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【東京新聞フォーラム】

東京新聞フォーラム 朝鮮通信使に学ぶ日韓交流 400年前の『韓流』をさぐる パネル討論

日韓交流をテーマに発言するパネリストら

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 東京新聞フォーラムと千代田区江戸天下祭実行委員会、千代田区、千代田区観光協会、社団法人朝鮮通信使文化事業会は九月三十日、東京都千代田区の日比谷公会堂で「四百年前の韓流をさぐる−朝鮮通信使に学ぶ日韓交流」を開きました。一六〇七年から計十二回にわたり来日した朝鮮通信使は、江戸の街などに漢詩や絵画、医学などの文化的影響を与え、江戸時代の“韓流”を生んだ大外交使節団でした。基調講演とパネル討論のあと、日韓の伝統的な衣装のショーなどもあり、会場を埋めた約千四百人の聴衆は、日韓交流の重要性をあらためて認識していました。

 コーディネーター・小林 私は通信使というのは学校で習った覚えがありません。あらためて知ってみるとすごいことだなと感じます。

 黒田さん あの時代にあれだけの規模の使節団が、たくさんの文物を持ってパレードする。その経費と人力を想像すると、すごいなと思いますね。

 小林 日韓関係といいますと、どうしても植民地時代の歴史認識が絡んできて、悪い関係ばかりあったのではないかという印象を受けるのですが、通信使を知ってみると、善隣友好の時代が、江戸時代、二百年以上にわたってあった。これからの日韓関係に参考にすべき点が多いと感じます。いかがでしょうか。

 仲尾さん 歴史認識というと、それこそ靖国に参拝するかしないかとか、竹島問題とか、そういうところにだけ目がいきがちですけれども、弥生時代から現代に至る日本列島と朝鮮半島との長い関係を見ると、確かに紛争の時代はあり、秀吉のあの無謀な侵略、日帝三十六年間といわれる植民地支配の時代もありましたが、そうでない時代のほうが長かったんですね。そこで、通信使の意味合いがあらためて評価されるわけです。

 小林 それにしても、こういうすごい歴史の事実を、私たちはほとんど知らなかった。なぜでしょうか。

 金さん 一九九〇年ごろから韓国の教科書に出てきます。「朝鮮王朝実録」に修交回復をめぐる膨大な記録が載っていますが、戦前、韓国の歴史を日本人から習いましたから日本に都合の悪い歴史は教えなかったのです。

 仲尾さん 実は私たちは明治以降、全くお隣の民族、お隣の国を見ようとしなかったんです。江戸時代の対外関係といえば、長崎、そしてオランダと、多くの研究者は皆そちらのほうに目がいき、通信使を研究する人はごくわずかでした。今は、どの教科書でも大なり小なり、必ず朝鮮通信使のことに触れています。時代が大きく変わりつつありますね。

 小林 いま政治レベルでは日韓関係は冷え切っています。半面、毎日一万人が両国の間を往復し、一般の交流はどんどん盛んになっている。その背景には、今の韓流、韓国ブームがあると思いますが。

 黒田さん 突然にこの韓流ブームがやってきたように見えますが、その素地はずっとあった気がします。まず、本当に韓国は反日だったのかということから、私なんかは疑ってかかるんですが、残念ながら日本が植民地支配をしたことで、年配の人たちは、そのことに対して非常に複雑な思いを抱いていた。そんな中で、韓国人の手ざわりが変わったなと思ったのは、何といっても九八年、金大中大統領が段階的に日本文化の開放を発表したとき、それまで本当は日本が好きだし関心もあった人たちが、「実は日本が好きなの」と堂々といえるようになったんですね。そこから二〇〇二年のサッカー・ワールドカップ、そして韓流という流れの中で、潜在的にあったものが、お互いに認め合うことで雪解けしていったのを感じますね。

 それと、バブルがはじけて、近くの韓国に日本人観光客がたくさん押し寄せるようになった。実際に交流してみて、韓国の人も日本人のよさが分かり、日本の人たちも韓国人の情の深さに触れて、韓国人の魅力に目覚めていったと思います。

 金さん 江戸時代に朝鮮人差別はなかったと僕は見ています。朝鮮人差別は一九一〇年の韓国併合以降、植民地時代に入ってから。日韓併合というように大韓帝国を併合したのですが、条約締結と同時に日本は「韓国」を朝鮮と呼び変え、日本人の下に位置づけ、植民地時代に朝鮮差別が始まったのです。

