそう、相手の攻撃に対して、確実に防げる防御魔法じゃなくて回避するようにしたのは、回避機動から突撃に移行した方が加速にかかる時間も短いし、相手が気が付くのも遅れるから、と」


こんなところかな。と彼は言う。
ユーノは思わずため息をつきそうになる。あの十秒程度の戦いで、そこまで考えて戦っているのか。
そして、うかつだったというユーノの懺悔を聞いた後で、自分がどれだけ考えて戦っているかを説明するのは、もしかして嫌がらせなのだろうか。
そのようすに気付いたのか、ウィルは苦笑いを浮かべる。

「いやいや、いつもはそこまで考えないんだけどね。普通は自分の得意なスタイルを確立して、それを鍛える方が優先される。
 でも魔導師の世界って、実力イコール才能に近いじゃない。
 それをなんとかするために、地上のメンバーは実力が上の相手を倒すために、不意打ちとか隠し玉とか、相手の不意を突くための手段を考えているやつが多いんだ。教導官の前でやったら、怒られそうな危険なこととかね。
 ――ただ、そういう姿勢はすごく参考になるよ」

ウィルは会話の内容を管理局の魔導師のことに変え、まだ話し続けている。気まずくなったから黙るという選択肢は彼の選択肢にはないようだ。


しかし、ウィルは会話の中で良くも悪くもユーノの心に影響するように話している。
そして、ウィルとの会話でいろいろと考えたり感じた――恥ずかしくなったり、呆れたり――ことで、少し前まで自分に対する後悔で埋め尽くされていた心が、ほんの少しではあるが軽くなった気がする。

(もしかして、全部わかってやっているのかな?)

ウィルの表情からその真意を読みとろうとするが、はっきりしなかった。
ポーカーフェイスだからではない。その逆に、表情が豊かであるからこそ読み取れない。


「――おっと、そろそろだ」

その言葉につられ前を向くと、すでに管理局の基地が見えるところまで来ていた。
その建物の前には仲間たちがいる。ずっと、外で待っていてくれたのだろうか。
彼らの一人がこちら気付き、大きく手をふる。それはまたたく間に伝播して、発掘団のみんながユーノに向かって手を振っている。
なんだか嬉しくなって、ユーノも大きく手を振り返した。



[25889] 第1話 種は蒔かれた
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:27
盗賊団との戦いから三日後の朝、ウィリアム・カルマンことウィルは、朝から隊長室に呼び出された。

先日は、隊舎に到着してユーノとその仲間の感動の再会を眺めていたところ、すぐに部下に見つかり盗賊の残党を捜索する任務に参加させられた。
速度自慢のウィルは、逃げた盗賊を見つけるために一人で砂漠を行ったり来たりさせられた。一応三尉なのに、ついでに士官学校も出ているエリートなのに、日が暮れるまでたった一人で飛び続けた自分にほろりと涙。

もちろんその間、他の隊員たちはそれぞれの仕事をしながらも、ウィルをサポートしてくれていた。
捕まえた盗賊への尋問、保護した者からの事情聴取、ウィルの不得意とする閉所の捜索などなど。そして多くの情報をまとめる後方の人員と、それを把握して臨機応変にウィルに指示を出す隊長の存在があったからこそ、ただ無暗やたらと飛び回るはめにはならなかった。
つまりは単なる適材適所なので、誰にも文句は言わない。ただほんの少し寂しかっただけだ。
幸い残りの盗賊には大した魔導師がいなかったので、あっさりと片付いた。



「カルマン三尉。君にはロストロギア、ジュエルシードの輸送任務についてもらう」

隊長は入室したウィルにそう告げ、任務の内容を説明する。
それは、先日ユーノが持っていた箱の中身、ジュエルシードと呼ばれるロストロギアを本局まで輸送することだった。

「なんでおれが? そういうのは海の管轄でしょう?」

ウィルの所属している部隊は、この世界の駐屯部隊。この世界は過去の災害で文明が崩壊しており、遺跡と一部の動植物しか存在していないような世界だ。
いつの間にか複数の発掘団が居つくようになり、彼らは長期の調査のために遺跡からさほど離れていないところに町を作る。すると彼らを対象にするための商売人がやってきて、町は小さな街へと成長した。
そうなるといさかいや犯罪も発生するようになる。また、発掘品を狙う盗賊も他の世界からやってくるようになったため、それらに対処しつつ街の治安を維持できる戦力が必要とされた――というのが、こんな考古学的な価値以外はないような辺境に、わざわざ管理局の部隊が駐留するようになった理由だ。
したがって、部隊の任務はこの世界の治安を維持することであり、他の次元世界や本局への輸送任務などを担当する必要はない。

隊長が渋い顔をする。敬語も使わない部下に対してではない――それはいつものことだし、部屋には二人しかいないのでわざわざ叱って時間を浪費するのはもったいない。

「近隣世界でロストロギアが小規模次元震を引き起こしたらしくてな。当分こちらに回す人員が用意できないらしい。だからといって、まともな設備もない場所にロストロギアをいつまでも置いておくわけにはいかない。
 そこで、代わりに民間の輸送船を使い輸送することになったのだが、ロストロギアの輸送にはいろいろと規定がある」

「ああ、学校で習いましたよ――っていうか、それについてはよく知っています」

次元世界間を輸送する場合、輸送中の事故に対処できる人員を配置する必要がある。次元世界間の航行中の事故はせっかく見つけたロストロギアの紛失に繋がるので慎重にならざるをえない。

「……そうだったな。
 調査の結果では、ジュエルシードには周囲の魔力や生物の思念に呼応して活性化する危険性があることが判明した。現在は鎮静化しているが、活性化した際には封印処理をおこなう必要があるそうだ。
 そして、一つのジュエルシードの封印にはAランク相当の魔力が必要と推測される」

「この部隊でAランク以上は、AAの俺と隊長だけですね。一般隊員だと四人くらいいないとAに届かないだろうし……」

地上部隊の平均的な魔導師ランクはC前後。さらに、このランクは実力によって認定される。したがって、才能という先天的なものに大きく左右される魔力量は、魔導師ランクよりも低い者も少なくない。

「そうだ。……君にロストロギアの輸送をさせるのは、申し訳ないと思っている。しかし、隊長である私が部隊を離れるわけにもいかない。
行ってくれるな?」

「もちろんですよ。だいたい、そこまで気を使わなくてもかまいませんって。おれにとっては隊長の鬼のような訓練――あれ?思い出すと震えてきたよ。冷房効かせすぎじゃないっすか、この部屋――それから逃れられるんだから遠慮する必要ないです」

「……それは申し訳ないな。帰ってきたら遠慮は一切しないことにするよ……いろいろと」

「いや、やっぱり遠慮は必要ですよ。相手を思う優しい心を持たないと、おれたちは毛の抜けた猿です。
 それで、いつ出発するんですか?」

「明日の朝だ。輸送後は何日か遊んできても構わんぞ。」

「ずいぶん太っ腹ですね。じゃあお言葉に甘えてミッドの家に寄ってから戻ってきます――おれ、この任務が終わったら家に帰ってのんびりするんだ」

「ははは、縁起でもない」


  *


翌日――身だしなみを整え、荷物を持って、輸送船に向かう。
荷物と言ってもデバイスと着替え程度しか持っていない。娯楽用品は手のひらサイズの携帯端末一つあれば事足りる。昔も今も、旅行の持ち物で最もかさばるのは着替えと相場が決まっている。こればっかりはなくしようがない――と思われていたのだが、近年バリアジャケットの生成方法を参考に、商品データをもとに、その場で服を構成する機器の開発が進んでいる。

この数年後、実際に商品として発売され、それは複数の次元世界をまたぐ超巨大市場となる。
しかし魔法を解除させる魔法や、AMF(魔力結合・魔力効果発生を無効にするフィールド)への対策がなされていなかったことが判明し、回収を余儀なくされる。その契機となった、AMFによってクラナガン市民の大半が全裸になった事件は、後にクラナガン史最悪のテロと呼ばれることになるのだが――

閑話休題。

そして、輸送船の発着場に到着する。
民間の輸送用次元航行船を借りて航行するのだが、もちろん貸切などではなく――そのような金が有るかと一蹴された――食糧輸送用の定期便に同乗させてもらう形になった。
ジュエルシードが船に積みこまれる時に、発掘団の代表として立会いに来たユーノと少し会話をする。

「ウィルさん、あなたが運んでくれるんですね」

「ああ。でも本局まで運ぶまでが仕事の内容だから、スクライアには本局から連絡がくるんじゃないかな。おれは任務が終わったらミッドの実家に寄って、向こうでゆっくりしてくるつもりさ」

「僕たちも一旦発掘を切り上げてミッドに戻ることになりました。向こうに着いたらお礼もしたいですし、連絡先を教えてくれませんか」

「いいよ……はい、これが端末で、こっちが家の番号。こっちも仕事だったんだから、気にしなくて良いんだよ。それより、向こうで何か美味いものでも食いに行こう。」


輸送船に乗りこんで、乗員に挨拶がてらぶらぶらと船内を見て回るが、見事に普通の船だった。
特にやることもない――民間なので魔法を使った訓練さえできない――ので、もっぱらジムで身体能力を鍛えるか、部屋で携帯端末でテレビと小説を見ることになりそうだ。
本局まではまだ時間がかかる。のんびりさせてもらおう。
と、思っていたのだが


『緊急連絡! 緊急連絡! 右舷に重大な損傷が発生! 航行の継続は不可能! 乗員は脱出用の――』

そうもいかないようだ。突然船が大きく揺れた後、すぐに船内放送が流れ始めた。
冗談でも死亡フラグは立てるものではないということを学んだ――実現すると泣きそうな気分になるから。
気を取り直して、船内放送を聞いて状況を把握する。そして回線を通じて船長に連絡をとる。

「船長、ジュエルシードはどうなっていますか? たしか、保管していた部屋は右舷寄りだったと認識していますが」

「今調べています…………保管していた部屋は半壊しています。くっ、ジュエルシードは外部に流出したようですね」

「行方は?」

「映像を確認しています……判明しました。その全てが近隣の世界に落下しています。……この世界は第九十七管理外世界と登録されていますね。映像によると、大気圏を突破後に輸送用のケースが破損、ジュエルシードは十から二十キロメートルの範囲に散らばったものと思われます」

「管理外世界か……おれを船内の転送装置で落下ポイントまで送れますよね?」

「これだけ接近していれば可能です。しかし管理外世界に介入するつもりですか」

「うん。いろいろ問題なのはわかってますよ。でも、緊急事態だから仕方がないってことで」

海の領分に陸が勝手に関わるのは問題だ。しかし、目の前の危険を放っておくのは、管理局としてあってはならないこと。
海は陸に比べて行動が迅速と言われているが、それでも管理外世界に干渉するとなれば時間がかかるだろう。それまでの間、ロストロギアを放っておくわけにはいかない。誰かが対処しなければ。
そしてそれができる誰かは、少なくともこの場には一人しかいない。

「わかりました。……お気をつけて」


転送室の存在する区画は被害がなかったようで、転送室にはすぐに到着できた。部屋の中心部の足場に乗り、転送が始まるのを待つ。
やがて、転送装置が起動し始めた。光がウィルの体を包み込み、転送がおこなわれる。

その時、もう一度船を大きな揺れが襲う。続いて部屋の壁が爆発し、熱風と金属の破片がウィルの身体に叩きつけられる。
シールドを展開するも、急いだせいで構成が甘かったのか完全には防げない。
目の前の風景が変わり、自分が転送されたことを確認すると、ウィルは意識を手放した。


  **


「なんやこれ? え? もしかして人間!?」

車椅子にのった少女は、病院から帰る途中で公園を通り――そこで茂みの奥にぼろきれの塊のような物を見つけた。
こんなに大きなゴミとはいったい何なのだろう、と思い近寄ってみると、それは人間であった。服が焼け焦げていて、ぼろきれのようだったが。

「だ、大丈夫ですか! とりあえず病院に連絡せんと――――」

自分の力では無理だ。誰か人を呼ぶか、それとも公園の近くに公衆電話があったはずだ、そこまでいって連絡をしなければ。そう思い車椅子を動かそうとする。
――が、動かない。
まさにその倒れていた人が、ギリギリと音がするくらいに強く、車椅子の車輪を握りしめていたからだ。

「病院は……駄目だ。どこか休めるところ。動物小屋でも良い、とにかく、どこか……」

「ひ、ひゃあぁぁ~~」

地の底から響くようなかすれ声に、少女は驚き、思わず間の抜けた叫び声をあげてしまった。




  これからおこる事件を、湖に広がる波紋に例えるのであれば
  二人の出会いは決して最初の一石ではない
  それでも、この出会いは広がる波紋の形を決定づけた

  だから、ここから始めよう
  一つの街に災厄の種がばらまかれた、この事件から



[25889] 第2話 出会えたという奇跡
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/05 02:22
「ほんまに、病院行かんでええんですか?」

車椅子の少女は、治療に使った道具を箱に片付けながら、尋ねかけた。
尋ねかけられた相手――ウィルはというと、全身のそこかしこにガーゼや包帯といった治療の跡がうかがえるが、そのどれもが数日で治る程度のものであり、幸いにも重症と言うほどの怪我はしていない。
今は体力を取り戻すために、ソファーに深く腰掛けて目を閉じている。

公園で出会った時、少女は悲鳴を上げた後ですぐに正気に戻った。
そして病院は嫌だ、などと駄々をこねる子供のような台詞を言う青年の扱いに困った少女は、彼を(あからさまに不審人物であるにも関わらず)自分の家に招いて、傷の治療を行った。
当然ながら応急処置程度のものにすぎなかったが、傷の一つ一つを丁寧に治療する光景は、体だけではなく心をも楽にしてくれるものだった。

「ああ、構わないよ。痛みも随分と引いたから」

そう言いはするが、できればしっかりとした設備を持った施設で治療してもらいたいと言うのが本音だ。骨折ほどの大怪我は負っていないことはわかるが、体の異常というものは往々にして自分だけでは気付かぬものだから。
しかし、ウィルはこの世界についての情報を全く知らない。
例えば、身分証明を持たずに病院に行って診察してもらえるのか?不審に思われないのか?――というような世界の常識を全く知らない。
それに、管理外世界に介入している以上、この世界の公的機関には関わることを避けたい、というのも大きい。
まあ、この世界で使用できる金銭を持っていないのが一番の理由なのだが。


そういった現状をふまえて、今後の行動について考える。
――まず初めにすることは、この世界の文化を知ること。
この世界にも治安維持を仕事とする者は存在するに違いない。これからジュエルシードを捜索するために、この街のあちらこちらを動き周ることになるのだが、その時に常識に伴わない行動をとってしまうと、そのような者たちに捕縛される可能性がある。

それはどれほど危険なことか。
捕縛されてデバイスを取り上げられ、身元不明の人物としてどこかの施設に入れられている間に、管理局がやってきてジュエルシードを回収してこの世界を去る。ウィリアム・カルマン三尉は輸送中の事故で死亡したと判断され、その捜索は打ち切られ、取り残されたウィルは変える術を失いこの世界で永住することに――



「あの、のどかわいてません?お茶でもいれましょうか?」

人間が獲得した知性がどれだけの想像力を備えているかに挑戦していたところ、突然かけられた少女の声に意識を引き戻される。
目を開ければすぐそばに少女の顔があった。
目を閉じたままじっとしていたウィルを心配していたのか、困ったような、心配したような顔で彼をのぞきこんでいる。

近くでその顔を見ると、少女が整った顔をしていることがわかる。
見た目から年齢は十歳程度だと思われるが、どこか相手を包み込むような包容力を感じさせる仕草と、その顔に時折浮かぶ陰影が、もしかするともっと年上なのではないかという疑念を抱かせる。この家に来るまでに病気で脚が動かない旨を聞いたが、そのことがこの雰囲気を作る原因となっているのだろうか。

「ん?ああ、すまないがお願いするよ。それと、何かしらの情報媒体はあるかな?」

目を開き、ソファーから背を離して、少女に問いかける。

「じょ、情報媒体?……えっと、新聞やったらありますよ。あとテレビとか」

礼を言い、新聞を借りる。次元世界では徐々に紙媒体は少なくなっているおり、書籍はデータにとって代わられ始めている。特にウィルは荷物を持ちたがらない性格なので、久しぶりの紙の読み物に少々なれない感覚を味わった。
新聞に目を通すと、特に問題なく読むことができるので、文字も会話と同様に翻訳魔法が機能していることがわかる。しかし、正しく機能しているのか不安なので、時折少女を呼び、質問をしながら目を通していった。

一通り読み終われば、次はテレビへ。
最初はニュース番組を見ていたが、次第にバラエティに移り、気が付いたら一緒にアニメを見ていた。
管理世界だとたいていは魔法(特に幻術)で代用されるので、こういったものは発達していないため、非常に興味深く、面白かった。

(……とは言えこれは参考にならないな)



それにしても、ここに来るまでに見た街並みからも推測できたが、この世界は魔法のない管理外世界にしては非常に文明が発達しており、テレビでみたこの国の首都の様子などはミッドチルダの都市と比べても大差ないと言える。
しかし、この世界には魔法が存在していない――それは単なる御伽話か、理解できない事象を十把一絡げにまとめるために付けられた名称であると思われている。

しかし、これほど発展した世界に関わらず、魔法に関する研究が全くなされていないことがあるのだろうか?
一度トイレを借りた時にごく簡単な魔法を使ってみたところ、何の問題もなく発動していたので、この世界が魔法の行使に適していないわけではない。
となると、この世界の人間は遺伝的に魔法の資質を持っていないのか。

(一応、一部の者たちによって魔法が秘匿されている可能性も考えるか)

考えを巡らせながらテレビを見ていると、いつのまにか日が沈もうとしている。
そろそろ潮時かと思い、この家を出るためにソファーから腰をあげた。



「ずいぶん長居しちゃったね。そろそろ失礼させてもらうよ」

「待ってください!怪我してるのにどこに行くんですか。病院に行かんのやったら、せめてもう少し休んでてください。夕ご飯、今から用意しますから」

「ありがたいけど、こんな時間だし、家族もそろそろ帰ってくるでしょう?説明が面倒になる前に帰った方が良いと思うんだけど……」

今のウィルは怪我人かつ不審人物だ。少女の保護者が帰って来れば、無理にでも病院に連れて行かれるかもしれないし、この世界の治安維持組織――警察に連絡されてしまうかもしれない。
山の方に行けば寝床くらいはあるだろうし、治安も良いようなので寝込みを賊に襲われる可能性は低いと思われる。

「それやったら心配いりません。うち、両親が亡くなってから、一人暮らしやから」

「この家に一人で?お手伝いさんとかはいないの?」

「ええ、正真正銘、私一人です」

――それはどうなのだろう。
この世界、この国の常識はまだ完全に理解したわけではないが、それでも足の不自由な子供を一人暮らしさせるというのは問題ではないのだろうか。
何か複雑な事情があるのか、それとも単に一人暮らしがしたいという彼女の要望を周りの大人が受け入れただけなのだろうか。次元世界の中にも、子供の自主性を非常に重んじる世界があるのでありえないことではないが。
いや、それよりも今日出会ったばかりの不審人物に、一人暮らしだと宣言することの方がはるかに問題だ。ただのお人よしなのか、それとも単に危機感がないだけなのか。しかし、時折見せる影のある表情は、そのどちらも違うのではないかと感じさせられる何かがある。

とは言え、これはまたとない好機でもある。
彼女の人の良さ(?)につけ込むようだが、ゆっくりと休息をとれる場所を確保できることは、情報収集と同じくらい重要なことだ。
怪我が完治するまで――できればそれ以降もこの家を拠点にしたい。


「一人暮らしだと、掃除とか大変じゃない?」

「そうですね、居間とかはなるべくするようにしてるんですけど、それ以外はなかなか――」

「だよね。実はお願いがあるんだ」

そう前置きして、ウィルは自分のおかれた状況を説明する。魔法のことは言えないので、ある程度は嘘に置き換えて。
要約すれば、自分はこの国の人間ではなく、依頼されてこの街にある物を探しに来たところ、運悪く事故にあってパスポートや金銭を無くしてしまった。
依頼人の都合で、探し物のことを表ざたにできないので、警察の世話にはなれない。
と、いう内容になる。

「だから、俺をしばらくこの家に置いてくれないかな。代わりに食事以外の家事はできる限りやるよ」

胡散臭いことこの上ないというより、むしろ完全に犯罪者のようだが、ある程度の情報は先に開示しておいた方が、後の行動が楽になる。取り繕ったような嘘を並べたところで、後で矛盾が生じて疑われてしまうかもしれない。それよりは、最初から疑わしい方が良い。
――というのは単なる言い訳なのかもしれない。
関係ないこの街の人間を巻き込み、自分を助けてくれた少女を利用しようとしている(必要なことである以上、利用できるものはいくらでも利用するし、良心の呵責などで行動を変えることはしないが)
そういった負い目が、できる限り真実に近い情報を話す、という行動を導いたのだろう。
調理をしないのは単に苦手なだけだ。



「……良いですよ。でも、一つ条件があります」

しばし考え込むそぶりをした後で、少女は厳しい顔をつくって(つくろうとしているのだが、どうにも迫力に欠け、何とも言えない面妖な顔になっている)そう告げた。

「な、何かな。……ああ、言い忘れていたけど、お礼は必ずするよ。ひと月くらいで多分仲間が来てくれるだろうから、その時にでも――」

「お礼なんていりません。そやのうて……私の名前は、八神はやて、っていいます。お兄さんは?」

「ウィリアム。ウィリアム・カルマン」

「条件は、これから一緒に住むんやから、私のこと、はやて、って呼んでください。それと、今から敬語は使わんこと!……良いですか?」

「……二つじゃない?」

「うわっ、しもた……なんで肝心なところでしまらんかなぁ」

恥ずかしそうに手で顔を隠すその姿が、初めて年齢相応に見えて、思わず口元が緩む。

「良いよ。よろしく、はやて。おれのことはウィルって呼んでくれ」

「うん。よろしく、ウィルさん」

はやては微笑んだ。その顔はようやっと花開いた蕾を連想させた。


  *


はやてはウィルを空き部屋に案内してから、夕食の準備に取り掛かった。
空き部屋は、かつては彼女の父親が使っていた部屋で、一人で使うには十分な大きさを持っていた。
棚や机が多少の埃をかぶっているのは、普段は使わないからだろう。しかし、多少ですんでいるのは、使わなくとも掃除をし続けているからだろう。

誰かの視線を感じた気がして、窓を見た。
猫だ。窓の外に一匹の猫がいる。
ウィルをじっと見た後で、ふわりと暗がりへ消えていった。

「さて、始めるか」

念のために入口に鍵をかけ、カーテンを閉めて、所有している二つのデバイスを起動させる。
デバイスの損傷状態を確認するためだ。

ウィルの右手の腕輪が輝くと、一本の剣へと形を変える。
片刃剣型アームドデバイス『シュタイクアイゼン』
長さは一メートル。非人格型で、カートリッジシステムは搭載していない。
その損傷は軽微。戦闘に支障はない。

このデバイスは士官学校に入学する前に、ウィルの養父がプレゼントしてくれたものだ。養父は質実剛健を絵に描いたような人で、普段は贅沢は敵だというような人だった。
しかし、ウィルの合格が決まった時は余程嬉しかったのだろう、高価な物でもなんでも買ってやろうと言いだした。その時に口元の笑みを隠しきれず、ウィルにそのことをからかわれて怒り、あやうくご褒美をなしにされかけるという一幕があった。
それでもいざ買う時には、管理局の仕事で忙しい中、わざわざ義姉と一緒に来て買い物に付き合ってくれた。二人とも魔導師でないので見てもあまりわからないだろうに、一緒に悩んでくれたことは記憶にはっきりと残っている。

――閑話休題。

このデバイス、量産品であるということを差し引いても、飛びぬけて優れたところはない。子供の時に高性能だったり、片寄った性能のデバイスを持っても使いこなせないだろう、という判断の結果だ。それよりもどんな無茶にも耐えられるように、とにかく頑丈に作られている。
学生時代にいろいろ無茶な扱い方をしたが、一度も壊れたことはなく今に至る。そろそろがたが来そうなものだが、今回は何とか無事だったようだ。


そして、今度はネックレスに触れ、もう一つのデバイスを起動させる。
ブーツ型ストレージデバイス『エンジェルハイロゥ』
かつて世話になった先生が、ウィルに合わせて作ってくれたものだ。
亡くなった父から受け継いだ魔力変換資質、その制御と増幅をおこなうための特注品。入っている魔法も魔力変換を使用するものに限られる。

こちらの損傷はかなり激しいが、自動修復機能があるので、放っておけばそのうち直るだろう。


結論として、戦闘行為には多少の不安は残る。だが、別に今すぐに戦う相手がいるわけではない。むしろ、体力と共に魔力が減少している方が気になるが、それもジュエルシードの封印を行える程度の魔力はギリギリ残っている。
怪我も一週間もあれば完治するだろうし、その時には魔力もあらかた戻っているだろう。
明日から、この家の周囲の捜索を始めるとしよう。


  **


「ウィルさーん。ご飯できたでー」

自らを呼ぶ声に従って、ウィルは部屋を出て食卓へと向かう。
はやてはすでに料理をテーブルに並べ、自身も椅子に座っていた。ウィルは彼女にうながされるまま、対面に座った。

テーブルの上の料理は、異世界なのだから当然見たこともないものばかりかと思いきや、見たことのある料理がいくつかあった。世界が変わっても、基本的な調理法は変わらない、ということか。
その中でも、見たことのない料理について聞いてみる

「これはなんていう料理なのかな?う~ん、白一色という飾り気のなさ、しかし見た目とは裏腹に料理の中でもひときわ大きな存在感を放っている……ただものではないとお見受けするのだが」

「それは単なるお米やねんけど……お米を知らへんなんて、ほんまに外人さんなんやね。
 こんな風にして――」

そう言って、はやては箸で白米を口に運ぶ。

「――食べるんやけど、お箸は使えへんやろうから、このスプーンを使うたらええよ」

「なるほどね、この棒を使いこなすには時間がかかりそうだし、ありがたく使わせてもらうよ」

ミッドチルダにも日本料理は存在し、クラナガンには日本の居酒屋に酷似した店舗もあるのだが、知名度は低いため知らない者も多い。


「じゃあこの赤いスープは?」

「それはビーフシチュー。牛とたまねぎとにんじんとじゃがいもを煮込んだもんやね」

スプーンを使い、スープを飲む。そして、次に具を口に運み、ゆっくりと噛みしめる。
そして、ほう、とため息をつく。

「うまい……すっごいうまい。ああ、この感動をどう伝えれば良いのか――」

「そ、そうかなぁ。市販のルーを使っとるし、どんな味付けが好きかわからへんかったから、特に隠し味も使ってへんし……。そんないうほどおいしいくはないと――」

「たしかに巧い料理は食ったことがあるよ。でも、この料理はそれとは違う。美味いんだ」

料理において、味が全てではない。
例えば、シチューの具を見てみると、ちょうどウィルの口にあった大きさになっている。それは彼女の口に合わせた大きさなら、少し大きすぎるくらいだ。
それにその柔らかさもどうだろう。普段のウィルであれば柔らかすぎると感じてしまうだろう。しかし、今の怪我をして、少し疲れている彼にとってはちょうどいい。
作る人の細やかな心遣い、それが料理を実際の味以上に美味しく思わせている。

「言うてる意味がわからへんよ~」

そう言いながらも、はやてはまんざらではないといった感じで微笑んだ。そして、食べ続けるウィルをニコニコと眺めていた。



[25889] 第3話 海鳴における異邦人の一日
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/05 02:24
「それで、探してるものってどんなものやの?」

「見た目は青っぽい石かな。大きさは三センチメートル程度、形状は高さ方向に薄い四角柱。特殊な加工で内側に数字が刻まれているから、見ればすぐにわかると思う。
 見た目は単に綺麗な石ころだから、拾われてる可能性はない!……はず。……拾われてないといいなぁ」

八神家に居候することになってから一週間ほどたったとある日、はやてが定期検診のために、病院に行くことになった。病院は海鳴市内にあるが、八神家からは少し離れていることもあって、ウィルも同行した。
ちなみに、病院の先生には八神家の三軒隣にホームステイにやって来た、暇な外国人だと言ってごまかしておいた。


そして、その帰り道。ウィルははやての車椅子を押しながら街を歩いていた。はやての提案で、中丘町の八神家にすぐに帰らずに、同じ海鳴市内の藤見町まで少し寄り道をすることになったからだ。
その目的は、身一つで転がり込んだウィルに簡単な衣類や食器などの生活用品を買うこと。もちろんウィルは一銭も持っていないので、はやてに全額出費してもらうことになる。
気がひけないわけではなかったが、この提案はウィルにとって二重の意味でありがたかったので、二つ返事でうなずいた。なぜなら、ここ数日で八神家の周辺はあらかた探し終え、ちょうど他の場所を捜索しようと思っていたからだ。
それに、中丘町は住宅が多かった。そこを一人でうろうろと徘徊していたので、いぶかしむような目で見られることも多々あった。もしかすると泥棒の下見だと思われていたのかもしれない。


「でも、この街の中からそんな小さな物を見つけるなんて無理と違う?」

「そうだね。確かに難しいと思う」

はやての疑問はもっともだ。
確かに今のように足を使った捜索方法は、あまり効率的ではない。ジュエルシードに秘められた魔力量は膨大なので、多少なりとも活性化していれば近づくとわかるのだけど、それでも限度というものがある。
効率的な捜索方法はいくつかある。一番効果的なのは、周囲の魔力素を動かして魔力の流れを作ることで、周囲の魔力に強く反応する物質を探索する魔力流の発生だろう。ただし、これは周囲の環境やジュエルシードに与える影響がわからないので危険だ。
もう少し安全な方法なら、視覚を共有するサーチャーを使って探索するというのもある。

しかし、これらには重大な欠点がある――ウィルはそれらが不得手だ、ということだ。
彼の技能は非常に偏っており、能力のほとんどが近接攻撃と高速移動に特化している。射撃魔法は詠唱なしではごく簡単なものしか使えない。あとはバインドと結界を手慰み程度、という体たらくだ――まさに脳筋。それなのに、本人は知略を尽くした戦い方が好きという、まったくもって矛盾した人間である。


しかし、実のところ今日は見つけることが目的ではない。今日のウィルの目的はあくまでもこの街の地理を把握することだ。
人の集まるところ、魔力素の濃度が濃いところ。そういった危険な場所をチェックしておき、そこに至る道のりを把握しておけば、ジュエルシードが万が一活性化してもすぐに封印に向かうことができる。無論、最悪の場合は空を飛んで向かえば良いが、夜ならともかく昼は目立ってしまう。道を覚えておくにこしたことはない。

それに、自分一人で二十一個のジュエルシードを見つけることなどそもそも不可能。回収できるならそれが一番だが、“ジュエルシードによってこの世界が被害を被ること”を防ぐだけでも構わないだろう。
むしろ、無茶な捜索をするよりも、活性化したジュエルシードを場当たり的に封印していき、管理局が来たら彼らに任せて引っ込む――という方が、この世界に与える影響が小さいので、一番良い方法と言えるかもしれない。

だが、それには一つ気がかりなことがある。
輸送船を襲った事故。あれが単なる事故であればそれで良い。だが、もしも人為的であれば、事故をおこした不逞の輩の目的は間違いなくジュエルシードだ。そして、ジュエルシードを追ってすでにこの街に来ている可能性がある。ウィルが集めなければ、それだけ犯罪者が集めやすくなってしまう。
そのことを考えるなら、もっと積極的に集めるべきだろう。

その可能性をふまえた上でも、ウィルの出した結論は変わらなかった。

(いるかどうかわからない奴のことは今は考えなくていいだろう。最悪の可能性は常に考えておくべきだが、それにおびえていても仕方がない。
 普段はその可能性を排除して行動し、念のために遭遇した時の対応を考えておくだけにしよう)

あっさりと犯罪者がいる可能性を切り捨てる。判断と取捨選択の速さ、そして優先順位の明確なランク付けが、ウィルの特徴だ。


ウィルは街の人々の様子を観察してみる。
彼は、日本という単一民族によって構成されている国において、自分の容姿が目立つのではないかと危惧していたが、幸いあまり目立っていないようだ。
例えば、喫茶店の前に三人の少女がいる。彼女たち三人とも平均に比べるとすぐれた容姿をしているが、その中の金色の髪の娘の存在感は凄まじいものがある。あそこだけ輝いているようだ。同じような外国人でも、彼女に比べればウィルの容姿も十人並みになってしまうだろう。

「ああいう感じの子が好みなん?」

少女をじっと見ているウィルに気付いたのか、はやてがからかってくる。

「五年後に期待、かな」

「ふーん。そういえば、元いたところでは恋人とかおったん?」

「そりゃあ、この顔も良く足も長く心根も善良で気がきくこのおれは――」

益体もない話をしながら二人は行く。
世界が変わっても人間の見た目は大差ない。それは次元世界全てで言えることだ(この事実は、無限に広がる次元世界は祖となる一つの世界から分裂しているという学説の根拠になっている)
二人の姿は仲の良い友人のようで、誰も片方が異世界の住人だとは思わないだろう。


  *


買い物を終えた後、歩くことに疲れた二人は、はやての要望によって図書館に訪れた。
はやては手慣れた様子で、さっさと自分の読む分の本を選ぶと、近くの机でそれを読み始める。

「それじゃあ、おれも自分が読む本を探してくるよ」

「それやったら、持って来て欲しい本があるんよ。さっき取り忘れてたんやけど、今読んでる童話の作者の――」

ウィルはこの街周辺の地理がわかる本、この国の文化を知るための本。そして、外国の文化がわかる本を選ぶ。
前の二つは言わずもがな。最後の一つは、自分の出身国をでっちあげるためだ――病院ではどちらから来たのかと尋ねられて、思わず世界の果てから、と答えてしまった――あのような醜態はさらすまい。とりあえず、欧州を中心にいくつか借りておく。
それから、はやてに頼まれた一冊を探していると、小脇に本を抱えた一人の少女が、本棚から本をとろうとしているのが見えた。よく見れば喫茶店の前にいた三人の少女の一人ではないか。どうやら欲しい本が少々高いところにあるようで、手を伸ばしてはいるが、なかなかとれないようだ。

「欲しい本はこれ?」

横から声をかけ、本を一冊棚から抜き出し、少女に手渡す。

「あ、ありがとうございます」

少女はすでに持っていた数冊の本に、その一冊を加えた。その時、彼女の持っている本の一冊の題に見覚えがあった。

「あれ、その本――」

「えっと、これですか?」

「……やっぱり。ちょうどその本を探していたんだよ」

「それじゃあ、どうぞ。本をとっていただいたお礼です」

「いやいや、それは悪いよ。ところで、そういう童話とか、好きなの」

「はい――童話がっていうよりも、胸にじんとくるような話が好きで」

「時間があれば、で良いんだけど、うちの妹と話してみてくれないかな。その本をおれにとって来るように言った子なんだけど、おれだと本の趣味が合わなくてね」

「は、はい。かまいませんよ」

少女の名は月村すずかといった。
少しウェーブのかかった髪を腰まで伸ばしており、その髪の色は黒なのだが、あまりにも艶があるせいか光が当たると夜の空のように蒼くみえる。それに、子供らしい高い声をしているのだが、その声は耳朶をくすぐるような甘さをもっており、はやてとは違う意味で子供には思えない子だった。
彼女を連れて来た時、はやては驚いていたが話してみると、なかなか気が合ったそうで、彼女たち二人の話は大いに盛り上がったらしい――らしいというのは、ウィルがその間ずっと本を読んでいたからだ。

すずかのことは、ちょっとしたお節介だった。
ここ数日はやてと暮らしていてわかったことだが、はやてにはほとんど交友関係がない。いずれウィルが去れば、彼女は一人きりになるのではないか――それが少々不憫だった。
だから、多少強引にでも交友関係を増やしてあげようと思い、試しに実行した。
はやては足にハンディがあるだけで、外見も心根も非常に善い子だ。交友関係さえ広がれば、きっと誰かが、ウィルがいなくなった後でも彼女を助けてくれるだろう。



すずかに別れを告げて図書館を出たころには、太陽も傾き、あたりが赤く染まり出していたので、家に帰ることにした。街に学生服の少年少女の姿がちらほらと見える。
二人ははやての家の近くの、二人が出会った公園のそばを歩いていた公園の中では、少年が制服姿のままサッカーをしている。

「街の方に出るのなんて久しぶりやった。ほら、この街って坂が多くて、一人やとあんまり遠出できへんから」

「喜んでくれたようで何より。お腹もすいたし、帰ってはやてのご飯が食べたいよ――おっと」

公園の方から突然サッカーボールが飛んできたが、それをダイレクトで蹴り返す。ボールは高く舞い上がり、少年たちの一人の目の前に落ちた。
ペコペコと謝る少年たちに別れを告げ、再び家へと歩き出す。

「すごいなー。サッカーやってたん?」

「いーや。でもあの程度なら余裕余裕。ボールが止まって見えたね」

「無駄にハイスペックやなぁ」


もう少しで家に着くというところで、首筋がひりつくような感覚を味わった。
異常なほど強力な魔力が、近くで発生している――おそらくジュエルシードの反応だ。

「はやて、少し用ができた。悪いけど先に帰っていてくれ」

「遅なるん?」

「そんなにかからないと思うけど……夜になってももどって来なかったら、構わず戸締りをしておいて」

「あかん。待ってるから、ちゃんと帰ってきなさい」

珍しく強い口調で話すはやてを見る。その目は真剣なのだが、その奥には懇願するような色がある。

「わかった。最善を尽くす」

そう言って、魔力の発生源へとかけ出した。


  **


「――あれか。ジュエルシードの反応は」

そこには文字通りの化物がいた。犬をベースとした形状をしているが、その大きさは全長十メートル、高さは五メートルほどもある。
原住生物がジュエルシードの魔力を吸収して暴走、肥大化した、というところだろうか。体のところどころが肥大化してはち切れんばかりで、その目は凶悪な光を放っている。クラナガンの場末の、趣味の悪いシアターで公開しているパニック映画に出てくる化け物のようだ。

(これは想定していなかったな、ジュエルシードの活性化は他の生物を巻き込むのか。となると、ジュエルシードから生物への魔力をシャットアウトし、鎮静化させる必要がある。
 ――問題は必要な魔力を出せるか、ってことだけだな)

出発前の話では、封印にはAランクの魔力が必要だと言っていた。
現在の魔力量は完全に回復していないのでAAにはギリギリ届かない、というところ。安全に封印するためには、悠長に戦って魔力を無駄に消費するわけにはいかない。
怪我はほぼ完治しているので戦闘には問題ない。デバイス『エンジェルハイロゥ』がいまだ直っておらず使えないので、本来の戦い方ができないことだけが問題だが、『シュタイクアイゼン』の方が使えるので戦えないわけではない。


「シュタイクアイゼン、まずは挨拶代りに軽めの一発」
『Sir. Stinger Ray!』

その場に買い物袋を置くと、デバイスを起動する。
そして、褐色の魔力光と共に一筋の魔力弾が化物を貫通する。
直撃したが、化物は未だ健在。

(やっぱりクロノみたいにはいかないな)

友人直伝の魔法だが、威力も速度も数段劣る。それでも、あれだけで倒せるようなら良かったのだが、見たところ大して効いていない。ジュエルシードの魔力が天然のバリアとなっているのか。
しかし、今の一発で化物はウィルを敵と認識し、唸り声をあげて威嚇してくる。
畜生相手に様子を見る必要もないと判断し、続けてこちらから攻撃を仕掛ける。

――先手必勝。


飛行魔法を唱える。静から動へ、急激な加速。
その速度は、心臓の鼓動が一つ打たれる間に、自動車に並走できるほどの速度に達した。
地面すれすれを飛行し、相手に突撃する。
反比例して、四十メートルはあった化物との距離が急激に減少する。

行動の企図は瞬殺――高速で接近し、相手が反応する前に腹部に潜り込み、斬り裂くと同時に封印のために魔力を流し込む。



化物は腕を振り上げる。近寄る羽虫を異形の腕で叩き潰すつもりなのだろう。
だが高速で近寄る相手をピンポイントで攻撃できるものなのか?
早ければ隙をさらすだけ、遅ければ言わずもがな。

しかして、偶然か、それとも野生の本能か、異形の化物はそれを成し遂げる。
飛ぶ燕を刀で切り落とすごとき正確さで、近づくウィルに腕を振り下ろす。
その腕は確実に羽虫を叩き潰すだろう。

対するウィルはどうするのか。
今から減速してやり過ごすか、それともさらに加速して先に攻撃するか――どちらの行動も、それで回避することは不可能。
もし、もう一つのデバイス、エンジェルハイロゥが使用出来れば可能であっただろう。
しかし、現状では加速力も減速力も足りない。

どうあがこうが詰み。


化物の腕が地を叩く。
震動に地面が割れ、周囲の木々が揺れる。
化物に意識があるなら、邪魔者を叩き潰したことに喜びの咆哮をあげただろう
そして、化物にもう少し知性があれば、その手の感触に疑問を抱いただろう。

その手の下には何もいない。
では潰されるはずだった羽虫は何処へ。



ウィルは化物の腕が自分に振り下ろされるのを見る。
確かに化物は予想よりも強かったが――それでもまだ想定の内。

行動の企図を変更――相手の攻撃に合わせて上空に飛翔し、化物の腕を回避。そのまま頭上を通り、その背を攻撃する。
前も後ろも駄目ならば、上へ行けば良い――羽虫は空を飛べるのだから。

飛行魔法の方向を前方から上方に変える。
しかし、そもそも相手は自分をたたきつぶそうとしている。つまり、前方斜め上から攻撃してくるのだ。
慣性がこの世に存在する以上、停止している物は急には動かない。今まで前方にのみ力を加えていたのだから、今から上方に力を加えたところで、急に速度がでるわけがない。
このままでは上ではなく斜め上へ行くだけだ。
それはつまり、腕に自分からあたりに行くことを意味している――これではただの自殺。

腕を飛び越えるためには、さらに上向きの力が必要とされる。
その為の力を何処から持ってくる?
魔法だけではすでにこれが限界。



ならば、方法は一つ。
魔法の力で無理ならば、この身体の力を使うしかない。
そして、ウィルは右足で強く地を蹴った。

しかし、これには大きな欠点がある。
まず一つ目。
高速で飛行中に地面を正確に蹴ることができるのか。
試しに自動車で走行中に自動車から飛び降りて、そのまま道路を蹴ってジャンプしてみよう。それで跳べる者はまずいないだろう――というかこける。
跳ぶためには高速で後ろに流れる地面を、適切な角度で、十分な威力をもって蹴らなければならない。

そして二つ目。
高く跳べるほどの力で踏み込めるのか。
ウィルには踏み込むために脚を下ろすだけの時間しかなかった。脚をあげるという予備動作もなしに地を強く蹴ることなど、常識では不可能だ。


しかし、ウィルはその二つを成し遂げる。
まず、彼の得意とするのは高速の空中戦。それは人の常識を越えた集中力を持つものが住まう領域。
たかだか自動車の速度で動いているだけでは、日常と大差ない。空戦魔導士の中には、音速を越えた速度で飛行しながら、迫りくる射撃魔法を回避して戦うものもいるのだ。
ゆえに、その脚は、なんの問題もなく地を捉えることができる。


そして踏み込みの威力。
その不可能を可能にする固有技能を、彼は持っている。

<魔力変換資質:キネティックエネルギー>

魔力を運動エネルギーに変換する、という技能。
他の魔力変換資質と異なり、実態のない力に変換するので、その力の作用する範囲はほとんど自分自身に限定されている。
したがって、変換した運動エネルギーを相手に作用させて吹き飛ばす、といった芸当はできない。

一見使い道がなさそうに見えるが、意外とそうでもない。
例えば、パンチと言うのは、本来は体重の移動と腕の筋肉によるエネルギーを拳を使って相手に与えるものであり、そのエネルギーを拳に伝えるためには腕の振りや腰の回転などの予備動作が必要になる。
しかし、この技能を用いればそれらの工程『全て』が吹っ飛ばされる。
腕の魔力を運動エネルギーに変換する――ただそれだけで、まるでカタパルトで発射されたかのように『拳が発射』される。
同じことを脚でやれば――予備動作なしでも全力と同じくらいの力で地を蹴り、高く飛び上がることなど造作もない。


武術を極めた者たちが持つ無拍子の行動、それを魔法の力によって模倣する。

――これこそ魔剣。
魔法の力によって、人の限界を越えた剣術を為す。


そしてウィルの体は化物の腕のわずか上を、速度を殺すことなく飛翔していた。
体は前屈気味に。
背に構えた剣を両手で持つ。
すぐに化物の頭上を越え背中の上に差し掛かり、そこで彼は体を宙転させながら剣を振り抜いた。

「シュタイクアイゼン!クリティカルバッシュ!」
『Sir! Critical Bush!』

褐色の魔力光を帯びた一撃が、化物の背に振り下ろされる。
自身の腕力と魔力を変換した運動エネルギー、そして飛行速度をプラスしたその一撃は化物の背を切り裂いた。断面からジュエルシードが見える。
もう一度背中に剣を振り下ろし――今度は斬るのではなく突きたてる――剣を錨として化物の背中に乗り、全力で魔力を込める。
ジュエルシードを封印するために。

「ジュエルシード、シリアルⅠ、封印!」



「なんだ、もとはただの犬か」

暴走体の元となっていたのは、大型の野犬だった。首輪もないので、野良犬だったのだろう。
背中を切り裂いたので、殺しはしなくとも怪我くらいはしているかと思ったが、どうやら無事なようだ。疲れてしまったのか、その場で寝そべっている。

「痛い……足への魔力量が多すぎたかな」

踏み込みに使った右脚に痛みが走る。
これが彼の魔力変換の副作用。
自身の体を魔力によって無理に動かすので、本来は出せない大きな力を瞬時に出すことができる反面、筋肉に大きな負担がかかる。さらに、変換する魔力量によって力の強弱が変化するので、あまり多くの魔力を変換すると、筋肉の限界を越えてしまい筋繊維の断裂を招く。
接近戦において非常に強力な能力であることは確かなのだが、扱いづらい能力であることもまた確か。

「なにはともあれ、これで一個目かな」

残り二十個。先はまだまだ長い。


  ***


ウィルが去った数分後、一人の少女と彼女の方にのった一匹の小動物がその場所を訪れた。

「あれ?確かにこっちから反応があったはずなんだけど」

「気をつけて、なのは。隠れているのかもしれない」

フェレットらしき小動物は慎重にあたりを警戒するが、ただ木々の葉がこすれる音しか聞こえてこない。

「うん…………ひゃあっ!い、犬さん?」

寝そべっている犬に気付いて驚く少女。小動物は少女の方から飛び降り、犬のそばに近寄る。

「この犬……わずかだけど魔力の残滓がある」

「ざ、ざんし?……どういうことなの?」

「僕たち以外にもジュエルシードを集めている人がいて、僕たちが来る前にジュエルシードを封印したかもしれないってことだよ!」

「もしかして、ユーノ君が前に言ってたウィルさんって人じゃないかな?念話で呼びかけてみようよ」

「ウィルさんじゃなくて、ジュエルシードを奪おうとしてるやつの可能性もあるよ。その場合、なのはに襲いかかってくるかもしれない。……今は様子を見よう。もしもウィルさんが無事なら、街で見かけることがあるかもしれない」

ユーノの説明を聞きながら、なのはは少し不安に思う。
ユーノはいろいろと考えて行動するのだが、慎重になりすぎて、逆に肝心なことを見落としていることがある。
そもそも、なのはがユーノと出会った理由が――
いや、それよりも、一つ聞いておかなければならないことがある。

「そうなの……ねえ、ユーノ君」

「どうしたの?」

「ウィルさんってフェレットさんじゃないよね?」





(後書き)

日常はウィルの外見・内面・肉体的な要素を通して、異世界に来た異邦人を描くようにしようと思ったのですが、難しいですね。

今回の戦闘におけるウィルの行動は『突撃→攻撃をジャンプでかわす→敵の頭上を飛び越えながら斬る』という感じです。
つまり魔剣昼の月(刃鳴散らす)の動き。
なぜこれだけわかりにくくなったのか……。



[25889] 第4話 ウィリアム・カルマンという男
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/05 02:26
その日は最高の散歩日和だった。空は晴れているが雲も適度にあり、日差しが強すぎるということもない。
ウィルははやてと共に街を歩いている。ジュエルシードの捜索のためだ。

歩き始めて一時間ほどたっただろうか。二人とものどが渇いたので、はやてを木陰で休ませて、ウィルは近くの自動販売機まで飲み物を買いに行った。
そして、はやてのところに戻る時に、魔力の発生を感じる。ジュエルシードの反応だ――それも今までよりもはるかに大きい。
はやてには申し訳ないが、飲み物を渡したらその場で待っていてもらおうと考えながら、ウィルは急いではやてのもとへと走った。

しかし、はやての姿を見つけた時、地面を大きな揺れが襲い、それから少しすると、足元のアスファルトが砕け、地下から何か大きなモノが跳び出してくる。
それは巨大な樹の根だった。いくつかの次元世界に行ったことがあるウィルでも、初めてみるような大きさ。はたしてこんな根をもった植物が存在するのか――あるとすれば、それこそ神話に詠われる世界樹くらいではないのか――それほどに巨大な樹の根。
樹の根は車を横転させ、信号機をなぎ倒しながら地表にその姿を表す。


はやての方を見る――彼女は大丈夫だろうか。
そしてウィルの視界に映ったのは、空中高く放り出され、落下しようとしているはやての姿だった。あと数秒で彼女は地面にたたきつけられて物言わぬ躯になるだろう。
ここで彼女を助けるために魔法を使えば、周りにいる人に目撃されるかもしれない。少なくともはやて自身には絶対にばれる。それ以前にあれだけ上空に打ち上げられる衝撃を受けて、今も生きているのか。いやいや、車椅子が衝撃をある程度受けてくれたかもしれない。


突然のことに一瞬ではあるが悩んでしまったウィルの脳裏に、はやてとの先日の会話がフラッシュバックする。


「下世話なことを聞くんだけど――」

「なに?下ネタはあかんで」

「今さら何を、君と僕との仲じゃないか……ごめんなさいコメツキバッタのようにヘコヘコ謝りますからその手に持ったフォークを下ろしてください。
 ――お金は大丈夫かな?前は断られたけど、やっぱり仲間が来たらお礼はするつもりだよ。でも、それまでになくなったりしないかなって心配になって」

収入がないはやてはどのようにして生活しているのだろうか?
ウィルが最近学んだ知識によれば、生活保護という制度があるらしい詳しい条件はわからないが、両親がいないはやてもそういった制度を利用しているのだろうか?しかし、それだけだと、養う人間が一人増えたことで、八神家の家計簿は非常に危険なことになっているのではないだろうか。
そんな疑問が、この時の会話のきっかけだった。

「大丈夫やって。イギリスに、お父さんのお友だちのグレアムおじさんって人がおるんやけど、その人が遺産を管理してくれとるんよ」

そう言って、はやては引き出しを開けて手帳のようなものをとり出す。

「ほら、毎月こんだけ振り込んでくれとるから、心配いらへん!」

「こらこら、そういうものを無暗やたらと人に見せちゃいけません」

そう言いながら、通帳を覗きこむ。
引き出される額よりも入ってくる額の方が圧倒的に多い。その総計は莫大な金額であることがわかる。新聞についてきたらしいチラシの一枚と見比べてみる。
――家が二つ買えた。

「はやては両親を亡くしてから、ずっと一人で住んでるんだよね」

「そうやけど?」

「グレアムさんははやてが一人で住んでることを知ってるんだよね」

「それがどないかしたん?」

「人一人が生活するにはこの金額は多すぎるよね。グレアムさんは、きっと使用人でも雇わせるためにこれだけ振り込んでるんだと思うけど……雇ったりしないの?」

先日、図書館で読んだ本によると、イギリスのような欧州方面では、裕福な家は住み込みの使用人を雇っていることもあるそうで、彼もそうさせるつもりだったのかもしれない。
はやての顔に陰りが差す。

「実は、私がもっと小さい頃はお手伝いさんを雇ってたんよ。住み込みやなくて、通ってもらうていう形やったんやけど。
 ……でも、なんかあかんかった。一緒の家にいるんやけど、仕事のつきあいでしかないっていうか他人っていう感じがして……それでも体は近くにおるからかな?余計に、なんやその人と私の間にある壁がはっきり感じられて。
 自分で最低限の家事ができるようになったら、もう雇わんようになったんよ」

はやては、陰りを振り払うようにして、笑いを作りながら話し続ける。

「それで気付いたんよ。私が欲しいのは、私の世話をしてくれる人やなくて、私が助けてあげられる家族やってことに」

「何かしてもらうよりも、誰かのために何かをしてあげたい……か。なんて良い子なんだ――ああ、おれはいまだかつてこんな聖母のような子に出会ったことがない」

「もう、ちゃかさんといてーな。それよりも、どう? こんな美少女が今ならお買い得やで~」

「十年たってから来な」

「ひどっ!!」

何事もなかったかのように、たわいもない話が始まる。
先ほどのはやての家族が欲しい、という発言は彼女の心からの願いなのだろう。そして、その後の冗談まじりの言葉にも、ある程度は本心が混じっていたのではないだろうか。

しかし、ウィルはそれには答えない――彼は彼女の家族にはなれないから。
それとも帰るまで家族ごっこでもするか?それはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
後一月もすれば彼はいなくなり、もう二度とこの世界に来ることはないのだから、そんなことをしても彼女は幸せにならない。
それは別れるから無意味だということではない。
結局別れてしまうという事実が、二人の間にあった家族という関係、絆がその程度のものだと、ただのごっこ遊びにすぎなかったと改めて認識させてしまう――もしくは、家族の絆なんてものがその程度なのだと、彼女に誤解させてしまうからだ。
どちらにせよ、最後にはやてを不幸にしてしまう。

しかし、同時にこうも思った――何らかの形で彼女を幸せにしてやりたい、と。

(そのためにも、ここで死なせるわけにはいかないよな)

だから、彼はこう唱えた。

「セットアップ、シュタイクアイゼン」


  *


はやてはウィルと一緒に街に出かけ、その途中でのどが渇いたので、ウィルにお金を渡して買いに行ってもらった。
木陰で待っている間に、彼のことを考える。

八神はやてから見て、ウィリアム・カルマンは奇妙な人物だった。

第一印象は変な人だった。
日本人なのか、外国人なのか、判別がつきにくい顔をしているが、少なくとも整った顔をしている。
しかし、街の中の公園で怪我をして倒れていた。それが殴られたとか蹴られた傷であれば、喧嘩か何かかと思えるが、火傷に裂傷――これは生半なことではありえないだろう。爆発にでも巻き込まれたとでもいうのか。その上、警察や病院の世話にはなりたくないという。
これはもう、間違いなく犯罪者とか密入国者に違いない。

そんなに怪しい彼だが、少なくとも悪い人じゃない……と思う。
それは、彼が優しかったからではない。優しさだけで言うなら、物語に出てくる悪魔などもみなすべからく優しいではないか。

では、なぜなのか。

彼は嘘をよく嘘をつく。それは冗談の時もあれば、何かを隠そうとしている時もあり、後者の時はとても冷たい目をしている。本人は隠そうとしているのだが、時折それが見えてしまう。
それでも、ただのごまかしや、なぐさめを口にしたりはしない。
そういうところが石田先生とよく似ていたからだろうか、悪いことに手を染めている人かもしれないけど、悪人だとは思えなかった。


そんな彼が現れてからの日々は、今までよりもずっと楽しかった。
朝に起きて、部屋を出た時におはようと声をかけてくれること。
作った食事にいろいろと感想を言いながら、おいしそうに食べてくれること。
高いところにあるものがとれない時、横からそっと手を伸ばしてとってくれること。
一緒にテレビを見て、一緒に笑ってくれること。
全て、些細なで、簡単で――でも、今までなかったことだ。


ただ、一つ気がかりなことがある。
それはウィルがいつか出ていくことではない。
たしかにそれは寂しいことだが――次の日からまた一人になる、誰とも話さない日があるような日々に戻るのは嫌だが――初めて出会った日に言われたから、覚悟している。

気がかりなことは、ウィルでなくても良かったのではないかということ。
もしあの時、出会ったのが別の人だったら。
傲慢でも、謙虚でも、優しくても、怖くても、変わっていても。老若男女なんであれ、もしかしたら動物でも――さすがに蛇とかは嫌や、フェレットとかやとええなぁ――自分の孤独を癒してくれるのであれば、なんでも良かったのではないか。そして、それは彼にとっても同じで、住める場所さえあれば誰でも良かったのではないか。
こんなに楽しい生活も、実は無意識に利用し合っているだけで――お互いにウィルと言う個人を、はやてという個人を見ていないのではないかという恐怖。

この恐怖はどうやったら消えるのだろう。


地面の揺れに意識を引き戻される。地震だろうか。
しかし、それは普通の地震とは全く異なるように感じられた。
まるですぐ下で誰かが暴れているような――そういえば昔は地面の下に住むナマズが暴れることで地震が起こっていると考えられていたんやったっけ?

突如地面の下から何かがつきだしてくる。それが何なのか、はっきりとは見えなかった。のたくりまわる大蛇のようなものが一瞬見えただけだ、多分ナマズではない。
それを確認する余裕などなかった。
なぜなら、はやての身体は車いすから放り出されて、宙に高く高く投げだされていたから。

下は怖くて見れないが、これは確実に死ぬ高さだ。

――ウィルさんは大丈夫やろか。
彼も巻き込まれていなければ良いのだが。自分が死んだ後はどうするのだろう。まあ、彼なら自分がいなくなった後の家に隠れて住むくらいはしそうだ。
それでも良い。死んだことに少しだけ悲しんでくれて、その後で忘れてくれれば、もうそれ以上何も望まない。もともと、誰にも迷惑をかけず、ひっそりと消えていくのが望みだったのだ。


その時、誰かが自分を抱きしめてくれるのを感じた。壊れやすいガラス細工の工芸品をもつように、優しく、慎重に。
自分を抱きしめているその腕は、先ほどまでと全く異なっていた服を着ているが、間違いなくウィルのものだった。
彼は、はやてを抱えて空中に浮いている。

「なんやの、その格好……あははっ、コスプレ? それに、なんや空に浮いとるし」

はやてを見返すその瞳は、何かを覚悟したようだった――しかし、それもすぐに消え、はやてに微笑む。

「今まで隠してたけど、実は魔法使いってやつなんだ」


  **


ウィルははやてをその腕に抱きかかえたまま飛行し、近くの安全そうなビルの屋上に降りた。

(何とか間に合ったな……)

デバイスを起動させた後の動作は、ぎりぎりはやてが入る程度の結界を張って、目撃者になるような人間を排除。それから飛行してはやての元に向かい、抱き止めた瞬間に下降し、衝撃を分散させる――そのまま抱き止めれば、魔法で身体機能を強化しているウィルはともかく、常人以上に貧弱なはやては受け止めた時の衝撃に耐えられないだろうから。
はやても、痛がっている様子がないので少なくとも大きな怪我はしていないのだろう。

眼下の街を見ると、先ほどまでは何もなかった場所に巨大な樹がいくつも生えている。
しかし、樹の成長は止まったようで、これ以上大きくなる様子はない。今いるビルも、倒壊する危険性はないと思われる。

「さすがにいろいろ聞きたい気分やけど」

「後で話すよ――でもまずはこの樹をなんとかしないとね」

そして、ウィルはキッと樹を睨みつけた――睨みつけたまま、動かない。

「……どうしたん?」

「大見えきったのはいいけれど、これはちょっとどうしようもないなぁって思って」

樹があまりに巨大で、広範囲に拡散しているせいでコアとなる部分――ジュエルシードがどこにあるのかわからない。

「えぇ~~……台無しやん。こういう時はドバァーっとでっかいビームで倒したりするところと違うん。魔法使いなんやろ」

「すいませんねぇ、期待にそえなくて。……このでっかい樹の中心がわかればすぐに終わるんだけど……やっぱり街中を走って見つけるしかないかな」

「なんかしょっぱいなぁ」

結界魔法で人目をなくしてから飛行して探すという考えもあるが、樹の全体よりも大きい結界がはれなければ、樹を結界内に囲うことはできない。結局、時間がかかるとしても走って探すしかない。
それでも少しは時間を短縮するために、ビル全体に結界を張って人目をなくして飛行魔法で地上に降りる。その後は走って探す――



その時、頭上に光が――無数の桃色の星が空を駆ける。

(あれはサーチャーか!?ゆうに二十はあるぞ!)

星のように見えたものは、サーチャーと呼ばれる魔法で作られた端末だ。視覚などの感覚を使用者と共有しており、主に探索や偵察に使われるものだ。魔法の構成はミッド式――それは次元世界で最もメジャーな魔法の使い方であり、それを使うと言うことは、この魔法の使用者が次元世界の住人であることを意味している。
サーチャーは縦横無尽に街中を、特に巨大樹の周りを飛び回っている。

離れたビルの屋上に、おそらくその魔法を放ったと思われる人物が見える。
その少女は先ほどまで目をつぶっていた。
しかし、今や少女は目を見開き、ある一点を見据えデバイスを構える。
そして、デバイスが形を変える――杖から十文字槍のような形へ。

杖の先に魔力が集う――なんと強壮で純度の高い魔力運用だろう。
爆発が起こったかのような、体の底まで響き渡るような轟音が響き、魔法が解き放たれた。
そして、桃色の魔力光が樹の一点を貫いた。



あらためて少女を見る。白いバリアジャケットは当然管理局のものではない。
どう話をきりだせば良いだろうか。

≪ウィルさん!ユーノ・スクライアです!聞こえますか?≫

聞き覚えのある声が念話で送られてくる

≪ユーノ君!? どうして……いや、事情は後で聞くよ。今はどこにいるんだ?≫

≪あなたの目の前にあるビルの上です≫

いくら見ても、そこには白いバリアジャケットの少女しかいない。フリフリの服を着ており、見た目は明らかに女の子だ。

≪まさか女の子だったとは。それとも女装して ≪その子の肩の上!≫ ……肩?≫

目を凝らして見ると、肩の上に一匹の小動物がちょこんと乗っかっている。

≪……おれの目にはよくわからない小動物しか見えないんだけど≫

≪それです! それが僕です≫

≪いったい、いつから人間を捨てたんだ……もしかしてジュエルシードの影響?≫

≪これは魔法で変身してるだけで ≪ええぇーー!! ユーノ君って人間だったの!? フェレットさんじゃなかったの≫ な、なのはっ!?≫

突如念話に少女の声が割り込んでくる。そして始まる少女とユーノの言い争い。
言い争いの果てに、少女がユーノを投げる。
ビルから落ちるユーノ。
魔法を使って足場を作り、無事に着地するユーノ。

(結界魔法の一種? 器用な――おれもあれが使えたらはやてにばれなかったんじゃないだろうか)

「ユ、ユーノ君、大丈夫!? ごめんなさい!びっくりして思わず投げちゃって――」

≪そこの白い少女≫

≪は、はいっ!わたしですか?≫

≪そう、君だ。僕はユーノ君の知り合いなんだけど、いろいろ話も聞きたいから、このビルの下で落ち合おう。≫

≪わかりました!≫

少女はビルから降りていった。新しい魔法使い――魔法はミッド式。ユーノと共にこの世界に来た友人か、それとも現地の協力者か。
こちらもそろそろ降りるとしよう――としたところで気付く。

「あれ? あの子ジュエルシード回収してないんじゃない?」




(後書き)
なのはにおける結界の具体的な効果(空間を切り取るのか、現実によく似た空間を作るのか、空間を切り取るならさっきまで中にいた人間はどこへ行くのか、破損した物体は外部からはどのように見えるのか)がわからなかったので、ここではTRPGアルシャードガイアの結界ルール(似たものとしては灼眼のシャナの封絶)の一部を流用しています。
具体的には以下の通り。一応なのはの描写と矛盾するようところはない……はず。

・結界内部の空間とは、本来の空間を模して疑似的に生成しているものである
・ただし、結界内部での破壊活動は現実に反映される
・結界を生成した時に、本来の空間の生物を結界に取り込むかどうかは、結界を張る人物が決定できる
・ただし、本来の空間から結界に生物を取り込もうとする時、結界はその生物以上の大きさをもっていなければならない(今回結界を張ってから捜索できなかったのは、ジュエルシードによって作成された巨大樹が一個の生命とみなされたため、樹の全てを内包するような巨大結界が張れなければ樹を結界内部へと移動できないから)
・ある人物が結界に出入りしようとした時、それが可能かどうかは結界を張った人物が決定できる
・強度以上の衝撃を物理的、魔法的に与えられた時、結界は破壊される
・結界を張った人物よりも魔法の実力がはるかに高ければ、結界内に強引に出入りできる


そう言えば、ナマズが地震を起こすのって、本気でそう考えていたのではなく、妖怪と同じで地震という現象を擬人化(?)したマスコットキャラみたいな扱いだったらしいですね。
さすが日本、業が深い。



[25889] 第5話 深まる絆と始まる亀裂
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/05 02:33
空が青から赤へと色を変える頃、西日が差しこむ八神家の居間に、四人の少年少女、正確には三人と一匹がテーブルを囲んでいる。ウィルとはやて、ユーノ、そしてユーノと共にいた少女だ。
藤見町ではひっきりなしに聞こえていたサイレンの音も、ここでは聞こえない。

「あ、危なかったですね……」

「ああ、うっかりジュエルシードの回収を忘れるところだった……」

「も、もう走れないの……」

「街中でずっとおんぶされるって、ほとんど罰ゲームやん……」

ジュエルシードを封印したのはいいが、うっかりその回収を忘れた彼ら四人。交通整理をおこなう警察たちを、時には走って、時には結界を利用してかいくぐり、どうにか見つけた少年からジュエルシードを回収して、走って帰って来た。



車椅子が壊れてしまったはやてに代わりウィルがお茶を用意し、その間に少女は家族に少し帰るのが遅れると連絡を入れる。そして全員が落ち着いた頃を見計らって、ウィルが口を開いた。

「先ほどはジュエルシードの封印に協力いただき、ありがとうございました。お互いに聞きたいこともあるかと思いますが、焦っても何にもなりません。
 ここは自己紹介、これまでの経緯、ジュエルシードについて、そして今後の行動、と順番に話していきましょう。
 というわけで、まずは自己紹介から――おれは時空管理局所属のウィリアム・カルマンです。
 こちらの方は八神はやてさん。この世界での夜露をしのぐ場所を提供してくださった、善意の塊のような淑女です」

「ど、どうも。八神はやていいます。ウィルさんとは、なりゆきというか…………そんな感じで」

あはは、と笑いながらはやても自己紹介をする。そして次は少女の番だ。

「わ、わたしは――えっとユーノ君と一緒にジュエルシードを探して――あの、そのっ――」

少女は、いまだユーノが人間だったことのショックから抜けていないのか、それとも他に何か気にかかることがあるのか――自己紹介しようとするが、なかなか言葉が出てこないようだ。

「はやてはまだ魔法とかジュエルシードのことを知らないから、とりあえず名前だけで良いよ」

「は、はい。高町なのは、小学三年生です」

「へえ、はやてと同い年なんだ。それじゃあ、自己紹介も終わったところで、お互いの今までの経緯をを――」

「あの……僕の番がまだ」

小動物――フェレットのような何かが声をあげる。

「ごめん、人間の姿をしていないからうっかり忘れてた」

「うう……ようやく再会できたのに、この扱い。……ユーノ・スクライアです。こんな姿をしていますけど、本当は人間です」

そう言ってくるんと回転すると同時に、穏やかで優しそうな少年が現れた。なのはとはやては、手品を見た時のように思わず感嘆の声をあげ、拍手をしてしまう。


  *


まずはウィルがこれまでの経緯を語る。
自分たちは魔法が科学の一種として存在する世界から来たこと。そしてジュエルシードの輸送と途中で起こった事故。海鳴に散らばったジュエルシードを追ってこの世界に来たこと。
それらを一通り話し終え、ユーノにバトンを渡す。

ユーノは、ウィルが出発してから数日後にミッドチルダに到着して、そこで輸送船が事故を起こしたことと、ジュエルシードが第九十七管理外世界――地球にばらまかれたことを知ったらしい。そして、発掘者として回収の許可をとって単身地球にやって来て、そこでなのはに出会い、一緒にジュエルシードを捜索していたそうだ。
しかし、ユーノは地球に来るまでの管理局とのやり取りや、なのはがどれだけ熱心にジュエルシードを集める手伝いをしてくれたかということはよく語るのだが、肝心の地球に来てからなのはに出会うところを話してくれない。
しかたなく、ウィルが割り込んで質問する。

「おれとしては、一応地球の住民である高町さん――あ、なのはで良いって? ありがとう――なのはちゃんが魔法を使うにいたる経緯が知りたいんだけど」

管理外世界の住人に外の世界の技術――この場合は魔法の力――を与えるのは禁止されている。技術とはそれを生み出した社会によって制御されて初めて、技術として機能するのであって、そうでない技術はただの異能でしかない。
ユーノのことだから、なんらかの事情があったのだろうと思って尋ねたのだが、予想に反してユーノはうつむいてしまった。
それを見て、おずおずとなのはが発言する。

「あの、初めて会った時、フェレットのユーノ君が自転車にはねられて怪我してたんです。それで、動物病院に連れて行くことになって」

「……なんでそんなことに」

予想外な内容にあっけにとられる。
そこでようやくユーノが話し始めた。

「この世界に来る時に、いろいろ考えたんです。管理外世界だから人目につかない方が良いとか、誰かがジュエルシードを狙っているかもしれないから見つからないように行動しようとか、食料の消費を抑えようとか。それで、結論として動物に変身して行動することにしたんですけど。
 ――そしたら横から来た自転車にひかれて」

自転車にひかれて怪我をしているところを、なのはに助けられたのだと言う。その怪我がきっかけでジュエルシードの封印ができなくなってしまい、そんな時に動物病院でジュエルシードが活性化、誰かの協力を求めて発信した念話に反応して助けに来てくれたのがなのはだったのだとか。発掘の時の反省を生かして思慮深く行動したつもりが、裏目に出てしまったようだ。
そのことを話すユーノ。恥ずかしいのか、顔を真っ赤にし、目にはうっすらと涙も見える。

(……考えすぎて裏目っていうのはおれもよくやるなぁ)と、ウィル。
(……なんやかわいらしい子やなぁ)と、はやて。
(うわあ、涙目のユーノ君女の子みたい……)と、なのは。

とりあえず話題を変えるために、ウィルが適当に頭に浮かんだ質問をする。

「あれ、念話って無差別に発信したんだよね?おれには全然聞こえなかったんだけど」

「そういえばおかしいですね。うーん……でも、僕も弱ってましたし、ここは病院やなのはの家からも離れているから聞こえなかったのかもしれません。もちろん、今の僕ならこの距離でも大丈夫ですけど……」


その後、なのはからも話を聞いたが、だいたいのところはユーノが説明してしまったので、「わたしは、ユーノ君から話を聞いて、ジュエルシードを探すのを手伝って――ううん、一緒に探していました」というなのはが途中に言った一言ですべてまとめられた。


  **


そして、ジュエルシードの現在の収集状況の確認に移る。
ユーノたちは、すでに五個も探していた。一方、ウィルが所持しているのは二つだった。一個は犬の暴走体から、もう一個はここ数日の街の探索で見つけたものだ。
ユーノから回収した場所を聞き、図書館でコピーしておいたこの街の地図に印をつけていく。

「街中はほとんど調べ終わっているから、もう何個も残っていないだろうね。後は郊外や森、海の中にある可能性が高い。もしくはレジャー施設のような大きな敷地を持っている場所の中かな。
 こことか怪しそうじゃない?街からちょっと離れたところにあるこのでっかい敷地」

「あ、そこはわたしの友達の家かもしれません」

「本当? なんとかして侵入できないかな――ところでユーノ君、さっきはどうしてあんな大きな樹ができたのかわかるかな。ジュエルシードは単なる膨大な魔力を秘めた結晶体ではないのかい?」

「はい。ジュエルシードは思念に反応して活性化するだけではなく、内部に秘めた魔力を用いてその思念、つまり願いを叶えるように周囲の状況を変化させるんです。もっとも願いの叶え方は適当なので、結果的には歪んだ形で叶えうことになってしまいますけど」

「それじゃあ、さっきの樹はあの倒れていた少年の願いの結果なのか?」

「規模から考えると、間違いなくそうですね。ジュエルシードが最も活性化するのは、人間の願いに反応した時ですから……何を願ってああなったのかわかりませんけど」

「年々深刻化する温暖化問題をなんとかしたかったんかなぁ」



「でもそうなると、やっぱり今までどおり人の多い街を中心に捜索を続けた方が良いね。人が来ないような郊外は管理局が探した方が効率は良い。
 管理局の部隊も、二週間くらいで来ると思う。もっとも、俺は陸の部隊に所属していて、海のことはそれほど知らないから確かってわけじゃないけどね」

その時、はやてが手を上げて質問する。

「地上とか海とか、何のことなんかさっぱりわからへん。そもそも、さっきから時々出てる管理局っていうのはどんな組織やの?」

「じゃあ時空管理局について説明しようか。でもその前に――ユーノ君、次元世界について説明をお願い」

「君たち(なのはとはやて)が住んでいるこの世界以外にも、僕たち(ユーノとウィル)が住んでいる世界、いわゆる異世界が何個もあって、そういった世界のことは次元世界って総称されている。人間のいない世界や文明が滅んでしまった世界、さまざまな世界があるんだけど、そういった世界の中には世界の間を行ったり来たりするだけの技術を持っている世界がいくつもあるんだ。
 でも、他の世界と交流を持つっていうのは良いことばっかりじゃない。それが争いを生んでしまうことだってある。
 基本的には、世界のことはその世界に住む人たちに任せるように決められているんだけど――」

ユーノの言葉を引き継いで、今度はウィルが時空管理局について語る。

「そうもいかない場合がある。例えばある世界が他の世界を侵略したらどうするか。他の世界が援軍を派遣するにしても、まったく異なる規律に基づく軍隊が集まってもまともに動くわけがないよね」

時空管理局が誕生する前には、軍の連携どころか、交戦規定があやふやだったり、逆に融通がきかなかったりして、とてもまともな戦闘にはならなかったことがあったという。融通のきかない交戦規定のせいで、侵略され滅びる街を目の前で見ながら何もできなかった三人の兵士が、全次元世界に喧嘩を売って管理局を作った話は次元世界で最もメジャーな読み物の一つだ。

「そこまで大きな事件でなくても、技術力の高い世界の犯罪者が低い世界に来たら、低い方の世界だけでは抑えられないかもしれない。
 時空管理局はそういった事態に対応するための調停役みたいなものさ――地球でいうなら国際連合が一番近いかな」

もっとも、複数の国家から成り立つ国際連合とは違って、管理局自体が一個の国に近い点が異なるが。

「そして管理局内は仕事の内容によって大きく二つに分類される。
 “地上”別名“陸(おか)”は管理世界に駐留する部隊だ。治安維持や魔法に関連する事件への対処が目的だね。駐留するのは、防衛力が十分ではない世界や、政府の存在しない世界。例外的に管理局発祥の地であるミッドチルダでは、管理局が政府に近い存在になっている。
 一方、“海”っていうのは管理世界をまたにかけた事件や、管理外世界でおこった事件に対処する部隊ってところかな。あまりないことだけど、駐留している陸の戦力だけでは対処できそうにない場合に増援として出向する場合もある」

「地上はお巡りさんで、海は自衛隊兼公安って感じでええんかな?」

「それが一番近いかな。この世界は管理外世界だから、海の局員がこっそりやって来て、こっそり解決して去っていくはずだ。現地政府にばれないように隠れてね」


  ***


外は少しずつ暗くなっている。あまり遅くなるといけないので、そろそろ話しあいもまとめにさしかからなくてはいけない。

「それじゃあ、今後どのように捜索するか決定するために、一つ言わなければならないことがある」

そう言うと、ウィルはなのはの方を向き頭を下げる。

「高町さん。おれの不手際のせいでこの世界にいらない騒動を持ちこんで、あなたや街の方を危険にさらすことになってしまいました。その挙句、無関係のあなたに回収の協力までさせてしまい、本当に申し訳ありません」

そうして顔を上げ、じっと、彼女の目を見る。緊張の色が見えるのは、おそらく彼女も、これから何について話すのかをわかっているからだろうか。

「そして、今までジュエルシードの回収を手伝っていただき、ありがとうございました。今後はおれとユーノが捜索を担当しようと思います。ですので、あなたが今までのように協力してくださる必要は――」

「わ、わたしも一緒に探します!!」

突然、なのはが立ち上がりながら宣言する。その顔に浮かぶのは決意と――焦燥?
ともかく、さっきまでのおとなしい少女とは別人のような勢いだ。立ち上がる動作の素早さは、極限まで抑えたばねが、抑えを外されぴょこんと跳び上がる様を想起させた。

「わたし、気づいてたんです!あの男の子がジュエルシードを持ってたこと。それなのに、きっと気のせいだって思って何も行動しなかったから……そのせいで街の人も、街も、いっぱい傷ついて……!
 自分のできることをしないで、そのせいで誰かが傷つくのは嫌なんです!ここで他の人に任せて、その人が傷ついたら、きっとまた後悔する……。
 だからッ――――!!」

その瞳は柘榴石のようで、強い輝きはないけれど、その奥には感じるまでもなく確固とした自我を宿している。

「少し落ち着いて」

「でもっ!!」

なのはの言葉を無視して、ウィルは強引に話を続ける。

「――協力してくださる必要はありませんが、この短期間に五個ものジュエルシードを見つけだす捜査能力、そして先ほどの大樹のジュエルシードを封印する時の強力な遠距離魔法は、これからの捜索において非常に役に立ちます。また、管理局に所属する者としては、管理外世界の住人でありながら魔法の力を手にしてしまった者を、このまま放置するわけにもいきません。
 そこで、暫定的な処置ではありますが、高町さんを民間の協力者として扱い、今後魔法は自分の監督下で行使してもらおうと思います。
 その場合、高町さんには主にジュエルシードの捜索面で協力していただくことになります。戦闘が必要な状況では自分が対応しますが、それでも対処できない事態になれば、高町さんの手を借りることもあるでしょう。当然、危険な目にあう可能性もありますが、それを承知の上で今後も協力していただけますか?」

「え、えっと?それって、つまり…………どういうことですか??」

≪僕は反対です!≫

ユーノからウィルに、念話が――当然二人だけにしか聞こえないように設定している――とんでくる。

≪ここで拒否しても、個人で行動する可能性がある。それなら、一緒に行動した方が良いよ≫

≪確かにそうですけど……それでも、これは本来なのはには関係ないことです≫

≪ユーノ君だって民間人だからこれ以上関わらないで、って言われても納得しないだろ? それに、時間をおいて冷静になったら考えも変わるかもしれないし、そうなったら手を引いてもらえばいいだけだから≫

≪……そうですね。わかりました≫


「つまり、これから探すときは一緒にやろう、ってことやと思うよ」

「そ、そうなの?」

「なのはちゃん……もしかして国語苦手?」

「……うん、ちょっとだけ。ざんていてきってどういう意味なの?」

「ま、……まあ、確かに小学生に対して使う言葉やないなぁ」

そして、二人が念話で会話している間に、はやてがなのはに内容を要約していた。
ウィルはなのはにあらためて問いかける。

「それじゃあ、返事を聞かせてくれるかな?」

「よろしくお願いします!!」


  ****


まだまだ話しあうこともあったが、外が暗くならないうちに帰らなければなのはの家族が心配するので、ひとまずお開きとなった。
今後の捜索形式は、平日はユーノとウィルが担当し、休日はなのはが加わる、という形に落ち着いた。
帰るなのはたちを見送るために、ウィルとはやては家の外に出る。はやては車椅子がないので、ウィルが横抱き――いわゆる、お姫様だっこをして連れて来ている。
別れ際に、ウィルがユーノにこっそりと念話を送る。

≪ジュエルシードを運んでいた輸送船がどうなったか、教えてくれる?≫

≪最後は爆発を起こしてロスト。乗員のほとんどは脱出したところを管理局に救出されましたけど、船長をはじめとする何名かは逃げ遅れて亡くなったそうです≫

≪……そっか。あれは事故だったのかな?≫

≪昔から事故が多い海域だったらしいので、おそらくは≫


帰る二人、ユーノがフェレットに戻ったので、一人と一匹の後ろ姿を見送りながら、ウィルとはやては沈む夕日を眺めていた。

「はやてだけが特別なのかと思ったけど、なのはちゃんとユーノ君も年齢の割に大人びてるよね。責任とか義務とか、そういうのを考えた上で自分の信念に基づいて行動している。
 偉いなぁ、俺がその年の頃は友達とうんこ漏らしてたよ――痛い苦しい、首締めないで」

「下ネタはあかんて言うたやろ。――それにしても、魔法の国から来たとは思わんかった。外国の殺し屋くらいは予想してたんやけど」

「そんなに悪そうに見えるかな?こんなに笑顔の素敵な好青年なのに」ほがらかに笑うウィル。

「うさんくさっ!……ジュエルシードっていうのを集めたら、帰ってしまうんやね」

「そうだね」

「そんで、もう来れへんの?」

「そうだね。管理外世界には、特別な用がない限りは来れない」

「……そっか」

夕日が沈み、二人は家の中に戻る。そして、はやてをソファーに下ろそうとしたところで、はやてはそっと、ウィルの首に手をまわした。


「なぁ……ウィルさんのこと、教えてくれへん?」

「おれのこと?」

「うん。今までずっと聞いてみたかったんやけど、わけありみたいやから、聞かへんかったんよ。けど、魔法のことを教えてもらった今やったら、話してくれるんやないかなって」

「わかった――でも、おれの人生の前半はあんまり聞いても面白いもんじゃないからなぁ。学校に入学してからの話をしよう」

「魔法の学校?」

「士官学校っていう指揮官を養成するための管理局の学校。
 九歳の時に入学したんだけど、周りが年上ばっかりの中、一人だけ同年齢のやつがいたんだ。そいつも当時のおれも人付き合いの悪い奴でね、ちょっとした因縁もあったから入学してすぐの頃はそいつと喧嘩ばっかりしてたんだけど――――」




猫は――彼女は庭からじっと二人を見ていた。
今日の事件はまったくの不意打ちで、あやうく八神はやてを死なせるところだった。ジュエルシードもロストロギアの一つ。そして、彼女はロストロギアの恐ろしさはよく知っていたはずなのに――油断していた。
彼女も、彼女を作ってくれたお父様も、前線を退いて長いせいで勘が鈍っているのか。
しかし、だからといってこの事件に介入すれば、自分たちの存在――そして八神はやての存在意義が発覚する可能性がある。それは計画が発覚してしまうのと同意義であり、危険があるとわかっていても、結局は不干渉を貫くしかない。


家の中からは、彼らの話声がまだ聞こえてくる。どうやら過去話は終わったようだ。

「夕飯どないしよ。車椅子がないと作れへんし」

「出前にしようよ。一度寿司っていうのを食べてみたかったんだ――――駄目だ、寿司もピザもラーメンも、道路が壊れていて届けられないって」

「じゃあ、たまにはウィルさんが作ってみてよ」

「おれの料理の腕前を知らないから、そんなことが言えるんだよ。何の面白みもなく、単純にまずいよ。
 そうだ、今から街に食いに行こうよ!」

「ちょ、待ってぇな、またおぶっていくつもりやろ! あんな恥ずかしいのはもう嫌やって!」


それにしても、と彼女は猫の姿のままため息をつく。よりによって、彼と八神はやてが出会うなんて。
そして、現在の本局の艦隊の状況を考えれば、ジュエルシードの捜索のために本局から派遣されるのは彼女の教え子が載っている艦になるだろう。もしかしたら、彼女の教え子も八神はやてと出会うことになるかもしれない。
運命を造ったものがいるなら、そいつは最高にひねくれたやつに違いない。

