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第一段階の内容をおおまかにまとめると次のようになる。
通常、このプログラムは 3 〜 5 日間くらいの通いのコースとして行われることが多い。 費用は数万から十数万程度である。
以下では、それぞれ詳しく解説していこう。 なお、この解説は、意図的に自己啓発セミナー的な論理で記述しているが、 筆者はこの論理に賛同するものではないことを最初にお断りしておく。
導入部では、グランド・ルールやセミナーの思想が提示される。 そして、自分自身を振り返るような実習が用意されている。 また、参加者間の親密度を高め、グループなどを形成していく。
最初にトレーナーから、「N 分間時間をさしあげます、自由に過ごして下さい。」 と指示が出る。 参加者の多くはとまどいながら、この時間を過ごす。
その後、この間の行動は、「いつもの自分の取っているもの」ではなかったか というレクチャーが行なわれる。
比較的初期の段階で、グランド・ルールが提示され、 これに必ず従うことが要求される。 例えばグランド・ルールは次のようなものである。
フォローアップを含むすべてのセッションへの参加
時間を守ること
内容を秘密にすること
指示に従うこと
すべての実習を行うこと
知り合いがいる場合には近くに座らないこと
酒を飲んで参加しないこと
参加後しばらくは新たに知り合った参加者の間で恋人として付き合わないこと
参加後しばらくは重大な決定をしないこと
このルールに対して、参加者から「フォローアップには用事があって参加できない」 などの、異議の申し立てが行なわれることが多い。 このような異議は、通常、トレーナーに一方的にかわされてしまう。
また、異議が申し立てられた際に、参加者全員の前で発言することを「シェアー」 といい、誰かが「シェアー」をしたら、賛成でも反対でも拍手を全員ですること というシェアーに関するルールが提示される。
例えば、「価値を作り出す方法」は、「冒険すること」、「100% 参加すること」、 「自分に正直になること」、「立場を取ること」、「シェアーをすること」、 「人に貢献すること」であるというレクチャーなどが行なわれる。
また、人間というものは、「色眼鏡をかけてものごとを見て」いて、 その色眼鏡は、 「過去の体験によって作られた思いこみ」であるというレクチャーも行われる。
この段階で、「他者から自分がどう見えているのか」 を実感するような実習がいくつか行なわれる。
例えば、「出会い」ないしは「トラスト・ウォーク」と呼ばれる実習では、 会場を歩きまわり、出会った参加者をよく見つめ、お互いにその印象を 「信頼できます」「信頼できません」「いいたくありません」 のいずれかの言葉で正直に述べあう。
また、「ダイアード」と呼ばれる実習では、二人一組になって、 ひざとひざが触れあう距離で、片方が語り、もう片方は静かにただそれを聞く。 ダイアードは導入部以外でも積極的に用いられているが、 最初の頃のダイアードでは、「互いの印象(いい印象、悪い印象)」、 「今困っていること」、「このセミナーに着た理由」、 「このセミナーに何をかけるか」などが語られ、 他者から見た自分を意識し、参加者間の親密さを高め、 自分自身への振り返りが行われる。
上記のいくつかの実習と並行して、第一段階のパートナー、グループ、 アシスタントなどを決めていく。
この段階では、他人のせいでひどい目にあったり、 したくもないことをたくさんしてきたと思っていたが、 実は全部自分で選択した結果であったということを学ぶ。 そして、セミナーに 100% 参加することを誓う。
今まで、他人にひどい目にあわされたことをダイアードで語り合ったり、 参加者全員の前でシェアーする。
今まで、やりたくなかったのに、 やらなければならなかったことをダイアードで語り合ったり、 参加者全員の前でシェアーする。
直前の実習のシェアーを受けて、トレーナーが発言者に 「やらなかったら何が起こるのか」を問いかける。
それに対する参加者の返答に対しては、 「それは事実ではなくて解釈(ないしは予想)ではないか」、 「それが起こったとして、本当にそれは大変なことなのか」 といった主旨の問いかけが行なわれる。
物事にはメリットとデメリットがあり、どんなにやりたくないことであっても、 何らかの見返りが存在する。
「やりたくない」と言うが、結局は、その見返りを手に入れることを望んで、 表面的には「やりたくない」と言っていることの方を実行することを、 自分から選んだのではないかというレクチャーが行なわれる。
そして、「やりたくないこと」をやったときのメリットとデメリットを、 ダイアードで語り合ったり、参加者全員の前でシェアーする。