 「冬のソナタ」が受けたのは、喜怒哀楽の明快さが、特に中年以降の女性たちのストレスの吸い取り紙になった。ヨン様を追っかける韓流ブームが起きたとき、江戸時代の通信使やその行列の追っかけを想起して、僕が韓流ブームのルーツは朝鮮通信使と言いましたら、今日のテーマにもなるほど市民権を得るようになりました。分かりやすいからでしょう。韓国語には追っかけという単語がありません。

 これをきっかけにして、皆さんがよりオープンに、いいものはいい、悪いものは悪いと自然体で言える環境が醸成されれば、コミュニケーションギャップが外れるんではないでしょうか。でも、これをぶち壊すのがマスコミと政治家で、感情論で歴史認識をセンセーショナルにあおるんですから。

 仲尾さん 江戸時代は差別意識はなかったと金先生はおっしゃいました。大部分はそうですが、少しだけ違う点がある。インテリがだめなんです。林羅山その他の幕府の御用学者は、朝貢使であると平気でいっているんです。かえって民衆のほうが、見たまま、聞いたまま、知ったままの朝鮮民族像、朝鮮文化像を取り入れているんです。

 韓流ブームあるいは朝鮮通信使への関心の高まりの結果、政治家やマスコミよりも市民の目線で、お互いのいいところ、悪いところを確認し合う作業が進めば、これからの日韓関係、日朝関係はうんと好転するのではないかと思います。

 小林 朝鮮通信使を迎える際、先ほどの講演でも言及されたように、雨森芳洲という人が朝鮮通信使に非常に大きな役割を果たしたということですが、これからの日韓関係を考えるうえで教訓にすべき点は。

 仲尾さん 彼は儒学者で、対馬藩に招かれ、その任務として、朝鮮外交を担うことになったわけです。日本全体を代表する立場ではなかったけれども、大変な苦労をし、彼なりの結論を出したのです。一つは誠信外交、もう一つは、自国の文化に対する謙虚な目です。一種の文化相対主義ですね。

 黒田さん 江戸の人たちは、通信使の行列を見て、文化の違いを楽しみながら取り入れていったと思うんです。日本人は、えてして自分の物差しで人をはかるところがあるようですが、自国の常識は他国の非常識になることもあるので、「この国はこうなのか」と楽しみながら他を理解することが大切ではないでしょうか。

 私は、初めて韓国に行ったときに、大体の文物に関しては知っていたので、何を見ても驚かなかったんですが、日本人と全然違う情の温かさにはびっくりしたんです。人の手ざわりというのは、行ってみないと分からない。皆さんも海峡を渡って、通信使のように情を交わす、そんな次の世代になったらいいなと思います。

 金さん 唐辛子は通信使が持ち帰り、韓国で真っ赤なキムチ漬けが生まれ、韓国服のチョッキは植民地時代、日本から入ったのです。しかもチョッキは日本語化したポルトガル語です。でも、身近に日本から入った文化を自覚している韓国人は非常に少ない。文化というのはそうやって空気のように水のように入ってくるのです。

 僕は東アジア連合を呼びかけています。仏教、儒教、漢字文化と、共有している大きな文化を持ちながらスムーズなコミュニケーションができないのは恥ずかしい。この課題をクリアして東アジアの共生時代を築けたら素晴らしい。歴史から、モデルにするものと、まねてはならない反面教師的なもの、この二つを学びたい。歴史を知らなければどちらも学べません。通信使から学ぶものは多い。

 小林 どうもありがとうございました。

コーディネーターまとめ 歴史に耐える善隣関係を

小林一博・論説委員

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 日本と韓国は、決して引っ越しのできない隣の国です。仲良くすることが両国と両国民の利益になるのはいうまでもありません。ところが隣国故のいざこざも付きものです。

 「善隣外交」−朝鮮通信使が残した最大の教訓です。外交は国益のぶつかり合いですが、信(よしみ)がなければ、長続きする良好な関係はつくれません。

 フォーラムで「通信使は消された歴史」という指摘がありました。儒教先進国という存在は、植民地支配のために邪魔だったからでしょう。歴史をゆがめ、隠すことは、偏狭なナショナリズムを刺激し、隣国関係を大きく損なう原因になります。

 通信使は日韓関係を考えるうえで、私たちにいくつもの課題を示しています。歴史に耐える善隣関係をつくるため、今回のフォーラムが一助になれば幸いです。

 

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