クライド・ハラオウンとヒュー・カルマン――十年前の闇の書事件の犠牲者。
その息子たち、クロノ・ハラオウンとウィリアム・カルマンを、八神はやてに出会わせるなんて。




(後書き)
ただの状況整理のつもりが、今までで一番長くなってしまった……なぜ。
管理局の説明に関しては妄想が入っています。三脳の現役時代とか見てみたいなぁ。



[25889] 第6話 ノワール
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:31
休日の午後は、気持ちまでも晴れ渡るような良い天気で、思わず寝てしまいそうな心地だ。
ウィルとはやては、なのはと彼女の兄である恭也と共に、バスに揺られていた。はやてとなのはは二人で話していて、ユーノはフェレットの姿でなのはの膝の上で丸まっている。

「なのはちゃん、今日は誘うてくれてありがとうな」

「ううん。はやてちゃんのことを話したら、二人とも絶対に会いたいって言ってたし――」

バスは坂の多い海鳴市における主要な交通機関であり、休日ということもあって、乗車してすぐはウィルと恭也の二人が席に座れないほどの盛況ぶりだった。バスが郊外に近づくにつれて乗客が減ったおかげで、今は彼らもようやく座ってのんびりと窓の外の景色を眺められるようになった。
やがて窓の外の街並みが次第に少なくなっていき、景色のほとんどが山の木々に変わったあたりで、恭也は降車ボタンを押してみんなに声をかける。

「そろそろ降りるぞ」

その声に反応して、なのはは急いで立ち上がるが、バスは停留所に止まるために減速を始めていたので、おもわず転びそうになり、恭也に支えられた。

「ウィルさん、私らも降りよ……ね、寝とる」


一行は、なのはの友人の家に向かっている。そこで開催されるお茶会に参加するためだ。
お茶会と言っても、なのはの話によると、まずは室内でお茶とお菓子を楽しみ、外が晴れているようであればその家の猫たちと共に庭に出てお話しを楽しむ――つまりは、友達同士が家に集まるということだそうだ。
ともかく、はやてに同年代の友人がいないことを知ったなのはが、自分の友達を紹介しようと思い、お茶会に誘ったことが始まりだった。なのはがついているのなら大丈夫だろうと、最初はウィル(とユーノ)は参加せずに、ジュエルシードの捜索をおこなうつもりだった。

では、なぜお茶会に行くことになっているのかといえば、それはやはりジュエルシードの捜索のためだった。お茶会を開催する友達の家というのが、以前地図で見た広大な敷地をもつ家だったので、この機会を利用して敷地内を捜索することにした。
なのはのサーチャーでは「見る」ことはできても、ジュエルシードの気配を「感じる」ことはできないので、きちんと調べるためには現地に乗り込む必要がある。それまでは、結界と防御が専門というユーノに結界を張ってもらい、夜中に侵入して調べようかと思っていたのだが、合法的にすませられるならそれにこしたことはない。
ジュエルシードの回収は優先すべきことだが、だからといって、他者に迷惑をかける方法はなるべくならとりたくない、という思いもある。不法浸入することと、遊びに行った家の敷地をうろうろすることのどちらが合法的かと言えば、一応は後者に軍配があがるだろう。


  *


バス停から少し歩いたところに、目指す家の門があった――門しかない、ここからでは屋敷はまだ見えない。
年季の入った重厚な門扉を通り、舗装された道を歩き続ける。道の両側は常緑樹が植えられており、それらは全て見事に剪定されている。見たところ、その木々の先は森になっているようだが、見える範囲にある森の木々は同様に手入れされている。この森全ての手入れを行っているわけはないだろうが、それでもどこまでやっているのかと考えると、どこか底知れないものを感じる。

数分ほど歩いただろうか、ようやく屋敷の前にたどりついた。

「「でっかい……」」

屋敷を見たウィルとはやては、思わずつぶやいてしまった。
大きな屋敷――それはただ物理的に大きいというだけではない。もっと根本的に、存在感があるのだ。
それは、この屋敷が外から眺めただけでも、その全てが丁重に造られた一級のものであるとわかるからだろうか。それは例えるなら、毛の一本に至るまで、職人が心魂を込めて作ったビスクドールをみて、実物の大きさ以上の何かを感じるような感覚に似ているのかもしれない。しかも、この屋敷は周りの景色――森に似合いすぎている。この存在感は屋敷だけではなく、この周囲の森を含んだものなのだ。この森全ての存在感が、この家に集約するように計算されている――そんな気がする。もし、ただの盗人が盗みに入ろうとしても、夜にこの家を見た瞬間に踵を返してしまうだろう。
魔法による結界とは意味が異なるが、これもまた結界だと言えるだろう。屋敷を囲う森という物理的な意味での結界、そして屋敷が与える底知れない印象は心理的な結界として、この屋敷を世俗から隔離させている。

もっとも、なのはたち兄妹にとっては見慣れたものなのか、彼女たちはまったく物おじせずにインターホンを鳴らした。

そうして現れたこの屋敷の使用人、名をノエルという若い女性にサンルームへと案内される。
お天道様の慈悲を余すところなく受け止めるように設計されたその部屋は、包み込むような暖かさで、先ほどまでバスで寝ていたウィルなどは、再び眠気を感じて立ったまま眠りたいと考えるほどだった。
部屋の端には観葉植物が並べられており、その中心に机と椅子、そして大量の猫が配置されていた。椅子には何人か座っており、すでにお茶を楽しんでいる。
その内の一人に強く見覚えがあった。
そう、確か彼女は――

「いらっしゃい、はやてちゃん」

「すずかちゃん!?」

かつてウィルとはやてが図書館で出会った少女、月村すずかだった。彼女は椅子から立ち上がり、はやての前まで来て、にこやかにほほ笑んだ。

「なのはちゃんにはやてちゃんのお話を聞いた時は驚いちゃった。それでね、驚かそうと思って、なのはちゃんには秘密にしてもらったの」

「そやったんか。今日はお呼びいただいてありがとうございます」はやてはにっこりにほほ笑み返す。

「どういたしまして」


そうして、各々が自己紹介を行った。
金髪の少女がアリサ・バニングス――彼女は以前街で見かけたことがあったが、なのはとすずかの同級生で、二人とは親友らしい。
すずかをそのまま大きくしたような女性がこの屋敷の主で、月村忍――すずかの姉で、恭也の恋人だそうだ。
給仕の少女は、すずか専属の使用人で、名をファリンというらしい。ファリンはノエルの妹らしいが、その印象は正反対で、ファリンが動、ノエルが静だ。とはいえ、顔の造形のみを見れば確かに似ているような気もする。



自己紹介が終わると恭也と忍はノエルと共に別室へと移り、四人の少女はそのままサンルームで机を囲みながら、引き続きお茶を楽しむことになった。
ファリンが新しいお茶とお菓子を用意するためにサンルームを出ていったので、ウィルは少女たちに一言ことわって彼女を追いかけた。
廊下で彼女に追いつき、声をかける。

「ファリンさん。おれも手伝いますよ」

「とんでもないです! お客様にそんなことさせられません!」

ファリンはまるで時計を持った兎が二足歩行で歩いているのを見たのか、というくらい意表を突かれた顔をして、それから大きく首を振った。
当然の反応だが、ウィルは残念そうに肩を落とす――ふりをした。

「そうですか。実は、はやてがあの子たちと仲良くするには、おれはあの場にいちゃいけないと思ったんですよ。ほら、年上がいるとあの子たちも遠慮して思ったことを話せないでしょう。それに、おれがいなかったら、あの素敵なお兄さんは誰なのー、って話題で話がはずむかもしれません。
 だから、手伝うってのを口実にして、席をはずそうと思ったんですが――」

半分は嘘だ――というか冷静な人が聞いたら「だったら最初から来るなよ」と言われるようなことをほざいているが、このファリンという純真そうな少女なら大丈夫だと判断した。
これは、どのようにして敷地内を探索する口実をつくるか、ユーノと話し合っている時にに思いついた策だ。敷地の探索自体は、屋外に出た後で勝手に森に入っていくユーノ(フェレット)を追いかける、という形で実行できる。しかし、それではあまり長く席をはずしていると不審がられるかもしれない。そこで、この嘘話を事前に話しておくことで、ウィルがなかなか帰って来ないのは、気を利かせているからだと思わせる。
たとえ実際に手伝うことになっても、菓子を運ぶ程度ならすぐに終わるから、こちらにとっては特に損も出ない。

「でも、手伝うことがないのなら仕方ないですね。それじゃあ、少し庭を散策させてもらって――あの、ファリンさん、聞いてます?なんで涙ぐんでいるんですか?」

「うう……妹さん思いなんですね。わかりました! 不肖ながら、このファリン! 全力をもってあなたに仕事を与えます!」

「……い、いえ、やっぱりいいです」

「心配いりません! 簡単な仕事ですから!」




「……ただいま~……」

やっとのことで解放されたウィルが戻って来た時には、四人はとっくに屋外へ移ってた。

「えらい遅かったなぁ、何してたん?」

「なぜか厨房の掃除をしてた。ノエルさんに助けてもらわなかったら、帰るまでずっとやってたかも」

「何やってるのよ」と、あきれ顔のアリサ。

ウィルはとぼとぼと歩き、ユーノをむぎゅっとつかみ、念話で語りかける。

≪はぁ……それじゃあユーノ君、予定通り逃げてもらいましょうか≫

≪わかりました。……最初っから小細工しない方が良かったんじゃないですか。捜索する時間も減っちゃいましたし≫

≪ばっか、何言ってるんだ。確かに今回は失敗したけど、自分の目的の為に自分で方法を考えて行動するっていうのは大切なことだよ。そりゃあ失敗することもあるけど、与えられた選択肢を選んで状況に流されるだけじゃなくて、自分から選択肢を作って行動することはきっと役に立つ。
 ――よし、言い訳完了≫

その時、ウィル、なのは、ユーノの三人はもはや慣れ親しんだともいえる感覚を感じる。

≪これって……≫

≪ジュエルシードだな。行くぞ、ユーノ君。なのはちゃんはどうする?≫

≪わたしも行きます!≫

≪ま、そう言うよね。でも、まずおれが行って危険がないか調べるから、少ししてから来るように≫


  **


ウィルとユーノが、ジュエルシードの反応を追いかけて森の中を進むと、突然空が陰り出した――ように思えたが、すぐにそれは違うとわかる。ウィルたちは何か巨大なものの影に入っていたのだ。
では何の影かと見上げてみると、それは猫だ――森の木々よりも巨大な。

「「でっかい……」」

今までのジュエルシードの暴走体とは異なり、醜悪に変化しているわけではなく、子猫がそのまま巨大化しているだけだ。ただ、その体は高さだけでもゆうに五メートルは超えており、身に着けていた首輪の鈴の音は、小さい時はちりんちりんと耳を休める良い音だったのに、大きくなった今ではがらんがらんと頭に響くような大音声。可愛い子猫がそのまま巨大化しただけの見た目が非常にシュールで、ガリバーやアリスの世界に紛れ込んでしまったように感じる。周りの木々という比較対象がなければ、自分たちが小さくなったのだと思ってしまったかもしれない。
我に返ったユーノが、慌てて提案する。

「とにかく、人目をなくすためにこの空間を結界で囲います。設定はどうします?」

「範囲は屋敷の手前まで、あの猫以外の生命体は全て結界外に、おれたち三人のみ自由に結界の出入りを可能に……できる?」

ユーノは行動でその問いに答えた。あっという間に結界が張られる。
さすがは結界魔導師。ユーノの魔導師としてのランクはA、一方ウィルはAAだが、ウィルではこの結界に浸入できないだろう。理論に基づいた精密な魔法の構築は、彼の性格をうかがわせる。

結界の中で、二人は巨大猫を観察する。一見すると無害で、じっと眺めていても、やっはり無害だった。

「これもジュエルシードのせいだよね?」

「……多分。猫の大きくなりたいって願いが正しく叶えられたんじゃないかと……」

「曲解できないくらいに単純な願いなら、正しく叶えられるのかな?」

「そうかもしれませんね。……あそこまで大きくなりたかったのかはわかりませんけど」


ウィルは右腕の腕輪に触れ、デバイスを起動させ、そのままバリアジャケットを身に纏う。

「これならなのはの力を借りなくても大丈夫だな。さっさと封印して帰ろう」

「そうですね。――――!! 待ってください! 誰かが結界内に侵入しました!!」



その時、ウィルたちとは異なる方向からの魔力弾が巨大猫を襲う。金色の魔力光のそれは、巨大猫の横腹に直撃した。
電柱、森に設置された電柱の上に、誰かが立っている。

その人物の印象を一言で表すなら、『黒』
黒い少女。
手には黒いデバイス。そして身を包むのは体のラインに沿った黒いバリアジャケット、そして黒いマント。その衣装は黒一色だ。
しかし、衣装以外は全く黒くない。
その髪はさながら光の束のように輝いている。ユーノやアリサと同様に金髪に分類されるのだろうが、二人とはまた違った様相でもある。ユーノが大地の稲穂だとすれば、アリサは陽光の煌めき、そして目の前の彼女は視覚化した風のようだ。
肌は白く、自ら輝いているようにも思え、輪郭は上質の羽二重のように繊細を極めており、彼女の存在をあやふやなものと化している。
ただ、そのような精緻を尽くした容貌の中で、瞳だけが安物の硝子玉のように何も映さず――それが彼女の存在感を薄くし、人形のような印象を抱かせる。
だからだろうか、黒い衣装は着る者を際立たせるように働かず、逆に彼女の容姿が衣装の黒を引き立ててしまい、結果的に全体的な印象を黒にしている。

「バルディッシュ、フォトンランサー連撃」
『Photon lancer full auto fire.』

少女の構えたデバイスの前にスフィアが出現し、そこから金色の魔力弾が次々と発射される。
それは巨大化した猫に容赦なく命中し、猫は苦痛の声を上げその場にうずくまる。

「黒いマント、かっこいいなぁ」

ウィルは思わず見惚れてしまった。中学二年生(十四歳)の心の琴線に触れたようだ。一方ユーノは、特に感じるところがなかったようで、真面目に分析する。

「彼女の魔法はミッド式ですね。管理局のかたでしょうか?」

「……可能性はあるけど、到着するにはちょっと早すぎるな。ユーノ君の結界に侵入できる以上、彼女はおれよりランクが上の魔導師だ。仮におれたちに敵対する行動をとるとなれば、結構危険なことになるね。とはいえ、管理世界の人間ならこっちの言い分もわかってくれるとは思うんだけどね――犯罪者でない限りは。
 ユーノ君は、なのはちゃんと合流して離れたところで待機していてくれ」

「わかりました。ウィルさんは――」

「何物かはわからないけれど、見たところジュエルシードの封印が目的みたいだ。封印中に声をかけても向こうも混乱するだけだから、終わるのを待ってから話しかけるよ」

心の中で、少しは魔力を使ってくれれば対処が楽だし、と付け加える。
ユーノはこちらに向かっているであろうなのはと合流するために駆けだし、茂みの奥に消えていった。



その間に彼女は倒れた猫にさらに魔力弾を撃ち込む。そして、猫が回避できないのを確認すると、デバイスから砲撃魔法を放ちジュエルシードの封印を完了させた。一連の動きは流れるようで非の打ちどころがない。
そして、少女はジュエルシードを回収するために動こうとする。

「ちょっと待った!」

その言葉にも、少女は驚かずに振り返った。それもそうだろう、結界の中に侵入したのだから、自分以外の魔導師の存在くらいは想定しているはずだ。

「そこのかっこいいマントの少女よ、自分は時空管理局のウィリアム・カルマンと申します。そちらの氏名と所属を述べてください。また、管理外世界での活動は管理局法によって禁じられています。正当な理由があれば考慮しますので、この場で述べていただきたい」

「時空管理局の魔導師……!」

黒の少女は驚いたような顔をする。彼女も管理局の魔導師がいるとは思わなかったのか。

「あとは……そのロストロギアは管理局の介在のもとで輸送中に紛失したものであり、その回収における優先権は管理局と発掘者にあります。ですので――譲っていただけないかなぁ……なんて」

「……申し訳ないけれど」彼女はデバイスの形状を杖から鎌へと変化させ、明確に宣言する。

「ロストロギア、ジュエルシードはいただきます」

管理局に敵対するということを。その姿は黒いマントと合わさって、悪魔か死神のよう見える。
彼女はデバイスを構えると、まっすぐウィルの方に飛んできた。

≪戦闘になった。二人はおれが指示するまで、じっと隠れていてくれ≫

ウィルはなのはとユーノに対して念話を送る。
なのはの砲撃の威力なら直撃すれば間違いなく倒せる。それを使わないのはもったいないが、こればかりは仕方ない。
なのはは魔法と出会ったばかりだというのに、二十を越えるサーチャーを操ることができる高度な思念制御と、高い魔力を利用した高威力の砲撃魔法を行使できるほどの優れた素質を持っている。しかし、どれだけ才能にあふれた子だとしても、ついこの間まで――いや、今でもただの女の子だ。戦闘訓練を積んだわけでもない彼女が、魔導士を相手にする戦場に出るのは危険が大きすぎる。

それに、ウィルのような高速機動型の空戦魔導師にとって、連携訓練を行っていない未熟な仲間と共に闘うのは非常に怖い――誤射される恐れがあるからだ。気を失ってバリアジャケットが解除された状態で落ちれば、魔導師といえど簡単に死んでしまう。
空戦魔導師に自分一人で戦うような『エース』や、気を失っても簡単な魔法なら自動的に行使してくれるインテリジェントデバイスを使う者が多い理由である。




少女は飛行状態から切りつけてきた。
剣で防いだものの、速度がのった彼女の一撃を立っているだけのウィルが受け止めれば、その衝撃を受け止めきれずに後方に吹き飛ばされる。だが、ウィルもそれに逆らわないように自ら後方に飛んだので、ダメージは少ない。

すぐさま飛行魔法によって空中で体勢を立て直し、ウィルを追撃しようと向かって来ていた少女に向かって、こちらも正面から突撃する。
ぶつかりあう剣と鎌。
加速力はウィルの方が上のようで、ぶつかり合う時には、お互いの速度は同程度だった。速度に大した差がなければ、互いの膂力と重量が優勢を決する。ウィルは少女に比べて、身長は五割増、体重は三倍弱と、体格でははるかに勝っている。
よって、今回吹き飛ばされたのは、少女の方だった。
配役を入れ替えて先ほどの光景が再現される。しかし、その後は少し異なり、少女は追撃するウィルを直射弾で牽制し、その間に距離をとって体勢をたてなおす。


二人は森の上空に出て、百メートルほど離れてにらみあう。
速度はウィルの方がわずかに上。しかし、遠距離魔法に決定的な差がある。ウィルの魔法では、格下ならともかく同等以上の相手には有効打にはならないだろう。一方の少女は先ほどの封印の手並みから考えても、接近戦と同程度には遠距離戦もできると思われる。

(遠距離魔法を組み合わせて隙を作って、接近戦に持ち込むしかないか)

先に動いたのは彼女だった。体の周囲に浮かべたスフィアから弾が次々と放たれる。ウィルも回避しながらスティンガーレイを放つが、少女のバリアの前に阻まれる。
少女はこちらを近寄らせないようにして、一定の距離を維持しながら攻撃をしている。先ほどの一撃で、こちらが遠距離が得意ではないことがわかったのだろう。
少しずつ弾の密度を上げ、回避を難しくさせて始めている。

とはいえ、ウィルも空戦魔導師のはしくれ、単純な直射弾なら簡単にかわすことができる。
狙いをつけ難くさせるために常に移動しながら、相手の隙を窺い続ける。


少女もこのままでは仕留められないことを理解したのか、その挙動に変化が起こる。
これだけ離れているにも関わらず、ウィルを切り裂かんとばかりに、鎌状のデバイスを振るったのだ。

『Arc Saber』

すると、鎌の刃を形成していた光刃がデバイスから離れ、回転しながら飛んでくる。その機動は不規則でとらえどころなく、避けることに集中して、一瞬彼女から目を離してしまった。

そして、ウィルが視線を彼女へと戻すと、彼女は先ほどまでいた場所から、忽然と姿を消していた。

『Blitz Action』

デバイスの音声だけが空に響く。
その直後に聞こえた風を切る音に悪寒を覚え、とっさに音と逆の方向に逃げる。


背中に衝撃が走る。
攻撃された――どうやって?
先ほどまで自分がいた場所を確認する。その場にはあの少女がいた。
高速移動――それも恐ろしいほど速い。

ウィルが姿を見失ったということは、百メートルの距離をまっすぐ突っ込んできたわけではなく、目を欺くために、迂回して接近したのだろう。
目を離した時間はわずか一秒程度――ということは、彼女はほとんど静止した状態から、一瞬で亜音速の飛行速度まで加速した、ということなのだろう。
それはつまり、少女にウィルが唯一勝っていた点、速度と加速力までも相手の方が上だ、ということ。

幸い直前に動いたおかげで、深く斬られることはなかった。相手が非殺傷設定だったのも幸いだっただろう。殺傷設定なら流血で戦闘が続行できなかっただろうから。

追撃の魔力弾から逃れるために、高度を下げ、森の中へ隠れる。
ここなら葉が旺盛についた木々で視界が通らないおかげで、遠距離魔法で空から狙われることもなく、木が邪魔になるので、先ほどのような高速移動で近づくこともできない。
木の影に身を潜めながら、空に留まる少女を見る。
森の中からの不意打ちを警戒して、少女は上昇して高度をとり、光刃を飛ばす技で木を切り倒したり、サーチャーを飛ばしたりして、ウィルを探し始めた。


こちらが勝っている点は一つもないという絶望的な状況。
しかし、先ほどの攻撃でわかったこともある。
まず、回避したウィルに対して、あの高速移動を使用して追撃しなかったこと。
そして、あれだけのスピードがありながら、即座にジュエルシードを回収して逃げるようとせずに、ウィルの相手をしていること。
その二点から、あの高速移動は連続で行使することはできないと推測される。

(なら、付け入る隙はある)

≪なのはちゃん、ユーノ君、聞こえるか? 聞こえてたら、返事をしてくれ≫

≪は、はい。聞こえてます≫と、ユーノが返事をする。

≪なのはちゃんに現在の状況は伝えているよね?ちょっと危険かもしれないけど、今からおれの指示通りに動いてくれ。
 まず、ユーノ君は結界を解除するんだ。その後すぐにおれが張り直して、新しい結界の中にはおれとあの少女だけを残す。
 それから二人は――≫


結界が解除される。そして、ほとんど同時にウィルが結界を張り直す。
少女は一瞬戸惑ったようだが、特に変化がなかったので、再びウィルを探し始めた。


その間にも、ウィルは森の中を移動してジュエルシードが見える場所まで移動する。
狙うのは少女がジュエルシードを回収しようとするその瞬間。
彼女もいつまでも森に隠れているウィルを探そうとはしないだろう。いつか必ず、諦めてジュエルシードに向かうはずだ。その瞬間を狙う。

あとは、普通に向かうのか、それとも例の高速移動で向かうのか。



少女が動いた――高速移動の方だ。
こうやってじっと見ていても、一瞬見失うかというほどの加速、静から動へ移る時のタイムラグがほとんど存在しない。
常人では捉えることは不可能。近距離で使われれば、同じく高速機動型であり高い動体視力を持つウィルでさえ、完全に目で追えるかどうか。

ウィルも飛行する。森の木々をかいくぐり、加速。
彼女がジュエルシードを手にした瞬間と、ウィルが森から飛び出したタイミングはほぼ同時だった。
その速さは最高速には遠く及びはしないが、少女までの距離は三十メートル程度。高速移動が使用できない今の少女では、回避することは不可能な距離だ。

そして、剣を振ろうとした瞬間、体が拘束された。

――設置型のバインド。
ウィルの体は、少女まで後数メートルというところで、空中に固定された。

ウィルは少女の隙をつこうとしたが、これだけの技量をもつ少女が、自分の技に隙があることを、自分の技の欠点をつかれることを予想していないということがあるだろうか。
 否

少女は自らの隙を認識したうえで、それを逆手にとってウィルを罠にかけたのだ。
バインドは強力で、すぐには破れそうにない。
それをわかっている少女は、わざわざウィルを攻撃しようとせずに、そのまま飛び去ろうとする。


その時、ウィルは結界を解く。
少女の背後に、レイジングハートを構えたなのはが現れる。
その先には桃色の魔力光――砲撃魔法ディバインバスターの発射準備が完了している。


策の内容は簡単。
なのはが結界外で、砲撃魔法の準備をする。結界内からは結界外は見えない以上、その姿に気付かれることはない。
少女がジュエルシードを回収に行くことはわかっていたので、その地点のすぐ傍で準備をしていれば、至近距離からの不意打ちができる。
ウィルの不意打ちが成功すれば良し、失敗しても成功しても、すかさずなのはが砲撃を叩きこむ。
なのはの砲撃の威力を考えれば、無防備にくらえば間違いなく昏倒する。

少女も自分の背後のなのはに気付くが、もう遅い。今からでは回避できない。

そして、なのはが魔法を――――撃たない。
ウィルの顔に、初めて焦りが浮かんだ――なぜ撃たない!


三者とも、その状況でにらみ合うことになってしまった。
ウィルはバインドで動けない。
少女は狙われていて動くに動けない。
そしてなのはは、なぜか撃たない。
はたから見れば間抜けにも程がある。

「あ、あのっ――」

なのはが少女に対して何かを言おうとして、口を開く。それで呪縛が解けたかのように(実際は時間がたったおかげで使えるようになったのだろう)、少女は例の高速移動で上空に移動した。

こちらを見下ろし、そのまま何も言わずに街の方へと飛んでいった。
それから数秒後に、ようやくバインドがとけた。




「ごめんなさい。あの――」

彼女が見えなくなった後で、なのはが何かを言おうとするが、ウィルはそれを遮った。

「いや、気にしなくていいよ。今回はおれのミスだ」

笑顔でそういいながらも、ウィルは己の失策を悔いていた。
いくら覚悟があっても、なのはは最近まで魔法の力を持たないただの女の子で、今も精神的にはただの女の子だ。非殺傷設定とはいえ、いきなり人を撃てと言われても撃てるものではない。その相手が自分と同じような年齢の子供ならなおさらだ。
なのに、部下を指揮する時と同じように扱ってしまった。

(普段ならこんなミスはしないのにな)

なのはの非凡な才能と、街を守ろうとする強い意思を知ったせいで、思わず頼ってしまったのだろうか。
ともかく、このままではあの少女との戦いに、なのはを使うことはできない。
かといって、なのはが彼女を撃てるように訓練させる、などといった行為もできない。ただの少女に人を傷つける行為を強いるのはあまりに下卑たことだし、なにより、即席では使い物にならない。訓練校を卒業したばかりのノービスが、実戦で人間相手に戦えないことが多々あることが、それを示している。

(結局、おれ一人でやるしかないってことだよな)

ウィルはシュタイクアイゼンを腕輪に戻すと、ネックレス――待機状態のエンジェルハイロゥにそっと触れた。
数日もすれば、これの修復も終わる。
この暴虐的な力が使えるようになれば、一人でもあの子と戦うことができるだろう。


  ***


次の日の早朝、ノエルは森の中を歩いていた。昇り始めたばかりの太陽の光が、木々の葉の隙間から漏れだし、まぶしくて思わず目を細める。
昨日の昼、自らの主の月村忍と、彼女の恋人の高町恭也。彼らと共にいた部屋の窓から、森に何か大きなモノがいるのが見えた――ような気がした。それは一瞬のことで、それからは何も見えなかったのだが、それでも何となく気になってしまい、朝の散歩を兼ねてその辺りの様子を見に来たのだった。

結論からいえば、彼女はその大きなモノがなんだったのか、それはこの散歩ではわからなかった。

「あら……これは」

その代わり、彼女は切り倒された木々を見つける。その切断面は、非常に鮮やかなもので、どんな道具を使えばこんなに見事に切れるのだろうか皆目見当がつかない。しかも、木に登らなければ切れないような場所が切られていたり、幹が真っ二つにされているものもあった。

彼女は、そのまま屋敷に戻る。

「お嬢様、少しお話が――」




(後書き)

ウィルが木を切って、それをホームラン(フェイトVSスカリエッティみたいに)することで飛び道具代りにするとか
ホームランした木にバインドをかけることで、木を空中に固定して障害物とする――という方法でフェイトの遠距離攻撃を防ぐとか
変な戦法をいろいろ考えては没にしていました。

ちなみに、このSS中での速度はこんな感じです(数値は最高速)
フェイト(ブリッツアクション):250m/sec 亜音速飛行と超加速
ウィル(通常):180m/sec 加速性能良
フェイト(通常):180m/sec
真ソニックとかトーレは常時音速以上のイメージ。レーダーを振りきるには、実際はどの程度の速度が必要なんでしょうか?



[25889] 第7話(前編) 光輪、あるいは湯煙での邂逅
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/05 02:41
山道を三台の車が進んで行く。
連休に二泊三日で温泉旅行に行くことになり、参加者は高町家と鈴村家、そしてアリサとはやてとウィルの総勢十三名(内一名はフェレット)の大所帯だ。どの車も旅行に対する期待感で活気に満ちているが、その中でも三人ばかり車中でぐっすりと眠っている――なのはとユーノ、そしてウィルだ。
それは、なのはが八神家を訪ね、旅行に誘った時の会話が原因だった。


「温泉旅行? へえ、面白そうだね。はやても行きたいだろ」

時刻は夕方。今日は放課後のジュエルシード探しはないというのに、なのはが八神家を訪ねて来た。ウィルとユーノは朝から別々に捜索をして、なのはが訪ねる少し前に八神家に帰って来たばかりだった。そして、ウィルは朝にやり忘れていた風呂掃除を行っていたのだが、急になのはに呼ばれて、旅行の話を聞かされた。

「うん! でもええんかな……みんなとは会ったばかりやのに、こんなにお世話になって」

「もちろん!」と首を縦にふるなのは。

「だ、そうだよ。それだけの大所帯なら、安心して任せられるね。いってらっしゃい」

「?? ウィルさんは行かないの?」

その言葉が予想外だったようで、なのはがきょとんとした表情で問いかける。

「行かないよ。その間にこの街でジュエルシードが発動したら、誰が対処するんだい?」

「あ! そ、そっか……それじゃあ、わたしも行くの、やめようかな……」

言われて初めてそのことに気付いたようで、なのはは愕然とした表情をしていたが、それでもジュエルシードを優先させようとする。それを見て、ウィルはなのはは責任感が強すぎるのではないかと、少々不安に思った。
そこにコーヒーを飲んでいたユーノが(八神家では人間の姿ですごしている)話に加わる。

「大丈夫ですよ。旅館は山にありますから自動車では時間がかかりますけど、海鳴市内だから直線距離は大したことありません。巨大樹のような規模でジュエルシードが活性化した場合、旅館に居ても気付けるはずです。空を飛べばすぐに駆け付けることもできます。
 それに、最近はジュエルシードも見つかってないですから、なのはもウィルさんも、たまにはジュエルシードのことを忘れて休んでも良いと思いますよ」

「私も泊まりでウィルさんを残していくっていうのは、ちょっとなぁ。一緒に行かへん?」

ユーノの支援に、はやてのおねだり。そして再びユーノがたたみかけるよう。

「ウィルさんはなのはの監督責任があるでしょう? 旅行先でジュエルシードが見つかって、なのはが対処する、という事態になるかもしれません。単にジュエルシードだけならなのはでも大丈夫ですけど……」

ユーノは言葉を濁すが、おそらく先日出会ったあの少女――ジュエルシードの探索者のことを言いたいのだろう。

「そうだなぁ……わかった、行かせてもらうよ。その代わり、前日は念入りに街の周辺を捜索して、活性化しかけているジュエルシードがないかどうか調べよう。ユーノ君、手伝ってくれるかい?」

うなずくユーノ。なのはも横で「わたしも手伝います!」と立ちあがる。

「それじゃあ、はやて様、おやつ代を給付していただけますでしょうか」

「仕方ないなぁ。ほら、お小遣いや」

そのようにして渡された一万円の使い方に頭を悩ませているうちに旅行前日になった。
そして、ユーノとウィルは前日にいつも以上に念入りに捜索を行った。なのはも、夜中にこっそりと抜け出して二人を手伝い――その結果、代償として三人は寝不足になったのだった。


  *


一行が止まる温泉宿は、海鳴を囲む山々の中でも、ひときわ大きな山の中腹にある。秋に木々の葉が紅葉するころなどは、県外からも大勢の客が来るらしいが、連休とはいえ四月も半ばのこの時期では訪れる者もほとんどが海鳴の住人である。喫茶店を経営している高町夫妻などは、顔が広いせいか、他の客とすれ違うたびに一言二言挨拶を交わすので、一行はひとまず彼らをおいて先に部屋に向かった。荷物を下ろし、各自が宿に備え付けている浴衣を手にとって、温泉へと向かう。まだ日が傾き始めたころだというのに気が早いかもしれないが、温泉宿に来ているのだ、温泉に入らずして何をする。それに今は客の少ない時間帯だそうで、大所帯の一行は今のうちに入っておいて、他の客の迷惑にならないようにしようという意図もある。
途中で高町夫妻が追いつき、皆で浴場の入り口まで来て、さあ入ろうとなったわけだが、ここで問題が発生した。

「さあユーノ! 一緒に入るわよ」アリサがそう言いながら、ユーノの体をむんずと掴む。

それは、女性陣がユーノを女湯へと連れて行こうとしていることだ。
ユーノはその手から逃れようと身をくねらせるが、いかんせんその体は小動物。幼いとはいえ人間の力には対抗できない。

「ア、アリサちゃん……それは止めた方がいいんじゃないかなぁ」

なのはがやんわりと止めようとする。幼くとも、同年代の男の子と風呂に入るのは恥ずかしいらしい。一方、はやてはあまり抵抗感がないのか、何も言わない。

「何でよ」

「ほら、ユーノ君って男の子だし」

「フェレットが雄でも雌でも気にしないわよ」

「……雄じゃなくて、男の子なの」

「なに意味のわからないこと言ってるのよ。ほらユーノ、行くわよ」

しかし、理由を示せない説得に効果はなく、なのはの言葉はあっさりと却下された。
諦めるなのは、困るユーノ。
ユーノは一縷の望みをかけて、ウィルに念話を送った。

≪ウィルさんも見てないで助けて!……ってなんで泣きそうになってるんですか≫

≪いや、今の君と昔のおれがダブって見えて……安心しろ! もちろん助けるよ!≫

ウィルは、女湯の暖簾をくぐりかけていたアリサの手からユーノをつまみ上げると、自分の頭にのせた。

「あ! ちょっと、何するんですか!?」

「残念だが、ユーノはいただくよ。ただでさえ男湯の方は人が少ないんだ、諦めてくれ」

女性陣(なのは除く)からのブーイングを受けつつ、ウィルは男湯に入っていく。正しい行動をとったのに誰にも理解されない――そんな正義の味方の悲哀をなのはは学び、また一つ大きくなったがそれは特に関係ない話だ。



男湯ではウィルたち人間の三人は、湯船に体を沈めている。動物は湯船に入れてはいけないので(風呂場までなら動物を入れて良いというあたり、この旅館も懐が広い)、ユーノは桶に湯を汲んで、その中でゆったりと体を伸ばしている。ぼうっと目をつぶっている間に、湯をこっそり増量して溺れかけさせて、ユーノに噛みつかれるという一幕もあったが、四人とものんびりと湯を楽しんだ。
その次は、サウナを知らないというウィルに一度体験させてみようということで、ユーノを放置して三人でサウナに入る。サウナとは、汗をかくことで体内の老廃物を外に排出するという効果以外にも、古来より我慢大会のための場として使われていたらしい――というわけで勝負だ、いやいや初心者相手にそれはひどいですよ――などといったやりとりの後、三人は並んで座りこむ。
そこで、なのはの父親の士朗が、ウィルに話しかけた。

「ウィル君はなかなか良い身体つきをしているね。何かスポーツをしていたのかい?」

「ええ。空を飛ぶ系を少し……それにしても熱い」嘘は言っていない。

「と言うとハングライダーとか、そういったものかな。ふむ、筋肉のつき方を見る限り、あれは見た目よりずっと厳しいものなんだね。それに、ところどころ傷もあるじゃないか」

「いやいや、士朗さんと恭也さんの方がずっと良い身体をしていますよ。特に士朗さんなんて、見た感じ歴戦の勇士って感じで……まだ五分しかたってないのか」

「ああ、この傷はちょっと――」

「いいえ、聞いたりしませんよ、むしろ頼まれても聞きません。やめろ!話すんじゃない!」

「いや……そこまでのものじゃないよ」

士朗は大柄な体格で、背もウィルや恭也と比べても、頭一つ抜けている。服を着ている時から相当鍛えていることはわかっていたが、こうして裸の姿を見ると、そんな生易しいものではないことがわかる。その体は傷だらけ、刃傷、火傷、銃創と、ありとあらゆる傷と、その治療痕が残っている。人に歴史ありというが、その歴史は気になるものの、怖くて聞きたくない。
恭也は体格自体は士朗に劣るものの、引きしまっていて無駄がない。服の上からでは一般人と変わらなく見えるところなどもウィルと似ているが、密度は恭也の方がさらに上だろう。体も士朗ほどではないが、傷があちこちにある。
二人とも、しっとりと汗をかいているその姿には妙な色気があるが、ウィルにとってはこの熱さの中だというのに、しっとりとしか汗をかいてない二人の身体構造の方が気になって仕方がない。

「もっと楽しい話をしませんか。例えば、女湯って覗けないんですかね」

サウナ内だというのに、空気が凍りつく。それぞれの恋人と伴侶のいる女湯を覗けないか、などというこの言動は、自ら死地に踏み込む愚者そのものだが、その発言の衝撃で二人の質問から方向がそれた。
ちなみに反応はというと、気にせずに笑っている士朗と、さすがに憮然としている恭也、と対照的だ。

「そういえば、この温泉には混浴があるから、そっちに行ったら良いんじゃないかな」

と士朗が提案する。

「おお、いいですね。そろそろ熱さも限界ですから、ちょっと行ってきます」

「サウナを出たら、まずはゆっくりと体に水をかけるんだよ」
「混浴に行っても、今の時間だと誰もいないんじゃないか?」

そんな士朗と恭也の声を聞かず、ウィルは男湯を出て行った。それを確認してから、士朗がつぶやく。

「うーん、逃げられたか」

「わかっているならどうして止めなかったんだ。あの鍛え方は一般人じゃない」

「だが、悪い子でもなさそうだ。忍ちゃんが気にする気持ちもわかるが、あまり心配する必要はないと思うぞ」

「忍のことだけじゃない。父さんも最近のなのはが――特にウィルに出会った頃からおかしいのは知っているだろう」

最近のなのはは帰りが遅く、なかなか家に帰って来ない。そして、街で何をするでもなく一人でぼうっとしていたり、ウィルと思われる人物と一緒にいた――という話を聞いている。いつからそうなったのかと言えば、謎の巨大樹が街中に現れた日、そしてなのはがウィルとはやてに出会った日からだ。
人気の喫茶店の情報収集能力は馬鹿にならない。高町家が本気になれば、この街に住んでいる者の情報程度ならあっという間に知ることができるだろう。家族であるなのはの行動などは、調べるまでもない。現に、常連のご婦人などは「昨日買い物途中になのはちゃんを見かけたわよ」とか「恭也ちゃん、一昨日ずいぶんきれいな人と歩いてたわね、彼女?」と言った話を必ずしてくる(後者は翠屋に手伝いに来ていた忍に聞かれてひどく問い詰められた。以降恭也は接客をせずに厨房を手伝うようになる)

「今のところうろうろとしているだけで、悪いことをしている様子はないんだろう。門限を破ったわけではないのだから、放っておきなさい。単に若い二人が付き合っているだけだったらどうする」

士朗のその言葉で、再びサウナ室内の空気が凍る。恭也はすっと立ち上がり、出口へ向かおうとする。

「……やはり不安だ。問い詰めよう」

「待て待て、そういうことに怒るのは、昔から父親の役目だ。……まあいい。迷惑をかけない範囲で、恭也の好きなようにしなさい」

恭也はそれから部屋に戻る前に、やはりウィルのことが気になって混浴の前までやってきた。もう出たかもしれないし、そもそも来ていない可能性もあるが、一応確認するべきかと悩む。しかし、混浴を確認したことが忍に発覚すれば、恭也はこの旅行の間、機嫌の悪い忍と一緒に過ごさなくてはならない。
混浴の入口前でうろうろしている時点で、十分に忍を怒らせる条件はそろっているのだが、恭也は気付いていない。
やはり帰ろうと思い踵を返そうとした時に、混浴から大きな悲鳴が聞こえた。


  **


ウィルが行った混浴は露天風呂になっていた。誰もいなかったが、質問から逃げることが目的だったので気にはしない。温泉の湯は先ほどの男湯と同じ成分であったが、立ち上る温かな湯煙が、時折ひょうと吹く涼しい風を受けて、ゆらりとゆらめく光景などはなかなか視覚を楽しませてくれる。垣根を越えて風呂に浸入している樹の枝の葉が、陽光を受けて輝く様や、その葉がこすれあう音なども乙なものだ。
今までは風呂に入る時には何かをしながら、ということが多かったが、なかなかどうして、このように何もせずにいるというのも良いものだ。初めて露天風呂の存在を聞いた時は、なぜわざわざ屋外に風呂を設置するのかと疑問に思ったが、これはなかなか贅沢な気分を味わえる。

(なるほど、これがわびさびというやつか……違うか?)

しかし、先ほどまで男湯につかっていたので、すぐにのぼせてしまう。これはまずいと風呂から出ようとしたところ、入口からガラガラと戸が開く音が聞こえる。湯煙でその容貌はわからないが、誰かが入ってきたようだ。

湯煙の中から現れたのは、美しい女性だった。ウィルよりも明るい赤髪を無造作に腰元まで伸ばしているが、手入れを怠ってはいないようでその髪は紅玉(林檎)のようなつやがある。タオルを巻いてはいるものの、一枚の布切れ程度ではどうしてもその張りつめた胸元や腰の形を隠せるわけもなく、むしろ湯煙でかすかに湿ったタオルが、体の輪郭をより鮮明に現わしている。
それでも艶めかしさをあまり感じないのは、本人の気質によるものだろうか。目や表情がいたずらをたくらむ悪童のようで、どこか大人の女性という感じがしないのだ。もちろん、だからといって美人であるということに変わりはないのだが。

「ハァーイ」

美女は親しげに話しかけてくる。
――ああ、こんな状況でなければ共に湯船につかりながら話を楽しめたのに、と残念に思いながらも、のぼせかけた状態ではどうしようもなく、挨拶を返して脱衣場に向かうために、彼女の横を通ろうとした。

「あんたが管理局の魔導師かい?」

すれ違いざまにかけられたその一言で、思わず足が止まり、弛緩した空気が一変する。
ウィルにこのようなことを言う人物と言えば――

「先日の黒いマントがかっこいい子のお知り合いですか?」

「??……あ、ああ、あの子が世話になったみたいだから、挨拶くらいしておこうと思ってね」

「仕事ですから、お礼とかは気にしなくても構いませんよ」

ウィルはまずいことになったと考える。デバイスは身につけているものの(脱衣所に置いて盗まれました、ということになればあまりにも情けない)、のぼせた頭ではまともに戦えない。とはいえ結界も張っていないところをみると、向こうもこんなところで本気で戦うつもりはないだろう。何かきっかけがあれば引いてくれるはずだ。
そう考えると、少し余裕が出てくる。ウィルが悲鳴でもあげて、助けを呼べば引いてくれるだろう。かと言って、普通にしてもつまらない。

「安心しな。無駄なことはせずに、ジュエルシードから手を引いてくれれば、何もするつもりはないよ……今のところはね」

「いやぁ、これも仕事なんで、そう簡単には引けないんですよ」

「なら、少し痛い目にあってもらおうかい?」

じりじりと緊張感が高まる。二人とも自然とその場で構えをとる。ウィルはどっしりとその場に根を張るように。対して美女は飛びかかる獣のように。

先に動いたのは美女の方だった。しかし、この濡れた足場では素早く踏み込めない。したがって、その動作には十分に対応できる。問題はこちらも同様に足場が悪いこと。戦うのはよろしくない――ならば。
ウィルは、その場に尻もちをつくようにして攻撃を避ける。美女は尻もちをついたウィルに掴みかかろうとするが、それよりも速く、ウィルは美女の巻いているタオルの端をにぎり、そのままはぎ取った。
そして――

「キャーー!!誰かァーー!!」

『ウィルが』悲鳴をあげた。一方、美女は突然のことに困惑して硬直している。

「どうした!!」

悲鳴を聞きつけ、ガラガラっと戸を開けて入ってきたのは恭也だった。全裸の女性に一瞬たじろぐが、極力見ないようにしながら駆けよってくる。少し遅れて従業員らしき女性もやってきて、ウィルはその二人に訴えかけた。

「こ、この女の人が急に裸で襲いかかってきたんです!今もぼくを組み敷こうと――」

その言葉に女性の方を見る二人。恭也は見てすぐに目をそらしたが。
たしかに状況だけ見れば、全裸の女性が、しゃがみこんだウィルに襲いかかろうとしているように見える。はぎ取ったタオルなど、とうに離れたところに放ってある。

「こ、これは……」

「こ、困りますよ、お客さん。ここはそういうところじゃないんですから」従業員は慌てて女性を制止し、落ちてあるタオルを渡そうとする。

「ち、違うっ!別にそういう意味で襲おうなんて――」

「いまさら言い逃れようっていうの!?この変態!!」

弁解する美女の台詞を遮るようにして、ウィルがさらに煽る。

「いや……あたしは――くそっ、覚えときな!」

美女は逃げるようにして脱衣所に走って消えた。


浴場から出て部屋に戻ると、なのはが念話で話しかけてきた。

≪さっきお風呂から出た時に、オレンジっぽい髪の女の人が話しかけてきたんです!それで、念話でわたしたちに注意、っていうか警告してきたんですけど、ウィルさんの方は大丈夫ですか!?≫

≪おれも出会ったよ。こっちも警告だったから大丈夫だ。しかし――≫

≪どうかしましたか?……あ、鼻血が出てますよ≫

≪ごめん、ティッシュ貸して……いやあ、いいプロポーションだったなあ≫


  ***


夕飯を食した後で、ウィルとユーノは夜風を楽しむと言って外に出て、ぶらりぶらりと森を歩き始めた。
先ほどの美女は、単にくつろぎに来たわけではないだろう。おそらくジュエルシードの捜索が目的だとあたりをつけ、二人で捜索のために旅館を出て来た。なのはは自分も手伝うと言っていたが――家族や友人に怪しまれると今後が大変だ。何かあったら呼ぶから心配しないで――と適当に言って旅館に置いてきた。
人気のないところまで来ると、ユーノがぽつりぽつりと話し始める。

「僕は、最初は自分一人でジュエルシードの捜索をするつもりでした。それなのに、いつの間にかなのはを巻き込んでしまった」

「初めて出会った時もそんな話をしたよね。悪い面ばかりみても仕方がないよ。なのはがいなければ、あの巨大樹の解決には時間がかかっただろう。なのはがいたからこそ、迅速に解決できて、被害もあれだけですんだんだ」

「いえ、そのことはもうわりきりました。また前みたいに落ち込んだりしませんよ。……僕が言いたいのは、これからのなのはのことです。なのはには、もうこれ以上魔法に関わって欲しくないんです。この事件だけじゃなくて、次元世界のことも忘れて、元のように普通の少女として暮らして欲しい。
でも、増援に来る管理局は、管理外世界に強力な魔導師が存在することを放っておかないでしょう?だから、管理局はなのはをどんなふうに扱うつもりなのか教えてほしいんです」

「たとえ強力な魔導師でも、当人が望まないなら連れていったりはしないさ。普通は定期的に報告をして、時折監査を受けてもらえればいい……んだけど……これからの管理局は深刻な人手不足に陥るって言われていてね、そのせいで勧誘が激しくなっているんだ。だから、人によっては結構強引に管理局に引き込もうとするかもしれないな」

ユーノはそれを聞いて、顔を曇らせながらも、納得したような顔を浮かべる。

「たしかに。これから二十年間で、管理世界の数が倍以上になるって言われていますからね」

ウィルも管理世界が急増するということは噂程度には聞いていたが、ユーノが言った数は予想以上のものだった。管理局は百五十年前に基礎がつくられ、六十年前に現在の組織構造が完成した。新暦六十五年の現在、管理世界の数は三十程度である。百五十年の歴史の中でその程度の数なのに、そんな短期間で倍以上とは、どんな理由があるのだろうか。そう思って、ユーノに聞いてみる。

「なんでそんなに増えるのか、知ってる?」

「旧暦四百六十二年の次元断層は知ってますか?」

「ああ、次元断層がきっかけとなって、近隣世界をまとめて滅ぼすような大次元震が発生した事件だろ」

「ええ。次元震はいくつかの世界を滅ぼしただけでなく、その余波は理論上多くの次元世界に届いたと言われています。その中には、いまだ次元航行技術を持っていないながらも、その余波――つまり、何もない空間に突如膨大なエネルギー波が発生したということ、そしてそれが別の世界からのものであること――を認識できるだけの技術力を持った世界が数多くありました。今から増える世界というのはほとんどがそういった世界なんです」

「つまり、五百年前まで次元世界の存在を知らなかったいくつもの世界が、次元断層のせいで一斉に自分たち以外の世界の存在を知ってしまった。そして、それをきっかけにして多くの世界が次元世界に関する研究を初めて、五百年たった今、次元航行技術を獲得した世界たちが次元世界に進出を始めた、ってわけか」

「はい。もちろん次元航行技術の獲得にかかる年数は世界ごとに差があります。でも、さまざまな分野の発展が必要になりますから、無知な状態から始めたと仮定すれば、結局どの世界も五百年程度はかかってしまう……らしいです」

「増え続ける管理世界と犯罪者、変わらず存在するロストロギア、新規参入する世界はまだ次元の海に飛び立ったばかりの雛たちばかりで、雛を守るために駐留部隊を増やさなければならない。海は海で世界間の調停の仕事が忙しくなるだろうし……。
 確かに人手が足りなくなるって言われるわけだ」

「激動の時代が始まりますね」

「ようやく次元世界も昔に比べて平和になったらしいのになぁ……ミッドの治安が乱れたら、また親父の胃に穴があきそうだ」

二人でため息をつく。後一月もしないうちに、自分たちがそんな危険が満載の世界に戻らないといけないという現実を思い出して憂鬱になるほど、この世界は、この日本という国は平穏に満ちていた。

「なのはには管理世界に関わらずに、この世界で平和に暮らして欲しい。だから、管理局には、なのはの存在を秘密にしておきたいんです」

「管理局の一員としては反対するべきなんだけど、個人としてはその意見に賛同するよ。おれが言えたことじゃないと思うけど、自分よりも小さな子を戦わせたくはない」

それに、なのはは少女を撃てなかった。それは人として正しいあり方だと思う。思うが、それでは魔法の飛び交う戦場に来る資格はない。

「でも、今のままだとそれは無理だ。管理局がおれたちに接触するタイミングは、活性化するジュエルシードを封印しようとする時だ。でも、介入する前に状況を把握するために観察をおこなう。今までのようにおれと一緒に捜索して、いつものようにサーチャーを使っているところを見られたら、それで終わりだ」

「つまり、この件から完全に手を引かせる必要があるんですね?」

「そうだね、この旅行から帰ったら、二人でなのはちゃんを説得してみるか?」

それは、ウィルにとってあまり取りたくない手段だ。
この説得でなのはを完璧に説得できなければ、以降なのはが独自に動き、ウィルと謎の少女の二者の争奪戦に介入してくる危険さえある。それを考えれば手元に置いて制御できるようにしておいた方がまだ良い。ただ、謎の少女という明確な敵がいる今なら、怪我をする危険性をしっかり伝えれば、なのはも説得を聞いてくれるかもしれない。

「そうですね。なのはには悪いけど、それが良いと思います」


「でも、ユーノ君はそれでいいの?このまま別れたら二度と会えないよ。なのはのこと、気になっているんだろ?」

「なっ!何を言ってるんですか!?別に僕はそんな風には……それならウィルさんはどうなんですか、はやてと会えなくなるんですよ」

「知ってるか?イイ男っていうのは、つらい時に強がりを言って、ニヤリと笑えるタフな男のことを言うんだぜ。
 だから、おれは平気さ」

そう言って、ニヤリと笑う。

「じゃあ、僕も平気です」

そう言って、ユーノも笑う――フェレット姿だと判別がつきにくいが、口角が上がっているので、多分笑っているのだろう。

お互い馬鹿だねぇと言いながら、男二人は森の中を歩いていった。



ジュエルシードの気配を感知したのは、それから数分後のことだった。
二人は、なのはには伝えずに走ってその場に向かった。

しかし、旅館にいるなのはにも、その気配は感じられた。彼女はこっそりと部屋を抜け出し、飛行魔法を行使する。
そうして、なのはもまた、その場へと向かったのだった。



[25889] 第7話(中編) 光輪、あるいは高町なのはの半生
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:28
二人が駆け付けた先は、旅館から市外への途中の橋だった。その下の河原が淡く光っているのは月光のせいだけではない。わずかに活性化するジュエルシードの魔力光が、周囲をほのかに照らしている。
欄干の上には先日の少女が立っており、橋の真中に五条橋の弁慶のごとく仁王立ちしているのは、風呂で出会った美女だった。

「おや、昼間の痴女じゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だね」

軽口をたたくウィルに、怒りで顔を赤くさせながら美女は怒鳴る。

「あ、あんたはまだ言うのかい!
 ああもう!おとなしく引くんなら見逃すつもりだったけど、あんたは一回噛まなきゃ気がすまないよ!!」

美女の髪が揺らめき、重力に逆らって空を向く。まさに怒髪天。
それはともかく、そのまま美女は身をかがめ、その姿を赤毛の狼へと変貌させた。ユーノのように変身魔法を行使したわけではない。つまり彼女は――

「その子の使い魔か。しかも上質だな」

使い魔は月まで響けと咆哮をあげ、それを開戦の号砲としてウィルに向かって跳びかかる。デバイスを起動して迎え撃とうとするが、その前にユーノがウィルの肩から飛び降りた。そのままウィルの前に出ると、シールドを展開して使い魔の攻撃を防ぎ、間髪いれず自身と使い魔だけを巻き込むようにして転送魔法を行使する。

「使い魔の方は僕に任せて!」

その声を残して、ユーノと使い魔の姿はその場から消えた。少し遅れて周囲一帯を覆う結界が張られる。
その場に残された二人は互いに視線をそらすことなく、夜空へと浮かび上がる。

「もう、油断はしない――バルディッシュ、セットアップ」
『Yes,sir. Set up.』

少女はその身を黒いバリアジャケットで包み、その手にデバイスを握りしめた。

「シュタイクアイゼン、エンジェルハイロゥ、セットアップ」
『Yes,sir. Set up』
『Yes,my Lover. Set up』

右手に剣、両脚に銀色のブーツ。そして、その身をブラウンのバリアジャケットで包む。


『Brits action』

以前と同様に、少女が高速移動でウィルの背後に回り込む。しかし、その場にはすでに誰もいなかった。ウィルは少女と同時に動き、先ほど少女がいた場所からさらに離れたところまで移動している。

「ベルカ式、って知ってる?」

戦いが始まっているにもかかわらず、淡々と言葉を紡ぎ始める。

「ベルカ式――狭義で言うところの、武器型(アームド)デバイスを使用した戦闘法のこと。
 ミッド式は純粋に魔力のみで構成された魔法を使うことで、対象の身体を損傷させず、リンカーコアに蓄積した魔力に働きかけてその魔力蓄積機能を阻害させる、という非殺傷設定を用いることができる。
 対して、ベルカ式は魔力を用いて物理攻撃そのものを強化させるから、攻撃を非殺傷設定にすることはできない。だから――」

そうして、自分のデバイス、片刃剣シュタイクアイゼンの刃の部分をそっとなでる。

「バリアジャケットで止められなければ、普通に刃物で切られることになる。たとえ峰打ちでも、鈍器で殴られるのと変わらない。
 ……なんでこんなに長々と話しているのか、わかるよね?」

厳密には、完全に非殺傷設定にできないわけではない。
例えば、魔力を用いて剣速を高める場合――これは剣で斬ることで相手にダメージを与えるので非殺傷は無理だ。しかし、魔力を剣にのせ、剣による物理攻撃で相手の防御を破ってから魔力を叩きこむ――これなら、相手にダメージを与えるのは魔力による一撃なので非殺傷が可能だ(あくまで理論上は。物理攻撃の威力を強くしすぎて、バリアジャケットを貫通してダメージを与えてしまうことが多いので、現実的ではない)
しかし、講義をしているわけではないので厳密に語る必要はない。
発言の意図は、これからの戦闘の危険性を相手に認識させることにある。つまり退かなければ殺し合うことになるぞ、という脅し。

「警告だ。すみやかに投降し、ジュエルシードを渡せ。抵抗するようなら命の保証はできない」

しかし、その最後通告に対し、少女は首を横に振った。

「そう……じゃあ――死ね」



ウィルは言い終わると同時に突撃する。自らの言葉を伝える空気の振動を追うように。
そして瞬時に追いつき、追い越す。

その瞬間、夜空に光の輪が現れる。
それは衝撃波。物体が音速に至った時に発生する空気の層――ソニックブーム。
ただの円状の空気の層にも関わらず、月の光を受けて薄く輝くその様は、天使の光輪(エンジェルハイロゥ)のような神々しさがある。

『Defensor』

少女に代わり、少女がバルディッシュと呼んでいた彼女のデバイスが、自動防御としてバリアを展開する。動作速度が劣るインテリジェントデバイスにしては驚異の速度だ――が、それは薄紙のように貫かれた。
それでも無意味だったわけではない。そのわずかな隙に少女は高速移動、ブリッツアクションで突撃を回避する。
驚嘆すべきは突撃の威力。ウィルは剣に魔力をほとんど付加していない。これは、ただの速度と重量による物理攻撃。
そして、少女の行動もまた称賛されるべきである。バリアで生じた一瞬の間に、高速移動を発動させたのだから。ほんの少しでも遅れていれば、今頃決着がついていただろう。

ウィルはそのまま片時も止まらずに飛行を続ける。常に音速以上で飛行できるわけではないが、それでも少女の高速移動とほとんど変わらない程度の速度を維持している。
この驚異的な速度が、ウィルのもう一つのデバイスの力。


両足に装着しているブーツ型デバイス――飛行補助ストレージデバイス『エンジェルハイロゥ』
その仕組みは地球におけるジェットエンジンの仕組みに良く似ており、空気を噴出させることで推進力を得ている。ジェットエンジンは吸入し圧縮した空気に燃焼によってエネルギーを与えるが、このデバイスではウィルの魔力変換資質:キネティックエネルギーによって、空気に運動エネルギーそのものを与えている点が異なる。
特徴的な点は、噴出口となるノズルがブーツの底、つまり足の裏についていること。そもそも、単に加速に使うだけであれば、両足よりも背中に背負った方がよほど安定する。足では、微細なずれが飛行姿勢に大きく影響してしまうというのに。

その理由は――

前方からの複数の魔力弾。
まず、左足を斜め左後ろに向けることで、進路を前方から、少し斜め右前方に変え、直射弾の隙間を通りぬける。
しかし、その先にはもう一つ魔力弾が迫っていた。
ウィルは上体を起こし、片足を前方へ向け、前進のベクトルを打ち消す。そして、もう片足を地に向けることで、上方へと移動して回避する。

足と姿勢を変えながら飛行するその姿は、空中をリンクとして踊るスケーターのようだ。

これが理由。
脚を動かすことで空気の噴出する方向を変更し、自在に飛行軌道を変化させる。それがこのデバイスの企画意図。通常の飛行魔法と併用することで、加速性能だけでなく、旋回性能をも上昇させている。


この状態になれば、単なる直射弾は警戒するに値しない。
それらを回避しながら、闘牛士を狙う牛のように少女に突撃し、インメルマンターンで反転して再度突撃を繰り返す。

 突撃!!(チャージ)
 突撃!!(チャージ)
 突撃!!(チャージ)

少女は高速移動で回避するも防戦一方。さりとてウィルも致命的な一撃を与えておらず、油断できる状況ではない。お互いの攻撃力と装甲の薄さを考えると、先に一発当てた方が勝つのだから。
安全に勝つためには、この状況で少女がどのように考えるのか――彼女の戦術を予測し、その裏をかく必要があるが、それはウィルの得意分野だ。
ウィルは自分と戦うものがどのように考えるか、十分に把握している。地上に配属されて以来、模擬線の相手は自分よりランクの低く――そして実戦経験の豊富な魔導師たちがほとんどだった。そういった者たちが、いかにしてランク上位の魔導師を倒そうとするのか。それをいやというほど経験してきた。
士官学校を卒業し、望むなら海で戦うこともできたにも関わらず、わざわざ陸で戦っていた理由。それは、弱者が強者に勝つための技を知り、身につけるためだ。

それも全ては、いつか戦う強大な敵を――闇の書と、それを守護する騎士たちをこの手で倒すため。
魔導師では騎士には勝てないと言われている。魔導師が劣っているわけではないが、一対一かつ適度な距離で戦った場合、たしかに騎士の方が有利だ。両者の違いを端的に表現するなら、状況を構築するのがミッドの魔導師、状況を制圧するのがベルカの騎士、というところだろうか。
ウィルは、ただベルカの騎士を倒すために、自身の先天的な能力を利用した超高速機動のみを鍛え上げた。

そのようにして鍛えて来たからこその自負がある。
たかだかちょっとランクが上の魔導師に――しかも、自身の三分の二程度しか生きてない子供に、負けるわけにはいかないという自負が。
とはいえ、

(もし、あの子が使い魔を作ってなかったら、この状態でも勝てなかったかもしれない。使い魔にリソースを割いて、なおこの強さ……天才ってのはいるもんだ)


気を取り直して、少女の戦術を予想する。
今のウィルの速度と旋回性の前では、もはや単なる直射弾はあたらない。あてるなら、複数の誘導弾を用いて逃げ道をふさぐように追い込むか、もっと広範囲――面を制圧するくらいの攻撃でなければならない。少女は今まで誘導弾を使用していないので、前者の心配はしなくていいだろう。後者はこの速度で移動するウィルが逃げられない魔法など、詠唱魔法クラスでもない限りは無理だ。
ウィルの攻撃は、突撃と突撃の間には時間がある。騎兵でもそうだが、高速で突撃し、転身して再び向かってくるまでには時間がかかる。それでも速度と加速力自体が尋常ではないので、その間はせいぜい数秒程度。詠唱を必要とする魔法を唱える時間はない。

ならばどうするか。近接型にとって厄介なのは、以前のようにバインドを設置されること。
だが、月が出ているとはいえ、この夜空では設置時に発生する魔力光で簡単にわかる。それに、そもそもウィルの突撃時の速度なら、バインドが対象を感知して構成される前にその範囲を抜け出ることができる。たとえ間に合ったとしても、超高速で飛行している――つまり莫大な運動エネルギーを持っているウィルを捕えるには、余程の強度をもったバインドでなければ不可能だ。つまり、目の前を通り過ぎる人間をロープで捕えることは比較的簡単だが、走っている車を相手に同じことをするのは難しい――というのと同じような理屈だ。

となると、少女のとる行動はカウンターだろう。相手の突撃に合わせて、無詠唱で最大の威力の一撃を叩きこんでくる可能性が高い。


そのまま突撃を繰り返す。そして、数回目の突撃で

「サンダースマッシャー!!」

予想通り、迎え撃つようにして、少女の雷撃が飛んできた。

そして、ウィルはその魔法を回避し、少女はその回避した方向に目を向け――そこに誰もいないことに一瞬気をとられ、次の瞬間には異なる方向からのウィルの攻撃を受け、吹き飛ばされた。



飛行魔法というものは、基礎にして最も奥が深い魔法である。
飛行自体はほとんどの魔導師ができるのに、空戦魔導師の数は陸戦に比べてはるかに少ない。それは、ただ飛べるだけではなく、様々なマニューバ(飛行機動)を習得しなければ実戦では使い物にならないからだ。
今でも教導隊では新しいマニューバが検討され続け、歴史上でも多くのマニューバが考案され、そして廃棄されてきた。その中には、優れていながらも使い手がいなかったがために、歴史に埋もれたものがいくつも存在する。

その一つ、『バレルロール』

進行方向を変えることなく位置だけを変えるこのマニューバは、まるで樽(バレル)の外側をなぞるような、螺旋の動きをすることからそう名付けられた。
この機動自体は、空戦魔導師が敵に追いかけられている時に、速度を下げることなく自分を追い越させる、という用途で現在でも使われている。
単に速度を下げるだけでは追い越された後の再加速に時間がかかる上、そもそも追い越される瞬間に攻撃される可能性がある。そこで、直進ではなく螺旋を描くように飛行することで、飛行距離を延長させつつ、敵に捕捉され難くする。追い越された後で維持した速度を用いて敵に追いつき、攻撃するというように、次の攻撃にもつなげやすい。

このように使用頻度は高いのだが、過去に一人だけ、全く異なった使い方をした人物がいた。その使い方自体は今日でも有名だが、実戦からは消えてしまった。
なぜか――実戦で使用するには、あまりに難解で、かつ危険だからだ。

その使用法は、突撃中に自身に向かってくる攻撃をバレルロールで回避することで、速度を落とすことなく敵に接近する、というカウンターへのカウンター。
『バレルロール・アタック』と呼ばれる魔技。

問題は、直進ならともかく、螺旋軌道を描きながら敵を捕捉することは非常に難しいということ。回転する視界の中で、敵と自身の位置関係を把握し、速度を落とさぬようにしながら瞬時に方向を調節することで、ようやく敵の不意をついて接近できる。位置把握に失敗すれば敵の横を通過してしまい、速度を落としたり、迂遠な軌道をとってしまうと敵の第二撃をおみまいされるはめになる。
つまるところ、神技というべき飛行制御力――それがなければ使いこなせるものではない。ミッドチルダの大手のサーカス団では、これが入団試験になっているところがあるという。
ともかく、接近戦より、中・遠距離を好むミッドの魔導士たちが好き好んで使おうとは思わないだろう。

その魔技を、いまだ年若いウィルが使いこなせる――というわけではない。軌道を確保するのに精一杯で、とてもその先の攻撃タイミングに気を回すことはできない。

したがって、このままではぶつかってしまう。
しかし、今回に限って言えばそれで構わない。体格はこちらの方が圧倒的に上、そして衝突することがわかっているウィルと不意を打たれる少女では、どちらが有利かなどいわずもがな。


ウィルは肩から少女の腹部に衝突する。一般人なら両者ともに体がひき肉のように潰れてしまうのだが、そこはお互いにバリアジャケットと肉体強化があるので、そのような悲惨な目にはならなかった。それでも衝撃の全てを殺すことはできず、ウィルは一瞬意識をもっていかれそうになる。だが、それでも少女が受ける衝撃に比べればましだ。
しかし少女は気絶してはいなかった。その手には、まだしっかりとデバイスを握っている。時間をおけば再び立ちあがってくるかもしれない。
その意外なタフさに驚かされる。精神力で意識を留めているのだろうか。意思のないような目をしていたわりに、意外と根性がある。

だが、この機を逃すつもりはない。今の内に駄目押しの一撃を。
今ならヘビィバッシュ――デバイスを媒介にして圧縮魔力を敵にぶつけるという、ミッド式でよく使われる非殺傷の近接技を、アームドデバイスでおこなう――が確実にあたるだろう。

(なんとか殺さずにすむかな)

それでも、骨折くらいはするかもしれないが、それは好都合。管理局が来ていない現状で、彼女を捕えたところで、魔法への対抗策の施されていない地球の施設では拘束し続けられない。情報を聞き出した後はデバイスを破壊した上で解放するしかない。
しかし、骨でも折ってくれれば当分はまともに戦えないだろう。


そして、墜落する彼女に再び加速して接近しようとしたところで、桜色の閃光に行く手と視界を遮られた。

「どういうつもりかな……なのはちゃん」

若干のいらだちと共に、地上でデバイスを構えているなのはの姿を睨みつけた。


  *


高町なのはという少女は、誰からも好かれている。

彼女の容姿は一般的にかわいいと評されるもので、十人に彼女の容姿について尋ねてみれば、六人はかわいいと答えるだろう。しかも、屈託のない笑顔のおかげで実物はさらに魅力的になっており、残り四人も生で見れば思わず「かわいい!」と言ってしまうだろう。

だが、高町なのはが本当に好かれているのは、彼女の性格、性質のためだろう。
困っている人がいれば助け、他者と話し合いでわかりあおうとし、みんなに笑顔でいて欲しいと本気で願うような、和を尊ぶ少女。完全さを妬まれて嫌う者はいるかもしれない。

――なぜこんな良い子に育ったのか。
もともと良い子だったから?
教育が良かったから?
周囲に善人が多かったから?

それらも確かにある。
しかし、もっと端的に言うなら、『呪われた』からだ。


彼女がまだ幼かった頃に、父親が事故にあって大怪我を負ったことがあり、その後の家庭の変化は、彼女の人格形成に大きく影響を与えることになる。
意識不明が続く父、母は父の分まで働くことになり、兄と姉は母の手伝いと父の看病に明け暮れた。彼女も自分に手伝えること探したが、まだ幼かった彼女にできることは何もない。かといって手伝うことを諦めて遊び歩くことができるほど、今も昔も物事を割り切れる子供でもない。
結局、何もできなかった彼女は、せめて家族に迷惑をかけない良い子であろうとした。それだけでも年齢に比すれば十分に優れた思考と行動だが、彼女自身はそうは思わず、逆にそれしかできない自分自身に対する複雑な思いを溜めこんでいった。

無力感――助けてあげたいのに、今の自分では何もできない
寂寥感――そして、その思いに苦しむ自分を、誰も助けてくれない
隔絶感――助けることも助けられることもない自分は、誰とも繋がっていない

――寂しい


彼女の素晴らしい点は、それらの思いを溜め込むだけで終わらせず、克服するようにしたことだろう。
無力感と寂寥感は、人を助けてあげたいという誠心と、それを為せるだけの力への意思へ。隔絶感は、他者と話し合い理解し合うことで関係を持ちたいという期待に変わった。
これらの願望こそが、今の彼女を成す心の核。高町なのはを高町なのはたらしめている精神の柱。
以降の彼女の行動基準は、この時に決定された。

とはいえ、この時はまだ、願望はそこまで強固なものではなかったのだ。

その後、父親は無事に回復し、母親の経営する喫茶店も有名になり、家族は以前のような生活に戻った。このまま何事もなく成長していれば、彼女も大人になるに従って諦めと妥協を覚え、自分のできうる範囲で他人を思いやる、普通の善良な人間になっていっただろう。

だが、彼女は出会ってしまう。
『魔法』という力と、それがもたらす災いに。


異世界からの来訪者、ユーノ・スクライア。彼との出会いが、彼女に最大の変化をもたらした。

あの日――大樹が街に現れた日、ウィルとはやてと出会った日、そしてなのはがジュエルシードを見逃してしまったせいで、多くのものが傷ついた日。
あの日、封印の後でジュエルシードを回収するために街を駆け巡った時、彼女は自分のミスが引き起こした結果をまざまざと見せつけられることになってしまった。幾台もの救急車のサイレンが崩れかけた建物の間に木霊し、怪我をした子供の泣き声が響く。横転した車、壊れた家、夏にはほっと一息つける憩いの場である噴水は壊れて、水が地面を濡らしていた。
奇跡的に死傷者はゼロだと言われていたが、それでも怪我をした人は大勢いただろう。もしかしたら、取り返しのつかない怪我を負った人も――

――ああ、自分はこの事態を防ぐことができたのに、それなのに何もしなかった。


それからというもの、彼女は学校帰りに街に寄って帰るようになった。
自分の犯した過ちが、どのような結果を生んだのか。自分の過ちがどれだけの人を悲しませたのか。
それを目に、そして心に刻みつけるように。

そして、彼女は一つの誓いをたてる。
この事件で、これ以上誰も傷つかないようにするために、自分はこの魔法の力を振るおうと。
たとえそれが、どれほど危険であろうとも。

過去に蒔かれた種は、ついに芽吹いた。
かくて無垢な子供が抱いた願いは、いまや尋常ならざる強度で彼女の心に根をはり、もはや月日とてその意思を薄れさせることは容易ではないだろう。

永遠に消えない炎――不屈の勇気が、彼女の心に宿った。


以上が現在の高町なのはが造り上げられるまでの過程である。
呪いとは言動によって人の意識を縛ることで、その行動を制限し、無意識の内に一つの道を選ばせる技術のことだ。
ならば、彼女の行動を決定付けたそれを、他者を助けようという誓いを、『呪い』と言い換え、それを抱いてしまった彼女を『呪われた』と言って、いったい何の齟齬があるだろうか。



ジュエルシードの反応を感知したなのはがその場にたどりついた時、まさにウィルと少女の戦闘が始まろうとしていた。

「――死ね」

ウィルのその言葉を皮きりに、戦いが始まる。放っておけば、どちらかが傷ついてしまう。
なのはは少女の目を、とても悲しい目を思い出す。すずかの家の庭で、その目を見た時、なのはは彼女を撃てなくなった。何も知らず、何も聞かず、人に言われるがまま、一方的にこの少女を撃って良いのかと。ウィルやユーノ、そして自分と同じように、きっと彼女にも為さねばならないだけの事情があるのではないだろうか。

だから、少女に語ってほしい。あなたがジュエルシードを集めるその理由を。
そして、少女に理解してほしい。わたしたちがジュエルシードを集めるその理由を。
みんなで話し合ってほしい。どうすれば、みんなが納得できるようになるのかを。
そのために、まずはこの戦いを止める。

ウィルたちが言うには、なのはの砲撃は十分な威力を持っているらしい。そんな自分が第三者として介入すれば、両者も警戒して戦闘が止まるだろう。
それは、ウィルの邪魔をするということになるのだが――

「わたしが今からすることって、きっと悪いことなんだと思う。ごめんね、レイジングハート。あなたをそんなことに使って」

『Don’t worry. I delight to do your will, master(気にしないでください。それがあなたの意思ならば、私は喜んで従います)』

「うん、ありがとう――レイジングハート、お願い」

『Stand by ready. Set up』

上空では、ウィルと少女がぶつかり、吹き飛ばされる少女に向かってウィルが剣を振りかざしながら接近しようとしている。
なのははウィルの行く手を遮るために、二人の間に砲撃を撃ちこんだ。


  **


行く手を遮ったなのはの砲撃が消えると、すでに少女の姿は消えていた。おそらく森に落下したのだろう。奇しくも、前回の戦闘で自分が彼女にやったことをやり返された形になる。
どうするべきか――ほんの少し悩んだが、少女は放置することにした。
落下した少女が森に隠れているのか、それとも動けないのかはわからないが、この間にジュエルシードを回収してユーノに加勢しよう。
なのはがどのようなつもりで今のような行動をとったのかはわからないが、それも全てが終わってから聞けばいい。威力は高いが、不意打ちでもない限り彼女の砲撃はあたらない。警戒するほどではない。

(情報なら使い魔の方からでも聞ける。捕えれば、取引材料に使えるかもしれないな)

そう考えジュエルシードに向かおうとした時に、少女が光を伴いながら森から現れた。
少女は、森のわずか上で静止する。ところどころバリアジャケットが裂けているのは、意識が朦朧としたまま森に落ちてしまったからだろうか。
彼女の周囲に浮かぶのは、空に煌めく星よりも眩い星々――数十個のスフィア。
声は聞こえないが、口元が動いている。

(――詠唱魔法!! まずいっ!!)

「フォトン、ランサー……ファ…ランクス、シフト……」

ウィルが気をそらしている間に、森の中で詠唱していたのか。姿を現したということは、すでに詠唱はほとんど終わっているということ。この距離ではとめられない。回避しようとして――

「……ファイ、アァァアアア!!」

スフィアから、ウィルのいる『方向』を埋め尽くすように、弾が吐き出される。
弾幕?いや、目に映る光景は金色の壁としか表現できない。
――弾壁。

避けることなどできず、壁に飲み込まれる。
しかし一発一発の威力は大したものではなく、広範囲に放っているせいで実際に当たる弾の数も大したものではない。
だから、最初の一秒はとっさに発動させたシールドでも、十分に防げた。

だが、シールドのせいで足を止めてしまった瞬間に、広範囲に放っていた弾が一斉にウィルのみを狙い始める。
壁から槍へと変化した弾丸の群れに、シールドは一秒で破壊される。そして次の一秒でかざしたシュタイクアイゼンを破壊し、バリアジャケットを貫く。
ついに直撃すると思われたところで、今度はなのはの桜色の砲撃が、向かっていた金色の魔力弾の群れを飲み込んだ。

それでも全てを飲み込むことはできず、結局ウィルは最後の一秒に放たれた二百五十六発の魔力弾の内、なのはの砲撃を逃れた三十八発を防御を失った生身に受け――それは彼の意識を落とすには十分すぎた。


  ***


ウィルが意識を取り戻した時、まず視界に映ったのは天井の木目だった。障子越しの外は明るく、時刻は正午前後を過ぎたあたりだろう。ウィルは布団に寝かされている自分の上体を起こそうとして、横に誰かがいることに気付いた。
浴衣姿のノエルが、目覚めたウィルにそっと近づき、起き上がろうとするウィルを押しとどめる。

「無理はなさらないでください」

「ノエルさん……ここは旅館ですか?どうして――」

「恭也さんが、森で倒れているウィリアム様を連れて来られたのです。半日ほど眠られていたのですが――」

無事にお目覚めになられたようで良かったです、と言いながら、コップに水を入れてくれた。一気に飲み干すと、意識がはっきりする。
その間に、ノエルは携帯電話で連絡をしていた。なんでも、この部屋はウィル一人を寝かせるために追加で借りたもので、みんなは本来の部屋にいるのだとか。

少しして、部屋に入ってきたのは、月村忍、高町士朗、恭也の三人だった。忍と恭也がウィルの近くに座り、ノエルと士朗は彼らの後ろに控えた。
そして、忍が口を開いた。

「目覚めたばかりで申し訳ありませんが、お聞きしたいことがあります。
 ――あなたは何者ですか?」




(後書き)

対話してこなかったことのツケが、利息をこさえてやってきたでござる の巻

ウィルの戦闘スタイルは、フェイトをさらにとがらせたものです。
飛行速度と旋回性を伸ばした代わりに、遠距離魔法を大幅にオミット(足止めや気を散らす程度の魔法は使える)
ソニックフォームのフェイトが遠距離魔法とカートリッジを使えなくなったようなものです。

現在の実力は
クロノ>>ウィル≧フェイト>>なのは
実力差の要因は、左から順番に才能の差、経験と相性の差、基礎の差、となっています。



[25889] 第7話(後編) 光輪、そして対話の時間
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:29
「あなたは何者ですか」

部屋の外は明るく、かこんかこんと獅子脅しの音色が青空に響いているというのに、部屋の中は重苦しく、吐息の音でさえ澱のように床に溜まっていく気がする。
ウィルの寝かされていた一室には、彼を含め五人の男女が集まっている。ウィルは布団から上半身を起こし、その右側には月村忍と高町恭也が並んで座り、二人の後ろにはノエルと士朗が控えている。
第一声でウィルの正体を問い詰めるような発言をしたのは月村忍だ。ウィルと彼女はほとんど話したことはなかったが、年下に対しても格式ばった話し方をするほどお堅い人物ではなかった。しかし、今の彼女の言葉使いときたら、まるで初対面の人物のように丁寧で、加えてそのたたずまいからは警戒心がありありと感じられる。まるでというより、まさに不審者への応対そのものだ。
とりあえずとぼけてみる。

「どうしてそんなことを聞くんですか?」

「とぼけるつもりですか」

駄目だった。

「やだなぁ、そんなつもりはありませんよ。ですが、どんな理由で、どんな経緯があって質問しているのかを話していただかないと、おれも何から話せばいいのか迷ってしまいます」

何はともあれ、目の前の彼らがいったいどこまで知っているのか、それがわからない状況でうかつに返事はできない。
忍は少し思案すると、再び話し始める。

「そうですね。それでは順を追ってお話しましょうか。
 あなたという存在に疑問を抱いたのは、先日のお茶会の翌日です。その日の早朝に、ノエルが敷地内の森の木々が何本か切り倒されているのを発見したのです。それは普通ではありえない、大型の機械を用いない限り不可能な切り方でした。いえ、あのように綺麗な切断面が機械で作れるのか……。ともかく、その切り口は新しく、少なくとも数日以内に切られたことは確かです。
 森を散策したあなたが犯人だと思ったわけではありませんが、念のためにあなたについて調べさせたのです。その結果、ウィリアム・カルマン、あなたの名前と容貌に一致するような人物がこの国に入国した――という形跡はありませんでした」

(はったりか?)

この国は小さいが、普通は一般人が一国の入国管理を調べられるわけがない。月村の邸宅の威容を思い出すと、それができるほどの名家という可能性もあるが、それでもたかだかその程度でそこまですることはないだろう。できるということとやるということは同じではないのだから。
しかし、忍はその考えを見透かしたように、淡々と話し続ける。

「たったその程度でそこまで調べるのかとお考えですか?残念なことですが、月村には敵も多く、このような些事でも漫然と放置しておくわけにはいかないのです。まして、超常的な力が関わっている可能性があるとなればなおさらです。それに、最近大きな樹が街中に発生して消失するという不可解な事件もありましたし。
 それからは恭也と士朗さんにも協力してもらい、普段のあなたの行動を監視してもらいました。毎日のように一人で――時にはなのはちゃんと一緒でしたが――買い物や観光をするでもなく、ただ街を散策している。……少々不審ですが、危険というわけではなかったので警戒するだけにとどめておいたのです。
 しかしそれも昨日までのこと。もう、これ以上放置しておくわけにはいかなくなりました。
 恭也が怪我したあなたを連れて帰ったことは聞きましたね?では、なぜあなたのいる場所がわかったと思いますか」

(そうだ……あの場所にはおれ以外にはなのはちゃんとユーノ君しかいなかった。恭也さんが連れて帰ったということは、おそらくなのはちゃんが恭也さんに連絡したに違いない。
 ということはなのはちゃんから事情を聞いて全てを知っている?
 だとすると、これはその話が本当か確認しているだけなのか?)