また、そういう行動を取ることで、「悲劇のヒロインを演じてきた人生」 を送ってきたのであるという、レクチャーも行なわれる。
セミナーの振り返りが行なわれ、グランド・ルールを破ったり、 不真面目に参加していることに対して叱責が行なわれる。
「人生は選択」であり、自ら被害者を演じてきたという視点に立てば、 数々のグランド・ルールを破ることも、 セミナーに 100 % 参加しないで逃げていことも、 すべて自分で選択したことである。
参加しないための理由をさがし続けるような被害者の立場を演じることをやめ、 ルールを守り、 100% 参加することを誓う。
この段階では、他者と「勝ち」「負け」を争う生き方をしてきたことに気づき、 「互いに勝つ(Win-Win)」という生き方もあるということを学ぶ。
以下のようなスコア・ボードと利得行列を用いて、ゲーム理論で言うところの 「くり返し型の囚人のジレンマ」ゲームを、全体で 2 グループに分かれて行なう。
ただし、ルールは通常のゲーム理論のものとは異なる。 まず、「最大の合計点を蓄積して「勝って」下さい」という指示が出されるが、 これは意図的に勘違いを誘発するような説明になっている。 この指示の意味は、実は「自分の方に最大の点を蓄積すること」ではなく、 「両者に最大の点を蓄積すること」である。 よって、この単純なルールでは、解は協調しあう(両者供に黒)以外にはない。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
A | ||||||
B |
※ 3 回目の得点は 2 倍、 6 回目の得点は 3 倍に評価される。
A の投票 | |||
赤 | 黒 | ||
B の投票 | 赤 | A=-3,B=-3 | A=-5,B=+5 |
黒 | A=+5,B=-5 | A=+3,B=+3 |
既にこのゲームを知っている人はグループから抜けることが求められる。 そして、それぞれのグループは別の部屋に移動する。決められた時間内に、 グループで議論して赤か黒かを決めて投票を行なう。
本気でセミナーに参加することを誓った参加者は、多くの場合、 自分の得点をたくさん獲得しようとして裏切り(赤)の多い戦略を多発し、 互いに得点がマイナスに転落する。
ゲーム終了後に、ルールの解釈が伝えられ、勘違いしたのは、 過去の経験からくる思い込みで物事を見ているからであると叱責される。 また、このゲームのように、本来は、 互いに協調して(黒を投票して)勝つことが目的であるのに、 日常生活でも「勝ち」「負け」で勝負をして、 互いに悲惨なほどマイナスな得点を蓄積しているのではないかとも叱責される。
また、ゲーム中取っていた行動を振り返るように指示が出される。 そして、意見を言わずに傍観していた人、相手を倒そうとやっきになった人、 場をしきろうとした人・・・、 それらは普段のその人自身の姿ではないかというレクチャーが行なわれる。
なお、ゲーム理論のルールによる「くり返し型の囚人のジレンマ」ゲームでは、 対戦相手にもよるが、基本的には相手と協調し、 やられたらやりかえすという戦略が比較的強いことがよく知られている。 協調することが高得点を稼ぐポイントではあるのだが、 単に相手と協調することしか知らないプレイヤーは、 裏切りをメインの戦略に据えたプレイヤーの餌食になってしまうのである。
親しい人との人間関係を振り返るように、宿題が出たり、 それをノートに書いたりする。 それらの後(翌日の場合もある)でシェアーが行なわれる。
2 人 1 組で互いの右手をにぎって、「わたしが正しい」、 「あなたが間違っている」といいながら、腕を倒しあう実習をしたり、 ステージでトレーナーとアシスタントが実演したりする。
互いに恐れも不安も抱いている同じ人間であるが、 生まれたときはダイヤモンドのような本質を抱いていたということを学ぶ。 また、過去の心残りを再体験したり、秘密を告白した後に、 選択の実習で他者のあたたかさを知る。
恐いものや、不安なことについてダイアードを行なったりする。
そして、その恐れや不安が、 親しい人との人間関係にどのような影を落としているのかについてもダイアードを行なう。
悪い意味で気になる人、憎い人を振り返ってみるように指示。
その人たちは、どこか自分自身によく似ているところがないか。 自分自身が持っている嫌な部分がそこに見えるから、 余計に嫌に感じるのではないかといったレクチャー。
本来、人間は光り輝くダイヤモンドのような本質を持っている。 生まれたときは、誰でもダイヤモンドのようだった。 しかし、過去の体験で習得してきた思い込み、 行動パターンがそのまわりに殻になってくっついている。 この殻を破ることがセミナーの目的であるというレクチャー。
ダイアードなどで、幼かった日々の両親との思い出を語り合う。
その後、席を離して座り、部屋を暗くして、メディテーションを行なう。
