創価監視カメラ
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Re: 理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
投稿者:
けっこう忙しい通りすがり2
投稿日:2011年 7月17日(日)22時25分4秒
返信・引用
21世紀さんへのお返事です。
> 休憩中の通りすがり2さんへのお返事です。
>
21世紀さん、お返事ありがとうございます。
読ませていただきます。
阿呆殿御返事
投稿者:
ルンルン気分のれいな
投稿日:2011年 7月17日(日)22時16分36秒
返信・引用
ロム男さんへのお返事です。
> アホよ!回答不能と云うことじゃないか!(苦笑)
> 感情に任せ、前後の見境もつけず書き込むから、恥を掻くのである!
> これで、おまえの論敗は決定した!(爆)
アハハ、感情に任せクソミソに言ったり、よいしょ、しておるのは他でもないお前さんではないのかね?
これ、あんたのカキコではないのかい、トッカンロム男ちゃんよ? 違いマンノン?
【これは、池田諭の論調で、あくまでも推測の域を出ない。
こんなものを文証にあげるなど、狂気の沙汰と言わざろうえない!(苦笑)】
http://6526.teacup.com/sokasecuritycamera/bbs/1370
> > 辻武寿副会長や、小平芳平氏が池田諭氏に、
> > 牧口先生が、退転者の事を知り、随分落胆していたと池田諭氏に話をしたと云う、
> > 証拠をあげよ!
> 牧口先生が、取調官から多くの転向者が出た事を聞かされたのが事実であったとしても、
> 辻副会長を始めとして、池田諭氏に協力した方々は、直接面会出来なかったのである。
>
> それがどうして、牧口先生の胸中を推し量ることが出来るのか?
> バカでも、これ位は理解できるだろう!(大笑)
アハハハ、「直接面会出来なかったから、牧口先生の胸中を推し量ることが出来ない」だって? あんたホントに阿呆とチャイまっか? この本はね、阿呆よ、1969年出版の本でっせ! 牧口常三郎のおっさんが死んでから25年以上経ってから書いた本だよん。ワカリル?
その著者が、
【最後に、この本を書きあげるについて、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏に深くお世話になったことを心からお礼申しあげたい。 】(池田諭著 牧口常三郎より抜粋)
って言っているということは、諸氏達は「誰かからそのことを聞いた」ってことであろう。では誰から聞いたのか? 牧口ノ~タリンが牢獄にいた時、同じく牢獄にいた人間・・・・戸田城聖氏以外に誰がいるのだ!
で、戦後諸氏達がそのことを戸田氏からお聞きしておった、そのことを著者は、下のように書いたのだ。
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
>辻副会長を始めとして、池田諭氏に協力した方々は、直接面会出来なかったのである。
阿呆なカキコ↑はやめな。
> 牧口先生の最後の書簡には、御自身の行動・考えが間違っていなかった事を
> 記されている。
>
> それが、真の牧口先生の御心境なのだよ!間抜けよ!!(爆)
そりゃ、そうでっしゃろ!www なんせ、吶喊一途のクルクルパ~~ですからね。で、それがどうしたんじゃ?
> > アハハ、一方では否定し、一方では池田氏の論を「よいしょ」する阿呆よ、気が狂ったか?
> 私がいつ、池田諭氏の論を否定した?アホタン!!(爆)
これちゃいまんのん? 熱中症でお忘れか?
【これは、池田諭の論調で、あくまでも推測の域を出ない。
こんなものを文証にあげるなど、狂気の沙汰と言わざろうえない!(苦笑)】
http://6526.teacup.com/sokasecuritycamera/bbs/1370
アハハハハハ ビックリマ~ク付きで、怒ってたんだれでんねん??
狂気の沙汰と言わざろうえない! これって、トッカンロム男君のカキコよん。
狂気の沙汰と言わざろうえない! 同上
狂気の沙汰と言わざろうえない! 々
> おまえの提示した文を、池田諭氏の推論の箇所であることを指摘しただけじゃないか!
> 推論を文証としてあげた、おまえのアホタン振りを指摘しただけだ~^m^
>
> まったく、文意を理解できない間抜けである!
ヘェ~~~!指摘しただけにしては、「狂気の沙汰と言わざろうえない!」アハハハ
随分怒ってはりますデ~~~)^o^(
> 中島能化・淳師・亨師の牧口観だよ!
何か言いはりましたの? 挙げてみぃ。
> 堀上人は、牧口先生・戸田先生の逮捕を昭和の法難とされている。
> つまり、宗門の公式見解は法難・殉死なのだよ!間抜け!!(笑)
では、お前さんの言う、富士年表のどこに猊下がそう言っているの?www
富士年表を紐解くと、このようにありまっせww
「1943年、富士門下 学会法難、牧口常三郎・戸田城聖他学会幹部治安維持法違反・不敬罪等の名称により拘引される(9-432・大白蓮華12」
つまり富士門下の創価学会という講の機関誌が、「法難である」と言っておる、という事実を書いているだけである。「猊下、法難と認める」とありまんのん? ワッハッハ オモロ~~~!
> アホは、必死に抵抗しているが、獄中の牧口先生を知るのは、獄中書簡か取り調べ記録
> しかない。
阿呆か、 映画「人間革命」を見よ! 戸田さんは牧口常三郎の安否を官憲に聞いておるわい! 死んだことも聞いておるわ! 出獄してから聞いたのケ? ワッハッハ
それとも池田代作@脳腫瘍で車いすのノ~タリンがこの映画、検閲しなかったのケ?
> 牧口先生は、壮絶な人生の最後を所願満足で終わられたのは事実であり、
> 他人が口を挟むことでは無い事が、アホタンには分からないらしい。^m^
ワッハッハ、聖人は横死はしないのよん!!!!御書読みなはれ!
牧口常三郎は自分の意志に反して投獄され、一人も折伏出来ず、一人で突撃ラッパを吹いておったのだよん。
パプ~~~~、プスゥ~~~、ドタッ、死んじゃったヨ~~~~~~ンwwwwアハハ
最後に、君が認めたくない池田諭氏の言葉(結び)で締めくくってあげる。www
【最後に、この本を書きあげるについて、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏に深くお世話になったことを心からお礼申しあげたい。 】(池田諭著 牧口常三郎より抜粋)
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
おまけつき知恵袋よ~ん
投稿者:
パンパース太作
投稿日:2011年 7月17日(日)21時35分15秒
返信・引用
質問
★キンマンコは男のロマン!!!★
キンマンコを拝める男は幸せじゃないですか!!!!?????
ベストアンサー
本当に・・・なんて下品な言葉・・・・。
私なら、そんな話で笑わなきゃいけない会合なんて、セクハラも同然です。
(おまけ・・・検証のため引用)
本の紹介
「第三の大学・・・・・・創価大学」池田諭著
著作の時の参考文献
牧口常三郎全集 東西哲学書院
戸田城聖全集 和光社
若き日の日記 池田大作著 会長就任七周年記念出版委員会
人間革命 池田大作著 聖教新聞社
科学と宗教 池田大作著 潮出版社
政治と宗教 池田大作著 潮出版社
指導要言集 池田大作著 聖教新聞社
池田会長講演集 創価学会
創価学会 原島嵩著 世紀書店
創価学園建設の一年 創価学園刊行委員会
創価学園建設の二年 創価学園刊行委員会
実践の教育 創価学会教育部
牧口常三郎 池田諭著 日本ソノ書房
池田大作 小林正己著 旺文社
灯台バックナンバー 灯台刊行委員会
公明党創価学会批判 榊・中川編 新日本出版社
著者を批判するものではないが、この内容を見れば、どのような情報でまた視点で書かれたか分かる。
「牧口常三郎(1969年)」もまたしかりである。
れいな君!遁走確定だな!!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月17日(日)19時22分43秒
返信・引用
れいなさんへのお返事です。
遂に行き詰ったか!(笑)
> >間抜けよ!辻、小平、柏村、石附、石原の各氏が、お前の言う、
> 「牧口先生は失敗会長で無価値な人物」と言った証拠をあげよ!
>
> ゲラゲラ、お前、カラカワレテいることをいいかげんに悟れ!
アホよ!回答不能と云うことじゃないか!(苦笑)
感情に任せ、前後の見境もつけず書き込むから、恥を掻くのである!
これで、おまえの論敗は決定した!(爆)
> >辻武寿副会長や、小平芳平氏が池田諭氏に、
> 牧口先生が、退転者の事を知り、随分落胆していたと池田諭氏に話をしたと云う、
> 証拠をあげよ!
>
> ここにこう書いておますぅ~、アホヤ!カッコワル~~!
>
> 【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
本当に、救いようのないバカである!
牧口先生が、取調官から多くの転向者が出た事を聞かされたのが事実であったとしても、
辻副会長を始めとして、池田諭氏に協力した方々は、直接面会出来なかったのである。
それがどうして、牧口先生の胸中を推し量ることが出来るのか?
バカでも、これ位は理解できるだろう!(大笑)
牧口先生の最後の書簡には、御自身の行動・考えが間違っていなかった事を
記されている。
それが、真の牧口先生の御心境なのだよ!間抜けよ!!(爆)
> >この件について回答不能の場合は、すべて、おまえの我見からなる珍論と断定し、
> おまえの敗者は決定することになるので、そのつもりで答えよ!
>
> アハハ、一方では否定し、一方では池田氏の論を「よいしょ」する阿呆よ、気が狂ったか?
私がいつ、池田諭氏の論を否定した?アホタン!!(爆)
おまえの提示した文を、池田諭氏の推論の箇所であることを指摘しただけじゃないか!
推論を文証としてあげた、おまえのアホタン振りを指摘しただけだ~^m^
まったく、文意を理解できない間抜けである!
> >もう一つ、牧口先生と同時代に生きた、先師の方々の牧口観とおまえの珍論とは、
> あまりにも違いがあるので、その違いを釈明せよ!
>
> 【先師の方々】って誰でんノン? 福沢諭吉大先生のことでっか?
なにをボケて居るのか?(笑)
中島能化・淳師・亨師の牧口観だよ!