しかし、その想像は恭也の発言によって否定される。

「悪いが、昨夜は尾行させてもらった。夜だというのに森の方へ歩いて行くのが見えて、どうにも気になったのでな。何事もなければすぐに戻るつもりだったが、道中誰かと話していたのが気にかかった。周囲には人一人いないというのに、携帯も持たずにいったい誰と、どうやって話していたのか。
 そして、その先で見た光景はいまでも信じがたい――そして、信じがたい光景の中には、なのはが空を飛び、忽然と消えるというものがあった。
 ……これで、俺たちがお前のことを聞きたい理由はわかっただろ」

なのはが消えたというのは、彼女が結界に侵入したからだろう。それ以外にも、少女と出会ってから結界が張られるまでのこと――使い魔が人間から狼に変身した光景なども目撃されたに違いない。

「お前だけの問題であれば、ここまで強引な手段をとることはなかった。しかし家族が関係しているとわかった以上、納得のいく説明がなければ俺もひくことはできない」

恭也からの圧迫感が強くなる。刀など持っていない(ように見える)にも関わらず、詐称すればその瞬間にウィルの体がずんばらりと二つにわかれてしまいそうな気迫だ。隣の忍も同じく。

「おれを連れて帰ったということは、その時になのはちゃんに出会ったということですよね。彼女からは何も聞いていないのですか?」

「出会ったさ。だが、なのはは話してくれなかった。自分では間違ったことをいってしまうかもしれないし、そもそも話していいのかわからないから、と」


「お二人とも、そうけんか腰ではいけませんよ」

いっそう重くなる空気を、中和するように穏やかな声が響く。
今まで控えていたノエルが、会話に加わる。

「気を悪くなさらないでください。
 お二人は問い詰めるようなことをおっしゃいますが、それはなのはお嬢様を心配しているからこそ。私たちはウィリアム様に積極的に敵対する意思はありません。ただ、この街で『何か』が起こっていて、それにウィリアム様となのはお嬢様が巻き込まれているのであれば、その『何か』を知りたいというだけ。そして、できることならそのお力になれれば――と考えているのですよ」

ウィルを気遣うようなノエルの言葉は、典型的な追い込み方、飴と鞭の飴の方だ。しかし、敵対する意思がないというのは本当なのだろう。もしも敵視しているであれば、忍と恭也も経緯を詳しく語ったりはしなかっただろう。特に恭也が魔法を目撃したことを黙っていれば、ウィルが適当なごまかしをした時に、その嘘を問い詰める切り札になっただろう。それを明かしたということは、彼らの誠意なのだろう。

どうするか。
この場から逃げる――という選択肢もある。結界を使えば彼らから逃げることは容易だ。しかし、いつまでも逃げ切れるとは思えないし、ウィルが逃げたことを知ってなお、なのはが黙っているとも限らない。それに、一緒に住んでいるはやてにも疑いの目がかかるかもしれない。

どうやら、事件が終わった後の事後処理が大変になるが、諦めて全てを話すしかないようだ。

「……わかりました。教えられる範囲になりますが説明します。そのかわり他言無用でお願いします」



そうして、ウィルはこれまでの事情を語り始める。そのあまりに突飛な話に、みな茫然とした顔をしている。

「異世界人相手でも第三種接近遭遇というのかしら……それはともかく、にわかには信じられませんね」

ため息をつくように、忍が言葉を絞り出す。それもそうだろう。忍たちも超常的な現象が起こっている以上、ある程度のぶっとんだ事情は覚悟していたが、今の告白はその予想をはるかに越えていた。
魔法という未知の技術の存在。多元世界を股にかける治安維持組織が存在し、ウィルはその一員ということ。現在この海鳴に魔法技術による危険物がばらまかれていること。ついでに、フェレットだと思っていたユーノが実は人間の少年だったということ(そのことを話した瞬間、恭也のこめかみがぴくりと動いたような気がする)
どれも突拍子もない話で、それが何個も一気に飛び出て来たのだから大変だ。学園ものがSFになったような突拍子のなさ。まだ秘密結社の工作員や超能力者という話の方が、この世界の人間にとっては信じやすいだろう。
とはいえ事実は事実。あとはこの事実をどのようにして信じてもらうか。しかし、たとえこの場で魔法を実演したところで、それは超常的な力を持っているという証明にはなっても、ウィルの言っていることが正しいという証明にはならない。

(どうしたものか――)


そう考えていたところに、士朗の思いがけない一言がかかる。

「そうか、それは大変だったね。私たちに何ができるかはよくわからないが、協力はおしまないよ」

それまで一言も発しなかった士朗の意外な発言に、全員が注目する。

「ん?……どうかしたか?」

「父さん、それは早計過ぎるんじゃないか」

恭也の一言に、ウィルも思わず追随してしまう。

「そうですよ。おれの話はどれも、この世界の常識ではありえないことでしょう?しかも、あなた方にはおれの説明が正しいかどうか検証する手段はない。
 それなのに、そんなにすぐに信用して良いんですか。いや、信用されないのも困りますけど」

士朗は困ったような顔で、頭をポリポリとかく。

「正直に言えば、きみが言うことが正しいのかはわからない。それ以前に、きみが何を言っているのかさえはっきりとわかったわけじゃないんだが……ウィル君はウルトラマンみたいなものだと思えばいいのかな?」

「ウルトラマンが何なのか知らないのでちょっと……しかし、わからないのならなぜ――」

「人を見る目はあるつもりだ。というとうぬぼれになるかもしれないが、昔取った杵柄とでも言うのかな、ウィル君が危険な人物かどうかはなんとなくわかる。恭也は、それは周囲を偽るための仮面で、きみがどこかの工作員であるという可能性もあると考えていたようだが、それも違うだろう。
 たしかに肉体は一般人とは比べ物にならないくらい鍛え上げられていて、軍人みたいだった。しかし、よく周囲を気にしていたようだが、気配の消し方や観察の仕方なんかは稚拙……失礼、一般人に毛の生えたレベルでしかなかった。つまり、潜入工作や諜報に関しては専門の訓練を受けたわけではない。
 まあ、何が言いたいのかというと、言っている内容はともかく、ウィル君が我々をだますような人間には見えないし、だますような技術があるとも思えない。だから信用できると思うんだよ」

「そこまでわかっていたのなら、言ってくれれば良かったじゃないか」と恭也がつぶやく。

「私が言ってもなかなか納得しないだろう?それなら、いっそのこと徹底的に調べるのもありかと思ったんだ。
 おそらく、反政府組織か非合法組織の構成員で、そこから逃げて来た……という感じだと思っていたんだが、いやはや、まさか魔法の国の軍人とは思わなかったなぁ」

そう言って、士朗はからからと笑う。他はみんな一様に疲れた顔をしている。
お互いに慎重になっていたのに、士朗が話したとたんになんだかみんな納得させられてしまった。そして、先ほどまでの慎重な言動をとっていたことが、なんだか馬鹿らしくなってしまった。
士朗はひとしきり笑ったあとで、みんなを見まわす。

「さて――原因はともかく、今ウィル君がこの街のために働いてくれていることに変わりはない。私たちもできるだけ力になろう。忍さんも、それで構わないかな?」

「はい。……ごめんね、ウィル君。あなたを問い詰めるようなことを言って」

「いえ、疑うのは当然のことですから。信じてもらえただけで十分にありがたいです」

「俺も悪かった……だが、一つ聞いておかなければならないことがある――なのはのことだ。
 昨夜の戦闘でなのはが乱入して来たと言ったが、あいつは戦場に出るつもりなのか?」

恭也の口調は相変わらず詰問に近いものだが、先ほどとは異なりその言葉からはとげとげしさが抜け、純粋に妹を案じていることがわかる。

「それはまだわかりません。おれもいろいろ聞きたいこともありますから、呼んできてもらえませんか」

その言葉には、士朗がうなずく。

「わかった。だが、その前に昼食をとりなさい。話はその後ですれば良い。
 そうそう――なのはは戦いというものを知らない。きみから見ればずいぶんと甘い考えを言うだろう。しかし、親バカと思うかもしれないが、なのはも決して思いつきで行動する子ではない。戦場に突っ込んで行ったのは、あの子なりの考えがあったからだろう。だから、できればあの子のことを一蹴せずに、聞いてやってくれないか。
 そして、二人で話し合ってほしい。
 二人が決めたことなら、どんな結論になっても私は反対しないよ」

「さて、では俺はユーノにいろいろと聞いておくとしよう。フェレットの姿とはいえ、同じ部屋に寝泊まりというのはいただけない」


  *


食事が運ばれるまでの間、肉体とデバイスのチェックをおこなう。肉体には幸い目立った異常はなかったが、デバイスはそうはいかなかった。エンジェルハイロゥは無事だったが、防御に用いたシュタイクアイゼンはうんともすんとも応答しない。全壊ではないが、おそらく部品を交換しないと直らないだろう。つまり、管理局が来るまでは壊れたまま、ということだ。丈夫さが取り柄だったこのデバイスがここまで破損させられることに恐ろしさを感じるが、問題はこれが使えないとウィルが大幅に弱体化してしまうということだ。

半時間ほどすると、仲居さんが料理を運んできてくれたので、早速いただくことにする。

「さて……これからどうするかなぁ……あれ、くそっ……うまくとれないな」

ウィルが格闘している相手は冷奴だ。最近は箸の使い方にもなれてきたのだが、先ほどから豆腐を掴もうとするたびにあっさりと崩れてとれない。やっきになって力を入れると、余計に崩れる。

「おかしいな……はやての味噌汁のやつはとれるのに……ああっ、また崩れた!ファック!!」

先ほどまでの問答で緊張していたからだろうか、こんな些細なことでどんどん怒りがたまり、自分の顔がこわばっているのがわかる。結局全ての豆腐がばらばらに崩れて残骸だけが残る。憤怒に満ちたこの気分をかえようと、視線を横にそらした時、ふすまを開けて部屋に入ろうとしていたなのはと目があった。

「ひっ!!ご、ごめんなさい!!ごめんなさい――」

なのはは、般若のような顔のウィルを見て、昨日のことで怒っているのだと勘違いして平謝りする。結局それが誤解だと説明するのに長い時間を要した。


ようやっと落ち着くと、今度は会話がなくなった。先ほどまでは、すぐにでも昨夜の行動の意図を問いただすつもりであったのに、なんだか疲れてしまい積極的に問いかける気もしない。続く沈黙も気にせず、ぼんやりとする。
その沈黙に耐えかねたのか、なのはの方からおずおずと声をかけてきた。

「あの、体は大丈夫ですか」

その言葉に意識を引き戻され、頭がまわり始める。

「ああ。体は今日一日休めば大丈夫だよ……そういえば、おれが気を失ってから何がどうなったんだ?ジュエルシードとあの子は?」

「それは――」

~~回想開始~~

ウィル「ぐへぇ」
なのは「ウィルさん!!今助けに――お、重くて受け止めきれないの」
ユーノ「大丈夫かい、なのは!」
なのは「あれ、あの子は?」
ユーノ「あの子と使い魔はジュエルシードを回収して逃げたみたいだよ」
ウィル「(ぐったり)」
ユーノ「大変だ!とにかく、旅館まで連れて帰らないと」

(結界解除)

恭也「なのは、お前……」
なのは「お、お兄ちゃん!なんでここに……えっと、これは――」
恭也「倒れているのはウィルか……目立った外傷はないな。良かった、気を失っているだけだ。事情は後で聞く、まずは旅館まで連れて帰るぞ」

~~回想終了~~


「――ということがあって」

「……あー、だいたいわかった……かな?
 でも、その後お兄さんに魔法のことは話さなかったんだね」

「はい。わたしだとうまく説明できないと思ったし、ユーノ君も話していいのかわからなかったから……」

「うん、良い判断だ。
 それじゃあ、昨日あんなことをした理由を教えてくれないか」

「……戦いを止めるつもりだったんです」

それからなのはが話したことを要約すると、あの少女とお話しをするために戦いを止めようとした、ということらしい。

「なんでわざわざそんな危険なことをしようと思ったんだ。きみと同じくらいの年齢とはいえ、相手は強力な魔導師だ。危険だということはわかっていただろ」

「あの子……すごく悲しい瞳をしていたんです」

「目?」少女の目を思い返してみるが、感情を排除したような無気力な目をしていたように思える。なのははその奥に隠された感情を読み取ったとでも言うのだろうか。
だとすると、あの親にしてこの子あり。観察力が優れているというか、目のつけどころが違うというか。

「はい。きっとあの子も本当は戦うのが嫌で……でも、大切な理由があるからジュエルシードを集めていると思うんです。だから、わたしはあの子とお話したい。何も知らずに戦うんじゃなくて、お互いの事情を話し合って、納得できるような方法を選ぶべきだと思うから――これがわたしの理由です。
 でも、一晩考えて、それは少し間違ってたのかなって。あの子とお話ししようとする前に、わたしにはお話ししなきゃならない人がいたんだって」

そして、なのははウィルの目をじっと見る。

「あの、ウィルさんの戦う理由を話してくれませんか。
 ウィルさんがジュエルシードを集めに来たってことは知ってます。でも、それ以外のことは全然知らないから。だから、何をしたいのか、あの子のことをどう思っているのか、そういうことをお互いに全部伝えて、これからどうするのかを話し合いたいんです。
 お話っていうのは――わたしがあの子としたいことはそういうことです。そして、あの子よりもまず、一緒にいるウィルさんとお話をしなきゃならなかった。それなのにあの子のことばかり考えて、それをしなかったのがわたしの間違いだと思うんです……けど……
 あの、わたしおかしなこと言ってますか?」

考えていることを一気に話した後、自分の言っていることがちゃんと伝わっているのか、そして支離滅裂になっていないのかが不安なのだろう。そわそわしながら確認してくる。

「……いや。そうだね、仲間内で意見を統一するのは大事なことだ」
(……そうだよな。こんなことは基本中の基本じゃないか。なんで今までしなかったのかなぁ)

おそらく、ウィルはなのはのことを仲間とは、対等とは思っていなかったのだろう。守ると言えば聞こえはいいが、それは自分よりも下に見ているということ。もしかしたら、ウィルは無意識になのはとこの世界を見下していたのかもしれない。
本当に相手のことを考えるのであれば、戦わせたくないにしても、それを自分だけで決めるのではなく相手に理解してもらうことが大切だ。そして相手の考えも理解して、お互いの納得できる結論を出す。
それが、なのはの言う『お話し』なのだろう。

(敵のあの子相手はともかく、味方のなのはちゃんとは、しっかり話し合うべきだったな……そういえば――)

昨夜のユーノとの会話を思い出す。なのはの気持ちを考えずに勝手に自分たちで決めて、おれたちイイ男!なんて言ってたことを思い出して、恥ずかしさで布団にもぐりたくなる。記憶を消したくなる。
あれこそ究極に自己満足。

(ちょっと死にたい……)



「大丈夫ですか。どこか痛むんですか?」

いきなり目の前でがくりとうなだれたウィルに、なのはが心配そうに声をかける。
ウィルは顔を上げ、そんななのはの顔をしっかりと見据えて、口を開く。

「おれの考えを全部話してると時間がかかる。だから、おれたちのこれからにとって、最も重要なこと――あの子についてのおれの考えを話そうか。
 おれはあの子と話し合おうとは思わない」

なのはの目を見ながら、はっきりと宣言する。今までであれば、こんなことを言えばなのはが反発を覚えるだろうと考え、その場ではごまかして、実際の戦いではなのはの意見など無視して行動していただろう。

「おれも人の子だから、相手が良い人や知人ならできる限り助けてあげたい。でも、あの子がやっていることは、おれたちの世界の基準で考えると犯罪だ。
 あの子は、ロストロギアであるとわかった上でジュエルシードを無断で収集し、おれが管理局員だとわかった上でこちらに攻撃して来た。だからあの子が絶対悪だ――っていうわけじゃない。管理局も所詮は単なる組織で、絶対のものではないからね。
 ……もしかしたら、なのはちゃんにとっては、おれもあの子もやっている同じように見えているんじゃないかな?」

その言葉になのはは頷く。
なのはの、そしてこの世界の住人の視点では、ウィルと少女はどちらも同じなのだ。理由はともかく、二人ともこの街に落ちた危険物を回収してくれているのだから。その行為が犯罪かどうかというのは、あくまでも管理世界の基準である。

「やっぱり……だからなのはちゃんはあの子を助けることにそれほど抵抗感を感じないのかな。でも、おれにとっては違う。たとえば、もしきみが警官だったとして、目の前に爆弾を持っていこうとする人がいたらどうする?――止めるだろう?
 もちろん、その人にも何か事情があるのかもしれないが、それは捕まえた後で聞けばいい。情状酌量の余地があれば、しっかり減刑されるさ。
 つまり、あの子が敵である以上、まずは捕まえることを優先させるべきだ――っていうのがおれの考え」

しかし、なのははかぶりを振る。

「ウィルさんの言ってることが正しいのはわかります。
 でも、おかしいって思うかもしれないけど、わたしはあの子が悪いことをしているとわかっていても、それでも話をしたいんです。戦うのもぶつかり合うのも仕方がないことかもしれない。でも、その前に話し合えば、もしかしたら戦わなくても良くなるかもしれないから」

ウィルとなのはの意見は相いれない。信条や思想面では意見を変えることができないと考え、話し合うということの実現性について話し始める。

「そうは言ってもな……あの子とはもう二度も戦った。しかも、昨夜の戦いはお互いに本気。相手が死んでも仕方ないって考えながら戦っていた。それくらいに決定的に対立しているんだよ。
 それなのに、次に出会った時に、いきなり話し合いたいって言っても信用されないよ。いや、それ以前におれはデバイスが壊れてしまったから、あの子と戦ってもおそらく勝つことはできない。目的が相反する者たちの交渉や話し合いは、お互いに対等な立場、対等な力を持っていないと成り立たないんだ。そして、今のおれはあの子と対等じゃない。
 話し合うっていうのは、もう無理なんだ。だから、今は諦めてくれないか」

「それなら、わたしだけで出るのはどうですか。わたしは弱いけど、まだあの子と戦ったわけじゃないから、もしかしたら話を聞いてくれるかも……」

「……危険すぎる。なのはちゃんの機動力だと、もし相手が襲ってきたら逃げることもできないよ。それでも言っているのか?」

「はい。わたしは、あの子とちゃんとお話しがしたい――ううん、やらなくちゃだめだと思うから」

「頑固だねぇ……」

士朗たちには信用してもらったという義理がある。それを考えるなら、なのはの意見を採用してあげたい気もするが、そう簡単な問題でもない。なのは一人ではどうやってもあの少女には勝てない。説得できるというわずかな可能性にかけて、なのはを死地に放り込むのは、逆に義理を踏みつけて肥溜めに放りこむような行為だ。
それに、少女に加え、使い魔もいる。

(……そうか、使い魔がいたな)

「なのはちゃんの目的は話し合うこと……少し譲ってくれるなら、話し合いの場を提供できると思う」

「本当ですか?」

「おれが考えた策はこうだよ。
 ジュエルシードが発動して、あの子とその使い魔が現れる。まずは、なのはちゃんが話しかければ良い。そして、話しあえずに戦いになった場合は、おれが使い魔と戦う。そして、なのはちゃんがあの子と戦うんだ。勝つ必要はない。ジュエルシードが取られないように守り続けてくれればそれで構わない。なんだったら、その間にあの子を説得し続けても良いくらいだ。
 その代わり、絶対に負けてはいけないし、ジュエルシードをとられてもいけない」

「わ、わかりました。でも、それって終わりがないんじゃ……」

「本命はおれと使い魔の戦いだ。なのはちゃんが戦っている間に使い魔を倒して、その身柄を取引の材料にして、無理やり交渉のテーブルに着かせてやるのさ。
 譲ってほしいっていうのはこれだよ。話し合う前段階として、なのはちゃんがあの子と戦うこと、そして俺があの子の使い魔と戦い、多少は傷つけることを受け入れてほしい」

なのはの希望は、『戦わなくてすむかもしれないから、話し合いたい』
ウィルの提案は、『話し合うために、まずは戦う』
それは手段と目的が入れ替わっているように感じられるかもしれない。しかし、完全に逆転しているというわけではない不思議な提案。
最善(ベスト)を志すのがなのはの希望であるなら、ウィルの提案は次善(ベター)を目指すもの。
百を助けるためなら、一を切り捨てるという、管理局のやり方に通じることもある。

なのはは、目を閉じてじっと考えている。お互いに何も言わない、静謐な世界。
何分たったのだろうか、なのはは目を開く。その瞳には決意。
柘榴石とは思えない程の強い輝き。

「わかりました」

二人は、顔を見合わせ、お互いにうなずいた。



静謐な世界を崩すように、明るい声でウィルが言う。

「決意してくれた後で言うのは気が引けるけど、実は他に二つクリアしなきゃならないことがあるんだ」

「どんなことですか?」

「なのはちゃん一人であの子と戦っても、ほとんどもたない。……そこでユーノ君もなのはちゃんと一緒に戦ってもらう。だから、彼ともお話しして協力してもらわないとね」

「は、はいっ!!……そうだよね。ユーノ君も仲間なんだから、お話ししないとなの」

お話し……ウフフ、と笑うなのはに少々ひきながらも、もう一つの提案をする。

「それから、朝から晩まで魔法と戦闘の訓練をすること。そして、おれが対空戦魔導師の仮想敵になって模擬戦をするから、そのおれを倒すこと。
 今のおれは射撃魔法が全く使えない。そんなやつの相手もできないようではあの子の前には立たせられないからね」

「あの、学校はどうしたら?」

「当然休んでもらう。戦いは命がけなんだ。それが嫌だっていうのなら、残念だけど――」

「やります!!大丈夫です!!」


  **


その後、はやてと共に見舞いに訪れたユーノに、なのはと共に闘ってくれるかと尋ねたところ、自身が戦うということよりもなのはが戦うことについてひと悶着があった。それはそうだろう、一緒になのはに手をひかせるために説得しようと約束したのに、一晩たったら全くの逆に方針転換していたのだから。話し合いの末、最終的になのはの熱意に負けて協力を約束してくれた。

その夜、なのはとユーノと共に、高町家と月村家にあらためて事情と今後の予定を説明した。意外なことに強く反対するものはおらず、なのはが自ら意思表示をおこなうと、みなそれを受け入れてくれた。学校も一週間という期間限定だが、休むことを許可してくれた。戦いを知っている者たちだからこそ、中途半端はよくないと思ったのだろう。

寝る頃になって、高町夫妻がウィルの部屋に訪れた。何事かと思えば、二人は「なのはをお願いします」と頭を下げた。
子を思う親の気持ちに触れて、少しミッドチルダが恋しくなってしまった。


翌日は目覚めて朝食をとって、みんなで温泉に入って、車にゆられて家に帰った。
かくして、波乱万丈だった二泊三日の温泉旅行は終わりを告げる。




(後書き)
八神家の味噌汁は木綿豆腐です。旅館の冷奴は絹豆腐。

本来はこれを八話にするつもりだったのですが、温泉旅行期間のできごとなので七話に入れました
それに伴い、七話後編を中編に変更し、これを後編にしました。



[25889] 第8話(前編) 運命、いまだ準備期間
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:30
高町家は大きい。

高町夫妻の経営する喫茶店『翠屋』は商店街の一角に位置し、高町家はその近くという良い立地条件でありながら、その敷地は広い。一軒家は五人の家族それぞれに個室を与えてなお余裕のあり、庭には池がある。そして、敷地内には小規模ではあるが道場も存在している。
そんな高町家は、ここ数日、朝も早くから客人を迎え入れている。
今もまた、インターホンの前に人影が二つ――それは、ウィルとはやてだ。

なのはの特訓は温泉旅行から帰ったその日から始まり、今日で四日目になる。
ウィルは最近朝から晩まで高町家にお邪魔しており、その時にははやてもついてきて高町家の家事や翠屋を手伝っている。「うちの居候がお世話になってるんやから、このくらいせんとあかんよ」と笑って言うが、居候させてもらった上にそこまでしてもらうと、ありがたいを通り越して申し訳ない。
ウィルははやてに対して、そろそろ本格的に頭が上がらなくなってきた。何らかの形でお返しをしなければと、目下検討中だ。


なのはは午前中はユーノによる座学。午後からはサーチャーと誘導弾の練習。そして晩には、ウィルを相手に対空戦魔導師の戦術を学んでいる。
一方ウィルはというと、なのはを指導する晩までの間は、もっぱら恭也と組手に明け暮れている。

たった数日の特訓がどれだけ役に立つのかはわからない。
そもそも、管理局の部隊が到着すれば、現在進行形で法を犯し続けている少女に対して話し合いをしたい――などという考えを許しはしないだろう。そうなればこの特訓は無駄になる。
ジュエルシードがこの街に落ちてから、もうじき一カ月。今すぐにでも管理局が来てもおかしくない状況であり、そもそもジュエルシードの危険性から考えると、もっと早くに管理局が来なければいけない事件だ。

ともかく、少年と少女は、無駄になるかもしれないという一抹の不安を抱えながら、今日もまた特訓を続けている。
これはそんな非日常な日常の風景。


  *


午前中――ウィルと恭也。
高町家の道場には、床を蹴る音、手足が風を切る音が途絶えることなく響いている。ジャージ姿のウィルと恭也が、すでに組手を始めているからだ。

互いに素手であるのは、ウィルの武器、片刃剣型デバイス『シュタイクアイゼン』が先の戦闘で壊れてしまったから。
空戦と近接戦に必須の魔法――飛行と肉体強化はデバイスがなくとも問題ないが、射撃魔法はデバイスに頼り切りだったので使えない。そして、武器がないので当然武器を用いた攻撃魔法も使えない(ついでに、防御系の魔法も効果が落ちている)
壊れていない方のデバイス、『エンジェルハイロゥ』は飛行補助専門のストレージデバイスなので、他の魔法はインストールしていない。
そう言った理由で、管理局が来て修理されるまでは、素手で戦わなければならないのだが、それにはちょっとした不安がある。学校でも部隊でも、格闘の訓練はあった。しかし、この世界に来てからは模擬戦の相手がいなかったので、勘が鈍っているかもしれないということだ。

そこで、御神流なる武術を修めている恭也に稽古をつけてもらうことにした――と言っても、たかだか一週間程度の稽古で御神の技を覚えられるわけもなし。そもそも急に戦い方を変えても弱体化するのが関の山だ。なので、組手では勘を取り戻すことだけを目的にしている。


恭也の動きは恐ろしいほど速い。それは体を動かす速度だけの問題ではない。
ウィルは相手の挙動を観察し、先の動きを予測し、対応する戦術をたて、そして体を動かしているが、それに比べて、恭也は相手の動きを見た瞬間には自動で体が動き始めている。
それが武術の強み。繰り返される反復練習によって――『こんな』状況なら『こんな』風に攻める、『こう』来たら『こう』返す――という『型』が完成している。『技』と言い換えても良いが、それは一瞬の躊躇が命取りになる戦いにおいて、圧倒的なアドバンテージとなる。
たとえるなら、客が商品を注文した時、ウィルは注文を聞いてから急いで品物を作り始めるのに対して、恭也は商品を並べた棚から必要な完成品を選び出しているようなもの。

では、まったく相手になっていないのかというと、そうでもない。
今、ウィルは恭也の攻撃を無理やり避けたせいで、体の重心が浮いている。この状況では、恭也に追撃をしかけられても避けきることができない。また、腕や足の力だけで攻撃するしかなく、体重ののった攻撃ができないので、迎え撃つこともできない。
普通ならば詰みの状況。
だが、恭也は追撃しない。恭也はこの状況で、ウィルが必殺の攻撃ができると知っているから。

ウィルの魔力変換資質:キネティックエネルギーは、魔力を運動エネルギーそのものに変える能力。そして、その運動エネルギーによって肉体を強制的に動かすことで、いつでも、どんな状況でも、溜めもなしに体を動かせる。
肉体に運動エネルギーという動力を与えて動かすこの使い方を、ウィルは『肉体駆動』と呼んでいる。ただし、正しい動きで肉体を動かすわけではないので、筋肉にかかる負担が大きく、あまり乱用はできない。だからこそ、ウィルは魔力変換資質の使い道を、肉体駆動を用いた近接格闘型ではなく、エンジェルハイロゥを用いた高機動空戦型とした。
しかし、知らない相手には初見殺しになり、知った相手には使わずとも存在するだけ抑止力になる優れた能力だ。
もっとも、次元世界では格闘戦をおこなう者が少ないので、重要性は落ちる。遠距離魔法の前では、何の意味ももたないからだ。


体勢を立て直したウィルは、決着をつけるために踏み込み、右拳を振るう。
それを回避する恭也に、今度は左拳が振るわれる。
恭也はさらに回避し、ウィルが拳を引く前に懐に入ろうとするが、ウィルの拳はすでに引き戻されていた。
そして、間髪いれずにウィルの二撃目が放たれる。

肉体駆動で全力の一撃を放ち、放った直後に肉体駆動で瞬時に拳を引く。
そして、肉体駆動で再び拳を放つ。
機関銃のように途切れない拳の雨。
それを見た恭也が北斗百烈拳を連想したかは定かではないが、ともかく傍から見ればそんな光景。
腕だけをちょこちょこと動かしているように見えるが、その一撃一撃が全力の拳。
避けることさえままならぬ無敵の連射。

これならばいかに恭也とて対応できまい
――と思っていたが違った。

恭也はウィルの右拳が伸びた瞬間に、避けながら右手でウィルの右腕を掴みとる。
そして、そのままウィルの右外側に回り込み、左手でガラ空きのウィルの肝臓に突き刺さるような一撃を撃ちんだ。
どれだけ体が自在に動かせるとしても、人間の体の構造を越えた動きはできないので、その一撃を防ぐことはできない。
ウィルの体は硬直し、その瞬間に恭也が掴んだままの右腕をひねる。
それでウィルの体は一回転し、床にたたきつけられた。


組手の後は、二人で先ほどの一戦の検討。
そして、今はそれが終わった後、肉体駆動を使いすぎたウィルの腕を休ませるために座り込んで休憩している。

「やっぱり勝てませんね。……自信をつけるためにも、せめて一回くらいは勝ちたいなあ」

「だが、動きは次第に良くなっている。それに、その年齢でそれだけできれば上出来だ。最後の攻撃にはひやりとさせられたしな」

そう言いながら、恭也は用意してあったスポーツドリンクをウィルに投げ渡す。

「ありがとうございます。でも、おれは肉体駆動がなかったら手も足もでませんからね」

ウィルはちびちびと飲みながら語り、恭也はそれに苦笑する。

「自分を卑下するな。生まれ持った能力を使うことに、恥ずかしいことなど何一つない。ましてや、それを活かすような訓練をしてきたのなら尚更だ。
 ……それに、俺もさっきはちょっとした裏技を使ったからな」

「裏技?」

「ああ。神速という技なのだが……ウィルは世界がスローモーションに見えたことはあるか?」

「片手で数えられるくらいでしたら……」

「神速は、それを意識的にそれを引き起こす技だ。凍りついたモノクロームの世界の中をコマ送りで動いているような感じ――といえば想像できるか?
 それを使った状態でなければ、ウィルの右腕は掴めなかった」

「それは凄い技ですね。ぜひとも覚えたいところですが……無理ですよね」

「ああ。何年、もしかしたら何十年かかるかわからないうえ、そこまでしても素質がなければ習得できない。御神を受け継ぐつもりでなければ、他の技を覚えた方がよほど効率が良いだろう」

「でしょうね。そもそも、簡単に強くなれれば苦労しませんし」

少しずつ、確実に強くなるために、ウィルと恭也は再び組手を始めた。



それからも何回か組手をおこなった二人は、腹の虫に導かれて高町家の食卓にやってきた。今日の昼飯ははやてが作ったものだ。しかし、食卓には恭也とウィルの分以外は置いてなかった。

「あれ、みんなはもう食べちゃったの?」

「二人が来るのが遅いんよ。今何時やと思てるん」

時計を見ると、すでに二時近くになっていた。

「少し熱中しすぎたみたいだな」

「まあ、ええです。すぐに温めなおしますから。それより、今日はどうやったん?」

「今日は五敗。これで通算二十八戦二十八敗だ。勝てる気がしなくなってきた」

しかし、恭也は少し物憂げな表情を浮かべる。

「だが、組手でどれだけ勝ったところで、魔法を使われると勝てないだろう。
正直悔しいな。これだけ鍛えたものが通用しないというのは」

恭也が言っているのは、もし魔法を使ったウィルと戦えば、という仮定の話だ。
ウィルは、組手では強化魔法を使っていない。いつものように肉体を強化すれば、その拳はセメントを容易く砕き、踏み込みの反動で道場の床が割れる。そして、先ほどはとどめになった恭也の攻撃も、魔法で強化していれば簡単に耐えられただろう。
それもむべなるかな、本来のウィルの戦い方――音速を越えた速度で相手を斬りつけるような戦いでは、強化魔法は必須の技能だ。不十分だと、斬った時の反動で手首がぽきりと折れてしまう。それで済めば良い方で、腕ごと吹き飛ぶこともあるだろう。
ウィルに限らず、近接型の魔導師の肉体強化は、もはや人類という種の限界を軽々と凌駕している。
ということで、強化魔法を使うと勝負にならないので、組手では魔法を禁じている。ただし、肉体駆動は別だ。それも禁止してしまうと、戦い方自体を変えることになってしまうので、それはそれで訓練の意味がない。

このように、魔法という力を持つ者と持たざる者の差は、非常に大きい。管理世界は地球の日本と同じように、人類みな平等を謳っているが、一部の知識人はベルカが存在した頃のように、魔導師を特権的階級に置いて区別した方が社会全体の秩序は守られる――と言う者もいる。


「そんなことはないぞ」タイミングよく、士朗が部屋に入ってくる。

「父さん、翠屋はどうしたんだ」

「もう少ししたら忙しくなるだろうから、はやてちゃんに炊事場を手伝ってもらおうと思って、迎えに来たんだ。
 それにしても、面白そうな話をしているじゃないか。
 たしかに魔法を使われると、私も勝てないだろうな。しかし、魔法がありなら、こちらも拳や刀のみで戦う必要はないだろう?こちらも対抗できる手段を持てばいい。
 例えば閃光弾なんかはどうだい?」

その後、士朗を含めて魔法を打ち倒すための方法が検討された。士朗の提案である、閃光弾などで視覚や聴覚を破壊することで弱体化させるという案は実際に効果的だ。音や光をシャットアウトする魔法もあるにはあるが、それを使うということは、結局自分の視覚や聴覚を封じることとになるので、まともに戦えなくなってしまう。
飯を食しながら、そんな物騒な話を続ける男どもに苦笑いを浮かべながら、はやてはつぶやく。

「なのはちゃんたちとはえらい違いやなぁ……って、そろそろ行かんと」


  **


午前中――なのはとユーノ。
なのはの部屋は、薄いピンクを基調に暖色系で整えられている。かわいらしくありながらも、過剰な装飾や派手な色彩を用いず、実用的な物が多いところに、本人の人柄が見える。大きな窓から入る朝日は、部屋の中を隅々まで照らしており、あえて照明をつける必要がないほどだ。
その部屋で、なのはは窓際の学習机に座って、ユーノの魔法講義を受けていた。その内容は魔法の原理の説明だけではなく、魔法を構成するためのプログラムに必要な理数系の問題を解く、というのもある。
しかし今、なのははぐでんと机に突っ伏しており、机の上に乗っているフェレット姿のユーノがどうしたものかと困り果てている。

「もう疲れたの……」

なのはが先ほどまで解いていたのは、ユーノ手製の数学問題集。
なのはは理数系を得意としており、その成績は学年でも最上位だが、それはあくまで小学生レベルの話。ユーノが教えている内容はそれをはるかに超えている。地球とミッドチルダで、数学に本質的な差がないことが救いだが、それでも時折地球にない数学記号が出て来るので、それがなのはをよりいっそう困惑させる。

「しっかりしてよ、なのは。まだ朝だよ」

「その朝が一番つらいの……ねぇユーノ君、理論がわからなくても、魔法は使えるんだから、もういいんじゃないかな。それより、もっと魔法の練習をした方が――」

ユーノは首をふって、それを否定する。

「確かになのはの魔法構築能力はすごいよ。レイジングハートの補助を受けてるとは言え、感覚だけでここまで自在に構築できるのは、天才だと思う。
 でも、感覚だけで構築しているからプログラムに無駄が多い。今よりも魔法の発動を速くするためには、理論を理解してプログラムを修正しないと。ウィルさんも言ってたじゃないか、高速機動型を相手にするならコンマ一秒でも早い方が良いって」

「……わかった。頑張る」

なのははうつむいた顔を上げると、ユーノをおもむろに掴む。

「ちょ、ちょっと! 何するんだい!?」

「疲れた頭を治すために、ユーノ君に癒してもらおうと思って。……ああ、お腹の毛が柔らかいの」

そう言うと、なのははユーノの体をなでまわし始める。

「ちょ、やめて……アハハハハハ、くすぐったいよ」

両手でわしゃわしゃとユーノをもふる。されるユーノも、弱いところに触れられてしまったのか、笑ってまともに呼吸もできない。

しばしの間、なでまわし続けたことで、なのはも癒されたようで、頭がようやく正常に動き始めた。
しかし、正常に戻った頭は、先ほどの自分の行動を思い返してしまう。
フェレットの姿をしているとはいえ、ユーノは本来は人間。
それをなでくりまわしていた、というのは男の子の体をまさぐっていたということだ。

(わ、わたし、ユーノ君のどこを触ってたんだろう)

今さらながら自分の行動に恥ずかしくなって、なのはは顔を朱に染めた。
急に大人しくなったなのはを不思議に思い、ユーノが声をかける。

「どうかした?」

「なんでもない! なんでもないの……そ、そういえば、どうして勉強の時のユーノ君はフェレットさんのままなの?」

なのはは話題をそらそうとして、適当な質問をする。
しかし、その質問を受けて、今度はユーノが(フェレットの顔色はどのようにして判断するのかわからないが)顔を赤くした。
人間だとばれて以来、ユーノは高町家では人間の姿でいることが多い。食事時は今まで通りフェレット姿でいることで食費を減らそうと思ったのだが、なのはの母親である桃子に「子供はしっかり食べなきゃ」と言われて以来、人間の姿で、人間の食べ物を食べている。
ちゃんと風呂にも入るし、寝る時も空いている部屋に布団を敷いて寝ている。
ときおり、桃子や美由紀がなでまわしたいという時はフェレットになるが、それ以外では人間の姿だ。

なぜ、なのはに講義している時はフェレット姿なのかというと、その原因は初日にある。
今のようになのはは机に向かい、ユーノ手製の問題を解いていた。人間ユーノは横に立って、なのはの答案を覗き込みながら指導していたのだが――

ユーノがふと横を向くと、なのはの横顔がすぐ近くにあった。
そして、思った以上に自分たちが密着していたことに、今さらながら気がついた。
少し開けた窓から入った風がなのはの髪を揺らし、ツインテールがユーノの頬をなでた瞬間、なんだか気恥ずかしくなってしまい、とっさにフェレットに変身してしまった。
以来、ユーノはフェレット姿で机の上にのって指導しているのだが、そんなことを正直に言うわけにもいかず、適当にごまかす。

「……この姿の方が怪我の治りが早いからね。変身魔法は変身後の生物の姿、その理想的な健康状態を保とうとするから、回復効果が強いんだ」

魔法の説明はともかく、理由は当然ごまかしである。そもそもユーノの怪我はもう治っている。

「そうなんだ……わたしも覚えてみたいな」

「あんまりおすすめはしないよ。動物への変身魔法は覚えるのに時間がかかるし、古代の魔法をミッド式でエミュレートしているだけで、原理にはまだわからないところも多いんだ。
 僕は遺跡の調査で、人が通れないような狭いところに入る必要があったから覚えたけど、普通の人にはあまり使い道のない魔法だよ。変身魔法を悪用して、潜入とか監視をする魔導師もいるから、覚えているとあらぬ疑いをかけられることもあるらしいし……」

ユーノの魔法、トランスフォームはただの変身魔法――姿を変えたように見せる――ものとは根本的に異なっている。なぜなら、人間の肉体を完全に動物に変化させているからだ。
一説には、変身魔法はデバイスの展開と同じ原理だと言われている。
デバイスは待機時は携帯できるような小さな形状をとっているが、展開時は待機時よりもはるかに大きくなることが多い(なのはのレイジングハートはビー玉サイズの赤い宝石から杖に、ウィルのエンジェルハイロゥはリングの形状をしたネックレスからブーツに変わるように)
これは、待機時にはパーツをデバイス自身の中に圧縮して保管し、その上で恒常的に重量を軽減する魔法をかけることによって、このような不可思議を成立させているからで、変身魔法もこれと似たような理屈だと思われている。だが、完全には解析されているわけではない。
一般的に使われているような魔法には、このように原理はわからないけど、実際に使えるのだから利用してしまえ、というものが多くある。思考停止と取るか、したたかと取るかは評価がわかれるところだ。

「そうなんだ……でも、変身魔法って一番魔法少女っぽい気がする。これからは魔法少年ラディカルユーノでいけばいいと思うの」

「大丈夫? まだ頭が治ってないの?
 とにかく、今はあの子と戦えるようになるために、できることをやっていこうよ
 他の魔法が使えるようになりたいなら……こ、この事件が終わった後で、僕が教えてあげるから」

「そうだね。それじゃあ、勉強の続きをよろしくね、ユーノ君」

「うん、一緒に頑張ろう」

二人は顔を見合わせ、にこりと笑い合った。

『Sugary.(甘ったるい)』

二人に聞こえない程度の音声で、ベッド脇の籠に入れられたレイジングハートはつぶやいた。


  ***


夕刻。
日が暮れるころには、ウィルたちは車で月村邸へ向かう。月村家の敷地、その上空を借りて飛行訓練をおこなうためだ。
広大な私有地は街から離れており、そのほとんどは森と山なので、空を飛んでも誰かに見つかることはない。加えて、一度ジュエルシードが見つかった場所なので、ジュエルシードを探しに『偶然』少女がここに来るという可能性も少ない。
市街地で空戦訓練を行おうと思えば、人目を気にして結界を張る必要があるが、そうすると少女たちに感知されて乱入される可能性がでてくる。いずれは戦うつもりなので来るのは大いに結構だが、特訓で消耗しているところを叩かれると危険だ。

ウィルとなのはは森の上に浮きながら向かいあう。ユーノは、なのはの肩に捕まっている。
なのはは、まず十数個のサーチャーを夜空に配置する。

「さて、今日はあの子の高速移動に対応する訓練をするよ。これの出来次第では、あの子との戦いを取りやめるかもしれないからね」

「えーーっ!」

「さて、この訓練は、高速移動からの近接攻撃への対応を身につけることが目的だ。
 今からおれは普通に飛びながら、時折高速でなのはちゃんに接近して、体にさわろうとする。それを回避するのがなのはちゃんの目的だ。
簡単に言えば鬼ごっこみたいなものだよ。
 おれは遠距離魔法を使えないけど、だからと言って備えを怠らないこと。実戦では確実に使ってくるからね。
 ……それじゃあ行くよ」

ウィルは、ふらふらと、なのはの周囲を飛び回る。
そして、エンジェルハイロゥの出力を調節し、少女の高速移動と同程度の速度で突然移動する。直進ではなく、一旦なのはの視界から外れるように右に移動し、それから下に回り込み、最終的に下方から接近し、なのはの足を掴もうとする。

「レイジングハート!」
『Flash Move』

なのはは一瞬で左に三十メートルほど移動して、それを回避する。
なのはの高速移動魔法、『フラッシュムーヴ』
少女の高速移動と同様に連発できない上、移動距離も大したことはない。それでも、瞬間的な加速能力は高く、回避に用いるには申し分ない。

「良い感じだね――それじゃあ、どんどん行くよ」

回避されたウィルは、四秒間は通常の飛行をおこなう。これは少女との二度の戦いから想定される、高速移動が再び使えるようになるのに必要な時間だ。
そして、ウィルはなのはに触れるために、再び移動を開始した。



「嘘だろ……」

あれから十分。その間、ウィルはなのはに一回も触れることができなかった。
ウィルの動きを眼で追っているわけではない。なのはの動体視力は正直なところ同年代の女子と比べて、劣るとも勝らないので、この速度についていけるとは思えない。

それよりも……何というのか――まるで、こちらの動きが読まれているような。

思わず口角が持ち上がる。

(嬉しい誤算だ。これなら、今すぐあの子が現れても十分に戦える)


  ****


ジュエルシードが発動したのは、その翌日の夕方、時刻も七時になる頃だった。ちょうど、車に乗り込み、月村邸に向かおうとした時だ。ここからではおおまかな場所しかわからないが、おそらくはオフィスビルの立ち並ぶ辺りだろう。
ウィルはなのはとユーノに声をかける。

「二人とも、体と魔力に異常はない?」

「「はいっ!!」」

「それじゃあ、ユーノ君。お願い」

ユーノはバインドを応用し、三人をつなぐ。そして、小規模な結界を張った。
そして、ウィルが空に駆けあがる。結界は、飛行する姿を見られないようにするため。バインドは、一番飛行速度が速いウィルが残りの二人をけん引するため。
地上からでは目撃されない高度まで上がった後は、結界を解除し目的地に向かう。

三十秒もせずに、目的地の上空にたどりついた。周囲は急に雲が立ち込め、雷が響き始めている。
ユーノに広域結界を張ってもらい、そのまま地上に降下した。


三人が降り立った場所は、ビル街の間の少し大きな道路上だった。
結界が張られているので、人っ子一人そこにはいない。
結界の主が許したものと、高い魔力ゆえに結界にあらがえる者以外は。

少し離れた所には、すでに封印されたジュエルシードが浮いている。

そして、その向こう側には、すでに少女と使い魔の姿があった。



[25889] 第8話(後編) 運命、これが全力全開
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:30
ジュエルシードを間に挟み、両陣営は向かいあう。
先ほどまで星々が見えていた夜空は厚い雲に覆われ、結界のせいで人々が消えた世界では、喧騒という背景曲の代わりを雷鳴の轟きが務めている。

周囲の状況からは、少女が魔力流を発生させてジュエルシードを活性化させたことがわかる。
魔力流とは、『魔力素』の流れのこと。
魔力素は、自然に存在する粒子の一種で、魔法の行使には必須である。その性質は他の粒子と同じく、濃度の高いところから低いところへと拡散し、最終的に均一になろうとする。そして勾配がなければ、外力が加わらない限りその場に留まり続ける。
魔導師は、空間に存在する魔力素を自身の体内の『リンカーコア』と呼ばれる器官に吸収し、自分の使いやすい形――『魔力』に変質させて、魔法を行使するための動力とする。個人の力では魔力素そのものを用いて魔法を使うことはできないが、高い技術があれば大気中の魔力素を動かして魔力流を作る程度のことはできる。
ゆえに、この周囲一帯の魔力素の密度は非常に高くなっていること。そして、今もなお魔力素が活発に動きいていることから、誰かが意図的に魔力流を作りだしたということが推測できる。

そんなことをする理由――それは、もちろんジュエルシードを発見するためだろう。
ジュエルシードは思念だけでなく、周囲の魔力にも反応する。おそらく、少女は魔力流を発生させることで、ジュエルシードを故意に活性化させた。

急に天候が悪くなったことも、それに関係していると思われる。魔力素も大気中に存在する以上、大気を構成する原子と無関係ではない。魔力素が動かされることで、風や気圧の変化はもちろん、小規模な竜巻が発生することもある。もしもこんなビル街でそうなれば、大惨事は間違いないだろう。
ユーノが結界を張ったおかげで、そのような魔法的な要因による異常は、結界内に閉じ込めることができた。魔力流が落ち着いてから結界を解除すれば、これ以上街に影響は与えないだろう。
少女たちは少しでもウィルたちがジュエルシードに気付くのを遅らせるために、結界を張らなかったのだろうが、管理外世界で行動する以上は、魔法を秘匿するためにも結界くらいは張ってほしい――ということを、すでに法を犯しているものに求めるのは、少々おかしいだろうか。

以上の推測は全然異なっており、活性化したジュエルシードの魔力が周囲に影響を与えて魔力流を発生させただけ。少女たちの迅速な行動――可能な限り急いで駆け付けた(おそらくジュエルシード発動から一分程度しかたっていない)ウィルたちが現場に到着した時には、すでにジュエルシードを封印していた――理由は、単にこの付近に『偶然』少女たちがいたからだ。
という可能性も、ほんの少しくらいはあるのだけど。




少女を見る。これで三回目だが、いつも通りに無表情な顔。
ウィルは少女と初対面の時、人形のような少女だと感じたが、なのはは悲しい瞳をした少女だと断じた。しかし、ウィルの少女に対する印象は今も変わらない。相も変わらず美しい造形だとは思うが、その顔からなのはの言うような悲しさはうかがえない。
何の感情も抱いてないように見えるあの目の奥には、本当になのはの言うような悲しさを隠しているのだろうか。もしそうなら、今の顔という仮面の下には、彼女の本来の顔が隠れているのだろうか。


すでに少女はデバイスを構え、その横の使い魔(人間形態)はいつでもこちらに飛びかかれる姿勢をとっている。
相手を刺激しないように、世間話でもするように、ウィルは少女に話しかける。

「戦うのは少し待ってくれないかな。この子がきみに話したいことがあるみたいなんだ」

そう言って、ウィルはなのはの背を軽く押した。なのははフェレット姿のユーノを肩にのせ、そのまま一歩前に出る。少女たちもいきなりなのはに攻撃を仕掛けるつもりはなく、警戒しながらもひとまずは静観する。
なのはは二三度深呼吸をすると、意を決して話し始めた。


「わたしの名前は高町なのは。この街の聖翔大付属小学校に通う三年生で――」

「なにを言ってるんだい?」

突然の自己紹介に、使い魔が呆れたような声をあげる。

「わたしは、つい最近まで魔法のことなんて知らなかったの。でも、この――」肩のユーノに、少し視線をやる。

「ユーノ君と出会って、ジュエルシードっていう危ないものがこの街に散らばってしまったことを知ってしまった。わたしには魔法の才能があったから、怪我したユーノ君の代わりに、ジュエルシードを封印することにしたの。
 この街はわたしが、わたしの大切な人たちが住んでいる街だから、わたしはこの街を守りたい……もう、誰にも悲しんで欲しくないから。
 これがわたしがジュエルシードを集める理由。
 でも、今はそれだけじゃない」

「わたしはあなたとお話しがしたいの。
 あなたがどうしてジュエルシードを集めているのかがわかれば、わたしもあなたの力になれるかもしれないから。……ウィルさんは管理局の人だから、わたしとは違う考えを持ってるけど……でも、それも話し合えば、解決するかもしれない。
 ううん、きっと誰にとってもいい方法が見つかると思う」

そして、なのはは大きく息を吸い込むと、ひときわ大きな声で少女に呼びかける。

「だから、あなたも教えて! どうしてジュエルシードを集めるのか、その理由を!!」


「あ……」少女の口から、思わず声がこぼれた。

その瞳が揺れた。少女は、自分に向けられた言葉に動揺する。
なのはの言葉は、強要でも恫喝でもなく、ただ純粋に願っているだけ――純粋だからこそ、強烈な言葉。
言ってはいけない、言っても無駄だ。そう頭では考えながらも、少女の口は、思わず言葉を発しようとする。

「私は――」



「答える必要はないよ」

それを止めたのは、少女の使い魔。使い魔は、こちらを――とりわけなのはの方を睨んでいる。
その表情には、なのはに対する明らかな敵意。

「答える必要なんかない。こんな甘い世界で暮らしてきたガキに、今までまともに戦わなかったようなガキに、何も教える必要なんかない。
 だいたい、他人のあんたたちに、あたしたちの何がわかるっていうのさ。
 こんなやつに構うことはないよ!それよりもジュエルシードの回収を!」

「……わかった」

少女はなのはから視線をはずす。そして、少女の瞳から揺らぎが消え、再び仮面のように無表情な顔に戻った。
そして、ジュエルシードを目指して飛ぶ。

しかし、なのはは少女に呼びかけながらも、いや、呼びかける相手だからこそ、少女をよく観察していた。その挙動をしっかりと、見逃すことなく。
だから、少女が動いた瞬間に、なのはもまた同時に動くことができた。

『Flash move』

ジュエルシードに手を伸ばそうとした少女の前に、なのはが立ちふさがる。先ほどまで大きな声を出さねば届かなかった二人の距離は、今や手を伸ばせば届くほど――この距離なら、いやがおうにも、少女はなのはの姿を見なければならない。
間近でなのはを見てしまったせいで、少女の瞳は再び揺らぐ。
なのはは、少女の目を見ながら、もう一度繰り返す。

「お願い。あなたの話を聞かせて欲しいの」


「あのチビッ!」

それを見て、使い魔も動く。主人の邪魔をする者を排除しようとして。
しかし、急に悪寒を感じて――もしかすると、野生の本能と呼ばれるものだったのかもしれない――とっさに上空を見上げた。
そこにはウィルがいる。

上空から急降下しながらの飛び蹴り。
使い魔は両手を交差させ防御するが、そのまま地面に落とされる。
使い魔はなのはが動いたことに気をとられていたが、その直後にウィルもまた動いていた。
彼は一旦上空に飛び上がって全員の視界から外れ、使い魔を不意打ちした――防がれてしまったが。
使い魔を追うように、ウィルも地上へと降りる。

「よそ見すんな、わんこ。きみの役目はおれのかませ犬だ」

「ちっ!――狼だよ!!」

空中では、なのはとユーノの二人と謎の少女の戦いが、
地上では、ウィルと使い魔の勝負が始まる。


  *


なのはは、サーチャーをあたり一面にばらまく。その数およそ二十数個。
突然のことに少女は一旦下がって様子を見るが、ただのサーチャーだとわかると、それを無視してデバイスをなのはに向ける。
いくつもの光球が少女の周囲に現れ、金色の魔力弾が機関銃のように発射される。

『Photon Lancer full-auto fire』

それに反応したのは、なのはの肩のユーノだった。
ユーノはデバイスの補助がなくとも、魔法を行使できる。そもそも、デバイスは魔法を行使するために必ず必要な道具ではなく、あくまでも使用者の不完全な魔法構築を補うための補助装置にすぎない。簡単なものや使いなれている魔法なら、デバイスがなくとも行使できる。それでも普通なら、多少は威力が落ちるのだが――

「ラウンドシールド!!」

なのはと少女の間に、若草色の魔法陣が現れる。
ミッド式でシールド系魔法と言えばこれ、と言われるほどにオーソドックスな――つまり、完成度の高い魔法。
シールドは、次々と飛来する少女の魔力弾を全て防ぎきった。

ユーノは結界魔導師だが、結界しか使えないわけではない。補助魔法は一通り、中でも防御魔法は専門の結界魔法と比較しても遜色がなく、その質の高さはとてもAランクとは思えない。まして、デバイスの補助なしで。
それは、ユーノが魔法を正しく理解しているから。そして、正しく構築できるから。
魔力が高いわけでも、構築速度が速いわけでも、高度な魔法を行使したわけでもない。
基本的な魔法を、その魔法の本来の力を発揮できるように完全な形で行使しているだけ。

だから、Aランクのユーノが展開するシールドはAAランクの魔導師のシールドにも匹敵する。
AAAランク相当の魔力を持つといえど、少女は射撃が本職というわけではない。そんな程度の魔法ではユーノのシールドを破ることはできない。

しかし、シールドには一方向にしか展開できないという弱点がある。
ならば少女が次にとる行動は、シールドを張れないように予測できない方向から攻撃することだ。

『Blitz Action.』



なのはは、特訓初日の会話を思い出す。
温泉から帰った後、ウィルとなのはは高町家のリビングで、ソファに座ってこれからの特訓内容について話していた。
対面に座るウィルが、なのはに問いかける。

「あらためて確認するけど、なのはちゃんの目的はなんだ?」

「あの子の事情を聞いて、話し合うことです。そして、そのためにウィルさんが使い魔さんを捕まえるまで、あの子と戦い続けること……ですよね?」

戦略的目的は話し合うこと。それを達成するための戦術的目的が、使い魔の捕獲。それを達成するための、なのはの戦闘における目的が、少女と戦い、倒されずに持ちこたえることだ。
目的を定めることができれば、おのずととるべき行動も定まる。

「そう、なのはちゃんの場合、あの子を倒す必要はない。大切なことは倒されないこと。
 じゃあ、その為に必要なのは何だと思う?」

「それは……防御ですよね」

「そうだね。なら、何をすればいいかわかるかな?」

「防御魔法の練習ですか?」

ウィルは首を横に振る。
守るのだから、防御魔法――たしかに、間違ってはいないが、今回は不正解。

「それはユーノ君に任せればいい。練習すれば、なのはちゃんもあの子の攻撃を防げるような防御魔法を使えるようになれると思う。でも、他人(ユーノ君)ができることは、他人に任せた方が良い。自分より上手なら尚更だ。
 だから、なのはちゃんには『回避』を担当してもらう」

「で、でも、わたしはあんまり速く飛べないし、あの子の動きにはついていけそうにないし……」

「そうだね。だから、瞬間的な高速移動を練習してもらう」

たとえ移動距離が短くても瞬間的な加速力があれば、多少気付くのが遅れても攻撃を回避できる。なのはの高い魔力(推定AAAランク)を使って、多少強引に加速すれば、それは可能になるだろう。
あとは、それを利用して、とにかく距離をとり続ければ良い。
ある程度の距離があれば、ユーノが反応して防御魔法で攻撃を防いでくれる。怖いのはユーノが反応できないよう攻撃――ユーノの見えない方向からの攻撃や、近距離の連打(ラッシュ)だ。

「あと、役に立つかは微妙だけど、サーチャーを利用すれば、回避しやすくなるかもしれない。
 使い方は――」



少女の姿が消える。高速移動。
今のなのはの動体視力では、その動きを見極めて回避することなど不可能だ。たとえ目の前を通られても、せいぜい通ったということしかわからない。
だが逆に言えば、通ったこと自体はわかる。

しかも、今のなのはの目は、両目二つだけではない。
なのはには、サーチャーという二十を越える『目』からの情報がある。

(あの子は三番、十四番、十一番の順で通過――つまり右に移動後、ビルの間を下降ぎみに通りながら、下方向から接近。
 タイミングは……六番を通った今!)

『Flash Move』


なのはは右に回避する。そのすぐ後に、下から上へ抜ける斬撃――先ほどまでなのはのいた場所を少女の鎌が刈り取っていく。

サーチャーを介して視界を強化するとは、配置したサーチャーをチェックポイントのように使うということ。
三番サーチャーは少女の右側に配置したもの。十四番はその先にあるビルの手前に、十一番はなのはの左下の、少し離れた場所に配置してある。
なのはは、空中に配置したサーチャーを通った順番で、少女の移動経路を導き出している。経路がわかれば、どの方向に回避すれば良いのかがわかるから。

これが、魔法の才能以外に、なのはが天から与えられたもう一つの才能、『空間把握能力』

それは、地図を見て地形を想像できるとか、建物を複数方向から撮った写真を見て建物を立体的に想像できるという能力のこと。
なのはは、サーチャーを用いてこのビル街の地形を把握し、さらに少女がどのサーチャーの前をどんな順番で通ったか――という断片的な情報から、少女の移動経路をも把握する。

そして、回避するタイミングは、自分から近い位置に置いたサーチャーを目安にする。
それを通過した瞬間――つまり、自分に対して一定距離に近づいた瞬間に動けば良い。

この案を提案したウィルにとっては、この戦法はあくまでもおまけ。少しでも回避しやすくなれば良いなぁ――程度の案だった。
少女がなのはに接近するまでの時間は、三秒程度。障害の多いビル街だから、少女も全速力で移動することはできず多少は多めに時間がかかるが、だからといってその間に複数のサーチャーからの状況を頭の中で組み合わせ、相手のルートを完全に把握するのは普通では難しい。
しかしこの戦法が、空間把握能力というなのはの才能を開花させた。


だが、それだけではない。
なのはには、もう一つ後天的に得た才能があった。天から与えられたのではなく、自分の力で手に入れた才能が。

なのはのサーチャーの一部は、常に少女の行動を観察(しかもさまざまな角度から)していた。
そして、少女を複数の方向から見ていると、少女が移動を始める前に既になんとなくわかるのだ。
少女がどの方向に動くつもりなのか
少女が自分のどの部位を狙っているのか
少女がどのようなルートを通ろうとしているのか

行動には予兆が存在する。
高速で移動するのだから、移動する前に今から自分がどのルートを通るかを確認しなければならない。そして、それは目線や体の向きを追っていれば、ある程度は掴める。そして、いざ動くとなれば、魔法で移動できるとはいえ、習性として移動する方向への重心の変化が現れるはずだ。
そういった複数の情報が、少女がどのルートを通ってどの方向からなのはに攻撃を仕掛けようとしているのかを伝えてくれる。

これがなのはのもう一つの能力、『観察力』

観察力で少女が動く前に。移動後は空間把握能力で。
二回も相手の行動を知る機会があるのだから、回避できないわけがない。


なのはは、幼い頃にずっと家族を見続けていた。自分に手伝えることが少しでもないかを探して。
手伝うこともできないとわかった後も見続けていた。他人に迷惑をかけない良い子でいるために。
何もできない無力さと孤独に耐えながら、ずっと観察し続けていた。そうすることしかできなかったから。
そして今、鍛えられた観察力が、少女の仮面の奥に隠した悲しさを見抜き、さらには戦闘においても役に立っている。

なのはは不幸に耐え、それでもなお他者を思って行動してきた。
その献身が、なのはの過去が――なのはの力となって、なのはを助けている。
少女と話し合いたいという、なのはの望みを達成するために。


遠距離魔法は、ユーノの防御魔法で防がれる。
高速移動からの近距離攻撃は、なのはに回避され、攻撃は当たらない上に、間合いを縮めることもできない。
仮になのは一人、もしくはユーノ一人であれば簡単に倒されていた。
しかし、なのはとユーノの二人が揃った時、このコンビは少女に対して無敵を誇る。

この状況を変えるために、少女は強引な手段をとらざるをえない。
少女はビルの影に姿を隠し、詠唱を開始する。

「アルカス・クルタス・エイギアス」

ウィルを倒した詠唱魔法――フォトンランサー・ファランクスシフト。
千を越える魔力弾を四秒間に発射する、少女の最強魔法。
ウィルとの戦いでは拡散させることで広範囲に攻撃したが、その真髄は一点集中。
堅固な城門さえ打ち破るゆえのファランクスシフト。
一斉射撃で、守りごと撃ち貫く。

「疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ。バルエ――」

しかし、詠唱を続ける少女に魔力弾が接近する。

「ディバイン・シューター!」

そんな大きな隙ができる魔法を、むざむざ撃たせるわけもない。
少女が身を隠した時に、サーチャーですぐさま少女の位置を探し出し、一発だけだが誘導弾を放つ。
誘導弾の制御も、サーチャーの制御も、同じ思念制御。サーチャーの訓練をしていたなのはには、この程度は容易い。
少女は避ける――が、その誘導弾は初めから囮だった。

「チェーンバインド!」

誘導弾を避けた先には、なのはがすでに待ち構えている。そして、その肩のユーノから、若草色に輝く鎖が伸びる。
本命は捕縛――ユーノのバインドだ。
ふいをつかれたせいで避けることもかなわず、少女はからめ捕られてしまう。

しかし、少女もさるもの。それで終わりはしない。
瞬時にバリアジャケットを構成している魔力を全て、外部に向ける。その魔力を用いて、バインドを破壊する。
しかし、バリアジャケットが消失するうえに、一瞬ではあるが動きが止まってしまう。
先ほど回避した誘導弾に狙われれば、避けることはできないだろう。

(一発くらい、バリアジャケットなしでも耐えてみせる!!)

しかし、誘導弾は少女を攻撃しない。なのはにとっての誘導弾は、ユーノのバインドで少女を抑えるための前段階として、少女を誘導するための陽動にすぎず、少女を傷つけるためのものではないからだ。


少女の精神は戦うごとにかき乱されていき、ついに、混乱のピークに達した。

絶好の機会だったのに、なぜ攻撃しないのか。

――彼女たちには本当に自分を傷つける意思はなくて、ただ単純に話がしたいだけなのか。
なぜ? 本当にあの子は、自分と話し合いたいと言うのか
なぜ? 二人の関係は、森で一度目があった程度。
どうして、ここまでするのか。


なのはは、愚直に何度も、何度でも呼びかけ続ける。

「お願い、教えて欲しいの!」

その声が、少女の心をさらにかき乱す。
動揺する心を抑えつけるために、その呼びかけを否定する。自分自身に言い聞かせるように。

「たとえ言ったところで何も変わらない。話し合ったところで、利害が一致しない以上、戦いは避けられない。
 あの管理局の魔導師はそれをわかっていたから、私と戦った。……あの人は止めなかったの?」

「止められたよ! でも、それでも嫌なの。何もわからずにただぶつかり合うなんて! それに、利害が一致しないかどうかなんて、話してみるまでわからないじゃない!
 だから――
 だから、わたしたちとお話ししよう!!」


その言葉に、もう久しく受けていない感覚――心が温かいという感覚が呼び起こされる。
なのはの言葉は、少女と敵対したくない、少女を肯定してあげたいと言う気持ち――善意で構成されている。

いつぶりだろう。
いつ、こんな温かさを味わったのだろう。
そうだ……自分はかつて、こんな温かさに包まれていた。

考えなくても、思い出せるはずだ。少女の人生において、自分を無償の善意を与えてくれた者など数人しかいないのだから。
そして、その中で一番大きく自分という存在を全肯定してくれた人は、誰よりも一番最初に包み込んでくれた人は一人しかいない。

――それは、かつての母のような

「――――ッ!!」



なおも呼びかけようとしたなのはは、しかし少女の顔を見て、言葉を発することができなかった。

少女の仮面が崩れる。
細く端正だった眉は歪み、閉じられていた唇は震え、その奥に見える歯は何かに耐えるように噛みしめられている。
顔は紅潮し、その体は小刻みに震えていて、のどからは声にもならない音が漏れる。
それは、今にも泣き出しそうな子供のようで。


≪なのは! 止まっちゃだめだ!≫

ユーノはなのはに呼びかける。
ユーノも少女の表情に思うところがないわけではないが――あんな顔をされると、今までなのはの手助けをしたいと思っていただけのユーノも、少女を助けたいと思ってしまうのだが――ユーノの役目は、なのはを守ること。一見優勢のように思えるこの状況も、かなり綱渡りだ。
たしかに、なのははあの子を相手に時間を稼ぐことはできる。いや、もはやなのはは少女に倒されることはないだろう。
しかし、少女がジュエルシードの方に向かうようになると、話は変わる。
設置型バインドや誘導弾を駆使すれば、ある程度は防げるが、それでもどれだけ耐えられるのかはわからない。

(急いでよ、ウィルさん!)


  **


なのはと少女が戦い始めた頃、地上ではウィルが使い魔の相手をしている。
使い魔はただウィルのみを見ており、主人の方には全く視線を送らない。余程主人を信頼しているのだろう。

「あんなちびっこで、あの子に勝てると思ってるのかい?」

「どっちもちびっこだと思うけど。……良い戦いはできるけど、勝つのは無理だろうね」

「へえ、無駄だとわかってるのにやるっての?管理局ってのはそんなにお仕事が大切かい」

「無駄じゃないさ。その間に、お前を倒せるからね」

お互いに拳を握って向かいあう。

「あん? あんたの得物は剣じゃなかったのかい?」

不思議そうにする使い魔に、ウィルはあざけるような笑みを向けた。

「犬を躾けるのに、わざわざ剣を使う奴がいるか?」

「狼だって言ってんだろ! 二度とそんな口がきけないようにしてやるよ!」

使い魔が疾ける。一足で間合いの半分を、二足目でウィルの眼前に現れる。
ウィルは動かずに待ち受ける。
使い魔の右拳がウィルの顔に向けて振るわれ――ウィルはかすかに顔を右に動かし、それを回避する。
と同時に肉体駆動によって、左拳を腹部に向けて発射する。
それは使い魔の左手に阻まれた。しかし、常識外の速度と威力を受け止めきれなかったのか、彼女の体の軸が崩れ、揺らめく。

しかし、使い魔は片足を軸として、その衝撃のベクトルをいなしながら時計回りに一回転、
そのまま右の裏拳を放つ。
ウィルは上体を反らして回避、
そのまま後ろに倒れこみながら、肉体駆動で右足を動かし、相手のあごを蹴り上げた。

ウィルの全力の一撃を受けて、使い魔の顔がはね上がる。普通ならこれで決まり。

――ぎろりと、使い魔の眼がウィルを捕える。

まだ終わっていない。

使い魔は右足を夜天へと伸ばし、仰向けのウィルに振り下ろす。
かかと落とし。

だが、ウィルも勝負が決まったと思って油断するような新兵ではない。
倒れこむ直前に飛行魔法を唱えており、その体はわずかに浮いている。
かかとがふり下ろされる前に、仰向けのまま地面すれすれを飛行して距離をとる。

そして、離れて起き上がろうとした時、空に使い魔の姿を見る。
使い魔はウィルのいる地点に向かって高く跳びながら、空中で前方に一回転すると、その勢いをも利用して再度かかと落としを放つ。
体を丸ごと利用し、全体重を乗せたかかと落とし。
しかし、そんな隙の大きすぎる技――体を少しだけずらしてあっさり回避。

かかと落としを決められたアスファルトが、粉々に砕け散る。
ウィルは使い魔が立ち上がる前にローキックを放つが、使い魔は跳び上がってそれを回避しながらウィルの側頭部を刈るようにして蹴りを放つ。

とっさに左腕でかばうも、腕が嫌な音をたてる。その上、威力を軽減できずに吹き飛ばされた。


転がるように吹き飛ばされる最中、飛行魔法で姿勢制御。さらに手を伸ばして近く街灯を掴み、体を静止させる。
そして、間髪いれずに、街灯を蹴りで折った。
こちらに向かってくる使い魔を確認すると、掴んでいた街灯を、使い魔に向かって投擲する。
人間離れしたウィルの膂力で投げられた街灯は、一直線に使い魔に向かう。

しかし使い魔はほんの少し跳び上がり、それを踏み台にしてさらに飛翔。
そのまま跳び蹴り。

ウィルは避けながら飛び蹴りの脚を掴み、蹴りの勢いをそのままに使い魔を地面にたたきつけた。
そのまま掴んだ脚を折ろうとするが、使い魔は狼に変身してウィルの腕から逃れる。



二人は再び、間をあけて対峙する。

ウィルがくらったのは、たった一発の蹴りのみ。
それもガードした――というのに、その左手はいまだにしびれがとれない。幸い折れてはいないようだが。
使い魔の格闘技術はウィルよりも未熟だが、その一撃の威力も、頑強さも、ウィルよりさらに上。
一撃でもまともあたれば、その瞬間に敗北が決定する。

(っていうかあれだけくらって倒れないとかタフすぎんだろ。肉体駆動のせいで体は痛いし……正攻法で倒すのは無理か)

一方使い魔も困惑していた。
肉体駆動を用いたウィルの動きに、どう対処していのかわからないからだ。

(あいつの体はどうなってんだい。攻撃の気配が読めないから、まともに攻撃があたりやしない……)


遠方からは少女たちが戦っている音が聞こえる。なのはがいつまでもつかはわからない。早く決着をつけなくては。
ウィルは、一か八か、大技にかける決意をする。避けられると隙が大きい上に手加減の度合いが難しいので出したくはないのだが。
とにかく、その下準備として、ウィルは相手に話しかける。

「そういえば、お前さ……さっきなのはちゃんの呼びかけに答えなくていいって言ったよな。こんな甘ったれた世界にいるやつのことを聞く必要はないとかなんとか、言ってたよな」

「それがどうかしたのかい」

「そもそも、幸福も不幸も他人と比べて相対化できるもんじゃねえだろ――ってのはおいとくとしても。
 ……自分たちが不幸だから、幸せな奴らのことを気にしなくて良いってのは、まったくもって犯罪者にふさわしいゲスな考え方だよな。正しい人間なら、自分たちが不幸だからこそ、幸せなやつが不幸にならないように思いやるもんじゃないのか? 悲劇のヒロインぶりたいみたいだけど、おれにはお前たちがなるべくして犯罪者になったようにしか思えないぜ」

これは相手を怒らせるための嘘。
ウィルも地上で勤務していたからこそ、犯罪者が本当に悪ばかりではないことは知っている。やむにやまれぬ事情があったり、どうしようもなくて、それしか道がなくて犯罪者になった者も大勢いる。おそらく少女と使い魔もそうに違いない。
だが――だからこそ、その考えを、どうしようもないという思いを無視し、犯罪者と断じ、まとめて悪でくくるようなこの言葉は、相手を激怒させることができるだろう。

我ながら外道な方法だと思うが、それを躊躇するような気はさらさらない。
ウィルも、ほんの少しだが、はっきりと怒っているから。

なのはがどのような過去を背負っているのかはしらない。少なくとも家族も両親も善良で、友人も素晴らしい。一見すると、なんの不幸も味わっていないように思える。
だが、そんなわけがない。ウィルの知らない、あの歪みを――たった一度目があっただけの相手を気にかけて、たったそれだけのために、命のやり取りをする戦いに身を投じるような異常さを――生みだすような何かがあったはずだ。それは何か大きな出来事だったのかもしれないし、本人でさえ気付かないくらいの日々の小さな何かが重なった結果なのかもしれない。
それでも、何もなしにはあんな風にはならないはずだ。
少女がどうだか知らないが、なのはだって不幸なのだ。
それを、自分たちだけが不幸だと主張するかのような使い魔の発言に、ウィルは怒りを覚えた。

なるほど、だから躊躇しないのだろう。
なのはのことを何も知らないくせに、なのはをないがしろにするような発言をした使い魔に、
少女のことを何も知らないウィルが、少女をないがしろにするような発言をする――という形だから。

(……って、ずいぶんなのはちゃんに肩入れしてんなぁ。おれも)

心の中で自分に苦笑しながら、怒らせるような言葉を選んで話し続ける。

「だったらこっちも言ってやるよ。てめえらみたいな薄汚い犯罪者がどれだけ不幸だろうが知ったことじゃないんだよ。人様に迷惑をかける前に、さっさと首でもくくれば――」


「      」


その声は形容できない咆哮だった。
殺意を音に変えたような声。
ウィルは以前、少女に「死ね」と言ったが、それはずいぶんと陳腐なものに感じられる。
ウィルの台詞は、死んでも仕方ないという諦観ゆえのもので、能動的な殺意ではなかった。
使い魔の『それ』は、そんな生ぬるいものとは比べられない。
必ず殺すという決意表明、死の宣告。

使い魔にとって主人は親のようなもの。それをないがしろにする発言をしたのだから、当然。というか思惑通りなのだが、それでも一瞬身がすくむ。

(やば……挑発しすぎたかな。失敗したら死ぬだろうなぁ)

飛びかかる使い魔を真っ向正面から迎え撃つ。先に攻撃するだけなら容易い。こちらは肉体駆動を用いて、予兆なく、最初から最高速で攻撃できるのだ。
しかし、ウィルの通常の一撃で相手を倒せないのは、先ほどで証明済みだ。
使い魔もそれはわかっているに違いない。
たとえウィルの攻撃を先にくらっても、それに耐えてでも確実にウィルに一撃をぶち当てるつもりだろう。
まさに肉を切らせて骨を断つ――ウィルが一撃で倒せなければ、使い魔の一撃がウィルを殺すだろう。
幸運にも死ななかったとしても、その後で死ぬまで殴られるかもしれない。
倒すためには一撃で相手の意識を刈り取らなければ。

そのためにウィルが選んだ攻撃方法は、とびひざ蹴りだった。
左足で地を蹴る。右足を折り曲げて、膝を前方に突き出す。

そこまでは普通。だが、これはただのとびひざ蹴りではない。
最後の仕上げに、両足のエンジェルハイロゥのジェットを噴出させた。
音速を突破する加速力で、ウィルの体そのものが弾丸と化す。

(死なないでくれよっ!!)

