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子供のころ、人前で歌った最初の記憶なんですけど、近くの神社でカラオケ大会をしていたんです。おばあちゃんが「あんたも歌ってきな」って言って。私は仮面ライダーの主題歌を、カラオケテープがないから、アカペラで歌ったんです。
歌い終わったら、みんながよかったねぇって拍手してくれて、ステージを下りたときにしょうゆをもらったんですよ。大きなしょうゆ。「勝ったぁ、優勝したぁ」って思ったの。で、お祭りを楽しんでたんですよ。でもね、ふと見ると、歩いてる人、ぽつぽつとしょうゆを持ってるんですよ。参加賞だったんですよ。優勝したと思ってたのに(笑)。
<板野で過ごした12年。記憶は今も鮮明だ>
うちは三方を山で囲まれてました。モモ畑を通り抜けたら、山の中に入っていけて、犬と一緒によく探検しました。ある日、幻の湖にたどり着いたんです。もうジブリの世界みたい。わぁって開けてて、妹と二人で「童話の世界みたい。行き方覚えとこな」って言ってたんです。でも、何回行こうとしても、たどり着けなかったんですよ。すごくないですか。アマゾンじゃないんだから。
<楽しかった思い出とは裏腹に、これまでは、ハーフの女の子が苦しんだコンプレックスばかりがクローズアップされてきた>
どうしてもつらかったエピソードだけが取り上げられてしまうんです。悔しいとか、苦しいという過去の部分。けど、同じように楽しい思い出もいっぱいなんですよ。
私が子供のころはハーフという言葉すら聞いたことがなかった。だから、外国のお母さんがおるところの外国の子どもたちみたいな感じ。でも「うちら英語しゃべれんのやけど」みたいな感じで、自分たちって何なんだろうって。
<母が作った弁当を食べられずに、川に流してしまったことがある>
私はどっちかというとタフで、ちゃきちゃきした長女だった。いじめる子がいたら、平気で親に電話して言いつけてやるみたいな人だったんだけど、ひとつ下の妹が内気で私と対極なんですよ。
学校の子に何か言われて、妹はよく学校の帰りに泣いてたんです。「もっと言い返しだ」って話をしても「私は言えん」ってなるんです。
まだ土曜日が学校の日の時代で、土曜日はお弁当の日でした。低学年だった妹が「お弁当をみんなが見にくるけん、食べれん」って言うんです。食べて空っぽにして帰ろうって話をしてたんだけど、夏の暑いときで帰りにはいたんでるから、食べられなくて、でも、このまま持って帰ったら、お母さんが心配する。で、川に全部流してしまったんです。しょっちゅうでした。妹の涙が悔しくて悔しくて。
参観日、運動会、そういう学校行事にお母さんが来ると、大変なんですよ。みんながギャアギャアいうから。70年代、80年代前半、外国人の姿が町になかったですからね。
<ピアノのアキちゃんというアイデンティティーを追い求める>
外国人の子っていうのが嫌で、それ以外のアイデンティティーが欲しかった。ピアノは3歳のころから続けていて、うまくなればなるほど、ピアノのアキちゃんといわれるようになったんです。外国人の子どもというのでなくて、ピアノの子って思ってもらえる心地よさというのに、半ば依存していた部分があった。
練習はめんどくさいし、遊びたいし。でも、これをギブアップしたら、私に残るのはハーフしかない。だから絶対ピアノはやめないというか、やめられなかったですね。【写真説明】古里への思いを語るアンジェラさん=東京都港区