これも反論不能で遁走!おまえの論敗が決定した!アホタン!!(大爆笑)
> >もう一つ、『富士年表』では、牧口先生の獄死を「法難による洵死」とされているが、
> これは、間違いなのか?
>
> 答えよ!!
>
>
> ギャハハハ、創価はまだ日蓮正宗の本、使っているのかい? 乳離れしてまへんのね~! では回答するとする。
>
> お前の書いた「法難による洵死」をもう少し正確に読むとこうある。
>
> 「富士門下」の項に「創価学会初代会長牧口常三郎 法難に洵ず。74(大白蓮華12)」
>
> 年表であるからして、富士門下の項目に「このようなことを富士門下である創価学会の機関誌に記述している」という事実を掲載したまでである。これが、「日蓮正宗、牧口常三郎を殉死と認める」とあれば、話は別である。このように書いてあるのかい、アホタン? アホホホホホホホホホ!
アホタン!年表とは記事の紹介か?(爆爆爆)
堀上人は、牧口先生・戸田先生の逮捕を昭和の法難とされている。
つまり、宗門の公式見解は法難・殉死なのだよ!間抜け!!(笑)
これも、スカタン回答しか出来ずに遁走!おまえの論敗が決定!(爆)
> >アホよ!一度ぐらい真正面から逃げずに答えてはどうか!(苦笑)
>
> 逃げたことありまへんがな!逃げてんのはね、あんたやデ~~~~~!!
> 「コ~~~~~~ギの意味では、これが国家諌暁だ!」アハハハハハハハハ!
> 便利な言葉でんな、タイショ~~!
上記のように、まったく正面から答えられず戯言の連発で、れいな君は、
アホ満開の醜態を現ず!^m^
> >おまえのあげた文証の最後は、「あったろう」と、断定せずに終わっている。
> これ即ち、筆者の推論と云う事だ!(苦笑)
>
> 当たり前でんがな!「死人に口なし」、ノ~タリン吶喊牧口常三郎は既に罰を受け牢獄死してまんのよん。
> 推量しかありまへんデ~~! しかしこの推量は根拠のない推量ではないよん。辻、小平、柏村、石附、石原の各氏が「アホ~~~ン牧口常三郎門下は殆ど、当時、脱会しましてんデ~」と取材中に発言したということだ。創価の幹部でも内部でもない人間が、いかようにして書くのかい? 取材して、結果を書くのであろうが・・!
> クヤチイかい、トッカンロム男さ~ん?ww!(^^)!
アホは、必死に抵抗しているが、獄中の牧口先生を知るのは、獄中書簡か取り調べ記録
しかない。
牧口先生は、壮絶な人生の最後を所願満足で終わられたのは事実であり、
他人が口を挟むことでは無い事が、アホタンには分からないらしい。^m^
> >私があげた文証の各文節の終わりは、すべて「思想家である」「いこうとしたのである」
> 「さししめしていたということである」と云うように、断定された言葉でくくっている。
>
> 当たり前でんがな! ↓これは他人の牧口常三郎の話。
>
> 【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
>
> お前の挙げた文は、池田氏本人の話でんがな! 獄死した人間のことを書く場合と、本人が本人の感想を書くことと混合したらあきまへん。アホヤ!
> >つまり、著者の研究成果の結論であり、推論ではない。
>
> そういうことでんがな、よう分かってはりますやん。)^o^(
> しかし、牧口常三郎など誰も知りまへんデ~、今の小学生、中学生、高校生に聞いておくれやすぅ~~。
>
> 「牧口常三郎? 横山ノックさんのことデッカ?」こんなもんですわ! ワハハハ
間抜けは、やはり「有名人」=「偉人」「有名人」=「思想家」の間抜け定義を
誇らしげに語っている!なんと情けない事か?(大笑)
日顕・日如さんて、一般人の中で有名な人ですか~?^m^ ワハハハ
> >おまえ本当に、こんな簡単な日本語が理解出来ないのか?(苦笑)
>
> あんたのことですやんか!(苦笑)
遂に、れいな君の論敗が決定しましたな!(爆)
最後に、君が誇らしげに引用した池田諭氏の言葉(結び)で締めくくってあげる。
==============以下引用=====================================
『牧口が以上のような学問観、教育観に到達したということは、
全く驚くべきことであるが、それは、既に書いてきたように、彼
が生まれ、育った自然と社会を素直に観察すると同時に、人間と
自然、社会の相関関係を正確に凝視した姿勢から生じたものであ
る。一人の生活者が自己と社会に忠実に生きようとした結果、ゆ
きついたものということも出来る。
だからこそ、人生のための自然、人間のための社会という、当時
としては全く独創的な視点にたつ「人生地理学」を書くことも出
来たのである。このことは、牧口だけでなく、誰でも、彼のよう
に素直に生き、自己と自然、社会の関係を正確に観察していこう
とするなら、到達できる学問観であり、教育観であるということ
をしめしているし、彼自身、郷土科の中で明言したことでもある。
しかし、ここで忘れてならないことは、牧口が師範学校を変則的
に卒業した者であり、生涯、地理学という専門科学にのめりこむ
ことのなかったアマチュア学者、アマチュア思想家として通した
ということである。即ち、正規の大学教育を受けることによって、
意識的にも無意識的にも、その学問観に拘束されることなく、純
粋に大学と学問を凝視することができた。いいかえれば、学問の
基本的姿勢である独学、自学を容易に自分のものにし、その立場
を徹底することができたということである。
しかも、彼は、独学者が往々陥いる安直な自己満足、安易な自己
肯定を徹底的に拒否して、自分の思想を豊かにすることに終始し
た。自己否定に徹した。 とすれば、そこに、独創的で、創造的
な思想が生まれたとしても不思議ではない。それこそ、独学者、
自学者である牧口の真骨頂である。(中略)
当時、すでに日蓮正宗の信者であった牧口は、美、利、善の統一
された最高価値が法であり、理法であると考えたのである。法、
理法の内容を今日的に分析したとき、美、利、善になったといっ
てもいい。かつて、日蓮が当時の法は法華経であるといいきった
ように、彼は、現代の法は美、利、善であり、美、利、善の統一
された価値であると思いいたったのである。
更には、美、利、善の統一された最高価値を人間が追求し、創造
しはじめるとき、人間間の、民族・国家間の、階級間の対立、争
闘も徐々に消滅していくと考えたのである。だが、現代社会の中
での美、利、善が具体的に何であり、何でなくてならないかとい
う究明は、むしろ、牧口が、彼の死後に残した課題であった。そ
れは、彼の「創価教育学体系」が第四巻までで終わり、第五巻以
後を、その弟子たちに与えた課題と同じである。
とくに、牧口が、善を大善、中善、小善と分類して考えたように、
利と美にもそれぞれ三種類ある筈であるし、その九種類の美、利、
善の相互関係が今後究明される必要がある。その時、現代の社会、
経済機構の中で、それを肯定したまま、小利即ち私利を追求する
ことは、美や善と相反すること、大利を追求するということは、
庶民大衆皆のためであるということであれば、現代の社会、経済、
政治機構の中では、大利を創造するということはできないという
ことにもなる。いいかえれば、美、利、善の統一された価値観に
たつということは、大美、大利、大善の価値観にたつということ
であり、それは、今日通用している価値観を否定し、その価値観
に支えられて成立している今日の社会、経済、政治機構を否定し
て、全く新しい価値観に支えられた、社会、経済、政治機構を造
るということである。
それ以外に、大美、大利、大善の価値観は確立しない。結論的に
いうなら、牧口の価値観は真正面から、今日の社会、経済、政治
機構と対立するものであり、また、それ故に、現体制の政治権力
のために、彼は獄中で殺される運命を辿るしかなかったのである。
それは、牧口の思想が今も燦然とひかり輝やいているということ
であり、その思想の有効性が現在から将来にわたってあるという
ことでもある。
だから、牧口の思想を継承し、発展させるということは非常に困
難な作業である。ことに、牧口の思想だけを読み、牧口の思想を
絶対化するところには、彼のエピゴーネンが生まれるだけである。
それほど、彼を悲しませるものはあるまい。
今こそ、牧口とその思想が現代にもつ意味を十二分に究明し、そ
の思想を発展させるときである。それが牧口の心に答える現代人
のつとめである。それは、牧口を初代会長に仰ぐ創価学会のみで
なく、現代に生きる人々の課題でもある。牧口とは、そういう思
想家である。』
=============以上引用終わり===============================
アホよ!おまえの欺瞞と嫉妬と憎悪に支配された、我見・珍論より、
真摯に牧口先生の研究をされた実践思想家でもある池田諭氏を支持
するものである!
氏が最後に、
「今こそ、牧口とその思想が現代にもつ意味を十二分に究明し、
その思想を発展させるときである。それが牧口の心に答える現代人の
つとめである。それは、牧口を初代会長に仰ぐ創価学会のみでなく、
現代に生きる人々の課題でもある。牧口とは、そういう思想家である。」
と、述べられているが、牧口先生の思想は現代に尚も生き続け、更に
光彩を放っている。
牧口先生は、おまえのような偏執狂的な反学会者が理解できる人物で
はないことを付記しておく!
れいな君よ!私は、君を哀れに思えてならない。
君のような人生が楽しいか!?
最近、どうも身の置き所に困っていつようだな。
元々、陳腐な文章しか書けない君が、更に支離滅裂になってるぞ!
相談には乗ってあげる!
ワッハッハ、負け惜しみはみっともないゼ!
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月17日(日)14時07分2秒
返信・引用
>間抜けよ!辻、小平、柏村、石附、石原の各氏が、お前の言う、
「牧口先生は失敗会長で無価値な人物」と言った証拠をあげよ!
ゲラゲラ、お前、カラカワレテいることをいいかげんに悟れ!
>辻武寿副会長や、小平芳平氏が池田諭氏に、
牧口先生が、退転者の事を知り、随分落胆していたと池田諭氏に話をしたと云う、
証拠をあげよ!
ここにこう書いておますぅ~、アホヤ!カッコワル~~!
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
>この件について回答不能の場合は、すべて、おまえの我見からなる珍論と断定し、
おまえの敗者は決定することになるので、そのつもりで答えよ!