そして、右ひざはアルフのあごに接触し、頭を撃ち抜いた。

そしてウィルは即座に飛行魔法で姿勢を変え、両足を前に出してエンジェルハイロゥの噴射で減速する――が、勢いを完全に殺すことはできず、そのまま前方のビルに窓から突っ込んだ。


ビル(ガラスを突き抜けた先の部屋でぎりぎり止まれたが、ジェットから噴出する空気のせいで、部屋はスゴイことになった)から飛び降り、倒れている使い魔に近づく。
普通の魔導師相手なら、顎が砕け、首の骨が折れて死ぬかもしれない。格闘戦の時の攻撃や防御の強さ、そして人間ではないということを加味して、この程度なら死にはしないだろうと調節したが、それでも賭けだった。
しかしどうやら、賭けには成功したらしい。
気を失った使い魔を小脇に抱えて、なのはたちの所へ向かう。

その時、ビルの間から光の柱が登った。


  ***


なのはたちの勝負は、少女がなのはを倒すことを諦め、ジュエルシードを回収しようとしたことで、様相を一変させた。
ジュエルシードを回収しようとする少女とそれを防ごうとするなのは。
両者が同時にジュエルシードに手を伸ばしたことで、封印されていたはずのジュエルシードは再活性する。AAAランクの魔導師二人の魔力を受けて活性化したジュエルシードは、その内に秘めた魔力を今までにない勢いで噴出させた。

その威力は、ランクで測れるものではない。周囲の魔力素全てを一瞬で揺り動かす。
揺り動かされた魔力素が、さらに周囲の魔力素を揺り動かし、波となって伝わっていく。
それは結界を砕き、空の雲を吹き飛ばし、さらには空間自体を揺り動かし始める。

間近でその震動波を受けた両者を守るため、それぞれの持つインテリジェントデバイスが、自動で防御魔法を唱えた。
波の威力はデバイスを半壊させるほどだったが、なのはも少女も、何とか吹き飛ばされるだけですんだ。
少女はデバイスが使えなくとも、自分の飛行魔法で姿勢を制御し、無事に地面に降りる。
なのはは、飛行をレイジングハートに頼っていたため、そのまま自由落下して地面に激突するかと思われたが、空中でユーノがフェレットから人間に戻り、落下するなのはを姫抱きして助け、飛行魔法を行使して無事に地上に降り立った。
なのはを助けると同時に、壊れた結界を再度張り直した手腕はさすがのものだ。おかげで通行人には一瞬目撃される程度ですんだ。

しかし、ジュエルシードはいまだに活性化のまま魔力を吐き出しており、すぐにでも封印しなければ危険な状態。

少女は壊れかけたデバイスを待機状態にすると、ジュエルシード元に駆けつけ、素手で封印をおこなう。しかし、暴走する魔力を抑えきれず、握る両手を中心にバリアジャケットが破れていく。
ジュエルシードから迸る魔力は、少女の体内の魔力にも影響を与え、全身を耐えようのない激痛が走る。


その少女の両手に、そっと両手が添えられた。
少女が顔を上げると、そこにはなのはの姿。
なのはもまた、自身の魔力を送り込み、ジュエルシードを封印しようとする。
そして、二人の少女の傍にはユーノが立ち、少女たちを包み込む空間を形成する。
温かな光に包まれ、少女たちの痛みを和らげる。
『ラウンドガーダー・エクステンド』――肉体と魔力を回復させる、ユーノのオリジナルスペル。
それからほどなくして、ジュエルシードは封印された。



「えへへ……大丈夫?」

なのはのバリアジャケットは、少女と同じようにぼろぼろになっている。しかし、なのはは気にせずに少女に笑いかける。

「どうして……」

笑みを向けられた少女は、疑問を口にする。

「どうして、あなたはそんなになってまで、私を気にしてくれるの? 私とあなたは出会ったばっかりで、何の関係もないのに」

「気にするよ。だって、そんなに悲しそうなんだもん」



「……私の名前は、フェイト・テスタロッサ」

「え?え……っと、フェイトちゃんって呼んでもいいかな?」

「うん。……私は、ジュエルシードを集めないといけない――それは絶対に譲れないこと。……でも、そんな私でも、あなたたちと話をしてもいいかな?」

おずおずとだが、確かに少女は、フェイトは言った――話をしようと。
なのはは、その言葉を聞いてもすぐには理解できなかったようで、異国の言葉を聞いたかのようにポカンとしていた。
数秒たって、ようやくその言葉の意味を理解する。



「それじゃあ、早速ウィルさんと使い魔を呼んで来ないと――」

「呼んだ?」ユーノの声に反応するかのように、少し離れたところから、ウィルの声が聞こえた。

「うわっ! いつからそこに!」

ウィルは、近くのビルの影から、こちらをうかがっていた。

「なのはとその子が向かいあって話しているところから……なんだか良い雰囲気で、邪魔しちゃ悪いかと思って」

片手で使い魔の襟首をつかみ、ずるずると引きずりながら、近づいてくる。
ぐったりとしている自らの使い魔に、フェイトは顔を青くして、使い魔の名を叫ぶ。

「アルフ!」それがこの使い魔の名前なのだろう。

駆け寄ってくるフェイトに、アルフを見せる。

「安心してくれ、命に別状はないよ。優秀すぎて嫉妬するくらい良い使い魔だ」

「良かった……」

本当に良かったと、ウィルも思う。優秀な使い魔を作った魔導師は、それだけ自身の力をそがれてしまうのだが、これだけの使い魔を作ってなお、フェイトはウィルと渡り合うほどの力を持っていた。もしアルフを殺していたら、使い魔という『枷』をはずした、正真正銘の怪物を相手にするはめになっただろう。
フェイトは使い魔の無事を確認して、ほっとして体の力が抜けたようで、その場に尻もちをつく。
ウィルは彼女がはっきりと感情を現わしているのをみて驚く。先ほどまで無表情だったのに、この短期間に何があったのか。今の彼女は年相応の、少し気弱な女の子に見える。


「さて、一応こいつは人質だ。こっちの要求を聞いてくれれば、きみに返そう」

「……ジュエルシードなら渡します」

「いやいや、そんな大それた要求じゃないよ。こっちの要求は、さっきから伝えている通りさ。でも、念のためにもう一度言おうか。
 ――さあ、なのは、どうぞ」

「わたし?」

「なんかさ、ここでおれが言うと、おいしいところを持って行ったみたいじゃない?」


「そ、それじゃあ……」

こほんと、軽く咳をして、なのははあらためて少女に向かいあう。

「わたしたちと、お話ししよう?」




[25889] 第9話 海鳴の長い午後
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/07/31 21:54
なのはは再び学校に通い始めた。
一週間ぶりの学校は、大人の視点ではあまり変化していないように見えるのかもしれないが、子供たちにとっては大きく異なっている。とある男子が女子を泣かせただの、それを聞いたアリサが逆に男子を泣かせただの――わずか数日のうちにいろんなことがあった。身近なゴシップの会話における占有率が減少する中学生以降ならともかく、小学生の時点ではその割合はまだまだ大きく、一日休んだだけでも会話についていけず、妙な疎外感を覚えてしまうものだ。まして一週間となれば、浦島太郎のようなもの。
しかし、なのはには彼女をフォローしてくれる親友、アリサとすずかがいる。以前のように二人と昼食をとる時に、いろいろと教えてもらった。そして、二人がどんな風に一週間を過ごしたのかも、教えてもらった。
だがその反面、なのはの方は二人には何も言うことができない。月村家はもう関係しているので、すずかには伝えてもよかったのだが、彼女自身がそれを断った。「アリサちゃんが知らないのに、わたしだけ教えてもらうのは駄目だよ」と。そして、「話してもよくなったら、絶対に二人一緒に教えてね」とも。
とはいえ、いつになっても魔法のことを教えるわけにはいかないのだが。でも、これだけは言ってもいいんじゃないか――そう思って、なのはは二人に一つだけ教える。

「新しく、友だちができたんだ」



学校から帰って来たなのはは、自分の部屋にかばんを置くと、急いで着替えて翠屋へ向かう。店の扉を開けると、中には二十人程度の客がいる。あと一・二時間もすれば、学校帰りの学生が来るようになって、さらに忙しくなるのだが、今はまだ常連で年配の客がほとんどを占めている。
なのはは店内を見渡して、探し人の姿を見つける。そして走って近づこうとするが、店の奥からそれを咎める声がかかった。

「お客様、店内で走るのはおやめください」

そう言いながら、店の奥からウィルがトレーを持って出て来る。翠屋のエプロンをつけ、首には固定具。エプロンに濡れた跡があるので、先ほどまで皿洗いをしていたのだろう。
なのはがその席に座ると、ウィルはなのはの前にカップを置いた。その席の他の人の前には、すでにカップとお菓子が置かれている。紅茶はラズベリーティー。テーブルの中心には、ラズベリータルト。
席に座っているのは、はやてとユーノ。そしてフェイトだ。


  *


あの日は、一行はウィルの発案でカラオケ店に寄ることになった(金銭は温泉旅行の時にはやてにもらった分を使った)
密談ができる場所の候補には高町家と八神家があったが、どちらも彼らにとって身近な人たちがいる場所。話し合い(交渉)が決裂した時のことを考えると、あまりよろしくない。もしかすると、彼らを人質にとられる可能性も――とウィルが考えてしまったのは、乱闘・誘拐・テロの対処をおこなう地上部隊の習性か。
それに、フェイトもろくに戦えない状態で敵の懐に行くのは心理的抵抗があっただろう。

なのはのレイジングハート、フェイトのバルディッシュは、先ほどのジュエルシードのせいで損傷していた。致命的なものではないので、魔力を流し込めばすぐにでも回復したのだが、二人とも魔力の消費が激しくて、そんな余裕さえなかった。幸い両方とも強力な自動修復機能を持っていたので、放っておいても一日あれば直るようだ。
ともかく、なのははデバイスがなければろくに魔法は使えない。フェイトは魔法は使えるようだが魔力不足。
他の面々はというと、ユーノは再びフェレット状態になって、なのはのポケットにしまわれている。先ほどの魔法、ラウンドガーダーエクステンドは魔力を多大に消費する魔法で、それを使ってしまったので、彼もまた魔力があまり残っていない。
そしてアルフはいまだ気絶中で、ウィルの背中に背負われている。
この中ではウィルが一番軽傷か。肉体駆動の使いすぎで体中が痛くて仕方がないし、アルフの攻撃を受けた左腕は特に痛むが、それでも戦えない程ではない。交渉が決裂した時には、フェイトを実力行使で抑えることも可能だろう。ある意味一人勝ちだ。


カラオケ店についた時には、すでに午後八時前。小学生は九時以降は入店禁止のため、一時間だけとする。

部屋に入ると、なのははさあ話し合いだと意気ごみ満タンで話し始めたが、しかし、フェイト自身が語ったこと、語れたことは非常に少なかった。
フェイト・テスタロッサという名前。そして、ジュエルシードを集める目的は、必要としている人がいるから。なぜ必要なのかは、フェイトも知らない。
まとめてみれば、たったこれだけのこと。

さすがにこれだけではいけないと、ウィルがフェイトに質問をする。
それでわかったことは、この世界に来ているのはフェイトたちだけであり、フェイトは何らかの組織に所属しているわけではない。この世界に来たのは、ウィルたちと初めて接触した日(月村家のお茶会)の前日であるということ。フェイトのバルディッシュは、フェイトに魔法を教えていた先生に作ってもらったものらしい。
なおも質問を続ける。次はジュエルシードのことをどうやって知ったのか、と質問しようとして、一つ賭けをしてみようかと考えた。

「失礼かもしれないけど、これだけは聞いておかないといけないんだ。良いかな?」

フェイトがうなずくと、少しためを作ってから言う。

「きみは、輸送船を襲ったか?」

「……え?」

表情を消す。
普段から気哀楽の表情をよく表しているウィルは、こうして表情を消すことで意図的に迫力を作り出す。小手先のテクニックだが、先ほどの戦闘におけるフェイトの例を見ても、表情の急激な変化は相手の心理を揺さぶる効果がある。

「きみは……もしくはきみの仲間は、ジュエルシードを手に入れるために輸送船を襲ったか?」

その質問の内容を理解して、フェイトはかぶりを振る。

「いいえ! そんなことしてません! 母さんもそんなことする人じゃ――」

そこまで言って、自らの失言にフェイトの顔が青ざめる。ウィルは思わぬ収穫にほくそ笑む。
フェイトの仲間が輸送船を襲っていないであろうことはわかっている。そもそも、事故の可能性が高いとユーノも以前に言っていたし、なにより自分たちで事故を起こしたにしては初動が遅すぎる。ジュエルシードが落下してからお茶会の日までには、半月もの時間があったのだから。
この質問の意図は、フェイトがその人物のことをどう思っているか――命令者がジュエルシードを悪用するような人物だと思われているのか――を判断するための質問だったのだが。どうやら予想外の情報も手に入った。


ここまでの情報を総合すると、フェイトが単独で来ている以上、犯罪組織が関わっている確率は低い。たとえ封印できない程度の魔導師でも、複数人いれば捜索の効率は上がるからだ。それを行っていないということは組織的な関与はまずない。
次に、バルディッシュから、金銭的には潤沢であることがわかる。このような高性能なデバイスを作るには、十分な設備と費用が必要だからだ。だが、金銭的に余裕があるなら、なぜ人を雇わないのかという疑問が浮かぶ。それに対する回答は二つ。管理外世界で行動するという非合法な行為に手を貸し、なおかつ裏切らないと信用できるような組織とのコネクションがない。または、ジュエルシードの使用目的が、そういった組織でさえ手を引くようなやばいものである。
もちろんフェイトが嘘をついている可能性もあるが、よどみなく答えているので確率は低いだろうと判断した。



「どうすれば良いんだろう……」

ウィルの質問が終わると、なのはが悩む。フェイトとウィル。そして、ユーノが納得するような折衷案を考えて。
ウィルが一つ案を出そうとした時、ユーノが声を上げた。

「僕に案があるんだけど、良い?
お互いにジュエルシードの捜査情報を交換して、協力して探すっていうのはどうだろう。
 今みたいに、ジュエルシードを見つけるたびに戦っていたら危険だよ。だから、二十一個のジュエルシードを全部集めるまでは、一緒に探したら良いんじゃなかって……。
 どうかな?」

ウィルは驚いた。それは、自分の案とほとんど同じ内容だったからだ。しかも、今までのユーノなら、一度念話を使ってウィルに確認をとっていただろう。それがなかったということは、ウィルの考えを見通したうえで、これなら反対しないだろうという確信があったのだろう。

「わ、ユーノ君すごい! わたしは賛成!」

「……私も、それくらいなら」

「おれも賛成。一時休戦だね」

全員があっさりとその意見を飲んだ理由の一つには、先ほどのジュエルシードのこともある。たった一個のジュエルシードであれほどの規模だと言うのは、ウィルたちの予想をはるかに超えていた。それがこの街にあと十一個もある状態で、毎度毎度ジュエルシードの周りで争うのは本当に危険極まりない。最悪、一個のジュエルシードに影響されて、残りのジュエルシードがドミノ倒しのように次々に活性化して、十一個全てが活性化という事態も想定される。そうならば国が地図から消えるかもしれない。
管理局にとっては都合が悪いが、もともと輸送の事故はウィルの、ひいては管理局のミスで、この世界の人々には関係のないこと。さっさと回収して、管理局とフェイトたちという管理世界に住む者同士、この世界に関係ないところで決着をつければ良い。

その後の話し合いの結果、お互い今まで通り別々に捜索をするが、毎日夕方にどこかに集合して、お互いのジュエルシードの捜索状況とその成果を教えること。そして、全てのジュエルシードの収集が終わるまでは、互いのジュエルシードには手を出さないことが決定した。
細かいことだが、ジュエルシードは先に見つけた方が所有する。暴走や活性化しているジュエルシードの場合は現場に先に到着した方。ただし、どちらのものになったとしても、その場はお互いに協力して封印する。
もしもほぼ同時に到着した場合は、封印後に簡単な勝負を行って決めること。
これらは管理局が来るまでという期間限定ではあるが、両者の間に協定が結ばれた。



そして、集合場所はここ翠屋になった。それから毎日、こうして夕方に集まって情報交換をしている。昨日などは、店が混んでいたので途中から高町家に集まった。なぜかはやても参加しており、もうみんな敵であったことを気にしていないようだ。
互いの捜索状況を記した地図は書き込みだらけだ。ほぼ毎日のようにジュエルシードが見つかり、現在はウィルとなのはが九個、フェイトが五個――合計して十四個のジュエルシードが見つかっている。もうこの街の周辺と、山の方はほぼ探し終えた。捜索が大変であり、放っておいても大丈夫だろうと後回しにしていた海の捜索に、そろそろ移るべきだろう。

そして、今日の報告も終わり、なのはたちはもう少しお喋りを続けるつもりのようだ。

「こうしてフェイトちゃんと仲良くなれて良かった。これもおまじないのおかげかな」

「おまじない?」なのはの言葉に首をかしげるフェイト。

「あのね、自分の持ち物を机の上に置いて、秘密の呪文を唱えながら願いごとを三回書くの。それから、願いがかなうまで毎日身につけるんだよ。秘密の呪文はね――」

フェイトはあの晩から、よく表情を見せるようになってきた。こうしてみると、あまり世間ずれしていないようで、なのはのメルヘンな発言に感心しながら聞いている。隣でかなり微妙な顔をして聞いているはやてよりは、よほど普通の少女に見えるだろう。
はやては童話や夢のある話が好きなくせに、意外とまじないなどを信じない現実主義な面がある。話は話、現実とは違うとはっきりとわけられるほど、精神年齢が高いのだろうか。それとも、おまじないや願いが、無意味で何の効果もないことを自分の身で知っているからなのか。


  **


再び皿洗いに戻ったウィルに、アルフから念話が届く。今日はジュエルシードの捜索をするからと翠屋に来なかったが、どうもウィルに話があるらしい。桃子に一言断りをいれて、アルフに指定された場所、高町家に向かった。
アルフは、高町家の庭、そこにある池のほとりにいた。池の周りを囲む石に腰かけて、じっと池の水面を見つめていたが、近づくウィルに気付いて、顔を上げた。

「……悪いね、わざわざ呼び出して。首はもう大丈夫かい?」

「どうした?今日はいやに殊勝な態度だな。狼とはいえ飼われているんだから、拾い食いはしない方が良いぞ」

「相変わらずむかつくやつだね。まだその首輪みたいなやつを巻いてるみたいだから、ちょっと気になっただけさ」


ウィルが首に固定具をつけている原因はアルフにある。
話し合いが終わり、まだ時間があったので何か歌おうか、せっかくカラオケに来たんだし。ミッドの曲は入ってないけど。
などと言っていた時、フェイトの隣――ウィルにとってはテーブルをはさんで対面に寝かせていたアルフの目が開く。
そして、ウィルの姿を認めた瞬間、その目に殺気が宿り、とび跳ねるように起き上がった。

「ユーノ君! バインド!」そう叫びながら、ウィルは瞬間的に壁まで下がる。

ユーノがチェーンバインドを発動。見事に、アルフの右腕をからめ捕る――が、それは引きちぎられる。魔力が減少した今のバインドでは、怒りに我を忘れているアルフは止められない。そして、なのはは魔法を行使できない。

「アルフ! 駄目っ!!」

フェイトはアルフをいさめるが、その声は耳に届いていないのか、テーブルを跳び越えて、ウィルに襲いかかる。
ウィルの後ろは壁で、もうこれ以上は動けない。とっさに両手をクロスさせて、防御する。
アルフの一撃――あごを下から打ち上げるアッパーは、防御したウィルの体を天井に打ち上げた。
ウィルの意識はそこで途絶えている。

その直後にフェイトがアルフを取り押さえて、これまでの経緯を語ったことで、とりあえずアルフも収まったらしいが、首から上が天井にめり込んで、体がぶらりと揺れているという、首吊りか逆犬神家というべき光景は、幼い少女たちに若干のトラウマを植えつけた。そのあげく、物音を聞いて駆けつけた店員が悲鳴をあげたことで事態は大ごとになり、ウィルはそのまま病院に運ばれることになる。
なお、カラオケ店は出入り禁止になったそうだ。



そんなこんなで、ウィルは今、首を固定するためのサポータを装備している。軽いむちうち程度で済んだのはさすがの魔導師といったところだろうが、一人だけ数日にわたる怪我を負っているので、一人負けに近い。
あれから何度かアルフとは顔を合わせたが、昨日まではアルフもウィルに対する怒りがおさまらないようで、つっけんどんな態度だった。それが今日は気づかうような言動さえしている。それに、いつもと違ってなんだか元気がない。

「話ってのは何?」アルフの隣に腰掛けながら尋ねる。

「ねえ、どうせあんたたちは、最後には全部のジュエルシードを取り返すつもりなんだろ。……だったら、今だけでいいんだ。何個か貸してくれないかい?」

「無茶を言うな。渡して必要な数が揃ったからさようなら――ってことになったら、目も当てられない。これ以上の譲歩は無理だ。
 急にどうしたんだ。昨日まではおれが何か言うたびに噛みついてきたのに、物理的に。
 何かあったのか?」

「……フェイトに母親がいることは聞いてるんだろ。今日、そいつのところに報告に行ったんだよ。
 あんたらと戦って五個も集めたんだから、フェイトもあたしも、きっとほめてもらえるって思ってた。そしたらさ、あいつ、いったいどうしたと思う」

アルフの顔はうつむいていて、その表情は見えない。だが、歯を食いしばる音が聞こえた。

「フェイトを拘束して、鞭で叩き続けたんだよ!それも、何回も、何回も! 役立たずってののしりながらさぁ!
 なんでだよ!あの子はあいつのためにずっと頑張っているんだよ。全然知らない世界で、こんなわけのわからない石ころを探せって言われて、理由も教えてもらえないのにたった一人で…………少しくらいほめてあげたっていいじゃないか」

それが先ほどの発言の理由か。フェイトがもう叱られないように、少しでもジュエルシードを手に入れようとしたのだろう。

池に波紋がおこる。うつむいているが、アルフの顔は水面にはっきりと映っていた。
使い魔は死んだ生物の体を触媒として作り出される。その時、素体にした生物の特性は受け継いでも、記憶は受け継がない。アルフはフェイトに作り出された。つまり、彼女はまだ生まれてから数年しか生きていないのだ。どれだけ知識があったとしても、大人びた容姿をしていても、その精神はフェイトよりもさらに幼い。
そんな幼子に、自分の大好きな人がぼろぼろになっていくのを見ながらも、それを止めることができないというのはどれほど酷なことなのか。

そんなアルフに作戦で暴言を吐いたことを申し訳なく思い、少し慰めてあげようと思い、震えるアルフ背後に回り、肩に手を置いた。

「な、なにすんだい!」

「疲れているみたいだからな。マッサージでもしてあげるよ、前のわびだと思ってくれ。……ほら、肩の力を抜いて」

「……別に気にしなくていいんだよ。あたしもあんたを殴っちまったし」

「そっちこそ気にするな。おれが償いたいんだ」

使い魔に――それも人間形態にマッサージをして、どれだけの効果があるのかはしらないが、目的は慰めることなので肉体的な効き目がなくても構わない。心がつらい時は、誰かと触れあうのが一番。フェイトのそれの何万分の一かはわからないが、ほんの少しくらいは、ウィルでも慰めることができるだろう。
ただ、なでたり抱きしめたりすると、拒絶されるかもしれないので、お詫びとしてこちらがしてあげるという形式をとった。
アルフも、最初はむずがゆそうにしていたが、マッサージを続けるうちに少しずつリラックスしたようだ。


「ありがと。……あんた、意外と良いやつだったんだね」

「敵には厳しいだけさ。今のアルフは敵じゃない」

マッサージを終えると、再びアルフの横に座る。アルフは、じっと池を見ている。

「……正直ね、渡してくれないんだったら、さっさとあんたたちが、あのババアを捕まえてくれた方がよっぽど良いよ。
 ……ねえ、あたしがあいつの居場所を教えたら、あんたは捕まえてくれるかい?」

「この世界にいるのか?」

「ううん、次元の狭間さ。だから、普通だと見つけられないよ」

答えようとした時、それを遮るようにアルフが声を上げた。

「やっぱりなし! ちょっとどうかしてたよ。フェイトを裏切るようなまねをするなんてさ」

「そっか。でも、良い判断だと思うよ。子供にとって、親の影響は大きい。アルフにとってフェイトが絶対的なように、フェイトにとっての母親もまた、絶対的だ。たとえ母親が間違っているとわかっても、フェイトは最後まで間違った母親についていく。それを止めるには、誰かが力で強引に止めないと。
 だから、本当に止めたくなったら、その時は言ってくれ」

「力で止める、か。それ以外に方法はないのかい?」

ウィルは少し困った顔になる。

「知ってたら教えてほしいね」


その時、ジュエルシードが活性化した気配を感じる。これで十五個目。
ウィルは先に立ち上がると、右手をアルフに差し出した。

「なのはたちに連絡して、みんなで仲良く向かおうか」


  ***


ジュエルシードの場所は臨海公園だった。
久々のジュエルシードモンスターは、臨海公園の木がジュエルシードによって暴走した木の怪物、良くいえば木の精か。幸い以前の巨大樹のような大規模ではなく、枝を伸ばすだけの普通の木だった。

「フェイトちゃん! 一緒に封印しよう!」

「うん!」

それは同時に現場についた二人の魔法少女によって、あっという間に封印される。相手の攻撃の届かない遠距離からの、桜色と金色の砲撃。バリアを張っていた気もするが、気のせいだろう。
残り三人は何もすることもなく、ただ見ているだけだった。


双方が同時に現場についたので、約束通りジュエルシード争奪のための戦いが始まる。
戦いのために、ユーノが広域結界を張る。その範囲は臨海公園も少しは入っているが、そのほとんどは海で、戦闘を行っても街に影響はない。
なのはとフェイトは海上に浮かび、ユーノは二人の間に浮かび、ルールの説明をおこなう。

これからおこなうのは、一種の模擬戦だ。ルールは「決闘の終了条件なんて、昔から決まってるだろ?最初の血が流れた時か、どちらかが死んだ時だ。……つまり、最初に一発当てた方が勝ちってことで」というウィルの一言で方向性が決定した。

「それじゃあ二人とも。この勝負は、僕――ユーノ・スクライアが審判を務めるよ。
 ルールは、より早く相手のバリアジャケットを傷つけた方が勝ち。魔法は非殺傷設定。制限時間は十五分で、時間内に決着がつかなければじゃんけんで――」


アルフとウィルは、ルール説明をするユーノを眺めながら、結界の端のベンチに腰掛ける。
一応二人は何かあった時の抑え役なのだが、翠屋からもらってきた袋詰めの菓子――焼いたパンをチョコレートで覆ったものを食べながら見ている。
パリポリと菓子を食う音が響く。完全に観戦状態だ。

「あんたはこの試合、どう思う」

「実力だけなら、まだまだフェイトの方が強い。なのはでは勝てないよ」

「ふふん、わかってるじゃないか。あんたが戦えれば、まだ可能性もあったのにねぇ」

「イヤミか? でも、この勝負に限ってはなのはにも十分に勝機はある」

「?」首をかしげるアルフ。

「先に一撃当てれば勝ちだからな。フェイトの直射弾は軌道が読みやすいから回避も簡単だし、中途半端な威力なら、なのはの高い魔力にものをいわせたシールドを抜くことはできない。逆に、なのはが得意な誘導弾は回避するのが難しい。
となると、なのはが遠距離を維持できればなのはの勝ち、接近戦に持ち込めばフェイトの勝ちだ」

「なんだい! 楽勝だと思ってたのに!」

アルフはやけくそ気味に袋に手を突っ込み、わしづかみにして一気に口に運ぶ。

「全部食うな! ……勝敗の決まり切った条件でやるわけないだろ。決闘っていうのはできる限り公平になるように設定するんだよ」

模擬戦では、実力差がありすぎる組み合わせの時は、片方のデバイスを使用不可にするとか、飛行魔法なしというハンデをつけることもある。地球でもご婦人と成人男性の決闘が行われた時、成人男性の方は腰から下を地中に埋められた状態で決闘することになったこともあったとかなんとか。

「そうかい……そろそろ始まるみたいだね。フェイト、気負い過ぎてなきゃいいけど」

母親に責められたことは、少なからずフェイトの心に影を落としているだろう。この戦いに勝てば、ジュエルシードを手に入れて、母親の期待にこたえられる以上、気負わないわけがない。しかし、気負いすぎて余計な力が入り、それがもとで負けてしまって、さらに落ちこむという悪循環に陥るのではないかと、アルフは心配している。

「そうだなぁ……でも、本気でぶつかりあってるうちに、気負いも吹っ飛ぶんじゃないか? 喧嘩して気分はスッキリ。二人は友情を深めるっていうのは、何も男だけじゃないだろうし」

「夕暮れの河川敷で、ってやつかい?」

「そうそう。その後で寝転がって無意味に笑うようなやつ」

それはともかく、これは良い勝負になるはずだ。殺し合いではなく、正々堂々と勝負をして決着をつけることは、二人にとって良い結果をまねくに違いない。
どちらが勝っても、さらに二人の少女の距離はさらに縮まるだろう。
不安もあるが、そんな期待を抱いて、二人の保護者は観戦する。


「それじゃあ二人とも、準備は良い?」

ユーノの確認の声に二人は頷く。
ユーノは二人の邪魔にならないように、フェレットの姿になって距離をとり、大きく息を吸う。

「はじめっ――」




「そこまでだ」

結界内に、六人目の声が響く。
なのはとフェイトの間に、少年が突然現れる。まだなのはたちとあまり変わらないような容姿の少年。背もなのはより少し高いくらいだ。
少年の黒いバリアジャケットは、ウィルのものと形状は似ているが、首元は詰襟のようで、肩には大きな棘がついている。さらに、ところどころに金属的な光沢のラインがはしっていて、落ち着いたデザインの中に秘めた攻撃性を感じさせる。
そして、誰もが一瞬で理解する。戦いを始めかけていたなのはとフェイトも動きを止めるほど。
この少年はこの中の誰よりも強い。

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。双方とも武器をおさめろ」


そんな中、一人ウィルだけが、複雑な笑みを浮かべていた。嬉しさ半分と――間の悪さに苦笑い半分。
彼は間違ったことはしていない。今にもジュエルシードのそばで、お互いに戦い始めようとしているのだ、止めるのは当然。
時空管理局の増援。しかも同期の中でも最強クラスが来てくれたことは、本来ならば喜ぶべきなのだろうが。

「クロノ」

友人に声をかける。どうしても言いたい一言を言うために。
クロノはこちらを見ると、口元をにやりと上げて応答する。

「久しぶりだな、ウィル。すまないが、挨拶は――

 「空気読めよ」

 ――なんだいきなり!」




[25889] 第10話(前編) オーバーロードとの邂逅
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/07/29 02:37
海上に現れたのは、一人の少年。名はクロノ・ハラオウン。
ただの少年ではない。彼は時空管理局の執務官である。

執務官――時空管理局における管理職の一種で、事件の捜査権と局員への指揮、指示権を持つ。それだけではなく、管理世界における管理局法の執行権限――つまり一時的ではあるが、現地の法よりも管理局法を優先させる権限――や、事件に関係すると判断した場合の管理外世界への介入権など、一個人にしてはあり得ない程強力な権限を持つ。
それは、世界ごとに法が異なる次元世界では――たった一つの世界内だけならともかく、複数世界をまたいだ事件では――通常の権限に縛られた捜査官では適切な判断を下せない場合が多々あるからだ。

高い権限にふさわしく、求められる能力も並大抵ではない。多種多様な世界の法律や文化に関する知識は必須であり、その上で確実に事件を解決する戦闘能力、もしくは指揮能力が必要とされる。一時的にでも現地の法をないがしろにして捜査することがあるのに、解決できませんでした――では、管理局の信用の失墜を招く。
その上で正常な倫理感がなければならない。執務官が望めば刑罰をある程度捜査することなど造作もなく、事件の真相をねつ造することさえ可能だ。

異なる文化、異なる価値観を天秤にかけて、軽い方を無視してでも事件を解決する。次元世界の現状や管理局のことを知らない者から見れば、傲慢とも言われてもおかしくない。
それが受け入れられているのは、管理局の存在が管理世界には必要であり、なおかつ組織としての信用があるからだ。
その花形とも言える執務官は、ただ一人の例外もなく優秀な人員で揃えられている。

執務官が出て来た以上、ジュエルシードを巡るこの事件は近いうちに終わるだろう。



ウィルがクロノに声をかけた時、フェイトは魔法を行使し始めていた。不意をつくつもりなのだろうが、クロノはウィルの方を向きながらもフェイトへの注意も怠っておらず即座に反応する。
動き始めた二人を見ながらウィルはアルフに告げる。

「管理局が来たから、約束通り休戦はここでおしまい。早くフェイトを連れて去った方が良い」

「見逃すつもりかい?」

すでに戦うつもりだったアルフは、その言葉に拍子抜けする。
ウィルはエンジェルハイロゥを起動。同時にバリアジャケットを身に纏いながら、その言葉に苦笑する。

「ここできみたちを取り押さえようとすると、なのはちゃんが反対しそうだからな。その代わり、このジュエルシードは諦めてくれ」


フェイトはクロノに魔力弾を放つがシールドで防がれる。だが、魔力弾は牽制にすぎず、真の狙いはその隙にジュエルシードを回収することだった。
クロノはまるで動じず、デバイスをフェイトに向ける。

『Stinger ray.』

水色の魔力弾が放たれる。たった一発だが、それはフェイトの動きを見極めて撃たれた、確実に命中する一発。
フェイトはシールドを展開。しかしあっさりと貫かれ、弾丸はフェイトに直撃する。クロノが使う本来のスティンガーレイは速度と貫通力に優れている。見た目で威力を判断して、このくらいのシールドでも大丈夫だろうと考えてしまうと、このようにあっさりと貫かれてしまう。
ただし、威力は控えめなので、直撃したにもかかわらずフェイトはすぐに体勢を立て直すことができた。
彼女は再度ジュエルシードを目指す。
だが、スティンガーレイの真価は防御魔法を貫いて敵に確実に当てること。そして、それにより相手の動きを止めることだ。フェイトが体勢を立て直した時には、クロノは新たな魔法を構築していた。つまるところ先ほどのスティンガーレイはただの牽制。

本命をまさに発射しようとしたその時、なのはが二人を結ぶ直線状に身を躍らせた。

「ちょっと待って! わたしたち、別に戦おうとしてたわけじゃ……ええと……戦おうとは思ってたんだけど、それは別に本気の勝負ってわけじゃなくて――」


その隙にフェイトはジュエルシードに向かう。
だが、その横をウィルが暴風と騒々しいジェット音をともなって駆け抜け、ジュエルシードをその手にする。一拍遅れて、彼の移動によって発生した衝撃波が臨海公園の木々の葉を吹き飛ばす。すぐそばを通られたフェイトも、同様に木の葉のように飛ばされたが、それをアルフが空中で掴んだ。

「フェイト! ここは引くよ!」

海面に拳をぶつけて数メートルにも及ぶ水柱を上げ、視界を遮断する。
それが消えた時には、すでに彼女たちの姿は結界内のどこにもなかった。



ウィルはクロノの前に降りて片手を軽く上げる。

「久しぶり、クロノ。お前だけってことはないよな?」

「ああ、『アースラ』が来ている。それより事情を説明してくれるか」

「金髪の少女はジュエルシードを無断で回収している。法を犯してはいるものの、最優先事項はジュエルシードの回収と判断したので、管理局が来るまでという期限付きで協力していた。
 そこの少女は高町なのは。偶発的な事故でこの事件に巻き込まれた現地人だ。魔導師の存在しないこの世界において高い魔法の資質を持っている。本人の強い意思もあって、民間協力者としてジュエルシードの回収に協力してもらっている。まだ魔法を知ってから一月程度で、次元世界に関する知識もほとんどない。説明する時にはそれを考慮にいれてくれ」

必要最低限なことだけを伝える。クロノは少し思案したようだが、ここで話をしても時間の無駄だと判断したのか、質問をせずにうなずいた。

「わかった。それ以上のことは艦長への報告の時に聞こう」


少し離れたところからこちらを見ているなのはたち(いつの間にかユーノも合流していた)に、クロノが呼びかける。

「はじめまして。僕は時空管理局のクロノ・ハラオウンだ。
 突然で申し訳ないけれど、事件の詳細を把握したい。今から僕たちの船に来てもらいたいのだが、構わないだろうか」

「船?どこにあるんですか?」

なのははきょろきょろと海を見回すが、周囲には何も見えない。それも当たり前。時空管理局の船は水によって構成される海を渡るためのものではない。

「船へは転送魔法で移動してもらう。だから、僕たちのそばに集まってくれないか」


なのはたちがこちらに飛んでくるのを並んで見ながら、クロノはウィルに話しかける。

「遅れてすまなかった」

「気にするな」とウィルは笑いながら返す。お互いの言葉には、先ほどまでとは異なり友人に対する親しみがある。

「そうか。輸送船の事故に巻き込まれたと聞いていたが、大丈夫か? その首は――」

「これは別件で。ま、いろいろあったけど、今は無事だよ」

「そうか、良かったよ」

全員が集まると、クロノが右手を上げる。
すると周囲に魔法陣が展開され、数秒後にはウィルたちの姿はこの世界から完全に消えた。


  *


視界が切り替わると、そこは巨大な部屋の中だった。その部屋は高さだけでも二十メートルはあり、確とした照明もないのに、部屋全体が薄い光に包まれて明るく照らされている。まるで空気自体が発光しているようだ。
ウィルたちはその部屋の中心に設置された足場に現れる。その背後には転送のための魔法陣が光を放っていた。足場からは正面に道が続いており、その先にはこれまた数メートルはあろうかという巨大な扉があるのだが、いかんせん部屋が巨大すぎる上に扉まで距離があるせいで相対的に小さく感じられる。

「ねえ、ユーノ君、ここ……どこ?」

なのはが見慣れない光景に委縮し、不安そうに尋ねる。

「時空管理局の次元空間航行艦船――世界の間を移動するための船――の中だと思うよ。僕も管理局の船には乗ったことはないから、はっきりとはわからないんだけど」

歩き始めようとしていたクロノが足を止め、ユーノを見る。

「その小動物はきみの使い魔か?」

その言葉に、ウィルが思い出したというようにポンと手を打つ。

「そう言えばユーノ君を紹介するのを忘れていたな」

「またですか……」ユーノ、しょんぼりする。

「おれも悪気があったわけじゃない、許してやってくれないか」

「それは本人がいけしゃあしゃあと言うことじゃないですよね」

ユーノはなのはの肩から飛び降りると、人間の姿に戻る。そして挨拶をしようとするが、クロノはそれを押しとどめた。

「その顔には覚えがある。ユーノ・スクライア、だろ」

「僕のことを知っているんですか?」

「当然だ。ジュエルシードの発掘者で、『先行調査』のために第九十七管理外世界への渡航許可をとっていた民間人を、ジュエルシードの回収のために来た部隊が知らないわけがないだろう?
 きみにもいろいろと聞きたいこともあるが、全ては艦長の前で聞くことにしよう。
 その前に
 二人とも――次元空間航行艦船『アースラ』へようこそ」


扉を出てすぐに後ろを向くと、扉の近くには複数の言語で転送室と書かれている。有事の際には、魔導師たちは先ほどの部屋の転送システムを利用して、船から出撃することになっている。個人の転送魔法とは異なり、一度に数十人単位で転送することができ、さらにはモニターが十分に繋がっている場所であれば、こちらへと呼びもどすこともできる。
転送室の外には通路が続いている。壁そのものが光を放つ通路を歩いている時に、クロノが何かに気付いたように振り返る。

「いつまでもその姿というのも窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは解除しても平気だよ」

なのはは今になって気付いたようで、慌てて解除する。それを確認すると、クロノは再び歩き始めた。なのはがその背中に声をかける。

「クロノ君は解除しないんですか?」

「僕はまだ任務中だ。艦内とはいえ、気を抜くわけにはいかない」

顔だけで振り返って答え、その言葉通りに両方とも解除せずに、再び歩きだした。敵でない可能性が高いとはいえ、事情を聞くまでは完全に警戒を解くつもりはないようだ。そのためか、なのはたちも委縮してしまい、一行はしばらく無言で通路を歩く。
そんな中、ウィルがクロノに話しかけた。

「クロノのバリアジャケットって、前まで肩のトゲはなかったよな。実用性のない装飾はいやだって言ってたのに、どうしたんだ?」

「これもある意味で実用性を追求した結果だ。これでも執務官だから、敵にも味方にもなめられるわけにはいかない。見た目だけでも、威厳を出す必要がある」

「そっか、大変だな。威厳があるかはわからないけど、かっこいいし、似合ってるよ」

「そ、そうか?ありがとう」少し照れながら礼を言うクロノ。

「ああ。童顔と裏腹に凶悪なデザインというアンバランスさは、一部の人たちにはうけるはずさ」

「急にほめられている感じがしなくなったな」


先ほど現れたばかりのクロノと普通に会話しているウィルに疑問をもったのか、なのはが質問する。

「二人は知り合いなんですか?」

「ウィルとは士官学校の同期で、それ以来のつきあいだ」

「断金の交わり、莫逆の友ってやつさ」

「……前者はともかく、後者は違うな。むしろ逆の友だ」


「ウィルさんと同期……あの、クロノ君って何才なのかな?」

「十四才だ」とクロノが、「同い年」と続けてウィルが言う。

二人とも声をあげて驚く。クロノの容姿はどう見ても十才程度。童顔な上、背丈もなのはよりほんの少し高い程度だ。ウィルは百七十センチメートル程度の身長で、体格もその世代の平均以上。人によっては十六才くらいだと思うかもしれない。
そんな二人が並んでいると、とても同年代には見えない。

驚いたことで少しだけ緊張感がほぐれたのか、それを機に会話をしながら歩き続けた。


  **


「艦長、来てもらいました」

クロノに続き、部屋の中に入る。その内部はなんと――なんとも説明しがたい様相になっている。
本来執務をおこなうデスクの場所には畳が敷かれ、屋内だというのに野だての用の和傘がその横に置かれている。さらには壁にいくつもの盆栽が並び、掛け軸がかかり、極めつけにししおどしが部屋の隅に置かれている。
和を体現したかのような部屋なのだが、青白色の壁とどうにも馴染まぬ上に、あまりにも要素が多すぎて混沌とした印象しか感じない――少なくともわびさびの精神を体現するおとはできていない。まだ一月程度しか日本に滞在していないウィルとユーノでも、どこか違和感を覚える。ましてや純日本産のなのはは、口が半開きになったまま静止している。

畳の上では茶釜が風炉にかけられており、さらに管理局の制服に身を包んだ女性が座っている。彼女は豊満な胸の前で両手をあわせると、仕事帰りの旦那を迎える若妻のように、満面の笑みをうかべる。

「はじめまして、わたしがこの艦の艦長。リンディ・ハラオウンです。
 みなさんお疲れ様。どうぞ楽にしてね」

クロノはがリンディの横に座り、ウィルたちはその対面に座る。リンディは茶を点てて、みなに出す。
彼女は二十代にしか見えない容姿だが、クロノという一児の母親である。ウィルも何回か会ったことがあるが、対人関係の間合いをとるのが非常にうまい人で、おそらくこの部屋も彼女の演出の一つなのだろう。相手に合わせながらもどこかはずしたところを見せることで、心のガードを下げさせる。自分を小さく見せることで利を引き出すその技術は、ウィルにはなかなか真似できないものだ。
聖母のように笑顔を絶やさないその顔は、一種のポーカーフェイスの役を果たしており、どこまで狙ってやっているのかは判断できない。しかし、彼女はアースラという船一隻のトップである。しかも有事には提督――時空管理局の本局、すなわち海の艦隊を指揮する立場でもあり、管理局全体でみてもかなり上位の人物である。計算であれ天然であれ、有能であることに疑いはない。

リンディが時空管理局の説明をおこなっている間、ウィルとクロノは念話で会話をしていた。魔導師はマルチタスクという思考分割能力に長けており、一つの会話の内容を理解しながら、別の人物と会話をすることなどは朝飯前。慣れていないと、どこか心ここにあらずになってしまうのだが、この二人のマルチタスクを見ぬくには、相当するどくなければ不可能だろう。
二人の話題は部屋の内装についてだった。

≪ここまでするかぁ……。やっぱりなのはたちに合わせたのか?≫

≪それもあるが、半分は母さんの趣味だ。管理外世界を訪れるにあたって、事前に現地の文化を調査したのは良いんだが……どうも気にいってしまったみたいなんだ。出航前に買い物に付き合わされたよ≫

≪向こうで仕入れたのか? どうやって?≫

≪この第九十七管理外世界、通称地球は、今まで全く管理世界と交流がなかったわけじゃない。記録に寄ると、事故に巻き込まれて管理世界に来た者、まだ管理局が存在しない頃に連れてこられた人々がいたようだ。彼らが持ち込んだ文化は、今でも一部の地域で根強く残っている。
 だから、管理外世界に関係する物を取り扱っている店に行けば、比較的容易に購入できた。別段危険な物でもないからな≫

≪なるほどね。どうりで地球では翻訳魔法が完璧に通じるわけだ≫

≪そんなことも確認しないで来たのか。言葉が通じなかったらどうするつもりだったんだ?≫

≪確認している余裕なんてなかったし、通じなかったらその時は森にでもこもっていたよ。ジュエルシードが活性化したら森から出て来て、封印したら森に帰って――って感じでね。
 あ、まさかこんなもん予算から買ってないだろうな≫

≪それは安心しろ。全てポケットマネーだ。……母さんがいろいろ買ったせいで、我が家の家計的にはかねりの痛手だったが≫

≪リンディさんらしいっていうか、ちょっと子供っぽい――≫

二人が視線を感じてリンディの方を向くと、にこりと笑った彼女と目が合う。

「二人とも、それはあまり行儀の良いことじゃないわよ」

「「ごめんなさい」」

なのはとユーノは、急に謝り出した二人を不思議そうに眺めていた。



三人はこれまでの経緯を語る。時に質問がはさまれながらも、どうにか最後までのことを語り終えた。

「三人とも立派だわ」

称賛する(ように見える)リンディとは対照的に、クロノは渋面を作っている。

「だが、同時に無謀でもある。特にウィルとユーノ、きみたちは一人で来るべきではなかった」

「確かにその通りだ。お叱りはあまんじて受けるよ。でも、今回ばかりはその判断が功を奏しただろ?」

「そうだな、それもまた事実だ。封印できる者が誰もいなければ、被害の規模は現状の比ではなかった。その点ではきみたちの行動は称賛されてしかるべきだ――が、その行為が法にふれていることも事実だ。
 ウィルはロストロギアの輸送任務中で、輸送物に対して責任を持つ立場だったと言うことを考慮すれば、許可なしに管理外世界へ介入したことも緊急的な措置だったと認められるだろう。罰もおそらく訓告程度ですむ。
 だが、ユーノについてはお咎めなしは厳しいな。きみは発掘者とはいえ、民間人だ。そのきみに認められたのは先行『調査』であって『回収』ではない。そして、管理外世界における魔法行使の許可はとっているが、無差別な広域念話はあきらかにその適用外だ。
 そしてもう一つ――管理外世界、しかも魔法が存在しない世界の住人への魔法技術の譲渡。これはどう言い逃れをすることもできない。罪状だけをみれば、最低でも数年の懲役刑になる」

場が静まる。一拍置いてなのはが抗議の声をあげるが、ユーノは首を横に振ってそれを抑える。法を知らなかったわけではない。知った上で法を犯した。それが善意からであれ、悪意からであれ、その事実は変わらない。
それになにより――

「覚悟はしています。それに僕は……僕の思慮が足りなかったせいで、無関係ななのはをこんな危険なことに巻き込んでしまいました。それに対する罰も加えれば、それはまだ軽いくらいです」

「ユーノ君……」

「本当に、立派ね」リンディが、慈しむように言う。

ウィルはユーノの背中を軽く叩く。

「大丈夫、管理局は加点主義だから。事件解決への貢献と相殺しあって、最終的にはそれほど重い罰にはならないと思うよ。なぁ、クロノ?」

「その通りだ――脅すようなことを言ってすまない。ウィルの言う通り、きみの行動は結果的にこの世界に対する被害を大幅に減少させた。
 それにきみのように優秀な魔導師であれば、奉仕時間の方で大幅に贖うこともできる。無罪は無理でも懲役にまでなる可能性はないと思って構わない」

なのはがユーノの手をとって喜ぶ。ユーノはこの世界の人々のことを考えて、善意から行動したのだ。それが裁かれるなんて、なのはには信じられないこと。
しかし、ユーノは安心したような表情と同時に、何か納得のいかないような、複雑な表情をうかべている。その気持ちがウィルにはなんとなくだが理解できた。罪を覚悟していたユーノにとっては、罰が軽くなったこと自体は喜ぶべきことだが、本当にこれで良いのかと思ってしまう気持ちもあるのだろう。
つまり、どのような事情があれ、罪は罪としてきちんと裁かれるべきではないのか――と。

なのはは気付かない。クロノでさえ気付かない。ウィルは同じような思いを持っていたから気付けた。気付いたところで何をできるわけでもないが。

「一旦休憩しましょうか」

そのリンディの言葉に合わせるように、茶釜から湯気が出る。リンディは新たにお茶を入れ、そしてどこからか羊羹をとりだした。彼女の手製らしい。羊羹は妙に甘かったが、苦い茶とよく合っていて、全員思わずにやけてしまうほどの出来だった。
しかし、リンディが突然茶に砂糖を溶かしだし、甘い羊羹と甘い茶という組み合わせをおこない始めると、その胸やけしそうな光景にみな揃って視線を外した。これなら、スイカに砂糖をかけた方がましだろう。
リンディは羊羹を口に含むと、残念そうにため息をつく。

「少し薄味だったかしら?」

薄いのか、これで。



[25889] 第10話(後編) オーバーロードとの別れ
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/06/22 14:44
一服が終わると、リンディは色を正して三人の方を向き、つられるようにウィルたちも思わず襟を正す。

「これからのことを話す前に、ジュエルシードについて、こちらでわかっていることを教えておくわね」

説明の序盤は既知の情報ばかりで、おさらいのようなものだった。
ジュエルシードは膨大な魔力を秘めた結晶体で、生物の思念や魔力に反応して活性化し、魔力を放出する性質を持っている。生物の思念に反応した場合はその思念を実現するようにはたらく――つまり願いを叶える。魔力に反応した場合は、ただ無差別に周囲に魔力を放出する。その場合、加えられた魔力の量によって、放出される量が変化する。数日前のビル街では、AAAランクの魔力量をもつ魔導師二人に反応したため、非常に大きな魔力が放出された。
その空間をゆがめるほどの魔力の波動は、次元世界では次元震と呼ばれている。

「私たちが今になって介入したのは、その時の次元震を観測したからなの。その凄まじさは、現場にいたあなたたちが一番よく知っているわね」


「次元震ってなんですか?」

なのはの疑問に答えたのは、クロノだった。

「次元震とは魔力素の振動、そしてそれを媒介として伝わる波のことだ。音波のようなものだが、魔力素は一部の例外を除けば地中や海中、宇宙にも遍在するから、その波はあまり減衰することなく周囲の全てに伝わる。はたから観測すれば空間そのものを動かしているようにも見える。また、空間を移動する転移魔法や、次元世界間を移動する次元転移魔法が存在することからもわかるように、魔力素は空間や次元の制約を受けにくい。だから、大規模な次元震は、あたかも転移魔法のように次元を越えて近隣世界にも被害を与えるんだ。
 さらに恐ろしいのは、魔力素の大規模な変化が天候や地殻にも大きな影響を与えることだ。次元震の派生した周囲では、空は暴風が吹き、海は荒れ、地は揺れ動く。次元震の影響下では、避難さえ難しい。座標が安定しないから、転送魔法で外部から救助することもできない――」

「あの……クロノ執務官。なのはの頭がオーバーヒートしそうなんで、もう少し簡単に……」

ユーノの懇願に、クロノは困った顔をする。

「だが、正確に言わなければ誤解を招く恐れがある。管理外世界の住人に偏向した知識を与えることは、管理局法で禁じられているんだ」

「石部金吉金兜(※極端に融通が利かない人物のこと)」と、ウィルが日本の故事成語で毒づく。

「なあウィル、その言葉の意味はわからなくても、馬鹿にしていることは伝わったぞ」

「二人とも相変わらず仲が良いみたいで嬉しいわぁ……ところで、話を続けてもいいかしら?」


仕切り直し。


「とにかく、次元震は恐ろしい災害だと思ってくれれば良いわ。
それでね、あなたたちが体験した次元震は、ジュエルシードの何万分の一の力が解放されただけにすぎない――って言ったら信じられるかしら?」

「あ……あれで万分の一!?」

リンディの思いもかけない言葉に、ウィルの声が思わず裏返る。街が消えるとか、そんな程度の想像はしていたが、それはまだ楽観的だったようだ。あれで万分の一なら、たった一個でも完全に発動すればこの星の文明が完全に滅ぶ。ましてや二十一個全てが揃えばどのような事態になることか。
その考えを読み取ったかのように、リンディは話を続ける。

「輸送前に採られたデータを本局の方で解析した結果、いくつかのことが判明したの。なのはさんには少し難しい話になると思うから、わからないところがあれば質問してね。
 あなたたちが今まで経験してきたのは、ジュエルシードを使用するための準備段階にすぎなくて、本来は複数個で使用することを前提にしている作られているの。活性化したジュエルシードを互いに干渉させ合い、それによって発生するエネルギーによってジュエルシードをさらに強く活性化させる。そしてそれらをまた干渉させて――そうやって繰り返すことで徐々に魔力を解放する。
 そして、完全に解放されたジュエルシードのエネルギーは空間に干渉して、次元世界規模で大規模な変革をひき起こす。それがどれだけの規模になるのかはわからないし、そんなことをして破壊以外の結果が生まれるのかもわからない。でも、まず間違いなく大規模な次元震が発生……もしかしたら、次元断層を発生させてしまうかもしれないわ」


「次元断層って――」

なのはがみなまで言う前に、今度はウィルが答え始める。

「大きな次元震によって生まれる、空間の亀裂のことだよ。これの何がやばいかっていうと、次元断層は正常な空間が膨大なエネルギーで無理やり引き裂かれたものだから、元の正常な状態に戻ろうとして再び動きだすんだ。そのためにまた空間を動かすわけだから、それにともなって次元震が発生してしまう。
そのせいで、次元断層のそばの世界は、完全に閉じるまでの数十年から数百年の間、ずっと大規模な次元震にさらされ続けることになるんだ」

ウィルの説明も九才児への説明としては大概わかりにくいものだったが、なのははなんとか理解したようだった。
ウィルは淡々と説明しながら、後悔していた。そんな危険な代物であるなら、一個でもフェイトに渡すべきではなく、なのはたちの不興をかってでも奪っておくべきだった。リンディの言葉は単に危険性を示しているだけではない。フェイトがジュエルシードを複数個集めていること、そして現在五個所有していることを考えると、それが実際に起こる――今すぐにでも起こされる可能性は十分にある。
もっとも、おそらく五個では無理だとも考えているが。科学的な根拠はないが、発掘時に一ヶ所に二十一個置かれていたと言うことは、完全な制御には二十一個全て、もしくはそれ以上が必要だと思われる(もしかしたら七個で完全制御が可能で、それが三セット置かれていたのかもしれないが)
しかし、そんな考えも相手が狂人であれば意味を成さない。何個必要かわからずに、今にも作動させてしまう可能性がある。

(もっと、徹底的にやるべきだったな)

そんな風に考えていると、再びリンディが話し始めた。

「そんな事態は、絶対に防がないといけないわ。
でも、今の話は推測にすぎなくて、詳しいことはまだわからないのよ。だから、あなたたちが持つジュエルシードをアースラで預かって解析したいのだけど、良いかしら?」

そんなことを聞いた後で断るわけもなく、十個のジュエルシードはそのままアースラに預けることになった。



「では、これよりジュエルシードの回収は、時空管理局が責任をもって遂行します。
なのはさんとユーノ君は、今まで良く頑張ってくれたわ。後は私たちに任せてちょうだい」

なのはは思わず身を乗り出す。

「あの、このまま手伝っちゃだめですか?」

「これは時空管理局が起こした事件だ。これ以上民間人を巻き込むわけにはいかない」

クロノがあっさりと斬って捨てた。

「でも……」

「急に言われても気持ちの整理もつかないでしょうから、今日は帰ってからゆっくり考えてみて。できれば、ご家族ときちんと話し合った方が良いわ。……そうね、今回のことでなのはさんのご両親にはいろいろと説明しなきゃいけないし、できれば明日にでもご両親とお話ししましょうか」

どうせなら高町家にだけでなく、他の関係者――すなわち月村家とはやてもまとめて、一度に説明する方が楽だ。ということで、ウィルには両家(プラスはやて)と相談して、会談の時間と場所を決める任務が与えられた。


「ウィル君はできる限り早く報告書を提出してちょうだい。それと、解決するまでの間は艦の戦力に組み込まれることになるわ」

「了解。報告書はすでに完成していますから、今日の分を書き足せば、すぐにでも提出できます。
 デバイスが壊れているので、アースラで修理をお願いしたいのですが、その許可をいただけますか」

「了承。申請書は後日で構わないわ」

「なのはちゃん、ユーノ君、ささっと報告書を書きなおすから、少し待っててくれるかな。
 クロノ、その間にアースラの中を案内してあげたらどうだ。ついでにおれのデバイスを修理に出してくれたりすると惚れ直すぞ」

ウィルは腕輪(待機状態のシュタイクアイゼン)をはずして、クロノに投げ渡す。

「執務官になってから、使いっぱしりにさせられたのは初めてだよ」


  *


三人が出て行った後、リンディと二人きりの艦長室で、報告書を書き続けながら問うてみる。ジュエルシードの危険性を知っていながら、なぜ一月もかかったのか、と。
リンディが教えてくれた理由は、いくつかあった。
まず、最初はジュエルシードの危険性が認識されていなかったこと。発掘された後に採られたデータは、単体のデータとしては危険なものではなかったので、本局の方でも後回しにされてしまった。
さらにタイミングの悪いことに、ジュエルシードが発掘される少し前に別の世界でロストロギアによる事件が発生しており、海の待機部隊がそちらに出払って、すぐに地球に来ることができる部隊がなかったそうだ。結局、哨戒任務に出ていた艦船の中で、最も本局の近くにいたアースラが急いで呼び戻されることになった。
なんと運の悪いことか――と思ったが、リンディによるとこのような事態はたびたび起こるらしい。むべなるかな、三十余の管理世界に、百数十の管理外世界――合計二百近い次元世界では、常に何かしらの騒動が起こっている。そして、世界にはロストロギアという、簡単に世界を破壊できるようなものがごろごろと転がっており、それらがなんたらかの拍子に発動することや、悪人の手に渡ることもある。
年に一度は百数十の管理外世界のどこかで世界の危機が起こり、管理世界でも十年に一度は起こるほど。

“The world is critical!!”
文明の発達の果てに他の世界へと進出した人間たちを待っていたのは、自分たちは地雷原の上で生きているという事実だった。

閑話休題。
ともかく、ジュエルシードのデータの解析と現地文化の調査を並行しておこない、管理外世界への介入ということで数日にわたって会議を重ねて、ようやく許可が出てアースラが数日前にこの宙域にやって来た――

「――ということなの。遅れてしまってごめんね」

「海も相変わらず人手不足ですね。でも、そのおかげでリンディさんが来てくれたんだから、悪いことばっかりじゃないかな」

「あらあら、照れるわ」

「いやいや、口説いているわけじゃないですからね。もしもハラオウン以外の部隊が来ていたら、おれは捜査に協力させてもらえなかったかもしれませんから。養子とはいえ海の怨敵の一人息子ですからね」

ハラオウンは数代にわたって提督を輩出し続けている、管理局の名家だ。百年にわたり築き上げたコネクションは、管理局内に留まらない程に広く、次元世界で最大規模の宗教組織『聖王教会』にもコネクションがあるという噂もある。そんなハラオウンも、十年前にクライド・ハラオウン提督――クロノの父親が死亡したことで一時期はその勢力を減じていた。
それでもいまだに大きな影響力を維持しているのは、クライドの伴侶であるリンディが自ら提督として活躍を続けていること。そして、これまた海の名家であるロウランをはじめとする大勢の有力者と良好な関係を築いている要因が大きい。

「ここまで首をつっこんだ事件に最後まで関われないのは、やっぱり嫌ですから」

「なのはさんもそういう気持ちなんでしょうね」

「責任感が強い子ですからね。彼女の家族も、そういうことに理解のある人ですから、彼女が強く望むのなら許可すると思いますよ」

リンディは、その時初めて困ったような顔を見せる。

「本来なら倫理的な面でも、実用的な面でもお断りするのだけど、彼女の高い魔力はジュエルシードの封印にとっては非常に有効なのよね。強い意思があるのなら、断って下手に動かれるよりはこちらの指揮下で参加してもらった方が良いかしら……このあたりはウィル君と同じ考えになるわね。
 そうそう、家族と言えば、ゲイズ少将が心配してらしたわよ。私たちが担当に決まった時に、わざわざ連絡してきたくらい」

「親父が?」

リンディは何かを思い出したのか、クスクスと笑いながら話す。

「ええ。急にメールが来たかと思ったら、ずーーーっと海への文句ばかり書いてあったのよ。でも、その最後に息子のことをお願いします――って」

「ツンデレだなぁ、もういい年なのに。でも、どうやってリンディさんが担当だって知ったんでしょうか?」

ウィルの養父、レジアス・ゲイズ少将はミッドチルダ地上本部でも有数の人物であり、発言力の大きさだけで言えば、地上本部の実質的なトップと言える。ある意味陸の代表とも言える彼と海の関係は最悪に近い。レジアスは海がたびたび優秀な人材を陸から引き抜いていくことと、陸海間の予算不均等に血管が破裂せんばかりに怒っており、公の場でも歯に衣着せずに海を批判するので、当然のごとく海からは嫌われている。そんな相思相憎の仲であるレジアスに、身内が巻き込まれているとは言え、海が担当する今回の事件のことが伝わるのだろうか。

「あら、知らなかったの?少将は意外と海にも顔が利くのよ」

「本当ですか?犬猿の仲だと思っていましたけど」

「本局上層部の大多数は、確かに疎ましく思っているわ。でもそれは、少将の影響力が海にも及んでいるからよ。自分の出身世界を守りたいって思う局員は、少なからず賛同を覚えているし、何より引き抜かれた彼の部下が本局の管理職に結構いるのよね。優秀だから引き抜かれたのだから、当然と言えば当然のことなのだけど」

レジアスがただ吠えているだけの子犬なら放っておけばいい。しかし、実際には相手を傷つけるだけの牙を持っているからこそ、危険視されているということなのだろう。

「それじゃあ、おれなんかと仲良くしていると、リンディさんやクロノの立場が――」

「今はまだ、そんなことは気にしなくて良いのよ。早いうちから派閥や損得に縛られていると、年をとってから柔軟に動けなくなるわ。……なにより、私はあの子に気の置けない友達がいることが、とても嬉しいんだから」

「ママン……!!」包み込むような温かさを持ったリンディの母性のオーラにあてられて、そんなよくわからない言葉がもれた。


  **


三人は、転送魔法で臨海公園に送り届けられた。すでに日が暮れた夜道を歩いて帰る。戻って来た翠屋には、士朗と桃子だけではなく、恭也と美由紀も集まっていた。あまりにも帰りが遅いので心配していたらしい。
しかし、これ幸いと全員に事情を説明する。それから、電話を借りて月村家にも説明して日程を決める。その結果、会談は明日の午後から月村邸でおこなうことになった。
そのことを下船する時に受け取った通信機でアースラに伝えると、ウィルは翠屋に待たせていたはやてと一緒に八神家に帰った。
今日で一旦お別れだというのに、その帰り道はなんの変哲もない、いつも通りの帰り道だった。
ただ、

「これからどないするの?」

「この事件が解決するまでは艦の方で待機することになる。管理局が来たからにはすぐに解決するから、安心して良いよ」

「ん、わかった」

そんな短い会話が加わっただけ。
家に着いて、遅めの夕食を食べる。その日の夕食は、いつもに比べて少し多かった。
部屋に戻っても、まとめるほどの荷物はない。もともと身一つでこの家に厄介になったのだ。せいぜい衣類と歯ブラシ程度。立つ鳥跡を濁さずと言うし、寝るまでの時間をたっぷり使って、部屋の掃除をおこなった。



月村邸での会談には、すずかとファリン以外は両家の全員が集まった。
アースラ側は、クロノが武装局員と共にさっそく調査に乗り出しているので、リンディが一人で(ウィルもアースラ側なので、正確には一人ではないのだが)訪れた。
参加者はみなウィルから次元世界について聞いていた面子なので、リンディの説明に混乱する者も特におらず、何事もなく終わった。

なのはとユーノは、これ以上は事件に関わらないということになった。なのはが手を引いたことは意外だったが、ウィルにはすっぱりと諦めたわけではなく、何かに悩んでいるように見えた。
ユーノはなのはと共に、事件解決まで高町家に残留することになり、意外にも恭也がそのことをとても喜んでいた。一つ屋根の下で暮らしているうちに男同士で仲良くなったようで、恭也曰く「弟ができたようで楽しい」とのこと。

ジュエルシードによってこの街が負った被害は、月村家を介して管理局が一部を負担することが決定した。支払い自体はこの世界においても価値をもつ貴金属などを用いれば良いのだが、管理世界と言う外部から持ち込むことになるので、この世界の経済に対する影響をよく考えなければならない。さらには、支払いの代行を一任しても構わないと言えるほど、月村家が信頼できるかどうかがわからないという問題もある。
さらには、管理世界のことを知った両家に対する事件解決後の対応などなど、問題はとうてい一日では終わらないほどに山積みだ。
よって、そういった政治的な話は、事件が解決した後に時間をかけて決定することになった。

そして、ウィルはその会談が終わると、そのままアースラに向かった。



はやては士朗に車で送ってもらって帰宅する。
士朗たちに夕食に誘われたのだが、それは断った。ウィルが来てからは食材を二人分買っていたので、はやて一人では食べきれない程の食材が冷蔵庫の中に残っている。傷む前になんとかして使いきらなければ――と言うのは口実にすぎず、なんとなくそんな気分ではなかったからだ。
家に帰って夕食を作ろうとするが、どうにもやる気がでない。集中できない。別段何かを考えているわけではないのに、時折ぼうっとしてしまう。
当然料理にもそんな気持ちが反映してしまう。

「あかん、煮崩れしとる」

食べるのが自分だけで良かったと考えながら、棚から食器を出そうとして、今度はいつものようにウィルの食器も一緒に取り出してしまう。
どれだけうっかりしているのかと、自分に苦笑しながらウィルの分だけをしまっていく。

そして、マグカップを手に取った時、思わず手が止まる。これは、はやての使っているものだと小さすぎたので購入したものだ。
彼がこの家に来てから変わったこと。その中でも、目に見えないようなことならいくつもある。
一月前までは自由に使っていたソファーは、彼が来てから自然と位置が決まり、今では何も考えずとも自然と決まった位置に座ってしまうようになった。家事は二人で分担していたので、以前に比べると空き時間が大幅に増えていた。
しかし、そういった目に見えない変化は、一人の生活に戻ればどんどん消えていくだろう。

ウィルは自分の所有物はほとんど持って行ったため、消えないもの――形に残る物と言えばこれくらいしかない。
これがなくなれば、この家に彼を連想させるものはなくなってしまう。


――だから捨ててしまおう。

見るたびに思い出して泣きそうになるだろうから。
楽しかったこの一月と、これからを比べてしまうだろうから。

ほうとため息をつく。

「この家も、また広うなるなぁ」



[25889] 第11話(前編) 戦い、海上にて
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/06/24 18:45
なのはが日常に戻ってから、数日がすぎた。空はコンクリートを溶かしこんだような陰鬱な塩梅で、洗濯物を外に干すことはためらわれるだろう。
そんな日の昼前、ユーノは高町家で二人分の昼飯を作っていた。高町夫妻は翠屋、恭也は大学、美由紀は部活、と言う風にそれぞれの理由で家におらず、ユーノ一人が残っている。今日の昼食は、学校から帰って来るなのはと二人でとる予定だ。今日は土曜日で普通の公立学校なら休みだが、なのはの通う聖翔大付属小学校は、いまどき珍しく土曜日も半日授業である。さすがは私立。

チャーハンを炒め、おかずとして昨日の残り物のコロッケをレンジに入れて、いつでも温められるようにしておく。そろそろ帰ってくるかと時計を見た時、ドアが開く音と共になのはが帰ってきた。

「おかえり」

「うん……ただいま」

しかし声には張りがなく、眉は八の字。どうやら落ち込んでいるようだ。ユーノが何か話す前に、なのはは自分の部屋に上がってしまう。呼び止めようかと思うが、着替えた後で構わないだろうと判断する。降りてきた後、昼食の時にでも話を聞こう――そう思って待つものの、なかなか降りてこない。
心配になり、なのはの部屋の前まで行きドアをノックする。

「なのは、入って良い?」

部屋の中からの返事を待ってドアを開けると、なのはは着替えもせずに、ベッドに仰向けに倒れこんでいた。

「どこか具合でも悪いのかい? それとも、学校で何かあった?」

なのははゆっくりと起き上がると、悲しげに笑う。

「ちょっとアリサちゃんに怒られちゃって」

「喧嘩したの……? どうして?」

「多分、わたしが最近うじうじしてたからだと思う」

今の状態は言うまでもないが、昨日までのなのはもまた、元気がなかった。月村邸での会談の後から、ずっと心ここにあらずといった様子、もしくは動き出す体を無理やり抑えつけているような不自然さがあった。
なのはに親しい者は、みな気付いていた。そして詳細はともかく、何について悩んでいるかも、おおよそ想像はついていた。

「やっぱり管理局を手伝いたいの?」

「うん。……でも、わからないの」

士朗や桃子は少し放っておいた方が良いと言っていたが、こんなさまを見て放っておくことは、ユーノにはできなかった。学習机の椅子に座り、ベットに腰掛けるなのはと向き合う。

「なのはが悩んでいること、僕に話してみて。うまくアドバイスできるかわからないけど、相談にのるくらいはできると思うから」



なのはは少し考えて、ぽつりぽつりと話し出した。

「わたしたちが初めて会った時のこと、覚えてる?」

「うん。自転車にひかれたフェレット姿の僕を、なのはたちが動物病院に連れて行ってくれたんだよね。そして、その夜に助けを求めた僕の念話になのはが応えてくれて、病院のジュエルシードを封印したんだよね。
 ……本当に、なのはには悪いことをしたと思ってる。僕のせいで、こんなことに巻き込んでしまったんだから」

「わたしはぜんぜん気にしてないよ。そうしないともっと大変なことになってたと思うから。
 それに、わたしは魔法に出会えたことがうれしかったんだ」

それを皮切りに、なのはは幼い頃のことを語り始める。父親の士朗が大きな怪我を負って入院したこと、そしてそれによって変化した家庭と、その中で自分が感じたこと。それから、人の役に立ちたいと願うようになったことを。
だが、それで終わりではなかった。

「小さい頃のわたしはね、人を助けたいって思っても、なんにもできなかったの。本当に……ただ見ているだけしかできなかった。だから、頑張ってたくさんの人を助けることのできる大人になろうって思ってた
 でも、最近怖くなっていたの。このまま大きくなっても、たくさんの人を助けられるようにはなれないんじゃないかって。
 お父さんとお兄ちゃんはすごいんだよ。とっても強くて、いっぱい困った人を助けてる。お姉ちゃんだってそう。
 お母さんは……言わなくても、ユーノ君ならわかるよね」

その言葉にうなずく。翠屋の客の顔を見ていれば、桃子がどれだけの人を笑顔にしているのか、どれだけの人を助けているのか、わからないはずがない。

「わたしもみんなみたいになろうって思ってた。でも、できることが増えるたびに、みんなとの差がはっきりとするの。わたしは運動なんて全然できないし、料理だってそれほど上手くない。みんなみたいにはなれない。
 それがわかったら、何を目指せば良いのか、わからなくなったの。アリサちゃんやすずかちゃんは、わたしと同じ年なのに、ちゃんと自分の道を決めているのに…………わたしだけ、いったい何をしたらいいのかわからなかったの」

それが彼女の迷い。緩やかに心を蝕む恐怖。いつだって、願いこそが恐怖を、そして絶望を生みだす原因だ。
これはそう簡単に振り払えるものではない。「なのはも頑張れば、きっとなれるよ」と言うことは簡単だろう。頑張ればなんにだってなれる――子供に大人がよく言う言葉だ。そう言うのは簡単だし、それは一面の真実でもあるが、その小さな可能性を信じて何年にもわたって努力し続けることはとても難しく、怖い。

さらに、なのはの目的が人を助けるという漠然としたものだったことが、その恐怖に拍車をかけた。いくら小さな可能性でも、一本しか道がなければ迷う必要はない。しかし、なのはの目的は漠然としているため、達成する手段もたくさん考えられた。父のように力で人を守る道を選ばなくても、母のように料理で人を笑顔にさせる道を選ばなくても、介護士になったり、医者になったり、人の役に立つ発明をしたり――選択肢はいろいろあり、どの道を通っても人を助けることはできる。
しかし、自分はこの一度きりの人生で、どんな道を選べば良いのか。もしも間違った道を選んだら、どれだけ努力をしても、何にもなれずに終わってしまうのではないか。
そう考えると、怖さで止まってしまう。
どの道が、自分にとって最高の道なのだろう。

そんななのはの前に、新しく一本の道が現れた。

「でも、ユーノ君とレイジングハートに出会って、魔法の力を手に入れて、やっとわたしも人を助けることができた。こんなわたしでも、誰かの役に立てることが、他の誰にもできないことができるようになれたんだ」

少しだけ、なのはは笑う。彼女の目には、魔法の道がとても魅力的に映った。これ以上なくわかりやすい形で、明確に人を助けることができる。父や兄にだって、こんなことできやしない。
魔法という自分だけの道が見つかったような気がした。
しかし、その笑みはすぐに消える。

「でも、今はどうしたらいいのかわからないの。今までみたいに力になりたいって思うんだけど、こんな大きな事件で、ウィルさんとかクロノ君とか、管理局の人たちがいるのに、わたしが手伝っても何の役にも立たないんじゃないかなって。
 もし役に立たなかったら、わたしはやっぱり、魔法でもたいしたことないって言われる気がして。
 そう考えたら、とっても怖くて、どうしたらいいのかわからなくなって、すずかちゃんのお家で、力になりたいって言えなかったの。
 えへへ……変なこと言ってごめんね」


ユーノは考える。なのはの悩みについては、具体的なアドバイスはできない。生まれながらにして、スクライアとして生きることを目指していた自分にはわからない悩みだからだ。
はっきりした意見といえば、なのはは管理局を手伝わない方が良いということくらいだが、これもなのはには危険なことをして欲しくないというユーノの考えにすぎず、なのはの気持ちを考えての言葉ではない。相談に対する悩みとしては不適切だ。

「なのは……僕は――」



ユーノが言葉を発した時、ジュエルシードの強大な気配を感じた。いや、感じるというレベルではない。
これまでは、体内の魔力がジュエルシードの魔力の影響を受けて揺らめく程度だった。しかし、今は違う。リンカーコアを直接揺さぶられるような感覚。吐き気をもよおした時のように、冷や汗が出て止まらない。
いったい“何個”発動すれば、ここまでのレベルになるのか。
その感覚はすぐさま消えた。結界を張って、外部への影響を遮断したのだろう。


なのはは反射的に動こうとして、しかしレイジングハートを握りしめたまま動けずにいた。
ユーノは考える――大丈夫だよ、きっとウィルさんたちが、管理局が何とかしてくれる。
そんな風に、なのはに止めるようなことを言えば、少なくとも今回は行かないだろう。

「すごい規模だね。これだけ大きいと、ウィルさんたちが気付いて向かっているはずだ。僕たちが行かなくても、きっと大丈夫だよ」

だが、その後に考えていなかった言葉を発する。多くを付け加えるわけではなく、ただ一言。

「でも、後悔しない?」

なのははその問いかけを聞くと、目を大きく見開いた。まるで、たった今天啓を受けたかのように。
そして、ドアではなく窓を向く。その姿に、ユーノはなのはの意思を理解した。

「行くつもり?」

「うん」首を小さく縦に振る。

「今回はすごく危険だよ。多分、今までの比じゃないと思う」

「わたし大きな樹が街に現れた日、すごく後悔したの。男の子がジュエルシードを持ってたのに、気のせいだって思って、何もしなかったから。
 今からわたしが行っても、何も変わらないかもしれない。でも、もし悪い結果になっちゃったら、今度は後悔するだけじゃなくて、自分を軽蔑しちゃうと思うの。力があるのに、ただ自分が怖いからって理由で使わなかった自分のことが」

なのはの眼には、久しぶりに強い決意がうかんでいた。ユーノは嘆息をもらすが、これで良いとも思う。なのはがこれ以上落ち込むのは見たくない。
それに、危険だと言うのなら、誰かが守ってあげれば良いだけのことだ。

「わかったよ。なのはがそう言うのなら、僕も行く」

「ユーノ君は無理に付き合わなくて良いんだよ。わたしのわがままなんだし……」

「ううん。これは僕のやりたいことでもあるんだ。
 僕はなのはを守りたい。僕になのはを守らせて」

数秒置いて、なのはの顔が真っ赤になる。言ったユーノも、自分の顔が化学反応をおこしたかのように、熱を作り続けているように感じた。


「え、えっと……そうだ! 行く前に、お母さんに連絡しないと」

なのはは慌てて携帯を取り出すと、翠屋に電話をかける。手短にこれから出かけること、危険なことにまた首を突っ込むことを告げると、携帯を切ってポケットにしまう。

「それじゃあ行こう、ユーノ君!」

なのはは、バリアジャケットを身に纏うと、窓を開ける。同時にユーノが人目払いのために結界を張り、二人は空に飛び上がった。
そして、ジュエルシードの気配がする方、海へと二人は向かった。


  *


意気込んで向かった先。海上に張られた大規模な結界の中に侵入した時の光景は、二人の予想をはるかに超えるものだった。
厚い雲に覆われたその世界は、日中だと言うのに月夜の晩程度の明るさで、不規則に吹き荒れる暴風が全てを薙ぎ払い、いくつもの竜巻を発生させている。それによって巻き上げられた海水は、意思を持っているかのように蠢く。空から降り注ぎ、海から昇り、風に吹かれて横から叩きつけられる。四方八方から水が襲い来る。
結界の中心部に行くほど、それは激しくなるだろう。

明確に死を感じるその光景に、二人は入ってすぐのところで止まってしまった。ジュエルシードを封印するには、ここから先に行かなければならない。
ここでさえ、風のせいで姿勢を保つのが精一杯で、雨で目がほとんど開けられないのに、ここからさらに先に。

――怖い

なのははどうなのだろう。そう思って、ユーノは横にいるなのはの顔を見る。
その顔はおびえていた。おそらくユーノよりももっと。
しかし、なのはの目は一点を見つめている。

それは暴風の中心。そこでは、金色と橙色の光が煌めいている。
魔力光、しかも見覚えのある色――あそこにはフェイトとアルフがいる。
なのはは風と雨の影響を減らすように、バリアジャケットを調節する。完全に遮断することはできないが(仮にできたとしても、空気が全く入って来なくなるので窒息する)、目を開け、呼吸するくらいはできる。
そして、中心地に向かって再び飛び始めた。ユーノは離れないように、急いでその後について行った。



風に耐えつつ近づいた先には、予想通りフェイトとアルフがいた。二人は風に煽られながらも、必死に嵐を抑えようとしている。フェイトは憔悴していて、すぐに風で飛ばされそうになり、アルフに支えられている。アルフも消耗してはいるが、こちらはまだ余力があるようだ。
二人に合流すると、なのはがアルフに変わってフェイトを支える。
そして、ユーノはアルフに質問する。

「これはジュエルシードのせいで?」

「あ、ああ。海に魔力流を流し込んで、海のジュエルシードを見つけるつもりだったんだ。でも、無理だった。見つかったけど、あたしたちだけじゃ、とうてい抑えられるものじゃなかったんだよ。結界ももうもちそうにない。
 ごめんよ、なのは。このままじゃ、あんたたちの街を危険にさらすことになっちゃう」

「後はわたしたちに任せて、アルフさんはフェイトちゃんを連れて離れてください」

なのはがそう言ってレイジングハートを構えるが、ユーノはそれに反対する。

「駄目だよ、二人にも残ってもらわないと」

「どうして!? フェイトちゃんはもう倒れそうなのに!」

「思い出して。ジュエルシードは周囲の魔力に反応して活性化するんだよ。これは予想にすぎないけど、一撃で“全て”のジュエルシードを完全に封印しないと、他のジュエルシードによって封印が破られてしまうと思う。
 そんなことはなのはと僕だけだと無理だ。でも、フェイトと一緒なら、まだ可能性がある」

「無理だよ! もうフェイトの魔力は残り少ないんだ。これ以上消耗したら、もう……」

アルフの言う通り、フェイトの魔力はかなり減少している。
だが、ユーノが見たところ、まだ身体に異常が出ているわけではない。ブラックアウト――魔力を短期間で大幅に失ったせいで、身体機能に悪影響を及ぼし始める現象――直前ではあるが、魔力さえ元に戻れば再び動けるようになるだろう。

「だったら、魔力を回復させれば良いんだよ」

「そ、そういえば、あんた回復魔法が使えるんだっけ。それで――」

ユーノは首を振る。
ユーノの回復魔法は、あくまで自然治癒を強化するもの。魔力を回復させる魔法とは、リンカーコアを強化して大気中の魔力素を魔力に変換するのを早めるだけで、すぐに効果があるわけではない。普通でさえ数十分はかかるだろうし、こんな荒れ狂う嵐の中、しかも魔力素が激しく動いている状態では、おちついて魔力素を取り込む暇がない。

「じゃあ、どうすれば良いのさ!」

アルフは怒鳴るが、それはもはや悲鳴に近く、声には涙がにじんでいる。
だが、ユーノの頭にはすでに一つの方法を見つけていた。魔法には、すぐに魔力を回復させる方法も存在する。

「なのはの魔力をフェイトに与えるんだ」

それは他者に魔力を譲渡する魔法。なのはとフェイトの魔力量はほぼ同じ。むしろ、使い魔にリソースをふっているフェイトよりは、なのはの方が多いくらいだ。十分に回復するはず。
だが、問題点もある。

「わたし、そんな魔法は知らないんだけど……」

なのはがその魔法を知らない、そしてレイジングハートにも、そんなプログラムはインストールされていないということ。感覚でおこなうなのはの魔法構築能力なら、今から即興で構成することもできるかもしれないが、それは危険だ。魔力を他者に与えるものである以上、ダメージを与える攻撃系魔法よりも、さらに慎重に構築しなければならない。
理論を理解し、基礎もできているユーノなら、今から構築して安全に行使することが可能だが、彼の全魔力を渡しても、柄杓の一杯をバケツに入れるようなもの。
だが、ユーノはそれを解決する方法も用意してある。

「大丈夫。僕に案がある。
 僕が即興で魔力を譲渡するための魔法プログラムを作って、レイジングハートに送る。だから、なのははそれにそって魔法を使ってくれれば良い。
 ただ、なのはにとっては初めての経験だから、正確に発動させるのは難しいと思う。レイジングハートには僕のプログラムを解析して、なのはの魔法構成を修正してもらいたいんだけど……できる?」

魔法を発動させる過程を一枚の絵画に例えるなら、なのはは今まで下書き(プログラム)を描かずに、ペンで直接描いていたようなもの。
今回はユーノが下書きをする。そして、なのはがなぞって完成させる形になるわけだが、絵のさまざまな技法を知らないなのはでは、下書きを完全にトレースすることはできない。だから、レイジングハートがなのはの手をとって描くのを助ける。
ただ、レイジングハートがユーノの下書きから描き方を読み取るには、ユーノのことをよく知らなければならない。
しかし――

『Too easy. I remember your structure of magic well, my masters. (簡単ですよ。マスターたちの魔法構成はしっかりと覚えていますから)』

「そうだったね、レイジングハート」

その言葉にユーノは思わず笑ってしまう。彼もまた、かつてはレイジングハートのマスターだった。
そして、デバイスとしての相性はなのはの方が良かったとはいえ、一緒にいた時間はユーノの方がずっと長いのだから。


ユーノは早速魔法を構築しようとする。しかし、風に飛ばされないように、そして時折迫る竜巻を回避しながらでは、集中できない。

突然、ユーノたちの体、正確には胴がバインドで縛られる。だがそれは、動きを封じるものではなく、逆にバインドのおかげで体が空間に固定されて吹き飛ばされなくなっている。
リングバインド――空間固定型バインドの基本魔法。
そして、接近する竜巻もまた、縄のようなバインドで縛られて手前で停止する。
チェーンバインド――術者を起点にして対象を縛り付ける、これまたバインド系の基本魔法。
バインドの色は橙。この薄暗い空間の中で、太陽のように温かな光を放つ。

ユーノたち三人の前に、アルフが仁王立ちする。そして、彼女は胸の前で両拳を打ちつけて笑う。野生の狼のように攻撃的な、それでいて頼もしく思えるような笑みをうかべて。

「守りは任せな。準備ができるまで、三人きっちり守りぬいてみせるさ」


ユーノは意識を集中させ、プログラムの構築を再開する。
単に組むだけではない。なのはがトレースしやすい形にする。
難しいことではない。なのはに魔法を教えていた時に、なのはがどんなふうに魔法を構築し、行使するのかは把握している。それも当然、教える生徒の得手不得手、傾向を知るのは教育の基本。
しかし、教えたことがなのはの役に立つのではなく、ユーノ自身の役に立つことに、思わず笑ってしまいそうになる。
日本風に言うなら、情けは人のためならず、と言うところか。


「できたっ! 送るよ、レイジングハート!!」

ユーノはレイジングハートにふれ、プログラムをインストールさせる。レイジングハートのコア、赤い宝石の部分が明滅する。

『Received. ……It’s a good one.』

なのはがレイジングハートを掲げると、それを中心に魔法陣が宙に浮かび上がる。そして、なのはの体から桜色の魔力光が溢れだす。

「わたしの力をフェイトちゃんに……届けてっ!」
『Divide energy.』

それはなのはのレイジングハートに集まり、フェイトのバルディッシュへと流れ込む。

流れ込む魔力が止まった時、フェイトは一人でしっかりと空に浮いていた。
今のフェイトは、なのはの全魔力の半分をもらっている。魔法の行使には委細支障なし。

「ユーノ、アルフ、それになのは……ありがとう」
『Thanks a lot.』

バルディッシュが再び展開、そして槍状に変形し、四枚の光翼が生える。レイジングハートも同様に槍状に、そして二枚の光翼。お互いに最も出力の高い形態へと姿を変える。

「ディバインバスター!!」
「サンダーレイジ!!」

二色の光が絡み合い、同時に海中に吸い込まれた。


  **


嵐はすっかりやみ、厚い雲もてんでバラバラな方向に拡散して、雲の切れ目から太陽の光が差し込んでいる。薄明光線、天使の階段とも呼ばれる現象。達成感も後押しして、その光景は目を奪われるほどに美しかった。
いまだ風は吹き続けているが、それも単なる強い風程度に収まっている。汗に濡れた頬を風がなでるのが心地よい。

海面の少し上には、六つのジュエルシードが浮かぶ。それらは全て、封印されている。

「なのはのおかげで助かった。本当にありがとう」

「にゃはは、わたしはあんまり……ユーノ君がいなかったらなにもできなかったわけだし――」

「ユーノにも感謝してる。もちろん、アルフにも。
 ……でも、ジュエルシードは譲れない」

大きな問題が残っていた。そもそも、フェイトがこんな危険なまねをしたのは、ジュエルシードを手に入れるため。なのはがそれを止めようとするのなら、ぶつかり合うのは必然。

「フェイトちゃん、あのね、そのジュエルシードはすごく危険なものなんだよ。わたしにはよくわからなかったんだけど、管理局の人が言うには、ジュエルシードを使ったら次元断層っていうのを引き起こしかねないって――」

そのことを聞き、アルフが驚く。彼女たちもまた、ジュエルシードがそこまで危険性な物だと知らなかったのだろう。

「やばいよ、フェイト。あの人がなんのつもりでこれを集めろって言うのかわからないけどさ、これ以上そんなものに手を出したら――」

しかし、フェイトはアルフの言葉に首を振って否定し、なのはにデバイスを向ける。

「それでも、ここで引くことはできない。渡せないと言うのなら、戦うしかない」

「わたしはフェイトちゃんと戦いたくないよ」

「私もなのはと戦いたくない。でも、お互いに引けないなら戦うしかないんだ」

最初からこの嵐の中にいたフェイトは、なのは以上に疲れている。だが、そんなことは何のアドバンテージにもならない。両者のモチベーションの高さが圧倒的に違う。
なのはを見据え、デバイスを向けているフェイト。本当は戦いたくなくても、その思いを塗りつぶしてでも戦う決意が彼女にはある。
なのははレイジングハートを胸の前で抱えている。そこには決意などない。ただ困惑し、迷っているだけ。
なのはとフェイトが戦えば、なのははなすすべもなく敗れるだろう。



「修羅場ってるところ悪いけど、そこまでにしてくれるかな?」

のんきな声が海に響く。
コート状のバリアジャケットを身に纏い、片刃型のアームドデバイスとブーツ型のデバイスを装着して、彼は悠然と両者の間に立っていた。

「ウィルさん!」

「やあ、遅れてごめんね。きみたちがいてくれて、本当に助かったよ」

ウィルはいつものような笑顔を浮かべている。だが、本来ならイの一番に駆けつけているはずの彼がこんなタイミングで現れたことが、一つの事実を指し示している。

「……ずっと見ていたんですか」

ユーノの言葉に、ウィルは鷹揚にうなずく。その顔には一片の曇りもなく、むしろ気付いたユーノをほめるように笑っていた。

「頭の回転が速いようで何よりだ。なら、どうして今出て来たか、わかるだろう?」

悪びれもせず話し続ける。常ならば親しみを感じさせるようなその笑みも、今は癪にさわるものでしかない。
敵に――フェイトたちに封印を任せ、消耗したところで現れる。理屈ではわかる。それが最善であると言うことが。だが、心では納得がいかない。
そんなユーノの雰囲気を察したのか、ウィルは肩をすくめる。

「おっと、抵抗はしないでくれよ。きみたちが暴れるようなら、すぐにでも執務官や武装隊が来て、取り押さえることになっているから。おれが一人先鋒として来たのは、きみたちと話し合って、できる限り傷つけることなく、おとなしく投降してもらうためなんだ。
 どうだい? 今なら先着二名様に、減刑の特典がついてくるかも――」


そこでウィルは突然話をやめると、上空を仰いで一言つぶやく。

「来たみたいだね」

海上に雷鳴が響き渡る。雲は晴れたはずなのに、なぜ?
ウィルにならって空を見上げると、雲の隙間のその向こうに極彩色の闇が見える。
闇は次元空間――次元世界と次元世界の狭間にある空間だ。次元を歪めて、次元空間とこの世界が繋げられている。
その向こうに見えるのは、山のように巨大な何か。そこから、紫色の稲光。

全員が気をとられていたその隙に、ウィルはすでにユーノのそばまで来ていた。

「逃げるよ」

ウィルはなのはとユーノを片手でまとめて抱きしめ、そしてフェイトとアルフをもう片方の手で掴もうとする。
だが、フェイトはウィルに掴まれる前に、ジュエルシードの方に向かって飛び出し、アルフもそれを追うように移動したため、その手は空を切った。
ウィルはそれ以上二人を追おうとせずに、エンジェルハイロゥを作動して、ユーノとなのはを抱えて一気にその場を離れる。


ほんの二三秒で六百メートルほど移動し、その背後で海全体に雷が落ちた。威力自体は恐ろしく高いわけではなかったが、消耗している今、あれが直撃すれば意識を持っていかれただろう。

「次元跳躍型広域魔法――ってところかな。やっぱり、おれが来て正解だったな。それにしてもすごいね、こんなのなかなかできることじゃない」

そう言いながら、ウィルは顔色一つ変えていない。そして口ぶりからも、これはウィルにとって予測していたことにすぎないとわかる。意図はわからないが、彼は時間稼ぎをしていたのだろう。
遠くてはっきりと見えないが、海上にはすでにフェイトたちはいないようだ。同じくここからでは見えないが、当然ジュエルシードも持っていかれているのだろう。