まず、片方の親の顔形をていねいにヴィジュアル化し、やがては全体へと移行する。 親のイメージが完成したら、それに向かって呼びかけてみる。 イメージの親を対象にして、どんな人だったか、 どんな思い出があるかを思い出していく。
それから、両親の若き日に思いをはせる。どんな子ども時代を送ったか、 どんな苦労をしてきたか、そしてもう一人の親と出会い、やがて自分が生まれる、 ダイヤモンドのような本質をした自分が。
そして、今まで、親にどうしても言いたくても言えなかった心残りを訴える。
以上が終わると、もう片方の親についてもやや省略された同様のプロセスを行なう。
今まで組んだことのない、ちょっと敬遠していた相手とダイアードを組む。 そして、自分の気持ちをシェアーしあう。 その後、今まで誰にも言ったことのない秘密をダイアードで告白する。
二重の円をえがいて整列し、フォークダンスのように相手をかえながら移動する。 この時、相手一人一人と互いに向き合い、無言のまま、本心に従って、 指の本数で投票するように指示が出る。 投票の種類は、 1 本が「顔をそむける」、 2 本「見つめる」、 3 本「握手する」、 4 本「抱き合う」。 投票が一致したら、それに従う。一致しない場合は、無言のまま、双方で決める。
やがて、光が落ち、相手の人をよく見るように指示がでる。 そして、相手の人はどんな人なのか、相手の人はどんな人生を歩んできたのだろうか、 自分によく似た一人の人間ではないのか、 一人一人ダイヤモンドを持っているのではないのか、 もしも明日地球が滅びるとしたらその人とどうしたいのか etc. と音楽などと共に盛り上げていく。
最後に光がついて、行きたい人のところに行って、投票しあう。
自分の目標を見つける。 そして、達成を作り出すには、過去の思い込みにとらわれないで、 未来のかくありたしという自分の状態から、 宣言して行動を起こすことであるというレクチャー。 そしてその宣言は、必ず守ることが重要であるということを学ぶ。
一方は、「本当に欲しいものは何ですか?」と問い続け、もう片方はそれに答えていく。 最初、トレーナーと参加者の間で、これをデモンストレーションする。 その後、ダイアードになって、これを繰り返す。
欲しいものを手に入れるときに、何が障害になっているのかを、 ダイアードなどでシェアーしあう。
誰か問題をかかえている人にシェアーしてもらい、 トレーナーがこの問題を解説してみせる。 このとき、「事実」と「解釈」は違うという考え方に従って問題を分類していき、 すっきりした形で参加者に提示してみせる。
そして、「事実」だけであれば、ほとんどの問題は実は大したことがない。 これから起こるかもしれないと、「過去の体験で習得した思い込み」によって 「解釈(予測)」して、勝手に想像がふくらみ、 それが問題を大きくしているだけであるというレクチャーが行なわれる。
問題を乗り越えて、達成を作り出していくのには、コミットメントすることである。 コミットメントとは、立場を取ることである。 やると言ったことを必ずやることであるというレクチャー。
普通の人の人生は、欲しいものを手に入れたくて、努力して(Do)、努力して、 やっと手に入れて(Have)、よかった(Be)とか、 場合によっては最後のよかったの部分がなくて、また別なものが欲しくて、 努力して、努力して、・・・のようなものである。 それでは、過去に縛られた、過去からの延長でしかない未来しか巡ってこない。
ブレイクスルーを起こして、ダイヤモンドのような本質を手に入れて、 達成を作り出すには、未来からレールをしく必要がある。 かくありたしという自分を思い描き、まずはその心境になり(Be)、 そこから実行して(Do)、手に入れる(Have)ことである。 そして、その際には、前述のコミットメントが重要なのだというレクチャーが行なわれる。
全員で部屋の片方に集まり、横断して、反対側の壁のところまで行く。 ただし、以前の人と同じ方法で移動してはいけない。 それを何回か繰り返す。
その後、意図さえあれば、方法はいくらでも思い付く。 コミットメントすることが重要であるというレクチャーが行なわれる。
N 年後、自分がどうありたいかを思い描く。 そのためには、長期的に見て何をする必要があり、そのためには中期的、 短期的には何をすればいいかを、ダイアードで語り合う。 そして、最後にそのことを互いにコミットしあう。
セレモニーとセミナーの振り返り。 エンロールは最初迷惑だと思ったが、実は受講してみてよかったということを学ぶ。
ロックなどの音楽にのせて、これまでの人生でかつてなかったという限界まで、 はしゃぎまくる。
セミナーでの出来事を目を閉じた状態で思い出す。 最初どうだったのか、グループの人たちはどうだったか、赤黒ゲーム、両親のこと、 etc.