アハハ、一方では否定し、一方では池田氏の論を「よいしょ」する阿呆よ、気が狂ったか?
>もう一つ、牧口先生と同時代に生きた、先師の方々の牧口観とおまえの珍論とは、
あまりにも違いがあるので、その違いを釈明せよ!
【先師の方々】って誰でんノン? 福沢諭吉大先生のことでっか?
>もう一つ、『富士年表』では、牧口先生の獄死を「法難による洵死」とされているが、
これは、間違いなのか?
答えよ!!
ギャハハハ、創価はまだ日蓮正宗の本、使っているのかい? 乳離れしてまへんのね~! では回答するとする。
お前の書いた「法難による洵死」をもう少し正確に読むとこうある。
「富士門下」の項に「創価学会初代会長牧口常三郎 法難に洵ず。74(大白蓮華12)」
年表であるからして、富士門下の項目に「このようなことを富士門下である創価学会の機関誌に記述している」という事実を掲載したまでである。これが、「日蓮正宗、牧口常三郎を殉死と認める」とあれば、話は別である。このように書いてあるのかい、アホタン? アホホホホホホホホホ!
>アホよ!一度ぐらい真正面から逃げずに答えてはどうか!(苦笑)
逃げたことありまへんがな!逃げてんのはね、あんたやデ~~~~~!!
「コ~~~~~~ギの意味では、これが国家諌暁だ!」アハハハハハハハハ!
便利な言葉でんな、タイショ~~!
>おまえのあげた文証の最後は、「あったろう」と、断定せずに終わっている。
これ即ち、筆者の推論と云う事だ!(苦笑)
当たり前でんがな!「死人に口なし」、ノ~タリン吶喊牧口常三郎は既に罰を受け牢獄死してまんのよん。
推量しかありまへんデ~~! しかしこの推量は根拠のない推量ではないよん。辻、小平、柏村、石附、石原の各氏が「アホ~~~ン牧口常三郎門下は殆ど、当時、脱会しましてんデ~」と取材中に発言したということだ。創価の幹部でも内部でもない人間が、いかようにして書くのかい? 取材して、結果を書くのであろうが・・!
クヤチイかい、トッカンロム男さ~ん?ww!(^^)!
>私があげた文証の各文節の終わりは、すべて「思想家である」「いこうとしたのである」
「さししめしていたということである」と云うように、断定された言葉でくくっている。
当たり前でんがな! ↓これは他人の牧口常三郎の話。
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
お前の挙げた文は、池田氏本人の話でんがな! 獄死した人間のことを書く場合と、本人が本人の感想を書くことと混合したらあきまへん。アホヤ!
>つまり、著者の研究成果の結論であり、推論ではない。
そういうことでんがな、よう分かってはりますやん。)^o^(
しかし、牧口常三郎など誰も知りまへんデ~、今の小学生、中学生、高校生に聞いておくれやすぅ~~。
「牧口常三郎? 横山ノックさんのことデッカ?」こんなもんですわ! ワハハハ
>おまえ本当に、こんな簡単な日本語が理解出来ないのか?(苦笑)
あんたのことですやんか!(苦笑)
Re: 理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
投稿者:
21世紀
投稿日:2011年 7月17日(日)13時11分35秒
返信・引用
>
No.1511[元記事へ]
休憩中の通りすがり2さんへのお返事です。
金 満太郎さんへのお返事です。
ならば「創価学会」からもっと徴税せよ
--------------------------------------------------------------------------------
(北野弘久・日本大学教授『諸君!』0005)
-人心を惑わし政を行い、営利を貧る「実体」なき宗教法人に税制優遇措置を与えてはならぬ-
東京都が大手銀行に対する法人事業税を外形標準課税方式に改めるという、いわゆる「石原新税」構想を打ち出してから早や2カ月。この雑誌が出るころには、条例案は都議会を通過していることだろう。
この新税をめぐっては「銀行だけへの課税は不公平だ」との声があがったが、これは全くのおかど違いである。銀行はもともどバブル時代から税制上の優遇措置を受けているにもかかわらず、破綻危機に陥れば"金融安定化”と称して公的資金が湯水の如く注入される、という厚遇中の厚遇を受けつつも、貸出金利は徴収しながら一般預金者にはゼロに近い金利しか支払わず、巨額の業務利益を上げている。
この状況こそが不公平なのではないか。
むしろ今回の新税はこの不公平を正す意味で非常に公正であって、租税立法の指導原測である応能負担原則(租税は負担能力に応じて課税すべきだ、という原則)にもかなっている。 一方中央政府は政府税調で、法人全業種を対象とした外形標準課税の導入を検討してはいたものの、今回の都の動きはまさに寝耳に水の出来事だった。発表直後の大蔵・自治両省の驚きの中には、"地方が中央ど歩調を合わせずに何をやる!"といった驕りを端々に感じ取ることができた。しかも赤字経営の多い中小企業を含めて全国的に外形標準課税を行うとする中央政府の姿勢こそ不公平税制の拡大であり、日本経済をさらに悪化させることに、今もなお気づいていないこの鈍感さ!
本年4月1日から新地方自治法が施行され、国の機関委任事務も廃止される。このことは、日本は21世紀を前にしてやっと「地方自治元年」を迎えたことを意味する。もっとも「地方自治元年」といっても、今回の改革では地方財政改革は実質的には手つかずだが、地方は憲法理念に従って、その地域の特色に応じ、中央の顔色を窺うことなく自治行政を行うべきであって、財政についても中央が文句をはさむ筋合いのものではない。
今回、石原氏が自治省に事情説明と称して挨拶に行ったが、これも本来ならば行く必要がなかった。むしろ自治大臣が都庁に出向くべき性質のものであった。
<美濃部都政の遺産>
それにしても、こういった中央省庁の戸惑いや驕りの感情に触れて、私は4半世紀以上前のある出釆事を想起せずにはおれなかった。
昭和48年、当時の美濃部亮吉都知事が国に反旗を翻して、都税条例によって法人二税(法人事業税・法人住民税)について独自の課税方式を導入しようとした時のことである。
当時の日本の企業、特に大企業は、戦後の国策の重要な役割を担っていたこともあり、法人税等についてさまざまな租税優遇措置を受けていた。法人税は本店所在地の所轄税務署に納められるが、当時の大企業のほとんどの本店は東京。しかし、東京都の取り分は、その歪められた法人所得、法人税を前提として、大企業の全従業員のうち、東京で働いている人の分だけ。企業側は東京で情報を収集し、儲けはするが税金はあまり払わない、という仕組みになっていた。その一方で企業側は都の各種の行政サービスなどを十二分に享受していた。 逆に都民は、重税を納めながらも道路破損、交通渋滞、大気汚染、住宅環境の劣悪化、物価高といった問題が一向に改善されぬままの生活を強いられていた。首都機能についての負担は増すばかりで、都民の財布どころか都自体も財政難に喘いでいた。
そこで美濃部氏は、昭和49年からは法人事業税、50年からは法人住民税を大企業には重くし、中小企業には重くしない、という措置を取った。大企業は租税優遇措置の適用によって応分の税金を納めていないから、都の特殊性を考慮した公益性の観点から、地方税法で規定する標準税率以上に重い税率を課すことにしたのである。
一見、乱暴な措置なのではないか、と思われる向きもおられよう。が、実はこの措置の方がむしろ憲法理論に適合している。美濃部氏は最終的には地方税法6条2項の規定を用いることにした。
[地方団体は、公益上その他の事由に因り必要がある場合においては、不均一の課税をすることができる]
これが6条2項、いわゆる不均一課税条項である。適用に際しての具体的な要件についての定めはない。つまり、具体的要件については各自治体の判断、つまり各地方議会の決定に委ねられている。そこで美濃部都政が独自の判断と決定を下した。
当時、国政は55年体制真っ只中で、地方には「地方から中央を変えよう」といった革新の風が吹いてい時代であり、美濃部都政はその嵐の象徴的存在だったのである。
しかし、大企業に対する優遇税制を行い続けてきた国としては、この措置をそう易々と受け入れるわけにはいかなかった。国会の地方行政委員会や自治省筋から「国の地方税法という法律を無視しようとしている。このような東京都方式は憲法の租税法律主義に反する」として違憲、違法の疑いありとの声が上がった。
実はこの当時(昭和48年春)、東京都の知事部局から「美濃部を助けて<れ」と私のところに要請があった。私は従前から、法人企業の実質税負担率の逆進性、不公正を正すべきであり、憲法は地方税については租税法律主義ではなく、租税条例主義を建前としているので、本来税条例で不公平を是正することができるのだ、と主張していた。どうも都は私の論文を参考にして今回の措置を決めたようなのだ。都の緊急部課長会議が招集され、私は都幹部の前で3時間ほどレクチャーを行った。
<私たちの先輩学者は税財政について、日本国憲法のもとでも、「地方自治」の規定のなかった明治憲法と同様の、誤った理論を展開してきた。憲法は「地方税法」(法的に標準法にすぎない)という法律がなくても、本来自治体は税条例で課税権の行使ができるとしている。その内容が憲法の応能負担原則に適合するものである限り、都税条例で都税のあり方を本来、規定できるのだ。さしあたり、地方税法6条2項にもとづく、都税条例の制定で可能だ>-。
私は直ちに今回の東京都方式の合憲性を論文にまとめ、それを都に提出した。都の担当者はそれを自治省に持っていったが、自治省税務局の担当者はそれを見て絶句したそうである。爾来、東京都方式は合法とされ、東京都が導入に踏み切った後も、他の自治体がこれに続いた。
この時の中央省庁の見せた不勉強な、かつ驕りの表情が、今回の石原新税を目の当たりにした霞が関の住人たちの表情と、ピタリと重なってくる。
石原都知事は美濃部都政を徹底的に研究したという。美濃部氏の発想が時空を超えて蘇り、財政再建の”一の矢”となって結実した。見事なお手並みであった。
では、次はどの矢を放つべきなのか。
ここで私は東京都における最大の不公平税制が未だ放置されたままになっていることを指摘しておきたい。
創価学会に対する課税問題である。
<創価学会は宗教法人か?>
まずは、昨年から今年にかけて、元公明党所属の東京都議、龍年光氏が中心となって都に働きかけていることについて紹介することからはじめよう。
昨年11月、龍氏らは石原都知事に対して住民監査講求を行った。「創価学会は宗教法人としての実態を形式的にも内容的にも満たしていないのではないか」ということで、都による監査を求めたのである。
ここにある「形式的」というのは、創価学会が1991年に日蓮正宗からその信徒団体を破門されたという事実がある以上、いまの創価学会を宗教団体として法的に根拠付けるものがない、ということである。日蓮正宗から東京都知事には「破門した」という通知が公式に出されている。1995年12月の宗教法人法改正後、所轄が文部省に移管された後には同じく日蓮正宗から文部大臣に対し「創価学会には宗教団体の実態はない。解散命令手続きをしてほしい」といった文書も出されている。この組織には、厳密にいえば、教義も、ご本尊も、教師も存在しない。