「さて、いろいろ説明したいし、アースラに来てくれるかな。
 フェイトちゃんのことなら心配いらないよ。彼女たちがどう動こうが、この事件はすぐに終わるから」


  ***


アルフは、次元空間に存在する本拠地『時の庭園』に帰って来ると、まず部屋にフェイトを運んで寝かせた。
フェイトはジュエルシードを取ろうとした時、あの雷に直撃して意識を失った。幸いフェイトの命に別状はなかったが、それでもアルフの心には抑えきれない猛りがあった。
アルフがここに転移した理由は、逃げるためだけではない。それなら、海鳴で拠点にしているマンションに逃げれば良かったのだから。

部屋を出て、玉座の間――彼女たちに命令を下している者、フェイトの母親のいる場所に向かう。薄汚れた暗い通路を進むと、庭に出る。植物のほとんどは手入れもされずに枯れ果てている。雨も降らないような次元空間で、手入れもせずに長い間放置されればほとんどの植物は生きていけまい。
歩きながらおもむろに片手を振るう。
彫像が砕け飛んだ。

「あのババア……!」



扉が開く。その先は大広間になっていて、その中心には玉座とも言えるような椅子が一つ。ここが玉座の間。かつては貴い身分の人間の別荘だったと言われるこの時の庭園。在りし日は、訪れる者がここで庭園の主に拝謁したのだろう。
その椅子には女性が一人座っている。怜悧な刃物を、さらに削って作った針。アイスピックのような女。
美しい女だが、病的なまでに青白い肌は生者には、まっとうな人間には思えない。
腰まで伸びる黒色の髪は天然のウェーブがかかっていて、暗い海を連想させる。髪と同色の黒いドレスは遠目に見ても上等だとわかるが、普段着に用いるものではない。だが、この女はいつもこうだ。家族であるフェイトの前でも、こんな仰々しい衣服――いや衣装を身に纏っている。
彼女こそフェイトの母親、そしてフェイトにジュエルシードを集めるように命令した首謀者。
名を、プレシア・テスタロッサと言う。

プレシアはアルフを一瞥すると、表情一つ変えずに問いかける。

「ジュエルシードはどうしたの?」

「あんな石ころを拾う趣味なんてないさ。食えないもんなんて、犬でも拾わない」

アルフはジュエルシードを回収しなかった。あんな物は、もう必要なかったから。

「ふざけているの」

だが、その言葉に答えず、逆に問う。

「なんでフェイトを巻き込んで……」

「それを怒っているの?広域魔法を敵だけに狙って当てるなんて、できるわけがないわ。少しは行動する余裕を与えたのに、避けられなかったあの子がにぶかっただけのことよ」

なんの感慨も持たぬようなその声に、抑え込んでいたモノが噴き出す。

「そんなことを聞いているんじゃないよ!
 なんでフェイトを巻き込んで、そんなに平然としてるんだ!!」

溢れる衝動を拳にのせ、アルフはプレシアに突撃する。
しかし、その手前で設置型のバインドに身体を捕えられる。

「なんのつもりかしら」

「ようやくわかったのさ……あんたはフェイトの敵だ。あんたといると、フェイトがどんどん壊れてしまう」

もう我慢が出来ない。このままフェイトが使いつぶされていくのを、ただ見ているだけで良いのか?――断じて否。
使い魔として生まれた時、死ぬまで共にいると、守り続けると誓った。騎士のように、家族のように、彼女と共に在ると。
その矜持、今示さずしていつ示す。

「だから、あんたを倒して管理局に引き渡す!」

フェイトはプレシアから、ジュエルシードの詳細を教えられていなかった。ロストロギアであること、そして実際に回収する時の経験から危険な物だとはわかっていたが、先ほどなのはから聞いたような、世界を危機に陥らせるほどの物だとは知らなかった。
だから、ここでプレシアを倒して管理局に引き渡して自首すれば、真実を知らずに利用されていたのだと弁明できるかもしれない。使い魔の功績は、フェイトのものとなり、少しは減刑されるだろう。
逆に、なのはから危険性を教えられた今、なおも管理局に逆い続ければもはや言い逃れはできず、罰は一気に重くなる。
だから、元凶はここで狩る。

「それは、あの子が命じたの?」

「違う! あたしが考えたんだ!」

力ずくでバインドを破り、拳をプレシアにふるう。
しかし、それはプレシアの手前で止まっていた。
二段重ねのバインド。

「そう。あの子は使い魔を作るのが下手ね。こんな――」

プレシアの右手に、紫色の魔力弾が生成される。
それはバインドごとアルフを飲み込む。アルフは十メートルほど吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
悠然と見下ろしながら、プレシアは感情のこもらない淡々とした声で語る。

「こんな余計な感情を持ったものを作ってしまうなんて。使い魔は“使用用途”に応じて必要最低限の思考能力だけ与える物。こんなに感情機能に割り振っていては、消費する魔力量の割に合わないわ。
やっぱり、間違った物からは、間違った物しか生まれないのね」

「……どういう、意味……だい」

「知る必要はないわ。それじゃあ消えなさい。失敗作を二つも置いておくほど、私は寛容ではないの」

身体を動かそうとするが、顔を上げてプレシアを睨むだけで精いっぱいだった。
ここで自分が死んだら、フェイトはまたプレシアの命じる通りに動く。
ブレーキのない車のように、壊れるまで走り続ける。
でも、もう自分は無理だ。

――誰か、フェイトを助けて



「そこまでだ!」

アルフの前に誰かが現れる。その誰かはシールドを展開し、プレシアの魔法を防ぐ。もっとも、完全に防げなかったようで、壁に叩きつけられたが。
アルフはその人を見る。青年だが、その顔に見覚えはない。しかし、その格好は管理局――確か、武装隊の――
そして、同時に玉座の間に次々と人が現れる。先ほどの青年を含めて、その数六名。みな武装隊の格好をしていた。
青年も立ち上がり、五人がプレシアを囲む。残った一人、女性は彼らから離れ、アルフを抱え起こす。

五人のうち、隊長格の男性が告げる。

「プレシア・テスタロッサ。時空管理法違反、および管理局艦船への攻撃容疑であなたを逮捕します」




(中書き)

最後に現れたのはモブ武装局員です。特に新キャラではないです。後編は時間が前後しますが、ここ数日間のアースラの話になります。
アニメでは普通にやってたディバイドエナジーの難易度を上げました。ユーノに見せ場を作るためだけに!
あと、なのはの懊悩を書いていて思いましたが、こんな九才児はいないよなあ……。



[25889] 第11話(中編) 戦い、その前に
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:00
なのはたちが海上でジュエルシードの封印をおこなう何日か前――より正確に言えば月村邸での会談の翌日、ウィルは艦の主戦力である武装隊の面々と顔合わせをしていたところ、クロノの呼び出しを受け、アースラのブリッジ(艦橋)にやって来た。
ブリッジは高さごとに三段に別れており、最も上方にあるのがリンディの艦長席で、二段目が各分野の主任、一番下が一般的なオペレータたちの席になっている。二段目にクロノの姿を見つけて近づくと、彼は立ったままモニターを見ていた。集中しているようだったので、その隣――通信主任の席でドリンクを飲みながらコンソールを叩いている女性に話しかける。

「おはよう、エイミィ。敵の足取りはつかめた?」

彼女はエイミィ・リミエッタ。くせ毛がチャームポイントの少女――と言っても年齢はウィルとクロノよりも二つ上の十六才だ。ウィルたちとコースこそ異なっていたものの、三人は士官学校の同期で、彼女は卒業後にクロノと同じくアースラに配属された。後方における情報支援が専門で、アースラでは通信主任と執務官補佐を兼任している。
エイミィはこちらに顔を向けると、人懐っこく、それでいて猫のようにどこか人をからかうような表情を浮かべる。

「さっぱりだねー。アルフって使い魔の証言通りに、拠点が次元空間に停留しているとしたら、捜索範囲が広すぎてアースラだけだと時間がかかりそうだよ。拠点を放棄して逃げる場合も考えて、近隣世界に次元転移の痕跡がないか調べているんだけど、それも今のところなし。
 まだジュエルシードを諦めるつもりはないんじゃないかな?」

「このままどこかに持ち逃げされるよりはずっと良いね。ジュエルシードの捜索状況は?」続けて質問する。

「昨日のうちにクロノ君と武装隊のみんなで海鳴の周囲一帯を調査したんだけど、やっぱりこれ以上は陸地にはないみたい」

エイミィがコンソールをなぞると、海鳴周辺のマップが空中に投影され、エイミィとウィルの間に表示される。ウィルたちのここ一カ月の成果をふまえ、さらにクロノたちが調べた場所ごとの魔力密度や風向き、人口密度と言った様々な情報が加えられている。
エイミィは反対側から、マップを指しながら説明をする。それによると、残りのジュエルシードは全て海中に存在する可能性が高く、さらに海流の流れを考慮に入れると、ある程度の位置は絞れるらしい。ウィルたちと接触してからまだ一日半程度で、ここまで調べた能力に拍手と賛嘆の声を送る。

「さすがはアースラのスタッフ、優秀さは折り紙つきだ。それで、どうやって回収するつもり?」

その時、クロノがようやくモニターから目を離し、エイミィの代わりに答えた。

「海中に魔力流を発生させて、ジュエルシードを活性化させる予定だ」

あっさりと言うが、海中に魔力流を発生させることは、空中で発生させるよりも難しい。その後にジュエルシードを封印することを考えると、魔力消費は並々ならぬものになるだろう。クロノは魔力の使い方が非常にうまいが、魔力量自体はウィルの少し上程度しかなく、なのはとフェイトに比べると少ない。

「そこをフェイトちゃんに襲われたら危険じゃないか?」

「まだ実行すると決まったわけじゃない。今後の会議で検討するつもりだ。きみの意見も聞いておきたいが、わざわざブリッジに呼んだ理由は他にある。
 これを見てくれ」

クロノは、先ほどまで自分が見ていたモニターを示す。そこに写っているのは、研究施設や学会と思われる場所の写真。どの写真にも黒髪の美女が写っている。その目の覚めるような美貌に思わずため息がこぼれる。

「おお、すごい美人」

「残念ながらフェイト・テスタロッサに該当する人物のデータはなかったが、関係ありそうなデータを本局に要請したところ、彼女と関係がある――そして、黒幕にきわめて近い人物が見つかった。
それが彼女、プレシア・テスタロッサだ」

ウィルはモニターに表示された経歴を読む。
オーバーSランクの魔力と、雷の魔力変換資質を持つ稀代の魔導師にして、魔導工学を専攻とする科学者。ミッドチルダの管理局下の公的機関『中央技術開発局』に勤めていたこともあり、魔導エネルギーの抽出・運用については次元世界有数との呼び声も高かった。
彼女の人生を大きく変えたのは、中央技術開発局から民間企業であるアレクトロ社に移り、試験的魔導炉ヒュードラの設計主任になったことだった。ヒュードラ計画は一度の試験運転をおこない、それきり凍結された。その一度の時に、取り返しのつかない事故が発生したからだ。
ヒュードラ暴走事故――魔導炉から抽出途中の魔力が漏れ、半径数十キロメートルに甚大な被害をもたらした、近代でも五指に入る事故。物理的被害は事前に張られていたバリアによってほぼ零に抑えられたが、酸素分子が魔力の影響を受けて変化したことで、結果的に被害範囲の全生命体が窒息死するという大惨事となった。
事故の原因はプレシアの設計あるとされ、その責任を問われる。しかし、事故前後にプロジェクトを抜けた社員たちによる告発により、彼女の設計には問題がなかったこと、そして企業の体制自体に問題があったことが発覚する。プレシアの科学者としての名声は回復したが、自らが責任を被ることと引き換えに企業から多額の金銭をもらっていたことが明るみになり、事実の隠蔽に加担したとされ、結局その社会的地位は失墜。その後、世間の目から逃れるように地方に転勤。数年前に消息不明となる。転勤後の主だった動きは、病院への通院歴と時の庭園の購入歴のみ。
両親はとは幼い頃に死別しており、身内と言えるのは夫と娘だけ。その夫とは娘が物心ついた時には離婚しており、娘はヒュードラ暴走事故で亡くなっている。

「時の庭園って?」

「旧暦から存在する、貴人の別荘……と言うのは表向きで、次元空間における中継ポートとしても機能する移動要塞だ。当然、単独での次元航行も可能。武装は質量兵器が禁止された時に全て廃棄されているから、要塞としての機能はほとんどないと考えて構わないだろう。
 かつてはミッドチルダの地方に存在していたが、プレシアの失踪と共に姿を消している」

「なるほどね。それを使えば地球まで来ることができるし、次元空間に駐留しているとすれば、この世界にいないって言うアルフの発言とも矛盾しない。
 でも、これだけだと断定できないんじゃないか?」

たしかに、個人でこのような物を所有している人物はそうそういないが、別に庭園のように大掛かりな物でなくとも、小型の次元航行艦船でも同じ役割は果たせる。
クロノはウィルの疑問にうなずき、コンソールを操作しながら答える。

「それについては、彼女の娘のデータを見ればわかる。
 これがプレシアの娘、アリシア・テスタロッサだ」

モニターが切り替わり、今度は金髪の、十に満たない少女の姿が写る。事故で幼くして命を失った少女――アリシアの経歴と写真だ。
その写真の中のアリシアは屈託なく笑っており、それがウィルに強烈な違和感を与えた。なぜなら、アリシアの容姿はフェイトと瓜二つで、しかしその雰囲気はフェイトと正反対の印象を与えるものだったから。受動的と積極的、月と日、静と動。二人から受ける印象は似ても似つかない。
とは言え容姿が似ていることは確かで、それは同時にプレシアとフェイトに何らかの関係があることを示している。だが、それなら両者はどういった関係なのだろう。順当に考えれば、フェイトの言う母親がプレシア――つまり、フェイトはアリシアと同じく、プレシアの娘だと考えられるのだが。

「……クロノ、プレシアの夫の経歴はあるか?」

「ああ。しかし、離婚して以来プレシアとは連絡もとっていないそうだ。少なくとも、今回の事件には関係はない」

「精子バンクに登録は?」

「されていない。夫婦ともにそちらとは無関係だ。……やはり、きみもそう思うか」

「ねえ、二人とも何か気付いたの?」

エイミィは興味津々に尋ねてくるが、二人が気付いたことはあまり良いことではない。ウィルは苦い顔をしながら、説明を始める。

「フェイトちゃんとアリシアは“似ている”だろ? それこそ双子と言っても良いくらいに。父親が違うのならここまで似るなんて考えられない。いや、両親が同じでも普通はありえないよ」

一例を挙げれば、髪の色の問題がある。二人とも金髪だが、そもそも母親のプレシアは黒髪だ。金髪は劣性遺伝だから、たとえプレシアの新しい伴侶が金髪でも二回連続で金髪の子供が生まれる確率は低い――と、髪の色一つとっても、異なる可能性はあるのだ。ここまで同じ容貌をしているとなると双子か、それとも――

「おそらく、フェイトちゃんはアリシアのクローンなんだろうね」

「それってもしかして、自分の手駒にするために、娘のクローンを作ったってこと……?」

エイミィが呟き、クロノがうなずくが、ウィルはまだ違うと考えた。資料を見る限り、アリシアには魔法の素質はない。魔法の素質――リンカーコアが発現するかどうかは血統によるところが大きいが、絶対ではない。兄弟でも片方にリンカーコアがないというように、運にも影響される。アリシアは運が悪くリンカーコアが発現しなかっただけで、そのクローンが優秀な魔導師の素質を持つ可能性はあるのだが――

「手駒にするなら、リンカーコアのない娘のクローンなんかにせず、大魔導師である自分のクローンを作った方が確実だ。そうしないってことは、アリシアでなくちゃいけない理由があったはずだ。
 ……多分フェイトちゃんはアリシアの代わりの人形――失った娘によく似た、自分の悲しみを癒すための都合のいい玩具として作られたんだろう」

つまり、フェイトは“愛玩用”――その想像に二人も嫌悪感をあらわにする。そんな身勝手な理由で一個の生命を創り上げるなんて、と。エイミィはその境遇に同情してか、目を伏せる。

「そこまでは気付かなかったな。それが事実なら、とうてい許されることじゃない」

クロノは険しい顔をしながら言う。彼が抱くのは同情ではなく義憤――彼に融通の利かないところがあるのは、高い正義感の裏返しだ。かつて、正義の味方になりたいと言っていた(そのことでウィルとエイミィに散々にからかわれた)ほど、彼の間違ったことに対する怒りは激しい。

「あくまで推測だよ。そもそも、プレシアがクローン関係の知識と技術に精通していたのかもわからない。それに、外見は似ていてもクローンは決して本人ではない――そんなあたりまえのことを知らなかったわけじゃないだろうし……外見さえ似ていれば良いって割り切ったのかもしれないけど」

「フェイトの年齢から考えて、作られたのは失踪前後か……その頃に手を出していた研究のデータを、本局に要請する必要があるな。
 当面はプレシアを黒幕と考えて行動することになるが、彼女の目的は何だと考える?」

もし本当にフェイトを玩具代りとして生み出したのなら、その精神は倫理的なものをはるか彼方に置き捨てている。そんな彼女なら、およそ考えつかないような非常識な目的のために、ジュエルシードを集めているのかもしれない。
だが、五個ではまだまだ足りないと言われ、そのせいでフェイトが折檻を受けたと言うアルフの言葉を信じるなら、複数個を用いる本来の使用法を実行しようとしていることは間違いない。

「次元断層を起こしてまで叶えたい目的なんて、想像できないな。普通に考えれば、それ自体が目的――つまり次元干渉の実験ってところかな。科学者って人種は大なり小なり好奇心のかたまりで、興味があったらとりあえずやってみようって思うもんだし」

「どんな偏見だ……そういったマッドサイエンティストもいるだろうが、プレシアは違う。後に判明したことだが、ヒュードラの安全管理には非常に気をつかっていたらしい。それでも、娘のように守り切れなかった人々も多かったが。
 ともかく、ただの実験のためにここまで危険なことをおこなうと人物とは思えないな」

「となると、まさかとは思うけど、ジュエルシードを使って願いを叶えようとしているのかな。彼女の経歴を見ると、人生の前半と後半の落差が激しい。かつての人生を取り戻そうと思ってもおかしくはないんじゃないか?……例えば、時間遡行とか」

「馬鹿馬鹿しい、そんなことを本気でやろうとするはずがない……と思うが、僕たちの知らない何か――ジュエルシードの活用方に気付いた可能性もあるな」

二人が話し続けていると、隣でエイミィが呆れるようなため息をつく。

「二人とも、そういうことはプロファイラーに任せれば良いのに。せっかくアースラにも乗ってるんだから」

「たしかにこれ以上は単なる推測にしかならないね。この辺りで止めておこうか……プレシアが関係してなかったら名誉毀損ものだし」

「そうだな。それにそろそろ休憩時間だ。食事に行こうか。
 その後に少し時間をもらえるか? 捜査方針について、ウィルの意見を聞きたい」


  *


食事はアースラの食堂――前衛的かつ幾何学的な形の机は、まるで子供が給食時間に思い思いに机をくっつけたかのようで、どのような意図をもって作られたのかは皆目見当がつかなかった――でいただいた。
魔導師に人気の食事はパスタだ。アースラの食堂でも、さまざまなパスタ料理が存在する。中でも人気なのは、スパムのついた料理。ウィルもカルボナーラwithスパムと、スパム・エッグ・ベーコン・ソーセージandスパムを頼む。
ふと、八神家に居候していた時のことを思い出す。ある日、はやてがたらこスパゲティを作ってくれたことがあったが、どうも苦手だった。あの粒々とした感触で、幼いころに大けがをした時に口に入った砂利の感触を思い出してしまったから。言うまでもなく味はたいそう美味かったので、残さず完食したが。

食事を終えた三人は、アースラの一室を借りて、そこで話をすることにした。

「クロノ、前提条件を述べてくれ」

「目的は、首魁――推定プレシア・テスタロッサの逮捕。そして当該ロストロギア、ジュエルシードを全て回収することだ。
 その際、第九十七管理外世界、通称地球には必要以上に影響を与えないことが望ましい」

クロノの前置きに合わせて、エイミィの端末から立体映像が机の上に投影される。
下方には海鳴の街と海が表示される。その上にはアースラと時の庭園が浮かんでいるが、両者の間には壁があり、お互い行き来できないことを視覚的に表現している。
アースラの上には、クロノ、リンディ、武装隊(三十人)。ついでにウィルがミニチュア化されて乗っている。一方、時の庭園にはフェイトとアルフ、そしてプレシアが、これまたミニチュア化されて乗っている。立体映像の部分には位置センサが働いているので、あたかも実際にあるかのように、触れることもできる。ミニクロノを振りまわして遊んでいると、リアルクロノに怒られたので、しぶしぶ元の位置に戻す。

ジュエルシードはアースラに十個、時の庭園に五個、いまだ見つかっていない六個は海にある。
アースラの勝利条件は、ジュエルシードを確保し、プレシアを捕まえること。そのためには、時の庭園の位置を特定する必要がある。
敵の勝利条件は必要とするジュエルシードの個数によって変わる。五個以下、もしくは諦めるのならアースラから逃げること。六個以上十一個以下なら海のジュエルシードを手に入れること。それ以上ならアースラにあるジュエルシードを奪うこと。この三種のうちのどれかだ。

「ウィルが作戦を立ててくれ。フェイトたちと交戦経験のあるきみなら、その実力は良く知っているだろ?」

「それに、ウィル君は作戦をたてるのが得意だったもんね」


「オーケイ……時の庭園の位置を把握するまでは、こちらからは動きようがないな。無難な選択は、アースラが時の庭園の位置を特定するか、ジュエルシードを捜索するフェイトちゃんを捕まえて庭園の位置を聞き出すまで待機。
 長期戦になるけど、別にそうなったからって困ることはないよな?」

「費用がかさむことと、ウィルとユーノが解決するまで帰れないことくらいか」

「それは困るなぁ……とは言え、こちらが能動的にできることは残り六個のジュエルシードを集めるくらいしかない。
 海のジュエルシードを回収するとして……クロノ、相手に見つからないように、こっそりと回収することはできるか?」

「無理だ。ジュエルシードを活性化させるような魔力流は、気象に影響を与える。おそらく付近一帯は大規模な嵐になるだろう。それを抑えるためには大規模な結界を張らねばならないが、そうすれば今度は結界に気付かれる。魔導師相手に隠すことは不可能だ」

「ジュエルシードをクロノ一人で抑えることは可能か?」

「一個二個なら問題ないが、六個は無謀だな。安全を考えれば武装隊の半分に手伝ってもらいたい」

エイミィが端末をいじると、海上にミニクロノと武装隊(半数)が出現する。そして、荒れる海の上で協力してジュエルシードを封印し始める。
封印を終えるが、彼らはみな魔力を消費して疲れてきっている。武装隊はその名の通り戦闘では強いが、魔力量はあまり高くなく、ジュエルシードの封印に適しているとは言えない。
ともかく、この状況から次の手を考える。

「相手は確実に、クロノが疲弊しているこのタイミングで狙ってくる。
フェイトちゃんとアルフだけなら、残り半数の武装隊で十分に抑えることができるけど、同時にプレシアが出てくると負けるかもしれない」

海上という戦場は隠れるところがない。よって、魔力が高く広域魔法を行使できる者が圧倒的に有利な場所。加えて、雷の魔力変換資質を持つプレシアにとっては最高のフィールド。万全な状態でなければ負ける可能性が高い。
クロノもそのことを理解しているので、腕を組み眉をしかめながらも同意する。

「こちらから動くのは危険だな。長期戦になるが、仕方がないか。
 では、あちらが同じようにジュエルシードを捜索した場合はどうなる?」



戦場は一旦初期状態に戻る。相手がジュエルシードを捜索してくれれば、相手だけが消耗してくれるので、管理局にとっては非常に都合が良い。

「プレシアを含めて三人で来た場合は、深く考えなくてもいいだろう。相手が封印を終えて消耗している時に、こちらの全戦力で抑え込むだけだ。
 今まで通りに、フェイトちゃんとアルフだけで来た場合は、プレシアが乱入することも考えて、まずはおれかクロノだけで抑えるようにした方が良い。ただ、この二人だけだと封印に失敗する可能性が高い。よって、成功する場合と失敗する場合――二つのケースを考えるべきかな。
 成功した場合は、その直後にジュエルシードとフェイトちゃんを確保する。封印で力を使い果たした彼女たちが相手なら簡単だ。プレシアが出て来ても、クロノと武装隊はほぼ完全な状態で残っているから、抑えることはできると思う。
 失敗した場合は、そのまま身柄を確保して、同じようにクロノと武装隊で封印すれば良い。封印後にプレシアが出て来た場合でも、先ほどの自分たちから仕掛けるよりは状態が良いし、勝てなくともフェイトちゃんとアルフを確保できたなら、一旦引くのも手だ。彼女たちから時の庭園の場所を聞き出して、準備ができてから再度こちらから仕掛ける。
 どうだい? 特に問題はないように思えるんだけど」


「エイミィに聞きたいんだが、相手が自滅するまで放置すると次元震が発生して地球に被害を与えないか?」

「どの程度の規模になるのかは、ジュエルシードの解析が終わるのを待つしかないよ。
 でも、多分大丈夫じゃないかな? 艦長のディストーションシールドなら、アースラの援護さえあれば次元震を抑えることもできるから。どのくらいまでなら抑えられるかは、艦長に相談しないとわからないけど。
 ところで、私もちょっと不安なことがあるんだ。相手も私たちが来るかもしれないってことは予想してるでしょ。だったら、それを逆手に取ってくるんじゃない?
 例えば、武装隊がアースラから転送する時に、そこからアースラの位置を逆探知されたら――」

「……直接アースラに攻撃が来るかもしれないな。もしアースラが沈めば保管している十個のジュエルシードは再び地球に落ちる」

再び海鳴に落ちるかどうかはわからないが、アースラがこれだけ地球に接近している状況なら、落下範囲は以前より狭くなり、非常に探しやすくなるだろう。管理局の増援が来る前に、もう一度集め終えることなど造作もない。
だが、だからと言ってみすみす放置するわけにはいかない。だからウィルは逆に考える。

「それを利用してみよう。プレシアが逆探知して、アースラの位置を特定する。でも、プレシアがアースラに攻撃すれば、今度はプレシアの居場所を逆探知できる。
 アースラへの攻撃も、来るとわかっていれば防ぐ方法くらいあるんじゃないか?」

「うん。さっき言ったディストーションシールドを使えば、質量兵器以外の魔法攻撃はほとんど防げると思うよ。これも、詳しくは艦長と相談しないといけないけど……」

「僕たちだけでは、このあたりが限界か。他に何かあるか?」



ウィルは沈黙していたが、しばし逡巡した後、おもむろに口を開く。

「一つ案がある。フェイトちゃんがジュエルシードの封印に成功した場合と失敗した場合を見れば、成功する方が都合は良いだろ?
 これは、彼女の封印の成功率を上げる方法なんだが……」

「そんなことができるのか?」

「ああ。フェイトちゃんがジュエルシードに手を出したら、なのはちゃんに連絡をするんだ――おれたちは向かうことができないから、代わりに行ってくれって。理由は転送機器の故障とか、ある程度の信憑性があれば良いと思う。なのはちゃんはもちろんだけど、ユーノ君だってアースラのことを良く知っているわけじゃないから疑いはしないだろう。
 なのはちゃんとフェイトちゃん、そしてユーノ君とアルフ、この四人が協力すれば封印の確率はぐんと上がる」

だが、クロノはつかみかからんばかりにウィルを問い詰める。

「ふざけるな。民間人を利用する気か」

「落ち着けって。たしかにそうだけど、これは予防でもあるんだ」

「どういうことだ?」

「ジュエルシードの大規模な反応があれば、おれたちが連絡しなくても、海鳴のなのはちゃんとユーノ君が気付いてやって来る可能性もある。月村邸では手を引くって言っていたけど、それを反故にすることもあるだろう。
 そして、もしおれたちがフェイトちゃんを捕まえようとしている時に来たら、こちらの言う通りにおとなしく引いてくれないかもしれない。そこでプレシアに来られたら、三つ巴の大混戦だ。
 でも事前に連絡して、封印で魔力を消費させれば彼女も無力化することができる」

心配のしすぎかもしれないが、温泉と臨海公園の二回、他者の争いに割って入ってきた前例がある。
だが、クロノはその説明を聞いても、全く納得していなかった。

「それにどれだけの意味がある。それが必要なことなら僕だってためらいはしないさ。だが、“かもしれない”で民間人を巻き込めるか!
 そこまでしなくても事件は解決できる」

「解決できる“かもしれない”だ。ジュエルシードが悪用されれば世界の一つや二つ吹き飛ぶ。それなら、より確実な手段をとるべきだろ――情に流されるなよ、クロノ」

「情ではない。管理局だから、それは認められないと言っているんだ。管理局は常に正しくあらなければならない」

時空管理局の『海』は複数の世界をまたにかける組織だ。各世界と交渉する必要があり、交渉において信用というものは大きな価値を持つ。民間人を勝手に利用するなどもっての外。

「それ以前に、管理局は世界を災厄から守る義務があるだろ」

時空管理局の『陸』は一つの世界に駐留し、現地を守る組織だ。しかし、戦力は海よりも低く、必然的に守るために手段を選ばない時が多くなる。


「理念を曲げてしまえば腐敗してしまうだけだということがわからないのか」

「別に曲げようとしているわけじゃない。理念はあくまでも守るための基準で、それ自体は抽象的なモノだ。個々のケースに適応させて具体化する時には、例外となるケースもあるってだけだ」

次第に険悪な雰囲気になっていく。しかし、二人は止まらない。
エイミィは全く気にせず、二人と距離をとって観戦に徹する。この二人がけんかをするのはよくあることだ。普段は堅物だが、根は優しく犠牲を許さないクロノと、普段は飄々としていて人当たりは良いが、損得を計算して、ある程度の犠牲を許容するウィルでは意見が合わないのも当然。
この二人は容姿や性格、戦闘スタイルにいたるまで、多くのことで正反対だ。なのに――だからこそ、仲が良いのだろうが。
エイミィがそんなことを考えているうちにも丁々発止の舌戦は続き、もはや個人攻撃の域に至る。しかし、両者ともヒートアップするほどに口調は冷静で――しかしねちねち、ぐちぐちと相手を責めるような話し方になる。

「クロノ、おまえは昔から理念や理想に縛られすぎだ。まさかまだ正義の味方を目指しているつもりか?
 理念にそって行動しています、これは正しいことだからこれ以外に手段はないんです――なんてのは、アホの言うことだ」

「正義の味方の何が悪い。そもそも、おまえは昔から斜に構えすぎなんだ。変に知恵を働かせたような邪道ばっかり考えて、それで後々どれだけの敵を作って来たか思い出せ。正しくない手段は、必要以上の敵意と味方の不信感を買ってしまう。
 そんなだから、昔から人付き合いが多いくせに、いまいち信用できないと言われるんだ。僕以外で、本当の意味で友達と言えるやつはどれだけいるんだろうな?」

「な……なんてことを言うんだ。結構傷ついたぞ。
 そういうクロノは、そもそもあんまり友達がいないじゃないか」

「クッ……もういい、立て。言ってわからないきみには拳で教えてやる」

「上等だ。魔法なしの格闘訓練で、おれがクロノに一度でも負けたことがあったか?」(魔法ありだと一度も勝ったことがない)

その後、殴りかかるクロノの拳を、ウィルが捕まえて投げ飛ばそうとした時に、クロノの蹴りが局部にあたってウィルが悶絶。クロノも反撃に気をとられすぎて受け身もとらずに落下し、数分間失神することになった。
お互いに任務に支障が出ない程度には手加減していたので、半時間もすれば普通に動けるようになったのだが、リンディにはしこたま怒られることとなった。


  **


その後の会議では様々な情報が出て来はしたものの、結局はウィルたちが考えた通りになった。
そして、なのはを使うという案はどうなったのかというと――

「なのはちゃんに連絡するのは駄目よ。
 でも、協力してもらうって言うのは良い考えね。なのはちゃんとユーノ君が“自分から”やってきたら止めないことにしましょう。ここで管理局に協力してくれたっていうのは彼女に、そして、とりわけユーノ君には有利になるわ。彼女たちが危険になったら、すぐに武装隊を出動できるようにしておけば大丈夫でしょう」

リンディの判定は当然ながらクロノ寄り。ただし、ウィルの意見も取り入れている。これは単にウィルを慮っただけではない。この件でリンディが最も重視していたのはユーノのことだった。
秘密だと念を押された後に語ったところによると、ユーノたちが介入した場合、彼らが勝手に介入して来たという形ではなく、対応が遅れてなかなか来れない管理局を見かねて、民間人の彼らが助けてくれたという形で報告をまとめる予定らしい。そして、その功績と引き換えにして、ユーノの罪を少しでも軽くする――それがリンディの考え。
ただ、アースラが失態を犯したことになるのだが、リンディは全く気にせず、子供の将来には代えられない、と言い切った。

「……聖母か、あなたは」

「あらあら、ほめたって何もでないわよ」



[25889] 第11話(後編) 思い、策謀
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:01
「ウィル君、聞こえる?」

エイミィは海上のウィルへと通信をつなぎ、呼びかける。するとすぐに返事が得られた。ジュエルシードが発動していた時は、荒れ狂う魔力の影響で音声がほとんど拾えなかったが、今はノイズすらない。海上はもう落ち着き始めたようだ。

『ああ。見えているとは思うけど、なのはちゃんとユーノ君も無事に保護したよ。フェイトちゃんとジュエルシードはどうなった?』

「二人とも転送魔法で逃げたみたい。逃げる前にフェイトちゃんが雷――次元跳躍魔法に当たって気を失っていたのが気になるけど、非殺傷設定だから大丈夫かな。でも、当分は戦えないだろうね。
 そうそう、よっぽど慌ててたのか、ジュエルシードがそのまま放置されちゃってるの。だから――」

『わかった。回収してくるよ』

そう言うと、ウィルはなのはたちを連れてジュエルシードの元へ移動し始めた。

「話が早くて助かるよー」


ウィルとの通信を終えたエイミィは、続いて部下に問いかける。

「アレックス君、アースラへの攻撃は解析できた?」

「魔力波形はプレシア・テスタロッサのものと一致しました。海上への攻撃も同様です」

「攻撃元は特定できそうかな?」

「問題ありません。それに二か所も攻撃してきましたからね。組み合わせれば、かなりの精度で特定できますよ」

エイミィが尋ねたのは、もう一つの次元跳躍魔法のこと。
予想した通り、アースラも海上とほぼ同時に次元跳躍魔法による攻撃を受けた。海上の方は回避すれば良かったが、アースラの巨体ではそんな器用なことはできない。
そこで、回避ではなく防御を選択する。そのための手段は、艦長であるリンディのAMF系魔法、『ディストーションシールド』だった。
その効果は、一定範囲の空間を魔力の動きが極端に鈍くなるような歪んだ場に変えること。それによって範囲内の次元震を抑えることや、外部からの魔法攻撃を弱めることができる。前もって発動準備をしていたことで、次元跳躍魔法を防ぐことに成功。
そして、次元跳躍の痕跡を解析することで、敵の攻撃元――すなわち敵の本拠地を探りだす。


エイミィはそのまま解析を続けるように指示すると、今度は別のオペレータに問いかけた。

「ランディ君、艦長は?」

「医務室で検査を受けています。まだ途中ですが、心配ないみたいです」

「そう。良かった」

胸をなでおろす。ディストーションシールドは行使者であるリンディに大きな負担をかける。なぜなら、艦船一つを完全に包むほどのAMF魔法は、彼女だけでは魔力が足りず、アースラから魔力の補助を受けなければならないから。
それには二つの問題がある。
まず、艦の動力となる魔力をそのまま使うことはできないので、なのはがフェイトに魔力を譲渡した時のように、魔力をリンディに合った形に変化させる必要があったこと。しかし、その場でやらなければならなかったなのはたちとは異なり、こちらには事前に数日の猶予があった。その間に、念入りに準備しておくことで解決できた。

重要なのは、もう一つの方だ。
一時的とはいえ、リンディは自身のリンカーコアの容量をはるかに越える魔力を取り入れなければならない。限界以上の魔力を外部から取り入れることは、行使者の肉体――とりわけリンカーコアに大きな負担を与える。
今回は相手の攻撃に合わせて、十数秒間だけ発動したにすぎないが、それでも身体に与える影響は大きい。それに万が一ということがある。
問題ないなら良いが、検査の結果に少しでも異常があるのなら、後のことは副長に任せてそのまま休んでいてほしい。

リンディのことを除けば、事態はアースラにとって理想的に進んでいる。
後はフェイトたちの持つ五個のジュエルシードを取り戻し、プレシアを捕まえるだけ。彼女たちの拠点はじきに見つかる。そこで戦いがおこったとしても、フェイトとアルフは先ほどの封印で相当消耗している。相手はプレシア一人だと考えて良いだろう。
それに比べれば、アースラの戦力は何一つ欠けていない。負ける要素はない。


「気を抜かない方が良い」

そのゆるみが表に出ていたのか、いつのまにかエイミィの横に来ていたクロノが、戒めるように言う。彼の表情はこれだけ優勢であるというのに、険しいままだ。

「でも、もう解決したようなものじゃない。何か気にかかることがあるの?」

「解決できることは疑っていない。しかし、手負いとはいえ相手は大魔導師だ。正面からぶつかると、こちらの被害も大きくなる。武装隊員の被害をできるだけ抑えたいんだが……何か良い策はないものかな」

「……」

「ん、どうしたんだ?」

クロノは、じっと自分を見るエイミィの視線に気づき、不思議そうな顔をする。

「いやぁ、クロノ君はやっぱり偉いなと思って」

「……急にどうしたんだ」

「なんでもないよ。そうだ!医務室で艦長が検査を受けているんだけど、それって向こうにも――」


  *


転送室にはアースラの主戦力である武装隊が待機している。その数三十。彼らはフェイトやなのはたちが封印に失敗した時の保険。そして、海上にプレシアが現れた時に戦うためだった。もっとも、そんな事態にはならなかったので、次の指令がくるまでは待機状態が続きそうだ。
その武装隊の中に十代後半の女性隊員がいる。彼女は最近本局武装隊に配置され、アースラには来たばかり。魔導師ランクはB。この隊での実力は中の下といったところ。

転送室の中心にある足場に円柱状の光が現れ、三人の人間が現れる。そのうち、少年と少女――なのはとユーノからは大きな緊張ととまどい、そして敵愾心が見てとれる。もう一人であるカルマン三尉――ウィルは特に変わったところはない。
三人の前方にモニターが投影され、そこには男性オペレータが映っている。

『無事で何よりです。ジュエルシードは転送室の外で待機している技術官に渡してください。
 カルマン三尉は武装隊ではなくクロノ執務官の指揮下になりますので、ブリッジにて待機してください。
 ですが、その前にそちらのお二人――高町なのはさんとユーノ・スクライアさんを医務室まで案内していただけませんか。お二人とも大量に魔力を消耗した後ですので、念のためにメディカル・チェックを受けた方が良いかと』

「わかりました。二人ともおれの後についてきて」

そう言って、ウィルが歩き出す。彼は、お先に失礼します、と一足先に会社から帰るような気軽さで挨拶をしながら出ていった。



彼らが転送室を出た後で、彼女は思わず隣の青年に念話で話しかける。

≪気に入らないっ! って思いません?≫

お相手は、彼女の指導役を務めている先輩武装隊員だ。年は同じほどだが、彼はもう三年ほど本局武装隊で働いているそうだ。ランクはA。武装隊での実力は五番前後。

≪どれのことを言っているのですか?≫

その先輩は肯定するでも否定するでもなく、淡々と尋ね返してきた。自分には関係ないとばかりに澄ました答えにむっとして、語気を荒げる。

≪全部ですよ! ロストロギアが発動しているのに放っていたこと、それの対処を敵の子供に任せて傍観していたこと、私たちじゃなくてアースラのメンバーでない人を出動させたことも!
 なにより一番ダメなのはあんなにかわいい子たちを放っておいたことですよ。転送された時のあの子たちの顔は先輩も見たでしょ。そりゃ怒りますよ当然ですよ。それにあんな抱きしめたら折れちゃいそうな体を、あの嵐の中に放っておくなんて! ああ、待機命令がなかったら二人とも私が抱きしめて暖めてあげるのに!

≪落ち着いてください≫

 ……はい≫

注意されて少しは冷静になる。しかし、落ち着いてもやはりこらえられずに、もう一度話しかける。

≪でも、何て言うか……わかりませんか?≫

武装隊は待機中に、海上の様子をモニターで見ていた。嵐に翻弄されて徐々に衰弱していくフェイト、果敢に立ち向かうなのはの姿を、彼らはモニター越しに見ていた。見ているだけだった。助けたいと思っても、転送機能はブリッジで制御されている。助けに行くことはできない。
そんな状態で不満を抱くなと言う方が無茶だろう。

≪きみの気持ちは理解できます。しかし、これが最も確実な作戦です。それに従わなければ、救えるはずの者さえ救えなくなる可能性が高くなりますよ≫

≪理屈ではわかります……でも納得できません。こう感じるのは駄目なんですか≫

≪いえ、良いことだと思います。誰も傷つかず、危険な目に合わせない……その最善を目指そうとするのは、とても大事なことです。ただし、それは現実的ではない。作戦を立案した艦長たちでさえ、本当は誰も犠牲にしない道を望んでいるはずです。でも、部下の命を預かる者として、そんなおぼろげな道を進ませて、無駄死にさせるわけにはいきません。
 より優先順位の高いものを確実に守るために、何かを切り捨てる――それが指揮官にとっての割り切るということです≫

≪それは……そうかもしれませんけど≫

彼の言葉は正しくて、でもそれを認めたくはない。理屈では正しくても、血の通っていない言葉のように感じるから。こんな風に、上に命令されるままに機械のように行動するために、自分は管理局に入ったわけではない。それを良しとする者たちが仲間だと思いたくない。
でも、彼女は言い返すだけの言葉を持っていなかった。
そんな自分がなんだか情けなくなって、うつむいてしまう。


≪だから、命令をやぶる時は自分の行動が及ぼす影響を考えてからおこなってくださいね≫

≪えっ?≫

物騒なことをさらっと言われた気がして、思わず顔を上げる。

≪……なんだか、やぶっても良いみたいなことを聞いた気がするんですけど≫

≪良いですよ。僕たちは機械ではありません。どうしても命令に納得がいかないならやぶればいいんです。もちろん、そのせいで状況が悪化する可能性は高いですし、たとえうまく行ったとしても、罰は受けなければなりませんよ。
 自分の考えのもとで、リスクとリターンを考えて行動を選択する――それが僕たちのような現場のものたちにとっての、割り切ると言うことですから≫

そう言う彼の片手には、デバイスが握られていた。よくよく思い出してみると、彼は待機中もずっとデバイスを握っていたように思う。他にも何人かそうしていた人たちがいたので気にしなかったが、考えてみればおかしなことだ。命令が出てすぐに転送されるわけではないのだから、その間にデバイスを展開すれば良いのに。
もしかして――

≪先輩って、転送魔法使えましたっけ?≫

≪使えますよ≫

≪それって、デバイスがなかったら使えないとか?≫

彼は何も言わなかったが、彼女にはその沈黙が答えだと思えた。


≪なーんだ。結局、先輩もこの作戦は気に入らなかったんですね。そうならそうと言ってくださいよ。もしかして他にもデバイスを展開させてた人たちも同じようなことを考えていたんでしょうか。それにしても、考え付かなかったなぁ。いえ、もし考え付いても私って転送魔法使えないからできないんですけど――≫

(……うるさいなぁ)


  **


医務室の奥の部屋は静寂に包まれている。椅子に座ったリンディの正面には、初老の医師が座っている。彼は白いものが混じりだした髪をなでつけながら、モニターに映るヴァイタル・データを睨みつけるような目で見ていた。しばらくそうしていたかと思うと、急にふっと微笑みを浮かべる。

「ポジティブ。少し弱っているが、リンカーコアに損傷はない。体力の消耗も一晩寝れば治るだろう。もういい年だというのに元気なことだな。うらやましくもあり、ねたましくもある」

「もう、そんな怖い目で見ているから、おかしなところでもあったのかと思ったわよ。それと年齢のことは言わないで。……ところで、もう一回くらい使えそうかしら?」

医師の笑みが消え、代わりに渋面を浮かべる。

「ネガティブ。今日一日は艦長席を尻で温める仕事に専念した方が良い。
 そもそもきみの出番はまだあるのか?相手の居場所がわかったら、後は武装隊が捕えるだけではないか」

「そうなれば良いのだけどね。相手がロストロギアを持っている以上、やぶれかぶれになって暴走させるってことも考えられるわ。そうなって次元震が発生したら、抑えられるのは私しかいないから。
 それで、できるのかしら?」

「ポジティブ、可能だ。だが、弱っている状態で発動する以上、負担は先ほどよりはるかに大きくなるぞ。きみのことだから限界は心得ているとは思うが、万が一ということもある。
 ……それに、こんなに早くきみを逝かせては、クライド君に申し訳が立たん」

「わかっているわ。私もまだ、クロノにいらない責任を押し付けるつもりはないから」

医師は横を向き、ふんと鼻を鳴らす。

「ポジティブ。わかっているなら構わん。医師ができるのは忠告までだからな。
それではさっさと出ていけ。次の患者が待っている。それに、クロノが緊急で調べて欲しいことがあると頼んできた。忙しくていつまでもきみの相手をしておれん」

「あら、どんなこと?」

「プレシア・テスタロッサの魔力値と、先ほどの次元跳躍魔法に関するデータから、彼女の消耗具合を予測してほしいそうだ。まったく、まだ若いのに、保護者がいなくとも自発的に考え動いている。優秀だな、きみたちの息子は」

「ええ。自慢の息子よ」



リンディが奥の部屋から出ると、手前の部屋ではウィルとなのはたちが待っていた。

「三人ともお疲れ様」

ねぎらいの言葉をかけ、それから一つ二つ言葉を交わすと、なのはとユーノはそのまま奥の部屋に入っていった。リンディと同じように検査を受けるためだ。
リンディはウィルと共にブリッジに向かう。その道中、ウィルがため息をついた。

「さっきまで、二人にアースラの行動を説明していたんですが……完全に納得してはもらえませんでした。なのはちゃんはフェイトちゃんを、ユーノ君はなのはちゃんを放っておいたことを怒っているみたいで……嫌われちゃったかも」

「悲しいことだけど、子供の反応としてはその方が良いわ。あの年で仕方なかったんだって割り切られたら、その方が悲しいでしょ?」

「違いないですね」

苦笑するウィルに、ため息をつく。

「私は、あなたやクロノにも、もっと子供らしくしていて欲しいのだけど」

「こればっかりは性分でして。ところで、お体は大丈夫ですか?」

「ええ。なんともないわ」

そう言った途端に、平行感覚を失って、隣を歩いているウィルにぶつかりそうになり、慌てて抱き止められる。

「あら……ごめんなさい」

「あまり無理しないで下さい。とりあえずまた倒れそうになられては困るので、不肖わたくしめがブリッジまでお送りいたします」

ウィルはそのまま、芝居がかった大げさな動作でリンディを横抱きする。貴婦人を気づかう騎士ではなく、わざと身の丈に合わぬキザな行動をとって、笑われようとする道化のような大仰な動作で。

「さすがにこれは……ちょっと恥ずかしいわ。それに重くないかしら」

「人を抱えるのは、ここ一月で慣れましたから」

幸運にもブリッジまでの道中、誰にも会うことはなかった。


  ***


そして、ついに武装隊はプレシアと対峙する。
時の庭園が発見されると、最初におこなわれたのは遠距離からの観察だった。次に艦載のサーチャーを用いて、庭園を内部から観察する。その途中に、庭園部を移動するアルフを発見。すぐさまサーチャーに追跡させる。幸いにも気付かれることなく――もしかしたら気付いていたのかもしれないが――そのまま追跡したところ、彼女はひときわ大きな部屋に入っていった。
そして、そこにはまさしくプレシアその人がいた。さては報告に訪れたのかと思いきや、アルフは翻意を明らかにしてプレシアに襲いかかる。しかし、力及ばずプレシアに敗れ、そのまま殺されそうになったため、クロノは武装隊の一小隊(六名)を突入させた。
すぐさまアルフ保護してアースラに転送させ、武装隊はプレシアを囲むように半円状に位置取った。

『プレシア・テスタロッサ。時空管理法違反、および管理局艦船への攻撃容疑であなたを逮捕します』

『邪魔よ』

何のためらいもなく、プレシアは魔法を放った。
広域魔法、上方から降り注ぐ無数の雷の雨。逃げ場などなく、ただ防御するしかない。
しかし、個人ではとうてい防げない。オーバーSの魔導師の魔法に対抗するには、武装隊では圧倒的に魔力が足りていない。
だから、六人の武装隊は一か所に固まり、一斉に防御魔法を行使。
六人が協力して合計二十層におよぶシールドを展開する。一人で無理なら六人で。一枚一枚のシールドは弱くとも、これだけの数があれば話は違う。
質に量で対抗する。そのための武装“隊”。

しかし、それでも彼らを守るには十分な盾とならなかった。二十層全てが破られ、プレシアの魔法が彼らを襲う。

しかし、シールドのおかげで魔法は本来よりもずいぶん軽減されていた。そのため、全員が軽傷を負うにすぎなかった。
まだ戦える――が、次の攻撃を受ければ倒れるだろう。

このタイミングで、クロノはエイミィに指示を出す。

「第一小隊をアースラに戻せ。かわりに第二小隊を送りこむんだ」

「了解!」

全員を撤退させると、間髪おかずに新たに武装隊が送りこまれる。そして彼らは再びプレシアと向かいあう。先ほどの焼きまわしのように。


これがクロノの策。
一度に大人数を送り込んでも、そのほとんどがプレシアの広域魔法で一網打尽にされてしまう。そこで三十人の武装隊を、わざわざ六人ずつ送り込んで戦わせる。いわゆる戦力の逐次投入。一般的には愚行であり、六人ずつ倒されるだけ。だがそれは、プレシアが本来の調子であればの話。

次元跳躍魔法をアースラと海上――座標の全く異なる二つの場所に同時に放つ。それはプレシアの魔力量でも不可能だ。しかし、次元跳躍魔法の魔力波形がプレシアのものである以上、攻撃は何らかの兵器によるものではなく、プレシアの魔法であることは確定している。
では、プレシアはどうやってそれを為したのか。

おそらくリンディと同じように外部から、時の庭園の動力となる魔導炉から魔力を引っ張って来たのだろう。つまりリンディと同じ方法で、リンディ以上の魔法――二つの次元跳躍魔法を行使したプレシアの肉体とリンカーコアには、想像を絶するほどの負担がかかっている。
アースラの医師によると、今のプレシアの身体やリンカーコアは極度に弱っており、機能不全をおこしかけている可能性が高い。そして、その状態では魔法一つを行使するだけでも体力を大きく消耗する。広域魔法のように消費の大きい魔法を二発も撃てば、それだけで体がついていけずに気を失うだろうと推測される。
武装隊が完全に守りに専念すれば、プレシアの魔法とて、一撃くらいなら耐えられる。プレシアが攻撃して、武装隊が防御する。そしてすぐに残りの武装隊と入れ替える。
こうすれば、武装隊にも大きな被害をだすことなく、確実にプレシアを倒すことができる。



新たな武装隊が現れるのと同時に、玉座の間にモニターを投影させる。二度目の投降勧告のため。モニターにはリンディが映っている。

「あなたにもう勝機がないことはわかるでしょう。
 投降してください、プレシア・テスタロッサ。我々もこれ以上の戦闘は望みません」


沈黙が玉座の間に訪れる。だがそれもほんの少しの間。

『甘く見られたものね』

そう言いながらも、プレシアは先ほどと同じように魔法を放つ。
だが、武装隊は同じように協力してシールドを展開。先ほどの魔法を見ていたこともあり、より迅速に、より余裕を持ってシールドは展開された。
さらに、プレシア自身の魔法の威力も先ほどに比べて低下している。
シールドはぎりぎり残り、プレシアの攻撃は完全に防がれた。
だが――

『終わりと思ったの?』

武装隊が気をぬくよりもさらに早く、もう一度雷が降り注ぐ。
広域魔法の同時詠唱による二連撃。残りのシールドが貫かれ、武装隊は雷に焼かれる。

殺傷設定の一撃にクロノは青くなるが、すぐにやられた武装隊の様子を観察する。大きな傷を負っている者もいるが、致命傷の者はいない。すぐに治療すれば全員助かるだろうと判断。
それに、プレシアは今にも崩れ落ちそうな体を、玉座にすがりつくようにして支えている。
これだけ弱っていれば、もう彼女を取り押さえることもできるだろう。
だから、先ほどと同じように武装隊を入れ替えるように指示する。

しかし、指示通りにエイミィはコンソールを操作しようとして、その指が凍りついたかのように動かなくなる。

「時の庭園を中心に小規模の次元震の発生を確認。……これじゃアースラに戻せないよ!」

その言葉を裏付けるように、次第に時の庭園が揺れ始め、モニターにはノイズがかかり始める。
モニターの向こうのプレシアは、玉座にすがりつきながらも嘲るように笑っている。

『勝てないなら、負けなければ良いのよ』

「ジュエルシードと心中するつもりか!?」

『安心してちょうだい。これはジュエルシードを暴走させたわけではないわ。ちゃんと制御して発動させたの。今日のところは引き分け――日を改めての再試合といきましょう。
数日もすれば治まるから、それまでゆっくり休ませてもらうわ』

よりいっそう次元震が激しくなる。まもなく通信は完全に途切れ、玉座の間を観測することさえできなくなった。


  ****


ブリッジは重い沈黙に包まれる。だが、それも少しの間。状況の変化に合わせて、次の行動を考えて、動き始めなければならない。
まず最初に、リンディが口を開いた。

「やられたわね……単に暴走させただけなら抑えこめば良いのだけど、私もずっとディストーションシールドを張り続けることはできない。相手がジュエルシードを完全に制御できるのなら、ゆるんだ隙に再び発動されるだけだわ。
 まずは彼女を捕まえるか、ジュエルシードを回収しないと」

その声にオペレータが反応する。

「次元震自体は小規模なものです。外から観測でき、ある程度の広さがある場所になら転送可能です。と言っても、条件に該当するのは、庭園部の上空くらいしかありません。
 それに、一度突入すれば、解決するまでアースラには戻すことはできません」

座標を指定する転送魔法は、次元震が起こると転送できる場所が限られてしまう。次元震によって空間が動かされているので、指定した座標からずれてしまうからだ。
もし普通の部屋のような狭い場所には転送しようとすると、壁や物のある座標に転送される――いわゆる“いしのなかにいる”状態になる危険がある。そうならないためには、周囲に――この次元震の規模なら周囲十メートル程度に何もない場所が望ましい。
アースラに戻せないのは、召還はさらに危険だからだ。呼び戻す者の座標がうまく指定できなければ、その者の体の一部だけが転送室に戻ってくる――などという事態になってしまう。

とにかく、こちらから浸入することは可能。しかし、プレシアもそれは予想しているはず。

「目的は回復のための時間稼ぎ……に見せかけて、本命は私たちをおびき寄せて、少しでも戦力を減らすことでしょう。そのために、なんらかの罠が仕掛けられていると考えるべきね」

一度突入したが最後、そこに何があろうと戻ることはできない。補給も回復もできないとなれば、全滅の危険もある。
ブリッジに再び沈黙が訪れかけ、それをクロノの声が追い返した。

「罠があるとしても、僕たちは引くわけにはいかない!
 突入した武装隊が、まだあそこに取り残されている。一刻も早く治療しなければ命にかかわる。それに、プレシアが回復してしまえば、その後の戦いではさらに多く犠牲が出ることになるだろう」

リンディもうなずく。

「そうね。なにより、私たちはさっき彼女を追いつめて、勝ち目がほとんどないことを理解させてしまった。体勢を立て直したプレシアは、手段を選ばずに行動してくるでしょう。ジュエルシードと地球を盾に脅迫してくることもあるかもしれないわ。
そんな相手に考える間を与えては駄目」

「残りの武装隊全てで、時の庭園に突入する。指揮をとるのは僕だ。
 目的は取り残された武装隊の回収!そして、プレシア・テスタロッサの捕縛だ!」

そう宣言すると、クロノは次々に指示を出す。武装隊への連絡、医療班の編成、これまでの観測結果を元にした時の庭園の地図の作製。準備は念入りに、しかしなるべく迅速に突入しなければ、取り残された武装隊の命が危うい。
クロノはその状況で、混乱することも止まることもなく、流れるように指示を出していった。



ウィルはその間、一言も話さずにクロノのかたわらに控えていた。わざわざ自分が言わずとも、クロノたちに任せれば問題はない。逆に、部外者の自分の発言は的はずれなものになるだろう。平時ならそれも経験となるが、このような緊急事態なら、時間のロスは命取り。

しかし、いつまでも黙っているわけにはいかない。このままだと、自分はアースラに置いていかれそうだから。
当たり前だ。クロノは帰って来れるかわからない作戦に、部外者を巻き込むことをよしとしない。それに養子とはいえレジアスの息子を死なせてしまっては、管理局の地上と海の関係がさらに悪くなる。
だが、ウィルもここで引き下がるわけにはいかない。ウィルにも行きたい理由がある。

だから、クロノが指示し終えた瞬間、その隙をついて発言しようとした。


「おれも――

「わたしたちも連れて行ってください!」

 ……言わせてよ」




(後書き)
や、やっと書けた……。かなり間が空いてしまいました。
シーンを転換しながら、状況説明とそれぞれ立場が違う者の考えを書こうとしたのですが、なかなかうまく書けずに書いたり消したりしているうちに展開すら変わって……みたいな嫌なループに入っていました。しかし、鬼門は越えたので後は流れに沿って書くだけ……だと良いなぁ。
おかしな点があれば指摘してください。



[25889] 第12話(前編) クロノ・オン・ステージ
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:01
世界と世界の間に存在する空間。それには次元空間という名称があるのだが、“海”という別称で呼ばれることもある。アースラのように世界をまたにかける管理局の部隊が、海と呼ばれる所以だ。
次元空間が海なら、各世界は広大な海に浮かぶ浮き島で。世界を揺るがす次元震は嵐、嵐に揺られている時の庭園はさしずめ波に弄ばれる船。

時の庭園は上にも下にも棘が生えていて、ウニのように見える。もちろん単なる装飾ではなく、塔がそう見えているだけだ。ひときわ大きな塔を中心として、その周りに時の庭園の名の通りに庭園が存在し、その外側に小型の塔(棘)が存在する。庭園部は、次元震のせいで建物内部の観測がほぼ不可能になった現在、唯一アースラから観測できる場所となっているが、モニターに映る庭園の光景を見た者は眉をしかめた。
枯れた植物。砕けた彫像。くすんだ柱のレリーフは、からみつく茶色のつたでほとんどが隠され、何を表しているのかまるでわからない。放置された結果ではなく、作為的に廃墟の趣をだそうとしたのだ――などと堂々と言われた方が納得できるようなほどに、薄気味悪い。

その場所に勇敢にも浸入する者たちがいる。
彼らは庭園部の上空に順番に転送されると、後続の邪魔にならないように素早く地上に下りて周囲の警戒をおこなう。そうして現れた三十人弱の人々。その半数はアースラの武装隊。その中にはウィルもいる。率いるのは当然クロノ。彼らに守られるようにして、緊急に編成された医療班。
その集団から少し離れて、なのはとユーノ、アルフがいる。


クロノは、結局四人とも連れてくるはめになったことにため息をつく。しかし、突入してしまった以上、もうアースラに返すことはできない。そもそも、次元震のせいでアースラと連絡をとるどころか、クロノやユーノでさえ数十メートル以上離れている相手には念話が届けることができない環境になっている。
クロノはなのはたち三人の方を向く。

「きみたちとは、ここで別れることになる」

クロノたちが目指す玉座の間は、中心の大きな塔にある。そこは在りし日には貴人のための住居――城として使われていたらしい。そして、なのはたちが向かうのは、その他の小型の塔。ここは貴人に仕える者――使用人の住居として使われていたそうだ。
これらの間を行き来するには地上の庭園部を通る以外に道はない。

「僕たちは、まずとり残された負傷者の治療をおこなうために、医療班を護衛しながら玉座の間に向かう。その後は、僕はそのままプレシアの捜索を続けるが、負傷者が動かせる程度に回復すれば、彼らと医療班を武装隊に護衛をさせてこの庭園部に戻すつもりだ。治療が必要なようなら、きみたちもここに戻って来ると良い。しかし、僕たちが戻れない状況も考えられる。なるべく怪我はしないように。
 一応、きみたちにつける護衛だが――」

「はいはいっ! 私に任せてください!」

元気よく手を上げる女性隊員がいる。しかし、彼女はまだ武装隊に来て日が浅かったので、彼女の指導役となっている男性隊員を追加する。この二人がなのはたちの護衛。

「それでは二人とも、彼女たちを頼む」

「任せてください!」
「わかりました。お気をつけて」


クロノは彼らに背を向け城へ向かう。それでも、少し進んでからやはり気になって、後ろを振り向く。なのはたちの姿はすでに遠くなっている。
この状況では、危険に陥っても助けることはできない。あの二人の武装隊員が精一杯の助け。
やはり、あの時止めるべきだったかという逡巡する。しかし、ああも立て続けに予想外のことが起こってしまっては、断ることはできなかった。思い返せば、最後の方などはまともに思考回路が働いていたかも怪しい。それもこれも、あいつのせいだ。

「まったく、世界はこんなはずじゃなかったことばっかりだ」

「いや、まったくだな」

思わずこぼれたつぶやきに、いつの間にか横まで来ていたウィルがほがらかに同意する。その言葉に堪忍袋の緒が切れる。

「誰のせいだと思ってるんだ!」

後に武装隊の面々が語るところによれば、涙目になって怒るクロノの顔はなかなかかわいらしいものだったそうだ。


  *


「わたしも連れて行ってください!」

ブリッジに現れて時の庭園への突入に参加表明したのは、なのはだった。その後ろにユーノとアルフがいる。おかげでウィルの参加表明はかき消されてしまった。
クロノは呆気にとられた顔をしていた。クロノだけではない。ブリッジにいる全員が予想外の出来事にぽかんとしている。いち早く我に返ったクロノは、他のクルーに仕事に戻る
ように指示すると、なのはたちの前のもとへ近づく。

「きみたち、聞いていたのか……いや、そもそも、そろいもそろって何を言っているんだ」

それにしてもうまいタイミングだった――とウィルは感心する。なのはは、クロノの指示が一通り終わり、彼の張りつめた気がゆるんだ瞬間に発言している。もう少し早ければ指示途中のクロノに邪魔をするなと怒られていてだろう。
そのタイミングを計ることは、クロノをよく知っているウィルにとっては簡単なことだが、一度しか顔を合わせていないなのはには難しい。ただの偶然か。それとも、なのはの人並み外れた観察力のたまものか。

クロノは冷静に、諭すようになのはたちに語りかける。

「すまないが、後は僕たちに任せてくれないか。今の時の庭園では何がおこるかわからない。そんな危険な場所に民間人を連れていくわけにはいかない」

「その理屈は通りませんよ。その民間人が危険な目にあっても、傍観していたじゃないですか」

すかさずユーノが海上での管理局の行動――自分となのはが海上に現れても、管理局が一切動かなかったこと――を引き合いに出して反論する。

「そのことはすまないと思っている。しかし、きみたち二人は月村邸でこれ以上首をつっこまないと約束したはずだ。それを僕たちに連絡もなく一方的にやぶって、勝手にあの嵐に飛びこんで来たのはきみたち自身の意思だ。自分から危険な場所に行って、助けるのが当然と言うのは勝手すぎるとは思わないか」

クロノの反論に、ユーノがひるむ。
しかし、すぐにクロノは売り言葉に買い言葉で発言した内容に後悔する。クロノの反論は間違ってはいない。しかし、彼女たちからアースラに連絡をとる方法はなかったことは考慮にいれるべきであり、何より自らの発言は、民間人を危険にさらしたことを開き直っているようにしか思えなかったから。

「すまない。失言だった。だが、そうでなくとも今のきみたちは消耗している。戦力にならない者を連れていく余裕はない」

先ほどより、いくぶん勢いをなくしたクロノに、再びなのはが、そしてアルフが話しかける。

「あの、わたしたちは戦いに行くわけじゃありません」

「フェイトを部屋に寝かせてきたままなんだ。あのままだと、目が覚めたらまたプレシアのいいなりになってしまうよ。だから、あたしたちで保護したいんだ」

なるほど。たしかに、彼女を保護することにメリットはある。
だが、その優先順位は低い。保護したとしても、プレシアを捕えてこの次元震を抑えなければアースラに連れて帰ることもできず、逆にプレシアを捕えてしまえば、フェイトが敵対してもさして恐れることはない。
それでも、必要な行動にカウントしておいた方が良いと思い、クロノは答える。

「わかった。フェイト・テスタロッサの保護も、こちらの目的に加えておく。だからきみたちは大人しく待っていてくれ」

「それこそ信用できません」

「なに?」

再びクロノに反論するのはユーノだ。

「たしかに、海上でのことは僕たちに否がありました。でも、管理局がそれを傍観していたのも事実です。その理由は傍観した方が有利だからという“損得”を優先させたから――違いますか?
 その決断をしたあなたたちが、もう一度フェイトを見捨てることがないなんて、どうやって信用しろって言うんですか!」

再びクロノが押され、すかさずなのはが発言する。

「わたしたちは放っておいてもらって構いません。お邪魔にならないように、自分たちだけでフェイトちゃんを助けに行きます。ただ、わたしたちをあそこへ転送してくれるだけで良いんです」

内容はともかく、そのタイミングが良かった。先ほどもそうだったが、なのははユーノとクロノが言い争い、クロノが引いた瞬間に発言している。意図してかそうでないかはわからないが、これも観察力のたまものであることは間違いないだろう。末恐ろしいことだ。
しかし、クロノを説得するには足りない。
クロノでなければ、思わず同意してしまいそうな具合のよさだ。

「きみたちは良くても、こっちは良くない! 戦力にならない者を、護衛もなしに戦場に送りこめるわけがないだろ。そのフェイトの部屋までの途中に、罠や敵がいないなんて保証はないんだ。
 だから、きみたちを行かせるとなれば、こちらも最低限護衛をつけなければならない。しかし、この状況で戦力はなるべく割きたくない」

しかし、クロノは真面目で正しく、そして優しい。だからこそ、クロノを説得するには完全な理屈――もしくはその真逆の完全な情を用いなければならない。それとも、その判断ができないくらい追い込むか。

なのはとユーノは黙りこむ。すると、今度はアルフが提案する。

「だったら、あたしたちに割く護衛以上の見返りをあげるよ。あたしはあそこで何年も暮らしてきた。時の庭園の構造は、ほとんど把握してるんだよ。
 あたしたちを行かせてくれるなら、知っている限りの情報をあんたたちに教える。それでどうだい?」

アルフの提案にクロノの心は揺れる。条件は魅力的。地図の有無は作戦の成功に大きく関わる。詳細であればなおさら。
だが、それでもなのはたちを行かせて良いものなのか。クロノにとっては、海上での封印を傍観する――あれが精一杯の妥協だった。あれはまだ、危険になれば武装隊が救出に向かうことができた。本人たちにとっては命がけだっただろうが、クロノたちから見れば、彼女たちの安全は保障されていたと言っても良い。
しかし、今回はわけが違う。時の庭園に何があるのかはわからない。危なくなったからと言って、アースラに戻ることもできない。
そんな死地に行かせて良いものか。



「ちょっといいかな」

新たに発言したのはウィル。
この話し合いは、クロノが一通りの指示を終え、医療班の編成などをおこなって出撃するまでの猶予におこなわれている。時間にも限りがあるから、あまり長々と話しているわけにはいかない。これまで静観していたから、両方の考えもわかった。そろそろ話を終わらせよう。
ただし、最初に話しかける相手はクロノではない。

「アルフ。今はこれ以上時間を使うわけにはいかない。エイミィ――って言ってもわからないよな。あそこの茶髪でくせ毛のお姉さんのところに行って、時の庭園の情報を教えてあげてくれないか」

「それはそこの黒いのが許可してから――」

「クロノはおれが説得する」

「……わかったよ。できなかったらひどいからね!」

まずはアルフを動かす。アルフが情報を教えても、それを地図の形にするには時間がかかる。なら、クロノを説得してからでは時間のロスが大きい。
アルフがエイミィのもとへ向かったのを確認すると、クロノに向き直る。立て続けに予想外の問題がおこることに、うんざりしたような顔になっているクロノと目が合う。

「きみまでこの状況で場をかき乱すようなことを言うつもりなのか」

「いやさ、実はおれも突入部隊の一員に加えてほしくてね」

自分の予測できる範囲だったウィルの言葉に、クロノの肩の力が抜けるのがわかった。

「彼女たちと同じ内容か。きみは管理局の局員な分だけ彼女たちよりはまともな提案だが……あまり出したくはない。もしきみに何かあったら――」

「もちろん、おれが死んだらアースラに迷惑がかかるってわかっているさ。でも、ここでクロノを手伝わなかったら……おれの心に瑕(きず)ができる。
 なぁ、クロノ。おれの父さんはクロノの父親――クライドさんと一緒にエスティアに残って死んだ。それは知っているだろ」

「もちろんだ。だが、今はそのことは……」

クロノの顔にあきらかな動揺がうかぶ。その話題は、二人にとってある意味鬼門とも言えるもの。
十年前、ロストロギアの輸送をおこなっていた管理局の艦船『エスティア』が消滅した。その時の死傷者は二名。艦長であるクライド・ハラオウンと、武装隊の隊長にして彼の友人であったヒュー・カルマン。
クライドは自分以外の全乗員に退艦命令を出し、自分一人を残した。しかし、それに従わなかった乗員が一人。それが、ヒュー・カルマンだった。何があったのかは誰も知らない。ただ、彼ら二人は船と共にこの世から完全に消滅した。
それは、クロノとウィルの人生に影を落とし、そして進む道を決定付けた大きな事件。彼らの人生の原点と言うべき事柄に言及されては、さすがのクロノも動揺を隠しきれない。

「なんで、おれの父さんは残ったんだろうな。他の乗員と一緒に脱出すれば良かったのに。クライドさんはともかく、父さんは無駄死になんじゃないか?」

「それは……わからない」

「そう、わからない。死人に口なし。父さんが何を考えていたのかなんてわからない。帰って来なかったんだから。
 でも一つ、事実が語っていることがある。こんな可愛い息子がいるっていうのに、父さんは生きているおれじゃなくて、死に往く友人と運命を共にしたってことだ。
おれにはそれが――」

いつの間にか、ブリッジのほとんどの乗員が聞いている。もちろん作業の手を休めてはいないが、それでも全員がこちらに注目しているのがわかる。
ウィルは寂しさと誇らしさが混じった顔で、呟くように語る。

「それが、すごくかっこいいことに思えるんだ。……クロノだってクライドさんを尊敬しているんだ。なんとなくわかってくれるだろ?
 それで、だ。もしここで、死地に行く友人を安全な場所から見送るなんて、かっこいい父さんと真逆のことをしたら、これからずっとこの決断に苦しむと思う。無事にクロノが戻って来ても、クロノと顔を合わせるたびに今日の決断を思い出して後悔する――つまり、心に瑕ができる。
 頼むよ。おれに、かっこつけさせてくれないか」

クロノは、寂しいとも悲しいとも、それとも怒っているようにもとれる表情を浮かべ、下を向いて大きくため息を吐き出す。そうして、顔を上げた時には諦めたかのような笑みを浮かべた。

「まったく…………そんな風に言われたら断われるわけないだろ。
 許可するよ」

「ありがとう! やっぱりクロノは良いやつだ。
 ――それじゃあ、なのはちゃんも許可してくれるよな?」

「はあ!? それとこれとは全く別問題じゃないか!」

クロノの意識はなのはたちからそれていた。そして、自分の父親も大きく関わっているウィルの心境を聞き、それに関係する嘆願を受け止めたことで、クロノは全てが片付いかのように安心してしまう。そこで再び揺さぶりをかける。夏休みの最終日に、宿題がようやく終わって達成感に包まれた子供に、明日からは学校に通って夕方までお勉強する生活が始まるんだよと囁くような悪逆非道。
クロノの肩をがしりと掴んで、逃がさないようにする。そして、たたみかける。

「なのはちゃんも同じだよ。この子がどれだけフェイトちゃんのことを思っているかはわかるだろ。月村邸での初めて会った時はおれの指示を聞かず、温泉地では勝手に戦闘に乱入し、その後も説得のために単身彼女と戦い、臨海公園でクロノの攻撃を妨害し、さっきはあの嵐の中に飛び込んで行った。
 これだけフェイトちゃんのために頑張ってきたのに、ここでフェイトちゃんを助けられなかったなんてことになったら、なのはちゃんの可憐な胸にどれだけ大きな瑕ができることか! おれの心を守るために許可してくれたクロノなら、同じようになのはちゃんの心を守るために許可してくれるはず――いや、せずにはおれないはずだ!
 それともおれが友人だから、同じ理由でもおれだけ特別に許可してくれたのかな? うれしいなぁ、クロノにそこまで特別扱いしてもらえるっていうのは――

「わかった! わかったから! 許可するよ、すれば良いんだろう!!」

 ――ありがとう」

クロノが大声で宣言する。しかし、もはや誰の耳にも悲鳴のようにしか聞こえないほど悲痛なものだった。
その宣言を聞き、慌ててなのはたちもクロノにお礼を言う。しかし、当のクロノは礼に対して、構わないとだけ言うと、その場にしゃがみこんで、またため息をつく。

「どうしてまだ出撃もしていないのに、こんなに疲れるんだ」


その時、クロノがしゃがんだことで、その向こうのリンディと目が合う。その時、彼女の目に何かを危惧するような色が見えたように感じた。しかし、それが何かはわからなかった。なのはやウィルが行くことを心配しているという感じではない。もっと、何か別のことを案じている?
彼女が、なのはが現れてから一言も発言していなかったことも気になる。
そのことを考えようとした時、横からなのはが呼ぶ声が聞こえた。

「ありがとうございます。……それと、ごめんなさい」

「うん? どうしたんだい?」

礼はともかく謝られる筋合いはない。

「よく考えたら、わたし邪魔ばかりしてたんだなぁって」

「ああ――まあ、その辺はおあいこってことで。おれもいろいろ鼻もちならないことをやってるし」


  **


クロノたちは城に足を踏み入れる。室内は薄暗く、壁が揺れ動いているせいで、揺れる通路は蠕動する臓器のようにも見える。まるで大きな生物の体内に踏み入れたかのような気持ちの悪さだ。
入口のホールにすでに、侵入者を迎え撃つための番人たちが待ち構えている。
武骨な甲冑を着込んだ人間のような“物”たち。それらはどう見ても生物ではない。
魔法の力を動力とした機械の兵士――『傀儡兵』と呼ばれる物。
空を飛ぶ槍兵、人より大きな剣士、さらに大型の斧を持つ重戦士。そのバリエーションは多様だが、共通していることがある。その全てが武器を手にしていること。しかも、ミッド式の魔導師のように魔法で構成した物とは違う、実体を持つ正真正銘の武器。そこには非殺傷などという言葉は存在しない。


傀儡兵はこちらを視認するとすぐさま向かってくる。それに対し、武装隊の中でも前線維持担当の者たち――フロントアタッカーと呼ばれる――が前に出て迎え撃つ。
その中の、とある隊員が剣士型の一閃を受け止めようとする。

「うわぁっ!!」

しかし、それはできなかった。予想よりもはるかに重い一撃を受け切れず、そのまま後ろに飛ばされる。しかし、この隊員は身体強化に特化したBランク魔導師。それを上回るならば、傀儡兵はAランク並の力があるということになる。

吹き飛んでくる隊員に、後衛がすぐさま魔法を発動。網状に広がった魔法で、彼を受け止め、不用心に攻撃を受けようとしたことを叱っている。


しかし、今のは彼が不用心だっただけとしても、傀儡兵の力がこちらより上なのは事実。それに加え、数はこちらの倍以上。質でも量でも負けている相手に、どうやって勝てば良いのか。
ウィルは、質で勝る自分やクロノが前に出るべきだと進言しようとするが、それより早くクロノが武装隊に指示を出す。

「ひるむな! 魔力値が高くとも、所詮はただの機械人形だ。
 前衛は目の前の一体だけに集中しろ。相手の地力はこちらより上だ、複数を相手にしようとしては勝ち目がない。相手の挙動をよく観察するんだ。機械である以上、必ずパターンがあるはずだ。それがつかめれば、こんなやつらは交通整理の棒振り人形と大差ない!
 後衛は前衛が一体に集中できるように、それ以外の相手の動きを制限するんだ。前衛が囲まれるような状況にだけは決してするなよ!
 医療班は僕が守る。きみたちは後ろを気にせず、ただ眼前の敵に集中すれば良い。プログラムされた戦い方など、きみたちが血と汗と共に積みあげてきた経験の前では玩具でしかないと――その味をしらない科学者に見せつけてやれ!!」

冷静沈着なクロノが、人が変わったかのように声を張り上げ、隊員たちに命令を下し、鼓舞する。そこには先ほどまでブリッジで悩んでいた少年の姿はない。バリアジャケットに棘などつけなくても、今のクロノには部下を指揮する、そして部下の信用に足るに十分な威圧感があった。

「ウィル!」
「はいっ!」

その声に反射的に返事をする。今のクロノは、士官学校の教師や管理局の教導官のようだ。

「きみは僕と一緒に医療班の護衛を担当してくれ。空から来るやつはきみに任せる。
 ただし前に出過ぎるな。後衛に誤射されるぞ」

ウィルはデバイスを起動させる。右手にはなじみの片刃剣。一時フェイトに壊されたことを感じさせないくらい、スムーズに手に収まった。アースラのデバイスマイスターは非常に優秀なようだ。

「了解! 久しぶりの戦闘だ。行けるな、シュタイクアイゼン」

『Without saying.』

そして、医療班やクロノがいる最後衛に近づこうとする飛行型を切り落とす。しかし、それも最初だけで、徐々に必要なくなってきた。
武装隊が連携をとり始めると、傀儡兵を圧倒するようになっていったからだ。

しょせんは機械。その動きは非常に読みやすい。なにせ人間にある揺らぎが存在しない。フレキシブルさが足りない。同じように動けば、同じような反応が返ってくる。
それに加えて、傀儡兵は一体一体がそれぞれ動いているだけ。仲間とのコンビネーションが存在しない。唯一、他の傀儡兵を攻撃しないようにしている程度だ。彼らの動きは、一足す一を二にしているだけ。
チームワークは一たす一が三にも四にもなるという、数学的常識の外に存在する概念だ。

この武装隊の奮戦は、プレシアの予想を越えているだろう。
プレシアは科学者であって、戦士ではない。実戦経験もそれほどあるわけではないだろうし、協力して戦ったことなどさらに少ないだろう。魔導師としての力量が高いからこそ、彼女が戦えば強力な魔法で一蹴。防御も強力なバリア型の防御魔法を展開し続けるだけで十分。一歩も動かずとも、彼女は戦いに勝利できる。
そこに仲間の介在する余地はない。それ以前に、それは戦いとは言わない。ただ魔法の練習をしている――機械の動きと何の変わりもない。


なお、武装隊は命がけの戦いだというのに、縮こまっているものが一人もいない。練度が高いのはもちろんだが、全員なぜか異様にテンションが高い。

「おれたちを倒すには、この倍はいるよなあ!」
「ヒャッハァ―!」
「ダメでしょおおお! クズ鉄がうろうろしちゃあああ!」

ちょっと上がりすぎて、愚連隊が暴れているようにしか見えない。クロノの鼓舞が効いたのか。それとも、武装隊もなかなか出撃できなくてストレスがたまっていたのか。
ともあれ、数分で勝負は終わった。広間に金属の塊だけを残して、一行は玉座の間へ向かう。



途中の別れ道で、クロノは全員に止まるように命令する。右と左にわかれており、どちらを通っても玉座の間に行くことができるようになっているのだが、左の道は隔壁で閉められており、右に行くしかない。

「やはりここも閉まっているか」

ここだけではない。これまで分岐点があると、かならず隔壁が閉められており、通れる道が限定されていた。
ウィルは、携帯端末に表示された地図と、これまでの道を見比べて答える。

「傀儡兵も無限じゃない。少しでも多くの傀儡兵と戦わせるために、道を限定しているんだろう。右の道をこのまま進めば、この先にまた広間がある。おそらくそこにも傀儡兵が配置してあるはずだ」

それは少々厄介だ。先ほどはさほど損害もなく傀儡兵に勝ったが、連戦になると負傷者が出る可能性も上がる。何より戦った分だけ、時間がかかる。時間を浪費すれば、その分を取り返そうと焦りが生まれてしまう。
しかし、クロノは何も心配することはないと言うような顔をしている。

「それは好都合だ。逆に言えば、閉まっている道には傀儡兵を配置していない可能性が高いということだろ。
 ……だったら、ショートカットするしかないなぁ」

何をするつもりだとクロノに問おうとして、彼の表情にびくりとする。クロノは愉しそうにニヤリと笑っていた。
笑みを浮かべながら、クロノは閉じた隔壁に手のひらをつけて、静止する。

「解析完了。ブレイクインパルス」

隔壁が一瞬で粉々に砕ける。
それも当然。ブレイクインパルスとは物体の固有振動数を算出し、対応する振動エネルギーを送り込むことで、物体を破壊する魔法。
くすくすと笑いながら粉みじんになった隔壁を飛び越え、クロノは全員に呼び掛ける。

「さあ、時間が惜しい。このまま玉座の間まで突き進むぞ」

次々に隔壁を破壊して突き進むクロノ。地図を見て、時間の短縮になりそうだと思えば、隔壁ではない普通の壁や床や天井さえも破壊して進む。
まるでストレスを発散させるように、破壊の限りをつくしていく。少し追い込みすぎたかなと罪悪感を抱きながら、ウィルはその後について行った。


  ***


「クロノと組むのは久しぶりだな。指揮能力は上がったみたいだけど、個人技はどうだ?
 なまっているようなら、ちょっとゆっくり動こうか」

「きみの動きに合わせるくらい、どうってことはない」

「それじゃあお言葉に甘えて」

二人は会話をしながら通路を駆ける。

玉座の間に到達した時、そこにプレシアはおらず、負傷した武装隊だけが残っていた。それぞれひどい怪我を負っていたが、医療班の治療のおかげで一命を取り留めそうだ。治療を続けている間に邪魔が入ってはいけないので、武装隊は負傷者にはりついて周囲を警戒していなければならない。しかし、その間じっとしているだけでは時間がかかりすぎる。こうしている間にも、プレシアが何らかの策を考えている可能性もある。

そこでウィルとクロノは二人でプレシアを捕まえに行くことにした。
今度は、下へ下へと進む。
アルフによるとプレシアの私室や研究施設は時の庭園の下層部にあるそうだ。「立入禁止だったから、詳しい場所はよくわからないんだよ」と申し訳なさそうに言っていた。
もちろんプレシアがどこか別のところに隠れていることも考えられるが、ジュエルシードの制御のためには大型の施設が必要だ。プレシアがいなければ、ジュエルシードだけでも回収できれば良い。


前方に傀儡兵を発見して、二人は立ち止まる。その数、五体。全て剣士型。
通路は広いとはいえ、五体全てが横に並ぶことはできない。前に三体の傀儡兵。その後ろに二体という配置だ。

