2005-07-13
■[哲学・思想・脳]社員研修と自己啓発セミナーの危険性について
これまで、自分が体験した自己啓発セミナーのリアルな報告を書いた。
ごく短期間に詰め込み式で行われざるを得ない研修中の自己啓発セミナーは、他のサイトで書かれている通り、”非常に危険”である。
結局、社員研修の名目で行われる自己啓発セミナーの危険性は以下に集約されると思われる。
1:職場の人間関係の破壊
2:自発的に行動し変革する人間の飼い慣らし
3:洗脳が失敗した場合、経営者、会社への不信感が残る
実際に感じたことだが、研修内容に批判や疑いを持つ自分は、「この中で浮いているのではないか?」「自分は劣っているのではないか」と感じるとともに、「洗脳を受け入れてしまっているメンバーがエイリアンに見える」「このような洗脳教育を施す経営者は何を考えているんだ」など、否定に次ぐ否定が次々に沸いてきてしまう。
セミナー中の私は、(ポジティブに自分をさらけ出したり、他人の悪口を平気で言ってみたりができない)恐らく”劣った存在”として、他の参加者に優越感を提供していたはずだ。しかし、私は彼らに対してこそ心の中で侮蔑していた。
「彼らはムードに従って何でもできる自分が”変化に強い””ポジティブな存在”と思っているが、そんなものは今、この場だけの気分の問題にすぎない」
できの良い、優秀だと思いたい人ほど、こういった状況でも”自分を認めて欲しい”と頑張って順応してしまう。
例えば、「これは洗脳である。危険な結果が出るかもしれない」と私が参加者に打ち明けた時のこと、(多分、洗脳覚めやらぬ)その参加者は「自分は自己啓発セミナーを知っているが、たとえ洗脳だったとしても自分は大丈夫だ」「考えすぎだ」「洗脳に慣れてないだけだ。大したことない」などと優越感を示した。
「不条理な環境への過剰な適応こそが洗脳の効果なんだよーー」と私は思った。
「有能だと思われたいという、他者の評価に依存した空虚な自尊心が危険なんだよー」とも。
日ごろ一緒に仕事をしている人間達が、お互いの悪い点を嬉々として言い合う様は、かなり異常である。
言われたほうは「自分の糧となる大事なことを教えてもらっている」とありがたがって拝受する。(その実、物凄くストレスなりダメージを受けているはずなのだが)
洗脳が仮に上手く行き、マネージャ諸君がすべて従順ながむしゃら君になったとしても問題は残る。
実際に、経営戦略や仕事の質に対して、何も変わっていないのであるから、結果が如実に出るはずがない。
そうすると、「自分の選択の結果であった」とただただ自己批判に陥ってしまう結果になるのではないか。
自発的に行動し、組織文化を変革するとのビジョンとは程遠い。(笑)
これまでの人間関係や仕事の連携を阻害してしまう原因となってしまう、または洗脳によって何かを履き違えた人間達が妙な教義を吹き込まれた状態で、さらに被害を他の人間に伝えていってしまう。
人間関係を捻じ曲げてしまう。
これが一番の問題なのではないかと思えてしまう。
■私の勤め先では洗脳の効果が劇的に現れるような事件は発生していない。しかし、元々研修の目的とされた”良い結果”もまた生まれていないのである。1人数十万円*24人分の研修費(経費)が使われただけである。
それから、24人*10日間の決して少なくはない時間。
■[哲学・思想・脳]自己啓発と社員教育 その後の行動
自己啓発セミナー的な内容が、社員研修の名目で行われた事実に対して、行動を起こさないわけには行かなかった私は、これまでの自分が感じたこと、調べたことをできるだけ冷静に報告書としてまとめあげた。
研修の参加者全員、上司、総務部長、常務、社長へのメール。特に総務部長、上司、社長には面会を求め直訴した。
「初回の洗脳めいたカリキュラムが今後半年間継続されるなら、自分は辞退する」
「その為に失うものについての覚悟も自分にはある」
必死の抗議に対して、「君がそこまで真剣に言うのであれば・・・」と上司も一定の理解を寄せてくれた。
社長に至っては、長い意見交換の上、研修を実施したコンサルタンツを社長室に呼び、「洗脳教育についての抗議を行った」とのレスポンスを得た。
また、「次回以降の内容について、納得できなければ欠席も認める」と了解を頂いた。
自分が危惧していたのは「経営者が洗脳を承知で内容を決定した」という最も恐れるシナリオであったので、社長の行動は自分をかなり安心させた。
洗脳的カリキュラムをコンサルタントが決定し、内容についてのチェックが漏れていた・・・とするなら、自分としてもそれ以上責めるつもりはない。
ただし、今後は、大手コンサルタントといえども、洗脳カリキュラムを潜り込ませていることを警戒すべきであるし、研修メンバーを隔離しないこと、閉鎖空間に閉じ込めないこと・・などの注意が必要であろう。
社長室に呼び出されたコンサルタントの担当は