一方「内容的」というのは、創価学会が池田大作氏を中心とした政治権力の奪権闘争を「組織的に」行っている団体だ、ということである。より具体的には、集会を開いての選挙活動や票集めを専ら行っていることを指している。また、いわゆる「財務活動」といった形を含めて、各種の営利事業活動を営み、その収益を前記活動の資金としていることも含まれる。これらの行為は断じて本来の宗教的活動ではない。誰の目からも明らかな、組織的な政治団体、営利団体としての活動だ、ということである。
<ある宗教団体が営利企業と同様の、ある意味では営利企業以上に「土地ころがし」を行って、周辺地価の高騰をもたらし人々の生活に大きなデメリットをもたらしている。また温泉地などに一流ホテル並みの数多くの「研修所」等をつくっている。その他、実質的には営利活動と異ならない活発な「宗教活動」を行っている。また、ある宗教法人の一部幹部が宗教法人の財産を私物化して利用していたり、実質的には半強制的な形で、巨額の「寄金」を当該宗教法人の会員等から収受しているとも伝えられる。これらの行動が事実であるならば、およそ宗教法人、宗教家のそれとはいえないものとなっている。人々が課税問題に関連して注目するのはこのような点である。人々の目には、そこに明らかに「社会的不公正」が存在しているようにみえるのである>
これは私が1981年に上梓した『納税者の権利』(岩波新書)からの引用である。"ある宗教団体"とはもちろん創価学会のことであるが、当時の私は宗教団体の特定名を記すのをあえて避けていた。私の意見は当時もいまも全く変わっていないが、雑誌「公明」や「公明新聞」などからしばしば税制に関する論稿を、また公明党の学習会の講師を頼まれたこともあったし、彼らの自浄努力をまだ斯待していた。当時、友人からは「あなたは公明党のブレーンか」と言われたこともあったほどで、事実、公明党の税制顧問になってくれ、と頼まれたこともあった。
しかし彼らに自己の客観視を望むのは、土台無理な話であった。覚悟を決めた私が1994年2月に月刊誌『文藝春秋』で名前を出して創価学会批判を行うようになって以降、凄まじいほどのいやがらせが始まった。学会系刊行物での個人的な誹謗中傷はいうに及ばず、家の生ゴミがあさられ、私や家人も日がな尾行され、脅迫電話や無言電語、さらにはここに記すのも憚られるような罵詈雑言の記された手紙・ハガキが自宅、研究室を問わず送りつけられる・・・。尾行してきた車のナンバーや手紙などの送り主を調べると、必ず創価学会関係者にぶちあたった。
そもそも、なぜ税法は宗教法人についてさまざまな税法上の特典を与えているのかといえば、もし当該宗教法人が真実の宗教団体であれば、人々の内心の精神生活の安定や豊かさの確保、という大事な仕事を国家に代わって守る活動を行っているのだから、その活動が高度の公益性を帯びていることになり、したがって様々な税法上の優遇を与える理由がある、といった考えに基づいている。
しかし、創価学会についていえば、その政教一致体質をどう判断すべぎなのか、そして何よりも先ほど記したようないやがらせが日々、さまざまな人の身に起きていることをどう判断すればいいのか。
本来その宗教に接することで豊かな精神生活を営んでいるはずの信者に、歪んだ憎しみを抱かせ、時に人として許されない行為を行わせてしまう-。そんな宗教法人は絶対に「真実」の宗教団体としての要件を満たしているわけがない。
であれば、登記簿上は宗教であっても、宗教団体の実態を持っていない組織に対して、税法上の特恵措置を適用するだけの合理的理由はない。
アメリカの場合、登記簿上宗教法人であっても、例えば教会の牧師が日曜の礼拝時に「ブッシュさんを応援したらどうか」と言った場合、当該教会が「政治活動をした」と認定されかねず、すぐに内国歳入庁(日本における国税庁)などに報告が行く。そして、ことの真偽について徹底的に調査し、実態を判断していく。一市民として牧師個人がいろんなことをやるのはいいが、組織を挙げて選挙運動をやるとか政治献金をするとか、あるいは営利事業を行った場合には宗教団体の枠を超えたことになり税法上の保護を与えない、という制度が出来上がっている。
このアメリカ的制度の導入は将来的な検討材料だが、現行法のもとでも創価学会は「形式的」にも「内容的」にも宗教団体の実態を備えていない。そのため各種の非課税規定などの適用を受けうるだけの根拠がない。このような組織に非課税規定などを適用することは、学問的に「適用違憲」を構成する(違憲には「法令違憲」と「適用違憲」との2つがあり、宗教団体の実態をもつ組織について一般的に非課税などにすることは違憲ではないが、そのような実態を持たない組織に非課税などの規定を適用することは、具体的に憲法14条、20条、89条等に違反する。このような違憲を「適用違憲」という)。
したがって、都は現行法のもとでも、創価学会の実態に鑑みて課税を行う義務があり、その義務を怠っている知事は「不作為の違法行為」を行っていることになる。
<学会施設に適正な固定資産税を>
では具体的に何をすべきだろうか。
まず、固定資産税をきちんと課さなければならない。
創価学会が東京都内、特に新宿区信濃町に持っている土地建物等について、土地については宅地並評価を行い、建物についてもきちんとした時価評価を行い固定資産税を課税すべきである(前記・龍氏らの住民監査讃求については都の監査委員が何の調査もせずに却下してしまったので、現在は「宗教団体の実態を持っていない創価学会の固定資産に対して課税しないのは違法である」ことの確認を求めて東京地裁に提訴している)。
また、それら創価学会の建物内部の施設は償却資産にあたるため、厳密にいえばこちらにも固定資産税をかける必要がある。
創価学会の機関紙「聖教新聞」の発行についてであるが、これは宗教法人の収益事業として法人税の申告が行われているようである。しかしその税率が非常に低い。法人税の基本税率は30パーセントなのが22パーセントとなっており、さらに新聞発行によってあげた収益を創価学会本体の公益事業のために寄付した場合ば寄附金控除が行われ、実質的には17.6パーセントにまで下がる。
しかしこの軽減税率は、憲法20条で禁じている「特権」に該当し、厳密にいえば「かくれた補助金」、一種の「公金支出」にあたるのではないか、と私は考える。ただ、これは創価学会だけの問題ではなく、軽減税率制度自体が宗教法人一般について「法令違憲」である可能性が高い。つまり、他の宗教団体であっても、普通法人の株式会社なみに法人税の通常の税率で税を納めるのが適当なのではないか。現行法上では、この税率はそのまま法人住民税の税額に影響を与えるため、いわば二重の軽減措置になっている。
現在アメリカでは、公益団体、公益法人等の認定を受けたものであっても、営利事業によるものと認定された収益には普通法人と同じ税率で課税する。公益法人の製品も同じく市場原理に基づき流通する。福永法源の本であろうと池田大作の本であろうと、宗教学の学術書であろうと税率に変わりはない、という論理であって、こちらの方が実態に即した課税方式であるように思われる。立法論的には日本もそうすべきなのではないか。
そして、宗教法人としての実態を備えていない団体には、株式会社なみの法人税・住民税、事業税を課せばいい。事業税については、石原新税と同様に外形標準課税方式を導入することも、理論的には十分検討する余地がある。法人税の問題は国税庁の問題であるが、住民税、事業税の問題は自治体の問題である。都知事としては、固定資産税の他に、住民税、事業税等についても検討する必要がある。
このように創価学会に対する税制優遇をなくしてしまうと、その宗教を奉ずる人々が不利益を被るのではないか、といった批判が出てくるであろう。しかしそれは全くあたらない。形式的にも内容的にも宗教法人でない巨大法人からきちんと税を徴収し、それを、一般市民に還元する。創価学会の信者全体、社会全体への利益還元率は圧倒的に高くなる。
また、課税する、ということになった時の徴税コストだが、これはほとんどかからない。やることといえば、創価学会に納税通知書を送るだけ。固定資産税についていえば、東京23区内は知事の権限であり、23区外は市町村長の権限。法人住民税と法人事業税は知事でできる。
創価学会に対する前記の適切な課税-。これは現行法で十分対応しうる施策なのだ。外形標準課税とは違って、都税条例の改正も必要としない。つまり、石原氏が決断すればすぐにでも実行に移すことのでぎる、天下の妙手なのである。
<宗教法人法などのさらなる改正を>
しかし、これだけでは不十分である。創価学会に限らず、不明朗な会計、莫大なる収益事業を営んでいながら、宗教法人としての認証を受けているために国の介入を免れている団体は枚挙にいとまがない。
この現状を少しでも正すためには、宗教法人法などのさらなる整備が必要となってくる。私は1995年の宗教法人法改正に際し、国会に参考人として呼ばれ、この点を指摘したことがある。
宗教法人法はオウム真理教事件を踏まえて改正された。新たに義務づけられた収支計算書、財産目録、役員名簿など関係書類の提出によって、各宗教団体の実態をよりしっかりと把握するための改正が行われた。
これに加えて、さらに次のような改正を行うべきなのではないか。
まず税制面について。
①現行の法人税における収益事業の範囲を、公益法人等の種類、性格、規模等をふまえて具体的に類型化し、まさに宗教法人の実態にふさわしい収益事業の範囲を具体的に規定する。こうすることで、権力が土足で宗教活動に介入できなくなり、結果として人々の信教の自由を守ることになる。
②収益事業に対する法人税率を普通法人なみに引き上げる。
③宗教法人会計基準を制定し、公認会計士の監査を義務づける。ただし、当分の間、一定規模以上の大宗教法人のみに監査を義務づける。大宗教法人については公認会計士の監査を受けたもののみについて非課税などの税法規定を適用する。監査の結果を開示する。
④お布施で集めた金銭を政治活動などに使った場合は、その部分を収益事業として課税する。また一定の要件を充足する金融収益を収益事業として課税する。
⑤龍氏らの住民訴訟の例のように、その宗教法人の実態が宗教団体でないとみられる場含には、会社等の普通法人として扱うことを税法で明文化する。
つぎに、宗教法人法そのものについて。
①宗教法人の「認証」後、1年以内であれば「認証」の取り消しができることになっているが、これを3年とする。3年間じっくりと観察することで、その実態がわかるはずである。②宗教法人が宗教活動と関係のない営利事業等を行う場合には、当該宗教法人とは別組織で行うことを明文化する。
③その宗教法人の実態が営利事業団体、政治団体等とみられる場含には、「認証」の取り消し、「解散命令」請求等の事由になることを明文化する。
<亀井氏らの変節>
ところが、このような宗教法人税制、宗教法人法のさらなる改正は、現政権下では非常に難しいものとなってしまっている。ご存じの通り、「自自公」連立政権がしばらく続く以上、「公」たる公明党の意向に反する法改正など、期待のしようがないからである。