ウィルは弾丸のように飛び出す。
並んだ三体の傀儡兵――その真中の一体に、一切減速せずに正面から突撃する。このまま、体当たりでもするつもりなのか。
だが、傀儡兵と正面衝突する直前に、ウィルの体が急に停止する。
その足には、水色の鎖――クロノのチェーンバインド。
文字通り足を引っ張られたウィルは、こけるように前に倒れこむ。そのまま、足を中心に回転し始め、前方への運動エネルギーは下へとベクトルを変える。
そのまま、傀儡兵を頭から胴まで縦に両断した。
 まず一体目

そのままクルリと前方に一回転して、飛行魔法で姿勢を制御する。
突然自分たちのそばに現れたウィルに、右の傀儡兵が剣をふるう。仲間がやられたというのに、まったく動揺せずにやるべきことをやる。こればかりは、機械の長所と言えるだろう。

ウィルの足のバインドは、すでに解けてある。
攻撃をいなしながら、相手の腕を切り上げる。先ほどのような運動エネルギーをもたずとも、壊しやすい肘の関節部ならば腕の力だけで簡単に破壊できる。
傀儡兵の腕が剣ごと空中に舞った。
突然腕の重量がなくなった傀儡兵はバランスを崩し、姿勢制御のために動きが停止する。
その頭をクロノのスティンガーレイが貫いた。
 そして二体目

もう一方、左側からも傀儡兵がウィルに攻撃をしかけようとしており、右側の傀儡兵に集中していたウィルの背に、その拳を振るう。
しかし、その直前でクロノのデバイスから伸びるチェーンバインドが傀儡兵の体を縛りあげ、その動きを止める。
ウィルが振り向きざまの返す刀で頭をはねた。
 これで三体目

敵の前衛の三体を屠ったことで、後方の二体が襲いかかってくる。ウィルは少し後ろに下がる。
二体は三体のなきがらを飛び越え、ウィルに向かってくる。
ところで、三体目の傀儡兵は活動を停止しているが、その体に絡まるバインドはまだ解除されていない。ウィルはクロノから伸びるバインドを片手に持つ。魔法によって強化された身体能力をもつウィルが、バインドを思い切り自分の方に向かって引っ張る。すると、迫りくる二体の傀儡兵の背中に、傀儡兵のなきがらが直撃する。
走っているところを後ろから押されては、さすがに転倒。折り重なった二体は、走る勢いのまま転がり、ウィルを越えて後衛のクロノの前でようやく止まった。
クロノは起き上がろうとする二体をいたわるように、右手と左手をそれぞれの頭部に置いた。

「ブレイクインパルス」

 四体目・五体目撃破。



通路を抜けると、地に向かって伸びる縦穴に出る。外周に螺旋階段があり、それは下に続いているが、そんなものを使っていては時間がかかる。二人は飛行魔法を唱え、宙に浮く。地図によると、この一番下に出口があるはずだ。そこから先は立入禁止で、アルフもほとんど知らないエリア。
縦穴には飛行型の傀儡兵が今まで以上にうようよといる。戦いながら下に降りるのは少し骨が折れそうだ。

「今から道を作る!」

クロノは縦穴の中心に飛び込み、デバイスを真下に向けた。当然、三百六十度全方向から傀儡兵が襲いかかるが、クロノはそれらを一顧だにしない。クロノのかわりに、ウィルがそれらを薙ぎ払うから。
そして、クロノのデバイスから特大の砲撃が、見えぬ縦穴の底に向けて放たれる。

『Blaze cannon.』

そして、ウィルはすぐさまクロノを抱えて、砲撃の後を追う。砲撃は進行方向に存在する傀儡兵を消しとばしながら下へと向かう。そのすぐ後ろについて、ウィルたちも下へと進む。
このまま一気に底まで。


だが、底が見えるところまで進んだ時、外壁を破壊して新たに一体の傀儡兵が現れた。砂煙でその姿ははっきりとわからないが、その大きさは今までの比ではない。
しかし、相手にとっては運の悪いことに、それが現れた場所はクロノの砲撃の進行上にあった。砲撃は砂煙を吹き飛ばし、傀儡兵に迫る。

そして、クロノの砲撃が直撃し――その身に纏うバリアに防がれた。

「なっ!?」

どうやら、その大きさはこけおどしではなく、それに見合った出力の高さを持っているようだ。
それでも、もう縦穴の底は見えている。この傀儡兵を避けて向かうこともできる。
しかし、砂埃が吹き飛ばされたことで、傀儡兵の姿がはっきりと見えるようになる。その姿を見て、考えを改める。
その傀儡兵には、人間のように二つの腕があり、また背中から十を超える副腕とでもいうものが生えている。その腕の先はどれも漏斗に似た形をしており、その先には穴が空いている。
つまりは――

「こいつ、砲撃型か」

すぐさま降下を止める。
次の瞬間、先ほどまで自分たちが通過するはずだった所を、主腕から発射された閃光が通過する。あれをもらっては、シールドがあってもひとたまりもないだろう。遅れて副腕が現在のこちらに狙いを定めて、次々に魔力弾を放つ。
ウィルとクロノは一旦体を離して、それらを回避する。
クロノは主腕の砲撃を回避し、副腕の射撃をシールドで防ぎながら下りようとするが、厚くなる弾幕のせいで下りることはできない。どうやら下へ行こうとするものを優先的に狙うようだ。

「ウィル、先に行け。きみの飛行機動なら弾幕をかいくぐって下まで到達できるだろ。先に行ってプレシアを見つけ出してくれ」

「一人で倒せるか?」

「こいつが相手では、きみがいても役にたたない」

ウィルの攻撃方法は剣。高速飛行からの剣撃は強力で、この傀儡兵とて簡単に切り裂けるだろう。しかし、その攻撃範囲は剣の長さまで。相手がこれほどの巨体であれば、表面の装甲を切ることしかできない。

「だから囮になれって? ひどいなぁ」

そう言いながらも、顔は笑いながら、ウィルは急降下。
即座に砲撃型がウィルに狙いを定める。
主腕の砲撃をバレルロールで回避。副腕の射撃が弾幕となって、ウィルを追い詰める。
しかし、それが発射される前に、副腕が次々と爆発する。クロノの魔力弾、スティンガースナイプに貫かれたから。
ウィルに狙いを定めたおかげで、クロノへの攻撃が薄くなった、その隙をついての魔法行使。
そして、副腕からの攻撃がなければ、ウィルも悠々と下りることができる。底からクロノに手を振ると、横穴に消えていった。


ウィルが消えたことで、砲撃型は再びクロノに照準を合わせる。だが、副腕のほとんどが消滅した今、回避することは造作もない。それでも構わず砲撃を放つ傀儡兵。撃ち続ければいつかはあたると言わんばかりの単純な攻撃。その姿に、これだけのバリアをもたせておけば管理局くらいなんとでもなるだろうという設計者の驕りを感じて、クロノは少し嗜虐的な笑みをうかべる。

「機械に言ってもわからないだろうが、お前が止めたブレイズキャノンは物質破壊のための砲撃魔法だ。だから、そのバリアでも止めることができた。しかし、その程度なら貫通力にすぐれた魔法でたやすく打ち破れる。
 このように――」

クロノがスティンガーレイを放つ。それはバリアを貫通し、砲撃型に傷をつける。

「――いともたやすく。
 ……威力が低い分、倒すまでに時間がかかるところが難点だが」

だが、クロノの敵は砲撃型だけではない。先ほどやり過ごした飛行型が、続々とクロノの周りに集まっている。前後左右、そして上下。全周囲が敵。
飛行型はクロノに襲いかかろうとするが

「スナイプショット」

クロノの呟き(コマンドワード)に呼応して、先ほど放った、そしていつの間にか上空で待機していたスティンガースナイプの魔力弾が、天から降り注ぐ。
スティンガースナイプは、一度敵を貫いた後、そのまま消滅せずに上昇する。そして、その抜けがらとなった魔力弾は、周囲の魔力素を取り込んで再びその威力を取り戻し、クロノの号令と共に再度敵に襲いかかる――そのようにプログラミングされている。
飛行型は次々と貫かれ、爆発を起こした。

煙の中で、クロノは本日何度目かのため息をついた。

「このくらいでは、相手にならないな」



[25889] 第12話(中編) 明星、愛はさだめ
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:06
なのはたちはただひたすらにフェイトの部屋を目指していた。
武装隊の本隊は傀儡兵相手にせっせと戦っているのに、こちらの道中は至って平和。誰にも何にも出くわすことがなかった。せいぜい次元震のせいで足元が軽く揺れ続けており、少し歩きにくいくらい。
もっとも、何も起こらない――それが逆に気味が悪く、みな、言い知れぬ不安を抱いていた。
それが現実となったのは、アルフが「もう少しで着くよ」と言ってまもなくのこと。

アルフがその言葉を発したのは、階段を昇っている時だった。それから、すぐに階段を昇り終える。その先には大きな通路が続いていた。横幅は十メートル、高さも五メートルほど。照明がほとんどないせいで通路の先は闇に隠されている。どこまで続いているのかはわからない。
その時、闇の向こうから、こつん、こつんと、ゆっくりとではあるが、たしかに誰かの足音が聞こえてきた。

五人はとっさに身構え、二人の武装隊員が前に出る。ここに来るまでに、戦闘などの危険なことは武装隊の二人に任せることが決まっていたから。
たが、その正体はすぐにわかった。薄暗い通路においても輝いて見える、流れるような金色の髪。なのはたちの目的でもある、フェイトその人。疲れているのだろう。壁に手をつき、視線は床に落ちている。そして、できる限り体力を使わないように、いつもよりゆっくりと歩いている。

「フェイト!」

アルフが名を呼び、まっさきに駆けだした。なのはたちもその後を慌てて追いかける。そのどたばたとした足音にようやくフェイトは顔をあげ、そして自分の使い魔の姿を目にした。

「アルフ?」

アルフはフェイトに抱きついた。いつものように激しく、それでいて気づかうように優しく抱きしめる。

「体は大丈夫かい? どこか痛いところはない?」

「大丈夫、寝たおかげで少し回復したから。心配してくれてありがとう。でも、目が覚めたらいなかったから、私も心配したんだよ」

「ごめんね、ずっとそばにいなくて。ちょっと事情があったのさ。絶対に、フェイトを見捨てたわけじゃないからね!」

「わかってるよ。アルフはそんなことしないってことくらい。
 ところで――その事情って、管理局の人と一緒にいることと関係あるの?」

アルフの視線はずっとフェイトのみに向けられていたが、フェイトの視線は最初からアルフだけではなく、そのさらに後ろ――なのはとユーノ、そして二人の武装隊員を見ていた。
前半のフェイトの声は、純粋に使い魔に対する親愛そのものであったが、後半は感情を殺して詰問するような声色だった。その言葉に、アルフは叱られた子犬のようにびくりと震える。

「どういう状況なの? 母さんは?」

どう答えようか迷っているアルフに、フェイトはさらに問う。それに答えたのは、武装隊の男性隊員だった。

「僕たちは、フェイトさんを保護するために来ました。
 お気づきかもしれませんが、ジュエルシードによって時の庭園を中心に次元震が発生しています。ひとまず庭園部までついてきていただけますか。そこなら、万が一のことがあっても脱出することができます。
 プレシアさんの方にもフェイトさん同様に武装隊が向かっています。心配なさらずとも、じきに“保護”されますよ」

嘘にならないように言葉を紡ぐ。しかし、フェイトはゆっくりと首を横に振った。

「ありがとうございます。でも、まずは母さんに会いに行かないと。
 行こう、アルフ」

そう言って、フェイトは歩き始める。敵であった管理局の言葉を、そのまま素直に受けとりはしない。プレシア自身から事情を聞き、プレシア自身に何をすれば良いのか、教えてもらう。そのために、フェイトは武装隊の提案を拒否した。
目的を見つけた足取りは、さきほどとは異なり、しっかりとしたものだった。


「二人とも、できるだけ下がって、通路の端でじっとしていてください」

二人の武装隊員は、なのはとユーノにそう指示すると、フェイトの行く手を阻むように立ちはだかった。

「申し訳ありませんが、それは看過できません。
 次元震が起こる以前に、プレシアと武装隊はすでに交戦しています。そして、現在の次元震はプレシアが意図的に起こしたものです。いまだ次元震が止まっていないところをみると、彼女はまだ我々に抵抗するつもりなのでしょう。
 現在、彼女の周囲では戦闘がおこなわれている確率は極めて高いのです。そのようなところに、傷ついたフェイトさんを行かせるわけにはいきません」

「ありがとうございます。でも、それを聞いて余計に行きたくなりました。
 母さんが戦っているなら、私はその手助けをしないと」

なお進もうとするフェイトに、アルフが追いすがる。

「ここはひとまず一緒に避難しようよ。気を失う前のことを覚えているだろ。プレシアは……あの女はフェイトを巻き込んで魔法を撃ったんだよ。そんなやつのことを心配する必要なんてないよ」

「母さんは、それでも私ならできるって信じてくれていたんだよ。だから、期待にこたえられなかった私がいけないんだ。
 嫌ならついて来てくれなくてもいいよ。アルフも疲れているみたいだし、休んでいて。私だけで行くから」

それが当然と言う顔で、フェイトはアルフの横を通り、立ちはばかる武装隊の方へと歩を進める。
武装隊の二人はデバイスを構える。
すでに臨戦態勢。フェイトがおかしな動きをとれば、その瞬間にも戦いは始まる。

「フェイトちゃん……だっけ。私、あなたみたいに小さくてかわいい子が好きだから、あんまりあなたと戦いたくないんだ。とりあえず、今は私たちと一緒に来てくれないかな?」

女性隊員も説得の言葉をかけるが、フェイトの歩みは止まらない。

「彼女の言うとおり、どうしても行かれるのなら、僕たちは少々強引な手段をとらざるをえません」

フェイトの体を案じているからだけではない。
もし、このまま行かせてフェイトがプレシアに会ったなら、彼女は再び管理局の敵となる。プレシアと武装隊が戦っていればプレシアを助ける――そうフェイトは言った。それは彼らの仲間を、武装隊を傷つけるということ。


男性隊員のデバイスに青い魔力光が灯る。女性隊員がデバイスを薙刀のように構える。
フェイトはバリアジャケットを纏う。バルディッシュが変形し、鎌をかたどった。黒い衣装は背景の暗さに溶け込み、金の髪と白い肌、そして赤い目だけが、浮かんで見える。この世のものではない――まるで幽鬼か死神のよう。

フェイトの後ろからアルフが、武装隊の後ろからなのはが何かを言う。しかし、戦いに臨む三人の耳には、何も届かなかった。


  *


『Photon lancer full-auto fire』

フェイトの周囲に生じる金色のスフィア(発射台)。それらから同じく金色の魔力弾が次々と発射される。
間断なく、シャワーから撒かれる水のように放出される魔力弾。屋外ならともかく、このような通路で回避するには、余程の技量がなければ不可能だ。
男性隊員も同様に、魔力弾を連射する。青と金が空中で衝突して相殺し、残りはそのまますれ違って両者に向かう。
フェイトは自身の放った魔力弾の後ろにつく。そして、前の魔力弾が相殺されると、すぐさま別の魔力弾の後ろにつく――そのようにして、青色の雨を避けながら接近する。
対して、武装隊はすぐさま女性隊員が前に出る。そして、男性隊員が彼女の前方にシールドを展開して、フェイトの魔力弾を防いだ。一人で多くのことをしなければならないフェイトと異なり、こちらは二人いるがゆえに単純な行動で対処。男性隊員はフェイトの魔力弾に、女性隊員は向かって来るフェイト自身に集中する。

フェイトは女性隊員の横に回り込み、間髪いれず下段に構えていたバルディッシュで逆袈裟に切り上げる。高速移動(ブリッツアクション)を使っていないとは言っても、並の魔導師ならばその速度に合わせることすら難しい。
しかし、女性隊員はタイミングを合わせて自身のデバイスをバルディッシュに振り下ろす。彼女も伊達や酔狂で本局武装隊に配属されたわけではない。フロントアタッカーである彼女の技量は、足を止めての単純な打ちあいではフェイトに匹敵するほどだ。

激突する二つのデバイス。金属同士がぶつかる時の耳障りな音が通路に反響し、一瞬の火花が二人を照らす。
その結果は、相手の体を狙ったフェイトより、最初から相手のデバイス自体を狙った女性隊員の方がやや優勢となった。
女性隊員の方はデバイスが上へとわずかに跳ね上がっただけ。重心はぶれておらず、すぐに次の行動に移ることが可能。
フェイトはバランスを崩し、バルディッシュの軌道が下方にそれた。それを強引に修正し、相手の足首を刈るように変更する。
女性隊員は跳び上がって回避。そして、そのままデバイスを上段から振り下ろす。
からぶって体勢の崩れたフェイトでは避けることはできるはずもなく、デバイスが彼女を打ちすえる――はずだったのだが、何を思ったか、女性隊員は当たってもあまり痛くないような速度でゆっくり振り下ろし、ちょこんと肩にふれる程度に当てた。

当然ながらフェイトは無傷。すぐさま返す刃で女性隊員を薙ぐ。
それをデバイスで受け止めるが、衝撃を殺せずに後ろに飛ばされる。


「千載一遇のチャンスに、何をしているのですか」

男性隊員は小言を言いながらも、女性隊員にさらに一撃加えようと追撃するフェイトに、魔力弾を放つ。

「思わず手が止まっちゃったんですよ。だってぇ、思いっきり殴って、あの子の肌に痕が残ったらどうするんですか。
 やっぱり先輩が攻撃してくださいよ。私、非殺傷苦手ですし」

フェイトも同様に魔力弾を発射。互いに空中で相殺される。
その隙にフェイトは女性隊員に追いつき、バルディッシュを振るう。それをデバイスで受け止めようとするも――

「攻撃しないきみは何をするんですか?」

二度も同じようにはいかない。今回は、フェイトも最初から相手のデバイスを狙っていた。バルディッシュが鎌状であることを利用して、ただ切るのではなく、ひっかけるようにしてデバイスを巻き上げる。
デバイスが女性隊員の手を離れ、上へと放り出された。天井にぶつかり、通路に甲高い音が反響する。
フェイトはそのまま、体を守るすべをなくした相手を袈裟に切ろうとする。

「こうします!」

女性隊員はそう言うやいなや、フェイトを抱きしめる。
トチ狂ったわけではなければ、特殊性癖を充足させに行ったわけでもない。密着したことで、フェイトのバルディッシュをふるえなくした。
そして、この状況は物理的にフェイトを拘束しているようなものでもある。

「なるほど。では、少し我慢してください」

そして、その間に男性隊員は後方で砲撃魔法を構築する。女性隊員ごとフェイトを撃つために。
抱きしめる腕の力は強く、とても振りほどくことはできそうにない。


人は敗北から多くのことを学ぶと言われる。ただ漫然としていても得ることのある勝利に比べて、ほぼ確実に手痛い思いをする敗北の方が印象に残りやすいから。
急いで逆転の一手を模索するフェイトの脳裏に、閃くものがあった。それは夜の森でウィルと戦った時の記憶。あの勝負は引き分けで敗北ではないが、あれはまさしく痛い思いだった。
その時のウィルの行動を模倣するように、フェイトは魔法を行使した。

『Blitz action』

自身を抱きしめる女性隊員ごと、男性隊員に向かって高速移動。
一秒足らずで亜音速に達する超加速――それを可能とするこの移動魔法によって、身体そのものを弾丸へと変え、女性隊員の体を盾として、そのまま激突する。
並の交通事故など話にならない衝撃が男性隊員を襲う。デバイスはあらぬ方を向き、構築が不十分だった砲撃魔法は暴発し、誰もいない場所へと発射された。

肉の盾のおかげでフェイトへの反動は減少している。
一方、まともに衝突した武装隊員たちは、水面を跳ねる水切りの石のように通路を跳ね飛ばされていく。
一回、二回、三回のあたりでなのはとユーノの前を通過する――四、五、六回。
跳ねた回数は六回。七回目の前に、通路の行き当たりの壁にぶつかって止まったから。



フェイトは大きく息を吐いて気を落ちつけると、倒れたままの彼らに注意しながら歩き始める。
相当のダメージはあるだろうが、かつての自分のように起き上がって来ることも考えられる。

「待って、フェイト! 管理局と戦っちゃ駄目だよ!」

後ろからアルフが駆け寄ってくる。フェイトは思わず後ろを振り返って、しかし武装隊員から目を離してはいけない――目を離しでもすれば、その瞬間には魔力弾が飛んでくるかもしれない――と考え、倒れている二人の武装隊から目を離さぬように、前を向いたままアルフに応える。

「今さら何を言ってるの? 最初から管理局は敵だったじゃない」

「それは……初めはあたしも、プレシアにも何かちゃんとした理由が――管理局を敵にするだけの理由があると思ってたから。
でも、あの女にどんな理由があったって、そのためにフェイトが戦う必要なんてないよ。あいつがいったい何をしてくれた? いつもいつも、ねぎらいの言葉一つなく、ただフェイトを傷つけるだけじゃないか。
 あれだけひどいことをするくせに、母親らしいことなんて一度もしたことないやつのために――!」

「そんなことはどうでもいいんだよ」

アルフは信じられないという風な表情でフェイトを見るが、その顔はフェイトには見えない。
そしてアルフには見えないが、フェイトはほほ笑む。そして、諭すようにアルフに教える。母に対する自分の気持ちを。

「幼い頃に、私に笑ってくれた。そして私に花の冠をくれた。それだけで良いの。私はその時に母さんを大好きになったから。
 私は、見返りが欲しいから母さんが好きなわけじゃない。たとえ今、何も与えてくれなくて構わない。笑いかけてくれなくても、見てくれなくても良い。それは苦しいことだけど、そんなことで、母さんを好きだって気持ちは変わらない。
 そして、好きな人を助けるのは、当たり前のことでしょ?」

「そんなの……おかしいよ」

「わかるはずだよ、アルフ。他の誰にわからなくても、使い魔のあなたなら」

その言葉で、アルフはフェイトのプレシアに対する絶大なる愛をいやがおうにも理解してしまう。それは、フェイトとアルフが特定の誰かへの奉仕者という点において似たものであるから。
プレシアが間違ったことをしているから放っておけとフェイトに言うのは、アルフ自身がフェイトを放っておくことができないのだから、まるで説得力をもたない。
だから、何も言い返せなかった。

そして、同時にウィルの言葉を思いだす。夕暮れで、池のほとりに並んで会話した時のことを。
誰かが力で強引に止めないと、フェイトは止まらない。彼はそう言った。
力で――この拳で、フェイトを殴ってでも止める。
今ならできる。フェイトがアルフに背を向けているこの状況なら、不意打ちでフェイトを気絶させることくらい――

「そんなこと、できるわけ……ないじゃないか」

フェイトは今、アルフに背を向けて話している。その理由は武装隊への警戒だが、そんなことができるのはアルフを全面的に信頼しているから。アルフが自分を攻撃するなんて、夢にも思っていないから。
その背中を、いったいどうして襲うことができるのか。

自分ではフェイトを止められない。そう理解したことで、アルフは突然その場に崩れ落ちる。
体がうまく動かず、四肢に力が入らない。無理もない。アルフは一時間ばかり前に、プレシアに殺されかけたのだから。
使い魔といえども限界はある。治療もそこそこに無理を通してここまでやってきたせいで、アルフの身体は消耗し続けていた。フェイトのためという目的意識がそれをカバーしていたが、精神の弱った隙をついてその負担が表に出てきてしまった。

うずくまった姿勢で、視界を上げることもできず、床を濡らしながらアルフは懇願する。

「お願い……行かないでおくれよ。フェイトがいなくなったら、あたし、どうやって……」

フェイトは、背中から聞こえるアルフの痛みを抑えるような声、涙をこらえるような声、そして懇願を聞き、
アルフを振りかえらずに、そのまま歩き始めた。

追いすがることもできずに、アルフはその場にうずくまった。
できることはただ祈ることだけ。もう一度、同じように願えば、助けが来てくれるだろうか――藁にもすがる思いで、アルフは泣きながら願う。

「誰か……お願いだから、フェイトを助けてよぉ」


  **


通路を歩く。前方三十メートルほど先。通路の端にユーノとなのはがいる。
そのさらに向こう――通路の行き当たりでは、武装隊が倒れている。二人ともそのまま。ぴくりともしない。
これで、フェイトを邪魔する可能性のある者は、ユーノとなのはだけになった。
そのまま通してくれれば構わない。そうでなければ――

そう考えた時、フェイトは前に進めなくなった。右手にもっていたバルディッシュが、動かなくなったから。

――何かに引っ掛かったりでもしたのか?

しかし、フェイトは通路の端を歩いているわけでもないし、周りに障害物があるわけでもない。
それに、この感触は引っ掛かって動かないというより、引っ張られていて動かせないという方が適切だ。
きっと、アルフが痛みをこらえて追いかけてきたのだろう。そして、フェイトを止めるために、バルディッシュを引っ張っているのだろう。フェイトはそう結論を出す。
だが、何を言われても、何をされても、それを聞くわけにはいかない。

そう思いながら、フェイトは後ろ――引っ張られているバルディッシュを見る。

そこには誰もいなかった。
誰も引っ張ってなどいなかった。


そのことを疑問に思う前に、バルディッシュが突然魔力弾を放つ。フェイトは命令していない。
そして、魔力弾はバルディッシュのすぐそば、何もない、誰もいない場所に“命中”し、
同時にバルディッシュが“ひびわれた”。

突然のことに何も理解できない。
そのフェイトの目の前で、誰もいないはずのところに、人間が姿を現わす。
その人はバルディッシュを握りながら、気を失っている。その姿は間違いなく男性隊員だった。



フェイトの預かり知らぬ場所で、男性隊員とバルディッシュの戦いがおこなわれていた。これはその結果。

吹き飛ばされた男性隊員は、フェイトがアルフに話しかけられた時に、数秒ではあるが、たしかに自分から気がそれたことを見逃さなかった。その間に、二種の幻術魔法を使用した。
まずは『フェイク・シルエット』――幻影を作る魔法。これで倒れたままの自分の姿を作り出す。
そして『オプティックハイド』――物質を透明にする魔法。自らの姿を透明にして、フェイトに気付かれないように接近。
後はゆっくりと移動する。その姿は不可視ではあるが、移動する時の空気の動き、足音でフェイトに気付かれるかもしれないので、ある程度の場所まで近づくと、フェイトがそばを通るまでじっと待っていた。
そして、フェイトが目の前を通った瞬間、彼女ではなく、バルディッシュをつかむ。
そして一つの魔法を行使する。
『ブレイクインパルス』
そう、目的はデバイス――バルディッシュの破壊。
フェイト本人をなるべく傷つけず、その上で大幅に弱体化させることが目的。

ただ、不安な要因あった。
破壊対象のバルディッシュがインテリジェントデバイスであったこと。
たとえフェイトが気付かずとも、バルディッシュ自身は自分に誰かが触れていることに気付く。インテリジェントデバイスは、所有者の魔力を用いて、ある程度自由に魔法を発動できるため、バルディッシュが自分の判断で魔法を行使して、男性隊員を倒そうとすることもあり得る。
反面、デバイスを破壊するために使用するブレイクインパルスには、対象の構造を解析するまでの間、隙がある。

それでも、勝算は十分にあった。
インテリジェントデバイスは自立判断が可能なかわりに、ストレージデバイスに比べてその動作速度は遅い。魔導師に頼らずに独断で動くとなれば、なおのこと遅くなる。
バルディッシュの自立行動より、ブレイクインパルスの方が速いはず。

では、なぜ読み違えたのか。
その理由は至極単純。フェイトのための特注品であるこのデバイスが、並のインテリジェントデバイスが比にならないほど優れていたから。


その結果が相討ち。
男性隊員は至近距離で魔力弾が直撃し、今度こそ気を失った。
バルディッシュは完全破壊とはいかなかったが、重度の損傷を負っている。



「ごめんね、バルディッシュ。大丈夫?」

問題ない――と答える音声にはノイズがかかっている。損傷は大きく、基礎構造部分にまで至っている。魔力を流し込んで自己修復機能を作動しても、ほとんど修復しない。
武器として使うことは可能だ。だが、大きな魔法を行使するための補助としては、ほとんど使えない。

フェイトは大切な相棒(バルディッシュ)を破壊されたことで怒り、こんな状態にした男性隊員をにらむ。彼は膝をついたまま、気を失っている。
しかし気を失った相手に攻撃するわけにもいかず、そもそも戦いの原因が自分にあることを思い出し、ぶつけどころのない思いを抱えたまま彼に背を向け再び進み始める。


  ***


ユーノは、わずか数分の間に凄惨な状況になった通路を見る。
共にここまできた三人は、それぞれ通路に倒れている。意識があるのか、ないのかはわからないが、三人ともとても戦える状態ではない。

残っているのは、なのはとユーノだけ。
フェイトはゆっくりとであるが、こちらに歩いて来ている。もうすぐユーノたちの横を通り過ぎて、プレシアのもとへと向かうのだろう。
このまま通路の端にいればフェイトは何もせずに通りすぎるはず。
しかし、邪魔するのであればなのはとユーノが相手でも容赦はしないだろう。

武装隊の隊員たちの姿を見る。
女性隊員の方はバリアジャケットが解けて、管理局の制服姿に戻っている。吹き飛ばされた時にできたのだろう。体のあちこちに一見してはっきりとわかる傷ができている。
男性隊員も同様。彼に当たった魔力弾は非殺傷ではなかったのか、頭から血が流れている。
これが戦いか――と戦慄を覚える。鍛えている武装隊でさえ、このありさまだというのに、ろくろく戦いの経験もなく、身体強化も大して使えない自分では、どんなことになるか。

この一月で、危険な状況はいくつも味わってきた。特に、海上でのジュエルシードの封印は失敗すれば死んでいただろう。それに比べれば、ここでフェイトに負けても確実に死ぬわけではない分、こちらの方がましとも言える。
だが、負ければこうなるぞ、と。その例を目の前にはっきりと見せられては冷静ではいられない。

――戦わずにこのままじっとしていたい

ユーノは、自分の顔を両手の掌で叩く。ぱちん――とかわいた良い音がした。それに驚いて、なのはとフェイトがユーノを見る。
ユーノはそのまま壁際から離れ、フェイトの前に立ちはだかった。

「できれば、ユーノには退いてほしい」フェイトが壊れかけのバルディッシュを構えながら言う。

「退かないよ。僕だって男だ。この身をはるくらいの勇気はある。それに、僕はフェイトの友達だからね。友達が間違った道に進もうとするなら止めないと」

フェイトの威圧に負けないように、ユーノも言い返す。

「どうなっても知らないよ。ユーノは攻撃魔法を使えないよね。それじゃあ私には勝てない」

「そうだね。でも、フェイトこそそんな状態で戦えるの? 少し寝たからって魔力がそれほど回復したわけじゃない。これだけ戦えば回復した魔力もかなり減っているはずだ。何回もバインドを解けるだけの魔力は残っていない。
 文字通りふん縛ってでも、きみを行かせはしない」

「だったら、私も本気で戦う。今の私には、手を抜いていられる余裕がない。手加減なんてしていられないから。だから――本当にどうなっても……“どうなるか”知らないよ」

フェイトからの圧迫感がさらに強まる。見ただけで気押されそう。物語の魔眼を具現化したような瞳。
それでも、ユーノが退くことはなかった。



フェイトとユーノが同時に動く。
ユーノはチェーンバインドをフェイトに向かって飛ばす。
その程度、フェイトにとっては障害にはならない。武装隊員の魔力弾と比べれば、機関銃と投げ縄のようなものだ。
飛行しながら軽く軸をずらして回避。そのまま接近しようとする。

近接戦に持ち込まれれば、ユーノにとって圧倒的に不利な戦いになる。そこで、バインドを通路一面に蜘蛛の巣のように張り巡らせることで接近を防ぐ。
それ以上近づけずに、フェイトが止まった。

その瞬間、今度は地面や壁、天井からバインドが現れた。
魔法弾が壁を透過することが可能なように、非殺傷設定の魔法は物質に極力影響を与えない。または受けないようすることが可能だ。
ユーノは、フェイトに気付かれないように、多くのバインドの中の数本を、壁の中を通してフェイトの近くに潜ませていた。

フェイトはブリッツアクションを使い、緊急回避。一旦後方に下がりながら、バルディッシュを右手から左手に持ち替える。
そして、何を持たぬ右手を振りかぶる。
空を握るだけだった右手に、雷が生成される。槍を投げるように、ユーノに向かって投擲。

「バルディッシュ、ごめん。 サンダースマッシャー!!」

自身の残り魔力の大半を使った雷の槍が、蜘蛛の巣のように張られたバインドを突き破り、ユーノにせまる。
シールドを展開して魔法を防ぐ。バルディッシュが破損しているせいか、威力は大したことがなかったため、あっさりと防ぐことができた。
しかし、その間にフェイトはユーノに肉薄している。最初から行く手を阻むバインドの除去が目的。
弱ったシールドを切り裂き、その刃がユーノをとらえる。

だが、それは空をきった。ユーノが突然目の前から消滅したからだ。
何があったのかまるでわからない。わからないが、こんな時はとにかく止まってはいけない。先ほどの経験から、フェイトはそう考えて、即座にその場を離れる。
その直後、フェイトがいた場所をバインドが通過した。

発生源は足元。
変身魔法――ユーノは、フェレット姿になってフェイトの攻撃を回避していた。
ユーノは再び人間の姿に戻る。


二人は静止し、睨み合う。これはお互いの暗黙の合意の上にできたインターバル。
連戦につぐ連戦のフェイト。命がけのユーノ。たったこれだけの攻防でさえ、両者の集中力はごっそりと削られている。このまま戦えば、やがてミスが増え、勝敗の行方を偶然が左右する割合が大きくなる。
それは避けなければならない。互いに、この勝負は負けられない。
必ず勝つために、このインターバルの間にできる限り体力と集中力を回復させ、次の一手を考え、布石を打たなければならない。

そして二人は再び動こうとする。第二ラウンドの開始。
その直前、屋内だというのに、風が吹くのを感じた。


  **


なのはは眼前の光景に既視感を覚えた。
夜の森での、ウィルとフェイトの戦い。
ウィルが「死ね」と言い放ち、フェイトはそれを聞いても表情一つ変えずに戦い始めた。互いにひかずに、命がけの戦いをする。まるで戦うのが当然というように。
その時は戦いを止めることで頭の中がいっぱいだったが、時間がたつにつれて、そしてフェイトやウィルと話をするにつれて、あの時の二人の姿に衝撃を受ける。
日常では二人とも普通の人と変わらないのに、この二人は簡単に殺すと言い、それを受け入れられる――そういう世界に住んでいる。
そんなフェイトを止めるには倒すしかない。白刃を持って切りかかるウィルが相手でも戦えるフェイトを止める方法が、それ以外に思い浮かばない。

でも、フェイトと戦うというのは嫌だ。
たとえそれしか方法がなくても、友達を傷つけることが正しいとは思えない。戦いを止めるために戦うことが正解とも思えない。

戦っているユーノの姿が、その強い心が、なのはにはまぶしい。
ユーノはきっと、戦うしか止める方法がないとわかったから、こうして戦っている。ユーノだってフェイトの友達なのに、彼はむしろ友達だから戦うと宣言した。
なのははその強さに憧れ、自分の弱さが情けなくなる。

迷うことなんてない。やるべきことがわかっていて、そのための手段があるのだから、やることは一つ。
嫌だからと自分が迷えば、それだけユーノが危険にさらされる時間が長くなる。
フェイトのためにも、ユーノのためにも、ここで見ているだけなんてことはできない。

魔法には非殺傷設定がある。だから、フェイトを傷つけずに倒すことができる。
後は己の心次第。戦いを止めるために戦うことを受け入れれば良い。
そうしなければフェイトを止めることはできないのだから。


なのはの周囲で風が蠢き始める。
魔法理論も魔法構成もなく、なのははただ自分の感覚のままに魔法を紡ぐ。
ただ、ひたすらに大きな魔法。あれだけ強いフェイトを倒すための魔法を想像する。
それには自分の残りの魔力では足りない。もっと、もっと大きな魔力がいる。
だから、なのはは新しく魔法を創造し始めた。

レイジングハートが、明滅を繰り返す。そのあまりにも馬鹿げた魔法構築に悲鳴を上げるように。
それでも、主のおこなうことを助けるために。



風が吹く。
戦っているフェイトとユーノは吸い込まれそうな風を感じる。
普通なら風が来る方向を見るものだが、二人はなぜか風が行く方向を見た。その風は吹くというよりも、吸いこむと言う方が適切だったから。
そこにはなのはがいて、その前方に小さな球体がある。

球体の色はなのはの魔力光と同じ桜色。
周囲の風を取り込んで加速度的に大きくなる。
いや、風ではない。取り込んでいるのは周囲の魔力素。
魔力素が渦巻き、球体に取り込まれていく。風はただ、その結果生じているだけ。

その動きは、まるでそれ自体が抽象画か魔法陣を描いているようだ。
無色の魔力素は、なのはに近づくにつれ桜色を帯び始め、完全に色がついた頃には球体に吸い込まれ、それをさらに大きくさせる。
なのはに近づくにつれ、世界が彩られていく。

だがそれは、決して明るい色には見えなかった。
際限なく大きくなる桜色の球体は、周りの暗さのせいだろうか、出すこともできないのに、血液が流れ込んで膨れ上がる心臓のよう。


「収束……魔法」

ユーノの口から、そんな単語がもれた。

魔法とは体外の魔力素を体内のリンカーコアに貯め、魔力という自分が使いやすい形に変換して貯蔵。それを消費することで行使される。
だが、その魔法――収束魔法は違う。
それは、自らの周囲に遍在する魔力素をかき集めて、魔法として放つもの。

完全な収束魔法は人間には不可能とまで言われている。だから、なのはは単なる魔力素ではなく、他者が使った魔力を利用する。
一度魔法を行使するために消費され、空気中に放出された魔力は、再び魔力素へと戻る。しかし、すぐに戻るわけではない。ある程度の間は、魔力としての性質も残している。

なのはが使うのはそれ――他者が消費して周囲に散乱している魔力。魔力と魔力素の中間にあるもの。
これなら本来の収束魔法に比べれば比較的簡単だ――――理論上は。

だからと言って、そのためにはどれほど精密な魔力操作を必要とするのだろうか。そもそも、魔力に近い性質があるといっても、それは他人の魔力。入り乱れての戦闘がおこなわれたこの場所の、どこに誰が使った魔力があり、その魔力にはどんな性質があるのか。そんなことはすぐにわからない。
魔法を構築することを一枚の絵を描くことにたとえるなら、普通の魔法は自分の用意した絵の具を使い、自分の望む絵を描くこと。
そしてなのはのこれは、他人が用意した適当な色を使って、自分の望む絵を描くようなもの。
それを練習もせずに成し遂げる規格外のセンス。
プログラムではなく、直感――むしろ直観か――で判断し、感覚的に魔法を構築するこの才能。

三十余の世界にわたる管理局でも、いったいどれだけの魔導師がこれに倣えるのか。



その異常さを理解したユーノは、思わず我を忘れて叫ぶ。

「なのは、止めて! そんな無茶な構築をしたら――」

フェイトの動きは迅速だった。
なのはの魔法は危険。だから、放たれる前に止めなければならない。それで、十分だった。
幸いにも、なのはまでの距離はそれほど離れていない。
それに、魔法はまだ未完成。

まずは邪魔をされないように、呆然としているユーノを切る。なのはに気をとられていたせいで、ユーノは回避できなかった。
そのまますぐさまなのはの方へと向かおうとして――左足が動かない。

視線を下に下げると、左足にバインドがかかっている。青色の綺麗な輪。
壁際で倒れている男性隊員の手には、デバイスが握られていた。血に濡れた顔で、男性隊員は唇の端を吊り上げた。

なのはの方を見て、魔法を防ごうとする。だが、シールドではとても防ぐことなどできない。たとえバルディッシュが完全な状態だったとしても、この魔法を防ぐことはできない。
抵抗する気力すら失うほどの、絶対的な力という存在感。


「ごめんね」

フェイトの視界が光に包まれ、そして闇に閉ざされる直前、懺悔するようななのはの声が聞こえた。


  ****


男性隊員はゆっくりと立ち上がると、アルフのもとまで歩いて行く。彼女は気を失っている。生命反応が弱弱しい。使い魔だから、人間よりは丈夫だとは思うが、早く治療を受けた方が良い。
アルフを背負うと、彼はまた歩きだした。

通路を歩き、ユーノのもとに行く。気を失ってはいるが、特に問題はないようだ。なぜかフェレットのような動物になっているのが気になるが、特に問題はないだろう。
ユーノをポケットに入れると、彼はまた歩きだした。

次はフェイトのもとへ行く。彼女はあの恒星のように巨大な魔法に飲み込まれ、完全に気を失った。息はあるようだが、あれだけ大規模な魔法を受けたのだから、何かしら異常が起こってもおかしくない。
彼女を左手で抱えると、彼はまた歩きだした。

そして、なのはのもとへ行く。自分の魔法がフェイトを倒したことを確認した後、なのはもその場に倒れた。一見、単に気を失っているだけに見えるが、あれだけの魔法を行使したのならリンカーコアが傷ついているかもしれない。
彼女を右手で抱えると、彼はまた歩きだした。

最後に、倒れている女性隊員のもとへ行く。
彼女もまた気を失っている。さすがに五人は無理だ。重量以前の問題で、どこに抱えればいいのか。
起きてもらおうとして、自分たちが吹きとばされた時を思い出す。床を跳ねる時、そして壁にぶつかる時、その全てで彼は彼女にかばわれた。彼が気を失わなかったのは彼女のおかげだ。
彼は彼女にバインドをかけ、その体を引きずりながら歩きだした。

さすがに五人は重い。しかも、早めに治療を受けさせるためにも、休んでいるわけにはいかない。
両手がふさがっているため、顔を流れる汗と血を拭うこともできず、ゴルゴタの丘に昇る聖人のように、彼は歩き続けた。


その後、男性隊員は五人を抱えたまま無事に庭園部に戻った。
その時にはすでに医療班が玉座の間から戻ってきており、彼は安心して五人の治療を頼んで、そこで倒れた。その服は血で真っ赤に染まっていた。
医療班は慌てて治療を始める。もちろん、最優先は彼だった。六人の中で、彼が一番重症だったから。


かくして、当初の目的であるフェイトの保護は達成された。
この事件における、なのはたちの――子供の戦いはここで終わる。




そして同じ頃、ウィルはプレシアと出会う。
大人たちの戦いも、ようやく終わりを迎えようとしていた。



(中書き)
武装隊の二人は性格とどんなタイプの魔導師かを考えたくらいで、特に設定はありません。男性が士官上がりで、女性が陸士からの叩き上げというくらいでしょうか。
生まれた経緯は、疲れているなのはたちだけで時の庭園に行かせるっていうのは、いくらなんでもまずいよなぁ……護衛でも付けるか。くらいのものでした。
本編ではエリート集団としては定番の役割、「うわー、もうだめだー」要員である武装隊を、少し活躍させたかったのもあります。




[25889] 第12話(後編) 明星、さだめは死
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:01
通路に傀儡兵の残骸が点々と倒れている。その跡を追って行けば、きっとこれをおこなった者のもとへと辿りつけるだろう。本人にそのつもりはなくとも、どこかヘンゼルとグレーテルの話を連想させる光景だ。もっとも、あれは往く者が迷わず帰るため、これは後を追う者が迷わず来ることができるようにという違いはあるが。
そのパンくずを撒いた人物、ウィルは一つの扉から少し離れた場所に立っている。その手には最後のパンくず――最も新しく倒した傀儡兵を持って。
彼が見ている扉は、ここにくるまでの他の扉に比べてひときわ大きい。そしてウィルは確信している。まず間違いなく、この扉の向こうにジュエルシードが存在すると。
なぜならこの一月で幾度も感じた、活性化しているジュエルシードの気配がするから。
なら、プレシアがいる可能性も高い。

「今から連絡用の信号を発信し続けてくれ。クロノのS2U以外には受信されないように設定してね。それと、おれの命令があるまで解除はしないで」

『He doesn’t exist around here.(この周辺にクロノ執務官は存在していませんが)』

「それでも構わない。受信範囲に入れば、向こうから連絡があるから」

突入前に自らのデバイス、シュタイクアイゼンに命令する。
この信号とは周波数のように適切な値を設定すれば、念話と同様に対象――この場合はクロノにのみ聞こえるようにできる。次元震の環境下では通信状況が悪くなるので、数百メートルしか届かないだろうが、その範囲にクロノが入れば、彼のS2Uが信号を受信してくれる。そうすれば折り返し彼から念話が送られてくるだろう。
その時にウィルが倒されていれば返事はできないが、それがわかればクロノも何らかの対策をとるだろう。真正面から突撃して、人質にされたウィルを前に葛藤。自分が足かせになっていることを嫌ったウィルが自ら命を絶ち、クロノは涙を流しながらプレシアを倒す――などにはならないはずだ。もしそんな状況になっても、自殺する気などさらさらないが。


「さて、ちょっと乱暴だけど仕方ないよな。普通に入ったら、そのとたんに攻撃されるかもしれないし」

ウィルはその手に持った剣士型の傀儡兵――おそらく二百キロはあるそのボディを掴みながら飛行魔法を行使し、通路に浮いた。

「それじゃあ、行きますか」

ウィルは扉に向けて飛翔する。そしてその状態で手に持った傀儡兵を扉に向かって投げつけた。大リーグの投手の数倍の速度で、二百キロの金属の塊が飛ぶ。
扉にぶつかったそれは、通路中に大きな音を響かせ、扉を突き破る。
それがジュエルシードをめぐる事件の、最終戦のゴングとなった。


  *


ウィルが地球で読んだ本の一冊に、戦いの勝敗を決める三つの要素が書かれていた。
天の時、地の利、人の和の三つだ。

天の時とはタイミング。戦いを仕掛ける状況。
その時をつかんでいるのはウィルだ。今のプレシアは武装隊のおかげで非常に弱っている。そして、この短時間ではそれほど回復もできていないはず。
対してウィルは傀儡兵との戦いがあったとはいえ、そのほとんどは武装隊やクロノと共に戦ったので、それほど消耗していない。


次は地の利、戦う場所だ。これはウィルにとって、決して有利ではない。
なぜなら、高速空戦を得意とする者にとって屋内戦は鬼門だからだ。ウィルのように相手が視認できないほどの速度と、それによって生み出される破壊力を売りとする者は特に。

まず屋内では加速に必要な距離が得難いので、どうしても屋外に比べて速度を上げにくい。さらに狭いので無暗に速度を上げ過ぎれば、方向転換ができない。加速したは良いが曲がり切れずに壁にぶつかっては何が何やら。
もちろん良い点もある。速度が遅いから判断ミスは少なくなる。それに、本来なら加速のために使う推力を方向転換に使えるので、普段ならできないような機動(ほぼ直角に曲がるなど)ができるという利点もある。
それでも、いつものように戦うのが一番強いのは当たり前。

それに、ウィルの高速空戦は対プレシアにおいては有効な切り札になり得たはずだった。
プレシアは科学者であって戦士ではない。だから、その動体視力はそれほど良くないはず。少なくとも遷音速が出せれば、プレシアではウィルの動きを捕えきれないだろう。
それなのに、この部屋の広さは直径二百メートルほど。一つの部屋としては十分に広いが、ウィルにとっては狭すぎる。本気を出せば静止状態からでも一秒強で端から端まで到達できるほどだ。
この部屋で出せる現実的な速度は、全力のおよそ五分の一の秒速八十メートル。時速になおして、およそ三百キロメートル。一瞬ならその倍までは出せるだろうが、所詮その程度。対応されてもおかしくはない。

以上がウィルにとって不利なことがらになるが、完全に地の利を逸したわけではない。

プレシアはこの状況では広域魔法を使えない。それは当然魔力の問題もあるが、もっと大きな要因がある。ジュエルシードがこの場に存在するということだ。
ジュエルシードのそばで広域魔法など行使すれば、制御しているジュエルシードがプレシアの巨大な魔力にあてられて暴走してしまう危険が高い。だからプレシアは広域魔法を使用できない。
もしも室内で広域魔法を行使されれば、どれだけ速かろうと、複雑な機動をとれようと、逃げることはできない。とっさに通路に逃げ込めれば良いが、そううまくはいかないだろう。
それを考えれば、屋内戦での広域魔法の使用不可は非常に大きい。プレシアは飛び回るウィル相手に魔力弾や砲撃を当てなければならない。それは、飛び回る蜂を叩き落とす以上に難しい。
このように両者にとって互いに不利な要素が積み重なり、地の利は互角となる。


最後に人の和。結束、仲間との協力。
これは言わずもがな。今はお互いに零だが、ウィルにはクロノがいる。


以上の三つをもとに、方針を決定する。
基本は攻。こちらから攻撃を続けて早々に決着つけることを狙う。それで倒せるようであれば良い。無理だと判断すれば、回避に専念してプレシアを消耗させる。

三つの要素がここまでウィルの味方をしているのなら、まず負けることはない。


  **


煙を裂いてウィルが翔ける。それに合わせて、プレシアの片手に紫の魔力光が集まる。
即座に突撃を止めて上昇する。その動作と、プレシアがナイフを投げるように手首を返したのはほぼ同時だった。
先ほどまでウィルのいた場所を雷が通りすぎる。バチバチと空気が引き裂かれるような音と嫌なにおいが発生する。フェイトのサンダースマッシャーに似ているが速さがまるで違う。
それは入口付近の壁を抉り取って消えた。対物破壊――つまり非殺傷ではない。わかっていたことだが、気を引き締めなければ、死ぬ。

そんな魔法を放った後だと言うのに、すでにプレシアの周囲には十を越える魔力弾が浮遊しており、上昇途中のウィルに向かって一斉に放たれる。この魔力弾をかいくぐって、プレシアに攻撃することは不可能。魔力弾の一個一個は点でも、十もあればもはや面だ。弾の隙間を通り抜けることは難しい。
その威力も、プレシアにとっては牽制にすぎなくとも、格下でなおかつ防御をほとんど捨てているウィルにとっては十分な威力。たった一発でも耐えられるかどうか。

わざわざ危険なまねをする必要はない。回避してから、あらためて攻撃を仕掛ける。
そう考えて横に避ける。魔力弾の群れはウィルの横を通りすぎる――が、通り過ぎた後でその軌道が急に折れ曲がる。
回避したはずの魔力弾が、進路を変えて背後から襲いかかってきた。

即座にそのまま加速し、誘導弾に背を向けるようにして逃げる。その後ろを魔力弾の群れが追いかける。

あの数の魔力弾が全て誘導弾であるはずがない。おそらく術者以外の対象を追いかけるように誘導機能を付けた直射弾にすぎない――それでも十分にすごいのだが――とあたりをつける。
このまま逃げ続けるのも手だが、ずっと追われ続けるのも気味が悪い。魔力弾には消えてもらうことにする。

そのまま追いつかれないように加速。しかしここは室内。すぐさま端に到達してしまう。目の前に壁が迫る。
このままではぶつかってしまう。 減速 魔力弾との相対速度がマイナスになり、両者の距離が縮まる。魔力弾はウィルのすぐ後ろに迫っていた。
ウィルは壁にぶつかる直前に、くるりと百八十度回転し、頭と足の方向を逆転させる。
そして脚のばねで衝撃を受け流し、力強く壁を蹴って、斜め上に飛びあがる。
まるで水泳のターン。
ウィルが壁を離れた瞬間、そこに次々と魔力弾が殺到した。ここまでは想定通りだ。
ただ回避するのではなく、魔力弾を壁にぶつけることで消すために、わざわざこんな芸当をした。

だが、魔力弾はぶつかることなく、そのまま壁の向こうへと消えていった。そして、すぐさま壁から魔力弾が飛びだしてきた。

物質に影響されていない。つまり、あの魔法弾は非殺傷設定。
先ほどの攻撃が殺傷設定だったので、この魔法もそうだと思い込んでしまった自分に舌打ちする。
これでは無駄に奇抜な避け方をしただけだ。


さらに悪いことに、プレシアの周囲にはさらに新たな魔力弾が浮いていた。その数は、後方から迫って来ているのと同数程度。前方と後方を合わせれば魔力弾の数は二十を越える。
それでも、プログラム通りに愚直に追いかけてくるならまだ避ける方法はある――と思っていると、その二十個の魔力弾は、急にそれぞればらばらの方向に動き始める。それぞれ意志を持っているかの如く。

その意味するところを理解し、凍りつく。
魔力弾は自動追跡などではなかった。プレシアの放った二十以上の魔力弾は、その全てが誘導弾。
どこが違うのかと言えば、誘導弾は術者の思考によって動きを変えることができる点が異なる。
魔導師はマルチタスクによって複数の誘導弾を操るのだが、基本的に一個につき分割された思考を一つ使う。つまり、二十全てを自在に操るには思考を二十個以上に分割しなければならない。
それがどれだけ馬鹿げた芸当か。笑ってしまいそうなほど。



これが大魔導師か。
戦いなど経験しなくとも、ただ規格外に優れた魔法と知性の二点で、他を寄せ付けない圧倒的な実力を持つ。
そして、そんな人物を相手にしているというのに、ウィルは自分が油断していたことを自覚する。相手は科学者だから、弱った相手だから、クロノたちがここまでしてくれたのだから――だから、そうそう負けることはないと思い込んでいた。


意識を切り替える。相手は格上だ。悠長に遊んでいる余裕など自分にあるはずがない。
今すぐ決めなければやられる。


魔力弾はウィルを中心として球を描くように取り囲み、全ての魔力弾が中心のウィルに向けて襲いかかる。
迷っている暇はない。このままじっとしていれば、前後左右上下あらゆる方向から魔力弾をくらうだけ。早く行動すればするほど球の半径は大きい。つまり、弾と弾の間隔も広くなる。できるだけ大きな隙間を見つけて、この包囲網から少しでも早く脱出しなければ。

どこか、通り抜けやすい場所は――あった。
一ヶ所、弾の密度が薄い場所があった。そこは、ウィルとプレシアをつなぐ直線上。

即座にウィルはそちらに向かって翔ける。
見上げるプレシアと、見下ろすウィルの視線が交差する。そのプレシアの顔が嗤う。

わかっている。その笑みの意味くらい。
わかっている。このルートが罠だということくらい。
自分の真正面など、本来なら最も優先して防がなければならない場所。他の――たとえばウィルの背後方向に隙間があるのなら、たとえそこから脱出されたとしても、ウィルとプレシアの間には距離があく。つまり安全だ。
なのに、わざと自分との直線上に穴を開けた。そこを通って包囲網から脱出されれば、即座に反撃をくらう危険がある。そんなリスクの高い行為に意図がないわけがない。

おそらく、わざと一本だけ逃げ道を開けて、ウィルがそこから抜けようとのこのこやってきた時を、本命の魔法で狙うつもりなのだろう。
のれば相手の思うつぼ。しかし、のらなければこのままやられるだけ。


(いいよ。のってやる。思惑にのった上で、おれはあんたの上をいく)

エンジェルハイロゥを起動し、魔力を流し込む。周囲の空気を吸入し、圧縮。そして圧縮された空気に、魔力から変換した運動エネルギーを与える。
空気は出口を探し、そしてノズルから勢いよく噴出した。

これがプレシアの計算を狂わす一手。歯車を止める一石。
ウィルはこの戦いで、まだエンジェルハイロゥを使っていない。したがって、プレシアはこれを使った超加速を知らない。
相手の予想外の速度を出すことで、プレシアに攻撃される前に包囲網を脱出。そして、そのままプレシアに攻撃する。
時間を与えても、また包囲されるだけ。今度はエンジェルハイロゥでさえ計算に入れて、完璧にウィルを封じにくる。
倒すのは今しかない。ここで倒さなければ追いつめられるだけだ。


そして、ウィルはプレシアの攻撃が来る前に網を抜けた。
プレシアとの距離は三十メートルをきる。

プレシアが自分の予測が崩れたことに気付く。しかい、もう魔法は完成している。そのまま魔法を放とうとする。
ウィルの剣が貫くのが斬り伏せるが早いか。それとも、プレシアの魔法が貫くが早いか。
その時、もはやお互いの距離は二十メートルをきっていた。

――無理だ

これまでの実戦で培った勘がそう告げる。このまま直進してもプレシアは倒せない。きっと自分は雷に焼かれる。最善の場合でも、焼かれた自分の身体が慣性の法則に則ってそのまま直進し、プレシアにぶつかって相討ちに持ち込めるくらいだ。
もはや両者の間は十メートルをきる。互いに相手の瞳に自らの姿を見る。


その瞬間、ウィルはバリアジャケットを解除した。
バリアジャケットで抑えられていた空気抵抗が身体を押しつぶす。見えない壁に叩きつけられたような痛みに身もだえする。
空気の力はこれほどのものかと妙なところで感心する一方で、逆流しそうな胃の中身を抑え込む。
しかし、そのおかげで、そのせいで、減速できた。これで確実に間に合わない。
それでも構わない。もう目的は直進ではない。

ウィルは右足を右に出す。そして、右足のエンジェルハイロゥにいつも以上の魔力を込める。
ブースト。ウィルの体が左へと大きく動く。

プレシアの手から雷が放たれた。
しかし、ウィルの体はそこにない。すでに左へと移動している。

ウィルの体は左向きの力が加わったことで、左斜め前方に進む。このままではプレシアに攻撃するどころか地面にぶつかる。プレシアに攻撃するためには、今度は右向きの力を加えなければならない。
飛行魔法で姿勢を、身体の向きを変える。そして、今度は左側に左足を突き出し、ありったけの魔力を左足のエンジェルハイロゥに込める。先ほどと同じ魔力では左向きの力が打ち消されるだけ。先ほどの倍以上の魔力を込める。
過剰に生成された運動エネルギーにデバイスのボディが悲鳴を上げる。

その莫大なエネルギーを使って、ウィルはほぼ百八十度近い切り返しをおこなう。


その軌跡はまるで雷――オリジナルマニューバ『ライド・ザ・ライトニング』


ウィルの剣が、プレシアをとらえる。確実に勝てるタイミング。

だというのに
偶然か、それとも執念か。
魔法の連続行使が、プレシアの身体にさらなる負担を与えたせいだろうか、彼女の体が崩れ落ちる。

剣が空を切った。

あまりにも見事に回避されたことで、一瞬我を忘れてしまった。そしてすぐさま反転しようとして、自分の目前に迫るものを見た。
それは一つの円柱。何かを保存するようなポッド。外側は透明な材質でできているため、中に入っているものがはっきりとわかる。中には緑色で透過性の高い液体が注入され、さらに“あるもの”がその中に入っていた。

飛行魔法を後方にかけて減速。再度バリアジャケット解除によるエアブレーキで減速。剣を床に突き立てて減速。
それらを同時におこない、さらに身体をひねり、ハイロゥを再度使って強引に進路を変えて、そのポッドを避けた。
無茶な軌道変更のせいで地面にぶつかる。すぐに止まろうとするが、二度も空気の壁とぶつかったせいか、体がうまく動かない。ごろごろと転がって、ようやく止まった。

止まったのは良いが、これだけ猶予があればプレシアが立ち直っているかもしれない。
死んだかな――と思い、プレシアを見ると、彼女もまた床に膝をつき、苦しみながらこちらを見ていた。魔法を撃てないのか、撃たないのか。どちらともとれる。
そして、彼女はウィルに問いかける。

「……どうして避けたの」彼女の視線が、ウィルからポッドに移る。

「そりゃあ……あれに突っ込むのはいくらなんでも気が引けるじゃない?」

そして、ウィルもポッドを見る。
その中には、緑色の液体に包まれて、フェイトそっくりの少女が眠るように浮かんでいた。


  ***


ウィルはポッドを指さしながら、疑問を口に出す。

「おれの方からも質問していいかな。この子はアリシア……でいいのかな? それともフェイトちゃんと同じく、アリシアのクローンか?」

「アリシアのことは知っているのね。……これはアリシア本人よ。あんな失敗作と一緒にしないで」

答えるプレシアの口調には激しい嫌悪があった。二つを同一視されることが余程嫌なのだろう。しかも、明らかにフェイトに対する憎悪が感じられる。アリシア(オリジナル)とフェイト(クローン)を同じように扱われることを嫌悪するという理屈は理解できる。しかし、フェイトをそこまで嫌う理由がわからない。

「失敗作、か。フェイトちゃんは良い子だよ。ちょっと人の話を聞かないところはあるけど、よくできた……文字通り良く出来た娘さんじゃないか」

「何も知らないあなたから見ればそうかもしれないわね。でも、あれはアリシアになれなかった。だから失敗作よ」

「クローンは本人にはなれない。それくらいわかっているはずだ」

プレシアは怪訝そうに眉をひそめる。そして、得心がいったのか、皮肉気に口元を歪める。

「……そう、そこまでは調べてなかったのね。あれは、ただのクローンじゃないの。肉体はただのクローンにすぎないけれど、頭の方は違う。あの子の頭にはね、アリシアの記憶がつまっているの。
 『プロジェクトFATE』――他者の記憶を移植する技術を使ってね」

あっさりとそう言ったが、その内容そのものはにわかには信じがたいものだった。記憶の移植とは、つまるところ人の頭の中身を書きかえるということにほかならない。いや、そもそも人の記憶というあいまいな情報を他者に与えるほど具体的なデータにできるものなのか。
アナログからディジタルへの変換。それを可能とするということは、生命に対する大きなアンチテーゼを投げかけることと同じ。脳を回路で、ニューロンを電気信号に置き換えることを可能とするかもしれないのだから。
ウィルの懐疑的な思いを感じたのか、プレシアは嘲笑のような笑みをうかべる。

「信じられないの?」

「当たりまえだろ。そんなことが可能なら、間違いなく管理世界全体がひっくり返る。
 それに……失礼だけど、それはあなたの専門分野とは異なるんじゃないか? 専門家でもない者に、そんなすごいものを考えつけるとは……」

「それは否定しないわ。事実、私が考えたわけじゃないのだから。
 この理論はもらいもの……というよりは、天才の出した試験のようなものなのよ。プロジェクトの基礎理論は誰にでもアクセスできるように公開されていたわ。理解できなければ何に利用できるのかもわからない論文だったけど、理解さえできれば後は実証実験を繰り返せば良いだけ。それほどの完成度があったのよ。まるで提唱者の、お前たちにこれが理解できるか――そんな声が聞こえてきそうだった。
 そして、私はその理論を実用できる段階にまで持っていった。その成果がフェイト。
 でも、駄目だったわ。できたのはアリシアにはほど遠いものが一つ。仕方がないから、プロジェクトの名称を名前として与えて、手元に置いていたのよ。本当のアリシアを取り戻せる日まで、アリシアの代わりとして少しの慰めになるかと思ったけれど…………それ以下だったわ。駒として有用じゃなかったら、とっくの昔に処分していたでしょうね」

プレシアの言葉は失望ではない。そんな生易しいものではなく、もはや憎しみと言える。自分が生み出した者を、どうしてここまで憎めるのか。

「娘にそっくりの子に向かって、よくそんなことが言えるな」

「そっくり? あれが? 笑えるわね。アリシアのことを何も知らないあなたが勝手に語らないで。
 そっくりなのは見た目だけ。記憶を持っているのに、それ以外は全然駄目よ。利き手は逆。話し方はおどおどしているし、私の顔色をうかがうような卑屈な目、アリシアは絶対になかったわ。
 なにより、アリシアはもっと優しく笑ってくれた。アリシアは時々わがままも言ったけど、私の言うことをとてもよく聞いてくれた。アリシアはいつでも私に優しかった。
 あれとアリシアはまったくの別物。作りものの命では、失った命の変わりにはならない……結局、命そのものを取り戻すしかない」

「それが、あなたの目的か」

「そうよ。 私はジュエルシードを使って、アリシアを蘇らせる」

プレシアは高らかに宣言する。その言葉を発した自らの意志、それを自身を支える柱とするように、彼女はゆっくりと立ち上がる。それは、まだ戦える、まだ戦うという姿勢の表れ。
まったくもって想定していなかった。彼女がここまで戦えるということを。本当なら、先ほどのように連続して魔法を行使することだって、できるはずがないだろうに。
意志の力というのは、ここまで人を強くさせるのか。

ウィルは口元を押さえながら、さらに問う。

「どうやって? ジュエルシードの願いを叶えるってふれこみは誇大広告もいいところだ」

「そんなものには興味ないわ。私にとって大切なのは、このロストロギアに次元干渉効果があるということ。世界を、空間を捻じ曲げる力――それはつまり、次元震をおこすことも、止めることも可能ということ。
 この力で私は旅立つの。失われし都、世界の狭間に存在する禁断の地――アルハザードへ!」

その言葉の意味を理解するには、少し時間が必要だった。そして、一泊遅れてようやく理解が追いついた。

『アルハザード』
はるか古代から存在していたと言われる伝説の世界。
数多くの文明が発達した自らの技術を制御できずに崩壊する一方で、森羅万象を自在に操ることができるほどに、その技術を高めた世界があったと言われている。
命でさえ、時でさえも、その世界にとっては可逆であるとも。

その世界が本当にあるのかはわからない。古代のいくつかの文明にその名が記され、アルハザード由来ではないかと言われるようなロストロギアが存在する。それだけがその世界が存在する証拠。
どこにあるのか、まだあるのかもわからない。
有力な仮説では、アルハザードの周囲は常に大規模な次元断層に囲まれているため、こちらから観測することはできないのだとも言われている。それが事実なら、ジュエルシードはその次元断層を抑え込むために必要――と言ったところなのだろうか。
たしかにそんな世界に行けば、死者の蘇生くらい造作もないが――

「そんな御伽話を信じているのか」

「アルハザードは存在するわ。そこに至る道のりもある」

「仮にあったとしてもそこに辿りつける可能性なんて――」

「限りなく少ないでしょうね」

プレシアは実験結果を述べるように淡々としている。そんな危険な賭けをおこなうと言うのに。失敗すれば当然生きて帰って来ることはないというのに、まるで不安を抱いてない。

「それがわかっているのに本気でやるつもりなのか。失敗すればあなただって死ぬ。それに、行けようが行けまいが、ジュエルシードが発動すれば何の関係もない地球を巻き込むのに」

「当然よ。たとえ塵ほどであっても可能性があるのなら、諦めることなんてできないわ」

「アリシアが亡くなって、もう二十年近くになるのに……それなのにまだ諦められないのか。新しい道、新しい幸せだってあるだろうに」

「そんな道はないわ。それに、たとえその道がどれほど楽だとしても、今の道を進むことを止めた瞬間に、私は私でいられなくなる。
 あなたみたいな子供にはわからないでしょうね。この、どこまでも求める、狂おしい渇望は」

突き放すようなプレシアの言葉。他者の理解と共感を拒絶する凍りついた意志。
ウィルは思わずつぶやく。


「…………いや、わかるよ」

ウィルが覚えたのは共感。いつの間にか、プレシアの言葉に聞き入っていた。彼女の思いに共感していた。フェイトの話は不快そのものだったが、彼女の一つのことにかける渇望は、とても心地が良かった。
思わず笑いそうになって、口元を手で隠さなければならないほどに。

「わかるから、すごいと思うよ。そして、あなたの強さを尊敬する」

プレシアは、初めてぽかんとした顔をしていた。
もはや隠しきれないほどに、顔が笑ってしまう。
気の合う友人と出会った時のように。美しいものを見て陶然とするように。凄いものを見て、思わず笑ってしまうように。笑う。楽しくて。

「あなたの行動は容認できないけど、その強さはおれの憧れそのものだ。
 おれにも、どうしてもなしとげたい目的がある。それを成し遂げるためなら、何を犠牲にしても構わないって思えるような。十年、そう思い続けてきた。
 だから、それを実践しているという点においては、おれはあなたを尊敬する」

「あなたみたいな子供が、一体何に……」

その問いに答える。尊敬する人、自分もこうなりたいと思える人に将来の夢は何ですかと聞かたようなもの。それに答えるのは少し恥ずかしい。
しかし誇らしげに答える。

「復讐。父さんを殺したモノをこの世界から消し去りたい」

「私以上に無意味ね。仇をとったとしても、何も得ることはないわよ」

「でも、どうしてもしたいんだ。この先、どれだけ自分の人生を犠牲にしても構わない。
 だって、この気持ちは抑えられないんだから。あなたならわかってくれるだろ?」

「……本気みたいね。あなたも同類、か。皮肉なものね。最後に私を止めに来たのが、よりによって同類なんて」

「ああ、その通り。おれとあなたは似たもの同士だ。だから、あなたに協力したいという気持ちもある。……でもそれはできない。
 おれは管理局の一員だし、この作戦には友達も参加している。おれが引いたら、今度はその友達が危険な目に合う。それに、あなたがジュエルシードを発動させたら地球が滅ぶ。短い間だったけど、あの世界には世話になった人がいる。幸せになってほしい……幸せにしてあげたい人もできた。
 あなたの気持もわかるし共感もする。でもそれはどこまでいっても、おれにとっては人ごとなんだよ。自分の大切なものと他人の大切なもの――どっちかを選ぶなら、おれは自分の方を選ぶ。そう割り切る。
 だから、ごめん。あなたの思いが間違っているとは思わない。でも、ただおれの利を通すために、おれはあなたを止める」

そう言ってウィルも立ち上がる。
魔力を循環させる。バリアジャケットが再構成される。それに合わせてプレシアも身構えた。
しかし、ウィルはほほ笑んでゆっくりと歩き始める。

「それでも、せめてできる限りの範囲で協力するよ。とりあえず、もう二度とアリシアちゃんを戦闘に巻き込まないようにする。
 それから、“おれができうる限り”、あなたを傷つけないように倒すよ」

「そんな手加減をして、私に勝てると思っているの? それに、手を抜く必要なんてどこにもないわ。どうせこれが失敗すれば、私に生きている意味も価値もないのだから」

「そんなことはないさ。おれに負けて管理局に捕まっても、命さえあれば再挑戦のチャンスはある。脱走するチャンスがあるかもしれないし、あなたが生きているうちに画期的な技術の進歩があって、合法的な手段でアリシアちゃんを復活させることもできるかもしれない。生きてさえいれば、可能性はいくらでもあるんだ。
 ……それでも、本当にやばくなったら手加減できなくて死なせてしまうかもしれない。その辺は割り切らないとベルカ式なんて使っていられないし」

ウィルは臆面もなく話す。管理局員とは思えないその言葉を聞いて、プレシアは思わずクスクスと笑ってしまった。

「あなた、ずいぶん変わっているわ。……でも、確かにそうね。生きている限り希望はある。
 そう言えば、まだお礼を言ってなかったわ…………ありがとう。あなたがアリシアの入ったポッドを優先してくれた時、本当に心の底からほっとした。
 それから、私の気持ちを、行為を否定しないでくれたことも。……少し嬉しかったわ」

少し照れながら、プレシアはそう言った。

「結局あなたの邪魔をしようとしているんだ。同じことだよ」

「でも、あなたが邪魔するのは利害の不一致ゆえ……でしょう? だから嬉しかったのよ。間違っていることをしていることも、他人に迷惑をかけていることもわかっている。自分のしていることは許されないと理解している。だけど、やっぱり少し寂しかったんでしょうね。あなたに間違っていないと言ってもらえて、少し救われた気がするわ。
 お返しに、この道の先輩として一つ忠告しておくわ」

「静聴します」

「私があの子――フェイトが嫌いな理由はね、似てないからだけじゃないのよ。むしろその逆よ。何よりも、似ているところに腹がたつの。
 姿なんかは特にそうね。時々、フェイトがアリシアのようにふるまう時が…………違うわね。あの子をアリシアのように錯覚してしまう時があるのよ。
 錯覚するということは、その二つのものの境界が揺らぐと言うこと。その結果、何がおこると思う?
 次第にね、アリシアのことを思いだせなくなるのよ。アリシアのことを、その声を、仕草を、体温を思い出そうとしても、うかんでくるそれがフェイトのものに変わっているのよ。気付いた時は本当に絶望したわ。もう一度、アリシアが死んだような気さえした。
 慌てて昔の映像を引っ張りだして、こうして保存していたアリシアの姿を見て、私の中のアリシアを取り戻そうとしたけど、もう駄目だった。きっと情報量が違うからでしょうね。映像や記憶の反芻では、今触れあえる生の人間から得られる情報量にはかなわないから。
 これが、私があの子が嫌いな理由。あの子はただ存在するだけで、私の中のアリシアを犯す。私の中のアリシアを殺していくのよ」

ずいぶんと勝手な理屈だ。模造品として生み出され、似ていないからと嫌われ、似ているからと憎悪される。どこまでも勝手な理屈だが、少しだけ理解できる気がした。
しかし、これではあまりにもフェイトが救われない。彼女がどれだけ頑張っても、プレシアがフェイトを好きにはならないのだから。

(本当にそうか?)