来てよかったのか、どう感じたのか。
そもそも最初、ここに来たかったのか、どうだったのか。 いやがるあなたを説得した人、その人は、あなたの成長を心から望んでいた。 嫌われるかもしれない、そんな恐れをいだきながらも、 無理をしてあなたを説得したのだという言葉とともに、目を開けると、 紹介者が立っている。 そして、おめでとうといいながら花束を差し出すのである。
第一段階は、基本的にセミナーの提唱する考え方や生き方を、 体験的に学習するためのプログラムとなっている。
たとえば、それは以下のものである。
人は本来とても素晴らしい可能性を持って生まれた。
人は過去の体験によって、思い込みを習得してきた。
「事実」と「解釈」は異なるが、 思い込みによってその区別がつかなくなっていて、それが問題を発生させている。
本来の可能性を発揮するには、過去の思い込みにとらわれずに、 コミットし、全力で取り組むことである。
また、これ以外にも、「互いに貢献しあうことが大切である」とか、 「人生は選択である」なども、セミナーに特徴的な考え方、生き方である。
なお、これらは、実は導入部の「価値を作り出す方法」というレクチャーの段階で、 提示されていることにも注意したい。
第一段階のセミナーを受講することで、参加者は様々な体験をする。 その中には、「主観的には」素晴らしいと感じられるものも少なくないようで、 感動した、よかったという感想も聞かれる。
一体、参加者は何に魅力を感じているのだろうか?
セミナーの中では、何度も自分の人生を振り返ったり、 親しい人たちとの人間関係を振り返ったり、 自分の行動パターンについて考えてみたり、 時間をかけて自分の気持ちを探ったりする。 これらのことは、人生において、本当にはじめて体験したという人もいることだろう。 これらの体験は、言うまでもなく「極めて主観的なもの」であるし、 セミナーという人工的に作り出されたコンテクストに立脚したものに過ぎない。 しかし、その人にとっては、大い満足の得られたものだったのかもしれない。
また、人工的な空間の中の出来事ではあるのだが、 その中で、他人から見た自分を強く意識することともなり、 このことで自分自身についていろいろと新しい面が発見できたとも思えるのだろう。
ある事柄を問題と見なすか見なさないかは、その人の価値観に依存している。 しかし、少なくともセミナーの最中には、普段、気にも止めないようなことが、 大きな問題として取り上げられる。 このことと、セミナーの自己責任ビリーフにより、 参加者はその問題を生んでいるのが自分であると反省するように圧力がかけられる。
このことは、必ずしも好結果を生むとは限らないが、 場合によっては問題解決の糸口になることもあるのだろう。
セミナーを受講して、よかったという意見には、 自分が今までの愚かな振る舞いに気づいて改めたことで、 親しい人たちとの人間関係が改善されたというものが見られることがある。
ダイアードや、シェアーを通じて、他人も自分と一緒なのだと知り、 わかりあえたという実感が得られ、普段では考えられないほど親密感が高まる。 また、多くの人と抱き合ったりするような体験も、 日常生活ではほとんどないことだろう。
セミナー・ルームの中だけの、非常にかりそめのものではあるが、 昨日までは何も知らなかった赤の他人のあたたかさややさしさに触れる機会でもあるのだろう。
誰でも、可能性だけは持っている。 ただ、現実問題として、その可能性の大きさを考えたことがない。 その可能性がもしも開花するかもしれないと本気で思えれば、 おそらくその人にとっては大いに力づけになることであろう。 セミナー参加の効果の一つは、少なくとも短期間の間、多くの人が夢を持ち、 元気になることであると言えるだろう。
ただし、可能性は可能性に過ぎない。 開かれる可能性も、開かれない可能性もある。 物事というのは、運、才能、努力などなど、非常に複雑な要素がからんでおり、 可能性を確実に開花させる魔法のような処方箋は存在しない。 いくらセミナーに参加しても、 現実にはほとんどの可能性は発揮されないで終わってしまい、 いつしか、その夢も覚めてしまうのではあるのだが。