自自公で衆議院の3分の2以上を確保した上で、懸案事項だった法案を続々と通過させ、膨大な国債を発行し、問題を全て先送りにする。対すべき野党といえば、国会ボイコット以外の手を持たず、兄弟喧嘩だなんだと一向に野党としての役割を果たすことができない。
これは、明らかに全体主義的傾向の広がりを意味してはいないか。この時、最も権力志向の強い宗教団体の政党が政権の要となっていることについて、なぜ新聞やテレビのメディアば警鐘を鳴らすことができないのか。
俵孝太郎氏と白川勝彦氏が『諸君!』4月号での対談で嘆いていたように、かつては創価学会の政教一致体質を批判していた自民党内の勢力も、今は完全に学会に尻尾を振っている状態。
1994年に4月会が結成されたが、その準備段階で、一面識もなかった私の国分寺の自宅に、わざわざ亀井静香氏らが訪ねてこられた。
「小選挙区制になると、創価学会の票がどっちに流れるかによって自民党の帰趨は決してしまう。だから彼ちをおい落とさなければならない。公明党の実態は創価学会であって、創価学会が日本の政治を支配することになる。これは、日本の民主主義、立憲主義の危機です。先生の学説の出番です」-。
彼らは私に理論面から協力してほしい、と言った。こうした動きから池田大作氏の国会証人喚問問題などを経て、宗教法人法改正へと事態が進んでいったのだが、あの時亀井氏らが私に言ったことはまぼろしだったのか……。そう思いたくなるほど、現在の亀井氏や他の自民党政治家の変節ぶりが甚だしい。
このままでは、違った形ではあるが、60年前の「大政翼賛政治」の過ちを繰り返すおそれがある。
この点からも、石原都政が創価学会問題、ひいては宗教法人にまつわる諸問題について「東京都から中央を変える」という気概で取り組んでいただきたいのである。
その都議会内においても、都議会公明はいわゆるキャスティング・ボートを握っており、その力は絶大である。議会対策をしなければ都知事は結局のところ何もすることができない。公明が首根っこを押えている、という点では国会も都議会もそう大差はない。
しかし、さきにも指摘したように、条例改正をしないで、現行法のもとでも石原知事の決断だけでできるものがある。私としては、石原氏が「平成の坂本竜馬」になってくれるものと信じている。これはいまや多くの都民、いや日本国民の総意といっていい。
このところの世論調査で、日本国民の過半が創価学会-公明党に対する嫌悪感を抱いていることがわかりつつある。これは人々の判断力がまだ霞が関や永田町ほどに麻痺していないことを如実に表したものである。この数字からも力を得て、創価学会という存在を恐れずに、勇気を持って声を上げるべきときは今しかない。こう私は信じている。
創価学会あれこれ -
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Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月17日(日)11時16分55秒
返信・引用
>
No.1535[元記事へ]
高橋耕平さんへのお返事です。
> > それが、どうした?(苦笑)
>
> 暇人ということだ。
多重ハンネで、意味のない投稿を繰り返す、君は超暇だと云うことだ。
さぁ、れいな君に代わって答えてもらおうか!
超暇人君!(笑)
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
高橋耕平
投稿日:2011年 7月16日(土)23時35分40秒
返信・引用
>
No.1534[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
> それが、どうした?(苦笑)
暇人ということだ。
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)23時07分9秒
返信・引用
>
No.1533[元記事へ]
一読者さんへのお返事です。
> ロム男さんへのお返事です。
>
> >
> > 私は暇人じゃないのでね。
> >
>
> その割に、ほぼ毎日出てるね。プッ
それが、どうした?(苦笑)
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
一読者
投稿日:2011年 7月16日(土)23時03分39秒
返信・引用
>
No.1532[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
>
> 私は暇人じゃないのでね。
>
その割に、ほぼ毎日出てるね。プッ
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)22時48分50秒
返信・引用
>
No.1531[元記事へ]
21世紀さんへのお返事です。
> ロム男さんへのお返事です。
> > > ロム男ってヤッパアホでした。
> 「降魔の剣」に最近現れないのは禁止処分にされたのかな?
> 第二の「沖浦克治」になったようだな。
根拠は?(笑)
私は暇人じゃないのでね。
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
21世紀
投稿日:2011年 7月16日(土)22時28分52秒
返信・引用
ロム男さんへのお返事です。
> > ロム男ってヤッパアホでした。
「降魔の剣」に最近現れないのは禁止処分にされたのかな?
第二の「沖浦克治」になったようだな。
速報 阿部日ケ~ン院政
投稿者:
名犬フルチンチン
投稿日:2011年 7月16日(土)22時27分31秒
返信・引用
滋賀県の倒産散髪屋、阿部日ケ~ン院政ですがやっとスーパー銭湯内の散髪屋に仕事が見つかったそうです。
完全歩合制の雇われ労働者ですが、週に3日労働ということです。
知恵袋よ~ん
投稿者:
パンパース太作
投稿日:2011年 7月16日(土)22時02分48秒
返信・引用
質問
創価学会のお題目は「南無キンマンコ」になる日はくるのでしょうか?
南無は帰依と言う意味で、キンマンコに帰依しますといった言葉を唱えるのです。
本尊は、
「 南無キンマンコ 」
ベストアンサー
「南無キンマンコ」、いいですねぇ。
日蓮(大聖人)の教えと決別して(本山から破門されて)以降、池田の教えを信じ、学び、そして実践するようになった創価学会にとっては、真にふさわしい本尊だと思います。
そうなれば、池田大作もなんら思い残すことなく、予約している無間地獄の旅へと出発できることでしょう。
(大聖人)は加筆。
以下、おまけ
推論とは辞書によると、
「ある事実をもとにして、他の事をおしはかること。推理や推定を重ねて結論を導くこと。」
情報が偏れば導き出される結論も、また異なるものである。
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)18時33分17秒
返信・引用
>
No.1525[元記事へ]
高橋耕平さんへのお返事です。
また出たか。(爆笑)
> ロム男ってヤッパアホでした。
では、君のような賢い人が、れいな君に代わり、私の質問に答えてくれないか?
よろしく頼む!
逃げるなよ!!^m^
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)18時30分35秒
返信・引用
>
No.1523[元記事へ]
れいなさんへのお返事です。
おまえ、本当にアホやね。^m^
> ①【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
>
> ②『近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人である
> ということがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
> どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
> るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
> うとつとめた思想家である。
> いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
> ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
> とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
> 創造していこうとしたのである。
> ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
> は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
> をさししめしていたということである。』
>
> ■■■■■■■■■■
>
> で、お前さんの挙げた上の2番目も推論であろう! アハハハハッハハハハ
> で、当方が挙げた一番目の文言はどうなっているのかね??
>
> ワッハッハ 答えよ!
おまえのあげた文証の最後は、「あったろう」と、断定せずに終わっている。
これ即ち、筆者の推論と云う事だ!(苦笑)
私があげた文証の各文節の終わりは、すべて「思想家である」「いこうとしたのである」
「さししめしていたということである」と云うように、断定された言葉でくくっている。
つまり、著者の研究成果の結論であり、推論ではない。
おまえ本当に、こんな簡単な日本語が理解出来ないのか?(苦笑)
Re: ワッハッハ、負け惜しみはみっともないゼ!
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)18時23分39秒
返信・引用
>
No.1522[元記事へ]
れいなさんへのお返事です。
れいな君!もう、返答に窮し支離滅裂じゃないか!(苦笑)
> > アホよ!聞かされて推論を立てたのだろう!
>
> アハハ、当り前であろうが! 人間だれでも聞かされて推論を立てるよな。池田氏は創価学会員ではない。つまり内部の人間ではない学者は調査取材して推論を立てるのだよ。負け惜しみは無用である。ではどのようなことを誰から聞かされたのか?
>
> 【最後に、この本を書きあげるについて、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏に深くお世話になったことを心からお礼申しあげたい。 】(池田諭著 牧口常三郎より抜粋)
その通りだが、それがどうかしたのかい?(笑)
> つまりだ、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏は「牧口常三郎は失敗会長でした。トッカン莫迦であり、クルクルパ~、屁のような人間で価値論とは反対であり無価値な人物でしたよ。で、牢獄中、殆どの会員が脱会し、随分落胆していましたよ…」と取材中話したってことだ。分かるか?
間抜けよ!辻、小平、柏村、石附、石原の各氏が、お前の言う、
「牧口先生は失敗会長で無価値な人物」と言った証拠をあげよ!