嫌いなこと、憎むこと。それだけではないのではないか。むしろ、プレシアがフェイトにも安らぎを覚え始めていたから、同種の感情を持ち始めたから、二人の境界があやふやになったのかもしれない。強引な理屈かもしれないが、そう思いたい。これではあまりにもフェイトが救われないから。
だから、ウィルは話を続けようとするプレシアを遮って問いかける。

「でもそれは、フェイトちゃんのことを愛し始めていたってことじゃないか?」

「そんなわけないじゃない。私はフェイトが嫌い。憎んでさえいる」

「愛と憎しみは同一直線上にあるわけじゃないよ。それぞれに独立したパラメータだ」

「二十年も生きてないくせに、悟ったようなことを言うのね。……まあいいわ。もしかしたら、そんな気持ちもほんの少しくらい、あったのかもしれないわね。今さらだけど」

プレシアは苦笑する。

「話がそれたわね。だから、私が言いたいのは、どんな思いも変質してしまうということ。
 あなたの復讐心がどれだけのものかはわからないけど、それだっていつかは変質する。大切な人の記憶だって、時間ともに消える。過去の大切な人のいた場所が、新しい大切な人で埋め尽くされていく。私はそれを自覚したから、こんな場所に引きこもって、誰とも付き合わなくなった。
 ……きっと、その孤独に耐えられなくて、フェイトを生み出したんでしょうね。記憶を受け継いだだけでは、アリシアは戻って来ない。そんなこと、予想できていたのに。そして、そのフェイトが私を変質させる最後の藁になった。
 あなたも覚悟しておきなさい。いつまでも復讐心を失わないなんてことはない。あなたが本気でその気持ちを変質させたくないと思うのなら、その道はきっと私以上に厳しいものになる。きっと、今持っている全てを投げ出さなければならないほどに。
 その覚悟がないのなら、早めに諦めなさい」

「自分はその道を選んだのに?」

「選んだからよ」

「まったく、大人って言うのはどうしていつも、自分のことを棚に上げて言うかなぁ」

「大人だからよ。特に親って言うのはね、自分が出来なかったことを子供にやらせようとしてしまうの。……そう言えば、私もアリシアにいろいろと習い事をさせようとしたことがあったわね」

昔を思い出すようなプレシアの笑みが本当に綺麗で、これ以上聞いていると、引きずり込まれそうな気がして、ウィルは剣を構えた。それを見て、プレシアも微笑むのをやめる。
ここから先は再び戦い。だからその前に、最後に一言。

「でも、ありがとう。それから……あなたは本当に素敵な人だ」

これまでの会話から理解する。人によっては、娘を失ったことに心が耐えられなくて、狂気にとりつかれた悲劇の人だと、彼女を言うかもしれない。でも、ウィルはまったく逆のように感じる。
彼女は、本当に強い人だと。

現実を容認しない傲慢さ
欲しいもの以外を拒絶してしまう愚かさ
手に入れるためになりふり構わない醜さ
ありえない夢物語を、ちっぽけな可能性を信じて、本気で渇望できること
その渇望の前では、正義も悪も生も死も――そういった他者との比較の基準が等しく無意味だ。渇望を満たすか、満たさないか。ただそれだけの二元論。
まさに、駄々をこねる子供。

本当にただの子供なら恐ろしくはない。だが、彼女は大人なのだ。怖いもの知らずの子供ではない。
恐怖を――失うことを、奪われることを知っている
絶望を――届かないことを知っている
安らぎを――全て忘れ去って、新しい幸せと共に生きることを知っている
こんなはずじゃなかった世界――どうしようもならない現実を知った上で、なお世界と戦うことを選んでいる

悲しい過去を乗り越えて新しく生きることが強さなら、悲しい過去と向き合って戦うのもまた強さ。
プレシアの強さに、それがたとえどす黒いものだとしても、彼女の意志の輝きを感じ、改めて彼女に対して憧れを抱いた。

二人は、それきり口を閉じた。



剣を構えるウィルに対して、プレシアは自然体のまま動かない。
しかし、プレシアの意識はウィルに集中している。高速からの攻撃は危険だ。一瞬でも油断をすれば命取り。ぼろぼろになった体を奮い立たせ、閉じそうになる目を必死で開け、プレシアはウィルを見据える。その一挙手一投足一飛翔を見逃さないように。

しかし、プレシアの心は体に反して非常に穏やかだった。
こんなに楽な気持ちはいつぶりだろうか。心の内を語って、互いに意見を受け止め合うことは、こんなに気持ちが良いこと。もうずっと、その感覚を忘れていた。


そして、ウィルが動く。
突撃。プレシアのもとへと、一直線に向かって来る。
プレシアの極限にまで高められた集中力はその動きを見逃さなかった。
疲れ果てた身体は驚くほど俊敏に魔力を伝え、自身のできうる最大の魔法を構築する。

しかし、その前にプレシアの意識は闇に落ちる。
意識が完全に闇に包まれる前に、自分の体が抱き止められるのを感じた。
そして彼女は、自分の敗北と、自分に足りなかったものを理解した。


  ****


「良いタイミングだったよ、クロノ」

崩れ落ちるプレシアを支えたウィルに、クロノが不機嫌そうに言う。

「こういうやり方は……あまり好きじゃない」

クロノがこの部屋に辿りついたのは、ウィルとプレシアが話している時だった。クロノはウィルに念話で連絡。それを受けたウィルは、そのまま会話を続けプレシアの視線を自分一人に集中させる。そして、その隙にクロノは入口からプレシアの死角へと移動。
最後の戦いでプレシアの意識が完全にウィル一人に向いている隙を使って、背後から攻撃をしかけた。
それが真相で、ウィルの策。

「仕方ないさ。これが一番プレシアを傷つけない方法だった。それから、クロノもプレシアの人となりはわかっただろ? この人は、ただの悪人じゃなかった」

「……そうだな。やったことは許されないが、彼女には彼女の思いがあった」

「それじゃあフェイトちゃんと二人合わせて、弁護はよろしく頼むよ、クロノ執務官」

「それは任せてくれ。……ところで、さっき言っていたことは……」

「どれのことを言っているのかはあえて聞かないけど、どれも本心だよ。シリアスな話では、必要がない限り嘘はつかないさ」

「そうだな。そういうやつだったな、きみは。
 ……とにかく、まずはジュエルシードを回収してアースラに帰ろう。魔力は残っているか?」

首を振って否定する。プレシアとの戦いで、ほとんど使い切ってしまった。封印できるほどの魔力はもう残っていない。

「なら、僕が封印するまで、じっとしていてくれ」

「一人でできるか?」

「暴走しているわけではないからな。落ち着いてやれば失敗しない」

そう言って、クロノはジュエルシードに向き合って、封印を始めた。
その後ろで、ウィルはプレシアの顔をじっと見る。彼女は驚くほど穏やかな顔をしていた。目が覚めた時。彼女がどう行動するのかはわからない。だが、これだけ穏やかな顔をしているのなら心配はいらない――そんな楽観的な希望さえ抱きそうだ。

それにしても先ほどの戦いは、クロノがいなければウィルは間違いなく負けていただろう。
それが勝てたのは――

「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず……ってことなんだろうなぁ」

「どういう意味だ?」

いつの間にか封印を終えたクロノが、怪訝な顔をして横に立っていた。
笑いながらウィルは答える。

「仲間がいるやつが、一番強いってことだよ」



(後書き)
オリジナルマニューバ! 恥ずかしい!
必殺技の名前を付けるのがこんなに恥ずかしいとは。
ちなみにライド・ザ・ライトニングはメタリカの曲が元ネタです。自分で技の名前をつけるのはさらに恥ずかしかったので、借り物にしました。



[25889] 最終話(前編) 始める前の後始末
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/07/19 21:37
プレシアを担ぎ、ジュエルシードを回収して、ウィルたちは庭園部に戻った。この場所なら、たとえ次元震のせいでサーチャーによる内部観測ができない状態でも、上空が次元空間に面している(もちろん空気が逃げないようにバリア的なものは張られているが)ので、アースラからも観測できるからだ。つまり通信ができなくとも、視覚的な方法で合図を送ることができる。
武装隊の隊長が庭園上空に向かって魔法を放つ。攻撃ではなく、単なる信号弾――任務完了の合図。

それからすぐに、庭園にリンディが転送される。そして彼女は内部からディストーションシールドを行使して、次元震を抑える。ジュエルシードが封印された今、一度抑えこんでしまえば、次元震は二度と起こらない。
こうして、ようやく全員がアースラへ帰還した。
これにて、時の庭園での戦いは終了した。日本の標準時では、海上でのジュエルシードの封印が始まったのが土曜の正午。それからわずか二時間あまりで、ジュエルシードをめぐるこの事件は解決した。
無傷の者などほとんどいない。重傷の者も数名いる。それでも、この事件における死亡者は、敵味方含めてただ一人もいない。


それから半日。日付も変わり、日曜の深夜。
負傷者の中には眠ったままの者たちもいる。意識はとりもどしたが、いまだに安静にしていなければならない者もいる。
クロノは比較的軽傷の者からの報告や、医務室から送られてくる負傷者の情報に目を通していた。事件が解決したように見えても、それは現場にとっての話。遠足は帰るまでが遠足であるように、事件は事後処理を終えるまでが事件。特に執務官のクロノには、まだまだやることが残っている。
それでも体力には限界がある。疲れた体では効率が良くない。作業をひと段落つく場所まで終えると、軽く眠ろうと思って自室に戻る。
扉を開けて入った自分の部屋は明かりがついていた。

「今まで仕事か? お疲れ様」

「お疲れ様です。クロノさんも食べますか?」

部屋の中にはウィルとユーノがいた。食堂でもらってきたのだろうか。机の上には五人前はありそうな量の食事がのっている。鼻孔をくすぐる温かな料理の香りに、クロノの腹が音をたてる。そして、半日以上まともに食事をとっていなかったことを思いだす。
もう一つ椅子を用意すると、二人の間に置き、座る。

「ありがとう。いただくよ……でも、勝手に人の部屋に入らないでくれ」


食事の後、クロノがベッドに腰かけ、ウィルとユーノはそのまま椅子に腰かけてクロノと向かいあう。

「それで、二人とも何の用だ。わざわざ人の部屋に食事をしに来たわけじゃないだろ?」

「クロノの顔が見たくって」

「嘘つけ」

「嘘だよ。本当はみんなの容体が知りたくてね。クロノだったら知っていると思ったから、こうして待っていたんだ。もちろん邪魔だったら帰るけど」

「ユーノも同じか?」

「はい。医務室はみんな忙しそうで、とても聞ける雰囲気じゃなかったから……」


クロノは腕を組んで考える。時の庭園から帰ってから、今まで休まずに仕事をしていたため、疲労は相当溜まっている。本能に従うなら食欲を満たしたので、次は睡眠欲を満たしたい。早く白い枕顔をうずめ、シーツの感触を楽しみながら眠りにつきたい。しかし――
ため息をつくと、名残惜しそうに枕から視線を外し、クロノは二人に向き直る。

「……かまわないよ。どうせ二人には後で話を聴きに行くつもりだった。少し予定が早まったと思うことにするよ。
 特にユーノには、きみたちとフェイトが交戦した時のことを教えてほしい。僕たちはまだ、きみたちの方で何がおこったのか把握できていないんだ」

護衛に付けた武装隊員のうち、男性の方はいまだ目覚めておらず、目が覚めた女性隊員もフェイトとの戦闘の比較的初期で気を失ったため、それ以降――どのような経緯で全員が負傷するようになったのかがわかっていない。
全員が怪我人ばかりなので、話を聞くのは落ち着いてからにしようと思っていたが、飛んで火に入るなんとやら、ユーノの方からやって来てくれたのなら、この機会を逃すつもりはない。

「わかりました。僕も最後の方で気を失ったので、それまでのことになりますけど」


ユーノから事の顛末を聞き、クロノとウィルは驚き、同時に呆れたような顔をする。

「そして、きみはなのはが魔法を放つ前に、フェイトにやられて気を失った、と。
 それにしても、収束魔法……収束砲撃か。よくもまたそんな無茶を……しかし、そうか、それなら納得がいくな」

一人で納得しているクロノに、ユーノが先をせかす。

「それで、みんなは大丈夫なんでしょうか?」

「そうだな。それでは、順番に説明していこう。
 まずはアルフだな。プレシアにやられた傷自体はそれほどではないんだが、その後に動きまわったのがいけなかった。さらに、使い魔ゆえに本来なら治りも速いはずなんだが、主とのリンクが弱まっているせいで回復が非常に遅くなっている。どうやらフェイトが弱っているのを無意識のうちに察して、アルフの方からリンクを弱めているようだ」

「でも、それってアルフの方が大変なんじゃ……」ユーノが不安そうな顔になる。

人工的にリンカーコアを作ることは現代の技術では不可能であり、使い魔の持つそれは疑似的なものでしかない。具体的には、魔力を貯めること、放出することはできても、魔力素を魔力に変換することができない。
そのため、使い魔と主は魔法的なリンク(繋がり)を持っており、それを通じて主から魔力の供給を受けているのだが、これがなくなれば治癒どころか存在の存続さえ不可能となる。

「心配しなくて良いよ。足りない魔力を補充する程度の機器なら、アースラにもある。もともとが使い魔だから、魔力の問題さえクリアできれば、後は放っておいても回復するさ。
 さて、次になのはについてだが……どうにも奇妙だったんだ。彼女はリンカーコアの機能の一部に障害が出ていたんだが、攻撃魔法を受けた時の損傷の仕方とは違っていたんだ。では何か大規模な魔法でも使ったのかと考えたんだが、魔力はほとんど減っていないらしい。いろいろと調べた結果、どうやら魔力流を発生させた後の状態に似ていると判明したんだが、そもそもあの状況でそんなことをする必要もない。一体彼女が何をしたのか、全くわからなったんだ。
 だが、さっきユーノの説明を聞いてようやく合点がいったよ。外部の魔力を操る収束魔法なら、たしかに魔力流操作と似た状態になってもおかしくないな」

「それで、なのはは大丈夫なんですか」相変わらず回りくどいクロノの説明に、ユーノはじれったそうにする。

「健康面では特に問題はない。念のために三日ほど安静にしておいた方が良いが、目が覚めてもう一度検査を受けて、それで問題がないようなら家に帰っても構わないだろう」

「本当ですか! 良かった……って、そうだ! なのはの家族に連絡しておかないと!」

出かける時に連絡はしていたものの、それからは一度も連絡をとっていない。きっと高町家ではみんなが心配しているに違いない。そう思ってユーノは慌てるが、クロノはなんだその話か、と冷静なままだ。

「その事なら心配いらない。時の庭園から帰ってきてからと、なのはの検査結果が出た時に、僕の方から連絡を入れておいた」

その言葉にユーノは胸をなでおろす。


「フェイトちゃんの様子はどうなんだ? もしもなのはちゃんの魔法を受けたのなら、かなり危険な状態じゃないか?」

ウィルの問いかけに、クロノも顔を曇らせる。フェイトは他の二人と違って、明らかに重傷だから。

「ああ。幸い命に別状はないようだが、もともとの無理も相まって一時はかなり危険だった。
 まず、魔力が枯渇しすぎていてリンカーコアがほとんど機能していない。今の彼女は外部の補助装置を使わなければ、自然治癒もできないありさまだ」

リンカーコアを動かすのは自身の魔力。
肺に空気が残っていなければ呼吸ができぬように、呼び水がなければ井戸から水を汲めぬように、魔力が残っていなければ外部から魔力素を吸収することもできない。

「それに、肉体にもかなりのダメージを受けている。収束砲撃を受けたのなら、それも当然だな。非殺傷とはいっても、話を聞く限り相当な威力だ。しかも、初めての魔法では非殺傷にするための構成も甘くなるから、物理ダメージも大きかったと思われる。
 少なくとも、数日は安静にしていないとな」

ウィルは苦いものを噛んだような表情になり、ユーノは顔を伏せる。部屋の雰囲気が重くなる。
クロノはいたたまれなくなって、ポケットから携帯端末を取り出す。

「そう不安そうな顔をするな。もしかしたら、三人とももう気がついているかもしれない」

そのまま携帯端末を自分の机の無線コネクタにかざして、パスワードを入力する。そして、自分に送られてきている報告内容にざっと目を通す。

「朗報だ。なのははつい先ほど目が覚めたらしい。意識もはっきりしているそうだ」

「本当ですか! ちょっと様子を見てきます!」

ユーノは部屋を出ていこうとする。あまりに急いでいたため、椅子を倒してしまい、慌ててなおす。
そして、部屋を出る直前にこちらに振り返る。

「クロノさん。ブリッジでのことなんですけど……あなたの立場も考えないで、いろいろとひどいことを言ってすみませんでした!」


勢いよく頭を下げると、ユーノは今度こそ部屋を出ていった。
その様子を見て、残った二人は顔を合わせてにんまりと笑う。

「素直な年下ってのは、可愛いもんだな。少し弟が欲しくなったよ」

「僕もだ。……誰にも犠牲がでなくて良かったよ。
 それにしても、ユーノはなのはのことが好きなのか?」

「さあ、どうだろう。好きだとしても、まだ自覚してはいないんじゃないかな。なのはちゃんを巻き込んだってことが負い目になっているみたいだから。
 それにしても、クロノでもそういうことを気にするんだな。好きな人でもできた?」

「そういうわけじゃない。そもそも、艦詰め執務官にそんな余裕はないよ。一度出航すれば数ヶ月は帰って来ることはできないんだ。
 それに、昔から母さんを見てきたから、待たせることには少し抵抗感がある」

「ならエイミィは? 昔から仲も良かったし、職場も同じだから待たせることもないだろ?」

「なんでそこでエイミィの名前が出てくるんだ。彼女は信頼できる仲間。それ以上じゃない」

「残念だな。学校の頃から仲が良かったから、エイミィが執務官補佐の試験を受けてアースラに配属された時、みんなそのままくっつくと思っていたんだけど。オッズもそっちの方が圧倒的だったくらいで――」

「ちょっと待て、僕をネタに賭けごとをしていたのか」

「ああ。期限は一年、その間にクロノに彼女ができるかって内容だったかな。比率は四対一でできる方が優勢。だというのに朴念仁のクロノ君は周囲の期待を裏切ってしまったわけだ」

「ちなみにきみは」

「もちろん成立しない方に賭けた。良い臨時収入になった――やめろっ、首を絞めるな。
 ……でも、エイミィとクロノはお似合いだと思うよ。付き合っても良いんじゃないかな?」

「それはちょっとな……」

クロノの顔が曇る。深刻かつ物憂げな表情。何か重い悩みごとに、思い悩んでいるような。

「駄目な理由でもあるのか?」

「言っても良いけど、笑うなよ。
 ……付き合うなら僕よりも背の低い人が良い」

二人の間に水底のような重く暗い沈黙が横たわる。フッ、と細い穴から空気が漏れたかのような音がすると同時に、ウィルが椅子ごと体の向きを百八十度回転させる。

「ウィル、どうして突然向こうの方を向いたんだ? ちょっとこっち向いてくれないか」

クロノはウィルの肩を掴み、自分の方に引っ張ろうとする。

「いや、なんだかこの壁のしみが人の顔に見えたんだ」

「見え透いた嘘を言うな! 笑うなって言っただろうが!」

「笑ってないよ、まだ笑ってない――ックッ、アハハハハ!! ごめん、やっぱ無理だわ」

腹を抱えて笑うウィルの顔を、枕でポカポカとクロノが叩く。
しばらくして、ようやく笑いがおさまったのか、ウィルが向き直って、きわめて神妙な顔で、しかし頬を(笑いで)ひくつかせながら言う。

「心配しなくても大丈夫さ。まだおれたちは十四才だ。ほとんど過ぎたけど、まだ成長期は残っているからな。それに、生きてさえいれば可能性はある」

クロノも頬を(怒りで)ひくつかせながら、答える。

「いざ自分が言われるとすごく不快な台詞だな。よくプレシアは怒らなかったものだ。
 ……そう言うウィルこそどうなんだ」

ウィルは両手を肩まで上げるという、大げさな身振りをする。

「好いた惚れたとは無縁の生活だよ」

「本当か? クラナガンで女性と一緒にいるのを見かけたと聞いたが」

「どんな人?」一瞬ぎくりとした顔をした後、平静を装いながらウィルはとぼける。

「たしか……茶色がかった長髪で、眼鏡をかけていたとか」

「…………オーリス姉さんのことじゃないかなぁ」

ウィルの義姉、オーリス・ゲイズはもうすぐ二十歳を迎えようという才媛で、父のレジアスと共にミッドチルダの管理局地上本部に勤めている。クロノも直接会ったことは数えるほどしかないが、たしかに特徴と合致するような容貌だった気がする。
しかし、容貌に合致するものなどいくらでもいる。クロノはさらに追求しようとするが、ウィルの顔が突然真剣になる。

「まだ一人聞いてなかった人がいるな。
 プレシアの容体は?」

「……彼女もまた無理のしすぎだ。フェイトと違って肉体的なダメージはそれほど受けていないが、回復には時間がかかる。それに……」

クロノは言葉につまる。犠牲者が出なくて良かったと言ったが、それは間違いかもしれない。

「それに、彼女は病魔に侵されていたようだ。肺に悪性の腫瘍が見つかった。断定はできないが複数の臓器に転移している可能性も、かなり高い。
 この船の医師は、僕の父さんが現役の頃からのベテランなんだが、その人の見立てだと、もうどうやっても取り返しがつかないレベルらしい。頑張っても……一年もつかどうか」

次元航行艦船の船医は優秀なだけでなく、様々な世界の病気に通じていなければなれない。事件で立ち寄った先の世界で、その土地独自の病気に感染した時に、その治療ができないようでは片手落ちだから。
そんな人物が言うのであれば、その言葉は十中八九正しいと思って良いだろう。

ウィルは、そっか、と呟くと、目をつぶった。二人とも何も話さず、ただ時間だけが流れる。
しばらくして、ウィルはようやく口を開いた。

「生きていればいくらでも可能性はあるけど、生きられなきゃ、どうしようもないか。
 時の庭園とアリシアの遺体はどうするつもり?」

「本局に増援を要請した。アースラと入れ替わりにやって来るその部隊が調査をおこなって、その後はひとまずかつて存在していたミッドの郊外に戻されることになる。そこから先はプレシア次第だ。
 アリシアの遺体もそうだな。死体をどのように扱うかまでは、管理局がとやかく言うことじゃない」

死体の埋葬方法は世界によって大きく異なる。そして、埋葬方法にはその人の価値観、文化、風習が大きく表れるため、管理局のような異なる世界の者たちがそれに口を出しすることはタブーとされている。
一応、死体を使った実験はどの世界でも禁じられているが、プレシアはアリシアを腐敗しないように保存していただけ。管理世界の中にはエジプトのミイラのように、死体に特殊な加工を施して保存する民族も存在することに比べれば、きわめて常識的と言える。
結局のところ、どちらもはプレシアの胸先三寸で決定する。



「さてと、邪魔したね。そろそろ帰るよ」

聞きたいことを聞き終えたのか、ウィルは立ち上がる。

「待ってくれ。僕もきみに聞きたいことがある。」

そのまま扉に向かうウィルを、クロノが呼びとめる。

「プレシアとの会話のことだ。……きみはまだ、復讐がしたいと思っているのか」

「当たり前だろ」

何のてらいもなく、当然のようにウィルは答えた。クロノはしばしの逡巡の後、思いきって提案する。

「それなら、アースラに来ないか? 地上よりも海の方が闇の書の担当になる可能性は高い」

「遠慮しておくよ。うまく担当になれれば良いけど、そうなる可能性は低い。それに、余所が担当になって自分のところが長期航海中だったら、船を下りて向かうこともできない。地上なら非合法な手段を使えば、たとえ管理外世界にでも駆けつけることができる。
 どうして突然そんなことを言い出すんだ? 親父の養子のおれを囲ったりなんかしたら、リンディさんの立場が悪くなることくらい、わかっているはずだろ」

「不安なんだ。……きみがプレシアのように暴走してしまうんじゃないかって」

その言葉を、ウィルはありえない冗談を聞いたかのように笑いとばす。

「だから自分の目の届くところに置いときたいってのは、友達でもちょっと過保護すぎるよ。
 安心しろよ。プレシアとおれは似てはいるけど、根本的なところで違っているから。プレシアの行動は大勢の犠牲を出すものだったけど、おれは違う。復讐なんて言っているけど、やること自体はクロノたちと同じさ。世界の敵、邪悪なロストロギアを破壊する。もう二度と転生しないように、完璧に、完膚なく」

正義感からの行動も、復讐心からの行動も、やることが同じなら何も変わらない。そうウィルは嘯く。
クロノはその言葉を否定できなかった。ただ反論するだけなら、いくらでもできる。たとえば、ウィルが憎しみのあまり周囲の被害を考えずに滅ぼそうとする――とか。しかし、クロノは同時に知っている。この友人はそんな短絡的なことはしない。
彼なら極力被害を減らそうと努力するだろう。そして、これ以上減らしようがない――どうしようもなくなった状態になれば、ためらわずに切り捨てる。
それを否定することはできない。そんな状況では、管理局も同様の判断をするだろうから。

「だから、クロノ」

迷っているうちに、ウィルはクロノに歩み寄っていた。ベッドに片手をつき、吐息がかかるほど近くまで、顔を寄せる。相手の瞳に映る自分、さらにその瞳に映る相手を見ながら。

「もし、クロノが担当になったら、必ずおれに教えてくれよ」

そう告げると、ウィルはクロノから離れて、扉を開けて部屋を出ようとする。その直前、クロノの方を振り返る。

「それじゃ、おやすみ~。寝る前にちゃんと歯は磨けよ」

いつものような微笑みを残し、扉は閉じた。


  *


時は少し未来の話になる。アースラが本局に戻る航路の途中。

「そういえば、どうして一言も話さなかったんですか?」

リンディがエイミィと二人でお茶を楽しんでいる時、ふと思い出したかのようにそう尋ねられた。
何のことを言っているのかわからずに、リンディは首をかしげる。そして、その間に口に含んでいた羊羹を緑茶で流し込む。

「ほら、なのはちゃんがブリッジに来た時のことですよ。自分たちも行きたいって言っていた時」

それでエイミィが何を尋ねたがっているのかを理解した。
たしかに、あの時リンディはなのはの対応をするクロノに任せ、何も話さなかった。そして、最終的になのはに対する方針の決定をクロノに一任させた。きっと、そのことを聞いているのだろう。
もう一度緑茶を飲むと、リンディは語り始める。

「こういった仕事をしていると、多くのものを天秤にかけなきゃいけない時が来るわ。部下と他人。秩序と命。天秤にのせるものはいろいろあるけれど、指揮官は自分の判断で、どちらが重いのかを決めないといけない。
 あの時も、そんな状況だったと思うのよ。なのはちゃんの提案を受け入れれば、時の庭園の構造を知ることができる。作戦の成功率は高くなって、武装隊の被害も減るかもしれない。でも、そうすればなのはちゃんとユーノ君、アルフさんの三人を連れていかなければならない。三人を危険にさらすことになるわね。
 作戦の効率と、民間人の安全――エイミィはどちらを優先するのが正しいと思う?」

エイミィは机に突っ伏して、そのまま動かなくなる。そのまましばらく、う~んとか、む~などといった唸り声を発した後で、顔を上げて答える。

「私なら安全をとります」

「それは、それが正しいとおもったから?」

「いえ、単に子供が危険な目に合うのを見過ごすのが嫌なだけです。私たち大人が傷つくことを恐れているようじゃ、誰も管理局を信用してくれませんから。
 ……って、これ、やっぱり間違ってますよね? 武装隊の人にとっては迷惑ですし、クロノ君はその逆の決断をしたんだし……」

リンディはにっこり笑うと、首を横に振った。

「いいえ、それでいいわ。そもそも、こういった答えに間違いも正解もないの。ただ、選んだという事実と、それが引き起こした結果が存在するだけ。
 大事なことは、自分で決断すること。そして、その結果に責任を持つこと。なのはさんには悪いけど、それをクロノに経験させたかったから口を出さなかったのよ。どちらを選ぶにしても、それがこれから先、クロノの決断の一つの指針になると思ったから。
 だけど……」

リンディの顔から笑みが消える。そして、頬に手を当て物憂げにため息をつく。
そのもくろみは完全に失敗したから。

「ウィル君が場をかき乱して、うやむやのうちに決まっちゃいましたよね」

「そうね。あれでは、自分から決めたとは言い難いわ」

二人とも苦笑する。お膳立てをしたつもりが、テーブルごとひっくり返されたようなものだ。

「あはは。でも、あんな話をされたら、断れないですよね」

「そうでもないわ。……というよりも、ウィル君はなのはちゃんのことはどっちでも良かったように思うのよ。
 彼にとっては、アルフさんをエイミィのところへ行かせて、自分の同行をクロノに許可してもらうまでが目的だったんじゃないかしら」

リンディの言葉に、エイミィが首をかしげる。

「そもそも、わざわざあの話をする必要があったのかしら? ウィル君が本来アースラにとって部外者だとしても、私は彼をアースラの予備戦力として組み込んでいる以上、あの時のウィル君は間違いなくアースラの一員よ。そして、あの状況では少しでも人手が欲しい。あの話をしなくても、きっとクロノは許可したはずだと思わない?」

「え、ええ……確かにそうですね」

思い返してみれば、クロノはウィルの提案には渋い顔をしていたものの、なのはの時とは異なり、断ろうとはしていなかった。それなのに、ウィルは自分から勝手に話し始めた。

「それなのに、彼はわざわざ心情を吐露するようなことを言って、情に訴えたの。
 となると、あの話はクロノに向けたものじゃなくて…………これは単なる推測なのだけど、あれはなのはさんたち――その中でも、特にアルフさんに向けたものだったと思うのよ。
 私たちは時の庭園の情報を知りたい。でも、クロノが同行を許可しなければ、アルフさんは教えてはくれない。最善はアルフさんから情報を聞き出して、そして同行させないこと。でも、そんなことをすればアルフさんは怒るわ。もしかしたら実力行使にでるかもしれない。
彼はまず自分が説得するからと言って、アルフさんを動かした。この時点で時の庭園の情報は手に入るわね。でも、この後でクロノが許可しなければ、やっぱりアルフさんは怒りだす。その場合、怒りの矛先は管理局ではなく、信頼を裏切ったウィル君に向くことになる。
 でも、彼は自分の過去と思いを話すことで予防線を張った。アルフさんはウィル君の、自分が説得するって言葉を信じるくらいには、彼のことを信用していた――そして、そのウィル君が自らの重い過去を語ってまで説得をした。
 たとえその結果、説得に失敗したとしても、それでウィル君を責めることがアルフさんにできるかしら」

「それは……無理でしょうね。彼女、見たところ情が深い性格みたいだし」

「後はクロノに念話で作戦の内容を伝えて、断らせれば完璧だったのだけど……それをしなかったのは、彼自身はどちらに転んでもいいと考えていたからでしょうね。
 というのが、私が考えたウィル君の意図なのだけど、友達としてはどうかしら? 彼はそういうことをする人?」

「たしかに、ウィル君ならそんな風に考えていてもおかしくありません。
 ……あ、でも友達として付け加えておくなら、それはきっとクロノ君にアルフさんの怒りの矛先が向かないようにしたんだと思いますよ。あの二人、特に仲が良かったから。もう男色の気があるんじゃないかってくらい」

「そうなの!?」驚愕に湯のみをとり落とすリンディ。

「そうです!」力強くうなずくエイミィ。

エイミィはクロノとウィルが聞いたら憤死するようなことを言う。
リンディとエイミィは本題を忘れ、ひとしきりそんな話題で盛り上がった後、ふとエイミィが我に返る。

「あれ? もしかして、あれが作戦ってことは、あの話はとっさの作り話なんでしょうか? とてもそうは思わなかったんですけど」

「それは……どちらともいえないわね。本人に聞いてみないと」

そうエイミィに答えながらも、リンディは明確に答えを出していた。
あれは作り話ではない。きっと心からそう思っていた。

そして、だからこそ怖い。

策自体はクロノでも考え付くだろう。でも、クロノは実行できない。自分の過去をみだりに話すことに抵抗感があるという、一般的な感性を持っているからだ。

だが、彼は違う。
自分の過去。今の自分に繋がるもっとも大きな部分。心の底を策のために、知らない人も大勢いるブリッジで堂々とさらけ出す、その精神性。
自分の心さえ、道具(ツール)の一つとみなしている。
大事な状況でそれをするのならまだ理解できる。しかし、彼は最終的にその策が成ろうが成るまいがどちらでも良いと思っていた。
そんなどうでもいいことのために自分をさらけ出せるというのは、あきらかに普通ではない。

ああいうタイプの人間は二種類にわかれている。
一つは、何にも価値を見出していない人間。いきすぎた虚無主義者(ニヒリスト)のような人種。
少なくとも彼はこちらではない。このタイプ特有の乾いた感じがしないからだ。
そしてもう一つは、ただ一つの揺るがないものを持っているがゆえに、それ以外のすべての価値が相対的に低い人間。
悲しみもする。笑いもする。何かを慈しむ気持ちもあれば、愛する気持ちもある。過去を思い、現在を憂い、未来に希望を抱く。しかし、たった一つの大切なものが大きすぎるせいで、それ以外のものがどんぐりの背比べにしかならず、優劣が付けられなくなっている。
愛する者や自分の過去も、その他の感情と大して変わらない。だから、必要とあれば簡単に捨てることができる。
このタイプに該当するのは、狂信者やいきすぎた愛国主義者、そして『復讐者』

危険――危ないのではなく、危うい。

(クロノが気にするわけね……あの子には、放っておけない危うさがあるわ)


  **


時は遡り、時の庭園突入の翌日、日曜の夕方。
人気がなくなるのを待ってから、ウィルとなのはは海鳴の臨海公園に転送された。ユーノは何か自分にできることはないかと言って、アースラに残ってクロノの作業を手伝っている。クロノにいろいろと言ってしまったことの謝罪も兼ねているらしい。立派だ。

バス停の前を通りすぎる。時間が遅いので、もうバスは運行していない。
なのはと一緒に、なのはに合わせてゆっくりと歩く。この調子だと、翠屋に着くのは閉店時間ぎりぎりだろう。
夕日は沈み、街灯に明かりが灯る。
街並みはこの世界に来た時と変わらない。ジュエルシードのせいで壊れたビルや噴水も、完全ではないが以前と同じように復元され始めている。ウィルたちがもたらした変化は、この街にとってはなんでもないことで、やがて時間とともに飲み込んで全て消えてなくなるのだろうか。
それは仕方がないことだ。もともとこの世界にとっては異物なのだから。

「今まで御苦労さま。後始末は大人たちの仕事だから、今はその体をゆっくりと休めて……」

歩きながらそうなのはに話しかけるが、全く返事が返ってこない。横を見ると、なのははまったく周囲を見ずに、うつむきながら歩いている。

「なのはちゃん?」

呼びかける声は届いていないようで、なのははそのままとぼとぼと歩き続けている。試しに止まってみたり、走り出したりしてみるが、やはりウィルの行動には気が付いていない。
前方を見ると、なのはの進行方向に電柱が直立していた。
後ろからなのはの襟を掴む。
それでようやくなのはの歩みは止まった。その代わり、少し首がしまったせいで、きゅうとかわいらしい驚き声を出していたが。

なのはがこんな風になっている原因は、ウィルにも予想がつく。

「フェイトちゃんのことなら、気にしない方が良いよ」

なのはは、フェイトの状態を聞いてからずっとこんな感じだ。よりによって、自分が友人を傷つけてしまったことがショックなのだろう。

「でも……」なのははウィルを見上げる。その瞳は、今にも泣き出しそうだ。

「たしかになのはちゃんの砲撃が原因だけど、責任と原因は違うよ。酷な言い方かもしれないけど、フェイトちゃんが傷ついたことに対する責任は、要請に従わなかったフェイトちゃん自身か、彼女の保護者兼事件の首謀者のプレシアにある。
 なのはちゃんのやったことは間違っていない」

「でも、私がもっとうまくやっていればフェイトちゃんはあんなに傷つく必要なんてなかった。それに、最初から私が戦っていたら武装隊の人たちだって……」

「それは自惚れだよ。武装隊は、何年も訓練を続けてきたプロだ。いくら才能があるといっても、素人のなのはちゃんが加わっても足手まといにしかならない。
 それに話を聞いた限りだと、収束砲撃は威力は大きいけど隙も大きい。きっと、その状況でなかったら発動する前に止められていただろう」

「でも、でも、私があとほんの少しでも丁寧に魔法を組んでいたら! あの時、ただフェイトちゃんを止められるような強い魔法を撃とうってことしか考えてなかったの! それでフェイトちゃんが傷つくとか、全然考えてなくってっ!!」

なのははついに泣きだす。両手を顔に当てて堪えようとしているが、あふれ出る涙は指の間を通り、腕を滴り落ちていく。
ウィルはすぐに結界を張る。なのはが人目を気にせず泣けるように。思いきり泣けば、少しは心が楽になるから。

近くの植え込みを囲むブロックになのはを座らせ、ポケットのハンカチを渡す。そして、なのはの背をさすりながらウィルは心の中で述懐する

(非殺傷設定について、正確に教えてなかったのは、おれとユーノ君の責任だよ。こんな言葉で許されることじゃないけど、うっかりしていたんだ。おれたちの世界だと、あまりにも常識すぎたから)

口に出さないのは、その言葉はウィル自身に責任があると言う内容だから。なのはに責任を感じてはいけないと言いながら、ウィル自身が自分に責任があると、自分を責めることを言うようでは矛盾している。


なのはの魔法でフェイトが傷ついた最大の原因は、なのはが非殺傷設定についての正確な知識を持っていなかったからだ。
非殺傷設定という名称ゆえに、絶対に人を傷つけないと勘違いしまったのだろう。
そんなはずがない。傷つけずに倒すなんて都合の良いものは幻想だ。
魔法とは不可思議な力によって引き起こす奇跡ではなく、れっきとした技術であり、物理現象だ。この広大な宇宙のどんな場所でも、たとえ世界が異なったとしても、物理法則は変わらない。そして、それは蝶のはばたきが竜巻に引き金となるように、森羅万象は互いに関わりを持っていることを示している。

魔法は物質に影響を及ぼすことができる。いや、むしろその姿こそが本来の形だ。
砲撃は壁を貫くことができるし、魔力で肉体を強化することも、魔力を雷や炎のようなものに変換することもできる。
非殺傷設定と言うのは、魔力や魔力素のみに働きかけるようにすることで、物質に対する影響(物理ダメージと呼ばれる)を極力減らそうとする技術のこと。
しかし、影響を完全になくすことなどできない。しかも、どれだけ影響を小さくできるかは、魔導師本人の魔法構成に頼る部分が大きい。

とはいえ、普通の魔導師なら多少の構成の甘さは問題にならない。
よくできた魔導師が、百の威力の魔法による物理ダメージを一に、つまり本来の一パーセントにまで軽減することができたとする。
同じような威力の魔法を別の未熟な魔導師が行使したとする。構成が甘くて、物理ダメージが三までしか軽減できなかった。
その差は三倍。しかし、両者の与える影響はさほど変わりない。もともとの威力が低いから。

しかし、なのはのような高い魔力を持つ魔導師では、ほんの少しの構成の甘さが決定的な差となる。むしろ普通の魔導師よりも気を使わなければいけない。
なのはの魔法が千の威力を持っていたとすれば、よくできた魔導師と同じように一パーセントまで下げる程度の魔法構成で満足してしまえば、その物理ダメージは十。もし構成が甘ければ二十、三十――非殺傷設定でも、人を傷つけてしまう。
ましてや収束砲撃となれば、その威力は万に届くことも――

これらのことは、ミッド式の魔導師にとっては常識以前の当たり前な知識。
しかし、なのはは知らない。ウィルたちがそこまで教えていなかったから。
なのはは、魔法と共に生きていくには当たり前の常識が足りていなかった。

なのはが魔法の力をどう思っていたのか。それはウィルにはわからない。だが、これまでの行動を見る限り、何かしらの明るい印象を持っていたように思う。まるで、救いや希望のような。
しかし、今回のことで、なのはは理解してしまった。魔法の力が危険な凶器になり得るということに。そして、その凶器を友達に向かって振り下ろしてしまったことに。
きっと、この心の瑕(きず)が消えることはないだろう。

なのはが泣きやむまで、ウィルはその背をさすり続けた。


泣きやんだなのはの顔を、ハンカチ――は濡れすぎていて意味をなさないので、ポケットティッシュで拭いながら、ウィルは質問をする。

「そういえば、こっちの学校って、季節の変わり目に長期休暇があるらしいね。今度はいつになるの?」

なのはは時折しゃくりあげながらも、その質問に答える。
後二月半で夏休みになり、それは一月以上続く長い休みだということ。

「じゃあ、その時にミッドチルダに来てみない?」



「――ということを、なのはちゃんに提案してみたんです」

客がいなくなった翠屋の席に座って、ウィルと士朗は話をしていた。テーブルには士朗がいれてくれたコーヒーと、残り物のスイーツがのっている。

話の内容は事件の経緯、帰り道でのなのはのことを経て、先ほどのウィルの提案に移っていた。
なのはをミッドチルダに連れて行く。そして、魔法の使い方やあり方を学ぶ。
魔法学校か管理局の訓練校のどちらかに体験入学するのが良いだろう――というところまで、士朗に話す。

「なるほど。たしかに、これからも魔法と付き合っていくなら、遅かれ早かれちゃんとした場所で学んだ方が良いだろうね」

「実現するのであれば、おれも休みをとって同行するつもりです。ただ、滞在期間中ずっとというわけにはいかないので、その辺りは信頼できる人――ユーノ君に、なのはと一緒に入学してくれないか頼んでみるつもりです。
 ただ、やっぱり家族と離れるのはなのはちゃんにとっても心細いと思うので、士朗さんもついて来てくださっても構いませんよ。高町家全員の分の渡航許可ならとれると思いますから」

「異世界か……行ってみたいのはやまやまだけど、長い間店を閉めるわけにはいかないからね。恭也か美由紀にでも頼むことになるかな。
 ところで、ウィル君はいつこちらを発つ予定なんだい?」

「まだ決まっていませんが、おそらく一週間以内には」

「そうか……寂しくなるね。でも、もう二度と来れないってわけでもないんだろう?」

その言葉に、なのはと出会った日にはやてとした会話を思いだす。この事件が解決したら、もうこの世界に来ることはない――そんな風なことを言った。だが、あれから大きく状況は変わってしまった。

「最初はそのつもりだったんですけどね。いろんな人にばれてしまいましたし、ここまで大ごとになったからには、管理局も事後処理と情報の隠蔽のために定期的にこの世界を訪れることになります。
 おれも関係者ですから、申請さえすればその船に乗ってここに来ることもできます。だから、また翠屋の甘味を味わいに来ますよ」

「その時は歓迎するよ」

泣いたなのはのことを伝えたばかりなのに、士朗はウィルのことも気にしてくれている。そのことが嬉しかった。
しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。まだ用が残っている。

「そろそろおいとまします。もう一軒寄って、このことを伝えないといけませんから」

「そうか。外はもう暗いから気をつけて……って言葉は、きみには必要ないか。
 これまでお疲れ様。それから、この街を守ってくれてありがとう」

そっとカップに口をつけ、残っていたコーヒーを飲み干す。冷めたコーヒーが妙に温かく感じた。
底に溶けなかった砂糖がたまっていたのだろう。
海鳴のコーヒーは甘い。


  ***


ウィルは一軒の住宅の前に立っている。実際は出て行ってから一週間もたっていないが、ずいぶんと久しぶりなようにも感じる。
リビングには明かりがついているので、不在ということはないだろう。

「さてと……緊張するなぁ」

そして、ウィルは八神家のインターホンを押した。



(中書き)
無印編は、次回でひとまず終わります



[25889] 最終話(後編) わたしの言葉が届きますように
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/07/25 23:25
「来るんやったら前もって連絡くらいしてくれたらよかったのに。
 晩ご飯は食べた? まだやったらありあわせのもので何か作るけど」

「それは嬉しいね。お言葉に甘えるよ。翠屋でお菓子をいただいたんだけど、あんまり腹に溜まらなくて」

ウィルは遅めの夕食をいただきながら、テーブルの向い側に座っているはやてにこの数日のことを語った。フェイトの秘密やプレシアの目的といったあまり愉快でないことを省いたので、あっと言う間に終わってしまう。そこで、アースラでの生活やクロノやエイミィといった友達のことも話した。
食事を終えるころ「それで、これからのことなんだけど」と、ウィルは話題を変えた。その時、はやての表情が少しだけ曇る。しかしすぐに元の笑顔に戻り、何事もなかったかのように「事件が終わったんやから、いつまでもいるわけにはいかんよね」と言った。

「そうだね。あと一週間もしないうちに、この世界を離れることになるよ」

「良かったやん。きっと、家族も心配しとる。はよ帰って元気な顔を見せんとあかんよ」

はやての顔は笑っている。言葉は元の世界に帰ることができるウィルを祝福している。だが、テーブルの上に乗っている腕がかすかに震えた。瞳も同じだ。
ウィルははやての顔を見て、はっきりと伝える。

「でも、はやてと会えなくなるのは寂しいよ」


はやてはウィルから視線をそらした。そして、ぎりっ――と、歯を噛みしめる音が聞こえる。小さな音だが、悲しみと怒りの詰まった大きな音だった。肩を震わせながら、はやては再びウィルに視線を合わせる。睨むような、すがるような眼だった。
初めて見る、はやての負の感情。

「そんなこと言わんといて。今までお互い、触れへんようにやってきたやん……別れるんやから、余計に悲しくなるようなことは言わんようにしてきたのに……なんで今になってそんなこと言うんよ!」

はやての瞳が大きく揺れ、悲憤の涙が目じりに溜まる。
これまでウィルは、はやてに無用な希望は与えないように付き合ってきた。いつか別れるからこそ、余計な期待を持たせないようにしてきたつもりだった。近づき過ぎれば、離れる時の痛みが増すから。それなりに日々を楽しく過ごし、最後は少し悲しくても、お互い笑いながら自分の世界に戻る――そんな小さな理想。それを抱いていたのはウィルだけではない。はやても同じで、だからこそ先ほども別れることの悲しさを見せず、ウィルが帰れることを祝福しようとしていた。
ウィルの一言はそれを破壊するものだった。惜別を表す言葉は期待を抱かせてしまう――もしかしたら、また会えるのではないか、と。引きとめる言葉をかければ、もしかしたら留まってくれるのではないかと。
今のウィルの目的は、これまでの関係の破壊だった。暗黙の取り決めを破棄するために、二人の距離感を破るためにここにいる。

はやての視線を受けながら、ウィルは話し始める。

「状況が変わったんだ。最初の頃と違って、高町家と月村家の人間にも魔法のことが知られてしまった。そして月村家は社会的に大きな力を持っているらしい。そんな人たちに知られてしまったからには、管理局も相応の対処をしなければならない。つまり、この街に与えた被害の補填と、真実を知った者たちへの監視をする必要ができたんだ。
 これから大人たちは、そんなことを話し合わなくちゃならないんだ。それはすぐに終わることじゃない。話し合いだけでも数ヶ月はかかるだろうし、監視にいたっては最低数年間はおこなわれる。そのために管理局は定期的にこの世界を訪れることになるだろうね。
 そして、最初から最後までこの事件に関わったおれは、少なくとも管理局の他の人たちよりはこの世界の人たちのことを知っている。だから、申請すればまたこの街に来ることもできると思う」

「えっと、それって……また会えるってこと?」

ウィルはほほ笑みを返すと、一月の間にすっかり使いなれた箸を置き、カップの茶を飲み干す。

「ごちそうさま。食器はおれが洗っておくよ。話してたいことはまだあるから、先にリビングに行って待っていて」


ウィルは自分の使った食器を洗い、はやての分と一緒に乾燥機に入れる。
一足先にリビングで待っていてくれたはやてのもとへ行くと、その体を抱え上げてL字型のソファーに下ろし、自分もその横に座った。
はやては期待と不安が混じった目で、ウィルを見上げている。ここからが本番だ。自分の提案をはやてが受け入れてくれるかどうか。

「さっきは怒らせるようなことを言ってごめん。この上さらにもったいぶるようで悪いけど、少し昔話をさせてくれないかな?
 士官学校に入ってからのことは前に話したけど、それ以前のことは話してなかったよね。覚えてる?」

「うん、覚えてるよ。あんまりおもしろない話やって言うとったね。……話したないことがあるんやと思てたから、聞かんとてんけど……」

「おれは別に話しても良いんだけどね。聞かされる方は人の不幸話なんて聞いても面白くないだろうから話さなかったんだ。でも今は……はやてには聞いていてほしい。かまわないかな?」

はやてがうなずいたのを確認すると、ウィルはゆっくりと思いだすように話し始める。

「おれが生まれたばかりの頃から、順を追って話していこうか。
 そのころ、おれは親父の家に預けられることになったんだけど――」

「お母さんとは別居してたん?」

「そっか、そのことさえ話してなかったね。親父っていうのは、おれの本当の父親――こっちは父さんって呼んでいるんだけど――の親戚のおじさんのことなんだ。
 おれの父さんは、おれと同じように管理局で働いていた。ただし、父さんはおれと違って海で働いていたんだ。海と地上のことは前に話したよね。船に乗っていろんな世界を巡回しながら、近くの世界で事件がおこったら駆け付ける。そんな仕事だから一度船に乗ると何カ月も帰って来ることができなかった。しかも母さんはおれを産んですぐに亡くなっていたから、家にはおれ一人が取り残されることになる。だからおれはほとんどずっと親父の家で暮らしていた」

「お父さんと会えなくて、寂しなかった?」

「寂しくなかった……って言ったら間違いだけど、親父たちはとてもよくしてくれたからね。二才以下の記憶なんてほとんどないから、預けられてすぐの頃はわからないけど。
 親父やその周りの人たちは、父さんのことをよく教えてくれた。いろいろな武勇伝も聞いたし、どれだけ立派な人だったのかってこともたくさん教えてくれた。今になって思えば、おれが父さんのことを恨んだりしないように気をつかってくれたのかもしれない。
 だから、当時は放っておかれたなんて、全然考えなかった。父さんは世界のために戦っている立派な人、正義の味方だって尊敬していたよ。たまに帰ってきた時にはできる限りおれにかまってくれていたし。意識していなかったけど、あの頃は幸せだった……と思う」

懐かしむように微笑みながら、ウィルは目を閉じた。
流動的にころころ変わるその表情が、一瞬だが凍りついたように固まった。

「でも、おれが四歳の頃――今から十年、もうすぐ十一年前になるかな――父さんが任務中に亡くなったんだ」

そっけなくそれだけを言う。何があったのかはやてが聞く前に、ウィルはその先を続けた。

「それからおれは親父の養子になった。でも悪いことは続くもので、その後すぐにテロにあったんだ。爆発物によるもので、それはもうひどい怪我だったらしい。一緒にいた親父の奥さんは助からなかった。でも、おれはなんとか一命を取りとめた。きっと、おれが魔導師だったから助かったんだと思う。
 それでも怪我はひどかったらしい。瀕死の重傷――たとえ生きていても、二度とまともに動けないだろうってくらい。
 でも、おれはこうしてぴんぴんしている。なんでだろうね?」

謎かけにもならない問い。答えなんて決まっている。だからはやてが答える前に、ウィルは続きを話す。

「治療してもらったんだ。親父のコネで、優秀な人を紹介してもらった。医者じゃないけど、優秀な――天才としか表現できないような人だった。変わり者で、絵に描いたようなマッドサイエンティストだけど、おれにとっては恩人で、人生の師だ。
 その『先生』のおかげで、おれは今みたいな健康体に戻ることができたんだ」

ウィルは手は無意識に首元のネックレスを――待機状態のハイロゥを触っていた。これも先生が作ってくれた物だから。
はやての顔は凍りついたように止まっている。ウィルの過去には、信じられないほど魅力的な言葉がころがっていたから。動けないものが動けるようになる、なんて。

「と、実例を持ち出したところで、おれからはやてに提案したいんだ。
 次元世界の医療技術はほとんど全ての分野で地球の先をいく。それに地球にはない魔法的なアプローチの仕方もある。この世界では治せない病気だって、向こうではそうじゃない。それに一般的な病院では無理でも、先生みたいに個人で特別な技術を持っている人もいる。

  だから――おれの家族にならないか?」

「家族に……って、なんでやねん!!」

はやての左手が肘を中心として、円を描くように左後方に動く。左手の甲がウィルの胸を叩く。お手本のようなツッコミ、ツッコミ・オブ・ザ・ツッコミ。


「…………そうか、やっぱり駄目だよね。おれなんかと家族なんて。
 想像していたけど、これはショックだ。怒られても良いから、アースラまで飛んで帰りたい」

「え?……いやいやいや! 違うねん、これはそういう意味と違うんよ!! 単に内容が予想してたのと全然別やったから……普通、そっちの世界の病院で検査してもらわないか、とか、そんな感じやと思ったからで、別に提案が嫌なわけやなくって!?」

「ほんとに?」

「ほんまに!! でも、家族にって……も、もしかして、プロポーズ!?」

「それはまた、すごい勘違いをしてるね……管理外世界の人を治療のためだけに長期滞在させることはできないから、いっそ親父に頼んで我が家の養子にしてもらおうかと思ったんだよ」

「あ……妹ってこと」

「そうだよ、いくらなんでも十に満たない子にプロポーズはしないって。あ、でもゲンジ・ヒカルはそんな人だっけ? もしかして、この国だと意外と普通?」

「それは時代が違う!」


閑話休題
はやてはウィルの提案を二つ返事で受け入れてくれた。なら次は、提案のデメリットについて話さなければならない。

「でも、養子になったら管理世界に住んでもらうことになるから、この世界にはなかなか戻って来れない。この世界の人――なのはちゃんやすずかちゃんともめったに会えなくなるよ。それでも良いのか、よく考えてほしいんだ」

「私な、不安に思てたことがあったんよ。これまで、ウィルさんとは仲良くやれて来たと思う。でも、それは単に自分の孤独を癒してくれる人が欲しかっただけで、別にウィルさんやなくてもよかったんやないかって……そんで、ウィルさんも住む場所が欲しかっただけで、私なんかどうでもよかったんやないかって。
 そやけど、自分の気持ちが最近になってようやくわかった。ウィルさんがこの家を出てった時、すごく寂しかった。ウィルさんがおらんようになっても、なのはちゃんにすずかちゃん、アリサちゃんがいるはずやのに。
 だから、みんなも大切やけど、何よりもウィルさんにいてほしいんやって、気付いてん」

はやてはウィルにさらに近寄る。そして、ウィルの袖をぎゅっと握った。今更に自分の発言が恥ずかしくなったのか、顔はうつむいている。髪の間からのぞく耳は、とても赤かった。

「ありがとう……なんか、照れるね」

ここまではっきりと気持ちを告げられると、恥ずかしさと嬉しさでウィルの顔も赤くなってしまう。

「ウィルさんはどうなん? なんで、私にそこまでしてくれるん?」はやてはうつむいたまま、尋ねる。

「理由はいくつかあるんよ。打算的な理由がないわけじゃない」

恩を返したいとか、魔法のことを知った者を管理外世界から減らしたいとか、自分と似た境遇の子を放っておきたくないとか。

「でも一番大きな理由は、はやてに幸せになってほしいって、そう思ったから」

言った途端、ウィルも恥ずかしくて顔が赤くなる。狼狽しているところを見られたくなくて、ウィルは自分にもたれかかるはやての頭をなでた。
「ありがとう」と小さくはやてが呟く。お互いにまともに相手の顔を見ることができず、しばらくそのままでいた。



ウィルは靴を履き、玄関まで見送りにきたはやてに向き直る。

「それじゃあ、今日はこれで帰るよ」

「泊っていかんの?」

「友達が事件の後始末に追われていて、ユーノ君もその手伝いをしているんだ。おれ一人だけゆっくり外泊していたら、帰った時が怖い」

「友達を手伝いに帰るって、素直に言うたらええのに」

はやての生温かい視線から逃れるために、ウィルは話題を変える。

「移住の許可が出るには半年ほどかかると思うから、もう一度良く考えてみて。気が変わったら、その時は言ってくれ。ことわったら悪いとかは気にしないで良いからね」

管理外世界からの移住ゆえに管理局本局へ、そして移住先のミッドチルダの管理局本部に申請する必要がある。両方から許可が下りるには数ヶ月はかかる。なのはのように高い魔力を持つのであれば、いろいろと裏技も使えるのだが。どこをどう見てもはやては一般人だ。まっとうな方法をとるしかない。

「そやね。グレアムおじさんにも説明せんとあかんし。どうしよ……異世界に行くなんて、言えるわけないし……」

悩むはやての頭をもう一度なでると、ウィルは八神家を出ていった。


ウィルの姿が見えなくなってから、はやては食器棚からカップを一つ持ってきて、部屋に戻った。
ウィルのマグカップ。彼を思いださないように捨てようと思っていた。もうその必要はない。むしろ希望の象徴だ。
それを机の上に置くと、その底にペンで字を書く――また会えますように――と。
翠屋でなのはが言っていたおまじない。聞いた時は馬鹿にしていたが、今なら信じられる。

そして、はやてはカップを部屋の棚に置いた。毎朝、毎晩、見ることができるようにと。
その横には、鎖のかかった古びた本が置かれていた。


  *


しんと静まりかえった部屋にベッドが一つ。隣にある小さな机とドレッサーをはじめとして、室内には生活をするために必要なものが一通りそろっている。必要な物を運んできてもらい、不要な物を持ち去ってもらえれば、部屋から一歩も出ずに生活することもできるだろう。まるでホテルの一室のようだ。
ここは監視が必要な者――回復途中の怪我人や拘束するほどではないと判断された犯罪者、あるいはその両方――のための部屋。
そして今はフェイトのための部屋。アースラが地球を離れるまでは、逃亡を防ぐためにこの部屋を出ることはできない。必然的に、誰かがフェイトに会うためにはこの部屋に来てもらわなくてはならない。

これから会いに来る者が一人いる。フェイトに会いたいと面会を望むものは何人かいたが、許可が出たのはつい先ほどのことだった。
出航の数時間前に、限られた時間の面会。さらに会うことができるのは一人だけ。


扉が開く音がする。フェイトと同じくらいの背丈の少女――なのはが、部屋に入って来た。扉の外には武装隊員が立っている。妙な行動をすれば、彼らは二人を取り押さえるだろう。
だが、フェイトには何かをする気はまったくない。ベッドで上半身を起こしているだけで、入って来たなのはを一瞥さえしない。そういった動作をおこなうだけの関心を外界にもっていない。

なぜなら、フェイトは知ってしまったから。自分が本当の子供ではないこと。アリシアという名前の、プレシアの“本当”の子供の“模造品”でしかないこと。プレシアとの大切な思い出も、いったいどこまでが自分の記憶なのかわからない。
何も考えたくない。心の中の出口のない迷宮をただぐるぐると回り続けることにも疲れ、フェイトは思考することさえ放棄していた。

なのはもまた、しばらくの間は椅子に座ったまま何も言わなかった。貴重な面会時間が無為に削られていく。
やがて思い切ったように立ち上がる。椅子が倒れて、大きな音をたてた。その音も耳に入っていないのだろう。なのははフェイトに頭を下げて、ごめんなさいと謝った。

その言葉でフェイトの意識は思考の牢獄からほんの少し逃れる。フェイトには、なのはの言葉の意味がわからなかったから。

「なんで?」

フェイトが絞り出すようにして出した声は、その一言だけだった。呟くような小さな声。

「わ、わたしのせいで、フェイトちゃんにひどい怪我をさせちゃったから」

泣き出しそうになりながら、なのはは懺悔する。今度こそフェイトの意識ははっきりと現実に引き戻された。目の前のなのはが、あまりにも的外れなことで悲しんでいると感じたから。

「そんなこと、なのはが気に病むことじゃないよ」

「そんなことない! そのせいでフェイトちゃん、もう何日も目が覚めなかったんだよ!」

「それは私のせいで、なのはのせいじゃない。……それに私なんか、管理局の人たちとユーノに怪我させちゃったんだよ!」

なのはに罪があるなら、三人も傷つけた自分はどれほどの罪を背負わねばならないのか。もしかすると、今の苦しみこそが自分に与えられた罰なのかもしれない。
しかしなのははその言葉を否定する。

「それとこれとは別だよ! だからって、フェイトちゃんを傷つけていいわけがない!」

「なのはに撃たれる前、私はなのはを倒そうとしていたんだよ……たとえなのはの攻撃で私が死んでも、正当防衛みたいなものだよ!」

「なんてこと言うの!? 死んでもなんて、簡単に言わないでよっ!」

互いに相手の意見を否定し合う。互いに内罰的なために実現する、責任のなすりつけ合い――ならぬ奪い取り合い。
対話ではなく、相手に自分の考えを叩きつける。進展のない不毛なやり取りが続き、互いに感情だけがヒートアップする。その無為な行動を止めたのは、外部からの声だった。
ベッド向かい側にある大型のディスプレイが自動的に点灯し、少年の顔を映し出す。
そこに映ったクロノは表情を変えずに注意する。

『きみたち、もう少し静かに面会できないのか』

面会の様子はモニタリングされており、クロノは別室からリアルタイムで監視をしていた。
最初はお互いに小さな声から始まった二人の会話は、エスカレートしていった結果、部屋中に響くような大音声になっていた。さすがに放置できない。

『面会時間には限りがある。お互いに言いたいこともあるだろうが、だからこそ落ち着いて話すんだ。ヒートアップしてはよくない』

『おれと口論の末、殴り合った奴の台詞じゃないよな』

画面外から誰かがクロノに話しかける声が聞こえた。

『うるさい、きみは余計なことを言うな! ……とにかく、落ち着いて話し合うんだ。あまりこんな言い争いが続くなら、面会を途中で打ち切らないといけなくなる。良いね?』

映像が消える。しかし、ディスプレイは点灯したままだ。ディスプレイのスピーカからクロノの声が聞こえてくる。

『まったくきみはどうしていつも! 茶化したい気持ちは百歩譲って受け入れよう! しかし仕事中に――

 『執務官! 映像のスイッチしか切ってませんよ!』

 ――しまった!』

どたばたとした音が聞こえたかと思うと、ぶつりと大きな音をたて、今度こそ完全にディスプレイの電源が落ちた。

なのはとフェイトは毒気を抜かれて、顔を見合わせる。二人の心が妙に澄んでいるのは、クロノたちの間の抜けた会話のおかげだけではない。先ほどの口論は不毛ではなかったようだ。大声を出したことは、内省的になっていた二人の心を楽にする効果があった。
なのははフェイトの顔を見ながら、一つ一つ言葉を選んで話し始める。

「……えっと、フェイトちゃんは自分のせいだから謝らなくていいって言うけど……わたしは、それは違うと思うの。どんな理由があっても、友達に怪我をさせちゃったんだから、謝るのは当たり前だと思うんだ」

「友達……私が?」

「あ、あれ? 友達……のつもりだったんだけど……もしかして嫌だった?」

フェイトは首を横に振る。嫌なはずがない。
でも実感がない。生まれてから今まで、友達はいなかった――いたのは母と師と使い魔。師は消えた。アルフは使い魔だから、根っこのところでは対等ではなかった。

「嫌じゃない……でも、今まで友達がいなかったから、友達がなんなのかわからない」

「友達がなにかなんて、わたしもよくわからないよ。でも、難しく考えなくてもいいと思うの。いっしょにお話しして、いっしょに遊んで、悩みがあったら相談して、困ったことがあったら助ける。まずは、それだけで良いと思う。
 フェイトちゃん。あらためて、わたしと友達になってほしいの」

フェイトへと、なのはの右手が差し出される。そのなのはの暖かな思いが、ありし日のプレシアと重なった。
なのはの手が救いに見える。地獄に垂らされた蜘蛛の糸のように、迷宮の出口に繋がるアリアドネの糸のように。
それにすがろうとおずおずと手を伸ばす。

――だめだ!!

フェイトはなのはに触れる寸前で、必死になって自分の手を止めた。
これではプレシアに怯えて、なのはに逃げ込んでいるだけだ。プレシアに会うのは怖い。もしも拒絶されたら――そう想像するだけで体が震える。自分自身に向き合うのも怖い。どこまで与えられた記憶なのか知らなければ、大切な記憶だけは与えられたものでないと、自分自身を欺くことができる。
でも、ここでなのはの優しさにすがりついては駄目だ。そんなことをしてしまえば、いつか絶対に同じことを繰り返す。なのはとの関係が悪化したら、恥もせずにまた新しい人にすがりつくだろう。

それに、自分は時の庭園でアルフに告げた。たとえプレシアが自分を見てくれなくても、自分がプレシアを好きだから戦うのだと。だから、ユーノと武装隊の人たちを傷つけた。プレシアが自分の母親ではなかったからといって、今さらそれを曲げることはできない。そんなことをすれば、そんな薄っぺらい信念のために彼らを傷つけたことになってしまう。

たとえ存在を否定されることが怖くとも、フェイトはプレシアと向き合わなければならない。
だから“すがりついてはいけない”

フェイトは、差し出されたなのはの手を“掴む” そしてなのはの顔を見ながら、言った。

「相談したいことがあるの。聞いてくれる?」

もたれかかる(依存する)のではなく、支えて(助けて)もらうために。


それから、残りの面会時間を使って、フェイトはなのはに語った。自分の出生の真実や、プレシアと会うことへの不安を。
口に出すという行為を経ると、人はその内容を認識してしまう。フェイトはなのはに話す過程で、真実と向き合う。話している途中で、その重さに何度も押しつぶされそうになった。怖くて泣きだしたこともあった。
そのたびに、なのははフェイトを支えてくれた。よく聞いて、一緒にどうすればいいのかを考えあった。
そして一つの結論が出た時、部屋のディスプレイが再び点灯する。

『たびたびすまないが、あと一分で面会時間は終わりだ。それまでに部屋から出てくれ』

なのはは立ち上がり、自分の髪をくくるリボンをほどいた。そして、フェイトに差し出す。
とまどいながらも、フェイトはリボンを受け取る。

「願いを叶えるおまじないの話、覚えてる? クロノ君と始めて会った日に、翠屋で話したこと。
わたしの願いは叶ったから、フェイトちゃんにあげる。だから、お母さんのことも大丈夫だよ」

なのはは部屋を出ていく。それからすぐに、アースラは地球を離れた。



その日の内にプレシアは目覚め、翌日にはフェイトに面会が許可された。

フェイトはディスプレイを鏡面モードに切り替え、なのはがくれたピンクのリボンをつける。
リボンの隅に書かれた小さな文字を思いだし、笑みを浮かべる。
今でもプレシアに会うことは怖い。

それでも、やることなんて最初から決まっている。

私は母さんが好き。私に笑いかけてくれた母さんはもういない――始めからいなかった。でも、私が好きになった人は今もいる。そして自分はまだその人のことが好きで、母さんだと思っている。
だったら、やることなんてたった一つ。

フェイトは通路を歩く。
これから母に会うために。
それから母と話すために。
足取りに迷いはなかった。

彼女たち親子が、この後どのような関係になったのか――それはまた、別の機会に。


  **


六月三日 夜

時計の針がかちかちと音をたてる。
メトロノームのように正確にリズムを刻んでくれることが妙に愛おしく思えて、はやては思わず時計にキスしたい気分になった。

明日は、はやての誕生日。去年までは一人の誕生日だった。でも、今年からは違う。
明日には友達が家に来て、誕生会を開いてくれる。
来てくれるのはなのはとすずか、アリサ。ずっとは無理だけど、石田先生も途中で顔を出しに来てくれると連絡があった。石田先生には、前の検診の時に一緒に食事でもいかないかと誘われたが、その時にはもうなのはたちと約束をしていたから断らざるをえなかった。
そのことを聞いた先生は残念がるどころか、立ちあがって喜び、その日の診療時間はずっとなのはたちのことを質問された。その喜びようと言ったら、はやても嬉しくなってしまう――を通り越して、思わず笑ってしまうほどだった。
なぜ自分のことでもないのに、この人はこんなに喜んでくれるのか。ウィルと出会うまではやては自分が孤独だと思っていたが、どうやらそれは思い込みで、自分は意外とみんなに気にされていたようだ。
そうそう、石田先生だけではなかった。近所の人たちとも、少しだけど交流できるようになった。どうやら近所の方々の中にも、以前からはやてのことを気にしていた人はそれなりにいたらしい。
それを聞いた時は、「なんでもっと早くに声をかけてくれへんの!」と怒りたくなってしまった。でも話しているうちに、その人たちは悪い人どころか良い人たちばかりだということがわかった。ただ、はやては孤独で、ほとんど誰とも交流がなかった。そういった子に話しかけることはやっぱり難しいらしい。気難しい子だったら――とか、立ち入ってはいけないような事情があるのではないか――とか。
しかしウィルと共に行動し始め、最近はなのはたちに連れだされてよく街に出たりしていることもあって、その敷居が下がってたようだ。特になのはと行動を共にしていたことは、大きな影響があったらしい。翠屋の娘である彼女を知っている人も多く、そういった人たちが翠屋に立ち寄った時に、桃子に聞いてみる。そんな風にして、はやてのことが伝わったそうだ。そのことを桃子に聞いた時、彼女は「勝手に話しちゃってごめんなさい」と謝っていたが、彼女のことだから大丈夫だと思う人だけに話したのだろう。

ともかく、そうして今、八神はやては生まれて初めて自身がとても恵まれていると実感している。まったく、数カ月もすれば離れる世界に、今さらながら未練がわき上がってしまうじゃないか! と嬉しい憤りを覚えてしまう、。
ともかく、今まで世をすねていた八神はやては今日で終わり。明日からは新・八神はやての誕生だ。誕生日を、誕生した日を祝うだけのものではなく、新しい自分の誕生を祝う日とするのだ!

そんなことを考えて――でも、一つだけ不満点がある。
ウィルが来れないこと。

管理外世界である地球に来るためには、事後処理のための管理局の船に乗るしかない。本局と地球の間は、往復で一週間はかかる。管理局の仕事がどのようなものかはわからないが、それだけの間休むことは無理に決まっている。
もっとも、船がやって来るスケジュールをはやての誕生日に合わせる――なんてことはさすがにできないので、休みをとってやって来ても誕生日には来ることはできないのだけど。
もう少しすれば、月村邸の敷地内に大型の転送ポートが設置されることになるらしい。それができれば、船がなくともミッドチルダとも行き来が可能になるそうだが、残念ながら誕生日には間に合いそうもない。

新・八神はやての誕生のきっかけ、先駆者は間違いなく彼で、一番祝ってほしい人で、一番一緒にいたい人――それがいないというのは画竜点睛を欠くことはなはだしいが、仕方ない。

来れないお詫びとして、メッセージカードが届いていた。メッセージカードは、日本語で書かれていた。書きなれていないのだろう。ところどころ変なとこもあった。
ちなみに、プレゼントには地球に存在しない技術が含まれていたため、途中で没収されてしまったらしい。その時の愕然とした表情はなかなか笑えたと、届けに来たクロノが言っていた。


そんなこれまでのことを思い出し、これからのことに思いをはせていると、もう十一時を過ぎていた。

用意もひと段落ついたので、後は明日の朝からやれば良い。そう考えて、さっさと風呂に入って寝床についた。

なかなか寝付けない。時計を見ればもうすぐ十二時だ。日付が変わる。
この際だから、それをこの目で確認しよう。
布団から身体を起こし、時計を目の前に置いて、カウントダウンを始める。

「十、九、八」

何をやっているのかと自分でもバカバカしくと思う。

「七、六、五」

どうせカウントダウンが終わったら、またすぐに寝るだけだ。

「四、三」

何だそれは、シュールにもほどがある。でも、楽しい。
これまでは、失うことを恐れて希望をもたないようにしてきた。
なんてもったいない。
未来に希望を抱けば、こんなにも世界は楽しいものになるのに。

「二、一」

零!
両手を上げて、自分で自分を祝う――ハッピーバースデイ!!


その瞬間だった。自分の中で、何かが鳴動するのを感じたのは。
心臓のよう――でも、心臓ではない。これまで感じたことのない脈動。

一冊の本が勝手に本棚から出て、宙に浮かび上がる。
それは、物心ついた頃からはやての部屋にあった本だった。鎖と錠がかかった奇妙な本。
本から光が漏れる。発光しているはずなのに、なぜかそうは思えない。
じわりと、手のひらいっぱいすくった水が隙間から漏れているよう。
その光は黒い。闇色の光。

本が蠢き始める。血管が浮き出て、膨張と収縮を繰り返す。そのたびに少しずつ鎖がほどけていく。
合わせるように、はやての中に現れたもう一つの心臓も膨張と収縮を繰り返す。

鎖が完全にほどけた時、本の装丁が見えた。
十字架――中心に丸い宝石を置き、四方に剣を向けたような十字。
まるで、その宝石を守るために、周りの全てに敵意を向けているような。

『Anfang(起動)』

今までにないほどに強い光が漏れ、はやては思わず目をつぶった。

光がおさまった時、今まで時計しかなかった目の前に、新たに誰かがいた。
人――四人の、人間?

「闇の書の起動を確認しました」
「我ら闇の書の蒐集をおこない、主を守る守護騎士にございます」
「夜天の主のもとに集いし雲」
「ヴォルケンリッター(雲の騎士)――何なりと命令を」


呆然とするはやての前に跪き、彼ら四人はそう告げた。
彼らの後ろで、棚から落ちたカップが粉々に砕けていたことに、まだはやては気がつかない。


  ***


「こんな時間に出かけるのか?」

「ちょっと空を飛びたくなっただけだよ。すぐに戻ってくる」

隊舎の正門を警備している男性と言葉を交わし、ウィルは飛行魔法で空に浮かび上がる。もう一度警備の男性に振りかえり手を振ると、そのまま砂漠へと飛び立った。

地球を離れた後、本局にしばらくの間留まっていた。それからミッドチルダに寄って家族に顔を見せたりしている内に時間はどんどん流れ、勤務先のこの世界には戻って来たのはつい先日だった。
部隊長には、きみがいなくても困らなかったよと地味に心に突き刺さるお言葉をいただいたが、実際に部隊の規模が今の半分でも何ら問題がないほど事件が少ない。ウィルのいない間に、例の盗掘団が芋づるに逮捕されていったためだろう。ここ最近は非常に治安が良い。
部隊の戦力を減らしても良いのではないかという話も聞こえてくる。そうなれば、ウィルはミッドチルダに戻ることになるだろう。士官に地方で経験を積ませてから呼び戻すというのは、よくあることだから。
ミッドに戻ることができれば、はやてにも頻繁に会うことができる。

そんなことを考えている自分に苦笑する。不確定の未来に過度な期待は禁物だ。
それに、うかれていてはいけない。幸福なことは良いことだが、それで目的を忘れてはいけない。

自分には果たさねばならない目的があるのだから。
父が死んだ原因であるロストロギア『闇の書』と、それを守護する四人の騎士を、あまねく全て殺戮せしめて、この世界から存在を完全に消し去るという目的が。
闇の書という存在そのものに、燃え続けているこの瞋恚の炎を叩きつけ、復讐する。
十年をそのために生きてきた。殺すために、消すために。
プレシアが忠告したように、もしかしたらこの感情もいつかは薄れるのかもしれない。
それならそれで構わない。その時は復讐ではなく、管理局の一人として世界を守るために闇の書と戦おう。
だが、少なくとも今は断言できる――この身を焦がす永遠の炎は消えることはない。

ウィルにとって闇の書は不倶戴天の敵。そう、まさしく不倶戴天――やつらに、おれと同じ空は戴かせない。

そのために、もっと強くなる。
戦い方をさらに習熟させなければ。新しいデバイスも必要になる。
共に戦ってくれる仲間や、支援してくれる味方――もっと大きなコネクションも。

かぶりをふる。
もうすぐはやての誕生日だ。こんな暗い思いは彼女には似つかわしくないし、見せる必要もない。
きっと彼女は、クロノと同じように良く思わないだろうから。


隊舎から離れ、遺跡を越え、何もない砂漠の真ん中に着く。この星には衛星はないので、夜はとても暗い。そしてだからこそ、星の光がよく映える。しばらくの間、星を眺め続けた。

携帯端末が、第九十七管理外世界の日本の日付が、六月四日に変わったことを伝える。
誰もいない、周囲に何もない砂漠の上空で、ウィルは地球のはやてに届けとばかりに祝福の声をあげる。
彼女のこれからの人生にあらん限りの幸福が訪れんことを願って、星のまたたく闇の空へと

――――ハッピーバースデイ!!



  ****


 これが彼らの出会い
 災厄の種は取り除かれ、取り除く行為が新たな種を作り出す
 それは新たな事件の種

 種を発芽させるのは人の思い
 人はみな、願いを抱いている
 なのはが人を助けずにはいられないように
 フェイトが母のために戦わずにはいられないように
 プレシアが娘を蘇らせることを諦められないように

 願いを叶えようと足掻いた結果が幸せとは限らない
 友人を助けようとしたなのはは、自らの手でその友人を傷つけてしまった
 最後まで母のために戦ったフェイトは、母との記憶が偽りであることを知ってしまった
 願いを阻止されたプレシアは、残り短い人生を渇望を抱えながら生きなければならなくなった

 それでも人は進み続ける
 その心に宿る渇きに導かれて


 誰もかれもが呪われている




  無印編、あるいは邂逅編 完




(後書き)
最終話で三人娘を全員泣かせてしまった……こんなはずじゃなかったのに。

ともあれ、ここまで読んでくださった方々、感想を下さった方々には、心からお礼申し上げます。読んでくださる人がいるというのは、とても大きな励みになりました。
今後は、誤字脱字の修正をおこなってから、幕間を二つか三つほど書いて、Asに突入しようと思います。

書き始めて半年、少しは読める文章になってきたのでしょうか。自分ではいまいちわかりません。
読みにくくなっている――退化しているのではないかと不安でおびえることもあります。

ところで、As開始まで少し間が空くかもしれませんので、これを機にとらハ板に移動しようと思うのですが、構わないでしょうか?



[25889] エピローグ スタンドバイ(準備完了)
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/06 21:53
その女性は、自宅のリビングでまどろんでいた。
彼女の名はオーリス・ゲイズ、十八才。彼女を一言で表すなら“クールビューティ”となるだろう。

事務的な物腰と、女性にしては少し低い声。魔法の素質はないため戦闘能力は皆無だが、彼女も士官学校を出ているだけはあって、運動能力は一般人よりもずっと高い。適度に鍛えられた体は均整のとれたプロポーションを維持しており、亡くなった母親譲りの理知的な顔には、必要以上の感情がうかぶことはめったにない。少なくとも公人としてふるまう時は。
学生時代から愛用しているフォックス型の眼鏡は、切れ長の目と相乗して見る者に鋭敏な印象を与えている。さらに、メタリックフレームの金属質な冷たさが視線の威圧感を増している。気の弱い者なら、彼女と目が合うだけですくんでしまう。
ともすれば冷たいと思われる外見的印象とは裏腹に、周囲の者たちを気にかけ、よく面倒をみるため、彼女を慕う者や頼る者も多い。
これで所作に女性的な艶があれば完璧なのだが、残念なことに艶どころか媚すらない。普通ならば愛嬌がないと責める者もいる。

しかし、彼女の父のレジアス・ゲイズ少将はミッドチルダ地上本部の重鎮だ。その娘である彼女に、単に気に入らないと言うだけで言いがかりをつける勇気があるものはそうそういない。
それほどにレジアスは怖い。権力者だからとか、最近黒い噂があるとか、そういう問題ではない。局員の多くは朝礼などで生レジアスを見たことがあるが、彼の顔は他人に緊張を強いる――いわゆるいかつい顔をしている。身長は百八十を越え、齢四十を越えてなお熊のような体格を維持している。非魔導師だからとなめていると魔法を唱える前にラリアットでふき飛ばされそうだ。視線の威圧は、たとえ気の強いものでもすくませてしまうほど。以前陸士のナカジマ三佐と殴り合いの喧嘩をして、両者ともに一階級落とされたなど、武勇伝っぽいエピソードも多数あり――これではオーリスではなくレジアスの紹介になってしまうので、閑話休題。

彼女の義理の弟は、「姉さんって、女版クロノみたいだよね」と言って、オーリスを本気で怒らせたことがあるが、だいたいそんな人物。


そんな彼女も恋愛関係が悩みの種だ。
職場で同年代の娘たちが色恋の話をするのは、よくあることだ。一日に一回は必ずある、定番の話題。出会いが少ないとか、周囲にいい男がいないとか、最近相方が冷たいとか、そろそろ結婚を考えているとか。
最初は楽しく聞いていた。自分に縁のない分野の話は興味深いから。

聞き役に徹し続けていたのがいけなかったのだろうか。
ある時、同僚の一人がオーリスに向かって言った。「オーリスさんの話も聞かせてくれない?」と。
オーリスは素直に答えた。「残念だけど、みんなに話せるようなおもしろい話はないわ。今まで男の人と付き合ったことがないから」

その時から、周囲の態度が少し変わった。
時折憐れみの視線で見られるようになった。憐れまれたことなど、母親の葬儀以来だ。
そして、なぜか飲み会(合コンというらしい)に誘われたり、友人の男性を紹介されることも増えた。疲れているので早く帰りたいのだが。
迷惑だなぁと思いながら適当にあしらっていたところ、今度は男性に興味を示さないのは同性愛者だからではないか、などというあらぬ嫌疑をかけられるようになった。他人の性癖に偏見はないが、ことが自分に及ぶとなってはそうも言っていられない。

そんなこんなで、仕事とはまったく関係のない恋愛の話題でストレスがたまる日々。
今までは多少のストレスは義弟にでも愚痴をこぼせして解消していたのだが、現在彼は行方不明。先日ようやくハラオウン提督の船が見つけたらしいが、事件が解決するまでは帰って来ることはできないそうだ。


そんなオーリスの現在のストレスのはけ口は酒だった。帰宅してから、ソファーに座って酒を飲みながらテレビを見る。酒に強い方ではないので、二三杯も飲めば次第に眠たくなってくる。そのままこてんとソファーに倒れて、そのまま眠る。
これが現在の彼女の幸福。

だが、その幸福を邪魔する声が聞こえる――オーリス、オーリスと誰かが呼ぶ声。幸福なまどろみの中からオーリスを引きずりだそうとする悪魔の声。
当然無視。今はただ、この幸福に浸っていたい。まどろみの中の彼女はそう考えるが――

「オーリス・ゲイズ二尉!!」

「ひゃ、ひゃい!……って、お父さん?」

雷鳴のごとき一喝に思わず跳び起きた彼女の前には、父のレジアスが立っていた。慌てながら、おかえりと挨拶をするオーリスに彼は再度一喝。

「こんなところで寝るな! 体調管理を怠るようでは士官は務まらんぞ!」

雷鳴のような、もとい熊の咆哮のような大声。寝起きがしらのアルコールのまわった頭にはきつい一発。
オーリスは父の説教を覚悟したが、意外にもレジアスはそれ以上注意をせず、棚から自分のグラスを取り出しに行った。そして「少しもらうぞ」と言うと、オーリスの返事も聞かずに自分のグラスに酒を注ぎ、一気にあおる。
仕事で何かあったのだろうか。しかし、親子とはいえ仕事の内容をぺらぺら話すわけにはいかない。レジアスのような将官の関わる仕事となればなおさらだ。向こうが話さない限りは、何も聞くわけにはいかない。
そう考えていたところ、レジアスはあっさりと原因を話し始めた。

「アースラが本局に帰還したそうだ。先ほど、ウィルからも連絡があった」

「それは良い知らせではないですか? どうしてそんなに怒って……」

「見ればわかる。まったく、あいつは――」

レジアスは彼自身の携帯端末を操作して、一つの動画ファイルを開いた。テーブルに置いた端末から空中に二次元ホロ・ディスプレイが投影され、椅子に座るウィルが映し出される。

『長らく音信不通でごめん。心配かけただろうけど、おれはご覧の通りぴんぴんしているよ。明日にはクラナガンに帰省して、顔を見に行くよ。
 だったら、こんなメッセージを送らなくても良いだろって思うかもしれないけど、実は帰った時にお願いしたいことがあるんだ。帰ってからいきなり言っても、親父たちも混乱させるだけだろうから、このメッセージで頼み事の内容だけは伝えておこうと思う』

そう言うと、映像の中のウィルは懐から一枚の紙切れを取り出した。それは写真。しかもいまどき珍しい、紙に印刷された写真。そこには一人の少女が写っている。ウィルの彼女にしては幼すぎる――というか、色恋の話でストレスがたまっているのにそんな話をしようものなら万死に値する。帰って来ても家にいれてやるものか。

『かわいいでしょ? この子には、今回の事件でとてもお世話になったんだ。具体的には三食昼寝つきで住まわせてもらっていた……情けない話だけど、ヒモ同然の生活だったよ。
 この子を、おれみたいにゲイズ家の養子に迎えてほしい。
 どうしてこんなことを頼むのか――その理由は帰ってから話すよ。ちゃんと本局に確認をとってから話さないとで、些細なことでも漏えいになるかもしれないから。
 それじゃあ二人とも風邪をひかないように……って、言わなくても親父は引かないか。とにかく元気で』

にこやかな笑顔を残して動画は終了し、ディスプレイも消失する。突拍子のない提案に、オーリスの口は開いたままだまだった。
そんな、帰り道で子犬を拾ったから飼って良い? みたいな軽さで言うことではないだろう。

「まったく……人間を犬や猫みたいにぽんぽん持って帰るんじゃない!」

レジアスも同じような感想だったのだろう。しかし、ぷんすかと怒るレジアスを見たら、オーリスはおもわず笑ってしまった。怒ってはいるものの、同時にとても嬉しそうだったから。馬鹿ができるのも元気な証拠だからだろう。……決して娘ができることが嬉しいわけではないと思う。そう信じたい。

こんな風になかなかに凸凹な人間が三人。心の内までさらけ出し、何でも言える理想の家族! とはいかないが、ゲイズ家はなんだかんだで仲良くやっている。


  →幕間一 ツアー・クラナガン


「なぁ」とウィルが問う。「どうした」とクロノが答える。二人はソファーに座って壁をじっと見つめている。少し離れて、ユーノが死人のような顔をしている。

「ユーノ君が死にそうだから、そろそろ止めた方がいいんじゃない?」

「これ以上続けるて、大変なことになっても困るな。残念だがこの勝負は引き分けにするか」

ここはアースラの休憩室。この部屋は内壁がディスプレイで構成されているので、さまざまな環境をシミュレートできる。森を指定すれば壁は森の風景を映し、鳥のさえずりや葉のこすれ合う音が流れる。雪山や南国の海、人々の通行する都市など、さまざまな風景を映し出すことができる。音と映像だけなのであくまでも気休めだが、数ヶ月の航海をおこなうような船では意外と重宝されている。

彼ら三人がやっているのは、それを利用した我慢比べ。壁に映し出されているのはアースラの外部カメラの映像。現在のように航海中であれば、当然次元空間が映し出されることになる。
極彩色のマーブル模様が刻一刻と変化する光景は、口では説明しにくい。だが、身体ははっきりとした感想を教えてくれる――吐き気という形で。
我慢比べに敗れたのはユーノだった。惨敗も惨敗。開始後三分でダウン。しかし、彼は自分の敗北を認めなかった。それほどまでに罰ゲームが嫌だったのだろうか。

クロノが手元のコンソールを操作すると、壁がいつも通りの青白色の無機質な壁面に戻った。
その時、休憩室の扉が開く。


「すみません、ユーノを知りませんか?」

フェイトとアルフが顔をのぞかせた。
プレシアとは異なり、二人は比較的行動の自由が許されている。魔力消費を制限するためのリミッタをかけられ、フェイトにいたってはデバイスのバルディッシュをとり上げられてはいるが。

フェイトはユーノを見つけると、期待半分不安半分といった顔になる。しかし、ユーノは現在吐き気と格闘中。クロノとウィルはアイコンタクト。フェイトがユーノに何の用があるのかはわからないが、ひとまず後にしてもらうべきだと判断。
しかし、視線を扉の方へと戻した時には、フェイトはすでにユーノのもとへとかけ寄っていた。
止める間もなく、フェイトはユーノに話しかける。

「ユーノは、私と戦った時のことを覚えてる?
 戦う前に言ってくれたよね。自分はフェイトの友達だって。友達だから止めるんだって。あの時は戦うことばかり考えていて、全然気に留めなかったんだけど、思い出したらすごくうれしくて。そんなに真剣に私のことを考えてくれたのは、なのはとユーノだけだったから」

「フェイトォ、あたしは?」フェイトの後ろのアルフが、不満そうに顔をふくらませる。

「もちろんアルフも。みんなが私のことを気にしてくれていた。今さらだけど、それに気付けたんだ」

以前からは考えられないくらい饒舌に話すフェイトの姿に、思わず見入る。
だが、真剣に熱意をもって話すフェイトとは裏腹に、ユーノの目は虚ろなままだ。はたして聞こえているのかいないのか。
そんなユーノの様子に気付かないまま、フェイトは続ける。

「でも、あの時の私はユーノのことを友達だと思ってなかった。……ううん、昨日なのはに言われるまで、私に友達なんていないって思ってた。ユーノたちが私のことを考えてくれているなんて考えてもいなかった。
 だからごめんなさい。それから、こんな私で良かったら、あらためて私と友達になってほしいんだ。……駄目……かな?」

そう言って、フェイトは嘆願するようにユーノを見る。しかし、ユーノは顔をしかめた。単に抑えていた吐き気が再び昇って来ただけなのだが、フェイトはそれを提案に対する嫌悪ととってしまった。
フェイトは否定された(と思いこんだ)ことで涙目になり、アルフがユーノに激昂して、掴みかかろうとする。
ウィルは慌てて飛び出し、アルフを後ろから羽交い絞めにする。

「やめろアルフ! 冗談でも殴ったらシャレにならん! 罪状一個上乗せ程度じゃすまないぞ!」

「かまうもんか! フェイトを泣かせるようなやつは一発といわず殴ってやるさ!」

「今のユーノ君は普通じゃないんだよ! とにかく一旦落ち着け! ほら、ステイステイ!」

「犬扱いするなぁ!!」

ユーノはさらに気分が悪くなったのか、座り込む。クロノはそれを介抱しながら、フェイトにも事情を話す。その後ろでウィルもまた吐き気と戦いながらアルフを必死に抑える。暴れるアルフの肘が何度も腹部にあたり、そのたびにこみ上げるものを抑えるはめになった。

ちなみに気分が落ち着いてから改めて話をしたところ、ユーノはフェイトの提案を快く受け入れた。
アルフとフェイトが帰った後で、三人はため息をつき深々と椅子に腰かける。

「それにしても、もてるんだな、ユーノ」クロノ、からかうように。
「なのはちゃんも入れれば、三角関係だ」ウィル、愉しむように。

ユーノから反応は帰ってこなかった。いつのまにかフェレット姿になって、ぐったりとソファーに沈み込んでいる。
そのなきがらにそっとハンカチをかぶせた。


「そういえば、本局に着いたらユーノ君はどうなる? やっぱり、裁判は受ける必要があるんだよな?」

眠ったユーノはひとまず脇において、クロノに尋ねる。忘れかけていたが、ユーノも管理局法を破っているので犯罪者。法に則って裁かれなければならない。

「それはもちろんだ。でも、二・三カ月の奉仕活動ですむようにするつもりだ。当分は本局に滞在してもらうことになるけれど、悪いようにはしない。
 ちなみにきみは簡単な事情聴取が終われば帰ってもらって構わない。配属先の世界への船が出るまでには時間がかかるから、それまで本局に滞在していても――」

「いや、いったんミッドに帰省するよ。はやてを養子にするために、親父と話し合う必要があるから。クロノにはこれからもいろいろ頼ることになるけど……」

「人のためになることなら、断わる謂れはないよ」さらっとこう言えるあたりに、クロノの度量の広さがうかがえる。

「ありがとう。彼女の誕生日が来月だから、プレゼントを買おうと思うんだ。クロノに預けるから、おれの代わりに渡しておいて」

「わかった。……ところで、誕生日の話をした後でこんなことを聞くのは気が引けるんだが、今年の墓参りはどうする?」

「命日の頃にはもうミッドを出立していないといけないから、今年も一緒には行けないな。予定を繰り上げて、メモリアルガーデンには今回の帰省の時に一人で行くことにするよ」

メモリアルガーデンは、ミッドチルダ西部にある墓地の名称だ。非常に広大で、単なる墓ではなく、一種のレクリエーション施設としても機能している。
ウィルとクロノは年に一度そこへ行き、父の墓参りをおこなう。彼ら二人が初めて出会ったのもその場所だった。

だが、メモリアルガーデンに彼らの父の遺体は存在しない。彼らはもうこの世界のどこにも存在しない。二人とも分子一粒も残さずに世界から消滅した。墓の下には骨の一つもない。
ならば、墓とは何のためにあるのだろう。


  →幕間二 エスティア


男は多くの情報に囲まれていた。周囲の空間に投影されている二次元ホロ・ディスプレイと三次元空間ホログラフィの総数は三十を超える。その全てに映る情報を把握することなど、ただの人には不可能だろう。
部屋には男が一人だけ。彫刻のように動かない。時折するまばたきだけが、彼が生物であることを示している。
動かない彼の代わりにディスプレイの方が動き、彼の目の前を流れていく。男は瞬時にそれらの情報を頭に入力(インプット)する。

これだけ大量のデータを次々に処理できる彼は間違いなく天才――などと言うと、男は笑って否定するだろう。
いくら男がすごくとも、情報を入力するだけなら機械の方がはるかに上だ。天才とは、情報処理の速さや知識の多さでは決定されない――それが男の持論。
データを全て覚えることは男にとっては簡単なことだが、同時にそんなことは絶対に必要なわけではないと、男は考えている。大切なことは、データが何を表わしているのかという個の絶対的な存在意義を理解し、それが全体の中でどのような立場にあるのかという相対的な存在意義を把握すること。
そして、目的のためにこれから何をおこなうべきか、その道筋を見つけること。

天才とは機械ではなく人間を表わす言葉。ならば、機械が持ちえない能力こそが、天才の条件。
すなわちモノとモノを関連付ける能力、そしていまだ何も存在しない思考の白地へと飛び立つことができる、思考の飛翔力――ネットワークの構築能力――が人間の持つ偉大な力であり、天才を決定する基準となる――それもまた男の持論。



響く電子音――通信の合図。男はディスプレイの流れを止める。
新しく男のそばに投影されたホロ・ディスプレイには、年の頃二十ほどの女が映っていた。彼女もまた、彫像のようだと感じさせる雰囲気を持っている。男のように動かないからではなく、動いていてもなお彫像に思えてしまうほど。

「定時報告の時間ではないね。何かあったのかな?」

男は先ほどの理知的な雰囲気とは裏腹に、誕生日プレゼントを開ける子供のように、期待に満ちた顔をする。予定にない連絡、未知の情報が自分に何をもたらすのか、期待に胸をふくらませて。

