9.15 XX中学校いじめ撲滅の日
|
一年前の今日、近隣のXX中学校で2年男子(当時)集団虐め事件が起こりました。
新聞でも報道された非常に悪質な事件です。
川崎の中三自殺事件で、その生徒が受けたいじめと同等あるいはそれ以上の虐めです。
被害者の生徒は私の塾の生徒でした。
この虐めは加害者生徒たちの隠蔽工作により、発覚まで12日間を要しました。
発覚した後も指導部長の隠蔽工作により、被害者の生徒の尊厳は傷つけられたまま放置されていました。「大人の事情」で被害者はカヤの外だったのです。
発覚後1週間たっても学校はほぼ何も対応せず、加害者の両親たちも誠意ある謝罪をしていなかったことを知り、私は「近隣のものを言う教育関係者」としてこの問題に関する文章を作り地域に配布しました。
そこから私と被害者家族VS加害者家族と学校との闘いが始まりました。
その戦いはまだ続いています。加害者側と学校はもう終わったことだと思っているかもしれませんが、私の中では何も終わってはいません。
9.15を忘れるな。
お前たちの作品である子どもがお前たちが教え育む環境の中で一体何をやったのか…。
それを忘れさせないためにこの日を「XX中学校いじめ撲滅の日」と命名しました。
後で知ったことですが、この学校では女子の苛烈な虐めもあり(当時1年、2年)不登校を作りだしていました。また中3男子(当時)では先生方の目を盗んで毎日のように暴言、暴行が続いていたのです。
この事件を通して、隠蔽体質のベテラン教師が2名異動していきました。しかし、たった110名程度のこの学校では未だに虐めは続いているのです。
以下は当時の10月4日に私が地域に配布した文章です。
過去に学び、より良い教育環境をみんなの手で作っていくために今日という日を忘れないでほしいと思います。
虐めをした6人の中には深く反省している者もいるでしょう。
その子はもう忘れたい出来事かもしれません。しかし、私は加害者たち生徒を責めているわけではありません。
間違いを起こしてもいくらでもやり直すことはできます。6人には前を向いて正しく生きていってほしい。
しかしそれも被害者が生きているからできることです。川崎には同じことをされて自殺した生徒もいます。
君たちはそれ以上のことをした。それは取り消せない。
虐めた生徒が自殺することなく、今も元気に学校に通っていることに心から感謝していないのであれば、それは反省していないということだ。
いいか、9.15を忘れるな。
XX中学校 中学2年集団いじめ事件について
「9月15日にXX中学校2年男子6名が陰湿ないじめ事件を起こしました。いじめは同学年の男子1名に対して行われました。
6対1です。
その被害者の生徒は当塾の塾生でもあります。その内容は、もしあなたのお子さんが同じことされたら、相当のショックを受け、泣き叫んでしまうくらいのことです。今は本人の名誉のためそれについては申し上げることはできません。
学校は当事者の保護者を学校に呼び出し、いじめ事件の経過について話しました。その後は学校主導で指導に当たっているそうです。
しかし、その指導の遅さとあいまいさに私は疑問と怒りを感じています。
6名の生徒の中で被害者の自宅まで謝罪に来たのはたった2件です。他の1件は加害者の父親が1本電話をくれただけ。後の3件は全く謝罪がありません。学校では加害者生徒何人かが被害者の子に声をかけたそうですが、全く誠意も反省も感じられなかったそうです。(本人談)
学校の加害者側に対するアドバイスとして、「今日は(相手のご家族も感情的になっていますから)訪問するのは避けてください。」というものがあったそうです。
みなさん、これについてはどう思われますか?
謝罪の気持ちは人間の本源的なものです。「すぐに謝りに行きたい、相手に何を言われてもそれはこちらが悪いのだからしっかり受け止めて誠意を示したい。」この様な気持ちは常識ある人でしたら普通のことではないでしょうか。学校からとやかく言われることではありません。何を意図としてそのような助言を行ったかはわかりませんが、それをいいことに未だ謝罪に来ない家が4件もあるのです。学校から何を言われようとまずは人として行動を起こすのが親として当たり前のことではないでしょうか。
人の子供に辱めを与え、そして謝罪にも来ない。人としてのモラルがない親たちがこの地域にいるのですね。
この6人の中には1年生のころから問題を指摘されている者もいます。2年生になり、彼らの暴君ぶりは枚挙にいとまがないほどになりました。他の塾生も被害を受けており、実にいやな思いをしています。
何が不満なのかわかりませんが、この6人は学校をストレス発散の場だと思っているようです。家ではおとなしく爪を隠している子もいます。先生方の見ていないところで肩パンチという嫌がらせをし、何度も消しゴムを投げて犬のように拾わせるものもいます。人のロッカーを荒らし、ぶちまけ、気に入らない生徒のげた箱の靴を隠し、放り投げます。挙句の果てにはどこから持ってきたのか女性用のパンツを立場の弱い生徒に持たせ、女子更衣室の中に入れさせ、女子の様子を見ようとするなど最近の彼らはやり放題です。
さらにこのメンバーの中には今年赴任した新人の先生を面と向かって呼び捨てにしている者もいます。信じられますか。どこまで教師の権威は失墜したのでしょうか。
もちろん、学校は努力をしていないとは言いません。私も元教員です。先生方の日々のご苦労は理解しているつもりです。しかし、昨年からの状況と較べても改善はおろかますますひどくなっていると思うのです。
彼らの価値観の中に「6分の1の責任」というものがあります。悪いことは6人でやった。だから、自分が悪いのも6分の1という意味です。6人で1人をいじめたとしても、彼らに何の反省も悪びれる様子もないのはずっとそういう価値観が彼らを支配しているからです。