辻武寿副会長や、小平芳平氏が池田諭氏に、
牧口先生が、退転者の事を知り、随分落胆していたと池田諭氏に話をしたと云う、
証拠をあげよ!
この件について回答不能の場合は、すべて、おまえの我見からなる珍論と断定し、
おまえの敗者は決定することになるので、そのつもりで答えよ!
もう一つ、牧口先生と同時代に生きた、先師の方々の牧口観とおまえの珍論とは、
あまりにも違いがあるので、その違いを釈明せよ!
もう一つ、『富士年表』では、牧口先生の獄死を「法難による洵死」とされているが、
これは、間違いなのか?
答えよ!!
アホよ!一度ぐらい真正面から逃げずに答えてはどうか!(苦笑)
では、速やかな回答を待つ。^m^
Re: おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
高橋耕平
投稿日:2011年 7月16日(土)13時13分47秒
返信・引用
>
No.1523[元記事へ]
ロム男ってヤッパアホでした。
あっまた馬鹿が出ました、黄色い掲示板
投稿者:
伽羅
投稿日:2011年 7月16日(土)11時11分44秒
返信・引用
チャラ、マネハンしかできない能無しです。三バカ大将、改めまして
バカ丸出し四天王です。
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs
おい、返事が無いぞ! ゲラゲラ
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月16日(土)06時40分36秒
返信・引用
①【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
②『近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人である
ということがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
うとつとめた思想家である。
いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
創造していこうとしたのである。
ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
をさししめしていたということである。』
■■■■■■■■■■
で、お前さんの挙げた上の2番目も推論であろう! アハハハハッハハハハ
で、当方が挙げた一番目の文言はどうなっているのかね??
ワッハッハ 答えよ!
ワッハッハ、負け惜しみはみっともないゼ!
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月16日(土)06時31分11秒
返信・引用
>
No.1520[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
> アホよ!聞かされて推論を立てたのだろう!
アハハ、当り前であろうが! 人間だれでも聞かされて推論を立てるよな。池田氏は創価学会員ではない。つまり内部の人間ではない学者は調査取材して推論を立てるのだよ。負け惜しみは無用である。ではどのようなことを誰から聞かされたのか?
【最後に、この本を書きあげるについて、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏に深くお世話になったことを心からお礼申しあげたい。 】(池田諭著 牧口常三郎より抜粋)
つまりだ、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏は「牧口常三郎は失敗会長でした。トッカン莫迦であり、クルクルパ~、屁のような人間で価値論とは反対であり無価値な人物でしたよ。で、牢獄中、殆どの会員が脱会し、随分落胆していましたよ…」と取材中話したってことだ。分かるか?
間抜けよ!
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月16日(土)00時04分53秒
返信・引用
>
No.1519[元記事へ]
れいなさんへのお返事です。
> よ~く読め!
>
> 「聞かされた」、とあるではないか!
>
> アハハ
>
> 誰から聞かされたのだい?一人で聞かされたのかい?
>
> しっかりせい!
アホよ!聞かされて推論を立てたのだろう!
スカタンよ!
しっかりせい!(^O^)
アホよ、何処へ
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月15日(金)23時59分11秒
返信・引用
よ~く読め!
「聞かされた」、とあるではないか!
アハハ
誰から聞かされたのだい?一人で聞かされたのかい?
しっかりせい!
暑い夏の夜だ、ついに狂われたか?
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月15日(金)23時45分11秒
返信・引用
ロム男さんへのお返事です。
アホ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ン!!
【最後に、この本を書きあげるについて、辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等の諸氏に深くお世話になったことを心からお礼申しあげたい。 】(池田諭著 牧口常三郎より抜粋)
アハハハハハハハッハハハハハハハハッハハハハハハッハ!
池田諭氏の論評は、上の幹部から聞いた話である!!!
上の人物の詳細な対談から、こういう↓結論に達したのであるよん、アホタンよ。
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
間抜けへ!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月15日(金)23時37分47秒
返信・引用
>
No.1515[元記事へ]
れいなさんへのお返事です。
> では、聞くが、「・・・であろう」の推論だか、著者は何故 推論したのであろうか?
> 一人で推論センズリしたのかね??
>
> お前さんはこの本の背景を全く知らぬらしい。
>
>
> ワッハッハ チ~~ン
では、この本の背景を教えて頂こうか?ゲラゲラゲラ
怨念に生き、嫉妬に狂うれいな君へ!
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月15日(金)23時35分51秒
返信・引用
池田諭氏は高校教諭を務める傍ら、実践思想家として、生きられた人物である。
小学校の教師として教育に携わりながら、『人生地理学』や『価値論』等の哲学を著された
牧口先生に共感を覚えられ、牧口研究を進められたのであろう。
生い立ちも、生きた時代も、信ずるものも違う、牧口先生と福沢諭吉を並べて論ずるなど、
愚の骨頂と言わざろう得ない。
牧口先生は大聖人仏法の信奉者であり、福沢諭吉は無神論者である。
根本的に違う思想の持ち主を比較し、牧口先生を蔑視するなど、愚か者のなせる技である。
君が、それほど牧口先生を否定したいのなら、まず、自らが所属する所の先師の言葉を
否定してからにしなさい!
みっともない限りである!!(笑)
阿呆へ、
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月15日(金)23時33分47秒
返信・引用
では、聞くが、「・・・であろう」の推論だか、著者は何故 推論したのであろうか?
一人で推論センズリしたのかね??
お前さんはこの本の背景を全く知らぬらしい。
ワッハッハ チ~~ン
れいな君よ!君は日本語をやり直したまえ!!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月15日(金)23時00分0秒
返信・引用
れいなさんへのお返事です。
やはり、君はダメだね!(苦笑)
> アハハハッハハ、お前さんの論調で行けば、お前さんの挙げた上の引用は、「狂気の沙汰」であるな!オモロ
> !(^^)! そこで改めて質問する。
>
> お前さんは、当方の挙げた引用箇所を肯定するか、しないのか、?返事しろ・・。ギャハハ
>
> これだ。↓
>
> 【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> > 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
> ワッハッハ
> どんな屁理屈を抜かすかか楽しみだ。
本当に間抜けな書き込みで、大笑いさせて頂いた。(爆)
『その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。』
↑この文章を良く読んでみ!
『ものであったろう。』と締めくくっている。
と、云う事は、あくまでも著者の推論であることは言うまでもない。(苦笑)
しかし、私の提示した文証は推論ではなく、著者である池田諭氏の考えであり、
本書の全編を貫く、基調となるものである。
===============以下、再掲================================
『近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人である
ということがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
うとつとめた思想家である。
いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
創造していこうとしたのである。
ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
をさししめしていたということである。』
===============再掲終わり================================
『何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
うとつとめた思想家である。』
『庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
創造していこうとしたのである。』
『、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
をさししめしていたということである。』
↑分かるか?すべて文末は断定した言葉で締め括られている。
つまり、推論ではないと云うことだよ!(笑)
もっと、読解力を身に着けなさい!(爆笑)
Re: アホは 相貌正しければ、何でも 拝める。
投稿者:
管理人
投稿日:2011年 7月15日(金)22時45分57秒
返信・引用
>
No.1509[元記事へ]
創価脱会しましょうね。さんへのお返事です。
同じ投稿を繰り返しされています。
削除対象です。
福沢諭吉vs牧口常三郎
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月15日(金)22時28分32秒
返信・引用
【活用なき学問は無学に等し】(福沢諭吉著 学問のすすめ 第12編より引用)
■■■■■■■■■■
いまNHKEテレで「学問のすすめ」(100分de名著)水曜日 午後10時~10:25を放映している。4回のうち2回は既に終わっている。あと2回で終わり毎回楽しみに見ている。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で非常に有名であるが、これは福沢の言葉ではなくアメリカの独立宣言を福沢流に翻訳したものであるらしい。それはそのあとに続く文に「・・・といえり」とあることからも分かるというのだ。「・・いえり」とは「・・言われている」ということらしい。
この有名な冒頭の言葉は誰でも知っているが、「学問のすすめ」という言葉から想像できることは、「勉強しろ、学びなさい、学校へ行きなさい」と想像していたのではないだろうか?
しかし、これは単なる「進学し、学問をしなさい」という意味ではなかったということだ。これには少々驚いた。
福沢曰く、【活用なき学問は無学に等し】
つまり福沢の説く「学問」とは、
(実学のすすめ)
【学問とは、ただ難しき字を知り、解し難しき古文を読み、和歌を楽しみ、詩を造るなど、世上に実のなき文学をいふにあらず。(中略)畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合わぬ証拠なり」
これと牧口常三郎の価値論を比較すると100倍の差があるのではないであろうか?
牧口常三郎、価値論に曰く、
「価値とは人により異なる」「猫に小判」等など・・。
当たり前のことである、阿呆でも分かることである。では牧口常三郎のいう最高価値(大善)とは何か? 牧口常三郎はそれを本門戒壇の大御本尊であり、日蓮正宗に存在すると説いた。では最高価値を見出したのであるならば、価値論は無価値となるのである。
福沢曰く、
「風呂の槇を炊くのも学問である」
即ち福沢諭吉は「全ての実生活が学問である」と主張したのだ。
抽象的で、訳の分からん牧口常三郎の価値論とは天地雲泥の差があるのではないだろうか。
以上、
Re: 理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
投稿者:
休憩中の通りすがり2
投稿日:2011年 7月15日(金)22時09分31秒
返信・引用
>
No.1505[元記事へ]
金 満太郎さんへのお返事です。
> 創価学会『FRIDAY』2005.07.15
>
> 理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
> 「創価学会は宗教法人といいますが、選挙の前には会館に信者を集めたりして政治活動のようなこともするし、傘下の出版社による書籍の販売など、経済活動もしています。
> 非課税、軽減税率という恩恵を受けるべき純粋な宗教団体かといえば、限りなく”グレー”。
> 一般企業同様、課税対象にしていいのではないでしょうか。」(慶応大学経済学部・金子勝教授)
言えてますな。
ロム男君よ、貴殿、精神病を患っておるぞ
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月15日(金)21時51分49秒
返信・引用
ロム男さんへのお返事です。
> 牧口先生と福沢諭吉を同列に並べて論評するアホタンへ!