「確かに第一日目の”気づき”に対する方法を洗脳と言われてしまうと、そのように思えてしまうかもしれません」
「当社は長い社歴を持ち、大手コンサルタント会社として恥ずかしいことはありません」
「社長の話を十分考慮して研修にあたりたい。次回からはアンケート結果の解決方法など実践に基づいた内容になっていますので、心配しないでください」と返答したそうである。
■確かに洗脳を行ったと認めているように受け取れる。しかし、大手コンサルタントの実績という看板を立てに、”信頼を失うまい”との自衛が見られ、終いには(今後の社員教育の案件を打ち切られてしまうのではないかとの営業判断か)「社長の話を十分考慮する」と媚びているように見える。
その後、マネージャ候補の24名はすべてマネージャに昇進し、キツイ状況の中、中間管理職の仕事に邁進している。
その心情に「すべては自分の選択の結果である」や「外部への批判は自分の弱さである」とのアンカー情報(洗脳の中心教義)が埋まっているかどうかは分からない。
少なくとも自分は、自分の選択の結果以外にも、上司や経営者の責任、部下のミス、時期が失敗の原因として錯綜していることを知っているし、外部への批判は、自分の責任と権限、実績、事実を元に外部に働きかける”正常の証拠”だと思っているし、また、部下の評価は好き/嫌いではなく、実績を重視し、情意で補足するものであることを肝に銘じているのである。
■[哲学・思想・脳]結末 洗脳カリキュラムとの戦い
第一回目研修二日目の総括として「セルフエスティームを高める5つの方法」と称する”感想文”を会社に提出するとの脅しつきで書きました。
「会社に提出する」の一言は、これが講習の批判をするようなプライベートな感想文ではないことを意味しています。
あくまでも勤務中の仕事として文書を提出するのですから、この2日間で行われた内容についての批判で埋め尽くされた文章を書くわけにいかないわけです。
■これは私の完全な思い込みですが、洗脳の効果を測定するためのセッションだったのではないかと疑っています。
ここで、”感想”の内容を記さなければなりません。
参加者グループ(机を挟んで6にづつ)同士で、IF〜ONLY(もしあなたが〜であったならば)というゲームをします。
「もし○○さんが、△△ならば、もっと□□がうまくいく」とお互いの良いところ1つ、悪いところ2つを披露しあうのです。「悪いところの方が自分にとっては大切な言葉だ!」と言われます。
“悪い結果は、自分の防衛本能と自分の選択の結果である“から、悪い原因に”気づく”ことで、救われるとの説明がありました。
私は、自分のグループの5人に対して、何も書けませんでした。非常に悩みました。
“業務で関係しておらず”、“たいして知っているわけでもない人同士”で、なぜ面と向かって(長机一つで2人が向き合う超至近距離です)悪いところを言えるでしょうか?それが、他人にとって“良いこと”であるはずがありません。
「なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ」、「知ったようなことを言うんじゃないよ!」って普通は思います。
結局、私、物凄い疲労感と頭の中の混乱のまま「すみません、あまり知らないので何も書けませんでした」と謝るしか出来ませんでした。
このようにして、私の自己啓発セミナーとの戦いに勝利しました。(勝ったの?)
何も書けない状態でいられたことに、誇りを持っています。
そして、帰宅後に嘔吐を覚えながら、インターネットで必死に調べ、「あれは洗脳だ!」と言えるのが救われてます。
■[哲学・思想・脳]自己啓発セミナー レクチャー「グランドルール」「シェアーのルール」「人生は選択である」
セミナー中でよく聞かれたフレーズを以下に記す。
「自分に正直になること」「色眼鏡」「見返り」「互いの良い印象・悪い印象」「不真面目な参加者への叱責」「被害者」「win-win」「本当に欲しいもの」「事実と解釈」・・・・
時に違和感を感じたのは、
1:人間関係に誤解はない→あなたがどのように見られているかで決まる
2:人は正しい/正しくないではなく、好き/嫌いで判断する
自意識を中心に置くのではなく、”どのように見られているか”に注目させるための方便。
正しい/正しくないではなく、(従属させる側の)好き/嫌いが大事である・・・ということ。
経営者がそのような企業統治を望んでおり、その内容に即したカリキュラムをコンサルタンツが組むような事態が発生しうるのだとすれば、非常に恐ろしいことである。(自分の場合は、「経営者にそのような目的が無かったこと」を後日確認している。)
人間の根源的な不安・悩みに付け込む「人生は選択である」の刷り込み
自己啓発系セミナーで良く見られるメッセージだそうです。まさに、私が体験した研修の第一回目で繰り返し強調された脅迫観念です。