社会ではそのようなことは通用しません。罪を人数で割って軽減することなどありません。むしろ集団の方が卑劣な行為と見られます。そういった非常に幼稚な考えによって、同じ学年の沢山の生徒が迷惑をしています。間違った価値観を変えてあげられるのは誰でしょう。それは、私たち地域の人間を含めて彼らに関わる大人全員の責任であると考えます。
彼らの何人かは小学校の時には周りから注目される存在だったそうです。自分たちを中心にクラス・学年が周っている、そういった幻想を持ったまま彼らは中学校に入学しました。しかし、現実は彼らの幻想を打ち砕きます。自分たち以外のヒーローが続々現れるわけです。そして彼らは教室の端に追いやられる。面白くなかったはずです。
彼らは幼稚ですから、決して強いものには向かっていきません。自分たちの力を見せるために「弱い者」を探し、いじめるのです。それをいじめとは意識しないまま。グループの中には、そこから外れると自分がやられるとわかっていて必死について行く者もいます。悲しい話です。
彼らはもう今回の被害者に手を出すことはないかもしれません。(一人はもうすでにちょっかいを出し始めているようですが…。)しかし、彼らの凝り固まった価値観と歪曲した自己保存のくせを考えるとこのまま終わるとは考えにくいのです。当然次のターゲットが選ばれます。すでに当塾の塾生の名前もあがっています。私は、今回の被害者を含めて、次の被害者を出さないためにも彼らを守らなければなりません。それにより、加害者の保護者といかなる対立を生みだそうと、この地域からの信頼を失い塾の経営ができなくなろうと私は行動を起こす決意をしています。私には何のしがらみもありません。大切な子どもを守れずして何のための教育機関であるか。公教育ではなくても私にはその責任があります。
同じ学年にターゲットがいなくなったら彼らはどうするでしょうか。そうです、現1年生に目を向けるでしょう。先輩から守られていない、おとなしい子が狙われます。さらに、来年、彼らは3年生になります。今の小学校6年生は彼らが最終学年の時に入学してくるのです。もはや、この問題は学校と当事者同士の問題ではありません。地域社会の問題であり、未来の中学生の問題なのです。
私がこの様な事を言うと、自己保存の過剰な親たちは「あなたには関係ないことだ。」と間違いなく言うでしょう。その考えこそが若年層の犯罪を擁護する危険な考えなのです。人が人と関わりながら生きていく限りは、関係がないということは一つもないのです。ましてや地域の学校に対しては地域住民がより良い教育を期待し、願っているはずです。その中でいじめられている子がいたとしても地域住民は何もできないのでしょうか。
学校は本来的に楽しい場所でなければなりません。確かにいろんなことが起こる場でもありますが、切磋琢磨しあい、人として成長できる場でなくてはいけません。苦しいことも辛いことも学校での教育、人間関係を通し浄化されることでそれは自分の糧になり、将来の財産になる、そのような楽しみのある場が本来の学校であり、その理想を決して降ろすべきではありません。
しかし、理不尽な行為によって生徒一人一人の学ぶ権利、楽しさを享受する権利を奪われることはどんなことがあっても阻止しなければならないのです。人をストレス解消の道具と見ているような生徒の周りには、その行為に傷つき、悩み、ひたすら我慢している子が常にいるのです。
いじめの問題を語る時、「いじめられる方にも問題がある。」と実しやかにおっしゃる方がいらっしゃいますが、それは全くの間違いです。いじめる方が100%悪いのです。そこがぶれるから問題が解決しないのです。1対1はケンカであっても1対2になった瞬間からそれはいじめであり、その行為が理由もなく連続することはもはや犯罪行為と同じです。ここを子どもたちには徹底的教える必要があると思います。
私は今回の6人を害虫の様に駆除すべきだとは思ってはいません。彼ら一人一人は決して悪い生徒ではなく、むしろ素晴らしいところも持っている人間であると想像しています。いじめは『場』が生み出すのです。その『場』が整ったときに彼らのどこかのスイッチが入り暴走するのです。ブレーキはありません。
先生方の目の届かない「死角」をなくす努力をしなければなりません。いじめる子、はやし立てる子、無関心な子という「いじめの三重構造」を打ち破らなければなりません。人が持つ「尊厳」というものを「ホスピタリティトレーニング」を通して教えなければなりません。XX中学校は今変わらなければならない時だと思います。XXという地域、学校をよく知るベテランの先生(*当時、私ははこの教師を信頼していましたが、実はこいつが隠蔽大魔王だったのです!)がいらっしゃる内にもっと根本的な教育実践に取り組んでほしいと思います。私の娘はXX中を卒業しました。息子も小学校の時に彼らの同級生でした。地域の学校を愛する気持ちは私も持っています。
ところで、いじめを繰り返すことで彼らは本当に心が満たされるのでしょうか。答えはNOです。なぜなら、いじめは相手の心を壊しながら実は自分の心も壊してしまう所業だからです。このままだと彼らはもっと心の貧しい、そして衝動的で統一性のない自分の心に彼ら自身がずっと振り回されることになるでしょう。今、この問題を一過性の問題として扱うのではなく、彼らの心をケアするためにも学校、保護者、地域が一つになって真剣に取り組むことが大切だと思います。それが未来のXX中学校の大きな進歩につながると思うのです。
みなさん、私たちは心配している、と学校に言いませんか?私たちにできることはありませんか?と問いかけましょう。一緒に行動して頂ける方を探しています。
御賛同頂ける方、地域の公教育に対して御意見のある方、ぜひご連絡をください。」
スコーレ・ロゴス
塾長 ●●●
|