>
> 『牧口常三郎』(はしがき)より
>
> ==================以下、引用===================================
>
> 近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人であると
> いうことがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
> どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
> るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
> うとつとめた思想家である。
> いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
> ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
> とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
> 創造していこうとしたのである。
> ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
> は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
> をさししめしていたということである。』
>
> ================以上、引用終わり===============================
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
貴殿の上の書き込みは、池田諭著 「牧口常三郎」日本ソノ書房刊の引用だそうだが、貴殿、7月6日に池田諭氏のことを何と言っておったのか覚えておるか??
思い出させてあげよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
> 【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
↑これは、池田諭の論調で、あくまでも推測の域を出ない。
こんなものを文証にあげるなど、狂気の沙汰と言わざろうえない!(苦笑)
http://6526.teacup.com/sokasecuritycamera/bbs/1370
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アハハハッハハ、お前さんの論調で行けば、お前さんの挙げた上の引用は、「狂気の沙汰」であるな!オモロ
!(^^)! そこで改めて質問する。
お前さんは、当方の挙げた引用箇所を肯定するか、しないのか、?返事しろ・・。ギャハハ
これだ。↓
【しかし、拘置場内で牧口はまもなく、拘留された幹部のうち、戸田と矢島周平を除いて、あとはその思想、信仰を捨てて転向したということを聞かされた。その時の彼の驚き、彼の受けたショックは、彼の生涯を通じて最大のものであったろう。】
> 『牧口常三郎』(池田諭著 日本ソノ書房刊 1969年)
ワッハッハ
どんな屁理屈を抜かすかか楽しみだ。
黄色い板の三馬鹿大将
投稿者:
伽羅
投稿日:2011年 7月15日(金)20時40分26秒
返信・引用
え~~と、なんとかQ太郎とギャラリーとケ~~ン爺か?オーイまたこっちの板見てんのか
このドスケベ野朗が
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs?&OF=1700#CID966
Re: 幹部の死を一切報じない創価学会
投稿者:
伽羅
投稿日:2011年 7月15日(金)20時28分4秒
返信・引用
>
No.1504[元記事へ]
山崎尚見さんへのお返事です。
> 先日、癌を患っていた三井麻生元創価学会全国婦人部長が死亡した。学会大幹部の死は、彼らが〝仏罰〟だと人様の死を嘲笑ったそれこそ、本当の〝仏罰〟なのか何なのかわからないが、何しろ多発している。
>
> 野崎勲元副会長、山崎良輔元副会長、森田一哉元理事長、西口浩元広報室長、多田時子元全国婦人部長、中尾関西婦人部長、原田会長夫人、藤原関西長夫人、現会長の原田稔の妻である原田紀美江・・・。いずれも癌か精神疾患である。
>
> 聖教新聞紙上では、森田理事長を除いて、死去したことじたいが一切報じられない。しかも全員、密葬や家族葬という体裁をとっている。「宗教ルネサンス」などと大騒ぎしたあの「友人葬」で送られた大幹部はただの一人もいない。
> たとえば、弁が立ち、反学会勢力に容赦のない攻撃を加えていた、西口氏は、53歳の若さで舌癌により急逝。最後は顎まで切除するなどの大手術の末だった。学会の異常さとして、敵の死を願い、死に様をあざ笑うという習性があるが、大幹部の死相を誰一人として公けにできないというのはどういうわけだろう。理由は言うまでもない。
もう数年前なんだけど、富士宮ボーイで横浜在住らしい卞氏さんという学会員さんが
出てたんですけど急に出てこなくなった丁度、そのころ横浜の副会長さんが亡くなられた
たぶん卞氏さんとはその副会長さんだと思う、富士宮ボーイでも卞氏さんのことは
ダレも話題にしないツメテーよな学会ってさ、なにが同志だ!笑わせるぜ
Re: 理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月15日(金)18時07分25秒
返信・引用
>
No.1505[元記事へ]
金 満太郎さんへのお返事です。
> 日本には、様々な面で、税軽減、免税といった優遇を受けている各種団体がある。象徴的な存在が宗教法人であり、その代表格といえば、やはり”創価学会”だ。
日本の宗教の代表格が日蓮正宗では無いのが良く分かる記述である!(笑)
理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
投稿者:
金 満太郎
投稿日:2011年 7月15日(金)17時28分3秒
返信・引用
創価学会『FRIDAY』2005.07.15
理不尽な大増税より「創価学会に課税せよ!」
政府は、どこまで庶民イジメをすれば気が済むのか。6月21日、小泉首相の諮問会議である政府税制調査会が凄まじい「大増税計画」を発表した。
配偶者控除、扶養控除など、各種控除の見直し・廃止。景気対策として行われてきた、所得税・個人住民税の定率減税も廃止…。
このような増税が、あと数年以内に実施されようとしている。その結果どうなるのかといえば、年収500万円、夫婦と子供二人の家庭では年間42万円の増税。年収600万円の家庭では、年間50万円以上の増税になると試算されている。
50万円など、普通の家庭の一か月分の収入以上の金額。とんでもない大増税だ。
「新聞などで試算されている増税額は、税制調査会が指摘している控除の見直しすべてを試算に入れていないので、実際の増税額はさらに大きくなる可能性がある。自営業者にも厳しいのですが、特にサラリーマンに厳しい内容になっており、これが実行されると所得の低いサラリーマンは生存権も脅かされます」(エコノミスト・紺谷典子氏)
政府税調の石弘会長は「サラリーマンが(負担の)核」と会見で公言したかと思うと、テレビ番組では「よく読めば自営業者にも厳しい」と発言するなど、結局、あらゆる庶民に厳しい増税となることを認めている。
しかも増税は最終的に、各種控除の見直しだけに留まらない。本誌が昨年11月12日号などで繰り返し警告してきたように、次に来るのは【消費税率の大幅アップ】である。
財務省の財政制度等審議会は、”2015年には消費税率を19%にする必要”があると発表している。消費税率は、1%アップで国民負担が2兆円強増加するといわれており、19%になれば国民負担は今より約30兆円増。国民一人当たりの負担増は、なんと約25万円にもなる!。
これほどまで庶民をイジメをするというなら、ぜひ指摘したい。
日本には、様々な面で、税軽減、免税といった優遇を受けている各種団体がある。象徴的な存在が宗教法人であり、その代表格といえば、やはり”創価学会”だ。
石会長は「税の不公平感がある」ので増税するという。ならば、創価学会にも相応の課税をすべきではないのか。
「真の実態は掴めませんが、創価学会の総資産は10兆円といわれ、トヨタ自動車をも越える資産・財力を持つ宗教法人です。収入は信者の浄財(寄付)によるものが多く、原則非課税。土地や建物も”宗教活動”に供せられる場合には固定資産税や都市計画税が免除されています」(ジャーナリスト・山田直樹氏)
創価学会の2003年の申告所得は、約180億円。しかし、これは、「浄財」による非課税収入を含んでいない。1995年に国会で公表された内容によれば、非課税であるその寄付部分の収入が、当時でも2000億~3000億円に上っていたといわれる。
これは民間企業でいえば、東京電力(2003年で申告所得約3164億円)に匹敵するレベル。ちなみにこれらの民間企業は、年間1000億円以上の法人税を支払っている。
「創価学会は宗教法人といいますが、選挙の前には会館に信者を集めたりして政治活動のようなこともするし、傘下の出版社による書籍の販売など、経済活動もしています。
非課税、軽減税率という恩恵を受けるべき純粋な宗教団体かといえば、限りなく”グレー”。
一般企業同様、課税対象にしていいのではないでしょうか。」(慶応大学経済学部・金子勝教授)
前出の山田氏もこう指摘する。
「アメリカでは、営利活動をすれば宗教法人の資格を剥奪される。創価学会は政治活動も営利活動も行う団体なのだから、宗教法人としての特権は返上し、営利法人として納税すべきです」
学会信者もよく考えてほしい。学会は信者からの巨額寄付によって肥大化している。信者にすれば、これから与党・公明党も関与する大増税と、寄付という二重負担を強いられていくことになる。
その結果、庶民である信者の暮らしがよくなるのか?ある特定の人物達が信者を踏み台にして私腹を肥やし続けるだけではないのか?
幹部の死を一切報じない創価学会
投稿者:
山崎尚見
投稿日:2011年 7月15日(金)15時53分19秒
返信・引用
先日、癌を患っていた三井麻生元創価学会全国婦人部長が死亡した。学会大幹部の死は、彼らが〝仏罰〟だと人様の死を嘲笑ったそれこそ、本当の〝仏罰〟なのか何なのかわからないが、何しろ多発している。
野崎勲元副会長、山崎良輔元副会長、森田一哉元理事長、西口浩元広報室長、多田時子元全国婦人部長、中尾関西婦人部長、原田会長夫人、藤原関西長夫人、現会長の原田稔の妻である原田紀美江・・・。いずれも癌か精神疾患である。
聖教新聞紙上では、森田理事長を除いて、死去したことじたいが一切報じられない。しかも全員、密葬や家族葬という体裁をとっている。「宗教ルネサンス」などと大騒ぎしたあの「友人葬」で送られた大幹部はただの一人もいない。
たとえば、弁が立ち、反学会勢力に容赦のない攻撃を加えていた、西口氏は、53歳の若さで舌癌により急逝。最後は顎まで切除するなどの大手術の末だった。学会の異常さとして、敵の死を願い、死に様をあざ笑うという習性があるが、大幹部の死相を誰一人として公けにできないというのはどういうわけだろう。理由は言うまでもない。
おまけ付き知恵袋よ~ん
投稿者:
パンパース太作
投稿日:2011年 7月15日(金)07時40分52秒
返信・引用
質問
池田大作さんは麻原さんを超えましたか?
