きょうのコラム「時鐘」 2011年9月16日

 わが愛する魚肉ソーセージに当分、ほろ苦い味が加わりそうである。輪島沖で見つかった脱北者の様子を見聞きしたからである

漂流する一行に、地元の漁師がソーセージを投げ与えた。母親らしき女性がまず一口食べ、それから子どもに与えたという。見知らぬ人からの施しは、まず疑い、警戒するのが習い性の人々なのだろう。かの地の深刻な飢餓で、食物を見れば腐敗を疑うという振る舞いも身についたのか

一口食べて、女性はすぐに子に勧めたという。それはそうだろう。本物のソーセージではないが、魚肉の味も格別なのである。給食のごちそう、遠足の必携品として根強い人気を誇った和製食品である。大人になっても、缶ビールをあおる時には欠かせない

輪島沖で、「毒味役」を買って出たのは、母親らしき人だった。やむにやまれぬ切ない光景に映る。切ないが、子を思う情愛が小さなソーセージを介してひしひしと伝わる

子どものソーセージ好きは、今も変わらぬようである。脱北の3人の子にとっても、忘れ難い初めての味であろう。それが明るい前途のはなむけになってほしいと願う。