台湾  2011年9月13日(火曜日)
【震災から半年】特集・東日本大震災から半年:台湾から日本を救う[経済]

東日本大震災から半年がたった。日本はこの間、台湾の官民による世界最大の義援金や温かい励ましの行動に心動かされ、勇気づけられた。経済活動は多くの産業で混乱が生じたが、現場の人たちの努力により予想を上回る速さで正常化へ向かっている。当連載「震災から半年、台湾から日本を救う」はきょうから4日間にわたり、困難の中に新たな光が見えたこの半年を振り返る。



「中国や香港、東南アジアからの観光客はほぼ軒並み止まった。でも台湾からは、地震の前も後も日本ツアーは断続的に続いていた」

ある旅行業界関係者は、台湾の親日度が未曾有の天災に際しても揺るがなかったエピソードとしてこう語る。

ただ、やはり原発事故による放射能汚染は恐怖を呼んだ。日本政府観光局(JNTO)の統計によると、1〜7月の海外から日本への観光客数は339万人と前年同期比33.2%減少した。1〜2月累計を振り返ると、6.8%増えていた。

とは言え、回復の足取りは見えており、特に台湾は速い。観光客数が多い順に韓国、中国からの訪日は、6、7月とも前年同月比でまだ4割以上落ち込んでいるが、3位の台湾からは2割台の減少まで戻している。

日台間の航空自由化(オープンスカイ)協定が調印間近と伝えられ、航空会社の10月30日以降の冬季スケジュールから、空の自由化が実現しそうだ。これを弾みに観光客数が大きく回復することも期待できる。

■電子材料、危機感が後押し

台湾経済の屋台骨を支える電子産業。ここでの日本製電子材料の存在感は、表面的には見えにくいがとてつもなく大きい。もはやコモディティー化したパソコン(PC)でさえ「いまだに欠かせない日本製の部品・部材がかなりある」と電子材料メーカーの関係者は言う。

この分野では各種銅箔(はく)やITO(酸化インジウムスズ)フィルム、特殊なIC基板、液晶パネルに使われる偏光板、接着剤など日本企業の世界シェアが高いものが数多くある。しかし、この関係者は「結局は、震災による供給停滞の悪影響はほとんどなかった」と振り返る。信越化学工業とSUMCOが世界シェアの大半を握る半導体用シリコンウエハーでも、取り立てて不足問題は起きなかったという。

需要の減退や欧米景気の減速はあるが、その理由の一つには、日本側の危機感が極めて強かったことがある。法人税の高い実効税率と諸外国に比べて高い人件費、さらに折からの円高。「ここで調達先を切り替えられるようなことが起こると、日本の工場はもう仕事が無くなる」。ぎりぎりまで追い詰められているという切迫感が、復旧への歩みを予想以上に速め、日本の底力を見せることにつながった。



■すし・高級料理、売り上げ半分

 食品・外食業界は、観光と並んで最も震災の荒波をかぶった。台湾政府は3月20日、地震発生翌日の12日以降に製造・加工されたすべての日本製食品に対し、水際検査を実施すると表明した。食品の貿易会社からは「港に荷物が滞留しており、通関作業がいつもより1〜2週間長引いている」と嘆きが漏れた。日本から鮮魚などの食材を仕入れるすし店や高級日本料理店などは、売り上げが前年同月の半分を切る店が続出するなど窮地に追い込まれていた。

日本全国に広がった自粛ムードは、台湾の日本人社会にも無縁ではなかった。台北市内のダイニングバー、tadaimaは「接待など会食が目に見えて減った」(経営者の太田隼人氏)。バーの場所は東区と呼ばれ、たくさんの飲食店やカフェ、バーが集まるエリア。「日本企業のオフィスが多い中山北路や南京東路付近からわざわざ来る人は地震後1カ月ほど少なくなっていた」。

総じて言えば、風評被害はさほど深刻ではなかった。商いの一時的な落ち込みはあったが、すし店などは日本人や台湾人の常連客に支えられたし、水際検査の浸透によって逆に安心・安全を確認できるようになった。tadaimaはむしろ「何とか支援したいと輸入業者から在庫の東北産の日本酒を多めに買わせてもらった」。なじみの客に対しては、今夏から入れる宮城県産の酒の入荷を先んじて案内しており、採算度外視で提供する。

■草の根が証明、日台のきずな

 期せずして、あの巨大地震が日台のきずなの強さを浮き彫りにした。台湾人から掛けられるいたわりの言葉や温かい支援行動は、特に台湾にいる日本人の胸を熱くした。しかし、台湾の人たちから言わせれば「(1999年の)台湾大地震で、日本は真っ先に支援の手を差し伸べてくれたから」。

 世界最大の額となる200億円近い義援金。メディアにさかんに取り上げられたことで、日本中に広まり、台湾への関心は一気に広がった。日台はこの半年、互いに感謝の応酬でこたえる「感謝合戦」となった。

■復興の原動力、胸の内に

海を隔てた台湾で、日本人として大きな衝撃を受けながら、何かしたい、しかし何ができるのか、ともどかしい思いを誰もが抱いた。当連載では、日台経済をこれまでの元気な姿に戻したいと必死に奮闘してきた人たちを紹介し、彼らが持つ熱を伝える。震災から1年、2年、5年、10年……。復興に必要な原動力とは、実は誰もが胸の内に持っているものではないか。



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