『ウィルの行方が確認できました。輸送船の事故の後、ロストロギアの違法回収者と争いながらも、本局より派遣された部隊と合流して、事件の解決に協力していたようです。
 現在はクラナガンに戻っています』

男は「そう」と一言返す。顔は嬉しそうだ。しかし、プレゼントの中身は最近発売されたゲーム機だった――つまり意外性がなかったことを残念がるような表情でもあった。

「それは良かった。何を為すにも、まずは命ありきだからね。無事でなによりだ。でも、要件はそれじゃないだろう?」

ウィルの無事は喜ばしいことではあるが、重要ではない。ウィルが以前のように大怪我を負って、すぐにでも助けなければならないのならともかく、無事なのであれば男には何もすることはない。それこそ定時報告の時にでもすればいい。
つまり、緊急の用件があるはず。男の予想通り、女は「はい」と答える。表情は変わらないが言葉の重さが増していた。

『プレシア・テスタロッサという科学者を覚えておいででしょうか。何度か学会でお会いになったことがありますが』

「覚えているよ、研究内容もね。セル・マテリアルズ・ジャーナルに掲載された彼女の論文はどれも面白かった。時間が許せば私も研究してみたいくらいだったよ。それで?」

『ウィルが争ったロストロギアの違法回収者が、彼女でした。彼女はロストロギアを回収するために、亡くなった自らの娘のクローン体を手駒として使っていたのですが、そのクローン体には亡くなった娘の記憶が移植されていたため、自分のことをプレシアの娘だと思い込んでいたそうです。
 そのクローン体は、“フェイト”と名づけられています』


男の雰囲気が変わる。ふっと呼気が吐かれる音が聞こえたかと思うと、男の肩がぶるぶると震える。

「彼女はプロジェクトFを完成させたんだね。そうか……あれが理解できる者が現れたのか」

その震えは喜びゆえに。嬉しくて、嬉しくて、震えてしまうほどに。

「長かったなぁ……せっかく世界中に論文をばらまいたのに、こんなに時間がかかるとは思わなかったよ。他人に期待する時は、少し悲観的に見たが良いのだろうね。
 それでも、彼女は完成させたわけだ。私の論文を理解し、私と同じモノを見ることができたわけだ。数多の生命工学の専門家が実現できずにいたプロジェクトを最初に完成させた者が、まさか異なる分野の専門家だとはね。それだけ彼女が素晴らしいのか――それとも私が知らないだけで、とっくに完成させた者もいるのかな?
 やっぱり人は捨てたものじゃないねぇ」

男は言葉を紡ぐ。それは決して通信相手の女に聞かせるために話しているのではない。ただ、男の内側に溢れる喜びが、外に表現しなければ抑えられないほど大きいだけだ。女は男が話している間、何も言わずに聞き続けていた。そして男の言葉が途切れてから、ようやく続きを話す。

『プレシアからドクターのことが漏れるかもしれません。処分なさいますか?』

「放って置きなさい。他ならともかく、Fに関する情報は拡散しすぎて、もはや誰が持っていてもおかしくない。そこから私を見つけるのは不可能に近いよ」

『ですが、入手経路によってはドクターに辿りつく可能性も――』

男の耳には、女の言葉は入っていない。彼は再び、自分の欲望に従って言葉を発する。

「それにもったいないじゃないか。それだけの才能を、たかだかその程度のことで潰すなんて。
 ああ――会いたいなぁ。会って語りたい。尋ねてみたい。彼女の心を、頭脳を知りたい。細胞と細胞をつなぐネットワークが、その間を流れる電気信号が、どんな“彼女”という幻想を創り上げたのか。私の領域にたどりつく可能性とはどのようなものか。私の見ているモノをかいま見ることができた彼女が、いったい何を感じたのか」

男は、「ウーノ」と女に向かって呼びかける。それが女の名前なのだろう。

「今すぐ彼女と事件について調べなさい。スケジュールはきみに任せる。
 会いに行くよ、彼女に」

それは不可能な注文。まだその事件は裁判すら始まっていない。プロジェクトFという道の技術の影響もあり、概要はともかく詳細については一級の報道規制がかかっている。
だが、彼女はまったく逡巡せずに『はい』と答えた。彼女にとっては――正確には、彼女たち姉妹にとっては、その程度のことは難しくもなんともない。
その間にも、男の思考はすでに別のことに飛んでいる。

「手土産は何が良いかな。やはり彼女が望むものが良いな。でもそれだけではつまらない。他に何か……そうだ、花を贈ろう。古来より男性が女性のもとを訪れる時は花を贈るんだったかな?」

『該当するケースは相当数あります。絶対ではありませんが、定番かと』

「なら、薔薇にしよう。青い青い薔薇が良いな」

男は笑う。子供のように邪気のない顔で笑う。この世の全てを祝福しているかのように。
多くのディスプレイの光が、幻想的に部屋を照らし続けている。しかし、どの光よりも強烈に輝く光は、金色に輝く男の両眼だった。


  →幕間三 ブルーローズ


  *


住宅街にセミの声がする。蝉の声が岩にしみいると表現した詩人がいたが、実際は音がコンクリートで反響して脳天に響いてくる。
久しぶりの地球は、来る星を間違えたかと思うほどに暑い。先日までの配属先が砂漠だったので暑さには慣れているつもりだったが、これはまったく質が違う。サウナといい、この星の人々は蒸されるのが好きなのだろうか。いっそバリアジャケットを展開して熱と湿度をシャットアウトしようか――と半ば本気で考えながら、ウィルは久々の海鳴を歩く。

季節は夏。地球の暦では八月初旬。約束していた魔法世界(ミッドチルダ)見学のため、ウィルはなのはを迎えに来た。しかし、そのまま高町家に向かわず、まずは八神家に向かう。
はやての顔を見たいだけではない。自分と入れ替わるようにして八神家に居候することになった者の顔を見ておきたいからだ。
彼女たちのことは、はやてからの手紙で知った。イギリスに住むはやての後援者、グレアムおじさんに紹介されて、はやてのところにやって来たらしい。女性が三人と、防犯のために大型犬が一匹。一人暮らしの女の子の世話係としては適任だろう。

インターホンの音が響き、八神家の玄関の扉が開く。扉の向こうにいたのは初めて見る女性。しかし、はやてからの手紙に書いてあった特徴から類推するに――

「えっと、金髪の美人さんだから……シャマルさんですよね?」

事前に連絡を入れていたので、シャマルはすぐにウィルを招きいれてくれた。
優しそうな顔とは裏腹に、ウィルに探るような視線を向けている。
それも仕方がない。彼女たちはグレアムからはやてのことを任せられているのだから。管理外世界でのウィルは管理局士官、日本でいえば警察の幹部候補生の一人だが、この世界では単なる住所不定、身分証明不可の不審者でしかない。
だからシャマルの視線を薄々感じながらも、ウィルは気付かないふりをして八神家のリビングに入った。

(……前言撤回)

笑顔でウィルを迎えてくれるはやて。それは良い。だが、それ以外の面々からは、明らかに歓迎されていない。
相変わらず探るような視線のシャマル。髪を後頭部の高い位置でくくっている長身の女性――推定シグナム――は警戒の色をにじませていて、小柄な少女――推定ヴィータ――は剣呑な空気を醸し出していた。こころなしか、大型犬にも睨まれているような気がする。
いくらなんでも初対面の人物への対応ではない。はやてはいったい、どんな風に紹介したのかと問いただしたい。
しかし彼女たちの手前、そんなあからさまなことはできないので、先ほど同様視線に気付かないふりをしながら――むしろ怖いので積極的に目をそむけたい――ウィルは適当に談笑する。


はやてと二人きりになるまでに、それから一時間もの時を消費した。
リビングの窓を開け、二人で庭に向かって腰掛ける。

「手紙、読んだよ。本当に行く気はないんだね」

「……うん。やっぱり、頑張ってくれてる石田先生にも申し訳ないし、私を頼って来てくれたみんながおるから」

はやては、養子の件を断った。シャマルたちにもいろいろと事情があるらしく、はやてがいなくなったからといって、それではもとの場所に帰るというわけにはいかないらしい。それなのに、はやてがミッドチルダに移住してしまえば、シャマルたちの行く場所がなくなってしまう。
だから、今はミッドチルダには行けない。手紙でそう伝えられた。
残念だが、仕方がないとも思う。その優しさがはやての良さ。そんなはやてだからこそ、ウィルを拾ってくれたのだから。

「ごめん。せっかく、ウィルさんがいろいろ骨を折ってくれたのに」

はやての顔を見て、ウィルは苦笑する。こんな心の底から申し訳ないと、そして本当は行きたかったというような顔をされては仕方がない。
はやての頭をなでる。

「提案した時に言っただろ? はやてはそんなこと気にしなくて良いんだよ。それに、これではやてと会えなくなったわけじゃない。転送ポートも出来たし、おれもミッドに配属になったから前よりも会いやすくなった。これからも月に一回くらいは顔を見せに来るよ。
 ……ところでさ、シャマルさんたちにおれのことをどんな風に話したの?」

「え、えーと、別に普通のことしか話してないよ?」

「本当に? 魔法のこととか話してないよね」

魔法のことをはやてが話したのなら、この対応も納得できる。彼女たちが魔法を信じないのであれば、ウィルは年齢一桁の子供に魔法を使えると騙り、一月以上ヒモになっていた不審者でしかないから。

「もちろん話してないよ! そんなこと話しても、私が頭の弱い子やと思われるだけやし!」

「そっか。でも、すごく警戒されていたような気がするんだけど」

「気のせいやって」

はやては妙に強い口調で否定する。これは話しているなと確信する――が、否定するはやてが寂しげ表情をしていたことが心に引っかかった。

まあいい。シャマルたちがウィルのことをどう思っていようと、そんなことはこれから解決していけば良い。悪い人たちではないみたいだから、誠意をもってつきあえばきっと大丈夫だろう。
はやてが何かに悩んでいても、今のはやてには支えてくれる人たちがたくさんいる。
ウィルは、ウィルにできること、やるべきことをしなければ。まずは、なのはを迎えに行かなくてはならない。そろそろ向かわなければ遅刻してしまう。

「それじゃあ、今日はこれくらいで帰るよ」

八神家を出て振り返る。
ほんの少し、寂しさを感じた。



「やっぱり話してみてもええんやないか? きっとウィルさんやったら――」

ウィルが帰ってから、はやてはシグナムに話しかけた。

「なりません。時空管理局は我らの敵。歴代の主の多くは、奴らによって滅ぼされてきました。主はやてが闇の書の主と知られた時には、必ずや滅ぼしに来るでしょう。彼の者が誰かに話すつもりがなくとも、酒や魔法によって漏れてしまうということも考えられます。」

「そやけど、隠しごとは……」

「でしたら、我らに蒐集の許可を。全ての頁(ページ)を埋めた闇の書の力があれば、隠す必要もなくなるでしょう。
 なにより、主のお体も――」

「あかん。人様に迷惑かけてまで治そうとは思わへん。自分一人のわがままで他の大勢を傷つけるなんて、そんなことはできへんよ。
 やっぱりええよ、諦める。ウィルさんとは会えへんようになったわけやないし、足が動かんのもなれっこやしな。それに、今はなのはちゃんやすずかちゃんみたいに助けてくれる友達もおる。もちろん、新しい家族も」

はやてはシグナムの方を向き、にっこりと笑う。その顔にはウィルと出会った頃のような陰があった。



その夜、ソファーで寝ていたシグナムは、近くで誰かが動いた気配を感じて目を覚ました。リビングを誰かが横切る。それがはやてだということはすぐにわかった。人影は車椅子に乗っていたから。
はやてはリビングを横切り、玄関に向かう。そして静かに玄関の扉を開け、家の外に出る。
どちらに行くおつもりですか――と問おうとする。しかし、月光に照らされたはやての表情を見て、その言葉は飲み込まれた。

≪何を呆けている。お止めしないのであれば、せめて見守らねば≫

空気を震わせぬ声。念話によってシグナムに語りかけるのは、彼女と同じくリビングで眠っていた大型犬――ザフィーラ。

はやてはそのままどこかへ向かい始める。シグナムとザフィーラは、はやてに気付かれないように離れて護衛する。
近くの公園に入り、その中心ではやては止まった。誰もいない夜の公園。はやては何をするでもなく、静かにうつむいていた。その後ろ姿はとても寂しそうだった。
しばらくして、離れたシグナムたちのところにも、はやての泣き声が聞こえて来た。



≪シグナム、私たちは本当にここにいて良いのだろうか≫ ザフィーラが呟く。

≪今さら何を言う。主の傍に控え、その身をお守りする――それが我らヴォルケンリッターの使命だろう≫

自分たちの使命、存在意義を疑うような言葉を、シグナムは強く否定する。しかし、ザフィーラの疑念は晴れない。

≪私たちさえいなくなれば、主は幸せになれるのではないか。ベルカの時代はとうに過ぎた。もはや戦乱の世ではない。守護などせずとも、主が災禍に飲み込まれることはないだろう。
 私たちがここにいる意味はあるのだろうか?≫

≪……必要のない疑問だ。我らが何を思おうと、主はやては闇の書に選ばれた。ならば、我らはその身をお守りするしかない。……それとも、お前は使命を放棄するつもりか?≫

≪私とて主の元を離れたいとは思わん。今代の主は優しい。どのような主にも心よりの忠誠を誓ってきたつもりだ。だが、主は……はやてのことは、今までのどの主よりも守りたいと思う。
 だからこそ、疑問に思うのだ――私たちは、本当に主のため“だけ”に、ここにいるのか?≫

≪それ以外に何がある≫

≪ヴィータやシャマルは、はやてが主になってから、よく笑うようになった。これまではこんなことはなかった。考えてもみろ。主が家を抜けだしたのに、隣で寝ていたあいつらは目を覚まさなかった。それだけ、今の生活に安心をおぼえているということだ。
 それは守護騎士としてあってはならないことだが……私はあいつらにもっと笑っていてほしいと思う。そして、そう考える自分が怖い。
 今の私たちは、主のためと言いながら、自分たちが楽になりたいだけではないのか?≫

≪……くどいぞ。たとえお前の言うことが正しかったとしても、我らのやることは変わらない。魔法がない世界とはいえ、現に今日のように管理局の者が主はやての周りにいるというのに、離れることなど……できるものか≫

何を望もうが、何を考えようが変わらない。ヴォルケンリッターの使命が闇の書の主の守護であり、管理局が闇の書を滅ぼそうとする

≪そうだな……すまん、忘れてくれ。
 しかし、気を張っていたのはわかるが、昼の対応はないのではないか。あれでは管理局の男――ウィリアム・カルマンと言ったか――彼を不審がらせるだけだ≫

≪わかっている。少々警戒しすぎたようだ。次はうまくやってみせる。
 それにしても……カルマンか。どこかで聞いたことが気が――≫



はやては泣いた。夜中に家を抜けだして、ウィルと初めて出会った公園で。

はやては、ヴォルケンリッターという新しい家族を得た。
その代償に、ウィルと家族になれる機会を失った。
新しい家族を得た喜びと、新しく得られるはずだった家族を失った悲しみ。
喜び(ヴォルケンリッター)を実感するたびに、悲しみ(ウィル)が喚起される。
それがつらい。素直に新しい家族を歓迎できないから。

やっぱり、希望なんて持つんじゃなかった。
希望さえなければ、ここまで苦しくなることはなかったのに。


  →A’s、すなわち復讐編


  様々な場所で、多くの人の、多種多様な考えが蠢く
  彼らの道が交わり始めるのは、それから数ヶ月後のこと
  風の冷たくなった十一月の終わりだった




(後書き)

次は幕間と言っておきながら、すみません。プロローグがあるんだから、エピローグを入れた方がまとまる気がして。

幕間の投稿順は書き上がった順番です。もしかしたら、いきなり三から投稿するかも。

12話を11話(後編)に表記を変えました。それにともなって、13話を12話に繰り上げました。アニメの話数に合わせただけですので、特に内容の変更はありません。
それから、板移動の際にプロローグの前編と後編を統合しました。書き始めた当時は、八千字はちょっと多いかな?二つに分けた方がいいかな?――なんて考えて分割したのですが、今となっては笑い話。



[25889] 幕間三 ブルーローズ
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/08/18 22:40

時空管理局の本局は次元空間に浮かんでいる。これは旧暦の機動要塞(ロストロギアに指定されている)を再利用したものだが、いくつもの棘が飛び出しているような攻撃的なデザインは、どちらかというと悪玉の本拠地。時の庭園といい、旧暦の頃は悪っぽいデザインが流行りだったようだ。

その本局の執務室にこもって黙々とデスクワークに励んでいるクロノ・ハラオウンは、本局に帰還してから一月の間、休日を返上し続けていた。その甲斐あってようやく今回の事件――首謀者であるプレシア・テスタロッサの頭文字をとって、PT事件と呼称されることとなった――の事後処理は終わろうとしている。もっとも数日後にはアースラに乗って地球に行かなければならないので、休みをとることができるのはさらに先の話。

フェイトは近々クラナガンの海上隔離施設に入れられ、更生プログラムを受けることになっている。
魔導師として現状でも十分に優秀なので、ある程度プログラムを消化した後なら、嘱託魔導師として管理局で働かせることで刑期の替わりとする方法もとれる。
嘱託魔導師とは人手不足を解消するために管理局が設けた制度の一つ。平たく言えばアルバイト局員の一種だが、必要とあれば武装隊と同等の任務に動員されることもある危険なものだ。それだけに試験は厳しいので、隔離施設でも勉強を続けないと通らないかもしれない。

プレシアは病人なので、拘置所ではなく管理局の目の届く病院に入院している。本来ならば非常に重い刑が科せられることになるのだが、本局に帰ってからの検査でも彼女の余命が残り少ないことは判明している。
だから、クロノは彼女の裁判についてはそれほど重視していない。急いで判決にもっていったところで、最低でも数百年単位の幽閉は確実。刑期が百年でも二百年でも人間にとっては同じことだし、そもそも裁判期間中に亡くなる可能性の方が高い。
それならばいっそ、余生は静かに過ごさせてあげたいというのがクロノの考えだ。その考えが先ほど売店で買ったアイスクリームより甘いということは自覚している。

幸い本局は彼女たちに大して関心を払っていない。良くも悪くも、海は終わった事件よりもこれからの危険に備える方を重視するから。
つまり、重きをおいているのは――


同じ部屋で、同様にディスプレイに向かいながらコンソールを叩き続けているエイミィに話しかける。

「プロジェクトFについて、何かわかった?」

この事件で最も重要な案件 『プロジェクトF』
クロノは執務官になるために法曹に必要な知識や魔法の修練に多くの時間を費やしてきたため、科学に関しては人並み程度の知識しかない。その点エイミィは普段の軽薄さとは裏腹に、様々な分野にわたる幅広い知識を活用して、クロノを補佐している。
そんなクロノでもこれが世界を変え得る技術だということはわかる。

まず、移植するためには記憶をデータとして取り出す必要がある。
クロノには『思考捜査』というレアスキルを持つ友人がいる。記憶を覗くことができるという恐ろしい能力の持ち主だが、プロジェクトFはそれと同じことができるようになるかもしれない。
それに、プレシアはアリシアの“死体”から記憶を取り出し、フェイトに移植した。死体から情報を得ることができるようになれば、犯罪捜査は非常に楽になる。また医療面では、脳が物理的に傷ついたことによる、記憶の損壊を治療することも可能となるかもしれない。

そして記憶移植。これが普及すれば、学習形態は大きく変わるだろう。
いちいち本を読まずとも、記憶と一緒に知識を移植すれば良い。あたかもコンピュータにデータをインストールするように。
そんな時代がくれば、知識の量は能力の優劣を判定する基準にならず、もっと根源的な思考能力が優秀さを競う大きな要因になるだろう。もっとも、ウェブの発達が多くの情報へのアクセスを容易にした現代の時点で、その傾向は現れているのだが。

もちろん良いことばかりではなく、実用化の前に安全性という大きな問題が立ちはだかっている。
フェイトがアリシアにならなかったと言っても、アリシアの記憶はフェイトに大きな影響を与えているはず。しかし、成功例がフェイト一つしかない現状、移植先にどれだけの影響があるのかは未知数だ。それにフェイトのように生みだされる段階で記憶を移植する場合と、成人に移植する場合では結果も大きく異なるだろう。
危険性を調べるためには、多くの実験を重ねなければならない。それこそ万単位の実験体が必要になる。
実用化されれば人類は確実に発展するが、旧暦ならまだしも、このご時世に人体実験を認めるわけにはいかない。

それでも何とか利用できはしないかと、本局上層部は秘密裏に各分野の有識者を招いて、今日も喧々諤々の議論をおこなっている。

エイミィはディスプレイの方を向いたまま、視線だけをクロノにやって答える。

「プロジェクトFって、ちょっぴりアングラな研究の世界だと結構有名だったみたい。一人の天才の残した遺産――もしくは課題って感じでね。ただ、理解できる人が全然いなかったから、実際にそれをもとに何かを作り出した人は今までいなかったんだ」

「その天才の名前は?」

「ジェイル・スカリエッティ」

「広域指名手配犯の一覧で名前を見た気がするんだが……どんな人物だったかな?」

「彼の経歴、すごいよ。読む?」

クロノが首肯すると、エイミィはクロノの前にホロ・ディスプレイを投影する。
クロノはその内容に目を通し始めた。


彼の人物が表舞台に現れたのは十五年前のこと。
生物学において、次元世界で最も権威のある学術雑誌に、ジェイル・スカリエッティという人物から一編の論文が送られてきた。その内容はとある未解決問題を解決するためのブレイクスルーになり得る、非常に価値のあるものだった。
論文が雑誌に掲載される前には、査読(研究者たちによって論文に誤りがないか調べる行為)がおこなわれる。厳密な査読の末に、その論文の掲載が決定された。だが、その論文が掲載されたのとほぼ時を同じくして、生物学のみに留まらず、魔導工学、通信工学、魔素物性論など、様々な分野の学術雑誌にジェイル・スカリエッティの論文が掲載され始めた。
当然人々は想像する。これだけ多くの分野に精通する、ジェイル・スカリエッティとは何者なのかと。
最も有力な予想は、ジェイル・スカリエッティとは罪を犯して表に出ることができない複数の違法科学者たちが作りだした、架空の名前だというもの。

その予想を嘲笑うように、それからまもなくジェイル・スカリエッティはとある学会に姿を現した。
その姿は若い男だった。外見年齢は二十代前半。誰もが彼はジェイル・スカリエッティの代理人にすぎないと考えた。

だが、彼は自分こそが、自分一人がジェイル・スカリエッティであることを示していった。
論文の内容についてどのような問いを投げかけても、非常に的を射た答えが返って来る。さらには学会の場で得たコネクションを利用して、多くのプロジェクトにも参加し始めた。
共に仕事をしていてもまったくぼろを出さないどころか、一人で十分だと言わんばかりの優秀さを間近で見せつけられれば、嫌でも認めざるをえない――彼こそが、ジェイル・スカリエッティ、稀代の天才なのだと。

彼を信奉する者、嫉妬する者、負けじとより一層研究に打ち込む者、反応は様々だったが、その存在は多くの研究者に影響を与えた。
そんな彼の数多くの業績の中で最も価値があったのは何かと問われれば、業績の数そのもの。

科学とは無限の広がりを持つ。一つの問題が解決したからといって、そこで終わることはない。科学において問題を解決するということは、新たな土壌を切り開く行為に等しい。真理は数多の問題を生み、問題を解決するために仮説が生みだされる。仮説はやがて証明され、真理へと変わる。一つの論文が、何十もの論文を生みだし、後に続く数多の開拓者を受け入れる土壌となる。
彼によって開かれた全く新しい土壌は、何人たりとも足を踏み入れたことのない広大な処女地。それは多くの野心家な科学者――特に若い者たちに好まれた。誰も踏み入れたことのない地を自分が開墾することに知的な興奮を覚える者もいれば、それを手段にして歴史に名を残そうと考えた者もいた。

若手の活躍は全体の活性化につながる。彼の最大の功績は、多くの分野をたった一人で活気づけたことだった。


「……超人だな。こんな人物なら、もっと知られていてもおかしくないはずだ。単に僕が物知らずだったとは考えにくい……考えたくないんだが」

「業績のわりにあんまり有名じゃないのには、いくつか理由があるよ。
まず、次元世界――特にミッドチルダでは科学に関心を持たない人が多いからかな。ニュースを見ていても、魔導師はよく取り上げられるけど、魔法の研究とかはあまり取り上げられないでしょ? 魔法が関係しない研究なんて、もっと扱いが低くなるし。
 次に、スカリエッティ自身、マスメディアへの露出が極端に少なかったみたい。学会もコネクション確立のためだったのか、後半はそれほど出席しなかったみたいだね。
 とどめに、犯罪者になった時に業界全体が自粛したらしいの。現在出版されている書籍のほとんどから、彼の名前は消されている。犯罪者にさえならなかったら、今頃子供でも知っているくらいには有名になっていたんじゃないかな?」

クロノは知らずの内に顔をしかめていた。ジェイル・スカリエッティの経歴は、百五十年前に管理局の雛型を創り上げた始まりの人々や、七十年前に活躍した伝説の三提督と並べても、勝るとも劣らない輝かしさだ。
それだけに残念に思う。彼が本気で管理世界と人々のことを考えて行動すれば、どれだけの人々が救われることか。

「いったい、どんな人物なんだろうな」


  *


来客を告げる音が病室に響きわたり、プレシアは眠りから覚めた。
今日はフェイトが面会に訪ねてくる予定だ。しかし時刻を確認すると、その時間にはまだ余裕があった。予定には少し早いが、早くに到着してしまったのだろうか――そう思って、扉の方を見る。

扉が開く。病室に入って来たのはフェイトではなく、青い薔薇の花束を抱えた男だった。
年は二十前か。紫の髪を肩まで伸ばし、線のやわらかい吊り目――いわゆる狐目をした男。スーツを着崩したその姿は、一見すればただの優男。
しかし顔を見れば、見た目よりもずっと子供っぽい笑顔をうかべている。全体を見れば、見た目よりずっと老成した雰囲気を纏っている。男は相反する要素を兼ね備えていた。そしてその両極を、金色の瞳に内包している。

「やあ、久しぶりだね。プレシア・テスタロッサ」

「この病院は管理局御用達よ。よくもここまで入って来られたわね、ジェイル・スカリエッティ」

驚きはある。なぜ彼がここにという疑問もある。だがプレシアは、それを表には出さずに強がって言い返す。
対して、彼はおどけたように両手を肩の高さまで上げて、驚いたというジェスチャーをとった。

「嬉しいよ。私のことを覚えていてくれたんだね」

「あなたのことを知らない科学者がどれだけいて?」

「悲しいことに最近はあまり知られていなくてね。これも管理局の地道な活動のたまものだ。
 そうそう、警備のことは気にしなくていいよ。娘の一人が監視機器をごまかしているから」

「子供がいたの? ……いえ、そもそもあなたはジェイル・スカリエッティ本人? その姿、十年以上前に会った時と全く変わっていないじゃない」

ジェイル・スカリエッティの容姿は十五年前で二十前後。本人であれば三十代半ばのはずだ。
だというのに、目の前にいるスカリエッティを名乗る人物の顔は若々しかった。十五年前同様、もしかするとそれ以上に。もっとも彼はアンチエイジングに関しても多大な業績を残している。老化を抑制することなど、彼には造作もないのかもしれない。

「最初の質問については――きみにとっての子供の定義が、生殖によって生産される自身の遺伝子を継ぐ存在に限定されているならば“NO”だ。
 そしてもう一方は“YES”だ。私はまぎれもなくジェイル・スカリエッティだ。その理由はじきにわかるよ。だが容姿のことを言うなら、きみも以前とさほど変わっていないようだ。相変わらず綺麗だよ。沈魚落雁の風情とでも表現すれば良いのかな」

「お世辞はいいわ。私に何の用?」

彼は手に持った花束を近くの机に置くと、来客用の椅子に座り、あらためてプレシアに向きなおった。
プレシアは横目に薔薇の花束を見る。綺麗な青色。市販されている一般的な品種よりもさらに純粋な――引き込まれそうな――青だ。
若いころは、気品と誇りを感じさせる紫の薔薇が好きだった。だが、アリシアを失った時にすべて捨てた。気品や誇りなんていらない。そんなものはアリシアの復活のためには邪魔になるだけ。
その代わりに青い薔薇を置くようになった。それは自然に存在しない、人為的に作り出された花――だから良い。人間の科学が不可能を可能にしたという事実そのもの。科学への祝福を表す花だ。
スカリエッティはプレシアのことを調べて、この花を持ってきたのだろうか。それとも彼自身もこの花が好きなのだろうか。

「アルハザードを目指そうなんて、思い切ったことを考えたものだね」

そんな風に考えていたところ、スカリエッティの声で引き戻された。

「……耳が早いわね。もう報道されているの?」

「いいや、まだだよ。ただ、きみの起こした事件に私の友人が関わっていてね。ウィリアム・カルマン――と言ってもわからないかな? きみと戦った赤い髪の局員だよ。行方不明になった彼の様子を調べていたら、偶然事件のことを知ったのさ」

「ああ……あの変わった子とあなたが。……愛と憎しみはそれぞれ独立パラメータだ――なんてませたことを言っていたけど、もしかしてあなたの影響?」

スカリエッティは嬉しそうに笑う。

「それは彼が子供のころに、愛情と殺意は共存し得るのかと聞かれた時の答えだね。
 正確には、『愛と憎しみに限らず、全ての感情は同一平面上に存在しない。それぞれの感情自体は、異なる次元に属するパラメータ――つまり数学的に独立しているものさ。きみという人格は、そんな複数のパラメータが複雑に統合されて形成された、非常にあやふやなものだ。だから愛や憎悪という一つのパラメータだけを見て悩むことはない。迷った時はただ心から湧き上がる衝動――欲望に任せれば良い。それこそが、きみ自身の望みだから』
 と、言ったと記憶しているよ。彼はちゃんと覚えていたようだね」

「……あきらかに子供に教えることじゃないわね」

目の前の男は子供に何を教えているのだろう。プレシアは、呆れを通り越して完全に引いていた。こんな男の影響を受けたのであれば、あの局員も多少変わっていて当然だろう。
そんなプレシアに対して、スカリエッティは呆れたように首を振った。

「嘘やおためごかしを告げるよりはずっと良い。子供は意外と賢いから、適当なことを言っては信用を失うよ? 多少難しくとも真実を教えるべきだ。そうすればその時は理解できなかったとしても、彼のように覚えていてくれることもあるからね。成長してから私の言葉を理解して、彼自身が自分で思考して間違いだと判断したのなら、それはそれで良い。私の考えは彼にとっての真理足りえなかったと言うことさ。
 だが、科学者であるきみには私の言葉が真理であることがわかるはずだよ。プロジェクトFを理解したきみならね」

今スカリエッティが言葉は、プロジェクトFの根幹を成す考え方の一つ。全ての感情や記憶がそれぞれ独立したパラメータでなければ、人間の完全なコピーはできないから。
しぶしぶ納得したプレシアの顔を見て、スカリエッティは続ける。

「そう、プロジェクトF――FATEを完成させたみたいだね。そのことでお礼を言いに来た。
きみがやってくれて助かったよ。昔から反復作業が嫌いでね。結果がわかりきったことをやるのは、どうにも面倒だった」

「完成と言えるのかしらね。あれで生みだしたフェイトはアリシアにはなれなかった」

その言葉に、スカリエッティは大きくため息をつく。

「やはりそうか。もしかしたらと思っていたが……あれを理解できるほどの頭脳を持ちながら、きみは初歩的な間違いを犯していたようだ」

「間違い……やっぱり私は間違っていたの?」

「単なる『記憶の移植』で、人間を再現できるはずがないじゃないか。きみは記憶を共有しただけで同じになれると思っているのかい?
 ある船とまったく同じ船を造るために、同じ資材を用意した――プロジェクトFは所詮そこまでだ。資材だけを見ても、当然船には見えない。同じ船を造りたいのであれば、そこからさらに一歩踏み込んで、“建造”する必要がある。人間で言うなら、モノとモノをつなげるネットワークのコピーが必要だ。
 プロジェクトFだけで人間の再現をおこなおうなんて、最初から無理な話さ」

その言葉が学術的に正しいのかはわからないが、スカリエッティの言葉には信じてしまうような正しさがあった。
平衡感覚を失いかけ、思わず手をついて体を支える。フェイトとアリシアは違うと、すでに自分の中で結論を出していなければショックで倒れていたかもしれない。結論が出ている今でさえ、これだけの衝撃を受けているのだから。
はっはっ、と息が漏れる。呼吸がおかしくなったのか。それとも、嗤っているのか。
スカリエッティは、そんなプレシアをいたまし気に見やる。心の底から同情しているような目。実力があるのに、ケアレスミスで試験に落ちてしまった生徒を見るような目。
しばらくの間、プレシアは何も答えられなかった。

「きみの聡明さなら考えればわかったはずだ。それができなかったのは、相当焦っていたからかな? それとも、わざと気付かないふりをしていたのかい?」

その間にも、スカリエッティはそんな問いかけをしてきた。追い打ちをかけられているような気がする。落ち着いてくると、目の前の男が憎たらしくなってくる。本当に、何をしにきたのだ。

「あのね……あなたは私を落ちこませるために来たのかしら? それとも怒らせるため?
 魔法が使えなくても、あなたをひっぱたくことくらいはできるわよ」

「すまない、そんな意図はなかったんだ。……そろそろ本題に入ろうか。
 実は、花以外に“もう一つ”プレゼントを持って来た。
 きみは病に犯されているらしいね。ここに来るまでにカルテを見たが……よくもこれだけ長い間放置していたものだ。ここまで腫瘍が転移しているようでは、多少の延命程度ならともかく完全な治療は私にも不可能だ。このままでは良くて半年といったところだろう」

スカリエッティの言うことは、プレシア自身も重々承知している。今さら彼に言われることではない。治療などもはや不可能。
――いや、彼は『完全な治療』は不可能と言った。そして、『延命程度なら』とも。
即座にスカリエッティの意図を推測する――おそらくプレゼントとは延命のことではないか?
だが、プレゼントと言ってはいるが、ただでそんなことをしてくれるとは思えない。彼が要求する対価はなんなのか。
――なんだってかまわない。どうせ、このまま朽ちていくよりは良い。

「延命処置をしてくれるというのなら、喜んで受けるわ。私はまだ、アリシアの復活を諦めてはいないから」

だが彼は首をかしげる。何を言っているのかわからないというように。
深読みしすぎたかと、後悔と恥ずかしさがないまぜになったプレシアに彼は問いかけた。

「“そんな程度”で満足なのかい?」


スカリエッティは椅子から立ち上がると、病室を歩きながら話し始める。生徒に講義する教授のように。

「今から数百年前、数多くの王国が乱立し、覇を争っていた時代があった。国家の主たる王は、その存在自体が強大な兵器を兼ねていた。王の前ではどれだけ強くともただの魔導師など有象無象にすぎず、現代では考えられないことだが王の強さこそが国家としての強さを表していたのさ。だがそれは逆に、王の死が国家の崩壊を意味していた。それを防ぐために当時の科学者たちは、常に保険をかけていた」

「いきなりどうしたの?」

「彼らは、王が死んだ時に保存していた細胞から王のクローンを生み出す――そんな技術、ロストロギアを造りだしたのさ。生みだされたクローンは、魔法の才能(リンカーコア)や稀少技能(レアスキル)といった魔法的素養はもちろんのこと、記憶や精神をも受け継いだ、故人と完全に同一の存在だ。
 プロジェクトFは、その装置の記憶継承方法を説明したものでね。装置は王のためのものだけあってほとんどがブラックボックスで、いまだに記憶の継承部分しか“解析”できていないのだけどね。さすがにそんな劣化コピーを世に出すのはプライドに障ったから、死者からでも記憶データを復元して取り出せるように改良したのさ。我ながらこれはなかなかの出来だったと自負しているよ」

簡単に言うが、隔絶した技術で造られたものを解析することがどれだけ困難なことか。
だが、スカリエッティが何を言いたいのかわからず、プレシアは戸惑う。

「それがいったいなんだというの? その技術があればアリシアを蘇らせることができると、紹介してくれているのかしら?」

「残念ながら、それは不可能だ。死体からでは十分な情報が得られないからね。私が完全に解析した暁には、死者の復活くらいはできるようにするつもりだが……それは当分先の話だね」

「なら、いらないわ。ただの自慢なら――」

そこでプレシアは気付いた。彼は“解析”したと言った。つまり、そのロストロギアを所有、もしくは解析させてもらえるほど所有者に近しい立場にある。
そして、使用することもできる。彼の年齢にしては若すぎる容姿は単なる老化抑制ではなく、その装置によるものではないのか。つまり今の彼は十年前と同じ体ではなく、今の話はアリシアのためではなく――

「私はきみに新しい命をプレゼントしよう。
 きみにはもう一度――いや、望むのであれば何度でも、意志が折れぬ限り永遠にアリシア・テスタロッサを蘇らせるための研究を続けることができる。再びアルハザードを目指すのもいいだろう。疲れたなら少し休んでも良い。誰か他の者が死者蘇生の技術を発見するまで待つのも一つの手だ。時間は無限にある。何をしようときみの自由だ。
 装置が正常に機能することは保障しよう。ほかならぬ私自身で証明済みだから、何の心配もいらない。

 後はただ一つ――すべてはきみの自由意志」

「悪くないプレゼントだろう?」と、聖者のように微笑みながら、スカリエッティは救いを差し伸べる。地獄へと蜘蛛の糸を垂らすように。そして誘う。リンゴを勧める蛇のように。

考えるまでもなく、プレシアの答えは決まっていた。


「いやよ」


スカリエッティの顔に、初めて笑み以外がうかぶ。その唖然とした表情に小気味のいいものを感じる。
なんだ――笑ってばかりいたが、ちゃんとそれ以外の顔もできるんじゃないか。

「……ノータイムで答えられるとは思わなかった。理由を聞いても?」

「たしかに新しく生み出された私は、フェイトとは違って記憶だけじゃなくて精神もコピーしているのかもしれない。他人から見れば私と全然変わらないように見えるのかもしれない。
 でも、今ここに生きている私には、どうしてもそれが私と同一の存在だとは思えない。フェイトという失敗を経験したからでしょうね。結局新しい命を作り出して受け継がせるという方法では、よく似た別人を生みだしているようにしか思えないのよ。
 そして――」

プレシアはスカリエッティをしっかりと見返して言った。

「私はどうしてもアリシアを蘇らせたい。これは私のエゴよ。このエゴは――アリシアへの思いも記憶も、私一人だけのもの。ほかの誰にも譲ってなんかあげないわ」

断言。スカリエッティはゆっくりと首を横に振る。

「こんな私にも親はいるんだが……きみは彼らと同じことを言うんだね。同じ肉体と同じ精神をもっているなら、それらは同じ存在じゃないか。魂など存在しないのだからね」

見上げるプレシアの視線と、見下ろすスカリエッティの視線がぶつかった。

「あなたは歪んでいるわ」

「遅れているんだよ、きみたちが」


スカリエッティは椅子にすわりなおす。二人の視線は再び等しくなる。

「……残念だよ。興味を持ってくれたなら、引き換えにきみに仲間になってもらいたかったんだが」

「仲間? それがあなたの求める対価なの?」

思いもかけない、そして似つかわしくない言葉に思わずくすりと笑う。この男が群れている姿など想像がつかない。
スカリエッティはテーブルにのせた青い薔薇の花を指でいじりながら、再び笑う。

「そうだよ。私はね……プロジェクトFを完成させる者がいるとすれば、それは集団だと思っていた。だが、その予想は外れた。きみはたった一人で私の研究に届いた。……そんな人物は初めてだったんだ。
 もしかしたらと期待を抱いたよ。私と同じフィールドに立てるきみなら、私の理解者になってくれるかもしれないと」

「仲間になってあげても良いわよ」

スカリエッティの表情が止まる。指の動きも止まる。
口だけが短く動き、「望みは?」と音を発する。

「私を延命させることはできるのでしょう?」

「可能だ。せいぜい数年といったところだけどね」

「それで良いわ。私を延命させる。それが一つ目の条件。
 二つ目は、私をここから逃してかくまうこと。命だけ延びてもどうしようもないわ。
 三つ目は、研究のためにあなたのラボを貸すこと。時の庭園の設備はもったいないけど、あなたのところならもっと良いものがそろっているでしょ?
 四つ目は、アリシアの遺体を回収すること。
 最後に……片手間でも良いわ。あなた自身もアリシアの復活に力を貸しなさい。
 この条件を飲んでくれるなら、私もあなたに協力してもいいわよ」

スカリエッティの方から、ふっふっ、と息が漏れる音がする。それは次第に大きくなり、ついには病室に響きわたる大音声になる。防音されているとはいえ、外に漏れるのではないかと心配になるくらいの大きな笑い声だった。
彼は心の底からおかしそうに笑う。

「あははははははははは! わ、私が望みを言った途端、あっさりとそれを利用して望みを通そう、だなんて! あははははははははは! きみはとてもしたたかで、そして強欲だ! これでは私も、『無限の欲望』の名を返上しなければならないじゃないか!」

無限の欲望? いったい何のことなのかわからないが、その言葉は、目の前の男にとても似合っていて、そしてまったく似つかわしくなかった。
ひとしきり笑った後、彼は何事もなかったかのように普通の笑顔に戻って、鷹揚にうなずいた。

「わかった、条件はすべて飲もう。きみを口説くためだ。そのくらいは貢がないとね。
 ……あらかじめ言っておくが、私が手伝ったとしても、きみが生きている間にアリシア君を復活させることができる可能性は極めて低いよ。それでも良いんだね?」

「構わないわ。ここで終えるよりはましだから」

「それでは、いつ逃がそうか。望むなら今すぐでも可能だが」

できる限り早い方が良い。だが、少し考えてからプレシアは首を横に振った。

「フェイトの裁判が終わってからにして。今逃げると、あの子の方にも影響するから」

「それは構わないが、きみはフェイト君を虐待していたそうじゃないか。今さら気にかけるなんて、どういう心変わりだい?」

「まだ嫌いよ。でも、あの子は私に足りないものを与えてくれた」

「ふむ、興味はつきないが……どうやらもうすぐそのフェイト君が来る時間だね。今日はこのあたりで失礼するよ。
 主観的に見れば、なかなか充実した楽しい時間だったよ。たまには外にでるのも良いものだ」

腰を上げ扉に向かう途中で、振り返ることなく背を向けたままで、思い出したかのように彼は言った。

「――ああ、そうだ。この後のフェイト君との面会だが、その最初の五分間は監視機器を狂わせたままにしておくよ。好きなことを話すと良い」

彼は扉を開けて帰って行った。その言葉と、薔薇の花束だけを残して。


  **


フェイトは、面会時間ぴったりに部屋に入って来た。
時の庭園の頃は地味な服を着ていた彼女も、今はかわいらしい服を着ている。服に無頓着なフェイトやアルフが自分で選んだとは考えられない。となると、管理局の者が世話を焼いているのだろう。どうやら悪い扱いは受けていないようだ。
彼女は、机の上に置かれたままの青い薔薇を見て、首をかしげる。

「誰か訪ねて来たんですか?」

「近い内に、ここを離れるわ」

フェイトの疑問に答えず、それを伝える。びくりとフェイトは震えるが、拳を握りしめながらも言葉を発した。

「ついていっても――」

「駄目よ。あなたは残りなさい」

「……わかりました」

口ではそう言ったが、フェイトの瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれる。
プレシアは手招きし、おずおずと近づくフェイトに手を伸ばし、抱き寄せた。自分の胸に顔をうずめるフェイトの耳に、唇を近づける。

「そんな顔をしなくても、きっとまた会えるわよ。会えないなんて、私の方がまいってしまうわ」

プレシアはフェイトの髪をなでる。あの時も、こうして抱きしめた。



アースラが地球から本局へと帰還する時のこと。
ベッドで上半身を起こしたプレシアとその横の椅子に腰かけたフェイト。二人の視線は重なっていない。その原因はプレシアにある。フェイトはプレシアを見ているが、プレシアはフェイトから視線をそらしていた。

「……いろいろ、聞きました。私のこととか……アリシアのこととか」

無言を打ち破ったのはフェイトの言葉。

「知ったのなら何をしにきたの。もうわかったはずよ。私はあなたの母親ではないし、あなたは私の娘ではないわ」

フェイトはうつむき震える。それをプレシアは、怒りによるものだと解釈した。
自分を利用し、関係ないと切って捨てる自分に対する怒りだと。それは正当な感情。だから告げる。

「私に復讐するつもりなら止めておきなさい。たしかにあなたにはその資格があるわ。でも勝手に私を殺せば、執務官もあなたをかばいきれなくなる。
 私のことなんか放っておきなさい。あなたが何もしなくても、じきに死ぬわ」

フェイトは音がするほど激しく、首を横に振った。ピンクのリボンで結ばれた金の髪が揺れる。

「復讐なんてする気はありません。私はただ、伝えに来たんです。
あなたがどう思おうが構わない。私は今でもあなたのことが大好きです。そして、あなたが娘だと思ってくれなくても、私はあなたを母親だと思っています」

不意打ちだった。だが、半ば予想していた言葉でもあった。あれだけひどい目に合わせて、それでも自分についてきたフェイトならもしかしたら、と。
時の庭園で意識を失う直前、誰かに(おそらくあの赤髪の局員に)抱きしめられた時、プレシアは自分に足りないものを認識した。そして、フェイトならそれを与えてくれるのではないか、と。

思わずフェイトに手を伸ばす。だが、今さら――
やっぱりやめようと手を引っ込めようとして、体がふらついた。
バランスを崩したプレシアの体を、フェイトが抱きとめる。その手から、フェイトの暖かさが伝わる。

「私は……まだ、あなたのことを娘だとは思えない」

「構いません」フェイトは即答する。

「アリシアを蘇らせることも、諦めていない」

「だったら、私も手伝います。あなたの役に立てることが、私の喜びだから」

再度即答。フェイトは揺るがない。「馬鹿な子」とフェイトの愚かさを嘲笑う。これだけの目に合って、なおも変わらないとは。
おとなしそうなくせに、賢そうなくせに――わがままで、向こう見ずで、無鉄砲で、人の言うことを聞かない。
やっぱり、フェイトはアリシアではない。全然似ていない。

「まったく、誰に似たのかしらね」

プレシアは、初めてフェイトを抱きしめた。。



あの時と同様にフェイトを抱きしめ、その熱を感じる。
そしてもう一つの熱を感じる。自分の内側から湧き上がる、衝動のような熱さ。

それは“歓喜”

私以外の誰かが、私を見てくれている。支えようとしてくれる。味方でいてくれる。すべてを知ったうえで肯定してくれている。
自分を愛してくれる人。そして、自分が愛せる人――となりにいてくれる人。もっと、もっと即物的に言えば、抱きしめることができて、抱きしめ返してくれる人。
人の意志に永遠はない。時間の中で思いは変質する。抱きしめることのできない死者への思いを、いつまでも持続させることなんてできない。
だから、誰か活力を与えてくれる、生きた人間――『パートナー』が必要だったのだ。

私はついに、それを手に入れた。

フェイトを完全に受け入れたわけではない。憎いという気持ちはまったく薄れていない。
だが、あの局員が、そしてあの科学者が言った通り、愛情と憎悪は異なるパラメータ。憎みながら愛することはできる。
それに、ここまで自分を愛してくれて、なおかつアリシアの復活を応援してくれる人間には、もう出会えないだろう――そんなひどく打算的な理由もある。

――まあいいや。打算的かもしれないが、これも一つの愛だろう。

プレシアは、強く強く、大切なフェイトを抱きしめた。


  ***


それからしばらくの後、プレシア・テスタロッサは病院から忽然と姿を消した。
その事実は、本局のアルフや、隔離施設に入れられたフェイトにも伝えられた。アルフは怒り狂ったが、フェイトは「そうですか」とうなずいただけだった。その平然とした態度に、何か知っているのではないかと怪しむ者もいたが、具体的な証拠は何もない。
プレシアの失踪とほぼ同時刻、時の庭園に存在していたアリシアの遺体を保存していたポッドがなくなったため、管理局は彼女に共犯者がいると考えている。
だが、どのようにして共犯者とコンタクトを取ったのかはわからず、依然としてプレシアの足取りはつかめていない。



彼女はまだ生きている。
いつか自分とアリシアとフェイトの三人が出会う、その一瞬を夢見ながら。



(後書き)
スタンドバイミー(となりにいて)ということで、プレシアに関してはひとまず終わりです。まだ出番はありますが。
今回はかなり好きに書きました。スカリエッティの経歴とか。

最近、ウィルのデバイスは剣型よりも盾型の方が戦闘方法にあっていたなと後悔中。超高速で盾構えて突っ込むのは、とても効率がよさそうです。でも、高機動紙装甲はロマンだし……



[25889] 幕間一 ツアー・クラナガン
Name: 上光◆2b0d4104 ID:39a587c8
Date: 2011/09/15 23:11
なのはたちの故郷である日本では、神を数える時、一柱、二柱という数え方をする。かつての日本では、神とは柱であった。
その起源は樹だったのだろう。個人の知覚には限界がある。数百年を生きる大樹の全容を空も飛べない人間が把握できるわけもなく、それを神のごときモノだと考えたとしても、さしておかしいことではない。その根源にあったのは、自身を越える存在への畏怖だったのか、それとも尊敬だったのか。
ここに樹などとは比べ物にならないほどに、大きな柱がある。それは塔――人間が造り上げた柱だ。
天を衝く巨大な塔を地上から見上げても、先端は雲に隠れて見えはしない。その威容はただの建築物というのを通り越し、高天原から葦原中国をかき混ぜるために下ろされた天濡矛――いや、もはや顕現した神そのものと言っても過言ではないだろう。そのような塔が幾本も――この光景を見れば、たとえ文化や世界が異なる者でも、この場所に非常に大きな力が集結していることを理解するに違いない。

ひときわ高い中央のタワー(塔)を囲む周囲の高層タワーの一室にウィルたちはいる。
過度な装飾はなく、テーブルとソファーが置かれているだけの極めて単純な応接室。天井に照明がついているが、外に面した壁がガラス張りになっているため、今日のように天気の良い日なら太陽の光だけでも十分すぎるほどに明るい。
ソファーには高町なのははと彼女の兄である恭也、そしてユーノが座っており、低いテーブルをはさんで反対側のソファーにはゲイズ家の三人が座っていた。
なのはとユーノは、管理局の陸士訓練校への二十日ばかりの体験入学のために、ミッドチルダにやって来た。そして恭也はつきそい――とはいえ訓練校についてくるわけではなく、ミッドチルダという世界を知るためについて来てもらった。ウィルにとっては、ミッドチルダは故郷でもある普通の世界。そして地球は平和な良い世界。二つの世界には、ともに好感を抱いている。だが、地球出身の高町家の面々も同じように思うとは限らない。後からミッドチルダの実体を知って、「こんな世界に娘を行かせたなんて!」と怒らせることになる可能性がないとはいえない。おそらくは杞憂だが、こういった後々問題になりかねないことは、早めに対処するに限る。

なのはとユーノの様子を見ると、二人は職員室に呼び出された生徒のように緊張して、身体が固まっていた。窓からの日差しが彼女らの白い肌をより一層白く輝かせるので、まるで石灰石膏でできた像のよう。日本風の言いまわしでは、『蛇に睨まれたカエル』か。その原因は目の前の(蛇ではなく)熊のような大男。管理局第一世界ミッドチルダ地上本部首都防衛隊レジアス・ゲイズ少将だ。

「先の事件では、息子が世話になった。儂からもあらためて感謝を。
 きみたちのような子供が、率先して行動を起こしたのは素晴らしいことだ。きみたちが生来持つ善良な気性と、良き教育によって育まれた高い道徳性を表している」

言葉の内容とは異なり、レジアスの口から発せられる言葉の響きには相手を圧倒する重々しさがあった。
しかも、ただでさえ迫力があるのに、今は背を丸めて身体を前に乗り出している。あまり行儀の良いことではないが、これはなのはとユーノに視線の高さを合わせるという彼なりの心づかいだ――が、その様は獲物を狙う肉食獣が跳びかかる寸前の“溜め”を想起させるものだった。横から見ると威嚇しているようにも見える。怯えるなのはは、隣に座っている恭也の服をこっそりと握りだした。レジアスが自分からも礼を言いたいというので連れて来たが、連れて来なかった方が良かったかもしれない。

だが微笑ましい光景でもある。この養父は昔から変わらない。自分より強い者にはとことん強いのに、女子供のように自分よりも弱い者には弱い――どう対応すればいいのかわかっていない。その不器用さは、彼の対人交渉における短所だが、彼の親しい友人たちにとっては良い点らしい。その不器用さを見ると、自分たちが支えてあげなければ、と思ってしまうのだとか。いわゆるギャップ萌えというやつだろうか。

ウィルは、なおも話し続けるレジアスから視線を外し、窓の向こうの景色を眺める。その向こうには、クラナガンの街が見えた。
人口数億のメガシティ(巨大都市)であるこのクラナガンは、第一管理世界ミッドチルダのメトロポリス(中心都市)にして、あまたの管理世界の中心となるグローバルシティ(世界都市)である。
そして、ここは管理局の『地上本部』。建築物に高度制限が存在するクラナガンの中で、唯一その規則を破っている建築物が並ぶエリア。クラナガンの中心に位置しているこのエリアは、まさに管理世界の中心地とも言える。
管理世界の調停者として次元の海に君臨する海の『本局』と、管理世界の守護者として次元の陸に根を張る地上の『本部』は、ともに平和を乱すものから世界を守る双璧である。

それにしても――この高さから見下ろすと、クラナガンの数々の建築物。そのわずかな高度差や、他と差をつけるために施された装飾や色彩といった意匠も、個々というくくりから解き放たれて、一枚の茫漠とした絵画のように見える。数多くの人が携わり築き上げて来た、この街全体を使った絵画――何と贅沢な趣向だろう。初めて見たというわけでもないのに、ウィルはしばらくその光景に見惚れていた。

「それに反して海の対応はどういうことだ。きみたちの活躍は素晴らしいことだが、それは同時に現地の子供が動かなければならないほど、海の対応が遅かったという問題の表れでもある。いくら事情があるとはいえ、普段から戦力を増強しておきながら肝心な時に初動が遅れるようでは――ウィル! どこを向いている!!」

「え? 窓の外だけど。ここから見えるクラナガンの景色は良いよね」

「そうだろう、儂も時たまわけもなく眺めて……いや、今はそんなことはどうでもいい! 何を人ごとのような顔をしているか! 今回の事件での最大の問題点はお前なのだぞ! 局員であるお前がいながら民間人――あろうことか子供を戦わせおって……!」

レジアスの言葉はもっともなものであったが、ウィルもそのくらいはわかっている――わかっていてなおそのような行動をとった分、余計にたちが悪いのかもしれないが。
だから、そんなことを言う養父につい反抗して(甘えて?)みたくなった。

「二人とも自分から志願してきたんだし……それに、結果的には一番効率が良い方法だったと思うよ」

「ええい!! 海かあの男かは知らんが、そんな効率主義に汚染されおって! 守るべき市民を駒のように扱うとはどういう了見だ! お前も局員である以上、一人の男として――」

「お前お前って、息子の名前くらいちゃんと呼ぼうよ」

「はなしをそらすな!!」

「レジアス少将、ウィリアム三尉。客人の前です、言い争いなら外でやってください。扉と窓、どちらかを開けましょうか?」

口論を続けようとするレジアスを、オーリスの氷のような声がとどめる。それで二人とも口を閉じた。ゲイズ家ではいつもの光景。ウィルが馬鹿なことを言って、レジアスが怒り、オーリスが仲裁する。喧嘩というほどではない。だいたい、ウィルが馬鹿な発言をする場合はほとんど本心からのことではなく、保護者に叱られたいという甘えから来るもの。なんだかんだで親が恋しいのだろう。性癖が歪んでいるからではない……はず。
それはともかく、ここにはやてがいない――来れなかったことが残念だ。彼女がゲイズ家の一員になっていれば、どんな役割を担うことになったのやら。


  *


レジアスとの話しを終えた一行は、地上本部の前のターミナルで、ウィルと同じく本日はオフのクロノと合流し、レールウェイ(鉄道)に乗りこむ。クラナガンは地球に比べると自家用車の所有率が低く、そのかわりにこのような公共交通が発達している。
車両は地上本部から離れ、企業ビルの立ち並ぶエリアを抜けて商業エリアへと向かう。
次の目的はショッピングに興じること。今日の予定はなのはとユーノがこれから必要となる雑貨を買い込み、それから観光。適当な時間になったら食事でもして、予約しておいたホテルまで送り届ける。明日になればなのはとユーノをミッドチルダ北部の訓練校に送り届け、恭也は適当に観光を続けてから、一足先に地球に帰ることになっている。

商業エリアは平日でも大勢の人であふれていた。管理局は管理世界最大の規模と人員を誇る組織。そのお膝元となれば、管理世界中から人が集まってくるため、人口も増加の一途をたどっている。人の多さに驚いたのか、なのははきょろきょろと周囲を見回していた。その姿は小動物を連想させ、変身したユーノよりもなのはの方がずっとフェレットのようだと、思わずほほえましくなる。

買った荷物をなのはたちが宿泊する予定のホテルに送ると、一行は休憩のために喫茶店に立ち寄った。ハーフデイという名前の、ウィルがひいきにしている店。少々変わってはいるが、味はオーソドックスで悪くない。ただ、海鳴の翠屋を経験した後だと、少し物足りない。
店に入ると、店がデイタイムとミッドナイトの二つに分かれている。ウィルは迷わずデイタイムの方に進んだ。その先は屋外――テラス席になっている。席は通りのすぐそばなので、街の音がよく聞こえる。人の話声、歩く足音、店が客を呼ぶために流すコマーシャル。まったく関係のない個々の音は、しかし脳が無意識の内に統合することによって、小気味よく、それでいて壮大な一つの曲のよう。

テーブルから投影されたホロ・ディスプレイにメニューが表示される。「適当で良いよね?」と残りの四人に聞いて、五人分のドリンクを頼んだ。

「やっぱり外は良いな」

席に着いたクロノは、両手をあげて背を伸ばすという、珍しくくつろいだ姿を見せた。
その隣に座ったユーノも同じような動作をとりながら相槌を打つ。

「ほんとに……太陽の光は良いよね。本局も悪いところじゃないんだけど……」

「お日さまがないの?」本局を知らないなのはは首をかしげる。

ユーノはうなずく。管理局の本局は次元空間に浮かぶ大きな船で、非常に大きな時の庭園のようなもの。次元空間に恒星どころか星一つすらないので、当然昼夜は存在しない。

「おかげで最初の頃は時間の感覚がおかしくなっちゃって……クロノには何回も迷惑をかけたよ」

「本局に来たばかりの頃はみんなそうなる。ユーノはミッド出身だからまだましな方だ。それ以外の管理世界の者だと、一日の長さが違うから、体調を崩してしまうことだってある」

時間の感覚がわからない――というのは、海に勤めている者の多くが経験している問題だ。常に変わらない人工の光の下、時計の数値だけではなかなか実感はともなわず、次第に体内時計とのずれが大きくなる者もいる。
さらに、管理世界ごとに時刻系(時間の数え方)は異なる。そのための基準となる自転周期が、惑星(管理世界)ごとに異なっているからだ。管理局では、管理局発祥の地にして各管理世界の中心地たる第一管理世界ミッドチルダの時刻系を標準時間として用いているが、そのためミッドチルダ以外の世界から来た者はなかなか馴染むことができず、ひどい時にはカウンセリングを受けることもあるそうだ。

それはともかく、あの礼儀正しいユーノがクロノのことを呼び捨てで呼んでいるところを見ると、二人はずいぶん仲良くなっているようだ。うらやましい。
恭也の方を見ると、空中に投影されたホロ・ディスレイの広告を不思議そうに眺めていた。
なのはたちちびっこ三人は彼らで話す形になったため、余りもの同士、ウィルは恭也に声をかける。

「恭也さんの目から見て、この街はどうですか?」

「もっと魔法が飛び交うような幻想的な街を想像していたが、まったくの逆だったな。SFに出てくる未来都市のようだ。
 そういえば、空を飛んでいるやつはいないんだな。せっかく空を飛べるなら、歩かずに飛びそうなものだが」

「街中での魔法行使――特に飛行魔法は原則的に禁じられていますからね。魔法の素養がある者は全人口の三割以下ですから、魔導師が隣でばかすか魔法を使っていたら非魔導師が怖がります」

気軽に言ったウィルの言葉に反応して、恭也は怪訝そうな顔をする。

「そんなに少ないのか……それでうまくいくものなのか? 俺はユーノやウィルを怖いとは思わないが、まったくの知らない他人まで無条件に信頼できるわけじゃない。人並み外れた力を持つ者を社会が受け入れるのは、容易ではないはずだ。
 しかも、この世界では銃のような武器は、質量兵器と呼ばれて持てないようになっているんだよな? まったく対抗する手段がないのなら、余計に……」

質量兵器とは、魔法を動力とせずに動作する兵器のこと。地球であれば、銃火器やミサイルといったものがこれに該当する。
かつてベルカという世界が、ミッドチルダをはじめとする多くの世界を支配していた時代があった。だが、その世界は質量兵器によって一度崩壊寸前に陥った。その爪痕は大きく、現在の管理局の統治下にいたるまで、当時のベルカの影響を受けている世界では質量兵器の所有は禁止されている。
だがそれは、非魔導師は魔導師に対抗する手段が持てないということでもある。

恭也の懸念はもっともだ。事実、魔導師は並の人間よりもはるかに強い。たとえ法で守られていると言っても、自分が抗う術がない強者が傍にいれば嫉妬や羨望――なにより恐れが生まれるのは当然のこと。
もちろん、どれだけ立場や風習、種族が違おうが、個人と個人は互いに受け入れ合うことができる。だが、社会というステージでは、異なる者同士が受け入れ合うことは難しくなる。
一月に満たない期間とはいえ、妹を送り出す兄の立場からすると、魔導師の社会的立場が気になるのも仕方ない。

しかし、恭也の懸念は杞憂でもある。ミッドチルダでは、今のところ魔導師もそうでない者も仲良くやっている。単にミッドチルダの市民が善良だから、などという理由ではなく、裏には管理局の思惑が絡んでいるのだが。

「至言ですね。……たしかに、おれたち魔導師は潜在的に危険な存在です。高ランク魔導師……たとえばクロノが怒り狂って魔法を使いだしたら、管理局に鎮圧されるまでの間に周囲百メートル以上を廃墟にすることだってできます」

「誰がそんなことするか」なのはたちと話しながらも、クロノはつっこみをいれてきた。

「怒るなよ。あくまでたとえだから。……だから管理局は両者を融和させるためにいろいろやってきました。たとえば、魔法の非殺傷設定もその一つです。
 恭也さんには管理世界のことを知ってもらうために来たんですから――」

少し、そのあたりのことを説明しましょうか。
そう言った時、注文の品が届く。赤と青の比重の異なる液体によるカクテル。ミッドチルダでも未成年(十五歳未満)の飲酒は禁止されているのでノンアルコールだ。もっとも、士官学校を出た時点で法的には成人なのだが。
ウィルは二色の液体がまざらないように丁寧に、グラスを自分の方に引きよせた。


  **


話をしようとして、なのはたちも会話をやめてウィルの方に向いていることに気付く。なのはにも関係のあることだと考え、恭也の方に向いていた体を全員に向けなおしてから語り始めた。

「管理世界では『ミッド式』と呼ばれる魔法体系が主流となっていますが、かつてはミッドチルダの一部で使われていた程度の魔法でした。現在のように主流派になったのは、黎明期の管理局――まだ本局も存在せず、ミッドチルダを本拠地としていた頃です――が制式採用し始めたからです。
 その後、管理局が巨大な組織になるにつれ、管理世界にも広まっていき、今では魔導師の八割がミッド式の使い手となっています……合っているよな?」

クロノの方を向き確認をとる。ウィルが士官学校で学んだ五年前ではちょうど八割だったが、最新のデータではどのようになっているのかはわからない。なぜなら近年、ウィルのベルカ式のように、他の魔法体系をミッド式でエミュレートした亜流の使い手が増加しているからだ。このエミュレート技術は十年ほど前から実用化が始まり、他の体系の魔法だけでなくミッド式の魔法プログラムも使用できるため、急速に増加している。
ちなむにウィルの持っている片刃剣型デバイス『シュタイクアイゼン』はその初期に製造されたものである。
エミュレートされた魔法は純粋なミッド式ではないということで、亜流。もしくは近代○○式――ウィルの場合はベルカ式をエミュレートしているので、『近代ベルカ式』――と呼ばれる。

「昨年度の統計では、純粋なミッド式の魔導師は六十七パーセント。亜流の魔導師が十五パーセント。計八十二パーセントがミッド式の魔導師だな。もっとも、公的機関に登録されている魔導師のみが対象なので、実際には多少のぶれはあるが――」

「ありがとう。ではなぜ管理局がミッド式を使い始めたのかといえば、ミッド式には『非殺傷設定』があったからです。
 なのはちゃん、非殺傷設定について、説明できる?」

「ええっ!? ……で、できます……多分。でも、どうしてわたしが?」いきなり話をふられて、驚くなのは。

「抜き打ちテストみたいなものだよ。おれたちが帰ってからも、魔法について勉強していたらしいからね」

なのはがここ数ヶ月、魔法の勉強をしていたことは、定期的な監察をおこなっていたクロノから聞いていた。
なのははつっかえながらも、恭也に向かって説明していく。

「魔法で魔力だけを攻撃……じゃなくって、魔力以外のものに影響をしない技術のことなの。だから、魔力をもたない人とか物に当たっても大丈夫で、魔力を持っている魔導師が相手でも、体を傷つけたりはしないの。
ミッド式だと魔導師が自分でやめないかぎり、非殺傷設定になるようになっているの」

「それは便利だな」恭也が感心したような声をあげる。だがなのはは首を横に振る。

「でも絶対大丈夫ってわけじゃなくて、魔法の種類とか、デバイスの性能とか……あと、プログラムに無駄があったり、魔導師の魔法構築がしっかりしていなかったら非殺傷の効果は下がっちゃうの。……わたしがフェイトちゃんにやったみたいに」

説明しているうちに、なのはの表情に陰りが生まれる。フェイトを傷つけたことは、いまだ彼女の心に影を落としているようだ。クロノとユーノから非難がましい視線が送られる。まだ気にしているとは思ってなかったんだよ――と言い訳を視線に乗せると、何事もなかったかのように「よくできました」ぱちぱちと拍手を送る。

「非殺傷とよく似た行為は、他の魔法体系でも可能です。しかし、ミッド式はそれらの中で、最も非殺傷に向いているんです。
 このジュースの上半分の赤が肉体、下半分の青が魔力だとすると、ミッド式は――」

ウィルは自分の目の前のドリンクを指さす。まだ手をつけられていないそのグラスの中には、赤と青の二色の液体が上下に綺麗に分かれている。グラスには一本のストロー。
ウィルはストローに口をつけ、吸いこむ。グラスの一番下まで届いているストローは、青い液体のみをウィルの口へと運ぶ。

「上の赤――肉体にはほとんど影響せずに、青い液体――魔力だけを吸うことができます。
 一方、他の魔法だと――」

そう言ってウィルはクロノの前に置かれたカクテルを引き寄せる――が、そのウィルの腕をクロノが掴んで離さない。

「昼間から情熱的だな。服にしわができるから離してくれないか?」

「なら先にグラスから手を離せ。それは僕のだ」

仕方ないな。それじゃあ、クロノが飲んでくれ――なんで僕が、と言いながらもクロノはウィルに言われた通りにカクテルを飲む。ただし、ストローを少し上に引き上げて、その先端の位置を赤と青の境界の近くにして吸った。そのため――

「混ざったな」

恭也がつぶやいた通り、青を吸ったことで、赤と青の液体が混ざってしまっていた。

「こんな風に肉体に与える影響が大きいんです。もっとも――」

ウィルは自分のグラスを指さす。クロノのものほどではないが、赤と青の境界は揺らぎ、わずかに混ざっていた。

「このように、ミッド式でもわずかに影響はあります。ゆっくり吸ったのでこの程度ですが、強く吸うほど――つまり強い魔法になるほど、肉体への影響は大きくなります。とはいえ、一般的な魔力の魔導師が、教科書通りに魔法を行使するだけであれば、めったに危険なことにはなりません。
 次元世界の平和をお題目に掲げている管理局にとっては、なるべく傷つけることなく相手を制する力は、まさに管理局の象徴として最適だったんですよ」

管理局法では、非殺傷設定を用いない犯罪者に対しての刑罰は重い。また、管理局も各管理世界の政府にも、同様の方針にするように働きかけている。その甲斐あって今日では、犯罪者でも“凶悪”と修飾されるような者でなければ、非殺傷設定であることが多い。一種の紳士協定のようなものだとも言える。

「でも、ウィルさんはベルカ式ですよね? どうしてですか?」

ユーノの質問に、ウィルは論点をすり替えて答える。

「管理局も今はいろんな世界から人員を募っているから、ミッド式でなければ駄目だなんてことはないよ。管理局も本音はミッド式の方が良いんだろうけど、ミッド式でないと管理局に入れないなんて言えるほど人員に余裕もないからね。ミッドチルダ北部の、ベルカ自治領出身の局員はほとんどベルカ式だよ。
 だけどその代わりに、手加減のための訓練時間はミッド式の魔導師より多くとる必要がある。おれは人間相手なら刃を返して峰で叩いているけど、それだけでは手加減にはならないからね。こう見えても、相手のバリアジャケットの強度を観察したり、速度や剣速を調節して物理ダメージを抑えたり……意外と気を使わなきゃならないことが多いんだよ」

「道理だな。たとえ木の棒でも、あたりどころが悪ければ命にかかわる」恭也がうなずく。

「毎回刃を返すなら、最初から鈍器型デバイスにしておけば良かったんじゃないか?」クロノは笑いながら茶化す。

「うるせえ、こっちの方が役に立つ時もあるから良いんだよ」ウィルはおもわずクロノに言い返し、軽く咳をして仕切り直す。 「失礼しました……管理局は魔法といえばミッド式、非殺傷はあって当たり前という土壌を作り出し、同時に非魔導師に熱心に伝えてきました――魔法は決して危険な力ではない、非殺傷であればたとえ当たったところで一般人は怪我しない、だから魔導師も危険ではないんだ――と。……時々、道理をわきまえない若い魔導師が街中で喧嘩をすることもありますけど。
 現在ミッドチルダで魔導師と非魔導師の間に軋轢があまりないのは、百年以上にわたる管理局の地道な活動と、プロパガンダのたまものなんです」

「なるほど……魔導師以外に武器――質量兵器を持たせないのも、それに関係があるのか?」

「はい。先ほどの話の続きになりますが」ウィルはため息をつくように語る。 「非殺傷は魔導師以外には通用しません。魔力を持っていませんから。もし非魔導師が質量兵器を持って魔導師を攻撃してきた場合、バインドのような捕獲系の魔法か――さもなければ、非殺傷を解いて攻撃するしかありません。質量兵器は威力こそ高いですが、バリアジャケットのように身を守る装備はほとんどないので、ちょっとした魔法でも簡単に致命傷になってしまいます。武器を持っているとはいえ、魔導師(力持つ者)が非魔導師(持たざる者)を傷つければ、両者の間に隔たりが出るかもしれない……という精神的な理由が一つ。
 もう一つは物理的なもので、魔導師の保護です。質量兵器――たとえば地球のサブマシンガンでしたっけ? あれを用いれば、低ランクの魔導師のバリアジャケットでは、おそらく防ぐことができません。ちなみに、おれも多分無理です」

防御を軽視しているウィルのバリアジャケットの強度は、同ランクの魔導師に比べて著しく低く、陸士部隊(平均魔導師ランクC)のそれと大差はない。

「魔導師の保護はロストロギアへの対策のためでもあります」クロノがウィルの後を引き継ぎながら語る。 「ジュエルシードを例にあげると、封印するだけならば機械でも可能です。そういう意味では、ジュエルシードを抑えるために、魔導師は必須ではありません。しかし、ジュエルシードには暴走体や思念による暴走など、想定外の事態が多かった。これはジュエルシードに限ったことではなく、ロストロギア全般に言えることです。未知の技術のかたまりであるロストロギアの対処は、何が起こるかがわかりません。むしろ想定通りにいくことの方が少ない。
 結局、状況に応じて臨機応変に行動できる人間――魔導師が対応した方が安全です。しかし、魔導師たちを簡単に失うような事態になれば、ロストロギアへの対処が難しくなります」

なのはのように例外が存在するが、魔導師も血統による要素が大きい。魔導師が死ねば、人口における魔導師の割合はさらに減少することになる。そうなれば今まで以上の人出不足になることは目に見えている。

「なるほど。質量兵器を使われると、ロストロギアに対処できる人員である魔導士が、死ぬような事態がおこりやすい。だから、魔導士を簡単に殺せる質量兵器は禁止しなければならない、ということか」


「管理局も一枚岩ではありませんから、質量兵器に対する考え方も、所属や派閥ごとにわかれていますけどね。管理世界の中には、治安維持のために質量兵器を導入している国家もあります。
 うちの親父は質量兵器には反対していますが、魔導師には依存しない魔導兵器の導入には肯定的です。もっとも本意ではないみたいで、海がもっと地上に戦力と予算を回してくれれば、それで問題は解決するのにと、愚痴をこぼしていますよ」

「本局でも、レジアス少将の話はよく聞くよ」語るクロノの表情は険しい。 「だが、そこまで戦力を増強する必要はあるのか? ミッドチルダにも首都防衛隊以外に、本局から出向している本局武装隊がいる。それでは手が足りないのか?」

「今はまだそれほどでもないけれど、管理世界の増加に従って、ミッドチルダへの移民が増えているんだ。そのせいで治安は除々に悪くなっているらしい。親父としては早めに対策をとっておきたいんだと思う。
 それに、単に戦力の問題じゃない。派遣ではなくて、その世界に長期間駐留させる、もしくは、もともとその世界の住人を育てることで、世界に対する愛着――いわゆる愛国心を持たせるという精神的な目的もあるんだ。
 本局は他世界にたびたび介入するから、自分たちをどの世界にも所属しない、中立者としているみたいだろ?」

「たしかにそういう傾向はあるな」

「親父は海のその姿勢を危惧しているんだ。自分がしっかりと立って住むべき大地、故郷を実感できないというのは、いろいろと悪い影響を及ぼしている。
 オーリス姉さんに聞いたことがあるんだけど、本局からミッドチルダに出向している本局武装隊の魔導師は、事件を解決するさいに住民との間に問題を起こす割合が、首都防衛隊よりも高いらしい。どうやら、その地に住んでいる人の気持ちを考えるよりも、問題の解決を優先する姿勢が、その原因だ。派遣されている彼らには、ミッドチルダに対する愛着がないんだよ……って言うのは、さすがに言いすぎかな。本局武装隊のみなさんごめんなさい。
 親父はこういうのがずいぶん気に入らないみたいでね。たびたび本局武装隊に文句を言っているらしい。おれもさっき、PT事件でなのはちゃんとユーノ君に手伝わせたことで怒られたんだけど、これも問題の根っこは同じだな」

レジアスは地上のことだけを考えているわけではない。このような問題は海にとってもよくないことだと、レジアスはウィルに語った。問題の解決が優先という姿勢は、問題さえ解決できればそれで良いという極論に繋がっている。個人ではそこまでの極論を持つ者はそうはいないが、集団で行動する際には、人々の意識はよりわかりやすく、片寄った方向に流れやすい。
そして、ウィルが例にあげた事態は、管理局が治安維持だけでなく行政をも司る数少ない都市、クラナガンだからこそ、この程度の問題ですんでいる。
他の管理世界ではこうはいかないだろう。多くの世界に介入する本局の人間が、問題にばかり目がいき、管理世界のことを考えないようになれば、管理世界は本局――ひいては管理局そのものを信用しなくなってしまう。

クロノは腕を組んで、しばらく考えてから口を開いた。

「なるほど。僕もミッドチルダに父方の家が、ファストラウム(第四世界)に母方の家があるが、本局での暮らしが長かったから、両方とも故郷という感覚は薄いな。それに、僕は必要とあれば、ある程度危険な作戦をとることができるだろう。必要だからといって、人様の世界を危ない目にさらしてのうのうとしているのは、たしかに異常かもしれない。
 だが、フットワークの軽さと、管理世界全てに対する中立性は、管理局の長所でもある。局員がその世界に強い愛着を持つのは、治安維持の面では良いことかもしれないが、その特徴を両方ともなくすことになる。それに、特定の団体と癒着する可能性も高くなる。手放しでは賛成できないな。
 少将のいうことは間違っていないとは思うが、一般局員に対する講習や、士官への教育といった形で、本局側で対策をとった方が良いと思う」

二人は話を続ける。その光景を見る恭也は、放っておかれたことに一抹の寂しさを感じると同時に、少し頼もしい気持ちになった。
どこの世界も問題はあるかもしれない。だが、自分より年下の子供たちが、真剣に世界の問題を考えている。それだけで、この世界は大丈夫ではないかと、そう思えた。

(……とりあえず、俺ももう少し真面目に大学に通うか)


  ***


「なに話してるのか、全然わかんない」

魔法の説明のあたりはまだ知識があるため理解できていたのだが、社会的な話になってしまうと、長い長いモラトリアム坂を登り始めたばかりのなのはにはわからないことが多くなってしまった。
ユーノも同様だ。年齢に比すれば博識ではあるが、子供のころから発掘をなりわいとする一族という、世俗とは離れた場所で育ってきたので、なのはほどではないが社会的な話題には疎い。
そんな二人は、なんとはなしに明日から通う訓練校の手引きを読んでいた。小難しい頁は飛ばして、わかりやすいところを読んで行く。

「この制服OLみたいでかっこいいかも! こういうお洋服、一度来てみたかったんだぁ」

なのはは訓練校の制服のデザインを見て、喜色満面の笑みをうかべる。
制服は一般的な管理局の制服と同じデザインのスーツ。陸士と同じ茶地(色は少し薄い)で、上は男女ともに意匠に差はなく、下は男性がスラックス、女性はタイトなスカートとなっている。

「僕もこういうのは着たことがないなぁ」

「ユーノ君なら、きっと似合うと思うよ――」

次の頁を見たなのはは、うえっと喉が潰れたような声を出した。
その画面には訓練のスケジュールが記載されている。そして、なのはがぷるぷると指差す先には、早朝からの『ランニング(10キロメートル)』を始めとする様々な訓練が記されていた。魔法を用いるものばかりではなく、肉体を鍛えるメニューも多く、その割合は半々といったところだ。
それを見て、ユーノも少し顔をしかめた。

「ちょっときついね。最近ずっと本局にいたから、なまっているかも」

「ちょっと!? ちょっとって距離じゃないよ! ユーノ君は走れるの!?」

「うん。物心のついたころから、大人たちのフィールドワークについて行ってたから、歩いたり走ったりは結構得意だよ。
 なのははそんなに走るが苦手だった?」

「……一キロだって走れるかわからないよぅ。ハンデとして、ユーノ君はフェレットで走ってくれないかな」

「さすがに無理だよ!」

これからの二十日間の地獄のような日々を想像して、生命力を奪われたかのようにぐったりとしたなのはは、ドリンクでも飲んで気を取り直そうとする。しかしグラスの中身が空っぽだったことに気付いて、風船から空気が漏れる音のようなため息を吐いて、さらにぐったりする。平常なら三日月のごとき円弧を描くツインテールも、雨が三日降り続いた後の稲穂のようにしおれて垂れている。

そんななのはを気づかい、ユーノは自分のグラスを渡す。ありがとうと礼を言い、まだ半分ほど中身が残っているドリンクを受け取り、ストローにふと口をつける直前に、ふと気付く。これはいわゆる間接キスというものではないのだろうかと。

なのはの動悸が激しくなる。
――どうしよう、今からでもやっぱりいいと返すべきだろうか。ちゃんと理由を述べて返せば失礼には、いやでも意識しているってわかるのも恥ずかしい。別にユーノを意識しているわけではなくって、男女の間には節度というものがあるというだけで。

さらに動悸が激しくなる。
――そもそもユーノは気にしていないのだろうか? うっかり渡してしまっただけで、後から気付いて恥ずかしそうにしているなら、何とかうやむやになるかも。

期待を込めてユーノを見ると、なかなか飲もうとしないなのはを不思議そうに見ていただけで、なのはの優れた観察力でも、その顔から照れを発見することはできなかった。
ちなみに、なのはが知らないだけなのだが、回し飲みが当たり前のスクライアで暮らしていたユーノには、間接キスという概念自体がない。

さあ、いよいよ進退極まったなのはがおずおずとストローに口をつけようとした時、

「ごめん、おれたちだけで会話しちゃったね。つい熱中しちゃって――」

ウィルたちがこちらにも話しかけてきたので、ユーノの意識もウィルたちに向いた。なのははこっそりと、グラスをテーブルに戻し、ほっとため息をついた。


「ところで、味はどうですか?」

ドリンクの味を問うウィルの言葉に対する感想はそれぞれだったが、おおむね悪くないという評価だった。

「それは良かった。合わなかったらどうしようかと、少し心配だったんですが、やっぱり地球とはそれほど違いはないみたいですね。
 これなら夕食も予定通りでよさそうだ。美味い――とおれは思っているところに予約をいれてあるんで、期待していてください」

「悪いな、何から何まで用意してもらって」

「このくらいはなんてことありませんよ。地球ではずいぶんとお世話になりましたから。
 それに、食事はユーノ君との約束ですからね」

「約束?」ユーノは首をかしげた。

「忘れたの? ミッドに来たら、今度は美味いものでも食いに行こうって言ったじゃないか」

ほら、ジュエルシードの輸送船に乗る時に、とウィルが言うと、ユーノもはっとした顔をする。

「あ、ありがとうございます。いつかお返ししますね」

「気にしなくても……そうだな、それじゃあさっそく返してほしいんだけど」

そういうと、ウィルはユーノに一つの提案をした。

「それはちょっと……違和感があります。ウィルさんは年上ですし」

「クロノには普通にしていたじゃないか」

「クロノは……あんまり年上って気がしませんから……ほら、身長とか」

「おい」クロノのこめかみがぴくりと動く。

「こら、本人も気にしているんだから、そういうことを言っちゃ駄目だよ」

「お前はどの口でそんなことを言うんだ」クロノ怒る。

「わかりました……わ、わかったよ、ウィル。こんな感じで良いん……良いかな?」

上出来! と、ウィルは指を鳴らし、右手をユーノに差し出した。

「これからもよろしく、ユーノ」


  ****


それからなにごともなく――とはいかず、まずクラナガンを観光中に魔導師同士の喧嘩にはち合わせたり、それを素手で制した恭也が魔導師だと勘違いされたり、非魔導師だとわかると今度は取材を受けることになったりと、一日だけでも様々な出来事があった。
訓練校では、サイズの合う制服がなかったために結局私服になってなのはが落ち込んだり、走っている途中でランナーズハイを起こして意外と訓練って楽しいかもと思い込み始めたり、最終日には二人を誘うために首都防衛隊(陸)と本局武装隊(海)の双方からスカウトが来て両者の間で喧嘩が発生したりと、彼女たちのミッドチルダ滞在は、なにごと満載で過ぎていった。

そして八月の終わり、ユーノと別れて地球へと戻ったなのはは、手のつけていなかった宿題の山を見て絶望した。



(後書き)
今回は妄想設定多めです。
ミッド式の割合などの数値は、具体的に設定した方がリアリティが出るかなと思ってつけたもので、公式のものではありません。妄想です。


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