ベストアンサー
捕まらない という点では
麻原を超えたと思います
しかし 池田さんは電波を飛ばしているそうです
◆私は、何も言わなくてもみな見えているよ。とても敏感なんだ。……私は言ってあげて、罪業を切ってあげているのだ。(池田大作『前進』S41.1)
◆私の頭の中にあることは全部事件をまぬがれる。頭を通るだけで良くなる。(だから)何でも話しておかねばならないのだ。(池田大作・第15回社長会・S43.8.3)
◆私には全部わかっている。又、本部から、いつも会えないから、電波を発信しているのだけれども、いくら発信しても受信機が壊れていては何もならない。(池田大作『前進』S45.5)
>信者は見えない「ヘッドギア」を しているんでしょうか
まさか「スカラー派」のおばさんに対抗しているのではないですよね。
あとは 空中浮遊だけでしょう
(おまけ)
牧口常三郎 (1969年)を書くときに池田 諭さんが参考にした文献等。
参考文献
牧口常三郎全集 第一巻~第五巻
妙悟空 「人間革命」
池田大作「人間革命」
小平芳平「創価学会」
村上重良「創価学会=公明党」
北海道師範学校五十年史
唐沢富太郎「教師の歴史」
高瀬広居「炎の殉教者 牧口常三郎」←「越佐が生んだ日本的人物(続)」に収録
著書を書くときに世話になった人。
「辻武寿、小平芳平、柏村信、石附忠平、石原重保等」
Re: 福沢諭吉vs牧口常三郎
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月15日(金)05時40分17秒
返信・引用
>
No.1497[元記事へ]
高橋耕平さんへのお返事です。
> > 牧口常三郎もカントを批判し「利美善」を立てたが、福沢諭吉ほどの器量はなかったということだ。
>
>
> 同感!
君には、分からんだろ!?(^O^)
Re: 福沢諭吉vs牧口常三郎
投稿者:
高橋耕平
投稿日:2011年 7月15日(金)01時43分5秒
返信・引用
>
No.1482[元記事へ]
> 牧口常三郎もカントを批判し「利美善」を立てたが、福沢諭吉ほどの器量はなかったということだ。
同感!
Re: バカ全開のカキコをする間抜けを嗤う!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月14日(木)23時53分40秒
返信・引用
>
No.1495[元記事へ]
高橋耕平さんへのお返事です。
> 引用するときは著者の名前を書け、都合悪いのか?
何か不都合か?(^O^)
おまえの仲間のように、何の断りもなく、他板をコピペし、さも自分の論のように書き込むバカ共に注意しろ!
間抜けよ!o(^▽^)o
Re: バカ全開のカキコをする間抜けを嗤う!^m^
投稿者:
高橋耕平
投稿日:2011年 7月14日(木)23時40分23秒
返信・引用
>
No.1493[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
引用するときは著者の名前を書け、都合悪いのか?
Re: 奉安堂にある 板本尊は
投稿者:
伽羅
投稿日:2011年 7月14日(木)22時09分10秒
返信・引用
>
No.1492[元記事へ]
哀笑さんへのお返事です。
> 数百年後 ある日 突然作られた
>
>
> 弘安二年十月十二 本門戒壇の大御本尊は全く ウソ。
>
> よく考えてご覧なさい
>
> 日蓮 日興 日目 日道が 知らない 板本尊。
>
> こんな事が許されていいのですか!
>
> 日蓮正宗はいつから嘘をつくようになったのですか!
テメーが堂々と創価学会の宿坊ですと名乗れねーステハン野朗の寝言など
だれも信じねーよ バーカ
Re: バカ全開のカキコをする間抜けを嗤う!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月14日(木)21時46分17秒
返信・引用
>
No.1491[元記事へ]
高橋耕平さんへのお返事です。
> 誰が著者、出版社はどこ?
池田 諭著 (1969年 日本ソノ書房刊)
何か問題でも?(苦笑)
Re: バカ全開のカキコをする間抜けを嗤う!^m^
投稿者:
高橋耕平
投稿日:2011年 7月14日(木)21時12分1秒
返信・引用
>
No.1483[元記事へ]
ロム男さんへのお返事です。
> 『牧口常三郎』(はしがき)より
>
> ==================以下、引用===================================
>
> 近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人であると
> いうことがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
> どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
> るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
> うとつとめた思想家である。
> いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
> ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
> とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
> 創造していこうとしたのである。
> ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
> は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
> をさししめしていたということである。』
誰が著者、出版社はどこ?
無題
投稿者:
通りすがり2
投稿日:2011年 7月14日(木)20時52分51秒
返信・引用
しかし、流れるのが早い掲示板である。
少し読ませてもらうが、続きは、また。
今日は眠たい。
この下の方にいる宿坊くん、君は中華料理屋から串焼き屋になったらしいね。
通信用語の基礎知識
投稿者:
パンパース太作
投稿日:2011年 7月14日(木)15時27分8秒
返信・引用
キンマンコ
辞書:文化用語の基礎知識 民俗学東洋編 (LFOLKE)
読み:キンマンコ
品詞:人名 2006/04/05 作成
2006/12/09 更新
起源
かつて池田が、1993(平成5)年7月7日に創価学会の糸満平和会館で行なわれた第六十六回本部幹部会にて、次のような猥言をしたことに端を発する。
糸満平和会館て名前変えた方がいいんじゃないかな。うまく、ダメか。
ウーマンぽい、ウーマンぽい、糸満なんてウーマンぽい (会場ウケなし)
駄目か。
もっといいね、いいのはキンマン、いや、イトマン、キンマンコだよ! (会場大ウケ)
この発言の録音は、創価学会による被害者の会からダウンロードして聞くことができる。
バカ全開のカキコをする間抜けを嗤う!^m^
投稿者:
ロム男
投稿日:2011年 7月14日(木)14時34分48秒
返信・引用
牧口先生と福沢諭吉を同列に並べて論評するアホタンへ!
『牧口常三郎』(はしがき)より
==================以下、引用===================================
近代百年を生きぬいた思想家のうち、牧口常三郎は、最もユニークな者の一人であると
いうことがいえよう。即ち、彼は、一教師の立場から、終始、庶民大衆の中にあって、
どんな人間にも価値のあること、その価値を実現するために、何人にも学問が必要であ
るばかりでなく、何人にもそういう学問が可能であることをその生涯を通じて論証しよ
うとつとめた思想家である。
いいかえれば、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷のような人権論者、自由論者、平等論者
ではなくて、彼は、人権、自由、平等を具体的に存在する庶民大衆の中に発見していく
とともに、庶民大衆自身が、自らの中にそれを発見し、定着させることのできる思想を
創造していこうとしたのである。
ということは、今日、大学紛争、学問革命の争点となっている人間と学問の関係、更に
は学間は誰のためのものかという問題を、既に数十年前に鋭く指摘し、その解決の方向
をさししめしていたということである。』
================以上、引用終わり===============================
アホタン自信をもって曰く、
「価値の最高が大善と抜かした牧口常三郎。
では、大善とは何か?きわめて中傷的である。」
中傷的????⇒抽象的 ^m^
アホタンは、『価値論』読解能力が皆無であることが判明した。
御気の毒に・・・。。。(-.-)
宗祖曰く、『愚人にほめられたるは第一のはぢなり』
おい!愚人よ!!もっともっと、しっかりせい!!!^m^
どうなんだ?『富士年表』は間違ってるのか?
答えよ!!^m^
福沢諭吉vs牧口常三郎
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月14日(木)13時46分51秒
返信・引用
NHK Eテレ
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110706-35-24406
■■■■■■■■■■
価値の最高が大善と抜かした牧口常三郎。
では、大善とは何か?きわめて中傷的である。
それに比べ、福沢諭吉は「学問のすすめ」において、このように述べている。
「もつぱら勤べきは人間普通日常に近き実学なり」
即ち「学問とは実学」と説いているのだ。
実学とは、理屈を述べることではない。槇(まき)で風呂を炊くことも実学である。仕事を一生懸命することも実学である。要するに福沢諭吉は「学問をすることが学問ではない。日常生活が学問、即ち実学である」と言ってカント哲学を否定いるのだ。
牧口常三郎を心棒するトッカンロム男君などは実学どころか阿呆学であり、これも阿呆、牧口常三郎の価値論のせいであろうな。ワッハッハ
牧口常三郎もカントを批判し「利美善」を立てたが、福沢諭吉ほどの器量はなかったということだ。
センズリ男阿部日ケ~ン(院政)の妄想! ゲラゲラ
投稿者:
れいな
投稿日:2011年 7月14日(木)12時47分47秒
返信・引用
http://megalodon.jp/2011-0714-1207-22/6238.teacup.com/tsurutaro33/bbs/43325
dakkai.org/sokagakkai.html
上、「創価学会からの脱会を考える会」のHPは昨日を持ちまして閉鎖いたしましたのでお知らせいたします。昨今、ブログ、SNS(ミクシー、フェイスブック)などが一般的となり・・
(黒川和雄氏 本人談)
////////////////
長期にわたって創価学会批判用のサイトであった「創価学会からの脱会を考える会」
のHPがなぜか閉鎖になったようです。
たしかにブログやSNSが個人の情報発信の主流になっていますが
情報元としての「サイト」の存在が薄くなった訳ではありません。
登録を代行した ITBoost社のレンタルサーバー「Xbit(エクスビット)」
は存在しています。
もしかすると dakkai.org を登録したレンタルサーバーの使用料を
支払えない等のトラブルがあったのでしょうか? ちょっち心配です。
dakkai.orgのドメインに関しての情報を見ると
2006年の5月に取得されていることが解ります。
Domain Name:DAKKAI.ORG
Created On:17-May-2006 05:11:54 UTC
Last Updated On:23-Mar-2011 00:54:15 UTC
Expiration Date:17-May-2012 05:11:54 UTC
Sponsoring Registrar:eNom, Inc. (R39-LROR)
Status:OK
Registrant ID:C114828087501021
Registrant Name:ITBoost Co.,Ltd
Registrant Street1:KURIHARA buillding 5F 7-8-1
Registrant Street2:Shinjuku-Ku
■■■■■■■■■■
【速報】と称しているが、何も速報ではない。ギャハハハ
あちこちに張り付けておる。心配するな、倒産散髪屋よ!!
>レンタルサーバーの使用料を
支払えない等のトラブルがあったのでしょうか? ちょっち心配です。
アホよ! センズリでもこいでシコシコやっておれ!!
ブログで復活するのじゃ!
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